2021年9月7日火曜日

接する人(2021年9月)

2021/09/07の空




2021/09/06

日々カレンダーを見て回想に励んでいる。


今日は記憶違いでなければ、仕事の伝言をしたらガン無視された日になる。


言葉ではなく態度で拒絶の姿勢を示されて、私の心はズタズタになった。


そんなにも私って嫌がられてしまうんだと撃沈した。


あれって本当は何の意思表示だったんだろう?と今になって思う。


もし2021年の秋の今現在、ブログがそもそも存在してないとか、はたまた存在していてもイケメン上司が見ている風では全くないとか、そんな風なら、あれは「拒否拒絶」で正解だったと思う。


本当に嫌な相手なら、今あるブログが接点のようになる現実はどうやったって存在できない。

(昼休み)




ここからは布団の上にひっくり返って書いている。


当時のノートを確認したら、ガン無視された日は昨日5日だった。


記憶のいい加減さは相変わらずとしても、あの時のことはものすごくはっきりと覚えている。


あの時の私は、嫌がられているとか嫌われているとかそんなレベルじゃなくて、気持ち悪がられているか、存在そのものが生理的に受け付けられないか、そのくらいの嫌悪感を持たれてしまったと思った。


だから、今こうしてブログが接着剤というかバス停のごとく待ち合わせ場所や接点となるというか、そんな現実は全く想像さえしていなかった。


その直前、最後にやりとりした時と、その伝言の時とで、天国と地獄級に落差があって、最後はほほ笑むくらいの笑みを向けられて、その次はガン無視で、その中間にごはんに誘う一幕もあって、うわっ、ごめん、ごめんなさい、そんな風にしてしまうためにごはんに誘ったわけではなかったのに、結果最低最悪な方向に行ってるとわかって、心のズタズタはもちろんのこと、それとは別に申し訳なさややるせなさや、ありとあらゆる感情が噴出していた。


あの時と今とを比べて、今なんか想像もできないところにいるわけで、まさかね、こんな風に今という未来が現れるなんて、それこそ宝くじ1等一億円を当てるより難しい確率をくぐり抜けてる、と相変わらず思う。


私、実は嫌われてたわけじゃなかったんじゃないかと最近になって本当にそのように思える瞬間が出てきた。


好かれてるとは全く思わないけれど、嫌っていたわけでもないんじゃないかなと思う。


魂繋がりの繋がり度というか濃さというか、そういうのが強ければ強いほど、感覚も強烈な感じになるのが一般的だから、そういう意味で私というのは強烈なものをもたらす人なのかもしれないなとも思う。


強烈すぎて拒絶の意思みたいなのを当時は示されたのかもしれないし、意味不明すぎて受け付けられなかったのかもしれない。


その辺りは全て想像でしかないけれども、いずれにしても当時はどうやっても上手くなかったことが今は時間と物理的距離のおかげで今くらいな感じを保てているのかもしれない。


相変わらず私が一方的に書いているだけだし、連絡がもらえたわけでもないし、何もどうなってもない。


けれども、4年前の今とは違うし、1年前の今とも違う。


1年前よりも冷静に受け止められる部分が増えたのと、本当は何を感じていたのかを想像を巡らすくらいの余裕が少しだけ出てきた。


イケメン上司はあの時どんなことを感じていて、どんな風にあの時を見ていたのかなと、最近はそんなことを思う。





2021/09/07 久しぶりの晴れの朝


当時の今日というのは、イケメン上司の異動を私の教育係の事務さんから伝えられた日だった。


これまでの色んな職場で異動は見てきたし聞かされてきた。


だけど、今思い出そうとしても何も思いつかない。


なのに、イケメン上司の異動の知らせは今でもはっきりと覚えている。


たしかにイケメン上司は事務所のトップではあったけれども、他の人たちの異動の時は何も知らされず、あの職場では唯一イケメン上司の異動だけをなぜか私は知らされた。


しかもすごく真剣にキッチリと伝えられた。


まるでドラマで病名や余命を宣告されるかのような、あれくらいの深刻度で伝えられたものだった。


今になってわかるけれど、事務さんというのは何もかもを私に教えてくれたのとは違った。


さらにイケメン上司の異動については、事務さんも知り得たのがその少し前、1時間前とかそのくらいだったんだろうと思う。


派遣の私、さらにはイケメン上司は私の行っていた企業側の所属とは違う所属で、仕事の絡みはゼロ、正直にイケメン上司がいるいないは私の仕事に何ら影響がなかった。


しかも、飲み会にも私は参加しない人だったから、どうでもオンタイムに知らされる必要はなくて、送別会の案内の時でも問題なかった。


とかいうことを考えると、あのタイミングで知らされたのはこれ以上もこれ以下もない、最適最善なタイミングだったとわかる。


もし知らされたのがもっとギリギリだったのなら、イケメン上司にとんでもなく長い手紙を書いて渡すとか、さらには今こうしてブログを書いてるように4年近くも書き続けるとか、そういうことは一切なかっただろうなと思う。


あの絶妙すぎるタイミングは、あの直後から今という未来に至るまでどうしても外せない大事な通過点だった。


当時のことがどんな風にイケメン上司の中に残っているのかはわからない。


どの程度どう残っているのかはわからないけれども、少なくとも何かしらは残っている、ということだけはわかる。


そしてイケメン上司は2年半近くいたらしいけれども(もちろん本人じゃなく、イケメン上司と仲の良いSさんからの情報)、その当時から今は別の土地2つ目になってさらに新潟の記憶は日々薄れていっているのではないかと思うけれども、その薄れた記憶の中に自分もちょこんといられるというのはとても光栄なことだと感じる。


色々おかしな行動ばかりに出ていて、それでインパクトが残っただけということも否めないけれども、それでも残れているのならとても嬉しい。


色々おかしすぎたし、謝りたいことや弁解というか追加で説明したいこともあれこれあるけれども、それでも残れたのなら、イケメン上司の人生のどこかに登場できたのなら、今や今までの関係がどうであれ、すべてが奇跡だと思っている。


普通だったら今頃はもう跡形も無く何も残らない。


若干変な形態ではあるけれども、そんなのはどうでも良くて、こんな風に細く細く繋がっている(という言葉がいいかどうかはさておき)という事実は、まさかの未来だった。


今回はわりかしオンタイムにブログを書いてアップしたいと思うから、このままアップしようと思う。


最後に、今回のことで日にちを調べた時に、隣りのページに書いてあった、石井ゆかりさんの本の中に出てくる言葉を紹介して終わりにしたいと思う。





【「完全な他者」が「会話しただれか」に変わるのは、劇的な変化なのです。


世界は「自分とは直接に接することのない他者」で埋め尽くされています。

その中にわずかに、自分と接する人たちがいます。

「他者」が「接する人」に変わる瞬間、

名もない群れの中から一人だけ名前のついた、

自分にとって意味を持つ唯一無二の個性が出現することは、まさに「劇的」としか言いようがありません。】


『愛する人に。』石井ゆかり

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