2021年9月14日火曜日

2021.9/11〜9/14回想記

2021/09/13の夕空



2021/09/11

4年前の今日は、分厚い封筒をイケメン上司に押し付けた日だった。


当時の私は良くしたもので、いくつかの重大な事項はノートに書き残す、という偉業をさらりとやっていた。


だから日にちが具体的にわかるし、当時は日々めまぐるしかったもののどれもインパクト大だったからどの日に何があったのかもよく覚えている。


話は少し変わるけれど(まだ書き出したばかりなのにいきなり横道へ( ̄∀ ̄;))。


この間、朝ぼんやりとした頭で「そういうことか!」と合点がいったことがある。


私は何ヶ月か前に退行催眠をかけてもらってのプチ過去世セラピー的なものをzoom越しに受けたことがあった。


どうやらそれは今年の2月だったらしい。


そして今さっきiPhoneのメモを検索したら出てきた、受けた当時に敏腕セラピストの方から教えてもらえたことを。


「みなさん、何が見えたのかということにものすごく集中するしそれはそれでいいんですが、体感覚の人のものは本当に独特で、それは体感覚の人にしか絶対にわからないものだから、それを大事にしたらいいですよ!

見える見えないにこだわるよりも、自分が今感じてること、そこで体験していることに集中するといいですよ」


そして、今の今、その時のブログが書き途中のままであることも初めて気付いた。


そんな貴重すぎる体験、さっさと書いてアップしておけば良かった。


それはそうと、その時の体験として起こったことをかいつまんで話すと。


敏腕セラピストさんから誘導してもらって、意識は完全に今世ではないどこか別のところに飛んでいった。


意識の飛んだ先の私は、武士俣史子ではなかったのは確かで、じゃあ誰なのかと聞かれても私が思うにそれはいつかの人生(過去世)で生きた自分なんだと思う。


そんな細かなことはさておき。


その時に4人グループに分けられて、グループごとのシェアもできる時間があった。(zoomというネットの中でしか繋がっていないのに、瞬時にグループ分けされるという摩訶不思議なSFチックな世界も初めて体験した。)


そのシェアできる時に、他の人たちは何が見えたかという体験談を話しているのに、私は基本的にほぼ何も見えなくて、でも代わりに砂浜の感覚だの、自分の足が裸足だの、そういうことだけはわかった話をした。


そうしたら敏腕セラピストさんから、体感覚の人はのくだりの分析をもらった。


私が「そういうことか!」となったのは、イケメン上司がいた時間の記憶にも同じことが起こっているとわかったこと。


私が4年も経過したにも関わらず、今も色んなことを鮮明に記憶しているのは、どちらかというとその感覚の方になる。


目で見ていた景色とかもあるけれども、それよりもイケメン上司が目の前にいた当時の自分側が感じていた感覚をものすごくはっきりと覚えているし、感覚だけであれば当時と同じ感覚を追体験することもこれまでに何回どころか何百回とあった。


体が記憶しているものはずっと自分の中に残る。


それを私はこの4年間、何度も何度も繰り返し自分の中に足あとのように残してきたものだったんだなと思った。







2021/09/12 日曜日


この話もどこかに書いたから全く新しさのない話になるけれど、せっかく日を追って書いているから今回も開き直ってまた書きたいと思う。


手紙を書こうと決めるよりも前に動き出したその時の感覚は、今思い返しても尋常ではなかった。


(ここからは13日に書いている。)


手紙を書く予定なんか全くなかったし、そんなの重たすぎてどうかと思ったし、今なんかさらにノーマル日常を送っているから当時を振り返るとより一層どうかと思うし、さらに何を書く気でいるのか自分でも全くわからなくて、自分のある部分では冷めた感じで「どうするつもり?」となっていたかもしれない。


「かもしれない」と書いたのは、当時はそれどころじゃなくて、本当に何も周りも見えなければ自分でさえも何をしているのかわからないぐらいに、「どうしても書かなきゃいけない」というような、何か危機が迫ったような感覚だった。


これはその後数ヶ月後に人生で初めてのホロスコープ鑑定を受ける時まで全然わからなかったけれども、ホロスコープ鑑定を受けに行ってその時の鑑定士さんが視える人で、そこでイケメン上司と私とが過去世で繋がっていたことを聞いた時に、自分の中でようやくストンと腑に落ちる感覚があった。


魂が全身全霊で今生の目的を果たそうとしていたんだと思う。


もちろん、そんなことを聞くためにホロスコープ鑑定を受けたわけではなかったし、鑑定士さんもどんな人なのか全く知らなかった。


けれども、結果はそうなった。


今思い出したけれども、鑑定代が1万円をさらに超えての値段だと当時仲良くしていた子に言ったら、そんなに出すなら色んなサイトや鑑定士さんを見て選んだ方がいいんじゃない?と言われて、私はその後本当にネット検索をした。


新潟県内に限定せず全国で探した。


いくつか見て、当時はホロスコープのホの字も知らないような私だったけれども、「この人から見て欲しい」となったそのサイトの申込先を見ると、私が元々申し込む予定でいた鑑定士さんのページで本気で驚いた。


ペンジュラムもそこだと言う。


多分今検索してもそうはならないだろうし、そして今の今見てきたらその鑑定士さんはもう長いこと鑑定受付をストップしている。


細かい事情は一切知らないけれども、あの特殊な体質を思い浮かべると本人の負担が色々大きかったのかもしれない。


そして、申し込んだ2017年、そして年をまたいで受けた2018年のあの当時でなければ、鑑定士さんに会うこともなければ、さらにはまさかのイケメン上司のことを知らされるなんて絶対になかったとわかる。


そりゃペンジュラムもそこだと言うのも今なら納得。


書いたついでに思い出したから書くと。


当時イケメン上司と私とが過去世で繋がっていたという話をされた時、鑑定士さんはとても丁寧に説明してくれていた中で「うん?」と思ったところが1つだけあった。


その鑑定士さんは視ようと思って視える人ではなくて(子どもの頃は否が応でも視えてしまう人で、大人になったらピタリと止んだと言っていた)、その内容に関わる人たちの魂的な意味での合意が無いと視えることもなければ見せてももらえないみたいなことを言っていた。


私もその後から今に至るまで自分のオカルト的な体質が出てきたから、その鑑定士さんの言っていることはわかる。


私の場合はメッセージをキャッチすることだけれど、ちょうど今の今、とある友達に星読みを始めて、さすがに何回目かのこうした行為のおかげで「あ、これ自分じゃない」っていうのがかなりはっきりとわかって(書いているのは私でも、内容は私が考えてないのが自分でわかった)、でたまたまというかその友達というのが妹と同い年で2日違いの誕生日で、妹のものは全く何もキャッチしないくせして友達の分だけキャッチしているところを見て、「これ多分、相手の人から託されないとメッセージはキャッチできないようになってる気がする」とこれは過去最高にはっきりとそう思った。


余談が過ぎたけれど、当時の鑑定士さんがそこに関わる人の同意がなければ自分は何も視えないし視ることもない、みたいなことを言っていたのはそういう感覚というか摂理と同じなんだと思う。


で、私が1つだけ「うん?」となったのは、鑑定士さんが言った「今回こうして視えるのは、史子さん側の意志じゃなくてイケメン上司側の意志が強く出ていて、それで今こうなっていると思います」の部分だった。


どうでもいいことだけれど、私は話をしやすくするために、その鑑定士さんにも「その男性のことを私はこっそり『イケメン上司』とあだ名を付けています」と言ったから、冗談抜きで鑑定士さんも「イケメン上司」という言葉を使って説明してくれてた()


そんなことはいいとして、どうして私の方じゃなくてイケメン上司側の意志の方が強く働いているなんて言うんだろう?逆じゃなくて??と当時はものすごく思ったし、その後もずっとそれだけは不思議で仕方なかった。


この鑑定士さんのことを私が何の疑いもなく信じられたのは、初対面にも関わらずその方には私の細かな特徴、それもペンジュラムを使う私のことを見事なまでに、鑑定士さんが視えてるものと私の資質的なものがピッタリと重なっていたからだった。


だからそこは全く何の違和感もなくふむふむとなっていたけれども、イケメン上司側の意志の話のところだけは「???」ってなっていた。


何かの間違いなんじゃ!?とさえ思った。


イケメン上司側の意志で、今目の前で鑑定士さんの口から色んなことが伝えられている、というのは「そんなことってある?」と超疑った。


鑑定士さんのことや鑑定士さんの能力には1ミリも疑いはなかったけれども、「イケメン上司側の意志」というのが信じるにはずいぶんとハードルの高い内容だった。


でも目の前に私がいるにも関わらず、私側の意志よりもそこにはいないイケメン上司側の意志の方を強く感じるというのは、本当にそうでなければ言えないことだと思う。


私を喜ばせようとかそういう類いの気持ちが鑑定士さんにないのははっきりと伝わってきたし、今の私がそれこそ何かしらのメッセージをキャッチする時に「これ自分じゃないよね?」と思わず確認してしまうその感覚もわかるから、余計とあの時のことは当時は信じられなかったけれども、鑑定士さんは感じたまま視たままを言っていたんだと思う。


4年も経った今、本当にそうなのかもしれないなと思う。


生身の人間側のイケメン上司は「そんなことありえない」と言うかもしれないし、そんなぶっ飛んだ話、そもそも信用しないかもしれない。


そして、イケメン上司本人はそんなつもりは全くなかった、と本人の認識ではそうなっているかもしれない。


でもイケメン上司の魂は違うかもしれない。


私が訳も分からずとてつもなく長い手書きの手紙を書いたように(あれは魂の為せる技だと思う)、イケメン上司側の魂だって何せ本人は私を無視したくて仕方ないみたいなわけで、でも魂からしたらやっと転生の末にもう一度巡り会えたとするなら、そりゃ何かしらウルトラCみたいなものをぶち込んできても不思議じゃない。


イケメン上司本人の意志とイケメン上司の魂の意志とが仮に不一致でも、私にはそれ自体は不思議に思わない。


こんなこと言ったら怒られそうだけど、イケメン上司とイケメン上司の魂とが同じ方向を向いて手に手を取り合って一致団結しているとはとても思えない。


魂側は狂喜乱舞していても、イケメン上司本人は「ゲー(;;)、何でこいつ(=私)しつこく来るんだよ(怒)!もう来なくていいんだけど!!!」となっていても全然不思議じゃないし、下手したら「俺別にブログにも武士俣さんにも興味ないけれど、なんとなくチェックしてしまう」ぐらいな感じかもだし、とにかく生身のイケメン上司も魂同様に真っ直ぐに私の方を向いてる感じは今もあんまりしない。


ブログはチェックしてくれてるようだけれども、私と親しくなりたいとか連絡を取る仲になりたいとかいう意志はどうにも無さそうな空気が漂いまくってる。


話があちこちに飛ぶけれども、魂の意志というのは人生において最優先されるように思う。


人間側の方の意志ではそんなことを望んでいなくても、魂側の方の意志が強く望めばそのように物事は動いていく、そんな気がものすごくする。


鑑定士さんに「イケメン上司側の意志で今こんな風に伝えられている」みたいなことを言われたことも、イケメン上司の魂はそれを強く望んで私にも何かしら伝わるようにしたのかもしれない。







2021/09/13


手紙を書いた時の私は、本当に何かに突き動かされるようにして書いていた。


何を書く気でいるのかもわからなければ、もはや自分が何を思ってそんな行為に出ているのかさえわからないまま、とにかく書き始めた。


ちなみに中身はとんでもなく重たいし、これ本当に自分は興味のかけらもない相手からのものなら完全なる嫌がらせにしかならないような代物を私は書いた。


はっきり言って狂気の沙汰みたいな領域で、今の自分が振り返っても「なんだかものすごいことをしたんだな」と思う。


そしてそんな狂気じみた手紙を多分お持ち帰りしてくれただろうイケメン上司は、それだけで十分やさしい人だと思う。


その日、イケメン上司はどうやってその分厚い茶封筒を持ち帰ったんだろう。


本当にどうだったんだっけ?と疑問に思って、当時の様子をどこかに書いてないか探したら出てきた。


[2017年の9月11日の朝の9時になる少し前、奇跡的にその人と私としかその場にいないという1分にも満たないような時間に、私はささっとその人が座っている机の上に味気ない茶封筒を置いた。


何にも反応はなかったけれど、誰がどう見ても自分に向けられた物だというのはその人だって絶対にわかるように一言声をかけてポンと机の角に置いた。


怖くてその後その人の机を見れなかった。


翌日、とりあえず机の上には茶封筒がなかったから、持ち帰ったなり捨てたなりしたんだろうと思った。]


イケメン上司の席は角の奥まったところで、その席の近くをウロウロするのは怪しい動きすぎてできなかったから、多分私はその近くのキャビネットに行った時に机の角に封筒がもうないかどうかだけをチラリと確認したんじゃないかなと思う。


その辺りは今はもう何の記憶も残ってなくて、気になって仕方ない割には机の周りをウロウロするわけにもいかないから、最低限のチェックしかできなかったんだろうなぁと思う。


私が同じことを誰かにされたのなら、とりあえず中身が気になって仕方ないけれども、何せいつの時も同じような表情をしていたから、イケメン上司が本当は何をどう感じていたのかは全くわからなかった。


今書きながら「こんなに同じことを何回も書いて私はどういう気でいるんだろう?」と思った。


iPhoneのメモ機能のところはキーワード検索ができるようになっていて、今は「茶封筒」と入れて検索して上の文章を見つけた。


その時に似たような文章がツラツラと候補に出てきて、それ見て「ほんと、同じこと書いてんだな」と自分に半ば呆れた。


来月あたりは通常のブログに戻りたいと考えてはいて、あと少しだけイケメン上司のいた当時の回想録を書きたいと思ってはいるけれども、書きすぎではないかと今さらになって思う。







2021/09/14  朝、起きる前


今日から明日にかけてやることてんこ盛りすぎてブログを書く時間が取れないだろうから、すごい途中なのは承知で今回はこれでアップしたいと思う。


昨日の仕事中に2017年のカレンダーを眺めていた。


その時に、手紙を渡した後イケメン上司が本当にいなくなる直前まであまり記憶が残っていないことに気付いた。


本当に嫌がられてると当時はそうとしか思えなかったから、イケメン上司をチラ見することも超自粛していた。


毎日息苦しかったし、心の中は沈みまくりだったけれども、それでもまだ会えていた時間は貴重だった。


今現在のやることてんこ盛りな内容は、手書きの書き物が9割方の用件で、今日なんかはこれから10時間勤務にいそしむわけだけど、その後体力が続く限りひたすら書き物をする。


星読み+個人的な手紙+書き物のお仕事の総仕上げ


次にブログを書けるのは16日とかだろうから、このままアップしたいと思う。


そしてそのてんこ盛りな書き物をした後、どんな気持ちでこのブログに戻ってくるのか、書きたいことはいくつかあるけれども私はそれらのことを書くのか、それとも時間が過ぎる中で別の何かを書きたくなるのか


想像つかないけれども、とにもかくにも一旦はここでストップしてアップする。


色んな今の時間が過ぎているけれども、気付けばいつの時も「4年前の今日」というのをずっと意識しながらこの9月は過ごしている。

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