2014年4月24日木曜日

無気力の時間

これは、無気力の時間を通り抜けた後に書いている。

自分の「望んだ方向」での決断を先延ばしにし、とりあえずの仕事を始めて2週目に突入。

自分の決断がとことん甘かったと何度も何度も後悔した。

仕事が決まったと連絡が来た時、わたしは泣いた。

断るなら今だ、とわかっていても、「はい」と返事している自分。

心の中は、葛藤だらけで、「NO」ときっぱりと言っているのに、

体の方の口は、「はい、よろしくお願いします」と言う。

猛烈に自分を責めながら返事をしていたあの瞬間。

情けなさやふがいなさ、色んな感情でごった返しになっているのに、

平静を装っている自分。

しばらくどんよりしていたけれど、

とりあえず、仕事に行きながら考えたらいいと、気持ちを切り替えた。

仕事に行き始めて考えるのかと少しは期待してみたけれど、これが真逆で、

葛藤は葛藤のままわたしの未来の時間に引き継がれ、

そのうち考えるのも疲れてきたのに思考は24時間体制で働き、

毎日色々とやばいやばいと頭で繰り返し、

そして気付いたら、何をする気にもならず、何とか日常を過ごすのに目一杯になっていた。

何も手に付かない時間というのが、一人になった途端に押し寄せてくる。

家に帰っても休まらない。

このまま日々が過ぎ、それが1週間、1ヶ月、1年、一生・・・と続いたら・・・、

と悪い進行方向をあれこれ想像して余計に萎えたり、

思考は止まらなくても、「これをしたい」が何もなくなってびっくりした。

読みたかった本も読めず、

書きものも嫌になり、

ゆっくりと飲むコーヒーにも見向きもせず、

散歩も人と会うこともゆったりすることも、

何もかもいやになっていた。

何もしたくなくなってしまう無気力の状態、わたしはこれがとても苦手だ。

何かを変えたかったら、ほんとに小さなことでいい、

小さな風を毎日の生活の中にひとつ送りこまないと、何も変わらない。

だけど、その肝心の風を送りこむだけの「何かしたい」気持ちが湧かない。

これはいつなっても苦しいし、そういう自分からはいつも目を背けたくなる。

ちなみに、今だからすごくよくわかるけど、

そういう時のわたしは、まじめに「休めない」タイプだ。

リラックスしたらいいとか、少し休んだらいいとか、

わたしの場合は、そういうものが余計と自分を圧迫する材料になってしまう。



今回、どのようにその「無気力の時間」を通り過ぎたのか・・・

単純にこの無気力の状態に疲れて、逆に「あぁもう、ちょっと他のことをしたい」

となったのもある。

落ちるだけ落ちていたら、ふっと浮上した感じになぜかなったのもある。

もうひたすら過ぎ去ってくれるのを待つしかなかった感じもある。

そういう小さなことたちが重なってくれて、「よっし!」とちょっと回復できたのが今。



その無気力時間の最中の昨日かおとといの夜中、

眠りから途中で覚めると頭が冴えて眠れなくなり、携帯の心理テストをやった。

誤解を生まないように言うと、

わたしの中で「心理テスト」は、やりたいことじゃない。

どうしても何か気を紛らわせたくてやること。

この心理テストが実に今の状態のわたしをうまく言い当てていて、

これには言葉は強いけど、逆に救われた。


「心は決まっているのに、それを否定したら、混乱するのは当然です。

妥協したら、夢は二度と戻ってはきません。

逃げることを考えずに進みましょう。」


言い訳もできないくらいにその通り過ぎて、どこかすっきりとした。

わたしが自分自身に言えなかったことを代弁してもらったような感じだった。

人に言われたら、そのまま受け取れなかったかもしれない。

自分で質問に答えて出てきた回答が上の言葉だったから、

あぁもうそう言われても仕方ないや、とあきらめられた。



今日、仕事が終わって、バス停までの数百メートルの道のり。

すごい人混みの中にも関わらず、

「あぁ、抜けた、やっと少し抜けれた気がする」

という感覚がやってきた。

そのときに、この1週間くらいの「無気力の時間」を記録に残そうと思った。

とにかく、その時々の気持ちをわたしはノートにひたすら書く習慣がある。

特に、がっつりと落ち込んだりもやもやしている時のことほど、貴重だと思ってる。

今でないと、書けない。

もうちょっと元気になって欲しいけど、元気度がアップすると、この無気力の感覚は忘れる。

どういう風に作用するのか科学的な根拠はさっぱりわからないけど、

この「元気のない自分の記録」は、どういうわけか後々の自分をものすごい元気にしてくれる。

とっても情けない(と思っている)自分の姿が文字となって残るけれど、

他の誰も書けない自分だけの記録は、そのままいつかの自分を救うことになる。

2014年4月20日日曜日

おもいでぽろぽろ 3れんチャン

わたしの記憶の中にしか存在しないもの。

もう生涯そういったものたちと出会うことはないだろうとずっと思い込んでいた。

思い込んでいたというより、もうそんなこと全部忘れていた。

そうしたら、この10日くらいで、わたしの目の前にこつ然と現れて、

わたしを心底驚かせた。

ひとつは、「たいつり草」と呼ばれる小さな花。

ひとつは、「バナップル」という日本名の果物。

ひとつは、ザ・ブルー・ハーツの『情熱の薔薇』の歌詞。

この3つは、わたしの人生のある局面にひょっこり登場し、

その時は若さゆえ?、性格ゆえ?、すーっと通り過ぎてしまった。

まさかこんなに年月を経て、もう一度わたしにその姿を見せて、

当時はわからなかったことが胸に染み入るとは、人生何があるかわからない。



*たいつり草*

10日ほど前の夕方、名古屋城からもじったと思われる「名城公園」へ散歩に出かけた。

名城公園内には、小さなフラワーガーデンがある。

とっても人工的ではあるけれど、四季折々色んな花がある。

その時はチューリップが最盛期と言わんばかりに咲き乱れていた。

「チューリップ」と一口に言っても色んなチューリップがあって、

小さなガーデン内をわたしはぐるぐると練り歩きながら眺めていた。

そのチューリップの合間に、わたしはこれまで一度もお目にかかれなかったその

「たいつり草」を発見した。

足を止めて、しゃがんでその花をまじまじと見た。

色は違えども、あの時とおんなじ花だ、まちがいない、同じ花だと確信し、

花の名前が書かれている小さなプレートを見て、それが「たいつり草」という名前だと知った。



もう13年も前になる、大学の卒業式の日。

全体の式が終わった後に、各部に分かれて卒業証書を渡される授与式があった。

学部長というんだろうか、その年の学部長はわたしが4年いた間で初の女性教授だった。

彼女が卒業証書をひとりひとりに授与する係で、

彼女は卒業証書と一緒に、ピンク色の小さな花をわたしたち全員に渡していた。

直径10センチくらいの透明のガラスの器にその淡いピンク色の小さな花はたくさんあって、

その2センチくらいの小さな変わった形の花を、そっと手のひらにのせてくれた。

「おめでとう」と満面の笑顔と一緒だったと思う。

わたしは花に気をとられていて、細かいことはもう覚えていない。

だけど、その花は卒業証書以上に強烈なインパクトがあって、

わたしはその後同じ花をどこかで見かけないかと、けっこうあちこち見ていた。

ところが、どこにも見当たらない。

特殊な花なんだろうと思った。

時々、似た花は見かけたけど、大きさや形が微妙に違っていた。

その花をもう二度と見ることもないだろうと思って、花の存在も忘れていた。

そうしたら、まさかうちの近所の名城公園に植わっているとは(人工的に)。

実際のたいつり草は、ミニトマトのように、鈴なりになっていた。

それをひとつひとつそっと取って、つぶれないように器に入れるのは、

けっこうな神経を使う作業だったに違いない。

しかも、すぐに駄目にならないように、多分当日の朝その先生は摘み取ってくれたんだろうと思う。

たいつり草という名前を知れたこともうれしかったし、

卒業式のシーンを色々思い出せたのもうれしかったし、

今頃になってわかった先生の気遣いもうれしかった。



*バナップル*

きのう、うちの近所の八百屋で目にした「バナップル」。

2、3ヶ月前から、バナナレモンスムージーにはまり出して、バナナを定期的に買うようになった。

1袋に5本くらい入っていて100円のものであれば、それ以上のこだわりはない。

「100円」と大きく書かれたカードが目に入って、いつものバナナだと思ったけど、

なぜかやたらと丁寧に包装されていて(贈答用のメロン並み)、

さらには「バナップル」と大きく書かれたシールまで貼られている。

聞き慣れない名前に、ひとつ手に取ってよく見ると

「リンゴ風味のフルーティーデザート」とある。

これは、わたしの記憶どころか、この話をしても誰にも信じてもらえなかった、

幻のリンゴ味のバナナだと推測した。

日本では、多分 banana と apple を組み合わせて

「バナナアップル→バナップル」となったんだと思う。

それは、地球の裏側、ドミニカ共和国でわたしは初めて目にした。

当時住んでいた家の人が、親戚からもらったと言って、わたしに2、3本バナナをくれた。

「それね、『ギネオ・マンサーナ』(ギネオ=バナナ、マンサーナ=リンゴ)っていうの」

と教えてくれて、実際に食べてみると、ほんとうにリンゴ味のバナナだった。

衝撃的なおいしさで、ドミニカでマンゴと並ぶわたしの中で大好きな果物だった。

ところが、バナップルことギネオ・マンサーナは、まず店頭にもその辺の市場にも並んでない。

わたしも2年いた間に、3回くらいしかお目にかかれなかった。

それも全部家の人とか仕事の人経由で、一体どこにあるのか皆目見当もつかなかった。

この話を何人かの日本人の人にしたけど、

誰一人食べたことがなく、そんなの本当にあるの!?というレベルの幻の果物だった。

それが、まさかまさかのうちの近所の八百屋でギネオ・マンサーナと思しき果物を目にするとは。

違っていてもいいから・・・と腹をくくり、2袋買った。

ドキドキしながら1本食べた。

まだ熟しきってないからわたしがドミニカで食べたものより味は薄かったけど、

紛れもない、バナップルことギネオ・マンサーナだった!

4年近く八百屋に通っているけど、バナップルを見たのは今回がはじめて。

幻の果物ではなく、ほんとうに実在していたんだ!と感動した。

買ったのは、フィリピン産だったけど、こうして感動の再会を果たし、

思い出の中にしか存在しなかった味を追体験できるなんて・・・

ちなみに、これはもったいなくて、スムージーにはせず、

そのまま素材の味を堪能すると決めた。



*『情熱の薔薇』の歌詞*

本を読んでいたら、その中にザ・ブルー・ハーツにインタビューしたみたいなことが書かれていた。

突然ブルーハーツの音楽を聞きたくなって、youtubeで検索してかけた。

3曲目『情熱の薔薇』がかかって

「答えはずっとおくの方、こころのずっとおくの方」

「花びんに水をやりましょー」

という歌詞が耳に届いて、それをそのまま頭の中で文字に直した時、

はっと思いついて、ある友達からの手紙を夢中で探した。

おととし位に、実家で手紙を整理をした時、

彼女がくれた数通の手紙がとっても良くて名古屋に持ち帰った。

そこに「♪答えはずっーと奥の方 心のずっーと奥の方♪

♪花びんに水をあげましょ 心のずっーと奥の方♪」

と書かれていて、手紙の内容に沿っていたけど、何の詩だろう?とずっと思っていた。

当時の手紙を彼女は、多分『情熱の薔薇』を聞きながら書いてくれてたんだろう。

今日改めて彼女の手紙を読んで、わたしはぼろぼろ今さら泣いてしまった。

「2週間のイギリス滞在の中で、自分が何を見て、何を学ぶかはわからない。

何も見つからないかも。

というよりも、何かを見つけるために行く事が目的でもなく、

何かを学ぶことが目的ではないみたい。

それは、結果としてついてくるんだろうなぁーと。

それより大事だった事は、『私が行きたいから行く!!』と、

自分の心にわがままになれた事。

今自分が何したいかを自分自身に、訪ねた時。

素直に自分の心がそういった事を、実現したかった。

『今が最高』であるために。」

見たら、10年前の春の消印になっていた。

色んなことが重なって

(ブルーハーツインタビューということを本で目にして、ブルーハーツ聞いて、

『情熱の薔薇』の歌詞にたどりついて、友達の手紙を探し出して・・・)

こうして今のわたしにぴったりなメッセージをもたらしてくれることもある。



たいつり草も、バナップルも、『情熱の薔薇』の歌詞と知らずにいた友達の手紙も、

わたしの記憶の中だけにとどまっているものだった。

記憶の外に出ることも、

目に見える形でそれらと再会を果たすことも、

再会することでよみがえる様々な思い出も、

どれも少し前には想像もしていなかったことだ。

特に気にも留めないちいさな出来事たちが、うんと時間が経って何かの拍子に思い出された時、

ものすごい財産として残っている。

そのときどきは、それが後に財産になるだなんて知らずにやり過ごしていたけど、

なんだろう、言葉にできないすごいエネルギーを持ってわたしの前に再び現れる。

そして、底知れぬ元気の素ややさしさみたいなのをプレゼントしてくれる。

2014年3月29日土曜日

終わりの儀式

3日前から手紙書きを始めた。

「まるで終わりの儀式だ・・・」と思って、今日の日記の題名は『終わりの儀式』にした。

明日、6ヶ月勤めた派遣の仕事が終わる。

お世話になった人たちひとりひとりに手紙を書いている。

下書きなしで、相手を思い浮かべて出てきた言葉をひたすら紙に載せる。

相手とわたしの間で起こったとても個人的なエピソードを、

わたしの目線から見えているもの、感じているものを、そのまま言葉という道具を使って紡ぐ。

「ありがとう」以外の文章は、書き出しも内容もてんでばらばらだ。

手紙を書くことは、ふつうに思い付いてやりだしたけど、

お礼の小さなお菓子たちがあまりにも小さくて、

それをフォローする意味でも手紙を付けたいという裏心もまちがいなくあるけれど、

ふと気付くと、わたしは何かの終わりを迎える時、

毎回毎回、その時にお世話になった人たちに手紙を書く習慣がある。

あまりに毎回自然にやっていたから気付かなかったけど、

気付けば、他にもっとやらなきゃいけないことそっちのけで、手紙を書いたりする。

書きたくなるから、書いてしまう。

礼儀で書くなんて気はまるっきりゼロで、

今伝えないと一生伝える機会を失う気がする、

という気持ちで書いている部分が大きいと思う。



いったい、いつからそんな風にわたしは習慣づいたのだろうか・・・

いまいち思い出せないけれど、

ひとつ、もしかしたらこれかな・・・?というのをさっき思い付いた。

大学卒業してアメリカから日本に帰るという時。

わたしは大学最後の1年、10歳年上の社会人の女性と一緒に暮らしていた。

お互いの生活リズムはてんでばらばらで、

1週間に一度、ふたりでキッチンのテーブルを囲んでゆっくり話ができればいい方だったと思う。

すれ違い生活だったけど、だったからこそ(?)

とにかくとても仲良く暮らせた。

なにせ、いつも土壇場になって切羽詰まらないと動かないわたしは、

その当時も超ぎりぎり、その町を出る当日の日中すらも、

最後の荷物整理や片付けに追われていた。

まるっきし周りを見渡す余裕なんかなく、自分のことで手一杯だった。

そして、どのタイミングでかは忘れたけど、

わたしはクリスティン(ルームメート)から、手紙とプレゼントを受け取った。

手紙とプレゼント、すっごくうれしかったけど、

そのうれしさよりも、さんざんお世話になったクリスティンに、

手紙のひとつも書かなかった自分が悔やまれた。

たぶん、最後の日だったのではと思う。

もう、クリスティンに手紙を書く時間すら残されていなかったから。

あの時にわたしは猛烈に後悔したんじゃないかと思う。

そして、それからたしかに、何か終わりを迎える時は、

その時ご縁あって一緒になった人たちにお礼の手紙を書いて渡している気がする。



あと2人分の手紙が残っている。

仕事は最後の最後まで興味も湧かず、好きになることも全くなかったけど、

そこで働いている人たちにわたしは猛烈に興味を覚え、好きになった。

ちなみに、最後に書こうと思っている人は、

職場になじめず、仕事もなじめず、

そして職場の雰囲気や体質に対してものすごく嫌気がさしていた頃、

わたしにその仕事の「こころ」の部分を教えてくれた人だった。

その人はこうわたしに伝えてくれた。

「ほら、困ってわたしたちのところに電話してくるわけでしょ?

せめて、電話が終わった時に、その人が抱えていた問題や困っていたことが

ちょっとでも緩和してくれたらいいなぁと思って(わたしは仕事してるの)」

その人のその言葉を聞かなかったら、わたしは絶対に途中で仕事を投げ出したと思う。

事務的な対応や、言葉はきれいだけど中身のない対応に、

わたしは一体何をここでしているんだろう・・・と思っていた。

でも、それはわたしの見方であって、

見方を変えたら、彼女みたいな気持ちで仕事もできるんだと目の前で教わった。

彼女は事務的な対応も、言葉だけで取り繕うような対応もしてなくて、

どこまでも彼女は彼女の信念に基づいた仕事をしていた。

そういうことは、直接だと照れてとてもお礼なんか言えないけど、

手紙でなら言える。

そして、直接手渡しできるのは、もう明日しかない。

その明日に向かって、わたしは彼女ともう一人に向かって手紙を書く。

いつからか始めた、わたしなりの「終わりの儀式」、

案外自分で気に入っている儀式だ。


2014年3月8日土曜日

30歳の朝から5年+

朝、地下鉄ホームに入り電車を待っていたほんのわずかの時間。

時間にしたら1分か2分。

とつぜん、30歳になったばかりの日の朝の光景を思い出した。

わたしは、その日、朝起きてすぐに鏡の前に立った。

鏡の中の自分を見て、いつか大切な人から教えてもらった

「鏡の中の自分の顔を見てとにかく笑ってごらん。

笑えなくても、笑ってごらん。」

をやろうと思ったら、わたしは笑う代わりに、色んな感情がどどっと押し寄せてきて泣いた。

ほんとうに一瞬だけ泣いた。

だけど、その時のわたしの目は、まるで何十分も泣いたかのように真っ赤に腫れ上がった。

強く出てきた感情の分が、そんな風に目に現れたかのようだった。

すぐ近くでは、ふたりの友達がまだ夢の中にいた。

友達と飲み明かし、楽しい時間を山ほど過ごし、これ以上望んだらばちあたりではないかと

心配する位に、素敵な30歳の幕開けだった。

だけど、その日の朝、わたしはなぜか笑えず、突然泣いた自分に自分で驚いた。


そんなことを今朝の電車を待つわずかな時間に思い出していた。


あの日からもう5年を迎える。

30代に突入する前の時間。

わたしは、どういうわけか30代をとても楽しみにしていた。

「あぁもう30歳になる!」とそれこそ20代後半からそんなことを口にする人たちを

色々見ながらも、わたし一人はなぜか30代という時間がとても楽しみだった。

どんな年代になるんだろう・・・

計画0、夢の貯金使い果たし、まっさらな30代の幕開けだった。

もちろん、不安も心配もあったけど、これから先どんな展開を迎えるのか、

何にも想像がつかず、それが逆に楽しみでもあった。

あれからの5年間で、今のわたしは、楽しみからは程遠い形で、自分の人生が展開している。

もちろん良かった思い出もある。

だけど、苦い思い出、正面から見据えるのに随分と時間が必要となった出来事が、

もうこれでもか、これでもかと押し寄せた5年間だったように思う。

すべて自分が選んだ結果とはいえ、とにかく手痛い思いを繰り返しし、

迷い悩み立ち止まり落ち込み・・・が主軸と言わんばかりだった。


この日記を書き始めた時、もっと別のテーマがあったように思うけど、なんだか思い出せない。

代わりに、この5年間で手に入れたものってなんだろう?って今考えている。

この冬ごもりのような、いろんなものを見失ったかのようなふらふらしたこの5年間で

手に入ったもの。

それを振り返るのは面白い。

あぁ。振り返る行為を楽しめるくらいの余裕が自分に生まれた、これは確実に手に入ったもの。

よくわからない度胸や強かさ(「したたーかさ」と読むとつい最近知った)、

それも手に入った気もする。


何を書こうとしていたか、思い出した。

特に34歳の1年間は、史上最悪な位、毎朝色んな意味で不安だった。

そう、恐らく周りの人たちが「30歳になるのが怖い」という感じのものが、

わたしは今頃、35歳を目前にした34歳にそれが出てきた。

未来を考えると、暗澹たる気持ちに何度もなった。

自分の人生、これでは駄目だ!と駄目出しするそばから、

どんどん自分で自分の気力を奪って、ますますネガネガオーラに包まれた。

そうだった。

今朝、30歳を迎えた最初の朝を思い出した、その直前。

わたしは、この34歳が、もう二度とたどれない34歳が「35歳になる怖さ」のあまりに、

34歳の自分を忘れ、嫌でもやってくる35歳の自分ばかりを意識していた。

あぁなんだかもったいないことをしてしまったなぁ・・・って思ったんだった。

そう、だから、先を思い悩むことは止めようと思ってすぐに止められないものだとしても、

せめて、今しかない34歳なら34歳、35歳なら35歳を楽しもう、

今その年齢に達したから味わえるものを味わおう、って思ったんだった。

残りの34歳2日間、とりあえず「34歳満喫」と心の手帳に記す。

2014年3月4日火曜日

女子グループの克服

今月で6ヶ月目を迎える、そして今月で終了する派遣の職場でのこと。

今、所属している部署は、9割女子。

3つの部署でワンフロアを使っているけど、全員で60人位いてフロアの半数は女子。

そのうちの20数名の女子がわたしが今いる部署の人数。

勤め出してすぐの頃。

THE女子と言わんばかりの雰囲気に圧迫感を感じ、

誰とも仲良くならずに、一匹狼状態でわたしはただただ通った。

個人的に話せば、この人いいなぁと感じる人もいたけれど、

すでに目に見える範囲で女子グループ?派閥?的なものは存在し、

とにかく、極力関わりを持たないように、遠巻きに人々を見ていた。

THE女子的なグループの存在する組織に属するのは、高校卒業以来だ。



お世話になりつつも、会社そのものの体質というか雰囲気は未だに好きではないし、

頭にくることは、それも、帰宅後もずるずると怒りをひきずってしまうようなことは時々起こるけれど、

でも、なんともうあと3週間もすれば辞めますよ~というところにきて、

まさかの女子グループ克服。



今では、隣りの席になればおしゃべりする人もいれば(席は毎日替わる)、

お昼休み一緒になればお弁当を一緒に食べる人もいれば、

このあいだは、一部の人と飲み会に出かけ、

そして今日はまた新たに、なんと休みの日に、ビール工場見学に行って生ビールの試飲に行こう!!と約束する人まで現れた。


年齢も、ファッションスタイルも、生活スタイルも、考え方も、

色んなことがまるっきし違う人たちばかりだけど、

わたしが好きだなぁ~と思う人たちには共通点がある。

それぞれ違った魅力だけど、人間的魅力にみんな溢れている。

そして、みんな「ひとり」で動ける人たちだ。

変な言い方だけど、

気の合わない人たちとお昼が重なれば、それぞれがひとりで食べることができる人たちだと思う。

席が隣り同士でも、合わない者同士は、暗黙の了解で私語なしで終始貫ける。

それが出来る人たちというのは、わたしにとって居心地がいい人たちだ。

ひとりもいいし(と実際に思っているかはわからないけど)、

人と一緒ならそれも楽しいよね♪

という位のスタンスの人たちだと、わたしは女子グループ集団の中でもやっていけるんだとわかった。


20年前の中学生のわたしはそれがまるっきしできなかった。

クラスで、孤立していた。

そこにいじめもあった。

孤立したからいじめにあったのか、

いじめられたから孤立したのか、

順序はわからない。

でも、ただひとつはっきり覚えているのは、

孤立もしていたし、いじめにもあったこと。

毎日学校に行くのがしんどくてたまらなかった。

その頃の自分では、とうてい想像できない今の自分がいる。

こんな風に、うんと時間が経って、

当たり前だけど、もう大人だから、自分の付き合いたい人たちを選べるようになってから、

まして最初は苦手な人たちばかりだ・・・と思っていた集団の中で、

こんな風に女子と仲良くなれるというのは、思ってもみない展開だけに、

単純にわたしはうれしい。


2014年2月14日金曜日

創作欲とつながる 【光の図書館 uno】

新ブログ『光の図書館』を始めてわかったこと。
http://bibluz.blog.fc2.com/

光の図書館に載せる話は、100%実話。

そして、それらはいつ思い出しても、とても心をぽかぽかと温めてくれる、
「宝物」と呼んでもいい、そういう話ばかりだ。

もちろん、話そのものにも心動かされるものもあるし、
そのひとつひとつが起こった時のことを思い出す瞬間に感じるものもある。

感じることが二層になっている。

出来事そのものに対してと、
出来事を思い出す瞬間に湧き上がるものと。

当初、1週間に1話ずつ書いていこう!と2013年の終わりに決めたけど、
書き出して変更したことは、

「いい気分のときに書こう!」

だった。

今でも1週間に1話のペースはなんとか綴りたいという思いはある。

だけど、どうにもこうにも気分の上がらない時。
そんな時は、1週間に1話のペースを守りよりも、
気分よく書けるタイミングを待つことを優先させよう、って決めた。

ひとつひとつが大切な話だ。

大切だから、自分の気分のおもわしくない時に、わざわざ書いて、
ストーリーの中に流れてる空気を汚したくないと思った。

純粋に、それを伝えたい!という思いで書きたい、
多分それがベストだと今は感じてる。

書かない自分を責めるのではなく、
書きたい時に書いたらいいんだ!と思えるようになった、
そう決断できるきっかけを友達からもらった。


第1話を公開してしばらくした後のこと。

新年会はホルモン焼きにしよう!!とその友達と決めて、やっとやっと2月の中旬、
ついこの間その日を迎えた。

前日、「光の図書館面白い!」とひとことメールをもらっていた。

それを見た時は、単に感想を送ってくれたんだろう、くらいに思っていた。

遅い新年会当日。

会ってる時間の半分以上は、『光の図書館』の話だった。

どんなふうに感じたかということを、本当に色んな角度から話して聞かせてくれた。

そして、友達は今年、ひとつ大きなことを決めた。

絵を描く。

元々、そろそろ絵を描いてもいいかな~とはしばらく前から言っていた。

それが、あの光の図書館を読んだことで、「絶対に描く」に変わったらしい。

「描きたいなぁ」という願望から、「描く」という計画に変わった。

何年ぶりに描くのか聞いたら、12年ぶりだという。

今、やっと絵に向き合えそうだ、と話していた。

光の図書館の感想ももちろんうれしかったけど、
それ以上に、友達がそこから何かを感じ取って次のステージに移行することがうれしかった。



友達と会ってから、今日で数日さらに経過している。

なんで、それがこんなにもうれしいのか、しばらく考えていた。

その答えがようやく出てきて、今見えてる答えをここに残そうと思った、今朝ふとんの中で。



わたしは、ひとつずっとずっと憧れているものがある。

それは、わたしは一切意図せず、でも自分がやったことが結果的に
誰かの何かに影響を及ぼしたり、
何かをする原動力になったり、
小さな一歩に結びついたり、
そんな風になれたらどんなにいいだろう・・・
というものがある。


大学を卒業してから11年、12年くらいだろうか。
ずっと人に関わる仕事をしていた。

どんな仕事も人に関わるだろうけど、
その関わり方の濃度でいったら、相当濃い関わり方だった。

職業が変わっても、
関わる人が変わっても、
結局、どんな自分もさらけだして、全身全霊で相手にぶつかるような仕事をずっとしていた。

そういうところから離れて、1年半くらいになるんだろうか・・・

当時、その11年、12年した仕事のとき、わたしはいわゆる「指導者」的立場だった。

わかりやすくするために、「指導者」という言葉を使ったけど、
正直、わたしは何が良くて悪いのか、さっぱりわからずにいつも仕事をしていた。
「指導」なんていう行為すら、おかしいと思っている。

たとえば、虐待やら他の家庭的な事情で親と生活できない子どもと関わっていた時は、
社会でどうやって生きていったらいいか、
それを念頭に支援することが求められていた。

学習塾にいた時は、
子どもたちが望む、正しくは親が望む学業成績を上げることを求められていた。

字の読み書きができない人たちと関わっていた時は、
字が読み書きできるように関わり、

夫婦問題で悩んでいた人と関わっていた時は、
夫婦円満になるように関わり・・・

どれも悪いことではないし、
むしろ社会で生きていく上では大事な部分に関わらせてもらえる、
すごい機会に恵まれていたとすら思う。

たしかに。

学年順位100番台の子が、なんと学年順位9位という、一桁までになる偉業を一緒に見た。

まったく読み書きのできなかった子どもが、なんと全部読み書きができるようになる瞬間も見届けた。

結婚して25年、熟年離婚の危機だった夫婦が、
なんと一転して夫婦円満になったという知らせも受け取った。

どれも一緒に喜んだし、
うれしかったし、
そんな奇跡みたいなことがふつうに起こるんだ!という実体験もした。

だけど、わたしの中で何かが確実にずれていた。

どんなに素晴らしいことが起こっても、
それが社会で家庭で称賛されるようなことになっても、
意図して良い方向に導くみたいなのが、なにかぴんときていなかった。

「指導する」立場もいやだったし、
それは人と関わることはとっても好きだったけれど、
わたしの方が上も下もないといつも思っていた。

わたしの方がむしろ教えてもらったり気付かされたことは山ほどあったし、
色々失敗や過ちもおかしたし、
一緒にいることで共に成長する、もしくは共になにかを分かち合う、
それがわたしが感じていた感じに一番近い表現かもしれない。

いずれにしても、意図して何かを良くしよう!ではなく、
わたしはわたしで好きなことをしながらそれが何かの影響を生み出す、
でもそれは決してわたしの結果ではなく相手の結果、
そんなのがいいなぁといつもうすぼんやり思っていた。

あまりにうすぼんやりすぎて、
うまくそれを言葉に表現できずにいたけれど、
「絵を描く」と宣言した友達を見て、


「これだ!」


というわたしの中の確信に変わった。


当たり前だけど。
『光の図書館』は、わたしが好きで書いているだけで、
それで誰かを変えようとか、変えたいという気持ちは一切ない。

あれを読んで、読んだ人の中にある、何か大切なものを思い出してくれたら、
それはむちゃくちゃうれしい。

だけど、たとえ影響がなくとも、それでいいと思ってる。


「相手を変えよう」
「相手に変わって欲しい」


そう思ってるうちは、すべてわたしは駄目だと思ってる。

そう思わなくなった時、はじめて相手が変わったり、
あたりまえだけど、自分も変わるんだと思う。


そういう意味で、『光の図書館』は純粋に自分だけの世界をありありと表現し、
それを好きなように伝えられる手段として最高だと感じてる。


そして、その「最高だ」というところを、友達が「絵を描く」と宣言してくれたことで、
すべてがやっと繋がった。


『光の図書館』についてまつわる想いは、
このblogに時々綴っていこう。

ちなみに、題名の【uno】はあのカードゲームのウノとおなじ、
数字の「1」という意味。

unoがどこの国のゲームかわからないけど、
せっかく知り得たスペイン語を使ってみるのもいいなぁと。

だから、あえて、「1」でも「one」でもなく「uno」

2014年2月10日月曜日

沈みかげん から 上がりかげん へ

しばらく書くことからもネットからも遠ざかっていた。

『光の図書館』http://bibluz.blog.fc2.com/を公表したものの、
それからも書こうと思うことはすべてメモに残していても、
パソコンを開く気力がまったく湧かない。

まして、パソコンの画面に向かって何かをひたすら打ち込む・・・
その作業をする時間はあっても気持ちがついていかない。

日常を営むことに異様なほどエネルギーを注がないとなんだかやってけない・・・

そんな感じがしばらく続いた。


そういうトーンに入っていく自分をこれまで何度も体験しているし、
必ずそこから抜け出す日がやってくるのも体験でわかってはいても、
その渦中は毎回不安と焦り、余計な心配や気苦労でいっぱいになってる。


そういう時の自分は、何か新しいことを生活に加えることにひどくおびえるし、
たとえば、前から決まっていた楽しい予定すらも億劫に成りかねない。


昨日は多分それのピークに達していたんだと思う。


大好きな森山直太朗のコンサートが夕方からあった。


その前には、これから数日読むための本を借りるために図書館に行くことも予定した。


どちらも絶対に楽しいはずなのに、
気持ちは晴れない。


そんな折。

友達から小包が届いた。

わたしの好きなお菓子と手紙が添えられた、
ほんとうに素敵な小包だった。

直太朗のコンサート前なのに、曲の予習をほとんどしていなかったわたし。

これから返す本に書かれている心に残った文章をひたすら紙に写しながら、
(↑6時間くたびれもせず、ひたすら書いた)
友達が送ってくれたお菓子を口に含みながら、
耳では直太朗の最新アルバムを聴きながら、
という三重奏を一瞬一瞬体感した。


全部がひとつになってた。


書き写す文章から、
好きな味のお菓子から、
直太朗の音楽から、
それら3つが重なった時に初めて広がる世界があった。


なぜか、またわたしの記憶は過去にぽ~んと飛び出した。

当時、適当に聞き流してしまったある子との会話。

その会話を交わした風景とまんまの内容が突然よみがえった。


わたしが聞き流した会話というのは、
その子が「自分のルーツ」について興味を持っていた内容だった。


今考えると、すごい瞬間に立ち合っていたものだと思う。


わたしの頭の中に広がっていた世界は、
『光の図書館』なり他の手段を使って外に出る機会をずっと待ってる。


なにかスイッチがかちりと、はまった気がした。


とりあえず、家を出て図書館を目指す。


急ぎ足で、直太朗のコンサート会場に行く。


毎回思うけど、直太朗のコンサートは客層が本当にすごい。
小学生~お年寄りまで、老若男女揃っている。

車いすで駆けつける、オール白髪の優雅なおばあさんもいたし、
70代とおぼしき夫婦もいたし、
「今日は何のグッズ買おうか!?」と母親と相談している小学生の男の子もいた。

あと、みんな歌を聴きに行くことを目的としているから、
み~んなみんな普段着で来る。

目立った格好の人など、とりあえず1人もいない。


今、気になったから調べたけど。


直太朗は、最後アンコールの時。


マイクなし、ギターもコードを抜いて、
「自分がデビュー前、駅前で、公園で、桟橋で、高架下で・・・歌っていたように歌います」
と言って、本当にマイクなしでギター弾き語りをはじめた。


3000人収容のホールだった。

3百人じゃない、3千人だ。

どの歌の時か忘れたけど、
歌い終わってから、ずっと天井を見上げていたことがあった。

なにかに感謝という祈りをささげてる風に見えた。


直太朗の表現する姿を見て、
数時間前、家の木のテーブルの前で広がった風景を思い出してた。


コンサートも終わって、携帯の電源を入れた。
メールが1通届く。


今日会う友達からで、てっきり今日の時間か何かの連絡かと思って開いた。


ひとこと。


「光の図書館面白い!」


とだけあった。


このメールで何かがすっとふっきれた。


昼間に広がった世界。
外に出ることを待っているストーリー。


とにかく、「書こう!」と思った。


もう2度と書かないんじゃないかと思う位の逃避行ぶりだったけど、
やっぱり書きたい気持ちがあることを再確認し、
そして「面白い!」と言ってもらえたことが大きかった。


1日単位で見ても、
コロコロと自分の感じるものは変わる。


それが、しばらくうだうだ気味、低飛行中の時が続いた後、
ふっと浮き上がる瞬間。


あぁやっと浮き上がってきたなぁと感じる。