2021年3月14日日曜日

42歳初ブログ

誕生日に自分のために買った花束


42歳はじめてのブログになるから、書きたいことはあれこれあるけれど、昨日(3/13)魚座新月の日にノムと電話で話した時にここ数年の振り返りをしたから、その中身について書きたい。

昨日の午後、1月から数えて通算3回目の占星術界の巨匠、松村潔先生のオンライン講座を受けた。


冥王星についての講座で、私は1つ質問をした。(チャット形式で質問できるようになっている)


自分のホロスコープの質問は基本アウトだから(1回目しか受講者数を知らないけれど、その時は130人くらい受けてたから、基本は一般的な質問のみ受付)、そこは言葉を巧みに変えて一般的な質問となるように質問コーナーに投稿した。


松村先生の答えは、まさに私の人生そのものだった。


「外れ玉人生」


どういうことかというと、仮に会社員であってもその枠からはみ出して動いてしまう、だからそのはみ出してしまうことを生かす、そういう風にしたらいいと言われた。


その話をノムにしたら、即答で「わかる!その通りだね!」ぐらいなことを言われて、その後から冥王星が絡む中年の危機の話をした。


細かな説明は省くけれど、世で言うところの「中年の危機」の裏付けとも言える、占星術の中で取り扱われる冥王星と天王星それぞれの配置の影響が30代後半から40代前半にかけて強く出る。


何をもって「中年の危機」とするかは人それぞれにしても、そのくらいの年齢域に何事もなく平穏無事でいられる人の方が圧倒的に少ないと思う。


その辺りの絡みで、ノムと冥王星による中年の危機の話をした。


一般的には、冥王星だけではなく他の天体も、天体と天体同士が作る角度がピッタリと0度の誤差になる時、影響が一番大きくなる。


影響が大きいというのは、例えば夫婦問題であれば、角度の誤差が数度ある時は夫婦喧嘩くらいで済むものが0度の時には離婚にまで発展したとか(あくまでたとえ)。


実際の質問で出てきた話で、受講者の知人の人で、経営していた会社を乗っ取られて家も取られてしまったという人がいた。


そういう激しさを伴っても、冥王星が絡むなら何らおかしくない。


冥王星の担当部分として、「破壊と再生」だから、そりゃもう人生一大事みたいなことが起こってもさもありなんというところ。


で、ノムと私の体験した中年の危機について話したことの続き。


誤差が3度くらいあった時の方が私の場合強烈にしんどい体験をしていて、反対に誤差0度の時はとても良い感じだったと切り出した。


3度くらいの時は、社会人になって初めて仕事に支障が出るレベルで嫌がらせをあれこれ受けた。


機密情報満載の重要書類を隠されたり、周りの人たちが無責任に放置したことがある日たまたま私の取った電話で当たって、放置した人たち全員の穴のあいた部分を全て私1人の責任にされて、それを見ていた周りが固まるほど私は中間管理職から激怒されて不毛な対応を受けたり。


とにかく自分はきちんとしても、理不尽且つ非人道的な扱いを受け続けて、そしてトイレに行く暇もないくらいに忙しくて、それで私は3回目の派遣の更新の打診があった時に断った。


契約終了の時にそのまま辞めますと伝えた。


自分の名誉のために言うけれど、辞めると決まった後、100人以上いるフロアの責任者が新規で着任されて、その方と1人1人全員が面談をした時に、私はその責任者からものすごく仕事ぶりを褒められた。


いつ見ていたのかと思うくらいに多忙な人だったのに、私の何が良いのか具体的に伝えてくれたくらい評価してくれて、そして本当に残ってもらえないかと3回くらい打診されて、数々の不当な扱いも人として全力で謝られて(私は謝って欲しくて言ったのとは違う)、だから最後はものすごく救われた。


そうそう、私の評価もものすごく話が盛られて悪い風評被害のように派遣先の企業から派遣会社に伝わっていて(私の教育係がとにかく幼稚で意地悪な子だった)、逆に派遣会社の人たちの方が付き合いが長くて私という人の評価を内部で共有してくれていたおかげで、「武士俣さんこんな風に話が企業さんから来たのですが、実際のところ何がありましたか?」ときちんと聞き取りをしてくれて、その後私の立ち位置が悪くならないように企業側への要望という形で話をしてくれた。


実際は話が違いますよと企業側へクレーム的なものもチラリとすべり込ませて、それで私が本当に何とか社内で理不尽な扱いを受けずに済むように、周りの人たちは尽力してくれていた。


そんなこんなで、とにかくありえないイジメみたいな不当な扱いを受けたのが3度くらいの誤差の時。


その後、急募の仕事でも内々定が出ていた仕事でも申し込んだところ全部ダメになって、そして数ヶ月後親を頼って新潟に帰った。


で、誤差0度の時はどうなっていたかと言うと、その時の派遣先でイケメン上司に出逢って毎日ルンルンで仕事に行っていた。(ノムには「0度の時が◯◯さんと会った時」とだけ説明した。◯◯さんというキーワードだけでノムはわかってくれるから、余計なことを言わなくても済むのが恥ずかしくなくて助かる。)


その後イケメン上司は異動でいなくなって、また誤差が2度3度と広がる頃私は引きこもりニートになった。


とまぁ、そんな風に私の場合冥王星がらみの中年の危機は起こった。


0度の時に「再生」「生き直し」みたいなことになれて、そしてイケメン上司は特段何をしたとかはなくても、これ以上ないくらいに私の人生に影響を及ぼした。





そんな風にして、自分のこの数年を振り返った。


もしイケメン上司が私の人生に登場してくれなかったら、私の人生は今とは全く違ったものになったと思う。


ペンジュラムは持っていたけれども、今のような自分ではなかったんじゃないかと何となく予想している。


関係ないけれども、もし今の職場でイケメン上司がいたのなら、私なんかはとことん距離を置かれたかもしれない。


痛いところばかり突いてくるし、少しでも違うとワァワァと重箱の隅をつつくようにあれこれ言うし、現実的に私のことを面倒だと思う人たち(男性陣)もいることはわかる。


イケメン上司がいた職場だけは唯一私が置き物のように静かに一言も喋らずに仕事をしていたところで、逆にそのくらいのところで良かったのかもしれないなぁと思う。


おしとやかとは間違っても言えないけれど、今のような可愛げのカケラもないような自分を晒さなくて済んだのは良かった。


それはそうと、中年の危機の一番強烈な0度配置の時に、私はこれ以上ないくらい毎日しあわせで生きてる喜びを感じて日々を過ごすことができたから、それによって自分の人生への信頼度が一気に高まった。


ちなみにこの後も何回か強烈極まりない天体配置がやってくるけれども、当時のことがあったから大丈夫じゃないかと思っている。(怖いは怖いけれど)


そう思えるようになったというか。


人と人とが出会うこと、出逢いこそが本当に人生のギフトだなと思う。


イケメン上司にしたら百害あって一利なし状態でも、私にはイケメン上司の分までしあわせや喜びがもたらされたわけで、本当にそれまでの人生において最高峰の贈り物がやってきていた。


私はそれだけのものをもらったから、せめて残りの人生は少しでも丁寧に生きていられるといいなと思っている。


イケメン上司の登場によって私の潜在的なオカルト能力も飛躍的に引き上げられたわけで、それだって必要があればきちんと使う自分でありたいと思っている。


42歳の人生にも43歳の人生にも、その後の死ぬその時までの人生にも、イケメン上司の生身の姿は私の人生にはいないだろうけれども、私の心の中に存在してくれててそれで自分がなんとか保たれているのならそれもそれでアリだなと最近思う。


さみしいけれども、もう一度会えるのなら会いたいと思うけれども、私が自分を生き直すのに、自分の人生を再生するのに、存在そのものだけでここまでの状態に私をしてくれたわけだから、本気で感謝しかない。


それこそ人生の奇跡で、だからこそ私は奇跡が起こることも信じていられるし、色々無理ーーー!!!!!となっても生きていられる。




追記*¨*•.¸¸☆*・*¨*•.¸¸☆*・*¨*•.¸¸☆*・゚


写真を付けて思い出した。


花瓶がなくて、百均に行って適当な花瓶がないかと探すために花束を持ったまま店に入った。


そして駐車場に戻る時も当たり前だけど、花束を持ったまま歩いた。


その時に、もしイケメン上司と自分とが誕生日を祝うような仲だったとして、こんな風に花束を買ってくれてそれを持ち歩いてくれたとするなら…と想像したら、なんだかププっと笑いがこぼれそうだった。


どんな顔して「花束を作ってください」って言うんだろう?とか、どんな気持ちで花束を持ち歩くんだろう?とか、そもそもそんなこと絶対に恥ずかしいからやらない人かもとか、色々想像してたら楽しくなった。


誕生日当日、私は1人だったし、1人で花束やケーキやビールやつまみを買い込んでいたけれども、その瞬間だけは他とは違うほっこり感というかほんのりしあわせ感というかがあった。

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