2019年9月18日水曜日

赤ちゃんに会った後の心の記録

今朝、友達と友達の赤ちゃんに会いに行く前にブログをアップしといて良かった。

あの後私は年に何回とないおなか絶不調の時を迎えて、どうやらそれは体側の不調ではなく、長年溜め込んだマイナスのエネルギーの解消だったようで(←ペンジュラムで確認)、かなり悶えた後、支度を整えて友達のところに向かった。

感じることはたくさんありつつ、とりあえず出てきたことから書いていこうと思う。

(9/13『赤ちゃんに会う前の心の整理』の続き)




まずは、生きる世界も生きて体験することも、全く違うことを痛感した。

私が結婚子育てをここまでしない人生になったのも、妙に納得してしまう場面があった。

子育てって生き物を育てることで、それはもう超リアリストにならなければ務まらない。

これ以上ない地に足の着いた任務になるわけだけど、それをしながら今の私が獲得したような物の捉え方とかは決して手に入らない。

子育て、特に乳児期は自分の行動1つが小さな命を生かす必須条件になるから、魂がなんだとか言ってる場合じゃない。

四六時中子ども中心の生活で、そこに自分の思考とか価値観を細かく見たり振り返ったりする余裕なんかない。

とにかく目の前の乳飲み子が元気に生き延びられるよう、そのための動きをひたすら提供するのが役割としてでんとあるから、細かいことを見ている場合じゃない。

そうした生活に縁がない代わりに、私は世の中の価値観からはみ出しまくりの方の生活に突入して早10年ほど。

はみ出していることは、色んな人たちからの批難を浴びやすい。

そうした中で、私は徹底的に世の中で言うところの「普通」を捨てることになった。

色々「普通」ではないものをたくさん経験することで、1つ、また1つと「普通」の価値観を手放していった。

手放さないと自分もしんどくなるから、そこから離れる他なかった。

それをしてきたことが自分の今の色んなことに繋がっている。

私が他の人の話を聞く時、その人たちの魂からメッセージをキャッチする時、その「普通」を捨てた私はものすごく役立つことになる。

別に役立つことを目指したわけじゃないけれど、結果として役立つ。

私が聞くことになった誰かの人生の話は、みんな世の中の「普通」からはみ出している。

その「普通」からはみ出したものは、通常外には見えない。

みんな表面的には取り繕って生活しているし、そこをあえてさらけ出すことなんか基本的にしていないと思う。

私が他の人から聞く時は、相手も相手でものすごい勇気を振り絞って私に話してくれてることがよくわかる。

本当は手をぎゅっと握ったり、体ごとぎゅっと抱きしめたり、頭の上に手を置いたり、そういうことをされたいだろうぐらいに弱りまくりなところを出す。

私はその告白する行為がどれだけ勇気の要るものかわかるから、それだけですごいことで、だから極力変なジャッジは避けるようにしている。

その人もその人で一生懸命にやっての今なわけで、それを否定することなんてとってもできない。

そこまでの境地に至るには、当然のごとく私は「普通」を捨てることになった。

捨てなければやっていけないことがあまりに多すぎたし、そして私の場合は「批難」もセットで大体の場合来ていたから、それでものすごく嫌な思いも多々している。

自分のその体験は、他の人にそれをしないように気をつけるためのレッスンになった。

そういう体験こそが私の場合必要だったんだ…、と乳飲み子と姪っ子と同い年の小さな子のお母さんをしている友達を見てそう思った。




私は自分が途中から心を閉ざしたことには気付いた。

赤ちゃんを見に行くのとは別に、私は自分の今をちょっと伝えることもしようとそれも頭に入れて出向いた。

でも私はそれをほとんどしなかった。

言っても伝わらない、それを最初の一言目か二言目に感じたから、もう私は余計なことを喋るのをやめた。

話を聞いて欲しいわけではなかった。

私が欲したものが何かと言えば、色々ある私でも私は私のままだと友達から受け止められたかったんだなぁと今冷静になって思う。

私はかいつまんで自分のこの会っていない2年ないし3年をさっと伝えた。

最後いつ会えたのか覚えていないくらい、少なくとも記憶の中では彼女の今は遠く離れた自宅を訪れた時だから、多分3年近くになる。

記憶があいまいだけど、話をしていて、多分2人でそれくらいぶりだねという話になった。

3年もあれば、それぞれが色々変わる。

私にとってこの3年は、「激動」の一言に他ならない。

仕事は派遣したり単発の仕事だったりはたまた何もしない時間だったりしたわけだけど、それで結婚も妊娠も全くしてないわけだからはたから見て不思議に見えて仕方ないのは理解できる。

そこにさらにオカルト的な出来事も色々あったから、話をされても余計とよくわからないのは、私もなんとなくそこは想像できる。

でも、そこに対して、はなから理解しようとしなくて理解されない感じと理解しようとしてもわからない感じとでは雲泥の差があるのはわかる。

私は理解など求めていなくて、でもせめてわからないけれど理解はしたいよ、というのを私は自分が求めていることにも気付いた。

その部分を得られないと感じて、私はもう話すのを自ら避けた。

正直な気持ち、残念な気持ちでいっぱいだったけれど、これが世間一般の反応かもしれないと思った。

これまでの10数回には渡るだろう自分自身の告白は、恵まれ過ぎていたのかもしれないなぁと思った。

そして自分の色んなことはみんながわからなくていいけれど、私は少なくともそこに理解を示そうとしてくれる人たちと付き合いたいのも本当の気持ちだった。

私のしていることは、表に見えることからはほとんど何をしているのかわからない。

表に見えているのは、社会的価値からしたら、全く価値のないもしくは「あの人何やってるんだ?」と言われてしまうようなことだったりする。

でもいざ蓋を開けると、色んなことがある。

例えば今だって、表向きには米の収穫所での派遣の仕事となるけれど、実際には全く別のことをしに行ってる。

私はそこで癒しや笑いを得たり、自然を相手に仕事をする人たちの本物の生き方、生きた哲学のようなものに触れている。

いつかブログに書けるように、私は今色んなエピソードを日々携帯のメモに一言箇条書きをしている。

多分、これまでの仕事の中で一番笑ってる回数が多いと思う。

本当にくだらないことばかりだけど、くだらないことでゲラゲラ笑えることがたくさんあって、1日の中で何回も笑っている。

そんな仕事に就いたことがないから、すごく新鮮に感じる。

そして笑うたびに私は本当に救われている。

また2回ほど私は、お節介おばさんをする機会に恵まれた。

お節介おばさんは2回ともとても感謝された。

そうしたお節介をやくことも新鮮で、そして自分をそんな風にして使えることが嬉しかった。

その合間合間に、ノムが声をかけてくれた書く仕事をしていたわけで、その書く仕事を通じて私はものすごくたくさんの癒しと自分を解放する機会を得た。

だから、派遣の仕事ですぐに終わってしまうものではあるけれど、内実はすごく色んなことが満載にあって、私はそれによって色んなことを得ている。

そうしたことも私は話さなかった。

書く仕事は少し言ったけれど、それももう説明の途中で私が嫌になって、多くは語らなかった。

仕事の規模としては超小さくても、そこに入れ込んだ情熱は過去最高値を叩き出すくらいのすごいものだった。

そしてそれをキッカケに、想像さえしていなかった癒しが山ほど起きた。

だけど、そうしたものは友達に伝えても伝わらないだろうなぁと私は得意の心閉ざしをして、あとは当たり障りのない話をすることだけに集中した。




新生児は本当に小さくてふにゃふにゃしていた。

大真面目に、これがこのサイズの赤ちゃんを抱っこする人生最後の時かもしれないと思った。

40になった時、妊娠はもう人生の中では起こらないかもしれないなぁと思った。

単純に体が無理なんじゃないかと思った。

我が子を手に抱く体験をしないかも…ということは、自分が思っていた以上にショックではないみたいだった。

ちなみに知識だけは山ほど集まってしまった私は、妊娠中の最大の楽しみとして、おなかの中の我が子と話すというのがあった。

生まれる前におなかの赤ちゃんと本当に普通に会話したお母さんの話を聞いたことがあった。

私はその時の感動が忘れられなかったし、現にその生まれた赤ちゃんは今その赤ちゃんが生まれてくる前に希望した名前が付けられている。

話を聞いた時にすでに10歳ぐらいになっていたその子は、おなかの中でお母さんに色々話しかけていた通りの人生が展開している。

すごく面白いなぁと思った。

そんなことも体験してみたかったけれど、多分もうそういう機会はないだろう…と思い始めている。




1つ前の記事(=『赤ちゃんに会う前の心の整理』」に、占星術講座のクラスメイトだったノムからもらったメールの一部を紹介した。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ぶっしーの”オカルト”は特殊部分としても(個性というか)、
それは、ノート何十冊に及ぶ、日々の記録、日々の自分の記録みたいな年月がなければ、
その特殊部分は意味がないというか、発揮されることはなかったんじゃないかな、とか思ったりしてね。

いや、言いたいのはそうじゃなかった。オカルト的部分を抜きにしても、
コツコツ、執念レベルで自分と向き合いまくる、言葉にしまくる、
自分の違和感をつきとめる、
そうしたところは、誰にでもやろうと思えばできる部分ではあって(誰でもできないんだけど)、
そこは、そういう意味では”特殊能力”ではないとも言えるけど、
でも、そこも、やっぱり、ぶっしーの超特殊能力、超特殊性質とぼくは思えていて。

そんな、超特殊な性質を備えた人が(自分でそうしよう、ってしているわけではないでしょう。設定だものね)
ただ、旦那や子どものために、それを使うってのは、割に合わないというか、変。って感じる。

だけど、ぶっしーはそれを10ハウス的(社会的な活躍)なために続けてきたわけではなく、
あくまでも、自分を知りたい、楽になりたいという動機だったり、
動機さえ不明な衝動めいたものだったりしたと思うのね。
それゆえ、その、ぼくからしたら特殊な性質も、本人は特殊ともそう思わないのだろうし、
ゆえに、そのことへそれほど価値を見出していないのかもしれないと思う。

だからして、ぶっしーは、その特殊なものを捨てられるというか、活用しようとも思わない、みたいな感じがして、
そんな人だからこそ、パートナーと平凡平穏な生活は、「no!」となってきたんじゃないかな。

だって、そんな生活を手に入れたら、ぶっしーのその能力、性質を使おうとしないから。

でも、逆にいうと、
ぶっしーが、それを使おうというか、使うってことじゃないのかもだけど、
蓋をしないというか、あ、オープンにしていくことで(自分の中で)、
あ、拒まないというかね、
そういう自分の部分にネガティブなレッテルを貼らないというか(運命的に強いられた、みたいな)、

とにかく、受け入れていったら、
その性質、能力をもつ自分を生きるって覚悟をしたら、
べつに、旦那さんがいたり子どもがいたりする現実だって、OKってなるんじゃないかな、と思った。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


引用の一部だけど、私はこの言葉があったから、友達に会いに行けたと思っている。

友達に、私が子どもを産むことだって可能性としてゼロではないでしょ!?と言われた場面があった。

それは、友達の生まれたばかりの我が子を抱っこさせてもらいながら、それがもしかしたら生涯で最後の新生児を抱っこする機会かもしれない…、と友達に言った時に返ってきた言葉だった。

私はそれに対して、そうなったらいいなと思っているのは本当でも、そもそもの自分の人生を何とか生きることが私の場合はおそらく先決で、自分のオカルト的なものを出して生きること、それを使うと決めて初めてパートナーとか子どもとかいう選択肢が生まれるんじゃないかとある人に言われて、言われてみて自分もそうだなぁとそれは腑に落ちた、みたいな話をした。

その話も長くはせずにその程度で収めたけれど、半分強がりみたいな話でも、その話を自分の中に持っているのと持っていないのとでは全く違った。

強がりでもいいから、それが事実でなくてもいいから、小さくても私が心の指針としてそれを持てることが私には大事だった。

私の気持ちの中はまだまだたくさん揺れ動いているし、割り切れないこともたくさんあるし、9月はそろそろ終わるけれど、それはすなわち米の仕事が終わるけれど、来月以降どうするのかもまたさっぱりわからない。

本当に自分の中の不安や怖いと思っていることを吐き出したら1日中でも喋り続けられるぐらいに、たくさんの不安と怖さが常に静かに渦巻いてる。

そんな中で、結婚・妊娠・子育てのすべてを手に入れた友達を前に、なんなら友達は仕事もしっかりキャリアを積んでいるから、今の私とはまるっと正反対の生き方をしているわけで、友達の努力や友達もたくさんたくさん悩んでの今に辿り着いていることはわかっていても、自分の中の不安や怖さが減るわけじゃない。

むしろ、もっと心許なさや自分への不信感を抱きまくるような状況にあったわけで、私とて全く平気!なんてことはなかった。

その平気ではない状況の中で、ノムの言葉は私の中で灯台のような、荒れ狂う波の大海に自分がいるとするなら、遠くの方でほのかに光る建物、そういう役割を担ってくれるものだった。




書こうとした当日の時に書き切らず、数日経った今書いていることで、本当に何が書きたかったのかを忘れた。

ノムの話は最初の1行しか書いてなくて、その後今日(9/18)書いている。

その日から昨日までが5日間あったわけだけど、盆と正月とゴールデンウィークが一気に来たぐらいに色んなことがありまくりだった。

だから、その時の気持ちを取り出して書こうと思っても、今はこれが限界だった。

私はこの後『ソウル・ミーティング』と題してこの5日間にあった中でもピカイチで大きなことを書いてアップする予定にしている。

実際に書き始めていて、そちらはそちらでまた超大作になりそうなぐらい、色んなことがたくさんあった。

友達親子に会った時間は胸が痛んだ場面もあってそれはまたそれで自分の中でも消化していくことになるけれど、それとは対照的に、『ソウル・ミーティング』と題して書くことは自分の心や自分の存在が癒されまくりな場面だった。

1つ前の記事に、これからノムたちカップルの友達夫婦に会ってくるみたいなことを書いたけれど、それがまさにその癒しに繋がるものだった。

そして、今回はおば夫婦といとこの小学校4年生の子どもとも会ってくる展開になって、そちらもまた素敵な時間だった。

その後に、25年の付き合いの別の友達と会って新旧織り混ざったものを色々通過して、自分の今ある状況を再認識してきた。
(友達親子にみんなで出産祝いを渡して、私は1人みんなと一緒に行けなかったから、お金を立て替えてもらって、それを渡しがてらごはんを一緒に食べてきた。)

そうした非日常を経て、今度は今の日常の米仕事に行ってきたわけだけど、またそこでも新たな癒しを体験してきた。

ちなみに米仕事は毎回何かしら面白いことがあったり珍事件があったりして、ネタを欠くことがないし、そして私は毎度毎度何かしら心の癒しを得て帰って来ている。

そんな風で、私は心が痛んだ部分の記憶がかなり曖昧になって、それで今書けるものが上に書いたものが精一杯となった。

まとまらないけれど、このままアップしようと思う。

この下に、友達親子に会った翌日の米仕事での超可笑しかったことを書いている。

セクハラ話で人によっては超気持ち悪く感じる人もいるかもしれないから、そこは自己責任でお願いします、と一言言い添えておこう。




こんな真面目な話の最後に、こんなふざけた終わり方もないけれど( ̄∀ ̄;)、史上最強のセクハラに今日(9/14)遭遇したからここに書こうかと。
(いつか書くと思って書かないのはあまりにもったいないぐらいに可笑しかったから、今日ここで書いてしまうことに!)

どこかにも書いたけれど、私は米の収穫所で農家さんが軽トラに稲刈りした米穀を積んできたものを受付する。

時間が許せば一言二言言葉を交わす。

大体農家のおじさんやじいちゃんたちは、たとえ私が絶世の美女から程遠い容姿でも「女」というだけでOKのようで、本当に良くしてくれる。

今日も今日で「暑いっけん、熱中症気をつけての〜」と言ってくれたおじさんかおじいちゃんがいた。

「怒ってくる農家さんとかいない?」と室内でひたすら機械の管理係のノリの良い30代男性が昼休みに聞いてきた。

基本的に良い人たちしかいないし、その中でも熱中症の話をしたら、「それすげーねー!そんなこと言ってくれるなんて、レアケースだよ!」と言われた。

とにかく態度悪い人には当たっていない。

仮にいても、フォークリフトのおじさんたちや男性職員の人たちがみんな近くにいるから守ってくれるだろうし、実際にフォークリフトのおじさんは陰の番長状態で、多分誰もその人に何か言われたら言い返せない 笑。

それはそうと、今日の一番ビックリした農家さんとのやりとり。

「●▲☆?%$大きいね〜、いくつ?」

方言でよく聞き取れず、私は勝手に身長と思って「166か167です」と答えた。

こちらは伝票の確認で忙しいから目は伝票に手を動かしながら、耳だけで聞いていた。

「いや、胸のサイズだよ!」

Σ(꒪◊꒪; ))))!Σ(꒪◊꒪; )))))!Σ(꒪◊꒪; ))))))!

この場合、何て答えるのが正解なのかわからず、私はとっさに「計ったことないからわからんですて〜」と華麗に答えた!

だってカップ数とかサイズとか言うの、どう考えてもおかしいわけで、っていうか何だこの質問!と私は大爆笑したいぐらいにその状況は面白すぎた。

っていうか、どうやって胸の確認なんかしてた!?

私は立って待機してたのではなく、他のレーンで受付していて、そこから数メートル離れたところから他の軽トラなんかの合間を縫って、そのおじさんの運転席の真横に来た。

おじさんと私がやりとりした時間はどんなにかかっていたとしても2分。

上の会話は最初の1分以内で為されてる。

しかも、私はエプロンをしているし、エプロンというのは体型の全てをすっぽりと隠してくれる最強アイテムで、おなかも隠れるけれど胸も隠れる。(ちなみに隠さなければいけないほどの胸なんかない)

という状態で、どうやって確認したのかわからない。

っていうか、そもそも初対面の人に「胸の大きさいくつ?」などと聞く文化は日本のみならずどこの国にもないと思われる。

下ネタLOVEなおじさんがいるから、毎回出勤のたびに何かしら下ネタ話が炸裂しているけれど、こんなどストレートな質問をいきなり初対面で受けたのは人生で初めてだったし、残りの人生でもそんな機会はないと思う。

(余談だけど、下ネタLOVEなおじさんは、実は超すごい人物だった!ある分野において日本一と評されたものを持っているおじさんだと判明。その話はいつか書きたいなぁと思っている。)

これはさておき、毎日面白いネタ満載だから、日々笑うことに忙しい。

2019年9月15日日曜日

9月の予定表








明日(9/15)少しだけ遠出をするために、ドミニカ音楽のCDをクローゼット奥にしまった段ボールから出した。

その段ボールの中には分厚い予定表も入っていた。

絶対に要らないものだけど、捨てずに残したものだった。

なつかしさと共に私は予定表を手に取った。

しばらく一番上のページを見て、時が止まったようになった。

体が反応していた。

緊張感とも震えとも違うけれど、体の中に一瞬にして閃光が走るみたいな、ピリピリした独特の感覚が広がった。

目は上の方の文字に釘付けになった。

「施工結果 〇〇」

月曜にも火曜にも「施工結果 〇〇」とある。

水曜以降は、どこをどう探しても〇〇の名前はなかった。

直前までいて仕事をしていたから当たり前と言えば当たり前だったけれど、まだいた頃の予定表が一番上になっていて驚いた。

よく見てみた。

その人がいた頃の予定表のみを私は家に持ち帰った。

本来それも今後使うこともないものだったけれど、私はその「きちんと存在していた」という証明のようなものを手元に置いておきたくてそっと持ち帰った。

しかも持ち帰っていいのか聞かずに、しれっと持ち帰ってきた。

水曜日以降、その人の名前は消える。

永遠に予定表から名前が消えた。

水曜日にいなくなるのに、それは特記事項ではなかったようで、一番後ろのページにはそれらしいことは書かれていなかった。

改めて、名前が目に飛び込んできた1ページ目の印象を思い出す。

日付も見た。

変な感じがした。

日付は9月になっている。

今も9月なのに、手元の紙は同じ9月じゃない。

過去のものなんだから当たり前だけど、時空間が一瞬ゆがむ。

それはいつのことだったか全く記憶にないけれど、いつか後任の後輩くんが鍵当番に関してチラリともらしたことがあった。

「鍵当番、〇〇ってなってても、途中からは〇〇〇さんじゃなくて俺が開けてたんすよ」

えっ?えっ?えっ?

仕事そっちのけで耳はダンボ状態でその話を聞いた。

それが一体いつからの慣習だったのかはわからなかったけれど、私が毎週、一番後ろのページの「鍵当番」のところだけは入念にチェックして、この日とこの日は確実に来る日なんだなぁと見ていたあの文字は、実は途中から交代していたようだった。

予定表を2年越しに見ながらそんなことも思い出した。

ここまでのことを、私は予定表を手にしたままボーッとしばらく回想した。

どのくらいの時間そうしていたのかはわからない。

けれど、時々起こる、「時空間がゆがんだ」感覚にしばらく支配されていた。

変な感覚で、自分がどこにいるのか何で今が今なのかわからなくなる時がある。

寝ていて夢見て起きた時に「自分今どこにいるんだろう?」みたいな感覚に近いと言えば近い。

それとは別物だけど、起き上がっているのに頭もシャキッとしているのに、なぜか時空間にゆがみが生じて、一瞬わけがわからない時がある。

他の人もそういうことってないんだろうか…。

「もし」というのは、人生において絶対にないんだけれど、でも考えずにはいられない。

「もし」鍵当番の話を当時オンタイムですぐに知っていたとするなら、私はどうしていたんだろう。

表向きの鍵当番と実際の鍵当番がいつから変更したのかは知らないけれど、異動発表前からそうだった可能性も高い。

当時後輩くんが発した言葉を聞いてそう思った記憶があるから、だから実際はいつから交代しようとなったのかはわからない。

仮に異動発表前にそのことを知っていたのなら、私は本当に何もしなかったと思う。

1ミリどころじゃない、ミクロの単位で物事は決して1つとしてずれてはいけなかった。

すべてのことは、それこそその人の異動が知らされるタイミングや私がごはんに誘うタイミング、友達の結婚式で男友達が相談に乗ってくれたタイミング、鍵当番のウラ側の話を聞くタイミング、どれもこれも全部その通りになるようにあらかじめ決められた時にそれぞれが起こった風に今の私の目には映る。

私がどこまでも衝動的に動けたのは、「知らなかったから」。

しかも、当時の私はああでもないこうでもないと自分にありったけの言い訳を並べて、その人に感じている色んな気持ちを否定したり抑えたりしていたから、「いなくなる」なんて知ったら、私はすべて何もなかったことにしたと思う。

いなくなるなら、ごはんどころか一緒に時間を過ごしてみたいなんて考えなかっただろうし、仮にそういう気持ちがあっても理性で全力で抑えて終わったと思う。

それなら普通に送別会に出て、そこで一言でもちょっと言葉交わして、はいサヨナラだったか、もしくはそれさえもやっぱり欠席して、最後の日そこそこ血の通った挨拶と、多分そうなら何もやらかしてない私に笑顔の1つも向けてもらって、穏便に事が済んだと思う。

私がしたことは「面倒くさいこと」だった。

言葉が悪いけれど、本当にそういうものだった。

普段の自分を見ていたらわかる。

私は「面倒くさい」が勝ると、そのことがしてもしなくてもいいことなら、やらない。

面倒くさくても、「やらなきゃいけない」ことは別で、その時はやる。

けれど、やらなくてもいいならやらない。

だってどう考えても、異動でいなくなると確定した人に「ごはん行きませんか?」なんて誘わない。

しかもダメならその後も仕事で日々顔を合わせるわけで、そんなの気まずいだけで百害あって一利なしになる。

そんな面倒な事態を自ら引き起こすのは、どう考えても気の乗らないものだった。

そもそもそんなことしたことない人がいきなりそんなハードル高いことをやること自体難しかったわけで、頭をうんうんフル回転させながら、悩みに悩んで、タイミングよく男友達と共通の友達の結婚式で再会して相談して、じゃあごはんだ!となってごはんに誘う方向で調整を始めて…。

しかもそうなるまでに私は2ヶ月近く時間がかかっていて、さらにその計画を発動させるにあたり自分の気持ちももちろん必要なわけで、その気持ちを私はヨガで確認した。

東京に住んでいる妹に誘われて行った人生2度目のヨガの時間に、私の神経細胞は本当に宇宙に飛んで行ったとしか思えない。

そこで私はようやく自分の気持ちがわかって、じゃあ動こうかとなった。

とかいう頃にも、もしかしたらその人と後輩くんの鍵当番は交代していたのかもしれない。

「知らない」って本当に私の場合は、必須条件だったことを知る。

今ある自分の人生を思っても、あの時のことがなければ今は本当にない。

知らないことが良かった。

知らないから動けて、知らないからなんだかわからない衝動に突き動かされたと思ってる。

予定表はその週で止まってる。

当たり前だけど、私の時間はその後も進んで今に至っている。

色んなことが変わったし、なんだかよくわからない時間だったなぁとしょっちゅう思っている。

紙の上には、普通にその人がいた時間が刻まれている。

しかもきれいに保管してあるから、日焼けもしてなければ色褪せてもいない。

まるで今もらったかのような紙のハリとツヤがある。

なのにそれはこれから来る9月の下旬ではなく、すでに過ぎ去った9月の下旬になっている。



[写真たち]
ブログをアップした場所(お寺)とその近くの街の風景

これから、東京在住の占星術講座のクラスメイト「ノム」の喫茶店でアルバイトしていた20代の頃のバイト繋がりの友達の旦那さんの写真展とそのお話会に行ってくる。
なんと、その旦那さんのおばあちゃんの実家が私の今新潟で住んでいる田舎町にあって、そこで撮影した写真が今回の個展のテーマらしい。
という不思議なご縁で、ノムとゲイの恋人ミッチーとが時々ごはんを共にするご夫婦とこれから会ってくる(ご夫婦も多分都内在住)。
写真はその会場近くで、私の住む田舎町とは別の場所。
こんな風に人と人とはどこでどう繋がって出会うのか未知数だなぁと思う。

2019年9月13日金曜日

赤ちゃんに会う前の心の整理

ちょっとばかり複雑な気持ちを吐き出してみよう。

今なら書ける気がしたから。

明日の休み、友達の家に行って生後1ヶ月ぐらいの赤ちゃんを見に行ってくる。

他の友達たちは先にみんなで行っていて(私はその日米仕事で行けなかった)、私はプレゼントだけ参加してそのままにする予定でいた。

ところが本人からプレゼントのお礼の連絡が来て、その小さな言葉の中に友達が私に会うことを本当に楽しみにしてくれてるのがわかって、それで休みが確定した明日行くことにした。

もしかしたら、これから先20数年は新生児を抱っこさせてもらえるなんて機会は巡ってこないかもしれない、そして友達とはまたいつの日も会えるけれど生まれたばかりの我が子といる友達と会えるのは生涯において今回だけと思って、それでようやく気持ちに踏ん切りがついて、休みの日に会いに行こうと決めた。

自分の決断プロセスを見て、色んなことを一気に思い出した。

ようやく今の気持ちにたどり着いたんだなぁと思った。




30代の頃、葛藤したことの1つに、周りの人たちの結婚・妊娠・出産だった。

本来ならとてもおめでたいことなのに、私はひとまずは自分の気持ちの整理をすることが毎回のごとく必要なことだった。

相手に対してどうこう思うより、自分の中の渦巻く気持ちが一気に噴出する、そういう感じだった。

毎回感情はぐちゃぐちゃで、自分が心から望んでいることたちが何一つ叶わないところ、他の誰かのしあわせな姿を見るのは、すぐには真っ直ぐと見られなかった。

これが親しければ親しいほど気持ちは複雑で、だから私は本人と会う場合にはものすごいたくさんの時間をかけて自分の心の中を見て気持ちを整理してから会っていた。

さすがにおめでたいことに対して自分が変な態度を取るなんてしたくなくて、だけど自分の心はぐちゃぐちゃだから、まずはそこをなだめるなり鎮めるなりすることが大事だった。

なんなら私は、妹の妊娠出産にだってドギマギした。

妹たちはようやく待ち望んだ赤ちゃんだった。

原因不明なものに対して治療して、でも治療は上手くいかず、それで治療をやめたら授かった子どもで、本当におめでたいことだった。

当初妹はそのことを私以外の家族には誰にも言わなかった。

なんなら妹へのフォローとまさか不妊治療しているとは知らずに好き放題発言するうちの両親、特に母親へのフォローの両方をしていた。

結婚妊娠子育てこそが女の幸せと信じて疑わない、うちの母世代の代表のような信念体系の母には、不妊治療とか婚活とかいうことが多々ある今の若年世代への理解は最初皆無だった。

だから妹はもかなり好き放題に言っていたから、私がある時に事情を説明して、それがどれだけ妹を傷付けたり負担になったりするのかも言って、妹には妹で言ったらきちんと気使える人たちだから親には言った方がいいと伝えた。

案の定母など知ってからは今度妹が妊娠できるように、少しでも良いと何か聞けばこれまた母らしいお節介という名の気使いをして、少なくとも変な発言はピタリと止んだ。

それはそうと、臨月の妹と姪っ子を生んで2週間ほどの妹と姪っ子に会いに行った時(当時私は名古屋にいて妹たちは東京にいた)、私は自分が普通に時間を過ごせたことに心底ホッとしたし、姪っ子に至っては本当に心から可愛い、愛おしいと思えた自分に本気で良かったと思った。

何百人という子どもを見て、中には2歳にもならない子どものことも日常的に見ていたこともあったけれど、姪っ子は全く別次元のところにいる存在だというのも、姪っ子を見てわかった。

理由なんていらないほどに姪っ子は可愛い。

自分がそういう気持ちになれるか本気で不安だったから、そんな不安さえかき消してくれる姪っ子たるやものすごい存在感だった。

さっき書こうとしてたことを思い出した。

私は結婚妊娠子育てこそが女の幸せだとは基本的に思わない。

その大変さも色んな人たちが教えてくれたから、そしてそうしたことを経験している人たちで超絶幸せです!みたいな女の人たちを私はとっさには思い付けない。

こんなこと言ったら死ぬほど失礼なのは承知で言うと、典型的な女性としての生き方をしている人で「この人の生き方素敵」と思った人には私は残念ながら会っていない。

みんな一緒にいると色んなことが普通というか特別なことではなくなって、今ある状態が喜びではなくなるようだった。

私からしたら、お互いに想いが同じ者同士が一緒にいられるなんて奇跡の他ならないけれど、そういう感じではなくなっちゃうんだ…というのをひそかに感じてしまう。

時間の経過と共に気持ちの形は変わるかもしれないけれど、そもそも共にいられるって、一緒に人生を歩めるって超すごいことなのに…と私なんかは思ってしまう。

私がしたいしたいと言う「結婚妊娠子育て」は母の言うそれとはかなり違っている。

私が望む結婚あるいは誰かと共に過ごすのは、まず第一条件にその誰かのことがとても大切で愛おしいと思えること。

その延長上に結婚なり同居なりがある。

この年になってくるともはや婚姻関係はあってもなくても良くて、それよりも本当に一緒に生きていきたいという人と生きていけるのであればそれで十分だと思っている。

妊娠子育てに関しても、さらにその延長線上にあると考えるから、好きでもない人の子どもは産めないし、欲しいとさえ思わない。

さらに話がそれるけれど、2歳から18歳の子どもが生活する児童養護施設で働いていた頃、私にとって何が面白くて5年半も勤められたかと言えば、私は単純に子どもと過ごして何かを積み重ねる毎日が面白くてたまらなかった。

関係性は日々変わっていって、色々ある中で関係は育っていく。

昨日と変わらない今日みたいな感じでも、子どもと話すひとつひとつの会話、小さな時間たちは毎回少しずつ違っていて、それはとてつもなく面白いものだった。

しかも子どもとはガチンコでぶつかることもたくさんあったから、死ねもクソババアも山ほど言われたけれど、それさえも関係に何か色を添えてくれるもので、私はそうしたコミュニケーションさえもある種面白がってそこにいられた。

綺麗事だけでは済まされない人間模様を経験して、私はそこを経ていても尚誰かと本気で繋がりたいと思うから、だから世に溢れかえっている婚活や妊活のように、結婚したらしあわせとか妊娠して子育てできたらしあわせみたいには考えていない。

結婚も妊娠子育てもある意味手段でしかなくて、その手段によってもたらされる日常に私は憧れてならない。

ちなみに私が人生で一番憧れたカップルは、ノムとミッチーのゲイカップルだった。

あの2人が築いている関係に私は本気でいいなぁと感じたのと、そこにいると本気で愛を感じる。

本当に自分以外の誰か他の人を大切にする、それも条件なしで大切にする、そういう人たちはノムとミッチーが初めて見た人たちだった。

だから、私はとてつもなく限りなくゼロに近い確率の誰かといるあり方の理想や希望みたいなのがあって、そういうパートナーシップは欲しくても、自分の身を滅ぼしたり心が疲弊しまくるパートナーはいない方がいいと思っている。

だからこそ私の第一条件は、私にとって相手が本気で大切な人で気持ちも本当に愛を感じるような相手でないと私なんかは簡単に誰かとは付き合えないと思っている。

話がかなり脱線したから元に戻そう。

細かく言うとそうなんだけど、それと誰かの結婚妊娠出産はまた別物で、とりあえず形は私が欲しい手段だったりするわけで、それに対して私の個人的感情は色々と動く。

30代はそこをきっちりと分けて考えられなかったから、そして私は一度はそういう現実を本気で叶えられるかもというところにいったから、余計と叶わなかった自分の人生とそれが叶っている誰かの人生とを比較しても仕方ないけれど、気持ちはそれに対して平然とはいられなかった。

しかも20代の終わり頃から私が本当に叶えたいのは、好きな人と一緒になることだけで、他のことは特にこれをしたいとかいうこともなかった私には、いきなり自分の人生を自分のために立て直して生きていかなきゃいけないなんてのは、頭の予定には全くないことだった。

かなり話が飛ぶけれど、今回会いに行く友達のことをきっかけに1つ思い出したというか、今だからきちんとそうした気持ちを言葉にできるものに気付いた。

それは33歳の時に初めて有料での個人セッションをした頃のことだった。

実はその辺りからすでに相手の魂からのメッセージをキャッチしてたのではないかと私は今振り返ってみてうっすらとそのように思っているけれど、誰かの人生に関わると相手の人生が好転していくことはわかってきた。

最初にお客さんになってくれた女性のことは今でもはっきりと覚えている。

その方は結婚25周年を迎えようとしていたけれど、旦那さんとの関係にものすごく悩んでいて離婚の危機にあった。

本当に離婚寸前の時に私はその方と出会うことになって、なんとその方は私のセッションを受けた後、一気に夫婦関係が改善されて、結婚してからその時までの25年ほどの間で一番良い夫婦関係にまでなった。

私がしたのは話を聞いて、私が気付いたことを伝えただけだった。

ちなみに差し支えないだろう範囲で言うと、私が伝えたのは、旦那さんの個人の感情に対してその女性に責任はないというようなことだった。

負のエネルギーに満ちた感じの関係性になると、その女性は自分が何か悪いことをしたんだと考える傾向が強い人だった。

でも話をよくよく聞くと、旦那さんが抱える個人のテーマが色々大きすぎて、私はその女性ではなく旦那さん自身が自分の気持ちに整理がつかないだけだと思うと言った。

それがその方にとっては決定打となって、自分を責めることを一切やめて、旦那は旦那、自分は自分と分けて考えるようになった。

そうしたら一気に関係が良くなった。

とにかくそんな風にして、私が当時からしていたのは、相手の話を聞くこととそれに対して気付いたことを伝えること、ただそれだけだった。

今回会いに行く友達にも、モニターでやってもらったことがあって、その後その友達は旦那さんに出会って結婚して子どもに恵まれた。

話が一気に飛ぶけれど、そんなこんなのことを思い出していくうちに、私の中で何年にも渡ってわだかまっていたことがはっきりとした。

これは気のせいとかではないと思うけれど、私が誰かと関わると、その後その人の人生は変化の時を迎える。

良い方向、本人が望む方向に人生の流れが変わる。

本当にちょっとしたことで、話を聞いているとその人の思考パターンや苦しくなるパターンなんかがわかる。

そこにメスを入れるじゃないけれど、ちょっと視点をずらすお手伝い的なことをする。

これはいつの時も思っていることだけれど、何でも最後に選ぶのは絶対に本人だから、私はあくまでも「伝える」ところまでしかしない。

その後どうするかは本人次第で、それに対して私はこれこれこうした方がいいとか、絶対にこうしないといけないみたいなことは言わない。

ただ客観的な観点をパッと一言言うだけにとどめている。

もしくは、本当に話を聞くだけの人もいる。

吐き出すことが何より必要な人もいるから、そこは現場百千の経験からなんとなくの感覚で判断している。

で、私が色々抵抗を覚えたのは、人様の人生は良くなっていくというのに、私自身の人生
は良くなるどころか崩壊寸前みたいなことが続きまくって、そんな人が人の大切な瞬間に居合わせていいものか?とかなり疑問を持ったし、そして相手は好転するのに自分の人生はどんどん訳の分からない方に流れていって、そのギャップたるや凄すぎて、そうしたギャップに向き合うのもしんどかった。

それを言葉で指摘してきた人たちも中にはいた。

それというのは、私からすると言葉の暴力の他ならなかった。

私は何で人の人生は好転するのに、私は自分の人生を自分が望むように良くしてあげられないのか、自分の不甲斐なさみたいなことにも何度も打ちのめされた。

心の学びとかスピリチュアルな学びとかは、自分に対して一番使えてないように感じて、それにもコンプレックスが刺激されまくりだった。

しかも私は、本当に好きな人と一緒に生きること以外興味もなくて、心やスピチュアルな学びも興味があってではなく、あまりにも生きづらいからそれを少しでも緩和する目的で私は学んでいた。

皮肉な感じで、私は自分よりも他の人に対しての方がそうした知識や情報を活かせることが場面の数としては増えた。

ますますカオスな感じになった。

だから胸中複雑だった。

人は良くなっても自分だけはいつまで経っても良くなるどころか悪化していく。

さらにこんなこと言ったら本当にかなり嫌味みたいだけど、でもそれこそが私の本心だから言うと。

今自分でも認識できるオカルトな体質(相手の魂や潜在意識からのメッセージをキャッチする)に関して、多分その能力が欲しい人はいる。

それもちょっとではなく、そうした学びを少しでもしたことのある人たちなら欲しがる人はけっこう多いと思う。

だけど私が欲しいのはそれじゃなくて、好きな人と一緒に生きることだったり、専業主婦のようになって大切な人を内助の功じゃないけれど支えるようなポジションになって、空いた隙間時間で自分の興味のあるものに打ち込んだり、はたまたもっと言えば、先述のゲイカップルのノムとミッチーが囲むチーズトーストのように、明日のチーズトーストのために今食べた煮物の煮汁がおいしくてそれを残して明日に使おうよ、と相談するみたいな、相談するフリして明日も一緒にごはんを食べようと暗に約束するみたいなやりとりに心底憧れて仕方ない。

私が欲しいのはそちらで、決して目に見えない力の方じゃない。

なのに物事はあべこべで、欲しいと願った記憶もないものはどんどんやってきても、本気で欲しいと願ったものはやってこない。

あと、私側の気持ちや人生がどうであっても、人の話を聞く時は、それが有料無料関わらず、私はそれに対して全力で臨む。

自分の気持ちも極力排除する。

たまに羨ましいエピソードが出てきたりもするけれど、それも基本はスルーして、本当に大切なところにだけ目を向ける。

何でそうするかというと、私の主観は要らないから。

とにかく物事を極限までフラットに見て、だからどんなに親しい仲でも私は同情もしないけれど、憐れんだりもしない。

とにかく相手の口から出てきたものやそこにある空気感みたいなのだけを見る。

今はおおよその確率で「絶対にヒントがくる」と信じられるから、より一層自分の気持ちなど脇に置くけれど、ここまで来る過程の中では、自分もしんどいことはあったと思うし、特に同世代の結婚妊娠には激しく反応していたかなと思う。

話を聞かなくて良くて、単純に報告としてそういう話を受ける時、私は本当に自分の中の葛藤とひたすら向き合うみたいなことを続けた10年だった。

(補足:自分の気持ちや考えを極力排除するのは、例えば先に出た女性の場合、私の中にもし「夫婦で25年も一緒にいたのなら、別れない方がいい」というような考えがあると、「別れない方がいいよ」などと言ってしまうと思う←これ世の中の典型的なパターン。私はそういうことは基本的に言わなくて、それは仮に思っていることであっても相手を惑わすものなら言わなくて、ただ話を聞いて気付いたことだけにひたすら注目している。その時は旦那さんの感情の原因は奥さん側ではなく旦那さん個人の人生テーマにありそうなことが話を聞いててわかったから、それを伝えたに過ぎなかった。だから私は2人の関係を良くするための何かは何にもしてなくて、結果的に奥さん側の女性の心の中の見え方が変わったことで夫婦仲も良くなっていった。)




ここからはさらに話ががらりと変わる。

私の中で色々解せなかった自分の人生に対して、ものすごいヒントがノムから来た。

それを読んだ時に、自分の結婚妊娠側に全く流れなかった人生と、でも妊娠はさておき結婚というか誰かパートナーと出会えることに関してはノムがものすごい希望を与えてくれる視点を授けてくれたから、ようやく少しずつではあるけれど、自分の人生に対して本当の意味で心を開いて向き合えるようになったと感じている。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

余計なお世話だけど、
ぶっしーのお嫁さんという夢?も現実になるんじゃないか、
なんて、そんなことが瞬間的によぎった。

ぶっしーのそのお嫁さんだったり、魂からのメッセージを伝えるだったりという人生について、
いつだったかに思ったことがあって。

ぶっしーが、もし、もっと若い地点なり、近年でもいいんだけど、
誰かと結婚して家庭を築くって展開になっていたとしたら、
ぶっしー曰く”オカルト体質”、そうした能力に関して、
さらにさらに消極的になったのじゃないかなと思う。

それでも、来たものは必要な人に届けただろうけど、
来ないようにするではないけれど、そうしたある意味での「第三者」よりも、
目の前のパートナーや、それと向き合う自分自身へエネルギーを注ぎまくっただろうし、
さらに子どもなどを授かったら、そのエネルギーは、第三者へ向かう割合がそうとう低くなったんじゃないかなと想像。

なんかね、そんなぶっしーが想像されたときに、
「もったいない」というとちょっと違うんだけど、
パートナーや子どもにだけ使うような力ではない、というか、
「力」なんて、ことばを使わないのだとすると、
ぶっしーの、精神性というのだろうか、
それこそカードが伝えてくれたような、
揺るぎない強さのようなものや、
ひたすらとんでもない熱量でしつづけている内観とか、
それを言葉に、文章に変換しつづけたい性質、
その言語変換欲求により育まれ、研ぎ澄まされた、微細なものを識別でき言語化できる能力。

そういった、ぶっしーが培ってきた、培いつづけているものは、
いわゆる”身内”に使うためだけに、培われているとは思えない。考え難い。

ぶっしーの”オカルト”は特殊部分としても(個性というか)、
それは、ノート何十冊に及ぶ、日々の記録、日々の自分の記録みたいな年月がなければ、
その特殊部分は意味がないというか、発揮されることはなかったんじゃないかな、とか思ったりしてね。

いや、言いたいのはそうじゃなかった。オカルト的部分を抜きにしても、
コツコツ、執念レベルで自分と向き合いまくる、言葉にしまくる、
自分の違和感をつきとめる、
そうしたところは、誰にでもやろうと思えばできる部分ではあって(誰でもできないんだけど)、
そこは、そういう意味では”特殊能力”ではないとも言えるけど、
でも、そこも、やっぱり、ぶっしーの超特殊能力、超特殊性質とぼくは思えていて。

そんな、超特殊な性質を備えた人が(自分でそうしよう、ってしているわけではないでしょう。設定だものね)
ただ、旦那や子どものために、それを使うってのは、割に合わないというか、変。って感じる。

だけど、ぶっしーはそれを10ハウス的(社会的な活躍)なために続けてきたわけではなく、
あくまでも、自分を知りたい、楽になりたいという動機だったり、
動機さえ不明な衝動めいたものだったりしたと思うのね。
それゆえ、その、ぼくからしたら特殊な性質も、本人は特殊ともそう思わないのだろうし、
ゆえに、そのことへそれほど価値を見出していないのかもしれないと思う。

だからして、ぶっしーは、その特殊なものを捨てられるというか、活用しようとも思わない、みたいな感じがして、
そんな人だからこそ、パートナーと平凡平穏な生活は、「no!」となってきたんじゃないかな。

だって、そんな生活を手に入れたら、ぶっしーのその能力、性質を使おうとしないから。

でも、逆にいうと、
ぶっしーが、それを使おうというか、使うってことじゃないのかもだけど、
蓋をしないというか、あ、オープンにしていくことで(自分の中で)、
あ、拒まないというかね、
そういう自分の部分にネガティブなレッテルを貼らないというか(運命的に強いられた、みたいな)、

とにかく、受け入れていったら、
その性質、能力をもつ自分を生きるって覚悟をしたら、
べつに、旦那さんがいたり子どもがいたりする現実だって、OKってなるんじゃないかな、と思った。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


ノムからこの文章を受け取ったのは9月4日になっていた。

超図星すぎて、ある意味ぐうの音も出なかった。

これ以外にも、ノムは本当に丁寧な言葉で私にわかるように私の能力的なものを言語化してくれて教えてくれた。

その話はまた別の機会にするとして、ノムが言うように、私の中でこのオカルト体質ははっきり言ってなくても良くて、そして家庭などを持った日にはもう完全に私のエネルギーの注ぎ先はパートナーや子どもなわけで、そんなオカルト体質は封印じゃないけれど、使うことすら考えなかったと思う。

私も煮物の煮汁やら余ったカレーの他の使い道やらを考えて楽しく過ごしたと思うし(←これは頼まれなくてもしたいぐらいに萌えポイント)、ましてやそもそもその日その瞬間にしかない会話に超ツボを持っている私にとって、パートナーや子どもとの日々の会話で超満たされまくって、それで私は365日を営む道に間違いなく自分の身を任せたと思う。

そんな人がオカルト体質を併せ持っているわけで、しかも訓練などせずに気付けばあったわけで、そちらを開花させるためにはやっぱりそれ相応の強制力がなければ私なんかは速攻でサボったと思う。

この夏、私は1つのことをメールで打ち明けられた。

文面からどうして自分の今がこんな風になっているのか、理解するに十分な内容になっていた。

読んでいて、今ある状態こそが私の場合は本当の意味で正解だったんだろうと思った。

それとはまた別に、私自身も最後の打診を試みた。

賭けに出た。

ダメでいいから、本当にダメだと私があきらめられるように、納得できるようにしたかった。

答えは何も返ってこなかった。

沈黙は相変わらず沈黙のままだった。

それが答えなんだと受け取る他、私には選択肢が今のところない。

ノムのメールや電話はそうしたものたちと並行していた。

その2つのことを経て、私は自分が一般的な結婚や妊娠子育て路線には本当にないんだと思った。

それが無いと言うよりも、それ以上にどうすることもできない魂的な何か大きな命の目的があって、そちらが最優先される人生であることはなんとなく悟った。

それはどうすることもできない。

だから出会いなんかも、私の場合は何か別の目的が自分では気付かぬうちにあるとするなら、私は自分が望むようなしあわせの形ではなく、まずはノムが言うようなこのオカルト体質を何とか使うようにすることが先決なんだろうと思う。

まぁそもそも相手の気持ちも同じでなければそんな心配する必要もないんだけれど、仮に同じな人に今後出会えたとしても、それには
「その性質、能力をもつ自分を生きるって覚悟をしたら」多分一緒に生きる人生の選択肢も初めて生まれてくるのかもしれないと思った。





ここまで読み返してわりかし綺麗に書いたなぁと思った。

もっと心の中はドロドロしてたのに、ドロドロ感をどうやら上手く隠したようになった。

でもおかげで、これから数時間後には、気持ちを新たにして友達と友達の生まれて1ヶ月の赤ちゃんに会ってくる。

しかも、それはもしかしたらこの先私の人生にとって、最後の赤ちゃんの抱っこかもしれない。

新生児の赤ちゃんを抱ける体験なんてそうそう出来るものじゃない。

私側の個人的なドロドロした気持ちを出したら、ようやく今回の流れの素敵な部分に目を向ける余裕が出てきた。

つかの間の対面ではあるけれど、その小さな瞬間を楽しんでこようと思う。

2019年9月11日水曜日

片想いのゆくえ

2016年9月
〜出逢いの1年前〜
その人に出逢う場所のすぐ近くにて

2019年9月
〜手紙から2年経ったある日〜
太陽が沈むあたりに
ちょうどその人と出逢った場所があった。
大きくもない小さくもない川の対岸にて




〜はじめに〜

この記事がこのブログ『vivir空間』でアップした記事の中で、記念すべき1000記事目になる。

本当は別の記事たちで書こうとしていたものをアップする予定でいたけれど、それらは延期して、これから書くことをちょうど節目のこの回に充てることにした。

1000記事目というのは、一生に一度しかないから、その1000というものに今現在の私が充てたいと思ったものを書くことにした。

本当は順番があって、今回の内容はもう少し後に書いてアップする予定でいたけれど、この「1000回」という数字を見て気持ちが変わった。

999回目も1001回目も一生に一度ではあるけれど、やっぱり1000回目の節目はもっと大きな流れの中にあるような気がしている。

その一生に一度しかない1000回目にちなんで、私も一生に一度しか体験し得なかったこととその意味とを書こうと思う。

書いている今は、9月とは思えない夏の暑さが色濃くて蝉(せみ)がミンミン鳴いていて、クーラーの効いた部屋でアイスコーヒーを飲んでいる。

なんだけど、夏の間はご無沙汰だった蝶々が舞っていて、秋なんだなと思う。

自然を観察するようになって、夏の暑い盛りには蝶々は飛ばないことを知った。

涼しさが空気に交じってくると、蝶々は姿を現す。

秋のはじまりは、毎年少し切ない。

もう二度とその時が訪れることがない、なんて全く考えていなかった自分の姿を思い出す。

今日が9月6日。

明日が7日。

今年は稲刈りを終えた農家さんの受付をしていると思うけれど、2年前の9月7日は違った。

2年前の9月7日は、人生に爆弾が投げ込まれた日だった。

昨日と同じ今日が来るように、今日と同じ明日が来ると私は信じきっていた。

それを無意識に信じてることさえ、その爆弾投下の瞬間まで私は全く気付いていなかった。

2年前の夏、私は恋をした。

正しくは、私の魂が恋い焦がれるぐらいに会いたい人に出逢えた。

そうだと知ったのは、その人が私の人生に現れた時じゃなくて、その人が私の人生から消えた後だった。

2年前の9月7日は、その人が私の人生から消えていなくなることの宣告を受けた日だった。

その宣告の瞬間、どんなに無視されてもどんなに話さえできなくても、お願いだから私をその人のいる場所にいさせてください、そう思った。

今でもその人が私の人生にいたのは幻だったんじゃないかと思う瞬間もある。

こんなにも携帯電話をはじめとする通信システムとSNSとが発達している昨今、何一つ繋がらなかったその人と私は、今の世の中では「縁がない」という一言で片付けられて終わりかもしれないけれど、私には何が何だかわからないぐらいに大きなものをその人は残した。

私は一生分のご縁の運気を使い果たしたんじゃないかと思うほど、その人の存在感は凄まじかった。

2年前の爆弾投下後から私の人生は一変した。

それまでも変なことは色々あったけれど、オカルト系の世界が人生に入ってきたのは、その人と出逢ってからだった。

この2年間の色々と今とが重なり始めた。

その人と私は全く重ならないけれど、当時の色んなことと今とそして過去から続く自分の人生と、さらには何回も輪廻転生を繰り返したと思われる私の魂としての旅路が互いに重なって新しい音を奏で始めた。

はたから見たら引きこもり系の私の生活は同じに見えても、私にはその違いがはっきりとわかる。

どんな風に1000回目の記念すべき記事を進めるか知らない。

思い浮かんだまま、書き綴りたい。

「生きる」ーーーをテーマにしたこのブログらしく、思い浮かんだことをそのまま書く。




2年前の9月7日。

朝から聞き捨てならぬ言葉を耳にした。

週に1回の掃除の日で、勤務歴10年どころか20年とかありそうな事務さんたち2人が送別会の話をしていた。

送別会って当たり前だけど、誰かが異動でいなくなるからする。

幹事は誰がいいかとか言っていて、新卒Yくんでは荷が重すぎて務まり切らないとか言っている。

新卒Yくんが幹事するには、対象者は3人。

消去法で一瞬思い浮かぶ人がいたけれど、そんなわけないと私は聞かなかったことにした。

正しくは聞かなかったことにしておきたかった。

掃除が終わって自分の席に戻ったら、私の教育係の事務さんが私に向かって、
「武士俣さん、〇〇が異動します」
と言ってきた。

私はあまりの衝撃に頭を鈍器で殴られたかのような痛みを覚えた。

しかも役職名でもあだ名でも敬称でもなく、苗字だけでその人のことを事務さんが呼んだのはそれ一度きりだった。

その呼び方が本気のものだという度合いが伝わってきて、どんなにその人の転勤を否定したくても否定できなかった。

私が勤務していた10ヶ月の中で、その時ほど事務さんが真剣な表情と声で私に何かを伝えてきたことはなかった。

しかもその後、私の仕事に直接関与する側の人が2人異動したけれど、その時は事務さんは私にその報告さえしなかった。

報告しなかったのは、多分そんなに重要ではない、という事務さんの判断だったのか、それとも、そういうところにも魂的に必要かどうかの判断において必要と判断されたもの・されなかったものの差なのかはわからなかった。

その人の異動は、私の職務レベルでは何一つ影響がなくて、ある意味職場の中で一番無関係な人なのにきっちりと伝えられて、反対に関与する2人の方はその人たちの事務仕事も私のところへやってきていたからものすごく関係していたけれど、その辺りは超適当な報告を受けた。

目の前の仕事にだけ限定したのならおかしな報告方法だったけれども、魂的にはそのあり方で大正解だった。

映画のワンシーンのようにその時のことを今でもよく覚えている。

当時、私はその人から嫌がられてるとしか思えない状態にあったけれど、私はそれさえも押して、なんとその人にとんでもなく長い手紙を書いて渡した。

当時から色々変だ変だとは思っていたけれど、ここに来て全く別の視点を手に入れた。

あの時のことが今現在の色んなことに繋がっている。

その人はいないし、私の今の生活の中でその人と連絡を取れることもないし、私側は何一つ繋がりなんてないけれど、こうした全く見えない姿かたちもない水面下のことは繋がっている。

余談だけど、私の家から車で20分程度のところに住んでいる、当時の仕事で唯一仲良くしていた女性がいる。

今でもごくたまに連絡を取ることがあって、つい先日、紫陽花の季節の頃、2人で紫陽花の花見に真っ暗な高台のところで夜な夜なおしゃべりをして楽しく会った日があった。

その女性はその人と共通の趣味で繋がっているから、この2年私が切望しても全く叶うことのない、その人と連絡を取ることも会うことも叶えている。

会うことだって距離さえ飛び越えて実現して、なんならこっちに来ない?みたいに誘ってもらったことまで知って、私は1人で撃沈したほどだった。

羨ましすぎて仕方ないけれど、これも後の方に書いたけれど(順不同で書いてて、この記事の後半にある役割の話の段落は書き終わった)、それぞれ役割があるんだと思う。

その人にとってその女性が趣味で仲良くする友達の役割なら、私は見えない部分のさらによくわからない役割なんだと思う。

しかも私の役割は、私にもよくわからないけれど、相手からしたらさらにわからないものになっているんじゃないかと思う。

相手からはキワモノ扱いをされてるんじゃないかと思うほど。

私たちの頭で考えるものと魂が考えるものとでは、全く別物になる。

魂が考えるものは、すごく変だし日本の社会常識にはそぐわないものが多すぎる。

魂の考えは、ある種奇人変人みたいなところがあると私は思っていて、当然魂的にはありでも人間側からすると「はぁー!?」みたいなことにも多々なりかねない。

その「はぁー!?」の部分が私の担当の係なのかもしれない。

近寄るなオーラ半端なかったなぁ(涙)と今でも思い出すこともありつつ、私もその役割じゃなくて趣味で繋がって楽しくやれる係が良かったなぁなんて思う時さえある。





2年前の9月9日と10日の週末、私はその人宛てへの手紙を書いた。

それは、本当に衝撃的なものだった。

私は書く直前まで、その人に手紙を書くことなんか一切頭になかった。

そういう発想もなければ、書きたいなんて思うはずもなかった。

その人の私への日に日に硬化する態度を見て、もう近寄らない、余計なことをしないのが、1番の得策に見えた。

その人の態度を見て、自分が嫌われてる以外に考えられないぐらいに、非常に嫌がられていたようにしか私には見えなかった。

そんな人相手に手紙を書いて渡すなんて、狂気の沙汰かと思った。

しかも、手紙なんて重たすぎる。

携帯電話の普及によって、メールとかならまだしも、時代錯誤な手書きの手紙は、付き合ってもいなければ好きでもない、もしかしたらものすごく嫌いな相手からもらうなんて、単に気持ち悪くて不快なものにしかならないでしょ?と思った。

なのになぜか私は突然雷に打たれたかのように、「手紙を書く」ことを思いついた。

そして、書く内容は何一つ決まってないまま、下書きを始めた。

その時の様子のメモ書きがある。

そこにはこんな風に書いている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

手紙を書こうと決める。
時間はもらえない、もういつが最後かも知らない、この人生の中でこんな風に想いを伝えるために手紙を書くのは、最初で最後、と自分を奮い立たせて決心する。
すーさんにあの長い手紙で大丈夫かを聞くと、「そういう手紙をぶっしぃが短く書けるはずがないので、「長すぎるかな」と考えたところでそれ以外はないよ。長さは気にせず思うように書けばいいと思うよ。」と1時間後に返信が来た!
すーさんの言葉に励まされてコメダで下書き。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

どんどん長くなる手紙にびびって、私は男友達に連絡をして、長い手紙は敬遠されがちだけど大丈夫かを聞いた。

いつかすーさんに謝罪と感謝を伝えるために長い手紙を書いて出したことがあって、それで聞いた。

今こうして読むと、すーさんの言葉は私がしようとしていることを全面的に推してくれた。

それに大きな力をもらって、私はますます手紙に没頭した。

10数枚ひたすら書き綴った。

すごく不思議な感覚で私は書いていた。

「想いを伝える」と言うと、愛の告白みたいだけれど、その手紙はそういうものじゃなかった。

すごい衝動から書いてはいたけれど、内容はなんとも不思議なことを書いていて、実にヘンテコな手紙だった。

書いている時の内なる衝動は凄まじいものがあった。

内容がどうこうというもの以上に、体の方が勝手に動く感じが、他に類を見ない感覚だった。

言うなれば、内側から何かに突き動かされる、そんな風だった。

体は記憶した。

その時は記憶しているつもりはさらっさらなかったけれど、それと同じ感覚をもう一度再現した時を2年越しに迎えた。





今年の8月の最後の日曜日、占星術講座クラスメイトだったゲイで絵描きでプロのライターのノムに『ファンレター』と題したメールを書いて送り届けた。

このファンレターもその時はよくわからなかったけれど、その後に届いたノムからの返信を読んで、私の書いたものがノムの魂からのメッセージだったと確信した。

ノム自身もそれを読んで、私にこんな風に返信をくれた。

【メールで「神々の審議会で決定された大役」みたいなことを書いてくれていたけど、
ぼくの人生にとって、本当にそうしたレベルのメッセージを伝えてくれたと感じている。
ぶっしー書いていたけど、
こんなことは、「一生に一度しか言われないかもしれない」、そういうメッセージだった。
魂からのメッセージかどうかまだペンジュラムにきいていないけど、
でも、魂からのメッセージなのだろう、って思った。】

余談だけど、この1000記事目となるこの文章の最初の発案はこの部分の話にあって、当初はこれだけを書く予定がこんなにも長くそしてどんどん補足事項が増えた。

ファンレターの話に戻る。

ファンレターが単なる私の個人メールではなくノムの魂からのメッセージだと気付いた時に、私は真っ先にその人のことを思い浮かべた。

その人に出逢えたからこそ、その人が私の人生に現れてくれたからこそ、書けた文章だとわかった。

2年前の手紙とノムへのファンレターは、内容も私の気持ちも全く別のものではあったけれど、唯一、書いた時の体の感覚が同じだった。

そして、それはその人に出逢わなければ、絶対に私の中に開かない回路だったから、その人なくしてはキャッチすることさえ不可能なノムの魂からのメッセージだった。

ノムへのファンレターを書いていた時は、まさにその人に手紙を書いた時の感覚にうりふたつだった。

内側から沸き起こる衝動だけで言葉を紡ぐところなんかはそっくりだった。

そして想いを込めるところも同じだった。

想いの内容は全く違うけれど(少なくとも、ノムの分はノムの書く文章や書く行為に対して私が感じたこと)、熱量と言えばいいんだろうか、それが一緒だった。

ここからは超言い訳のような言葉が羅列するけれど、書くのも恥ずかしければ誤解生みまくりな可能性大の話だから、変な方向に流れないように書きたい。

私の中であの時の衝動はまさに「愛の衝動」だと思っている。

「愛」というととんでもなくたくさんの誤解や偏見を生み出すから、特にこの場で使うのはかなり避けたいけれど、それでも愛の感覚が一番近い。

ものすごく雑なまとめ方をすると、魂の感覚って「愛」が基本の軸にあって、すべての基本は愛です!みたいな感じが私にはする。

愛って日本語でいうと、すぐに「恋愛」に結びつけがちだけど、愛にも色んな種類があるし、恋愛だけがすべてじゃない。

10数人の魂からのメッセージを届けてみて感じたのは、どれも受け取り手であるその個人からその人自身への愛のメッセージで、それは他ならない自分が一番大切だから届くもののように思って見ている。

で、魂ならぬ愛のメッセージをキャッチして書くにあたり、そもそもその「愛の感覚」とやらを知っている必要がある。

これは自分でもはっきりとわかるけれど、その人に出逢う前の私は、誰かを好きになることが本当に怖くてたまらなかった。

傷つくぐらいなら、誰のことも好きにならないのが一番だと私は思うようになった。

無意識のうちに、その辺りの壁がさらに強くなって、私は自分がすべてから閉じようとしていることが自分自身の一番の防衛策ぐらいに思っていた。

天より高い壁を自分の中に築いた私のところに、その人はある日突然現れた。

何せ壁は自分の意識の上でも認識できるぐらいだったから、最初その人と顔を合わせた時も私はその壁を持ったままその人を見ていたから、意識の上では「イケメン」で片付けて、それ以上何を思うこともなかった。
(無意識下で色んなことが起こっていたと知るのはもっと後だった。)

ところがある日のある瞬間を境に、その人の存在がはっきりと輪郭を持つようになった。

イケメンがイケメン行動を起こしたからインパクトがあったんだと当初の私は思った。

だけど、その瞬間を境にその人のことが頭から離れず、私はその自分の心の状況をひとまず全力で否定することから始めた。

私はものすごく混乱したし、色々気のせいじゃないかと思ったし、これはあまりにもそういうことからご無沙汰な自分が勘違いをしたんだと思った。

全力で自分の気持ちを否定した。

ところが時間が進むにつれて、その人は明らかに何かが違っていたし、何をどう気をつけたって頭から離れなかった。

24時間1秒たりとも頭からその人が離れなくて、それがヨガの最中の瞑想タイムみたいな時にわかって堪忍した。

私はそれを最初恋愛的なものだと見ていた。

なぜそう思ったかと言えば、私の人生経験の引き出しの中に、その人に対して感じるものを表す言葉が他になかったから。

一番近いのが恋愛感情で、でも「それは近いようで全く別物」という感じがした。

だから、それが何なのかさっぱりわからなかった。

現に私は、好きとか愛してますみたいなことは一言も手紙に書かなかったし、だから言葉にさえできないものを私は無理くり言葉に何とかしたみたいなことを手紙の上ではひたすらしていた。

当時のメモに書いた【この人生の中でこんな風に想いを伝えるために手紙を書くのは、最初で最後】というのは、愛の告白をしなきゃ!みたいな意味ではなく、何だか知らないけれど伝えなきゃいけない、今を逃したらもう二度とこの機会は与えられない、一生分の後悔をする、死んでも悔やみそうな感じがしたから、だから書いた。

手紙の行方は知らないけれど、手紙は逆効果になっても私が望むような結果は何一つもたらさなかった。

むしろ、最後にその人と挨拶を交わした時、手紙は溝と隔たりばかりを深めて、目の前にその人がいるのにもう永遠に埋まることのない距離感を感じて仕方なかった。

私がその人が私にとって何なのかというのを知ったのは、それから5ヶ月してからだった。

ある種の霊的メッセージをキャッチできるホロスコープの鑑定士さんから、その人と私がペンジュラムを通じての過去世の中で繋がっていたことを知らされた。

その時に私ははっきりと悟った。

あの時の手紙は、魂の叫びだったこと。

やっとやっと巡り逢えたのに、また今生で二度と会えなくなるかもしれないことを察知した私が、今伝えなきゃ永遠に時は失われる、そのぐらいの強い気持ちで書いていたことをようやく客観的に知ることができた。

その強烈な感覚は、どんなに記憶力の怪しい私の脳みそでも、死ぬまで忘れないだろう感覚として私の中に根強く残った。

体中の細胞で覚えている。

そして、相手の魂からのメッセージをキャッチする体質が私の目にもわかるようになったのは、それから7ヶ月後のことだった。

10数人やってみて、そして今ノムにたどり着いて、そこで初めてはっきりとわかった。

ノムのものは最初、魂からのメッセージではなく、私が個人で書くノムへのファンレターかと思った。

それはノムがする【書く行為】に対して私が感じたことをそのまま書いていた。

途中から「うん?」と思う流れがあって、ファンレターならぬ嘆願書のような内容を書き出した。

自分でも何を書いているのかわかるようでわからない不思議な感覚で書いていた。

それはいつかの記事にアップしたいと思っているけれど、私がノムに書いたものは、単なるノムの魂からのメッセージではなく、ノムの生き方、ノムの人生を賭けた内容のものを私は書いていた。

身体中で何かを確信したり感じたりしながら、私のブログの平均的な長さの記事4本分のメッセージを書いたけれど、書けば書くほどにその確信や絶対に伝える必要のあるメッセージだということを強く強く感じた。

そして、それこそがノムがノム自身に向けて放っている愛であって、私はそれをひたすらキャッチして言葉に起こすという行為に徹していた。

その時の感覚は、その人に宛てた手紙を書いている時とそっくりだった。

その人は私に感覚をダウンロードしてくれた。

ノムはその感覚を私にもっと詳細に言語化する回路をダウンロードしてくれた。





感覚のダウンロードについてもう少し触れたい。

私が人様の魂からのメッセージをキャッチする時、1つだけ絶対に決めていることがあって、“愛を持って”そのキャッチするのも言葉に起こすのも相手に伝えるのもすること。

愛なくしてはやってはならないぐらいに思っている。

なぜなら、個人個人に渡るメッセージというのは、多分人生でも1、2を争う超コアな部分を触るもので、だから安易に扱えないし、敬意無くしてそこには向き合えない。

やるならきちんとやることが相手に対しての礼儀だと思っている。

何せ超コアなところを触るから、そこは一歩間違えたら、メッセージを渡す相手に一生の傷となるような酷いものを手渡してしまうことになる。

そうしたものの扱い方は正直私はわかっていないけれども、ただ私個人の感覚で、それをする時は「愛を持って行う」のが正解と思ってやっている。

で、その「愛」だけど、愛から遠のき恐怖心警戒心半端なかった私に、その部分を自然に開いてくれたのが、その職場のイケメンだった。

その人の私を寄せ付けない硬化した態度に私は超超超撃沈したけれど、それでも一度開いた回路はそのままだった。

その人が何をしても(=私がして欲しくないことをしても)、反対に何もしなくても(=私がして欲しいことをしなくても)、気持ちは同じだった。

どこの修行僧かと思うけれども、その人を前にすると、私は本当にとてもシンプルになって、その人がただただいてくれれば良かった。

その人が生きて私の目の前に私の世界に存在してくれたら、本当に私はそれで良かった。

そのぐらいの気持ちを持てたからこそ、私は自分が誰かの大切なメッセージをキャッチできてそしてそれを伝えることができるようになったんだと思う。

もしその人に出逢わずにいたら、私は今誰かの魂からのメッセージをキャッチすることはなかったと思う。

8月の終わりにノムへのファンレターを書いていた時に、その回路がさらに開いて他の人のためにその時持てる100%の力でそのことに臨んでいる自分に気付いた。

これまでももちろん100%ではやっていたけれど、これまでは私自身が枠の中にいてそこでの100%だった。

ノムに向けたメッセージは、枠が取っ払われて、とにかく来たもの全部を全力で書いて渡した。

そして、その書いたものは言うなれば、ノムの生き方、ノムの魂が設定した今世で果たしたい何かというようなものだった。

そういうタイプのメッセージはこれまで一度も書いたことがなかった。

だから、ノムが本当にデビュー戦となる。

そんな風に超個人の生き様に触れるほどのことに私自身が取り組めるのは、紛れもなくその人が人生にいてくれた日々があって初めて成立していることが私にはよくわかる。

その人を通じて私の感覚は本当に開いた。

自分の中の細胞という細胞を感じられるぐらいに、その人の存在は私の閉じていた気持ちを一気に開いた。

これは私の持論だけど、心理系のセラピーで一番凄くて強力なのは、「何もしないで変化を起こすこと」だと思う。

だって何もしていないのに癒しが起きたり気持ちが軽くなったり上向いたりするなんて、本気の神レベルな話で、いっとき流行った言葉「神ってる」状態だと感じる。

そういう癒しが起こるのは本当に奇跡だし、そうした奇跡は人生の中でそう何度も経験はできない。

その人というのは、まさに私にそれをしてくれる人だった。

本人は私を癒そうなんて思ってなかっただろうし、自分がそこにいるだけでそんな神レベルの化学変化、大変容を私にもたらしてるなんて、本人は何一つ知らない知らなかったと思う。

だけど、現実的にそれが起こったし、そしてそれこそが私が言う「感覚のダウンロード」だった。

誰かを大切に想う気持ち、その人がいてくれるだけでハッピーになれる気持ち、自分の内側から感じたこともない烈しく湧き起こる気持ち、色んな気持ちを知った。

私は「愛」という言葉をたやすく使うのも好きじゃないし、ましてやそれを他人に対して使うなんて最も抵抗を覚えるものではあるけれど、その人に感じていたのはそういうことだった。

それは魂レベルで引き起こされてるものだというのはこの2年くらいかけて理解したし、そうまでして起こさなければいけなかった化学反応的な変化だったと思う。

ここでは細かく説明はしないけれど、私の場合、ノムにファンレターと勘違いしながらノムへノムの魂からのメッセージを書いたように、他の誰かの超大事な人生のターニングポイント的なメッセージを伝えるのが人生における役割的なものなんだと思う。

これこそ勘違いであって欲しいけれど、多分これは勘違いじゃなくて、もっともっと自分の中に受け入れていく必要のあることだと徐々に思うようになってきた。

そうした人生の流れにおいて、その人の存在と出逢うというのは私にとって必要不可欠なことだった。

もちろん、そんなお役目的なことを私は目指したのでもなければ、それ目当てにその人に出逢ったのでもなかった。

なんだけど、その人と出逢ったことで、私側の人生の設定がようやくスイッチオンになった感はある。

そして、何せ触るものが誰かの人生の超コアな奥深いところにあるようなもので、それに関わるには並大抵のレベルではできない。

それをするに当たって、それ相応の私側の準備も必要になる。

そうした時に、その人がいたことで開花したのが「感覚の拡大」で、まさに感覚をダウンロードしまくりだった。

私としては「私個人のしあわせを最優先にしてー!!」と思うけれども(今でも思ってる)、どうやらそちらよりもまずは優先させなければいけない謎の流れがあるらしく、謎の流れはどんどんやってくる。

とにかく、感覚の部分を桁違いに癒して桁違いに開いてくれたのは、紛れもなくその人の存在だった。

その人にしても、何の勲章にも名誉やお金にもならない話だとは思うけれど、その人が私に対してしてくれた功労は物凄く大きいし、それこそ神々の審議会が唸るほどの大きなお役目を果たしたと思う。

そんな風に、その人は私の感覚を癒して広げてくれた人だった。

そして「愛」という人間が生きていく上で必要不可欠な感覚も存分に私に授けてくれた。





この2年、私が確認しまくったこともここで触れておきたい。

その人に対して抱いた気持ちと同じでなくても似たような気持ちが誰かに対して少しでも沸き起こるのかを私は徹底して見た。

たくさんの回数はなくても、時々男性に親切にされたり、楽しく会話したりする機会がある。

そういう時に私はこぞって観察している。

そもそも観察する余裕があること自体がおかしいけれど、親切にされたり少しでも面白い話ができるとそれはそれで良い時間だとは思ってもそれで終わる。

当たり前だけど、その人の時みたいな反応は沸き起こらない。

ただただそういう瞬間があって、それで終わる。

その人を前にした時の自分の感覚と同じ感覚は、普通には起こらないんだと悟る。

その感覚こそがその人だからこそもたらされるもので特別だったんだと、その人もいなくなって冷静になれる時間を持てるようになってから知った。

この文章の最後に憧れてやまないシーンを描く予定でいる。

そのシーンから惹かれるものがある。

それを私は自分の人生の中で持てたらどんなにか良いだろうと本気で思っている。

だけど、そのシーンを誰彼かまわず持ちたいわけじゃない。

夢見るのは自由だから言うと、私はその人とそういう瞬間を持ちたかった。

全くイメージできないけれど、私が欲しいものはそういうものだった。

感覚をダウンロードするとか、魂のメッセージのキャッチ能力のアップとか、そんなのは本気で欲しいものでもなんでもない。

私が欲しいものは、もっともっとシンプルなもので、日常にそういうものが溢れていたらどんなに素敵だろうと思っている。

そして、そうしたものをその人と持てたらどんなに良かったかな…と今でも思う。





ノムと1ヶ月近くに渡って取り組んでいる書く仕事の第1稿が先日仕上がって、担当者に提出した。
(9/11現在、全て完成して、それを担当者の方へ送って、あとはそれで直しがなければ終わり)

互いの担当分に関しては、主題だけずれてなければ、あと内容は自由だった。

今回の仕事は、ツイッターみたいな短文をいくつも書くものだった。

その中で私は、1つの文章だけその人の存在感を表すものに仕立てた。

ダメ元で書いて、直しとなれば全文差し替える覚悟で書いた。

読んでも私以外の人が、その短い文章の中にその人が含まれているなんてわからない。

私はその短い限られた世界にその人を登場させて、そしてそこには自分のことも登場させた。

今回の書き仕事は一生に一度だと思う。

少なくとも今回の依頼分は、生涯を通じて一度だけ。

そこにその人のことがどうやったって忘れられない自分自身に向けて、エールのような文章を書いても、バチ当たりとはならないだろうと考えた。

そして、生涯で一度きりのものなら、その一度だけ私だけがわかるようにその人を登場させてもいいだろうと考えた。

[9/11現在:第1稿で出してOKが出たから、最終的にそれはそのまま通る見通し
→これを書いてる途中ノムからメールが来て、その内容で通ることが確定した!(祝)]

今回のものは印刷物として出る。

いつかは有形物に変わって、自分の手元にももらえるのか買うのかはさておいても、来ることになる。

たとえこの人生の中で、ミラクルが起きて誰か他の人と出会ってその人と一緒に生きていくなんていう素晴らしい展開を人生で迎えたとしても、それでも私はその人をその中に登場させたい気持ちは変わらない。

もしかしたら、これが終わりの合図になってくれるかもしれない。

もう私はその人がいなくても、死ぬまで書くことはやめないだろうと思う。

書くことは私の中で息を吐くみたいな領域のもので、書かないと呼吸不全で死んじゃうみたいなものになってきた。

そして、この書く力を必要な人たちに渡す覚悟みたいなのも徐々にできつつある。

その人がきっかけとなって、私は本格的に書くことを再スタートさせた。

これまでだってずっと書かない時間が数ヶ月とか1年単位であって、再開するというのはあった。

なんだけど、そうした過去の再開とその人がきっかけとなった時の再開とは全く様相が異なった。

その人がきっかけとなった再開の時は、魂の書き物だった。

魂が今世で絶対にやろうとしていることをきちんと叶えるための入口で、そのきっかけを作ったのがその人だった。

もしあの時に私が書かなければ、今あるノムと共同作業での書く仕事は絶対に私の人生に現れていない。

1000記事のうち、開始が今から6年前の2013年の9月で、その人が現れる前と後とで数を見ると、前半の4年で350記事、その人がいなくなった後2年で650記事書いている。

しかも、長編の文章をその650記事ではけっこうな頻度で書いている。

そうまでして書き続けた私の1番の原動力はその人だった。

そして、書き続けてみて、もうその人がいなくても私は書き続けるだろう域に入りつつある。

それを表す1つのものが今回の書く仕事だったと今は思う。

だから、そこにその人の存在を私だけがわかる方法で書くことにした。

全部で20数個書く中ですでに10数個書いたけれど、その中でその文章の時だけは違っていた。

魂の衝動みたいなもので、それだけはノートに書き殴るようにして書いた。

他のはiPhoneのメモに書いたけれど、それは最初にパッと出てきた時、紙に書いた。

今思い出した。

あれは試験監督のバイトに行った日に、試験監督中に出てきた言葉だった。

周りの受検生の方たちの後ろで、私は手渡されたマニュアルの余白のところに慌ててメモをした。

後でマニュアル回収となって、私は係の人に大事なメモがあるからそこだけ切り取らせて欲しいとお願いしたけれどダメで、それなら写真に収めさせて欲しいとお願いして、写真だけ撮って帰ってきた。

それをノートに転写したんだった。

その短い文章の中で、私は自分が死ぬ間際の自分を思い描いた。

死ぬ間際に私がその人のことをどう回想するのか、それを想像した。

そういう超具体的なシチュエーションと超具体的な行動、この場合はその人を死ぬ間際に思い返すこと、を心で思い描いて書いた文章はそれだけだった。

壮大すぎるスケールで、その文章は一か八かの勝負だった。

かなりドキドキしていたけれど、それが通った。

ノムにも何も言わず、しれっと渡した。

唯一言ったのは、「“死ぬ時”ってさすがに書けないから言い方を変えた」ぐらいなものだった。

そんな風にして、私は自分の書き物が社会的デビューを果たす中に、その人のことをチラリと入れ込んだ。

その人なくしては、私の書く言葉が社会デビューする機会さえ得られなかったと思う。
(デビューとか言ってはいるけれど、無名で文章だけが出る可能性が高いから、関係者以外、私が書いたとはわからない)

今のこの瞬間、ここまで繋いでくれたのは、紛れもなくその人だった。

その人がいたからこそ、書くことを再開して、たくさんたくさん書いて、色々書く中でノムと繋がって、そしてノムと濃密な対話をメールを通じてもたくさんして、その先に今回の書く仕事の話がきた。

その人は私の魂が魂の旅路をきちんと歩めるようにしてくれる一番の原動力の人となっている。

神ってるレベルの癒しをもたらすだけあって、その人は超だんまり、ずっと沈黙を通しているけれど、その状態で私の書くことのスイッチを押してくれるわけだから、本気で凄い。

書こうと思って書けるものではなく、なんだか知らないけれど、強烈な内的衝動をその人は誘発してくる存在で、だからこそ私はここまで書くようにもなったと思っている。

その証を私は今回の仕事の中に残した。

それは私の生きた証でもあって、そしてその人と出逢えた軌跡でもある。

そうやって残したい人なんだと知る。

もうどうにもならない全てに対して私は超後ろ向きモードではあるけれど、せめて自分の力の及ぶ部分にそうした痕跡を残せるなら残したい。

その人はそういう人だった。

私にとって、唯一無二の言葉では言い表せない何かをもたらす自分史上最強の人物だった。




書いててもう1つ思い出した。

書く仕事の最初の依頼主の人と、そして今人間観察にハマりながら心の癒しがバンバン起きている米の仕事の責任者の人と、全く同じ漢字が名前に入っている。

それはその人の名前と同じ漢字で、今となれば「これで大丈夫だよ」のサインだったんだなぁと思う。

本当に摩訶不思議な現象だけど、魂のテーマにもろにかかる出来事や仕事の場合、それで大丈夫!とわかるようにその人にまつわる何かサインがどこかに潜んでいる。

大事度合いが高ければ高いほど、その人の名前が出てくる可能性が高くなる。

最初はたまたまだと思ったけれど、2年ぐらいすると法則めいたものが見えてきて、ガチなやつになればなるほど、その人の存在を表す何かがサインとして示される。

そして、その人の名前がそうした状況における関係者の誰かと一緒の時は、それだけでその状況で体験することが私にとって絶対に外せない大事なことなんだとわかる。

その人の名前は、今や私にとってお守り的なものになっている。





今日(9/7)の仕事からの帰り道、とんでもないことに気付いた。

4日水曜日の日付変更線を超えてから3時間程度した頃、私は高校時代から愛用している英和辞典を片手に英語での調べ物をした。

(『真夜中の衝動』と題してブログを書こうとしていたけれど、すぐに書かなかったことが悔やまれる。忘れぬうちに、今ざっくりと概要を)

さかのぼること3日の火曜日、仕事は雨で急遽休みになった。

2日の月曜日にそれこそノムと書く仕事の第1稿提出期限として、互いの担当分を書き上げて打ち合わせと題したおしゃべりをした。

その時に、ノムが最近オラクルカードを買った話とそのカードが過去世と今とを繋ぐ情報を引き出せるという話になって、話を聞いて私はものすごく食いついた 笑。

ただそれにはまとまった時間が別途必要だから、日を改めて私の分をやろうとなった。

できれば書き物の残り分に着手する前にやりたいね、そのメッセージが絶対にヒントになるから…なんて話していたら、まんまと次の日火曜日が雨で休みになって、それでそのカードリーディングをした。

それがめちゃくちゃ良かったしその話も別の記事で改めて書きたいと思っているけれど、その時に、カードのガイドブックでどうしてもピンとこない和訳があった。

ノムとその訳がどうしても引っかかるね、などと言いつつ、私もカードガイドブックの原文がネットで見つかるなら調べてみるね〜なんてのんきに話してた。

その電話の2時間後くらい、私は眠れなくて猛烈に目や神経をギラギラさせてた頃、その調べものを徹底的に始めた。

異常なほどの集中力と執念でやっていて、自分でも自分が変なの〜なんて思っていた。

で、話は飛んで7日の仕事帰りの車の話になるけれど、私はそこで「あーーーーーー」となった。

その時の衝動と同じものを私は過去に2回体験していた。

一度は、ノムへの魂のメッセージを書いた時。

もう一度は、2年前その人に手紙を書いた時。

そこで「えっΣ(꒪◊꒪; )))) !?」となった。

ノムの魂からのメッセージを書いた時というのは、最初そうだと知らなくて、後々気付いて、さらにノムのペンジュラムと私のペンジュラム双方で、それが私側ではなくノム側が必要として、ノムの魂からのメッセージが私の手によって書かれたことを知った。

ってことは…。

その人への手紙も、私はずっとずっと私が書きたくて書いたとばかり思っていたけれども、もしかして…と思った。

手紙を必要としたのは、私じゃなくてその人の方だったのかもしれない。

初めてそんな風に思った。

そして、本当にその説があたりなら、当時私も超いっぱいいっぱいだったけれど、その人もその人で自分の人生に悩んでいたり何か違和感めいたものを感じていたのかもしれないなぁ…と思った。

手紙の一部には、その人の良さや人間的魅力について書いた。

今でも非常に不思議な内容の手紙だと思うけれど、そういったこともかなりな長さで書いた。

本人が本当にそこから元気付けられたかは知らないけれど、余計なことさえ脇に置いて見るなら、元気が出る可能性のある文章でもあると思う。

全部が全部そうじゃなくても、その人オリジナルのその人にしかない魅力は、少なくとも他者から知らされて決して悪いものではないと思う。

ありがた迷惑どころか不愉快不快感マックスのものを手渡したんじゃないかと今でも思っていたけれど、実はその人の魂レベルでは手紙を本気で必要としていたのかもしれない。

その人自身は全くそうは思わなくても、魂側は手紙に喜んでいたかもしれない。




そんな風に考えると、私が2年でブログを650記事近く書いたものの中にも、もしかしてその人からオーダーを受けてその人に向けて書かれたものもあったのかもしれない。

衝動的に書いたものもあったし、その人に向けてだけ書いたものもある。

ノムと自分とを見て、お互いの魂の道すじにおいてそれぞれの役割的なものが見え隠れしている。

2人は単なるクラスメイトとか友達とかいう枠を超えて、互いが互いを必要とするものがある。

それはノムにはミッチーという恋人がいても関係なくて、私だからこそできることをするというのが近い。

そうやって考えると、その人と私もそれとは違っても出逢った理由は互いの魂の道すじにおいてそれぞれが必要な存在だったからなのかもしれない。

ノムと私が恋人同士にならないのと同じで、その人と私も恋人同士にならなくて、なんなら私が切望する小さなコミュニケーションさえも持てなくて、私側が欲するものは何一つ叶わないけれど、それと魂の願いは別物なのかもしれない。

魂の願い系は、別に現世的な接触(恋人同士や仲良し友達関係とか)がなくても成立する。

それは私側がどんなに接触を望んでも、魂側の意図と合わないものは、私の場合、バサバサと切り落とされる。
(切り落とすのは、神々の審議会でも天界でも宇宙の采配でも何でもいいけれど、とにかく不可抗力的に切り落とされる。)

私の愚痴はとどまるところを知らないからこれくらいにして、今回思った大切なことに話を戻そう。

もし、私の書くこの文章たちが魂レベルでその人に向けられたメッセージなら、私はその人が好きな時に好きな文章を読んでくれるのが一番いいと思っている。

さんざん色んな人たちのメッセンジャー的にメッセージを伝えてきたからその辺りは私はわかる。

私は単なる通訳でしかないし、メッセージを伝えるのに受け取り手である個人と私とが関係を結ぶ必要はなくて、本当にメッセージさえきちんと相手に伝わるならそれが一番大切なことだというのはわきまえている。

その人に関しては私の私情が動きまくりでそんなにあっさりと線引きは私側は難しいけれども、その人側は私に連絡を取る必要もなくて、本当に好きなものを好きなタイミングでどれだけでも読むので大丈夫だったりする。

だから、ごちゃごちゃ書いたけれど、言いたいことは。

好きな時に好きなもの・必要なもの・読みたいものを読んで大丈夫ということ。

私への連絡はもちろん不要だし、私とどうこうする必要もない。

メッセンジャー(メッセージの伝達者)になる時の私は、もうそれが自分の役回りだと割り切ってやっている。

人間だから当然私情は働く。

だけど、メッセンジャーとしての私は、相手に何かを求めるのではなく、本当にただただ出てきたメッセージを伝えるところまでが私の果たすべき役割で、それ以上は基本必要か不要かの二択なら不要になる。

だから、もし私の過去に書いた文章、これから書く未来の文章の中に、その人宛てへのメッセージが含まれているのなら、それはじゃんじゃん自由に読んでもらえたら私も一番嬉しいし、メッセージたちも喜ぶ。

メッセンジャーをしていて思うのは、特定の個人に向けて託されたメッセージに関しては、その個人の人から読んでもらえることをメッセージ自身も一番望んでいて、それがメッセージ側の喜びでもあると思っている。

だから、私の書く文章の中にその人向けのメッセージが含まれるのであれば、もはや私よりもメッセージが伝えようとしていることがその人に伝わるのが一番だと思っている。

それが私の役回りなら、私はもう本気で仕方ないと思っている。

魂の役割は変えられない。

その人が私とはいたくなくても私の書く文章をどこか必要とするなら、私の書く文章だけが必要とされてそれで役割完了なんてことも十分にあり得る。

私はこの文章の最後に自分が本気で望んでいる風景を書くけれど、そちらではないものばかりがやってくる私の人生は、もう私個人の力ではどうにもできないし、私が泣こうがわめこうがそんなのおかまいなしに色んなことが起こる。

心は無にできないけれど(そもそもそんなの目指してもない)、色々不具合感じまくりの私の気持ちのままでも本当に必要なことにはきちんと向き合えるようにはなりたいと思っている。

書くだけ書いて終わりという役割に対して超不満もあるけれど、それは私側の個人的な感情で、そうではないメッセージを届けることは私はもう私情を挟めないから、だからその人が読みたいものを好きなタイミングで読むのが一番理に適っているし、それが私の役割なら私はその役割的なところでは、その人が好きなタイミングで好きなものを、読みたいものを読んでくれるのが一番嬉しい。




こんな風に色んなことが明るみになって、ふとホロスコープの分析結果が頭をよぎった。

その人との間に起こった小さな出来事から大きな出来事まで、私はその日その瞬間のホロスコープをいくつか出して見てみた時がある。

例のその人と仲良くしている女性からその人の誕生日を教えてもらったことで、いくつかの出来事の瞬間とその人のホロスコープとを重ね合わせて見てみた。

それは6月の終わり頃の話で、その時の私はいくつものホロスコープを分析した。

今でも覚えていることの1つに、「あれ?これ私の気持ちを表してるみたいなものなのに、私のホロスコープじゃなくてその人のホロスコープをこの出来事の日に重ねるとそうなる」というものが幾つかあったことだった。

私からして、すごく変な感じがした。

熱を上げている私よりも私を無視しまくり避けまくりなその人の方がそうした出来事に強く反応するみたいな結果が出てきたから、私は驚いた。

だけど、手紙に始まって色んなことがその人も欲したものだとするなら、私が当時分析したホロスコープの分析結果もそれに準じているなぁと思う。

同じ日同じ瞬間に居合わせていても、私よりもその人のホロスコープへの影響の方が大きいものがいくつかあって、その時はすごく不思議な気持ちで眺めていたけれど、もしその人の魂がそれを強く望んだことならなるほど納得な結果だったりする。

ついでにもう1つ言うと、私はその人の出生時間をペンジュラムで割り出して、その時間でホロスコープを出して見た。

ペンジュラムの正答率は知らないし、ペンジュラムが間違っている可能性も多大にある。

なんだけど、それを出して見た時にひっくり返りそうだった。

基本的に時間のわからないホロスコープを出す時は、昼の12時にして最初は出す。

その12時の時に出すものは、6〜7割の情報を引き出せる。

要は公転周期の遅い天体たちは、数分〜12時間変動したところで変わらないから、それでおおよそのホロスコープは出せる。

12時で出したその人のホロスコープは、私のものと重ねると大したことないどころか、縁があるなんてとても思えない様相だった。

やっぱり色々気のせいなのかもしれない…と思った。

なんだけど、ペンジュラムで出した時間でホロスコープを出してみたら、卒倒しそうなぐらいにすごいことになっていた。

本や講座の資料、自分がまとめたノートなんかを一切見なくても、ホロスコープをただ一目見ただけでその人と私とがものすごく縁があるとわかるものになっていた。

魂のより深い設定を見る特殊な手法のホロスコープの方も出したら、そちらもまた一目見て強いご縁があるとわかった。

ペンジュラムが出してきた時間が本当に合っているのかどうかはわからなくても、もし本当に当たりなら出逢いから始まるこの一連の流れにもものすごく合点がいく。

そんな人他に誰もいないから、その人が初めてそこまでのホロスコープを見ただけでわかる重なりのある人だった。

と同時に、その人にとって私という人物がその人の人生に登場してくるのももはや避けられないような強制力があったと推測するのも容易になった。

本人が望む望まないは別としても、もうそうなるのが自然な流れで、私に対して相当警戒心や防衛心が働きまくりでもそりゃそうだよねー、という内容になっていた。

その人にとって、人生のテーマとなるような部分に私の個人的なホロスコープのテーマが360度のうち1度の誤差なく重なっているわけだから、それは通常版も魂の深いテーマ版もそうなっていて、だから私がいることで心がワサワサする、ザワザワするのも仕方のないことだったのかもしれない。

だからその人が私の人生に登場したように、私もその人の人生に登場したのかもしれない。

ただ違いは感じ方で、私にとってその人はアンパンマン的ヒーローでも、その人にとって私はバイキンマン的天敵ないしお邪魔虫だったんじゃないかな…と想像している。




2年前の夏のある日と同じアームカバーをしている自分の指先を見た。

少しでも涼しくなるようにと水撒きがなされて、その水撒きでできた水たまりには青い空と白い雲と建物の一部が映っていた。

指先の1メートル先に水たまりがあった。

チラチラと自分の指先を何度も見た。

その人の目にはどんな風にあの時の私の姿は映ったんだろう…。

同じような出で立ちを見て、その人の目に映ったものが何かを知りたかった。

あの日何が目に映ったのかは知らないけれど、その時のことがまさか2年先の今に繋がるなんて、その人も私も知らずにいた。

魂だけがあの時にすべてお見通しでいたことと思う。

相手側はさておいても、私側は2年先も何百年も前も多分両方わかっていた、そんな気がする。

そのアームカバーは、私がその人の存在に気付くためには必要不可欠だった。

同じように暑い日で、でももうあの時は永遠にやってこない、そのことを心で確認すると涙が出そうになった。




ノムとしている書く仕事の提出と重なって、ブログの方をしばらく休んだ。

そうしたら何だかんだで数日過ぎてしまった。

一層のこと、2年前にその人に手紙を渡した日と同じ日にアップしようかと計画している。(ここを書いているのは9/10)

2年経つとさらに明らかになる。

その人に手紙を書いたり手紙を渡したりしたのは、人生の中でもとっても特別なことだということ。

昨日のごはんが何だったのかの記憶さえ怪しい人が、2年前のそのシーンを克明に覚えているんだから、その時のことは私にとってものすごいインパクトがあった。

その人にしたって、職場の自分の席に手書きの個人的な手紙を持ってくる人なんて、その人の社会人生活の中でそうそういないだろうと思う。

いくらイケメンでも、そんなことしてくる人なんて普通はいないんじゃないかと予想している。

別に奇をてらったわけでも相手に自分を印象づけようとしたのでもない。

もうそれしか方法も思いつかず、「何この古風なやり方?」と自分だって何百万回と思ったけれども、そうするしかなかった。

死ぬまでに与えられたただ一度の機会となるかもしれない…、そう思ったらやるしかなかった。

あまりに突然な上、しかもあの時はテンパっていたのもあったけれど、たぶん、多分だけど、私は突き返されないように、直接手渡しをするんじゃなくて故意にその人が見ている目の前で机の上に置いたんじゃないかと思う。

その時の傷心具合は本当に人生で一番酷かったから、そんな時に突き返されるなんていうさらなる傷はもう受け止める余裕なんかどこにもなくて、だからそうできない方法をとっさに取ったんじゃないかと思う。

相手が面食らったのか、げっ(ΦдΦlll)と思ったのか、何をやらかしてくれてる!?と思ったのか、そういうのは何一つ知らない。

知らぬが仏とはよく言ったものだと思う。

いずれにしても、その日のその瞬間のことは今でもはっきりと覚えているし、相変わらず何の反応もなかったその人の様子も覚えている。

何の反応もないんだ、ってずっとずっと思っていたけれど、今これ書いてて思った、とっさに反応できなくない!?って。

私は生きているうちにその人が体験したように、仕事中自席にいて誰かが手書きの個人的な手紙を持ってくるなんて体験することもないだろうけれど、よくよく想像したら、そんなことになったら私もとっさに反応なんかできない( ̄∀ ̄;)。

相変わらず無反応などと思っていたけれど、反応する方が難しいわ!と思った。

しかも、典型的な感情表現苦手男子みたいな人だから、そんな高度な反応を求めた私がそもそもおかしいことに今頃気付いた。

私が苦手なのか感情表現が苦手なのか、はたまた両方苦手なのかは最後までわからなかったけれど、その時のことはとにかく一瞬一瞬強く記憶に残った。

私ももちろん覚えているけれど、これは魂が記憶しているんだろうなぁと思う。

そして、誰に何と言われようと何と思われようと、もうそれが私の人生に起こったことだから、私はそれを信じていたらいい、信じる強さをこの2年で育んだ。

否定されたりおかしいと言われたりもしたけれど、そんなの言わせておけばいい、とそこまで開き直るぐらいになった。

私には私が体験していることが全てだし、それが私の真実に他ならないから、他者の受け止め方なんか何でも良くて、何ならその人の中にどう残ったのかも何でもは良くないけれどそれだって究極何でも良くて、でも唯一私だけはそこで体験したこと全てを信じたらいいんだと思っている。

その人の記憶に残らなくても、もうたとえ会わなくても、私は私が一番いいやり方でその人とのことは残りの人生の時間をかけて向き合っていったらいいと思っている。

(この段落は鈴虫の鳴き声を耳にしながら、真夜中の3時半から4時台にかけて書いた。目覚めた瞬間の数字が、その人にまつわるもので、1人でテンションが上がった!)




ノムから、ぶっしーは社会的なものにとんと興味がない、それもちょっとじゃなくて「全く」と言っていいほど、少なくとも自分が知っている人の中でぶっしーほど興味のない人に会ったことがないと、ここ何回か言われた。

職業的な肩書きも、仕事のあり方も、お金を稼ぐとか家を持つとか幸せなパートナーシップを築くとかいうことも、とにかく社会的に良しとされることに本当に興味を示さない、と。

私はどうしてそうしたものに興味がないのかわかる。

そうしたものに興味が湧かないのは、そういうものたちで自分が満たされることはないとわかったから。

その人が私の人生に現れて、日常の中にもその人の姿があった時、私はもうこれ以上ないというぐらいに日々超盛り上がっていた。

毎日ルンルン♪で仕事に行って、仕事には全く興味も湧かなかったけれど、その人に会うことだけが日々の超強力な生きるモチベーションで、「生きるってこんなに楽しいんだー♪٩((*⁰▿⁰*))۶♪」と頭の中は毎日お花畑に蝶々が大量に舞うぐらいのおめでたさだった。

私はそうした日々がしばらく続くと信じて疑わなかったし、そして欲を出してもう一歩その人と近付けないものかと考えた。

本当に個人的に時間が欲しかった。

自分の内側から純粋に何かを欲するなんて、私の場合、ものすごく珍しいことだった。

だけどそれは叶わないどころか、その人をごはんに誘ったらその人は一気に態度を硬化させて、私のことが嫌なんだとしか思えない状況になった。

欲しい気持ちはものすごく強かったから、それが手に入らないというのは本当にこたえた。

その辺りから私はますます欲しいものが何かわからなくなった。

それは今も同じで、例えば小さな欲しいものはあっても、それが生きるモチベーションになってくれるほどの何かはない。

人は何か手に入らないとなると、他のもので人生を楽しもうとすることが多いと思う。

私もそれができなくはないことも重々承知している。

なんだけど、本当に欲しいものが手に入らない時、それに対しての虚無感は常に付きまとうし、その叶わない現実と欲してる自分の気持ちとのギャップの大きさたるやでかすぎて、ましてや私の場合は生きるモチベーションに直結しまくりだったから、余計とそのギャップは広がる一方だった。

そうした自分の中の受け入れられない気持ちをひたすらなだめたり、自分の気持ちを聞いたりすることにある意味忙しくて、そしてその人の代わりなんてこの世のどこを探してもいないわけで、あとは私はその自分の宙ぶらりんな気持ちと上手に折り合いをつけるぐらいしかやれることはない。

そうした気持ちと社会的な成功云々は全く天秤にかけるほどのことではなく、私の気持ちはそんなことじゃ絶対に埋められないとわかっているから、余計と欲しいとは思わない。

今望むものは、少しでも平穏な日々と少しでも興味を持って人生を生きることだから、とにかくそういう視点でしか自分のことを見ていない。





超勝手な希望をひとつ書いてみよう。

1000という節目の回数に、あえてその人のことを書くことを決めた私の気持ちもだけど、それだけの存在なんだということをその人に知って欲しい。

何で自分にここまで入れ込むのかさっぱり理解できなくても、少なくとも私が選んでそうしているということは、それだけの何かがあるからだと少しでもいいから肯定して欲しい。

他の選択肢としては、ノムがしてくれたホロスコープ鑑定の後編とか、他にも色々な癒しが起こりまくっているからそれについて書くのでも全然良かった。

だけど、節目の回数…と思ったら、書きたいのはここに書いたことだった。

さらに、書いてて思った。

私が「書きたい」と思って書く文章というのは、実はとっても少なくて、その少ない中の1つがその人に宛てるものだということ。

これだけ書いといて「はっ!?」って感じかもしれないけれど、私が書きたい!って本当に感じて書くものはすっごく少ない。

そんなのはひと月に1つあるかないかぐらい。

なんなら、ノムとしていた書く仕事も、あれはお金にさえなるのに、「書きたい!」というのはそこまでなくて(面白いプロセスではあったけれど)。

さらに言えば、そちらを完成させる頃、私はそれよりもこちらの方を一刻も早く書きたくて仕方なかった。

お金にもならない、届くかもわからない、仮に目に入っても反応は期待できない、ないないだらけのこの文章の方が私は書きたかった。

その人に聞いて欲しい、その人に届けたい、ただただそれだけの気持ちで私はここに書いたすべてを書きたかった。

その人は私の数少ない生きるモチベーションだな…と思う。

そして、そこにだけは少し欲があって、本気で届いて欲しい。

本当にその人に届いて欲しい。




今回こんなことをここに書くにあたって、私は自分に確認をした。

もし、これをアップした翌日に運命的な出会いがあってその後あっという間に電撃結婚などという展開になったとして、それでもアップしたいかどうかを。

妄想炸裂な内容はさておき、例えば未来にそういうことが控えていてもアップしたいか、アップしても私が後悔しないかを見たかった。

だからそこを確認した。

私は、仮にそういう展開が24時間後に控えていたとしても、書きたいしアップしたいと思った。

これをアップする時の私が、例えば2019年の9月11日だったとして、その日までにおいて生きてきた人生の中で最重要事項がここに書いたすべてのことで、その人を今も大事だと思う自分のことを記録として残したいと思った。

その後の人生がどんな展開を見せたとしても、ここに来るまでの私の人生の中では、その人に出逢ってからのすべてが何よりも私にとって大事だから、それに堂々としていたい、そう思った。

両想いにもなれず、何も望むような展開にもならず、究極に距離を置かれてそれなのに私は相も変わらずこんなことを言い続けて、頭のかなりいってしまった人だと思う。

でも、私は周りが何と思おうと恥ずかしくもないし、自分の気持ちや自分のプロセスに堂々としていられるぐらいのものをこの2年で身に付けた。

結果はどこを切り取っても思わしくないもののオンパレードだけれど、そもそも高嶺の花というか相手からして私はストライクゾーンから大きく外れた場所にいる人物であっても、だからと言って私は自分の気持ちが変わることもなかった。

その人の気持ちよりも私は自分の気持ちを優先した。

相手にされない私ではなくて、その人を大切に感じている自分を優先した。

一生の中でそんな風に思える人と出逢えることの確率の方がうんと低いわけで、なんなら私はその人がそんな風に感じる人生最後の人かもしれないとかなり危惧さえしているけれど、でも私はこの2年の全くおめでたくない展開を前にしても、その人を知らない人生よりその人を知った人生の方が比較できないぐらいに素晴らしいと感じている。




ノムと電話したある日のこと。

出だしに「今お昼ごはん食べ終わって落ち着いたところ」みたいなノムの挨拶的な話があって、私はそこに速攻食い付いた。

「ねぇねぇ、今日は何のトーストだったの?」

「今日はね〜、この間残ったカレーにチーズをのせた、カレーチーズトーストだったよ」

残り物をのせてチーズトーストにする、というところに私はより一層食い付いた。

残り物ということは、そのカレーを何日か前に食べているわけで、そのカレーチーズトーストを食べながら、何日か前に食べたカレーライスも同時に思い浮かべながら食べるだろうその様(さま)に、私は本気で羨ましくなった。

今日という日だけに存在しているチーズトーストではなくて、過去のいつかにも繋がっている今日のチーズトーストというのが本当に素敵だった。

しかも、ミッチーがミッチー1人だけなら適当にしか食べないのに、ノムがいることでおいしいごはんを作る人だと知っているからこそ、単なる余り物ではなくて、ノムと一緒に食べるために作ったごはんの余り物で、余計とこの話にさらに素敵なスパイスが加わる。

そんな感想を言っていたら、ノムが付け足して教えてくれた。

「ほら、煮物とかすると煮汁が余るじゃない?その煮汁がおいしいと、捨てるのがもったいないのと、それをトーストの隠し味に使いたくなるんだよね。
だからミッチーに『煮物の煮汁をトーストの上にのせて、“これ明日のトーストに良くない?”』とか言って、取っておいたりするんだよねー。
それって【明日も一緒に食べてることが前提の話になってる】。
僕にとって、煮物の煮汁を明日のトーストの隠し味に残そうってミッチーに言うのは、【明日も一緒にごはん食べようね】
っていう暗黙の了解というか、無言の約束みたいなものなんだよね」

私はこの話に完全にノックアウトだった。

明日食べるごはんの話をしたり、そのための何か残り物を上手く活用することを提案する先には、明日も生きて一緒にごはんを食べようね、ということに他ならない。

それって明日生きるのに十分な動機で、生きるモチベーションだなぁって感じる。

明日も一緒にごはんを食べよう。

ただそれだけのことがどれだけ凄いことなのか、これは年を重ねると共にものすごく感じるようになった。

明日も一緒にごはんを食べよう、それを暗黙の了解として誰かと交わすなんて、私からして一番憧れてやまないもの。

私は文章係とか魂のメッセージキャッチ翻訳係とか、そういうのに憧れは基本的にない。

私が欲しいのは、明日のおうちごはんの約束、すなわち明日も一緒に食べようねの暗黙の了解、明日もお互いに元気に生きて顔を合わせようねの無言の約束、そしてそうしたことを繰り返す日常。

そして、その日常を私は自分が本当に一緒にいたくて大切にしたいと思える人と送りたいと思っている。

その人はこれまでの他の誰とも違っていたのはそこだった。

まともに話したことさえない相手なのに、私は何度も何度も思った。

その人が年をとっていく様を隣りでずっと見ていたいって。

その人はめちゃくちゃ仕事のできる人だし、人が見ていないところでもしっかり仕事をする人だし、人としても尊敬するところをたくさん持っている。

なんだけど、私はそういうことよりも、その人がどんな食べ物が好きとか嫌いとか、抜けてるところとか、誰でも彼でもには見せない姿とか、そういう超個人的なことを知りたくて仕方なかった。

日常の中に当たり前にあるもの、同じもの、少しずつ変化するもの、そういうものを共に積み重ねることに私は本気で憧れた。

それって日々一期一会で、たとえ昨日とあまり変わりばえしない今日であったとしても、そこには今日だけの展開や今日の流れだから生まれたおしゃべりや今日だから見られた表情が必ずある。

そうしたことを共にできたらどんなに素敵だろうか、と私は思った。

それが叶わない現実に私はどこまでも落ち込んだし、そして願ってもいないオカルト的出来事がどんどんやってきてしまう自分の人生に本気で嫌になっていた。

でも、シンプルに私はそうしたものを心から望んだ。

ただただ私は明日も今日と同じように会えることを願ったに過ぎなかった。

ここには書かないけれど、ノムが私に私がどうしたらそういう人生を手にできるかもしれないか、その具体的方策を教え説いてくれた。

その内容は私がこれまで聞いたどんな言葉よりも真っ直ぐに私に届いて、万年やる気なし子みたいな私が「それならがんばりたい!」となるぐらいの、超すごいヒントを授けてくれた。

その話はこれからいつかの機会にノムとのやりとりを書く中でアップしたいけれど、とりあえず私はそれを聞いてあきらめるのではなく、その可能性を探る方向に自分を仕向けたいと思った。

ちょっと話がそれた。

私が望んだものは、その人とそういう時間を人生で積み重ねることだった。

明日も会おうね、という小さな約束を日々の会話や暮らしの中で交わすことを私は夢見た。

命あることが本当に本当に嬉しくて、それがその人がいるだけで実現するという、人生の魔法みたいなことが起こりまくっていた。

私にとってその人はそういう人だった。

大切にしたい人…。

それだけの人に巡り逢わせてもらえたのが2年前。

どうにもならない関係はさておいても、その人が大切なのは当時も今も変わらない。



手紙の2年後ー2019年9月11日

2019年9月5日木曜日

美と若さでちやほやされる





2019/09/05の夕空




生まれてこの方、外見の美や若さでちやほやされたり得したりした体験は、本当にない。

ゼロではないかもしれないけれど、あったとしても限りなくゼロに近い。

思い出せないわけだから、無いと言い切ってもいい。

そんな中、人生で最初で最後かもしれない、外見と若さでちやほやされ、さらに貢ぎ物までいただくという大快挙を成し遂げた!

ただいま40歳、シミと白髪は絶賛増殖中、体はたるみ、どんどんおばさん化する体型は自助努力足らなさすぎて、そちらも絶賛加速中。

お世辞にも綺麗だとは言えない。

世の中には、外見が驚くぐらい綺麗な人たちというのがいる。

男の人たちが美人にデレっとすることはあっても、私にデレっとすることはない。

外見勝負的な場(例:合コンや婚活パーティー)に行くと、間違えても私に人気が集まるなんてことは一度も体験したことがない。

これまで付き合った人たちというのは、今でも私は、その人たちの趣味嗜好がかなり変わっていたんだと思っている。

私が選ばれたのは、私の容姿ではなく性格が気に入ったという方がどう考えても強い。

自虐ネタではなく、本当に私は外見に関してはかなり言葉で暴言を吐かれたり、本気のブス呼ばわりされたり、それも1人2人じゃなくて何人か知らないけれど、けっこうな男性の人数と回数を経ているから、その辺りは今ようやく少しずつ話せるぐらいだけど、もう少し前なら私は話せなかった。

今だってこうして書けるけれど、同じことを対面で誰かに話すとなったら、私泣いてしまうんじゃないかと思うぐらい、多分普通に平然とは話せない。

そんな風にこの年まで年を重ねているから、自分の外見や若さを武器に何かを得るなんていうことは一度として体験してこなかった。

そんな私に今日3回も旋風が巻き起こった!!!

絶対にブログを書こうと思って、私は仕事中ゴミ袋をあさって適当な紙を探して、わざわざメモまで書いた。

言われた言葉を忠実にメモして、これからそれを元に書く。




米収穫所で私は何をしているかというと、農家さんが刈った米穀を軽トラや2トントラックで運んでくるから、その運ばれたものたちの最初の受付をしている。(広大な駐車場での作業)

軽トラや2トントラックが駐車場に入ってきたら駆け付けて受付して終了。

ひたすらそれを繰り返す。

まず1人目の人。

「今年は受付嬢、若い人揃えてるね〜」

私は単純に、「受付『嬢』」と呼ばれたことと、若い人と言われたことがめちゃくちゃ嬉しかった☆*:.。.٩((*⁰▿⁰*))۶.。.:*☆

本当に『☆*:.。.٩((*⁰▿⁰*))۶.。.:*☆』こんな感じの気持ちだった。

ちなみに受付嬢たるもの、すごい格好をしている…( ̄∀ ̄;)。

汚れてもいいTシャツにジーンズ、日焼け防止のアームカバー、首にタオル巻いて、それらの上にエプロン、目深にかぶる色褪せた帽子、そして汚くなってもいい薄汚れたスニーカー。

色気もなければ若さはもっと感じられない。

同年代の男性たちもいるけれど、全くおかまいなしにその格好で出勤して1日仕事をしている。

そんな風なのに、「受付嬢」と呼ばれ、「若い」と称された。

私より年配の過去に雇用された女性陣の皆様どうもありがとう!だった。

40歳になってから、「若い」と言われるなんて、想定外の出来事だった。

自分の人生で自分が「受付嬢」などと呼ばれるなんて、想像さえしていなかった。




2人目の方はさらに素晴らしい言葉を投げかけてくれた。

「なにね、今年(の受付)は、選び抜かれた綺麗な人ばっか揃えてる!」

農家のおじさんはニッコニコで私にそう言ってくれた!

朝からすこぶる元気が出た♪─v(≧∇≦)v─♪

運転席のすぐ隣りまで駆け付けるから、至近距離で見ているのに、「綺麗な人」とお世辞でもいいから言ってくれる!

綺麗でも可愛いでもないけれど、年齢層高めなところにいるおかげで、私の外見的株が上がる上がる 笑。

ちなみに今日の受付嬢三人娘は、37歳と40歳と45歳の、他の人たちに比べたら明るい人ばかりで組まれていた。

私は明るい人種ではないけれど、そこでは挨拶や対応は普通に明るく元気よくするようにはしているから、明るい部類にもれなく入る。

ちなみに、綺麗や若いや受付嬢と言われたのは私だけでv( ̄∀ ̄)v、あとは2人のうちのどちらかのおじさんが最終受付の時に、45歳の一番明るい人に「今日はみんな若い人たちからご教授してもらって良き学びの日だった」と言われて帰られたようだった。

私より他の2人の方がどう見ても綺麗な顔立ちをしているけれど、その素敵な言葉をいただけたのは私だった。

お世辞でも挨拶でもリップサービスでもいい、本当にそれだけで気持ちをとっても明るくしてもらえた。




3人目は、フォークリフト担当のおじさん。

このおじさんはいつもおちゃらけていて、セクハラ発言ラブな人。

これがちっとも嫌な感じがしない。

「暑いろう?ここで服脱げてー」はもはやおつかれさま代わりのご挨拶。
(「〇〇てー」は「〇〇したら?」の方言)

人徳だと思うけれど、本当に全然いやらしい感じがない。

これは個人的に思うけれど、男の人は年齢問わずむっつりスケベな人よりもオープンな人の方が健全な印象を受ける。

さてこのおじさん、なんと今日、私たち受付嬢3人娘に、自家製枝豆をこっそりプレゼントしてくれた。
(自分のことを「受付嬢3人娘」などと言う機会は、残りの人生で一度もないと思われるから、今日だけは存分に使おうと思う 笑!)

本当に気に入ってもらってるようで、私たちのところにそれだけを言うためにわざわざやってきた。

この後、写真を付けるけれど、感動的な量とそこに至るまで手間暇かけられたことがわかってもらえると思う。

おじさんは、朝出勤前に自分のところの多分広大な土地と思われる畑に行って、そこで写真の3倍量の枝豆を採って、それをたずさえて出勤してきた。

そして、少しでも美味しい状態が保たれるように、直射日光の当たらない倉庫の片隅に保管しておいてくれた。

私たちが行って見てわかるように、絶妙な場所に置かれていた。

「良い枝豆じゃねっけん!」(=良い枝豆ではない)と連呼していたけれど、それは多分市場に出すにはB級品という意味でも、味は絶対に間違いないと思う。

そもそも、春先から何ヶ月もかけて手塩にかけて育てて、それをただ私たちのことが気に入ったからという理由だけで持ち運ぶんでプレゼントするなんて、軽い気持ちでできることじゃない。

朝もそのためにわざわざひと手間かけているし、到着してからも枝豆たちを少しでも良い場所に避難させて、それで少しでも良い状態で私たちにプレゼントしようと心と手間を込めてくれた。

その心意気が本当によく伝わってきた。

枝豆も嬉しかったけれど、それ以上におじさんのしてくれた心くばりの方が嬉しかった。

家に持ち帰って、早速もぎ取って茹でた。

朝採れの枝豆を食したのは生まれて初めてだった。

そして、人生で食べた枝豆の中でいっちばん美味しい枝豆だった。

全部もぎ取ったけれども、大きなボール2つ分あった。

今日茹でた量が、どん兵衛とか赤いきつねとかのカップラーメンの容器いっぱいに入るぐらいで、母いわく、それが今スーパーで298円ぐらいらしい。

ぱっと見、その10倍あったから、3000円相当の枝豆をもらってきた計算になる。

受付嬢3人分合わせたら1万円!

おじさんの気前の良さにうっとりしながら、美味しい枝豆をたくさん食べた。

明日は休みで、枝豆ごはんを炊こうと思っている。




今の米の仕事場での話をいつかブログに書きたいとは思っている。

枝豆おじさんといい、他の年長者たちといい、私は本当に周りの大人たちからかわいがってもらってる。

勤務何日目かに突入した今、日に日にそのありがたみを実感している。

自分が40にもなって、自分の親寄りの年上の人たちからかわいがってもらえるなんて、もしかしたらこれが最後かもしれないな…と思ったりする。

自分もいい年した大人で私がお節介やく立場にも年齢的にはなりつつある。

なんだけど、今のところでは年の離れた方たちも何人かいて、その方たちから色々かわいがってもらっている。

感動して泣きたくなるぐらいによくしてもらっている。

年長者らしいクセの強さもあるけれど、そうであっても他の側面では私なんかはめちゃくちゃ良くしてもらっている。

自分をかわいがってもらえるというのは、人生の中でもうそんなに多くは体験できない。

本当に大切なものをいつもプレゼントしてもらってる気分になる。






2019年9月3日火曜日

お家デートメニュー

ドミニカ共和国の主食の1つ、食用バナナ
プラタノ[plátano]


プラタノを素揚げしたドミニカ料理
プラタノ・フリト(plátano frito ー「プラタノ揚げ」という意味)
名古屋にいた頃に近くのスーパーでプラタノ見つけて、買ってきて作った。



初めて男の人を家に呼んで手料理をふるまうなら何が良いか、という記事があったから読んだ。

読んで、どれもこれも頭を悩ますメニューばかりで、私なら絶対に作らないものだった。

・カレーライス
・オムライス
・おでん
・鳥の唐揚げ
・シチュー
・餃子
・肉じゃが
・ハンバーグ

このすべてのメニューにおいての共通項、それは男性陣、外で食べ慣れてる。

外で食べ慣れてる=「その料理のおいしいや正解を知っている」。

いきなりハードル高すぎでしょ?と思った。

これらすべての難易度の高さは色々理由があるけれど、いきなり初回から「副菜は何にするの?」問題満載のものばかり。

おでんとか、私が作るなら基本おでんだけだけど、何を副菜にしろと?

上の中でもおでんは群を抜いて難しい。

しかも、味染み込ませるのに半日がかりですけれど、これ前日から仕込みですか?みたいな。

カレーライスやオムライスも、何?サラダ付けるの?みたいな。

それだけ出して「それだけ」と思われても嫌だし、変に力入れて「何この気合の入り方…」と引かれても困る。

しかも、サラダって仮にドレッシングをかけるタイプが店なんかではよく出てくるけれど、ドレッシングはどうするのかと思う。

基本的に、ドレッシングを常備したことがないから、いまいち何をどうしていいのかわからない。

あと、オムライスとか成形する必要のあるものは、ことさら難易度が高い。

私はあの包むタイプのオムライスが自分が本当に下手くそすぎるのを知っているから、自分用にさえ作らない。

せいぜい作っても、フワフワ系のオムレツもどきを作って、ごはんの上にのせるだけ。

オムレツもどきと言ったのは、ここでも成形の下手さが出て、まぁ分類するならオムレツ、火が入りすぎたら卵焼きみたいなね。

とかいうレベルのものをいきなり出すとかありえない。

よって却下。

鳥の唐揚げ、餃子、ハンバーグはことさら難易度アップ。

男子定番ランチや飲みに必ずトップ3狙えるようなメニューと、なんでわざわざ勝負ではないけれど、勝負メシにしなきゃいけないのか。

しかも3つとも肉汁ジュワーみたいなの期待されても困る。

あれ超難易度高くてやり方知らないし、でも男性陣食べ慣れてる人たちは肉汁ジュワー系を頭に思い描くだろうし。

家庭料理的なクオリティーを求めてもらわないと困る。

唯一その中でもそこそこ上手に作れるというか包めるのが餃子。

餃子だけは、私はプロから習ったから本当にやり方がとっても上手い!

料理教室に通ったんじゃない。

子どもの施設で働いていた頃、毎年ラーメン組合の方たちが来られて、ラーメンと餃子を子どもたちに振る舞うという素敵な行事があった。

ある年(というか毎年結構な高確率で当たっていて、子どもたちから「ぶっちゃん毎年当たってるよね!っていうか(勤務)希望出してんの?」とまで聞かれていた←もちろん違う)、餃子作りの担当から入ることになって、あくまでも子どもたちの見守りの係のはずが、子どもそっちのけでラーメン組合のおじさんを独占して包み方を教わったという…。

元々の不器用さがそこでも存分に発揮されて、子どもたちが上手く包んでいるというのに、大人の私が1人手こずって、よっておじさんは私のマンツーマンレッスンの係になった…。

もはや誰のための何の慰問なのか全くわからない状態になってしまった。

そんな風な機会を勤務中に見事射止めて、私は餃子包みだけはやたらと上手くなった。

今も餃子はよく作るけれど、こういうところがザ・テキトー人は、毎回味付けがテキトーで、だから「超おいしい!」って時と「今日いまいち」というおいしいけどおいしさ足らずみたいな時と色々あって、出来上がりが安定しない。

そういうのも避けたい。

シチューもいいけど、おいしいけど、何が副菜?と思う。

家で作ると、その時の食糧事情で大きく変わるから、下手すると、シチュー(洋)、春雨サラダ(中華)、卵焼き(和)なんて組み合わせも平気で私はするから、そうではない王道の献立がいまいちわからない。←困ったらクックパッド頼るしかない。

どれもこれも難易度高い中、その中の最高峰は肉じゃがだと思う。

肉じゃがは、各家庭によって味付けが全く違う。

使う肉も違えば、野菜の切り方も違う。

一般的に、独身男性たるもの、一番食べ慣れてる肉じゃがはお母さんの肉じゃがだと思う。

何をいきなりど出発から、相手のお母さんの味と競うというか、最初からどうやっても勝てない料理をそもそも出さなきゃいけないのか。

しかも肉じゃが、手間暇かかるけれど、これこそ肉じゃが1本ってわけにはいかない。

絶対に副菜がいる。

ものすごい余談だけど、20代の頃、男友達と恋の話をしていた時に「ごはん今度誘われてるんだけどさぁ…」と始まって、当時友達はそこまで本気ではなく、私が「相手は本気なら、ましてや料理苦手なら、肉じゃがくると思うよ!来たら本気だと思った方がいい!」と笑いながら言ったことがあった。

後日連絡が来て、「本当に肉じゃがが出てきた」と言った。

友達は「もうゆっくり味わって食べるどころじゃなくて、その相手の本気度を目の前に自分はどうしようかとそればかりが気になった」というようなことを言っていた。

肉じゃがと読んで、真っ先にこのエピソードが頭に浮かんだ。

ますます肉じゃがはないわーと思った。

で、そこまで好き放題分析した後、自分がもし今後そのような機会に恵まれたらどうするんだろう…と思った。

まずは「名も無き料理」と考えた。

名も無き料理は、正解がない上に食べる側も食べ慣れてないから変に比べられることもない。

あとは「作り慣れている料理」。

作り慣れてないものをいきなり作る、それこそオムライスを作るなんてトホホなことになり兼ねない。

何を作るかはさておいても、もしそんな機会が巡ってくるなら、その2つが条件だなぁと考えた。

そしてそこまで思い巡らせて、はたと気付いた。

「これから生きていく残りの時間で、そんな超まれな機会なんてそもそもあるんだろうか?」と。

1番の難易度は、そもそも誰かと出逢って、知り合って、じゃあうちに来てごはん食べる?なんていうシチュエーションを迎えることじゃないかと思った(ΦдΦlll)( ̄∀ ̄;)。

さらに、そういう状況ってそもそもどういう流れでそうなるの?と思った。

過去にそうなった時はいつのまにかそうなっていたし、男友達も何人か来てくれたことがあったけれど、それは毎回「名古屋行くからぶっしーんとこで飲もう!」とかそういう流れだった。

コーチングスクールで知り合った男性たちは、練習兼ねたり深い話を兼ねたり、はたまたよくごはんやらをごちそうになっていたから、そのお礼で家ごはんだったから、デート仕様のわけもなく、そもそもそういうのじゃないから、女友達が来るのと全く同じ感じの対応だった。

40も過ぎてから「家デートをもし本当にするなら、どう誘って何作るんだろう?」なんて考えてる自分がなんだか可笑しくなってきた。

永遠にやってきそうもない機会に若干意気消沈しながらも、こういう文章を久しぶりに書いて満足!

ここから先はいくつか深い話が続く予定だから、こんなおちゃらけたことは書けない。

あぁ遠い目になりそう…。

これから書く予定のことたちは、ミラクル満載で、それらはマッハで叶っていったり、普通数年かけて起こりそうなものがたかが数日で起こったりして、そちらの速さは半端ない。

それはもう魂の設定なんだろうと認めざるを得ない。

なぜなら叶うしスムーズだし、そして私が抵抗しそうな中で一番抵抗少ない形でやってくるから。

一方で、好きな人でもパートナーでももはやそういう人たちに知り合える気が全くしない。

そして猛スピードの魂事案を見て、しょっちゅう思うのが、「私、今生独身を貫き通す設定なんじゃ!?」というもの。

魂側の都合からすると、独身でいる、それも究極に誰とも生きる時間を共にしないことが一番助かる設定みたいな……ガクブル((((;゚Д゚)))))))。

超がつく孤独が常に自分の日常にあることで、心理的な学びもじゃんじゃん深まるみたいな…((((;゚Д゚)))))))。

自分でも分析しまくりなこの回路を何とか止めたいところだけど、今現在起こっているあれこれを見た時に、すごく有り難いけれど同時に絶望も一緒に味わうみたいなことがあって、その辺りも書こうかと考え中ではあるけれど。

書かない可能性もあるからちょっとだけ言い添えると。

この後書くことの1つに、直近で書いたノムの魂からのメッセージがある。←これは確実に書いてアップする。

そのメッセージを受信した時(その時は受信してるとは知らなかったけれど)、感覚的なところが超重要で、その感覚部分の回路に大貢献してくれた人物がいる。←こちら側は書かないかもしれない。

感覚部分の回路には、ある人との出逢いが大きく関係していて、私はその人にもし出逢わなければ、今現在の自分は絶対にいなかったと断言できる。

仮にその回路を恋愛的な回路とするなら(恋愛の回路ではないけれど、世の中にある言葉で一番近い表現が恋愛だと思う)、私の場合、回路さえきちんと開けば今回のようにメッセージの受信ができるわけで、とにかく全身全霊で自分の細胞という細胞で何かしらキャッチしたものが誰かの魂からのメッセージなんだとわかりつつある。

で、何が言いたいかというと。

回路自体はおかげさまで既に開いたから、ここから先は開くことのために必要なのはあと自分の力だけなのと、それをどんどん開くのにノムのような存在は必要でもそれはもう本当に魂の関係って感じで、魂同盟のメンバーと共同作業みたいな。

で、もしかして私というのは、このオカルト体質に対してそれだけをひたすら引き伸ばすみたいな人生の設定ならば、回路を開くのに協力してくれた人物との出逢いはもう過去のものとなって現実的には終わったわけで、それで完了ならばその人以降パートナーとか好きな人とかに新たに出逢うこともないのかもしれない。

仮に出逢っても、今みたいに私からしてよくわからない魂事情が稼働すれば、そこで完了なわけで、私が望むようなパートナーと共に暮らすとか、共に生きるとか、そういうことからは程遠い体験だけがまた山のようにやってきて、結局のところ1人で生き続けるみたいになるんだろうか…とどこまでも暗い発想が続いていく。

だから、私としては「家に呼ぶなら何作ろうか?」みたいなことにエネルギーを使いたいし、自分の命の時間も使いたい、本気でそう思ってる。

なんだけど、現実に今私がエネルギーを使っているところは、魂からのメッセージの受信能力とそれの磨き方等、すっごい大事なのはわかっているけれど、なんかそれじゃないんだけど、私の欲しいもの…と相変わらず往生際の悪いことを思っている。

仮に今日でも明日でも一人暮らし再開となっていつでも誰かを家に呼べる条件が整っても、私のところに来るものは魂絡みの何かであって、「おうちデートのために買い出し行かなきゃ♡」とかではないんだろうなぁと思う。

暗い暗い暗い…、本当にどこまでも暗いから、この話はここでおしまい。

恥を忍んで、この夏に作った1人ごはんの公開なんぞ…。

・卵トースト(これが1人で食べる時に一番食べやすい方法)
・大好物の生春巻き
・簡単豆乳リゾット(所要時間5分)
・盛り付け雑だけど、おいしいナポリタン

ヤマザキのパン祭の皿が多め…←昭和の母の象徴なのか、田舎の流行なのか、みんなこぞってパン祭の点数集めて交換している。ちなみにパン祭の皿、耐久性は天下一品!






2019年9月1日日曜日

米と自然のリズム






コンテナーたちと米専用の建物
その近くの田園風景と晴れた日の夕空




何十台の軽トラを繰り返し繰り返し見送った。

農家さんの運搬用の車だからそんなにキレイな車内ではない。

なんだけど、そこには生きることが根付いているし、日々の営みも感じる。

本当に汚い車内も何台かはあったけれど、それさえも命の証、生きることの証みたいだった。




そもそも米の収穫をしてるトラクターや農家さんはあちらこちらで幼少期から見たことあるけれど、その後どうなったのかは見たことがなかった。

刈られた後、その米たちがどこにどんな風に運ばれていくのか、今回初めて知ることとなった。

本当に圧巻としか言いようがない。

私が今行ってる大きな米倉庫的な建物は、ネットで調べたら「米穀の乾燥・調製・貯蔵ができる施設」とのこと。

内部的な仕組みは全くわからないけれど、私がしているのは、米農家さんたちが収穫した米(米穀)を搬入する際に受付する最初の部分。

しかも今回はその最初の受付部分をここ3回の出勤で毎回担当しているから、農家さんから直で話を聞いている。

社会論者になる気はないけれど、食物破棄の話が頭をかすめる。

農家さんはそんなこと言わないし、ひたすら刈った稲たちとそれに伴っての自分たちの動きのみの心配をしている。

今回仕事して知ったことの1つ。

個人で家族で食べる分ではなく、世に流通させる米を作る農家さんの場合。

まず、ある程度の米の品種別稲刈りの時期に合わせて、米収穫所(農協)の稼働日が決定する。

品種別に刈った稲の持ち込み日が決められている。

私が行っているところは主に2種類で、今はそのうちの1種類だけ。

その持ち込みに関して、ものすごい細かいルールがあって、まずは天気を見ていつでも稲刈りをしていいわけではなく、持ち込みに際してうんと前から事前予約が要る。

機械で米の処理をしていく関係上、みんな好き放題に持ち込めるのではなく、機械の稼働許容率みたいなのを超えないように調整する必要がある模様。

事前予約の時点じゃ当然天気なんか読めない。

晴れに当たれば超ラッキーだし、雨で刈れなければ順延になる。

今年はこの秋雨前線の影響で新潟県は日照時間が極端に少ない、例年の6割程度とかに落ち込むと気象庁から8月の終わりに発表がなされた。

当然予約していてもダメになる。

雨で刈れないのは、もう何日も見ている。

今のところ稼働率50%の確率、イコール50%の雨の順延率を誇っている。

予約してもダメだと、また次へと移動になる。

今日(8/31)たまたま見たシーンで、おそらくこの1週間ぶり以上の晴れの日を見て、明日刈りたいとなった農家さんが電話をかけてきてる風だった。

電話で話してた男性職員は、事情を確認した後、みんなそうやって予約がずれて後に後に回っているから、そこを割り込んで入れられない、よってお宅も今出ている日程の再予約の一番後ろに回ってもらうことになる、申し訳ないけれどそうしかできないと説明していた。

だから、今日みたいなピーカンな天気でも、刈れないと知った。

それだけでも細かなルールに十分値するのに、今度は当日もまた細かなルールがある。

コンテナーの写真があるけれど、あれを軽トラに積む。

あれは貸出で、貸出のものは朝の8時から受付で、今日は15時までの貸出受付だった。

数百単位のコンテナーがあっても、機械が間に合わない。

収穫された米(もみ殻)は、大きな機械にかけられて、そして写真の中の建物の貯蔵庫のどこかにいくんだと思う。

その機械に投入するところのスピードは決まっていて、仮に貸出時間を延ばしても今度は機械の方が追いつかなくて、コンテナーの空きを作れなくなるらしい。

見ていてわかった。

午後2時頃にピークとなった数十分、コンテナーがとうとう足りなくなって、機械に投入されて空になったものから積むという非常事態になって、当然早くても3分前後は1つの空のコンテナーを作るのにかかって、当然搬入&コンテナー借り出しにきた農家さんみんなが待ちになって、数十台の軽トラの大行列がなされた。

私はその農家さんたちのコンテナーの搬出入がなされる場所の最後の誘導部分の係をしていたから、だから全員の農家さんと話ができるポジションにいた。

何せコンテナー貸し出しが午後の3時までだから、田んぼで稲の刈り取りはいくらでもまだできても、今度は運ぶためのコンテナーがない。

刈ったものを家の倉庫とかに保管するとかいうわけにもいかないから、確実に搬入できる分しか刈り取れない。

多くの人たちは、その大混雑を前に私の近くまで来ると、田んぼの現場の人たちに電話を1本入れて、もう少しやるかやらないかの連絡を入れてた。

何人から、「もっと刈りたいけれど、今日はもうダメだね」という言葉を聞いたことか。

何せ収穫所に到着してから、平均で30分、長い人は1時間以上の待ちになって、とにかくここで時間ロス、普段ならそれで倍から3倍の搬出入ができても、時間がそれを許さない。

そうやって本当に細かく規制された決まりの中で、各農家さんは稲の刈り取りをして搬入をしていた。

そしてそういうものが、流通されて、食卓に並ぶごはんばかりじゃなくて、それがせんべいになったりコンビニなんかのおにぎりやお弁当の米になったり、色んなものに変わるようだった。

流通先は全く知らないけれど、その中でもおせんべいは確実のようで、新潟県内のわりと大きな米菓会社のB級品のせんべいたちが農家さん経由で大量に私たちのおやつとして寄付されていた。

今目の前にあるお米の元がいつかはそうなるんだと知った。

それは気の遠くなる作業で、そんなに細かなことを経て私たちの口に食べ物として入るんだと思ったら言葉がなかった。




私は食べ物破棄とかベジタリアン志向とか、そういうテーマに丸っと関心がない。

ないけれど、いつもそういう話をニュースなり直接なり聞くと違和感があった。

机上の理論みたいな、どこか地に足の着いていない話みたいに感じる。

マクロビやベジタリアン志向の人の話や糖質オフの話も、実践している人は多いだろうし、それを真っ向から否定するなんて怖くてできないけれど、私が今回したみたいに現場の最前線、一番のスタートライン(生産者側)に立って農家さんたちとおしゃべりすると、本気で色々考えさせられる。

もし私がそうした志向の人だとするなら、とてもじゃないけれど、自分の主義主張を貫き通すなんてできない。

なぜなら、その人たちは本当に文句の一つも言わずに黙々と自然の流れに合わせて動いているから。

一番のスタートラインである生産者の方たちのあり方を見たら、人間側の偏った知識の偏った主義主張をするのは、本気でかなり恥ずかしいことだと感じた。

その人たちが今の世の中の主流みたいに、人間様のごとく人間ありきのリズムで動いてしまったら、日本のスーパーも飲食店も全て破滅する。

どういう気持ちで米農家をされてるのかは知らない。

イヤイヤ先祖代々の土地を引き継いだ人たちだって絶対にいると思う。

だけど、どの農家さんも本当に米というものに対して、そして自然に対して、ものすごく真摯に向き合っていられたのがとっても印象的だった。

農家さんたちとの会話はものすごく面白かったから、印象に残った話ややりとりを紹介。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

*「九州の大雨に比べたら、この程度の雨で済んで本当に良かった。あんな風になったら、全部が水の泡だよ」

雨がずっと続いて大変でしたねと言ったら返ってきた言葉。たしかに雨は降り続いていても、大災害からは免れている。無事に稲刈りまで来れたことそのものをきちんと感謝している風に聞こえた。
口だけの「ありがとう」ではなく、言葉はないけれど、ここまで来れたそのものにきちんと敬意を払っている、そういう無言のメッセージが伝わってきた。



*「自然のことだから人間にはどうにもできない」

天気の話はかなりな人たちとした。その中の1人の方が返してきた言葉。本当に最前線で自然に向き合っているから、私がここに書くと超薄っぺらくなるけれど、本当はすごく重みのある言葉だった。



*「あんたを責めてもどうにもならない。あんた責めて何とかしてもらえるなら、いくらでも責めるけどさ!わはは!」

「この時期は仕方ねぇさ」

「みんなが一斉に刈って、毎年のことだから」

などなど、何よりビックリしたのは、誰一人としてこの搬出入の大渋滞を責める人がいなかったこと。
私も必ずどの人にも「長いことお待たせしてすみません」と一言添えていたけれど、全然誰からも責められなかった。私が一言すみませんと言うのが相応しいのかどうかはわからないけれど、その一言が挨拶となって場が和むなら私はいくらでも言うよ!という感じで使っていた。もちろん、私のことも他の誰かややり方を責める人もいなくて、親切に「他の連中に『これで終わり』だってアナウンスして受け付けた方がいいよ、そうすりゃみんなも混乱しなくていいし、適当なところで(稲刈りを)止められるからさ」とか言ってくれる人までいた。

2、3ヶ月前?、ウン十億円売上を上げる工業関係のイベントのフードコート的な場の大行列の対応の時と大違いだった。
この食べ物は、協賛会社が出資していて、お客さんの大半は無料メシを食べれるようになっていた。
どうしても昼時は混むし、客側の列を正す人員もいなくて、クレームや怒りは全て受付の私のところに向かってきた。もちろん大半の人たちは理解してくれたし、みんながみんな怒ってるのとは違っていたけれど、やっぱり気持ちの良いものでは決してなかった。
今思うと、生産者の方たちというのは、とにかく自然の流れで産み出すものに関して、絶対にとやかく言わない。みんなが同じ事情なのも承知しているし、とやかく言ったって機械が追いつかないのは繁忙期仕方ないと、心から理解している。
第三次産業に慣れた今の日本は、人間が作った人工的リズムが当たり前で、第一次産業の自然と一体化するリズムは、そこに関わらないと存在感がものすごく薄く感じてしまう。でも、たまたま食べ物にまつわる「行列」というものを私は双方経験して、何でもそうだけど、生産者あっての、自然の恵みあってのすべてなんだと気付かされる。



*「あなたもここさばくの大変でしょう。ほんと、おつかれさま!」

「熱中症気をつけて!水分しっかり摂って倒れないようにね」

「お互い大変だわなぁ。そっちも大変だろ!」

そんな風に、私に労いや心遣いの言葉を向けてくれる人たちもけっこういた。それが本当に心から出た言葉だというのがひしひしと伝わってきて、短い会話の中から私は色んなものを農家の方たちからもらった。

小さな気遣いで、あってもなくても困らないものだというのもわかる。
だけど、けっこうな非常事態の時に、そうした心のやりとりができるのは、本当に心に響き渡る。それを知らない世界より知っている世界の方がうんと豊かだということも体感する。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




行く前は、どうしてこの仕事に行けることになったのかわからなかったけれど、この仕事は本当にものすごく面白い体験が満載で、私は今のところ全く飽きることなく、日々お楽しみのように出かけている。

「心の癒し」に絡めてあと2つは書きたいことがある。

そう、まさかこの米の仕事が心の癒しを生むことになるなんて思ってもみなかった。

ノムとのやりとり(こちらは超スーパー高濃度・心セラピー)や書く仕事なんかも、全部色んなことが今同時進行的に動いている。

一見お互いに何の関係もないみたいだけど、私が予想するに、多分水面下ではお互いにものすごく影響し合っていて、通常起こらないスピードで癒しが起きていると思っている。

だから自分の備忘録も含めて、今現在起こっている色んなことを記録に残したいと思っている。