10月4日(木) 1:28
「断捨離をしよう」
今日1日の目標を「夜気持ち良く眠れる部屋にすること」だった。
普段こんなことしないけれど、流れを変えるためにちょっと違うことを日常に取り入れた。
布団を敷く直前になって、畳の上に置かれている小物たちが目に付いた。
とりあえずまとめてクローゼットに押し込むという暴挙で何とかした。
だけど、クローゼットも使い方の問題で、思うようなスペースになっていない。
そこで明日の目標は「断捨離」になった。
10月4日(木) 14:22
嫌な予感的中。
物を広げすぎて収集つかなくなり、そして現実逃避の心が眠気を誘う。
理想はあっても細かな計画を立てられないから、予想通り物だけ広がって、始める前より汚くなった( ̄▽ ̄;)。
そして思った以上に捨てるものがないこともわかって、それはすなわち物を減らすんじゃなくて物を動かしてスペースを作るということ。
超苦手な整理整頓をしないと片付かない…。
無計画の整理整頓は、思わぬ落とし穴が多すぎて、とりあえず計画を立てるところから始めよう→横になってリラックスしよう→(そして近未来)寝落ち確定…。
そして今回かなり懲りて、物はやっぱり増やしちゃダメだとわかった。
なぜなら管理ができない。
しかも私の増えるものたちは、要はどう普段片付けたらいいのかがわからない。
とりあえずぽいっとクローゼットとか、ぽいっとなんでもボックスという流れは止めよう。
そして今回よく観察したら見えてきたデッドスペースを発見。
1m×1m×1mの空間がある。
そこを使うには、使用頻度が半年に1回ぐらいの段ボールを積み上げるのが良いのかと。
ちなみに今はその前の段階で挫折中。
昨日の夜の快適な「物がない環境」を継続したいから、今回は少しがんばろうと思う。
さすがに毎日クローゼットへ押し込む作戦は疲れるし手間だから、それを簡単にできるようにクローゼットをきれいにしたいー。
10月4日(木) 20:50
寝落ちは本当に計画通り進んで(-.-)
次なる暴挙に出た。
4箱同時に段ボールオープン。
どう考えても危険なのはわかっていたけれど、自分の中で計算をしてみた。
開けることのない小さめの段ボール…ここには本当に多分これから1年触りそうにもないものたちをイン。
そのための選別のために、どうしても他の3個の段ボールの中も見る必要があった。
おかげでそれだけは片付いた。
残りの3箱も仕分けを考えた。
本当にノートだけのノート専用箱。
適度に開ける箱。
半年〜1年後に開けたらいいかなという箱。
私にしては超画期的な計画で、計画は良かった。
中身も出した。
頭の計画と現実の箱の埋まり具合に大きな誤差が出始めて、もう頭での計算は嫌になった←今ここ。
昨日クローゼットに押し込んだだけあって、最低限布団を敷くスペースはある。
もうやる気が失せた今、今日はすごい荷物たちに囲まれて寝るでもいいんじゃないかと…。
ちなみに、本をほとんど読まなくなった今、占星術関連の本以外は基本的に段ボールの中へ入れることにした。
手元にある本は「こんな本持っていたっけ?」とならないぐらいに減ったから、そこはこの数年の自分の断捨離効果を感じる。
私が捨てられないものは「思い出」にまつわるものばかり。
断捨離の本なんかはそういうものの捨て方をよく紹介しているけれど、私はそれに関しては自分のやり方の方が好きだからこれからも処分しないと思う。
写真に収めて捨てる方法もある。
だけど、やっぱり物には勝てない。
物に触れるとそこには当時の思い出や時間が蘇る。
基本的に嫌な気分になるものは片っ端から捨ててるから、残っているものたちは気分の良いものばかり。
もしくは当時は苦しくなっていてもあの経験があって良かったというものとか。
それは取っておく。
何せ何年にも渡って断捨離して残してきてるものだから、その都度目に触れて、場合によっては読んだりする。
今回は30歳の誕生日のお祝いメッセージが出てきた。
何度読んでもいい。
癒しの言葉が並ぶ。
10人からもらったメッセージは、本当にありきたりではなく、私に向けられたもので、私の色々な性格も丸っと受け入れてくれてた。
それはかさばらないけれど、そういうのは捨てられない。
何歳になっても私は自分の手元に置いておきたい。
それはいいとして、積み重ねられた物たち…。
こういう細かな作業も将来はロボットがしてくれるんだろうか?してくれたら嬉しいなぁと思う。
多分無理だと思う。
はたから見て同じものたちでも私にはそれぞれ使用頻度や重要度が異なる。
そんな私の脳内の分別を読み込んでロボットが動いてくれるとは思えない。
そんな画期的なロボットが誕生するなら、生きているうちに体験してみたい。
10月4日(木) 22:33
さっき少しだけ物をその段ボールたちに詰め直した。
畳が少しだけ見えてきた。
今日1日でやり切るのはあきらめた。
明日には終わらせようと思う。
自分で今見ててもわかるけれど、細かいものがとにかく片付けられないとわかった。
未だに収納ボックスの類いはないから、段ボールだけで何とかしている。
部屋の中にあるのは10箱の段ボール。
そのうち、本当に今現在使うものはそのうちの3ないし4箱。
それが片付けられない自分の整理整頓能力の低さを毎回恨めしく思いながら、でもそれさえ何とかすればあとは何でもボックスとその段ボールで何とかやりきれるはず。
現に、1つ段ボールを動かしただけで新たなスペースが生まれた!
本当に苦手だから、こうしたらここにスペースが生まれて…とかいう計算ができない。
だから新たなスペースも想定外の出来事だった。
残りの6箱は、食器2箱、布1箱、思い出の箱3箱で、それらは今触る必要ない。
ちなみに目指しているのは、
・木のテーブル
・8歳になった観葉植物
・絵や書
・小さな癒しグッズコーナー
・見せる日用品専用置き場の籐製のかご
・電気スタンド
以外は床には何もないという状態。
まるで温泉旅館みたいな、何もない部屋に憧れる。
あと少し、頭の計画や文章を書くのはいいから、とりあえず部屋をもう少しだけ片付けるための手を動かそう!
10月4日(木) 23:33
物たちを一旦いくつかの山にして畳が見えるようにした。
確実に良くなってる!と思いながら。
少なくとも始める前のごちゃごちゃ感よりかは幾分マシになっているはず。
それよりもさっき驚いて何度もチラチラ見たのが、ペンジュラム2個とオルゴナイト2個。
それらは私のお手製のコースターを座布団のようにしてちょこんと乗っている。
普段間近で見てるから、それらを遠くから眺めることはない。
遠くと言っても畳1畳分向こう側ぐらいの距離。
知らぬ間にペンジュラムもオルゴナイトも透明感が増してた。
いつからそんな風かは知らないけれど、確実に前よりもキラキラしてる!
しかもオルゴナイトに関して言えば、オルゴナイト内のパワーストーンたちの色が濃くなった。
元々針状の模様の入った石ではあったけれど、最初買った頃はボワーっとしてていまいち中がはっきり見えなかった。
だけど今はひとつひとつの石がはっきりと形を表してきたのと、その針状の模様が増えたのかはっきりしたからよく見えるようになったのかわからないけれど、確実に見た目が変わった。
ラリマールの方のペンジュラムは、青さや透明度が増して、その模様もどんどん変わっている。
頭のおかしい人みたいなこと言っているけれど、本当にそうだから否定できない。
なんなら友達に9月に会った時、友達がそれ見て「ぶっしー、それいつものやつ??」と驚いて聞いてきたぐらい。
色も模様もずいぶんと様変わりしている、全くの別物だね!と友達が言ったぐらい。
自分で今回遠くから眺めたことで、同一のものとは思えないぐらいに変わっていた。
友達が見た時よりもさらに変わった気がする。
部屋を整えたらさらにパワーアップするかも(笑)。
余談だけれど、2つのオルゴナイトのうち1つは私のものではないけれど、それが持ち主の元へ渡ったらどんな風に変化するんだろう。
もっともっとパワフルになったりするんだろうか。
それも中の石の模様が変わったように思う。
前は色だけしかなかったけれど、その色の中に模様が見えるようになった。
だから持ち主が手にしたらもっと変化する気がする。
物ってすごいなぁと思うのが、持ち主が私じゃないとわかっているから、さっきも「今動いてますか?」と聞いたらNOが出た。
私のものにはきちんとYESが出る。
私のものではない方は、まだ持ち主の元へ行ってないから、単に店から私のところへ移動してきただけで、状態は店にあった時と変わらない。
物は人間の方が鈍感で気付かないけれど、きちんと場の状況や自分が置かれている状況を見極めていると思う。
そして何の作用なのかわからないけれど、石が変容する。
だから部屋を整えると、物たちもまたそれぞれの呼吸のリズムが変わるような気がしてならない。
ということで、断捨離の続きはまた明日。
2018年10月5日金曜日
2018年10月4日木曜日
血液型と性格
○マイペース
○自分勝手
○気分屋
○深く考えない
○自分の世界が何よりも大事
○協調性が無い
○一般常識にとらわれない
上に書いたのは、B型の人が書いたB型の特徴。
「○」を付けたのは、自分が当てはまるかどうか。
オール○。
私は血液型占いを信じてないし、私の中の血液型の特徴は、
A…独自の几帳面・細かさ
B…自分ワールド
O…マイペース
AB…二重人格
こんな風だから、細かいことはよくわからない。
ちなみに私の血液型を周りからお願いもしていないのに勝手に予想されると、圧倒的にBかOと言われ、その後にABとかAが同じぐらいな感じ。
ちなみに私はA型。
そしてA型というと、8割がた突っ込まれる、「嘘でしょ?」って。
どうして自分の血液型を偽らないといけない?と言いたくなる。
しかも大体その後続けて「両親のどちらかが違う血液型のA型でしょ!」と言われる。
うちは生粋のAAのA型、なんなら家族全員A型と言うと、「嘘でしょ?見えない!」などと言われるのは何でだろう…とは常々思っていた。
そしてB型がやたらと推されるのも何でかわからなかったけれど、上の性質たちを知って納得した。
周りから見て、上の性質たちがかなり目立っているんだと思う。
たまに騙されて私を几帳面なA型と見てくれる稀有な方がいるけれど、それ間違ってるよ!と言いたくなる。
仕事では多少几帳面ぶりを出す。
でもそれはそうでもしないと自分が落ち着かないのと、極力周りに迷惑になってはいけないともはや強迫観念みたいな感じの考えに基づいて動くから。
だから元祖な部分は基本ズボラ。
私の私生活を先に知った人たちからは何人に「仕事中大丈夫なの?」と聞かれたことか。
しかもみんな冗談で聞いてこない。
私に失礼でしょ!と言いたくなるぐらいに、真面目な顔して聞いてくる。
それはそうと、B型って言われる理由がよくわかった。
気分屋というのは、基本的には気持ちの振り幅がでかいし、アップダウンも激しいから頷ける。
親しくないとそこまで出さないけれど、気分屋と言えばそうなる。
親しくても基本出さない。
出す時は自分が爆発した時。
自分でそれがわかっているから、周りに変なとばっちりを飛ばさないように相当気をつけてる(つもり)。
深く考えないわけではないけれど、話し合いに無駄を見つけると速攻でズバッと結論を言ってしまったりするから、そう見られることもしばしば。
どうでもいいことに時間が取られるのは嫌いだから、そういう時は即決即断に見えるのかもしれない。
自分の世界は大事。
これは大事にしないと自分が苦しくなる。
協調性は、ある場合とない場合がある。
しなくていい日本的な協調は好きではないから、それはしないことが多い。
例えばみんな帰っていいのに帰れない雰囲気があっても、私はすたこらさっさと帰る。
反対にこれみんなでやったら早く終わる!というような時は、積極的にそこに参加する(←自分では、こういう時の私は協調性があると思っている)。
だからなのか、一般常識はいまいち通用しない。
要は自分の基準で何かと判断しがちで、それは一般常識からは遠いことが多い。
というようなところがB型と言われるんだろうか。
ちなみに本当の血液型のA型について。
A型ははっきり言って、几帳面さや細かさは世間の人が言うほどにはないと思う。
家族も友達もA型の人たちは基本自分のこだわりの中の几帳面さはあっても、それは世間から求められているものかと言えばそうではないことの方が多いと思う。
自分がこだわっているところはその通りでないと気持ち悪い。
仕事の時に几帳面だと言われると、みんな騙されてると思ってしまう。
やたらと何かを仕分けしたり書いたりするのは、そうでもしないと大事なものを紛失したり、大切なことを忘れるからの他ならない。
そういう細かさはある意味評価が良い方に動くからいいにしても、私の変なこだわりは言っても基本理解されないことの方が多い。
例えば、鉛筆で下書きした上にペンでなぞった後、私はその鉛筆部分を消しゴムできれいに消さないと気が済まない。
これ仕事中本当にいつもやっていて、でも消さなくても誰も気付かないし誰も困らない。
だけど私は気になるからいつもその手書き書類が回ってくるとそれを必ずしてた。
反対に、準正式な書類でA4の紙を縦半分に切り分ける時、カッターがうまく使えずにすごい曲がっていた私。
でも紙を無駄にもできないから、そのまま書類箱に入れてみんなに使ってもらってた。
周りから「すごい曲がってるよね、誰切ってるの?」と言われていても、しれっとしていた。
「気になる<もったいない」となると曲がっていても不恰好でもそれを使う。
これ几帳面とは違うと思う…。
私の知ってるA型たちは、みんな似たり寄ったりで、本当に自他共に認める几帳面な人はいるかな…?というぐらいにいない。
代わりに変なこだわりがあるから、そこだけやたらと神経質みたいな。
几帳面なら、こだわりがあるB型の方がよほど几帳面だと思う。
ちなみに生粋のB型の人たちからは、私はA型に見えるらしい。
B型は自分で他のB型の人たちの感じがわかるらしい。
そして私はその基準には合わないらしい。
日本ではやたらと血液型が大きく話題に上るけれど、実はあの血液型的な性格はでっち上げのデータだといつかのテレビ番組で見た。
最初に取り上げた人が、自分の少ない親族10数名ぐらいをサンプルにして分類したのが起源らしく、当たってないのはそのせいかもしれないと言っていた。
わかる気がする…、私はそう感じた。
○自分勝手
○気分屋
○深く考えない
○自分の世界が何よりも大事
○協調性が無い
○一般常識にとらわれない
上に書いたのは、B型の人が書いたB型の特徴。
「○」を付けたのは、自分が当てはまるかどうか。
オール○。
私は血液型占いを信じてないし、私の中の血液型の特徴は、
A…独自の几帳面・細かさ
B…自分ワールド
O…マイペース
AB…二重人格
こんな風だから、細かいことはよくわからない。
ちなみに私の血液型を周りからお願いもしていないのに勝手に予想されると、圧倒的にBかOと言われ、その後にABとかAが同じぐらいな感じ。
ちなみに私はA型。
そしてA型というと、8割がた突っ込まれる、「嘘でしょ?」って。
どうして自分の血液型を偽らないといけない?と言いたくなる。
しかも大体その後続けて「両親のどちらかが違う血液型のA型でしょ!」と言われる。
うちは生粋のAAのA型、なんなら家族全員A型と言うと、「嘘でしょ?見えない!」などと言われるのは何でだろう…とは常々思っていた。
そしてB型がやたらと推されるのも何でかわからなかったけれど、上の性質たちを知って納得した。
周りから見て、上の性質たちがかなり目立っているんだと思う。
たまに騙されて私を几帳面なA型と見てくれる稀有な方がいるけれど、それ間違ってるよ!と言いたくなる。
仕事では多少几帳面ぶりを出す。
でもそれはそうでもしないと自分が落ち着かないのと、極力周りに迷惑になってはいけないともはや強迫観念みたいな感じの考えに基づいて動くから。
だから元祖な部分は基本ズボラ。
私の私生活を先に知った人たちからは何人に「仕事中大丈夫なの?」と聞かれたことか。
しかもみんな冗談で聞いてこない。
私に失礼でしょ!と言いたくなるぐらいに、真面目な顔して聞いてくる。
それはそうと、B型って言われる理由がよくわかった。
気分屋というのは、基本的には気持ちの振り幅がでかいし、アップダウンも激しいから頷ける。
親しくないとそこまで出さないけれど、気分屋と言えばそうなる。
親しくても基本出さない。
出す時は自分が爆発した時。
自分でそれがわかっているから、周りに変なとばっちりを飛ばさないように相当気をつけてる(つもり)。
深く考えないわけではないけれど、話し合いに無駄を見つけると速攻でズバッと結論を言ってしまったりするから、そう見られることもしばしば。
どうでもいいことに時間が取られるのは嫌いだから、そういう時は即決即断に見えるのかもしれない。
自分の世界は大事。
これは大事にしないと自分が苦しくなる。
協調性は、ある場合とない場合がある。
しなくていい日本的な協調は好きではないから、それはしないことが多い。
例えばみんな帰っていいのに帰れない雰囲気があっても、私はすたこらさっさと帰る。
反対にこれみんなでやったら早く終わる!というような時は、積極的にそこに参加する(←自分では、こういう時の私は協調性があると思っている)。
だからなのか、一般常識はいまいち通用しない。
要は自分の基準で何かと判断しがちで、それは一般常識からは遠いことが多い。
というようなところがB型と言われるんだろうか。
ちなみに本当の血液型のA型について。
A型ははっきり言って、几帳面さや細かさは世間の人が言うほどにはないと思う。
家族も友達もA型の人たちは基本自分のこだわりの中の几帳面さはあっても、それは世間から求められているものかと言えばそうではないことの方が多いと思う。
自分がこだわっているところはその通りでないと気持ち悪い。
仕事の時に几帳面だと言われると、みんな騙されてると思ってしまう。
やたらと何かを仕分けしたり書いたりするのは、そうでもしないと大事なものを紛失したり、大切なことを忘れるからの他ならない。
そういう細かさはある意味評価が良い方に動くからいいにしても、私の変なこだわりは言っても基本理解されないことの方が多い。
例えば、鉛筆で下書きした上にペンでなぞった後、私はその鉛筆部分を消しゴムできれいに消さないと気が済まない。
これ仕事中本当にいつもやっていて、でも消さなくても誰も気付かないし誰も困らない。
だけど私は気になるからいつもその手書き書類が回ってくるとそれを必ずしてた。
反対に、準正式な書類でA4の紙を縦半分に切り分ける時、カッターがうまく使えずにすごい曲がっていた私。
でも紙を無駄にもできないから、そのまま書類箱に入れてみんなに使ってもらってた。
周りから「すごい曲がってるよね、誰切ってるの?」と言われていても、しれっとしていた。
「気になる<もったいない」となると曲がっていても不恰好でもそれを使う。
これ几帳面とは違うと思う…。
私の知ってるA型たちは、みんな似たり寄ったりで、本当に自他共に認める几帳面な人はいるかな…?というぐらいにいない。
代わりに変なこだわりがあるから、そこだけやたらと神経質みたいな。
几帳面なら、こだわりがあるB型の方がよほど几帳面だと思う。
ちなみに生粋のB型の人たちからは、私はA型に見えるらしい。
B型は自分で他のB型の人たちの感じがわかるらしい。
そして私はその基準には合わないらしい。
日本ではやたらと血液型が大きく話題に上るけれど、実はあの血液型的な性格はでっち上げのデータだといつかのテレビ番組で見た。
最初に取り上げた人が、自分の少ない親族10数名ぐらいをサンプルにして分類したのが起源らしく、当たってないのはそのせいかもしれないと言っていた。
わかる気がする…、私はそう感じた。
iPhoneケースのエトセトラ
iPhoneのケースを手作りサイトで探してる。
これまで私はケースを使ってこなかった。
一番の理由は、火災が怖かったから。
持ち始めてすぐの頃だった気がする。
どこかのスマホが熱を持って、それが引火の原因となって、通話中耳の横で火事が起きる動画を見た。
それは事故だったみたいだけれど、実際に日々使ってあの充電中の熱さなんかを思うと別に我が身となってもおかしくない。
たまたまとは言え、それを見て「万が一」を考えた私は、ケースは身の安全の為に持たないと決めた。
それで問題なかったし、ないならないで丁寧に使うから良かった。
だけど、今回落としてみて、それはケースがないのも1つの原因だったし、そして何より日本国内でその火事の事件を聞いたことがない(動画が国内なのか海外なのかは覚えてないけれど)。
ってことは安全だから、今回は用意することにした。
で、探しているけれど、今回はせっかくだから冒険をしてみることに。
フェミニンというかガーリッシュな感じの可愛いのを探してる。
これ私にとって、すごい大進歩だったりする。
私の中でハードル高いものの1つに、女の子らしいとか、女性らしい格好をしたり持ち物を身に付けることがある。
自分には似合わないと思って避けてたのもあるし、興味もなかった。
服は今後もそういう系統は好まないと思うけれど、身に付けるものはそうしたものも持つのありかな…と思うようになった。
サイトを見ながら、花柄とかピンク系の色の絵とかを好んで見ていた。
アマゾンでも探したら、機能性では断トツで一番のものを見つけてしまった。
それはデザインなしではあるけれど、エレガントな雰囲気はあるし、何よりも今回の落下を思えば機能は絶対的に良い。
ただ、迷っている。
面白くない。
これまでの私のカラーと私の選択と同じだから、面白みに欠ける。
さてどうするかはもう1日2日おいて自分の気持ちを確かめるのもありだなと思う。
ちなみに今回のiPhoneはピンクにした。
ピンクと言っても薄いピンク。
ブラック、ゴールド、シルバー、ピンクから選ぶことになっていて、わたしはピンクにした。
ピンクを選べる自分が嬉しかった。
あんまりよくは覚えていないけれど、どこかで自分は女の子らしいとかフェミニンなものを身に付けてはいけないという思い込みがあった。
誰かに禁止されたわけでもないし、自分でも覚えていない。
似合わないとも言われていない。
服は全く好みではないからいいとしても、何で全てにおいてそういうものを避けようとしたんだろう…。
ちなみに、私は心の中で同性に対するジャッジがきついから、似合わないのにそういうものを身にまとってる人たちを見ると、内心「うわー」と思っている。
多分自分も同じように思われると思って避けてたのかもしれない。
現に周りの人たちから何かを言われたことはない(思われたかは知らないけれど)。
逆に男友達なんかはその辺り上手で、私は彼らから褒められたことに関してはすごく嬉しかったから覚えてる。
普段の格好があまりにもいい加減だから、きれいな格好してたり結婚式のドレスなんか着てるといいねと言われたり。
太ったら太ったでものすごいそれは色んな人たちに突っ込まれたけれど、1人がぽろっと「ぶっしースタイル良かったのに」と言ってくれたのは聞き漏らさなかった。
っていうか、こんなに太る前にもっと早くに言ってくれたら太らずに済んだのに!と思った(笑)。
髪濡れたままフラフラしてたら、1人は「ぶっしー、その髪型の方が似合ってる。そのクセが出てウェーブがかった方がいい」と真面目な顔して言われた。
普段ふざけてばかりいるから、大真面目に言われた時は変にドギマギした。
少しだけ可愛いなぁというのを身に付けてもいいのかもしれない…、やっと40を前にそう思える自分が出てきた。
数日探したのち、Amazonでピンクの花柄のケースをさっき注文した。
大人可愛いみたいな柄で、今からくるのが楽しみ。
レビューでも頑丈さや機能を6人中6人が評価していて、色んなレビューを見た中で一番良かったことも決め手の一つになった。
いいなぁと思ったのも他にあったけれど、レビューを読むと必ず機能面や丈夫さにおいて星1の評価になるぐらいのことが書かれていてそれはやめた。
そうした部分での星1は実際の使用者の感想というか事実だから、自分も同じようにすぐに壊れる可能性がある。
それは困るから、そういうレビューが1つでも書かれたものは避けた(そういうものは大概2人以上から別の不具合が挙げられていて、本当に粗悪品なんだと思う)。
手作りサイトからAmazonになったのは、別の理由だった。
手作りサイト内のものも良かった。
だけどどれも決定打にかけて、探しているうちに良いと感じた柄を片っ端から忘れる自分を見て、心からは気に入ってないんだなと感じた。
最後選んだものは、夜寝る前に見つけた。
その柄は、これから長く使う時に毎朝起きて、もしくはバッグの中で目にする時に、自分の気持ちが明るくなるのが想像できた。
その柄を見るだけで気持ちが華やぐかな…と感じた。
そして、大人可愛いのをこれまで選んでこなかった自分が更新される気がした。
さらに、今回は機能よりもデザインを重視した。
機能重視したものは、デザインはシンプルで良かったけれど、持ってテンションが上がることはないだろうなぁと感じた。
最後に選んだ花柄は、デザインが何より良かった。
朝目が覚めた後にもう一度商品を見た。
やっぱりいい。
こういう気持ちを味わえるデザインなんだと確信した。
唯一付属のストラップは気に入らなくて、でもそれは自分で何か作り替えてもいいなぁと思った。
難しいのは無理だけど、簡単なものなら手芸家気取りで本見ながら作れる。
そしてそれを本当にするかどうかは別にしても、作る楽しみまである。
今回のデザインを選びながら自分の服や小物のお気に入りの動向を振り返った。
30代になってから、私はシンプルなものを好むようになった。
30代で一番ハマった色は紺で、そして柄物は持たなくなっていった。
長く使うには、飽きのこないデザインが良いとわかったから。
だけど不思議だなぁと思う。
39歳になって40代が目前になってから、「あと人生でどのぐらい女として楽しめるかな?」というのを考えるようになった。
シンプルなデザインはこれからも色んな服や小物、雑貨で追い求めると思う。
でもそれとは別に、女らしいものとか可愛いものとかを持つのもいいかも…というこれまでにはない考えが浮かぶようになった。
この間50代になってからの年の重ね方の記事を読んだ時に、目指したいものがあった。
その人は日本人だけどフランス在住で、フランス人女性と日本人女性の違いを書いていた。
40代までは日本人女性の方が圧倒的にきれいらしい。
美意識も高いし、元のDNA的にも白人種の人たちよりも肌なんかが年を取りにくいらしい。
40代なのに20代と間違われる日本人も多いとのこと。
これは自分も海外にいたから想像できる。
だけど、50を過ぎると変わるらしい。
みんながみんなそうではないけれど、いかに自分の人生に向き合ったか、いかに自分の内面と対話したか、いかに自分の人生を謳歌したか、そうした内面的なものが形作る雰囲気がはっきりと出てくるのがその年齢域で、50代はフランス人と日本人の女性が逆転するとあった。
フランス人女性は生き方に関して相当自分と向き合うらしい。
それに反して、日本人はいかに見た目的に若く見えるかとか、外見的にきれいにできるかに重きを置いて肝心の生き方が放ったらかしなんてことも往々にしてある。
それが50歳以降の外に表れる雰囲気にはっきりと差を生み出すらしい。
それはあくまでも一般的な話にしても、なんだかわかる気がした。
自分が今後どんな風に年を重ねるかは知らないけれど、そうした内面的なものを大切にしながら年を重ねたいとは常々思っている、それこそ10代の頃から。
これから10年、また色んな体験を重ねながら年を重ねることができたらいいなと思う。
その中の1つに、これまで取り入れなかった可愛いものを身に付けるとか持つということも少しずつしていきたい。
書きながら思い出したことがあった。
話はとても変わるけれど…。
最後に仕事をした時に年齢のことで驚いたことがある。
ある時3人の男性が東京から出張でやってきた。
何回か見たことはある人たちではあったけれど、別に関わることもないから最低限ぺこりと会釈するぐらいで注目もしていなかった。
別に興味もないからじっくり見ることもなかったけれど、ある一言をきっかけに私は暇さえあればチラチラと見ずにはいられなかった。
なんと3人とも私の1個上だという。
私の1つ上の事務員さんとその人たちとで同い年だと盛り上がっていて(事務員さんも同い年とは思ってなかったらしい)、私はその一言で心の中は「うそーーーーーー!!!」と絶叫してた。
私は勝手にその人たちは若くて40代前半、多分44とか45、もしかして50前後かと決めつけてた。
50歳って言われても納得できる風貌だった。
貫禄があるとか言うよりも、なんだろう、失礼を承知して言うと「老けて見える」。
3人とも小綺麗にしているし、身だしなみは見た感じ私よりも断然気をつけている。
加齢臭対策とかも余念なさそうとか思ってた←40代半ばから50前後と思っていたから。
メンズエステ行ってますと言われても納得できる。
一度何年か前にメンズエステに通う男性特集をテレビで見て、その時に出てきた男の人たちと雰囲気が似ていた。
ホストみたいな人ではなく、ミドルエイジの美意識高めなビジネスマンやサラリーマンが行く感じだった。
だから一個上とわかって、私は何を自分が勘違いしたのかを見たくて、それでチラチラと見ていた。
ものすごーーーーくよーーーーーく見ると、1人はまぁそう見ようと思えば見えなくもなかった。
あとの2人、特にその中の1人はどんなに見ても何個か上にしか見えなかった。
顔とか肌質とかじゃない。
髪の毛もしっかりあったし、染めてるのか地毛なのか遠目には黒く映って白髪なんてなさそうだった。
だけど、雰囲気がすごく上に見える。
その上に見える加減が、本人もそう望んでそうなってると言うよりも、組織の中で矯正されて生まれ出たものみたいに私は感じた。
だから妙な年上加減がそこここに表れていた。
反対に事務所内の人たちが若く見えてたから、余計とそう感じたのかもしれない。
例えば私の1つ下とされる人なんか、その人たちと2つ違いなんてとても思えなかった。
10までいかなくても7〜8歳は離れてるのかと勝手に思い込んでたぐらい。
その時の衝撃を思い出すと、あのフランス人と日本人の比較の話も頷ける気がする。
こんな風に好き勝手に書いたけれど、私だって他の人たちから見てどう見えてるのかはわからない。
年上に見えてたり老けてたりしてもおかしくないから、本来なら他人のことなど言える立場にない(苦笑)。
【追記(泣)】
今Amazon注文書のメールをよーく見たら、なんとケースのサイズを間違えてた。
しかもすでに発送済み。
速攻で問合せのメールを出したけれど、出たものは仕方ない、二度手間は確定orz
自分が悪いけれど、このiPhoneのシリーズの名前も紛らわしすぎる。
私は「6S」注文のつもりでいたけれど、実際に注文してたのは「6S plus」だった。
しかも、今の今まで全く気付かなかった。
「iphone6s plus ケース 手帳型
iphone6プラス手帳型」
↑だってこれだよ、間違えるよ普通に。
私は「プラス」や「plus」がシリーズの名前ではなく、手帳型のケースの名前の一部かと思っていた。
どうか手続きが面倒ではありませんように…と祈るしかない。
こんなトンチンカンなことを見越して買ったわけではないけれど、昨日100均で画面を守るシートを探した時にケースも売っていたから、品物が来るまでの代替品として買って早速使っている(画面を割ったのがトラウマ 苦笑)。
想像以上に長い期間使うことになりそう…。
ありがたーく使わせてもらおう、100均の手帳型ケース。
これまで私はケースを使ってこなかった。
一番の理由は、火災が怖かったから。
持ち始めてすぐの頃だった気がする。
どこかのスマホが熱を持って、それが引火の原因となって、通話中耳の横で火事が起きる動画を見た。
それは事故だったみたいだけれど、実際に日々使ってあの充電中の熱さなんかを思うと別に我が身となってもおかしくない。
たまたまとは言え、それを見て「万が一」を考えた私は、ケースは身の安全の為に持たないと決めた。
それで問題なかったし、ないならないで丁寧に使うから良かった。
だけど、今回落としてみて、それはケースがないのも1つの原因だったし、そして何より日本国内でその火事の事件を聞いたことがない(動画が国内なのか海外なのかは覚えてないけれど)。
ってことは安全だから、今回は用意することにした。
で、探しているけれど、今回はせっかくだから冒険をしてみることに。
フェミニンというかガーリッシュな感じの可愛いのを探してる。
これ私にとって、すごい大進歩だったりする。
私の中でハードル高いものの1つに、女の子らしいとか、女性らしい格好をしたり持ち物を身に付けることがある。
自分には似合わないと思って避けてたのもあるし、興味もなかった。
服は今後もそういう系統は好まないと思うけれど、身に付けるものはそうしたものも持つのありかな…と思うようになった。
サイトを見ながら、花柄とかピンク系の色の絵とかを好んで見ていた。
アマゾンでも探したら、機能性では断トツで一番のものを見つけてしまった。
それはデザインなしではあるけれど、エレガントな雰囲気はあるし、何よりも今回の落下を思えば機能は絶対的に良い。
ただ、迷っている。
面白くない。
これまでの私のカラーと私の選択と同じだから、面白みに欠ける。
さてどうするかはもう1日2日おいて自分の気持ちを確かめるのもありだなと思う。
ちなみに今回のiPhoneはピンクにした。
ピンクと言っても薄いピンク。
ブラック、ゴールド、シルバー、ピンクから選ぶことになっていて、わたしはピンクにした。
ピンクを選べる自分が嬉しかった。
あんまりよくは覚えていないけれど、どこかで自分は女の子らしいとかフェミニンなものを身に付けてはいけないという思い込みがあった。
誰かに禁止されたわけでもないし、自分でも覚えていない。
似合わないとも言われていない。
服は全く好みではないからいいとしても、何で全てにおいてそういうものを避けようとしたんだろう…。
ちなみに、私は心の中で同性に対するジャッジがきついから、似合わないのにそういうものを身にまとってる人たちを見ると、内心「うわー」と思っている。
多分自分も同じように思われると思って避けてたのかもしれない。
現に周りの人たちから何かを言われたことはない(思われたかは知らないけれど)。
逆に男友達なんかはその辺り上手で、私は彼らから褒められたことに関してはすごく嬉しかったから覚えてる。
普段の格好があまりにもいい加減だから、きれいな格好してたり結婚式のドレスなんか着てるといいねと言われたり。
太ったら太ったでものすごいそれは色んな人たちに突っ込まれたけれど、1人がぽろっと「ぶっしースタイル良かったのに」と言ってくれたのは聞き漏らさなかった。
っていうか、こんなに太る前にもっと早くに言ってくれたら太らずに済んだのに!と思った(笑)。
髪濡れたままフラフラしてたら、1人は「ぶっしー、その髪型の方が似合ってる。そのクセが出てウェーブがかった方がいい」と真面目な顔して言われた。
普段ふざけてばかりいるから、大真面目に言われた時は変にドギマギした。
少しだけ可愛いなぁというのを身に付けてもいいのかもしれない…、やっと40を前にそう思える自分が出てきた。
数日探したのち、Amazonでピンクの花柄のケースをさっき注文した。
大人可愛いみたいな柄で、今からくるのが楽しみ。
レビューでも頑丈さや機能を6人中6人が評価していて、色んなレビューを見た中で一番良かったことも決め手の一つになった。
いいなぁと思ったのも他にあったけれど、レビューを読むと必ず機能面や丈夫さにおいて星1の評価になるぐらいのことが書かれていてそれはやめた。
そうした部分での星1は実際の使用者の感想というか事実だから、自分も同じようにすぐに壊れる可能性がある。
それは困るから、そういうレビューが1つでも書かれたものは避けた(そういうものは大概2人以上から別の不具合が挙げられていて、本当に粗悪品なんだと思う)。
手作りサイトからAmazonになったのは、別の理由だった。
手作りサイト内のものも良かった。
だけどどれも決定打にかけて、探しているうちに良いと感じた柄を片っ端から忘れる自分を見て、心からは気に入ってないんだなと感じた。
最後選んだものは、夜寝る前に見つけた。
その柄は、これから長く使う時に毎朝起きて、もしくはバッグの中で目にする時に、自分の気持ちが明るくなるのが想像できた。
その柄を見るだけで気持ちが華やぐかな…と感じた。
そして、大人可愛いのをこれまで選んでこなかった自分が更新される気がした。
さらに、今回は機能よりもデザインを重視した。
機能重視したものは、デザインはシンプルで良かったけれど、持ってテンションが上がることはないだろうなぁと感じた。
最後に選んだ花柄は、デザインが何より良かった。
朝目が覚めた後にもう一度商品を見た。
やっぱりいい。
こういう気持ちを味わえるデザインなんだと確信した。
唯一付属のストラップは気に入らなくて、でもそれは自分で何か作り替えてもいいなぁと思った。
難しいのは無理だけど、簡単なものなら手芸家気取りで本見ながら作れる。
そしてそれを本当にするかどうかは別にしても、作る楽しみまである。
今回のデザインを選びながら自分の服や小物のお気に入りの動向を振り返った。
30代になってから、私はシンプルなものを好むようになった。
30代で一番ハマった色は紺で、そして柄物は持たなくなっていった。
長く使うには、飽きのこないデザインが良いとわかったから。
だけど不思議だなぁと思う。
39歳になって40代が目前になってから、「あと人生でどのぐらい女として楽しめるかな?」というのを考えるようになった。
シンプルなデザインはこれからも色んな服や小物、雑貨で追い求めると思う。
でもそれとは別に、女らしいものとか可愛いものとかを持つのもいいかも…というこれまでにはない考えが浮かぶようになった。
この間50代になってからの年の重ね方の記事を読んだ時に、目指したいものがあった。
その人は日本人だけどフランス在住で、フランス人女性と日本人女性の違いを書いていた。
40代までは日本人女性の方が圧倒的にきれいらしい。
美意識も高いし、元のDNA的にも白人種の人たちよりも肌なんかが年を取りにくいらしい。
40代なのに20代と間違われる日本人も多いとのこと。
これは自分も海外にいたから想像できる。
だけど、50を過ぎると変わるらしい。
みんながみんなそうではないけれど、いかに自分の人生に向き合ったか、いかに自分の内面と対話したか、いかに自分の人生を謳歌したか、そうした内面的なものが形作る雰囲気がはっきりと出てくるのがその年齢域で、50代はフランス人と日本人の女性が逆転するとあった。
フランス人女性は生き方に関して相当自分と向き合うらしい。
それに反して、日本人はいかに見た目的に若く見えるかとか、外見的にきれいにできるかに重きを置いて肝心の生き方が放ったらかしなんてことも往々にしてある。
それが50歳以降の外に表れる雰囲気にはっきりと差を生み出すらしい。
それはあくまでも一般的な話にしても、なんだかわかる気がした。
自分が今後どんな風に年を重ねるかは知らないけれど、そうした内面的なものを大切にしながら年を重ねたいとは常々思っている、それこそ10代の頃から。
これから10年、また色んな体験を重ねながら年を重ねることができたらいいなと思う。
その中の1つに、これまで取り入れなかった可愛いものを身に付けるとか持つということも少しずつしていきたい。
書きながら思い出したことがあった。
話はとても変わるけれど…。
最後に仕事をした時に年齢のことで驚いたことがある。
ある時3人の男性が東京から出張でやってきた。
何回か見たことはある人たちではあったけれど、別に関わることもないから最低限ぺこりと会釈するぐらいで注目もしていなかった。
別に興味もないからじっくり見ることもなかったけれど、ある一言をきっかけに私は暇さえあればチラチラと見ずにはいられなかった。
なんと3人とも私の1個上だという。
私の1つ上の事務員さんとその人たちとで同い年だと盛り上がっていて(事務員さんも同い年とは思ってなかったらしい)、私はその一言で心の中は「うそーーーーーー!!!」と絶叫してた。
私は勝手にその人たちは若くて40代前半、多分44とか45、もしかして50前後かと決めつけてた。
50歳って言われても納得できる風貌だった。
貫禄があるとか言うよりも、なんだろう、失礼を承知して言うと「老けて見える」。
3人とも小綺麗にしているし、身だしなみは見た感じ私よりも断然気をつけている。
加齢臭対策とかも余念なさそうとか思ってた←40代半ばから50前後と思っていたから。
メンズエステ行ってますと言われても納得できる。
一度何年か前にメンズエステに通う男性特集をテレビで見て、その時に出てきた男の人たちと雰囲気が似ていた。
ホストみたいな人ではなく、ミドルエイジの美意識高めなビジネスマンやサラリーマンが行く感じだった。
だから一個上とわかって、私は何を自分が勘違いしたのかを見たくて、それでチラチラと見ていた。
ものすごーーーーくよーーーーーく見ると、1人はまぁそう見ようと思えば見えなくもなかった。
あとの2人、特にその中の1人はどんなに見ても何個か上にしか見えなかった。
顔とか肌質とかじゃない。
髪の毛もしっかりあったし、染めてるのか地毛なのか遠目には黒く映って白髪なんてなさそうだった。
だけど、雰囲気がすごく上に見える。
その上に見える加減が、本人もそう望んでそうなってると言うよりも、組織の中で矯正されて生まれ出たものみたいに私は感じた。
だから妙な年上加減がそこここに表れていた。
反対に事務所内の人たちが若く見えてたから、余計とそう感じたのかもしれない。
例えば私の1つ下とされる人なんか、その人たちと2つ違いなんてとても思えなかった。
10までいかなくても7〜8歳は離れてるのかと勝手に思い込んでたぐらい。
その時の衝撃を思い出すと、あのフランス人と日本人の比較の話も頷ける気がする。
こんな風に好き勝手に書いたけれど、私だって他の人たちから見てどう見えてるのかはわからない。
年上に見えてたり老けてたりしてもおかしくないから、本来なら他人のことなど言える立場にない(苦笑)。
【追記(泣)】
今Amazon注文書のメールをよーく見たら、なんとケースのサイズを間違えてた。
しかもすでに発送済み。
速攻で問合せのメールを出したけれど、出たものは仕方ない、二度手間は確定orz
自分が悪いけれど、このiPhoneのシリーズの名前も紛らわしすぎる。
私は「6S」注文のつもりでいたけれど、実際に注文してたのは「6S plus」だった。
しかも、今の今まで全く気付かなかった。
「iphone6s plus ケース 手帳型
iphone6プラス手帳型」
↑だってこれだよ、間違えるよ普通に。
私は「プラス」や「plus」がシリーズの名前ではなく、手帳型のケースの名前の一部かと思っていた。
どうか手続きが面倒ではありませんように…と祈るしかない。
こんなトンチンカンなことを見越して買ったわけではないけれど、昨日100均で画面を守るシートを探した時にケースも売っていたから、品物が来るまでの代替品として買って早速使っている(画面を割ったのがトラウマ 苦笑)。
想像以上に長い期間使うことになりそう…。
ありがたーく使わせてもらおう、100均の手帳型ケース。
2018年10月3日水曜日
ホットケーキとカレーうどん
昨日のこと。
夜出かける用事があって、小腹を満たす間食的なものを作ることにした。
・ホットケーキ
・インスタントラーメン
・新米+ご飯のお供
3つの候補が浮かんだ。
2〜3時間、思いついた時に間食候補を思い浮かべて自分の気持ちのフィット具合を見ていた。
初心貫徹で、ホットケーキにした。
久しぶりのホットケーキで、なんだかワクワクしてしまった。
一人暮らしの時はけっこうな回数作って、いつも食べきれずよく冷凍していた。
今は焼きすぎても誰かが食べるから、安心して焼ける。
というより、もしかしたら新潟で初のホットケーキだったかもしれない。
おたま一杯分で5枚焼いて、2枚食べた。
バターとごまのハチミツをのせて。
ごまのハチミツと言ってもごまの風味は一切なくて、原材料がごまなだけ。
気ままな料理に気ままなプチごはん、牛乳入りアイスコーヒーと一緒に胃の中に納めた。
最近寒くなったから、シチューと豚汁を連チャンで作った。
どちらもじゃがいもの代わりにさつまいもを使った。
個人的に、シチューも豚汁もさつまいもの方が美味しいと思っている。
10月中に作りたいのは、カレーとコロッケ。
コロッケはずっとこの間から作りたいと思っていた。
過去に数えるぐらいしか作ったことのないコロッケだけれど、手作りコロッケはもう桁外れに美味しい。
基本的にあれは手間暇のかかり方が尋常ではないけれど失敗しないし、最悪味が薄ければソースでごまかせる。
普通のいもコロッケで、あとは玉ねぎとかひき肉を適当に混ぜ込む。
パン粉は常備していないけれど、あれは食パンをミキサーにかければ即生パン粉ができるからそれでOK。
夏の暑いさなかから「コロッケ、コロッケ…」と時々思い浮かべていた。
やっと寒さが出てきたから、コロッケ作ってもいいなぁと思った。
カレーは、春先にシンギングボウル(「おりん」みたいなアジア楽器)やチャクラの本を買った時に、カレー粉がおまけでついてきた。
本場のスパイスを調合したものらしい。
それを使って、いつもよりもちょっとだけ本格的なカレーを作りたい。
カレー、カレーなんて書いていたら、口がカレー口になった。
本物のカレーはまた今度にして、とりあえずそのカレー口を満たすためにお昼はカレーうどんにしようと思う。
新潟に帰ってきてからというもの、カレーうどん率がやけに高くなった。
カレーうどんの良いところは、具は何でもいいこと。
余った煮物の汁とか余ったおかずがあれば、何でもポイポイ入れられる。
すべてカレー味に変わるから、何が入っててもいける。
なんなら、使いこなせない調味料の類いも入れてしまう。
そしてカレーうどんマジックとしか言いようがない。
カレーライスの具材に薄揚げは合わないのに、カレーうどんになった途端、薄揚げはあった方が断然美味しくなる食材に変わる。
あと、じゃがいもとかの根菜類を入れないから、煮込みの時間も短時間ですごく良い。
カレーに比べたら断然手間暇がかからない優れもの。
分量も適当でも味が決まらないことはない。
具材を適当に水もしくは「だし」と言う名の顆粒だし入りの水で煮たら、あとはカレールーと麺つゆがうまいこと味を調えてくれる。
あんなに優秀なメニューもなかなかない。
季節外れのセミが鳴いている今日のお昼は、カレーうどんに決定。
段取り良く、さっき干し椎茸を水で戻し始めた。
玉ねぎ、人参、豚肉のコマ切れ、薄揚げ、干し椎茸、あとは冷蔵庫見て適当に何かを入れよう。
夜出かける用事があって、小腹を満たす間食的なものを作ることにした。
・ホットケーキ
・インスタントラーメン
・新米+ご飯のお供
3つの候補が浮かんだ。
2〜3時間、思いついた時に間食候補を思い浮かべて自分の気持ちのフィット具合を見ていた。
初心貫徹で、ホットケーキにした。
久しぶりのホットケーキで、なんだかワクワクしてしまった。
一人暮らしの時はけっこうな回数作って、いつも食べきれずよく冷凍していた。
今は焼きすぎても誰かが食べるから、安心して焼ける。
というより、もしかしたら新潟で初のホットケーキだったかもしれない。
おたま一杯分で5枚焼いて、2枚食べた。
バターとごまのハチミツをのせて。
ごまのハチミツと言ってもごまの風味は一切なくて、原材料がごまなだけ。
気ままな料理に気ままなプチごはん、牛乳入りアイスコーヒーと一緒に胃の中に納めた。
最近寒くなったから、シチューと豚汁を連チャンで作った。
どちらもじゃがいもの代わりにさつまいもを使った。
個人的に、シチューも豚汁もさつまいもの方が美味しいと思っている。
10月中に作りたいのは、カレーとコロッケ。
コロッケはずっとこの間から作りたいと思っていた。
過去に数えるぐらいしか作ったことのないコロッケだけれど、手作りコロッケはもう桁外れに美味しい。
基本的にあれは手間暇のかかり方が尋常ではないけれど失敗しないし、最悪味が薄ければソースでごまかせる。
普通のいもコロッケで、あとは玉ねぎとかひき肉を適当に混ぜ込む。
パン粉は常備していないけれど、あれは食パンをミキサーにかければ即生パン粉ができるからそれでOK。
夏の暑いさなかから「コロッケ、コロッケ…」と時々思い浮かべていた。
やっと寒さが出てきたから、コロッケ作ってもいいなぁと思った。
カレーは、春先にシンギングボウル(「おりん」みたいなアジア楽器)やチャクラの本を買った時に、カレー粉がおまけでついてきた。
本場のスパイスを調合したものらしい。
それを使って、いつもよりもちょっとだけ本格的なカレーを作りたい。
カレー、カレーなんて書いていたら、口がカレー口になった。
本物のカレーはまた今度にして、とりあえずそのカレー口を満たすためにお昼はカレーうどんにしようと思う。
新潟に帰ってきてからというもの、カレーうどん率がやけに高くなった。
カレーうどんの良いところは、具は何でもいいこと。
余った煮物の汁とか余ったおかずがあれば、何でもポイポイ入れられる。
すべてカレー味に変わるから、何が入っててもいける。
なんなら、使いこなせない調味料の類いも入れてしまう。
そしてカレーうどんマジックとしか言いようがない。
カレーライスの具材に薄揚げは合わないのに、カレーうどんになった途端、薄揚げはあった方が断然美味しくなる食材に変わる。
あと、じゃがいもとかの根菜類を入れないから、煮込みの時間も短時間ですごく良い。
カレーに比べたら断然手間暇がかからない優れもの。
分量も適当でも味が決まらないことはない。
具材を適当に水もしくは「だし」と言う名の顆粒だし入りの水で煮たら、あとはカレールーと麺つゆがうまいこと味を調えてくれる。
あんなに優秀なメニューもなかなかない。
季節外れのセミが鳴いている今日のお昼は、カレーうどんに決定。
段取り良く、さっき干し椎茸を水で戻し始めた。
玉ねぎ、人参、豚肉のコマ切れ、薄揚げ、干し椎茸、あとは冷蔵庫見て適当に何かを入れよう。
2018年10月2日火曜日
月曜日の朝の独り言
書けるうちに書いてしまおう。
週末私は絶不調だった。
最初は現実逃避のための眠りかと思っていたけれど、寝ても寝ても眠いしそして頭もどんどん痛くなった。
気持ちはどんどん塞ぎ込んできて、相当な低空飛行をしていた。
自殺願望は数年前にキッパリとなくなったけれど、代わりに「明日死んでもいい」的な気持ちは今も時々顔を出す。
ちなみに自殺願望強めの人がいたら、私がきっぱりと断ち切れた理由を紹介したい。
自殺して本当に死んじゃった場合、その後がめちゃくちゃきつくなること、そして生まれ変わった時は今生よりもさらにきつい設定でしか生まれないと知ったから。
当時30代前半の私でも、もう絶対にそれまでに体験した各種のきつい出来事を追体験なんて絶対にしたくなかったし、さらにそれよりもきつい人生が来世だなんてまっぴらごめんだと思った。
もうどんなにその時が大変でもとりあえず寿命が来るまでは生きようと思った。
生きていたらいいことがある!なんて前向きな気持ちではなく、これ以上のきつさを体験したくない!という理由で私は自殺願望がきれいさっぱりとなくなった。
そちらは見事解決したけれど、元々の癖なのか何か別の理由なのか、とにかく自分にものすごく疲れて、さらには生きる気力がなくなることが時々ある。
今回は今回でもう自分でもゾッとするぐらいに落ちてた。
ここからあと1週間とか1ヶ月這い上がれなかったらどうしようかと思った。
そんな時に見た夢がまたまた凄かった。
夢の中で私は10歳年下の29歳の人と自分を比べていた。
その29歳の人は知らない人だったし、なんなら夢の中に登場さえしていなかったかもしれないけれど、私が思ったのはこうだった。
29歳の人は結婚もしていて子どもも生んでいてさらにその人にしかできない仕事も確立していた。
それをしている誰かと、その1つもできていない自分を比べて私は自分のことをめちゃくちゃ責めている、自己否定して自己卑下しているという夢だった。
だから夢の中でも猛烈に苦しくて、自分の先の未来が真っ暗で、私こんな世界をこれからも生きていくんだと思ったら絶望しかなかった。
自分で何とかしようなんて気力もなく、何を楽しみに生きていいのかもわからない私が夢の中にいた。
すんげーリアル((((;゚Д゚)))))))と思ったし、起きた後のどんよりした気分なんか夢の中とさほど変わらなかったけれど、1つだけ気付いたことがある。
多分夢の中で見てきたのは、私が私に思ってることの1つであること。
そしてそれを見たのは、「もう手放していいからね」ってことで見せてもらえたんだと思う。
もうそんなに自分を責めなくていいし、そういう生き方ではない自分の生き方で本当にいいんだよ、って自分に言いたいんだと思う。
普段そんなことを自分に思ってることに気付いていない。
だけど、確実に思っている。
あの夢のリアルさは半端なかったし、自分でこうして言葉にしてみてもやたらとしっくりくる、悲しいぐらいに。
これは何年も前からやっているけれど、やっぱり私には自分の暗いところや闇の部分を大切にしたい、その気持ちが強い。
そこを隠したり否定すると、後からとんでもなくしっぺ返しが飛んでくる。
私は自分の原点をはっきりと覚えている。
コーチングだったのかな、どの場面の時かは忘れたけれど、ダメな自分を受け止めたい、それが本当の本当に私にとって何よりも大切なことだった。
上手くいっている私に対して私はあんまり価値があると思っていない。
たしかに、生産性も社会への貢献度も高い。
そういう私もたしかに必要だと思う。
そしてそれは基本的に全員から受け入れてもらえる。
営業成績上げてる私をダメだと言う人は誰もいなかった。
周りの人たち、会社も家族も友達もみんな認めてくれてた。
だけど、それらからきっぱりと離れ、働かなくなり、要は社会的に何もしなくなった時、私の存在価値は色々周りから指摘されることになった。
何もしてないことが悪だった。
そして何かしてない私は、人として失格みたいな烙印を押された。
私は本当に困った。
何かわかりやすく社会の中でしていないと、私という人は価値がなくなるみたいな意味が私にはわからなかった。
好きなことでもできることでも何なら自分に合わないことでもいい、何かをしていないと意味がないって何?と思った。
その辺りから私は逆をいきたいと思った。
周りはさておき、自分だけはとにかく状況や状態で自分を判断することだけは止めようと思った。
それすると生き地獄みたいになってしまうから、やめようと。
で、この数年色々と取り組んで今ぐらいにまでにはなったわけだけれど、久しぶりにキツイのが来た。
ずっと来てたのはわかっていたけれど、見て見ぬ振りしてたら夢で出てきた。
そこで自分の心の中の独り言が見事に再現されてた。
普段自分に対して思っていたことなんだなぁって。
私は自分がどうであっても生きていていいことを自分の心で確かめたいんだと思う。
価値を提供して当たり前じゃなくて、価値を提供してなくても生きているそのものが素晴らしい、と言えるあり方を本気で目指している。
そんなこと気にせずにばんばん進んでいける人はそれでいい。
でも私みたいにいちいちそんなことに囚われてつまずいて訳わかんなくなって…みたいなのもあっていいんじゃないかなと思う。
その自分を隠して、もしくはいないも同然にして生きていく、それがもう私にはできないんだとわかった。
だから、その色々矛盾だらけの自分と手を組んで、頼むからもうちょっと協力してよ、と言えるぐらいの関係性を作れないかな…と夢見ている。
10月1日(月) 5:04
『月曜日の朝の独り言』と題してこれをアップする。
心の中の叫びみたいで多少恥ずかしさはあるけれど、書いたことに嘘はないから、隠さずに出すことに。
生きたくても生きられない人がいるとか、命をそんなに軽く見てしまってはいけないとか、そう突つかれる内容なのは承知している。
だけど、私は自分の中にある気持ちを、まずは「そういう気持ちもある」ことや「そういう気持ちになっている自分がいる」ことをそっと受け止めたい。
「明日死んでもいい」なんて暴言みたいだけれど、暴言みたいな気持ちを感じた自分がたしかにいるから、その自分もとにかく否定しないこと、その自分自身も大事にしたい。
10月2日(火) 15:39
週末私は絶不調だった。
最初は現実逃避のための眠りかと思っていたけれど、寝ても寝ても眠いしそして頭もどんどん痛くなった。
気持ちはどんどん塞ぎ込んできて、相当な低空飛行をしていた。
自殺願望は数年前にキッパリとなくなったけれど、代わりに「明日死んでもいい」的な気持ちは今も時々顔を出す。
ちなみに自殺願望強めの人がいたら、私がきっぱりと断ち切れた理由を紹介したい。
自殺して本当に死んじゃった場合、その後がめちゃくちゃきつくなること、そして生まれ変わった時は今生よりもさらにきつい設定でしか生まれないと知ったから。
当時30代前半の私でも、もう絶対にそれまでに体験した各種のきつい出来事を追体験なんて絶対にしたくなかったし、さらにそれよりもきつい人生が来世だなんてまっぴらごめんだと思った。
もうどんなにその時が大変でもとりあえず寿命が来るまでは生きようと思った。
生きていたらいいことがある!なんて前向きな気持ちではなく、これ以上のきつさを体験したくない!という理由で私は自殺願望がきれいさっぱりとなくなった。
そちらは見事解決したけれど、元々の癖なのか何か別の理由なのか、とにかく自分にものすごく疲れて、さらには生きる気力がなくなることが時々ある。
今回は今回でもう自分でもゾッとするぐらいに落ちてた。
ここからあと1週間とか1ヶ月這い上がれなかったらどうしようかと思った。
そんな時に見た夢がまたまた凄かった。
夢の中で私は10歳年下の29歳の人と自分を比べていた。
その29歳の人は知らない人だったし、なんなら夢の中に登場さえしていなかったかもしれないけれど、私が思ったのはこうだった。
29歳の人は結婚もしていて子どもも生んでいてさらにその人にしかできない仕事も確立していた。
それをしている誰かと、その1つもできていない自分を比べて私は自分のことをめちゃくちゃ責めている、自己否定して自己卑下しているという夢だった。
だから夢の中でも猛烈に苦しくて、自分の先の未来が真っ暗で、私こんな世界をこれからも生きていくんだと思ったら絶望しかなかった。
自分で何とかしようなんて気力もなく、何を楽しみに生きていいのかもわからない私が夢の中にいた。
すんげーリアル((((;゚Д゚)))))))と思ったし、起きた後のどんよりした気分なんか夢の中とさほど変わらなかったけれど、1つだけ気付いたことがある。
多分夢の中で見てきたのは、私が私に思ってることの1つであること。
そしてそれを見たのは、「もう手放していいからね」ってことで見せてもらえたんだと思う。
もうそんなに自分を責めなくていいし、そういう生き方ではない自分の生き方で本当にいいんだよ、って自分に言いたいんだと思う。
普段そんなことを自分に思ってることに気付いていない。
だけど、確実に思っている。
あの夢のリアルさは半端なかったし、自分でこうして言葉にしてみてもやたらとしっくりくる、悲しいぐらいに。
これは何年も前からやっているけれど、やっぱり私には自分の暗いところや闇の部分を大切にしたい、その気持ちが強い。
そこを隠したり否定すると、後からとんでもなくしっぺ返しが飛んでくる。
私は自分の原点をはっきりと覚えている。
コーチングだったのかな、どの場面の時かは忘れたけれど、ダメな自分を受け止めたい、それが本当の本当に私にとって何よりも大切なことだった。
上手くいっている私に対して私はあんまり価値があると思っていない。
たしかに、生産性も社会への貢献度も高い。
そういう私もたしかに必要だと思う。
そしてそれは基本的に全員から受け入れてもらえる。
営業成績上げてる私をダメだと言う人は誰もいなかった。
周りの人たち、会社も家族も友達もみんな認めてくれてた。
だけど、それらからきっぱりと離れ、働かなくなり、要は社会的に何もしなくなった時、私の存在価値は色々周りから指摘されることになった。
何もしてないことが悪だった。
そして何かしてない私は、人として失格みたいな烙印を押された。
私は本当に困った。
何かわかりやすく社会の中でしていないと、私という人は価値がなくなるみたいな意味が私にはわからなかった。
好きなことでもできることでも何なら自分に合わないことでもいい、何かをしていないと意味がないって何?と思った。
その辺りから私は逆をいきたいと思った。
周りはさておき、自分だけはとにかく状況や状態で自分を判断することだけは止めようと思った。
それすると生き地獄みたいになってしまうから、やめようと。
で、この数年色々と取り組んで今ぐらいにまでにはなったわけだけれど、久しぶりにキツイのが来た。
ずっと来てたのはわかっていたけれど、見て見ぬ振りしてたら夢で出てきた。
そこで自分の心の中の独り言が見事に再現されてた。
普段自分に対して思っていたことなんだなぁって。
私は自分がどうであっても生きていていいことを自分の心で確かめたいんだと思う。
価値を提供して当たり前じゃなくて、価値を提供してなくても生きているそのものが素晴らしい、と言えるあり方を本気で目指している。
そんなこと気にせずにばんばん進んでいける人はそれでいい。
でも私みたいにいちいちそんなことに囚われてつまずいて訳わかんなくなって…みたいなのもあっていいんじゃないかなと思う。
その自分を隠して、もしくはいないも同然にして生きていく、それがもう私にはできないんだとわかった。
だから、その色々矛盾だらけの自分と手を組んで、頼むからもうちょっと協力してよ、と言えるぐらいの関係性を作れないかな…と夢見ている。
10月1日(月) 5:04
『月曜日の朝の独り言』と題してこれをアップする。
心の中の叫びみたいで多少恥ずかしさはあるけれど、書いたことに嘘はないから、隠さずに出すことに。
生きたくても生きられない人がいるとか、命をそんなに軽く見てしまってはいけないとか、そう突つかれる内容なのは承知している。
だけど、私は自分の中にある気持ちを、まずは「そういう気持ちもある」ことや「そういう気持ちになっている自分がいる」ことをそっと受け止めたい。
「明日死んでもいい」なんて暴言みたいだけれど、暴言みたいな気持ちを感じた自分がたしかにいるから、その自分もとにかく否定しないこと、その自分自身も大事にしたい。
10月2日(火) 15:39
2018年10月1日月曜日
ペンジュラムの東京出張
先週の東京日帰り旅でのこと。
あの時はiPhoneが割れてテンパっていたことも手伝ってまともな思考回路に昼間はなかったけれど、よく考えたらiPhoneのマップよりもペンジュラムの方が確実に正確に目的地へナビゲートしてくれる。
あまりに混乱してて2つを両刀使いしていたけれど、ペンジュラムの通りに進むと正解で、マップを見て自分なりに理解したつもりで行くと180度反対方向に進んだりと、相変わらずすごい方向音痴っぷりを発揮していた。
占星術のクラスメートたちはご飯を一緒に食べに行くとなって、なんと今回私は1人で有楽町の駅に行くことになった。
別れた時点でどこにいるのかもわからず、駅の行き方を聞いて進んだけれど、もれなく迷子になり。
やっと駅見つけた!と思ったら日比谷駅。
あの近辺をハッピーアワーのオシャレ居酒屋とか見ながらかなりウロウロしていた。
その後ヒーラーのOさんとの勉強会だったから本気の迷子では困ると思って、読めないマップを雨の中出して、なんとか有楽町駅に着いた。
地下鉄に乗ってから、到着時間が微妙だということに気付いた。
Oさんとの待ち合わせは7時。
到着は6時半過ぎ。
駅から移動すると多分店まで15分ぐらい。
10〜15分ある。
デパ地下ウロウロもいいなぁとか考え出す。
名古屋にいた時はいつでも行ける、なんなら歩いて行ける距離にデパートがあったから、全然ありがたみがなかったけれど、新潟の田舎生活になったら、いちいちお江戸上京の際は色々楽しくて仕方ない。
で、私は電車の横並び中央辺りの座席に腰掛けながら、ペンジュラムを出してどこに行くのかを聞いた。
そもそも、まず時間的に直行するのか寄り道するのかを聞くと、直行にNOが出た。
寄り道にYES。
寄り道しなくてもいいかを聞くと、NO。
時間がかなり限られているから、行ける場所を特定することにした。
頭の中で駅周辺をまず6等分した。
集合場所から一番遠い右上はないだろうと思って他の5つを聞いたら、他5つはNO。
右上YES。
えっ?と思った。
右上にあるのは東武デパートかルミネになる。
東武にNO、ルミネにYESが出た。
よりにもよって一番遠いルミネ。
行かないのもあり?と聞いたら容赦なくNOが出た。
これ行くんだとわかった。
でも私としても遅れることは避けたい。
ペンジュラムに、私は行くとしても地下1階だけだよ!それ以上上の階は時間ないから無理だからね!と心の中で話しかけて、そこで何だか知らない用事は足りるの?と聞くとYESだった。
唸りたくなったけれど、行かないことはないし、地下に何かあると言うし、何だ?と思った。
(↑自分から聞いたくせにかなりひどい)
とりあえず改札を出ると35分近くになっていた。
ルミネの行き方も怪しかったから(ルミネは池袋の駅地下で毎回道をどこかで間違えるらしく一発でたどり着けたことがない)、ここはペンジュラムにナビしてもらおう!と即決して、ペンジュラムに聞きながら歩いた。
その歩いている途中で、
○○
○○
○○
○○
○○
○○
と、とある人の名前が6個も縦に並んでいる看板を見つけて「えっ⁉︎何これ⁉︎」と思った。
思わず足を止めて、道行く人たちのものすごい邪魔になりながら、画面の割れたiPhoneで写真に収めた。
私はもしや?と思って、ペンジュラムにこれを私に見せるためにルミネに行けと言った?と聞いたらNOで、ルミネは行くは行くらしかった。
そんな予期せぬ看板と写真撮影なんかもうっかり加わったものだから、またそこでも1〜2分のロスが生じた。
こんなに時間押してるのに何故にルミネ?と思いながらひたすら進んだ。
ルミネの前の広場の特設サイトで可愛い雑貨があった。
ちょっとだけ!と思って見て、ペンジュラムにこれ?と聞くと違うと出た。
とにかく地下1階の中が今回ペンジュラムが案内したい場所らしい。
中に入って3つ目ぐらいの店がオーガニックコスメを扱う店だった。
そこでようやく「あーーーーー!」っとなった。
すっかり忘れていたけれど、今回時間があるなら朝使う洗顔石けんを買いたいと思っていたことを思い出した。
iPhone事件とか迷子とか看板登場とか色々ありすぎて忘れていたけれど、そう言えばそんなこと自分の中で計画してたんだった!とようやく自分の記憶が呼び覚まされた。
ところがその店には気に入る石けんがなくて、合うか合わないかもわからない1000円と2000円の高級輸入洗顔石けんはあったけれど、そんな博打みたいなことはしたくなかった。
しかも2000円の方は地元でも買える。
もっと購買意欲が失せた。
ペンジュラムにも聞くと、どちらの石けんにもNOが出た。
そこを出ると、馴染みの自然派化粧品の店があった。
そこのはこれまでも何回か使ったことがある。
そこに見に行って、200円台という値段も素晴らしければ、種類も豊富で、その中のどれかを買うことに決めた。
1年前38歳の私は、そうした洗顔用品やハンドクリームというものに対して、人生で初めて興味を持つようになった。
これまでも普段使いするから全くの無関心ではなかったけれど、関心の理由が大きく変わった。
それまでは機能的であれば良かった。
かなりいい加減だから、最低限肌を潤わせてくれたらそれで良かった。
去年から私の選ぶ理由は変わった。
機能面はもちろん従来通り重視しているけれど、それ以上に「きれいになりたい」願望が出てきた。
元の造りとかは変えられなくても、肌をきれいにするとかはできるから、そういうことを本当にきちんとしたくなった。
きれいにしたい!とかなりたい!と一瞬だけ思うことはあっても、元来面倒くさがりの私はすぐに飽きたり簡単に止めてしまう。
だけど、去年の夏から私は継続的にそういうことを日々心掛けるように変わった。
上手くいかなかったことの方が多いけれど、そうした副産物のように上手くいったこともあって、それは素直に喜んでいる。
で、そのことにより夜の洗顔は一生モノ!というものに出合えたけれど、朝の洗顔はそこまで面倒もしていられないから、もっと簡単にできる洗顔石けんを色々あれから試している。
それまでは朝夜一緒のものを使っていたけれど、ある時友達から洗顔の泡を作るグッズがわざわざ送られてきて、それを夜専用で使うことで朝と夜それぞれ使うものを分けた。
しかもそのおかげで、朝の洗顔石けんについては色々試す楽しみが増えて、なくなる度に次は何にしようかな♪という探す楽しみがある。
石けんなんてそんなにすぐにはなくならないから、一生のうちで山ほどの石けんは試せない。
しかも「これいい!」というのに出合えたら、石けんジプシーは止めると思う。
本当は良いのを1つ知っているけれど、どうせなら飽きるまで色んな石けんをあれこれ試すのもありだなと思って、それで1年前から石けんコレクターになっている。
基本は無くならないと買わないから、コレクターとは違うけれど。
その店のものは当初使ったことのある石けんだから止めようかと思ったけれど、種類は全種類制覇してないから、その中で新しいのを選んでもいいなぁと思ってそれで店に立ち寄った。
いくつか気になる匂いのものがあって、さらに期間限定商品も出ていた。
どれも選びがたくて、ここはペンジュラムに聞こうと思ってペンジュラムに聞いた。
ペンジュラムが選んだのは期間限定のものだった。
たしかに気になっていたし、匂いも1、2位を争うぐらいに好きだったから、それを買うことに決めた。
レジに並ぶと、私の前の人が商品券とSuicaを組み合わせて支払いたいとかで、レジトラブルが起きた。
時間が押していたけれど、私はそもそものお目当ての「朝用の洗顔石けんを買う」ことが叶って、しかも私はすっかり忘れていたのにペンジュラムが助けてくれたから、それで大満足して気にもならなかった。
私の番になった。
とってもラッキーなことに、そのお店の商品の試供品をもらえた!
そこの商品は、自分用に使うのもそうだけど、人にプレゼントする用としてもしょっちゅう使っていて、これまで一度も試供品なんてもらったことがなかったからビックリした。
仕事を一緒にしてた人から最初プレゼントされて、それですっごく嬉しかったのと、そこの商品はプレゼント用だと普段使いするにはちょっとした特別感を味わえて確実に喜んでもらえるのとで、超重宝していた。
だからギフト用なら当然200円台のわけがなく、自分のと合わせてもお札で買うような感じになっていたけれど、これまで本当にただの一度も試供品はもらっていない。
だからたかが200円台の小さな買い物でそんな風にしてもらえてめちゃくちゃラッキーだった。
レジトラブルのお姉さん、ありがとう!と思った。
それを終えて、急いで集合場所に行って、無事1分前に到着した。
ペンジュラムの凄さにすっかり気を良くしていた。
あれから数日経った今日。
洗顔石けんと一緒に同封された商品のパンフレットを見た。
ちなみに商品パンフレットも今回初めてそんなものがあったと知った。
普段そんなのじっくり見ないけれど、今回は気になってじっくりと読み込んだ。
「あっ!」となった。
最後数種類の中から選ぶ時に、最後まで迷ったうちの1つと実際に買った1つとがあった。
パンフレットを見て、実はその2つはそれぞれ肌タイプが違っていて、私が買ってきた方が私には合っていて、ペンジュラムがNOを出した方だと肌タイプが違っていたことが判明した。
使ったとするなら、おそらくつっぱったと思う。
ペンジュラムは何でもお見通しだったんだなぁと思った。
そうしたら、もう一つ気になることが出てきた。
ルミネの道中で見かけた看板。
ペンジュラムはあれは想定外のことでペンジュラムもそんなこと意図してそこを案内したわけじゃない、とあの日は言っていた。
でも、あれもペンジュラム意図したでしょう!と思って今日再度聞いたら、YESが出た。
あの時ペンジュラムは「これじゃないし、これはたまたま」と言わんばかりのことを言っていた。
私も時間が押していて全然気に留めてる場合でもなかったから、そのままにしていた。
だけど、あの時ペンジュラムの方が確実に上手(うわて)だった。
なぜなら、もしあの看板の前でペンジュラムが「それを見せるためにここを案内した」にYESを出したなら、私のことだから時計を見てルミネには行かず踵を返してそのまま集合場所へ向かったと思う。
だけどペンジュラムはあの時その看板は予知してなかったよぐらいな感じだったから、ペンジュラムも知らない時があるんだね、なんて思ってルミネへ急いだ。
でもよく考えると変だった。
ルミネの行き方は一種類じゃない。
しかもその日通った道は初めて通ったから、普段はその経路で行かない。
私の過去の経験則で判断したなら、そこは通る予定さえなかった。
だけど、ペンジュラムはあえてその道を案内したし、案内してすぐに看板も見つけた。
しかも私も私で数メートルの幅はある通路で、その看板にものすごく近い位置をずっと歩いてた。
真逆の側を歩いてたなら気付きようもなかった。
だから全てうまい具合に事は運んでいたし、ペンジュラムもわかりきっていてあの道を案内していた。
私の性格もよく知ってくれていて、私があの看板で満足してその場で踵を返さないように、ペンジュラムはわざとすっとぼけてくれたんだなとわかった。
ペンジュラムは時々真逆の答えをわざと言って、私を本来進むべき方向に進ませることがある。
今回もそうして私の願いを叶えてくれてたんだなと知った。
そう思うと、やっぱりあの看板はiPhoneのことで心がどこか折れたままの私へのエールだったんじゃないかなと思った。
写真撮影してしまうぐらいに私にはインパクトがあって、そしてそれを見て元気をもらったのも本当だった。
相変わらずペンジュラムからも、本人は知らないところでその人からも、色々助けられている。
あの時はiPhoneが割れてテンパっていたことも手伝ってまともな思考回路に昼間はなかったけれど、よく考えたらiPhoneのマップよりもペンジュラムの方が確実に正確に目的地へナビゲートしてくれる。
あまりに混乱してて2つを両刀使いしていたけれど、ペンジュラムの通りに進むと正解で、マップを見て自分なりに理解したつもりで行くと180度反対方向に進んだりと、相変わらずすごい方向音痴っぷりを発揮していた。
占星術のクラスメートたちはご飯を一緒に食べに行くとなって、なんと今回私は1人で有楽町の駅に行くことになった。
別れた時点でどこにいるのかもわからず、駅の行き方を聞いて進んだけれど、もれなく迷子になり。
やっと駅見つけた!と思ったら日比谷駅。
あの近辺をハッピーアワーのオシャレ居酒屋とか見ながらかなりウロウロしていた。
その後ヒーラーのOさんとの勉強会だったから本気の迷子では困ると思って、読めないマップを雨の中出して、なんとか有楽町駅に着いた。
地下鉄に乗ってから、到着時間が微妙だということに気付いた。
Oさんとの待ち合わせは7時。
到着は6時半過ぎ。
駅から移動すると多分店まで15分ぐらい。
10〜15分ある。
デパ地下ウロウロもいいなぁとか考え出す。
名古屋にいた時はいつでも行ける、なんなら歩いて行ける距離にデパートがあったから、全然ありがたみがなかったけれど、新潟の田舎生活になったら、いちいちお江戸上京の際は色々楽しくて仕方ない。
で、私は電車の横並び中央辺りの座席に腰掛けながら、ペンジュラムを出してどこに行くのかを聞いた。
そもそも、まず時間的に直行するのか寄り道するのかを聞くと、直行にNOが出た。
寄り道にYES。
寄り道しなくてもいいかを聞くと、NO。
時間がかなり限られているから、行ける場所を特定することにした。
頭の中で駅周辺をまず6等分した。
集合場所から一番遠い右上はないだろうと思って他の5つを聞いたら、他5つはNO。
右上YES。
えっ?と思った。
右上にあるのは東武デパートかルミネになる。
東武にNO、ルミネにYESが出た。
よりにもよって一番遠いルミネ。
行かないのもあり?と聞いたら容赦なくNOが出た。
これ行くんだとわかった。
でも私としても遅れることは避けたい。
ペンジュラムに、私は行くとしても地下1階だけだよ!それ以上上の階は時間ないから無理だからね!と心の中で話しかけて、そこで何だか知らない用事は足りるの?と聞くとYESだった。
唸りたくなったけれど、行かないことはないし、地下に何かあると言うし、何だ?と思った。
(↑自分から聞いたくせにかなりひどい)
とりあえず改札を出ると35分近くになっていた。
ルミネの行き方も怪しかったから(ルミネは池袋の駅地下で毎回道をどこかで間違えるらしく一発でたどり着けたことがない)、ここはペンジュラムにナビしてもらおう!と即決して、ペンジュラムに聞きながら歩いた。
その歩いている途中で、
○○
○○
○○
○○
○○
○○
と、とある人の名前が6個も縦に並んでいる看板を見つけて「えっ⁉︎何これ⁉︎」と思った。
思わず足を止めて、道行く人たちのものすごい邪魔になりながら、画面の割れたiPhoneで写真に収めた。
私はもしや?と思って、ペンジュラムにこれを私に見せるためにルミネに行けと言った?と聞いたらNOで、ルミネは行くは行くらしかった。
そんな予期せぬ看板と写真撮影なんかもうっかり加わったものだから、またそこでも1〜2分のロスが生じた。
こんなに時間押してるのに何故にルミネ?と思いながらひたすら進んだ。
ルミネの前の広場の特設サイトで可愛い雑貨があった。
ちょっとだけ!と思って見て、ペンジュラムにこれ?と聞くと違うと出た。
とにかく地下1階の中が今回ペンジュラムが案内したい場所らしい。
中に入って3つ目ぐらいの店がオーガニックコスメを扱う店だった。
そこでようやく「あーーーーー!」っとなった。
すっかり忘れていたけれど、今回時間があるなら朝使う洗顔石けんを買いたいと思っていたことを思い出した。
iPhone事件とか迷子とか看板登場とか色々ありすぎて忘れていたけれど、そう言えばそんなこと自分の中で計画してたんだった!とようやく自分の記憶が呼び覚まされた。
ところがその店には気に入る石けんがなくて、合うか合わないかもわからない1000円と2000円の高級輸入洗顔石けんはあったけれど、そんな博打みたいなことはしたくなかった。
しかも2000円の方は地元でも買える。
もっと購買意欲が失せた。
ペンジュラムにも聞くと、どちらの石けんにもNOが出た。
そこを出ると、馴染みの自然派化粧品の店があった。
そこのはこれまでも何回か使ったことがある。
そこに見に行って、200円台という値段も素晴らしければ、種類も豊富で、その中のどれかを買うことに決めた。
1年前38歳の私は、そうした洗顔用品やハンドクリームというものに対して、人生で初めて興味を持つようになった。
これまでも普段使いするから全くの無関心ではなかったけれど、関心の理由が大きく変わった。
それまでは機能的であれば良かった。
かなりいい加減だから、最低限肌を潤わせてくれたらそれで良かった。
去年から私の選ぶ理由は変わった。
機能面はもちろん従来通り重視しているけれど、それ以上に「きれいになりたい」願望が出てきた。
元の造りとかは変えられなくても、肌をきれいにするとかはできるから、そういうことを本当にきちんとしたくなった。
きれいにしたい!とかなりたい!と一瞬だけ思うことはあっても、元来面倒くさがりの私はすぐに飽きたり簡単に止めてしまう。
だけど、去年の夏から私は継続的にそういうことを日々心掛けるように変わった。
上手くいかなかったことの方が多いけれど、そうした副産物のように上手くいったこともあって、それは素直に喜んでいる。
で、そのことにより夜の洗顔は一生モノ!というものに出合えたけれど、朝の洗顔はそこまで面倒もしていられないから、もっと簡単にできる洗顔石けんを色々あれから試している。
それまでは朝夜一緒のものを使っていたけれど、ある時友達から洗顔の泡を作るグッズがわざわざ送られてきて、それを夜専用で使うことで朝と夜それぞれ使うものを分けた。
しかもそのおかげで、朝の洗顔石けんについては色々試す楽しみが増えて、なくなる度に次は何にしようかな♪という探す楽しみがある。
石けんなんてそんなにすぐにはなくならないから、一生のうちで山ほどの石けんは試せない。
しかも「これいい!」というのに出合えたら、石けんジプシーは止めると思う。
本当は良いのを1つ知っているけれど、どうせなら飽きるまで色んな石けんをあれこれ試すのもありだなと思って、それで1年前から石けんコレクターになっている。
基本は無くならないと買わないから、コレクターとは違うけれど。
その店のものは当初使ったことのある石けんだから止めようかと思ったけれど、種類は全種類制覇してないから、その中で新しいのを選んでもいいなぁと思ってそれで店に立ち寄った。
いくつか気になる匂いのものがあって、さらに期間限定商品も出ていた。
どれも選びがたくて、ここはペンジュラムに聞こうと思ってペンジュラムに聞いた。
ペンジュラムが選んだのは期間限定のものだった。
たしかに気になっていたし、匂いも1、2位を争うぐらいに好きだったから、それを買うことに決めた。
レジに並ぶと、私の前の人が商品券とSuicaを組み合わせて支払いたいとかで、レジトラブルが起きた。
時間が押していたけれど、私はそもそものお目当ての「朝用の洗顔石けんを買う」ことが叶って、しかも私はすっかり忘れていたのにペンジュラムが助けてくれたから、それで大満足して気にもならなかった。
私の番になった。
とってもラッキーなことに、そのお店の商品の試供品をもらえた!
そこの商品は、自分用に使うのもそうだけど、人にプレゼントする用としてもしょっちゅう使っていて、これまで一度も試供品なんてもらったことがなかったからビックリした。
仕事を一緒にしてた人から最初プレゼントされて、それですっごく嬉しかったのと、そこの商品はプレゼント用だと普段使いするにはちょっとした特別感を味わえて確実に喜んでもらえるのとで、超重宝していた。
だからギフト用なら当然200円台のわけがなく、自分のと合わせてもお札で買うような感じになっていたけれど、これまで本当にただの一度も試供品はもらっていない。
だからたかが200円台の小さな買い物でそんな風にしてもらえてめちゃくちゃラッキーだった。
レジトラブルのお姉さん、ありがとう!と思った。
それを終えて、急いで集合場所に行って、無事1分前に到着した。
ペンジュラムの凄さにすっかり気を良くしていた。
あれから数日経った今日。
洗顔石けんと一緒に同封された商品のパンフレットを見た。
ちなみに商品パンフレットも今回初めてそんなものがあったと知った。
普段そんなのじっくり見ないけれど、今回は気になってじっくりと読み込んだ。
「あっ!」となった。
最後数種類の中から選ぶ時に、最後まで迷ったうちの1つと実際に買った1つとがあった。
パンフレットを見て、実はその2つはそれぞれ肌タイプが違っていて、私が買ってきた方が私には合っていて、ペンジュラムがNOを出した方だと肌タイプが違っていたことが判明した。
使ったとするなら、おそらくつっぱったと思う。
ペンジュラムは何でもお見通しだったんだなぁと思った。
そうしたら、もう一つ気になることが出てきた。
ルミネの道中で見かけた看板。
ペンジュラムはあれは想定外のことでペンジュラムもそんなこと意図してそこを案内したわけじゃない、とあの日は言っていた。
でも、あれもペンジュラム意図したでしょう!と思って今日再度聞いたら、YESが出た。
あの時ペンジュラムは「これじゃないし、これはたまたま」と言わんばかりのことを言っていた。
私も時間が押していて全然気に留めてる場合でもなかったから、そのままにしていた。
だけど、あの時ペンジュラムの方が確実に上手(うわて)だった。
なぜなら、もしあの看板の前でペンジュラムが「それを見せるためにここを案内した」にYESを出したなら、私のことだから時計を見てルミネには行かず踵を返してそのまま集合場所へ向かったと思う。
だけどペンジュラムはあの時その看板は予知してなかったよぐらいな感じだったから、ペンジュラムも知らない時があるんだね、なんて思ってルミネへ急いだ。
でもよく考えると変だった。
ルミネの行き方は一種類じゃない。
しかもその日通った道は初めて通ったから、普段はその経路で行かない。
私の過去の経験則で判断したなら、そこは通る予定さえなかった。
だけど、ペンジュラムはあえてその道を案内したし、案内してすぐに看板も見つけた。
しかも私も私で数メートルの幅はある通路で、その看板にものすごく近い位置をずっと歩いてた。
真逆の側を歩いてたなら気付きようもなかった。
だから全てうまい具合に事は運んでいたし、ペンジュラムもわかりきっていてあの道を案内していた。
私の性格もよく知ってくれていて、私があの看板で満足してその場で踵を返さないように、ペンジュラムはわざとすっとぼけてくれたんだなとわかった。
ペンジュラムは時々真逆の答えをわざと言って、私を本来進むべき方向に進ませることがある。
今回もそうして私の願いを叶えてくれてたんだなと知った。
そう思うと、やっぱりあの看板はiPhoneのことで心がどこか折れたままの私へのエールだったんじゃないかなと思った。
写真撮影してしまうぐらいに私にはインパクトがあって、そしてそれを見て元気をもらったのも本当だった。
相変わらずペンジュラムからも、本人は知らないところでその人からも、色々助けられている。
ストリップショー
過去に一度だけストリップショーに行った。
ドミニカにいた頃、男性陣に頼んでストリップショーに連れて行ってもらった。
どういう意味合いなのかはわからないけれど、女性だけでは入れない決まりになっていた。
だけど男性が女性同伴するなら行ける。
ストリップショー通いする男性たちに頼んで、私も連れて行ってもらった。
誰かが先に行って面白かった!とあれこれ感想を聞いたから、私も是が非でも行きたくなった。
日本だとどんな法律かわからないし、そんなの一生に一度だ!と思ったから、猛烈に行きたくなった。
私は裸を見たいと言うよりも、その現場を見てみたかった。
裸なら温泉でたくさん見れるし、なんなら同世代の人たちと毎日一緒に大風呂に入るなんていうこともしていたから、裸の女体にやたらと慣れている。
ちなみに当時の私は「変な光景」と思っていた。
1人2人ならまだしも、毎日10数人の裸を見るわけで、しかも毎日日替わりのごとく人も入れ替わるから、変な感じだった。
当時の私はいかに1人になれるかが大切だったから、お風呂でさえも気が休まらないその状況に辟易としていた。
だから女体そのものには大した興味はなかった。
変な言い方だけれど、脱いだらみんな同じだと感じるから。
だけど、ストリップショーは温泉や大風呂と違って、それは職業として成立していて、さらにそれを求める人たちがいる。
明らかに温泉なんかで見る裸とは意味合いが違う。
だから、ストリップショーなるものの雰囲気を見てみたかった。
中の照明はストリップショーに相応しく暗かった。
ディスコやバーなんかの落とされた照明に似ていた。
真ん中に円形のお立ち台があって、大きさは、見たことないからわからないけれど、ボクシングとかの試合のリングぐらいだと思う。
そこに数人の裸の女性が出ていた。
全裸ではなく、下は超ミニスカートみたいなのを履いていて、ノーパンだった。
男友達の解説によると、下半身を見たければチップを払うと自分の顔の上を女の人がまたいでくれるらしい。
たしかにそんな人たちがいた。
チップを渡したら、お立ち台の前に立って、頭だけお立ち台の上に置いてスタンバイする、美容院で髪の毛を洗ってもらうみたいなスタイルとでも言えばいいんだろうか、そんな男性が時々現れた。
私は1人の人から胸を触らせてもらった。
エロい意味はなくて、そうするのが礼儀みたいな感じがしたから。
胸で顔を挟んでもらった記憶もある。
一緒に女友達も行ったから、そのうちの1人が薦めてくれた気がする。
顔を挟まれたことよりも、肌がものすごく冷たかったことの方が鮮明に記憶に残った。
ついでに言うと、男の人たちはあの顔を胸で挟んでもらうことのどこに興奮を覚えるんだろう?と思った。
同性だからというのもあるけれど、私には全く萌えない状況だった。
冷え性の人が「ほら手冷たいでしょう〜」って触ってくる時のあの冷たさと同じ冷たさを感じた。
そしてその触らせてくれた女性が、たとえ商売と言えども私の方を真っ直ぐに向いてニコッと微笑んでくれたこと、それだけ覚えている。
ちなみにストリップショーの女性たちを買うこともできるとのことで、たしかに途中退席して秘密の部屋みたいなところに男性と入っていく人がいた。
行くだけ行った私はそれで満足して、その後から今に至るまで一度も行っていない。
ちなみに淡々と書いたけれど、私はそうしたことを職業にしている女性たちに対して本気で尊敬している。
理由や事情は知らない。
でも、それを仕事にするというのはとても勇気のいることだと思っている。
たしかにお金はいいかもしれない。
けれど、その代償はかなりでかい。
私は最低2人、もしかしたらもう少しいたかもしれないけれど、風俗の仕事をしたことがある人の話を聞いたことがある。
1人は友達だった。
友達の時は泣いた記憶がある。
性病をもらってしまって体がボロボロになってしまったこと、そこまでしなくてはいけないお金や人間関係の事情があったこと、それでも目の前には生きている友達がいること、感情がぐちゃぐちゃになった。
だから泣いたとしたら訳が分からずの涙だったと思う。
私が泣く立場ではないのはよくわかっていたつもりでも、泣いてしまった、そんな風に記憶している。
話は変わるけれど、30歳を過ぎてから私は男性側の体の関係の過去のトラウマを聞く機会がかなり増えた。
20代の時に2人そういう人がいた。
だけど、それはそういう人たちが稀だと思った。
ところが30代になってから何でか知らないけれど、そういうことを時々聞くようになった。
男の人たちもそれぞれ傷を持っているんだなぁと初めて冷静に見れたかもしれない。
女の人側の話はかなり聞いたけれど、男の人の話はまた違ってた。
大きな差として個人的に感じるのは、女の人側は性的被害に遭った話が多い。
男性側は逆で、中には付き合ってる人にひどいことをしてしまったという自責の念の人もいたけれど、多くはコンプレックスになってしまうぐらいの言葉や態度での傷を受けた話だった。
男の人の方が想像以上に繊細でビックリした。
ちなみにどういうシチュエーションでそんな話になるかと言えば、私お決まりのスタイルで「突然」そうなる。
相手も私も素面でもその話に突然なる。
お酒の勢いで話す人もいたけれど、意外にも素面で告白してきた人の方が多い。
当たり前だけれど、そんな話を私から振ったりしない。
もちろん質問もしない。
それは自殺未遂や虐待や暴力やその他色んな過去のトラウマを相手が突然話す時の流れと似ている。
だからコントロールのしようもないし、相手も相手で何でそんな告白を私相手に始めるのかも未知数すぎる。
場所も私の部屋とか個室の飲食店というようなプライバシーが守られた場所とは限らず、普通のカフェやレストラン、ファミレス、並んで歩いてる時、宅飲み、とにかく関係なしにどこでも繰り広げられた。
すごい物分かりがいいのでもないし、聞き上手というのも違うと思う。
あまりに色んな人生模様を聞くから、人の話をジャッジしない方だとは思う。
でもその話、私でいいの?と思うことはよくある。
これも余計な話だけれど、男の人たちでそういう話をしてきた人たちは、1人の例外もなく全員社会的にきちんとしている。
だから余計とその話するの勇気要っただろうなぁと感じた。
この手の話の時、私は多分求められない限り、何も言わないと思う。
真面目に聞くけれど、返しのマニュアルなんてあるわけもなく、多分いつも聞いて終わってる。
そして流れるまま次の話をしてるような気がする。
(基本的に私からは話を変えない。相手がそれとなく変えてくるタイミングを見てる。)
こんなこと今になって思い出すなんて思ってなかったから、自分がどうしてたかなんて記憶にない。
ちなみにこの手の話の時、内容のジャンルはさておき、生きることの本質に繋がる話なんだと感じる。
性について話す文化のないこの国で、そうした超個人的なことを話すなんて普通はあまりないような気がする。
でも、すごく閉じられた空間の中でもろに自分が丸出しみたくなるから、どうしても生きることと繋がってしまうんだと思う。
痛みや傷は心の何かとリンクしているし、本人さえも気付かないうちに自分を苦しくさせてしまう思考回路に陥っている時もある。
要は裸のコミュニケーションだから、話を聞いていると色んなことがそこで出てくる。
上手く言えないけれど、内容によってはこれ相当深い傷になって当たり前だなと感じた話もある。
思い出した。
ケースバイケースで、ちょっとだけ言葉を返すこともある。
どんな風に返したかなんて全部忘れたけれど、このまま聞いて終わりではまずい気がする…となんとなく感じたら何かは言う。
例えばそんな自分はカッコ悪いと言う人がいたとするなら、それを告白する方が何十倍と勇気が要ると思う、というような感じで。
相手を否定も肯定もしない代わりに、感じたままを言う。
普段おかしなことはたくさん言っているらしいけれど、そういう時の私の口はそんなにおかしなことは言ってないと思う…多分。
普段のツッコミが100なら、そういう時につっこまれたことは一度もない。
だから多分おかしなことは言ってないはず。
変な誤解を招きたくないから言い訳すると、この話をした理由は、たまたま読んだ50代以降の女性の素敵な年の重ね方の話に「ストリップショー」なる言葉が出てきたから。
正しくは、その話の中ではなく、別の記事で日本人男性のキャバクラ通いを猛烈に批判していて、その中で出てきた言葉。
話をするためにもしくは性的な関係を持つために大枚をはたく文化を叩いていたけれど、私はそれを読んだ時に、反対にお金を出してまでそうした選択をする意思決定プロセスの方が気になった。
多分だけれど、あの心の闇みたいなのを多かれ少なかれ持ってる人たちがいるとするなら、ある意味お金出してその道のプロと話すなり事に及ぶなりしてる方が自分自身が楽になるのかもしれない、と想像できる。
人間痛みに強くないから、その痛みのはけ口みたいにも見える。
ましてや男の人の方が絶対的に痛みに弱い。
そうしたことを色んな視点から見ると、また見えるものも違ってくる気がする。
そういうことを肯定・推進するわけではないけれど、正面きって否定や非難もできないなぁと感じている。
でもそれはあくまで友人・知人・同僚レベルの話。
もし自分の付き合う人や結婚する人がそうなら私はそれは受け付けられないから、そんなことがもし起こったらバッサリと関係を断つと思う。
ということで、その記事がトリガーとなって記憶がパッと蘇って言葉にしただけ。
寝る前に書いただけあってすごい話になっているけれど、せっかく書いたからこのままアップ。
ドミニカにいた頃、男性陣に頼んでストリップショーに連れて行ってもらった。
どういう意味合いなのかはわからないけれど、女性だけでは入れない決まりになっていた。
だけど男性が女性同伴するなら行ける。
ストリップショー通いする男性たちに頼んで、私も連れて行ってもらった。
誰かが先に行って面白かった!とあれこれ感想を聞いたから、私も是が非でも行きたくなった。
日本だとどんな法律かわからないし、そんなの一生に一度だ!と思ったから、猛烈に行きたくなった。
私は裸を見たいと言うよりも、その現場を見てみたかった。
裸なら温泉でたくさん見れるし、なんなら同世代の人たちと毎日一緒に大風呂に入るなんていうこともしていたから、裸の女体にやたらと慣れている。
ちなみに当時の私は「変な光景」と思っていた。
1人2人ならまだしも、毎日10数人の裸を見るわけで、しかも毎日日替わりのごとく人も入れ替わるから、変な感じだった。
当時の私はいかに1人になれるかが大切だったから、お風呂でさえも気が休まらないその状況に辟易としていた。
だから女体そのものには大した興味はなかった。
変な言い方だけれど、脱いだらみんな同じだと感じるから。
だけど、ストリップショーは温泉や大風呂と違って、それは職業として成立していて、さらにそれを求める人たちがいる。
明らかに温泉なんかで見る裸とは意味合いが違う。
だから、ストリップショーなるものの雰囲気を見てみたかった。
中の照明はストリップショーに相応しく暗かった。
ディスコやバーなんかの落とされた照明に似ていた。
真ん中に円形のお立ち台があって、大きさは、見たことないからわからないけれど、ボクシングとかの試合のリングぐらいだと思う。
そこに数人の裸の女性が出ていた。
全裸ではなく、下は超ミニスカートみたいなのを履いていて、ノーパンだった。
男友達の解説によると、下半身を見たければチップを払うと自分の顔の上を女の人がまたいでくれるらしい。
たしかにそんな人たちがいた。
チップを渡したら、お立ち台の前に立って、頭だけお立ち台の上に置いてスタンバイする、美容院で髪の毛を洗ってもらうみたいなスタイルとでも言えばいいんだろうか、そんな男性が時々現れた。
私は1人の人から胸を触らせてもらった。
エロい意味はなくて、そうするのが礼儀みたいな感じがしたから。
胸で顔を挟んでもらった記憶もある。
一緒に女友達も行ったから、そのうちの1人が薦めてくれた気がする。
顔を挟まれたことよりも、肌がものすごく冷たかったことの方が鮮明に記憶に残った。
ついでに言うと、男の人たちはあの顔を胸で挟んでもらうことのどこに興奮を覚えるんだろう?と思った。
同性だからというのもあるけれど、私には全く萌えない状況だった。
冷え性の人が「ほら手冷たいでしょう〜」って触ってくる時のあの冷たさと同じ冷たさを感じた。
そしてその触らせてくれた女性が、たとえ商売と言えども私の方を真っ直ぐに向いてニコッと微笑んでくれたこと、それだけ覚えている。
ちなみにストリップショーの女性たちを買うこともできるとのことで、たしかに途中退席して秘密の部屋みたいなところに男性と入っていく人がいた。
行くだけ行った私はそれで満足して、その後から今に至るまで一度も行っていない。
ちなみに淡々と書いたけれど、私はそうしたことを職業にしている女性たちに対して本気で尊敬している。
理由や事情は知らない。
でも、それを仕事にするというのはとても勇気のいることだと思っている。
たしかにお金はいいかもしれない。
けれど、その代償はかなりでかい。
私は最低2人、もしかしたらもう少しいたかもしれないけれど、風俗の仕事をしたことがある人の話を聞いたことがある。
1人は友達だった。
友達の時は泣いた記憶がある。
性病をもらってしまって体がボロボロになってしまったこと、そこまでしなくてはいけないお金や人間関係の事情があったこと、それでも目の前には生きている友達がいること、感情がぐちゃぐちゃになった。
だから泣いたとしたら訳が分からずの涙だったと思う。
私が泣く立場ではないのはよくわかっていたつもりでも、泣いてしまった、そんな風に記憶している。
話は変わるけれど、30歳を過ぎてから私は男性側の体の関係の過去のトラウマを聞く機会がかなり増えた。
20代の時に2人そういう人がいた。
だけど、それはそういう人たちが稀だと思った。
ところが30代になってから何でか知らないけれど、そういうことを時々聞くようになった。
男の人たちもそれぞれ傷を持っているんだなぁと初めて冷静に見れたかもしれない。
女の人側の話はかなり聞いたけれど、男の人の話はまた違ってた。
大きな差として個人的に感じるのは、女の人側は性的被害に遭った話が多い。
男性側は逆で、中には付き合ってる人にひどいことをしてしまったという自責の念の人もいたけれど、多くはコンプレックスになってしまうぐらいの言葉や態度での傷を受けた話だった。
男の人の方が想像以上に繊細でビックリした。
ちなみにどういうシチュエーションでそんな話になるかと言えば、私お決まりのスタイルで「突然」そうなる。
相手も私も素面でもその話に突然なる。
お酒の勢いで話す人もいたけれど、意外にも素面で告白してきた人の方が多い。
当たり前だけれど、そんな話を私から振ったりしない。
もちろん質問もしない。
それは自殺未遂や虐待や暴力やその他色んな過去のトラウマを相手が突然話す時の流れと似ている。
だからコントロールのしようもないし、相手も相手で何でそんな告白を私相手に始めるのかも未知数すぎる。
場所も私の部屋とか個室の飲食店というようなプライバシーが守られた場所とは限らず、普通のカフェやレストラン、ファミレス、並んで歩いてる時、宅飲み、とにかく関係なしにどこでも繰り広げられた。
すごい物分かりがいいのでもないし、聞き上手というのも違うと思う。
あまりに色んな人生模様を聞くから、人の話をジャッジしない方だとは思う。
でもその話、私でいいの?と思うことはよくある。
これも余計な話だけれど、男の人たちでそういう話をしてきた人たちは、1人の例外もなく全員社会的にきちんとしている。
だから余計とその話するの勇気要っただろうなぁと感じた。
この手の話の時、私は多分求められない限り、何も言わないと思う。
真面目に聞くけれど、返しのマニュアルなんてあるわけもなく、多分いつも聞いて終わってる。
そして流れるまま次の話をしてるような気がする。
(基本的に私からは話を変えない。相手がそれとなく変えてくるタイミングを見てる。)
こんなこと今になって思い出すなんて思ってなかったから、自分がどうしてたかなんて記憶にない。
ちなみにこの手の話の時、内容のジャンルはさておき、生きることの本質に繋がる話なんだと感じる。
性について話す文化のないこの国で、そうした超個人的なことを話すなんて普通はあまりないような気がする。
でも、すごく閉じられた空間の中でもろに自分が丸出しみたくなるから、どうしても生きることと繋がってしまうんだと思う。
痛みや傷は心の何かとリンクしているし、本人さえも気付かないうちに自分を苦しくさせてしまう思考回路に陥っている時もある。
要は裸のコミュニケーションだから、話を聞いていると色んなことがそこで出てくる。
上手く言えないけれど、内容によってはこれ相当深い傷になって当たり前だなと感じた話もある。
思い出した。
ケースバイケースで、ちょっとだけ言葉を返すこともある。
どんな風に返したかなんて全部忘れたけれど、このまま聞いて終わりではまずい気がする…となんとなく感じたら何かは言う。
例えばそんな自分はカッコ悪いと言う人がいたとするなら、それを告白する方が何十倍と勇気が要ると思う、というような感じで。
相手を否定も肯定もしない代わりに、感じたままを言う。
普段おかしなことはたくさん言っているらしいけれど、そういう時の私の口はそんなにおかしなことは言ってないと思う…多分。
普段のツッコミが100なら、そういう時につっこまれたことは一度もない。
だから多分おかしなことは言ってないはず。
変な誤解を招きたくないから言い訳すると、この話をした理由は、たまたま読んだ50代以降の女性の素敵な年の重ね方の話に「ストリップショー」なる言葉が出てきたから。
正しくは、その話の中ではなく、別の記事で日本人男性のキャバクラ通いを猛烈に批判していて、その中で出てきた言葉。
話をするためにもしくは性的な関係を持つために大枚をはたく文化を叩いていたけれど、私はそれを読んだ時に、反対にお金を出してまでそうした選択をする意思決定プロセスの方が気になった。
多分だけれど、あの心の闇みたいなのを多かれ少なかれ持ってる人たちがいるとするなら、ある意味お金出してその道のプロと話すなり事に及ぶなりしてる方が自分自身が楽になるのかもしれない、と想像できる。
人間痛みに強くないから、その痛みのはけ口みたいにも見える。
ましてや男の人の方が絶対的に痛みに弱い。
そうしたことを色んな視点から見ると、また見えるものも違ってくる気がする。
そういうことを肯定・推進するわけではないけれど、正面きって否定や非難もできないなぁと感じている。
でもそれはあくまで友人・知人・同僚レベルの話。
もし自分の付き合う人や結婚する人がそうなら私はそれは受け付けられないから、そんなことがもし起こったらバッサリと関係を断つと思う。
ということで、その記事がトリガーとなって記憶がパッと蘇って言葉にしただけ。
寝る前に書いただけあってすごい話になっているけれど、せっかく書いたからこのままアップ。
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