2021年12月11日土曜日

タロットカード探しB面

今朝の空
2021/12/11


タロットカードを買う前に自分の内面を見つめなさいとオンラインタロットで出たから、タロットカード探しのB面の話をしたいと思う。

先にアップしたブログの中に、オンラインのタロット占いでも今の自分の状態をよく表すと書いて、それで「そうだ!タロットカードを買うことの是非を聞いてみよう!」と思って久しぶりに引いてみた。


買うことは力強いYESでも、まだ前に進む時ではない、そのためにはまず自分の内面を見つめるとあった。


思い当たるフシがいくつもあって苦笑いしそうだった。


タロットカード探しのB面の出来事はこんな風だった。


タロットカードを探す中で、日本のサイトだとそんなにも目新しいタロットに当たらなくて(100種類以上は見た)、そこで検索方法を変えて、怖い絵柄のカードの画像検索をして、その中で気になるカードがあったらそれを見に行くというやり方にした。


怖い絵柄は何回見ても慣れないから、あえて絵柄を変更してその怖さが軽減するものがあるといいなと思って探した。


そうするとけっこう色んな見たこともないカードもヒットしたりして、いいなぁと思って眺めていた。


で、あるカードはFacebookで紹介されてるのがわかって、占星術同様英語で書かれていたから海外のタロットユーザーなのは間違いなくて、けっこう面白いことを書いていたからそれを見ようとその人のFacebookのサイトをクリックした。


普段がどうなっているのかイマイチよく思い出せないけれど、今回はそのページには繋がらず、代わりに自分のページに飛んで、さらには最近のFacebookで繋がっている友人たちの近況とやらがアップされて出てきた。


少なくとも、普段は即座に見たいページに繋がるのに、どういうわけか今回はそのタロットカードを紹介している人のアップには辿り着かなくて、自分の見ても見なくてもいいページに飛んだ。


そのトップに、10代の頃からの男友達がアップした写真と説明があった。


知らぬ間に家を建てている話になっていて、その家の写真がどう見ても一人暮らしじゃなくてファミリー向けで、さらには彼の地元ではない他県でのことで、それ見て結婚したことを知った。


それは単純におめでたいと思った。


言われたくないだろうけれども、その男友達は友達としては最高だけれど、彼氏とかパートナーだと大変だろうなと思っていた。


女癖が悪いというか、私は彼のいつかの彼女に彼の女たらしについて相談を受けた記憶がある。


それも全く知らない初対面の彼女からいきなりそんな相談で、ゲッ(꒪ꇴ꒪)って感じだった。


とうとう結婚したんだな、良かったね、と本気で思ったし、そこまでは驚きとおめでたい気持ちとで実に穏やかな感じだった。


気になってもう少し彼の投稿を見に行ったのが運の尽きだった。


男友達は自分の子ども、見たところ赤ちゃんという感じの子を抱いて風呂に入ってる写真をアップしていた。


書くと大したことないけれど(だから読み手の人には何一つこの話の真意や私から見た重みなど意味不明過ぎると思う)、この写真こそが私の中の一番突かれたくない急所に大ヒットして、そこから一気にテンションダダ下がりだった。


その写真の中には、私が欲しいありとあらゆるしあわせの形が入っていた。


そんな写真撮れるのは妻しかいない。


少なくとも、その写真を普通に撮れて、そしてFacebookだから本名晒してるわけで、その本名晒した状態でアップできるということはそれだけ夫婦としての関係も強固なんだろうし、良好な関係なんだと思う。


男友達は若かりし頃から人恋しいとしょっちゅう嘆いていて、自由も大好きだけど寂しがり屋みたいな人で、だから家庭を持つというのはある意味彼にとっての最大のゴールみたいなところもあったと思う。


奥さんのことも子どものことも何よりも大切にしているのはたった1枚の写真が全てを伝えていたし、その後奥さんとの家族写真もあってしあわせそうな日常のショットもあって、本当の本当にしあわせなのはわかった。


男友達は仕事も自分で開拓したし、本当に色々と自分でやってきた人だから、これまで全部の積み重ねがあっての今のしあわせや今の生活だということは簡単に想像がつくし、だから今あることは本人の努力なしではありえないことだというのもわかるから、それについてどうこう思うようなことはない。


けれど、その写真を見た時に、私は「自分の人生ってなんなんだろう?」って思った。


よりにもよって、そのページに辿り着いた大元の理由は、タロットカード探しだった。


英語圏に住むタロットカードを使う人の書いているものが見たくてクリックしたにすぎなかった。


それがいきなりそんな自爆テロみたいなことになって、私は超落ちた。


精神的ショックが酷かった。


しかも、そのアップの前のアップは2年とか3年前で、だから超久しぶりのアップがその家族写真だったとわかった。


しかも数年ぶりに今年にアップしたのは2回ないし3回程度で、しかもいつもなら私のFacebook繋がりでアップを日常的にしている常連さんたちが何人かいて、だからいつもならその誰かのアップがトップに来るはずなのに、その今年に入って2回か3回アップという男友達がよりにもよってトップに来るってどれだけなんだろうと思った。


私の記憶にある男友達のFacebookのアップは、ずっと個人の趣味の内容ばかりで、この人はこのまま独身を極めそうなどと勝手に思っていた。


それがいきなりそれで、しかもこれは見てわかる、完全なる晩婚で子どもを持てるなんてそもそもあまり期待もできなかったと思うけれど、散々遊びに遊んだだろう男の人が晩婚で子どもを持つととてつもなく愛情深い感じに変身して、良い夫、良い父になる確率が高い。


男友達はまさにそれで、こういう本物のしあわせを掴む人がいることと自分の今+これまでの道のりとを比べて絶望した。


もちろん、しあわせの形は人の数だけある。


そういう生き方が自分のしあわせにならない人だってもちろんいる。


けれども、私が求めたしあわせはそういうものだった。


自分の好きな人と結婚して、授かれるものなら子どもを授かって、何てことのない日常を繰り返して生涯を全うする、他のことはすべて二の次三の次で、例えば旦那が働けないとなれば私は自分が大黒柱になることも問わないし、子どもを持つことで確実に生じる不自由や不便や面倒もぶつぶつ文句は言うだろうけれどそれもなんだかんだでやるだろうし、何よりも自分よりも大切な誰かがいてその誰かと人生を生きられるって私にとっての最大のやりたいことと望んでいることで、それの限りなく完成形を男友達の今を通じて見て、本当の本当に落ちに落ちた。


夫婦仲が良くないとか諸々の家族問題や家庭外の仕事や他のことで問題抱えていて辛いとか、何せ色んな人たちの色んな話を聞いてきただけあって、男友達みたいなケースが激レアなのはわかる。


だけど確実にそういう私が欲してやまないものを手に入れている人たちもいて、それをわりと身近なというか少なくとも長い付き合いで過去の色んなことも知っている誰かがそれを形にしているというのは、本当ならとってもおめでたいことなのに私の心はどこまでも暗く沈んだ。


そして突然、「何でタロットカードなんて調べているんだろう?」と思った。


タロットカードが私の人生に必要かと考えると、必要じゃないし困らない。


他の止まらないオカルト的なことも、自分が望んでもないところからじゃんじゃんやってくるものの、自分が欲しいとか手に入れたいとかいうこととはずいぶんと違う。


逆に、望んだものは共に生きる人と可能なら家族として子どもが欲しい、さらに欲を言えば自分たちだけの家が欲しい、そのくらい私の中の望みはシンプルだった。


どうやらそういう人生じゃないと知って、それは少しずつ少しずつ時間をかけて自分なりに理解できるように、少しでも自分の人生を受け入れられるように、そのための努力はかなりしている。


嘆いたって仕方ないし悲しんだってどうにもならない。


なら少しでもいい、ほんの少し前を向いて、今日も来ちゃったけれど今日もとりあえず生きてみようかと思えたらそれで御の字くらいに、未だに私はそんな超初歩的なことを毎日自分でも気付かないところで確認したりしている。


自分の人生の向かう先がどこなんだろう?とも思うし、何目指していいかもいい加減人生半分の折り返し地点に来てもわからないし、何だろうこの人生?なんて日々思っていても、とりあえず日常を送れる今は今でそこそこ大丈夫などとも思っている。


でも正直わからない。


たった1枚の写真が私に私が望んだ人生の青写真を見せてきた。


タロットカード探しはたしかに面白いけれど、突然そのことの意味がわからなくなってものすごく色褪せた。


タロットがじゃない。


自分の人生が、自分でもわからない方向にしか行かない、タロットに興味があるフリして、でも実はそれは本当に叶えたいことが叶わないから代わりの何かで埋める必要があって、だからこその占星術だったり天然石を使ったオカルト的なものだったりタロットカードだったり、たしかに面白いし時間も忘れるくらいに没頭はしたはしたけれども、それは純粋なる興味もゼロではないにしても、それの裏側ではどうにも叶わない人生の大きく穴の開いたところを埋めるために必死になってやってることなんじゃないかとか、こんなの本当に自分が望んだ人生なのかと問いかけると私には今もはっきりと「これじゃない」と思ってしまう、その思う自分の強さと言ったら他にない。


間違いないだろう、輪廻転生で魂繋がりが相当に強いイケメン上司にも出逢わせてもらえたしなんならオカルト体質もどんどん表立ってきたけれども、私はこんな今のような状態を望んだのとは違う。


何にもよくわからないまま、何一つ人間関係らしい関係も持てず、それこそ相手の意志がなければ無理なことは頭では100%理解していても、こんなよくわからない人生であるのなら、普通に絵に描いたような昭和の頃のスタンダードな家族のしあわせみたいなのを私は持てる方が私個人としてはしあわせだったんじゃないかと今でも大真面目にそう思っている。


自分の中で発狂寸前みたいなこのギリギリな感じなのは、受け入れていくしかないと思っても、実は何にも受け入れてないんじゃないかと思った。


私の人生の筋書きの中で、魂の設定から逸れるものは私の個人の希望や意見なんか全くもって関係なくして叶わないシステムになってるくさい。


お願いした記憶もないオカルト的なことは、やたらめったらと超強力且つスピーディーに叶いまくりというかやたらと現実化するけれども、そこじゃない、私が欲しいのは。


タロットカードとかこんな風にブログ書くとか、これって何の意味があるんだろう?と思う。


もはや自己満足とも違っていて、どうにもならない設定を自分なりに楽しむとか受け取るとかいうことを修行のように、もしくは本当に叶わないことへの絶望を薄めるためにやってるんじゃないかと思った。


だから、タロットカードはたしかにある側面では盛り上がっているけれども、その反対側というより土台の方では自分の中のやるせなさや悲しさ、絶望、虚しさ、虚無感、生きることへの意欲の無さ、そうした諸々が実は根底にあるんだと、タロットカードの調べ物ついでに発覚してしまって、そちらはどこまでも暗いから、たった1つのタロットカードが盛り上がりもすれば盛り下がりというより暗黒部分をこれでもか!というくらいに突きつけられてもいて、それでタロットカードを前に自分の心の中は揺れに揺れている。


静かに沈んだ。


本当に矛盾しているけれども、自分の人生が自分の望みと不一致であればあるほど、私のセルフケア力とか自分癒しのレベルとか、そうしたものがじわじわと伸びていく。


そういうものはお金で解決もできないし、第三者からのお助けにも限界があるから(まさか24時間365日私の世話などしてられない)、結局のところ自分で何とか折り合いをつけていくしかない。


他の人の人生はわからないけれど、私の場合はそのギャップが悲惨なくらいに大きくて、その分自分癒しなどガチで全力でやらないと自分が立つこともできなくなるから、とにかくやってやってやりまくるしかない。


魂には非常に都合の良いシステムというか循環なんだろうけれど、私にはそのそれがつまるところ何なのかわからない。


魂の成長にはよろしくても、私はそれよりも一緒に誰かと他愛ない日常を送る生活の方が欲しいわけで、この満たされない感たるや底無し沼でいつの時も自分はその底無し沼のところにペンジュラムだのカードだの占星術だのを足してなんとかしているのかと思うとなんだかゾッとする。


それがタロットカード探しをしていた先に突然やってきた、予期せぬ非常に息苦しくなる出来事だった。


調べ物して、写真見て、第三者の人生を知って、自分の人生の上手くいかないことがはっきりとした、書くとただそれだけのことなんだけど、今年1番と言ってもいいくらいの心の発狂だった。


ついでに言うと、仕事もやる気が無いところにさらに無くなった経緯がある。


今月で3年目を迎えたわけだけど、私は今実は仕事量として一番落ち着いている。


それはとてもありがたい。


ただ同時にこれまでが異常過ぎたことも知った。


これまで長いこと、超重たい案件の短納期の仕事ばかりが回ってきていて、さらには会社が長年いい加減にしてきたことのツケの尻拭い的な仕事もじゃんじゃん回ってきて、何せずっとそんな風だったからもはやそれが定着していた。


なんだけど、今落ち着いて初めて気付いたことが、こののんびりモードの状態を正社員の私よりもうんともらってる人たちが享受していて、さらには責任からもとことん逃れていて、それで私だけが本当に何の因果なのか、その真逆のことと重責案件ばかり来ていて逃げたくても逃げられなくて、そんな異常な中にいたと気付いて、そこに今度はちょうどボーナスの時期で日々読み漁っている食べ歩きブログなんかを開いた脇の広告にボーナスの話をアップしている記事が紹介されていて、興味関心で開いたら、世の中の人たちは本当に社員、パート関係なく色々お金もらってんだなと知って、余計と「自分の仕事ってなんだろう?」と思った。


これ書くために私は今の派遣先の資本金見てきて驚いた。


100数十億円の資本金の会社の顔となる商品カタログやら諸々のクレーム系の資料やらを最前線で英訳してきて、明らかにもらっている対価とやっていることがマッチしてないと思った。


まさか今も全く使えない正社員1年目の子たちより私の方が断然もらえていないなんて誰も感知してないんじゃないかと思った。


私の上司たちに至っては、冗談抜きで私の半分どころか10分の1にもならない責任しか負わないというか逃げる人たちで、これってなんだろう?と思った。


私の人生の歩き方がツッコミどころ満載なのは自分のことだから仕方ないけれども、色々とわからずにいたからやれたことであって、もう今は何か自分の中で色んなことが壊れ始めていて、あと1年切ったと思うとやれるかなと見込んでいるけれども、あまりにも周りと自分とのギャップがすごくて、ここから先どのように日常をやり過ごそうかと最近はそんなことをよく考えるようになった。


タロットカードでも天然石のルーン占いグッズ作りでも何か心奪われるものがないと日々はしんどいこと満載になるななんて思って、実際にタロットカードそのものにもものすごく救われてはいる。


なんだけど、写真の出来事なんかももれなく付いてくるから、なんだかあちらこちらに地雷的なものがあって、けっこうお疲れモードになっている。


愚痴と吐露ばかりになったけれども、これが今の私の現実だし、ありがたいことや救われることも色々あるけれども、そこに想いを馳せる前にあまりにも日常がカオス過ぎてどうしようもないことになっている。


どうやってこの文章締めようかと考えたけれど、今は今書いたことがそのまま現実だから、これ以上何か書かなくてもいいかと思った。


そうだ。


これ書いてて気付いた。


こんな感じなのに、明日気持ちが切り替わるのなら、今度はペンジュラムと木製のペンジュラムボードもといサーフィンボードを使いながら、頼まれている友達へのメッセージおろし的なことをする。


こういう状況でもやれるとするなら、本当に自分でもすごいと思う。


今回は星読みはしないにしようと思っていて、でも少しだけ星の状態を見てきて、絶対的に今のタイミングでメッセージが必要なんだろうと思った。


それがわかった以上、スルーするわけにもいかないから、とりあえず気持ちをその時だけでもいいから切り替えて向き合えるといいなと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿