髪の毛を切りに行く前日。
それにまつわる書物を風呂の中で読みたいと思った。
かなりな長さを切るから、その長さの歴史の分を振り返るものが良かった。
茶封筒を出してきた。
その中に下書きが入っている。
これお金なら、何万円分の厚さになるんだろう?なんておバカな発想をしつつ、それを久しぶりに読んだ。
最初から最後まで飛ばすことなく、全て読んだ。
過去最高に恥ずかしさを感じたけれど、なんならよくぞこんなの渡しておいて普通にしれっと振るまえたなぁと心から感心しつつ、当時の自分を思い返した。
下書きの私は、とにかく一生懸命だった。
命を、一生分の命をその中で懸けていた。
それは全く実を結ばないただの紙束と化したけれど、私は後悔してないって改めて思った。
もうそんな風には書けないし、書いたとしてもそれを渡すとかできない。
あの時だけ与えてもらえた千載一遇のチャンスだった。
人生って一度きりのことって案外と多いけれど、それはその最たるものだった。
もう二度と戻ってこない、二度と与えてもらえない、そういう機会だった。
シュレッダーにかけられたり、燃えるゴミになったりしたかもしれない。
それでもいいから、あの時、ただ一度きりのあの時に、自分の意のままに動いて良かった。
髪の毛を切ったところで何か変わるわけではないけれど、何かその結実しなかったことに対しても吹っ切れるかもしれない。
風呂の中で読むと、長くもなく短くもなく、ちょうど良い塩梅(あんばい)だった。
自分で読んでて、こんなの渡されたらドン引きもするだろうし、無視もしたくなるわと思った。
あの時はそれどころじゃなかったからわからなかったけれど、無視というのは案外と妥当な振る舞いだったのかもしれない。
今ごろになって、普通にしれっと装っていた私の方が普通じゃなかったのかもしれない、と初めて思った。
その紙の中でも、私は普通に振るまえると書いていた。
心の中は北極で暴風雪と雷と竜巻とが同時に来たぐらいになっていたけれど、そんなの隠し通した。
瀕死の心は外側にはさいわいにして見えないから、何とか隠し通すことができた。
そんなことも含めて、後悔してなかった。
髪を切ることと何の関係もないけれど、なんか切る前に読めて良かった。
読めたこともだし、後悔してないって自分で自分のことを知れたのが良かった。
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