2021年3月26日金曜日

111111ゾロ目






111111のメーターになった木曜日の夕方。

朝、出勤する車の中で今日のどこかでゾロ目になることは十分に予想できた。


絶対に今の職場の真ん前とかでゾロ目になるのは嫌で(基本的に社風が好きじゃない)、それさえ避けられたらいいかなと思った。


本当にあと1キロ違ったらまさにドンピシャだったけれど、そこはなんとか免れた。


代わりに、ここでなれたらいいなぁというところでピッタリとは言わないけれど、100メートルくらい手前でそうなったから良かったかなと思った(思うようにした)。


私がなって欲しかったのは、とある交差点だった。


その交差点は、私が社会人最初の仕事の時も通った交差点で、実は当時の通勤路と今の通勤路はその交差点で分かれる。


そこは私にとって原点のような場所で、その過去と今とが交差する交差点でゾロ目だといいなぁと思ったら本当にそうなった。


そして、職場に背を向ける形でゾロ目になれたこと、そしてゾロ目の間に着いた某スーパーというのが私を初めて海外に連れて行ってくれたスポンサー企業で、そういう過去から今に繋がる道のところで私は今回のゾロ目を迎えた。







友達のチカから連絡がきた。


無事大学院博士課程を卒業できたことと初夏あたりからモンゴルに某プロジェクトで行くことになったことが書かれていた。


どちらもとてもめでたい話で、もちろん即返信したし、本当に良かったね〜と祝杯を共にあげたいくらいだけれど、それとは別に胸が少しだけチクリとして重たくなった。


自分の中で点だったものが繋がった。







今日の仕事中のことだった。


私は今いくつか並行して取り組む中で、1つ長期でずっと関わり続けているものがある。


3つの違う機械の取扱説明書を色々直しているけれども、1つ前から気になっていたところがあった。


図と説明文を見ても全然一致していなくて、前にも一度質問に行ったところだった。


とりあえず意味の通じる英訳に直したけれども、やっぱりもう一度日本語を読むと、言わんとしていることはわかるけれども、図と全く一致していなくて混乱する。


日本語で混乱するから英語以下他の言語はもっとボロボロになる。


どっちみちそれ以外にも何十という直しがあるから、それも違うのであれば一緒に直した方が事務手続きが1回で済むし実際にお客さんにとっても良いわけで、だから担当者の元へその確認に行った。


担当者の人は基本的に人は良いし穏やかな人で真面目だけれど、今日のやりとりは小骨が引っかかったみたいになってズシンときた。


最終的に直す方向で動いてもらえることにはなったけれども、そのやりとりの時に「武士俣さんが気になるなら直します」みたいな、そんなところはどっちでもいいけれど何でやるのかみたいな、とにかく言葉は忘れたけれども、本人はやる気がないのはわかった。


私がつっこむことは、本当に小さな事で些末なことなのもわかる。


重箱の隅をつつくようなことを言っているのもわかる。


だけど、ユーザー目線からすれば、本来正しいのが当たり前で、そこに誤情報や理解不能な説明が混ざってるのは普通に考えておかしい。


だってスイッチを押したらオンになるのに、そのスイッチの名前がもしレバーになっていたのならお客さんはオンにするためにスイッチじゃなくてレバーを探す。


そういうことを私は確認しているわけで、決しておかしなことを指摘したり嫌がらせを言っているのとは違う。


っていうか、どう考えてもそれって会社の利益になるわけで、直さない方が他のトラブルを生む原因になるよね?と思う。


そんな当たり前のことが通じない。


通じないだけじゃなく、私がこだわっていることになっている。


私がおかしい人みたく話はなされた。


全然納得なんかいかなかったし、釈然としなかった。


最終的に動いてもらえるにしても、なんかスッキリしない。


モヤっとする。


そんなことがあった。







チカの近況報告を聞いて、少しチクリとしたのは、自分の身の置き所の不満に気付いたからだった。


嫉妬とかいうのではなく(むしろ超すごいことを二足のわらじ状態で何年もやり続けていたのは知っているから、尊敬と共に自分はその苦行は絶対にしたくないから、だから羨ましいとは一度も思わず今日に至っている)、チカの向かおうとしている世界に憧れるというか、自分が生きていたい世界のエネルギーを見て、そことのギャップに失望したようなものだった。


チカは次のプロジェクトもだし大学院に行っている間もだけれど、とにかく人が持つ可能性とか生きる希望みたいなところに焦点が当たっている。


前を向くこと、あきらめないこと、そういうことにきちんと目が向いている。


理不尽なことや思い通りではないこともたくさんたくさん知った上で、それでも前を向き続けている。


そういう世界に自分の身を置きたいんだとわかった。







私は今の仕事に愛着もなければ愛社精神みたいなのもない。


自分が本来やるべきことから逃げようとすると体の具合が悪くなるから、それが嫌でやるのが一番の理由で、でも実際には会社にとっては超プラスなわけで、少なくとも私は自分がしていることは小さなことでも必要なこと、誰かにとって大切な情報を運んでいるんだくらいに思ってはやっている。


だから、自分ができる限りのことをして必要なものを届けることができるなら、それは喜んでとまではいかなくてもやること自体は違和感なくやれる。


必要なものを必要な人に届ける。


それはやれることからやろうと思う。


なんだけれど、今の職場みたいに、間違えててもそのまま、おかしくても適当、何でもかんでもとりあえず形だけやっておけばいいみたいなことを本気で常態化しているところは、私がいたい世界とは違う。


お互いに切磋琢磨ではないけれども、せっかく縁あって人や何かの物事、仕事と繋がったのならば、それは良い方にいきたいよね!と私は思う。


本当に小さな手間を省かなければ、それだけで1つの信用に繋がったり、色んな人たちがそれで生きやすさや現世的な利益を得たり、はたまたお互いの気持ちを通い合わせたりすることも可能になる。


「どうせ」みたいな後ろ向きな感じじゃなくて、どうせ同じ時間を使うなら明るい結果になるようなことに時間も自分の体力気力も使いたい。


ただそれだけのことなんだと気付いた。







今の職場に背を向けたところでゾロ目、そして写真を撮ったスーパーでは西日がちょうどよく見える良い場所で、こことはいつか訣別するんだと思った。


自分の原点となる交差点を思うと、社会人すぐの私も今の私もそう変わらない。


そこに立って自分の心の中の風向きを感じてみると、やっぱり私は明るいものに憧れるし、生きてる間は希望を感じて生きていたい。


いつか死ぬのはみんな一緒だから、死ぬその時まで私は希望の灯りを自分の中にともしていたい。


そういうことを再確認した今日というゾロ目の日だった。

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