2019年3月7日木曜日

奇跡の果実* Lesson5『傷を癒す』


参照記事:『奇跡の果実(19)傷を癒す』←リンク飛びます

【はじめに】

前回の記事『(19)傷を癒す』を書いた後、心の傷に関して色々メッセージが出てきたので紹介します。

最初に、出てきたメッセージそのままを載せます。

それを読んだ時にふと浮かんだこととか体や心に広がる感覚があれば、それを何よりも大切にしてください。

若干内容がナイーブなので、各自で読む読まないや読み解き方を自分の調子に合わせて調整をお願いします。

次に、各メッセージの解説を付けます。

また多分長くなるので、どうぞお時間ある時に参考までにお読みください。

最後に、「傷を癒す」ことに関して今回受け取ったメッセージの影の立役者の話を紹介します。

1人は私が人生で初めて出会った当時9歳の男の子。

もう1人は、数年前に1人で心理セラピー的なことをしていたら、小学校1年生か2年生の頃の私自身が出てきました。

この2人の子どもが見せてくれた傷が、今回のLessonの根底に流れています。




* Lesson 5 傷を癒す *

Messages for All
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

・傷を有効活用する

・傷と一生付き合うと考えた時、どんな風に付き合いたいか
気持ち良く付き合う方法を探す

・傷は消えなくても癒す方法が必ず存在する

・傷を与えてきた人のことはとりあえず忘れる

・傷が運んでくるもの=自分に見せたい風景がある

・傷と向き合うこと=自分と向き合うこと

・傷は自分を守ってくれるもの

・傷は自分にとって何が大切かを教えてくれる
(=傷は何を教えてくれようとしてるんだろう?)

・自分のために泣いてあげられるのは自分
→自分を大切にする行為に繋がっている

・傷を悪者にしちゃいけない

・傷との付き合い方が超重要

・100%の解決を目指さないこと
→自分にとって、傷が邪魔にならないポイントを目指す

・“人が●●してくれたら”的な望みは捨てる
→これをすると、いつまで経っても、ずっと傷

・傷に向き合えば向き合うほど、傷に慣れて馴れてくる

・傷は人生に活かしていくもの

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



▷傷を有効活用する


生きていれば、何かしら傷は出てくる。

どこからともなく何かが出てきて、気付けば「傷」が誕生している( ̄ཀ ̄;;)。

前回の記事に書いたMちゃんは、言葉の凶器によって自分の心に深い傷を負うことにはなったけれども、それと引き換えに「自分の感覚」が感じられるようになって、「自分自身と繋がる」ことができるようになった。

傷は決して傷のままじゃない。

傷は必ずギフトを持っている。

しかも傷は大きければ大きいほど、ギフトも大きなものになる。

「有効活用する」というのは、「傷に隠されているギフトを見つける」宝探しみたいなものだと私は思っている。

そして、それは自分しか見つけられない。

傷を味わうのも自分だったように、ギフトという大きな恩恵を受け取るのも自分しかいない。

自分のためにそのギフトを受け取りに行こう。



▷傷と一生付き合うと考えた時、どんな風に付き合いたいか
気持ち良く付き合う方法を探す


最後に子ども2人の話をする。

2人の子どもはそれぞれ別々の傷を持っている。

一生消えることのない、死ぬまで抱えて生きていかなきゃいけないものだったりする。

私はさておいても、もう1人は超ヘビーで、この子は生まれた瞬間から死ぬ瞬間までその傷を自分の体に持って生きていかなきゃいけない。

そうしたどうすることもできない傷、そうしたものとどんな風に付き合うと自分が楽かな?って考えてあげたり、その考えを行動に移してみることが大切だと、私は自分を見ても思う。

傷を悪いものにしたりダメなものにしてしまうと、そんなものを自分が一生持っていなきゃいけないわけで、それはどう考えてもしんどい。

その傷と共存できるあり方とかせめて自分がその傷を持っていても普段生きていける方法を、自分のために持ってあげることが本気で大切だと、身をもって言える。



▷傷は消えなくても癒す方法が必ず存在する


傷は消えない。

薄くなっても完全になくなることはほとんどの場合ないと思う。

でも、これだけは言い切れる。

どんな傷にも必ず癒す方法が存在する。

それがどういう形でやってくるかは各傷や各個人によって全く違うプロセスになるけれども、それでも癒す方法は必ず存在している。

自分自身の何百という傷を私は癒してきたのと、何百という他人様の傷の癒しのプロセスを見てきたのとで、100%言い切れる。

『絶対に癒す方法があるよ』って。



▷傷を与えてきた人のことはとりあえず忘れる


これ最初は難しいけれども、傷のきっかけを作ってきた人のことは、とりあえず脇によかす。

相手に対して色んな感情が出てくるのは無視せずに1つ1つ消化していく他ないけれども、ただ相手をいつまでも見ていても、恨んでも、あいつが悪いとしても、絶対に傷は癒されない。

むしろ、変な執着を生んでもっと悪化する。

相手のせいにだけしているうちは、傷は癒されない。

しかも、多分大抵の傷は、傷を作ったり与えたりした側の人間というのは、そんなの覚えてない場合の方が多い。

そんな相手と戦ってもこちらが消耗して終わるだけだから、私は個人的にそんな無駄なことやめた方がいいと思っている。

たとえこれが家族やパートナーとかいうすごい近しい人で日々避けて通れない人間関係でも。

相手に向けるエネルギーを、自分の心の方に持ってくる。

自分が何で傷付いたのかや、どの言動や行動に引っかかっているのかを見ていく方が、本気で癒される。

一番難しいところではあるけれど、私が自分のためにやった心の癒しの時、どのケースの時も最後は自分の内側しか見ていない。

そこにしか答えや癒しの方法がないから。

そして、自分にきちんと向くようになると、相手や周りの人たちの反応が変わってくる。

日常は変わらないのに、起こってくる出来事が変わってくる場合もある。

これは外側を変えようとしても多分ダメで、自分の内側を徹底的に見ていくしかない。

この辺の話は超専門的になって、変な混乱を生まないためにもここでストップします。



▷傷が運んでくるもの=自分に見せたい風景がある


これは私自身のストーリーを伝えたいと思う。(この記事の最後の方)

私はその時まで、傷は傷でしかないと思っていた。

だって傷でしょう?みたいな。

だけど、その瞬間に立った時(ちなみに私は子どもの時の体験を頭というか心の中で追体験した)、私が自分の体を張ってまで守っていたものが何かというのを初めて知った。

自分が本当に人生で3本の指に入るすごい冷酷で強烈な虐(しいた)げられてしまう体験をしていた時、私は自分の中の感覚という感覚を全てストップさせた。

それは痛みを感じなくて済むようにしていたとばかり思っていた。

でも本当はそうじゃなかった。

感覚をストップさせてまで私は全力で違うものを自分のために守っていた。

それを知ったのは、その時から数えて25年後ぐらいの時だった。

そこで見たものは、本当に自分の命を生かしていくために、私が自分の小さな体と小さな脳みそで考えてとっさに取った行動だった。

でもそのおかげで私は生き延びたし、今これだけ沢山の色んな心が温まる体験も手に入れている。

そうやって、傷は私に色んな風景を見せてくれた。

しかも傷は、その風景やその後の大切なギフトに行き着くために、自分の盾みたいになってくれてる。



▷傷と向き合うこと=自分と向き合うこと


傷を見るというのは、最初慣れるまでは悶絶級に嫌な気持ち悪い体験だけど、それが不思議と慣れてくる( ̄∀ ̄)。

しかも、無視してる方がもっと自分に悪影響が出るとわかると、余計と傷に向き合う痛みより向き合わない痛みの方が大変とわかって必死に向き合うようになる。

傷に向き合わないと、傷は気付いて欲しいから、あの手この手で色んな問題を山ほど引き起こしてくる。

現実的に本当に困ることや頭の痛いことが出てくる((((;゚Д゚)))))))。

顔文字の『((((;゚Д゚)))))))』ガクブルさんにご登場いただいているけれども、こんな可愛いもんじゃない。

はっきり言って、息が詰まりそうなほど苦しくなる、傷とか大切なことから目を反らしまくると。

繰り返し起こってくる出来事なんかは、「いい加減おまえ気付けよ!」と自分の内側からのメッセージの他ならない。

とにかく、少しずつでも自分の傷に触れてあげると、自分の心の奥深いところは本当に喜ぶ。

無視されてないとわかるから、無視されっぱなしの時とは比べものにならないぐらい良くなる。

なんなら、向き合えば向き合うほど、傷が自分に協力してくれるようになる。

癒すための知恵や手段なんかを運んできたりする、大真面目に。

これは自分の内面を見ていないと絶対に気付けないから、だから自分の中を見てあげること、すなわち内観や内省、自己対話というものがめちゃくちゃ大切になってくる。



▷傷は自分を守ってくれるもの


これも私の子どもの頃の話の方がわかりやすいかなと思うからここではさらっと流して終わりにする。

本当に傷がしてくれてるのは、自分自身を守ってくれてる。

傷は痛いけれども、傷の奥側は本当に最後の絶対的な安全空間のごとく守られてる。

その奥にあるものを本気で守りたいから、外側だけ傷を負う。

普段はその外側の傷しか見えないからわかりにくいけれども、その奥はもっと大切なものを守り続けている、他でもない自分自身のために。



▷傷は自分にとって何が大切かを教えてくれる
(=傷は何を教えてくれようとしてるんだろう?)


上の話にも繋がるけれど、傷は自分が何か大切にしているものとイコールになっている。

傷が付くところというのは、それだけ自分が大切にしているものだったりする。

例えば、今回のOさん対私のことで色々あったことは、Oさんから言われた言葉の先には私が大切にしている価値観と相反したり、それが大切にされてないとわかって、それで私は最初怒ってた。

Oさんが関わったSさんやMちゃんの件で私が怒ったのも同じ理由だった。

何で私の大切な人たちを大切にしてくれないの?と。

でもそれらを言い換えると、怒ったことの先には傷があって、そしてその先には私が大切にしたい価値観がある。

例えば私なら、自分でさえも扱いに若干困っている自分の思い込みや苦しくなる思考パターンに土足でズカズカ踏み込まれたり、すごい軽い感じで言われたりすることが耐えられなかった。

でもそれだけ、自分のそういうことを私自身は大切にしてるという意味でもある。

SさんやMちゃんの件に関しては、私にとって大切な人たちを大切にされなかったことへの怒りで、でもそれはそれだけ大切な人たちを自分が持ててるということでもある。

上手く言えないけれども、傷は大切なものを気付かせてくれるこの上ないヒントだったりもする。



▷自分のために泣いてあげられるのは自分
→自分を大切にする行為に繋がっている


自分のために涙を流すというのは、1番の心の浄化になる、と私は思っている。

最下部に書く自分の子どもの時の記憶が鮮明に蘇って、なんなら私はその時の凍らせた感覚なんかも全部出てきたけれども、その当時私は本気で3日間暇さえあれば泣いてた。

泣いて泣いて泣きまくった。

その当時仕事をしてなかったはずだから、本当に家にこもってずっとさめざめと泣いていた。

こんなに泣けるんだ!?と思って自分でもビックリしたけれども、そりゃそうだよねと思った。

子どもの私は、なんと全てに蓋をしたから泣くことさえしなかった。

しかも1回2回じゃなくて何回も強烈なことが繰り返し引き起こされてしまったけれども、その中でただの一度も私は泣かなかった。

家に帰って親に心配かけたくなくて、家では普通に振る舞った。

だから泣けるタイミングと場所がなかった。

いつも放課後に起こっていたから、30分ぐらいの家までの道のりで私は自分を何とか立て直して何事もなかったかのごとく家に帰ってた。

その時泣けなかった分を一気に泣いたわけだから、そりゃ3日じゃ済まないよねという感じ。

大人になってワァワァ泣くなんてある意味馬鹿らしいとは思わなくもないけれども、でも時間と場所が許されているなら大人こそ泣いた方がいいと思う。

あと男の人たち。

子どもを見ていた時いつも思ってた。

何でか男の子はある年齢に差し掛かると泣くのを避けるようになる。

社会的な文化や風潮もでかいなぁとは思うけれども、泣いたらいいのにって思う。

幼児見てるとわかるけれど、女の方が本気でえげつないから、男の子の方が全体的に純粋でナイーブな子が多い。

あんな小さなうちから女の涙を使うんだと思って呆気に取られたことがたくさんある。(←同性だから、ものすごい冷めた目で見てた)

私が動じないの知ってるから、頭の良い女の子は私の前じゃ涙通用しないこと知ってるから泣かない( ̄∀ ̄)。

男の子は本当にそんなの関係なく泣くから、すごい純粋だと思う。

だからギリギリいける年齢のところまで、私なんかは男の子たちが泣くと心の中じゃガッツポーズしてた。

私も積極的に泣かせてた。

これは近年の話だけど、大人の男の人たちも涙を流す。

本人たちの前じゃ絶対に言わないけれど、男の人たちの涙ってきれいだなと思う。

その涙に色んなストーリーや想いを感じるから、本当にきれいだなと。

涙はさておいても、とにかく「泣く」という行為は自分でしかできないし、泣こうと思って泣けるわけじゃないから、泣ける時はバンバン泣いている。

自分もスッキリするし、心の奥の方が癒される。

それって結局、自分を大切にするってことだと私は思っている。



▷傷を悪者にしちゃいけない


ここまで読んでみると、傷ってそんなに悪いものじゃないって気付いてもらえるととても嬉しい。

傷は悪者じゃない。

痛みとかがどうしても出てきてしまうけれども、それだって悪いものじゃない。

痛みのありかを教えてくれるものであって、それを知らないとますます自分自身がやりにくくなる。

私は自分が傷と向き合いにくかった理由の1つに、世に溢れてる情報のせいだとも思った。

私が今ここに書いているのは、全て自分の実体験に基づいて書いている。

私が心理だのスピリチュアルな心の旅だのを始めた2010年から今に至るまで、傷に関して良い風に言ってくれてる情報はめちゃくちゃ少ない。

逆に、触れるのがもっと怖くなっちゃうような情報ややり方が多い。

あんな風に言われちゃ、怖くて逆に触れられんわ!と私なんかは思ってる。

ここに書いてるのは、私が一番心の中に向き合わなければいけなくて強烈だった30代の数年間に知りたかったこと。

こんな情報があれば、私は自分の傷に触れる時、もっと気持ちを楽にしたり、怖さが薄らいだり、なんか良いことあるかもと思って自分に向き合えたと思う。

自分に向き合っている時、ずっと私は「これして何になるんだ( ̄3 ̄;)?」と思っていて、何年にも渡って何の意味もいまいち見出せなかった。

今は全然違う。

自分に向き合おうとしない人とか見ると、お節介ババアのごとく「向き合った方が絶対の絶対に良いよ!」と言いたくなる。

「じゃないと自分がもっと大変になるよ」とまではビビらせるだけだから言わないけれど。

ただ、自分と向き合う、特に傷となってる部分はその中でも向き合いにくいテーマだから、それと向き合うメリット知らないと普通はやる気が湧かなくて当たり前だと思う。

だから、せめて私は自分が知ってる【傷の正体】や【傷と向き合うメリット】に関しては、こうして外に向かって発信したい。

最初は誰しもが「痛い…やだ、向き合いたくない」っていう自分に気付くところからのスタートだから、その向き合いたくないものに少しでも向き合えるようなヒントがここに1つでもあれば、私はめちゃくちゃ嬉しい(o´艸`)。



▷傷との付き合い方が超重要


傷は付き合い方と扱い方をとにかく気をつけたら大丈夫。

自分のことだから、そんなに悪い風には傷も作用しない。

普段の人間関係を思い浮かべたらわかりやすい。

一緒にいる時にさりげなく気遣ってくれたり気にかけてくれたりする人と一緒にいたら嬉しくなるし気持ち良く過ごせる。

反対に毎回グダグダ文句ばかり言ったり人に何かを押し付けてくる人と一緒にいると、超絶気分が悪くなる。

それは傷と自分との関係にも同じことが言える。

何せ相手は「傷」だから、ただでさえデリケートだから、邪険に扱ったり無視なんかした日には、当然その報いがさらなる問題と化して、自分にとって非常に不愉快な出来事としてやってくる。

無視すんなよオイ!(*`へ´*)みたいな。

自分の好きな人たちと付き合うみたいに、自分の傷とも付き合うことが、私は本気で大切だと思ってる。

傷を飼い慣らすみたいな( ̄∀ ̄)。



▷100%の解決を目指さないこと
→自分にとって、傷が邪魔にならないポイントを目指す


傷に対して、100%の解決ははっきり言って無理。

そんな万能なやり方があるのであれば、私はそのやり方を是非とも知りたい!!!

100%の解決が無理だから最初から何もケアしないというのも違っていて、できる範囲でケアする。

そして目指すのは、自分にとって生活していく上で気にならないぐらいにできたら御の字。

傷のせいであれもできないこれもできないだと生活していく上で困るわけで、そうならないポイントまで行けたら良いなぁと思ってる。

だから、ほどほどのところまで傷を自分の中で受け止めるなり軽くするなりできたら、本当にそれで十分良くやったと私は思う。



▷“人が●●してくれたら”的な望みは捨てる
→これをすると、いつまで経っても、ずっと傷


これは、私の中でものすごい時間がかかったけれども、かなり吹っ切れたもので、超絶気持ちを楽にしてくれたもの。

相手が●●してくれたら…系は、本当に何よりも気力を消耗する。

そんなの起こったらラッキー♪ぐらいな気持ちでいないと、こちらがもたない。

相手が謝ってくれたら、相手がわかってくれたら、相手が変わってくれたら…。

これ系は全部捨てる。

相手側から何かこちらが望むものをもたらしてくれる、みたいな棚ぼた的なことは望めば望むほど、要は期待すれば期待するほど、自分側がさらに苦しくなったりイライラしたりしなければいけなくなる。

期待してはいけないということではないけれども、そこが仮に満たされても傷が癒えるとは限らない。

傷というのは自分の方できちんと理解してあげないといつまで経っても傷だし、なんなら傷を見てないから傷を見るためのような嫌ーーーな出来事が次々と起こってくる。

だから、はっきり言ってその傷をもたらした相手は、自分の癒しのプロセスにおいて関係ない。

コーチングだのカウンセリングだのを学ぶとわかるけど、自分が祖父母になった年代になっても、だから子も孫もいても自分の死んだ親との関係に今なお悩む人たちが普通にたくさんいる。

だから、傷なんてのは場合によっては傷をもたらした相手がそもそもすでに亡くなっている場合なんかも普通にある。

そうしたら死ぬまで癒えないのか、と言ったらそういうことではない。

さっきどこかで言ったように、相手に矢印は向けず自分に矢印を向ける。

自分にだけ向けると、自分の気持ちにだけ集中できる。

傷側からしたら、そのもたらした相手ではなく、本人が傷の方を向いてくれるのを待っている。



▷傷に向き合えば向き合うほど、傷に慣れて馴れてくる


「慣れる」は
【経験を重ねることで上手にできるようになること。】

「馴れる」は
【その人に対して親しみを感じるようになる、違和感がなくなること。
また動物が人間に対して警戒心を持たなくなること。】
とある。
(引用元:『違いはネット』https://違いは.net/archives/2181.html)

傷に向き合うようになると、最初は向き合う行為そのものが不快だったり怖かったりするけれど、そのうち不快感や怖さは薄れてくる。

むしろ向き合うことにも傷にも慣れてくる。

そう、上の意味の通り、上手にそして安全に向き合えるようになる。

そしてもっともっと経験を重ねると、馴れてくる!

親しみも感じられれば、違和感や警戒心はかなり薄れる。

今の私は、向き合わない方がマイナスだと知ってるから、傷に向き合うことも自分に向き合うこともかなり慣れて馴れてきている。

この部分は誰でも自分で育てることができるから(向き合うためのコツは要るけれども)、時間はかかるけれどやる価値はものすごくある!!!



▷傷は人生に活かしていくもの


ここまで読んでもらえて、傷は色んな活かし方があることをちょっとでもわかってもらえたとするなら、私は書いて本当に良かったと思ってる。

傷となるような体験だけは子どもの頃から筋金入りで多かったから、私はそれがどうして自分だけが…と思ったり、被害者意識バリバリだったり、それらのせいで自己否定だの無価値観だのが強いのかと思ったり。

でも、傷に向かい続けて、自分の心の中見て、そういうことを繰り返していくうちに、傷が悪いものではないと気付いた。

そのうち傷から恩恵が色んな形でもたらされたし、なんなら今なんてこうやってベラベラと説明できるぐらいに傷を活用できてるv( ̄∀ ̄)v

傷は結局自分の一番繊細な部分を見せてくれるものだし、そして自分が生きていく上で大切にしているものか何かを教えてくれるものでもある。

相手を責めたりする気持ちがある程度落ち着いたら、自分の気持ちに寄り添ってみる。

そうすると、見えなかったことが少しずつだけど見えてくるようになる。

いきなり声が聞こえるとか天啓がおりてくるとかそういうことじゃない。

例えば、弱りきってる時に、お茶を一杯丁寧に淹れると心が少しだけ呼吸できるようになることに気付くとか。

モヤモヤしたことをノートに書き出すと楽になるとか。

傷と向き合う最初はそういうところからスタートする。

当然苦しいから色んな形で自分のために何とかしようとする。

何とかしているうちに、必要な情報や人はありがたいことにやってきたりする。

もしくは自分で「これだった!」という何かに自然と気付く時もある。

傷との向き合い方・付き合い方だけは、スタンダードな誰しもが応用できる方法は基本的にない。

1人1人癒し方は違う。

その癒し方・向き合い方は、各自が自分と付き合っていく中で開拓する。

本当に辛い時は専門家の力に頼ることも大切だけど、最後はどんな傷でも「癒すのは自分」。

誰かの協力を得る場合があっても、やっぱり最後「癒す」ことを選ぶのは、他の誰でもない自分自身。

色々書いたけれども、どれもこれも私の超個人的な物の見方だから、違和感があればその違和感を何よりも大切にして欲しいと、僭越ながら私は思っています。

ちなみに。

自分で自分の傷を癒せるようになると、本当に感動する☆*:.。.٩((*⁰▿⁰*))۶.。.:*☆




〜 story of 小さな私 〜

調べたら、それは2013年の誕生日前だから、今から6年前になる。

私は家で1人で心理ワークみたいなことをしていた。

当時抱えていた何かしらの問題の芯にあるものを見ようと思って始めた。

そのワークは、表面上の問題から見ていって、最終的にもっとその奥に隠されている心の深いところにある傷や痛みとなっている出来事を特定したり、無意識のうちに足かせとなっている感情や人間関係が出てきたりする。

問題は忘れたけれども、当時のことだから、これから先どうしようかな?か、お金大丈夫かな?のどちらかだろうなぁと思う。

それでどんどん入っていった時に、突然私は小学校の1年生か2年生の時にいじめられたシーンにいる自分自身が出てきた。

感情を使って見ていく方法で、その時の感情は「恥ずかしい」だった。

「恥ずかしい」をキーワードにして、自分の中を見ていったら、その時のことが出てきた。

私は今でもその当時の話ができない。

他のことならいくらでも自分の経験をある程度開示できるけれど、それだけはできない。

本当に笑えないし、聞いた側も絶対に反応に間違いなく困るし、私も色んないじめを聞いたけれども私と同じ体験をした人の話は聞いたことがない。

えげつないし、残忍だし、自分の心も体もボロボロになった。

最近「しいたげられる」という言葉の漢字が「虐げられる」と知って絶句した。

まさに虐げられた経験の他の何ものでもなかった。

今の私と違って、当時の私は本当に寡黙で喋らない子どもだった。

嫌なことされてても黙って耐えている子だったし、怖すぎて「いやだ」とか「やめて」の一言が言えなかった。

今じゃコミュ障なんて言葉が普通にあるけれど、私は本気のコミュニケーション障害だった。

そのシーンが何回繰り返されたのかはわからない。

だけど、放課後になると密室に連れて行かれて、大人の目が一切ない場所で凄まじいことが日々繰り広げられていた。

タチが悪いことに、目に見える外傷はない暴力的なものだったから、誰も気付く人はいなかった。

それが終わると私は30分ほど歩いて家に帰った。

その間に自分の気持ちを整理して、何事もなかった顔をして毎日家に帰っていた。

私は何回そのことがあったかももはや覚えてないし、一体そこに誰がいたのかもはっきりとは記憶がない。

誰が言い出しっぺかもわからなければ、何がどうしたらそんな訳の分からない状況になっているのか、私には全く理解できなかった。

多分嫌とか言ったら、殴られたりしてた記憶はあるから、それも嫌だったんだろうなぁと思う。

ちなみに、私は殴られた方がいいと思ってる。

全力で殴られた方がまだマシだった。

それぐらいのことが放課後に控えていて、私は今もそこは記憶が途切れ途切れになっている。

ただその2013年のワークの時、それがいきなり出てきた。

そこで私は初めて、自分が本当はすごく怖くて恥ずかしくて嫌で嫌でたまらなくてそこから逃げたくて仕方なかった、その気持ちを本当に感じることができた。

子どもの私は、その時すべての感情を凍結させることで、それで自分を必死で守ってた。

感情をそこで出してしまったら本当に自分がもっと傷付いてしまうと、あれは頭ではなく本能だと思う、とっさの防御反応で私は感情を全部殺した。

何も感じないように、何もないように、ひたすら黙ってその時が過ぎ去ってくれるのを待った。

ずっとはその状況が続かないのも知っていたから、とにかくその時間、本当に時間にしたら数分が経過してすべて終わることを待った。

ちなみにそのいじめが終わったのは、家の引越しに伴って隣りの学区の小学校に転校したからだった。

当時のシーンが出てきて、私は初めて、本当にあれから25年以上経って初めて泣いた。

あの時泣けなかった、一度も本当に泣けなかった私が、当時のことを心から感じて涙を流したのは30代も半ばになってからだった。

私はその時3日間、本当に暇さえあればずっと泣いてた。

最初はワアワア本当に声を上げて泣いた。

子どもが声を上げて泣くみたいにして泣いた。

本当は当時それができたら良かったけれど、そうはできない色んな状況があった。

だけど、本当はそれぐらい泣かなきゃいけないようなことを7歳ぐらいの子どもが1人で、本当にたった1人で抱えていなきゃいけなかった。

親には心配させられないと思って言えなかった。

だから誰にも言わず、ずっとそれを自分の中だけに持って生き続けた。

年齢と共に当時の記憶も薄れて忘れたかと思っていたけれども、そんなことはなかった。

ものすごい鮮明にその時の自分が出てきて、「何も感じないようにしようとしてた」感覚まで出てきた。

風景まで、色やデザインまで覚えてる。

だからか…とある時合点がいったけれども、私はその風景を彷彿させる場所には近寄らない。

それを思い出させるような場所をとにかくずっと避けてる。

そんな風にして記憶にはずっと残っていた。

ある程度泣いた後、私は何かの拍子に気付いた。

私は最初怖くて当時の私は感情を殺してるのかと思ってた。

でもそうじゃなかった。

小さな私が自分の感情を押し殺してまでも必死で守ってたのは、【自分の尊厳】だった。

どこまでも誇り高く、自分の尊厳だけは全身全霊で守った。

その2013年の時も何かしら悩んでいたのは間違いないけれども、その時に繋がった。

全身全霊で自分の尊厳を守り抜いて、それで繋げてもらった今の命なんだな、と。

小さな自分が、小さな体と小さな脳みそ使って、そうまでして守り抜いたものなんだと。

小さな自分にものすごく感謝した。

傷だとばかり思っていた体験は、その裏側で自分を守る行為を同時にしていたんだと、その時初めて知った。

それからすぐの時に、Sさんにその話を聞いてもらった。

うちに遊びに来てもらったのか電話で話したかも忘れたけれども、Sさんは私の話を聞いて声を震わせて泣かれた。

「ぶっしーちゃん、よく生きてたね」とか、なんだろう、そんなような言葉をまずかけてもらった。

違う、電話だ。

本気で親身になって話を聞いてもらって、涙を私のために流してもらって、私は心底救われた。

その時にSさんから1つ私が小さな私にできることを教えてもらった。

「ぶっしーちゃん、何でもいいんだけど、小さな自分が喜ぶようなものを何か1つ買ってあげて。
何でもいいんだよ。
ちなみにその方法を紹介した女性は、チョコレート買ってたよ。
やってみたら、それがどんな気持ちになるのか絶対にわかるから」

Sさんに教えてもらったことを私は早速実行した。

実行する前に、小さな自分にもう一度会いに行ってみた。
(ワークじゃないけれど、やれる気がする!と思ってやってみたらできた)

目を閉じてしばらくすると、目の前には当時の自分がいた。

当時の自分は、普通にしていた。

私が見ると、はにかんだようにしてニコッと笑った。

私はそれを見ただけで号泣してしまった。

小さな自分にごめんねと謝っても、小さな私は気にしないと言わんばかりにはにかんだままだった。

一緒に買物に行ってくれる?と聞くと、コクンと頷いた。

そうだそうだ、そういうことも黙って首を縦に振るぐらいしかしない子どもだったなぁと思い出した。

私は小さな自分を引き連れてるつもりで、地下鉄を乗り継いで某ショッピングモールに行った。

ショッピングモールに行って、ノートを買おうと思った。

文房具も置いている書店に足を踏み入れた瞬間、ドキドキした。

すごい不思議な気持ちで、私は1人なんだけれど、その小さな私を引き連れて一緒に買物に行ってる気分だった。

当時妹が2人いたから、大人を自分だけが独り占めできることはなかったから、なんかそれだけで特別な感じがした。

キティーちゃんのノートを見つけた。

見てすぐにそれだとわかった。

見た時に私はその場でボロボロと涙をこぼした。

言葉では上手く言えないけれども、小さな自分が心から喜んでくれてるのがわかったし、そういうことを大人になった私が自分のためにできてるのも嬉しかった。

色んな気持ちが織り混ざっていた。

近くにキティーちゃんのペンも売っていて、これもセットで買ってあげよう!と思った。

そうやって連れ帰ったノートとペンを使って、私は小さな自分におてがみを書いた。

だから最初のページには「いとしの小さな史ちゃんへ。」と題して、2013年3月18日の日付で34歳になった私からおてがみを書いている。

その後、このノートは誕生日前日にその1年を振り返るノートに変わった。

今見たら、38歳の振り返りが一言以外真っ白でビビったけれども((((;゚Д゚)))))))。

ちなみに“38歳の軌跡”と題して一言だけ書いたのはこうだった。

「〇〇〇〇さんに出逢えたこと♡♡」

冒頭の写真は、そのキティーちゃんのノートとペン。

ペンは数十本のインクを入れ替えて使うぐらいに愛用している。

こんな風にして、私は小さな自分から、傷だとばかり思っていた出来事から、自分の尊厳を必死で守っていたことやそれを経て今の自分にまで命を繋いでもらったことを知った。

それはもはや傷ではなかった。

もっともっと深いメッセージがその先にはあって、そのメッセージに私が気付くまでずっとメッセージはきれいに保管されていた。




※ここから先の話は、不慣れな人からするとヘビーです。具合悪くなっても私はケアできないので、各自のご判断で読み進めてください。
「性的虐待」という言葉が出てきます。それは言葉だけですが、そういう表現も含まれることをご承知おき下さい。



〜 story of タジー 〜

タジーに出会ったのは、2001年。

社会福祉の現場実習先でだった。

日本と違ってアメリカは実習の時間が長い。

私の行ってた学校は8ヶ月間450時間の現場実習が卒業単位のために必須だった。

私の実習先は当初全く予定もしていなかった、虐待なんかで重度の精神障害を負うことになった子どもたちをケアする長期治療を目的としたグループホームだった。

「精神障害」とか名前が仰々しいけれども、普通に見れば普通にどこにでもいる子ども。

話しただけでも気付かない。

深く関わると、その子たちの持っているものがわかる。

ちなみにこれは私の持論だけど、虐待とかで保護される子どもたちが世間では可哀想とかよく言われるけれども、私は色んな理由で可哀想だなんてただの一度も思ったことがない。

基本的に、修羅場を人生の早い時期に体験しただけあって、メンタル力はすごい強い。

生命力も強い。

もっと言うと、健やかな人間関係を築けなかったからなのか何なのか、大人をおちょくることは天下一品で、イライラさせられることは山ほどあっても「なんて可哀想な子どもたち」なんて思わない。

まじめに子ども相手に私もしょっちゅうブチ切れてたから、可哀想とか思う人たちは実情を知らないことがよくわかる。

ご多聞にもれず、タジーにも色々私はキレた。

その手の子どもたちで私をイラつかせたことのない子どもは1人もいなかった( ̄∀ ̄)。

だからと言ってはなんだけど、私はそういう子どもたちのことも特別視することはない。

「人間」という枠の中では私はみんな一緒だと思っているから、だから特別視も特別扱いもしない。

当時タジーは9歳だったと思う。

何百人という子どもたちを仕事で見たけれども、タジーはその中でも本当にピュアで真っ直ぐな子だった。

本人の生育歴からは考えられない、真っ直ぐな部分を宿してる子だった。

タジーは会うとすぐにわかる。

右手がブルブルっと震えてる。

本人左利きで、というか右手がそうだから左利きに仕立てたのかそこは私も知らないけれども、とにかく右手で鉛筆とかフォークを持つというのは大変なのはわかる。

生まれつきの後天的な障害でそうなってた。

タジーは、お母さんが薬物中毒で妊娠中もドラッグをやっていて、それでタジーは生まれた時から右手にそうした形の後遺症を持って誕生した。

生まれた時から死ぬ時までタジーはその右手の震えと付き合っていかなきゃいけない。

自分に命を与えた人から、命と同時に傷もセットで与えられた。

タジーのその手の震えを子どもたちはからかったりもよくしてた。

その度にタジーは説明する。

目は失望みたいな、何とも言えない目をして、「僕の手は、マミーがドラッグをしてたからこうなんだよ」と。

時々右手の方もどうしても使わないといけない時、手が震える度に「ばか!ばか!」と言いながら自分の手を叩いてその震えを止めようとしてた姿も記憶にある。

そんな風にしてタジーは日々色んな場面でその自分の手と、要は傷と付き合い続けている。

ある時から私は子どもたちの生育歴を読むことになった。

人生で読んだ中で一番強烈な生育歴だった。

母親のドラッグだけではない。

とにかく生きるか死ぬかみたいな話ばかりだった。

殺されかけたりもしている。

これがタジーだったのか他の子だったのかは忘れたけれども、何人か男の子なのに性的虐待を受けていた。

すごい衝撃だった。

女の子でもどうかと思うけれども、男の子の方も強烈過ぎる。

私は冗談抜きで涙は止まらないし震えるしショック過ぎて言葉もなかった。

21歳か22歳の頃の話だった。

それは調査員が聞き取って知り得た内容で、でもそんなのはタジーや他の子どもたちにとって生きてきた時間の中のごく一部の話で、実際はそこには載っていないもっと色んなことがあったんだろうなぁと思う。

それを見たから、私はそういう子どもたちを可哀想なんて絶対に思ってはいけないと思った。

すっごい修羅場をくぐり抜けて生きている今がある。

本当に死んでたっておかしくない状況から生還した命のサバイバーだとわかるから、そしてその自分の命を不器用ながらも一生懸命生きてるその姿を見て「可哀想」なんて思うこと自体が本気で失礼だと思った。

タジーはそんなすごい生育歴の中でも、天使のような笑顔を見せる子だった。

それは大人を取り込もうとか騙そうとかそういう意図は本当になくて、可愛い顔してニコニコニコニコ笑う子だった。

私の実習が終わる直前ぐらいに、タジーは施設の変更が決定された。

私の行ってた実習先は、州内で2番目に重度の子どもを預かる場所だった。

アメリカは症状別・年齢別・状況別・性別で子どもたちのグループホームは細かく分かれている。

日本と違って、基本的に里親が主流で施設という選択肢の方が少なかった。

だから施設に入る上に、その中でも「重度」と認定されるというのは、本当に命からがら系の子どものケースが多かった。

タジーは関係機関でのケース会議で、州内に唯一ある最重度のグループホームへの移籍が決まった。

トラウマがあまりに深すぎて、私がいたところでは適切な治療が受けられない、そして思春期に入る前で今がもうラストチャンスだと有識者会議で決まった。

タジーはその後、大暴れをした日が一度だけあった。

その日は、タジーみたいに帰る家が本当にない、似たような状況の少し年上の男の子の送別会をする日だった、本当は。

その男の子も10数ヶ所転々として、やっと1人里親さんが決まった。

それだって上手くいくかどうかは分からなくて、もしかしたら施設戻るかもねと言われながらの一応退所で、そして里親さんへという流れだった。

でも子どもたちはそんな細かい事情は知らないから、わかるのはその子が里親引き取りで退所することだけだった。

パーティーが始まる30分ぐらい前だった。

タジーが本気で発狂した。

気付いたらその状況になっていて、覚えているのは動物みたいな獰猛な唸り声で泣き叫ぶタジーと、その小さなタジーの体を3人がかりで抑える男性スタッフたちと、子どもたちは呆然と立ち尽くしてそれぞれを抱きしめながら部屋に連れて行くのと。

その後どうしたのか全く記憶がない。

タジーはもしかしたらそこで緊急搬送とかを経て次の移転先の施設に移ったかもしれない。

タジーと最後挨拶した記憶がないから、多分そうだったのかなと思う。

写真もタジーと一緒に写したものがないところを見ると、すごい特殊な状況になったことで、やむを得ない対応に切り替わった気がする。

タジーは今も生きていれば27歳か28歳になってる。

タジーがその後どうなったかは知らないし、私も実習が終わってしまって消息は知らない。

1つ前の記事『(19)傷を癒す』を書いていた時、タジーのことを思い出した。

あの子が私に傷と共存する生き方を教えた最初の子だった。

あの後から今に至るまで色んな子どもたちと関わったし、色んな大人たちの人生の話も聞かせてもらった。

だけど、タジーだけは特別な存在なのか、私はこの話を泣かずには書けない。

細かいことは全部忘れた。

忘れたけれども、書庫みたいな二畳か三畳ぐらいの小さな部屋で上の方に小さな小窓があるだけの若干暗めな部屋の中で、タジーの調書を震えながら読んだことや、読んでて何度も目を背けたくなったこと、吐き気を覚えるかと思うぐらいの残忍な出来事、それがあの小さな体で体験したんだと思ったら、言葉なんか何も出てこなかった。

その直後だったのかな、いつだったのか、目の前にいるタジーのとびっきりの笑顔を見て、何とも言えない気持ちになった。

タジーの手のことはその後もしょっちゅう本人が説明しているのを聞いた。

本人も慣れたもんで、普通に淡々と説明する。

タジーはもちろん自分のその手を良いなんて全く思っていなかったし、自分の命さえも恨みたくなったことなんて数知れない回数であっただろうなぁと思う。

でも、笑うんだよね、子どもは。

すごいなって思う。

そして一生付き合わなければいけないその自分の手と、そこにまつわるお母さんとの関係、そうしたものすべてを知って生き続けるその姿を私は忘れられない。

タジーみたいな子がいたから、余計と私は傷を肯定したかったのかもしれない。

傷と共存しなければいけない、墓場まで自分と共に生きていかなければいけない傷がある場合、それを否定しながら生きていくというのはとても辛い。

私の勝手な予想だけど、タジーはそういう自分との付き合い方を覚えて今もどこかで元気にやってる気がする。

今思い出した。

当時、子どもたちの自由度は子どもたちの日々の行いを点数化して決められていた。

大概の子どもは一番下かその次をウロウロする中、5か6ぐらいあるレベルの中、タジーは相当上まで行ってた。

だから他の子たちよりも自由度が高い子だった。

そう、自分のために何かを頑張れる力を持ってる子だった。

深い闇、出生にまつわるどこまでも暗い過去なんか物ともせず、前を向く子だった。

だから、タジーなら何だかんだと上手くやっている、そんな気がする。

反対に最重度のグループホームから私たちのいるところに戻ってきた女の子もいたけれど、その子はもうその時点で生涯に渡ってそうした施設で生きるだろうことが決まっていた。

コミュニティで生きるのは難しいと判断された。

タジーはそうじゃなくて、関係者全員がタジーの持ってる治癒力に賭けて、最重度のグループホームに移行することを決めた。

将来タジーが自分の好きなところで好きなように生きられるように、それを賭けて、そしてタジーならいけるだろうという見解を持って、もっと専門的なトラウマ治療をしようとなった。

記憶が曖昧だけど、たしか本人にもそうやって説明してたと思う。

その施設はそういうところは隠さずに本人に伝えるやり方を採ってた気がするから、たしかそうだったと思う。

傷は消えないけれども、それと生きていかなければいけないことも往々にしてある。

タジーみたいな子も1人2人じゃなく、確実に世の中にはいる。

それぞれの人たちが持ち合わせている傷の種類は違うけれども、そうやって生きなければいけない時、私はみんなに等しく選択肢が与えられていると思う。

その傷を持っても明るく生きるか、その傷を持って暗く恨みながら生きるか。

それは個人の生きるセンスだと思っている。

そして、その生きるセンスを9歳の男の子に教えてもらった。

一生付き合う傷と望まれて生まれたとはとても思えない状況下で誕生した自分の命と日々向き合いながら、それでもとびっきりの笑顔で自分のためにがんばるタジーから教えてもらった。

2019年3月6日水曜日

奇跡の果実(19)傷を癒す






【はじめに】
最後に《3月全体のメッセージ》を付けてます。もし良かったら参考にして下さい。

私自身が引いた『3月のメッセージ』としてのカード(写真)・今の空の状態(天体配置)から読み解いたものを組み合わせて書いてます。
そこに加えて、数名の占星術家、カードリーディングの方たちの共通のメッセージも参考にしています。

そして、この後の本編の話が、何かしらのヒントになってくれてると思います。
3月のテーマにものすごくピッタリと合っています。これをそれぞれの方が自分のことと照らし合わせて活用してもらえたら、本望です(^-^)!

本編長いので、3月のメッセージが欲しい方はスクロールして下まで行って下さい!


[写真解説]
〜3月のメッセージに使ったものたち〜


*1枚目:使ったカードの紹介
(左)Daily Guidance オラクルカード
(右)Fairy Tale Lenormand


*2枚目:3月のメッセージカード
(左)「解き放ち、身を任せる」
(真ん中・右)「船」「クローバー」


*3枚目:3月のメッセージカード全体
=カードの束の一番下のカードを追加
(上段)「解き放ち、身を任せる」「喜び」
(下段)「船」「クローバー」「鍵」


*4枚目:天王星・蟹座・4ハウス

・2枚目〜4枚目の内容で3月のメッセージを引っ張ってきています。


ちなみに写真見て気付いたこと。

カードは2つともSさんからプレゼントしてもらったもの。

大きい方は7年ほど前に「私は使わないから良かったら使って!」と譲り受けたもの。

小さい方はつい最近、1ヶ月早い誕生日プレゼントとして贈ってくれたもの。

ホロスコープのサイコロは、ホロスコープの講座で仲良くなった方からプレゼントしてもらったもの。

サイコロの下の籐製のコースターは、男友達がフィリピンで当時仕事してて一時帰国した際、お土産として買ってきてくれたもの。

ぶっしーなら家に人を色々呼んでるから、それを思い出して、「これピッタリやん!」と思って買ったと言ってプレゼントしてくれた。

私、人からの貰い物ですべてこの大切なメッセージを下ろさせてもらったんだと気付いた(o´艸`)。



〜本編『傷を癒す』〜

[所用時間:約40分かかるので、時間ある時にお読み下さい。]


オンタイムな出来事を今日は綴る。

主に3人の女性が出てくる。

三者三様のストーリーが展開していて、わかりにくいだろうから、先に少しだけ登場人物を紹介。


・私
・Sさん…私が名古屋にいた頃からものすごくお世話になっている女性
・Mちゃん…2年半前に行った派遣の仕事の職場で知り合った女友達。スピリチュアルなことも好きだし、個人でヒーリングセッションもしている。
・Oさん…男性。霊視ができるヒーラーさん


これは3人がそれぞれお互いに力を貸し合って、それぞれの傷を癒した話になる。

今回、SさんとMちゃん2人から全面的な協力を仰いで、このブログを公開している。

それぞれ傷となったのは、Oさんの言葉だった。

だけど、私もだし他の2人もだけど、Oさんを恨んでいないし、むしろ各自がそれぞれOさんからしてもらったこともあるわけで、そこは感謝なり他の前向きな方法で受け止めている。

それぞれの傷を癒すプロセスが折り重なって1つの壮大なストーリーを繰り広げている。

この話の内容が1つでも誰かのヒントになったとするなら、本当に嬉しいです。



ーーーstory of 私ーーー

2月の私は、人間関係の在り方や距離感にマックス悩んだ。

元々、2月は人間関係の断捨離だの整理だのがテーマだというのはわかった。

それがいくつもメッセージで来るから、どうも避けては通れないのは何となくわかった。

しかも、黙ってフェイドアウトではなく、きちんと言うことは言ってから関係を断つなり離れるなりするみたいな感じで、あまり気持ちの良いことではないのもわかった。

1月の終わりあたりは「ふーん」程度の軽い解釈でしかなかったけれど、2月の日にちが進むに連れて、どんどんヒートアップした。

私がここまで悩んだのは、相手が相手だからだった。

ヒーラーのOさんとの関係にものすごく悩むことになった。

他の人なら確実にフェイドアウトした。

だけど、とてもお世話になりさんざん助けてもらい、本当に色々してもらったからこそ、色々強烈過ぎた。

Oさんに対して、最初に自覚できるぐらいの違和感があったのは、1月の中旬過ぎだった。

ちなみに違和感なんて通り越して、いきなり「数年ぶりの怒り大爆発」という形でやってきた。

Oさんの霊視によりキャッチできた、山で行方不明になったおじいちゃんの霊が出てきたのが1月7日。

その後、おじいちゃんとご家族を繋げるために、おじいちゃんとやり取りできる霊能者としてのOさんをまずはおじいちゃんの家族に紹介することになった。

それが1月の中旬で、その翌日にOさんから私の対応に関してかなり色々指摘を受けた。

その指摘で私はブチ切れた。

「どうしてこの大切なポイントがわからない?」という怒りで、そしてその大切なポイントは私にとって人と関わる時、特に仕事の時に大切にしていることだった。

ちなみに、おじいちゃんの家族にOさんを繋げるために、私はA4で13枚のパソコン資料+手書き4枚の資料+手書きで数枚の家族宛への手紙を用意していった。

特に資料は繊細な内容が満載すぎて、本当に神経を使って作っていた。

その時にOさんから「僕の方が武士俣さんより女性性が強いと感じるんですよね。武士俣さんの方が男性的というか。僕、武士俣さんと同じペースで動くと本当に精神的にも肉体的にも倒れちゃいます」と言われた。

Oさんの言うこともごもっともだったし、私の行動量が異常な量なのもわかる。

だけど、それしかもう私が考えられる方法がなかった。

ただでさえ私はペンジュラムを使っておじいちゃんを見つけられなかったわけで、今度はその私が新たな霊能者を「おじいちゃんの霊魂が出てきて、おじいちゃんが色々と家族向けに話をしてるので、それを聞いてもらう機会を作ってもらってもいいですか?」と紹介するという、超絶怪しい話をしないといけなかった。

失敗は絶対に許されなかったから、私は本気でできる限りのことは徹底的にやっていた。

本当に細かい確認が必要で、それで何回もOさんにLINEも電話もしまくっていた。

だけど、それが男性的だとか言われると、私は「ガーン(T_T)」という感じだったし、さらに私はすごい細やかに自分はやってるつもりなのに「僕の方が女性性が強い」とか言われてしまった。

私はあまりにショックで、何をどう捉えていいのかわからなかった。

しかも私は本当にそういう自分の完璧主義なところとか、仕事の失敗が許されないと思うと異常なほど準備や確認をしてしまうこととか、自分でも男の人たちよりもやるのは知ってる。

男の人たちがビビるのも知ってる。(←過去にもそれとなく他の男性たちから言われたことがある)

しかも、私の女性性が…とは言ってないけれども、私の脳内は「女性性が低いんだなぁ…私…」という誤った解釈も働き、もうドツボなんてもんじゃなかった。

(注釈:こういう誤った解釈が余計な感情を引き起こすから、心理学的に言うと、「相手の言葉」と「自分の感情」は分ける、別々にして解釈するといいです。)

この一連のことはその後話をして解決したけれども、その後にまた大きなことが2つやってきた。

1つは、この奇跡の果実シリーズの『⑧覚醒』をOさんにも渡して、その感想をもらった時だった。

感想は良かったけれども、その後Oさんが細かくあの文章を分析してくれて、その時のやりとりで私が超引っかかったことが出てきた。

最初は得意の「流す」「多分大丈夫」ということにしようと思っていたけれど、時間が経てば経つほど、モヤモヤして怒りも湧いてきた。

Oさんは一切悪気がないし、むしろ有用な情報をこれまた無料で色々ともらったわけで、余計とどうしたものかな…と思った。

情報は良いんだけれども、私の感情はズタズタになっていた。

で、これは言わないとわかってもらえないことに気付いて、私は正直にもらった情報はありがたかったものの、自分の気持ちとしては全く寄り添ってもらえなかった気がしてしんどかったことを書いた。

Oさんは慌てて謝罪も含めての丁寧な返信をくれた。

そこは解決した。

今度は(=2つ目)、Oさんの個人的な相談みたいな、相談とは違うけれども「武士俣さんはどう思いますか?」みたいなことが3回続いた。

超専門的な質問が続いて、最初こそやりとりしていたけれども、だんだんと内容がヘビーになってきて私はどんどん疲れてきた。

だけど、私は去年の夏から秋にかけて、Oさんから月に1回、3時間×合計5回、ヒーリングや霊的世界についての専門知識を色々学ばせてもらった。

しかも完全に無料で。

さらに私の質問に答えるために、資料も20枚近くなんだかんだと作ってもらった。

半端なく世話になったわけで、会っていた時も私が知ってる心理的なワークやそのやり方とかは色々教えられる範囲で伝えてはいたけれど、そうでなくてもOさんの負担は大きかった。

それもあったから、私は「自分もせめてできることはしよう!」という気持ちでいた。

ところが本格的に、自分の方が疲れてきて、下手すると半日ほどOさんから聞かれたことに対して答えを文章に起こすとかしていた。

答えはすぐにわかっても(←私の特性)、それを相手に伝わるように、そして相手が変なところで傷付かなくてもいいように、相当言葉は選ぶ。

しかもOさんの性格も知ってるから、余計と私は言葉選びには本当に慎重になっていた。

Oさんは言葉をよく見るから、そこに誤解が生じないように毎回相当気をつけた。

そして、最後3回目のお願いの時に、私の中でとうとう「無理!」となって、私はこのように返信した。

「正直にお話します。
今回の件、正直私としては引き受けたくありません。テーマが重すぎます。
私が対応するとするなら、まじめに個人ではなく専門的な知識を持つ立場として対応するレベルの話です。」

ただ、さんざん世話にはなったから、その後、私ができる目一杯の情報を盛り込んで、伝えられることは伝えた。←半日作業

Oさんからは、私の考え方に関しては了解を得られて、とりあえず終わった。

これが2月9日の話だった。



ーーーstory of Sさんーーー

10月に最後私とOさんが会った時に、私はOさんから私の魂から出てきているメッセージがあったら教えてくださいとお願いした。

私は口頭で教えてもらうで良かったけれども、Oさんはご丁寧に「武士俣さん、書いてもいいですか?自動書記の方が僕はやりやすいので」と言われ、なんと魂からのメッセージまで書いてもらった。

(注釈:自動書記とは、相手の人の魂や守護霊などにアクセスして、そこから下りてきたメッセージを書くこと)

これが本当に良くて、私はSさんにも写真を送って良かったことなんかを色々話してた。

Sさんが「私もそのサービス受けたい!」と言った。

その後も機会は特にきちんと設定されないまま来たけれども、おじいちゃんの家族との件が終わった後に、Sさんから正式にOさんのサービスに申し込みたいと話があった。

Oさんにも連絡をして、SさんとOさんを繋いだ。

2月の前半にSさんはOさんの魂からのメッセージを書いてもらうセッションを受けた。

セッションの後私に電話をくれて、Sさんは「ぶっしーちゃん、本当にOさんを紹介してくれてありがとう!」とものすごい感謝の言葉を色々伝えてくれた。

セッションの時の話も具体的に「こんな風に伝えてもらってね」とか、色々感想を言われていた。

聞いてて気になる箇所がいくつかあったけれども、Sさんもだからと言って私に意見を求めてるのとは違っていたし、求められた部分に関しても悪い印象はなかったから、まぁ可も不可もない感じだと思ってそのままにした。

翌日、もう一度別件でSさんと電話をした。

Sさんと私は互いの用事を済ませて、もう電話を終わりにするところにいた。

「じゃあまた今度」と言う直前ぐらいだった。

Sさんが言った。

「ねぇぶっしーちゃん、私前世療法やろうかと思うんだけど、どう思う?」

ものすごく言いにくそうに、そしてものすごく勇気を出して聞いてきたんだな、というのが電話越しにわかった。

(注釈:電話越しの相手の様子を推し測るのが私は得意)

「やったらいいじゃないですか!」と私はすぐに返した。

そこでようやくSさんが口を開いてくれた。

セッションの時に、OさんがSさんが前世療法をすることに対していまいちパッとした反応をせずに、むしろSさんが興味があると話した別の内容の方を勧められてしまって、自分でもどうしたらいいのか思い悩んでいることを話し始めた。

私はその時Sさんに言った。

私は視えないし、何か人の人生を左右するようなことを言うのは好きではないと前置きした上で、Sさんは何が何でもスピリチュアルなことに関わっていかなきゃいけない人、やりたいやりたくない関係なくやらなきゃいけない人だということ。

そしてその手法の1つが前世療法だとするなら、それはやった方がいい、むしろやるべきものだと思うと、かなりはっきりとした口調で私は背中を押した。

その日私はたまたま見たカードリーディングの動画の中に前世の話が出てきたばかりで、そのシンクロっぷりを熱弁してしまった。

Sさんの話をきちんと丁寧に聞かずにいたけれども、少なくともSさんはOさんがセッションの時に言った言葉のいくつかが引っかかっている、ということだけはわかった。

聞けば聞くほど、「酷い!」と怒りがメラメラと出てくる感じだった。



3日後ぐらいに、私はやっぱりOさんのセッションの時の対応はどこか間違えてると感じた。

これがSさんの小さな人生の悩みだったら私は多分そのままそっとして終わった。

だけど、前世療法は、Sさんの人生においてすごい大きなもので、避けては通れない道だというのだけは感覚的にわかってる。

しかも、Sさんはもうお孫さんもいて、年齢的にあと何十年も生きるということじゃない。

そもそも今回、SさんがOさんの自動書記を受けたかった理由は、単に興味があったからじゃない。

自分に残された人生の時間を思った時に、「このままの生き方でいいんだろうか」と疑問がずっと浮かんでいた。

そして、「自分の魂の願いを聞いて、その願いを残りの人生の中で叶えていきたい」、Sさんはそう考えた。

そんな時に私が私の魂からのメッセージを書いてもらった紙をSさんに見せたことで、Sさんは「これだ!」と思われた。

Sさんは10年近く前にも、そういう霊視(実際は「チャネリング」という手法)できる人から自分の人生の目的を聞いている。

それも知ってる上で、OさんにSさんの魂から来ているメッセージを書き下ろしてもらうことで今の自分の魂の願いを、魂が何と言っているのかを聞きたい、そういう想いの元で受けたOさんの個人セッションだった。

ところが、OさんはSさんのその願いの部分にきちんと耳を傾けなかったのか、全然勧める風ではなかったと言う。

他のことたちも合わせて、話がいくつかすれ違ったり、Sさんにしたら「言葉の凶器」だと感じたことが何箇所かあった。

私は、人生の一番大切な部分に対して理解していなかったことと言葉の凶器となるような部分とを、Oさんに直接伝えることにした。

元々Oさんに頼まれて断ったことは、まさにそうした内容だった。

自分の個人セッションの時のあり方について質問を受けた。

内容は割愛するけれど、とても専門的なものの上、伝えるにもものすごい配慮の要る話だったから、それで私は断った。

Oさんに伝えるにあたり、Sさんに再度私に前世療法の話を聞かせて欲しいとお願いして話を聞かせてもらった。

色々整理して話す内容も定まった。

実際に連絡を取ろうと思った日の朝、私はどハマりしているカードリーディングの動画をふと思い付いて見てみた。

見てわかってしまった。

私がSさんとOさんのやりとりがありえなかったと怒りまくったのは、何もその対応だけに怒っていたわけじゃなかったこと。

私が本当の本当に怒っていたのは、私自身に向けられた数々の言葉だったこと。

そして、私は怒っていたんじゃなくて、本当はとても傷付いたこと。

上には女性性の話だけ例にして書いたけれども、他にもいくつか私は言われて自分が受け入れられなかったものや傷付いたものがあった。

朝から1人で号泣して、そしてわかってしまった。

私はOさんの頼み事が嫌だとか面倒だということではなく、私自身が傷付きたくない、それだということ。

どういう方向から私が言われたくない言葉が来るのか予測不能なOさんとの会話では、もう私自身が限界なんだとわかった。

Sさんにまずは連絡を入れた。

Sさんの話を使わせてもらってOさんに話をしたいこと、でも本当はSさんではなく私自身がOさんの言葉に傷付いていたこと、だけど自分のことはとてもじゃないけれども平常心で話せないからSさんの話に自分の思いも乗せて話したいこと、その了解を得た。

Sさんは快くそれを承知してくれた。

女性性のところは、実は嗚咽もらして泣くどころではなく、涙もだけど体がブルブルと震えてしまうぐらいに私は心がグサッとやられてたレベルだった。

そこにようやく気付いた。

その日の夜、Oさんとの話は無事に終わった。

Oさんの良いところは、そういう自分にとって耳の痛い話でもきちんと話を聞くこと。

Oさんには電話越しに、これ以上こうした専門的なやりとりをするのは私はできない、たとえ小さな質問でも私の方にすると大きなことだからできないとはっきりと断った。

その電話の時に、この後出てくるMちゃんの話もOさんから最後の方に「報告ですが…」ということで出た。

武士俣さんからお願いされてた件に関しても話しました、多分泣かれていたのでだいぶショックを与えたかもしれませんが、伝えなければいけないことは伝えました、そんな風に話されていたと思う。

当時の話の様子や私の心情、どうそのことに向き合ったり行動したりしたかは、下の記事にあります。
いつもながらリンク飛ばないので、興味ある方はコピペして見に行って下さい。
『奇跡の果実▷ウラ話⑨自分のために勇気を出してみる』(2月16日アップ)
https://viva-vivir.blogspot.com/2019/02/blog-post_16.html?m=1



ーーーstory of Mちゃんーーー

>>>1月29日

MちゃんからLINEが来た。

2月の中旬にOさんのところに行く予定でいるけれど、前回利用した高速バスが満席で取れなかったと言う。

他の会社のバスを利用したことがあるかを聞かれて、私はないと答えた。

当時は何とも思っていなかったけれども、このMちゃんからの連絡により私はMちゃんがOさんに会うことを知った。



>>>2月2日

『奇跡の果実⑧覚醒』を書き上げた。

Mちゃんも含めて27人の人たちに個人的に連絡を取って、私はそのブログを紹介した。



>>>2月6日

ようやくMちゃんから『⑧覚醒』に関しての返信が来た。

私は返信を求めたわけではないし、何も反応がなくてもそれは最初からどの人に対しても想定した上で紹介していたから、返信がなかなか来なかったことや返信が来るまで数日空いたことについては何か言うつもりはない。

だけど、Mちゃんの返信とこの時間の空き方を見た時に、私は瞬時に「ヤバイ」とわかってしまった。

27人中20人以上の人たちがスピリチュアルなことは全く興味ない又は知らない人たちだった。

けれど、その人たちがすごくビックリするぐらいに自分の気持ちや想い・物語を色んな語り口で話した返信をくれた。

そうした返信を多くの人たちからもらっていたから、余計とMちゃんの返信に私は違和感を覚えた。

これが単に自分個人だけのことをする人ならそのままにした。

だけど、Mちゃんは今は副業的にヒーリング系の個人セッションを週末にしている。

いずれ、ヒーリング関係のお仕事を長くやっていきたい、そういう想いがあることもずっと知ってた。

実際に色々習いに行ったり学んだりしていることも知ってる。

だけど、その状態で、要は私が返信で見たMちゃんの状態でははっきり言って人の見えない部分に触ってはいけないレベルだった。

元々自分を内観する、自分の感情や思考を客観的に見ることが苦手なのは知ってたし、本人も苦手だと言ってた。

なんなら私がどうしてここまで自分を見まくるのか、そのことの意味も「何でそこまでするの?」と聞かれたこともある。

都度都度説明はしたけれども、今回同じものを色んな人たちに配って、そしてそれぞれの人たちからの返信を見たことで、Mちゃんが他と比べてもとにかく状態がよろしくないことがわかった。

スピリチュアルな業界で言われている三大御法度「自害(自殺)・他害(殺人)・他人の人生を振り回す」の中の3つ目、「他人の人生を振り回す」危険を感じるレベルだった。

人柄は本当に良い子だし他にもいいところはたくさんあるけれども、人の見えない部分を触るとなるとそれは話が別になる。

人柄だけではその仕事はできない。

専門知識や専門技術はもちろん、ものすごく細かな配慮も必要だし、そして色んなお客さんと関わるにあたって「内観」は100%必須になる。

自分のことを癒せなかったら人なんか癒せないし、自分の心の動きや感情を理解できなければ相手のものも当然想像することが難しい。

Mちゃんがなぜに内観ができないのかはわからない。

ただ、Oさんのところに行くと知っていたから、私はその日の夜Oさんと何かしらの用事でやりとりした時に、こんなことお願いする立場ではないんだけれども…と前置きした上でお願いをした。

Mちゃんが内観ができない理由はわからない、だけどOさんであれば霊視ができるから、チャクラの状態を見てもらってその上で内観できるように、その自分の内側に対して閉じているものを開く、そういう観点で見てもらえないかとお願いした。

理由もここに書いたような感じで説明した。

本人だけじゃなく、先々の人たちにも影響が及ぶ可能性があるからと伝えた。

私が言ったなどとは言わず、頭に入れといて下さいとお願いした。

私が直接言わないのは、言ったところで「友達」だということ、その友達という関係性ゆえMちゃんの中ではたとえ同じ話でもOさんという専門家が伝えるのと私という友達が伝えるのとでは違う、そして友達の話ではMちゃんには伝わらない、だからOさんに見て欲しいとお願いした。

Oさんはわかりました、自分としても話をしないといけないかなと感じることがあったとは言われていたから、大丈夫だなぁと思っていた。



>>>2月16日

上のSさんの話をやりとりした際に、Oさんから最後に報告を受けた。

武士俣さんからお願いされてた件に関しても話しました、Mさん泣かれていたのでだいぶショックを与えたかもしれませんが、伝えなければいけないことは伝えました、そんな風に話されていたと思う。

とりあえず、話は上手く運んだんだなと思って、そこについては知らないことになっているから、私の方ではそのままにしておくつもりだった。



>>>2月24日

YさんからLINEが来た。

Yさんは、Mちゃんと同じ職場で働いていた時に知り合った人で、臨時事業が終わってそれぞれ職場がバラバラになった後も時々何人かで集まる時に会っている。

Yさんにも『⑧覚醒』のブログを渡していた。

あれから3週間ほどして再度連絡が来た時には驚いた。

Yさんは「ブログ読んでるよ」と教えてくれた。

そして「今度Mちゃんと3人でモーニングかランチに行こう」と誘ってくれた。

大勢でワイワイするよりも、こじんまりとした人数で色々話ができたらいいねというのは11月か12月の辺りから言ってはいた。

それが今回突然このタイミングでYさんから提案されて、それでYさんがMちゃんにも私にも連絡を取ってくれて、それで3月2日に会うことになった。



>>>3月2日

YさんとMちゃんと私の3人でガストモーニングをすることになった。

Yさんは13時頃に「私帰るから、2人はゆっくりしといて!」と言って帰って行った。

Oさんのセッションの話は、私は自分から振るつもりが一切なかったから、Mちゃんが話さなければスルーの方向でいこうと思ってた。

Mちゃんは最初「ぶっしー、最近カードハマってるんだね!ブログで見たよ!」と話し始めた。

カードも楽しいからひとしきりその話をした。

その時に私は「Oさん」とは言わず、2月は人間関係を整理してかなり精神的にしんどかったことを話した。

Mちゃんはその後意を決したように、「ぶっしー、あのさぁ、Oさんなんだけどさ」とそこまで言ったら、目に涙いっぱい浮かべて、Mちゃんはその後言葉が続かなかった。

落ち着いてから色々話をしてくれた。

わりかし早い段階で、Mちゃんには私が人間関係を整理した相手はOさんだと伝えた。

私側の話も多少は盛り込んだ。

Mちゃんはこう言った。

「これまでの人生で、言葉で受けたことのない痛手を負った」と。

あまりにも落とされてばかりいて、何一つ言葉が耳に入ってこなくて、途中からは泣きたいわけでもないのにどんどん涙が出てきてどうしようかと思ったと。

1時間以上、言葉の凶器をひたすら向けられ、何にも頭に入らず、良いことも言われたかもしれないけれどもそれさえも見つめる余裕が全くなかった、そんな風に話していた。

とにかく傷付いてばかりで、言葉は宙を舞ってた風だった。

Mちゃんにも言ったけれども、私はデジャヴかと思った。

MちゃんとSさんは全く知り合いじゃない。

唯一の共通点は、Oさんから個人セッションをそれぞれ受けたことのみ。

私がMちゃんには名古屋でお世話になってた人ということでSさんの話をしたことは何回かあったし、Sさんには新潟に帰ってきてからスピリチュアルな話もできる友達ができたと言ってMちゃんの話は時々していた。

でもそれ以上どうだということはなかった。

だけど、SさんがOさんについて思ったこととMちゃんがOさんについて思ったことは全く一緒で、そして打ち合わせしたかのごとく全く同じ言葉で感想を言っていた。

それが何個かあって、私は別の意味で絶句だった。

何で別々のテーマでセッションを受けているのに、Oさんに関して同じ言葉での感想が出てくるのか、私には「えっ?うん?あれ?なにこれ?」という感じだった。

さらに話を聞くと、もっと絶句したことがあった。

Mちゃんが言う言葉に聞き覚えがあった。

「えっ?((((;゚Д゚)))))))」

Mちゃんは当日のセッションでいきなりど出発からOさんに「今のままだったらヒーリングをやめた方がいい」と言われ、その後も山ほどのダメ出しをくらって、ほとんど話が耳に入ってこなかったと言っていた。

その中で思い出したことを話してくれたその内容というか言葉というのが、私がOさんに伝えたことそのままだった。

Oさんがセッションの時に気をつけた方がいいことを私は文面で回答したことがあって、それも全部その言葉のまま言っていた。

私は絶句を通り越して、言葉さえ最初出てこなかった。

完全に私の伝えたことが、言葉だけ一人歩きしていて中身を何も伴わず、なんなら内容によってはMちゃんを傷付ける凶器やOさん自身の立場を守るための言い訳となっていた。

さすがにおかしいと思って、私は自分のOさんに向けて書いたものをMちゃんにいくつか見てもらった。

Mちゃんは「これこれ、全く一緒だよ!このぶっしーの言葉、そっくりそのまま言ってたよ」と言った。

そこで初めて私は、Oさんが「配慮しない・言葉を選ばない物言い」なのではなく、「配慮できない・言葉を選んで言うことができない」のだと知った。

そして言葉以外の部分から想像して、色んなことに配慮して何かを伝えることもできないから、真っ直ぐそのまま私が言ったことをMちゃんに伝えていたこともわかった。

Oさんの場合は、「しない」のではなく「できない」の方なんだとはっきりわかった。

かと言って、心の深いところをえぐる傷をMちゃんの中にそのまま残すわけにもいかないから、Mちゃんの話を聞いて、私が伝えられることは全部伝えた。

なんなら私がOさんにお願いした内観やチャクラの件も説明した。

これについても、どストレートに言っていて、オブラートに包んでないどころか説明が足らなさすぎて大変なことになっていた。

私がOさんにお願いした内容は、傷にさらに塩を塗り込むみたくなっていた。

本当の意図に関して、私の方で付け足して言った。

この部分が頭に入っている人だろうと思って私はOさんにお願いしていたけれども、言うなればOさんは物事の行間を想像してその部分の配慮というのが苦手を通り越してできないんだとわかった。

私がOさんにそれをお願いしたのは、要はMちゃんはヒーリング業界に今後携わるにしても、Mちゃんが今頭にあるだろう形ではないということ、そしてそれは別の形や分野でMちゃんの場合は強み・才能・資質があるということ、そしてMちゃんが今後力を入れるのはその本人の強みの方だということ。

Mちゃんにチャクラの調整だの内観だのを促すのは、Mちゃんにダメ出しをするためじゃなくて、Mちゃんを必要な方向に本人を導くための手段でしかなかったわけで、まさか良くするためのものが悪くするためのものに変わっているとは、私は言葉もなかった。

そこまでの見通しをOさんが持っているだろうと勝手に私は思っていたけれども、実際はそうではなかった。

だからその部分をMちゃんに説明した。

私はMちゃんと個人的に会うようになってからわりとすぐにMちゃんがヘビーな問題を抱えている人たちを相手にはできないことはわかっていた。

私は看板さえあげていない、なんならカウンセリングしますとかも言ってない時から、自殺未遂だの性的虐待だの億単位の負債抱えただの、そんなことを山ほど色んな場面で聞いていたから、どんなことに対してもそうしたことに驚かず変な色もつけずただ黙って話を聞くことには慣れている。

Mちゃんはその体験がないのと、プラス私みたいにとことん自分を内観しなければいけないほどの意味不明な強烈な出来事に見舞われてないというのも何となく感じていた。

だからそういうタイプの人は、何もヘビーな人たち相手にするヒーリングでもカウンセリングでもしなくていいし、はっきり言えば適性もない。

でもそれはヒーリングの適性がないのではなくて、その分野のヒーリングの適性がないだけ。

代わりにMちゃんなんかは、一緒にいると本当に楽しい人だし、一緒にいる人たちがその空気感に触れるだけで元気になったり明るい気持ちになれたりする、天性の朗らかさと明るさを持っている。

本当にまとってる空気感がきれいなのがよくわかる。

愛情たっぷりのおうちで育ったこともわかるし、旦那さんからもめちゃくちゃ愛されているのがわかる。

何もないとは言わないけれども、少なくともそうした家族関係で心底悩むとかいうことはない。

そして本人もヒーリングのガチの勉強は難しいと言うくらいで、でも他の分野にはものすごく興味がある。

適性がない=才能がない、じゃない。

【そこに適性がない=別のことに才能がある】ということ。

後日Sさんから言われたこともMちゃんに伝えてMちゃんはとても喜んでいた。

Mちゃんの家に初めておじゃました時のこと。

Mちゃんの家は、私が人生で遊びに行ったおうちの中で一番素敵な雰囲気のおうちになっている。

家は、当時大工だったMちゃんのお父さんと弟さんが建てて、内装はインテリア関係のお仕事に就いてる旦那さんが色々取り寄せて自分たち好みのスタイルにしている。

本当におしゃれなおうちで、そして家の至るところに小さな花やMちゃんが気に入った絵や写真なんかを飾っている。

何が驚いたって、何回かお茶やコーヒーを淹れ直してもらったけれども、その都度その都度カップや湯呑みが変わって、それがどれも本当に素敵だったこと。

Sさんにその話をしたら言った。

「それね、自然にできてることでしょう!そうやって自然にできてることが何よりもの強みだから、それを活かしたらいいんだよ!」

だから、そっくりそのままMちゃんにも伝えた。

そんな風に間接的にでも教えてもらった強みを本人に伝えることで、本人もそれを聞いて自分の強みを知ることになった。

Mちゃんは「泣きそー」と言ってたぐらいに喜んでいた。

すごい良い循環だと感じた。



Mちゃんは当初Oさんのことは私に気を遣って私には言わないつもりでいた。

そもそもの紹介者が私だったから。

大元を辿るとこうだった。

Mちゃんはある人からヒーリングの技術を何年か前から学んでいた。

私と出会った頃はすでにMちゃんは学びの途中にあった。

そのMちゃんの師匠にあたる人が私から見ると本当にありえない人だった。

力はあるのかもしれないけれど、その力を正しく使わずに他の人たちの人生を巻き添えにして人の人生を狂わすようなことをしていた。

私からしてありえなさすぎて、でもMちゃんは慕って習っているから、私は他人の人生だから人それぞれと思って黙っていた。

ところが春先のこと。

とうとう私はその師匠にも師匠の教えに疑いを持とうとしないMちゃんにもプッツンとなって、どっちが先か忘れたけれども、Mちゃんにそれを直接言った後か前に、私はなんと人生で初めての「呪い人形」的なサイキックアタックなるものを受けて、本気で1週間寝込んで、その後も1ヶ月近く体調不良を引き起こした。

師匠はMちゃんに付き合う人が変わったことと、その変わった相手が悪いから離れた方が良いと言ってきたらしい。

言うけれど、一度も私はその師匠とは面識がない。

なのにわかるって相当な透視力がある∑(゚Д゚;)

Mちゃんだって私のことを師匠に話したわけじゃない。

師匠の中では、「Mちゃんの付き合う人=武士俣史子=悪い邪悪な存在」となっていて、そしてその師匠のことをMちゃんにダメ出ししたら(ダメ出しというより間違っているから勇気を出して指摘した)、とうとう呪い人形のごとく見えないエネルギーが飛んできて具合が悪くなった。

映画やドラマの世界かと思っていたらそんなことが本当にあって、心底驚いた!(◎_◎;)!

ちなみに私は人生で一番具合が悪くなった。
((((;゚Д゚)))))))((((;゚Д゚)))))))((((;゚Д゚)))))))

で、それがきっかけで私は超色々調べまくって、信頼できるサイトがOさんのホームページで(除霊や洗脳とかそんなことが詳しく書かれていた)、当時は占星術の勉強で東京に行っていたから、そのついでにOさんの個人セッションも受けたのが最初だった。

Oさんは私を見ただけでその師匠からサイキックアタックを受けて体に出てしまったことをすぐに見抜いて、除霊やその他必要な体の調整は全部してくれた。

その流れで私の個人の勉強会も引き受けてくれた。

10月の終わりにOさんと最後に会った時、Oさんから「友達はどうなりました?」と聞かれた。

もし必要なら、除霊含めて対応するから僕のことを紹介してください、と言われた。

最初事情が事情だから無料で対応しますと言われたけれども、私がこれはきちんと技術を使ってしてもらうことだから個人セッションを紹介しますと言って、それでMちゃんにOさんを紹介した。

そうした事情も裏側にはあったから、そしてOさんもそれを知って初回はMちゃんに付いてしまった師匠のエネルギーの除去やそれが専門的に言うと何だったのかも丁寧に説明してくれて、それでMちゃんもMちゃんでOさんには並々ならぬ恩義を感じていた。

そうした諸々の経緯もあって、余計とMちゃんも私には本当に今回の言葉の凶器の件は言いにくいものがあった。

だけど、Mちゃんが話してくれたことで、私はSさんとOさんの件であったことの一部を伝えることができた。

Sさんの方もOさんのセッションを受けた後、Oさんから言われた言葉のいくつかがとても引っかかったことを説明した。

そしてMちゃんの感想とSさんの感想で全く同じ言葉が飛び出す度に「あ、それSさんも全く同じことを言ってたから」と付け足した。

要は真逆の対応がなされてしまっていた。

Sさんはこれまでの人生体験を基にして本当にガチで見えない世界のお役目をやっていかなきゃいけない人だけれど、Oさんはそれを積極的には勧めなかった。

Mちゃんは反対にMちゃんの強みを活かして、ハードでヘビーなヒーリングじゃなくて、「癒し」と言って柔らかい方のイメージのような方向でいく人だけれど、Mちゃんにはガチのヒーリングではダメだと言って終わってしまっていた。

それぞれが当然自分のことや自分の適性に悩まなきゃいけなくなるわけで、さらにはそもそもの言葉にもひどく傷付いていた。

だけど、私から双方の話を聞いて、初めて自分だけじゃなかったと知って、自分を責めなくて本当に済んだとMちゃんは言っていた。

そう、お互いの傷を知ることで、ずっと自分だけに向いていた傷が、自分の至らなさとかではなくて相手からの言葉に傷付いていたことに本当に気付けたと話していた。

MちゃんはOさんに会って以降、自分がOさんの言うことを上手く受け取れないことがダメなんだとずっと思っていて、ずっと自分だけを責めていた。

自分の受け取り方だと思っていたのと、傷が深すぎてそれをどうしていいかわからなくて、それを自分の中で消化するまでに半年はかかるかな…と思って、半年は私に会わないつもりでいたと話していた。

ところが、Yさんの声かけによって、半年以上先になるだろう予定のものが、急遽すごい早まって今回になった。

Oさんと会って2週間後ぐらいには私と会うことになって、その自分の中だけにあった傷を外に出してそれを共同作業で癒すことになった。

Mちゃんには言った。

たしかにOさんの言葉の使い方に関しては本当に酷いし、相手に伝えるならもっと伝え方がある。

だけど、今回何よりも大きかったことは、Oさんの言葉の凶器により、Mちゃんの中で人生で一番と言っていいような心に刺さった言葉の傷を受けたことで、Mちゃん自身の感性が開いたことだった。

それはMちゃんが本当の本当に自分の感覚と繋がるための、これ以上ないすごい大事な機会となった。

Mちゃんは、理由はよくわからないけれども、とにかく自分の内面や感情を見ることを避けようとしていて、それだけならまだしも、自分の感覚では自信がないからその自信のなさを他の人たちの感覚や考え、価値観で補おうとするところがあった。

私から見て本当にもったいなくて、あの家の状態を自然に保てるぐらいの能力がありながら、そうではない何かを自分に求めようとしていて、そして自分にない能力を持った人たちに師事したり教えてもらったりして、そちらの考え方や意見に何とか自分を合わせようとするところがあった。

だから本当の能力は違うところにあるのに、それに気付かない、というよりも多分気付いてても自分の私利私欲でMちゃんを囲う方が得だと考えた師匠が私は本気で許せなかった。

だけど、私がそんなこと言う立場にないし、言うのもおかしな話で、それでずっと黙り通した、あのサイキックアタックの時までは。

Mちゃんはその後師匠とはうまい具合に離れられたけれども、長年癖になっていた他人の感覚を優先してしまうところは、そうすぐには直らなかった。

Mちゃんは自分のできないところにだけ目を向けて、そのできない自分を埋めるために違う努力をしようとしてた。

自信がないところに師匠もやり方が偽物だったとわかり、さらに自分の感覚が信じられなくなっていたかと思う。

そんな時に、Oさんの強烈な言葉のパンチがバンバンと飛んできた。

再起不能と言わんばかりの言葉の凶器だったと思う。

だけど、そのおかげでMちゃんは自分のどこが痛むのか、自分でもどう受け止めていいのかわからないぐらいの感情や気持ち、痛みが出まくって、そしてその「痛みの感覚」によって「自分の感覚」をようやく手に入れた。

痛みの感覚だから、たしかに悪い感じでは残ってはしまうけれども、そうではなく、その自分の感覚そのものを本当に感覚的につかむことができた画期的な出来事となった。

痛みの感覚は人間は防衛反応があるから忘れられないシステムになっている。

だけど、その感覚のおかげで今度は痛みだけじゃなく、喜びも楽しみも快もその自分の感覚が全部教えてくれる。

他人や本、セミナーに頼らなくても、感覚そのものは自分の内側にあるもので、それこそがMちゃんが何よりも繋がらなければいけないものだった。

頭で理解できるものは外行けばいくらでも教えてくれるものがあるけれども、自分の感覚で理解するものは、誰しもが自分しか答えを持っていない。

その自分にしかない感覚をMちゃんは今回、言葉の凶器と引き換えに手に入れた。

やり方の良し悪しはさておいても、私はこれ以上ないギフトだと思った。

傷がもたらしてくれた、これ以上ない、生涯を通じて自分の味方となってくれるものを手にしている。

そういう意味で私は本当にすごい話だなと思った。

これは絶対にこれから先の時代に必要となるものだし、私の見立てだと、Mちゃんの魂レベルで必要な癒し且つ魂レベルで人生に必要なものだったから、半年待たずに今この機会が第三者によって設定されたんだろうなぁと思った。

「傷に最大のギフトが隠れている」

私はいつもそう思っている。

自分の傷に触るのも嫌だし、傷口を見るなんて悶絶しそうだけれど、でも傷は傷で終わりではなくその背後にはとんでもないギフトを持っている。

そしてそのギフトは、向き合った時にしかプレゼントされない。

Mちゃんが今回本当に向き合いまくった先に手にしたのが自分の感覚だった。

絶対に自分の中にしかない、自分の感覚こそが、これから先のMちゃんの人生を支えてくれる。

ヒントだって知恵だって色んなことを教えてくれる万能選手(=【自分自身と繋がること】)をMちゃんはようやく手にできたんだなと見ていて感じた。

現にMちゃんは会った日、メンタルズタボロなはずなのにすごいキレイだった。

元々すごくキレイな子だけど、何かこれまでにないものを持ってるなぁと思って見ていた。

Mちゃんにも同じ話をしたけれども、自分と繋がったから、それでエネルギーが自分の中で統合されて良い風になっているんだと思う。



もう1つ。

会った時に、私は自分の女性性に関してOさんに言われたことを例にしてMちゃんに話した。

Mちゃんはそれを聞いて即座に「それ、ぶっしー、絶対に違うよ!」と半分怒りながら言ってくれた。

私はそれが本当の本当に嬉しかった。

Mちゃんから見た私のことも教えてくれたし、私は私で良かったんだなと思った。

会って癒されたのはMちゃんだけじゃなかった。

私もMちゃんに会ったことで、自分の中にわだかまっていたものが癒された。



ーーーstory of Sさん *エピローグ*ーーー

今回の話をブログに書くにあたり、Sさんにも了解を得るために電話で話した。

その時に、すごい名言がSさんの口から飛び出したから、それを2つ紹介したい。

1つは、SさんがOさんに言われた言葉で、その解釈が変わったことを教えてくれた。

Oさんはセッションの時にSさんに「責任感の塊みたいな人」だと言った。

Sさんは当初それを良い風には受け取れなかったし、その言葉にものすごく反応された。

その言葉とずっと向き合い続けていた。

そして今回電話の際こんな風に教えてくれた。

「たしかに私は責任感が強い。その強さゆえ自分が苦しくなってしまうことももちろんある。
だけど、この間思ったの。
その責任感こそが私を生かしたんだって。
本当に目に見える持っている全てを失い…
家、車、人…
転がり堕ちるどん底の始まりだったあの時に、私を生かしたのはその責任感の強さだった。
働かなきゃいけない、家族を守らなきゃいけない、そう思って私は生きられたんだよね」

凄すぎる!と思った。

しかも「嫌な思いをしたのは、正に私が反応していただけよ(^ ^)これ、マジに」と、Oさんの発言についてはそう言っている。

どこまでもSさんは自分のこととして、起きた出来事も言われた言葉も受け止めている。

さらにもう1つSさんのすごいのはこうだった。

私はOさんに伝言を頼まれた。

Mちゃんとのことも含めて今回の一連のことを通じて、Sさんが提案してくれたことだった。

私の余計な言葉を省くために、Oさんに送ったままのものをここに掲載したい。

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【Sさんより伝えて下さいと言われたことです】

今月末愛知に行かれると思います。
その時に、もしSさんと話す時間があれば、Sさんから色々ヒントをもらってきて下さい。

Sさんは、「もし雑談できる時間があれば私に、色々たずねてみて下さい。私で役に立つところがあればドンドンお渡しします!」
と言われていたのでお伝えします。

Sさんは雑談のように話しながら、すごい深い内容のものを、Oさんに合わせて話をして下さると思います。
それはSさんが、これまでの人生で積み重ねてきた経験と努力とお金と時間と内観と各種講座で得たすべてのところから得ている知識からお話されます。普通には得られないものばかりです。
Sさんが、Oさんが放った言葉の凶器を前にしても、それでもOさんに対して何かできることがあれば…と言われる心は本当にすごいです。

なぜそこまでするのか、理由も聞きました。
「彼の能力を必要な人たちに提供して欲しいから。
そしてそれは相手が受け取れるようにして初めて伝わるものだから、そのために必要なヒントで私が伝えられることは伝えようと思うから」
そう話されてました。

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☆☆☆3月のメッセージ☆☆☆


【全体的なテーマ】
◎束縛・苦痛・何度も繰り返す自分が苦しくなるパターンなどからの解放
◎傷の癒し(魂レベルの傷)
◎自分の最もコアな部分(=コアな心の芯の部分)の癒しと再構築(又は再編成)
◎自分の基盤の整備・強化
↓↓↓
これらの作業やテーマを経て、ますます自分の感覚に基づいた自分だけの価値観や自分だけの感覚が育っていく。
その新しく育った感覚が、これからの7年間に大きく影響していく。


【具体的なヒント】
・この場合の傷は、今現在だけではなく、過去から繰り返し起きていることや自分の中で根深いものとなっている心の傷を特に指している。過去世からの傷も含まれる。

・固定観念や過去からずっと信じ込んでいるものが自分を動けなくさせている場合があるから、「他の方法や他の考え方はないかな?」と思ってみるところから始めると良い。

・癒しに関して、必要なヒントやアドバイスが、色んな形でもたらされる。

・自分にとって安全な場所や安息できる場所を見つける。それは物理的な場所だけじゃなくて、心にとっても安心安全でいられるポイントを探す。

・魂レベルでの痛みや傷を解放していく時期に入っている。
(強烈な出来事を伴う場合もあるけれども、どんな時も希望を持ち続けることが大事!)

・流れに身を任せる。無理矢理自分で道を拓くよりも、今目の前にやってきたチャンスややってきた出来事に身を置いてみる方が、よりスムーズに物事が運ぶ可能性が高い。

・人生において喜びを感じられない部分を癒す時。

・【楽しい、喜び、快、愛情を感じるもの】というようなことを基準にして選ぶ。
例えば、心の傷を癒すにしても、どうでも苦しくなる方法を取らなくても、気持ちを少しでも軽くしてくれるものとか、自分がそれに触れていると心安らぐとか、そういう方法を選んであげるといいかなと。

・「快か不快か」どちらかを選べという時は、「快」の方を選んでいく。
仕事の関係とか家庭環境なんかで選べない状況の時には、その状況に自分の身を置くことに対して「自分は何てダメなんだ」じゃなくて、「自分がんばってるね」と自分をねぎらう、自分にやさしくする!

特に普段から「自分は何やってんだ!」「自分って何でダメなんだろう」とかダメ出ししまくりな人、そういう自己否定の傾向が強い人ほど、【自分にやさしくする】ことを本気で自分のためにやってあげて下さい。自分しかそれはやってあげられません!

・長い目で見て、より自分にとって良いものを選んでいく

・1つのことにとらわれないあり方を選んでいくこと。絶対にこのやり方じゃなきゃダメ!なんていう風にすると、自分の首が絞まる。

・自分で自分のしあわせを創っていく。

・自分にとって好ましい方法で物事を進めていく。

・「好ましい方法」という中に「逃げる」が含まれる場合、ケースバイケースだけれども、「楽だから逃げる」はこの時期絶対にやめた方がいい。それすると、後からもっと問題が拡大して、もっと自分が痛手を負うことになったり、自分の首を自ら絞めることになるから勧めない。
少しでもいいから、目の前の問題や出来事に積極的に関わるという中で「好ましい方法」を選んでいく。

・3月6日に天王星が牡羊座から牡牛座に完全に移行することで、ますます五感の感覚が生きていく上でものすごく大事になっていく。損得勘定とかで判断せずに、「自分はどういう方法だと心地良いか?気持ち良く過ごせるか?少しでもリラックスして緊迫した状況に向かっていけるか?」というような視点で見ていく、選んでいく。

・大事なものを自分の手で守って育てていく。
この場合の「大事なもの」は【自分の基盤、自分の大切な人たち】。

・自分の本音や気持ちを信頼できる他者と共有する。
「信頼できる他者」の「信頼」の部分が、これまでの人間関係においての価値観とは違う価値観になる場合もある。
(下の【備考】の話を参考にして下さい)

・キーワードの中に「セレンディピティ」と出たので、ウィキペディアからそのまま引用。

《素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。》

(以下3点は『Daily Guidance オラクルカード』のガイドブックより)

・「ひとつのことにとらわれないあり方を選ぶことによって、より良い結果がもたらされる」

・「緊張感、そして『何でも自分でしなければならない』という気持ちを捨てれば、ものごとはよりうまくいく」

・人とのかかわり合いの中で、権力闘争的な状況はできるだけ避ける。自らが宿す力を認めれば、あえて勝ち取るものではないことが理解できる。


【備考】
『魂レベルの痛みや傷』とは…

自分の人生において繰り返し起きるパターンなど。

例えば私であれば、これまでは「お世話になった人に対してはきちんと仁義を果たさないといけない」みたいな、忠誠心的な気持ちが強かった。
お世話になったらその分きちんとお返しをする、自分にできることはする、というやり方を続けていた。
ところが今回、そうもいかず、Oさんからのお願いはますます専門的になるわ、私自身はもう本当にどこから言われたくない言葉がやってくるかわからず気持ちが本当に弱り切ってしまったりと、このままにはしておけない状況になってしまった。
そこで、新しい選択「自分が言える範囲でOさんに自分の気持ちを伝えること」と「お世話になった人から頼まれたことを断ること」を取り込んだ。
するまでもだしその話の最中も死ぬほど怖かったけれども、それをしたことで自分自身がすごく軽くなれたのと、そして何よりも「別の方法や考え方がある」ということを実体験を通じて感じられるようになった。
しかも、「そうしよう!」と決めた後から、周りの人たちからヒントや励まし、アドバイスをもらえたりして、本当にたくさん助けてもらえた。
ちなみにこれ、Oさんだけではなく、過去にもものすごい似たようなパターンで繰り返し私の場合は起こっていて、これまでは逃げるかさりげなくその関係から徐々に離れるというやり方を取っていた。
だから今回が本当に初めてこれまでとは違う方法で、苦手なことに取り組んでみた。そうしたら自分にとってプラスな結果を手に入れた。
この辺りが参考になれば幸いです。

2019年3月4日月曜日

奇跡の果実▷ウラ話⦅14⦆繋がる縁



《写真たち》
・プロレス女子さんから仕事でもらった付箋
・当時の様子を絵に表したもの
(個人的に気に入ってる絵)
右の白いのは、カリブ海の砂浜に落ちてたもの。約10年前にハート形が可愛くて持って帰ってきた。
・わかりにくいけれど、その人のちょっとしたクセを絵にしてみた。黒いのはイス。


>>>2019/02/28

朝のカード引きの練習。

1枚目のカード。
「あなたは何を望んでる?」

2枚目のカード。
「男・紳士・ソウルメイト」

向き合うことよりも、ちょっと逃げたいテーマで目を伏せた。



>>>2019/03/01

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今、Wさんという男性スタッフが、気持ちよくヘルプに来てくださったので、
ブッシーちゃんの事
話してしまいました(^-^)

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名古屋のSさんがLINEをくれた。

Sさんは時々とりとめもないことを連絡してくる。

私はあまり気にも止めず、そしてそのすぐ後に娘さんとのことでもっと重要なことをSさんは書いていたから、私は上のことには適当に返事して娘さんの話に対してはきちんと返信した。



>>>2019/03/02

前回の【『奇跡の果実』が生んだ奇跡の果実】
7:39アップにはなっている。

だけど、実際には2日になってすぐの真夜中に書いた。

書きたいことだった。

あんなに短いくせして、長文の記事よりも力や勇気が要る。

アップするまでああでもない、こうでもないとかなる内容で、でも今しか書けないと思ったから書いた。

あの中で私が一番言いたかったのは、繋がりを本当に感じられるようになったことだった。

それは、私にできる唯一の伝言だった。



昼過ぎから22時過ぎまで9時間、ガチのカウンセリング的なセッションをした。

とても濃密な時間で大切なこと満載、さらに『奇跡の果実』の新ネタ登場で凄かった。

何で9時間も必要だったのか。

一言で言うなら、それだけ相手の心の傷、そこの癒しに全力だったから。

友達の言葉を借りると「人生で受けたことのない言葉での痛手を負う」ことがあった。

友達からブログ掲載快諾してもらえたから、というよりむしろ「ぶっしー、ブログに書いて!」と言われたから、これは私の心の傷とそしてSさんの心の傷と3人分合わせてすごい癒しが起こったから、それはまたおいおい本編にて登場。

(心の声:
いつ『奇跡の果実』終わんの?( ̄ཀ ̄;;))

読者サービス的な情報をば1つ( ̄∀ ̄)。

☆☆☆今現在、やっぱり本当に魂レベルで何とかしなきゃいけないことは、異常な速さで叶うし、何とかなったりする☆☆☆

しかも、叶い方もかなり不思議な形で叶ったりする。

昨日の話はこうだった(書いてるのは3/3)。

友達と私は、そもそも昨日会う予定なんて全くなかった。

ところが共通の友達が私に最初連絡をくれて、それこそこの『奇跡の果実⑧覚醒』を私が送り付けた1人で、その子がブログ読んでるよと言いながら連絡をくれて、近いうちにモーニングかランチしよう!となった。

そしてもう1人の子と3人で朝から集合して、ガストに朝の9時半から夜の22時半過ぎまで居続けた( ̄∀ ̄)。

13時には最初誘ってくれた子は帰って、その後ずっともう1人の子のグサリと心に刺さった言葉の傷の癒しの作業をガストで延々としていた←もはやどこでもできる。

その子はその内容については私には言うつもりがなかったのと、そしてそれを理由に半年は私には連絡を取らず自分1人で何とか解決するつもりでいた。

ところが急遽3人で初めての集いが開かれることになって、しかも音頭を取ってくれた子は音頭をとること自体それが初めてだった!

だから、心負傷中の友達と私は、これまでなら2人で連絡を取り合って2人で会っていたけれども、今回は私たち2人は連絡を取り合わず、代わりに別の友達が私たち2人それぞれとやりとりして、ガストでの会合をセッティングしてくれた。

前代未聞の流れで、しかも当事者である2人は何も手を下さずに、第三者(=もう1人の友達)によってわざわざ場が設定された。

負傷中の友達の傷はまだ生々しく最初こそ凄かったけれど、最後はきれいになった。

そう、半年も1人で抱えるのではなく、それをきれいにして次なるステップに行くことが必要だと思われるから、それでいきなり半年も早まって傷を癒すための機会が突如設けられた。

この辺りも本編に登場する時にもう少し詳しく書こうと思う。

今日のメインは別の話だから。

で、その傷の癒し作業の時、私の心の傷にもとっておきの薬を塗ってもらえた╰(*´︶`*)╯♡

♡╰(*´︶`*)╯♡←本当にこういう気持ち。

ちなみに私の中で超絶気にかかっていた言葉の凶器は「女性性」だった。

スピリチュアル用語だとわかりにくいから、一般的な言葉だと「女性らしさ」が近いかなと思う。

私の中で一番二番を争うぐらいに触りたくない、超デリケート過ぎる内容・歴史満載過ぎるもの。

普段そんなことは表に出さないけれども、私は女らしさをあれこれ言われると非常に傷付く。

はっきり言って、「女らしさ」について触れられる時、良い思いをしたことがほとんどない。

基本的に元気だし、体格も良いし、人に会う時は表の顔でいるから、ポジティブな人と思われやすい。

それはいいけれど、実際はすごい色々気にするし、変に細かいし、感じやすかったり敏感過ぎたりする。

私の男友達たちはその辺りの見極めが上手で、性差ない付き合いをしてくれる一方で、重たいものをさっと持ってくれたり、私を歩道側にさっとしてくれたり、他にも何かすごく良い感じでの気遣いをしてくれる。

ゴイゴイ酒を飲む時は一緒に盛り上がるし、静かにしていたい時はそっとしといてくれるし。

なんか良い。

だから男友達たちはまず私に女性らしさがどうだのとは絶対に言ってこない。

せいぜい言ってきても「ぶっしー結婚は?良い奴いないの?」ぐらい。

だけど、世の中にはデリカシーのない人たちももちろんいる。

今年に入ってから言われた言葉の1つ。

男性から「武士俣さんよりも僕の方が女性性が強い」だった。

私は本気でへこんだ。

しかも、自分は信念を持って貫いた行動をして、それで言われた言葉だったから尚のこと傷付いた。

私の異常な行動量はわかるけれど、それを見て言われると本当にきつかった。

その時の話を友達にしたら、「それ絶対に違うよ!ありえない!」と本当にたくさんの言葉をかけてもらえた。

友達は私の気遣いや心くばりを本当に正当に見てくれて、それでその言葉はないわとバッサリと切り捨ててくれた。

言った相手のことも知っていたから、余計と「それはない!」と言い切ってくれた。

本当に嬉しかった。

急遽決まったガストの会は、友達の傷を癒すことがメインイベントみたくなったけれども、私の方の傷も癒してもらう大切な機会となった。



>>>2019/03/03

名古屋のSさんに電話する時間をもらった。

上に書いた友達が、傷の癒しのプロセスを公開することを快諾してくれたから、Sさんにも公開していいかどうかを聞いた。
(私たち3人とも、同じ人たちから被害に遭ってる)

ついでにWさんに私の何の話をしたのかを聞いた。

「ぶっしーちゃん、あの人だよ、Wさん!
ほら仕事で一緒に組むことがあるって話してた人!山男みたいな人だよ!」

「あー、前言ってた人ですね?」

「そうそう密猟の人!」

「わかりました!海で何か自分で潜って採る人ですよね!」
(※これが密猟に当たるらしい)

「そうそう!」

「で、何言ったんですか?」

「ごめんね、ぶっしーちゃん。
私ああいう感覚の時って言っちゃうんだよね」

「何ですか?」

「まず、Wさんに聞いたんだよ突然。
『今彼女いる?』って。
『いませんよ』って思った通りの答えが返ってきてね。
でさぁ、言っちゃったんだよね、口が勝手に。
『あのさぁ年の頃は、39か40で、新潟の子でさ、なんかねずっとずっと前から思っていたんだけど、2人何か繋がる感じなんだよね』
とか言い出しちゃったわけ、口が勝手にね」

「(爆笑)!口が勝手に言ったんですね!」

「いや、でもさ、本当に前から言ったことあったと思うけれど、本当に私の中で何か繋がるんだよね、2人が。何でそんな風に気になるのかわからないし、何か繋げたいっていう感覚なんだよね。何となく、何かお互いに繋がりのある人なんだろうね、ぶっしーちゃんとWさん。
で、私さこういう感覚になって引き合わせた人3組実はいて、みんな結婚してるんだよね。私がキューピット役をやろうと思ったんじゃなくて、何か引き合って繋がる感じがしたから合わせると、どういうわけか繋がるんだよね。
もっと言うと、私そもそも何で今このタイミングでこんな話をまた唐突にしてるのか自分でもよくわからないし、そしてしばらくWさんと週1くらいのペースで仕事一緒に入ることになったんだよね。不思議だよね」

「そうなんですね〜。ちなみに他に私の何を伝えたんですか?」

「ぶっしーちゃんがJICAで海外にも行ってたと言ったら、『どこですか?』って聞かれて、『ドミニカだったと思うよ』って。
『何してたんですか?』って聞いてきたから、『貧困街の自立支援』って言ったら、『すごい話聞いてみたいです』って言ってたわ。
Wさんも海外に行ってた人だから、すごい食いついてたよね」

この情報は単純に嬉しかった。

『貧困街の自立支援』なんていう言葉に食いつく男の人なんてまずいない。

もっと言うと、私のそんな歴史に興味を持つ人も日本帰国後一度も会ったことがない。

みんな表面的な質問はしてきても、内容に食いつくなんてことはまずない。

「じゃあ私がSさんのところに1週間ぐらい滞在させてもらう時は、Wさんにも会ったりしますか?」

「そりゃそうなるでしょうね〜!Wさんにも言ってあるから!うちは家族みんなでぶっしーちゃんにお世話になってるから、子どもたちもみんな知っているし、特にAとWさんは気が合うんだよ!そのAと英語をやりとりしてるってWさんに言ったら、『それすごいですね!』って褒めとったわ。『僕はそこまでの英語力はないですよ!Aくんの分を見れるって相当ですね!』って、本当に良い顔して言ってたわ!」
(注:Aくんは『奇跡の果実(18)ギフテッド〜天からの贈り物』に出てくる主人公。「ぶっしーさん」と私を呼ぶだけでメロメロにさせてくれる男の子(o´艸`))

「じゃあみんなでごはんですか?あの喫茶店とかで」

「いや、違うでしょ。2人で居酒屋とかじゃない?」

Sさんには実は本当に私の個人セッションの宣伝をお願いしていて、早ければ今月か来月に名古屋に行くことになるかもで、そうしたらWさんと会うことになる。

Sさんはこうも言ってた。

「Wさんは本当に人に尽くせる人なんだよね。私はそういうことは、人を上げるためにとかお世辞とかで言わないの。Wさんは、本当に人に尽くせるし、そしてそのやり方が本当にさりげなくて素敵なんだよね。それを本人に直接言ったら、『僕そんなことないですよ!むしろ人にはそんなに尽くしてないと思いますよ』って言うの。全然それをすごいとも思わなければ、そんなことないって本当に謙遜とかではなく言ってるところが本当にすごいんだよね。
あ、あと、女の子とか恋愛とかは苦手な方だと思うんだよね 笑」

「っていうか、何でその人独身なんですか?ゲイなんですか?」

「いや、それはないと思うよ、話の感覚で。本当はカッコいい人なのに、なんか気付いたら山男みたいになってたけれど、本当はカッコいいんだよね」



頭の中で色んな思いが巡った。

多分本当にSさん宅にお世話になる時、間違いなくWさんに会うことになると思う。

しかもSさんのあの「口が勝手に言い出してた」発言は本気で怖ろしい。

Sさんは勘の良さは相当だから、そして過去に3組ものカップルを繋げた実績からも、あながちSさんの感覚はズレてはないと思う。

ただ、Sさんも言うように「何で今このタイミング」なのかがわからない。

なぜならWさんの話はさかのぼることかれこれ4年ほど前から話題に上ったことが数回ある。

ちなみに私の記憶の中のWさんは、仕事中にも関わらず、側から見て怪しげだったようで警察から職務質問されたことだった( ̄∀ ̄)。

真っ当なことを、しかも仕事内容は本当に尊いのに職務質問って面白すぎる!と思ったし大笑いした。

最初Wさんの名前を見てもうろ覚えすぎて、「これ誰だっけ?」と思った。

話を聞いてすぐに思い出した。



私はこうしたことに関しても、正直な気持ち、私が何とかできることじゃないと思っている。

家に引きこもっていたら山で行方不明になった人をペンジュラムで探して欲しい、なんて頼まれるぐらいに、もしくは年明けに霊視ができるOさんと電話で話してたらその行方不明になったままのおじいちゃんの霊魂が現れたように。

とにかく、私の身に起こることは、自分でコントロールして起こしたり起こさなかったりできるものじゃない。

だからWさんと本当に何かしらの縁があるなら、それが結婚とかでなくても縁があるなら、もう必然的に会うことになる。

話に聞いた限りだと、多分Wさんはとてもウマが合うタイプの人だと思う。

ましてや色んな数々のことを言い当てたSさんが「どうしてかわからないけれど、引き合わせたい・繋げたい」と言うぐらいだから、相当な縁の強さを持つ人の可能性の方が高い。

色んな気持ちが交錯した。



数日前のカードのことがまずは頭をよぎった。

「望んでいるものーー男」、これは思い当たる人は1人しかいない。

でも、どうそこと向き合っていいのか私には正直わからない。

もう繋がっていること、このブログが繋がるためのツールになってることも確信している。

だけど、現実的には何にもないわけで、何この繋がり!?といつもどこかで感じている。

「寂しい」が気持ちとしては近い気がする。

繋がりたい方法とは違う形で繋がってると知っても、それが望んだものではないから、どうしてもぽっかりと心のどこかに穴が開いている。

そして、前世療法を受けるとかいう話が出てきたあたりから、私側の覚悟がかなり決まってきたことは感じていた。

もう生きているうちに再会することがないのであれば、そういう特殊な手段を使わせてもらってでも、自分が少しでも納得できる答えが欲しいと思った。

それは、そういう形でもいいから、私はその人に会いたいから。

きちんと繋がっていたんだと知りたいから。

他にも何かあれば知れたら嬉しいだろうなぁと今は思っている。

でもそれって、ある意味私の中で「終わっても仕方ない」と決めたんじゃないかと思うこともなきにしもあらずな感じがする。

そして、もうひとつ。

今の私の周りは、ちょっとではなくとても異常な空気感の中で物事があれこれ水面下で動いていることにも気付いている。

どの程度のパーセンテージかは知らないけれど、かなりなボリュームで霊界からのエネルギーが入って来ていると思う。

だから、最初に話した友達の傷がある程度癒える予定が友達の見立てでは当初半年先だったものが、今すぐ癒される設定に勝手にセットされた。

私たちからすると「勝手にそうなった」ように見えるけれども、実際は『必然で』そうなったと思う。

こういう不自然なほどの必然さが私が言う「霊界からのエネルギー」で、こうしたことははっきり言って人知を超えたレベルのことだから、私たち人間は関与できない。

だから、本当に起こるべくして起こることが起こってくるし、起きてはいけないことは私たち人間が綿密に計画していても絶対に起こらないようになっている。

そこまで考えた時に、私が本当に繋がりたい、本当に何とかなって欲しい、その人とはどうなってるのかと真面目に疑問に思う。

何にも繋がっていないと信じていた以前に比べたら今は大進歩だけれど、それでも望んだ形とは違う。

一方、望んでもないのに、Wさんとか出てきて、そちらは名古屋に行きさえすればトントン拍子に進みそうな気配を漂わせている。

しかも、私は客人でいられそうだから、その人の時みたいに、まずは「誘う」ところから3週間もどうするか悩みに悩み抜いて誘うことから始めなくていい。

その人から仮にOKもらえたら店はどうするのか、当時はあまりの心の余裕のなさに考えることにさえ行き着かなかったけれど、今度のWさんは私が店の心配をしなくてもいい。

多分相手が段取りを組んでくれる。

背格好も考え方も性格も、申し分ない。

しかもSさんの家族ぐるみで仲良くできる人だから、それだけで超良い人だとわかる。

でもそれだけある意味条件が揃っていて、本気で私が名古屋なんかに行った日には色んなことが動きそうな勢いさえ感じるけれど、私はちっとも嬉しくないんだとわかる。

むしろ悲しくて悲しくて仕方ない。

こういうことさえも、私は自分の気持ちとは相反するものを受け入れていかないといけないのか…と思う。

会いたい人には会えない、繋がってると知っても会えない。

私には悲しい部分だけがずっとずっと心に広がっている。

そこにさらに追い討ちが来た。

夜になって少しだけ出かけてきた。

車に乗っていたら、通りにある少し先の家で葬式だったようで、提灯みたいなぼんぼりみたいなのが出ていた。

その家の前を通った。

「〇〇家」と灯りに照らされて浮かび上がった文字は、その人と同じ苗字だった。

いつもなら喜べる。

でも私はそれを見た最初は一瞬だけ喜んで、次の瞬間からは「どうしてお葬式の提灯なんだろう?」とそこばかりが気になった。

葬式ということは誰かの命が終わったということ。

すなわち終わりを告げるサイン。

そこにその人と同じ苗字が刻まれている。

私はこの1年半近く、多分1000回以上はその人の名前を色んなところで見てきた。

本当にすごい出現率で、基本毎日だし、その霊界エネルギーの関係なのか、最近は1日の中で2回3回と見ることがずっと続いている。

あまりに多いから、以前ほど驚かなくはなった。

だけど、これだけ回数を重ねていても、葬式の提灯という形ではこれまで一度も見たことがない。

今回が初めてだった。

気になって、友引カレンダーをチェックした。

葬式や通夜は友引に執り行わない。

昨日3/2が友引だった。

今日の今日で葬式を出すかも知れないけれども、どちらかと言えば昨日友引だから出せなくて今日になったのかなと思う。

必然のように見させられた感が半端ない。

終わりなんだろうか…。

今の状況が終わるのは大歓迎だけれど、あの提灯を見て私はそんな明るい展望など一ミリも抱けず、代わりに心は沈んだ。

形のない繋がり…。

魂の関係の情報には、そんな言葉がいくつも並ぶ。

私はその情報たちが大嫌いでたまらない。

どうして肉体を持って今生きているのに、形のない繋がりをあえて選ばなきゃいけないのかと思う。

そんなの死んでからでいいじゃん!と私なんかは思ってしまう。

死んだら否が応でも体ないんだからさ、って。

今度こそ本当に色んなものが終わっていくのかな…なんて少しでも想像すると、私は心の中が発狂しそうになる。



なるようにしかならない人生。

お願いだから、その人のそばにいさせてください、その人が年を1日1日取るところを隣りで見させてください。

それをずっとずっと願っている。



誕生日が8日後に迫っている。

なんとなくそこが一区切りなのかと思う。

もう繋がる人たちとしかますます繋がらなくなっている私の人生は、ある意味不自由な感じがする。

その中にその人はいるんだろうか…?といつもいつも何十回でも何百回でも思ってしまう。



2週間前の2月17日の日曜日。

私はその時にノートに「僕の方が武士俣さんより女性性が強い」と言われて嫌だったことやすごくモヤモヤしたことを改めてノートに書き殴った。

そして、その時に「はっ」とした。

その人がしてくれた行為をもう一度、よ〜く思い出した。

1年8ヶ月越しに初めて気付いた。

その人がしてくれたことは、単純な気遣いとか心くばりなんかじゃなかった。

その人がしてくれたことは、私を女として扱っての気遣いだった。

もし私が男なら、その人は絶対に私にしたようなことはしなかった。

私が女だからという理由も手伝って、してもらえたことなんだろう…ということに今さらだけど初めてわかった。

ノートの不満を書いた下のところに今度はこう書いた。

【〇〇さんがしてくれたこと
魂レベルでの癒しー女性性。傷付いている部分にこの世で一番効くばんそうこうを渡されたみたい。】



今のIT技術に私は、今回ほど感謝したことはない。

機械音痴の私が、ある日ボタンを間違えて押したことで、普段見ることのない画面がある時表示されることになった。

何だこれ?と思って、私はピコピコと次から次へと何が出てくるかもわからずに押してみた。

単なる興味本位でやっただけで、元々の使い方を知らない私はそのまま次々に切り替わる画面をただボーッと見ていた。

ある画面で手が止まった。

今となればスクリーンショットを撮っておけば良かったと思う。

それはどの記事が読まれたかを統計にされた画面だった。

記憶が曖昧だけど、それが本当にわかる形でその人がブログを読んでくれてるとわかった、初めての目で見て確かめることのできるものだった。

最近の話じゃなくて、うんと前の話。

それからは時々チェックするようになって、そして今は毎日チェックをする。

そして最近。

『奇跡の果実』シリーズが発動してからは、当然毎日『奇跡の果実〜なんとか』みたいな記事が読まれたと表示される。

トップ10までしか出ないけれど、とにかく上から下まで、
奇跡の果実ー
奇跡の果実ーー
奇跡の果実ーーー
と延々と続く。

そりゃ直近の記事の方が普通に考えて読まれるわけで、そういう統計で当たり前だと思う。

ところが何日か前の平日。

その日が何だったのかなんて私は知らない。

もしかしたら有給を取っていたのかもしれない。

普通に会社に行っていたら仕事中の時間。

そうしたら、なんと上から下まで、「奇跡の果実」という文字が1つもない。

えっ?と思った。

1つぐらいあっても良さそうなのに、1個もない。

代わりに、違う記事たちがずらずらずらっと並んでいた。

そのタイトルたちを見てわかった。

これは本人じゃなきゃ絶対にわからない。

むしろ書いてる私でさえ、見に行かなきゃ何が中に書いてあるのかわからない記事のタイトルがある。

でも、その人は当事者だから、わかる。

今日現在889記事がすでにアップ済みになっている。

そんな中、ピンポイントで特定の記事だけを集めるなんて、しかもタイトルだけ見てもわかりにくい私のブログだけを集めるなんて、至難の技すぎる。

少なくとも私本人でさえできない。

それをきれいに集めてというか、ターゲットを絞って見るなんてものすごい話なわけで、それが私にとっての確信に変わった。

あぁ本当に繋がってるんだ、って。



私はその人と同じ職場にいた時、その人と仲良くしていた女の人で私も個人的にとても好きな女の人が言っていた。

仕事中にその人が個人的な内容のLINEをしてくることはまずないこと。

その2人は共通の趣味「プロレス」で繋がっている。

1年前の今ぐらいな時期、その人が異動でいなくなって5ヶ月ぐらいの時だった。

仲良しの女の人の隣りで私は何かしらの仕事をしていた時だと思う。

「あれ?私言わなかったでしたっけ?」と始まり、その人と私が初めて顔を合わせた私の仕事初日の時の話を教えてくれた。

「〇〇さん、武士俣さんが来た日、仕事中私に『ブシ』とカタカナで書いたものをLINEで送ってきたんですよ。初め何を意味してるのかわからなくて、私別のプロセスのことを思って返したんですよ。でも違ってたみたいで、なのに全然ヒントもくれないし返事もないんですよ。
それでふと思いついて、昼休みジムさんに『新しい人の名前なんでしたっけ?』って確認して、それで『ブシマタさん』とわかってそこでようやく意味がわかったんですよね。それ返信したらやっとその通りってきて。
っていうか、〇〇さんが仕事中にLINEするってまずないんですよ。仕事中はプロレスの話もしないし。だからあの時わざわざLINEしてくるって相当すごいことなんですよ!」

その当時のやりとりをその場で探して、「ほら、これですよ!」と言って見せてもらった。

たしかに「ブシ」と書かれていた。

そして一言最後に言われた。

「それ位〇〇さんには重要なことだったんですよ」



そう、仕事中にそうした個人のやりとりなんかしないはずの人なのに。

つい数日前の平日、とにかくその人しか読む人もいないだろう記事のタイトルがいくつも画面上に並んでいた。

有給とかならまだわかるけれど、仕事中ならその人はそんなこと普段する人じゃない。

期待してしまう、その人にとっても私のブログが何か特別なものであると…。

書いていて今頃わかった。

私はプロレス女子さんが最初の頃から好きではあったけれども、それはその人と繋がってるとかそんなこと何も知らない時からそうだった。

そしてそのプロレス女子さんだけが唯一私が職場で仲良くした人で、そしてどういうわけか私はプロレス女子さんからやたらとその人の話を色々聞いていた。

プロレス女子さんが繋がってくれてないと、その人にとって私の苗字が何か意味のあるものだなんて知ることも絶対になかった。

しかも、苗字なんて自分じゃ決められない。

生まれた瞬間に与えられたもので、自分が好きこのんで選べるわけじゃない。

そしてその人の趣味だって私は決められない。

世の中にどの位のプロレスラーが存在しているのか数は知らないけれど、その人の好きなプロレスラーと私の苗字がリンクしてるだなんて、誰が想像できただろう。

しかも2人が趣味で繋がってる仲良しさんとは知らずに、プロレス女子さんと私は仲良くなれた。

幾つもの繋がりを経て、今に至っている。



ありがたいことに、そうやって足あとみたいなのを残してくれてるから、私は私でタイトル見ても意味不明な記事を見に行くことができる。

そうした中、つい最近、自分で付けたことさえも忘れていたタイトルが統計画面に現れた。

センスがあるんだかないんだかわからないけれど、とにかくすごいタイトルで、まぁすごいと言うのはタイトルからではとてもじゃないけれど、何を書いたのかわからないもの(@_@)。

読んで驚いた。

今日書いたのか数ヶ月も前に書いたのか、全く違和感なくその中に入っていけた。

話の中での時間軸がわからなくなった。

感覚が変で、過去のその日でも今日でもない、とにかくそれは未来永劫、永久不滅なものの中で紡がれてるみたいだった。

その中に綴られていた自分の心情は何も変わっていなかった。

今も当時も一緒のままで、それがより一層よくわからない感覚を呼び覚ますのかと思った。

途中からボロボロ泣けてきた。

色んな想いがどんどん溢れてくる。

目で文字を追いながら思った。

その人の目はどんな気持ちでその文字たちを追っているんだろう?って。

その文字の向こうには何を見ているんだろう?って。

その人も読んだと思しき記事を私も読む。

その人の目の動きを想像する。

そこまで具体的に想像してたら、また涙がボロボロと出てきた。

いつかの夕方の時間を思い出す。

私は普段電話対応をしなくて良かった。

どうしても手がない時だけ対応する。

その時、1本の電話を取らざるを得なくて私が取った。

その人宛の電話で、「戻り次第折り返します」と先方に伝えたら伝言して下さいと言われてしまった。

また伝言が全然何を言っているのか私は理解できなくて、そんな超イレギュラーな伝言を預かった。

それでも私は、「本人に渡せる(♡´艸`)」と思って張り切ってメモを書いた。

なのに、ジムさん経由で渡すことになってしまった(T_T)。

仕方ないからメモを渡して、「あーあ、私渡したかったのに(T ^ T)」とかいつまでも心の中は悪態ついてた。

私が帰る段になって、その人がジムさんからメモを渡されていた。

時が止まったかのように、その人は随分と長い時間、ずっとメモに視線を落としたままだった。

私は最初自分が何か間違えたかやらかしたかと思って様子を伺っていたけれども(←ちなみにガン見)、そうではなさそうだった。

どんなに長くても15〜20秒もあれば読み終わる内容だった。

なのに、数回は繰り返し読めそうなぐらいの時間、じっとメモにだけ視線をを落としていた。

その時の様子が思い浮かぶ。

あのいつかメモをじっと見ていたように、目でこのブログの文字を追ってくれているのかな…と想像すると、涙が出てくる。



こんなに色々と赤裸々に書いたら、もうブログは見てくれなくなるかもしれないなぁと思った。

Wさんのことで何か動けば、そちらは超ネタとして面白すぎるから私は確実に書く。

だけど、その人のことで何か動きがあっても、今度はもう何もここには書かない。

それはネタにできないから。

ネタにできないし、ネタにしたくない。

それは私だけが知ることのできるストーリーだから、それだけは自分で独り占めしたいと思う。



私は本気で賭けることにした。

もし本当に繋がれる人だとするなら、その人とは必ず繋がる日が来る。

私はブログの統計ページのことはずっと黙っているつもりでいた。

そんなことを赤裸々に出されては相手も嫌だろうなぁと思ったから。

だけど、これがある意味私が持っている手持ちのカードの最後の1枚で、もうこれ以上のカードはない。

最後の1枚に私は賭けることにした。

これを出しても、そしてこれだけ繋がってると現代らしいツールで知れても、それでも繋がらない時はもう繋がってはいけないんだと思う。

それははっきり言って、相手や私の意志なんか関係なく、そうでなければいけない理由が必ずある。

だけど、繋がれる相手ならそのように物事は動く。

どちらの場合も、もう私の意志では何も動かせない。

だから、最後の1枚を出してあとは様子を見ることにした。

運命の1枚。

これであとはどう出ても、もうやれることはやったから、結果いかんではすぐには受け入れられなくても、それでも最後は納得できると思う。

私の中での区切りは誕生日。



今日夜出かけた時に流れてきたBGM。

「物語が僕を拒んだって
誰かが運命を定めたって
会いに行くよ
どこにだって
探し続けるよ」

“Koi androp ”

2019年3月2日土曜日

『奇跡の果実』が生んだ奇跡の果実






ある秋の日の仕事帰り、雨上がりの中おぼろ月を信号待ちする車の運転席から見て、555のナンバープレートとすれ違って、世界に1台しかないラッキー車に遭遇して、ついて行ったらこれまた意味深な建物の前に着いて、その後大きな道に出ようとしたら別の意味ある車に遭遇した。

それを見て私は決めた。

0.1%以下の可能性に賭けることを。

普通に考えて有り得ないことだった。

絶対に起こるなんて、誰も思わないようなことに私は本気で賭けた。

私が賭けたかった、というよりも、もうそれしか私には手段がなかった。

消去法さえも手持ちのカードにない、残る方法はただひとつ。

そのたった1つに私は賭けた。

自分の想いのすべてを託して、その0.1%にも満たないことに臨んだ。

『奇跡の果実』は、私に答えを見せてくれた。

もちろん、それ狙いではなかった。

『奇跡の果実』はこれからも本編やらウラ話やらLessonやらをいくつか書いていくけれども、これは本編でもないし、ウラ話でもないし、Lessonでもない。

これ何の話?となる。

だけど、0.1%の鍵を握っていた人物が見たら、一発で意味がわかると思う。

0.1%未満だった可能性、限りなくゼロだったミクロのような可能性は、本物になった。

今回の『奇跡の果実』シリーズをひたすら書いたおかげで、そのある秋の日に天に向かって放った願いが叶ったことを知った。

私の勘違いではなく、本当にそうだと確信できる材料が来た。

そういう奇跡が起きると知った。

繋がりを本当に感じられるようになった。

これまではそうかもしれない…という半信半疑なところがあったけれど、今回は確信になった。

「奇跡は起きる」

その一言に尽きる。



【写真】
《1枚目:ダブルレインボー》

1年後お世話になる職場の近くを通った日に見つけた2本の虹。

その時は、裸眼で2本の虹がきれいに見えた。

今思うと、何かを予告するような虹だったなぁと思う。
(撮影日・2016年9月4日)


《2枚目:夕陽》

1枚目と同じ日に撮影した写真。

上の話の中に出てくる、おぼろ月が見えた道の駅の近く。

撮影場所の駐車場からは、当時からすると未来の職場となる建物が見える。


《3枚目:真夏の日の夕方》

仕事帰りに時々寄っていた近くの公園。

当時はよく「大人の寄り道」と題して、自然のある場所に立ち寄って、その日にあったことを振り返ったり、心の中のおしゃべりに耳を傾けたりした。

(撮影日・2017年7月6日 18:13)


《4枚目:あじさい公園》

「大人の寄り道」の別バージョンの場所。

ペンジュラムが2016年の夏に案内してくれて、初めて知った隠れスポットだった。

仕事帰りにここに行く時は、コンビニに寄ってコーヒーを買ったりおやつを買ったりした。

そのコンビニも奇跡のスポットで、今の車がちょうど88888キロのぞろ目を出した時に通過した場所。

この写真含めて4枚すべて、『奇跡の果実』に繋がる場所。

写真の中に共通する空気感、透き通るような感じの空気感は、今回の鍵を握っていた人物がまとってる空気感に似ている。


《5枚目:鍵》

ルノルマンカードの中の「鍵」のカード。

1枚目の虹の写真を見た時に、「最近もどこかで虹見たなぁ」と思ったらこれだった。

この「鍵」の解釈。

・自分の中の大切なものと繋がる
・魂の声
・虹色の扉
・不可欠なもの
・必然
・重大な影響を持つ
・魂の傷とテーマ(癒せるもの)
・再会
・もう1人の自分
・大切なもの=唯一無二のもので絶対に譲れない

奇跡の果実* Lesson4『自分を大切にする』

【自分を大切にする】をテーマに、いくつかやってきたメッセージがあるから、今日はそれを紹介。



>>>2月4日 立春

【自分を大切にする=相手を大切にする】



当時(立春のあたり)を振り返って感じたこと。

当時、困った人間関係の1つに、私の顔色を伺って相手の人が私と付き合おうとしていたことがあった。

付き合うというのは、男女関係とかではなく、人間関係全般においての付き合うという意味。

ところがここでおかしなことが山ほど起こる。

相手の人は私の顔色を伺っているようで、実際のところは自分の利益になることにだけ固執していた。

だから、自分の利益になりそうな部分には、過剰なまでに私に気を使うけれども、そうではない、相手にとっては取るに足らない部分には全くもって無頓着だった。

その無頓着さというのがその人の個性と言ってしまえばそれまでだけど、その無頓着さから出てくる言葉の数々が私にとって言葉の凶器になっていた。

私はものすごく思い悩んだし、相手が悪い人なら良かったけれども、とてもお世話になった人だったから、私の思い違いかと最初は思っていた。

だけど、手を替え品を替えじゃないけれど、言葉の凶器は想像もしていない会話からどんどんやってきてとどまるところを知らなかった。

私も私で、怒るのもどうかと思っていたのと、適当にやり過ごせば何とかなるのかな…と安易に捉えていたこともあって、しばらく放置していた。

放置というか、適当に流してるつもりでいた。

ところがもう我慢できないようなことが実際にあって、それを皮切りにどんどん不平不満が私の中で止まらなくなり、最終的に私は相手のお願いを全て断った。

今までしてもらったことを考えたら、恩を仇で返すみたいですごく嫌だった。

だけど、私がお願いを引き受けると、当然また会話が発生するわけで、その会話の流れですごい確率で相手が無意識にすごい言葉を私に言ってくる。

相手は自分のその発言を悪いとさえ思っていない。

しかも、発言の内容に一貫性がないから、もし相手がどこをどう気をつければいいのか?と私に聞いてきても私は答えられない。

唯一言えることは、私が大事にしている部分を相手は一切大事にしていないから、そういう悪循環が生まれていた。

色々分析してわかったことは、相手の人は自分のことを大切にできていない。

だから、相手の顔色を伺う行為は、相手のために見せかけておいて、本当は相手ではなく自分しか大事にしていない。

もっと言うと、「頭で考える自分の利益」の部分だけ大事にしている。

でもそんなことで人間関係が成り立つわけもなく、私は自分の地雷がどこにあるかもわからなくてだんだん会話そのものが苦痛になってきた。

自分の地雷もわからないのは困ったけれども、本当に最後の方は会話の度に何かしら相手が私の地雷を踏むという、これまでの人間関係であまり体験したことのない確率で不快になってしまうことが重なり続けた。

もはや私側ではなく、相手側に何か問題がある…、という風に視点が切り替わった。

それを機に、自分はどういう価値基準で人と付き合っているのかを見てみた。

私の場合、相手の顔色を伺うことはしない。

そんなの疲れるだけだから、そうしないといけない状況下の相手の時にはするけれど、普段はしない。(例・職場とか)

そうではない個人的な関係の時は、基本相手の顔色を伺うようなことはしない。

代わりに、相手を失うことが私は何よりも怖いから、相手が大切にしているものを自分も大切にするようには心掛けている。

相手が大切にしているものを大切にしないどころか、笑ったりふざけたりケチをつけたりなんてすると、相手を絶対に怒らせる。
(↑私は時々こういうことをされて腹が立った経験があるから、気をつけている。ちなみにそんな人たちとは人間関係が作れないから、深く付き合うこともない。)

だから、話を聞きながら「これこの人大切にしてるんだろうなぁ」というのは、何となく自分の中にインプットしておく。

私が同じものを好きだったり、興味を持っていたりする必要はない。

でも少なくとも、相手が大切にしているものに対して敬意を表すると言えばいいんだろうか、それはする。

反対に、内容がデリケートなものほど、まずは触れない。

個人の価値観によって答えが千差万別のものがある。

そういうものは、ものすごい確率で地雷がある。

自分の話はしても、相手のことは聞かない。

そして、自分の話をする時も絶対に相手と比較して自分の方がどうだということも言わない。

相手が気にしていることの場合、上げても下げてもどちらに転んでも危ないから。

例えば、「ぶっしーはポジティブだから」なんてことを普通に言ってくる人たちに私は聞いてみたい。

私は人といる時は楽しくしたいから楽しむことを優先しているだけであって、それイコールネガティブにならないのじゃない。

誰かと比較されても嬉しくないし、私が物事を「なんとかなる」と捉えるのは、そうでも思わなきゃやってられないことがたくさんあったからで、決してポジティブを目指したのじゃない。

人生で自分ととことん向き合わなきゃいけない時間を過ごした人たちは大抵明るい。

でもその裏側での壮絶な体験もあるから、そこを乗り越えての今だとわかる。

上手く言えないけれども、そういう人たちからもし私が「ぶっしーポジティブだね」と言われたら私は喜ぶ。←ザ・面倒くさい人( ̄∀ ̄;)。

話してるとわかる。

物事きれいごとだけじゃやっていけない!と知ってる人たちは、どこか言葉にやさしさが含まれている。

表面だけの私を見ていない。

表には出てきていない私のことを何となく予想している。

だけど、私を額面通りに受け取ってそれだけで判断されると、とんでもない他者からの評価を私は受けることになる。

そして、その評価が行き過ぎたもので、私なら何を言っても大丈夫なんていうすごい突拍子もない視点になって、そしていよいよ相手からの発言が容赦ないものに変わっていく。

私が言葉の凶器だと感じたものたちは、まさにそういうことたちだった。

相手はすごく軽くとって、私が必死で自分の思いを伝えてもそこはスルーされて、持論を展開されていた。

持論を言われれば言われるほど、私はとことん傷付いた。

私の心の深いところをグサグサとやってくる。

そこまでの状態になって、私は初めて目が覚めた。

その人と話すと毎回どっと疲れて、そしてすごい防衛心を働かせて、とにかくあらゆる攻撃から自分の身を守るみたいなことをしていた。

私は自分の身が持たないことに気付いて、言う必要のあることだけを伝えて、そして相手のお願いを断ってとにかく関係に線引きをした。

もうそうするしかなかった。

でもそこまでして初めて気付いた。

相手は自分を大事にしてないから、だから自分と付き合いのある人たちへの配慮がおそろしく欠けている。

例えば今回私から色々言われていてもまだ気付かないところが何回か見られた。

私が逆の立場なら、そんなこと言えない、思っていたって言えない、そういうことを平気で口にしていた。

指摘されていても尚のこと気付かなくて、私はよほど自分の言い方がやんわりし過ぎなのかと思った。

だから数回に渡って、私は自分が感じていたことを相手にそのまま伝えた。

もう関係性がどうだとか、お世話になったとか、そんなことたちよりも、私は私を守らないといけなかった。

相手との関係を切ることになっても、私は自分を大切にすることを選んだ。

私にとって、【自分を大切にする】ことの1つは、【自分にとって失いたくない人が大切にしているものを大切にする】ことが挙げられる。

もちろん人間だから互いにやらかす。

だけど、そこを見極める目を持つことが大事だし、私なんか特に色々変わっていて普通じゃないこともたくさんあるから、そんな私でもいいよ!そんな私がいいよ!なんて言ってくれる奇特な人たちのことは全身全霊で大切にする。

失いたくないから。

私の大切な人たちとヒビが入って終わってしまうのは嫌だから。

上手く言えないけれど、自分を大切にできると相手のことも大切にできる、そんな風に今の私は思っている。

そして、自分を大切にするために、どうしても切らなきゃいけない人間関係がある時は、もう勇気を持って切ることの大切さも今回学んだ。



>>>2月7日

【自分の中のすべてを認めること】


少しずつ、目をつむりながらでもいいから、
自分の弱いところ、
かっこわるいところ、
ダメなところ、
価値がないと思っているところ、
そうしたものをすべて自分の中に受け入れる



>>>2月18日

【ダメな自分を直すんじゃなくてダメな自分を受け入れていく】


ダメな自分を受け入れていくと、2つ大きな特典がもれなくついてくる。

1つは、どんな自分の時にも、自分は常に自分の味方になれること。

もう1つは、ダメな自分を受け入れられるようになると、自分の良いところや強み、長所、才能も受け取れるようになること。

ちなみに時間はかかる。

私は31歳からダメな自分を受け入れることをスタートしたとするなら、やおら9年近い時間がかかって今の状況。

私は不器用極まりないからそのぐらいかかっているけれども、今私の周りでその域に達した人たちもみんな10年15年やってまだまだと言っている。

だけど、それだけ時間をかけてもいい価値がある。

残りの人生、嫌だと思う自分から逃げまくる人生を思えば、向き合った方が早い。

そして、その方が突破口が見えてくる。

しかも感覚が麻痺するのか慣れなのか、嫌な自分をたくさん見れば見るほど、基本慣れてくる。

だから、最初の頃に比べたら、嫌な自分を見るのはそこまで苦痛ではなくなった。

しかも、慣れると同時に、「まぁ仕方ないか、この自分で生きていくしかないか」という悟りのようなあきらめのような気持ちも湧いてくる。

自分にダメ出しをし続けるよりも、よほど精神衛生上よろしいと私は思っている。

「ダメな自分を直す」というやり方は、私が子どもの頃から大人になって多分30代半ばまでやり続けていた。

何せ様々な不適応やら不出来なもの盛りだくさんだったおかげで、ダメな自分を直すことに関しては、相当な体験数を誇っている。

当然、それに伴い「ダメ出し」も「自己否定」もめちゃくちゃ得意( ̄∀ ̄;)!

そちらの方が得意だから、またいつでもそちらの自分に戻れる。

だけど、これは全く自分を楽にしてくれない。

常に葛藤と恐怖と不安と対峙してないとダメだし、自分がいつなんどきサボるかもしれないから自分を見張るみたいな、非常に骨が折れることも日常的にたくさんありまくる。

30代の半ばで、こんなことを続けていると私は一生自分が楽になれないし、心で感じるしあわせからも何だか常に遠いことに気付いた。

だから、直すのではなく、嫌だけどその嫌な自分を受け入れることを始めた。

やってみての感想。

受け入れる方が楽!!!(((o(*゚▽゚*)o)))

まず、自分自身と戦わなくていいから楽。

「直す」という行為は、細かく見ていくと、まずは何してるって【自分を否定している】。

【この自分ではダメ】だから【〇〇の部分を直そう】というのが心の深いところで起こっている。

これは自分を超消耗する。

もういくらエネルギーがあっても足りない。

でも【もうこの自分でいいか】となると、自分にダメ出ししなくなるから、エネルギーが真っ直ぐになってくる。

そして不思議とダメな自分が以前に比べて気にならなくなる。

しかも不思議なことに、ダメな自分を受け入れるようになると、周りからそのダメだと思っている部分を褒められるという謎のミラクルも起こる。

とにかくダメ出しするぐらいなら、その自分と仲良くしたり受け入れたりする方法を模索する方が何百倍も良い!



>>>3月1日

【自分を変えるんじゃなくて自分を知っていくこと】


『奇跡の果実⑧覚醒』より
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

自分に気付くこと
自分がどうしたいのか
自分にとって何が大切なのか
何が快で不快なのか
どんなことが喜びでどんなことが悲しみなのか
どんなことが怖いのか
何に対して怒るのか
何に涙するのか
そうした全てで形作られている自分というものに気付いていくこと

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



自分を変えることがやたらと推奨されまくりな世の中。

日本は特にその傾向が強い。

もちろん、周りに迷惑となるような自分をそのまま野放しにしておけという話じゃない。

何かしてもらってもお礼の1つも言えないのは困る。

誰彼構わずに当たり散らすとかいうのも困る。

そういうことではなくて、「自分を変えることで自分を良くしよう!」みたいな発想なら、それは違うと思う。

自分にダメ出ししまくりだった時の自分がまさにそれだった。

自分を変えることが自分を良くすることだと思っていた。

超もがきながらそれをした。

基本努力を要する場面が子どもの頃から多かった私は、努力することに関してはわりかし素直に取り組める。

「努力する才能がある」と子どもの頃の私を知っている大人たちが私に言うぐらいに、私にはそれが普通にできる。

でもある時気付いた。

良くすることは終わりがないし、そして年齢が上がれば上がるほど、虚しくなってきた。

黒い心を1つ例に出すと、私は何で誠実に生きている自分が結婚できなくて、何でいい加減な人とか性格めちゃくちゃ悪い人が普通に結婚できるのか、不思議でならなかった。

真面目に一生懸命に生きることが馬鹿らしいと思ったこともものすごい回数である。

自分を良くするとか自分を変えるとかって何?何のためにする?と思ってた。

でも、色んなことをやっていく中で気付いた。

「自分を知ること」の方が生きやすくなるのと、自分でも自分がスッキリした気持ちで生きていられる時間が増えることを。

私は自分の頑固さも知っているから、自分を変えようと思うととんでもなく大変だということがわかる。

そうではなく、「頑固な自分もいる」と知ることが、その自分と戦わずに済むし、そしてもっと素敵なのは「頑固な自分の活かし方」を自分のために見つけていくプロセスが楽しいということ。

頑固な自分が役立つ場面もある。

仕事なんかは頑固なところがけっこう良い風に活かされることが多いと思う。

上の『⑧覚醒』の文章の引用にあるように、自分が何が好きで何が嫌いとか、何が平気で何がダメとか、そういうのを知れば知るほど、自分のために色んなことができるようになってくる。

例えば、「死ね!」という言葉はダメで「ありがとう」という言葉が良いと一般的には言われる。

だけど、それはあくまで一般論で例外もある。

私は「死ね!」と言われながら相手が私を本当に好きでいてくれてるんだと感じたこともあれば、「ありがとう」と口では言われながらも相手は一ミリも私に感謝なんてしてない、むしろ目の前から一刻も早く消えてくれと思われてるだろう空気感を感じたこともある。

前者の「死ね!」に愛を感じて、後者の「ありがとう」に地獄を見た。

そういう微細な感覚は、自分にしかわからない。

私はそう感じても、例えば同じ場面でも人が違えばまたその人が感じることは私と違う可能性もある。

どれが正しくてどれが間違っているなんていうのはない。

私は世のスタンダードに合わせて、自分の感覚を否定する生き方よりも、多少?だいぶ?ズレていても自分の感覚を受け入れる生き方の方が自分が楽になれると知った。

しかも長い年月で培われた八方美人力を活かして、その場その場で相手に適当に合わせる術も持ち合わせているから、表面はいさかいがない方がいい時はそのように振る舞うこともできる。

そんな場面で我を出しても自分が針のむしろみたくなったり、余計な攻撃を受けるだけで百難あって一利なしになってしまう。

そんな風にはなりたくないから適当に合わせる。

だけど、本当に譲れないことは、自分を通すこと、そのやり方でいいんだとようやくわかってきた。

臨機応変に、適当に周りに合わせたり、反対に譲れない時は自分の気持ちを通したり。

まだまだその辺りは試行錯誤を繰り返している修行中の身だけど、前よりも自分の中の譲れないものが何かわかってきたからやりやすくなった。

そのためには、自分を何か別のものに変えるんじゃなくて、自分のことをどんどん知っていく方が手っ取り早い。

何が譲れないのか、何は絶対的に守りたいことなのか。

ちなみにそれらを知る1番のわかりやすい入り口となる感情は、私の場合「怒り」と「モヤモヤ感」と「違和感」。

このどれかが来た時は、これからは注意して見ようと思っている。←まだここ2〜3日で気付いたばかりだから、実践編に移れていない。

とにかく、私の中では絶賛自分を知ることフェアになっているv( ̄∀ ̄)v!!