2021年7月13日火曜日

【合掌】青い空に向けて祈る2021年7月12日


Mちゃんの安らかな今を祈りながら、どうかこの記事を書くことを笑って許してください。

2021/07/12  梅雨明け直前の日







残業前に15分休憩がある。


いつもその時間は携帯をチェックする。


今日もいつも通りチェックすると、なんやらグループLINEがたくさん入っていた。


なぜかグチオからも不在着信で電話が入ってた。


グループLINEを見てもみんなが何の話をしているのかわからなかった。


そうしたら別の超秘密基地的なグループLINEも動いていた。


明らかにおかしい。


超秘密基地側の方はまだ気心知れているし、普通に聞けそうな雰囲気があったから、みんなが何の話をしているのかわからなくて、どうしたのかを聞いた。


「亡くなったそうです。

がんとのこと」


すーさんがそう返してくれた。


Mちゃんのことで電話が来たんだとピンと来て、グチオにもLINEを入れた。


電報を連名で今出そうとしているけれど、ぶっしーはどうする?という質問だった。


グチオにちかにすーさんにあちこちLINEしながら、そのうちモンゴルにいるちかから電話が来た。


残業タイム開始のチャイムが鳴ったけれど、そんなの無視して廊下に出てちかと数分やりとりした。


まさかモンゴルにいるちかと最初に電話するのが訃報の電報に参加するしないだとは、想像さえしていなかった。


Mちゃんは、ちかと私がドミニカから日本に帰国するタイミングと入れ違いで日本からドミニカにやってきたグループの1人だった。

(というのは、あとからグチオに聞いて知った。)


何でMちゃんを知っているかと言えば、共通の友人、リーダーが仲介役となって名古屋で飲んだことがあるのと、あと4年前の春と夏、グチオとリーダーとそれぞれの結婚式に参列した際にMちゃんも参列していて、そして知っていた。


もっと言うと、ドミニカを去る際、私が妹からもらったゾウが大きくプリントされた紺のTシャツを最初はYちゃんに、その後YちゃんがMちゃんに引き継いで、その色んなくだりをグチオやすーさんが直接教えてくれていたから、そしてMちゃんもMちゃんでそれはぶっしーという人が置いていったものだと聞かされて引き継いでいたから、そんなこんなで互いを会う前から知っている仲だった。


嘘みたいだった。


協力隊というのは、合格するための第一兼必須条件に「スーパー健康体」であることが挙げられる。


「健康体」じゃなくて「スーパー健康体」。


数値も厳しくて、通常の健康診断のA判定よりもさらに上のレベルに設定されていて、言うなれば「特A」じゃないとまずは合格できない。


合格後も色々健康診断もあれば、虫歯治療だけじゃなく親知らずも全て抜歯が義務付けられている。


私も合格後に3本抜いた。


とにかくそれくらい厳しい中で、なんなら4年前に会った時もMちゃんは元気にはつらつとしていて、明るさのかたまりみたいな人だった。


グチオやすーさんはMちゃんと私が似ていると言っていたけれども、Mちゃんは生粋の明るさの持ち主で、私みたいに後天的に鍛えられてコミュニケーション力がアップしたタイプとは全く違う。


何はともあれ、Mちゃんは当時小さな子の子育て真っ只中で、そんな中での結婚式参列だったと記憶している。


電報とか、まるで異国の言語の異国の話みたいだった。


目の前にはいつもの職場の風景と終わりの見えない仕事の束が広がっていたけれども、何か別のところに自分はいるみたいだった。


2人子どもがいるようで、そんな幼な子2人を残して死にゆくことを想像したら、ただただ切なくていたたまれなかった。


もっともっと生きていたかっただろうに、というかLINEの中でしかわからない、Mちゃんがもうこの世にいないということが夢の中の出来事みたいだった。


グループLINEに「Mちゃん返事して」と誰かが書いていて、その後は色んな人たちがいくつか何かしらを訴えていた。


いくつかの後、まさかのMちゃんの名前でグループLINELINEが入ってきた。


「冗談だよー!」とでも言うんだろうか?どうしたんだろう?と仕事もせずに携帯の画面を見ていると、それはMちゃんの旦那さんだった。


そこにはMちゃんに託されただろう言葉がいくつか綴られてきた。


Mちゃんは今日の朝、永遠に旅立ったとのこと。


てっきりすでに数日は過ぎたのかと思っていたら、今日の今日で、そんな状態で旦那さんが連絡してきたことに度肝を抜かれた。


Mちゃんはたくさん友達がいた風だけれど(本当に人を寄せつける明るさのある人)、旦那さんいわく1人を除いてはあと全員に闘病中であることは黙っていたようだった。


本人の強い希望でそうしていたようで、お別れについても本人の希望が書かれてあった。


プライバシーがあるから赤裸々には書けないけれども、葬式ではなく別の形を具体的に明記して、会いたい人はぜひ来てくださいとあった。


その提案に私は心底驚いたけれども、それがMちゃんのたっての願いなんだろうなぁと想像できた。


Mちゃんはなんなら私はフルネームも知らなければそもそも協力隊では何を専門分野としていたのかも知らず、なのにMちゃんも私も双方を知っているという実に不思議な出会い方をしていたから、本当に細かいことは何も知らないけれども、そのMちゃんの希望だろうところは本人のにじみ出ている雰囲気を思うと「なんとなくわかる」ように感じた。


今ツラツラと書いてはいるけれども、体は本当に重たいし痛いしで、悲しいのか切ないのかよくわからない感覚の中にいた。







夜の7時にチャイムが鳴ると私はそそくさと席を立って駐車場に向かった。


晴れ間がのぞく夕空で、あぁもうこんな風に空をMちゃんは見れないんだなと想像したら、生きてる今という時間がものすごいリアルに迫ってきた。


駐車場に向かう途中に教会があって、その教会の駐車場の一部に花壇があって、花壇にはビオラが咲き誇っていた。


夕焼け色に染まったビオラを見て、花を見て季節を感じるとか、「綺麗だな」と思うとか、そういうことの全てが絶たれたんだなとボンヤリしながら思った。


毎日日替わりで色んな曲を聴くけれど、今朝はドミニカのCDを私はかけたままだった。


Mちゃんもドミニカで耳に入りまくりだっただろう曲調が車の中に流れた。


弔うのにこれ以上ないピッタリのタイミングで流れたドミニカ音楽だった。







一通りのことを終えて布団でひと息つけるようになった頃、まずはちかとグチオにそれぞれLINEをした。


ちかにはモンゴルからの電話のお礼を、グチオには今日連絡を個人的にくれたことのお礼をそれぞれ書いて出した。


ちかは返事をしている途中に電話をかけてきた。


2人でMちゃんの話をしんみりと一通りした後、独り身の自分たちが最後死ぬ時はどうするのがいいのかを考えたという超ぶっちゃけた話(真面目にある程度準備できる状態なら、終活なるものは避けて通れない)、SNSはじめデジタル化された今はこんな時でも死が一瞬で伝わって、残された側でも対応せざるを得なかったりしてそのことに対して大変だろう気持ちやら何やらを想像しての話、そのうち近況報告や仕事での面白すぎるしょうもない話、色んな話をして気付けば2時間くらい喋っていた。


秘密基地的なグループLINEはちかが立ち上げたもので、当初は2年ほど前の超ビッグな問題、弁護士出てきちゃうよ的なすったもんだ事件に対して策を講じるために同志でというかちかにお願いされた面々が集ってあれこれやりとりするためにできあがった。


それがまさかの今回のことで私なんかは本当に助かった。


Mちゃんの旦那さんが連絡してきた方のグループLINEにうっかり「Mちゃんがどうしたの?」なんて書かなくて良かった。


明らかに深刻なのは雰囲気で伝わってきたけれども、誰も肝心要の「何がどうした」を書いてなくて、私は1人ぽっかーんだった。


あまりに深刻ゆえ、そこまで深刻ではない秘密基地側はまだ聞ける風だったから、それでそっちに問いかけた。


今回という今回は、本当にこの秘密基地グループLINEが存在したことに心底感謝した、とちかに耳にタコができるくらいに言った。


こんな下世話なことを言うのもどうかと思うけれども、なんとなくMちゃんはそれを許してくれそうな気がした。


そう、残業の時のちかとの数分の電話でちかが言った。


「すごいよね。

一瞬でみんなが繋がるんだもん。

こんな悲しいことで繋がるのは悲しいけれども、それでも人と人とが一気に繋がって。

すごい、本当にすごい」


わかんないけれども、Mちゃんは今日1日を通して色んなところで色んな人たちが繋がり合ったことを心から喜んでくれてるように思う。


そういうことを本当に大事にしていた人だろうから、自分の死が人と人とを繋げることができたと知れたのなら、喜ぶんじゃないのかなと思う。


私が逆の立場ならそれの方が嬉しい。


生前に自分と仲良くなった人たちが自分の死をきっかけに繋がることがあれば、それはある種の最高のプレゼントだと思う、残される方も逝かなければならない方も。


そうした諸々をちかと喋り倒した。


なんなら、仕事での可笑しな出来事を2人でゲラゲラと笑った。


Mちゃん、今日という1日をありがとう、そんな気持ちに私はなっていた。







ちかと電話を切った後、LINE画面に戻るとグチオからLINEが来ていた。


私はグチオに個人的に連絡をくれたことを心から感謝していた。


なぜなら、「友達」と呼べるほどの間柄ではない、でも知らないわけでもない。


その中間点のような距離感の関係で、気持ちとは別に電報に連名で名を連ねていいものかどうかわからなかった。


正解はもちろんないし、連名予定の面々がそんなこと気にしないのも知っている。


だけれど、こんな時ばかりひょこっと社会的な顔が出てきて、私もどうしようか迷っていた。


そんな時にグチオがあらかじめ電話をくれていたことで即聞けたし、グチオからもちかの分も含めて素晴らしい答えが返ってきた。


私はちかと相談した上で聞いたそのまま、ちかについては気持ちはあるけれどもどうするがいいのかわからないというようなことを書いた。


というのも、私と違ってちかは多分結婚式の時にはじめましてだったと思う。


そうしたらグチオはこんな風に言ってきた。


「弔う気持ちがあるなら全てOKよ!みんな彼の地で繋がった仲間なんだから。

と個人的に思います。」


そのままちかにも転送して、ちかも私も連名で参加させてもらうことにした。


で、お礼かたがた、何でグチオが連絡をくれたのか真意のほどはわからないけれども、とにかくグチオのおかげで今の流れになれた、ありがとうと伝えたら、グチオは最後こんな風に書いてくれた。


「長いよ!いつもながら!笑


そうだね、ゾウさんのTシャツだったね!笑


ぶっしーはフィーリングが合えば会った回数、時間に関係なく親近感を覚える人だと思って連絡した。

ちかは(Mと)接点がほぼ無いからぶっしーに相談したんよ。


思い付きでした事を感謝されると困っちゃうな

でも良かった!」


Mちゃんのことがなければ、グチオからこんなにも真面目な言葉をもらうことはできなかったと思う。


そしてそれは私にとって額に飾っておきたいくらいの賛辞だった。


こうして、人と人とがMちゃんという1人の人を通して色んな形で繋がった。


早すぎる死、まだいっていても30代半ばではないかと思う。


でも、こんな風に人と人とを繋いでもらって、もしMちゃんにこのメッセージが届くのであれば、全力でありがとうと伝えたい。


Mちゃんありがとう。


たくさんの地上の思い出と共にどうか安らかな次の旅路へと、と書こうと思ったけれども、やっぱり次もめちゃくちゃ面白い旅路を楽しんでください。


小さな接点をその何十倍と大きく膨らませて届けてくれてありがとう。


Con amor♡



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