2021年7月11日日曜日

小休止なひとり言

 

夜明け後の朝焼けの時間に目覚めたら
太陽の光が分厚い遮光カーテンを突き抜けて
壁に映っていた。
最初、カーテンの隙間から光が入り込んで
いるのかと思いきやそうではなく、
カーテンそのものをぶち抜けて
光が入り込んでいた。
光ってそういう性質なんだと知った。
そして、このブログに出てくるものも
この光の性質とおんなじだと気付いて
それで今回はこの写真にした。
闇に浮かび上がる一筋の光。
もしくは、分厚いものを突き抜けてまで
絶対的に輝くもの、闇を照らすもの。


少し小休止なブログ。

ゴールデンウィーク明けから本気で仕事の忙しさがバリバリ全開になって、この後も恐ろしい締切の数々とそれに伴うおびただしい業務量を前に、「何で私こんなことしてるんだろう?」と思っている。

(※体育会系男社会な会社の中で、冗談抜きで役職付男性たち並みに残業して、正社員じゃない派遣の立場で役員級の仕事がバンバン回ってくる、超異常な状況が続いている。)


確実に相当お疲れモードになっている。


そんな折に、昨日(7/10)占星術講座のクラスメイトだったノムと1時間少し電話で話した。


なんと今年も2年前に誘ってもらった某書籍に文章を寄稿できるとのことで、この夏も少し文章書きをする流れになった。


しかもノムが担当編集者さんにあらかじめ私の紹介をしてくれていて、なんなら彼女はペンジュラムを使ったり僕と一緒に星読みもすると言ってくれて、ノムは「ぶっしーのままで言葉を書けるよ」みたいなことを言ってくれた。


非常にありがたいお話で、もはやエスカレートしていく仕事のありえないことたちは脇に置いて、そちらの文章書きは何が何でもやりたい!!!と鼻息荒くノムに返事をした。


ノムも「僕もぶっしーと一緒に担当したかったから、ぶっしーが喜んでしたいと言ってくれて嬉しい!」と返してくれた。


2年前とはだいぶスタイルが変わるみたいでその辺りはドキドキしてるけれども、とにかく自分のありのままで何かができるというのがとってもうれしい。


自分を飾らず、盛らず、ありのままに出せるって、しかも42歳の大人の自分がそんなことできるって、それも人生のご褒美の1つだなと思う。




*




日曜日の午前中、ふと気になってこれまでに書き途中のまま保存してあるブログの下書きたちをチラ見した。


読んではないけれども、中にはガッツリとたくさん書いてあって、あと少し書き足せばアップできるだろうものもあると知った。


そうした中で2つの記事は、イケメン上司にまつわるストーリーで、それだけはお蔵入りさせずに最後まで書き上げたい、そう思った。


他のものたちはお蔵入りしてもいいけれども、その2つの記事だけは何が何でも完成させてイケメン上司の目に入るようにしよう!、と野望をメラメラさせた。


自分の中の鍵というか理性というか、そんなのがぶっ壊れたようになった感じがあって、前は控えめに「ブログを見てくれたらいいな」という超淡い感じのやさしめな願望だったのが、最近は「時間がもらえてさらに読んでもらえるなら、包み隠さずに言いたいこと伝えたいことを書きたいし、それを知って欲しい」とアグレッシブな感じになってきた。


こんな比較もおかしいけれども、仕事と比べるとよくわかる。


今仕事でやっていることは、企業にものすごく貢献するものだというのは知っている。


超貢献度は高いけれども、そうとわかっていても、私の中のモチベーションは全く上がらない。


なんなら、この業務から解放されるのであれば、本気で解放してくださいと思っている。


しかも秋くらいまでずっと続くのかと思うと超絶うんざりする。


一方、このブログは何の貢献もしないし、完全に自己満足の世界のことだし、書いても書かなくても何が変わるわけでもない。


なんだけれど、仕事と大きく違うのは、私の中に明確な意志や希望、そうなって欲しい的な未来に託すものがはっきりとある。


どんな風に思われてもいいから、イケメン上司に伝えたいし知っていて欲しい。


それが叶うのであれば、それだけで私には何十億と利益を生み出す資料よりも、比べようがないくらいに価値がある。


週4日は10時間勤務をやって、本当によくやってんなと自分でも思うけれど、どんなにクタクタで布団に横になるとすぐそのまま寝落ちしていても、時間を見つけてはブログを書いている。


調子が上がる時は、昼休みの15分とか20分とか使って、ささっと部分的に書いたりもする。


しばらく綱渡りみたいな仕事の納期の中で心は限界に近いくらいにグッタリしているけれども、イケメン上司にまつわる何かを書いている時は、本当にしあわせホルモンみたいなのが出ていて、ふっと息抜きができて、自分のキリキリしてる神経に違う風が吹いてくれる。


ここまでくると本当におひとり様も相当極めた感があるけれども、それでも確実に自分が救われていて癒されているから、私の中ではAll OKになっている。


仕事側の方は何をしていてもそこに意味だとか意義だとかは全く見出せないけれども、このブログは私にとって確実に何か大切なところを満たしてくれるって体感しているから、そりゃ体力さえあれば書いてしまう、その気持ちがよくわかる。


イケメン上司も仕事が忙しいんだかプライベートが忙しいのかで最近はアクセスも減少傾向気味だけれど、そしてそれはそれで気にはなるけれど、とりあえずその時その時の私のメンタルのエネルギーチャージのためにも書いている。


いつか絶対に読んでくれない時がくるわけだから、そうなる前に書けることは書いてしまおう、知って欲しいことは言葉にしてしまおうと思っている。




*




これを書いていてふと1つ思い出したことがある。


友達のちかが、博士を取るために書いた論文のテーマをいつかかいつまんで説明してくれたことがあった。


ちかは東日本大震災で被災した人たちのその後をずっと追いかけ続けて、その人たちの心身の健康状態と何か難しいテーマとを掛け合わせて研究して、その研究のために色んな人たちに話を聞きに行っていた。


で、そうした聞き取りをしてのちかの実際の個人的な感想をいつの時か聞かせてくれて、その時の話が今の自分と重なる。


人間、究極の状況になると、最後は見えない何かにすがるし祈る。


今も現実として、復興からは程遠いのが実際の被災地とのこと。


そんな中で人々がどうしているかというと(これはあくまでもちかが色んな人たちの話を聞いてそれを相対的に見て感じたこと)、先の見えない現実や希望を持てない未来に対して底知れぬ不安を抱く中で、スピリチュアルだとか宗教じゃないけれども、見えない何かに願いや祈りを託すようになる、その傾向が強くなるとのこと。


そして、人を回復させるのにもしくは前を向いて歩けるようにするのに色んな方法や手段がある中でちかが感じたのは、極限の状態にまで追い込まれた時、人を救うのはそうした見えない何かかもしれない…、言葉にするなら「癒し」に繋がるもの、色んな人たちから話を聞いてそう思ったらしい。


比べることさえはばかられるけれども、気持ちとして私もかなり近いものがある。


メンタルがやられてるとかいうのではないと自分では思っているけれども、どんなに役に立つことを自分がしていても、私の気持ちはさっぱり動かないし、私じゃなくて良くない?、これして私の人生に何の意味があるんだろう?と最近は特にそう思うことが増えた。


超貢献度が高いのは知っている。


だけど、それがすなわち私の何かを満たしてくれるのとは違う。


そのギャップがすごくて、やることはやるし手抜きもしないけれども、自分の中は確実に埋まらない。


何かズレている。


日常はそんな風で、心が無味乾燥みたいな、落ちてはないし無気力なのとも違う、本当に言うならそこに熱意みたいなのがないから「無」になっている。


そして乾いている。


渇きの方が文字としてはよりしっくりくる感じがある。


そんな中で、イケメン上司のことを何だかんだ書いている時は、自分の中に心が通(かよ)っているのがわかる。


それは全然錆びないし、古びないし、朽ちない。


いつの時もフレッシュでみずみずしくて、「生きてる!」って感じがある。


自分の心がきちんと通っていて、これをしたら特別にいいことがある!とはならなくても、確実に自分が満たされる。


何の結果を得なくても、少なくとも自分がすっと楽に呼吸ができて、良い感じで心の奥の方に潜っていけて、そして生きてるっていいねー!っていう気持ちにさせてもらえる。


書いてて楽しいとか、思い出に浸ってジーンとするとか、本当に心がイキイキしている。


ドラゴンボールに元気玉って出てくるけれど、本当にあんな感じ。


元気玉を口にすると力がみなぎって元気になる。


イケメン上司との色んなことを思い出しては心が潤って良い風になる。


貢献度高いものをやっても何も心は潤わないけれど、イケメン上司にまつわる色んなことは現実がヒュルリーな「無」の状態でも、自分はイケメン上司の存在のおかげで元気になれる。


不思議すぎる関係だけれども、今の魂の修羅場みたいな状況下において、そうやって心の軸のところに誰かがいてくれる、いてくれるのとは違うから誰かの存在を置いておける、それって絶対的な強さだなと思う。


外側の色んなことたちはすったもんだしていても、内側ではいつの時も平穏で大切なもので満たされていて、それってとてもしあわせだと私は感じている。


もちろん全てが明るい思い出じゃなくて、苦くてギュッと手を握らなきゃいけない、目をつむりたくなるような感覚に陥るものも中にはある。


でも、それさえも私は受け入れようとしているし、そこに自分の気持ちがあるのがはっきりとわかるから安心していられる。


仕事みたいに良いことをしていても、そこに自分の気持ちが通わなくて「何してるんだろ?」みたいなことには絶対にならない。


プラスでもマイナスでも、そこに自分がいると感じられること、自分の心があるとわかること、そういうことが私にはとても大事なんだとわかる。


だから、イケメン上司のことを書いた書き途中の2つの記事は、何が何でも完成させたい。


それは私のために書くわけだけれど、同時にイケメン上司の目にも入って欲しいから。


知ってて欲しい。


◯◯さんというのは、私にとってそういう存在だということ。


今みたいにわりと長期に不安定な時も、そうやって心だとか生きることへの活力だとか元気だとか、そういうものをもたらしてくれる人だということ。


今はきちんと伝える手段があるから、それをとことん活用して書けるだけ書いてしまいたい。


本人は何にもしてないと思っていても、もう十分存在だけで私の渇いた心に潤いを与えてくれてるわけだから、本気で偉業を成し遂げている。


生まれてくる前にそれぞれ人生の設定をしてくるんだろうけれども、少なくとも私の中でこういう役割をしてくれる相手がイケメン上司で本当の本当に良かった。


書き途中2つのものも、主にそういう感じの内容を書いている。


だって、生きる力を与えてくれる人って、すなわち命の恩人なわけで、命を救ったり生きたいと思わせてくれるって本気で凄すぎる。


これはみんながみんなできることとは違う。


私にとってそれをしてくれたのが、イケメン上司だったということ。


かなり一方的ではあるけれども、本当にそうなんだから仕方ない。


とにかくゆっくりでもいいから、2つの記事は何が何でも書き上げてアップしよう。


アップして届けよう。

2021年7月10日土曜日

手相の予言


「あっ!!!」


突然ひらめいた。


前回のブログ(『心の窓、心のお守り』)を書きながら何でそんなことを突然思い出したのかわからないけれど、とにかくあるシーンが思い起こされた。


遡る(さかのぼる)こと8年前だと、後から調べてわかった。


とある日、私は名古屋のヒルトンホテルのラウンジで手相鑑定を受けた。


当時の私は、とにかく色んな手段や方法を講じて自分を知ることに全力投球していた。


今となってはどうやってその方のサイトにたどり着いたのか全く思い出せないけれども、何かしらで知り得て、そして名古屋に鑑定に来ると知って申し込んだ。


東京とか横浜とか関東の方で、占い師さんたちが鑑定に申し込むような人と知って、それが決め手となって申し込んだ記憶がある。


すごい余計な話だけれど、私はドミニカにいた2年ほど、ある時から毎日自分の手のひらを眺めるということをやり出した。


当時はguaguaーグゥアグゥアと呼ばれる、日本の割烹や葬儀場が持っているようなタイプのマイクロバスの大きさの公共交通機関に乗って、それで毎日の活動場所に行っていた。


15分から20分程度だったと思うけれども、他にやることもないから私は自分の手のひらを毎日のように眺めた。


向こうで知り合って仲良くなったユカさんという女性から手相の話を聞いて、彼女なんかは1年ごとに自分の手をコピー機に当てて手相のコピーを取るくらいで、ユカさんいわく手相はどんどん変わるから面白いよと教えてもらった。


それで手のひらを見る習慣がついて、たしかに手相は少しずつ変わるのはわかった。


さらなる余談だけれど、私の手相は左右で別人のごとく全く違う。


特に右手の手相が一般的な手相とはずいぶんと違っていて、専門書やネットのサイトを見てもよくわからない線がいくつかある。


それも手伝って、本当のプロから一度は見てもらいたいと思っていた。


そしてできる限り、そのマニアックな手相を見てそれを読み解けるだけの知識を持っている人が良かった。


その方のブログはとにかくマニアックなものをあれこれ扱っていて、そんな人なら私のこの手相も読み解けるかもしれない…、そんな期待も大きくあって申し込んだ。


その手相鑑定の時の話を突然思い出したのがつい2、3日前の直近のブログを書いていた時だった。


1時間の鑑定だったと思うけれど、その中で言われたことの1つを突然思い出した。


「書くのがいいですよ〜。

書くことが開運に繋がって、そして書く才能にも恵まれている。

書く力を育てるといいです」


そんなようなことを言われた。


書く線については、そんなの一般的な本なんかでは絶対にわからないから、どの線が書く線なんですか?と質問した。


「この線です」と教えてもらった線は今でもはっきりと覚えている。


未だにその線を見ても、それがすなわち「書く(才能)線」というのはピンとこないし、他の手相家でもそんなこと唱えてる人を見たことがないけれども、とにかく当時はとても印象に残ってわざわざ聞いた。


そのことを突如思い出して、それで私は当時手相家の人が鑑定の最後に書いてくれたメモ書きを探した。


いつもなら自分のメモも見つかりそうなものの、手相鑑定のことは今のところどこにも書いていなかったようで見つかっていない。


鑑定メモはわりかしすぐに出てきて、箇条書きにされた項目を見た。


書くことも書かれていたけれども、それ以上に驚いたものがあった。


【ブログを書くのはオススメです】


手相家の方が意図したブログを書くことは、商売に繋がることやお金を稼ぐことだったと思う。


具体的な書く手段の名前も教えられて、私は律儀にその後その手段を調べたり無料のメルマガを登録して読んだりはたまた本を探したりなんかもした。


だからブログのことは全く記憶にも残っていなければ、当時すでにブログをやり始めていたから、もしかしたらそのままスルーしたのかもしれない。


およそ8年ぶりにメモを見たわけだけど、ブログを書くことを勧められていたとは心底驚いた。




*




上のところまで書いた後、皆既月食があってかつてないほどのブログへの訪問数を打ち出したのを見てオンタイムのブログを書いて、さらには職場で退職者が出てその人とやりとりしたことからの回想ブログを書いて、そうこうしているうちに上のことが後回しになってしまった。


改めて手相鑑定の話の続きをしたい。


【ブログを書くのはオススメです】


手相鑑定の時に私の手の線から伝えられたこのメッセージは、まさかそれが本当にすごい意味と現実を未来に創り出すなんて想像することさえなかった。

(ここまでが6月1日に書いたもの。

ここから下が7月8日以降に書いたもの。)


そもそもそんなことを言われたことさえ今回メモを見るまで忘れていたわけで、改めて見て「書く」は書くでも、仕事としての書くではなくて「ブログを書く」の方だったというのは当時も今も全く頭の中になかった。


そして、「ブログを書く」ことが開運になると言われたことはもっと忘れていた。


当時からブログはすでに書いていたから、新しく作り出す習慣ではなかった。


だから記憶にさえ残らなかったのかもしれない。


そして手相家の人がやたらとお金を生み出す書く手段ばかりを強調していたこともあって、ブログを書くのはその延長線的な感覚で私も捉えて終わったのかもしれない。


ブログはあくまでも仕事の宣伝に使うもの、そんな風に捉えたのかもわからない。


いずれにしても、ブログを書くことの意味や意義を改めて考えることは一切なかった。


そんな折に今回思い出してメモを見たら「ブログを書くこと=開運」的なことが書いてある。


開運なんてもんじゃなかった。


運が開くというよりも、ブログこそが大切な人と繋がるための手段で、さらには命の確認ツールになった。


ブログがそんな手段になってくれるだなんて、まさに夢のような世界だった。


たしかに書くことは苦じゃないし、考えなくても言葉がポンポンと思い浮かぶから、私はそれをただひたすら打ち込んでいけばいいだけのことだけれど、そういうハードルが全く高くない簡単行為でまさかのミラクルが起こるなんて、人生本当にどこで何が起こるかわからない。


こんなこと言ったら本当に相手の人たちに心苦しさを覚えるけれど、私は自分が書いたものを読んで元気が出たとか救われたとか、本当にありがたいぐらいの素晴らしい感想を何人かからいただいたことよりも、何の感想も聞こえないし届かないし何なら実は嫌がられてるかもしれないけれども、それでもイケメン上司がこのブログにひっそりと黙ってアクセスしてくれることの方がうんと嬉しい。


自分のこのおめでたすぎる反応も常々どうかとは思っているけれども、それが紛れもない私の本音になる。


今日もどこかで生きてるんだなとわかるし、それは繋がらなくてもそれを知るだけでホッとする自分がいる。


そもそも何で私は自分がブログを始めたいと思ったのか、その大元の理由は自分でもわからないけれども、もし時間が本当に過去から未来ではなく、未来から過去に流れてるとするなら、未来の今、魂繋がりの人と再度繋がるためにブログが必要になるからやりましょう、本人はどうせ聞き流すにしても手相鑑定で手相家の人からブログ書きを後押ししてもらいましょう、なんなら機械音痴の人間が機械操作が不慣れで登録するのに匙を投げる可能性もあるから、あの仲良しのリーダーからブログの初期設定を直接教えてもらうことができるように場をセッティングしましょう…、とかいう風に未来の現実に繋がるために未来から過去に向けていくつものお助けグッズやお助けマンたちが私の人生に登場してくれるようになってたのかな…なんて思ったりもする。


ブログは私の未来を創るのに絶対的に必要なマストアイテムで、気付けばこれほどまでにマスターできたネット系アイテムも他にない。


ネットカフェに行くお金すら捻出が難しいとなった時にiPhoneから直接投稿できるように、どんだけ長い文章を書くのにも全てiPhoneから書く習慣付けだって、珍しく投げ出さずにやった。


今じゃ本当にスラスラと何の苦もなく打っている。


しかも、例えば「お」なら「あ」を5回連打して「お」を出すガラケー方式ではなく、スマホで「あ」に指を置いて下方向にワイプすると「お」が出てきてその後も最低限のタップだけで文章を作るスマホ方式も会得した。


何の特技にもならないけれども、何人かから「ぶっしー打つの速いね!」とビックリされたことがある。


そんなことはさておき、そういうことさえも、ブログ=イケメン上司と繋がれるかもしれない、という図式が私の中に無ければやらなかったと断言できる。


しかも今となっては、今度はネットカフェに行くお金はあっても、休みの日は基本的に家でゴロゴロしていたい私にとって、出かけるのが面倒すぎて、こうして今も布団の上でゴロゴロぬくぬくしながら書くことのこのお手軽さが本当にありがたい。


開運という意味では、無理せずにダラダラしていても続けられる、それくらいのハードルの低いものが私にとっては一番の開運の条件だったのかもしれないなと思う。


そういう中でやれることだったからこそ、こんなにも長く飽きずにやれたと思うし、途中からはイケメン上司がアクセスしているとわかってさらにモチベーションが大幅にアップして書けている。


話がだいぶ脇道に逸れるけれども、派遣の仕事の契約更新の話がつい2日前に来た。


このご時世ありがたいことではあるんだろうけれども、私は今回は、更新はお願いします、ただ1つ会社の方に問い合わせて欲しいことを派遣会社の担当の所長さんに頼んだ。


5月からずっと、そしてこの後も秋まで確実にすごい責任の重たい仕事が続く。


会社の超重要資料の土台をまさか派遣の私が英訳してるなんて、それも8割9割のものを私が現状担当しているわけで、それもカツカツ納期、ありえないぐらいの酷い惨状のものを新しく生まれ変わらせるくらいのテコ入れも含めてしていて、本来なら正社員とか重役たちの仕事なわけで、そんなのをまさか派遣の私がやってるなんて、会社は全く把握してないと思ったから、その現状を会社側に通達して欲しいとお願いした。


業務を減らせとか賃金上げろとかそういうことを言っているのではなくて、本当にそのありえない状況を会社がどう把握してそれをどのように配慮するなり何なりするのか、いやしないだろうけれども、とにかくこれまでと同じ条件で雇うこと、そこに何の疑問も抱かれないこと自体がおかしな話なわけで、それを言わないと会社はこのまま雇えばいいと短絡的に事務的にしか対応しないだろうから、それでそのことを申し入れして欲しいとお願いした。


それは快く聞いてもらえたけれども、所長さんも少し困惑していたのはわかった。


前置きが長くなったけれども、それでもしお金がアップするとなっても私は自分の中で「やったー!」なんて気持ちはビックリするくらい湧かなくて、むしろ「何があったら自分は満たされるんだろう?」と逆に疑問に思った。


ふといつかの死ぬ時を想像した。


当たり前だけど、お金は持っていけない。


じゃあ死ぬ時持っていけるものは?と言えば、作家の吉本ばななさんのどこかのエッセイにあった通り、「思い出」だと思う。


現実的な仕事の内容の考え事なのに、その時に真っ先にどういうわけか上がったのがこのブログで、「そういえばブログを通してイケメン上司と繋がれたなぁ」とか思う(回想する)のかな、死ぬ時に…、と私は考えた。


ブログとは言わずに本当に普通におしゃべりする仲になれたら良かったな〜と今でも思うくらい、そういう想いさえも思い出ボックスには蓄積されていって、死ぬ時は何が残るかはわからないけれども、そういう気持ちとか何か自分が時間や想いを懸けて託したものとか、そういうのが最後は残りそうだなぁ…と思った。


だからわかりやすく「給料アップ」となったとしても、そういうものこそ絶対にお金では買えないし、お金はあるレベルや範囲では万能でも、それだけではどうにもならないことの方が案外と人生には多いんじゃないのかなと思う。


例えば私が1億円をポンと出せる財力があったとして、仮にイケメン上司に「あなたに1億円を渡すから私に連絡して!」と言っても、それで連絡をしてくれるのとは違うし、もしそれが本当に現実に起こってもそれで連絡をしてもらえた自分は本当に嬉しいのかと考えると、虚しいとか素直に喜べないとか、まぁまた有る事無い事色々ネガティブな感じに捉えるかもわからない。


とにかく、自分の欲しいものに焦点を当てると、お金ではないことがわかる。


さらに言うと、イケメン上司から冥土の土産的な、思い出の1つになる何かをさらに追加で欲しい。


私の欲しいものってそういうものなんだな…と改めて再認識した。


「ブログを書くこと」を薦めてくれた手相家の方のアドバイスももはや想像さえしていない現実に私が着地しているけれども、本当の本当にブログを書くことはミクロンの確率の奇跡を現実に起こしてくれた。

(そして、仕事でずっと読み方のわからなかった「μ」の単位が「ミクロン」って、ミクロンの変換を見て今初めて知った( ̄∀ ̄;)!)


本当に私の世界が広がったし、開運の言葉以上のものを私にもたらした。


嬉しいなと思うのは、私の手のひらに刻まれた1つの線、それも少なくともその線は大人になってから出現したもので、その線は書く力だと教えてもらえたこと、そしてそれは単に持って終わりじゃなくて多少の自分の行動力や継続力的なものを積み重ねないと発芽しないもので、それを自分が自ら行ったことで実を結びつつあること、そういうのが嬉しい。


そしてそれはイケメン上司が存在に気付いてくれないことには完成しないもので、沈黙を保ったままでも存在に気付いてもらえたことはとにかくめちゃくちゃ嬉しかった。


イケメン上司が初めて私のブログを見た時はどんな気持ちだったんだろう…。


本人もまさかの展開だったと思う。


インターネット上に私がブログを本名のままアップしていることもまさかだっただろうし、そしてその中に自分が登場しているわけだから、そんなこと想像さえできなかったと思う。


色んな意味で未知数なことがこのブログを通じて起こっているわけで、私からしても「まさか」だったけれども、イケメン上司からしても「まさか」の連続だったんじゃないのかなと思う。


私がiPhoneでブログを書くことに慣れたように、イケメン上司もこのブログを見ることにすっかり慣れただろうけれど、最初の一歩の時は慣れなんてないから、さぞかしびっくらポン!だったと思う。


真面目に想像すると、本当にどんな風だったんだろうと思う。


冥土の土産の希望リストなるものがあるなら、その1つに

「イケメン上司が最初にブログを発見した時の状況や感想の聞き取り」

とか入れたい。


仕事のことは全くテンションが上がらないけれども、冥土の土産の希望リストを作るのはテンション上がるし楽しい(笑)。


将来独居老人になっても、なんか1人であれこれ楽しめそうな予感。


話が逸れまくりになったけれども、とにかく8年前に受けた手相鑑定が本当に手相の通りの運を発揮して、さらには特大奇跡をもたらしてくれた、というのが今回一番書きたかったこと。


そして、本当に手相家さんのオススメ通り、ブログを書き続けたのならそれが私にとって一番欲しい現実、どんな形でもいいからイケメン上司と繋がること、それを叶えてくれたこのことに超興奮している。

2021年7月7日水曜日

お守りの近況

2021/5/15
土栽培から水栽培に切り替えて
1ヶ月くらいした頃
12年目の観葉植物が
死にかけてたところ、復活!!!
水栽培開始した時は、かろうじて4枚だった。
それが枯れずに持ち堪えただけじゃなく
新しい葉をつけた‎!

2021/07/07
葉っぱは倍以上に増えた!
これは物との対話による賜物



今回はショート記事なんかを。(心の予定)

時々アクセスされる記事がある。


いくつかバージョンがあるから、ランダムにそれらをピンポイントで選んで読むなんてほぼ不可能に近いから、それはどう考えてもイケメン上司がチェックしてくれてるのだろうと思う。


何の記事かというと、この世に1つしかないお守りについて。


一時期私は東京に住む妹に教えられて、あるお守りを自分も買った。


妹とその友達もまた聞き状態で、2人の共通の友達のお姉さんがそのお守りを家に置くようになってから、家庭不和が一気に仲良し家族へと変貌を遂げ、怪我や入院が絶えなかった子どもが元気になり、その共通の友達の彼氏がお姉さん宅に行ったら、まるで別宅のように雰囲気がガラリと変わって驚いた、という色んな最強エピソードを持つそんなお守りを妹が聞いて、それで新潟に帰省した時に買いに行ったのが最初だった。


それを聞いたもう1人の妹と私も半信半疑でその健康食品の店に行って、そこでそれぞれ自分の分を1個買った。


私の場合は、自分の健康やその他の運気などは全く変化がわからなかったけれども、ある時しおれた花のすぐ下に一晩置いたら(当時はとりあえず適当にその辺に置いてた)、翌日その花がまるで今買ってきたばかりと言わんばかりに元気になって、それでそのお守りの効力を一気に感じた。


その後数人にプレゼントして、さらにはその先の人々から買ってきて欲しいとおつかいを頼まれて、最終的に40個弱を購入した。(お代はもちろんもらった)


で、そのすごいお守りの製作者の方が製作中止を決めたと聞いて、もうそれ以上手に入らないと知った私は、全く会える見込みもないイケメン上司用に買いに行った。


というそのお守りの話。


あれから軽く3年は経過した。


そのお守りは持ち主のところに行って初めて効能を発揮するということで、これはもう何百回もペンジュラムを使って聞いているけれども、とりあえずイケメン上司用のお守りは今もまだ効能発動とはなってないらしい。


ただし、このお守りとペンジュラムを通して対話したところ、お守りは保管のされ方に若干というかかなりこだわりを持っていて、基本的には私が自分の分とセットで日々持ち歩いているし、当然寝る時も枕元に他の諸々の天然石やらペンジュラムやらと同じところに置かれている。


あくまでも仰せの通りにやっているだけで、私は当初からそれはいつかくすんだり経年劣化というか新品の輝きを失うのが嫌で積極的にそうしたいのとは違ったけれども、お守りはそのように希望するから、とりあえずそのままにした。


なんだったら最初は本当に気遣って、ハンカチを自分の手に持ってハンカチ越しにそのお守りを触っていたけれども、それもやめてくれとのことで、普通に素手で触っている。


それも触る前に手洗いなんていちいちしないから、決してピカピカの手ではない手で触っている( ̄∀ ̄;)。


で、そんな風に3年くらいすると、当然もう新品の輝きなどなく、自分のものよりは綺麗ではあるけれども、なかなかの使い込んだ感が漂っている。


相変わらず、お守りは私のものではないと言い張るし、特段何も変わったことはない。


このお守りが持ち主の元に旅立つなどもはや想像も難しく、なのに私のものではないとペンジュラムは何百回と聞いても同じ答えしか言わない。


こんなこと書いていたら気になって、久しぶりにまたお守りに聞いてみた。


もしかしたら違う管理のされ方とかを希望しているかもしれないと思って、それでまたペンジュラムを使って聞いてみた。


物の声を聴くなんて、それもヒモに付いた天然石を使って聴くなんて、全くもっておかしなものに見えるかもしれないけれど、一度それをやってからは私は日常のあらゆる場面でそれをしている。


余談だけど、今年の春先に12年目に突入した観葉植物がとうとう力尽きて全滅しそうになっていたところ、最後の賭けで土栽培から水栽培に切り替えて、もちろんそれもペンジュラムを使って植物に直接聞いてそれをしても大丈夫かどうか確認して「大丈夫」と返ってきて、ダメ元で水栽培にしたら、なんと今は当時の倍以上に葉っぱが増えて見事に復活した。


そうだった、物の声を聴くというペンジュラムの新しい力を引き出してくれたのも、このイケメン上司のお守りがキッカケだった。


冗談抜きでそういう役割の人なんだと思う。


本人が何するとかいうことじゃなくて、存在そのものが見知らぬところで私のそのマニアックな能力を引き上げることをしてくれてる。


そういうところがいかにも魂関連な感じがする(笑)。


魂のテーマに沿った繋がりの人みたいな。


話が逸れたけれど、とにかく久しぶりにペンジュラムを使ってお守りに聞いたら、これまで通りを希望していた。


いくつか質問をして、同じ内容だとしても質問を変えて聞いても、答えはいつの時も一緒だった。


例えば「これまで通りに素手で触って大丈夫?」と「素手は止めて布を通して触った方が良い?」と、まぁそんな風にして色々聞いた。


何をどう聞いても同じ答えがどれもこれも返ってきた。


っていうかそんなに日常に溶けまくり、なんなら第三者からしたらまるで私個人の私物のようになったお守りなんか、本当に渡せたとして相手が喜ぶんだろうか…。


ついでに言うと、この間イケメン上司がいた職場で一緒だったSさんと会った時に、Sさんにプレゼントしたお守りをSさんが自分のカバンの中のお母さん手作りのポーチからそっと出してきて見せてくれた。


いつの時も基本的に持ち歩いているとSさんは今回も教えてくれた。


その時に「ブシ俣さんが言うみたいに私のも天然石の石の色が変わってるんですかね?見ても全然わからないんですけど」と言われた。


ちなみにSさんのものは管理の仕方が本当に丁寧なおかげなんだと思うけれども、新品のように綺麗だった!


持ち主の性格がそのまんま出てるな…と思ったけれども…( ̄∀ ̄;)。


Sさんのは何も姿というか天然石の色が変わらないらしい。


片や私のものは、ものすごく変化したのと、っていうか天然石って色変わんの!?えーーー!!!と驚いたのは最初で、その後もずっと今も変化を遂げているからそういうこともあるんだと思って見ているけれども、なぜかそうなっている。


そしてイケメン上司用に買ったものも最初は何も変わらない風だったけれども、ある時から色が変化した。


そして少しずつ表情が変わってきている。


本来の力を発動していないにも関わらず(←これももちろんペンジュラムを通して質問した)、天然石の色は徐々に変化するという何とも不思議なことが起こっている。


というか、自分のもイケメン上司用に用意したものもどちらも変化するからそれに慣れてしまったけれども、Sさんに変わらないことを言われて「そうだ、それって当たり前じゃないのかも…」と思った。


とにかくそんな風に変化もすれば扱い方のガサツさが災いして、なかなかの使い込んだ感が漂っているものの、相変わらず元気なお守りになっている。


さらに今回も究極の質問をした。


「本当に持ち主の元に行く?」


この質問の時のペンジュラムは、本当に凄い反応を示した。


YESはYESの反応だったけれども、これまた頭のおかしな人みたいな話だけれども、ペンジュラムがくるくると回る時に確実にペンジュラムが重たくなった。


これも何なのか相変わらずわからないけれども、重大な内容というかかなり重要度が高いものというか、そういう類いの質問になると途端にペンジュラムが重たくなる。


そんなのもちろん私の主観でしかないけれども、何がどうしたらそんなことになるのか、確実に重たさを感じるのと重さに合わせてペンジュラムがYESでもNOでも重たくなった分の重い動き方をする。


ペンジュラムを疑うことはしてないけれども、その様子を見て私は大真面目に「お守りに足でも生えるんだろうか?」と思った。


だって、お守りが渡るというのは、本人が連絡してくる以外に普通に考えてありえないわけで、じゃあ肝心の本人が連絡してくるのかと言えばそれはもっとありえないわけで、なんか「ありえない」としか私には思えなかった。


人が行動する理由は、2つあるうちの基本はどちらかだと思う。


そうしたいからする。


もしくはそれをしないと困るからする。


イケメン上司の場合は、そのどちらでもないから今のようになっていると思うし、そうなるとお守りを手渡すなんて、私からすると天然石の石の色が変わることはあってもイケメン上司から連絡が来るなんて想像さえできない。


どちらにしても、イケメン上司が連絡するなんて……、とあれだけ切望していた割に、いざ本当にその状況を想像すると「ありえない」と頭では思ってしまう。


そんなことが本当に起こったら、真面目に真夏に雪が降りそう。


失礼な言い方になってないといいけれど、要はそのくらいありえないことだというのは、すなわちそのくらいの奇跡を全部かき集めるくらいの勇気をイケメン上司は奮い立たせないといけないわけで、そうしてもらえたらとても嬉しいけれども、そんなところにそんなにエネルギーを使うほどの何かを私が差し出せるのかと言われると、「……」と何も答えられなくなるから、本当にいつか気が向いて手に取ってみたくなったり持ってみたくなったのなら、いつでも連絡ください、直ちにお渡しします、というのが私にできる最大のことだと思う。




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全く関係ない話だけれど、先週の金曜日の終業後にあったこと。


その日立て続けに緊急の英訳依頼が入ってきて、その中の1つが珍しく完成度の高い資料がやってきた。


それは相当に素晴らしい完成度だったらしく、私の添削をしてくれたMr.ダンディが依頼部署の長にわざわざ電話して誰が作ったのかを確認した。


今社内でMr.ダンディに物申せる人など誰もいないんじゃないかというくらいに上の人で、そんなことのための確認とは知らずに電話をもらった部署の長は電話の相手が誰かとわかった瞬間、さぞかし具合が悪くなったんじゃないかと思う(笑)。


ちなみにMr.ダンディは「佐藤(部長の名前)がこんなに良い資料が作れるとは思えん(笑)」と言っていて、それで余計と誰が作ったのか気になったようだった。


私からしてそんなのは誰でも良かったけれども(←興味の対象外)、Mr.ダンディは確認した後、仕事終わりのチャイムが鳴ってしばらくすると私のところにやってきた。


私はその週初めての定時上がりで超テンション上げ上げで、もはやそのことはどうでも良かったけれども、Mr.ダンディはわざわざ私にそれが誰だったかの報告に来てくれた。


「あれ、誰が作ったかわかったよ!

あの部署にいる◯◯くんだったよ。

私も過去に彼と一緒に仕事をしたことがあって、若い頃から元気が良くてよく動いていたんだけれども、聞いたら課長になったって聞いてさ。いやーできる子だから、想像がつくよ」


私は最初はふんふんと適当に聞いていたけれども、名前を聞いた瞬間「えっ(」°ロ°)」!!」ってなった。


Mr.ダンディが口にした仕事ができる男の苗字は、イケメン上司と同じだった。


いまいち何人いるのかわからないけれども、今の社内の中は1000人近くいるんじゃないかと思う。


内線番号表なるものがあって、ごくたまに見るけれども、その中でたしか1人しか見たことがない、同じ苗字の人。


だけど部署名見たところでその部署がどこにあるかもわからなければ、なんならその中の誰かと会うなんてまずないから、架空の人物に近かった。


まさかのところで名前を聞くことになるなんてゆめゆめ思わなかった。


相変わらずすごいタイミングや間合いでイケメン上司の名前は出てくる。


毎回絶妙すぎる。


週末に入る前に、1週間がんばったねのご褒美をもらったみたいで嬉しかった。

(冗談抜きでスーパー激務な業務を何週にも渡ってやっている、そしてまだまだしばらく、少なくとも8月の契約まで確実に続くし、9月以降も多分更新になって←私のやってることをやれる人がいないに等しいから、その後もしばらく続く予定)


そんな風に疲れたなぁとかエネルギー枯渇してるな…という時に、不意にやってくる。


実際の本人からは何の相手にもされてなくても、こんなことで喜べるんだから、私という人はどれだけしあわせ上手なんだろう(笑)。


こういう不測のブログネタが時々あるから、もう少しだけイケメン上司テーマが続く予定。