2017年11月26日日曜日

氏名に繋がる本との出会い

11月23日(祝・木)

朝から夜遅くまで友達とおしゃべりした後、まっすぐ家に帰ればいいものの、なんとなく「ツタヤに寄ろう」というのがあった。

21時を回ろうとしていて、翌日は普通に仕事。

友達の家から少しすると、2~3km置きにツタヤが3軒ある。

その中の一番友達の家から近いツタヤが、その「なんとなく」のツタヤの気分だった。

そこのツタヤは滅多に行かないから店内の並びもよく知らないし、そして雰囲気も品揃えも好きじゃない。

だから友達の家からいくら近くてもそのツタヤという選択は普段なら絶対にない。

だけどその時だけは、なんとなくの気分でそのツタヤにふらりと寄った。

 

夜も遅いからもうささっと見て終わる予定だった。

たしかにささっという感じで、私は2か所だけ巡った。

1か所目は、トイレを出てすぐのところに占い棚があって、面白いものないかなとちょっと目をやったに過ぎなかった。

もう1か所は通常の書籍のコーナーのところにさっと行っただけだった。

そこで私は度肝を抜かれた。

似たようなタイトルの本が2冊並んでいた。

近くに寄って手に取ると、まさにその本だということを確信した。

私の中では、人生で一番びっくりした本との出会いだった。

 

時計の針を過去に戻す。

この間、自分の「史子」という名前に関して、自分が普段やっていることがそっくりそのまま体現されている、という事実に初めて気付いた。

名前を体現しているのか名前が体現しているのかはおいといて、とにかく字のごとくのような日々をずっと積み重ねていることに気付いた。

そこで私は自分の名前について、もっと知りたくなった。

名付け親や両親が込めた想いとかじゃなくて、文字そのものにどんな意味合いがあるのかやそれが人生にどう意味や影響を与えているのかを知りたくなった。

そこでまた得意のネット検索をして、その検索をしている時に日本語の音について色々教えてくれているサイトに行き着いた。

内容が高度すぎてほとんどわからなかったものの、それを端的にまとめたものに私はえらく興味を引かれた。

真夜中に目が覚めてしまったある夜に、それで自分の名前を当てはめて自分なりに解釈しようと試みたぐらいに、熱心にその情報を読み込んだ。

ちなみにその情報は初めて目にするもので、過去に一度たりとも知ったことのない概念だった。

しかもその時までただの一度も聞いたことのないひらがなの解釈方法で、今思ってもどうしてそのサイトに行き着けたのか不思議でたまらない。 

その文字についての専門書2冊を私はそのふらりと入った夜のツタヤで見つけたその偶然たるや半端ない。

これまで本の存在を先に知っていてその本を書店で見かけることはいくらでもあった。

でも反対に、ネットで調べ物をしていてその時たまたま行き着いた超マニアックな知識を先に得て、そしてその知識について書かれた本に書店で出会うということはこれまで一度もなかった。


そしてその時まで、私は本が出ていることさえ知らずにいた。

というより、本を買ってまで読みたいというものではなかったから、だけどもう少し時間のある時にゆっくりと検索して知識を補って、そして最初の自分の目的である自分の名前を知る手がかりが欲しかっただけだった。

そんなこんなの経過をたどっていた矢先に、その超マニアックな本が田舎のツタヤにドンと登場したのだから、腰を抜かすほどの驚きようだった。

その偶然にうれしくなって買いたいなとは思ったけれど、「気の迷いかもしれないし、いかんせん1冊1600円+税(←私の中で本1冊が1500円を超えると「高額」に該当。だから相当必要に迫られない限り買わない)。今、夜遅くて、頭もしっかり回ってるわけではないから、今日はやめておこう」と思い、とりあえず店をあとにした。

 

11月24日(金)

テンションだだ下がりな天気だった。

「暴風雨+みぞれ+あられ+雷」という冬型低気圧の4拍子揃った夕方を迎えた。

金曜日仕事終わりで、気持ちだけは大きく解放されていた。

やっぱり前の日の夜のあの本が気になって、買うことを前提にもう一度ツタヤに行くことにした。

今度は友達の家とは逆方向から向かうから、例の店をA店とすると、C店→B店→A店の順にツタヤがある。

私はふとB店やC店で置いているのかどうかを知りたくなった。

天気が最高に悪い中、私は車を走らせた。

まずは一番のお気に入りのC店。

なんと2冊のうち1冊だけ置いていた。

しかも表紙が見えるように飾られている棚のところにあった。

こんなマニアックな本、背表紙じゃなくて表紙を全面に出して売り出すんだということに驚いた。

ただ、私が欲しいのはそちらではなく最初に刊行された方のもう1冊の基礎編的な方だった。

車に戻り、次はB店を目指した。

B店はどちらも置いていなかった。

それだけわかると、次は車で5分程のA店を目指した。

その時私は大きな国道の高架下にいた。

私も国道に出るつもりでその高架下の道を走っていた。

相変わらず風に吹かれながら雨が車のフロントガラスを叩いていたけれど、高架の上を見ると「月!?」と思しきものがあった。

雷も時々鳴っているし光っている。

最初は街灯かなとも思った。

高架上の国道に出た。

本当に三日月が出ていた。

人生で一度も見たことがない「三日月+雨+雷」なんていう組み合わせが目の前で繰り広げられていた。

それで私はその本を買うことになることを9割確信した。

「こんなおかしな組み合わせのありえない天気=この本を買うという目的がなければ決して通ることもない道で見れなかった光景=私に必要な本」だということを教えてくれている、そう私は解釈した。

再度国道を降りてツタヤA店を目指そうと右折した後だった。

そこでも度肝を抜かれた。

私の前を走っていた車は、ある人が乗っている車と同じ車種で同じ色だった。

車に全く詳しくないからその車がどの程度販売されているのか知らないけれど、私はその人の車と知るまでそんな車が世の中にあることさえ知らなかった車種だった。

実際にその車とすれ違うことなんかほとんどない。

だから、そんなおかしな天気にプラスしてその車がすぐ目の前に登場したことで、私の中でその本を買うことが100%確定した未来に変わった。

 


予定通り本を買った。

そして本を買って外に出たら三日月はおぼろ月みたいに霞みだし、そしてその数分後にはきれいさっぱり月は姿を消した。

残るは暴風雨+雷だけだった。

本を買うその前後10数分だけ出ていた月、それこそまぼろしみたいな月だった。

 

その夜から少しずつ本を読み始めた。

店頭ではぱらっとめくっただけ、ネットで見た音の一覧表みたいなのを少し丁寧に見ただけにすぎず、実際はどんな内容か知らずに買ってきた。

そこでも私はぶったまげた。

本の目次を見た時に、ふと気になる小見出しがあった。

それはひらがなをあれこれ並べた歌についての話だった。

もしかして、その歌は自分の携帯の音声記録で撮ったものと同じじゃないかと思った。

さかのぼること2016年の4月。

岐阜県と愛知県の県境に近い一宮市というところで、当時とてもお世話になっている女性に誘われて、私はある心理学系の勉強会に行った。

その時に参加されていた1人の人が歌手で、彼女が紹介していたひらがな遊びのような歌が1つあった。

その後どうなったのかなんて知らないけれど、NHK教育の『みんなのうた』で歌う歌わないを決めている渦中の歌だということだけは覚えている。

彼女がホワイトボードに歌詞のひらがなを書き出し、全く意味不明のひらがなの語順の歌を彼女に合わせてその場でみんなで歌った。

人を元気にする歌だから、ということで私はその時にほとんど使ったことのないiPhoneの音声記録機能を何とか使ってその場で撮ってきた。

まさかと思って私は夜な夜なその音声を再生した。

本にあった歌詞とどんぴしゃではまった。

 

それだけじゃなかった。

ここ3~4年、年間5冊本を買うか買わないかの生活に切り替わった私は、本当に滅多なことで本を買わなくなった。

100~200冊程の本を2~3年かけて断捨離した時に、もう本は立ち読みか図書館で借りて読もうと決めた。

繰り返し読む本は本当に片手で数えるぐらいしかないのだから、買ってまた手放す、という行為が面倒になった。

だから余程必要に迫られない限り買わなくなった。

今回も、おそらく2017年になって4冊目の本だと思う。

滅多に買わないがゆえ、手元にきた本がいつ発売されたものか1つ前に買った本から見るようになった。

今のタイミングで出会うべくして出会った本かどうかを知りたかったから。

第1刷が2015年の9月だった。

そして今手元にある本は第6刷で2017年の6月だった。

驚いた。

初刷は私が人生で一番大きな契約を交わした直後だった。

まさにそこから人生の流れがさらに妙な方向に大きく動き出した時期だった。

そして手元の第6刷の日というのは、今年最大の出来事が起こった翌日だった。

買う直前に目の前を走っていた車とも繋がった。
その今年最大の出来事に登場してくる人物の車だった。

本の中で最初に著者がこの本を書くに至った経緯を少し説明していたけれど、その中でその方が2015年の秋に完成するようにしか書けなかったことが書かれていた。

著者のタイミング然り、私のタイミング然り、この今のタイミングで出会ったことに私にはとても大きな意味があったと感じている。

ちなみに現時点で50ページほど読み進めてはっきりとわかったことの1つは、もし店頭で見ただけだったら絶対に買わなかったこと。

本当にマニアックな内容で、もし店頭で仮に手にしたとしても絶対に「意味不明」と思ってすぐに棚に戻しただろうことは想像できる。

もっと言えば、タイトルに1ミリも惹かれる言葉がないし、その概念の名称自体今回初めて知るぐらいの馴染みのなさだから、まず手にすら取らない。

今回は、ひょんなことからネットでたまたまその情報に行き着いて、それでその本を見たからすぐに「あの内容だ!」ということがわかった。

そしてまだ調べ途中の自分の名前のことがあったから、だから貪欲にその情報を読み解こうとする自分がいた。

自分の名前が何なのか疑問に抱いた今のタイミングだからこそ、この本を手に取ったということがよくわかった。

 

11月25日(土)

今目の前にその本がある。

私が見つけてからまだ48時間経っておらず、買ってから24時間経っていないというのが不思議な感じだ。

もっともっと時間が経過したかのような感覚がある。

そもそものサイトにネットで行き着いたのは1週間前。

しかも私はその情報を探したんじゃなくて、適当に検索ワードを入れて検索かけて、それで出てきた無数のサイトの中にそのサイトが出てきたという具合だった。

本当に内容が難しいから、私は私にもまだ理解できそうな簡易版の情報しか見なかった。

何という言葉で検索したかも忘れたし、少なくとも検索ワードからは導き出せない用語だった。

さらに、無数にヒットしたサイトでその超マニアックな情報を伝えているサイトは、その1つしかなかった。

聞いたこともないから、とりあえず興味本位で開いただけに過ぎなかった。

そんな感じの小さな偶然がいくつも重なって行き着いた情報だった。

だからまさかそれについて書かれている本と出会うなんて思ってもいなかった。

しかも、2冊とも新刊本じゃない。

1冊目は2015年9月、2冊目は2017年3月に初刷になっている。

なのにどうしてそんな本が田舎のツタヤに2冊も並んで売られていたのか、不思議で仕方なかった。

しかもそんな本、あの限られた書籍コーナーに置くためによくぞ注文をかけようと注文担当者も思ったなぁとびっくりする。

もっと一般受けする本が他にもあるのに、いやむしろもっと他の本の方が絶対的な読者がいるだろうに、何で?と思う。

注文者の意図なんて知らないけれど、とにかく無事に私のところにやってきたのはまちがいない。

とにかく今は自分の元に集まってきた情報たちを1つ1つ紐解いていくこと、そこに集中していこうと思っている。


11月26日(日)追記

この偶然具合をさらに検証ではないけれど、ついでに行く用事があったから、市内のもう1店舗別のツタヤD店へ行ってみた。

D店にもなかった。

2冊のうち1冊は在庫ありと検索機にはあったけれど、私は見つけられなかった。

あの友達の家からの帰り道の「なんとなくツタヤA店…」の気分、本が私に「ここにいるよ」とでも言ってきたのかと思うほどのすごい偶然だった。

2017年11月20日月曜日

出逢いの不思議

*C子*
C子と初めて出逢ったのは、ある宿泊研修中の寮の中だった。
C子と私は同じフロアの同じ洗面所を使う仲だった。
C子はとても目立つ子でリーダータイプで、とにかく私が最も苦手とする人種の最高峰という感じだった。
だから洗面所でかち合う度にすごく気まずくて、一刻も早くその場から立ち去りたかった。


研修後、また小グループに分かれての別の土地での研修。
今度は私入れて6人。
C子もいた。
何でこうも苦手なC子と一緒なのかと思った。
研修が始まる前から、その人間関係を思うだけで気が滅入りそうだった。


あれから10年以上が経過した。
C子とは今とっても仲良くしているし、これからも離れて暮らしていてもずっと繋がっていく友達だと思う。


C子と私が仲良くなったきっかけは思わぬところにあった。


その6人になってからの研修の時のこと。
住んでいる場所から研修先まで歩いて30分ほどのところだった。
私たちはいつもいつも歩いて通った。
行きも帰りもみんなで一斉にスタートする。
なのに、気付くと他の4人はうんと前にいて、私とC子だけがうんと最後尾を自分たちのペースで歩いていた。
しかも2人で合わせたわけじゃなくて、気付くといつもそうだった。
そう、C子と私は歩くペースが全く一緒だった。
それも合わせなくても勝手に合う。
あんなにリーダー格でちゃきちゃきしてると思っていたC子は、実はゆったりとしていてかなりマイペースで、いる場所・グループによって七変化する人だった。


そんな「歩くペース」が同じだったから、仲良くなった。
人生の中で、歩くペースが同じなんていう理由で仲良くなったのは、C子以外誰もいない。


C子からも「最初ぶっしーが不思議ちゃんにしか見えなくて、絶対この子とは仲良くなれない!って思っていたから、今こんな風に仲良くしてるのが不思議よ~」と何度も言われた。
(注:「不思議ちゃん」はC子から見ての私のイメージで、私は自分のことを不思議ちゃんとは思ってない)




*Sさん*
Sさんと最初に顔を合わせた時のことはよく覚えている。
その土地に半年早く越してきていた私が、SさんとSさんの仲間たちにオリエンテーション的なことをすることになった。
Sさんは仕方ないから来てあげましたよ的な、面倒だけど来ましたよ的な、なんとも言えないオーラを漂わせていた。
他にも無口で強面な男性たちがいたけれど、中でもそれはSさんが一番強かったから、私も「あぁ何か重たいわ、この空気」などと思っていた。
大人の作法として失礼のないようにしようとは思ったけれど、正直「あぁ嫌なんだろうなぁ、この会」と思いながらSさんたちと短い時間を共にした。
Sさんたちも私もその後に何の用事もないことはわかっていた。
なのにSさんは、もう早く帰りたいと言わんばかりに腕時計をそれはそれは自然に見始めた。
そんなSさんを見て、あぁ私はこの人と仲良くなることは絶対にないだろうなぁと思った。


Sさんと仲良くなるきっかけが何だったのかは今となっては思い出せない。
だけど話してみると、実はすごく思慮深くて繊細で物知りで優しくて、自分が経験した痛みとか悲しみが根底にあるからか私がどんなにおかしくて変でも、それをものともせず受け止めてくれるすごい人だというのがわかった。
そしてわずか1年ぐらいしか同じ市内に住むことはなかったのに、その後は何百キロとお互いが転々とする度に離れているのに、かなりな回数再会を果たしている。


最初に出逢った日、一番仲良くなれないと思ったSさんと一番仲良くなってもう何年も経つ。




*Mちゃん*
45人近くいる職場でMちゃんと出逢った。
9ヶ月働いた中で10数回のワークグループの変更があった(上司のやり方)。
そのMちゃんと同じグループになったのは、たった一度最後の1ヶ月だけだった。


だからことごとく接点のない子だった。


ある時、Mちゃんも私も窓口対応をする日が重なった。
10人程度いたかと思う。
Mちゃんとたまたま隣りの席同士になって、暇な時間はおしゃべりに講じた。


私のところにお客さんがきてお客さん対応をしていた時のこと。
Mちゃんは突然、パワーストーンのブレスレットを手首から外して手のひらにのせて、それはそれは色んな角度から眺め始めた。
私がお客さん対応しているということはお客さんからも見えるぐらいの距離にMちゃんはいるのに、Mちゃんは石を眺めるのに夢中で何も気づいていなさそうだった。
お客さんもMちゃんもお互いに気づかず、私一人だけがその状況に気づいていて、それがあまりにシュールすぎて私は吹き出しそうだった。
あまりに面白すぎたけど、その時はそんなこと突っ込めるほど仲良くなかったから、心の内にそれはそっとしまった。


それがひょんなことから、当時私と一緒のワークグループだった他の女の子の企画で、Mちゃん含めて3人で飲むことになった。
企画者の女の子は酔いが回って先に帰ってしまったけれど、Mちゃんと私は残って2次会をした。
その時にそのブレスレットの話をして、そこから実は2人とも同じ趣味を持っていると知り、私たち2人はあっという間にうんと距離が近くなった。
これは後からMちゃんから聞いたことだったけれど、あんな風に仕事中パワーストーンを手のひらにのせて眺めたのは、後にも先にもあの時だけだったとのこと。
ちょうど前の日が満月で、石を月光浴で浄化させて、それで石の調子を見ていたと説明していた。




**出逢いの不思議**
C子とSさんに共通しているのは、最初全く興味がないどころかとても苦手なタイプの人だったということ。


Mちゃんに言えることは、
①同じ日に
②同じ仕事をすることになって(お客さん対応以外の仕事もあった)
③前の日が満月で
④たまたま暇を持て余したMちゃんがパワーストーンを眺める
⑤それを私が目撃する
⑥時をおいて飲むことになり
⑦最後初めて二人きりの時間ができて
⑧お互いの趣味が同じと知る
これだけのことが全て重ならないと、絶対に仲良くなれなかったということ。


C子とSさんに関しても、Mちゃん並みにそういう偶然という偶然がいくつも重なって仲を深めることになったけれど、そこは割愛。


他にも書きたい人たちがいるけれど、長くなるから一旦そこはストップ。


私が人生ですごく仲良くなる人とか、とてつもなく影響を与えてくれた人とか、すごく好きになった人とか、そういう人全員に共通していることがある。


どの人との出逢いも、私は出逢いなんか全く期待していなかったところで出逢いが生まれている。


過去に何回か婚活パーティーやビジネスで人脈を広げましょう的な会に参加したことがある(どれも誘われて行ったもの)。


そう、「出逢い」をきちんと目的とした場では一切縁がなく、反対に縁を期待するどころかそんなこと考えてもいない場所で大切な人たちには出逢ってきた。


それは私だけじゃなくて相手もそんなの期待してなかったと思う。


C子みたいに、はっきりと私とは仲良くなれないと思っていた、と明言する人さえいるんだから、本当に出逢いはどこで繋がるかわからない。


今年の最大の出逢いもそんな風だった。


今年の最大と言ったけれど、過去最大と言ってもいいかもしれないぐらいの出逢いだった。


私は出逢いを全く期待していなかった。


出逢いの「で」の字すら思い浮かばないぐらいの状況にいた。


そしてこれまでの私なら、100%その状況では出逢いに対して動くことはなかった。


本当にすべてがおかしかったし変だった。


私は自分が時々思い付きで突拍子もないことをするというのは知っている。
過去を振り返ってみても、あぁこんなことする人が世の中に何人いるんだろう?なんてことが幾つかある。
その中でも過去に類を見ない変わった行動に私は出た。
当たり前だけど動いているのは自分。
そうしようと決めているのも自分。
だけど、動くのも決めるのももう自分の意志とかとは関係のないところで、もっと突き動かされるようにどんどん進んでいく、そんな感じだった。
心の方が先に出発していて、体はそれに追いつこうと必死だった。
何度も「自分、どうしたんだろう?」って思った。


そして予兆するかのように、1年前の私はその出逢いのすぐ近くまでまるで下見にきたかのように何度か行っていた。
当たり前だけど、下見に行ったわけじゃない。
その出逢いとは全く無関係の一度っきりの用事ができたからその都度行っていたに過ぎなかった。
まさか未来の出逢いに共通するところに何度も自ら足を運んでいただなんて知る由もなかった。


C子やSさん以上に、私の中では「この人と人間的に深く関わることはないだろう」と当初思っていた。
多分人生で他の誰よりもそう感じる相手だったかもしれない。
共通点もなければ接点もない。
そう、「ある」ことより「ない」ことの方が多かった。
あるのはただ目の前にいるだけ、と言ってもいいぐらいの相手だった。
なのに意味不明な影響力や存在感を持っている人だった。
ただそこにいるだけで影響を及ぼす人なんてそうそういない。
そんな人に出逢った。
ただいるだけでいい、そんな人だった。
でも、人生の中でこれほどまでに他に類を見ない出逢いもなく、それが人生80年と考えた時の一瞬の時間にしか過ぎないものでも、私の中では

奇跡の再会


*2017年初夏
 
その日私は一気に4枚の名刺をもらった。
そのうちの1人の名字は、人生で初めて見た名前だった。
よく聞かれるのだろう、手書きで読み仮名を振っていた。
だけど、私の中で強烈な印象を残したのはその変わった名字の人のものではなかった。
どの文字や名前も特殊なものはないのに、ある一文字だけが際立っていた別の名刺だった。
その一文字を見て、「あ、H子さんと同じ字だ」と真っ先に思った。
4枚も一気に名刺をもらうのだから、当然バタバタとしていた。
現実的に余裕など1ミリもなかった。
なかったけれど、強烈にH子さんが一瞬記憶の奥の方からやってきて、当時はそれが何なのか気にも留めず、私はその余裕のない現実へとすぐに戻っていった。
 
 
*2017年 暦は立秋・体感温度は真夏
 
その頃から私は過去の色んなことが時折頭をかすめていた。
H子さんと同じ漢字の人の存在感が日に日に大きくなるのと同時に、H子さんのこともちょいちょい頭に出てきていた。
H子さんは、20代の頃一緒に働いていた同僚の同年代の女性だった。
私の方が年上なのに、H子さんはすごくしっかりしていて、本当に色々と助けてもらっていた。
明るくて朗らかで心がとってもまっすぐで、みんなから好かれるようなタイプの可愛らしい女性だった。
だけど、H子さんが女としてしあわせな道をどんどん歩んでいく横で、私の当時付き合っていた人との関係は日に日にひび割れて行った。
修復もままならなければ、別れも決意できず、1人で猛烈にもがいていた。
そのうちに私はH子さんを避けるとまではいかなくても、しあわせな彼女の話を尋ねたり、それをさりげなく会話に入れるというのが苦痛で仕方なくなった。
彼女は決して自分からそういうことを話したりする子ではなかった。
だから彼女から何かを伝えることは全然してこないけれど、周りは彼女のしあわせなことを普通に自分の身内の喜びのように話題にしていく。
第一子を妊娠した彼女に対し、周りは彼女と彼女の赤ちゃんを大切に大切にそれはしていた。
もう私にはそうできるほどの余裕など全くなく、極力接点をたくさん持たないように、それだけに注力していた。
すごくおめでたいことなのに、私はさりげなく体調を気遣ったり笑顔で彼女の今を日常会話として聞くなんて言うことは、自分の心が壊れそうなところまできていたから全くできなかった。
さぞかし冷たい人に見えるだろうと思いつつも、もう自分で自分を守ることに精一杯だった。
最後の最後までその辺りうまく立ち振る舞えないまま、彼女が産休に入るタイミングで、そのまま彼女との同僚生活も終わった。
赤ちゃんが生まれてからは他の女の子たちとお祝いも兼ねて訪ねたし、私が退職する時にはわざわざ駆け付けて挨拶にも来てくれていた。
本当の本当に素敵な女性だった。
だけど、自分のことで発狂しそうな関係を持っていた当時、私にはもっとうまく立ち回れるような大人の対応力はもう残っていなかった。
彼女がどこまでそれに気付いていたのかはわからないけれど、私の中ですごく後味が悪かったのは本当だった。
もう10年も前の話だけれど、私は今彼女に謝りたい、そんな風に思ったのが今年の真夏の時期だった。
謝りたいとは思ったものの、実際にどうやって彼女に会うのかなんていう具体的な策もなく、そして今の連絡先もわからずじまいだった。
 
 
*2017年10月 晩秋
 
その日に起きたことは、もし神様がいるとしたら神様のしわざとしか思えない位の偶然をいくつも私の元へ運んできた。
2時間強かけて行ってきたとある大きなショッピングセンターで、たまたま催事をしていた。
その催事は、その人を見てメッセージを書で書いてもらうというものだった。
普段の私なら素通りする。
だけどその時だけはすごく気になって、会場の周囲に飾ってあったその人個人のメッセージ調の書をいくつも眺めてはどうしようか迷っていた。
その前日、普段している仕事とは別の小さな仕事でちょっとした小銭を手にしていた。
その仕事で得たお金に関しては、形に残るものとか自分が長く使うものとか、又は誰かに贈るものとかそういうものに使うことを自分で決めている。
そのお金は、そこで書を書いてもらう値段にものすごく近かった。
書の方が300円だけ安い、そんな風だった。
10分位悩んだ後、私は結局そこで書を書いてもらった。
私は感じたままに書いて欲しいとだけリクエストした。
そうしたらまさか自分の生き方とか使命に関わるようなことをその場でもらうことになるとは思わず、私はそこでボロボロと泣いてきた。
私の生き方をこんなにも端的にわかりやすく、そして何を軸にして生きているのかをスパッと説明してくれ、言葉にして書いてくれた人は、その人が初めてだった。
 
感動もそこそこに本来の買物の方の用事を終え、いつもとは違う道で帰ることにした。
いつもとは違う道で帰るのは、単純に思い付きだった。
別にいつもの道でも問題ないのに、むしろそちらの方が交通量が少なくてスムーズなのに、あの時だけは違う道で帰ろうってなぜか思った。
そうして車を走らせること10分15分、なんと秋も深くなった夜空に大輪の花火が舞い上がっていた。
ここには書いていないけれど、あまりにも摩訶不思議なことが他にもたくさんあった1日だったから、最初とうとう幻覚でも見るようになったのかと自分の目を疑った。
だけど、花火は1発、また1発と間を空けながらもどんどん上がっていく。
どうやらどこかの地区でのお祭りのようで、たくさんの打ち上げ花火が上がっていた。
私は路肩に車を止めて、しばらく花火観賞をした。
大切なメッセージをもらった直後でもあったから、「この今進んでいる道で正しいですよ」と祝福されてるような肯定されてるような、そんな気持ちでいっぱいになった。


 
花火が終わりらしくしばらく待っても何も打ち上がらないのを見て、また車を走らせ始めた。
だいぶ家に近くなった頃、普段の通勤でも通るスーパーの半額祭りの時間じゃないかと思い立ち、そのスーパーに立ち寄った。
言葉の通り、私は半額のものたちや大幅値引きされているだろうものたちを期待して立ち寄ったに過ぎなかった。
一通り店内をパトロールし、あとはレジで精算するだけという頃。
数メートル先に見覚えのある顔があった。
一瞬、他人の空似かと思ったけれど、向こうも私のことをじっと見ている。
それは10年ぶりの再会とは思えない、全く変わっていないNさんだった。
Nさんは、H子さんと私の同僚だった女性で、当時は色んな話もしたしみんなで予定を合わせてご飯にも行ったりした。
Nさんはもう1人の当時の同僚Wさんとは今でも時々会うらしく、最後に私の方からもし今度Wさんと会うのであれば私も混ぜて下さい!などと言って、連絡先を渡した。
正直私は連絡先を渡すかどうか迷った。
当時は、Nさんはいわゆる後輩的な立場で、私の方が年齢と勤続年数で先輩的な立場だった。
私が連絡先を渡したら負担じゃないかなとも思ったし、じゃあさよならと言って立ち去るのも変だった。
迷ったけど、とりあえず連絡先だけ渡すでもいいか、と思い渡してきた。
そして後日、Nさんから今度みんなで集まりましょうとメールが来た。
 
 
*2017年10月末 伯父が亡くなった週
 
Nさんから、みんなで再会するために調整できた日の連絡がきた。
「11月××日、○○店で6人で予約取っています」とあり、6人も誰がいるのか皆目見当もつかなかった。
それでNさんに6人とはどんな6人が集まるのかを聞いた。
Nさん、WさんとWさんの2人の子ども、私、そしてなんとなんとのH子さんだった。
Nさんはもう何年も会ってないですと言っていたH子さんにも連絡を取ってくれていて、H子さんもその日会える運びとなっていた。
再会はこれからだけれど、あの名刺をもらった日から今に至るまで、H子さんと再会を示唆するように記憶がよみがえったりしていたことを思うと、何とも不思議でたまらない。
H子さんに謝るんじゃなくて、今また再会できること、その時間を一緒に楽しんだらいいんじゃないかと今は思っている。
もしそれを伝えられそうな瞬間があれば、そっとさりげなく言葉をかけられたらいいなぁとは思っているけれど、せっかくの再会に重たいものは持ち込まない方がいいんじゃないかと考えている。
 
 
*名刺の謎 2017年11月初雪
 
この夏にもらったあの名刺はまだ私の手元にある。
私は先月亡くなった伯父の葬儀の最中、実にびっくりしたことがある。
家族葬に近い形での小さなお葬式だった、
セレモニーホールの祭壇の両脇には、花がいくつか飾られていた。
その1つがいとこ(伯父の娘)の旦那さんの名前で、私はその名前を見て驚いていた。
その名刺の名前から「一」を引くと、その旦那さんの名前になる。
字も全く一緒。
その偶然にも驚いたけれど、その旦那さんの名前を見てH子さんを連想したことなど一度もなかった、逆に言えばあの名刺の時だけ異常なほどH子さんの存在が浮かび上がったことにもっと驚いた。
私はそのいとこの旦那さんの名前は何度か耳にしていたし、そして漢字についても年賀状が両親に毎年届いたのを見ていたし、いつかの年は私にも届いたから、見たことないわけじゃなかった。
だけど、私はその名前を見てもただの一度もH子さんを思い出すなんていうことはなかった。
 
さらに昨日(11/18)、もっと驚いたことがある。
私はこの10年の中で、H子さんと全く同じ漢字の同じ名前の女性と出会っていた。
しかも、その女性は仕事ですごくお世話になった方で毎日顔を合わせていた。
彼女の名前も必然的に毎日のように目にしていた。
だけどただの一度も私は彼女とH子さんが同名だなんて思ったことがなかった。
全然結びついていなかった。
そう同じ名前の人に出会っても全然記憶をかすめず、なのにただ漢字が一文字だけ一緒というだけでなぜか強烈に記憶がよみがえる、その差は何なのかと思う。
あの名刺の時だけ、もちろん名刺を渡されるような時にフルネームで自己紹介されるなんてことは普通ないから、たしか名字だけの自己紹介に終わっていたかと思うけれど、何だか知らないけれど、やたらと印象に残る名刺だった。
 
そんな風に思い出すと、あの名刺には「これから人生の中の大切なことが起きますよ」のサインでも隠されていたんじゃないかと思う。
事実として、その人の名前には実に色んなヒントが隠されていた。
H子さんだけにとどまらず、過去の色んな出来事に関わっている人たち数人と同じ漢字や名前だったりする。
そんなことは名刺をもらってすぐには気付かず、後から思い出した色んなこととその名前がなぜかなぜかリンクしていて、何度も度肝を抜かれた。
なんなら、父方の祖母の旧姓の一文字と同じ漢字が含まれていたりする(この旧姓は武士俣と並ぶくらい変わった名字だと思う)。
それはそうと、過去の大切なことも心痛いこともそれぞれと関係する関係者たちの名前を少しずつ合わせていくと、その名刺に印刷された名前と見事にマッチする。
その摩訶不思議な真実に気付く前兆として、あの名刺をもらった時のなぜか妙に印象に残る感じが存在したのじゃないかと思う。

涙の種類

「女に生まれて良かった」と普段そんなことを思うことはないけれど、自分が泣く時は「女で良かった」と思う。

最近は、泣ける時に泣いている。

数年前から私はある種の泣き力を手に入れた。

それは、過去に流せなかった涙を今の時に流すという力。

泣けなかった当時は、色んな理由で泣かない。

我慢して泣かないこともあれば、感情が凍結して泣かないこともある。

もちろん他の理由で泣かないこともある。

そうした涙たちを、今になってきちんと流せるようになることがある。

最近は特にそういうことが増えてきたから、だから当時の記憶がよみがえってきた時はかなり積極的に泣いている。

そうすると気持ちもすっきりするし、過去も癒されるし、また次に進める、そんな風に感じる。

 

最近色んな涙を流してみて、「涙にも色んな種類があるんだな」と泣きながらぼんやり思う時があった。

人を想って勝手に流れてくる涙もあれば、過去の辛かったことを思い出してその時の気持ちを再現して流れてくる涙もある。

行き場のない気持ちを涙が代弁してくれることもある。

涙を流せば流すほど、無限大に種類のある涙を前に、色んな涙を流せるようになったことにただただ感動する。

 

そんな折、ふと「男の人ってどうしてるんだろう?」って思った。

これは私の個人的な持論だけれど、基本的に男の人の方が涙もろいと思う。

私が子どもと関わる仕事をしていた時のこと。

ある年齢までは圧倒的に男の子の方がよく泣くしすぐ泣く。

それは子どもを産む力を持つ女特有の強さなのか単なる女の遺伝子の強さなのかはわからないけれど、女の子たちは男の子ほどには泣かない。

むしろ女の子たちは小さな頃から泣いてごまかす術をなぜか本能的に持っていることが多くて、私は女の子たちによく「泣いてもだめ、だめなものはだめ。泣いても許されないんだからね」とよく言っていた。

私がそういう駆け引きが通じない相手とわかると、女の子たちは泣かなくなる。

その点男の子たちは、とにかく少しでも痛みや苦しみや不都合が生じるとすぐ泣いていた。

別にごまかそうとしているんじゃなくて、「あ~ん、どうしよう?わかんない!どうしていいかわかんない!」という感じの泣き方だった。

男の子の方が、とても純粋に自分の痛みや苦しみ悲しみに純粋に反応しているように私には見えた。

だけど、これもある程度の年齢までで、何年と同じ子どもを見ているとある時から男の子たちは泣く回数が減るのがはっきりとわかる。

そして年齢がある程度に達すると泣かなくなる。

それは精神的にタフになったんじゃないと思う。

「泣くことは恥ずかしいこと」「男は泣いちゃだめ」みたいなそういう社会的風潮を学んでいく、その過程で泣く回数が激減するんだと思う。

だからまだギリギリ泣ける男の子たちとは、私はよく一緒に泣いた。

気持ちを少しでも共有することが大切な気がしていたから。

そして私は一度として男の子たちに「泣くことは恥ずかしいこと」とか「男は泣いちゃだめ」なんていうことを言ったことも思ったこともなかった。

同じ人間なんだから、泣ける時は泣かないと…と思っていた。

 

話は戻して、成人男性。

本当にどうやって泣きたいような気持ちを自分の中で解消しているんだろうと思う。

泣かなくても日常生活には支障がないと思う。

私が過去の涙を流さずに何年も何十年も生き長らえるところを見ても、別に泣かなくても生活はできる。

でも、「泣かなかった=解決できた」ということではないことをよく知ってる。

単に感情を押し殺しただけのことも多々ある。

そういうものって、一体どうやって自分の中で折り合いをつけていくんだろうと思う。

 

そんなことを思って運転していたら、突然過去に学んだことがヒントとして出てきた。

世の中に存在する音の種類は全部で13種類ある、とのこと。

ドレミファソラシの7個と、黒鍵にあたる5個(シャープやフラットの部分)、足すと12個。

じゃあ13種類目の音は何でしょう?と講師の方は楽しそうになぞなぞを出した。

まさかと思い「無音ですか?」と聞いたら「ご名答!その通り!」と言われた。

「音がない状態」それが13種類目の音だと言う。

 

これ、涙にも言えるんじゃないかと思った。

固体として流される涙と、そして流さない涙、その両方を涙とすること。

流さない涙も涙としてきちんと存在していること。

それは目には見えない涙だけれど、きちんとひとりひとりの中に持っている「涙」だと思う。