2020年12月29日火曜日

今年の一文字『駆』ー2020

少し早いけれど、今年の一文字について語りたい。


今年は11月のいつだったかに、おいせさん手帳に合わせて書くために、早々と「今年の一文字」を考えた。


これはノムの書いたおいせさん手帳のメッセージ。


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1212日 

愛の込もった言葉は、贈り物になります。

清水寺の漢字の日

 

一年を象徴する「今年の漢字」が発表になる日です。

今日は少し時間をとって、この一年を振り返ってみてはいかがでしょう。

自分の感じを表す漢字は見つかりましたか?

そうしてさらに、今の自分へ贈りたい漢字も考えてみましょう。

一足早いクリスマスプレゼントとして、自分への言葉の贈り物です。


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今年の一文字は「駆」。


そのまま読んで「駆ける」。


本当に駆け抜けた1年だった。


今日(12/28)仕事をしながら、1年前と今とを比べて感慨深い思いで見つめた。


1年前の今、年末年始の休みに入るのに、1月から1人での英訳デビューが決まっていて、とっても不安だった。


できる気もしなければ、社内で仲良くできる人も誰もいなくて、本当に不安だらけの中で年末を迎えた。


年が明けてからは、心配や不安に駆られる以前にあまりにも多忙すぎて、止まらない英訳を前にただひたすら来たものをこなしていく他なかった。


そして今だからわかるけれども、最初から私の元に来たものは内容的に難易度がとても高かったり、完全なる新規ばかりが続いてどれも自分で1から英訳しないといけなかったり、会社の大きな契約やトラブル・クレームが裏側にある機密案件だったりと、もはや誰が見ても私のキャパを超えた凄もの揃いな仕事ばかりが舞い込んだ。


それをひたすらやり続けて、都度都度おかしなことがたくさんあるからそれを1つ1つ担当者に確認して、絶対に納期を守ってやり抜いた。


「確認」と言っても単なる確認じゃなくて、とてつもなく言いにくいことや相手の能力や会社そのものの批判にもなりかねないような歯に衣着せぬこともじゃんじゃん言わないといけなかったり、超センシティブな内容をなぜか派遣の私が役員たちにガンガン切り込んで調整しないといけなかったりと、ありとあらゆる力を総動員しないとやりきれないことの連続だった。


今日も今日で、これから先の未来を見て新しい歴史を今この瞬間に決めて作らないといけない事態になった。


社員の人たちはのんきなもので、「あ〜そうだよねー、それ何かしら手立てを打たないといけないよね」とか、今度は実際に私が確実に実行するにあたっての細かな確認を現担当者となる管理職のところに聞きにいくと、そんな些末なことと言わんばかりで軽視してる上、軽視してる割に決めるのは嫌がって、私が「この方法で進めて良いですか?」と都度確認(多分3回くらい)したら、「良いですか?って聞くの止めてもらえます?」と挑戦的に言われた。


すみませんととりあえず謝って(そういう時にすぐに何も考えたりせずにまずは素直に謝れるのは、我ながらすごい力だと思う())、とにかく責任を持ちたくないのか決めた時にそれで何かあると嫌なのか、決めることも私が提案していることを受け入れるのも嫌がっていた。


私はそこで、自分の上司に確認して問題ない方法で案を作って、それをまた最後見てもらうことを提案して帰ってきた。


後々考えて、私は自分が提案したことは絶対の絶対に長い未来を考えた時に必要なことだと思った。


今は関係者が全員いるしそれぞれの人たちが自分の持ち回りについては熟知しているから問題ないけれども、少なくとも私のポジションや今いる人たちのポジションに未来に入る人たちからすると、絶対に混乱を招くのは目に見えている。


現にその混乱が問題に発展したケースに私は幾度となく当たっているし、そして当時のことがどこをどう探してもその経緯や明らかに異常なのにその異常なことが決定された理由もわからなくて、最終的に1から全部確認したり、はたまた少しでも事情を知ってそうな人たち数人に聞き回ったりと本当に無駄な仕事が多い。


そんなのはその時その時でキッチリとやっておけば余計なことをしなくて済む。


なのにその時々でいい加減にしただろうことが未来の今そのしわ寄せが来てとんでもない余計且つ面倒な仕事を生み出している。


なんなら今日なんて、たった1つ(J)(SY)を1枚の紙のどこかに入れるか入れないかだけのことだった。


冗談抜きでそれだけのことで、でもたった1つ入れるか入れないかで未来はガラリと変わる。


「管理する」ことに対して本当に力が弱い会社だと思うし、管理する体制がないままに色んなことが動いているから、だからこそ本当に小さなことをそこに暗号のように残すか残さないかで、未来にそれらを扱う人たちの仕事が増えるか減るかが変わる。


私から見て色んなトラブル防止に確実になるから、1文字もしくは2文字入れるのは絶対にやった方がいいことだった。


それは直の上司も大賛成だったし、それだけで済むことならどう考えてもやった方がいい。


管理職はなぜに今ここだけのことを考えているんだろう?と不思議でならなかったし、どうして今のことがその件に対する1番の土台になるのにそれを決めるのを嫌がるのか全くもって理解できなかった。


結局、私の提案は無事に通って、それでとりあえずその小さな1文字が何かあった際の最後の砦になってくれるといいなと願いながら書き入れて、さらにはその経緯が未来の人たちにもわかるように引継ぎメモ的なデータに端的に説明して残しておいた。


とにかく一事が万事こんな風で、細かな調整は常だし、そのためにあちこち走り回ることも日々やっている。


そんな風にして1年駆け抜けた。


「駆ける」というのは辞書(中学生の頃から使っている新明解)によると、

【はずみをつけるようにして足を動かし目的地まで(他より速く)行こうとする】

とある。


その時その時は面倒だなぁと思ったり気が重たかったりしても、結局のところ実際にやってきたことが一番速く目的地にたどり着ける確実な方法なのかもしれないと思う。


もしやらなかったら、後々もっと面倒なことになるのは明らかだから、だから今のスタイルでいいんだろうと思う。


これを書きながら気付いたけれど、私がいつも基準にしているのは「それをやる自分」と「それをやらない自分」のどちらの自分と自分自身が付き合いやすいか、ということなんじゃないかなとふと思った。


例えばさっきの1文字を足す足さないことについても、やるのは確かに色々面倒な手間がついてはくるけれど、逆にやらない場合、「やらないって決めたけれど本当に良かったのかな」と悩みを引きずる自分がセットでくるわけで、それの方がジワジワと長期的にしんどい。


自分でわかってきたことだけれど、私の場合、自分が納得できるかどうかが何事においても大事だから、たとえ今回の管理職が適当に見過ごそうとしても「あの人がそう言うんだからそれでいいんだ」という風には納得できない。


理にかなったことを相手の人が打ち出してくれるとものすごく楽だけれど、そうではなく「面倒くさい」とか「決めたくない」とかいう私情で決められそうになっているのを知っていて、それで「あの管理職がそう言ったからそうする」っていう選択はないなと思う。


当然逆風は吹くけれど、自分が現場にいて見ているもの感じているものほど強いことはなく、それは声を上げなければそのままなぁなぁになってしまう。


でも一度声を上げれば、必要なことなら必ず動く。


何かしらの助けが入ったりして何とかなる。


私はそれを信じているし、どうやっても動かない時は「物事が動かないことが正解」と思うから、それで割り切れる。


でも悪いことだとか不具合だとかがわかっていて黙るのは性に合わない。


黙ることの方が自分に負担がかかる。


[私がいつも基準にしているのは「それをやる自分」と「それをやらない自分」のどちらの自分と自分自身が付き合いやすいか]

というのは、そういうことを指している。


やらないことで回避できる面倒ももちろんあるけれど、理にかなってないことは後から倍返しと言わんばかりに問題を大きくして自分のところに戻ってくる可能性が高いから、多少面倒でもやることで自分の中がクリアになるのならやる。


そしてやっているうちは、たとえ結果が思わしくなくても気にはならない。


やらないことで悶々とするよりも、やって結果を見てる方がスッキリする。


どちらが自分にとって心地よいか、もしくはどちらがより心的負荷が少ないか、そうした自分基準で物事を見て決めている。


今年1年は特にその選択がモリモリたくさんあったわけで、それらをすべてやりきったと言える今時分、これで良かったなぁと思っている。


来年はまたどんな年になるのかわからないけれど、自分にしっくりくる漢字を持てるような1年になるといい。






これがおいせさん手帳以外で今年アップした記事の99記事目。


今即席で書いたけれど、次の最終の美を飾りそうな100記事目を年内にアップできたら自分的に大満足。


100記事目となる予定のものは何日かに分けて絶賛執筆中。

2020年12月28日月曜日

真夜中の年賀状



少しだけブログを書けば眠くなることを期待して今書いている。


仕事で緊張状態が続くと、私の場合は睡眠に顕著に出るタイプみたいで、この1年ずっと睡眠の状態がおかしい。


ここ最近、4時間連続して眠れたら御の字の状態。


下手すると1時間おきに目が覚めてはまた寝直すみたいなことが最近は増えてきた。


このレベルになると普通は睡眠薬のお世話になるのかもしれないけれど、私は昔ほどこうした状態に慌てず、心が健やかであるなら睡眠が多少乱れていてもOKということにしている。


問題と自分で思わない限り、それが今の自分のリズムだと割り切れるようになって、気持ち的には全く塞ぎ込んでいないのが幸いだなと思っている。


今も、もうあと今日明日の2日仕事に行けば年末年始なことも手伝って、真夜中に目が覚めてそこから起きている。


今回は変なスイッチが突然入って、ずっと延ばし延ばしにしていた年賀状書きを真夜中の3時くらいから始めた。


1人だけ住所がすぐに出てこなくて、なんと真夜中にも関わらずクローゼットの段ボールをガサガサとして、住所探しに明け暮れた。


段ボールの中から過去の年賀状は見当たらず、そうだ!と思って社会人1年目の時からそこを辞めるまでずっとお世話になっていた方からいただいた手染めの紙が表紙になっている住所録を出してきて、そこを祈るような気持ちで見たらあった!


あー良かった!と喜んで、木のテーブルも布団の脇にセットして、5枚分の年賀状を書き始めた。


名古屋時代から私は毎年年賀状はもらってから返すというやり方をしていたけれど、今年は12月の初めにたまたま郵便局に用事があって行って、その時に年賀状用のスタンプが置いてあるのを見て、「そうだ!ここでもうスタンプを押して年賀状を用意しよう!」と思いついて、早々と年賀状自体は買った。


たくさん時間はあったのに、こんなにギリギリになって、しかも真夜中に目が冴えて「今なら書ける!」となって書き始めて、一気に5枚書き上げた。


普段から小さな手紙に書き慣れているから、年賀状なんかもさらさらとすぐに書ける。


書いた人たちはこの1年1回ないし2回は連絡取った人が2人、残りの3人は全く音信不通だけれど、適当に手を動かせば何かしら思いついて書ける。


しかも印刷された年賀状が当たり前のこの時代に、私みたいに超アナログに年賀状を手書きで書くなんて珍しいから、それだけでも光るものがあるなぁと自画自賛。


2年前、年賀状のバイトに行っていた時もそれは思った。


本当に手書きの年賀状は極端に少ない。


ましてや高齢者ではなく若人世代での手書き年賀なんてほぼほぼ見当たらなかったように思う。


そんなことよりも、どうしてこうもギリギリにならないと動けないのか、子どもの頃からちっとも変わっていない自分を見て相変わらずと思ったり呆れたりしている。


大人になったらキッチリとやれるようになるんじゃないかと信じていた子どもの自分に教えてやりたい。


あなたの今があなたの未来の姿ですよ、って。


夏休みの宿題を8月31日にやらずに済む人なんてこの世にいるんだろうか?


私はそんな世界とは無縁で子ども時代を過ごし、大人になってからも仕事の期日は守るけれど個人の私生活は夏休み最後の日は泣く泣く宿題をするスタイルが定着していて、基本的に何でもかんでもギリギリにやってしまう。


それで何とかなってきたから余計とギリギリを毎回やり続けてしまう。


良い感じで眠くなってきた。


これから2時間ほど寝て起きて支度して仕事に行こう。


今日の弁当は決まっていて、夜に大量に作っておいた豚汁とおにぎり、そしてみかん。


冬の風物詩みたいな弁当だなぁと思う。


関係ないけれど、これ20分ぐらいでさささっと書き上げている自分は、なんと書く力に恵まれているんだろうと思う。


年内がんばってあと2つブログをアップしたいなぁと思っている。


今年は姪っ子も来ない予定だから、のんびりムードで年末を過ごせそうだから、今書いているものを何とか仕上げて年内アップを目指したい。

2020年12月26日土曜日

㊾【おいせさん手帳】ホッと一息つく習慣(最終回)




おいせさん手帳第49回目最終回

担当:私


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12月26日


自分の平穏のためにできること。

新しい風の時代へ


新しい時代の幕開けは、どうしても不確定要素が多く不安になりやすいです。そうした時に、自分の内側に平穏を見つけることができると、それが自分自身の安心感へと繋がっていきます。ホッと一息つく習慣や心が落ち着くものを、普段から取り入れて自分の安心感を増やすことが、今やこれからの自分の支えとなってくれるでしょう。


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おいせさん手帳も今日で最終回。


最終回にふさわしい、自分がこの1年だけではなく人生全体を通して大切と思っていること、そのために心がけていることをギュッと凝縮した内容になっている。


心の健やかさを作るのに色んな方法がある。


それは基本的な衣食住が満たされることもだし、当然衣食住を整えるのにはお金も必要だし、お金を手にするには何かしらの手段も必要になる。


でも結局のところ一番大事なのは、自分の心に対して自分自身が開いていること、自分の心に自分を向けること、そして不具合があればその不具合を無視したり無かったことにせず心が吐き出す小さなサインにきちんと耳を傾けること、その辺りだと私は思っている。


そしてそれらがいわゆる「自分を大切にする」ことなんじゃないかなと個人的に思う。


これはある時の仕事中に思ったことだった。


実際の理由が何かはわからないけれど、個人的に完全な嫌がらせにしか見えない無視と仕事のことなのに連絡を避けて通達されないということがあった。


その時は冗談抜きで仕事に差し支えるから、私は色んな策を講じて最後は全て事無きを得たけれど、決して気持ちの良いものではなかったし、仕事から離れていても心の中ではその気持ち悪い状況をずっと思い続けて、そのそれも自分で止められなくてしばらくは悶々として過ごした。


その時に思った。


住む家も、体を休める布団も、1人になれる空間も、食べ物も、お金も、仕事も、友達も、家族も、健康も、とにかく元気に過ごすためのものは全て持っている。


仕事だってその人以外は基本的にみんな良くしてくれるし、味方になってくれる人もたくさんいる。


恵まれすぎなくらいに恵まれている。


だけど、たった1人気分を害するほどの嫌がらせをしてくる人がいて、それだけで私の心は乱れに乱れた。


その時に、例えばお金が全てを解決してくれるわけでもなければ、何かを持っているからそれが不具合を掻き消してくれるわけでもないことを本当の意味で理解した。


そして、そうした心のザワザワや不穏さというのは、何とかそれに対して自分自身が対応しなければどうにもならないことだというのも同時に理解した。


対応するというのは何も現実的なことばかりじゃなく、自分の心に薬を塗るみたいなそうした癒し的なこと、風邪っぽいなと思えば早く寝たり体を温めたりするように、心も痛かったら何かしらそうしたことをしてあげないと痛いまま傷ついたままになる。


そういうことを自分のためにしてあげることが本当に大事だというのが身に沁みてわかった。


ついでの後日談というか今現在の話をすると、そのおかしな位に無視されて本当に嫌だったけれど、そして当初は私も目には目を歯には歯をみたいな嫌がらせで返そうかとも思ったけれど、最終的に私が選んだのは「これまで通りにする」だった。


これまで通りにしたし、例えばいつかはポットのお湯が空になって私が水を足した時、その直後にそれを知らない彼がコーヒーを淹れようとしていたけれど、その時とっさに「今水入れてきたばっかりだからもう10分くらい待ってて!」と声をかけたり、他にも小さなやりとりを私はごくごく普通にした。


それが良かったのかどうかはわからないけれど、当時の今すぐにでも爆発しかねない緊張状態は和らいで、そして彼も彼で仕事は私に頼まないけれども連絡は私も含めてすることはするようになった。


仕事は振られなくても気にならないし(最初は気にしたけれど、とりあえず困りはしないからそれに慣れた)、目に見えないところでお互いバチバチするみたいな空気もないに等しいくらいになったと私は感じるし、色々快方に向かって今となる。


小さなことを、自分が無理せずにできることを、コツコツと貯金するかのごとくやり続けることが大事なんだと思った。


別に無視するでも良かったとは思うけれども、それを私があえてしなかったのは、しばらくは今の職場にいるのに無視した場合後々面倒くさくなるのはわかっていたし、相手の幼稚さも知ってそんなことしても自分がさらに悶々とすることが予想できたから、だから無視することは選ばなかった。


その時も自分が選んだのは、「どんな選択なら一番自分に負荷がかからないか」だった。





先日ノムが紹介してくれた「風の時代」。


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1222日 

触れられるから目に見えぬへ。

グレートコンジャンクション

 

20年周期で、木星と土星が空の上でピタリと重なる日があります。

それを「グレートコンジャンクション」と呼び、産業の転換期とされています。

昨日、その大きな節目の日がやってきました。1802年から2014年までは、基本的に土の星座で重なってきた2天体でしたが、今回から2159年までは、風の星座で起こります。いよいよ風の時代の始まりです。


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時代は新しいものに切り替わっているし、そこに加えてコロナという世界的にまだ何も解明されていないスーパーウイルスもあって世界中で混乱が続いている。


色んなものが不透明だし安心安全が何かなんてわからない。


つい最近、大手家具メーカーのニトリが241万個の基準値以上のアスベストを含む製品の回収を発表した。


私は使っていないけれど、その製品の利便性の高さは知っている。


バスマットとかは、吸水性や速乾性に優れていて私も欲しいなぁなんて思ったものだった。


そんな風に惹かれて買った人も多いだろうから色んな種類を組み合わせて241万個の大ヒットになってるんだろうと思う。


仮にそのことで不安になったとする。


不安になるのは自然だと思う。


だけれど、時は戻せないし使っていた事実は消せない。


すぐに使用中止をしたからと言って、これまでの使用期間のことはリセットされますとも当然ならない。


じゃあどうするかと言えば、とりあえず手っ取り早くできるのは、自分がどうであれば心穏やかになれるのかを考えて実行するしかない。


これはドミニカにいた頃の話だけれど、農業専門の友達いわく、ドミニカではアメリカでは健康被害が出るとされる危ない成分が入った使用禁止の農薬をアメリカから普通に譲り受けていて、そしてその危ない農薬を普通に使っているから色んな野菜が安全ではないと教えてもらった。


ちなみにその友達はガハガハ笑いながら、「でももう食ってんだから、仕方ねーよね!どれが大丈夫で大丈夫じゃないなんてわかんねえし、仮に大丈夫じゃなくてもそれはその時だよね」と言った。


全くその通りだと私も思ったし、当然安全性なんか目で見たってわからなければ食べていても何にも私にはわからなかった。


そんないわく付きの野菜を2年間食べ続けてから10年以上が経過したけれども、今のところ何の健康被害も出ていない。


何事も見えないところで自分の身に危険が及んでいたとしても、それにどう対処するかは自分次第なところがかなり大きい。


そして見えない心のことは、特に気をつけて自分で見てあげる習慣をつけないと置き去りにされやすい。


不倫をこの度繰り返した宮崎謙介の奥さん金子恵美さんの言葉でとても印象的だったものがある。


彼女がどうして離婚を選ばずに今も夫婦でい続けるのか。


とあるニュース記事で見た中に「(旦那の浮気が)自分にとって絶対に許せないポイントではなかった。私にとっての許せないポイントは他のところにある」みたいなことが書かれていた。


浮気だって良いことでは全くないけれども、彼女にしたら絶対に人として許せないことはそこよりももっと別なところで、そこがギリギリ保たれているから今の状態なんだと妙に納得した。


そんな風に見えない部分の価値観や考え方がますますクローズアップされる時代になっていく。


周りに公表する必要はなくても、少なくとも24時間365日毎日常に一緒にいる自分にはそのことを示していく、自分なりの答えを持てるように自分との対話をたくさんすることが今後ますます大事なことになっていくんじゃないかなと思う。


そして突然すぎる締め方だけれど、自分が続けたい分野はこういう心のケアとか自分ケアなんだと改めて思う。


そういうことにやっぱりものすごく興味があるし、いくら話したり書いたりしても話が尽きない。


小難しい内容ではなく、いつでもどこでも誰でも簡単にできる方法をこれからも私は模索するだろうし、実践実験を重ね続けると思う。


風の時代の答えのないところは不安要素も生みやすいけれども、逆手に取ると自分で決めていい、自分の価値観を第一にすることができる、そういう自分にやさしい時代でもあると思う。


Let’s make ホッと一息つく習慣





2020年12月23日水曜日

㊼【おいせさん手帳】現実の種を蒔いて育てる


おいせさん手帳第47回目

担当:ノム


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1223

 

夢を叶えるアイディアを書き留める。

太陽が山羊座へ

 

射手座の季節で描いた夢を、現実に移す山羊座の始まり。

夢を描くことは大切ですが、夢を形にするべく行動することも大切。

「こんな風になったらいいな」という理想は、現実の種です。

花の開花には水や肥料が必要なように、自分の夢を育みましょう。

思いついたアイディアを手帳に記し、できることからトライしてみて!


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これが記念すべきノムの最後のおいせさん手帳のメッセージになる。


26日に私が書いたものが控えているけれど、ノム1人で見た時はこれが最後になる。


この1年を通じて、全部で49個分のメッセージに何かしらエピソードを添えてアップしたことになるけれど、本当に夢のような時間をノムと共に形にしてきたんだなぁと思う。


普通に「ノム」ととても距離近い感じの名前で呼んでいるけれど、ノムは知れば知るほどすごい経歴の持ち主だった。


今まで真剣にこの事実を見つめていなかったけれど、ノムは長いこと『女性自身』という名だたる週刊誌の記者をしていた。


詳しいことは知らないけれど、ノムが担当していたのはゴシップ系の方ではなくて、インタビュー記事を主に担当していたようだった。


今は書く仕事は、頼まれて担当者とやりとりして双方の意向が一致すると引き受けるようだけれど、そうでなければ基本しない。


よくよく聞いていると、ここ最近で大きかった書く方のお仕事は、瀬戸内寂聴さんと宮沢りえさんの対談本の担当とか、今年は来なかったけれどこれまでは10数年「嵐」のカレンダー作成の時にするインタビューの担当をしたり、はたまたEXILETAKAHIROさんの個人本の担当者だったりして、とにかく芸能人に疎い私でさえも知っている大御所系の人たちのインタビューや本の制作に関わってきた凄い経歴の人だというのは、ある程度仲良くなってから知った。


そんなこんなでノムは出版社の人と繋がりがあって、そこからのご縁によってこのおいせさん手帳の話はノムの元に依頼が来て、さらにその時にノムがとっさに「ぶっしーと一緒にやりたい!」と思って私を誘ってくれたことで、こんな風に私も参加できることとなった。


ニート引きこもりな私の懐具合も心配しつつのお小遣い稼ぎを提案してくれたわけだけど、その心遣いが本当の本当に嬉しかった。


お金のことやましてやお金がどう見てもないだろう人にお金の話をしたり心配というか気にかけたりすることは、とてつもなく難しい。


そういう時にノムは私が傷付いたり気にしたりしない言い方でそれをしてくれて、本当の本当に嬉しかった。


初めノムに誘われた時、ノムは色んな人とコラボして書く仕事もするのかなと思っていたら、ノムの方から「僕ね、こんな風に誰かと書く仕事をしたこともなければ、したいと思ったこともなくて、だからぶっしーが初めての一緒に書く仕事をしてみたいと思った人なんだよ」と教えてくれた。


そんな名誉ある役に大抜擢されて、本当の本当に嬉しかった。


そんなこんなで始まったおいせさん手帳のメッセージ書きの仕事だった。







どこかにも書いたけれど、ノムと私は当初おいせさん手帳の前年の見本を見せてもらって、仰け反った(のけぞった)。


おいせさんと言うだけあって、和暦なのは予想していたけれど、神社仏閣的なことも知らなければ、一粒万倍日的な日本古来の吉運も知らない。


一粒万倍日って宝くじ売場の近くに書いてあったかもみたいな曖昧な記憶程度しかない(宝くじも頼まれて買ったことしかないからわからない)。


どう見ても自分たちの強みなどそこにはなく、そしてもし和暦的なもしくは神社仏閣のことなら、私たちではなくもっと適切な人がいるだろうことも2人で話した。


ノムと私とは賭けに出た。


自分たちが書けるメッセージの見本を作って、それを担当者に見てもらって、そしてそれを採用してもらえるのなら引き受けて、ダメなら相手側も誰か別の人を探すだろうと、そうしてやれることだけやって後は神のみぞ知るの領域のことに賭けた。


その賭けは当たって、そして今に至る。







【夢を描くことは大切ですが、夢を形にするべく行動することも大切。

「こんな風になったらいいな」という理想は、現実の種です。

花の開花には水や肥料が必要なように、自分の夢を育みましょう。

思いついたアイディアを手帳に記し、できることからトライしてみて!】




ノムのこの提唱は本当に素晴らしい。


今まで色んな人たちに出会ってきたけれど、リアルノートを見せ合ったのは唯一ノムだけだった。


ノートに書いたことを見せ合う。


それも、自分の心の内を吐いたものを見せる。


ノムも私も今のこのデジタル化時代に普通に紙のノートを愛用している。


さらに、iPhoneの中のこのメモ機能も「メモ」と呼べるような量ではない量を書き留めるのに使っている。


ノムはこの1年くらいの間で、ガラケーからiPhoneにした。


iPhoneにして感動したことの1つにメモ機能を挙げて、いつかの電話では2人でメモをどう使っているかや、メモの何が素晴らしいかについて延々とおしゃべりをしたほどだった。


iPhoneユーザーならわかってもらえるかと思うけれど、私はもうずっとiPhoneからこのブログはアップしている。


iPhoneのメモにこのブログの下書きをひたすら指で打ち込んで、その打ち込んだものをブログのサイトにコピペしてそれをアップしている。


読むのに数分どころか30分かかるような長編ですら私はiPhoneで書いている。


慣れたもんで、すごい速さで打っていると思う。


何人かの人たちから、私のLINEの返信が速すぎる!と驚かれたことがあるから、本当に速いんだと思う。


話が脇道に逸れてきたけれど、とにかく「書く」こと、自分の思っていることや考えていることを自分がわかるようにするために「言葉で表現する」ことをノムはとっても大切にしている。


自分の中だけにあっても理解できないけれど、言葉にする努力をすることで自分の中にあるものが何かわかる!、ってノムから何百回と聞いたかわからないけれど、そのノムの言葉は何回聞いてもその通りだと毎回毎回思う。


それこそ「行動する」って私はいつもその言葉だけに怖気づいたりするけれど、実際は大きく動くんじゃなくてまずは小さな一歩、その小さな一歩の1つにアイデアを書き留めることをノムはさらりと薦めている。


そしてその行為を花を咲かせるための水や肥料のように、自分の夢のための水や肥料だとそっと伝えてくれる。


これはノムが書く仕事をしてきたからではなく、ノムの性質またはノムの価値観によるものだと私は感じるけれど、ノムほど言葉を押し付けないように気をつけている人もいない。


ノムのこうしたメッセージには押し付けがない。


もし僕のメッセージが気に入ってくれたのなら嬉しい、良かったら試してみてね、みたいなところに留まっている。


絶対にそれ以上はみ出したりはしない。


本当に相手に伝わるように、なんなら伝わることもどこまで意識して言葉を紡いでいるのかわからないけれど、とても静かにそっと言葉を届けるみたいなことをノムはいつの時もしている。


コーチングを習った時だったと思うけれど、実際の言葉を使ったコミュニケーションで、言葉が伝えるものというのは全体の1割程度と言われている。


残りは表情だったり、声のトーンだったり、間に流れる空気だったり、とにかく言葉以外のものが伝わるものの9割を占めている。


要は、言葉というのはほとんど相手に伝わっていないという身も蓋もないような話だけれど(一応何かしらの心理系の学者や研究者が調べて出した理論)、それ聞いて言葉で伝えられるものの限界みたいなものをいつも無意識に意識するようになった。


でも。


ノムに出会ってそれが変わった。


もちろんコミュニケーションにおける言葉の限界は絶対にある。


だけど、言葉があるからこそ、気持ちがわかったり伝わったり、自分の考えてることや感じてることが何かわかったり、そういう意味で言葉ってとっても大切で、そして自分の中にあるものを表現してくれるものなんだと、ノムがたくさんたくさん言い続けてくれたことで今はそのようにまた思っている。


何か形作るのに、まずは想いがある。


想いの次は、それを言葉にすることが絶対的に要る。


言葉にすることで知ることができる。


知ることというのは、水や肥料の1つに数えていいと思う。


そんな風にして、ノムとの対話は世界を広げてくれて、そして何よりも硬くなっていた心を開いてくれた。


夢を見たりそれを言葉にして自分で自分に伝えられるように、そういうことをまた始めるようになった。


おいせさん手帳ノムの最後の言葉は、ノムらしく希望と心を明るくする光を放っている。

2020年12月22日火曜日

㊻【おいせさん手帳】目に見えない風の時代へ





おいせさん手帳第46回目

担当:ノム


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1222日 

触れられるから目に見えぬへ。

グレートコンジャンクション

 

20年周期で、木星と土星が空の上でピタリと重なる日があります。

それを「グレートコンジャンクション」と呼び、産業の転換期とされています。

昨日、その大きな節目の日がやってきました。1802年から2014年までは、基本的に土の星座で重なってきた2天体でしたが、今回から2159年までは、風の星座で起こります。いよいよ風の時代の始まりです。


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1年前の夏の終わりに、ノムとおいせさん手帳の打ち合わせをしていた頃が懐かしい。


これは最初の時から「絶対に入れたいね」と2人で話していた内容で、そして私の中ではひそかに「ノムに書いて欲しい」と思っていたことでもあった。


基本的に星の言葉を紡ぐことに私は苦手意識があった。


そしてノムの星の言葉は当時から至極洗練されていて、どこか星から託されてるみたいな空気をまとっていたから、どう考えてもノムが適任と思っていた。


だからどちらが書くかという取り決めの時、私は「ノムにグレコンのことを書いて欲しい」と言ったことはよく憶えている。


反対に、それに対して自分ができることを書くのは私が担当することを申し出た(これは12月26日分)。


そんな風にして、2人で最初から一致して絶対に発信したいね!となったのがこの内容だった。





2人でこの内容を絶対に盛り込みたいと考えるのには理由があった。


未来など予測できずに今に至るけれど、1年前にグレートコンジャンクションが起こることは既に知っていて、そしてそれが大きな転換点になるだけじゃなく、その転換に伴い1人1人の個人にとっても大きな変化を迎えたり見えないところでの影響は避けて通れないことは予想できた。


その変化や影響に対して、渦中や過渡期はどちらかと言えばしんどかったり重たかったりするだろうことも予想して、せめてそれというのは本人が悪いとか何もやってないということではなく、星回りでそのようなことが起こっていることを示唆したり、自分のためにできることや知っておいた方がいいだろうことを伝えたいね、というような気持ちで盛り込んだ内容だった。


さて、1年前に予想したことはどうなったかというと、これはもちろん個人差があるけれど、ノムも私も意外と今の強烈とされる星回りは平気だったりする。


それは何も起こってないとか影響がないということではなく、ノムも私も今年ではなく去年や一昨年、本当の本当にもがき苦しんで否が応でも自分に向き合わざるを得なくなって、先の見えない中でそこでずっとああでもないこうでもないとジタバタしたり、逆に耐えたり、はたまた嫌になったら全てから一旦離れようと試みたり、まぁ色々と強烈な状態を体験してそれに対して1つ1つ無視せずに向き合ってきたことが今の自分たちを救っている。


今の自分たちを作っていると言ってもいい。


だから星回り的にはノムも私もそれぞれ今年の方がエネルギー的に激しくて強烈ではあるけれど、心の中は今の方が穏やかだったりする。


それはもう他の何でもない、自分自身と向き合い続けて対話し続けたことの賜物だと思っている。


そこにしか答えがないと言ってもいい。


これからの時代は、外に答えを求めても外側には答えがない。


どんな小さなことであっても、自分の中にしか答えがない。


自分が何を食べたいのか、例えばテレビの向こうで東京のおしゃれカフェのごはんが紹介されていても、自分が今食べたいのが吉野家なら吉野家の牛丼、期間限定のマックのグラコロならグラコロ、というように自分にしか自分が感じているもの、この場合なら食べたいものはわからない。


青汁が健康に良いと言われても、みんながみんなあの味を難なく飲めるかといえばそうではないのと一緒で、合う人は飲めばいいし、どうしても苦手なら別の形で栄養を模索したらいい。


そんな風に答えは外ではなく何でも自分の中にきちんとある、ということをどんどん知っていく時代に今後は入っていくだろうと思っている。





これを書いている数時間前にノムと電話した時に面白い話を聞いた。


ノムはとある出版社にお願いされて、とあるインタビュー記事をインタビューしてそれをまとめて書いたものを提出した。


その書いた中には、コロナ禍になってたしかに不確定要素や不安要素が増えてしまったことは誰がどう見ても事実だけれど、反対にコロナが後押しとなってプラス側に転じたり追い風となって良い流れを生み出していることも、インタビューで聞いたままノムは言葉にして含ませた。


そのことはもっと根拠のある視点で説明してくれたし、根拠となるものも聞いていてわかりやすくていいなぁなんて思った。


ところが、その部分はカットされたとのこと。


コロナの話題は、特にプラスの雰囲気を持っている表現は、下手すると色んな人たちの感情を刺激する可能性があって、とりあえずそういうものを引き起こしたいインタビュー記事ではないし、そして内容としてたとえそれが事実を語っていても一般公開するには相応しくないと判断されて、その部分は公開されないことになった。


そう、あるものなのにないものとなって、本来ある情報とは別物になったと教えてくれた。


そんな風にして、情報が統制されてるのを目の当たりにして、ノムはこれからの時代はますます情報の取り方や向き合い方が大事になってくると言っていた。


私なんかは聞いていて、その話、絶対に出した方がアンチも生むかもしれないけれど、それで救われたり希望が持てたりする人もいるだろうから、出せばいいのになぁなんて思った。


表に出ないことで、実際に「有る」ものなのに、「無い」ことになっていたり隠されたりしている。


なんだかもったいないなぁと感じた。


でも、そんな風にして情報が統制されたり操作されたりしてるのなんて色んな場面で日常茶飯事だろうから、その中でいかに自分の感覚を頼りに情報収集したり情報選択をするかが今後はますます大事な能力になっていくだろうと思う。


ふと2012年くらいに受けた、某セミナーでの言葉を思い出した。


目の前で人の不調を治すことのできるヒーラーの先生のセミナーだった。


生涯を通じてそんなに凄腕のヒーラーさんにはもう二度と会えないと思う。


今でも目の前で起こった色んなことを事細かに覚えているくらい、すごいヒーリングを施す先生だった。


その先生が講義みたいな感じで話していた時に、最初にこんな風に伝えてくれた。


「これから色んな話をします。

一旦自分の価値観は脇に置いてね。

まずはその情報そのものを一度自分の中に取り込んでみる。

情報を咀嚼してみて、ピンときたなら取り入れて、ピンとこなければそれはそのままにしたらいい。

だけど、最初から『これは私の考えとは違う』と言って遮断することはしないで、とにかく一度は自分の中に取り込むことをして欲しい」


そんな風に注意喚起を促してから、先生は話を始めた。


「癒すことは愛すること。

癒されることは愛されること。」


そのように教えてくれた先生だった。


情報の取り込み方についても、本当に素晴らしい教えで、それは今もなお私の中に残っているし、その後も数々のセミナーなりワークショップなりに出かけたけれど、本当に言われたことと同じことをそのまま実践して今に至っている。


たしかに今の私は人よりも勘や直観が一般的な平均があるとするなら鋭い方に分類されるかもしれないけれど、そうしたものは自分の日々の積み重ねで今に至っているところが大きい。


違和感を覚えたら何が違和感かを自分に聞くこと。


すごいと思っている人が言った言葉だからと言って鵜呑みにせず、きちんと自分の感覚に問うて自分がしっくりきてるかどうかを確認すること。


この辺りを多分知らないうちにかなり徹底して自分はやってる気がする。


でもそうやって鍛えることはできるし、ましてや答えがますます無いようなこれからの時代では、情報の取り扱い方はもっともっと大切な能力になっていくと思う。





最後にノムのメッセージのプチ解説など。


【触れられるから目に見えぬへ。】


「風の時代」って占星術界では普通に使われているけれど、どういうことなのかを少し解説。


牡羊座から始まる12星座は、火・土・風・水の四元素に分けられる。


牡羊座、獅子座、射手座

牡牛座、乙女座、山羊座

双子座、天秤座、水瓶座

蟹座、蠍座、魚座


火は直感、土は物質、風は情報、水は感情をそれぞれ司ると言われている。


公転周期12年の木星と公転周期29年の土星が20年に一度360度ある天空で全く同じ位置にピタッと重なる。


それをグレートコンジャンクションと呼んでいる。


ちなみに携帯のニュースを見て知ったけれど、今年の木星と土星の接近ぶりはなんと396年ぶりの僅差でものすごく近付くらしい。


これまでずっと土(物質)を司る星座のところでグレートコンジャンクションは起こっていたけれど、今日のこの2020年12月22日以降のグレートコンジャンクションは風の星座の上で起こる。


見ての通り、これまでは土の物質第一主義みたいなところから、今度は風のように目に見えないもの第一主義へと時の潮流が変わる。


これまでは触れられるもの、目に見えるものを所有することに重きが置かれていたけれど、これからは目に見えないものに重きが置かれる。


目に見えないものは、情報、ネットなんかのシステムをはじめ、愛や友情、正義、やさしさ、ぬくもり、知性、コミュニケーションなんかもみんなそこに含まれてくる。


これまでは軽視されてきたり、はたまた物的なものこそ勝ち組とか成功の象徴だったとするなら、これからは物ではなく目に見えないものにますます価値観が移行していく。


「目に見えないもの」が何になるか、そしてその目に見えないものの中でも何が大切かは個人差が絶対にあるけれど、その個人差の中でも大切になってくるのは、他の誰でもない自分の感覚になる。


自分にしかわからない答え、自分にしかないこだわりこそがこれからの時代の自分専用の答えになる、と私は思っている。


さらには、木星と土星が水瓶座に入った後(木星はあっという間に次の魚座に行くけれど土星は3年ほど水瓶座に滞在)、今度は公転周期249年の冥王星も2023年あたりから水瓶座に入ってくる。


それは10数年の水瓶座滞在になるけれど、冥王星が水瓶座にいるのは、今生きている全員にとって一生に一度しか体験し得ない。


水瓶座という星は、改革の色が強い星でもあるし、そして人と繋がる時に、グループがあってそこに自分を所属させてそのグループに自分を合わせる従来のような在り方ではなく、個は個のままありのままでいて、そのありのままの自分と他の誰かのありのままの自分とが結びついてそれが繋がりとなってグループとなっていく、そういうタイプの人間関係をテーマとする。


だからますます個の時代が加速するし、誰かと同じ自分ではなく、他の誰でもない自分が強調される時代になっていくだろうことが予想される。


「風の時代」と検索したらたくさんヒットするかと思うからこのくらいにするけれど(ちなみにここに書いたのは私が学んだことを羅列しただけで、今回特別に調べたとかじゃない)、とにかくポイントなのは目には見えないものが大切になるということ。


「目には見えないからと言って、『ない』とは限らないんだよ」


見たことないけれど、今から約20年前に公開された映画『スモール・ソルジャーズ(Small Soldiers)』という中に出てくるセリフ。


そう、確実に存在する、目には見えないもの、そこに重きが置かれる時代に入りつつある。


しばらくは過渡期ゆえ世の中も自分の周りも混沌とする可能性大だけれど、そういう時こそ「自愛」が大事になってくると思う。


自分を大切にすること、自分を大切にできたらおのずと色んなものが調和する。


それは「調和する」と言い切れる。


私が自分でやってみて、間違いなく調和を生むための1番の近道だと感じている。


調和が増えれば増えるほど、これは私の場合だけど、生きづらさが減って代わりに心地良さが増した。


だからこそ自分を大切に扱って自分のために何かを選んだり守ったりすることに躍起になっている()


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