2022年6月9日木曜日

6度目の夏ー2022

2022/06/09
6度目の夏の朝焼け

雲が切れて青空が広がった朝

2022/06/09
6度目の夏の夕焼け

夕焼け小焼け

人生最高のロックの日



2022/06/04()

あっという間に6月に入った。


心の予定では、6月を丁寧に振り返る予定でいたけれど、仕事が激務すぎてそこに町内会の仕事もプラスされて、さらにはXデーの前の日が友達の誕生日でその準備もしていて、目まぐるしい忙しさに見舞われている。


だから書ける時に少しずつ書くスタイルで今年はいくことに決めた。


もう5年も経ってしまうんだなと色んな気持ちが混ざり合いながら今という時を迎えている。


色んなことがこの5年の間にもたくさん起きたけれど、イケメン上司が人生に現れてくれたあの日は時間が経てば経つほど色が濃くなってくる。


当時と今とでは色んなことが違っていても、そして日常の中にイケメン上司の姿はなくても、心の風景はずっと変わらずに今に至っている。


「6月」という月は私にとって節目の出来事が3つある。


1つは、アメリカに渡ったこと。


1つは、ドミニカに渡ってそして2年後の6月に今度は日本に帰国したこと。


そして最後の1つがイケメン上司に出逢ったこと。


最初の2つは、可も不可もないというか、節目だったなとは思うものの、そんなに色濃く何か残っているのとは違う。


でもイケメン上司の件は、2018年の6月から毎年6月になると「そろそろイケメン上司に出逢えた日だな」と思う。


それも指折り数えるようにしてその日を毎年迎えている。


毎回似たようなことばかりを書いているけれど、それが本当のことだから仕方ない。


あらかじめ「魂繋がり最強の人とそこで出逢います」とか「出逢うことであなたのオカルト体質が顕在化します」だとか「忘れえぬ人に出逢います」とか、そういうことはもちろん何も知らずにいた。


とりあえずのお仕事だとか、とりあえずしばらくお世話になるところだとか、そんな程度の感覚でしかなくて、まさかそこから人生が激変するだなんて全く想像していなかった。


イケメン上司はどうだったんだろう。




2022/06/05()


友人ノムの誕生日が近くてその準備に並々ならぬ力を注いでいる。


今回は「書き物」がてんこ盛りで、着想を得たのはいいけれど、量が異常すぎて手の疲労が半端ない。


それぞれのプレゼントの説明や裏話なんかも手紙に書いていて、そんなことでさらに書き物が増えている。


全てを準備するのは時間的に厳しいだろうとあきらめモードになったけれど、ペンジュラムはやる以外の選択肢を示さず、なんとか自分を鼓舞して準備を続行している。


書き物全体的に、ノムの魂からのメッセージをキャッチしてるんだろうなと感じている。


何かに追われるようにして書いている自分がいる。


そしてそこまでの状況になって、はたと気付いた。


イケメン上司に手紙を書いた時とは全然違うこと。


何かに追われるようにして書いている身体的な動きは同じでも、心に迫るものや自分側の心情が全く違う。


ノムの書き物は、私は代筆者みたいで、自分の心と書き物が連動していない。


作業とも違うけれど、受け取った情報をメモ書きのようにひたすら書くという感じ。


一方でイケメン上司への手紙は全くもって別次元のものだった。


文字と自分の心は一体化していて、とにかく伝えられるのは今しかないという感じで書き進めていた。


ラブレターでもない、実に不思議な手紙を書いていた。


魂のご挨拶みたいな。


もし今日が人生最後の日なら、というくらいの差し迫った感じが書いている間ずっとあった。


当時も不思議な感覚を抱いていたけれど、他に比べるような経験がなかったから、そういうものなんだとあまり深くは考えずにそのままにした。


今回は比べるくらいの量と魂的なテーマが連動している感じが強いから、そこで初めて気付いた。


イケメン上司の時だけが本当に特別だったことに。




2022/06/07()


(書いているのは6/9の明け方)


仕事中、何度も何度も「5年前の2017年の今日は、イケメン上司の職場に初めて行った日だな」と思い出していた。


職場見学という名の面接のようなものに出かけた日だった。


それは派遣だと派遣会社と派遣先企業のよほどの特殊な契約がない限り、基本的に必ず実施される。(ちなみに特殊な契約というのは、派遣会社側が個人の派遣社員を派遣するのではなく、そもそもの業務なり部署なり全般を企業側から請け負っていて人事から運営の仕方まで基本一括で委託される。何せ大量の人たちがお勤めする関係で、その時は職場見学がなくて派遣社員側は初日当日に初めて職場に行くことになる。) 


頭の中をよくよく整理してみると、イケメン上司の名前を最初に見たのはその日ではなく勤務初日の日だった。


いや、やっぱりその日だ。


なぜなら当日は裏口というか従業員入口から入るように言われたから正面玄関側には行かなかったと思うから。


書きながら思い出してきたから順に追って書こう。(朝の4時すぎナウ)


派遣会社の担当のおじさんから、わかりにくい場所なので近くのスーパーで待ち合わせしましょうと言われていて近くのスーパーの駐車場で待ち合わせた。


ちなみにうんと後から知ったことだけれど、その駐車場なのかもうひとつの小さな駐車場かは知らないけれど、イケメン上司の昼休み中の休憩場所がそのスーパーの駐車場だったらしい。


私もごくたまに用事があるとそのスーパーに昼休み行っていて、いつかそんな話を事務さんがしていたのを聞いて、それ以降はスーパーの惣菜コーナーに行くたびに「この中のどれかを買って食べてたのかな」と眺めるクセがついた。


さらにどうでもいい話だけれど、同じ系列のスーパーがうちから徒歩10分みたいなところにあって、そこの半額率の惣菜たちには今の一人暮らしになってからはしょっちゅう助けられている。


色々試してみて、その惣菜も当たりはずれがかなり激しいことがわかった。


イケメン上司は何を好んで食べていたのか未だに気になっていることの1つ()


それはそうと、とにかく駐車場で待ち合わせて、合流した後に職場に行った。


これはその時思い出したのかイケメン上司がいなくなった後のある日に思い出したのか忘れたけれど、その数ヶ月前、私が人から誘われて行った婚活パーティーに行く時道に迷って、そして間違えたと気付いた時に引き返さないとで、その時にUターンするために駐車場の入口部分を少しお借りして入った場所だった。


だから場所自体は二度目ましてなところだった。


たしかにわかりにくい場所だし(そこにいきなり行くとなれば説明がしづらい)、基本的に用事でもなければ絶対に通らない道で、そんなところによくぞ迷い込んだなと思う。


魂の導きなのかなんなのか( ̄∀ ̄;)、あなたこの後ここですごい出逢いが待っているから下見に行っておきなさいねということだったのか、とにかくありえない迷子体験をしたところがイケメン上司の職場だった。


で、記憶を紐解いて、やっぱりその日だと気付いた。


その日にイケメン上司の名前を見た。


そんなの時間にして1分としてなかったと思う。


到着して車を降りて、派遣会社のおじさんが正面の入口のピンポンを押して、上から担当者が下りてくるのを待つ、その間に正面入口に貼られた緊急時の場合の連絡先みたいな内容のところにイケメン上司の名前があった。


私のポンコツ記憶で人の名前、それも紙面に1箇所だけ書かれた名前を覚えるなんてまずは絶対にないけれど、なぜかイケメン上司の名前だけは一発ですぐに覚えた。


武士俣級の強烈なインパクトのある名前ではないのに、なぜかものすごく印象に残った名前だった。


その時に名前を見て勝手に、現場監督みたいな親方風なおじさんを想像したこともよく覚えている。


だから勤務初日にイケメン上司から名刺をもらってその名前を見た時に、心底驚いた。


現場監督でもなければ親方風なおじさんでもなく、モデルみたいな背の高さとスタイルの良さとさらには顔もイケメンという、どこからどこまでも私の勝手な想像と大幅に違っていた。


さらに思い出したけれど、職場の人たちの名前は全く覚えられなくて、なんなら自分の教育係の事務さんの名前すら何日か覚えられない始末だったけれど、イケメン上司の名前だけはそうした諸々のインパクトがインプットされたおかげで一発で覚えていた。


最初「イケメン上司は事務所にいる率が高いから」だと思っていたけれども、事務さんの方がはるかにいる率が長くて私もめちゃくちゃお世話にならないといけないのに名前を覚えられなかったわけだから、長くいるいないは関係なくて、やっぱりあれはイケメン上司の名前だけが特別自分の中の記憶と強固に結びついたんだなと思う。


話は戻ると、2日前の7日の日は、何度も何度も職場見学のこととイケメン上司の名前を初めて見た時のことを思い出していた。







仕事で請け負った別件の話。


英訳の関係で二度目ましての若い男の子とその日と次の日かに合計3回やりとりした。


その子というのが超丁寧で、可愛い顔したジャニーズみたいな系統の顔立ちで、私なんかは子どもがいたら相手は息子でもおかしくないくらいの若さだけれど、とにかくそんな丁寧で可愛い顔してて、どんな風にご両親から育てられたらこんないい子に育つのかと思うような感じだけれど、その子と話していて1つ気付いたことがある。


とにかく話し相手の目をよく見てくる。


横並びに並んで話していて、その子は席に座っていて私は立っていた時に、当たり前だけれど私の方が目線が高くなっているにも関わらず、きちんと見上げて私の目を見て話を聞いてくれてたことに最後になって気付いた。


その時だけでもすでにイケメン上司と目が合った総時間数(分数とか秒数と言い換えてもいい)を上回る感じではあったけれど、もしイケメン上司とこのくらい目が合いまくりの仕事組みまくりだったのなら、本当に良かったなと思った。


と同時にこんなに目がたくさん合っていたのなら恥ずかしすぎて、私は目を見れなかったかもしれないなとも思った。


私の席に来てくれた時もその時は正面で向かい合う感じだったけれど、相手の子はとにかくきちんと目を真っ直ぐに見てくる。


イケメン上司がこんな風だったら、毎日卒倒してたなと思う()


もしかしたらもっとあったのかもだけど、私の記憶に残るイケメン上司の目は、初日に初めて会った時と、朝段ボールの整理をしていたイケメン上司に朝からとてつもなく変なことを確認しに行った時と、ちなみにこの2回はとてもやさしくて素敵な感じの空気だった、で最後は最後の日の挨拶の時のこの上ない冷たい感じの目だった。


他の時も思い出した。


時間が欲しいと言いに行った時も目が合った時があったと思うけれど、色々それどころじゃなくて目の記憶が曖昧すぎる。


仕事の電話の折り返しを伝言しに行った時も目が合ったと思うけれど、それよりも少し離れたところに立って電話が終わるのを待つフリをしながらイケメン上司の姿を見ていたその全体の様子や空気感の方がインパクトが強くて、そちらが記憶として強く残っている。


ちなみにイケメン上司の目が見たこともないくらいに澄んでいると気付いたのは、私に向けられたものではなくて、同世代の男性社員と話していた時に私が自分の席から盗み見した時が初めてだった。


少年みたいなというか、きちんと適切に表現するのが難しいけれど、とにかく目がめちゃくちゃ澄んでいる。


変な言い方だけれど、大人になるとみんな多かれ少なかれ目が濁るというか社会の顔をする中で純粋さみたいなのはどうしても失われる。


さかなクンみたいな人でさえも、あの方も目のきれいな人だとは思うけれども、やっぱりどうしても社会的なお顔がある、表情というか。


そういう意味では、イケメン上司の方がバリバリに社会の顔を普段しまくりな人だと思うけれど、そして男社会、理系的な仕事で、ますます感情など脇に置くしかないみたいなところに長くいると思うけれど、とにかく目が澄みまくりですごいことになっている。


何か深いところに宿っているものが本当にきれいじゃないとあの目にはならない。


例えば女の人ならメイクしたり整形したりしたら目を飾ること、よく見せることはできる。


でも目本来の澄んでる度は、メイクや整形をしたところでどうにかなるものじゃない。


とにかく目が澄みまくりで、あれは何なのか今もわからない。


本人はさらにわからないだろうし、自分の目を見てそんな風には感じないかもわからないけれど、はたから見るとそれがよくわかる。


こうして言葉にすると尚のことよくわかる。


あれは努力とかそういうことではなくて、生まれ持ったものでそしてその生まれ持ったものがきちんと大人になっても失われずにあって、その瞬間に私は立ち合えたんだなと思う。




2022/06/08()


(これも書いているのは6/9


朝、家を出てすぐの時だった。


ペンジュラムやオルゴナイトを入れた巾着袋を運転する自分の膝の上にのせた時だった。


お守りのように持ち歩いているイケメン上司の名刺を忘れたことに気付いた。


中身は見てなくても巾着袋の感触でわかった。


とっさに頭の中で反芻する。


ペンジュラムとオルゴナイトとイケメン上司の名刺は毎日枕元に置いて家を出る時は巾着袋に入れて持ち歩くから、とにかく日々出し入れをしている。


今朝の様子を思い出して、たしかに入れ忘れた気がする、と思った。


と同時に、たしかに夜寝る前に枕元で見た記憶もしっかりと出てきた。


ということは家に帰れば必ずあるなと確信して安心できた。


家に帰ってきて着替えるのもそこそこに、まずは自分の部屋に直行して、枕のあたりを見た。


枕の下に隠れてイケメン上司の名刺があって安心した。


朝の車の中で、イケメン上司から名刺をもらった時のことを思い出した。


本人もだろうけれど私もまさかその時にもらった名刺をこんなにもずっと大切に手元に置くことになるなんて思ってもみなかった。


単なる通過儀礼のように渡したに過ぎない名刺だったかもしれないけれど、私にとっては唯一無二の名刺でそして唯一無二のイケメン上司から直接手渡されたモノで、他に有形でそうしたものが何もないから今でもとても大切なものになっている。




2022/06/09()


朝は久しぶりの快晴に近い晴れだった。


仕事に行く道中、イケメン上司の誕生日と同じ数字のナンバープレートを持つバスとすれ違った。


それだけで今日という日がお祝いされてるようで嬉しくなった。


仕事は激務すぎるし、イケメン上司が近くにいるわけでもないし、何か特別に良いことなんかがあるわけじゃないのに、そういう小さなことで喜べる自分はある意味しあわせなんじゃないかと思った。


帰りの車の中では別のことを思った。


近所のドラッグストア近くの信号のあたりを通った時だった。


早歩きと小走りの間みたいな速さで横断歩道を渡る男の人がいた。


時間帯からしても、その近辺に家があるのだろうと思う。


少なくとも我が家から徒歩圏内のところに住まわれてるかと思う。


そんな徒歩圏内の誰かのことは知らないけれど、何百キロと離れたところに住んでいるイケメン上司のことを知っているというのは、なんとすごいことだろうと思った。


関係と呼べるものが何も無くても、ある1人の人が自分の人生に現れてくれて、さらにはその人の存在によって感謝してもしきれないほどのものがもたらされるって、どれだけの奇跡なんだろうと感じた。


ゴールデンウィーク明けた後からの仕事の激務具合は半端ないけれど、ここで私は何してるんだろう?なんていう疑問はほぼ毎日浮かぶ状況ではあるけれど、5年前にはもう二度と戻れなくても私はいつもどこかで気持ちが穏やかになれて満たされるものを持っている。


それというのは、イケメン上司が私の人生に現れてくれたことで生まれた感覚だった。


5年後の自分がこんな風に感じられるようになるとは思っていなかった。


自分の望む形とは色々違っていても、心の深いところでは満たされている自分がたしかにいる。


改めてイケメン上司の存在の大きさや偉大さみたいなものを感じた。


もうどうにもならなくても、この数年をかけて私の中に生まれたこの感覚はもうずっと一生ものだと思う。


5年前、私に名刺を渡した誰かは、自分が他の誰かの人生にこんなにも深く影響することになるだなんて1ミリも想像していなかったと思う。


だけど、そんな想像もできないようなことが実際に起こった。


改めてこの世の奇跡に私は心から感謝している。


イケメン上司に出逢えてイケメン上司の存在を知れたことが私にとっては人生最大の転機で、今の今でも私は心からありがとうと思っている。

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