2022年11月10日木曜日

皆既月食ー2022.11.8

月蝕が始まる前までずっと雨だった天気が
ぴたりと止んで、月が綺麗に顔を出した。

月が欠け始めた

さらに欠けた月

赤褐色に変身した月

自ら検査をして、
名前と日付書いて、写真撮って、
さらにはそれを県の指定サイトに自ら
情報入力+写真送付
もはや療養どころではない一大仕事
(ちなみにこのキットは、2本線=陽性)

コロナ検査前に、
陽性だった場合に備えてスーパーに買出しに。
その時の空が本当に綺麗な秋晴れ空だった。



2022/11/08

皆既月食を窓を開けて時々観察しながらこのブログを書いている。

(あら、ロマンチック(♡´`)♡


コロナ陽性確定した、皆既月食の今日2022年11月8日。


全国的に快晴と天気予報で言われていた中で、新潟県だけは(あと新潟と隣接する一部の県の一部の地域)雨マークで、そりゃもう激しく雨が朝から何回も降って、ほんの一瞬だけちょびっと青空が出て、でもあとは基本土砂降りな雨という、何この嫌がらせ!?と思っていた。


1時間予報を夕方になる前に調べると、月蝕の時間は晴れるという予報でそれに賭ける他なかった。


そうしたら本当に18時頃から晴れ出して、満月が見えて、こりゃ期待できる!という塩梅になってくれて、見事に皆既月食を目にできる絶好のチャンスを手にした。


しかもコロナ生活4日目でようやく平熱まであと少しの37度台とブログ書けるくらいの元気は戻ってきて、だから10分に1回くらいの割合でムクリと起き上がって月の観察ができるくらいになっている。


コロナの症状が出てからの最初の2日間は本当に寝ていてもしんどいし普段の睡眠の乱れと身体的な不調のダブルパンチで1時間として連続して眠れないし、トイレに行くのも枕元から少し離した布団から手が伸ばせるところに置いたお茶とりんごジュースを飲むのも、とにかく一挙手一投足動くのが相当しんどかった。


眼球も微妙に痛い感じがして、みんなコロナって言ってるのに、私1人だけデング熱とかだったらどうしようとか、頭の中も熱でうなされて普段以上に思考回路もおかしくて、本当に体は寝たきりみたいなのに自分の中はてんやわんやだった。


デング熱にうっかり本当になったら、3回目のデング熱な上、そんな人日本に多分いないだろうから全国ニュースになっちゃうんだろうか!?と、本当に可笑しなことを色々考えた。







記憶がいい加減だけれど、今回ほど綺麗に皆既月食が日本で見れたのは私の場合人生で初めてだと思う。


今回見た時に、真っ先に思い出したのはドミニカ共和国で見た人生で初めての皆既月食だった。


多分2008年で、私は29歳の年だったと思う。


協力隊の同期の女の子から「ぶっしー、今日月蝕だから月見たらいいよ〜って私も今連絡もらって、それで連絡した!」って電話が来たと思う。


携帯電話を持たされていたけれども、スペイン語の携帯だから、メールはほぼほぼ使った記憶がない。


ちなみに一番使ったのは、なぜか中に『数独』が入っていて、私は数独にどハマりして暇さえあればよくやっていた。


とにかく、メールじゃなくて電話をもらったんだと思う。


電話の後すぐに外に出て空を見上げたら、ちょうど「月蝕」とわかるような月が空の一番高い位置にあって、その時に初めて私は「月蝕」なる現象を知った。


日本にいた時やアメリカにいた時もないわけなかったと思うけれども、あいにく私の周りには月蝕を教えてくれる粋な人などおらず、そのドミニカで見たフルコンプの皆既月食が私の人生初の月蝕観察だった。


月が消えていく(欠けていく)様子は摩訶不思議過ぎたし、色は見たこともない赤褐色で、そのうち月はその赤褐色の影のようなものにすっぽりと包まれて無くなって、無くなったと思ったらまた徐々に月の色が戻ってきて最後は満月に戻るという、この世のものとは思えない不思議な様子に1人で大興奮していた。


その時に、昔の人たちならこの月の満ち欠けを見て不吉なことを予感したり祟りとか言い出しても不思議じゃないなと思った。


今回の月蝕の様子を見ながら思い出したのは、ドミニカで見た人生初の月蝕だった。


窓を開けながら息を吐くと白くて、そうだね、ここは常夏なドミニカじゃなくてもうすぐ冬を迎える日本だもんねと、コロナでボーッとした頭でそんなことを思いながら今の自分の立っている場所を確認した。







2022/11/09


ずいぶんと遠くまで来たんだなと思う。


仮に前回見た月蝕が14年前だとするなら、その当時と今とでは色んなことが違う。


もう生涯を通じて、ドミニカ共和国で皆既月食を見ることはないと思う。


日本国内でももう生きている間に昨日と同じタイプの惑星食を見ることはできない。


テレビでは442年ぶりで次回は322年後と言っていたけれど、厳密に言うとちょっと意味合いが違うことがわかった。


前回も次回も惑星食の惑星は土星。


今回だけ天王星。


土星と天王星では全く意味合いが違う。


土星はこの世のルールを司る惑星と言われる。


規律とか勤勉とかいうのが大好きだし、社会的ルールをとても大切にする。


対して天王星は、宇宙天体と呼ばれる惑星の1つで、人間が自分たちの力だけでどうこうできるものではない、未知の世界を司って、さらにはぶっ飛んだ方法でこの世や個人に改革をもたらすと言われている。


午後9時からのNHKのニュース番組でちょうど天王星が月の影から出てくる瞬間をスクリーン上に映し出されたものを私もじっと見ていたけれども、何とも言えない気持ちになって月や天王星の映像を見てなんだか泣けてきた。


天体ショーに感動したとかいうことよりも、もうこの今という時間も今回の人生もこれっきり、たった1回なんだということが身に沁みて、それで言いようのない気持ちが昂って涙が出た。


自分の人生はずいぶんと変わった路線を突き進んでいるけれど、それが長いこと受け入れ難い気持ちが多々あったけれど、ようやく43歳が半分以上終わった今、そのいびつで独特な自分の人生を本当に受け入れ始めたんだなと思う。


1つ思い出したことがあった。


リマーナすず先生から占星術鑑定をたしか4年前の夏に受けた時、先生から言われたことの1つに「内(私生活)と外(社会生活)との境がない人生になりやすいでしょうね」というのがあった。


それが正解かどうかはわからないけれど、コロナ5日目の今日、まだ体は本調子ではなく基本は横になってテレビやネットを見たりうたた寝をしたりすることが体にとって一番楽な在り方の状態で、私は2人ほどに今日メッセージを書いて送った。


1人は朝連絡をもらって、それというのが健康にまつわる相談で私の意見を聞きたいとあった。


体の方は私はわからないからその相談じゃなくて、不具合が見つかってそれについて端的にあったことが書かれていて、それについての意見を求められた。


読んですぐにポンと言葉が出てきたから、出てきたままを書いて出した。


読んですぐに、本人が今本当に欲しい、自分で決断するのに必要な後押しじゃないけれどそういうのがわかったから、それを書いた。


即返信が来て、やっぱり思った部分が引っかかっていて、それで迷っていたけれど、やっぱり自分はこうしたいと思うというようなことが書かれてきた。


もう1人は、なんと3週間近く前にメッセージが届いていたにも関わらず私が今日の午後まで全く気付かなくて(時々私の携帯は誤作動したり通知してくれなかったりする)、読んだら誰にも言えないと補足説明された心の叫びが淡々と書かれていた。


まずはずっと気付かなかったことを全力で謝罪して、これもまた読んで感じたことをそのまま書いて出した。


どちらの2人も正解なんてない。


しかも前者は年1で何かしら聞かれることはあっても今回のジャンルは初めてだったし、後者は何年もずっと連絡が途絶えていた感じで先月1回ずつやりとりして、それっきりかと思ったら、そこから一気に話がガラリと変わっていて、どこにも吐き出せないことの苦しさが顔は見えないけれど相手の顔が思い浮かぶようだった。


コロナで体がグッタリしていても、その辺りの感覚は普段と何ら変わらないし、どんな内容でも基本は返す。


大変におこがましい話だけれど、何で私に聞いたり話したりするのかなんとなくわかった気がした。


私は肯定も否定もどちらもしないか、または基本全肯定のどちらかでいくからだと思う。


そして友人知人とか関係なく、聞かれたことに関しては基本的に私個人の感情は挟まない。


例えば、内容が不倫だったとして(今回は全く違う)、「不倫なんて良くないよ」とか「自分も相手も不幸になるだけだから手を引きなよ」みたいな、そういう話し方を私は絶対にしない。


私はそうした善悪とか社会性だとかそんなことは全部すっ飛ばして、目の前の個人の人が何を一番大切にしているか、大切にしたいと思っているか、もしくは大切にする方が良いだろうことが感情ブレブレで見えなくなっていたらその部分をそっと言葉にする、そういう感じでしかやりとりしない。


画面に映し出されているのは、誰かの今現在の人生で、私が今日洗い物だったか何かしている時に気付いたのは、本人が希望を持てることや明るい選択肢に向かおうとする気持ちさえあれば、そこにちょっとだけ必要なものを添えるくらいしか私にやれることなどないわけで、相手が明るい方に向かって行けるのなら何でもありだなと思えていることに気付いた。


話があちこちに飛んでしまうけれど、私がトラウマ解放セラピーとかで「ちょっと限界かも」と感じたり普段第三者からどう思うかを聞かれて答えたのに自分がどっと疲れたりするそれって何だろう?と思った時に、相手が明るい選択肢を自分に持たせたいと思っているかどうかが一番の分かれ道だと感じている。


生きていると本当に色んな悲惨なことや苦しいこと、受け入れ難いことがある。


それは誰にだってある。


そうした時に、本人が自分の人生を諦めていない人は絶対に大丈夫だし、そこが何かしらでズレてしまった人は何かを差し出しても上手く機能しない。


この間、料理ブログを読んでいる時に、大人になればなるほど大事なことは、自分で自分のご機嫌を取れることというようなことを言っていて、私はそれにとっても共感した。


それはご機嫌だけじゃなく、何か目の前の自分の現実を良くしたいということも含めて、それは金持ちになりたいとか結婚して幸せな家庭を築きたいとかそういうことじゃなくて、さっきの不倫がわかりやすいから言うと、不倫している相手がいて相手のことが大切で、でも相手は別れる感じではなく、でも自分の気持ちも変わらない、という中で「じゃあどうする?」ということ。


それは付き合い続けるか別れるかの行動の選択肢じゃなくて、自分の心の在り方がどうだと自分は今より少しでも気持ちが楽になれるのか、ダメな自分が許せるのか、または変わらない関係でも自分の心が今より健やかになるには自分は何を自分にしてあげられるかというようなこと。


反対に行動の結果が別れるだとしても、自分の心の中で相手を好きになった気持ちを大切にしたいと思うのか、それすらも否定したいのか、外側じゃなくて内側の自分しか入っていけない領域において自分に対して何をしてあげられると自分が救われるのか、そういうことにひたすら私は着目している。


哲学チックな話だけれど、そういう自分の心の在り方や自分との接し方、自分との付き合い方がどんな内容でも絶対の基本になる。


上手く言えないけれど、私はそこをいつの時も多分主軸のようにして見ていて、その軸さえぶれなきゃ大丈夫だとこれは経験値的に感じている。


小手先の何かではなくて、大切な根っこのところにお水をやるみたいなそんな感じ。


だからはなから自分の根っこを大切にしようとしない人には何を言っても伝わらないし、または勘違いしている人にも全然話が入っていかないのは何人か見たことがあるから、そういうのも私は基本相手にしない。


でも今日の2人の人たちはそうじゃない。


真剣に自分の人生に向き合っていて、その中で出てきた言葉になる。


それは短い文章でもひしひしと伝わってくるしわかる。


そういうものたちを私も大切にしたいんだといつの時も思う。


できない時もたくさんあるけれども、それでもいざという大事な時は選べる自分でありたいと思っている。







2022/11/10


コロナ6日目。


熱は平熱だけれど相変わらずだるい。


当初味覚過敏みたいになっていたけれど、今日から鼻が詰まって味がわからなくなった。


食べててもあまり味がわからないのと食欲が普段の3分の1くらいしかないから、私なんかはちょうど良いダイエットと思って適当にやっている。


快晴の青空を布団の中から眺めながら書いている。


暖房なくてもぬくぬくと暖かくて、窓の外の気持ちの良い陽気を想像しながらブログを書くのも粋だなと思って書いている。


今回の8日の皆既月食は、私にとってとても大きな意味合いを持つ月蝕だった。


2020年の年末あたりと今年2022年の8月に占星術講座の時の桐吉謳子先生から鑑定を受けた時にその辺りを詳しく学術的な説明と共に教えてもらった。


「生まれ変わり」と言ってもいい。


自分はこういう人間です、という部分が根底から覆されて、この後はこれまでとは違う自分で生きていく他ない、そういうことがとてもくっきりはっきりと自分の側のホロスコープに出ている。


これまでとは違う自分と言っても自分が何か別物になるというわけじゃない。


言うなれば、自分本来の姿に戻っていく、もう隠せないところまで色々来ているわけで、その自分、素っ裸の自分で生きていく他ないという感じ。


子どもの頃からの長い訓練でそこそこ社会性を身に付けて、色々はみ出してはいてもなんとなく収まるようにする振る舞い方も身に付けてここまで来たけれども、いよいよそういうものも脇に置いて自分本来の感じでいきますよ、みたいな。


昨日2人の人にメッセージを書いている時に気付いた、自分が迷っていないことに。


自分でも、他人の人生の深いところを触ることの自覚はある。


それは怖いことだし、今も決して積極的に関わりたいとか入っていきたいなんて思わない。


けれども、やらざるを得ない時はやろうと決めているし、そうなった時は迷わずに自分が普通にやってるって昨日気付いた。


相手の目を周りの目を気にする自分がこれまでだとするなら、自分が思ったまま感じたままとにかく真っ直ぐに表現するのが今これからの自分という感じかもしれない。


周りの目はこれからだってたくさん気にするだろうけれど、必要とわかる時は迷わずにやっちゃうところが前とは少し違うんじゃないかなと思っている。







5日の土曜日から体調不良になって、そして今もまだ体の調子がいまひとつという中で気付いたことがある。


何せ体が本調子じゃないから、思考を伴う頭使いができない。


それで何にも困らないからいいけれど、わざと余計なことを考えさせないようにしてるんじゃないかと思うくらい、とにかく「考える」ことから離されている。


体がリセットしようとしてるのかな、なんて思っている。


発熱した最初の2日間、起きてても半分寝ているみたいな感覚の時、寝ていてもずっと何か大切な知恵が自分の中にダウンロードされるがごとく次から次へとメッセージめいた言葉たちが自分の中を駆け巡った。


当時からほとんど記憶には残らなかったけれども、それでもその時1つはっきりとわかったことは、今回の体調不良はこれまで43年間自分の中に蓄積された不要なものや不純なものを取り除くために起こっているということだった。


夢で見たのか言葉として夢の中で伝えられたのかその辺はもう全然覚えていないけれど、自分でも即納得できたように「了解」って思った。


発熱時のようなメッセージダウンロード的なことはもうなくなったけれど、代わりに余計なことを考えさせないかのごとく、ゴロゴロしていないとしんどい体の状態は今も続いている。


けっこう早く回復できるのなら、と1人でワクワクして普段できないようなことを家で楽しむことも想定していたけれども、いかんせん体がまだまだ休息を欲するから色々はできない。


なんなら食べ物にも普段からは考えられないくらいに興味がかなり目減りしているし(ゼロじゃないし、1日の中で「今日は何食べよう?」はけっこう考えるから、あくまでも私個人の比で目減り)、カードやそれらをまとめるノートも途中でやりたいなぁなんて思ったりもしたけれど多分無理。


あと3日しか休みがないから、せめてカード関係の入れ物とか敷物の裁縫を少しでも始められたらいいなという日に日に目標設定が低くなっている。


とにかくそれくらい、思考までも強制リセットがかけられている感が強い今回の月蝕コロナ。

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