2021年5月19日水曜日

おしゃべり覚書と回想

ブシ俣さんにはイケメンオーラが見えていたんですよね?そういう人、今の職場にはいないですか?」

改めて他人の口から「イケメンオーラ」という言葉を目の前で聞くと非常に恥ずかしいものがあったけれども、Sさんは私の言葉をすごくよく覚えていてくれた。


心の中で「そんなことまで私ベラベラとしゃべっていたんだ…( ̄∀ ̄;)」と自分に引いたりしていた。


Sさんに、今の職場は男性9割のところにいて、とにかく女性は数えるくらいしかいないと話した。


そんなこんなの説明をした時にSさんから冒頭の質問をされた。


私は逆に気になって聞いてみた。


「Sさんには何も見えなかったですか?」


「何も見えないですよー。◯◯さんの周りだけ透明でキラキラしてたんですよね?そんなの私には何も見えなかったですよ」


超具体的に説明をした過去の自分にも恥ずかしくなりながら驚いたけれど、それを詳細に記憶していたSさんにも驚いた。


しかもその話をしたのは、どんなに直近でも1年どころか2年以上前になるかと思う。


「ちなみにそんな人、後にも先にも◯◯さんだけです。何で見えたのかもわからないですけど、普通にそんなの他の人たちには一切見えたことないです」


たしかにイケメン上司の周りはなぜか空気が透明でキラキラしていた。


自分の目の錯覚とかではなくて、本当にそうで、オーラなんて他の人たちのものは何も見えないけれども、イケメン上司のものだけはなぜか見えた。


イケメン上司がイケメンでなかったのなら私ももっと正確にオーラだと認識できたかもしれないけれど、例えばジャイアンみたいな容姿なら「何あのオーラみたいなの!?」ってなれたと思うけれど、いかんせん相手はイケメンでイケメンだからこそ醸し出せる雰囲気なのかと勘違いした私は、あれは「イケメンオーラ」なんだと最初は理解した。


当時それがイケメンオーラではなく、その人特有のオーラだと気付いていたのなら、もっともっとよく目を凝らして見ることができたのになと悔やまれる。







「っていうか◯◯さん、空気消してませんでした()?」


さっきのイケメンオーラの話の延長でSさんがそんなことを言い出した。


「私、ほら席から見えなかったのもあるんですけど、時々そっちに用事で行くと、普通に◯◯さんいるからビックリすることが時々あったんですよね〜」


変わった形の事務所で、変形したL字型みたいな、上手く説明できないけれど、言うなればLの上の書き出しの部分にSさんはいて、そしてLの書き終わりの部分にイケメン上司はいて、そしてLの字の内側は男子トイレがあって、だからSさんからイケメン上司の席というのは完全に死角になっていた。


言われてみればそうだった。


イケメン上司は本人が好む好まないは別としても、普通にイケメンだから本人が主張しなくても目立つ。


目立つというか姿が際立つ。


本人は静かにしていたいだろうし、静かにしているつもりだとも思うけれど、存在感がある。


なんだけれど、目立ちたくないのか誰とも関わり合いになりたくないのか、静かにして気配を消すみたいな振る舞いをしていた。


ちなみに関わり合いになりたくないというのは、イケメン上司の性格というよりも、女性陣がなかなか手強い感じで、面倒を避けたかったんだろうなぁと思う。


Sさんとゲラゲラ笑いながら意見一致したのが、誰が相手であってもあの女性陣と気が合う人たちの方がすごいってなった。


人は良い人たちだったけれど、いかんせん何が地雷になるのかわからなくて、そういう意味での緊張感は常にあった。


イケメン上司もそういう意味でもしかしたら普段以上に静かにしていたのかもしれない。


だからいつの時も基本は静かに黙々と仕事をしていたし、余計なおしゃべりもしなかった。


その話をしていた時に脳裏にある場面がよみがえった。


たしか昼休み明けだったと思うけれど、その日イケメン上司は朝からずっとどこかに行っていて不在だった。


私はその人の席から一番近いキャビネットの前に近くの椅子を借りてそれに座りながら大量のファイルを戻していた。


全部戻し終えてさぁ席に戻ろうとキャビネットの扉を閉めようとした時に、初めてイケメン上司が出先から戻っていていつの間にか席にいたことを知った。


初めて知ったというのは半分正解で半分はちょっとだけ違う。


物音も一切しなかったし、帰ってきてからもパソコンを触らずに何か別のことをしていたみたいで本当に無音で静かではあったけれど、なんなら誰も「お疲れ様です」も何も言わなかったと記憶しているけれど、キャビネットの扉に隠れるようになっていてもなんとなく「もしかしているかも」的な、気配を感じた。


驚いたの半分、でもほんの少しだけ「やっぱりいたんだ(٩(ˊˋ*)و)」というのも思った。


今となっては何がどうなっていたのかは全くわからないけれど、私がその場面を今でも鮮明に強烈に記憶している理由は、その時に感じていたその人の気配の方の感覚だった。


一番近い感覚は、視線を感じる、あの感じ。


その人が私を見ていたかどうかと問われると限りなくそんなのゼロだと思うけれども、そういうものを私は感じていて、だからキャビネットの扉の向こうにその人の姿を見つけた時に何とも言えない感覚になった。


これは私の超勝手な予想だけど、あの時の私はその人の気配を本当に感じられていたんじゃないかと思う。


本人は私の方なんかさっぱり見てなくても、その人のことだけは私は無意識の領域で認識できるくらいの感覚を持ち合わせていたんじゃないのかななんて思う。


オカルト体質もその後徐々に開花していく前段階として、その人のことは特別に何かを感知できてたり


あと今だから思うのは、魂の関係だとするなら、本当に魂側がきちんと把握してその人の気配を人間側の私の意識の方にも信号を送っていて、それを何かしら感じていたのかもしれない。


物音1つせずに気配を感じるみたいなそんな状況はその時限りだったから、もう検証も何もできないけれど、代わりにその時の感覚だけはイケメン上司がいない今もはっきりくっきりと覚えているから自分の中でいくらでも感覚は思い出せる。


細胞が記憶している、そんな感覚でいる。


気配を消している、の話のくだりでその時のことを私は鮮明に思い出していた。







Sさんからいくつかのイケメン上司エピソードを教えてもらった。


話を聞いてて面白かったし、そういうことを私もおしゃべりできていたのならどんなに楽しかっただろうと思った。


帰り際になって、そうだ!伝えよう!と思っていたことを思い出して、私はSさんに切り出した。


「◯◯さん、Sさんとおしゃべりしていた時、本当に楽しそうにしていて良い顔してたんですよ〜!

今日会った時、絶対に伝えようと思っていました」


Sさんは「えー、そんな風だったのかな?そんな風にはあまり感じたことなかったけれど」みたいなことを言った。


私もそうだけど、と前置きして説明した。


Sさんといると安心感があるし、何か地雷を踏むかどうかとか、変なところに反応されるかもとか、そういうのを気にしなくていいこと、そして安心しながら話せるし、いつの時もSさん側に安定感があるから心配が一切なくて安心できる、そういうのを◯◯さんも感じてるんだと思います、と言った。


実際に良い顔をしていたのは本当だし、数少ない心を開ける相手なんだと思います、というのも言った。


「えー、そんなことないと思うよ〜!だって全然プライベートなことは知らないし、向こうも自分の内側を話したりしないし


他の人たちと比べたらそうなるかもしれないけれど、イケメン上司側からして自分のことを転勤したことも含めて話すなんていうのは、相当限られた相手にしか自ら言わないと思うこと、向こうからしたら相当自己開示してる相手としてSさんはいると思うことを言った。


例にする相手が間違えてる気がしますがと言って、当時の事務員の女性2人には絶対に連絡してないと思うんですけど!と言ったら「それはそうだねー!()」と納得してくれた。


私も一体何様かと思うけれども、本当にその人が心許す数少ない相手の1人にSさんがいて、そういう人がその人の人生にいると知ってなんか私は安心した。


話は少し違うけれど、その9割男性!みたいな今の職場にいて、超少数ではあるものの私に愚痴を言ってくれる人たちがごくたまにいる。


理系バリバリの、感情なんてかまってたら仕事にならない!みたいな男性陣を見て、時々大丈夫だろうか?と思う時がある。


その人たちを見て、イケメン上司も職場ではそんな風なんだろうなぁと思ったりもする。


先日私は2人それぞれの立場や言い分も知った上で双方のフォローに回ったことがあった。


その時に真っ先に思ったことは、その人たちが吐き出せる場所があって良かったなということ。


非常に光栄な係をさせてもらったけれど、これ1人で全部抱えたらしんどいよね!!と思った。


フォローしたそれぞれの人たちとは、会えばいつも仕事に関係ない話もするし、くだらないことも喋る。


会社のおかしいことも互いに言って発散したりもする。


そして普段から私はいっぱい助けてもらっているから、そのお返しとして少しでも相手のためになることがあるなら喜んでしたい。


そういうのを自分も見ているからこそ、イケメン上司からして戦わなくてもいい、自分のプライベートの一部でもそれを伝えてもいい、そういう相手がいることは私が言うことでは決してないけれども、救いだと思っている。


しかもSさんの人柄を私も知っているからこそ、そういう人がイケメン上司の人生の中にいて、元々人と何かやりとりするのが超が付くくらい苦手な人だと思うけれど、その中でも心を許せる人がいるのは良かったと今回の新たな転勤を知ってそう思った。







今回、Sさんに転勤話をどうやって知ったのか、とっさに最後帰る直前に、おしゃべりした高台から車を止めた駐車場までの1分くらいしかかからない道すがら聞いたのは良かった。


ずっと気にはなっていたけれども、そんなこと聞くのもどうかと思って当初聞こうとは予定していなかった。


だけど、Sさんが当時の職場の人たちと今も繋がっていて年末近くに会った話をしてくれたから、ふとその時にでも聞いたのかななんてのも思った。


だから勢いに任せて私は聞いた。


「本人から直接連絡がきた」


という答えは今の私がきちんと知る必要があったと思っている。


車に乗ってからは、おしゃべりの時に集中して分析できなかった、イケメン上司の住んでいた場所と友達の家とが同じような位置にあったことを元に、私がその友達とどう会っていたのかの記憶を手繰り寄せていた。


後にも先にも、その友達チカだけが唯一私に、何回か「ぶっしーが東京で仕事する予定があるなら、しばらくうちに住んでいいんだからね」と真面目に言ってくれた友達だった。


今ものらりくらりと互いに年に何回かやりとりするし、これから先もずっと続いていく縁なんだろうなぁと思う。


「なんだかんだで不思議と続くぶっしーとのご縁に感謝よ」と今年の私の誕生日にチカからメッセージをもらったけれど、本当に不思議と続いている。


そんな風に私に「縁」と言ってくれるのも、チカくらいなものだと思う。


チカが熱心に私に東京に来ることを勧めてくれたのは私が持ってるものをきちんと活かすという意味で言ってくれていたことだけれど、まさかその土地とイケメン上司のいつかの住まいの土地とがピッタリと重なるなんて夢にも思わなかった。


偶然にしては出来過ぎな偶然だった。


気付くと、イケメン上司の人生の足跡と私側の人生の足跡で重なった場所にいる人たちとは、生涯の付き合いになる人たちばかりだなぁなんて思う。


元の話に戻ろう。


Sさんと会った翌日日曜日は、こうしてブログを書くか寝てるかのどちらかだった。


その時は書きながらも、「自分が転勤することを言おう」と思ってもらえたSさんと、その対象にさえ入らない自分との差を思った。


本当に不思議なもので、その事実に対して冷静に受け止めようとしている自分が普通にいた。


前の私ならそのことに恐らくものすごくショックを受けたと思う。


だけど今回は、ショックよりも「そうだよね」と理解しようとする自分がいた。


自分の周りで引越しや転勤、転職する人たちというのは、仲良い人たちだとみんなわざわざ連絡をくれる。


今も物理的に会える距離になくても、人生の節目に連絡しようと思ってもらえてることはわかる。


私も今後引っ越すことがあれば連絡をするし、結婚なんていう超めでたいことがあれば絶対に連絡している自分が目に浮かぶ。


その感覚もわかるだけに、イケメン上司から見た時のSさんと私というのがそれぞれどういう立ち位置なのか、今回だけはとても冷静に見ている自分がいる。


そもそもSさんと私とを同じ土俵に置くのも間違っているしおこがましいとしか言いようがないけれど、Sさんはイケメン上司にとって、今後も繋がる人でそういう何かの時に連絡する相手なんだろうと思う。


反対に私は、妙な点と点が繋がることはあっても、そういう普通の人間関係からは除外された位置にいる、「いる」と言うことさえ何か間違っているように感じる、そういう関係性の人間、もっときちんと言えば「関係のない人間」なんだと今回だけは冷静に受け止める自分がいる。


これは自分でも散々悩んだり考えたりしてきて、もうどうにもならないことなんか本当によくわかっていて、それをずっとずっと自問自答をし続けてきた4年近い積み重ねがそう後押ししてくれてる気がする。


連絡がもし来たのなら超嬉しいしそれは奇跡の他ならないけれど、そういうことを期待しながら生きていくのは自分がしんどいってわかるから、適度な距離感と感覚を身につける、一般的な言葉に置き換えるなら「縁がなかったものとあきらめる」方が残りの人生、自分自身が健やかにいられるだろうと思っている。


魂の関係なんて本当に酷だなと思う。


私が欲したのは普通にやりとりできる関係だった。


こんな訳の分からない、言葉でも説明できない、関係とも呼べないような関係が欲しかったのとは違う。


魂的視点に立てば、相当な素晴らしい経験値を積んだことになったとしても、生身の人間の私にはその素晴らしさなどわからないし、なんだこれ?と常々思っている。


私の本当に理解に苦しむ人生の傾向に自分が慣れていくしかないし、誰からも理解されなくても自分だけは理解してあげられる自分でいたいと思う。


本音を言えば、魂云々はいいからSさんとイケメン上司みたいな関係に憧れるし、普通に飲みに行ったりごはんに行く関係だったら良かったのになぁと思う。


それはそれと、そんな風にイケメン上司から見たSさんと自分との違いを目の当たりにして、それを真剣に受け止めようとしている自分が今いる。


その自分を見て、可能性を感じた。


どうにか上手いこと自分の中で消化していける、そういう予感を初めて感じられたかもしれない。


自分がイケメン上司の存在によってすごく救われたことももちろん体感している。


もしイケメン上司が私の人生に現れなかったのなら、今もかなり酷い状況にいたと思うし、この4年で経験した素晴らしいことたち全てがなかったのなら、私の人生はかなり悪い方にあったんじゃないかと思う。


めちゃくちゃ感謝しているし、本当に私は救われたから、彼はなくてはならない存在だと言い切れる。


だけど、同時に欲を出して普通の人間関係を求めても得られない、その絶望的な現実を受け入れることは容易じゃない。


魂的な分野は合格なんだろうけれど、人間的な分野はひたすらあきらめる、ひたすらこのよくのわからない状態を理解するしかない、今の私はようやくそこまでの理解に達した。


だからこそ、Sさんと私との大きな違いを目の当たりにして、「仕方ないよね〜」みたいな気持ちになっている。


次にどこに転勤されても、それはもうSさんと私とがどの程度今後繋がり続けるかでしか得られない情報に感じて仕方ないし、Sさんと私とが繋がり続けてもそういうことはもう知らずにいる可能性だってうんと高い。


互いが存在しない世界で生きていく、それがデフォルトなのは今後も変わりないだろうと思う。


繋がることができなくても心地良い感覚は、これから先の人生で手に入りそうな気がする。


それは完全なるあきらめや悟りみたいな世界じゃなくても、なんか気にならないとかどうでも良くなったとか何でもいい、自分が楽になれているのならそれで十分だと思う。


何でとっさに質問したのか今となってはわからないけれど、聞いて本当に良かったなと思う。


現実を知ってそして自分の気持ちの整理をする、それができるようになってきたということだと思う。







2021/05/18

火曜の夜明け前、布団の中


結局、私はSさんと過ごした時に出てきたことをここに記した。


書けるものなら書いておきたかった。


それはいつかの自分が、それこそおばさんではなくおばあさんの領域の年齢域に達した時の自分が読み返す楽しみ用に残したい、そういう気持ちもあった。


Sさんからいくつかのその人の日常みたいなエピソードを聞いた時、そういうことを普通に知れる関係だったら良かったなぁなんて思う。


何も面白いことなんか普通の人たちからしたらないと思うけれども、私にはその人しか知らないその人だけの日常模様とか癖なんかを聞くのが誰彼構わずすごく好きだったりする。


その手のエピソードになると、私は10年でも20年でもどのくらい前のものでも並々ならぬ記憶力を発揮する。


そういうのを面白いと思って聞いてるから、だから超どうでもいい、記憶して何の足しにもならないようなことを今も長く記憶している。


そしてイケメン上司のことで言えば、何にも日常の私生活や私生活までいかなくても社内での私的な顔なんかも全く知れなかったけれども、代わりにその公の場でのその人や私にだけ発令された非常に疎まれるというか嫌がられるというか何とも形容し難い、いずれにしても向けられても全く嬉しくないものさえもものすごく鮮明に記憶している。


一生モノの記憶だと思う。


私がどこで何をしていても、イケメン上司の今なんか何も知らなくても、ずっとずっと残り続けるもの、そんな気がしている。


今回、「休みたい」よりも「書きたい」が勝った時、その優先順位がなんだか嬉しかった。


書くとより一層記憶に強く残る。


生存機能なんて言うと大袈裟になってしまうけれど、休むよりも書いて残す方が命の優先順位的に高い、そんな風だった。


きちんと記憶を記録しておいて、それを未来の自分にプレゼントするみたいな感覚。


今最初から最後まで読み返してみて、頭の中のとっ散らかり具合に沿って書いているから、話があちこちに飛びすぎていてところどころ読みにくかったけれども、これは自分のために書いているからいいかと思った。


本当は聞いた具体的エピソードも書こうかと思ったけれども、それはあまりにも個人的なものになるからここには書かなかった。


代わりに、自分だけが読めるように携帯のメモに入れておいた。


昨日月曜日の私の日常は地獄絵図みたいな、何でこういつも強烈なことたちが次から次へとやってくるのかよくはわからないけれど、交わらない日常と決して重ならない人生とを前にしても、どこかで自分の心の支えのように当時から今に流れる時間や気持ちがある。


昨日の朝、出勤する時にイケメン上司の誕生日と同じ数のナンバープレートを掲げたバスとすれ違った。


月曜日にそのバスと遭遇することは基本ないけれど、ラッキーアイテム()و みたいな気持ちになれた。







2021/05/19

水曜日の夜中の3時台


最近夜中の3時台に一度目が覚める。


このブログのチェックをする。


いくつか過去のブログたちが読まれていると知った。


私の場合、計画性を持って書いたブログは基本的になくて、毎回思いついたまま書く。


だからこうして時間が経った時に、それぞれのブログがヒットするしないを初めて知る。


その中でも読んでもらえたら嬉しいと感じるものがいくつかある。


4年近いロングセラー()の記事もある。


これもそうだけど、その人にだけ宛てて書いてるものは、本当に繰り返し読まれてると時間の経過と共に知れると、書いて良かったなと感じる。


仕事は本当にできる人だけれど(周りからの評判も聞いたことが何回かあって、数人の人たちの高評価を得ているというお墨付き)、自分を第三者に向かって表現するとか、自己開示するとか、そういうことがとっても苦手な人なんだと思う。


そういう人だろうこそ、特定のブログを読んでくれてると知れるのは、私個人としてとってもうれしい。


ブログの記事が読まれているとわかった物理的根拠を何回かこのブログで書いたけれど、最初は「警戒されて読まれなくなるかもしれないな」と思った。


読まれなくなってしまうことを覚悟しながら書いた。


何回か書いていくうちに、別にそれはバレても気にならないのか、気にしててもそれはそれ読むのは読むの、みたいな線引きがなされるのか、とにかく読み続けてもらえることがわかった。


だから、ロングセラー的な記事が誕生すると、それは書いた自分も書いた内容も肯定されたみたいでとてもうれしくなる。


それぞれの記事がどんな風にイケメン上司の心の目に映るのかはわからない。


だけど、何かしらは映っているんだろうし、この私のスーパーダラダラ起承転結無しの何が言いたいのかもよくわからない長い文章を繰り返し目にするというのは、そこに何かしら心が動かないことにはそうならないと思う。


こんな比べ方もどうかと思うけれども


三次元の物理的な基本スタイル世の中スタンダード的な人間関係においては、Sさんの方が圧倒的にその人の色んなことや色んな表情を知っている。


私はそういうものは全く知らないけれども、なんなら服装だってその職場の男性陣は制服が支給されていたから、私はその制服姿しか知らない。


うちらが子どもの頃のジャイアンがいつ見てもオレンジの服だったりすることと同じで、私はそのワンパターンしか知らない。


だから物理的には本当に知らないことだらけだし、とてもじゃないけれど「知ってる」なんて言えないくらいに何も知らない。


でも反対に、目に見えない世界、それは心の中やもっとパーソナルな領域、そういうものは私の方が他の人たちよりもその人の一部を知れてるのかもしれない。


その人を構成する一部を私はこんな風に知れるというか触れられるとは思ってもいなかったことで、そういう意味でこのブログは私への貢献度合いもとっても高い。


とにかく何であっても、何かしらこの世に私が発信したもので、それがきちんと相手に届くと知れたのは本当の本当に良かった。


今回たまたま読まれたものでその人が読んだだろうことがわかる記事のタイトルを見て、真夜中で寝ぼけているのに心はほんわかした。


そこにはその人の小さな自己主張みたいな、何かしらの意図が託されているような、そういうものを少し感じた。


それは私にしかわからない感覚だし、それを知れる権利を持っているのが世の中で私だけだと思うととっても誇らしい。


一応選ばれてる人という感じがして、それもさらに嬉しさ倍増になる。


今回も色んなことを書いたけれど、ここでアップしよう。


Sさんとのおしゃべりで出てきたことはとりあえず網羅できたし、他にも書きたいことは書けた。


届くだろうことを想定できるって本当に素晴らしい。


届くとはとても思えなかったブログ再開当時の気持ちは今でも忘れてないから、こんな風に想定できるなんて夢のまた夢だった。


その夢のまた夢だったものが現実となった今、どんな奇跡だって人生には起こるのかもしれないなと大真面目に信じられる。


そんな風に助けられている。


近くで毎日顔を合わせられた時の恩恵は今は皆無になってしまったけれども、代わりに見えない部分で私はものすごく助けられている。


人生の中で大切なこと、そういう部分でその人からずっと助けてもらっている。


それってすごいことだと改めて感じる。


本当に素晴らしい出逢いに恵まれたんだなぁと心に刻みながら、これから二度寝じゃないけれど、束の間の睡眠を安心しながらむさぼりたいと思う。

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