2020年7月20日月曜日

㉔【おいせさん手帳】梅雨日記




おいせさん手帳第24回目
担当:私

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7月20日

年に一度、梅雨の時だからこそ出会えるもの。
土用の梅仕事

ジメジメした季節にも粋な体験があります。「梅の雨」と書くように、梅雨の終わり頃梅干しを漬けます。部屋の中に梅を干すと、この時期だけ味わえる「梅の香り」があります。匂いをかぐだけで心が柔らかくなったり癒されたりします。梅雨ならではの芳香を愉しんでみませんか。

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2020/07/19
ノムからのメール

ぶっしーへ

今日は久しぶりに気持ちよく晴れている八王子です。
あ、この世界を忘れてた、って思ったよ。
こんなに快晴って気持ちが開放的になるのかー、って驚いた。
この梅雨は、ほぼ毎日雨が降っていて、地味に強烈。笑
すっかり、その雨が降っている、雨が降りそうな曇天に慣れていて、
その「慣れてしまう」ことの強さと危うさみたいなものを思っている。







今年の梅雨は梅雨らしい、ジメジメ、毎日雨の梅雨になっている。

ノムが言った「この梅雨は、ほぼ毎日雨が降っていて、地味に強烈。笑」って言葉が本当にその通り!って思う。

うん、地味に強烈。

太陽の光って本当に人間を元気にするんだなぁってつくづく思う。

26歳の私に「うつ」の診断を下した精神科の先生は、服薬治療を拒んだ私にその代わりのものとして、1つには日光浴を強く推奨した。

知りたい人がいるかもだから、当時先生に薦められたことを紹介すると。

・日光浴をして、とにかく陽の光を自分に浴びせるのが大事。
(セロトニンとかその辺りの何かに関係してるとか言ってた)

・セロトニンだったか、とにかくうつの人が不足しがちな脳内物質を体内に作り出すために、ヨーグルトや青魚(サバとか)、カツオ、マグロ辺りが良い。

ヨーグルトは目安として、2日で500gのパックを1パック食べる。←これは本当にやった。

・クヨクヨ考えない。クヨクヨ考えても何とかなるわけじゃないから、その辺りは割り切るようにする。

こんな風だったと記憶している。

それから何年もしてから、自分の親がうつ病になったという友達が教えてくれた方法。

耳の穴に日光を浴びさせること。

ぶっしーは色んなことを深く見つめて思いつめちゃう傾向があると思うから、やってみるといいよと、決して押し付けではなく本気で心配してそんな風に教えてもらった。

実際に耳穴に日光を当てるのはそれ以降時々思いついてよくやっている。

どのくらい効果があるかは知らないけれど、それを教えてくれた友達との当時のやりとりのシーンをいつも思い出して、なんとなくそのことが私にそもそものエネルギー供給をしてくれる。

人のやさしさは時間が経っても色褪せない良い例の1つに数え上げられる。







今年の梅雨は何か梅雨らしいことしたかな…?と思った時に、何も思いつかなかった。

代わりに、この梅雨の時期にやったことを2つほど備忘録として記しておきたい。

1つには、69歳の母親に国語と算数の問題を教えたこと。

この春に母親は30年以上勤めた会社を退職した。

ずっとやりたいと言っていたハローワーク仲介の介護の勉強をするための入校試験用に国語と数学の勉強をしている。

それに付き合った。

国語と数学はさておき、その年になっても色々と挑戦しようと考える母がすごい。

基本的にじっとしていられない人だから動いている方が健全なんだろうけど、それにしたってすごい。

例えば自分が69歳になった時、そんな風に勉強しようと思うだろうか…?と考えると、する気配は微塵も感じられない。

ちなみに41歳の私が望む自分の69歳ないし70歳は、興味のあることを在宅で普段はマイペースにやって、時々お友達と集うみたいなのに憧れる。




もう1つ、毎年梅雨の恒例行事化しているもの。

父と母と蛍を見に行くこと。

今年も連日雨続きの中、ある日の夕方から夜にかけて曇り少し晴れ間みたいな天気になった日に見に行った。

民家がなくなるくらいの所から急に蛍が飛んでるスポットがあって、それを見に行く。

本当にただ行って、車から降りて20分30分歩きながら見て、それで終わり。

だから何ということもないけれど、気付けば新潟に戻ってきてから毎年そうしてるなぁと気付いた。







今年の梅雨は、梅の香りを嗅ぐこともなく、長雨にどんより空にそんな時間をずっとやり過ごしている。

両親と住み始めてから、母が梅干しを漬けるから私は漬けなくなった。

これを20日の昼休みに書いているけれど、先週金曜日に見つけた間違いが、まさかの他の間違いまでもボロボロとドミノ倒しのごとく出てきて、その修正作業に追われている。

英訳以前の余計な仕事で、梅の香りの話と今の現実とがあまりにもミスマッチ過ぎる。

何でこんなこと書いているかと言えば、私の中で「綺麗事だけを書いて終わりたくない、本当のことを書きたい」という気持ちがあるから。

梅の思い出をいくつか書くことはもちろんできるけれど、にわか信じ難い今の修正作業で気持ちはそちらにあまり向いてくれない。

当初の修正は番号だけだった。

そうしたらそこに単位の修正も加わった。

で、それらが74ページ分の資料の至るところにあるから1枚1枚丁寧に見る羽目になって、その丁寧に見たら日本語と英語とで強烈に不一致という箇所がいくつも出てきた。

もはや取扱説明書の役目を果たしてない資料を前に、ドッと疲れが出た。

これを直すか直さないかは、全て私1人の手にかかっている。

元々の新規の英訳さえも終わってないのに、きちんと翻訳されていないところも見たら膨大過ぎて、梅の香りさえも飛ぶ勢いの頭の中になっている。

これが人生の中で今だけとわかるからやれる。

けれどそんなことが来年も再来年もなんてなったら私はやれない。

いつか終わると思うからやれるのであって、そうでなければ万年やる気なし子な自分がやれるわけない。

2020年色々強烈すぎて、たくさんのことが噴出しまくりだけど、そこを過ぎた先の未来には、蛍鑑賞とか梅の香りとか、そういうのを自分の人生の中で引き継ぎたいなぁと思う。


我が家の青梅

梅の花 2020 

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