2022年1月16日日曜日

真夜中の買物

最近買った布たち
右の白に青い花は弁当包みになる予定
中央下の黄土色の花柄は
ペンジュラム用のボードの下敷きになる予定
予定だけは盛りだくさん…

ペンジュラムやお守り、オルゴナイトを持ち歩く
巾着袋になる予定
(現在のものがボロボロになって早数ヶ月…)

上の布を買った店で一目惚れした布

グリーンカルサイトという
ルーン占い用に購入した天然石を
持ち歩くための巾着袋になる予定



2022/01/14()

今さっき、人生初の『リバティ』と呼ばれるブランドの布を注文した。


憧れの布でありつつも、これがびっくらぽんな高価格なもので、これまで一度たりとも手を伸ばしたことはなかった。


品質が良いのはわかる。


本当に細かい規定があって、作るのも販売するのも色んな制約があるようで、販売できるのもリバティジャパンが認証を出した店でしか販売できないらしい。


しかもセール不可、どの店で買っても10センチ当たりの値段は均一、というのも今回初めて知った。


で、リバティデビューを果たすべく、なんでそんなことになったのかというと、全てはタロットカードにあった。


2つ出迎えたタロットカードのうち、1つは収納する箱がデカすぎて、だから何かしらの袋に入れて保管することは到着した時からなんとなく思っていた。


ある時メルカリで「タロットカード」と入れて検索した時だったと思うけれど、海外製のタロットカード入れを出品している人がいて、それがもう超絶素敵な上、さらに良かったことは私自身そのカード入れと同じ形の布の袋を作ったことがあって、作り方を知っていることだった。


正しくは薄ぼんやりとしか記憶にないから記憶をたぐり寄せる手間はあるけれど、真っ直ぐに縫うだけのものだからそこはなんとかなる。


なんなら本を見て探してもいい。


そしてその形というのが、タロット入れにもなれば、タロットを広げるマットにもなるから色んな意味で一石二鳥以上の価値があった。


そうと決まってから、さぁ布はどうしようかと思った。


せっかくだから、記念に残るものにしたかったし、生涯で作るのはせいぜい一度きりだろうから、これまで手を出さなかったリバティに手を出すのもありだなと思って、それでリバティの布探しを始めた。


実店舗に見に行けるのが一番だけれど、新潟県内で取扱いのあるのは新潟駅近くのデパート内で、1にも2にも雪で出かけるのは嫌だし、さらにその同系列の手芸店を名古屋時代になかなかの頻度で足繁く通ったから感じは知っていて、どうしても実店舗だと布の種類に限りが出てくるのも想像がついた。


通販一択、とそこはわりとすぐに決まった。


実際にネットで見てみると、リバティの布の通販はたくさんある上に種類もてんこ盛りで、良くも悪くも選び放題ではあるものの、何百種類の中から選ぶのは至難の業で、最初は見つかるのかかなり不安だった。


ある程度見慣れてきたら、自分が欲しいとイメージしている柄がなんとなくわかってきて、ある時からはその種類の柄を探すようになった。


各布のデザインには名前が付いていて、それで検索するようになった。


規則的な並びのデザインが多い中で、私がイメージしたのは不規則な並びで、さらには自然に近い感じのデザインが良かった。


タロットカードが自然のものを多く描写しているから、凝ったデザインや架空のデザインよりも、現実に存在しそうな絵柄の方が今回の場合は良かった。


それでようやく目星がついて、たまたま楽天のポイント10倍セールみたいなのが開催されていると知って、それに便乗してポイントアップする店を特定して、それでさっき買うに至った。


さらに、たしかと思って「2017年」と入力して、再度検索してみた。


リバティの布は、毎年春夏モデルと秋冬モデルと新しいデザインが出るようになっているらしく、布の名前にも「2021年秋冬モデル」とかそんな風にして年が入る。


どこかで買おうとしている布が2017年のモデルと出ていた気がして、それで確認したら、やっぱり2017年だった。


これ以上ない、良い流れだった。


私にとって思い入れの深い1年、思い入れが深いとか言うそんなレベルじゃなくて、元号が変わるとか子どもがいたのなら子どもが生まれた年とか、そのくらいインパクトのある年に誕生したデザインかと思うと、より一層その布がカードにも私の心情的にもピッタリのように感じた。


2017年とわかると安心してポイント10倍の店に戻った。


10センチ単位で最低30センチ以上からの注文受付で、私は正直どのくらい必要なのかわからなくて、30センチでも今回の場合は十分事が足りるだろうこともわかったけれど、ここはペンジュラムに聞こう!と思ってペンジュラムに聞いた。


ペンジュラムは70センチにYESを出した。


何で70センチなのか皆目見当も付かなかったけれども、何回か聞いても同じ答えだからそれで良いことにした。


カードを広げる時に使うタロットクロスをそれで作ってもいいな〜なんて思った。


いざ入力画面を見ると、70センチ頼んだことで送料無料の値段に達して、それが理由かと思った。


でも、よくよく値段を見たら、そしてわずかながらの楽天のポイントを見て、差し引けばあの数字になる!と思ってポイントを使うことにした。


金額が改められて、とある数字になった。


さらには、携帯に表示されている時間を見たら、あと3分後には金額とピッタリ同じ時間になる。


私はきっちり3分待って、時計の数字が切り替わってすぐに布を注文した。







金額の数字というのは、イケメン上司の新潟にいた頃に乗っていた車のナンバーと同じ数字だった。


ストーカーみたいで怖がらせないといいなと思いながら書いているけれども、私は未だに自分の車のナンバーはかれこれ6年目になろうとしているのに覚えてなくて、もし車のナンバーを何かに書いて提出しないといけなくなったら、車を直接見ないと書けない。


一方の、片手で数えるくらいしかイケメン上司の車のナンバーは見てないのに、どういうわけか一発で覚えた。


頑張って覚えようとしたのではなく、そして覚えやすい数字でもなんでもないのに、なぜか瞬時に記憶に残った。


そんなの覚えても何になるわけじゃないのに、すっと記憶に残って、かなり不思議な感じがした。


それは2017年の夏の話で、それから4年以上経った2021年の夏だったのか秋だったのかどちらかと思うけれど、そのナンバーについてすごいことを発見した。


今でもその瞬間のことをよく覚えているけれど、朝の通勤途中であと数百メートルで到着するという場所で信号待ちしていた時だった。


前に止まっている車を見て、あと少しで私の名前になるのに〜と思ってナンバープレートを眺めていた。


そう思って眺めた時に初めて気付いた。


イケメン上司の車のナンバーの中に私の名前がすっぽりと入っていること。


もちろん、そんなの偶然の一致だし、イケメン上司がいつ車を入手したのかわからないけれど、私が仕事に行き始めた時には既にその車に乗っていたわけだから、実際には単なる偶然の他の何ものでもない。


ましてやそのナンバーはゾロ目ナンバーとか佐藤さんが310のナンバープレートにわざとするみたいなものではなくて、おそらく買った時に勝手に充てがわれただろう番号だと思う。


魂の暗号じゃないけれど、すごく縁の強いソウルメイトだと、色んな数字や名前なんかがシンクロするらしく、私は何にもそんなのないな〜なんて長いこと思っていたら、まさかのそんな車のナンバープレートに自分の名前が入っていたなんて、偶然の一致のこじつけ度が半端ないけれども、本当にビックリしたしうれしい一致だった。


とかいう数字と一致した金額に達した人生初のリバティの布で、2017年のデザインで、さらにはそれが私の人生初のタロットカード入れになる。


このどこまでもおめでたいことは、久しぶりに私の心を明るくした。







とうとう、怖いと思っていたいつかの未来が忍び寄っている状態に近頃なりつつある。


ブログをどうやらイケメン上司が読んでくれてるらしいという状態にあぐらをかきすぎた気もしなくないけれど、最近はゼロではないにしてもうんと減ってきたことがわかる。


いつかこのブログさえも、小さく繋がる最後の一手から役割引退する日が近いのかもしれない。


私は書き続けるだろうと思うけれど、イケメン上司の日々の中からこのブログもブログの先にいる私も消えてなくなる日のカウントダウンが始まってる気がしてならない。


それは最初からずっとずっとわかっていたことだし、むしろ見てくれていることの方が異常というか特殊だったわけで、そんなのがいつまでも続いてくれるわけではないというのはいつの時もずっと私の中にあった。


そのこともそうだし、冬という季節の侘(わび)しさや寂(さび)しさが影響しているのか、そうじゃなくて本当に自分の気持ちだけなのかわからないけれど、最近妙に寂しさがマックスで募ることが度々ある。


私は自分が何歳くらいから物理的に本当に1人で生きていくことになるのかわからないけれど、順当にいけば父と母が先に亡くなって、妹たちとは残りの人生で共に同じ家で暮らすなんてないわけで、さらにはこの後も私はこのまま独身だろうと思うから、それはこの1年くらいで本当にそのように思うことが増えて、それに対してはまぁ仕方ないとかなり割り切っていて、元々1人でいることにも、人がいてもその中でポツンと浮くことにも変に慣れすぎているから、そういう意味で寂しさが募ることはあんまりない。


しかもそういうことを自分が覚悟しているから、そこは徐々に慣れているように感じる。


いつか独居老人になっても、カードなりペンジュラムなりテレビなりがあれば、なんとなく寂しさも紛れて、そこそこ何かしらに心忙しくしていられる状況は手に入るだろうと思っている。


そういうことではなくて、イケメン上司のことは全然次元の違う寂しさなんだとわかる。


生きているのに会えないって、言葉では表しようのない強烈な感覚をもたらす。


いつになったら慣れるのかと思うけれど、実は今もあんまり慣れてないことなんだと思う。


慣れたフリをしているけれど、実際にはあんまり慣れていない。


本当に縁のある人なら、次も生まれ変わって違う人にお互いになっても、また何かの縁で出逢うことがあるかもしれない。


でもそんないつかの未来のましてや私ではない私がその時にイケメン上司ではないイケメン上司に会っても、今ある寂しさが解消されるわけじゃない。


例えば、私がこの先ものすごく素敵な縁に恵まれて誰かと共に生きることになって、さらにはその誰かが自分の中を大きく占めることになっても、今ある寂しさは無意識の深いところにずっと残り続ける可能性もあるように感じている。


何せ1人で生きる時間が異常に長くなっている私は、この後人生大逆転と言わんばかりに誰かと一緒にいられるのなら、私はその相手のことをとても大切にすることは予想がつく。


そんな奇特な人が自分の人生に現れてくれるのなら、それこそが奇跡で、そんなのはなから期待していない私からして、もし本当に現実にそんな稀有なことが起きたのなら、その人のことは本当に大切にする自分の姿が今相手がいなくても目に浮かぶ()


例えばそんな状況になれたとして、そうであったとしても、イケメン上司というのは全く別枠のところにしっかりといて、もしかしたら私がオカルト実践をやり続ける間はずっとずっとサインとしてイケメン上司の何かが私のところにわかるように、大丈夫のサインとしてやってくる可能性もある。


オカルトはさておいても、それは表面的な話であって、魂の渇望なのかなんなのか、とにかく他にはない類いの寂しさがあることには変わりない。


ブログももはや関係ないし、何でこんなにも寂しいのか自分でだって説明なんかできない。


だけど、寂しい、とただただ感じる。


そんな最近の心の中というか自分だったわけで、だからタロットカード入れに使うための人生初のリバティの布を買うにあたって、イケメン上司にまつわる数字がパッと顔を出してくれたことが、思っている以上に自分を明るくしてくれた。







2022/01/16()


冒頭の金曜日というのは、金曜日になってすぐの時に書いた。


だから、真夜中の買物の直後に書いた。


朝を迎えて仕事に行って9時過ぎにブログの訪問状況をチェックした。(最近は仕事中でもしれっとチェックしている( ̄∀ ̄;)


過去のある記事に訪問があったと知った。


それを見て、多分イケメン上司が見てくれたんだろうなと思った。


その記事を一般の人が検索してたどり着くにはかなりな確率、ゼロと言ってもいい確率に等しいから、イケメン上司がチラ見したんだろうなと思う。


それを見て、自分の中の張り詰めていたものが少し緩んだ。


もちろん、イケメン上司以外の誰かという可能性だってあるし、私の自分に都合の良い勘違いという可能性もある。


勘違いであったとしても、それで自分が少しでも気持ちが和らいだりホッとするなら、勘違いの副産物として受け取ったら良い!と開き直りさえした。


いっぱいこのブログには色んなこと書いてきたけれど、いつの時も普通におしゃべりしてみたいな〜と思っている。


共通の趣味も無さそうだし、イケメン上司はベラベラおしゃべりタイプではないだろうし、私も私で感覚が世間と色々ズレているようだし、そんな2人がおしゃべりしたら会話なんて成立するんだろうか?と疑問も不安もないわけじゃないけれど、本当にただただどんな内容でもいいからおしゃべりしてみたいと今でも思っている。


こんなにも通信手段が発達している時代なのに、それの恩恵を全く受けず、受けないまま人生が終わりを迎えるのは、それこそ本当に寂しいことだなと思う。


連絡を取るとなれば、イケメン上司はめちゃくちゃ覚悟やら勇気やら行動力やらをモリモリ発揮しないといけないわけで、それは言い換えると今の日常の一部なりなんなりが壊れるような危険も帯びてるわけで、バンジージャンプとかスカイダイビングとかエベレスト登頂とかそれくらいの非現実的な莫大なエネルギー消費がわかるものに、果たして手を出したいだろうか?と冷静に問うと、まぁ普通に考えたらそんなの嫌とかリスクが高すぎて無理!ってなって当たり前かと思う。


リスクは無限大にあっても得はあるのか?と思うと、私側はすっごい恩恵がありまくりだけれど、イケメン上司側は違うんだろうと思う。


どこかの本かネット記事に書いてあって超絶納得したけれど、人間が行動するパターンは基本2パターンで、「危険回避」か「自分が得する」かのどちらかとあった。


言うなれば、

行動(連絡)する=危険度増し増し、得無し

行動(連絡)しない=危険回避=身を守れるお得感

という感じなんだろうと思っている。


でも、本当のところ、イケメン上司も連絡を取る機会を探っているんじゃないかと思ったりもしている。


ぶっちゃけて言えば、「魂がね〜」とか「ペンジュラムがね〜」とか、そんな世間一般からすると超可笑しなことをあれこれ言う人とおしゃべりする機会なんてそうそうないだろうから、怖いもの見たさで連絡をくれても良いとさえ思っている。


もはや理由なんて何でもいいから(過去にも時々書いた、星読みの依頼ももちろんスーパーウェルカム!!!)、変人枠だろうが怪しい人枠だろうが、連絡をもらえたのなら何でもいい。


真夜中の買物の話がずいぶんと違う方向に流れてきて、若干収拾がつかない様相になってきたところで終わりにしよう。えっ()

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