2020年7月26日日曜日

自分を意識的に使うこと

これからの心がけとして記録。

連休初日のイケメンエンジニア硬派さんと職場一可愛いかった可愛い子ちゃん(過去形なのは仕事終了になって辞めてしまったから)と私という、何とも異色なメンバーで飲んだ時に気付いたことの1つ。

硬派さんが仕事ができる人だというのも、知的に賢く尚且つ聡明なのもそれは普段のやりとりで気付いていたけれども、それがちょっとの賢いとか聡明だとかいうレベルではないことを今回初めて知った。

完全にエリートな人で、度肝を抜かれた。

しかもそれは誰が同期なのかを私が聞いて、本来同級生と呼んでいた仲良しの人の名前がなくて、あれ?同期じゃなかったの?と聞いて、それで硬派さんの学歴が発覚した。

あまりにも低姿勢な上に物腰柔らかで、知識をひけらかすことも絶対にしないし、だけど必要なことは懇切丁寧に説明して私がわかるまで教えてくれるし、天は一体何物与えるのかと思うくらいに、与えられたものを生かしてるだけじゃなく、本人の努力も素晴らしく、何という素晴らしい人に引き合わせてくれたのかと思った。

硬派さんもすごいけれど、私のこの何の根拠もない肌感覚で「この人絶対に凄い!!!」ってわかる感性にも惚れぼれとしたv( ̄∀ ̄)v。

動物的勘に近くて、何でわかるのかと聞かれても答えられないところが私だな…と思う( ̄∀ ̄;)。

その硬派さんから、私の英語力について、「神の領域」と称され、すっかり気を良くした。

えっ!?そんな凄いの!?、思わず「私天才ってことじゃん!」と言ったくらい♪(*⁰▿⁰*)♪

ノー勉で臨んだTOEICで900点台を出したことをあくまでも聞かれたから答えただけで、しかもノー勉なのはあまりに褒められて調子に乗って聞かれてもないのに後で付け足したわけだけど( ̄∀ ̄;)。

勘違いされると悪いから言うけれど。

私が熱心に英語を勉強したからというのではなく(そういう根性は基本ない)、赤点ギリギリに近い英語の成績の人がアメリカの大学に行こうなんてしたら、相当な努力は必須なわけで、isとdoesの区別も付かなかった人がある程度まで英語力を上げるとするなら相当やらないとダメなわけでそれでやったということ。

そして、アメリカの大学が厳しいのは本当だと思うけれど、仮に英語の言語や文法専門の人たちにきちんと見てもらって、ある程度文法に問題なく意味が通じる文章のレポートや論文じゃないと、それがダメなだけで教授から見てもらえない、要は評価されないとか、単位取るのに十分な成績をもらえない→すなわち卒業できないとか、そういうことになるから、否応なしに「writing labo」と呼ばれるラボに通いまくって、そこでネイティブの専門家たちから英語を見てもらって、それで直すことの何百回としての今だから、そうしたことが後ろにはある。

適当にやってOKなら、元来面倒くさがりな私はそこでやらずに終わる。

「やらざるを得ない」ことが私の場合は何よりも功を奏したし、そうした強制力がなければ今頃もっとダメダメだったと思う。

そんなことまでは硬派さんには言わなかったけれど、アカデミックな分野で本当に研鑽した人から英語力を褒められて、私は調子に乗りまくった٩(ˊᗜˋ*)و!

で、ここからは一気に話が飛ぶけれど、私は「もっと自分を使って、自分の持っているあらゆるものを駆使して、それでそこから見える景色を見てみたい」と思った。

ちなみに私は自分の英語力が凄いなんて、これまでただの一度も思ったことがない。

上には上がたくさんいるし、私なんか比べ物にならないくらいの英語力の人なんて山ほどいるわけで、そして基本的に地頭は全くよろしくないから、それもあってある一定から先は伸びしろにも限界がある。

それで不自由はしていないから、可も不可もないし、今回はたまたまラッキーというか色んなことが重なって今のところに収まっているというのは否めない。

でも、ふと今の立ち位置や状況はこれ以上ない環境が与えられているんじゃないかと思った。

今の仕事はたしかに「英訳」という名前ではあるけれど、実際には交渉力もコミニュケーション力も調整力もリサーチ力も分析力も色々と必要になっている。

それ故に、これまで自分が色んな仕事の色んな現場で身に付けたことたちを総動員しないとやれないことが多々ある。

そうしたものを自分自らも認めて、主体的に動いてみたら何が見えてくるのか、それを見てみたいと思った。

これまでだって仕事はしてきたけれど、決して自主的という感じではなく、やらざるを得なくてやっていた。

やる気だって、もしやらなかった時に受けるだろう負のエネルギーによる体調不良が恐ろしすぎて、それを避けるためのやる気でしかなかった(それは今もあまり変わらない)。

だけど、ここから先は自分の持っているものをふんだんに使って、そしてそこで初めて見える景色を見るのも楽しいかもしれないな…と思った。

私の場合は派遣ゆえに、やったからと言って給料や地位が上がることは絶対にないから、そして長く勤める気もなく、正社員になる話なんか絶対に来ないけれど仮に来ても受ける気などなく、だからこそのびのびと自分の感覚と気持ちだけで純粋に動けるのもいいなぁと思った。

やってもやらなくても何も体外的なものは変わらないから、だったら逆にそれはそれで自分の見ている世界がどう変化するかを見るのは一種の娯楽みたいなものだと思う。

腹が立つことも、納得がいかないことも、今後もわんさかありそうだけど、それでも自分を意識的に使うという意識の中で時間を過ごしたらどうなるのかな…と楽しみになっている。

おそらく今週あたり、9月以降延長になるのか契約終了になるのか連絡が来ると思う。

どちらに転んでもおかしくないから、そこは神のみぞ知るの領域だと思っているけれど、あと残りが1ヶ月でも反対にもう少し延びたとしても、自分を使うことを楽しんでみたいなぁと思っている。

ちなみにこんなこと書いているけれど、早速明日からの4連休明けの仕事は行く気ナッシング過ぎて、何がしたいって明日もダラダラしたい!!!というのが本心( ̄^ ̄)ゞ

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