2024年2月19日月曜日

離婚・結婚・美容おじさん

2月とは思えない青空
明日は20度まで気温が上がるらしい\(◎_◎)/

前のものを完成させないまま
新しいクロスステッチ開始
本に挟んだしおりのリボンがかわいい(∩´∀`∩)



とある女性が離婚したと聞いた。

私の最初の感想としては、「あ!やっぱり」寄りな「そうなんだ」だった。


1ミリも「何で別れたの?」とは思わなかった。


本人から直接聞いたわけではないし、今後も本人に会えるのは色んなことが重ならないと会えないから、離婚の理由とか気持ちを本人の言葉で聞くこともないと思う。


とても変な話だけど、結婚したと聞いて写真を見た時に私は率直な感想として「好きで結婚したわけじゃないんだな」と思った。


当然おめでたい話だからそんなこと1ミリも口には出さなかったし、本人と相手の中で結婚したい意志がなければ絶対に成立しないのもわかるから、多少の好きはあったとは思う。


でも「すごく好き」ではないと思った。


それから何年かした後、共通の人間関係にある別の人から「あの子が結婚したのは、本人いわく『1人だと寂しいから、誰かと何かを分かち合って生きていたい』って言ってたけど、史子はそんなこと思ったりしないの?」と聞かれたことがあった。


何年か前のまだ40になる前だったと思うけれど、その時の私は1人だと寂しいとか誰かと何かを分かち合いたいのはわかってもそれは誰でもいいわけじゃないのは感覚として常にあったから、その理由を自分自身と重ねるといまいちピンとこないものだった。


そういう結婚観があってもいいと思うけれど、私の中にはそういうのがないんだなと思った。


そしてこの1年くらいだろうか、本当にこの先ずっと1人で生きていくと想像した時に、これは確実に年齢を重ねて周りの色んな人間関係を見てその上で思ったことだけれど、「1人は寂しいな」と初めて思った。


親、姉妹、姪っ子、友達、その他色んな人間関係があっても、その誰かしらと自分が例えば60歳くらいになった時に日々を過ごすことはないと思う。


元々幅広く友人関係やら人間関係やらを広げるタイプじゃないから、本当に1人時間が1年のうちで360日あっても不思議じゃない。


それの方が自分の性格や生活スタイルを考えるととても自然に今からでも想像できてしまうくらいに想像できる。


そうなったらそうなったで何とでもなるだろうし、さすがに自分の死体を始末したくてもそれだけはできないから、そして同世代の人たちの多くが死ぬくらいの時代になるとそういう1人で亡くなる人のためのサービスや法律的な整備も進みそうだからそこは何とかなるだろうととても希望観測的に勝手に思ったりもしているけれども、そういうことじゃなくて、自分の心に浮かんだことや感じたこと、食べるものや見るもの、そういう色んなことを誰とも共有できずに死んでいくのは寂しいなと、45歳くらいになろうとしている今、ようやく感じられるくらいになってきた。


さっきの結婚云々の話で、その離婚した女性が1人だと寂しいと言いながら結婚した理由や気持ちが今ならわかるものの、それと同時に「やっぱり好きで大切にしたい人じゃなきゃダメだ」というのも強く思った。


これはたらればの話でしかないけれど、その離婚した女性がとても真剣に好きになった人がいた。


その彼ともし結婚していたのなら、離婚はしなかった気がする。


聞いていても結婚には不向きな男だったから相当嫌な思いもセットで付いてきたと思うけれども、それでも離婚という選択は本人の中に生まれなかったんじゃないのかなと勝手に想像している。


人間関係は特にそのように思うけれども、私なんかは「気持ち」が生まれない相手とはたとえそれが恋人とかパートナーとかではなく仕事上の付き合いや友人関係でも、とにかく状態を保つことなどできない。


大人だからとりあえずそつなく当たり障りのない対応はできても、それは一瞬だからできるのであってそれが毎日のこととなると無理になる。


「好き」とか「大切にしたい」という気持ちはとても偉大で、それの気持ちがある相手のためなら私はがんばれたり何かをすることもできるけれど、それがないと途端にがんばらないし手抜きは常だし、とにかく酷い方にどんどん行ってしまう。


超余談だけど、今年のバレンタインは買うところまでは良かったけれど包むのを忘れていて、何なら本当にジップロックに入れて渡すことに最初違和感さえ覚えず(大袋にまとめて入れるから良いだろうと思った)、ふと「それはさすがにまずい」と正気に戻って包装を買いに走って、でも前日の夜に寝落ちして真夜中に起きたら「何か忘れてる気がする」とボーッとしても思い出せず、はたと気付いたけれど起き上がるのが面倒で私は忘れないために携帯のケースに手書きのメモを入れてラッピングを忘れないことに賭けて、その後よく眠れない最近の睡眠傾向のおかげで起き上がって包んでそして何とか無事に渡せたという体たらく。


お世話になっていても好きではない相手だとこんなもんだとつくづく思って、そうしたらその数日後に離婚話を聞くことになるという。


離婚話を聞いたら、ますます「好きな人、大切にしたい人と一緒にならなきゃ私の場合はダメだ」と思った。


私側はそれでいいとしても、同じくらいの熱量で似通った価値観の人とこの先出会うなど、このまま独身を貫くよりも(別に貫きたいのではなく自然に任せたら間違いなくそちら)うんと難しいというのも思った。


私と一緒にいたいなどと思ってくれる人は、本当に人格者でノーベル平和賞の個人部門とかあったのなら入賞しちゃうくらいの人じゃなきゃありえないなと大真面目に思っている。


それは私が人格者で平和主義だからじゃなく、私の性格も見た目もその他諸々も良いよと言ってくれる寛大な心・理解力を持つ人など、本気の人格者じゃなきゃ無理でしょという意味。


誰かから好かれて一緒にいたいと思ってもらえることは、もはや宝くじ1等を当てるよりも難しいと、普段そんなこと考えないけれど、それくらいの確率だと現実は物語っている。







ここから先はさらに一層誰得情報な話(-_-)


週末、とある年上の独身男性のブログが広告に出ていて、見たらあまりにも生活感が違いすぎて興味をそそられ思わず超たくさん読んでしまった。


年収は8桁の人。


引越しをされたそうで、引越しにかかった費用が私の年収ちょい欠けくらい。


ちなみに1回の海外旅行も私の年収ですか?みたいな金額。(毎年1カ国以上は行かれてる模様)


部屋の灯りにこだわったとかで、リンク先載せてたから興味本位で見に行ったら私の月々の給料の半分。


美容にやたらとこだわっていて、洗面所の洗面台の後ろの収納スペースにはオール化粧水やクリームをはじめとする美容グッズ。


私の美容道具10年分よりも多いなという印象。


引越しで断捨離をするために衣類を片付けたら、下着のパンツだけで50枚以上、しかもスポーツ用はまた別にあるとかで、この人は一体何枚のパンツを日々使うんだろう?と余計なことを思ったり。


1ヶ月毎日違うパンツを履いてもまだまだもう1ヶ月分あるよというくらい。


とかいう異次元の世界観みたいな人で、色々面白くて読み漁ったわけだけど、「生活のレベルが合わない」ってこういうことを言うんだなと思った。


その人と私とが出会うことは絶対にないけれど、仮に出会ったとしても私のダメさいい加減さルーズさ適当さが本当に耐えられないだろうし、シミやら白髪やら色々年齢に抗えないものに対して「仕方ないよね」で終わらせるのもアウトだろうし、他にもてんこ盛りアウト案件満載すぎて異性云々の前に人として受け入れてもらえないレベルだと思う。


私がもし未来のいつか、年収8桁ですみたいなことになったとして、私は何にお金を使うんだろう?と思った。


今色々考えてみて、一番ありえそうな選択肢として、物ではなく引きこもるために必要な経費、保険とか年金とかそういう類いのものをまずは一括で支払いをして、余ったとて仕事しないで済むなら仕事をせずにいられるその状態をなるべく長く確保するべく、物ではなくフリー時間用にお金を使うというか使わないというか、そんな気がする。


ドミニカから日本に帰ってきた時、同期だったか他の期の仲良しちゃんだったか忘れたけれど、「日本は息をするだけで金がかかる国」と言い放った名言が忘れられない()


本当にそうで、こんなにもお金がないと何もできない、単に生きているだけでお金がかかる国というのも意外にすごい珍しい気もする。


お金がなくても普通に生きている人たちをたくさん目の当たりにしたから、なんなら戸籍がないとかも(戸籍がないということはすなわち法的にはこの世に存在していないことになる)、とにかく色々無くても生きることが許されていて何かしらどこかから必要なものがもたらされるという神仏のような世界がこの世にあるんだということを知ったからこそ、日本の「お金ありき」な世界観の窮屈さや生きづらさは半端ないと思った。


勤労意欲ありまくりです!みたいな人には良いけれど、私みたいに働かなくて済むなら働きたくない人には、不労所得的な収入やら資産などないわけで残るは働くしかなく、これしんどいなぁと思った。


ちなみにくだんの8桁男性も(雇われでそんなにももらってる)働きたくない人で、その意欲のない中で労働を提供するからそれに見合ったお金が欲しい、お金の妥協はしたくないとあった。


意欲のないところだけは共通するところではあったけれど、人生観がまるで違いすぎて、その違いが面白くて思わずブログの立ち読み行為が止まらなかった。


会うことも絡むこともない人ゆえにこんなこと言えるけれど、その人は物も仕事での評価も色々と手にはしているけれど、根本のところ、心の深いところが満たされていないというか傷ついているというか、何か大事なものの部分にダメージがあるという印象がどうしても抜けなかった。


人に枯渇しているというのとも少し違う気がするけれど、誰にも心を許せない、素の自分を出せない、そのことが本当は苦しいんじゃないのかななんて思った。


私も大して変わらないから他人のことなど言えないけれど( ̄∀ ̄;)


承認欲求とかじゃない、人のぬくもりとも違う、本能的に人が無防備になった時に「ここは安全安心」とわかるそういう居どころ、心の寄りどころみたいな、それが自分が超こだわった引越し先のマンションではなくて、言うなれば1歳になる何ヶ月か前の姪っ子が私の顔や姿を自分の見える範囲で確認して「ここはだいじょうぶ」って本能的に無意識に感じて自分のしたいことをのびのびとする、その感覚みたいなもの、そういうところに危うさを感じたブログだった。


大の大人のおじさんに向かって、ましてや私よりもうんときちんと社会人をしている人に向かって何を偉そうなことを言っているのかと思うけれど、そんなことをひしひしと感じたブログだった。


誰得情報おしまい( ˙³˙)

0 件のコメント:

コメントを投稿