2021年11月13日土曜日

ばばちゃんの命日ーにおいの記憶

2021/11/10 朝の通勤途中に見つけた虹


2007/11/10に書いた日記

ばばちゃんの形見の1つにもらってきたハサミ。
現在私の日常で活躍している。
壊れなければ、自分が死ぬその時まで使う予定。
すずはばばちゃんから直接もらったもの。


ばばちゃんこと母方の祖母の命日に不思議な体験をしたから、それを記しておきたい。




2021/11/10()


私はその日の夜、ごはんを食べ終わって1時間くらいゴロゴロした後、体育館に歩いて行った。


生まれてこの方一度もジムなどに興味を持ったことはないけれど、当然筋トレにも全く興味がないけれど、あまりに太ったのと、食べ物や家飲みへの興味は止まらないのと、なら運動するしかないじゃん!となって、とりあえず有酸素運動と筋トレを組み合わせたみたいなプログラムの無料体験会があって、それに申し込んできた。


仮に通う気になっても、1回300円ならぶつくさ文句を言わずに出せそうと思って、本当に重たい腰をようやく上げた。


ちなみに1時間ゴロゴロしたら眠くなりすぎて行くのを止めることも考えたけれど、これを逃したら絶対に二度と行かないのはわかっていたから、無理矢理起きてボサボサの髪の毛を簡単に整えて、夕方くらいから上がった雨でとりあえず傘無しで歩けるとわかって歩いて行った。


徒歩10分程度だし、車出しても3分もあれば着くから、せっかくだから歩いた。


ここ数日は一気に冷え込んだだけじゃなく、連日雨、雨、雨の雨降り天気で、とにかく天気がスッキリとしない。


そんな中でたまたま雨が上がっていた夜だった。


その体験会は私しか参加者がいなくて、小指にピンキーリングをしている30代と思しき男性からマンツーで受けて、なんでこの人はピンキーリングをしているんだろう?などと思いながらなんとかかんとかやりこなせた。


思いの外内容は悪くなかったから、本当に気が向いたら行こうかなと思った。


体験はあと15分やれますと言われたけれど、私はもう早々と帰りたくて、今日はこれで十分ですと言って帰ってきた。


その帰り道のことだった。


うちの家まであと1分程度のところを通った時、突然どこからともなくにおいが漂ってきた。


「このにおい、知ってる!」


と思って少し回想したらすぐに出てきた。


「ばばちゃんの家のにおいだ!」


木が燃えたにおいというか、今はないけれど、何年か前までばばちゃんの家には囲炉裏(いろり)があって、冬になるとそこで魚や餅を焼いた。


ちなみに1歳になるかならないかの頃に私はその囲炉裏に左足を突っ込んで火傷して、今も左足の親指側の内側、親指から土踏まずの辺りまで10センチ近くの火傷の痕がある。


私も両親から聞いた話な上に自分の足は気付いた時からその痕があるから(ちなみに見ても目立たない)、それについてどうこう思うことはないけれども、とにかく囲炉裏から出るにおいと思われるけれど、そのばばちゃんの家のにおいと夜道のどこかから漂うにおいが似ていた。


そうだ!


今書いてて思い出した。


その道の向かい側の家に木を使った本格的な暖炉がある気がする。


たまに見かけるけれども、木を薪にするために割ってストックしておいて、そしてえんとつも暖炉専用えんとつを備え付けている家が普通に時々建っている。


その家もそうだった気がする。


とにかくそのにおいが鼻腔に届いて、それで真っ先にばばちゃんの家を思い出した。


そこではたと気付いた。


「今日は水曜日。10日だよね?

あれ?今日ばばちゃんの命日かも


腕時計をしていって、パッと見た時に9時半を少し過ぎた辺りに長い針があった。


亡くなった時間も夜だった気がするなと思いながら、家に着くと真っ直ぐ自分の部屋に上がって当時の日記帳を探した。


何となく嫌な予感はしていたけれど、その予感は裏切らず、ぱなしちゃんにした出しっぱなしの日記帳は箱のみが定位置にあって肝心要の日記帳が行方不明だった。


何十畳みたいな部屋で行方不明ならまだしも、八畳の部屋、さらにはすぐ寝れるように布団まで行く前に敷いて行ったのに、さらに狭い部屋で日記帳を探すという


10分くらい探しただろうか、ようやく出てきた。


パラパラとめくって、2007年の11月10日のページをすぐに開いた。


「21:27」


鳥肌が立ったくらいに、ばばちゃんが息を引き取った時間とほぼほぼ変わらない時間にあのにおいに私は遭遇していた。


別に何てことはない。


たまたまのシンクロにしては出来過ぎで、今回ばかりはばばちゃんが本当にやってきてくれたのか見守ってるよのサインなのか、何かしらやってきたんだろうなぁと思った。


「あ!」と思い出した。


その日の朝の通勤の時に、多分1年ぶりくらいかと思う、虹を見た。


運転中、渋滞やら赤信号やらで止まったタイミングで何枚か写真を撮った。


ばばちゃんの命日にぴったりな演出だなぁなんて思った。


次の日は朝からザアザア雨で虹どころではなかったし、その次の日はわりかし虹が出た朝に近い天気ではあったけれど(曇り+パラパラ雨+ところどころ雲が切れて青空)、虹は出なかった。


ばばちゃんがやっぱり来てくれた日なんだろうか、とにおいを回想しながら思った。







ばばちゃんが死んでから14年経ったことがわかった。


単純に2021から2007を引いた。


14年もばばちゃんに会えてないことに驚いた。


ばばちゃんが亡くなった認識はあるし、もう会えないこともわかっている。


けれど、本当に会えない感じがイマイチわからないまま今に至っているし、普段から年に2回ないし3回会うくらいだったから(多くても4〜5回)その延長に今もいるような錯覚は時々起こる。


会えないってなんだか変な感じと思う。


ばばちゃんが死んだ日、私は常夏風な地球の裏側ドミニカ共和国にいて、まさか日本に帰るだなんて思ってもいなくて、手持ちの長袖のカーディガン1枚で北風ビュービューな日本の新潟を目指した。


ドミニカの空港でとりあえずストール的なものを買って、深夜にニューヨークならぬニューアークという名の空港に降り立って、たかが数時間の滞在のために1泊2万円みたいなホテルに泊まって、そこで温かい風呂を入れた。


マイナス2度の気温の地に降り立つような格好ではない私は、本当に浮いた格好をしていたけれど、あまりの寒さにそれどころじゃなかった。


あの時本当にたくさんの人たちに助けられた。


たまたまその日は年に2回だったかある、安全についての説明会の日で、地方にいる同期たちもみんな首都に集まっていた。


急遽日本に帰国すると決めて、出国するためのチケットの手配やら荷物のパッキングやら出国届的な書類の提出やら大金動かすからそのためにお金を貸してくれたりだとか、本当に周りの人たちに助けられて何とか日本に帰れた。


その時咄嗟に「日記帳」と思って、日記帳を自分と同行させた。


さらには、チケットは日系人のご夫婦が営む旅行代理店から手配してもらって、全くの初対面にも関わらず、なんと片道1時間はかかる空港まで送ると言ってもらえて、言葉に甘えて本当に送ってもらった。


ホテルも滞在時間を思うと高いけれども、空きがそこしかなくてごめんね、あと移動時間を考えたら少しでも空港近くが絶対に良いと思ったからそうなったのと説明してくれた。


本当にギリギリ出棺に間に合うかどうかくらいにしかならなかったから、そうしたことを全て加味して手配してもらえたことも本当に助かった。


しかもお金も小切手を切ったもののお金が口座にそれだけ入ってるわけじゃないから、日本に帰ってすぐに振り込みますという前借り状態でそれも許してもらった。


日本に着いてからも真っ直ぐばばちゃんの家に向かったはいいけれど、何せ全てギリギリだったから新幹線に乗る辺りから電話する時間がなかった。


最後はローカル線の電車に乗ったはいいけれど、何せ携帯を持っていない私は何時に着くとかもわからず、車内放送で到着時間を知った。


電話しないといけなくて、隣りに座った女子高生にお金を出すから携帯電話を貸して欲しいとお願いしたら、お金はいいので大丈夫ですと快く言ってもらって、何とタダで貸してもらった。


本当に色々と周りの人たちから力を貸してもらって無事にばばちゃんの家に着いた。


この時ほど、ばばちゃんの力に守られていると感じたことはなかった。


出棺には間に合わなくてばばちゃんは骨壺の中だったけれども、大真面目に葬式に出て良かったと思った。


参列するとしないとじゃ全く違う、というのを肌で感じた一番の出来事と言っても良かった。


朝の通勤路のうちから5分くらい行ったところに、車道から数十メートル奥まったところにお寺がある。


いちょうの葉なのか、黄色の葉っぱをたくさん付けた木が見えた。


なんとなくばばちゃんの家のすぐ近くのお寺の様子に似ている。


それを見て、葬式の後のお墓参りの時に、近所のおばあちゃんたち3人が寒い中、傘をさしなから手に墓に添える花を1輪ずつ持って我ら親族が出てくるのをずっと待ってくれていたようで、その姿にジーンとしたシーンを思い出した。


ばばちゃんとどういう関係なのかはさっぱりわからなかったけれども、共にばばちゃんの死を悲しんで涙を流せたことは本当に貴重な瞬間だった。


14年経っても忘れないものは忘れないんだなと思った。







日記帳の上に書いた

todo el momento 

は英語で言うところの

all the time ーいつもー

になるけれど、多分私がそこに込めた意味は「永遠」だったと思う。


ばばちゃんの死を目の当たりにして、私の中に出てきたのは永遠だったのじゃないかと思う。


そしてこれは本当にそうで、もうばばちゃんと体と体を持ってお互いに顔を合わせて会うことはできないけれども、ばばちゃんはずっとずっと私の心の中にいるのは変わらない。


それは私がばばちゃんと同じくらいの年齢になってばあさんになっても変わらない感覚だろうと思う。


人と人とが人生の中で出逢えて知り合えるというのは、本当にこの世の一番の奇跡だなと思う。


血縁関係こそ自分じゃ選べないから、だからこそ本当にばばちゃんが自分のおばあちゃんだったことはものすごくラッキーなことだと感じている。


今あるご縁というものを、巡り合わせで出逢わせてもらえた人たちを大切にしよう、久しぶりにそのことを心の中で改めて確認した。

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