2022年1月8日土曜日

2017年のインパクト



アスファルトがしっかりと見える、雪のない夕方の暗い道を運転しながら、「2017年」という年がものすごくくっきりはっきりと出てきた。

年が明けて2022年になった。


それはわかる。


なんだけど、2018年、2019年、2020年、つい最近の2021年と、どれもこれも頭の中で色々整理しないとどの年に何があったのか思い出せない。


例えば、2019年なんて言われても、とっさに何があった年なのかパッとは出てこない。


つい最近の2021年でさえも、「2021年ってどんな1年でしたか?」なんて聞かれても、かなり丁寧に思い出さないとどんな1年とかどんなことがあったのか思い出せない。


そんな中、2017年だけは全然違っていて、即座に何があったと即答できるだけじゃなくて、大きな節目、目印のような1年として私の中にずっとずっとあることに気付いた。




*




頭の中で言い訳を考え始めた。


今も去年に引き続き、2つの記事を書き上げてアップしたいと思っているし、止まったままの下書きもある。


それとは別に、1ヶ月ほど前に「これ書きたい!」というものも出てきて、それも下書きを途中までしてある。


確実に3つは今後いつかのタイミングで書き上げる。


じゃあこの今書きたいとなった、しかも何を書くって決めたのとも違うしこれを書こうと頭にはっきりと案があるのとも違うけれど、これはどうしよう…?と考え始めた。


4つ目として登場させるのは、いささか抵抗がある。


番外編とも違う。


色々言い訳してもどれもこれも違うように感じたから、とりあえず書きたいように書こうと思った。


心の中の言い訳を少しだけすると。


ここ最近、オカルト系の話は日々てんこ盛りだから、だいぶ続けて書いている。


今日(1/7)にも今年初の買物、タロットカード、私にとってのファーストタロットカード2点が届くことになっている。


この3連休中に確実にタロットカードが何かしらの形で始動する。


またこちらはネタがある。


そんな風にオカルト系は放っておいても何かしらがやってくるし、不定期でもけっこう頻度を上げて書かないと貯まる一方のものになる。


オカルト系のことは立て続けに書いても、それでも書き切れなかったことなんかもあるわけで、でも書けなければ「まぁいっか!」と即開き直る。


というか忘れる。


その一方、これから書くことは、他のことたちが表立って目立っていても、実は私側からするともっと強い存在感を放ってずっとずっとある。


消えることもないし、書こうとしている内容については絶対に忘れない。


頭の中どころか全身中の自分の記憶が作動して、忘れることなんか一瞬たりともない。


とにかく、ひたすらに「有る」し「在る」。


内容についての表情をあれこれ変えるのはオカルト系のものだと知っているけれど、表情どころかネタも何も変わらないこちらは、もはや何の新鮮味も持ち合わせていなくても、私にとってはいつの時も新しいというか他に類を見ない表情を見せている。


例えば車の中で「2017年」と出てきたことも、全然目新しい話とは違うけれども、私は書きたくてそして伝えたい。


そういうものだから、もう書いちゃえ書いちゃえ!、と何の言い訳も立たないけれども、自分が書きたい、ただそれだけの理由で今書いている。


オカルト系の色んなことが起こっていた時も、こちらはネタの1つもなくても、オカルト系よりも遥かに強い存在感があって、書きたい気持ちの強弱はあっても書きたい気持ちだけは常に有り続けている。


書きたい気持ちがない、ということだけはなかった。




*




新年仕事2日目の日(1/6)、わりと早い時間に、1つの記事が読まれたとわかった。


それは、「声」について書いたものだった。


自分の記憶も毎回いい加減だけど、この記事が読まれました、とタイトルだけが表示されても何のことを書いたのか忘れている。


昼休みに開いて、少しだけ読んだ。


読んで即座に概要を思い出した。


そして「声」について、改めて逡巡した。


ここ数ヶ月のことだと思うけれど、私はしょっちゅう人の声に耳を傾けている。


仕事中、私の席というのは色んな人たちが行き来する通路のすぐ脇だから、その人たちが内線や誰かを伴っての会話なんかがあると色んな声が耳に飛び込んでくる。


廊下でも似たようなことが起こる。


家でも、視覚的には見てない時のテレビの向こう側の芸能人やニュースキャスターの声に、時々意識して耳を傾ける。


自分が反応する声は1つもない。


「この声、いい!」ってなる声がない。


本当に不思議で、声を探せば探すほど、自分の中で勝手に作動して心地良くなる声ってないんだということに気付く。


この間、とある文章の中に「記憶は感情で残る」ってあった。


非常に残念なことに、声の具体的な質、そういうものは時間の経過と共にかなり記憶が薄まってきている。


なんとなくは憶えているけれども、今すぐにその声を自分の中で再現させたくても、かなり輪郭がぼやけている。


だけど、代わりにと言ってはなんだけど、その声を聞いていた時の自分の感覚はものすごく鮮明に憶えている。


その声を聞いて安心して、他の人たちの声が雑音のようになっていた中で、その声だけが小さいのにも関わらず、並々ならぬ存在感を放っていた。


主には電話を受けたりかけたりしている時の声を聞いていたわけだけど、手を止めてでも聞いていた、そんな感覚でいた。


だからこそ私に向けられた声色の変わった声にもすぐに気付いたし、その声が変わるくらいに私が嫌なのかと思ったこともものすごくはっきりと覚えているし、声にこんなにも色んなものが表れるって知ったのはその声が初めてだった。


自分の声って自分で決められないし、さらに自分が好きな声とか聞き心地の良い声とか、そんなのだって理屈はわからない。


だけど、理屈を超えたところで自分の中で色んなことが反応する。


全体的に音の少ない環境の中にいた。


自分は1日の中で数分もしゃべることがなくて、周りの人たちも最小限しかしゃべらなくて、全体的に静かなところだった。


そういうところで働いたことがなくて初めは大いに戸惑ったし、ただでさえやる気がないのにさらにその静かさが私には合わなくて、私はここで何してるんだろう?何のためにここにいるんだろう?なんてしょっちゅう考えていた。


後からきちんと気付いた。


あれだけ静かなところだったからこそ、あの声を聞くことができたこと、一挙手一投足に注目できたこと、そして自分の感覚や気持ちにどこまでも集中してそれを自分の中の細部の細部にまで行き渡らせて記憶にしっかりと刻めたこと。


いつかは声を忘れてしまうというか、どうやっても思い出せない時がくるかもしれない。


それでも自分の感覚だけは生涯ずっと残る。


それは4年という時間が教えてくれた。


どんなに時間が経っても、私の中にある感覚とか感覚を伴った記憶はずっとずっとある。


それを持てたことは、本当の本当に良かった。


今でもずっとそう思っている。


そして、残りの人生でもずっと持ち続けられるのは、自分に贈られたお守りみたいでとてもうれしい。




*




今回、この文章を書こうと思ったのは、伝えたい・残したいと思ったからだった。


昨日(1/7)タロットカードが2つ、無事に届いた。


今回の3連休もオカルト三昧になるかと思う。


先に書いたように、オカルト系のものは頼まなくても日々アップデートやらネタ到来やらで色々あるから、今年はこれまで以上にオカルト日記の筆が進むことになりそう。


そうなると、この本当に書きたい方が後回しになりかねないから、そうなってしまう前に書いてしまいたい、そう思って書いている。


オカルトグッズたちはもはや趣味みたいな領域で、ここに書いていることとはずいぶん毛色が違う。


ここに書いていることは、私にとって命の根幹、生きることで出逢えたこと・奇跡、そういう領域のもので、上手く言葉にできなくても書きたいもの、言葉にして自分だけじゃない、相手にも届くようにしたいもの、そんな性質を帯びている。




*




1月6日の帰りの車の中のシーンに戻る。


2017年の衝撃的な時間を軸として、今年は5年になるんだと頭の中で指を折りながら数えた。


秋になれば丸5年が経過して6年目に突入してしまう、そのことにももちろん気付いた。


5年という月日もけっこうな痛々しさを覚えたけれど、これが例えば10年とか20年ってなったとするならもっと痛いことになってしまうな…なんて思った瞬間があった。


区切りなんかどうやって付くのか想像もつかないし、いつか上手いこと気持ちが離れてもっと別のところに向かってくれたりするんだろうか…?なんて自分に聞きながらなんだか苦しさを覚えた。


その時に出てきた。


「自分の気持ちを大切にしよう」


ここから先はますます明るい未来や望む現実からかけ離れていくことになる。


そこに目を向けてしまうと、しんどさや苦しさが出てくる。


1年、また1年と時間を重ねる、それも自分の中が何にも変わらないまま、状況も変わらないまま、時間だけが無常にも過ぎていく、そういう近未来を想像したら、やるせなくなるばかりだった。


だから、ここから先は現実がどうだとかいうことではなく、自分の中にある気持ちを大切にしたらいい、それを守ることができたのなら自分の中にまた新しい何かが出てきてくれるかもしれないし、今よりも自分自身もこの現実と付き合いやすくなるかもしれない。


自分の中にあるものだけを大事にできたのなら、私は自分で自分を救えるかもしれない、そんな気がした。


誰のことも頼らないという意地っ張りゲームとかではなくて、自分の中にあるものを自分だけは最後まで大切に守ることができたのなら、これから先どんなに時間が経とうと、全てのことがどんどん現実にあったこととは感じられなくなろうとも、自分は大丈夫な気がした。


いつも一番近くで見ている自分がこの色んなことに対して「それでいいんだよ」とできたのなら、状況も関係も全て関係ないところで自分の気持ちを守れる。


そうだ、それを今日のおいせさん手帳に書き残したらいいんだと思った。


「大切なもの、大切な人」を書き出すことをこの1週間はテーマにしている。


この質問を前にした時、けっこう面食らった。


新年早々逃げたくなってしまった。


大切なものは書けそうだったけれども、「大切な人」は「全力で無理!!!」と思った。


書くことも認めることも表面化させることもできない。


だからそこには触れず、別の方法を考えて書こうと思った。


それで自分の中でそこそこしっくりきた言葉が「自分の気持ち」だった。


ちょっと話は違うけれども、生きている中で一度は「あなたの大切な人は?」と聞かれたら、堂々と即答できる自分というものを体験してみたい。


相手のことも自分のことも疑わず、一点の曇りもなく、真っ直ぐに堂々と「〇〇が大切」と言えるような関係を人生で一度くらいは体験したい。




*




書いていたら、なんだかどんどん暗い内容になってきたから、最初の話に戻そう。


どこまでも輪郭をはっきりと持った2017年という時間を思った時、本当に大切な時間を人生でもらえたんだなと思った。


それがたとえすっごく短いものでも、その時間が人生にあるのとないのとじゃまるっと違う。


占星術視点の天体の運行上でも現実にそうだったわけだけど、2017年というのは私にとって「生まれ変わり」のような1年だった。


「再生ー再び生きる」


その選択肢をとても自然にそしてどこまでも極限など存在しないかのように、再び生きる力をもらいまくった1年だった。(正しくは4ヶ月弱)


だから、2020年とか本来ならけっこう強烈な星回りでそちらの方が印象に残っても良さそうなのに、私の方で強烈に鮮明に残っているのは2017年になる。


それを持てた奇跡に新年早々感謝したくなった。


そしてこれからどんな風に年を重ねても、自分の中で2017年は永遠で、あの時に出逢わせてもらえた人もその人がいた時間も空間もその全てのことは私の中からなくならない、ずっと力をくれるものへと今後はますます昇華していくことだろうと思った。




(追伸)

イケメン上司にまつわる3つの話は、自分の気持ちの入りきったタイミングで書いてアップする予定。

しばらくはタロットカードがホットだろうからそのことをいっぱい書いてしまうだろうけれども、書くのを忘れるとかいうのじゃない。

仕事始めの日、雪でいつもとは違う道から行ったら、曲がる場所を間違えるという、何がどうしたら通勤路を間違えるのか自分で自分にビックリしたけれど( ̄∀ ̄;)、イケメン上司にまつわる書きたいこと3つのテーマはずっとずっと覚えているし、忘れることもない。

その桁違いに優れている記憶力がもう少し日常側にも流れてくれたのなら、もう少しまともな人になれる気がしてならない( ̄∀ ̄;)。

ちなみに、この文章を途中で読み返した時、何を書こうとしてるのか第三者が読んでわかるんだろうか?と思った。思ったけれど、いつものごとくこのままアップする。

2022年1月5日水曜日

2022年迎春

あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします( *ˊᵕˋ)
真ん中の妹作の正月のフラワーアレンジメント

真ん中の鯛は、妹の知り合いの方手作りのもの

紅白の玉も同じく。
妹の友達の花屋さんにパートで行き始めた方が
そこで水引き細工を始めて、
才能開花したとのこと!

今年初めて届いたルーン占い用のボード
United Kingdomからはるばるやってきた٩(ˊᗜˋ*)و




新年迎えてから今日4日までの気持ちのあれこれなどを綴りたい。

相変わらず盛りだくさん(オカルト関連)だったけれども、とりあえずダイジェスト版的にメインのところだけを切り取って話したい。


1月1日、新年明けて朝起きてど出発にやったことが、オラクルカード2種類を使ってのカードリーディング。


そんなことは全く予定していなかったけれども、様々なことが重なってそのようになった。


真ん中の妹向けにやって、それもあと1時間もすれば6歳になったばかりの姪っ子が到着するという時間の前しかカードをする時間がないだろうということで、妹は真夜中の3時とか4時とかに帰ってきて眠たい頭と、私も寝起きで眠たい頭とでやり始めた。


実はその2日前にも、12月30日の今度は夜遅くに、友人ノムとオカルト納めをしようと計画して(もちろん計画は当日思いつき)、お互いにカード引いてメッセージを送り合うということをやった。


ノムの時も妹の時もどちらも、「もっとカードを読めるようになりたい」とものすごく強く思った。


1年以上ぶりだったと思うけれども、とあるオラクルカードを引いて自分用にメッセージを出して、その時はそんな風に思わなかったけれども、これが対第三者となってくるといい加減なことはできない。


ノムにしても妹にしても、人生の中でそう何回とは経験しない大きな節目に対してのメッセージが欲しいと言われた。


それぞれの事情は違っていても、重さはどちらもどっこいどっこいだった。


言うなれば、「明日の運勢は?」と「これから先の人生の指針は?」くらいの違いで、2人が求めたものは限りなく後者に近い内容だった。


長いことカードを使ってない割にかなりスラスラと読めた。


それも日々の色んなことと組み合わせて、それぞれの置かれている状況に合わせて、現実的なたとえ話や1人でも実践可能な行動の例なんかも示しながら話せる。


それについて1つ言えることは、そのカードを見てベラベラとしゃべれるところは『与えられているもの』だということ。


人口比で言うとどのくらいの人がそんなことができるかと問われるとわからないけれども、例えば無作為に老若男女を100人集めて同じことをしてくださいと言われたのなら、できる人は片手で数えても指が余るくらい、そんな風に思う。


もしかしたら私1人しかその100人の中にはいないことだって十分有り得るわけで、それははっきり言って私が優秀だとか天才だとかいうことではなく、そういうものが自分に与えられているものだからできると考える方が自然に思える。


ようやくその辺りは素直に認められるくらいにはなってきた。


ただ、使わなければ物なんかと一緒で、ほこりをかぶったり、微調整が必要だったり、はたまた能力向上のための努力が必要だったりする。


ノムの時も妹の時も、「これ何て読んだらいいんだろう?」というカードが出てきたのと、妹の時は別の1枚で「うわっ!これ伝えるの?フォローしないとまずい!」という私が動揺するものが出てきて、色々と自分がこのままではいけない、もっと磨けば深く読み解けるとか違う視点から見れるというものがあった。


そんなこんなを経て、自分の中から出てきた言葉が

「封印ではなく活性化」

だった。


このカードを読み解く力を封印させるのではなくて、もっと活性化させたい、純粋にそのように思えた。


ノムも妹もそれぞれ必要な何かを受け取ってくれたけれども、自分の中じゃ自分がどの程度だとかどこに課題があるとかいうことはかなりはっきりとわかる。


端的に並べると

・もっと絵を細部まで見る

・と同時に、出てきた一連のカード全てを見て、全体を見渡す・見通す

・内容理解が曖昧模糊になっているカードについては、もう少し意味を自分の中で落とし込む

・ギョッとするカードは、絵柄に惑わされずそこに描かれていることを私情を脇に置いて眺める


上に書いたことがとりあえずこれからの当面の強化ポイントだと思っている。


前なら、こんなの逃げたい、と間違いなく思ったし、自信喪失してまでやりたくないとほざいたと思う。


だけど今回は違った。


これは使うために与えられているだろうと仮定すると、封印している場合じゃなくて使わないといけない。


そしてそれを使うことに対してもっと自分が心地良くなるためには、磨いたりトレーニングを積んだりして活性化させることが自分の自信(=自分を信じる力)に繋がるし、迷いや戸惑いも減ってくれると思う。


これまでにないポジティブな感じというか、後ろ向きや否定的ではなく前を向こうとしている自分に、なんだかほんのりと感動した←得意の自画自賛。




*




12月の初旬に予定されていた占星術講座が下旬に延期

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延期されたその日、事務局側の設定で最初の数分間繋がらず、大事だろう部分が抜け落ちたまま

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下の妹が、滞在時に韓国ドラマを見るためにレンタルWi-Fiを手配

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妹たちが帰って最後の正月休みの4日、延期された講座の録画をYouTubeで見る

※妹が借りたレンタルWi-Fiがあったおかげで見る気になったもの。じゃなければ、わざわざ容量上限付きの自分のiPhone契約内でその動画は見ない。他にもっと見たいものや使いたいネットの調べ物があるから、そちらにネット容量を使いたい。

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その動画を見ていたら、動画の下の方に気になるタロットカードを使った動画を発見

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クリックして見ようとしたらそのページが消えていて、どうしても気になってキーワード検索してそのタロットカード動画を探し出す

(よくぞ見つけられたと思う)

↓

タロットカード動画が超絶良くて、今日だけで3本も見る




とかいう流れを経て、得たものが2つ。


⑴こういうタロットがあると良いな〜と想像していたタロットカードを見つける

(タロットカードのうんちくを調べていたところ、タロットカードはどうやら世の中に数千種類のデザインがあるらしいから、自分が気に入るものを見つけるのは至難の業)


・そのカードを画像検索しようかと思っていたら、なんと動画提供者であるタロットリーダー(タロティストと業界では呼ぶらしい)の方がカードのリンクを貼ってくれていて、Amazonで購入可能な海外製だと判明)


・さらには、そのカードを検索して、カード全てを紹介してくれている海外の男性タロティストの動画を見つけて、78枚全てのカードを確認できた!

このカードなら自分も色々イメージが湧きそう!と感じた。

おそらく生涯で4つ手にすると言われたタロットカードの3つ目がそのカードになる気がする

(注:4つと言ったのは、ペンジュラムとペンジュラムボード)


⑵タロットカードの読み解き方でとても好きな読み方をされる人だと知って、今後はカードの読み解き方を体得する際に参考にさせてもらえる動画の発見




何せタロットカードを複数枚出してのカードリーディングというものを私は過去に一度も見たことがない。


話が逸れるけれど、自分が実際にタロット占いを受けてみるのが一番!とどこかに書いてあって、それで近場で受けれるところを探したら普通にあったはあったけれども、感覚的にピンとこなかった。


きちんとしてそうな人は良さそうではあったけれども、諭吉1枚でも足りない料金で、そんなにお金を払ってまで今の今見てもらいたい何かもないし、しかもそれで仮に外したのなら同じ金額で高額タロット本や占星術本を2冊以上買える方が私的に良いなぁと思って、却下した。


安価で受けれるところは、怪しいとは思わないけれども、相手のレベルがどういうレベルなのか判別できず、ファーストタロットカード占いが適当すぎるのは残念だから避けたいと思った。


関係ないけれど、ペンジュラムはどちらもNOを出していた。


何か良い方法がないかな〜と思っていたら、突如運ばれてきた動画だった。


本で学べるのはいいけれども、それだと二次元的な限界がある。


何せカードの切り方さえ知らないわけで(ちなみに有名なタロットカードの功労者たちいわく、自分が切りやすい方法で良いらしいからそれは自分なりに色々試して自分に合うやり方を探ろうと思う)、三次元、要は実践・実占でやってるところを見たいとは前々から思っていた。


さらには、私がタロットカードに求めている、占いではなく現状のヒントを引き出すということを目的とした、そういうタイプのカードリーダーを見てみたかった。


で、何がどうなっているのか、そもそも受けた方の占星術講座の期間限定配信の動画のすぐ下にあったわけだから、本当に驚いた。


しかも、私が受けた方の占星術講座とその下にあったタロットカード講座は何の関係も因果もない。


なのにYouTubeのシステムが勝手に作動してあなたにオススメ的な感じで下にあったのが、その見たタロットカード動画だった。


占星術動画だって、これまでに一度たりとも見返したことなどなく、今回はたまたま事務局側のネット接続の関係でエラーのようなことが起こって、それで見ることができなかった最初の数分間を見るためだけにその動画を見たに過ぎなかった。


その先生の講座はかれこれ10回以上オンラインで受けたけれど、そんなエラーは初めてだった。


きちんと私がタロットカード動画を見れるように、いくつもの伏線が張られているなと思った。


妹の韓国ドラマを見たいからWi-Fiをレンタルすることだって、突如決まった帰省以上に想定外のことだった。


相変わらず、この手のことはものすごく上手くできている。


私が抵抗なくさっと必要なものを受け取れるように、これ以上ないくらいのやり方で色んなことが準備されて私に差し出される。




*




正月もオカルトグッズは順調に進んでいる。


まずはこの1ヶ月近く探し続けたタロットカード特集の雑誌をようやくメルカリでゲットできた٩( ๑•̀ᴗ-๑ )و 


それも、申し込んで1日半後には私の手元に到着した!


絶版な上に人気の号らしく、本当に他の人たちやAmazonでは高額取引されていたけれども、私は送料込みで千円ポッキリな上に、新品同様の超きれいな状態の本を受け取ることができた。


粘り強く待ってみて良かったなと思った。


さらに、それを買うために、新春の初買い物はタロットカードと決めていたから、そちらを購入する前に先にタロットカード2種類とタロットカードを学ぶための4冊目の本を注文した。


これであとはもう必要なタイミングでカードと本が届く。


12月に注文した、ルーン占い用のシートも1月3日に届いた。


それが今年初の私の手元に届いたオカルトグッズだった。


それが冒頭の写真の1枚。


さらには、メルカリで年末に見つけた「エジプト製のガラス製香水瓶」なるものを毎日見ていて、そのチェックのおかげで今度は「チェコ共和国のガラスボタン」なるものを見つけた。


これが私のツボにハマって、私はチェコのガラスボタンをネットで調べた。


相場を知りたかったのとその経緯というか作られ方も気になって調べた。


動画を見つけて驚いた。


ガラスを使って型取りするところも職人技ではあったけれども、その後ボタンに絵付けするのが人の手による手作業だった。(しかも動画では、ガラス工房と絵付け工房が別々で、途中でそれらのボタンたちが車で数分のところに運びこまれることも知った。どうやら分業制で、それら全ての職人の手と工房を経てようやく1つのボタンが生まれるらしい。)


量産できるものではないとわかったし、1つ1つ手作業で職人による熟練の技がないと完成しない代物だとわかった。


だからどこもかしこも取扱い店では安くても1つ数百円するし、高いものは何千円とするのも頷けた。


で、私が見つけたボタンは、他に類を見ないデザインだったのと、その他色んなことが特殊でそれらも良かったことと、最大の魅力はこれから出迎えるタロットカードたちを入れる入れ物用のポーチに付けるボタンとしてこれ以上ない良いものだということ。


ペンジュラムとペンジュラムボードもといサーフィンボードにももちろん聞いた。


YESが出た。


動画や他の店も見て、やっぱりそれが良いと思って、最終的にそのメルカリで見つけたチェコで作られたガラスボタンを買った。


メルカリで細かいストーリーを聞く質問なんて普通はしないけれども(双方でやりとりするとしても、発送時期とか発送方法くらい)、私は気になってボタンのストーリーを聞いた。


差し支えなければ教えてください!とお願いして質問したら、即返事がきて、それがまた超素敵な話だった。


それを書いたらキリがないから、今度手元に届いてポーチも作るなり作り終わるなりしたらこの話をアップしたいなと思う。




*




新年早々、またオカルトの話をしたけれども、こちらは日々内容が更新されて、なんなら毎日何かしらネタがあるから、書かないとどんどん話が増えるし、そのうち書かなくなって何事も残らなくなってしまう。


だから残せる時は極力簡単でもいいから残しておきたい。


尚且つ、こちらの理由の方が大きいけれど、数時間後に控えた仕事始めの前にどうしてもブログを書いてアップしておきたかった。


というのも、せっかく離れて自分の中で良い感覚や気持ちが湧いてくれているというのに、明日仕事に行ったら色んなことに気持ちやらエネルギーやらを使わざるを得なくなって、この純然たる気持ちたちが薄れてしまいそうだと心配している。


タロット熱は冷めなくても、また日常が始まると日常に忙殺されたり、怒りのポイントが加算されてそちらの鎮火活動に励まないといけない事態がわりと頻繁に発生するだろうと思う。


11月12月と2ヶ月間ほど周りを眺めていてわかったことは、私の苦手なこと・怒りのポイントの1つとして、手抜きやいい加減なやり方を仕事でしれっとやってしまう人たちや姿勢が挙げられる。


別に完璧を目指しているわけじゃなくて、少なくとも自分ができることはしようか!と思う。


これまでした過去の仕事で、手抜きを当たり前のようにやっている人たちにあまり当たったことがなかった。


余計な仕事を増やすくらいなら上手に抜け道を作るのは全然良いと思う。


そうではなくて、きちんとしないといけないところを、力があるのに手を抜いて、不具合だらけなのにやりました・終わりました、と言い切るのは私からして宇宙語で話しかけられてるのと同じくらいに意味がわからない。


残り1年を切った今のところで、仮に本当に任期満了までいくとするなら11ヶ月あるわけで、その期間私はもうそのことからは目を逸らして極力関わりを持たない方法でいこうと思っている。


生き方の問題、個人の仕事の姿勢の問題だから、私はその人たちがそのおかしなやり方で良いと捉えているのであれば、そんなの自分が口出しすることでも何でもないと思っている。


でも目を逸らしても気持ちはざわつくし、さらにはこの2ヶ月の間に体験した強烈な尻拭いもまた来ないとも限らない。


だから私はその件に関してはこれからもしばらくは自分の妥協点なり自分が納得できる在り方を模索することが必要になる。


それがなんとなくわかっているからこそ、その空気が入り込む前に今の純粋な感じを書いて残したかった。


私の方こそ傲慢なのかもわからないけれども、違う温度のもの、違う性質のものを1日の中で両方体験することがしばらく続くだろうから、そうではない今、色々活発なオカルトの流れを書いておきたかった。


ここまで書き切ったところで睡眠時間4時間で朝を迎えるから、この辺りで終わりにして新年一発目のブログとしたい。




*¨*•.¸¸☆*・゚*¨*•.¸¸☆*・*¨*•.¸¸☆*・゚


これに目を通された方々にとって良き1年となりますように✧( *ˊᵕˋ)✧


2022年迎春

2021年12月31日金曜日

2021年大晦日

石の順番の記録写真
(いたずらっ子によるいたずら防止は
難しそうだから、代わりに順番がわかるように
今の状態で記録写真を撮った)



頭の中では、別の記事が今年最後のものになる予定だったけれど、そちらは勢いがないと書けないから、このまま年末に突入して書き切るのは難しそうだと気付いた。

代わりというのとは違うけれど、超直近の徒然など書いてみようと思う。


29日が仕事納めだったけれど、家に帰ってきたら数年ぶり、もしかしたら名古屋にいた頃が最後かもしれない、太ももだけじゃなくてお腹まわりにも湿疹ができていた。


太ももの方は仕事中にわかったけれど、おなかの方は帰ってくるまで知らなくて、見て驚いた。


湿疹の方ではなくて、そうなってしまったことに驚いた。


初めてなったのは24歳くらいで、それは友達の結婚式で札幌に行った時だった。


海鮮に当たったのかと思ったけれど、痛くも痒くもなくて、しかも健康だったから次の日とかには消失した気がする。


名古屋にいた頃は、ストレスなのか、仕事が終わると家で大量に発生して、仕事に行くと治まってみたいなことを何回も繰り返していた。


その時の仕事は、仕事的にしんどくもなければ人間関係もとても面倒見の良い人と他の人たちともそこそこ良好だったから、自分でも抱えきれないような何かが出ているみたいで、原因不明でそうなってしまうことの方が恐ろしかった。


新潟に戻ってきてからもゼロではなかったけれども、今回ほど大量に出ておなかにも出たのは久しぶりだった。


ちなみにこれを書くために、ムクリと起き上がって電気つけて腹出して確認したら、もう大体治まっていて大丈夫になった様子。


今回はいつもと違って、日中寒気がしたり(カイロ貼ったら暑すぎて大変だった。真冬に1人で汗垂らすみたいなおかしなことになっていた)、おなかが痛くなったり、仕事も珍しく対人関係で強烈にプッツンとしたり、色々重なって、疲れたんだろうと思った。


でも元気は元気だし食欲はいつも通りだし、そこで「そうだ!」と思いついて、ペンジュラムとペンジュラム用のボード、サーフィンボードにこの湿疹の原因を聞いた。


長年こんな風に突然湿疹が出るから、今こそその理由を知れるかもしれない!と思って聞いた。


とりあえずわかったことは、今回の場合、第3チャクラが関係していて(みぞおちのあたりで、これは自分自身との関係を指すらしい)、さらにはその中でも拒絶や拒否反応として出てきたのが今回の湿疹の模様。


明日起きたら、とりあえずボードにまた聞いてさらに深く見てみようと思う。


ちなみに、仕事のモヤモヤで気付いたことは、私の怒りの沸点の1つに、「能力があるのにそれを使わないこと・やらないこと」があるとわかった。


他人を見てそう思ったわけだけど、これって自分のオカルト体質のことも同じように思っているんじゃ!?と思った。


それは明日突き詰める予定。


仕事の方は、変に余裕が出てきたこともあって、これまでは忙しすぎて何も見えなかったことが今はハッキリと見えるようになって、さらにはそのことで自分が尻拭い的な仕事が回ってきていると知って、それで色々ブチ切れた。


能力も高ければやる必要があるともわかっていてもやらないクレージーな人たちがいて、一見人柄に問題は無さそうだし、単純に距離を持ってやりとりする分にはいいけれど、自分も関わることになると、その人たちの手抜き具合がもろに自分の身に降りかかってくる。


どうせやらなきゃいけないならきちんとやればいいのに、どうして手抜きをするのか意味がわからない。


さらには私から見ての手抜きバージョン側に勝手に仕事のルールも変えて、それは今後どういう風に対応する気でいるんだろう?と思う。


実際に手抜き具合が私だけじゃなくて、他のもっと忙しい人にまで影響・支障が出ていて、本当に罪深いとしか言えないぐらいの酷い状況が続いている。


そんなこんなのことが続いて腹立たしいことこの上なかったけれども、どうもそれはキッカケというか一要因ではあっても全部ではないらしい、ペンジュラムたちいわく。


そんなこんなの湿疹は、休み初日のボードのテーマになる予定。




*




私が見つけたメルカリの法則v(ΦдΦ)v


基本的に毎日チェックしているのは、占星術の本。


「占星術」とだけ入れて検索している。


メルカリだと「占星学」も多少はヒットするものの、圧倒的に占星術でヒットする数の方が多い。


で、この日々のチェックが、1番の目的は占星術の絶版本を入手することだけれど、いつからか必要な情報にアクセスするための暗号回路のようになっていて、この回路を中心に様々なものが手に入っている。


オラクルカードもだし、木製のカードホルダーの存在を知ってそれの正規販売店を探し出して入手したり、他にもたくさんのマニアックな物たちや情報と引き合わされている。


で、今回も実に変な流れで、私も持っている某占星術の本がそれこそ私が手にした値段の10倍くらいで出品されていて、そういうのを見るとどういう人が出品しているのか気になってのぞいたら、その本の方ではなくて「エジプト製香水瓶」なるものの存在を人生で初めて知った。


それがもうウットリするくらいに素敵で、それでAmazonやら楽天やらメルカリやらあちこち見て回って、最終的にメルカリがなぜか一番色んなタイプのものを扱っていることが判明した。


出している人たちも、「エジプトのお土産でもらった(けど使わない)」という人たちがけっこういて、どうしたら知人友人親族なんかがエジプトに旅行に行って、さらには職人が1つ1つ手作りするガラス製の香水瓶のお土産をもらうことになるのか、私の知らない世界でとても斬新だった。


しかもお土産のものに限って、本当に素敵で(売り切れ)、もっと早くに知りたかった!と思った。


ということで(←接続詞がおかしい)、今度はエジプト製の職人手作りのガラスでできた香水瓶を買おうとしている。


私の中ではタロットカードのお勉強のテーブルを彩ってくれる大切な道具になると踏んでいる。


で、出品者の中で新春セールを開催するという人を見つけて(←この手の調べ物は普段のぐうたらを返上して超がつくほど真剣にする)、これは新春早々のお買物になりそうな予感(o´艸`)。


しかも速度制限のかかったiPhoneで根気よく情報収集するという健気さ←言葉の使い方を完全に誤っている。正しいのは欲深さ( ̄∀ ̄;)。




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大みそか前日、エジプト製香水瓶の見回りなんかもしたけれど、おなか周りのブツブツも含めたオラクルカードを使ってのカードリーディングを久しぶりにした。


自分のためにカードを引いてそこからメッセージをもらうなんてものすごく久しぶりだった。


なんなら今年も終わるというのに、今年初かもしれないくらいに久しぶりだった。


やってみての感想は、やっぱり心とカードが連動しているということ。


ヒントは「これ!」というほどにはっきりと掴めたわけではないけれど、とにかく自分の感覚を大切にすることと自分の最大の敵は自分だという矛盾と、ゆえに自分自身との関係をより一層磨きましょうみたいな、どこまでも自分自分自分だった。


こういうものは記録として残しておくのが大事だと思って、ノートにもそこそこ詳しく記録を手書きで残した。


注文して届いたタロット事典の本も読み始めた。(『タロット解釈実践事典』井上教子・著)


すごい良い本だった。


珍しく最初から最後まで通して読めるような気がする。


ここ最近のタロット関連の調べ物や雑誌、本なんかと共通して、自分がカードを見て感じた感覚を大切にとあった。


そういうスタイルこそを大事にしたいんだと改めて思った。


「オカルト納め」と自分で勝手に名付けて、カードリーディングやタロット本読みをしてこの1年を終える。


今まで「オカルト納め」なんかしたことなかったけれど、これはこれでけっこう楽しい時間なんだと知った。




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正月はタロットクロス(タロットカードを置くための布製のマット)をチクチク裁縫してあとはゴロゴロして…な予定でいたけれど、1日から3日まで弾丸で姪っ子と妹が帰ってくることになったから、ゴロゴロはなくなりそう…。


ようやく部屋の掃除も終わって、ルーン文字用の天然石たちはきちんと片付けるところまでたどり着けなかったから、姪っ子が来たらまずは石の方にご案内して、触ったり見たりはいいけれど、動かさないようにお願いしなきゃだな…なんて思った( ̄∀ ̄;)。


動かされても大丈夫なように現状の写真だけ撮っておいて、もし順番が変わったらそれを見て直そうと思う。


すでに帰ってきた東京の妹の方は、「何の儀式を始めるのかと思った( ̄∀ ̄;)」とそれ見て感想を言われた。


そして妹も同じことを思って「あいつに気をつけなきゃだよ!(笑)」と言った。


そんなこんなの相変わらずのバタバタ感で年越しをして新年を迎えそう。


私らしいと言えば私らしい、最後まで。




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良い年をお迎えください( *ˊᵕˋ)


2021年大晦日