2022年7月16日土曜日

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ドミニカ時代から愛用しているスペイン語のミニ辞書
セサミストリートのシャーペンは中学の頃から
今は職場で日々使っている

引用元:石井ゆかりさんの公式ブログ
『石井ゆかりの星読み』のスクショ



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「コンパルティール」と読む。


スペイン語で「分かち合う」とか「分ける」とか「共有する」という意味になる。


スペイン語の中でも特に好きな単語で、ある時に友達とcompartirについて話した時、この単語って本当にいいよねと言い合ったことがある。


compartirは分けると、comとpartirに分けられる。


前半のcom(con)は英語で言うところの「with」、「一緒に」という意味になる。


後半のpartirはpartという単語が入っているところからも連想できるように、「分ける」という意味になる。


「一緒に」と「分ける」が一語になったcompartirは「分け合う」となる。


1つのものを誰かと分け合うという意味をたった1つの単語で表しているところがなんとも憎い。


今日のタイトルは、うんと前から書こうと決めていて(多分ここ1ヶ月くらい)、まず最初に言葉の説明をしようと計画していた。




*




これは通算6度目の夏に立って初めて生まれた心情で、ここまで来れて良かったなと自分では思っている。


2017年の夏、当時の私にはそれはもうものすごいインパクトが日々あって、そのインパクトをもたらす主はイケメン上司だったわけだけど、それは全てにおいて私側だけに起きていたことでイケメン上司からして私などいるのかいないのかわからないような人だろうとずっと思っていた。


イケメン上司としゃべらないだけじゃなく、1日8時間?7時間半?いる中でほとんど誰ともしゃべらずに黙々と仕事をするだけの私は、存在感のない派遣でしかなかった。


そんな人から突然ごはんに行きたいだのと言われたら、ホラーだなぁと今でも思っている。


心中お察しします、とイケメン上司に声をかけたくなるくらいの状況だとずっと思っていた。


世間一般では誘われたら嬉しいとかいうのはあれは嘘だと思う。


誘われて困惑、混乱、迷惑、負担になることもある。


下手したら嫌がらせになることだってあると思う。


イケメン上司の反応を見て、私はどこをどう見てもイケメン上司が喜んでるとは一度も思ったことがないし、本当の本当にやらかしたな自分、と自責の念こそ湧けど良かったなどとずっとずっと思えずにいた。


今も良かったとは思えていない。


そこは変わらない。


だけど、ほんの少し変わったところがある。


当時のことは、私には本当に色濃く細部の細部まで記憶に残っている。


一生モノの記憶だと自分では思っている。


それは私側だけの話で、イケメン上司側には多少のインパクトはあってもそれこそ無かったことににしたいとか消し去りたいようなものならまだ「意識にある」からマシな方で、特段何の意味も記憶も残らない時間だったんじゃないかなとずっとずっと思っていた。


私がごはんに誘ってくるとか怪しげな分厚い封筒を机の上にポンと置きにくるだとか、そういう想定外過ぎることは記憶に残っても、それ以外の何てことない、特筆するようなことが何もない日々は何にも記憶として残っていないんじゃないかなと、そんな風に考えていた。


私がいたかいないかなんて記憶の片隅にも残らないだろうし、私が自ら動いた部分はあまりにも突拍子もなくてインパクトがありすぎて良くも悪くも記憶に残っても、それ以外は本当に静かにしていているのかいないのかもわからないみたいな人だったから、私には色んなイケメン上司の姿が今もなお残っていても、イケメン上司にはインパクトのあるところ以外は私にまつわるものは何も記憶にないんじゃないのかとずっと思っていた。


今でもそれは思っているし、まぁそんな高望みをしても仕方ないから、そこは仕方ないと何の抵抗も疑問もなくあっさりと割り切っている。


でも、5年近い時間をかけて、独り言のようにぶつぶつと当時の色んなシーンを言葉に起こして、さらにはブログにアップしてということを数えきれないくらいに繰り返したおかげで、そしてそれらに目を通したであろうイケメン上司側の行動も重なって、イケメン上司の方にも多少の景色が薄ぼんやりとでも記憶に定着してくれたと思う。


私にしか見えていなかったものがイケメン上司も半強制的に見せられて、読めばもれなく当時のシーンが再放映されて、うっすらと何かが頭に思い浮かぶかもだし、ものによってはくっきりはっきりと記憶にあってそれが引き出されることもあっただろうと予想している。


心の温度差とか同じシーンでも私側とイケメン上司側とでは全く違う景色となっていても、少なくとも同じ時空間を共有した同士には変わらない。


何かしらの形で私もイケメン上司の記憶に残れたのなら本当にとっても光栄だし、それがあるのなら私側もずいぶんと救われる。


これまでは「私の独りよがり+大迷惑」でしかないとしか思えなかった当時のことも、どうやらイケメン上司も嫌ではなかったんじゃないかと思えるようになった。


嫌ならこのブログは絶対に見ないし避ける。


私は自分が普段から色んな人たちのブログを読むからわかるけれど、少なくとも私は「この人の文章、無理!!!」ってなると一切読まないし見ない。


中には気に入って読んでいてもある時から受け付けられなくなって読むのをやめたブログもいくつかある。


イケメン上司がどんな気持ちで私のブログを見ているのかはわからないけれど、少なくとも嫌がられてはいないとようやく思えるようになってきた。


それは今日1回ぽっきりとかではなく、このiPhoneに入っている下書きの数をざっと数えても740個、以前のパソコンからアップした分も含めたらこの5年の間に800とか超えてるだろうアップした分を積み重ねて、そしてどうやらその回数に等しいくらいにイケメン上司も見て触れてきただろう私のぶつぶつ独り言に付き合ってもらったわけで、それが私の中で嫌がられてはいないと信じられるだけの回数になった。


本当に嫌ならさすがにそんな回数イコール時間を使うなんてもったいなさすぎてできない。


ましてやイケメン上司は今も間違いなく何かしらの管理職だろうから、絶対的に忙しい。


忙しい毎日の中で少しでも私のブログを見る時間を作るというのは、ある程度の優先順位が高めでないとそんなことしている暇なんかないと思う。


読んでの通り、読んだからと言って心が軽くなったり元気になったりするようなものじゃない。


単なる一個人の完全なる独り言で、見てもらっていてどの口が言うのかと思うけれど、本当に何かためになるようなものじゃない。


なのに見てもらえるだなんて本当に有り難い。


これもある種のcompartirかな…と思う。


ある時、同じ時間、同じ場所に居合わせて、とりあえず顔を見たら「イケメン上司さん」「武士俣さん」くらいは知り合う状況がもたらされて、その間にあった色んなことが今でも私の中にはくっきりはっきりと残っている。


私の個人が見ていた景色は私にしか見えていなくても、ただただ同じ場所に同じ時間、時間と言うよりも同じ時代に立っていた事実は変わらない。


感じ方と受け取り方は違っていても、切り取られた同じ場所と同じ時間に居合わせることができたことは永久不変で残ってくれる。


何かをシェアした、compartirできた、compartirできるものを持てた、そのことはこの先の人生でも確実に私を支えてくれる。


イケメン上司的にはあまり好ましい解釈ではないかもわからないけれど、解釈は個人の自由だから、私はここに書いたような解釈でこれからはいきたいなと思っている。


compartirの片割れがイケメン上司で本当に良かった。




*




「ちゃんといてくれる安心感」

(石井ゆかりさんの2022/7/13の星占いより)


言葉としてとてつもなくおかしいのは重々承知で書くと、イケメン上司がブログを見てくれることは、私にとってイケメン上司が今日もどこかにちゃんと生きて「いて」くれることとイコールになっている。


決して私のためにいるのとは違うけれど、この世のどこかにいることがわかる。


これだけ長い時間を積み重ねてみて、そこから得た安心感はどれほどだろうと思う。


私は元々安心感の乏しい傾向が強い。


私の場合は自覚がなく、占星術の講座の申込みをした時(2018年春)に初めて先生にわかりやすい言葉で指摘されてそれでようやく「あ、なんか思い当たるかも」となり、さらには今1年生になった姪っ子の成長をコンスタントに見れて、そこでとにかく愛情いっぱいに育つとどう心が育まれるのかということを目の当たりにして初めて感覚的にもわかった。


私だってもちろん大切にはされて大きくなったわけだけど、親の不安を感覚的に知っていたり、社会への不適合具合が著しくて、変な不安や不安定な感じがデフォルトなんだと30代も終わり頃になってようやく気付いた。


もちろん悪いことばかりじゃなくて、それがあったからこその伸びしろや色んなことに対して安心できるように自分に配慮する術も手に入れられたけれど、まぁ基本が不安の上に立ってぐらぐらしている風だから、けっこう気をつけていないと一気に不安に飲み込まれる。


とかいう基本的な性質を持った私が、イケメン上司に会えるわけでもないし好意を持ってもらっているのとも違うし、なんなら嫌がられている疑惑まであって、私ストーカーですか⁇ぶりにヤバいんじゃないかと思ったりもして、ってな中でイケメン上司がいてくれる感覚というのは本当の本当にすごい。


何か具体的にしてもらえたわけでもなく(ブログは別として)、もしかするとイケメン上司の隣りには大切な誰かがいつもいるかもしれないし、本当に普通といわれるものさしで見たら私なんかは無い無いだらけになってしまうけれど、どうしてだろう、イケメン上司は私の中にいつもいる。


これを書き始めた翌朝、夢の中にイケメン上司が出てきた。


夢の中ではイケメン上司と私とは言葉を普通にタメ口で交わすくらいの親交度で、少なくとも出張なのか遠方への長期滞在なのかを伝えられていってらっしゃいと見送るくらいの立ち位置に私はいた。


家からじゃなくてどこかの事務所みたいな感じだったから、夢の中でもイケメン上司は私の上司とか仕事の関係者で私も私で事務員なのか何かだった。


イケメン上司はボストンバッグみたいな宿泊用のかばんを肩にかけて、そして腰あたりに位置するかばん部分に手を置いていた。


私はその手を見て「これ、本当に◯◯さんの手?」と瞬時に思った。


私が知っているイケメン上司の手はひと回り以上大きくて、爪の形や指の形にもなんだか違和感だった。


思わず手を見てから顔をもう一度見て、顔はイケメン上司なのに手は本人の手とは違うように感じた。


ほどなくして目が覚めたけれど、私はその夢の中の自分の感覚に驚いた。


私がイケメン上司の手を見れた時というのは一度きりで、しかも時間にして1分とない。


今でもはっきりと覚えているけれど、イケメン上司が珍しくとある現場に現場要員として行くことになって、そのための事前準備的な意味だと思うけれど、現場の資料のファイルが見たいと言われたのかこのファイルたちですか?みたいな感じで聞かれたのか、その辺りは忘れたけれど、とにかくそんな風にしてファイルを必要とされた時があった。


で、私はどういうわけかその中の1つの現場だけすぐにはファイルを作らなくて何かのついでの時でいいやと放置していた。


まさかイケメン上司がそれらを必要とするなんて想像さえしていなかった私は、慌ててその放置したファイルも急いで作って、それをイケメン上司の席に直接行って渡して見てもらった。


要るのか要らないのかわからなかったのと、私が見ても薄いファイルなのはわかったから、イケメン上司が見終わるまで私はその場で待っていて、その待っている間にイケメン上司の手をガン見していた。


イケメン上司は資料見てるから私が何してても気付かないし、こんな素敵なチャンスが舞い込むなんて、私のおサボり、スーパーファインプレイ!!!と1人で超盛り上がっていた。


とかいうその時1回きりしか見てないから、記憶としてはかなり薄いだろうものなのに、なのになんだかそこはすごい記憶力が発揮されて、5年も経ったある日の夢の中で私はイケメン上司の手を見て違うと瞬時に判断できるってすごいなと思った。


私の記憶力のすごさの方ではなくて、それだけ記憶に残るイケメン上司の存在の方のすごさが際立っていた。


少し話が逸れたけれど、いつの時も普通にある、存在しているイケメン上司の存在感は、私にとって不動の安心感と安定をもたらす。


私のためにいてくれるのとは違うけれど、それでもいてもらえることは私の心を強くする。


そして、石井ゆかりさんの言葉「ちゃんといてくれる安心感」、そういうものを私は享受している。




*




今回のことを書くにあたって、イケメン上司がいなくなってから数ヶ月くらいの間だったと思うけれど、ある時高校からの友達に会った時にその友達が言ってくれたことを思い出した。


ちなみに彼女は私以上に物事に対して疑い深く、さらには自分の感覚などまるで信じられないという人だから、安易に何かを言ったり相手を喜ばせるために何かを言うとかは一切しない。


そんな彼女がイケメン上司の話を私がした時にふと言った。


「みんな覚えている。◯◯さんは、ぶっしーがいた時の色んなこと、みんな覚えている」


友達は何の根拠もないけれど、突然そうだと感じたのとその感じたことに何の疑いもなくてポッと出てきたみたいな説明を付け加えていた。


普段の友達がどんな風かわかるだけに、きっぱりと言い切ってそしてまさに会ったこともない誰かのことをその人の立場でのことを言うなんて、普段だったら絶対にない。


だけど友達は「そういう感じ。どうしてと聞かれてもわかんないけれど、ふっと出てきた」みたいなことを言っていたと思う。


言葉としては嬉しかったけれど、その時の私はまだまだ色んなことに対して超懐疑的で、友達が嘘を言ったとも思わなかったけれど、かと言ってそうだとも素直に思えなくて、何とも言い難い気持ちで聞いていた。


たしか彼女のペンジュラムでも私のペンジュラムでもYES NOを聞いて、双方きれいにYESが出たんじゃなかったかなと思う。


とかいうことを、今回突然思い出した。


あの時は超半信半疑というか、全く実感の伴わない、摩訶不思議な話という感じだった。


けれども、今はもしかしてそれもあながち嘘じゃなくて本当かもしれないと思う。


イケメン上司の目に私がどんな風に映ってその当時の景色がどんなだったのかはさっぱりわからないけれど、意外にも何か色んなことを覚えているのかもしれない。


少なくとも普段から静かにしている分、色んな景色や人間模様なんかが見えているのじゃないかなと思う。


本人自ら静かに観察しているかもしれないし、観察しなくても気付いてしまうタイプかもしれない。


いずれの場合でも、イケメン上司はけっこう色々見たり見えたりするタイプなのかなという気がする。


私にしてくれた超イケメン行為なんかは、その最たる例だと思う。


かなり気付きにくいこと(なんなら本人も気付いていないという天然ボケな感じ)になぜかイケメン上司はきちんと気付いて、私史上本当に最高にイケメンなことをしてくれた。


それだって、「気付く力」が絶対的にいる。


そういう風に考えると、色んなこまごまとしたことたちがけっこう記憶に残っているかもしれない。


ましてや魂繋がりなどとなれば、通常の人間関係では得られないような境地のインパクトや印象があっても不思議じゃない。


それが好ましいか好ましくないかはさておいても、インパクトの強度はかなり強いんじゃないかと思う。


もしそんな風に私や私がいた風景が何かしらの記憶に残るものとなっていたのなら、それが好ましくない方向でも私は単純に嬉しい。


記憶に残れるのならもはや中身は何でもいいとさえ思っている。


素敵な武士俣さんじゃなくていい。(そんなことはなから期待もしていない。)


「ゲッ((°Д°;))))、強烈Σ(꒪◊꒪; )))) 」でもいい。


何か印象として私が残るのなら、それで十分だと今は思える。


人生のある瞬間に同じ時間、同じ空間にいられたこと、そこで同じものを体験していたこと、感じ方や見え方は全然違っていても同じものに接していた事実は残る。


それが今の私に、5年経過した今も残っていることが、自分の芯の部分に大切なものをもたらしてくれる。


私の一方的な思い込みや勘違いでもそれでいい。


2017年の夏、たしかに目の前にイケメン上司がいて、そこに私も毎日行けたこと、イケメン上司がいる空間に私もいられたこと、それ以上でもそれ以下でもないけれど、それが私にとって自分の人生で最大の「生きてきた中で一番うれしいこと」だった。


次元の違う喜びで、あれはもう別格すぎて人生で二度とは味わえないと思う。


後ろ向きな意味で言っているのじゃない。


あまりにも別格すぎたから、その別格だということを言いたくてそのように言っている。


そしてそんな別格の異次元の喜びの瞬間たちが、どんな印象でもいいからイケメン上司の記憶の中にもあるのなら、それはものすごくうれしいことだし、そうだといいなと思っている。


compartirー共に分け合う。


5年経過した今年の夏に初めて手に入れた境地に今はホッコリとした気持ちになれている。

2022年7月11日月曜日

求ムラブコール

『求ムラブコール』というタイトルは、残業中に考えた。

金曜日、朝から血管がブチブチと切れそうな大至急の英訳依頼が来て、何がどうしたらいきなり資料の提供が決まって今日言って今日みたいなスーパー短納期になるのか、3年目となった今も全くもって理解に苦しむ。


星回りが強烈なのか、この1週間そんなことばかり続いていて、朝からわぁわぁと女性上司たちにもMr.ダンディにも文句を言い散らした。


Mr.ダンディなんかは慣れたもので「絶対に来ると思ってたよ(笑顔)!」と言って、ギャアギャア騒ぐ私をなだめいさめ、「大丈夫、きちんと(上層部の関係者に)話をするから」と言ってもらい、とにかくやらなきゃいけないからやり出した。


元々やる必要のある仕事はそのままスライドして英訳の後に残ったままだったから、そちらの仕事を午後からはやって、そして白目剥きそうになりながら眠い( ´Д`)..zzzZZとなりながらものらりくらりとやっていた。


そうしたら部長がやってきて、武士俣さん5分くらい大丈夫?と聞かれて、私の席のところで話をした。


会社の人事はよくわからないけれど、今の部長は3人目の部長で、元々個人的な趣味が似通っていて部署が違う時からおしゃべりをしていたから、過去最高に話しやすい上司が上につくという構図になっている。


私の身の振り方の話だった。


部長のさらに上司というか、会社の最高幹部に位置する1人からも私の今後の身の振り方を確認して欲しいと頼まれたと言われた。


次の3ヶ月更新が現状では最後の派遣契約になる。


会社の第一希望は正社員で残ってもらうこと。


この間ラブコールと題したどこかの記事に書いたように、辞めたい時にすぐに辞めれるようにするために、別の名称での派遣(今が事務なら次は営業事務みたいな)とか、あとよその部署の派遣さんで無期雇用に切り替わって3年経過後も残っている人がいるから、そういうやり方もあるんだと思う。


いずれにしても、会社からは熱烈に残って欲しい希望が出されていて、それに対してとりあえず11月までは残りたいと言っているけれど、それ以降はわかりませんと返している。


幹部側は今回とうとう「社員で残ってもらえるなら役職を付ける」とまで言ってくれたようだけど、現部長がすでに「本人に伝えはしますけど、武士俣さんそういうことに興味がないと思われるのと、そういうことになびいていくタイプの人ではないと思うので、そういうことをちらつかせても本人の意思は変わらないと思います」と返してくれていて、本当にその通りですと言った。


なんなら役職なんか絶対に嫌なので、欲しいとさえ思っていませんと返した。


「あ〜、やっぱりね(笑)!武士俣さん、絶対にそう言うと思った!」と笑われた。


「とにかく◯◯さん(幹部)から熱いラブコールが来ていて、それで私も何かしら返答しないといけないのと、私も本当の本当に武士俣さんに残って欲しいし一緒に仕事をしたいの」と言われた。


ちなみに部長からの打診は春先に続いて2回目で、次の時は必ず何かしら決断しないといけないわけだからその時は確実に返事をしますと伝えた。


あとは、とにかく次なる人員を育成するためにも誰かしらを雇うなりなんなりして置いて欲しいことも伝えた。


部長は最終的に、「さっきの話少し盛ってしまったんだけど、もし誰か新しく置いてもらえるなら残る可能性もあるかもしれませんって言っちゃった*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*」(←顔文字は大袈裟じゃなくて本当にこんな風)ってわざわざ教えてくれた。


これだけ書くとまるで私がとてつもなく優秀みたいな人のように聞こえるかもしれないけれど(←自分で言うあたりがすでに怪しい)、それは違う。


はたから見ると多分こんな風↓

・英語力がある

・きっちりと仕事をする

・至急案件も即対応で残業もできる

・上の人だろうがなんだろうが何かしら違和感があればとりあえず確認する


これだけ書くと、優秀な人材みたいだけれど違う。


英語力はさておいて、後半のきっちりとか即対応+残業可とか誰でも彼でも確認とかは、私なりの理由があってしている。


仮に「やらない」選択を私がした場合、もれなく体調不良という形で私に「やれよ!!!」の全くありがたくないパンチが送りこまれ、それはもう本当に何度くらってもよろしくないパンチで、具合が悪くならないようにするために否応なしにやらざるを得ないという。


あの人何であんなにクソ真面目にやってるのか!?と周りから見たら不可解な変な人なんだろうけれど、そしてそんな事実を知らない上層部からは異常なほどのモテぶりだけれど(モテたい相手が毎回違い過ぎる件(T ^ T))、そうじゃない、真面目に私は自分の健康第一にするためには、待ったなしの唯一無二の選択でやってるに過ぎない。


とにかくそんなこんなで、ラブコールがまた届くという金曜日。




*




やる気のないところに想定外のラブコールが届き、私は真面目に「どんな理由で辞めるのが一番スムーズで円満か」ということを考えた。


もちろん残業中に。


手よりも頭が動いて仕方なかった。


頭というよりも妄想が暴走と言う方が一番近しい状態だった( ̄∀ ̄;)。


私が考えたベストな理由、ベストと言うからには「最上級」、これ以上ない良い理由、「寿退職」!!!


それも、単なる結婚じゃダメで、「相手の人が県外で私も新潟を出ないといけないんです」のパターン。


めでたいし、物理的に勤務継続は無理だし、みんなが納得せざるを得ない素晴らしい理由。


「オカルトの世界でがんばります」だと、「それで食べて行けるの?」「趣味でやったら?」「ここにいたらお金が安定するから、合間にやるのがいいんじゃない?」とか、まぁいくらでも痛いところをつつかれる。


でも、「結婚が決まって県外に引っ越すことになりました」なら、「おめでとう!残念だけど仕方ないね」でまあるく収まる!


もう嘘でもいいから、結婚+引越しで新潟離れます、くらいしか何のひずみもなくスムーズに辞めれる流れはないんじゃないかと思った。


私が辞めると言えばもちろん辞めれるけれど、できるだけ円満にいきたいから、円満のトップはやっぱり寿退職(笑)!


ちなみに派遣だから単なる契約更新しません、というだけだから退職とは違うけれど、とりあえず会社側はこんな訳の分からないことばかりを言う私を引き留めたいというありがたいオファーをくれてるわけで、だから本当にきちんと対応しないとさすがにまずいというか気持ち良くないかなと思っている。


ただ。


相手もいない、婚活ももちろんしていない、そんな人があと3ヶ月4ヶ月で電撃結婚!とかゼロとは言わないけれど限りなくゼロに等しいわけで、とてもよい発想ではあったけれど実現率ゼロ%というところがどこまでも否めず、なんだかおちゃらけたおふざけみたいな感じで終わってしまった。




*




月曜日の午前中、妹とLINEをした。


忘れそう…と思って、母から頼まれた姪っ子(母からしたら孫)の鉛筆を買うにあたって、学校ではBなのか2Bなのかを聞くために妹に連絡をした。


母いわく、毎日鉛筆を削るからすごい速さで鉛筆が短くなるらしい。


そこで今2週間ほど金沢から帰ってきている間に、鉛筆を買って金沢に持ち帰りたいと母が言った。


買いに行くのは私だから、それで妹に連絡をしてみた。


妹からは2BだけどBでも大丈夫と返事が来た。


私が欲しい日常ってこういう日常だなぁと改めて思った。


子どもが使う鉛筆の濃さを即答できる、そういう毎日が当たり前にあるような、くだらない話に聞こえるかもしれないけれど、とてつもなく些細でどうでもいいことのように見えることを知っている、そして知っている先には自分以外の誰かがいてくれる、そういう生活に憧れて仕方ない。


私が仕事の何かをしていても、それがたとえ役に立つことで人から必要とされることでも満たされない理由は、そういう気持ちとも関係していると思う。


私が担当するものは会社の中でもかなり重要度が高いものなのはわかっているし、それがたまたま自分のできることと上手くマッチしていて何となく回っているのも重々承知している。


でも、どこまでも私の興味関心がない。


金曜日の超特急案件も、中身やら流れやら色々と気持ちがついていかないことばかりで面白くもなんともなかったけれど、唯一「いいな!!!」となるものがあった。


それは、その超特急案件に私同様に巻き込まれた誠さん(誠実な方だから誠さん)から個人的にメールをもらって、ただ一言私にありがとうを言うためにメールをくれたことだった。


ちなみに誠さんは超絶忙しい。


私が誠さんと最初にやりとりした時は今の役職に就いていなくて、冗談や愚痴なんかもおしゃべりする余裕があったけれど、今はスーパー激務でふざけたことをしてるような余裕が本当になくなった。


すんごい忙しいことはわかっていて、その合間に今回もちょっと確認を急遽してもらわないといけなくなって、お礼を言うべきは私の方なのに誠さんは私の完了報告メールにそっと返信をくれて、ありがとうを伝えてくれた。


そういうやりとりは本当に気持ちがやわらかくなる。


そして救われる。


私はそういうやりとりはとても好きで、もはや仕事は興味がなくてもそうした個人的な交流は毎回いいなと思っている。


そういうことにだけ興味がある私は、鉛筆の濃さとか食べ物の好き嫌いとか仕草とか癖とか口癖とか表情とか、そういうことを知るのにエネルギーを使いたいと思う。


人生間違えたわけではないんだろうけれど、自分が望むものと現実との乖離が毎回激しすぎて、自分は本当にこんなことをしたいんだろうか…という果てしもない無限ループのような問いにぶち当たる。




*




『求ムラブコール』はもう少し激しい内容に仕上がるかと思っていたけれど、時間を置いて書いたらずいぶんとマイルドな独り言に仕上がった。

2022年7月6日水曜日

連携バトン(希望的観測)

何が隠れているでしょう?

2022/07/03
紫陽花の見納め

イケメン上司と同じ職場だったSさんと見てきた

紫陽花の時期になると
互いにいつも思い出すと話をした。




数日前、友人ノムからぶっしーをノムの友達に紹介したいと言われた。

「僕の友達で彼女を探している人がいるから、ぶっしーどうかなと思って紹介したい」という意味の紹介じゃない( ̄∀ ̄;)。


ノムが友達から個人的な相談を受けて色々やりとりしたけれど、いまいち思った風ではなくて、そんな時に私が思い浮かんでそれで私に有料で電話でもメールでも私のやりやすいスタイルで個人セッションを友達にしてくれないかという内容だった。


とりあえずノムと電話で話した感じで決めたいと伝えてその時は終わった。


頼まれてからノムと電話するまで間2日ないし3日あったけれど、最終的に私はやらないと決めていて、その上で電話した。


やらない理由は、相談内容にあった。


友達自身のことなら私はやれても、さらにその先の違う誰かのことで、そして仮にその相談を引き受けたとしても私にはそれをする意味もわからなければ、仮にしたとしてもそれが何のためにもならず、さらには本人を惑わせたり変に依存させたりと悪いことしか思い浮かばなかった。


やることで相手が楽になるかもしれないだとか相手が今よりも心が軽くなるかもしれないだとか、そういう想像が一切できず、さらにはお金を払ってもらっても役に立たないのならお金をドブに捨ててるのも同然だから、私にはちょっとしたお小遣いになるかもしれないけれどノムの友達は無駄金を出してしまうことになるわけで、同じお金を出すならもっと友達が望む内容を提供してくれる人を探すか(それも個人的にオススメでは全くないにしても)、はたまた何も受けずに自力で何とかすることが一番だと思った。


ノムと実際に電話した時もそんなことを話して、最終的にやらないということで話がまとまった。


ノムも私がここに書いたような理由に全く同感だったし、2人でそれが一番いいよねとなった。


お断りの連絡をノムに入れてもらうことにはなったけれど、その理由を私が簡単に書いて送ろうかという話になって、それでノムにとりあえず書いて送るねと言って電話を終えた。




*




電話を終えた後、ブログのチェックをした。


『師走の近況日誌』というタイトルの記事が読まれていた。


私の場合、よほどタイトルに何かしらの意図や想いでも込めておかないと、タイトル見ただけじゃ何を書いたのか覚えていない。


記憶もかすらない( ̄∀ ̄;)。


師走の近況なんてもはや何を私は書いたんだろう?と思って、珍しく開いて中身を確認した。


どうやら1年半ぶり以上に読まれたもので、私にとっても「へぇー」な事実だった。


読み進めて、「これピッタリ!」と思った文章が出てきた。


ノムの友達にお断りするにしても、内容的にその友達もそこから何かを感じるかもしれない、そんなことを瞬時に思った。


とりあえず眠いから寝て、朝起きたらまた考えようと思った。


土曜日の朝5時台に目が覚めて、まずはノムの友達宛のお断りの言葉を綴ってしまおうと思った。


土曜日は丸一日引きこもって1日中ダラダラ過ごす予定になっていて、私の中で何か気がかりを抱えながら貴重なダラダラデーを過ごすのだけは絶対に嫌だった。


気持ち良くダラダラできるように、その言葉だけ先に書いてしまおう、と決めた。


布団の中で何行かの文章を書いて、そして最後に『師走の近況日誌』から抜粋した文章をコピペして、そして何回か書いた文章を読み返して朝の6時台に早々とノムにLINEで送った。


それで心おきなくその後の1日を、私は本当にダラダラとテレビの前で自分の枕を持参してゴロゴロしながら過ごした。




*




(『師走の近況日誌』より)


本人は問題に向き合っている風ではあるけれど、その問題は抱えていてももちろん苦しいけれど、たとえ本人が望む形に終着しても決してしあわせな結末にはならないだろうなぁという内容だった。


「同じだけ自分の時間とエネルギーを使うとして、そのことに向き合うことは自分をしあわせにしてくれるものなの?」


色々湧いてしまう感情や許せない気持ちはどうやってもすぐになんか消えないし、どうしても時間はかかる。


私はそれを捨てなさいとも思わないし、気が済むまでやるしか落ち着く方法がないだろうことも想像がつく。


なんだけど、そこまでやり切ったとして、その後何が残るのかな?と思った。


自分の中でやりきれない感情は行き場を失わないように自分の中でとにかくきちんと扱うことは絶対的に大事になってくる。


その感情が行き場を失うと、後々もっと面倒くさいし、自分にとっての苦しさや辛さも増す。


だからそこに向き合うこと自体は良いと思う。


だけど、同じ向き合うにしてもどう向き合いたいかは考えなきゃいけないことだと思う。


自分に向き合うだけ向き合っても、自分が擦り減るだけならそんなの自分いじめみたいで余計にしんどい。


向き合うなら本当に自分にやさしいやり方や自分がそうしたことに向き合った後「これをやりきって良かった」と感じられるような手段を選ばないと、自分が逆に可哀想な気さえした。




*




土曜日の夕方前にノムと電話をして、その時に友達から何か来たらぶっしーにも連絡するねと言われていた。


日曜日の朝、ノムが友達から来たLINEを私の方にそのまま転送してくれた。


最初ノムの友達は、仕事の合間に私からの文章を読んだらしい。


だけど、それ読んだら泣きそうになって、そして家に帰って落ち着いてから再度読んだとあった。


短い文面の中でも、私がもはや何を書いたのか忘れていた『師走の近況日誌』の文章が特に友達には響いたことがわかった。


もちろん、そんなことを意図して当時の私が書いたわけではなく、なんとなくおぼろげな記憶を手繰り寄せると、占星術講座の中で事例として取り上げられた相談で、でもその相談内容が私にはどうやっても理解などできなくて、実際に書いたように本人が望む形に終着しても決して気分も晴れないだろうし、しあわせを感じるのも難しいだろうと思った。


せいぜい、マグマのように噴き出ている怒りが少しでも減ったら御の字だよねというような内容だった。


(具体的な情報は書けないけれど、骨肉争いを裁判沙汰にしたとかそんな話だったと思う)


そんなことに対して、自分の中で思っていることをツラツラと書き綴ったに過ぎなかった。


まさかそれが2年くらいしたある日の未来、ノムの友達の心の琴線に触れて涙を誘導するようなものになるだなんて、全く想像もしていない展開だった。




*




実際に『師走の近況日誌』を誰が開いて見てくれたのかは知らない。


なんとなく、そして私の個人的な希望も含めて、イケメン上司かもしれないなと思った。


私とてこんな風だから、イケメン上司からすると、もっと自分が何かした感覚なんてないと思う、もし本当にそのタイミングでイケメン上司が見てくれていたとするなら。


恥を忍んで告白すると、休みの日でダラダラしている時なんかは、暇さえあればブログのチェックに余念がなく、少なくとも1時間あたり2回はチェックしていると思う。


何をしているかと言うと、イケメン上司がブログを見てくれたかどうかのチェックをしている( ̄∀ ̄;)。


生産性も意味もない、本当に「何それ?」状態だけれど、とにかくそのようにしている。(そして読んだとわかると心の中でガッツポーズ‎(◔‿◔)و←そもそもそんなに読まれないから、チェック回数に対して当たり回数が恐ろしく低い。)


ノムとの電話の直前にも見て、その時は少なくとも『師走の近況日誌』は読まれていなかった。


電話が終わった、それもまさにノムの友達の件に関して話した直後にブログをチェックしたら、『師走の近況日誌』が読まれたとわかった。


そして先に書いたように、タイトルを見ても何書いたかな?のハテナしか思い浮かばなかった私は、実際に開いて読んでみて、そしてそこからヒントを得てノムの友達に届けた。


それがまた「私→ノム→ノムの友達」と経由して、最終的にノムの友達にとって何か大切なものが伝わるという、素晴らしい流れが生まれた。


これ真面目にイケメン上司が見ていたのならすごいなと思う。


これだけダラダラと書いといてなんだけど、私は自分の書いた文章は相当気が向かない限り基本的に読み返さない。


『師走の近況日誌』なんて、タイトル見ただけで面白くなさそうだし、自分自ら開けてまで読むような内容じゃない。


うん、読まない。


仮にイケメン上司が開いてくれたとしても、イケメン上司もその中身が面白いとは思ってないんじゃないのかなと思う。


いずれにしても、奇跡的に1000以上ある記事の中からその記事がノムとノムの友達の件で電話している最中に選ばれて、そしてそんなことを何も知らない私が開いて読んだらなかなかに良いことが書いてあったから「これ使おう!」と意気込んで、そもそもノムの友達に何かしら書くというのもその電話の時に決まって、何もかも行き当たりばったりだったのに、これ以上ないくらいスムーズに事が動いた。


多分ノムの友達に届ける必要があったからそうなったんだと思うけれど、そのスムーズな流れが嬉しい。


これがイケメン上司がキッカケを作ってくれていたのならもっと嬉しい。←脳内がおめでたすぎる( ̄∀ ̄;)。


そうそう。


このタイトルはいくつか候補があって、私の中で「バトン」という言葉がすぐに出てきて、その響きにウットリした。


途中で「連携プレイ」とかもいいなぁと思ったけれど、これ言い過ぎだししかもイケメン上司が見たとも限らないから、脳内お花畑状態が激しすぎて却下した。


そして、そうだ!と気付いて(希望的観測)も末尾に付けようと思った。


だって本当にそうだという確証もなく、単なる私のめでたすぎる予想&希望だから、そこも確実にいるな〜と思った。


起きて支度しよう。


今日何するんだっけ?と半分寝た頭で昨日の夜の時間に頭を戻して気付いた。


今日仕事に行ってから一番にすることは、共用品のホチキスを私がどうやら壊したらしいということの謝罪と報告からだった( ̄∀ ̄;)。


バトンとか連携プレイとか言ってる場合じゃない。


クッションの効いた床に落とした後、何かいつもと違う感じになっていて、一度は使えたけれどやっぱり変だから直そうと触ってるうちに動かなくなって、これ以上触ったら本気で壊しそうと思って止めた。


すでに壊れてるかもだし、他の人が見たら直せるかもだし。


いずれにしてもやらかしたのは私( ̄∀ ̄;)