2021年10月8日金曜日

9月最後の水曜日〜10月最初の金曜日

秋の夕空
10月の最初の火曜日



2021/09/29()

今回のブログのタイトルはすぐに決まった。


なんなら決めてからこれを書き始めている。


『9月最後の水曜日』。


日曜日あたりから、あと3日だったななんて思った。


どうやら水曜日が最終日らしいと知ったのはいつだったかな?と思いつつ、とにかくさすがに9月目一杯新潟にいるわけじゃないんだなと知って、毎日毎日静かに最後の時のカウントダウンをそっとしていた。


月曜日だったと思うけれども、朝仕事に行ったらイケメン上司はいなくて、こんなにギリギリまでどこかに顔を出しに行かなきゃいけないんだと、仕方ないにしても、私にとっての大切な時間がさらに狭められてとても悔しく思ったりもしていた。


最後の日はよく覚えている。


もう自分の中で全てが吹っ切れて、今日は遠慮せずにイケメン上司の姿を目に焼き付けよう!と決めていた。


嫌がられようが近寄るなオーラが放たれようがもう今日がここでイケメン上司の姿を見れる最後の日だから、と思うと遠慮している場合じゃなかった。


そういう決意を胸に仕事に行った日だった。


最後の日だけあって、イケメン上司は事務所を出たり入ったりを繰り返していた。


机の上も最小限の荷物たちばかりで、パソコンもしまわれた。


そして段ボールを運ぶために行き来していた。


ちょうど私が席を立ってトイレか休憩室に行くタイミングの時、イケメン上司がうちわの刺さった段ボールを階下に運び込もうとしていた。


私の1メートルくらい前を歩いていて、その真後ろを私もしれっと歩いた。


こんな風に近くにいられるのも今日が最後だからと思うと私の方も堂々とその特権を味わった。


「あと何日」というカウントから「あと何時間」というカウントに変わった。


時計も何度も見たし、本当に時計のカチッ、カチッ、って音が聞こえてきそうなくらいに最後の刻は迫っていた。


受け入れられない自分の中では色んな気持ちがごった返していたし、今も受け入れられたのとは違う。


もうそのような現実だったから、それに沿うしかなかった。


納得とか受け入れとかいうことは多分この4年の中で一度もできたことなんかなかったと思う。


悔しいけれどそれが現実で、その現実を現実のものとして受け入れて認識して自分は自分で生きていくしかない、そんな気持ちは当時も今もさほど変わらない。







今朝は今年初めての朝墓参りをした。


当時は毎日毎日、朝の出勤前に墓参りをして、先祖供養ではなく先祖祈願にせっせと精を出していた。


今日久しぶりにやってみて、当時よくぞ来る日も来る日も毎日やれていたなと心底感心した。


元々ものすごく面倒くさがりだし、朝はいつの時もギリギリだし、とにかく自分の中で「やりたくないこと」は後回しな気質を子どもの頃から鉄壁のように育んでしまったし。


そんな私が朝墓参りのために早く家を出るなんてのは、それも数週間毎日やり続けるとはすごい快挙だった。


何にもならなかったかもしれないけれど、イケメン上司というのはその存在だけで私の各種やる気スイッチを押してくれた人だった。


何か先々のことが恐ろしくてとりあえずやるとか、やらないと自分が困るとか、そういうことでしか基本動かない自分が、イケメン上司の時は墓参りもだし他の個人的なこともとても自然に自発的にやっていた。







夕方、今日受け取れなかったゆうパックの電話や家の中のことをしていた時、ふと「今頃かも!」と思って時計を見たら5時50分より少し前だった。


その頃には私はもう職場を出た頃じゃなかったかなと思った。


イケメン上司と最後挨拶をして、最後の最後まで嫌がられているというかとにかく拒絶と言わんばかりの感じで、不協和音感が半端なかった。


4年後の職場内でちょうど今日、個人的にほっこりする会話を同世代の男性社員とした時と比べて、まるっと真逆のそれぞれの様子に「当時もこのくらい話ができる感じならまた違っていただろうな」と思った。


そんな和やかな雰囲気とは雲泥の差だった当時なのに、私の中で分刻みで記憶にあるのはイケメン上司の方になる。


今思うと、当時は本当にイケメン上司は私と最後挨拶することをなんとか避けたかったのかもしれない。


単に本当に、お世話になった協力会社の人たちと挨拶をするために、そして今思うと、私が帰る時間とその方たちが持ち回りの作業を終えて事務所に戻ってくる時間が同じくらいだったから、そりゃどう考えてもそちらを優先するし、私なんかはある意味挨拶する相手とさえ認識されてなかったのかもしれないななんて思った。


挨拶する人リストがイケメン上司の頭の中にあったとするなら、私ってそこにさえ入っていなかったんじゃないかと、今さらだけどそんなことを思った。


ある意味とてつもなく意識されてたとは思うけれども(悪い意味で)、関わり合いになると面倒だとか近寄りたくないとかそんな風に思われていたのかなとも思う。


そのように思われていたとしても、不思議じゃない。


真っ正面から受け止めるだけの覚悟や強さみたいなものは身に付いたと思うから、当時のイケメン上司の本音を教えてもらえないかななんて思う。


でも、自分が言う側の立場なら「おまえのことは本当に無理だった」なんて言えないから、イケメン上司もそう思っていたとしてもより一層口を閉ざして当たり前かと思う。







2021/09/30()


9月最後の水曜日は、日常をこなすうちに終わった。







2021/10/02()


あっという間に10月になった。


9月の終わりに途中まで書いた下書きがある。


その後にこれをくっつけてアップするか、それぞれ別々にアップするかはまだ決めていない。


書き終えた時に決めようと思っている。







2021/10/07()


本当はあれこれ書きたかったはずなのに、10月に入って何にバタバタしているのかよくわからないまま今に至った。


特別忙しいこともなく、夜の寝落ち率が上がって、気付いたら10月も1週間過ぎてしまった。


4年前の今くらいは、このブログを再開した頃じゃなかったかと思う。


最近立て続けにイケメン上司が当時乗っていた車と同じ車の色違いの車たちが私の前を走っていることに遭遇した。


3回、4回とあったような気がする。


どれも夕方の時間帯で、4年前にブログを書こうと決めた時と似たような状況だなぁなんて思った。


と同時に、今は当時みたいに「何が何でも書かなきゃ」みたいな危機迫る感じはないし、書こうという強い意志もない。


大きな決め手となった、店名の中にイケメン上司の苗字が入った洋菓子屋さんの、世界に1台しかない車が目の前に止まっていることもなければ、その車について行ってその店でおやつを買おうと思ったら、イケメン上司がスタンプカードいっぱいになるくらいまで通い詰めたお店の前に止まったというようなことももちろんない。


ブログを再開すると決めたのは私だし書いているのも私なんだけど、4年前のあの時は今思うと、見えない力が相当働いていたと思う。


それこそ私の大好きな印籠的な言葉「神々の審議会」的なところで決議でもされたかのようなシンクロ具合だった。


私は前回のペンジュラムグッズとして迎えたサーフィンボードもといダウジングボードと国産の水晶について話をしたけれども、アップしてからちょっとだけ気になっていることがある。


その中で私は、この4年があったのはイケメン上司の存在のおかげだというようなことを書いた。


冗談抜きで、イケメン上司の存在に救われて支えられた4年だったからそのように書いた。


イケメン上司にありがとうとも書いた。


本当にそう感じているし、紛れもない事実だからそう書いたわけだけど、これイケメン上司から見たらどうなんだろう?と思った。


自分は何もしていないのにありがとうなどと言われても戸惑うばかりとか、理解に苦しむとか、むしろお礼など言われたくないとか、なんかそんなことを思ったりしている。


そうやって考え出すとジワジワとしんどくなってくるから、イケメン上司側の見え方とか感じ方は無視することにして、自分側にだけ焦点を当てようと思った。


得意の開き直りだけど、もうそれでいいようにさえ思っている。


今、本来なら大変おめでたい皇室の慶事が毎日毎日反対の声が出まくりで、多くの人たちから祝われない結婚がこのままいくと成立するところまで来ている。


ちなみに色々面白すぎて(嫌味半分)、私は毎日それらの記事と一般市民のヤフーに寄せられるコメントを読んでいるけれど、日々大炎上しているのは相変わらずどころか日増しに凄いことになっているけれども、それとは別に言論統制と思しきことが結婚の日程が宮内庁から出された後半端なくて、皇室云々よりもまるで海を渡った向こうの国々のような抑圧ぶりで、日本は明治とか昭和の戦前のようなことになってるのかと思って眺めている。


そういうことはさておいて、ずっと書こうと思っていたことの1つに、自分のしあわせについて思ったことがある。


あれだけ国民の反感買いまくりで近しい関係者から誰一人としてお祝いの言葉が出なくて(ゆかりあるだろう学校関係者さえ、私は1人だけ男側の小学校時代の恩師とやらの言葉を見たのみで、他はみんなダンマリ)むしろマスコミ、特にテレビはこれまでは男側の諸々の問題にメスを入れる風だったのに、箝口令でも敷かれたのかそういうことは一切触れずに無理矢理おめでたいことにしてコメントしていたりするようで、それがさらなる異様さを醸し出しているとネット記事やヤフコメにはあった。


そういう、慶事なのに全く祝われないどころか絶対に辞めた方が良いという声が今もなおあるという前代未聞すぎる事態を見て、ふと自分のことを思った。


イケメン上司と同じ職場にいた頃、ちょうど友達の結婚式もあって、長い付き合いの友達と再会する時間があって、それは結婚式のおかげで数人まとめてということがあった。


その後も個人的に話をした友達もいた。


現実的には何一つめでたくないし、全く何もかもが思い通りでもなく、本当にお祝いの要素など皆無だったけれども、みんながみんなと言ってもいいくらい、イケメン上司との出逢いについて「良かったね」みたいなことを言ってもらえて、色々気にかけてもらったり男友達の2人は本気で相談に乗って一緒に考えてくれたりと、とても恵まれていたというか周りも温かいエールみたいなのを送ったり見守ってくれたりしていた。


そして当人である私自身が何よりも本当にしあわせだと感じていた。


片や形は慶事なのに祝われず、片や形は「無」なのに周りから良かったと言ってもらえる、比べるのもおかしいけれども、とにかくすごく温かい気持ちにさせてもらえたことは事実としてしっかり残っている。


相談に乗ってくれた男友達は、その後数ヶ月後だったかに「あの件はどうなった?」と別件で電話をくれた時にわざわざ聞いてくれて、本当にそんな風に気にかけてもらえたくらい、何もめでたくないのにとても心が温まることがいくつもあった。


そうやって、外側の関係云々ではなく、私個人の方に目を向けた時に周りが温かい感じになるというのは、よくよく考えたら人生で初めてだったような気がする。


これは今でもずっとずっと思っていることだけれど、あの時から今に至るまで関係性がどうこうなるなんてことは何にもなかったけれども、私はあの時も今も自分の人生にイケメン上司が現れてくれて本当の本当に良かったと思っている。


現実的に何も交わらなくても、イケメン上司の隣りに仮に他の誰かがいても、そういうことは関係なしに、ただただイケメン上司の存在が自分の人生にあられたことは私の人生の中の最大級のご褒美と言ってもいいと思う。(「現れた」じゃなくて、わざと「あられた」と書いている。なんか知らないけれども、出てきたのは「あられた」で、あられたの方がしっくりくる。)


イケメン上司が新潟を去った後、まさかオカルト体質が今ほどに顕在化するなんて想像さえしていなかったけれども、それを私が色々受け止められるようになったのはイケメン上司がブログを見てくれてることが実はとても大きい。


私からして自分のオカルト体質的なものは、若干の不思議さや「なんで!?」と疑問に思うことはあるけれども、意識もしっかりしているし、まぁそういうこともあるか!という感じ。


ただ色々ぶっ飛んでいるのも本当だから、自分でも最初は半信半疑、むしろ「疑問」が9割みたいな感じは毎度のことで、そんな中で「そういうこともあるかも」と徐々に受け入れて信じられるようになるのは、冗談抜きでイケメン上司の存在が大きい。


何かと言うと、そもそもこんな個人の超無名のブログ、それも最後はこれ以上ないくらいに冷たい反応のイケメン上司を前に、このブログがそもそもイケメン上司のところに届くなんていうのは天変地異が起きても起こりそうにないことだった。


もしドラえもんのタイムマシーンに乗って過去を変えられるとか、はたまたドラえもんの道具で相手を意のままに操るみたいなのがあったとしても、イケメン上司にはそういうものすら通用しなさそうなくらい私には起こらないと思っていた。


宝くじで一等が当たることの方がまだ確率としてありそう、と思っていたくらいだから、本当に私にはこのブログが今のような状態になるとは想像していなかった。


過去にも何回か書いたけれども、私からしてあの世の人が出てくるとか他にも不思議なオカルトワールド的なことよりも、イケメン上司とのことの方がありえない出来事で不思議に感じている。


ましてや4年もずっとなんだかんだでこのブログが繋がるためのアイテムになるなんて、これを再開した当初は全く想像さえしていないことだった。


そんなことが起こってくれたからこそ、他のオカルトワールドのことも「そういうこともあるかもしれない」と思えている。


一番起こらないと思っていたことが現実に起こってくれたことで、私はその他のことたちの可能性も信じられている。


だから私にとって色々理解に苦しんだり受け入れるのに時間がかかることでも、イケメン上司がブログを継続的に見てくれてるということが何よりもの自分の中の信頼感や人生への信頼度が高まっていることに繋がっている。


逆に考えるとよくわかる。


もしイケメン上司がブログを全く見ていなくて、オカルトワールドようこそ!みたいなことばかりが自分の人生に起こっていたのなら、私は最後の最後まで抵抗して、そうしたことたちを受け入れられなかったかもしれない。


イケメン上司は私を支えてる気なんか全くないかと思うけれども、本当にその静かに何も言わずにでもずっと継続してとりあえずブログを見ることを一貫してくれていることは、私にとってすごい大きな安定感というか絶対の土台みたいになってくれてる。


自分で書いといてなんだけれど、私は自分のブログが面白いとも思わないし、とても意義のある読んだ後に何か手にできるとかいう類いの文章でもないし、読んでくれる人たちに対して大変ありがたいとは思うものの、こんなに長くて支離滅裂な話を読ませてすみませんみたいな気持ちさえある。


それが毎度毎度こんな感じなわけで、それをずっと読み続けてくれるイケメン上司というのは、忍耐力なのか継続力なのか何かはわからないけれども、相当にそういうものを持っている人だと思う。


そのうち本当にチェックされなくなるだろうと前にも増して今は思っているけれども、もういつか全く見られることなく、今ある接点とも呼ぶに忍びないような接点さえも消えて無くなる日が来ても、私はもう十分すぎるほどに可能性を信じることの力を付けさせてもらったと思う。


イケメン上司との出逢いに始まって今に至るまで、世の中一般的な杓子定規では何にもしあわせな感じではないけれども、私は本当にしあわせだったなぁと思えるのと、生きる力をずっとずっともらっていたなと思っている。


自分の希望とはずいぶんと違う今ではあるけれども、そういうことでは計れないくらいにもっともっと大きなものを私はもらったとものすごく強く感じている。


何でこんな話をしていたんだっけ?と今我に返って思い出した。


そうそう、何でイケメン上司にありがとうなのかということ。


私はこんな風に好き放題に書いて発信ならぬ発散みたいなことをしているけれども、ずっと沈黙を保ってでも変わらずにブログをチェックし続ける、私が何を言っても動じずにチェックは続ける、それが1日とか1週間とか1ヶ月とかならまだしも、1年どころか4年もそうなわけで、それってすごい大きなものを作っている。


イケメン上司はダンマリでもこれだけのことを続けてもらえたことは私にとって、本当にすごい難所の連続を見事に形というか、無形なのにそれを「そうだ」と認められるまでに仕立ててくれたわけで、これは一朝一夕には絶対に手に入らない。


こんなこと書くのはかなり気が引けるけれど、イケメン上司と出逢った頃の私は38歳で今の私は42歳になった。


年齢は気にならないけれども、1つだけ本当に年齢を嫌でも意識したのは妊娠だった。


ふとした時に「後から子どもが欲しいとなってももう手遅れで後悔しないだろうか?」と考えたことは一度や二度じゃなかった。


この間、5歳になった姪っ子が1週間近くいたけれども、姪っ子を見た時にも「私は子を持つ人生じゃなかったんだな」と色んな気持ち、どちらかというと悲しみとか痛みとかを伴う方の気持ちが出てきた。


私はごく普通の、世の中のスタンダード的な、結婚して子どもを産んで育ててみたいなことを20代の終わりくらいから想像してそのような人生であって欲しいと思った。


けれども、この通り色々ぶっ飛んだ人生に転じて、なんだかもうって感じではあるけれども、ようやくそういうことも受け入れられるようになって、子どもに関してはこれからの年齢の上がり具合に比例してますます受け止められるようになってくれるかなとそこはあきらめと期待を持って見ている。


で、そのギリギリ妊娠できるかできないかみたいな年齢域の4年もの間、本当に自分の生き方がこれで大丈夫だなんて全く思えなかったし、良いとも思わなかったけれども、叶わなかったこととは別に、今こうしてもっと大きな生きる力や自分の人生への信頼や自分を信じることを手にした4年という風に見ると、これはもう他の何にも変えられないものなんだと気がつく。


イケメン上司は私の彼氏でも友達でも何でもないけれども、沈黙を保った存在は私の人生の底上げを根底から支えてくれて、絶対的な不動のものを形作る上でものすごくたくさんのものを私はもらったわけで、本当にこれ以上ないくらいのものを手にした。


だから本当の本当に感謝している。


ガチの魂のテーマをどんどん突き進む人生なんだと思う、私の人生は。


魂の望みと私個人の望みの乖離度合いは相変わらず酷いけれども、でもその何とも受け入れ難い魂のテーマたちを、本当に少しずつでも受け入れて生きていく方向に舵切りするにはイケメン上司の存在はなくてはならない。


今ならより一層、魂的な繋がりの強い人だというのは超納得だし、こういう意識の深いところを再生させる、再生の前には当然破壊もあるわけで、その破壊の後に再生する道のりのところ、道のりじゃなくてそのちょうど切り替え点となるところにイケメン上司はいて、そのイケメン上司に私はとっても救われた。


もしイケメン上司がいなければ、今のある程度再生に向かい始めている私はいない。


生きることをあきらめない。


生きることの楽しさを知る。


そういうことの中にイケメン上司無くしては語ることさえできない。


この後また今日(10/8)も今日で仕事は波瀾万丈なことが昨日の仕事の終わりに確定して、できることなら逃げたいけれども(昨日は久しぶりに怒り大爆発だった)、それでも私がいつもギリギリのところで踏ん張れるのはイケメン上司の存在やその色んなことを通しての今があるからに他ならない。


だからありがとうの言葉しか出てこないのはそういうことで、それが私側の独りよがりだろうが、勘違いも甚(はなは)だしいということだろうが、私にとっての真実はここに書いたことが全部になる。


だから色々不具合というか自分が望んだこととは全く別のベクトルの方に今の自分はあるけれども、そしてイケメン上司と他愛ないやりとりもなければ関係がどうこうなるなんてこともないけれども、このまま一生会えないことの方が100を振り切るくらいの確率であっても、それでも私が見てきたこと感じてきたこと全てによって今の私は支えられているし、その根っこのところには紛れもない、沈黙を保ったままのイケメン上司がいる。


子どもを持つとかいうようなことは叶わない人生でも、普通に生きていたのなら到底手になんかできない奇跡たちを私は手にした。


その陰ながらに支えてくれてるのは、他の誰でもない、イケメン上司だというのは私が一番よくわかっている。


本人がどういう気でいるのかは関係なく、おまえなんか支える気ねぇよ!と思われていようが、私にはどこをどう切り取ってもイケメン上司のいない時間も人生も今じゃ考えられない。


イケメン上司が私の人生に現れてくれたこと、その意味は年を重ねるごとにさらに重みや深みが増している。


本気で感謝している。


何か返せるものがあるのなら、私は何でも返しますと思っている。


だけど、何も望まれない以上は何もできないから、せめてせめてありがとうだけは伝えようと思っている。


本当にありがとう。


◯◯さん、ありがとう。

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