2021年7月10日土曜日

手相の予言


「あっ!!!」


突然ひらめいた。


前回のブログ(『心の窓、心のお守り』)を書きながら何でそんなことを突然思い出したのかわからないけれど、とにかくあるシーンが思い起こされた。


遡る(さかのぼる)こと8年前だと、後から調べてわかった。


とある日、私は名古屋のヒルトンホテルのラウンジで手相鑑定を受けた。


当時の私は、とにかく色んな手段や方法を講じて自分を知ることに全力投球していた。


今となってはどうやってその方のサイトにたどり着いたのか全く思い出せないけれども、何かしらで知り得て、そして名古屋に鑑定に来ると知って申し込んだ。


東京とか横浜とか関東の方で、占い師さんたちが鑑定に申し込むような人と知って、それが決め手となって申し込んだ記憶がある。


すごい余計な話だけれど、私はドミニカにいた2年ほど、ある時から毎日自分の手のひらを眺めるということをやり出した。


当時はguaguaーグゥアグゥアと呼ばれる、日本の割烹や葬儀場が持っているようなタイプのマイクロバスの大きさの公共交通機関に乗って、それで毎日の活動場所に行っていた。


15分から20分程度だったと思うけれども、他にやることもないから私は自分の手のひらを毎日のように眺めた。


向こうで知り合って仲良くなったユカさんという女性から手相の話を聞いて、彼女なんかは1年ごとに自分の手をコピー機に当てて手相のコピーを取るくらいで、ユカさんいわく手相はどんどん変わるから面白いよと教えてもらった。


それで手のひらを見る習慣がついて、たしかに手相は少しずつ変わるのはわかった。


さらなる余談だけれど、私の手相は左右で別人のごとく全く違う。


特に右手の手相が一般的な手相とはずいぶんと違っていて、専門書やネットのサイトを見てもよくわからない線がいくつかある。


それも手伝って、本当のプロから一度は見てもらいたいと思っていた。


そしてできる限り、そのマニアックな手相を見てそれを読み解けるだけの知識を持っている人が良かった。


その方のブログはとにかくマニアックなものをあれこれ扱っていて、そんな人なら私のこの手相も読み解けるかもしれない、そんな期待も大きくあって申し込んだ。


その手相鑑定の時の話を突然思い出したのがつい2、3日前の直近のブログを書いていた時だった。


1時間の鑑定だったと思うけれど、その中で言われたことの1つを突然思い出した。


「書くのがいいですよ〜。

書くことが開運に繋がって、そして書く才能にも恵まれている。

書く力を育てるといいです」


そんなようなことを言われた。


書く線については、そんなの一般的な本なんかでは絶対にわからないから、どの線が書く線なんですか?と質問した。


「この線です」と教えてもらった線は今でもはっきりと覚えている。


未だにその線を見ても、それがすなわち「書く(才能)線」というのはピンとこないし、他の手相家でもそんなこと唱えてる人を見たことがないけれども、とにかく当時はとても印象に残ってわざわざ聞いた。


そのことを突如思い出して、それで私は当時手相家の人が鑑定の最後に書いてくれたメモ書きを探した。


いつもなら自分のメモも見つかりそうなものの、手相鑑定のことは今のところどこにも書いていなかったようで見つかっていない。


鑑定メモはわりかしすぐに出てきて、箇条書きにされた項目を見た。


書くことも書かれていたけれども、それ以上に驚いたものがあった。


【ブログを書くのはオススメです】


手相家の方が意図したブログを書くことは、商売に繋がることやお金を稼ぐことだったと思う。


具体的な書く手段の名前も教えられて、私は律儀にその後その手段を調べたり無料のメルマガを登録して読んだりはたまた本を探したりなんかもした。


だからブログのことは全く記憶にも残っていなければ、当時すでにブログをやり始めていたから、もしかしたらそのままスルーしたのかもしれない。


およそ8年ぶりにメモを見たわけだけど、ブログを書くことを勧められていたとは心底驚いた。







上のところまで書いた後、皆既月食があってかつてないほどのブログへの訪問数を打ち出したのを見てオンタイムのブログを書いて、さらには職場で退職者が出てその人とやりとりしたことからの回想ブログを書いて、そうこうしているうちに上のことが後回しになってしまった。


改めて手相鑑定の話の続きをしたい。


【ブログを書くのはオススメです】


手相鑑定の時に私の手の線から伝えられたこのメッセージは、まさかそれが本当にすごい意味と現実を未来に創り出すなんて想像することさえなかった。

(ここまでが6月1日に書いたもの。

ここから下が7月8日以降に書いたもの。)


そもそもそんなことを言われたことさえ今回メモを見るまで忘れていたわけで、改めて見て「書く」は書くでも、仕事としての書くではなくて「ブログを書く」の方だったというのは当時も今も全く頭の中になかった。


そして、「ブログを書く」ことが開運になると言われたことはもっと忘れていた。


当時からブログはすでに書いていたから、新しく作り出す習慣ではなかった。


だから記憶にさえ残らなかったのかもしれない。


そして手相家の人がやたらとお金を生み出す書く手段ばかりを強調していたこともあって、ブログを書くのはその延長線的な感覚で私も捉えて終わったのかもしれない。


ブログはあくまでも仕事の宣伝に使うもの、そんな風に捉えたのかもわからない。


いずれにしても、ブログを書くことの意味や意義を改めて考えることは一切なかった。


そんな折に今回思い出してメモを見たら「ブログを書くこと=開運」的なことが書いてある。


開運なんてもんじゃなかった。


運が開くというよりも、ブログこそが大切な人と繋がるための手段で、さらには命の確認ツールになった。


ブログがそんな手段になってくれるだなんて、まさに夢のような世界だった。


たしかに書くことは苦じゃないし、考えなくても言葉がポンポンと思い浮かぶから、私はそれをただひたすら打ち込んでいけばいいだけのことだけれど、そういうハードルが全く高くない簡単行為でまさかのミラクルが起こるなんて、人生本当にどこで何が起こるかわからない。


こんなこと言ったら本当に相手の人たちに心苦しさを覚えるけれど、私は自分が書いたものを読んで元気が出たとか救われたとか、本当にありがたいぐらいの素晴らしい感想を何人かからいただいたことよりも、何の感想も聞こえないし届かないし何なら実は嫌がられてるかもしれないけれども、それでもイケメン上司がこのブログにひっそりと黙ってアクセスしてくれることの方がうんと嬉しい。


自分のこのおめでたすぎる反応も常々どうかとは思っているけれども、それが紛れもない私の本音になる。


今日もどこかで生きてるんだなとわかるし、それは繋がらなくてもそれを知るだけでホッとする自分がいる。


そもそも何で私は自分がブログを始めたいと思ったのか、その大元の理由は自分でもわからないけれども、もし時間が本当に過去から未来ではなく、未来から過去に流れてるとするなら、未来の今、魂繋がりの人と再度繋がるためにブログが必要になるからやりましょう、本人はどうせ聞き流すにしても手相鑑定で手相家の人からブログ書きを後押ししてもらいましょう、なんなら機械音痴の人間が機械操作が不慣れで登録するのに匙を投げる可能性もあるから、あの仲良しのリーダーからブログの初期設定を直接教えてもらうことができるように場をセッティングしましょう、とかいう風に未来の現実に繋がるために未来から過去に向けていくつものお助けグッズやお助けマンたちが私の人生に登場してくれるようになってたのかななんて思ったりもする。


ブログは私の未来を創るのに絶対的に必要なマストアイテムで、気付けばこれほどまでにマスターできたネット系アイテムも他にない。


ネットカフェに行くお金すら捻出が難しいとなった時にiPhoneから直接投稿できるように、どんだけ長い文章を書くのにも全てiPhoneから書く習慣付けだって、珍しく投げ出さずにやった。


今じゃ本当にスラスラと何の苦もなく打っている。


しかも、例えば「お」なら「あ」を5回連打して「お」を出すガラケー方式ではなく、スマホで「あ」に指を置いて下方向にワイプすると「お」が出てきてその後も最低限のタップだけで文章を作るスマホ方式も会得した。


何の特技にもならないけれども、何人かから「ぶっしー打つの速いね!」とビックリされたことがある。


そんなことはさておき、そういうことさえも、ブログ=イケメン上司と繋がれるかもしれない、という図式が私の中に無ければやらなかったと断言できる。


しかも今となっては、今度はネットカフェに行くお金はあっても、休みの日は基本的に家でゴロゴロしていたい私にとって、出かけるのが面倒すぎて、こうして今も布団の上でゴロゴロぬくぬくしながら書くことのこのお手軽さが本当にありがたい。


開運という意味では、無理せずにダラダラしていても続けられる、それくらいのハードルの低いものが私にとっては一番の開運の条件だったのかもしれないなと思う。


そういう中でやれることだったからこそ、こんなにも長く飽きずにやれたと思うし、途中からはイケメン上司がアクセスしているとわかってさらにモチベーションが大幅にアップして書けている。


話がだいぶ脇道に逸れるけれども、派遣の仕事の契約更新の話がつい2日前に来た。


このご時世ありがたいことではあるんだろうけれども、私は今回は、更新はお願いします、ただ1つ会社の方に問い合わせて欲しいことを派遣会社の担当の所長さんに頼んだ。


5月からずっと、そしてこの後も秋まで確実にすごい責任の重たい仕事が続く。


会社の超重要資料の土台をまさか派遣の私が英訳してるなんて、それも8割9割のものを私が現状担当しているわけで、それもカツカツ納期、ありえないぐらいの酷い惨状のものを新しく生まれ変わらせるくらいのテコ入れも含めてしていて、本来なら正社員とか重役たちの仕事なわけで、そんなのをまさか派遣の私がやってるなんて、会社は全く把握してないと思ったから、その現状を会社側に通達して欲しいとお願いした。


業務を減らせとか賃金上げろとかそういうことを言っているのではなくて、本当にそのありえない状況を会社がどう把握してそれをどのように配慮するなり何なりするのか、いやしないだろうけれども、とにかくこれまでと同じ条件で雇うこと、そこに何の疑問も抱かれないこと自体がおかしな話なわけで、それを言わないと会社はこのまま雇えばいいと短絡的に事務的にしか対応しないだろうから、それでそのことを申し入れして欲しいとお願いした。


それは快く聞いてもらえたけれども、所長さんも少し困惑していたのはわかった。


前置きが長くなったけれども、それでもしお金がアップするとなっても私は自分の中で「やったー!」なんて気持ちはビックリするくらい湧かなくて、むしろ「何があったら自分は満たされるんだろう?」と逆に疑問に思った。


ふといつかの死ぬ時を想像した。


当たり前だけど、お金は持っていけない。


じゃあ死ぬ時持っていけるものは?と言えば、作家の吉本ばななさんのどこかのエッセイにあった通り、「思い出」だと思う。


現実的な仕事の内容の考え事なのに、その時に真っ先にどういうわけか上がったのがこのブログで、「そういえばブログを通してイケメン上司と繋がれたなぁ」とか思う(回想する)のかな、死ぬ時に、と私は考えた。


ブログとは言わずに本当に普通におしゃべりする仲になれたら良かったな〜と今でも思うくらい、そういう想いさえも思い出ボックスには蓄積されていって、死ぬ時は何が残るかはわからないけれども、そういう気持ちとか何か自分が時間や想いを懸けて託したものとか、そういうのが最後は残りそうだなぁと思った。


だからわかりやすく「給料アップ」となったとしても、そういうものこそ絶対にお金では買えないし、お金はあるレベルや範囲では万能でも、それだけではどうにもならないことの方が案外と人生には多いんじゃないのかなと思う。


例えば私が1億円をポンと出せる財力があったとして、仮にイケメン上司に「あなたに1億円を渡すから私に連絡して!」と言っても、それで連絡をしてくれるのとは違うし、もしそれが本当に現実に起こってもそれで連絡をしてもらえた自分は本当に嬉しいのかと考えると、虚しいとか素直に喜べないとか、まぁまた有る事無い事色々ネガティブな感じに捉えるかもわからない。


とにかく、自分の欲しいものに焦点を当てると、お金ではないことがわかる。


さらに言うと、イケメン上司から冥土の土産的な、思い出の1つになる何かをさらに追加で欲しい。


私の欲しいものってそういうものなんだなと改めて再認識した。


「ブログを書くこと」を薦めてくれた手相家の方のアドバイスももはや想像さえしていない現実に私が着地しているけれども、本当の本当にブログを書くことはミクロンの確率の奇跡を現実に起こしてくれた。

(そして、仕事でずっと読み方のわからなかった「μ」の単位が「ミクロン」って、ミクロンの変換を見て今初めて知った( ̄∀ ̄;)!)


本当に私の世界が広がったし、開運の言葉以上のものを私にもたらした。


嬉しいなと思うのは、私の手のひらに刻まれた1つの線、それも少なくともその線は大人になってから出現したもので、その線は書く力だと教えてもらえたこと、そしてそれは単に持って終わりじゃなくて多少の自分の行動力や継続力的なものを積み重ねないと発芽しないもので、それを自分が自ら行ったことで実を結びつつあること、そういうのが嬉しい。


そしてそれはイケメン上司が存在に気付いてくれないことには完成しないもので、沈黙を保ったままでも存在に気付いてもらえたことはとにかくめちゃくちゃ嬉しかった。


イケメン上司が初めて私のブログを見た時はどんな気持ちだったんだろう


本人もまさかの展開だったと思う。


インターネット上に私がブログを本名のままアップしていることもまさかだっただろうし、そしてその中に自分が登場しているわけだから、そんなこと想像さえできなかったと思う。


色んな意味で未知数なことがこのブログを通じて起こっているわけで、私からしても「まさか」だったけれども、イケメン上司からしても「まさか」の連続だったんじゃないのかなと思う。


私がiPhoneでブログを書くことに慣れたように、イケメン上司もこのブログを見ることにすっかり慣れただろうけれど、最初の一歩の時は慣れなんてないから、さぞかしびっくらポン!だったと思う。


真面目に想像すると、本当にどんな風だったんだろうと思う。


冥土の土産の希望リストなるものがあるなら、その1つに

「イケメン上司が最初にブログを発見した時の状況や感想の聞き取り」

とか入れたい。


仕事のことは全くテンションが上がらないけれども、冥土の土産の希望リストを作るのはテンション上がるし楽しい()


将来独居老人になっても、なんか1人であれこれ楽しめそうな予感。


話が逸れまくりになったけれども、とにかく8年前に受けた手相鑑定が本当に手相の通りの運を発揮して、さらには特大奇跡をもたらしてくれた、というのが今回一番書きたかったこと。


そして、本当に手相家さんのオススメ通り、ブログを書き続けたのならそれが私にとって一番欲しい現実、どんな形でもいいからイケメン上司と繋がること、それを叶えてくれたこのことに超興奮している。

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