これはいつかの秋口に行った図書館での感想。
持参したノートにいくつか図書館の本の内容をメモするために、学習室を利用した。
そこの図書館は、社会人用と学生用の学習室が分かれてなくて、
その日はどうも定期テスト直前だったらしく、9割がた中高生で満席になっていた。
前から3列目くらいの席に腰をかけたけど、
そこの席からでも10人以上の子どもの姿が視界に入ってきた。
教科はそれぞれ違っているようだったけど、やっている作業は皆同じ。
問題集やらワークやらを開いて、解いて、解答見て丸付けして。
その作業をどの子も延々と繰り返している。
作業を眺めていてとても不思議な気分だった。
もちろん自分も同じような道をたどって、小中高とテスト勉強をした。
大学で初めて、自分の意見を言うことがテストで求められるようになった。
今となってはその機会に感謝しているけれど、
もし、自分で意見を言う=自分で考える、自分で答えを出すことをしないまま
大人になっていたら・・・、と思うと怖くなった。
私自身もそうだし、そこにいた子どもたちもそうだけど、
もうあらかじめ答えは決まっていて、その正解に辿り着けるように問題を解く。
でも、大人になるにつれ、1+1=2というような、わかりやすい答え、決まり切った答えではない
答えを出す場面が圧倒的に増えてくる。
ある程度の年齢になったら、もう答えなんか一切載っていない問題集を手にすることになる。
教育論を論じるつもりはないけれど、その答えのない問題集を手にした時に、
どれだけ自分で自分だけの答えを導きだせるか、
そしてそこに至るまでのプロセスを組み立てられるか、
そしていくら答えやプロセスの枠組みを作っても、その通りに事が運ばない場合もあるわけで、
そういう時にどれだけ臨機応変に知恵を働かせて自分が動けるか・・・
そういう力がものすごく必要になるということを、大人になってから初めて理解した。
基礎学力を養うという意味で必要な学習だとは思うけど、
それとは別に、生きてく力というんだろうか、そういうのはもっともっと大事だなぁ・・・
なんて近くの勉強に励む子どもたちを見ていて思った。
2015年2月7日土曜日
2015年2月6日金曜日
歩みを記録する
いつの頃からか、色んなことを記録するようになった。
日々生きていたら色んなことがある。
人と会っても会わなくても、何か特別なことがなくても、何かしらはある。
その何かしらをあれこれと記録する。
昨日食べたごはんが何か思い出せない位、すぐに色んなことを忘れる。
ビッグな出来事は印象に強く残っても、日々の小さな出来事はさらりと抜け落ちる。
だけど、ある時気付いた。
その小さな出来事で毎日が成り立っていて、
そしてその小さな出来事に自分が笑いや涙をもらったり、喜んだり悲しんだりしている。
でも小さいからすぐに忘れてしまう。
一度忘れたら、相当何かとリンクしない限りなかなか思い出すこともない。
そうした小さなことを自分がいつか振り返った時に思い出せるように残したい、
そんな思いからはじまった記録だ。
まさか、その記録が将来自分を助けてくれるとは思ってもみなかった。
なつかしい気持ちになるだろうことは十分に予想できた。
そうではなくて、自分自身を助けるとか慰めるとか、そんな風には想像せずに書いていた。
久しぶりに気持ちが大きく沈んだ。
きゅっと口を結んでいないと、涙が出そうな、実際に歩いている途中にじわっと涙が滲んで、
トイレに行ったりもした。
今家にいて、少し前まで何をしていても気持ちがざわざわしていた。
ニキビが腫れて破裂寸前の時、すごい痛みを伴う。
一回破裂してしまえば少しは和らぐのに、その直前の猛烈に痛い時。
心の状態が、あんな時の痛みに似ていた。
それで、ふとこれまで自分が書いたものを読み返した。
それだったら読める気がした。
自分が書いた文なら自分を攻撃する心配もないし、別に読んでも読まなくてもいいものだ。
それでいくつか読んだ。
読んでいくうちに、その当時のことを思い出した。
書いている内容もそうだし、それを書いた時のこともそうだし、
色んなことを思い出すうちに、ざわざわがいつの間にか落ち着いてきた。
起こってしまったことはもう戻せない。
ざわざわがなくなるわけでもない。
問題と思ってることが今すぐ解決するわけでもない。
でも、自分の文を読んでいたら、なんだかすっと楽になった。
そんなつもりで過去の自分は書いたつもりではまったくないのに、
今ここにいる、当時から見たら未来の自分は救われてる。
そして、今こうして文を打ち込んでいる時も、
打ち込みながら楽に呼吸できるようになった自分がいる。
記録することの効果を実感する。
2015 節分
2015 節分
2015年2月5日木曜日
ひでのリンゴジャム
ひで(下の妹の旦那さん)は、パン職人だ。
先月、妹たちとひでと会った時に、ひでが手作りのリンゴジャムをお土産として持ってきてくれた。
家に戻ってからそのリンゴジャムを初めて食した時、あまりのうまさにびっくらこいた。
リンゴジャムはこれまでにもたくさんの種類を食べてきたし、
何かの頂き物系の高級リンゴジャムだって中にはあったはず。
身内びいきとかでは一切なく、とにかくおいしくておいしくて、
これまで食べたことのあるリンゴジャムとは全く次元の違うおいしさだった。
リンゴジャムの形態といい、味といい、食感といい、
そういうジャムにはこれまで一度もお目にかかったことがなく、おそらく世界中のリンゴジャムを
集めても、ひでジャムほどおいしいリンゴジャムには早々出会えないだろうと思う。
半端なくレベルの高いリンゴジャムだった。
あまりにおいしかったのと、気になることもあって、
ひでにお願いをして、ジャムについて話を聞かせてもらった。
ひでジャムの企業秘密?はばらせないから、わたしが聞いた視点で印象に残った話。
以前、いちごジャムももらったことがあって、もちろんこちらも絶品、
ひでがどういう風に八百屋さんで原材料となる果物を見ているか、
この見方が非常に面白かった。ジャムなんか決して手作りしないわたしからしたら、
えっ!?そんな風に見てるの!?と思う。
例えば、果物個体の表面積とか。
この方がおいしそうかな~とか、(量が)たくさんかな~という視点で果物を見ることはあっても、
個体そのものの表面積の大きさなんて見ない。
でも、そういうものも、ジャム作りの上ではとても重要らしい。
しかも、いちごなりリンゴなりを見て、「ジャム作ろう♪」となるらしい。
それも仕事中に試作品を作るのではなく、貴重な休みの日に家で作ると聞いて、
好きでなければやれない、というレベルで作っていることはとてもよくわかった。
ちなみに、リンゴジャムもいちごジャムも、現段階ではいつかの本番に備えての練習で、
実際に店頭販売はしてないとのこと。
あんなに完成度が高いのに、非売品とはもったいないと思ったけど、
ジャムを製造販売するのに、それ専用の許可証が必要とのことで、
今働いている店にはないから出せず、あくまで今は個人の趣味の範囲と言うか、
実際に自分で店を出す時には出す予定の商品と話していた。
食感とか味とか、とにかく全てにおいてこれまでの最高峰のリンゴジャムだったけど、
そうなるための影なる準備も半端ないことがわかった。
瓶詰でもらったけど、その煮沸方法や詰め方なんかが、完全にプロ。
素人ジャムはそこまでしてないし、市販されているものも恐らくそこまでしていない。
薬なんかでもろもろ解決というか、手間を省いているというか。
とにかく、ものすごく手間暇のかかってるジャムだというのはよくわかった。
次に作りたいジャムの構想もいくつか教えてくれたけど、
ジャムひとつで、そんなにも可能性があるとは信じられない位、斬新なアイディア満載だった。
おそらく、そのジャムが具現化したら、日本で第1号のジャムになれると思う。
ひでとはもうかれこれ10年近い付き合いになると思うけど、
これまでのひでの中で一番雄弁で多弁なひでだった。
ジャムに込める思いや気持ちが半端なく強いことはびしびしと伝わってきた。
本当に好きなんだろうことは、そうは言わなくてもすごくよくわかった。
最後に、ジャム作り楽しい?って聞いたら、
「楽しいよ。もちろん♪♪」と返ってきた。
先月、妹たちとひでと会った時に、ひでが手作りのリンゴジャムをお土産として持ってきてくれた。
家に戻ってからそのリンゴジャムを初めて食した時、あまりのうまさにびっくらこいた。
リンゴジャムはこれまでにもたくさんの種類を食べてきたし、
何かの頂き物系の高級リンゴジャムだって中にはあったはず。
身内びいきとかでは一切なく、とにかくおいしくておいしくて、
これまで食べたことのあるリンゴジャムとは全く次元の違うおいしさだった。
リンゴジャムの形態といい、味といい、食感といい、
そういうジャムにはこれまで一度もお目にかかったことがなく、おそらく世界中のリンゴジャムを
集めても、ひでジャムほどおいしいリンゴジャムには早々出会えないだろうと思う。
半端なくレベルの高いリンゴジャムだった。
あまりにおいしかったのと、気になることもあって、
ひでにお願いをして、ジャムについて話を聞かせてもらった。
ひでジャムの企業秘密?はばらせないから、わたしが聞いた視点で印象に残った話。
以前、いちごジャムももらったことがあって、もちろんこちらも絶品、
ひでがどういう風に八百屋さんで原材料となる果物を見ているか、
この見方が非常に面白かった。ジャムなんか決して手作りしないわたしからしたら、
えっ!?そんな風に見てるの!?と思う。
例えば、果物個体の表面積とか。
この方がおいしそうかな~とか、(量が)たくさんかな~という視点で果物を見ることはあっても、
個体そのものの表面積の大きさなんて見ない。
でも、そういうものも、ジャム作りの上ではとても重要らしい。
しかも、いちごなりリンゴなりを見て、「ジャム作ろう♪」となるらしい。
それも仕事中に試作品を作るのではなく、貴重な休みの日に家で作ると聞いて、
好きでなければやれない、というレベルで作っていることはとてもよくわかった。
ちなみに、リンゴジャムもいちごジャムも、現段階ではいつかの本番に備えての練習で、
実際に店頭販売はしてないとのこと。
あんなに完成度が高いのに、非売品とはもったいないと思ったけど、
ジャムを製造販売するのに、それ専用の許可証が必要とのことで、
今働いている店にはないから出せず、あくまで今は個人の趣味の範囲と言うか、
実際に自分で店を出す時には出す予定の商品と話していた。
食感とか味とか、とにかく全てにおいてこれまでの最高峰のリンゴジャムだったけど、
そうなるための影なる準備も半端ないことがわかった。
瓶詰でもらったけど、その煮沸方法や詰め方なんかが、完全にプロ。
素人ジャムはそこまでしてないし、市販されているものも恐らくそこまでしていない。
薬なんかでもろもろ解決というか、手間を省いているというか。
とにかく、ものすごく手間暇のかかってるジャムだというのはよくわかった。
次に作りたいジャムの構想もいくつか教えてくれたけど、
ジャムひとつで、そんなにも可能性があるとは信じられない位、斬新なアイディア満載だった。
おそらく、そのジャムが具現化したら、日本で第1号のジャムになれると思う。
ひでとはもうかれこれ10年近い付き合いになると思うけど、
これまでのひでの中で一番雄弁で多弁なひでだった。
ジャムに込める思いや気持ちが半端なく強いことはびしびしと伝わってきた。
本当に好きなんだろうことは、そうは言わなくてもすごくよくわかった。
最後に、ジャム作り楽しい?って聞いたら、
「楽しいよ。もちろん♪♪」と返ってきた。
2015年2月4日水曜日
感情を学んで良かったこと
元々人間の心理というものに興味があった。
小学校の時も、中学校の時もいじめられた。
今のテレビ報道されるいじめとそう変わらない内容だった。
恐喝されなかったくらいではないかなと思う。
どちらの時もそうだったけど、わたしは誰にも相談できずにいた。
中学の時は担任の先生が気付いてくれていてよく声をかけてもらっていたけれど、
わたしは大丈夫じゃないくせに「大丈夫です」の一点張りだった。
誰かに話したいのに、聞いてくれる人には話さない。
でも、自分から切り出すほどの勇気もない。
なんだかうまくない自分が嫌だったけど、自分でもどうしていいのかわからなかった。
その経験がわたしを心理への興味に突き動かすのだけど、
大学の時に心理学をちょっとだけ勉強したら(専攻は福祉だったから、その兼ね合いで心理学も
いくつか必修科目として取った)、随分と思っていたのとは違っていた。
まず、大まかに分けて理系文系とした時に、わたしは心理学は文系とばかり思っていたのに、
理系に区分されると聞いて驚いた。
実際に勉強してみて、たしかに興味深かったけど、理論とか方法論とか興味のない私には
もっと深めて勉強しよう!という気持ちにはならなかった。
社会人になってから、最初の仕事は子どもの心理も関係してくるものだった。
その時も再度具体的な療法の講座を受講したりしたけど、これもまたしっくりくるものがなかった。
わたしが心理ではなく、感情や自分の内面を本格的に勉強し出したのは、31歳の時だと思う。
このまま今の人生を続けたらやばい、お先真っ暗だ、なんとか自分の人生を立て直さねば・・・
といういわば強迫めいた感じで、そしてコーチングという言葉も知らないまま、
わたしはたまたま見かけたホームページの内容に惹かれ、それで無料説明会に行ったのが
最初だった。
ほんの1時間くらいの時間だったかと思う。
だけど、そこで「何か変わりそう」という予感がして、その場で個人セッションを申し込んできた。
個人セッションを重ねるうちに、本格的にコーチングというものを学びたくなり、
コーチングを学んでいる最中、NLP(神経言語プログラミング)にも出会いそちらも学び、
それらを2年ほどがっつり学んでからは、そういう学びからは離れている。
離れてはいるけれど、感情や自分の内面を見つめる勉強をしといて本当に良かったと
思っている。
ここ数日、がっつり撃沈するようなことがあった。
初日は胸が苦しいまま眠り、2日目は思い出せば涙が頬を伝い、そして今日3日目にして
ようやく少し楽になったなぁというところ。
感情を学んでも、わたしはどちらかというと引きずりやすい方かと思う。
すぐに気持ちを切り替えられる人のうらやましいことと言ったらない。
ただ、切り替えにはなかなか時間を要するけど、自分の気持ちに居場所を作ってあげたり、
それらを無視せずにその時自分の内面に宿った感情に向き合えるようにはなってきたと思う。
そうしても安全だというのが自分ではわかるし、そういう見たくないものに蓋をする方が
後々に色んな負の影響をまき散らすから、その都度自分の中にあるものを見た方が健全だと
いうことがここ数年でようやくわかってきた。
今回もまだ100%すっきり!ということには達してはいない。
でも、次から次へと溢れていた色んな感情は、とりあえずちょろちょろという感じになってきたし、
あの大打撃の直後を思えば、随分と楽にはなってきた。
実際に起こったことは簡単に忘れられるものではないし、完全に癒すにはもう少し時間が必要だ。
もし、わたしがそういう感情の学びをせずに今回のような出来事に直面していたら・・・
それはもっともっと大変なことになっていただろうし、
誰かを責めて終わりにしたか、自分の感情はなかったことにしたか・・・
そんな風にしたのではと思う。
芋づる式に過去の色んなことも出てきてしまったけど、それらも含めて今だから向き合えるの
かもしれない、とちょっとだけプラスに考えるようにして今自分を見つめている。
長い長い年月の中で、わたしが本当の興味があるのは、そういう自身の内面や感情と向き合う、
そのことのような気がする。
難しい理論や手法は、勉強したところで、自分以外の誰かには使えても、
自分自身には使えない。弱ってる時に、そんな小難しいものを使ってる余裕などない。
わたしはおしゃべりが好きだし、人と話すことも好きだけど、自分に起こったことや感じていることを
誰かに話すのは相変わらず苦手だ。
自分の中で消化するパターンが多い。
だからこそ、自分の内面や感情を見ることに興味と言うか必要性を感じているし、
それで救われてきた自分もいるから、それって大事なことだと思っている。
小学校の時も、中学校の時もいじめられた。
今のテレビ報道されるいじめとそう変わらない内容だった。
恐喝されなかったくらいではないかなと思う。
どちらの時もそうだったけど、わたしは誰にも相談できずにいた。
中学の時は担任の先生が気付いてくれていてよく声をかけてもらっていたけれど、
わたしは大丈夫じゃないくせに「大丈夫です」の一点張りだった。
誰かに話したいのに、聞いてくれる人には話さない。
でも、自分から切り出すほどの勇気もない。
なんだかうまくない自分が嫌だったけど、自分でもどうしていいのかわからなかった。
その経験がわたしを心理への興味に突き動かすのだけど、
大学の時に心理学をちょっとだけ勉強したら(専攻は福祉だったから、その兼ね合いで心理学も
いくつか必修科目として取った)、随分と思っていたのとは違っていた。
まず、大まかに分けて理系文系とした時に、わたしは心理学は文系とばかり思っていたのに、
理系に区分されると聞いて驚いた。
実際に勉強してみて、たしかに興味深かったけど、理論とか方法論とか興味のない私には
もっと深めて勉強しよう!という気持ちにはならなかった。
社会人になってから、最初の仕事は子どもの心理も関係してくるものだった。
その時も再度具体的な療法の講座を受講したりしたけど、これもまたしっくりくるものがなかった。
わたしが心理ではなく、感情や自分の内面を本格的に勉強し出したのは、31歳の時だと思う。
このまま今の人生を続けたらやばい、お先真っ暗だ、なんとか自分の人生を立て直さねば・・・
といういわば強迫めいた感じで、そしてコーチングという言葉も知らないまま、
わたしはたまたま見かけたホームページの内容に惹かれ、それで無料説明会に行ったのが
最初だった。
ほんの1時間くらいの時間だったかと思う。
だけど、そこで「何か変わりそう」という予感がして、その場で個人セッションを申し込んできた。
個人セッションを重ねるうちに、本格的にコーチングというものを学びたくなり、
コーチングを学んでいる最中、NLP(神経言語プログラミング)にも出会いそちらも学び、
それらを2年ほどがっつり学んでからは、そういう学びからは離れている。
離れてはいるけれど、感情や自分の内面を見つめる勉強をしといて本当に良かったと
思っている。
ここ数日、がっつり撃沈するようなことがあった。
初日は胸が苦しいまま眠り、2日目は思い出せば涙が頬を伝い、そして今日3日目にして
ようやく少し楽になったなぁというところ。
感情を学んでも、わたしはどちらかというと引きずりやすい方かと思う。
すぐに気持ちを切り替えられる人のうらやましいことと言ったらない。
ただ、切り替えにはなかなか時間を要するけど、自分の気持ちに居場所を作ってあげたり、
それらを無視せずにその時自分の内面に宿った感情に向き合えるようにはなってきたと思う。
そうしても安全だというのが自分ではわかるし、そういう見たくないものに蓋をする方が
後々に色んな負の影響をまき散らすから、その都度自分の中にあるものを見た方が健全だと
いうことがここ数年でようやくわかってきた。
今回もまだ100%すっきり!ということには達してはいない。
でも、次から次へと溢れていた色んな感情は、とりあえずちょろちょろという感じになってきたし、
あの大打撃の直後を思えば、随分と楽にはなってきた。
実際に起こったことは簡単に忘れられるものではないし、完全に癒すにはもう少し時間が必要だ。
もし、わたしがそういう感情の学びをせずに今回のような出来事に直面していたら・・・
それはもっともっと大変なことになっていただろうし、
誰かを責めて終わりにしたか、自分の感情はなかったことにしたか・・・
そんな風にしたのではと思う。
芋づる式に過去の色んなことも出てきてしまったけど、それらも含めて今だから向き合えるの
かもしれない、とちょっとだけプラスに考えるようにして今自分を見つめている。
長い長い年月の中で、わたしが本当の興味があるのは、そういう自身の内面や感情と向き合う、
そのことのような気がする。
難しい理論や手法は、勉強したところで、自分以外の誰かには使えても、
自分自身には使えない。弱ってる時に、そんな小難しいものを使ってる余裕などない。
わたしはおしゃべりが好きだし、人と話すことも好きだけど、自分に起こったことや感じていることを
誰かに話すのは相変わらず苦手だ。
自分の中で消化するパターンが多い。
だからこそ、自分の内面や感情を見ることに興味と言うか必要性を感じているし、
それで救われてきた自分もいるから、それって大事なことだと思っている。
2015年2月3日火曜日
世界は繋がっている~シュウマイの包み方より
好きなメニューのひとつ、シューマイ。
餃子は自分で種作って包むけど、シュウマイはどうも難しそうでずっと敬遠していた。
なので、自分で初めて作ったのはほんの数ヶ月前だ。
あれから数回作ったけど、どうにもこうにも包み方がわからず下手くそのままだ。
クックパッドで検索しても、いまいちしっくりくる包み方がなくて、もうこれは練習あるのみとばかり
思っていた。
今日のメニューもシュウマイの予定で、とにかくもう少し簡単かつ上手に包みたいと思い、
動画を見た方が参考になりそうな気もして、youtubeで検索。
一番最初に出てきた人のものを見ていた。
これが本当に簡単そうで、多分今までの中で一番簡単かつキレイに包めそうだった。
ふと、投稿者の名前に目をやると、見たことある名前だった。
見たことあるというか、ある日の夜中眠れずに延々とネットサーフィンならぬ
アメーバブログサーフィンをしていた時に、読んで号泣した記事の作者と韻が同じだった。
文字はどんなか忘れたけど、韻が同じなのは偶然かと思っていた。
この方、シュウマイの包み方を紹介しながら、自分と旦那さんの話を始めた。
その話を聞いて、すぐにあの号泣記事の作者と同じだとわかった。
その方のブログに辿り着いたのも、何がどうなってかは忘れたけど、
とにかく文章力云々よりも、その中に込める想いが半端な強さではなく、
自分の言葉で思いの丈を紡ぎ、そして内容が命懸けの選択の末今あるというのが
ひしひしと伝わってきた文章だった。
しかも、とにかくたくさん投稿されている方だったので、その号泣記事をたまたま読んだのは
奇跡に近い確率だった。
余談だけど、こんな風に料理の手順をyoutubeで検索するのは今日が初めてだった。
まさかシュウマイの動画といつかの日に読んだ号泣記事の作者とが同一人物だったなんて。
なんて世界は狭いのだろうと思った。
そしてこんな繋がり方は、なんとなく甘美な感じがして、ちょいと凹んだことがあった1日の
ご褒美みたいでうれしかった。
2015.2.2 北風の強い日の夕方
2015年2月2日月曜日
新しい日記帳に出逢う
それはそれは不思議な出逢いだった。
次期日記帳を探して早1年半くらいになろうかという頃。
途中で1冊候補のノートを見つけ、実際に購入したけれど、紙の厚さが薄いのか、
水性ペンの黒は後ろのページに全て透けて、下手するとインクが滲んだ。
デザインが良かっただけに残念な結果で、また気を取り直して探しだした。
新しい年を迎える頃、スケジュール帳が文房具売り場の最前線を占めるようになると、
おのずと日記帳コーナーも例年充実する仕組みになっている。
期待したけれど、2015年もあっさりとその期待を裏切られた。
気長にまた探そうと思っていたけれど、これだけ探してもないということは、
もう自分の中の日記帳自体のスタイルを変更するしかないのかとすら思っていた。
日記帳として使えそうなノート、ゆうに千冊以上はチェックした。
店舗はもちろん、ネットでも延々とパソコンに張り付いて探し続けた。
オリジナルノートが作れる店なんかもチェックしたし、紙を扱う専門店なんかも見てみた。
外国製のノートも見たけど、これ!と思うような一冊がない。
かなりがっくりしながらも、とにかく探さないことには見つからないと思い、探し続けてはいた。
話は変わって、1月の下旬、東京へ弾丸日帰りツアーのように行ってきた。
お目当ては、東京ドームで開かれた東京キルトフェスティバル。
たったひとつの作品をどうしても見たくて行った。
当初行くつもりは全くなかったけど、家の近所に買い物に出ている途中、その見たい作品の
ことが頭をよぎって、家に帰って日程確認して電卓叩いて旅費を計算して、何とか自分の中の
予算内と予定内で動けると判断して行ってきた。
そう、わたしはキルトを見に行くのが目的で東京へ行った。
わたしが行った日は開催初日で、開場が午前11時だった。
それまで時間を持て余すのももったいなく、何か他の催し物がないかと色々チェックした結果、
「渋谷」にある陶磁器の美術館がヒットした。
渋谷自体、ごちゃごちゃしていて全く好きではないから、その美術館がなければ行こうとも
思わない場所だ。
だけど、東京ドームからそれほど遠くなく、適度に時間を費やせるところとなると、
その美術館はベストに思え(実際に良かった)、それで向かった渋谷だった。
まさかその渋谷で日記帳に出逢うとはつゆとも知らずに。
渋谷の駅に着いて、その徒歩15分という美術館への道を確かめるべく、駅が入っている
何ビルなんだろう?大きなビルの中を行き来していた。
その途中で、「文房具 伊東屋」の大きなポスターを目にした。
まぁどうせ日記帳はないだろうと思ったけど、来たはついで、美術館の帰りに寄ろうと決めた。
美術館を回った後、傘なしのわたしは雨の中また渋谷駅へ戻り、その伊東屋という店を探した。
そんなに大きな文房具屋ではない。
まったく期待せず日記帳コーナーに行った。
わたしはそこで今自分の手元にある日記帳に出逢うのだけど、一人で声をあげそうなぐらい
びっくりしていた。
まず、デザインが良い。
中身もシンプルで、横罫8mm(←これが一番自分の中でしっくりくる幅。店の売り物の定規で
測らせてもらった)、「 月 日」だけの日付入り、大きさも申し分ない。
4色あって、赤・紺・緑で迷ったけど、赤が一番しっくりして、それを買った。
多分これから10年ぐらい使うことを考えた時。
40代になった自分が、赤い持ち物を日常使いしていたら素敵だなぁと思ったから。
伊東屋は夕方妹たちと待ち合わせていた池袋にもある。
これからキルトを見に行くのに、手荷物は増やしたくなかった。
できれば池袋で購入できないものかと、店員さんに池袋に在庫があるか調べてもらった。
池袋にはございません、とのこと。
仕方ない、手荷物として日記帳は持ち歩くことにした。
ちなみに、間違ってあったら嫌だなぁと思い、あまのじゃく精神を発揮したわたしは、
夕方到着した池袋の伊東屋も見てきた。本当になかった。
そう、伊東屋の渋谷店でなければ置いていない日記帳だったことがわかった。
もう一度言うと、わたしが東京に行った目的は、キルトを見に行くこと。
さらに、時間を有意義に使うために選んだもう一つのイベントは、陶磁器を見に行くこと。
どちらも入口は日記帳とは無縁の場所だ。
そして今回は日帰りという、個人的には選択したくなかったけど、他の予定をずらせず
致し方なしに日帰りになり、はなから日記帳を探すなんて目的は組み込まなかった。
多忙すぎてどれも中途半端になると思ったから、日記帳も探したかったけどカットした。
自分の好きなことを追い続けていると必要なものがやってくる、とよく言われる教え、
それをものすごく実感した、新しい日記帳との出逢いだった。
写真上:左の茶色の日記帳が2005年~2014年使用の前代
次期日記帳を探して早1年半くらいになろうかという頃。
途中で1冊候補のノートを見つけ、実際に購入したけれど、紙の厚さが薄いのか、
水性ペンの黒は後ろのページに全て透けて、下手するとインクが滲んだ。
デザインが良かっただけに残念な結果で、また気を取り直して探しだした。
新しい年を迎える頃、スケジュール帳が文房具売り場の最前線を占めるようになると、
おのずと日記帳コーナーも例年充実する仕組みになっている。
期待したけれど、2015年もあっさりとその期待を裏切られた。
気長にまた探そうと思っていたけれど、これだけ探してもないということは、
もう自分の中の日記帳自体のスタイルを変更するしかないのかとすら思っていた。
日記帳として使えそうなノート、ゆうに千冊以上はチェックした。
店舗はもちろん、ネットでも延々とパソコンに張り付いて探し続けた。
オリジナルノートが作れる店なんかもチェックしたし、紙を扱う専門店なんかも見てみた。
外国製のノートも見たけど、これ!と思うような一冊がない。
かなりがっくりしながらも、とにかく探さないことには見つからないと思い、探し続けてはいた。
話は変わって、1月の下旬、東京へ弾丸日帰りツアーのように行ってきた。
お目当ては、東京ドームで開かれた東京キルトフェスティバル。
たったひとつの作品をどうしても見たくて行った。
当初行くつもりは全くなかったけど、家の近所に買い物に出ている途中、その見たい作品の
ことが頭をよぎって、家に帰って日程確認して電卓叩いて旅費を計算して、何とか自分の中の
予算内と予定内で動けると判断して行ってきた。
そう、わたしはキルトを見に行くのが目的で東京へ行った。
わたしが行った日は開催初日で、開場が午前11時だった。
それまで時間を持て余すのももったいなく、何か他の催し物がないかと色々チェックした結果、
「渋谷」にある陶磁器の美術館がヒットした。
渋谷自体、ごちゃごちゃしていて全く好きではないから、その美術館がなければ行こうとも
思わない場所だ。
だけど、東京ドームからそれほど遠くなく、適度に時間を費やせるところとなると、
その美術館はベストに思え(実際に良かった)、それで向かった渋谷だった。
まさかその渋谷で日記帳に出逢うとはつゆとも知らずに。
渋谷の駅に着いて、その徒歩15分という美術館への道を確かめるべく、駅が入っている
何ビルなんだろう?大きなビルの中を行き来していた。
その途中で、「文房具 伊東屋」の大きなポスターを目にした。
まぁどうせ日記帳はないだろうと思ったけど、来たはついで、美術館の帰りに寄ろうと決めた。
美術館を回った後、傘なしのわたしは雨の中また渋谷駅へ戻り、その伊東屋という店を探した。
そんなに大きな文房具屋ではない。
まったく期待せず日記帳コーナーに行った。
わたしはそこで今自分の手元にある日記帳に出逢うのだけど、一人で声をあげそうなぐらい
びっくりしていた。
まず、デザインが良い。
中身もシンプルで、横罫8mm(←これが一番自分の中でしっくりくる幅。店の売り物の定規で
測らせてもらった)、「 月 日」だけの日付入り、大きさも申し分ない。
4色あって、赤・紺・緑で迷ったけど、赤が一番しっくりして、それを買った。
多分これから10年ぐらい使うことを考えた時。
40代になった自分が、赤い持ち物を日常使いしていたら素敵だなぁと思ったから。
伊東屋は夕方妹たちと待ち合わせていた池袋にもある。
これからキルトを見に行くのに、手荷物は増やしたくなかった。
できれば池袋で購入できないものかと、店員さんに池袋に在庫があるか調べてもらった。
池袋にはございません、とのこと。
仕方ない、手荷物として日記帳は持ち歩くことにした。
ちなみに、間違ってあったら嫌だなぁと思い、あまのじゃく精神を発揮したわたしは、
夕方到着した池袋の伊東屋も見てきた。本当になかった。
そう、伊東屋の渋谷店でなければ置いていない日記帳だったことがわかった。
もう一度言うと、わたしが東京に行った目的は、キルトを見に行くこと。
さらに、時間を有意義に使うために選んだもう一つのイベントは、陶磁器を見に行くこと。
どちらも入口は日記帳とは無縁の場所だ。
そして今回は日帰りという、個人的には選択したくなかったけど、他の予定をずらせず
致し方なしに日帰りになり、はなから日記帳を探すなんて目的は組み込まなかった。
多忙すぎてどれも中途半端になると思ったから、日記帳も探したかったけどカットした。
自分の好きなことを追い続けていると必要なものがやってくる、とよく言われる教え、
それをものすごく実感した、新しい日記帳との出逢いだった。
写真上:左の茶色の日記帳が2005年~2014年使用の前代
2015年2月1日日曜日
断捨離熱ふたたび*スクラップブックの活用
年明けから、また断捨離熱がふたたび火を点けた。
11月に1日ひとつ何かを手放すことをほぼ毎日続け、
12月は毎日やるのはやめて、気が向いた時だけ…と気分に任せてやり。
1月に入って、ふと部屋の中を眺めた時、物が溜まりやすい場所に意識が向いた。
ずっとずっと知っていた、その物が山となる場所のこと。
要は、行き先の定まらないものたちだ。
ひとつふたつの時は、そんなに気にならなくても、ある程度の数に達し山となると目障りだ。
目障りになると、わたしは自分の視界に入れないことで、応急処置をする。
だけど、年も明けて気分が少し新しくなった時に見ると、非常に気分が悪い。
もう応急処置でごまかすのは無理だと理解する。
その山を片付けようということが、今回の断捨離熱ふたたびのいきさつだ。
今回とこれまでの断捨離と大きく違ったのは、思い入れの強い品をいくつか手放したことだ。
人によって、どんなものが手放すのに勇気や決断がたくさんいるかは違うかと思う。
わたしの場合、思い入れのある物が断トツで手放し難いものだ。
今回うまく手放せたものを手放すに至るまでの心境について少し触れたい。
わかりやすいものが2つあるから、それを例にしてみよう。
ひとつは、選別したセミナー資料のファイルだった。
たしか秋口に、きちんと整理しようと思って山となる場所に置いといたものの一つだった。
ただ、これはそれよりも以前に一度整理をしていて、言うなれば自分にとって重要とか
必要とか今後も見返したいとか、何かしら強い意思の元で寄り集めた資料ファイルだった。
当初、ファイルごと丸ごと捨てることにかなり抵抗した。
だから、ひとつひとつ目を通して、必要なら残しどうでも良くなっていたのなら捨てようと思った。
結果として、本当に大好きな人の講演会の資料と、昔関わった子どもが描いた絵のカラーコピー
以外はファイルごと捨てた。
時間の経過と共に、資料の価値が下がっていた。
内容は変わらないのだけれど、わたしの中で「不要」となっていた。
あと、資料の中には、嫌な思い出がよみがえる特定の個人の名前が出てきたりして
(わたしがメモしたもの)、それも手放すために大きく背中を押してくれた。
手元に置いておくより、手放した方がすっきりする。
その感覚がイメージとしてかなりはっきり自分の中に描けたから、今回はすぱっと捨てれた。
もう一つは、書を飾る掛け軸だ。
社会人1年目~3年目くらいまでとってもお世話になった先生がいた。
その先生のご主人が書道家で、小さな詩をはがきサイズに書いたものを幾つかいただいた。
その先生のお宅に伺った時、書を飾る掛け軸を目にし、自分も同じ物を購入させてもらった。
かれこれ十年近い歳月に達した掛け軸だった。
わたしの普段の手入れ不足が掛け軸にもろに表れたし、そして書の方にも及んでしまった。
自分でも掛け軸が傷んでしまったなぁとわかった。
書は気に入っているから残して、掛け軸はもう「物」としての寿命を迎えたように思えたから、
それで手放した。
お役目が終わったんだという厳かな気持ちと、最後は「ありがとう」という気持ちで手放せた。
「書」の方の行き先は、スクラップブックになった。
掛け軸がないまま普通にその辺に置いたんではますます傷む。
これ以上傷まないよう、そしてその書にまつわる様々な思い出をこれからも思い出せるよう、
スクラップブックは最高の置き場所となった。
社会人になってすぐ位から始めた習慣のひとつだ。
とにかく、思い入れのあるものを捨てられないわたしは、例えばどこかに出掛けた時の入場券や
ちょっとしたお手紙なんかも捨てられない。
捨てられないけれど、どんどん溜まっていく一方だ。
そこで考えたのが、スクラップブックだった。
紙でできたもので残しておきたいものたちは、すべてスクラップブック行き。
大した量ではないから、かさばりもしない。
すごく便利な上、思い出も残せるし、時々振り返っては面白いものに遭遇したりして、
毎回色んな発見があって楽しい。
ちなみにこれを見た人が同じようにスクラップブックを真似してくれて、
人生で一番追い詰められて夜が明けることも怖ければ、前にも後ろにも進めないほどに
色んなことが行き詰まった時、そのスクラップブックを抱いて眠り、それがお守りのようになって
自分の身を守ってくれたと後日教えてくれた。
その人のスクラップブックには、家族の思い出の写真や手紙がびっしりと貼られたものだった。
断捨離関係の本によく書かれているけれど、物と向き合うことは自分と向き合うこと、
これをすごく強く感じる。
本当に必要なものだけが残っていくような気がする(今はまだ途中)。
わたしが最後まで残すものが何なのか、自分でもすごく興味がある。
11月に1日ひとつ何かを手放すことをほぼ毎日続け、
12月は毎日やるのはやめて、気が向いた時だけ…と気分に任せてやり。
1月に入って、ふと部屋の中を眺めた時、物が溜まりやすい場所に意識が向いた。
ずっとずっと知っていた、その物が山となる場所のこと。
要は、行き先の定まらないものたちだ。
ひとつふたつの時は、そんなに気にならなくても、ある程度の数に達し山となると目障りだ。
目障りになると、わたしは自分の視界に入れないことで、応急処置をする。
だけど、年も明けて気分が少し新しくなった時に見ると、非常に気分が悪い。
もう応急処置でごまかすのは無理だと理解する。
その山を片付けようということが、今回の断捨離熱ふたたびのいきさつだ。
今回とこれまでの断捨離と大きく違ったのは、思い入れの強い品をいくつか手放したことだ。
人によって、どんなものが手放すのに勇気や決断がたくさんいるかは違うかと思う。
わたしの場合、思い入れのある物が断トツで手放し難いものだ。
今回うまく手放せたものを手放すに至るまでの心境について少し触れたい。
わかりやすいものが2つあるから、それを例にしてみよう。
ひとつは、選別したセミナー資料のファイルだった。
たしか秋口に、きちんと整理しようと思って山となる場所に置いといたものの一つだった。
ただ、これはそれよりも以前に一度整理をしていて、言うなれば自分にとって重要とか
必要とか今後も見返したいとか、何かしら強い意思の元で寄り集めた資料ファイルだった。
当初、ファイルごと丸ごと捨てることにかなり抵抗した。
だから、ひとつひとつ目を通して、必要なら残しどうでも良くなっていたのなら捨てようと思った。
結果として、本当に大好きな人の講演会の資料と、昔関わった子どもが描いた絵のカラーコピー
以外はファイルごと捨てた。
時間の経過と共に、資料の価値が下がっていた。
内容は変わらないのだけれど、わたしの中で「不要」となっていた。
あと、資料の中には、嫌な思い出がよみがえる特定の個人の名前が出てきたりして
(わたしがメモしたもの)、それも手放すために大きく背中を押してくれた。
手元に置いておくより、手放した方がすっきりする。
その感覚がイメージとしてかなりはっきり自分の中に描けたから、今回はすぱっと捨てれた。
もう一つは、書を飾る掛け軸だ。
社会人1年目~3年目くらいまでとってもお世話になった先生がいた。
その先生のご主人が書道家で、小さな詩をはがきサイズに書いたものを幾つかいただいた。
その先生のお宅に伺った時、書を飾る掛け軸を目にし、自分も同じ物を購入させてもらった。
かれこれ十年近い歳月に達した掛け軸だった。
わたしの普段の手入れ不足が掛け軸にもろに表れたし、そして書の方にも及んでしまった。
自分でも掛け軸が傷んでしまったなぁとわかった。
書は気に入っているから残して、掛け軸はもう「物」としての寿命を迎えたように思えたから、
それで手放した。
お役目が終わったんだという厳かな気持ちと、最後は「ありがとう」という気持ちで手放せた。
「書」の方の行き先は、スクラップブックになった。
掛け軸がないまま普通にその辺に置いたんではますます傷む。
これ以上傷まないよう、そしてその書にまつわる様々な思い出をこれからも思い出せるよう、
スクラップブックは最高の置き場所となった。
社会人になってすぐ位から始めた習慣のひとつだ。
とにかく、思い入れのあるものを捨てられないわたしは、例えばどこかに出掛けた時の入場券や
ちょっとしたお手紙なんかも捨てられない。
捨てられないけれど、どんどん溜まっていく一方だ。
そこで考えたのが、スクラップブックだった。
紙でできたもので残しておきたいものたちは、すべてスクラップブック行き。
大した量ではないから、かさばりもしない。
すごく便利な上、思い出も残せるし、時々振り返っては面白いものに遭遇したりして、
毎回色んな発見があって楽しい。
ちなみにこれを見た人が同じようにスクラップブックを真似してくれて、
人生で一番追い詰められて夜が明けることも怖ければ、前にも後ろにも進めないほどに
色んなことが行き詰まった時、そのスクラップブックを抱いて眠り、それがお守りのようになって
自分の身を守ってくれたと後日教えてくれた。
その人のスクラップブックには、家族の思い出の写真や手紙がびっしりと貼られたものだった。
断捨離関係の本によく書かれているけれど、物と向き合うことは自分と向き合うこと、
これをすごく強く感じる。
本当に必要なものだけが残っていくような気がする(今はまだ途中)。
わたしが最後まで残すものが何なのか、自分でもすごく興味がある。
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