2021年9月10日金曜日

ノートの楽しみ

2019/09/08  17:36
4年前の夏にいた場所の対岸側

2019/09/08  17:50


2019/09/08  17:52



2021/09/07

4年後の午前中は、あくびが止まらなくて、眠気との戦いに忙しかった。

平和度を測るなら、間違いなく4年後の今日の方が平和になる。


他にどんなやりとりをしたのか今となっては思い出せないけれども、事務さんが4年前の今日、私にとても真面目な顔をしてイケメン上司の異動を告げた瞬間は忘れられない。


色々聞きたいことはたくさんあったけれども、私が唯一質問したのは「いつから異動するんですか?」だけだった。


異動先の所在地も聞きたかったけれども、それは聞くのが変かもと思ったのか、あまりに衝撃が強すぎて頭が回らなかったのか、何も聞けなかった。


「一応来月からだけど、今月の終わりには引っ越すと思う」みたいなことを教えてもらった。


色々気になったはずだけど、ショックと悲しみとその他諸々の感情でごった返していて、それ以上会話を続けられるような心の余裕もなかった。


その時どういうわけか、事務所内には事務さんと私しかいなくて、そのうちみんなが戻ってきたような気がするけれど、その時だけは宣告のように重たい生真面目な感じで説明を受けた。


ほどなくしてイケメン上司も部屋に戻ってきたけれども、嘘みたいだった。


今目の前にいる人が、同じ空間にいる人がいなくなるってどういうことなのか理解できなかった。


今はイケメン上司がいないことの方が長くなってそれが普通になったけれども、当時は今目の前に存在しているイケメン上司がいなくなる世界なんて全くもって想像できなかった。





2021/09/08 


4年後の9月はとっても平和になっている。


今日は頭をあまり使わなくていい英訳が仕事ということもあって、仕事そっちのけでいつも以上に回想に励んだ。


10時少し前になった時、このくらいの時間にイケメン上司を探しに行って、見事1人でいたところに突撃のように行って、時間が欲しいと言いに行ったんだったななんて思い返していた。


今平和で落ち着いている自分を見て、そりゃ色々ないわ!!!、と思う。


超ツッコミどころ満載だったし、不意打ちの突撃をくらったイケメン上司がそれでも無視せずに最低限の返事だけ口頭で返してくれたのは、今思えば最大限の配慮だったんじゃないかなと思う。


私は意のままに動いていたけれども、あんなの本当にはちゃめちゃだし、ある種の緊急事態だし、相当やりにくい相手が私だったんだろうと思う。


もし誰かが当時の私と同じことを仕事中にしてきたのなら、私なんかはどう対応するんだろ?と思う。


それはそうと、おかしすぎる、はちゃめちゃすぎる私が突然やってきて、イケメン上司はどんな面持ちでいたんだろう。


あの時の私の感想としては、「そうだよね、私と時間が欲しいわけないか」とか、妙に納得というか、ダメ元で聞いてたことも手伝って、イケメン上司の返事は至極まっとうに思えた。


残念な気持ちももちろんあったけれど、なんだろう、仕方ないとか、私に興味あるわけないかとか、どう言っていいかわからないけれど、本当にイケメン上司の答えに対して「わかった」と思った。


そうだ。


最初、事務さんから異動すると聞いたと切り出した時、「だから何?」とはイケメン上司は言ってないけれども、空気は「だから何?(おまえに関係ないだろ)」的なものを感じて、本当はその時点でもずいぶんと心がポキっとなっていたんだった。


本当に嫌われてるというか嫌がられているというか、とにかくどこをどう切り取っても良い部分を探すのは無理に等しかった。


あの時のことや他の超嫌がられてる的なシーンを思い出すと、今なんかどうやっても考えられなかった。


「イヤ」以外の感情は、俺とあなたの間にはないですから!、と言わんばかりの状態だったわけで、だからブログを再開した頃も「見るわけない」と思っていたし、見て欲しい届いて欲しいと祈ったけれど、本当にそんな夢のような現実が私の身に起こるとは全く想像していなかった。







2021/09/09 昼休み


4年前の今日はとてつもなく長い手紙の下書きをしていた。


下書きは今も私の手元にあって、それを朝起きてすぐに出してきて見た。


その下書き用の手紙は普段、A4サイズが入るユニクロでセールになっていた布製のポーチみたいなのに入れている。


その中にはイケメン上司の様子や実際にあったやりとりだけを書いたノートも入っている。


10分くらいしか時間がなかったから、手紙はやめてそのノートの方を開いた。


書く内容なんかそんなにはないから、実際には数ページ分しか使ってないものだけど、そのノートがとてつもなく良かった。


読んでいてとても面白いし、当時の情景がすぐに出てくる。


今朝読んだものの1つに、イケメン上司の椅子の座り方がイラスト付きで記録されたものがあった。


言葉も絵も、ガッツリと目を通さなくてもすぐにその瞬間がパッと出てきた。


年を重ねると大切なことしか記憶に残っていかないとはよく言われるけれども、本当にその典型的な例だった。


やる気のない仕事のことは、平気で1時間後でも忘れたりするくせして(今日もそれでウッカリ忘れてたと気付いて慌てて対応したものがある)、イケメン上司のことはどこまでも鮮明に詳細に記憶に残っている。


実はそのノートにはまだまだ書こうと思って、書く予定のものを箇条書きにしたメモが一緒にそのポーチの中に入っている。


今朝読んで本当に面白くてとっても良かったから、今さらだけどその箇条書きにしたものたちもノートの方にエピソードをこれから書きたいなと思った。


4年ごときでこんなに面白いなら、80歳くらいになった時はもっと面白いだろうと思う。

(80歳って何年後だろう?と数えたら38年後で、それはすなわちイケメン上司に出逢った時の私の年齢で、それと同じくらいの年数を重ねてばあさんになった時、こんなに楽しい読み物に触れたら、めちゃくちゃ充実した老婆の1日を送れそう!)


だから未来の楽しみのために今からしたためるのもありだし、それはそれでとっても有意義な時間を過ごせる。


しんみりしたり寂しいと感じたり、色んな感情が湧き出てくることさえも、とっておきの楽しみだなと思っている。


しんみりとか寂しいとかって、意図的に発動させることはできない。


あくまでも自然自発的にしか湧き出ない。


だから、当時を細かく思い出して記録する時、はたまたそれをいつかの未来に読む時、そういう時に湧き出るものは自然の流れに従ったもので、それってものすごく貴重なものだと今は余計とわかる。


ノートの中にしか形としてはもう残ることのできないものでも、そうやって無形のものを有形にさせて自分のために残すのはいいなぁと思う。


粋な時間の使い方だとも思っている。


もうどんなにあがいても当時には戻れないしイケメン上司にも会えない。


でもそのノートの中ではこれから先未来永劫ずっと自分は好きにその中のエピソードたちに会いに行くことができる。







残業が終わって、意気揚々と帰りの車を走らせた。


朝のノートの顛末を思い出しながら、なんでこんなにもそのノートが楽しいものなのかに思い至った。


わかったこと。


それは、私がイケメン上司の最愛の人とか彼女とか奥さんとか、そういうものを最初から一度も目指してないからだと、1人で手をポンと打ちたくなるくらいに激しく納得した。


その中でも一番ありえない「最愛の人」をとりあえず例にとってみてみよう。


イケメン上司がイケメンでなければまた少しは違ったかもしれないけれど、イケメン上司は本当にイケメンすぎて、そもそも私はただの一度も自分が相手にされるとか、気にかけてもらえるとか、そんなこと本当に考えたこともなかった。


どの人も相手を選ぶ権利と自由がある。


いつかのどこかの記事にも書いた記憶があるけれど、例えばこの世でイケメン上司と私しかいないという究極の状態になっても、私は自分が選ばれるとかせめて互いに手と手を取り合って協力して生きていこう、みたいなことさえも起こらないんじゃないかと思うくらいに、それくらい自分が何かしらの存在として選ばれるとは思っていない。


私の中で、こうしてブログを見つけてもらえることも全く起きそうにもない現実としてしか捉えられなかったけれども、それ以上にイケメン上司の大切な誰かとか最愛の人になれるなんて、そもそも想像したことさえない。


それなら本当に冗談抜きで、書いて発信したのならブログを見つけてもらえて読んでもらえる、その限りなくゼロに近い現実の方が起こるのかもしれない、と信じられたくらい、それだって宝くじで一等を当てるくらいの確率よりさらに低い確率でしか起こらないと思っていたわけで、それ以上にイケメン上司の何かになれるなんて全く思っていない。


「そうなりたい」と願うのと、なれるのかもと想像するのとは全く違う。


私は願望的なものは持っても、なれるとは本当にただの一度も思わずにここまできたんだなと今さらだけれど気付いた。


でもだからこそ、何にもある意味こだわっていなかったから、当時のことをとても情感豊かに振り返られるのかもしれないなと思う。


私は自分のこの一貫性のない、何に向かっているのかも何をしているのかもよくわからない人生に対して、後悔はないしそこそこ自分でもがんばっているなぁなんて思ったりもする。


でもそれはあくまでも私個人が自分自身を見て思うことであって、じゃあイケメン上司から見た時の私に何があるのか、メリット的なことを想像すると、何かあるのかしらね?と自虐ではなく本当にそれは思う。


人間関係の基本をギブアンドテイクだとするなら、私は何をギブできるんだろうと思う。


テイクはどこまでもリストを挙げられるけれど、ギブはいずこへ状態になる。


星読みとかある程度実用性のあるもの、望まれたのならいつでも提供する気満々だけど、そういうのって提供したいからできますというのとは違う。


存在そのものを必要とされたいという願望だけは天高くあるけれども、じゃあおまえさんは何ができるんだね?と聞かれたのなら言葉に窮する。


そんなこんなだから、最初から自分が相手にされるとか必要とされるとかはたまた愛を差し出してもらえる相手になれるとか、そんなことは一切思ってこなかったわけで、だから今こんなに時間が経っても純粋に当時のことを気持ちの流れのままに振り返っていられるのかもしれない。







しばらくはオンタイムにアップすることを第一にしたいから、起承転結もないしだから何が言いたい?みたいな内容になったけれども、それもいつものことと言えばいつものことだから気にせずにアップしようと思う。


せっかくだから、当時の職場近くの写真でもないかと探したのなら、2年前の9月8日に当時の職場近くを通って撮った夕焼けの写真が出てきた。


で、よくよく考えたら、当時の写真がないのはイケメン上司がいなくなったちょうど1年後に携帯画面がバキバキに割れて交換せざるを得なくなって、だから無いんだと納得したけれども、どういうわけかその数ヶ月前に社内で撮った写真が2枚だけ出てきて、私には何を撮ったのかすぐにわかったけれども、他の人たちが見てもそれが社内どころか何なのかわからないだろうから、このままアップしてもいいかなと思った。


フィギュアだけの方の写真は過去にもアップしたかもわからない。


記憶がかなり曖昧だけど、とりあえず当時の空気とは関係ないにしても社内で撮ったことには間違いないから、そのまま載せてしまおうと思う。



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