2022年4月24日日曜日

占星術〜魂のシンボル

メルカリで買った占星術の本


メルカリの出品者から調べるといいと言われて
教えてもらった言葉を入力したら
なぜかアメリカのプロレスラーがヒットした!




2022/04/23(土)


タロットに熱を上げて占星術がすっかりなりを潜めているけれど、久しぶりに占星術の話題など。


とてつもなくはるか遠く昔に感じていたけれど、まだ1ヶ月少しだったんだと気付く。


最後に占星術の講座を受けたのは、私の43歳の誕生日のすぐ後の土曜日だった。


だから3月の話になる。


それを最後にしばらくどころかもう占星術講座はいいかなと思っていた。


しかも年明けのタロットカードの扉開きからはずっとずっとタロット一辺倒みたくなっていて、占星術のことはほぼほぼノータッチになっていた。


興味が失せたというのとも少し違うけれど、自分の中で星の学びは一区切りついてしばらくはもういいかなと思った。


おなかいっぱいというか。


そして、この1年数ヶ月の間、月に2本占星術講座を受けていて、いくら家でオンライン受講と言えどもやっぱり時間は縛られるから、やる気もなければ最後は面倒くさいの方があまりにも上回りすぎて、もう受けなくてもいいなとなった。


話は少し逸れるけれど、少し前に興味のある占星術講座の案内があった。


あったけれど、また1年間、月1で受け続けるという縛りがきつくて、そして受ける受けないを私は最終的に決める時にタロットカードを引いて、これがある種のタロットカードでの初めての占いに近かったけれど()、そこで出てきたカードはベッドのようなところの上で仰向けに寝ている絵で、それを見て「やっぱり受けないんだな」と確信した。


だからもう占星術講座はこれから何年もの単位で受けないと思ったし、下手したら一生受けないかもとさえ思ったし、とにかく興味の矛先がタロットカードに移ったら、講座を受ける時間があるならばタロットをしていたいという気持ちが勝って、だから講座なんて全く受ける気がなかった。


という私が、今回ゴールデンウィーク初日に1つ占星術講座を受ける。


単発講座で、さっき3時間前くらいに案内を見つけて、即担当者に連絡して、すぐに返信が来たから即お金も振り込んで(ネットバンキング様々)、それであと数日後の29日の夜には講座を受ける算段になっている。


今回の講座は「ノード講座」。


占星術講座に興味が失せたのは本当だけれど、ノードについては全く別次元で興味関心が刺激されまくった。


ちなみにノードと呼ばれるものにも興味が基本ないし、私なんかは自分の生まれた時のホロスコープ(星の天空図)の中ですでに特徴的なノード(ドラゴンヘッドとドラゴンテイル)を持っているから、それが色んな方面に影響が出まくるというのは講座や鑑定で教えてもらったから、もはや「そういうもの」としてある意味あきらめて、それで自分のものをこれ以上深く追究したいとかいうことは全くなかった。


またか!とつっこまれても何も言い返せないけれど、今回私がノードの講座を受けたいと思ったのは、イケメン上司のノードのことをこの1ヶ月とか2ヶ月とかの中でさらなる情報を得たからだった。


何個か前のブログに書いたと思うけれど、ある時に私は派遣会社の担当者(だけど、実際は地区の事務所の所長というお偉いさん)から電話が来た時に、イケメン上司の職場への紹介の話が初めてきたのが2017年の5月の何日だったのかを調べて欲しいとお願いした。


私のヘンテコなお願いも快く引き受けてくれて、それが何日だったのかその場で調べてくれてすぐに教えてくれた。


その後速攻で私は、その日のホロスコープとイケメン上司の生まれた時のホロスコープとを重ねて見た。


ドンピシャで、その日がイケメン上司にとって18〜19年に1回巡ってくる、ノードリターンと呼ばれる日だったことがわかった。


イケメン上司のノードリターンということは主人公はイケメン上司で私はあくまでも脇役というかその時にちょうど居合わせたエキストラ的な人でしかないにしても、とにかくそういうタイミングの時に私自身がイケメン上司の人生の側に入り込んだのは紛れもない事実で、現実にそうだったことだけは確実なものとして今もある。

(ノードを端的に説明するとするなら、魂的な目的の道で、ノードリターンの時は魂的な目的のために色んな変化やご縁が運ばれてきやすいと言われている。(そういうことが統計的にも示されている))


それをもっと学術的に意味を知りたいとはその時も思ったけれど、ノード関係の単発で尚且つ内容も深いものが講座としてあるのかと言えば、探す方が面倒くさいから、それでそれっきりこれっきりにしたままだった。


その情報だけで十分だったし、とにかくイケメン上司が好む好まないに関わらず、その18〜19年に1回しか巡ってこない星回りのタイミングに私が居合わせられたことを思えば、私にはそれだけで何か認められたような背中を支えてもらったような、そんな気持ちになれたから、まぁそれでいいかと思った。


で、さっき録画した番組をダラダラ見ながら、不定期にチェックする占星術講座の時の先生たちのブログを見に行ってきた。


そうしたらそのうちのお一方が、ノード講座をするとあった。


(興味のある方は、リマーナすず先生のブログを見てください。『ノード講座』という記事がおそらくトップに出てくるかと思います。)


そもそも、すず先生のオンライン講座を受けたことがない私は受けれるのかどうかも定かではなかったけれど、担当者の方に聞いたら単発講座だから基本は誰でも受けれるとのこと。


すず先生がまたふんだんに惜しみなく自分の持っている情報を共有してくれるだろうことは想像できるし、そして何にも偏らずただただ情報を真っ直ぐに流してくれるだろうことも想像できる。


私は自分が生きているうちにイケメン上司からイケメン上司が見ていた景色の話を直接聞けるのは、この先それこそ私が月や火星に旅行に行きますというくらいの確率でしか起こらないような気がしている。


ゼロとは言わないしそうとも思いたくないけれども、まぁそのくらいの確率で考えてないと自分のメンタルがもたないこともあってそのように思っている。


それはいいとして、だからこそイケメン上司と私とがどうして出会うことができたのか、それを少しでも裏付けできる情報があるのならそれは知りたいと思う。


たまたま運良く星回りも知れてその知識も得て、さらなる深い知識を知れる機会が巡ってきた今、私がそれに飛びつかない理由はない。


そんなことを知ったからと言って、イケメン上司と私との関係が前進したり変化したりすることはないだろうし、受ける前と受けた後とで何か私の生活や生き方が変わるなんてこともない。


けれども、知らずにいるよりかは知っておきたいし、知ることでさらに私の中の確信というか色んなことを信じる力が強まればそれに越したことはない。


イケメン上司からしたら本当に事故みたいな出来事だったかもしれないけれど、私からしたら人生で最大のターニングポイント・人生最大のご褒美みたいなことだったわけで、その意味を知りたい。







冒頭の写真の本は、時を同じくしてメルカリで見つけて購入した占星術の本。


出品されて以降何回か目にしていたけれど読まなさそうと思って遠目に見ていたけれど、どんどん値下げされて、この値段なら仮に読まずに終わっても買っても後悔しないなという値段まで下げられて、そこで「そうだ!」と思い出してAmazonへと飛んだ。


タロットカードの本の調べ物でさんざん「試し読み」にお世話になったから、その本の試し読みも出来るかも!と思って見に行ったら大正解で、少しだけ読んできた。


本当に数分しか読まなかったけれど、それだけでその著者の世界観がとても好きだなと感じた。


占星術の本ではあるけれど、占星術を超えた話をしていた。


後々調べてわかったけれど、占星術以外にも家族療法だとか他のセラピーなんかも色々やる人だとわかった。


だからその世界観が占星術だけにとどまらなかったんだと納得した。


Amazonの試し読みが終わった後、どうかまだ残っていますように!と祈る気持ちでメルカリに戻った。


本当に縁があって私のところに来るものであるならまだ売れていないだろうし、売れていたのならそれは縁がないということ、そんなことを久しぶりに思った。


ちなみにAmazonで定価で買うといくらなのかも知って、定価の85%オフみたいな値段でメルカリで出品されていたと知った。


ちなみに定価なら私はタロットの英語本の方が欲しいから絶対に買わない。


そんなことを考えながらメルカリに戻ったら、まだあって即座に購入手続きをした。


そんなすごく良い本だとは知らずにいた私は、今回メルカリで出品されている方に購入後のメッセージのやりとりで、どうしてその本を知り得たのかを差し支えなければ教えて欲しいと頼んだ。


そうしたらとても丁寧な返信が返ってきて、その方はそもそも占星術に詳しい知人から薦められて手にした本だとあった。


しかも勝手に女の人だと思っていたら男の人でそれも驚いた。


そのやりとりの中で「ブライアンクラーク」を調べると良いと書かれていたから、著者の名前だと気付かずに最初検索したら、冒頭の写真にあるページがヒットした。


アメリカのプロレスラーが出てきて、私は何か間違えたのかと思った。


もう一度メッセージを読んで、本の著者の名前を見ると、そのプロレスラーと同姓同名とわかった。


この面白い偶然にシンクロを感じながら、この本を注文して本当に良かったと思った。







2022/04/24(日)


本が届いた。


遅い午後の時間帯から始めた昼飲みを終えて、本が到着していると知ってポストを見てきた。


半分ほろ酔いな頭でこれを書き始めている。


“Symbols are the language of the soul.”

SOUL, SYMBOL and IMAGINATION 

Brian Clark・著


私はこの言葉に何よりも魅せられて、今回の本を買った。


直訳すると「シンボルは魂の言葉」。


ノードリターンなんていうのはまさしくシンボルの最たるものの一例で、知らない人たちからしたらノードだのノードリターンだの2017年の新緑のある日だの、そんなのは何にも意味を成さない。


「ノードね〜」なんて普通に返せる人がこの世でどのくらいのパーセンテージでいるんだろうと思う。


私がもし占星術を、自分でホロスコープを読めるようになりたいから学びたい!、と思わなければ、一生知ることのない知識だった。


そして、全てにおいて何の確証も持てないイケメン上司との出逢いは、たまたま自分が強く反応した出逢いでそこには何ら深い意味や意図なんかないと片付けたのではないかと思う。


だけど私は最初は自分をもっとよく知るために占星術の世界に足を踏み入れて、そしてその後とても運良くイケメン上司の誕生日を知り得て、さらにはそこからイケメン上司のノードリターンの日と私がイケメン上司がいる職場の仕事の紹介を受けた日とが全く同じだと知り得た。


何の変哲もない、とある1日のことでしかない。


だけど、それがシンボルとして成り立つものの先には色んな情報が集まって、生涯でたった一度しか起こらない奇跡を生み出していた。


シンボルが魂の言葉を代弁してくれた、と言ってもいい。


そこに私は、並々ならぬパワーみたいなこの世の言葉では語り尽くせない深い意図が後ろにあるように感じてならない。


そんなことをたった1つの文章から感じさせてくれたのが今回やってきた本だった。







昨日土曜日の昼間に、多分年の頃は私より年上で50歳前後ではないかと思しき男性のブログに行き着いた。


理系かさもなくば文系的なお仕事でも、とても理論的に客観的に仕事をすることを求められている方ではないかなと思う。


効率能率重視!という感じがそれとなく自己紹介の文章で感じられる方だった。


そんな男性が、これまたパワーポイントを使ってプレゼンでもするのかと思うような理路整然とした言葉で、文章も短く端的に、スピリチュアルだの運命だの全く信じない自分が「この人だ!」と思った女性に出逢ってその方と関係が始まってみたいなことの記録を残している。


それを私は一気に全部読んだ。(まだ始めたばかりのブログで20ちょっとしかないからすぐに全部読めた。)


男の人でましてやアラフォーは確実に超えてもっと言えばもしかすると還暦前くらいの可能性もあるけれど、そんな人が赤裸々に自分の内面や恋心みたいな気持ちを書いているブログなんて早々ないから、ものすごく興味深いブログだった。


その人は魂的な繋がりの縁だとどうして思うのか、その理由を理論的に語っている。


ちなみに理論的に説明されたいくつかのことは、私が実際に体験したこととかぶっていて、その超リアルなことしか信じないみたいな男性が「これは特別な魂の縁だ」と思うに至る考え・体験と同じと知って、何だか心強かった。


それを読みながら改めて、イケメン上司の目には私が登場していた時間や空間はどんな風に映っていたのかなと思った。


その人のブログでは、相手の女性と出逢ってから世界が一変するくらいの変化が淡々とした口調で、でも読んでる側にはとても強い印象が残る言葉で描かれている。


何でそのシーンが突然出てきたのかはわからないけれど、それを読みながらイケメン上司に最後の挨拶をした時に一瞬だけイケメン上司が私の目を見た瞬間がパッと出てきた。


(「挨拶を交わした」と書こうとしたけれど、挨拶さえも私1人が礼儀作法として常識の範囲内でしている風で、というか一方的に押しかけて挨拶を押し付けてる風だったから、「交わした」という言い方はやめた。)


イケメン上司が何で一瞬だけ私の目を見たのかはわからない。


もしかすると、本人さえもどうしてそうしたのか説明できないかもしれない。


本人の意志よりも魂の意志が勝って、そんな風になっていたのかもしれない。


1秒ってどのくらいなんだろう?と思って、さっきiPhoneのストップウォッチ機能を出して見てみた。


100分の1秒まで表示されるタイプで、1秒のところの位が「1」になるまでを見てみた。


そうやって眺めると1秒ってとても長く感じる。


イケメン上司が私の目を見たのは1秒程度かそれ以下だったかもしれないけれど、そういう時間の流れ方だった。


本当に一瞬だったし、本気で色々やらかした!と反省しきりになるような冷たさというか、鋭さはないけれど言うなら冷たい、そういう目ではあったけれど、その瞬間がずっと強く記憶に残る、ものすごいインパクトのある時間が流れていた。


何にもわからないけれど、こんな風にものすごい強さで記憶に残るところが魂の記憶って感じがするし、これはもう一生モノの記憶なんだなと今だからわかる。


仕事上は愛想良く振る舞っていても基本はポーカーフェイスなイケメン上司が何を感じて何を思ったかは私にはどうやっても想像できないけれど、本当に魂的なご縁であるとするなら、イケメン上司側にも相当なインパクトがあったのかなとその方のブログを読みながらそんな想像をした。







占星術のノード講座の話をしたかったんじゃないのか!?と自分にツッコみたいくらいに話がそれまくりで支離滅裂系な感じになってきたけれど、もうひとつこのタイミングで出てきたことがあったからついでに書いちゃう。


タロットカードを使って日記を書くということをかなり不定期にやっている。


今日(4/24)久しぶりにそれをした。


まずは今日のカードを1枚ペンジュラムで選ぶ。


そして今度は“Journaling the Tarot: Evolutions” (Andy Matzner・著)という本を出してきて、そのカードの中の何番の質問に答えるかをペンジュラムとサーフィンボード(ペンジュラム用のボード)を使って聞く。


そうやって出てきた今日の質問はこんな風だった。


「人生をとあるコースと考えた時(基礎コースとか〇〇課程とか、そういう学びの時に使う「コース」)、一番幸せだった時はいつですか?」


考える間もほとんどなく、すぐに出てきた。


それは私の人生の中にイケメン上司がいた時間だった。


それもただただ毎日会えるだけでルンルンだった時だけじゃなく、ご飯誘ったり手紙を渡して拒否拒絶的な態度をデンと示された時も含めて、目の前にイケメン上司がいた時間全てだった。


「しあわせ」という感覚を知ってるって本当にしあわせなことだなと感じた。


しかも迷わずにそうだと言えること。


さらには結末というか現状というかは、全くもってしあわせに満ちてるものではなく、むしろそれ負け試合ですよね?みたいなことになっていても、それでもやっぱり「一番しあわせーhappiest」最上級のしあわせの時間なんだというのは、本当にしあわせな人生だなと思った。


結果とか形とかではなくて、自分がどう感じているかでしあわせは決まる。


って本当にその通りだと思う。


はたから見たら、しあわせ要素ゼロだし、むしろとてつもなく痛々しい人、無理してる人みたいに見えたとしても、私の中ではあんなにも至福感に満ち満ちた時間も感覚も人生で他にはない。


本当のしあわせを私は知った。


それには何の条件も要らなかった。


ただただ誰かが存在してくれてるだけでいい、そういうしあわせは人生でそう何度も起こらない。


それも一緒にいられるわけでも一緒に人生を歩めるわけでもない、もっと言えば嫌われてるかもしれない、それでも私は自分が感じる感覚に嘘は一切ないし、本当にしあわせだと自分の全身全霊がそうだよと教えてくれる。


こんなの人生最大の奇跡と呼ばず何と他に呼ぶんだろう。


それだけのものを私に運んできた人なわけで、だからこそノード講座が気になるし、その裏側にある見えない世界、神々の審議会的な、宇宙でも天空でも何でもいい、そういう言葉には尽くせないすごいものを現実に引き起こしてくる魂の意図や力たるものを私は知りたい。


イケメン上司から聞けないのは仕方ないから、せめて学術的に理解する材料が1つでもあったら嬉しい。


こんなこと書いてたら、プチシリーズ化している「舞台裏」を書くところに(予定通り)至らず、それはゴールデンウィーク中に仕上げようと計画中。


どうでもいいことだけれど、いつも終わり方というか締め方がなんだかダサくて、かと言ってどう締めていいものか名案があるわけでもなく、いつも「なんだかなあ、この終わり方(てんてんてん)」ってなっている。


もっとスマートなもしくは余韻が素敵な終わり方があればいいのにななんて思っている。

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