2019年10月29日火曜日

蠍座新月のつれづれ記

久しぶりの墓参り






蠍座(さそり)新月の今日の徒然。
(2019/10/28)



☆洋書の注文

「洋書」って言うだけで賢く見えるv( ̄∀ ̄)v

新月の日に洋書注文なんて、超いけてる!!!

とうとう、一線を踏み越えた。

占星術の中のサビアンシンボルの和訳を始めたことで、ちょっと気になる占星術用語を英語で調べた。

日本語だとあまり情報がなくて、英語の方がきちんとした情報がありそう!と思って調べたらビンゴで、その流れの中でとある1冊の占星術本の見本サンプルに行き着いた。

情報についてはこの後触れたいけれど、その行き着いた1冊が本当にすごく良い本だった。

前々から占星術の総合一般書みたいなのが1冊欲しいと思っていた。

それに超相応しい内容で、しかもサンプル部分だけでもありえないぐらい深い内容に触れていた。

占星術の新しい切り口(少なくとも日本語でその方法論を謳っているサイトも本も見たことがない)を教えてくれて、それが超使える良いものだった。

「残り1冊」のフレーズにやられて(笑)、初めての「海外から発送」と出た商品をこの度ポチった!

コンビニで支払う前に支払い番号がメールにくるからYahooメールを開くと、他の受信メールによって今日が蠍座新月と気付いた。

新月に洋書の占星学本を頼むなんて、超カッコいい!!!、ともはや視点がおかしなことになっていたけれど、ルンルンしながらレジに支払いに行った。




☆本物志向

ここではサラリと触れるぐらいにするけれど。

その英語で、とある占星術用語を調べたら、日本では誤ったというか、日本の文化や風潮に合わせて情報が超歪められた状態で伝わっていることが判明した。

いくつか訳して、占星術クラスメイトだったノムにもそれを送りつけて(私の和訳の方)、どう思うかを聞こうと思った。

2人とも同じ感想を抱くんだけど、「しっくりきた!」。

これまで情報があまりに少なくて、その少ない中でもなんかしっくりくる解釈がなかった。

私たちの先生は下調べとか超する研究肌の人だから、基本的にいい加減な情報は絶対に渡してこない。

もしその用語を先生が講座でカバーしてくれていたのなら私は調べなかったけれど、先生は触れなかったから、それで私は調べるようになった。

サビアンシンボルを英語で初めて調べた時に、日本に出回ってる解釈と随分違っていて驚いた。

今回の用語もそんな予感があって調べたらビンゴだった。

日本語で調べていた時には出てこなかった情報が最初の20件くらいのサイトの中にきちんとあった。

そしてどこまでもきちんとした解釈で感動した。

ノムもしっくりきた、と感想として第一声にそう言ったから、余計とこの情報で当たりだったんだと確信がより一層持てた。

食べ物は食べれるならいい、服も着れるならいい、化粧水は自分に合ってるならいい、などと普段の生活は超適当だけど、私は自分の興味ある分野の情報に関しては絶対にきちんとしていないと嫌だと感じるところが強い。

唯一本物かどうかにこだわるポイントかもしれないくらい、超こだわる。

星も心も、そうした目に見えないものたちこそ、本気でいい加減な情報が大嫌いなんだとわかる。

唯一の本物だけにこだわるところが蠍座っぽくて(蠍座は「これ!」と思ったものをとにかく超大事にする)、今日の新月に相応しいなぁなんて思った。




☆お風呂で読書

風呂の中で読む本がどれもしっくりこなくて、「新月」ならより一層しっくりくる本がないかとしばらく本やノートたちを手に取っては開いて見て「これじゃない」となって戻して、また次のを…なんていう風にしていた。

過去の自分が書いたもの、それも心理ワークとかではない日記の方がいいと思って、前々代の日記帳(2005〜2014年)を出してきた。

その中からいくつかを紹介。




☆ピラミッド

ーー2009.1.9
Chichen Itzá (チチェン・イツァ)
人生初のピラミッド。
(しばらくピラミッドの感想が数行続く)
何千年ていう歴史を積み重ねたものの前に自分が立ったら何か目の前が拓けるかもしれないと思ったけれど、混乱は相変わらず混乱のままだった。



日本帰国まで半年切ったのに、先のことなんか何にも決められないわ、やりたいことないわ、超絶受け入れられない現実(30歳独身1から人生やり直し)はあるわで、私はピラミッドを見たら何かひらめくかなぁと相変わらずのんきな発想をしていた。

だから現実の何千年級の歴史建造物を見ても、自分の心の中に何も芽生えないのは相変わらずなんだと知って愕然とした瞬間があった。

幸い旅行中でそんなのはまたすぐに忘れるんだけれど、10年後の2019年にこれを読んでも、「相変わらずだなぁ…」と思った。

少し違うのは、そういう外側のすごいものに触れたからと言って私は自分が変わるようなことはほぼない頑固さを持ち合わせていることを今は知った。

それを知っただけでも大きな成長だと思う( ̄∀ ̄;)。

ちなみにさらにどうでもいい情報だけど、私はメキシコ国内のいくつかのピラミッドを見に行って、実際登れるものは階段を登って上に上がったりもしたけれど、自分はそもそもピラミッドなんかに興味がないということも知った。
(エジプトのピラミッドとは形が違う)

ピラミッドファンならもう至福の悶絶級の時間だと思うけれど、私は途中から飽きた。

そして、極め付けは別の日に最後に立ち寄ったピラミッドで、そもそもバス降り場を間違えて、まずは歩いてその距離を戻って、そして中に入ったら超広大な敷地で、ピラミッドに行くまでも、そしてまた入口に戻るにも30分以上かかった記憶があるけれど、その移動時間だけで超グッタリした。

何千年の歴史的価値よりも、今目の前の体力問題の方が私には重大だったことだけが延々と綴られていた( ̄∀ ̄;)。




☆結婚に対する予言

ーー2008.8.6
未だかつてない位、結婚したい病にかられている。某コンクールイベントで使う飾り付け、ちょうや花、それをひたすら一人で黙々とやって、自嘲的に何やってんだ私!?って思った。悲観は全くしていないけれど、何だかなーと物思いにふけってしまった。何したいって結婚したい。20代、十分突っ走ってきたから、次はゆっくりのんびり家庭生活営みたい。
(中略)
何だか未来が遠い。また一人でがんばってそう。そして何やってんだ私?って思ってそう…そんな人生イヤ!



何この恐ろしい予言…Σ(꒪◊꒪; )))) !

29歳の私の心のボヤキがまるでその後の私を物語っていて、一人でがんばってそうだとか、何やってんだ私?って思ってそう…とか。

当時はあくまでボヤキだったはずが、11年後もしっかりその内容が引き継がれているという驚愕の事実。

家で内職みたいなことしていたんだろうなぁということも今は思い出せないけれど、手を動かしながら私は未来に想いを馳せて、希望とは別のそんな風にはなって欲しくないことも想像していて、まさかまさかその想像側が現実になるなんて。

ちなみにこれは引き寄せとかではなく!!!、もうどうにもできない宿命的な流れだったんだろうと今は思っている。




☆居心地がいい理由

ーー2009.1.22
〜サン・ミゲール・デ・アジェンデ、メキシコ〜
(San Miguel de Allende)

今気付いた、この街がどうして居心地がいいのか。一人で気軽にレストランに入れて、一人でいる人もいて、そして一人でいることをあまりジロジロ人に見られないからだ。みんなそれぞれ自分の時間を大切にして、自分のしたいことをしている。誰にも何にもしばられずに。

さっき男の人に”Buen aproveche”と言われた。笑顔付きで。それがまた素敵で、いいなー、こういう自然で力の入っていたい雰囲気と思った。

(Buen aproveche=美味しいごはん(時間)を!)



この街のことはかなりよく憶えている。

とにかく雰囲気が良くて、朝も夜も出かけることができた街だった。

東洋人の女が1人でウロウロするのは、街によっては目立って仕方なかった。

だけど、その街はそんなこと全くなくて、みんながみんな思い思いに過ごしていて、人のことよりもみんな自分の今のこの瞬間が大事!と言わんばかりに、目の前の1人の時間や誰か大切な人との時間を、これ以上ない全力で自然体で過ごすのが当たり前だった。

それがみんなの当たり前だったから、私も1人で過ごしていても浮いてはいなかった。

到着したその日が街の生誕祭で、生演奏に合わせた打ち上げ花火があった。

それにも私は1人で出かけた。

終わった後、冷えた体を温めるために、どこかのカフェみたいなところに寄って、ホットチョコレートを買って宿に持って行ったと記されていた。

1日目の夜はパエリアを、2日目の夜は生のジャズ演奏を聴きながらステーキを食べた。

もちろん1人で。

さすがに夜は1人というのが多少気にならなかったわけではなかったけれど、それでも平気だった。

読み返しながら、この頃から無意識に「1人でいても居心地が良いかどうか」を自分の肌と心とで確認するクセがあったんだなぁと思った。

無意識に「1人の人生」を静かに想像していたんだと思う。

1人でも楽しめるのか、1人でも居心地よくいられるのか、そんなことを30歳目前の私はしていた。




☆誕生日直前の夜明け飲み

ーー2013.3.11
AM3:00。ムクっと起きて、簡単おつまみを作ってお酒タイム。若干の罪悪感はあるものの、粋で楽しい。まだ生まれてない34年前の私に、34歳のド出発にお酒を飲むことも組みこまれていたんだろうか(笑)。ちなみにメニューは、きゅうりと大豆の酒かすドレッシング和え、こんにゃくのてり焼き、きのこのソテー(これは作り置き)。お酒はレモンじゃなくて、グレープフルーツ味のチューハイ(Alc.9%)。
なんとなく、布団の中で起きようかそれとも寝ようかと迷ってるよりずっと健全な気がした。そして、ウインナーをメニューから外したことで、これもまた良かった(笑)。おなか空いた!と思った時に、コンビニに行くんじゃなくて、あえて作って食べる自分、しかもさっと作る為の材料があるのはありがたい。
ふと必要なものは全て揃っていることに気が付く。



誕生日を迎える直前の真夜中の3時につまみを作って飲んだらしい。

つまみをさっと作る元気まであったようだ。

色々ツッコミどころ満載だったけれど、日記の中の私はとても楽しそうだった。

今回は書かないけれど、他にも私は、クリスマスイブの日に高級ホテルラウンジに行ってケーキセットを1人で食べて、どれだけ孤独に感じるかや、どれだけ世の中にカップルがいて自分はお一人様加減なのかを見に行くという、すごい実験をしていた(うっすらとしか記憶がない( ̄∀ ̄;))。

ちなみにその実験も楽しんでいた!

ここまでくると、お一人様の楽しみ方の達人だなと思う(笑)。

クリスマスイブの1人でホテルケーキセットも、誕生日直前の真夜中に1人家飲みも、私は全然平気だった。

私は1人の孤独は耐えられるけれど、目の前に誰かがいるのに心が通っていないことの孤独の方が耐えられないから、そしてその手の孤独は様々な場面で体験を重ねまくったから(もちろん自ら体験したいわけもなく、そういう状況が自動的にもたらされた)、そういう意味で、1人ステーキも1人クリスマスイブも1人誕生日家飲みも楽しむことができた。

この孤独について、いつかブログに書けたらいいなぁなんて思った。



「酒かすドレッシング」はクックパッドで検索したもので、実際のレシピとは少し違う。

毎年のように、農家に婿入りしたおじが酒蔵を持っている義理の親族から酒かすを大量にもらうようで、それが母からの荷物で私にもお裾分けがあってやってきたものだった。

あまりに大量すぎてどう使っていいかわからなかった私は、クックパッドである時検索して見つけたレシピだった。

ちょっとブルーチーズまでいかないけれど、チーズ系のドレッシングみたいでおいしい。

材料は、
・酒かす(レンジで20秒チン)
・味噌
・酢
・ヨーグルト
ヨーグルト大さじ3に対して他は大さじ1。

それらを混ぜておしまい。

ディップにしてもおいしい。




☆しりとり

もうすぐ4歳になる姪っ子と電話越しにしりとりをした。

本人の中で大ブームらしい。

そしてお盆から2ヶ月の間で、めきめきと力をつけて、きちんとしりとりができるようになっていた。

ちなみに家では、疲れ切ったお父さん(義弟)とやると、「パン!『ん』がついたからおしまい!」と速攻で終わるらしい( ̄∀ ̄;)。

私の番になった。

2回目か3回目の「ち」だった。

うーん、思いつかない、とか言っていたら、電話の向こうで
「ヒントあげるね!たべもののなまえです」
とさやが言い出した。

「えー、思いつかない!」

「ちー」

「あ、チーズ!」

「せいかい♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪」

いつのまにか、ヒントを出す腕前になっていた!

今度はさやが「ず」から始まるものに当たった。

少し沈黙の後、
「ずにか」
と言った。

「うん?ずにか?ずにかって何?」

「たべもののなまえだよ!みんなたべたことないたべもののなまえ!」

Σ(꒪◊꒪ )))) !?

「じゃあ、ふみこは今度『か』で始めたらいいの?」

「うん、そうだよ!」

3歳児凄すぎる( ̄∀ ̄;)。

さらにその後、電話を切るために「メロン。あ、『ん』が付いたから終わりだね!」と言ったら、「うんうん、じゃあこんどさやがはじめるね、めーだーか!」となんと自分の番にして再スタートするという荒技を普通にやり出した。

最後は、電話を自分も切らない、おかあさんとふみこも切っちゃダメ!となって、電話を終わりにすることをものすごい渋った。

ここは最終手段で、米を送る送らないとか言っていた母が、さやにプリキュアの髪飾りを買って一緒に送ろうとしたのは知っていた。

さやに
「師匠がさやにかわいいの買ってたよ。電話切ろうって言われた時に切れるいい子には行くけれど、そうじゃないと行かないみたいよ…」と言っているうちに切れたΣ(꒪◊꒪; )))) 。

直後に妹からLINEが来た。

「お楽しみの物の話を聞いた瞬間、ボタン押した💧」

恐るべし3歳児!

己の欲望にどこまでも忠実な生き方のお手本のようだった。




☆退会

先日から狙っていたLINEのグループ退会を決行した。

かれこれ2年近く、ものすごく不定期に発動するLINEグループではあったけれど、その内容が本当に毎回疲れるものばかりで、いつか退会しようと思っていた。

どんなに多くても1ヶ月に一度、ない時は2ヶ月3ヶ月間が空いている気がする。

だけど、ある時からそのグループLINEは、常に愚痴で始まり、その愚痴が毎回毎回私の神経に触って仕方なかった。

とにかく愚痴を言うためにその中の1人が何かしら送ってくる。

疲れてるのは仕方ないし、それを責めるつもりもない。

だけど、毎回それで、毎回見るだけで疲れて、私はある時から何も返信しないやり方にした。

やっといて良かったことは、その他の人たちには、具体的に何が嫌でそれを理由にいつかグループLINEは退会するかもしれないと言っておいたことだった。

最後にきた時、これはもう本当に退会しようと思った。

別に何がどうというはっきりしたことではなく、その毎回不快なり不愉快なりになるやりとりを目にするのは金輪際辞めたい、それだけだった。

その場ですぐにやると面倒だと思って、みんながそのLINEのやりとりを忘れて落ち着いた頃にやろうと思っていた。

そして突如思いついて、退会した。

退会はあっという間に終わった。

これごときの、1分もかからない手続きのためにこれだけの心労を払った自分に、よく耐えたなと思った。

たった1分であっという間に終わることに私の心は侵食されていた。

2年近くウダウダと来てしまったけれど、これで永遠にそのグループからは解放されたかと思うと超スッキリした。




☆告白

ノムとスピリチュアル業界のとあるテーマについて話そうと約束してから何だかんだと時間が経って、ようやく新月の今日話すことができた。

本当は翌日だったけれども今日と明日が入れ替わったことで、急遽今日になった。

実はすごい緊張していた。

自分のその秘密とは言わないけれど、自分の評価が99%はおかしな方にいく内容だから、言いたいことでは決してなかった。

でもそのスピリチュアル業界の話とリンクするものがあって、それはすなわち今後も出てくる可能性のあるものだから、もう言ってしまおうと思った。

告白は呆気なく終わり、ノムはまるで他の話と変わらないままで、なんなら自分も同じだからと自らの告白も始めて、2人で「な〜んだ」となって話は続いた。

まるで星の話や心の話をするように、それは終わった。

終わってみたら、そんな奇跡みたいなこともあるんだと知った。

そして、秘密ではないけれど、それをお互いに伝えたことでもっと仲良くなれることもあるんだと知った。

超マイナスなことで、私はそれによって相手の中にある自分の印象や今ある人間関係が良からぬ方にいってもおかしくないと思っていることが、逆に強力なボンドになるなんて思ってもいなかった。

私の人生にはまだ奇跡が起こるんだなぁ、ありえもしないことが有り得てしまう、そんなこともあるんだなぁとなんだか嬉しくなった。

それが新月の日に、それも12星座中一番浄化の作用の強い蠍座の新月の日にそうなったことが、ことさら嬉しかった。




1日明けてノムからメールで聞かれた。

「ぶっしーにとって、よろこびってなに? なにがたのしい?」

色々考えてみて、今書いてて気付いた。

「小さな奇跡をたくさん目撃すること。
小さな奇跡にたくさん触れること。」

ここに書いたことは、みんな今振り返ると、「小さな奇跡」の連続だった。

少し前に読んだ吉本ばななさんのエッセイ『イヤシノウタ』より。

【なんてことないように思えることが、あとですごくだいじになるよ】

今ならわかる。

本当になんてことないことたちが、時間の経過と共に、その時にしか存在しなかったことだと知る。

そして、その時にしか見えなかった景色や気持ちが、後になってから永遠のものだと気付く。

たくさんの思い出を、それが自分一人でも思い出を作ることが、後からうんとたくさんの何かをもたらす。

それは他の何にも代えられない宝物のようになるんだなと、これを書いてて改めて感じた。

ピラミッドも1人ステーキもLINEのグループ退会もノムへの自分のことの告白も、すべてその時にしかなくてでも自分を作る大切な何かなんだと思い知らされる。

小さな奇跡を大事にできる自分であり続けたい。

そっと自分に誓った。

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