2018年10月19日金曜日

振り返りノート#つぶやき6

振り返りノートの途中、話が脱線しそうだったから、つぶやきに切り替えることに。

その人は仕事の時は役職名で呼ばれていたけれど、そうでない時は、事務さんたちから下の名前にちゃんを付けて呼ばれていた。

それの裏話でもないけれど、私的に困ったことがその夏あったことを思い出した。

実はその人のそのあだ名的な呼ばれ方は、男友達を呼ぶ時の呼び方と全く一緒だった。

10年近く友達のその彼とは、途中絶縁のような状態になった。

5月の結婚式の時に3年か4年ぶりぐらいに再会した。

最後は非常に気まずい感じでバラバラになったから、それ以来の再会で、ある意味自動的に舞い込んできた仲直りのチャンスだった。

その時に多少話はして、8月の結婚式で会った時は2人で式の前日にガッツリ話すぐらいまた気持ちの良いコミュニケーションが取れるように戻れたのは良かったけれど、良くないのはその呼び方だった。

実は出会った当初、他の人たちが呼ぶ呼び方は、私が苦手とする人と同じ呼び方で、それだけは絶対に避けたかった。

本人にもそれは言った。

私の女友達2人はその人を苗字に君付けで呼んでいたけれど、私からして君付けは変だった。

同い年で誕生日が4日しか違わないのに、君は変だった。

しかも私からして、その友達は君で呼ばれるようなキャラじゃなかった。

そこで本人とも相談して呼び方を下の名前の最初の2文字にちゃんを付ける呼び方にした。

そんな呼び方他の誰もしていなかったけれど、私の中では一番呼びやすくて良かった。

そんないきさつのあるあだ名が、まさかその人の職場内の親しい呼び方と全く一緒だなんて、当然そこに行くまで知る由もなかった。

8月の結婚式の時に会った際、私はもうその呼び方で男友達を呼ぶのが嫌だった。

目の前に男友達がいるのに、その呼び方を仮にしてしまうと、今度はその人の姿が思い浮かぶような感じで、その人のことはそうは呼べない関係だし、じゃあだからと言って付き合いの長い男友達をそう呼べるかと言うとそれもできない。

呼び方1つにすごく頭を悩ませた。

そこで私がしたのは、男友達の呼び方を変えることだった。

男友達の苗字にさん付けで呼ぶことにした。

幸いにして、周りの友達も時々そうやって呼んでいたから、大きな違和感はなかった。

私としても時々冗談でそう呼んでいたから、全くの真新しい呼び方ではなかった。

本人から突っ込まれたら事情を説明しようと思ってはいたけれど、何も言われなかったから私もそのままを通した。

元々細かいことによく気付く人だし、気付いてないとも思わなかったけれど、何も言われないことをいいことに、説明もせずしれっと呼び方を変えた。

そうして、とりあえず呼び方変更は事無きを得た。

LINE上でもそうやって苗字にさん付けで呼ぶことを始めたから、そうやって私の中のモヤモヤを解決したんだった。

ということをさっき振り返りノートを書いていて思い出した。

ちなみに、事務さんたちがそうやってその人を愛称で呼べるのが羨ましかった。

あだ名と言うより「愛称」という感じが私にはした。

だから余計とそうやって呼べる関係が羨ましくて仕方なかった。

私はと言うと、その会社が役職名で呼ぶことには気付いていたけれど、その人のことだけは絶対に役職名で呼びたくなかった。

私にとっては役職の〇〇さんではなかった。

役職が付く前に1人の人だったから、そしてその人の立場もわかっていたけれどもそういう風にその人のことは見てなくて、本当に純粋に1人の人として見ていたから、呼び方だけはこだわり続けた。

一度だけそうやって呼んだ方がいいのかな?と思った時があって呼んでみたけれど、私の方で「なんかイヤ」という理由でやめて、その1回以外は〇〇さんの呼び方で最後まで通した。

本人が呼び方について何か思っていたのかどうかは全然知らないけれど、そんなこと思わなさそうだけど「役職名で呼ばなくて失礼な人だな」とか思われてた可能性だってゼロとは言い切れないけれど、それでも私は苗字にさん付けで呼びたかったからそうした。

なんならずっと日記帳の中でも、今でも〇〇さんと書いている。

私の中では愛称並みに愛着のある呼び方になっている。

その後後輩くんがその人の役職を引き継いだ時はそんなこだわりはないから、後輩くんのことは普通に役職名で呼んでいた。

ちなみに妄想劇の中で、もし付き合うことになったら何と呼ぶのかを想像したことがあった。

男友達の絡みもあったから、私の中で1つ出ていたものは、事務さんたちが呼ぶ呼び方はできれば遠慮したい、そのことだけがはっきりと出てきた。

それ以外なら何でもいいなぁと考えたりもした。

こうやって言葉にすると、私の妄想劇は、良く言えば常におめでたい感じになっているし、悪く言うと単なる痛い人になっている(汗)。

もう1つ、私は呼び方で気になっていたことがあった。

その人は事務さんたちを下の名前にさんを付けて呼んでいた。

もうそれが猛烈に羨ましすぎて、私は密かに「史子さん」って呼ばれる日が来ないだろうか…なんて考えたこともあった(←気まずくなる前の話)。

私男の人から「史子さん」って呼ばれたことないから、もうそれはそれは斬新だし、そんな呼ばれ方された日には人生で一度も出したことのない鼻血が出るかも!というぐらいに興奮しそうな自分の姿が思い浮かんだ。

あの素敵な声で史子さんなんて呼ばれたら…と本当に楽しい妄想をしていた時もあった。

もっともその人から呼ばれたのは1回だけだった。

「武士俣さん」でも良かったから、もっともっと呼ばれたいなぁとはよく思っていた。

ちなみにそのたった1回の武士俣さんの時は、名前をきちんと覚えてもらえてたことが何よりも嬉しくて、それだけで私は心の中で大喜びしていた。

名前って不思議だなぁと感じる。

その人の苗字で言えば、けっこうな数でその苗字の人はいるけれど、その人を呼ぶ時は(リアル・心の中問わず)その響きは特別なものになる。

反対に「武士俣さん」とその人から呼ばれた時も、その武士俣さんは特別だった。

っていうか、苗字は佐藤でも鈴木でももはや何でもいい気がする。

その人を呼ぶこと、その人から呼ばれること、それが特別なんだと思う。

振り返りノート#つぶやき5

覚悟している自分を感じる。

今回振り返りノートをここまで徹底して書いたのは、その人に伝えたいということ、そしてこんな風に伝えることができるのはこれが多分ラストチャンスだろうなぁというのがあったから。

仕事のことまで細々と書いた理由は、その人の目に触れるとしたら伝えたいこと、それをいつも念頭においていたから。

その人が読んでくれる前提で書いた。

特に仕事での評価は伝わるように書こうと心掛けた。

ギリギリオブラートに包める範囲で書けるところまで書いた。

自分の評価って、しかも公にじゃなくて裏でこっそり言われてることは、本人の耳に入ることはほとんどない。

良い評判なのに本人の耳に入らないのは、私個人的には残念だなぁと思っていて、そういうことは言えるチャンスがある時は私はかなり積極的に言う。

そういうのって思ってるだけじゃ伝わらないし、伝えられた方も嬉しいものだったりする。

だから、そういう話も含めて今回はかなり細かく書こうと決めてた。

今回最後だと思う理由がある。

書いてすぐに私の気持ちが変わるなんていう風には思っていない。

けれど、書くことに対してのモチベーション又は抵抗は、時間の経過と共に変わる。

自分で想像した時に、1年後である今はまだ書ける。

しかも当時を相当リアルに感じながら書ける。

だけど例えば来年、2年後に同じように書けるか?って言ったら、もう書けない。

その時の私の気持ちはわからないけれど、仮に今と変わらずにその人のことが忘れられなくても、今度は2年も経ったことを書くことに私自身がすごく抵抗を覚えると思う。

今ほどに明け透けには書けないだろうし、多分書いても1つか2つぐらいにコンパクトにまとめて、かなり端折って書くと思う。

2年後じゃなくても、今年の年末でもいい。

あと2ヶ月後に迫った年末の時に、私は今と同じぐらいの覚悟を持って書ける自分はどうしても想像できなかった。

その時は今以上に「1年以上前のことなのに…」、その後に続くのは、恥ずかしいとか、おかしいと思われたくないとか、いつまでもズルズルしててどうなのとか、そういう否定的な言葉が続くのは簡単に想像できる。

だから、書くとしたら今なんだということ。

そして、もうこんなに詳細に書くことは今後おそらくないから、これが最初で最後のチャンスだと思っている。

だから、返事こないことは最初から覚悟してるからいいにしても、その人にまつわる仕事の評価とかそういったものも含めて、それが金輪際永久に私の口から語られないのは嫌だなと思ったから、せめてそういうことを本人の耳に入れるところの努力までは私の方でしたい、そう思ったから今回書いた。

私側の風景も然りで、私の方ではどんなことが起こっていたのかを書きたい、伝えたいと思った。

私がいちいち大げさに言っていたんじゃなくて、言いたくもなるほどの色んなインパクトのあることが起こっていて、だから私はとてもビックリしながらも色んなものを見て感じていたことを知ってて欲しかった。

完全に自己満足だけど、それでもいいかなと書きながら何度となく思った。

書いたことで何か変化が生まれたらもちろん嬉しいけれども、そのために書いてるのとはちょっと違う。

伝えたいから、知ってて欲しいから、書く。

願いは意外とシンプルだった。



昨日(10/18)ある人と話してて、はっとなったことがあった。

世の中には色んなハウツーや処世術、方法論なんかが出回っている。

そういうのはある程度みんな一定の枠の中で語られる。

だから、言う人が変わっても内容はそんなに変わらない。

でも、個人の人が自分の内側にあるストーリーを語る時は、それはその人にしか語ることができないものになっている。

完全に個人のオリジナルだし、その人にしか見えない世界になっている。

私が見ている世界は私にしか見えない。

私の世界に映ったその人の姿は、私の口からしか語ることができない。

それが腑に落ちた時、私は自分が今していることにとても自信が持てた。

世間的にはどうなのかとか、内容はそんなこと話していいのかとか、まぁ言い出したらキリがない。

だけど、私が自分の目で自分の心で見ているもの、自分の心の中に広がっている風景、それだけは言葉にして伝えたい。

そしてそれができるのは、この世で私しかいない。

私が他の誰かに代わって、その人の心とかその人の心の風景を見て感じて言葉にできないように、私の中のものもそれは私にしかできない。

唯一、私だけが与えられている特権で、私にしかできないこと、そして私だからできること。

そういう意味でも、この連投中の振り返りノートは私にしか書けない。

だから私は、残りの部分についても、自分が書きたいことを書きたいように書いていこう、そう思っている。

伝えたいこと、伝えたいに至るまでの気持ち、伝えるための道具、想いを伝える世界、色んなものたちが全部揃って今のところにたどり着いている。

その人との出逢いから始まったすべてのことは一期一会だった。

私はその一期一会を言葉にする。

伝えたい気持ちと伝わることをイメージして。

残りの振り返りノートで私は自分が何を選んで何を書くかは今はまだわからない。

大きな枠組みだけ頭の中にあって、でも書く時はいつもその時に思い浮かんだものを書いている。

もしくは目に止まった過去のメモとか日記帳の中の言葉を拾ってきている。

とにかく余すことなく、伝えたいものを伝え続けよう、それだけは決めている。

そして恥ずかしいとか変かも…というような気持ちは一旦脇に置いて、自分に対してどこまでも素直になって言葉を紡ぎたい、そう思っている。

振り返りノート>その人を感じる風景

>>>いなくなった後

その人がいなくなって最初の週末が明けた月曜日の朝、私はとっさに「この貼り紙も変わる」と思って、車から出るなり貼り紙を写真に撮った(始業3分前)。

私が初めてその職場に足を踏み入れた時に見た貼り紙と一緒だった。

その日から書類上も全部名前が変わった。

私の読みは大正解で、そこも替えなきゃだったね!という声が出て、帰る頃には全てが新しいものに変わった。

目に入る範疇のものは、その人ではない名前が刻まれ、その人が本当にいないことを証明されてるみたいで悲しかった。

ちなみに私が「もっと見ておくべきだった!」となったのは、廊下に貼られていた書類で、私はそんなところ一切見たことがなかったけれど、それが入れ替わって後輩くんの直筆の名前を見た時に、「うっそー⁉︎こんなところに直筆があったなんて!気付かなかった(涙)」となった。

私が見たかったものの1つにその人の書いた文字を見てみたかった。

ほんの少しだけ、苗字を書いたのは見たことがあったけれど、せめてフルネームとか、もう少し文章までいかなくても箇条書き程度でもいいから見たかった。

あぁ見逃して悔しいーーーー‼︎‼︎となっていた。



当時残した携帯メモは、新しいiPhoneに自動的に引き継がれた。

自ら電話帳だけはデータ移行をしたけれど、それ以外は移行しなかった。

アプリとかネット上の記事のブックマークなんかは全てリセットされたけれど、メモだけはきちんと新しい方にも移された。

さっき読んでみて、それらが今の私に必要だったとわかった。



>>携帯メモより

○○○○サインのファイルに行き当たる
○○さんとPPPの人とのやり取りメール発見。○○さんの言葉遣いを初めて見る。

Sさんが下に来てくれる。○○さんは偉そうじゃなかった、昼休みその隣りの部屋で漫画読んでたんだよ、見つかってやめちゃったけど。という情報を教えてもらう。一番偉いんだから堂々としてたら良かったのに…の話から前の長は偉そうなところがあって、○○さんはそれが微塵もなかったという話になった。

ファイルの中から○○さんとPPPの人とのやり取りのメールのコピーが出てきた。
サインもメールも数十冊の中からそれぞれ1冊だけ。
メールの受信日時、ピンクのマーカー部分は、2016年6月9日 13:11
一年後の同じ日に○○さんと出逢う。
そして誕生日の数字。

悪いと思いつつ住所を見た。
新潟町…私も住んだ町と同じ名前
番地…1ー2ー3 前と後ろが一緒
号室…中学の時のクラスと同じ

2017/10/04のシンクロ

>>ここまでメモ
(個人情報部分は一部変更)



当時の用事を忘れたけれど、私はその人がいなくなった翌週から倉庫のファイル探しかそんな類いの何かを頼まれて、倉庫に行ってた。

カオスなその場所は、探し物が一発で見つかれば超ラッキーだけど、大概あれこれ動かしてようやくそのお目当ての1冊を見つけるみたいなのが毎度のことだった。

その時も適当なかごをイスにして、次から次へと探していくことになった。

そんな時、どうして私はそのファイルに行き着けたのかは知らない。

わざわざ中身を見る必要なんてなかったわけだから、私が何でそんなところまで見たのかは覚えていない。

ファイルから紙が飛び出していたのか、間違えて中身がひっくり返ったのか、ごちゃごちゃしていてファイルがいびつな形で直そうと思ったのか、どうしてその行為に至ったのかは覚えていない。

開いたら、その人の直筆のサインが入っていた書類が挟まってた。

地団駄踏みそうなぐらいに廊下の貼り紙のサイン=その人のフルネームの直筆サインを見落として悔しく思っていたから、余計とそのサインを見つけた時の喜びは大きかった。

こんな字を書くんだなぁと思って手を止めてしばらくじっと見ていた。

さらに同じファイルだったのか、別のファイルだったのか忘れたけれど、その人が外部の人とやり取りしたメールのコピーが挟まってた。

それ見て心臓が飛び出るぐらいにビックリした。

なぜか受信日時のところに蛍光ピンクでマーカーがしてあって、それが
2016年6月9日 13:11
だった。

最初、年を見落としていて日付しか見てなかったけれど、それが私がその人に初めて逢った日だった。

そして、13:11、最初の1はいらないけれど、3:11は私の誕生日だった。

きちんと見たら1年前とわかったけれど、何で1年前のその日の日付にマーカーがされていたのかは知らない。

何か意味があったんだとは思うけれど、傷心マックスみたいなその時にそれを見た私は、驚きと喜びとで涙が出そうになったか本当に出たかのどちらかだったと記憶している。

まるで1年後のその日は大切な日になりますよ、と言わんばかりにマークされてて、もちろんそんな意味はないんだけれども、あまりにも出来過ぎた偶然に最初は唖然呆然としたけれど、その後心が躍った。

偶然とは言え、本当に嬉しかった。

文章も読んだ。

中身は全然面白いものではなかったけれど、それでも私はその人が書いた部分は全部読み込んだ。

漢字の使い方・ひらがなの使い方がその人特有で、あぁこんな風に書くんだなぁ…と思って読んだ。

仕事の内容はわからない私ではあったけれど、その人の仕事の在り方はすごく良いのがわかった。

そういうのが伝わってくる文章だった。

短い文章の中は、必ず丁寧な挨拶で始まって丁寧な挨拶で終わる。

当たり前のことかもしれないけれど、その文章を見るとちょっと違うことがわかる。

数回やり取りしていた中で、言わなきゃいけないような内容のものがあった。

できれば平穏無事に進めたいものでも、そういう事情ではないんだろうなぁというのが伺える感じだった。

そういう時のその人の伝え方がすっごい上手だった。

相手側が結構な無茶ぶりを言い出している風で、調整が二転三転してる風だった。

そんな時にその人は、自分の会社側のできることをはっきりと提示しながら、でも絶対に相手を怒らせたり不快にさせることがないように言い方がとても配慮されていて、これなら相手にも伝わる!っていう感じの文章の書き方だった。

あと過去の事例かそんな類いのことにも触れて、今回も同じような配慮が必要かどうかもわざわざ聞いていた。

ビジネス文書だから、私が書く文みたいなごちゃごちゃ感は皆無で端的に用件をスパッと伝える感じだったけれど、そのスパッとした感じの中に大切なことを全部入れることができる、そういう文章を書く人だった。

だから、ありきたりな挨拶の言葉さえも、丁寧さが目立っていた。

単なる確認の時はそうではないけれど、わざわざ挟むぐらいの内容だから、けっこう際どいやり取りだったと思うけれど、そういう緊張感が伴うようなやり取りの時にこそその挨拶文が良い風になっていた。

しかも微妙に文が違うから、相手側がそんな細部まで気付くかどうかは別にして、1回1回きちんと書かれたものだというのがわかる。

余談だけれど、その人の評判が良いとその何ヶ月か後に聞いたのは、そのメールの送信主側の会社の人が言っていたことだった。

あのメールしか私は知らないけれど、あれなら間違いなく評判が良いのはわかる。

私の色メガネじゃなくて、本当にその人の普段からの仕事に対する姿勢とか在り方がその評判に繋がっていたんだと思う。

サインといいメールの文章といい、1人で超ツボにはまった私は、とりあえずその近くの数十冊のファイルを全部チェックしたんだと思う。

同じように何か挟まってるかもしれない!と思って。

でもそんなことはなくて、そのファイルだけだった。

そう、数十冊もある中で、私はたまたまそのメールでのやり取りの紙とサインの紙をいきなり見つけた。

ちなみにそれは後から知ったことだけれど、その人がその書類にサインするのは超レアで、普段はその人ではない人たちの名前が書いてある。

だから、そんな超がつくぐらいにレアなものに私はいきなり当たってた!

自分の変態具合を告白するのは勇気が要るけれども、私はその本人直筆のサインの紙をコピーして、サインの部分と日付の部分だけはさみで切り取って持ち帰った。

ノートに2つコピーしたサインがあっておかしいなと思ったら、私はきちんと注釈をつけてた。

1つはそのファイル整理で見つけた時。

もう1つはその前日の話で、挟んでおいて欲しいと頼まれた書類に本人直筆のサインがあって、それもこっそりコピーしてそして他の部分は破棄して、サイン部分だけ持ち帰ったからそれで2つだった。

その頼まれ事もその時が初めてで、その人がいなくなってから、私はそんな風にしてその人の足あとを見つける機会が増えた。



同じ日に、今度は別の書類の仕事をした時に、その人の住所は発見した。

その時の度肝を抜かれた感じと言ったらなかった。

私は今でもその住所をスラスラ言えるぐらいに一発で覚えた。

人の名前でさえ覚えられない人が、そして何通と手紙をやり取りしたことある友達の住所さえ毎回見なきゃ書けない人が、その人の住所は一発で覚えたんだから、それだけインパクトがあったということ。

しかもまさか、そのずっと後にその住所が意味あるものに変わるなんて、当時は想像さえつかなかった。

今の車が88888㎞になったその時、その人の住んでいた住所のごく近い場所に私はいた。

まさかあの時に見た住所がそんなところに繋がるなんて思ってもいなくて、当然だけど、そんなの狙ったわけでもなく、何をどうしたらそんな偶然を幾つも生み出せるのか不思議でならない。

とにかくその人にまつわる色んなことたちは、そうやってその人がいなくなってからも色んな場面で繋がっていた。

その辺りの携帯メモには、日々起こるシンクロをひたすら記録していたけれど、とにかくいなくなってからの最初の2週間ぐらいが凄かった。

それまで知ることのなかったその人にまつわるもの、書く文字だったり、書く文章だったり、住所だったりとそういうものが一気に来た。

その人の昼休みの過ごし方とか、偉そうじゃなかったエピソードとか、とにかく色々と話を耳にするようになった。

今回書くにあたって、当時のメモや手書きのメモなんかをあれこれ見た時に、かわいらしいエピソードが出てきた。

男の人に対してかわいいなんて言うのもおかしいかもだけど、私は聞いた時にかわいいなぁと思った。

いなくなった直後ではなく、聞いたのは2月だった。

何でそんな話になったのかさっぱりわからないけれど、Sさんが私に突然教えてくれたエピソードだった。

「○○さんね、運動神経良さそうに見えるのに、突然何もないところでつまずいたりしてたんだよ(笑)」と始まり、そういう時どうしてるのかを聞いたら、「そんなのつっこめないから私も何も言わないし、本人も何事もなかったようにしてるから。そうやって時々“えっ⁉︎”っていう抜け方してたんだよね」

そんな姿、超見てみたかった!と思いながらも、普通ならかなりどうでもいい情報でも私は知れるだけで嬉しかった。



>>>ちょっとつぶやき
振り返りも長くなってきたけれど、もう少しで終わる。

途中まで書いたものが3つ。

いなくなった後の振り返りはもう少し書きたいことがあるから、だから残り4つぐらいになるのかな…なんて思っている。

こんなにたくさん書くつもりでは当初なかったけれど、気付いたらこんな風になったから、もうこのままのスタイルで最後まで行く予定。

2018年10月18日木曜日

振り返りノート>いなくなった風景

>>>不在初日  事務所の中

「○○さん不在の1日目。○○さんの机を何度も何度も見た。もう送るだろう荷物しかない机の上。きれいに前向いて収まってる椅子。当たり前だけど、駐車場に車もない。」

その日の仕事終わりにミスドに寄って、1日を振り返った。

当時は家を建て替えていて、狭い仮アパートではあまりのプライバシーの無さに振り返りなんてできなかった。

だから長居しても良さそうなチェーン店のお店やフードコートをグルグル順番に巡っていた。

今考えたら、当時の状況で良かった。

あんなに悲しい時間を家で過ごしていたなら、その時の思い出が部屋の空気に染み付いてしまったと思う。

悲しみが少し和らいだタイミングで家が完成してくれたから、その人の異動直後のモロの悲しさは自分の日常とは関係ないスペースに置いてくることができた。

普段の何倍も机の上はきれいだったけれど、荷物を送る関係で真っ新ではなかったから、それ見てちょっとだけホッとした。

それでも何度も何度も机の上を見ては本当にいないんだよね?忘れ物とかして戻って来ないかな?とか、まだまだ全然信じられなくて、今日は出張でいないぐらいの感じと近かった。

関係ないけれど、その人の机は荷物が送られた後は今度後輩くんがそこも占有し始めたから、そして後輩くんもその人に負けないぐらいに机が見えないほど物をあれこれ置く人だったから、机に関してはあまり気を揉まずに済んだ。

人が1人いなくなってもいきなり組織が大きく変わるわけではなく、その人がいないのが「今日はたまたまいない」みたいな気持ちだった。

でもそれはいないことを認めたくない自分の気持ちであって、その後日記にはこんな言葉が続く。

「時間がとてつもなく長くて、こんなにも時間の流れってゆっくりだったんだと驚いた。午前中なんて、いくら仕事をこなしてもちっとも時間が過ぎなくて愕然とした。時計を何度も見てしまった。」

その人がいなくなった後の仕事の時間は、ものすごくゆっくりそして重たい感じになった。



その日から、本格的な書類関連の入れ替え作業が始まった。

その人の名前だったところには後輩くんの名前が入る。

その人の名前のテプラを何枚も剥がした。

私はこっそりそのテプラをメモ用紙に貼り付けて持ち帰った。

今も手元にそのテプラは取ってある。

ノートに貼り付けた。

ちなみにその作業はそのためだけにする作業じゃなかった。

その作業は、私にその人の話を聞く絶好のチャンスを与えてくれた。

秘密主義的なその人の情報は、その人がいた頃、ほとんどと言っていいほど何も知らなかった。

本人もベラベラと自分のことを話さないから周りの人たちも知らないことばかりみたいだった。

私が知ったのは、独身ということと年齢だけだった。

ところが、その日以降、私はその人の個人的なことをちょっとずつ知っていくことになる。

本当に上手くできていて、きっかけはその名前入れ替えの仕事だった。

その仕事を担当したSさんの手伝いとして私はそこに入った。

Sさんだけはその人にとってちょっと他の人たちとは関係が違うんだろうなぁというのは気付いてた。

その人が多分唯一ちょっと心を許せる人なのかな…というのは見ていて感じた。

だけどそんなことSさんに聞くのもおかしいから私からは聞かなかった。

ところが、そういうことってよくできていて、その作業中にSさんの方からその人の話が出た。

異動はその人自身が希望していたこと。

その理由もちょびっと聞いた。

後輩くんが引越しについて電話で単にあいさつみたいな感じでその人に聞いたら想定外の答えが返ってきたようで、「僕聞いちゃいけないこと聞いたんですかね?」とか半泣きになりながら周りに聞いてた頃、隣りでSさんがこっそりその人の引越しのスケジュールまで教えてくれた。

あぁもう本当にいないんだな…って泣きたくなるぐらいに悲しかった。

これはもっともっと後に思ったことだけれど、私がその職場に行った頃、すでにその人の異動がある程度決まってたんじゃないかなと。

私は最後まで会社説明的なのは一切なくて(なくても仕事上困らなかった)、最初の日名刺を4人からもらった時に、この会社はみんな役職が付くのかと勘違いした。

これは後から知ったことだけれど、本来役職付きの人が何人もいる職場ではなかった。

私は本当に色々知る必要がない仕事だったから説明もなかったし、メールさえ不要だったからメールでの社内通知も一切なかった。

そもそも派遣会社の人からこの会社の求人情報を聞いた時も、事業内容を聞いていても全くわからなくて、会社名も聞き取れなくて、まぁいっか!と流した。

だからぶっちゃけ私は何の会社かほとんど知らずにその会社の求人に応募し、事前に顔合わせで企業見学に行った時も「なんかよくわかんないけど、私が雇われるぐらいだから細かいことは知らなくても差し支えないんだろう」と完全に開き直った。

そんな風だったから、入った後も社内の仕組みを知るのに私は相当な時間がかかった。

良くも悪くも情報がなくて、だから私は純粋に自分の気持ちに従うことができた。

だって初日から異動が知らされるまでの約3ヶ月、私はそれを知らなかったおかげで自分の気持ちだけを見ていられた。

もしもっと早く異動がわかっていたら、私は100%何もしなかった。

いなくなる人は私の中で既婚者と同じ立ち位置(=近寄らない)にあって、ましてやそもそも自分のタイプとは真逆だとしばらく思っていたわけだから、気持ちの動きようがなかった。

もし気持ちが動いても全力で打ち消したと思う。

私が細かな社内の情報を知らなかったことも、その人の異動のタイミングも、そしてそれを知らされたタイミングもこの上なく完璧だった。

もし異動がもう1週間早く伝えられたのなら、私は多分だけど何もしなかったと思う。

その告知がある前に動いたから動けたようなもので、知らされたとするなら私はもう何も考えずにすべてのことはなかったことにして、普通に一関係者として見送って終わっていたと思う。

そういうことも含めて、ちょっとでもタイミングがズレたなら、絶対に今ある現実とは違う現実を私は生きた。

断言できる。



その日他にも私のテンションを上げてくれる話をSさんは教えてくれた。

私がそもそもその会社に行くと決まって、その人は私の苗字にテンションを上げてたこと。

たしかにインパクトのある名前ではあるけれど、そんなに覚えやすい名前ではないと思うし、そして何よりも私の周りには私の名前の書かれたものは1つとして置かれていなかったから、周りの人たちがどの程度私の名前を知っていたのかはわからなかった。

だからある日私はその人から名前を呼ばれてビックリしたし、たった1回の紹介でそして周りの人たちも私をでかい声で呼ぶこともなかったから、うろ覚え程度かと勝手に思っていたらそうではなかった。

Sさんが、○○さんが武士俣さんの名前を知らないわけない、その名前で超テンション上げてたんですよ、なぜなら…ときっちりと説明してくれた。

この時ほど自分の苗字に感謝したことはない。

武士俣で得した気分になれたことなど一度もなかったけれど、この時は武士俣万歳ぐらいな気持ちになれた。



ちなみに私はこの日を皮切りに、半年ほどSさんからその人の情報を不定期に伝え聞き?又聞き?していた。

Sさんの鈍さに救われて、Sさんは何も気付かずに私に色んな話を聞かせてくれてた。
(Sさんに直接鈍いと言ったら、私は普段周りが見えてないですけど、そういうのは気付きます!と返ってきた 笑。だけど、Sさん、私が告白するその時まで全く気付かなかったと言われたから、私も相当上手に隠していたと思う!)

最後、ずっと騙してるみたいであまりにも申し訳ない気持ちだったのと、ペンジュラムや物と対話することなんかを告白するのと一緒にその人のことも告白した。

その人と出逢わなかったとしてもSさんとは仲良くなったと思う。

人として安心できて一緒の時間が楽しくて、バカ話からシリアスな話まで色々できた。

Sさんの好きだなぁと思うところ、その人も同じようにSさんに感じていたのだとしたら、お揃いみたいで嬉しい。

Sさんに話した日、Sさんは自分がどうして趣味の熱が30年ぶりに復活したのか、どうしてその趣味が大好きなのか時々疑問を抱くことがあったと言い出した。

Sさんは自分を「(2人の)仲介役の役目でもあったんですかね」と言った。

そしてそう考える方が自然だと。

泣きそうになるぐらいに心に響いた。

その言葉だけではなかったけれど、Sさんが言ってくれた1つ1つの言葉は私の心をジーンとさせてそして温かく包んでくれた。

Sさんから語られるその人の姿は、私の知らない姿で、それを聞くだけで1人でテンション上げてた。

そういうことを知れたSさん、その人と個人的にやり取りできるSさんにちょっとだけヤキモチ焼いたりもしなかったわけではないけれど、私はほんのちょっとだけでもその人のことを知れた方が嬉しくて、まさかそんな形でその人のことを知れるとは思ってもいなくて、思わぬ形でのプレゼントになった。

Sさんがその人を大事にしてるところも良かった。

Sさんは私には色々話して教えてくれたけれど、他の人には一切その人とのことは言ってなかったし、私にもここだけの話にしといてくださいね、とよく言われた。

言う相手もいなかったけれど、Sさんが言わないでと言ったのは、Sさんじゃなくてその人を守るために言ってた。

いつも相手の立場とか社内の関係とかに最大限配慮していて、Sさんが大切にしたくなるような素敵な人なんだろうと私は読んだ。

その人が個人的なところに踏み込んで欲しくないみたいな部分もSさんは尊重していて、自分から余計な話を振ったりはしなかったと言っていた。

いつだったか外部の取引先?連携先?の人からの評価が良いとSさんも他の人経由で聞いて、私もその話をさらなる又聞きで聞いた。

Sさんに本人に直接言ったら喜ぶかもしれませんよ、と言ったら、そういうことは言えないと言われた。

だから私がこのブログの中でいつだったかしれっと書いた。

そういういいことは、本人の耳にも入れたいと思った。

本人も聞いて悪い気は絶対にしないだろうから、少しの可能性にかけて私はその話をなるべく聞いたままに忠実に書いた。



そんな風にして、その人がいない時間と景色が始まった。

その人がいない空間や時間の方が、その人がいた空間や時間よりも圧倒的に多くなった。

徐々にその状況にも慣れるようにはなったけれど、寂しさや悲しさは残り続けてる。

それは時間の経過と共に薄れるようなことはなかった。

今も、本音を言えば寂しい。

会いたいと願う自分がいる。

振り返りノート>不在初日の朝

>>>その人のいない風景  初日出勤前

3週間弱、雨降り県の新潟で雨がほとんど降らないという謎の快挙を遂げた去年の秋。

もうどうにもならないと感じた私は、手紙を書こうと考えて動き始めた日から毎日欠かさず墓参りを始めた。

その人との全部をご先祖様によろしく、よろしくと頼みまくった。

困った時だけの墓参りという何とも罰当たりな先祖供養を始めた私だったけれど、どういうわけかとにかく毎日晴れか曇りだった。

雨が降った日もゼロではなかったけれど、墓参りの時だけ雨が上がっていた。

私は本気で何かに守られてると感じた。

最後にその人の後ろ姿を見た後、私は日記にこう書いた。

「○○さんが最後私に背中向けてたけど、多分っていうか絶対に私は明日も○○○○さんを見守ってくださいって武士俣家のご先祖様たちにお願いする。そうしたいから。結果は結果、祈りたいことは今日と明日でそう変わらない」

で、予定通り墓参りを敢行するわけだけど、なんとその日は朝から大雨だった。

私の心の天気と同じだった。

その人不在の初日、まさに私の心模様と激しく降る外の空模様が重なった。

大真面目に、私が泣けない分、空が代わりに号泣してくれてると思った。



私はその日の朝、出勤前に朝マックしに行った。

職場の方向とは違う。

その人の最終日の翌日に朝マックしたのは、今回日記を開くまで忘れていた。

読んでもいまいち思い出せなかった。

多分だけど、私は心の中の強い感情たちに触れなくても済むように、わざと自分を忙しくしたんだと思う。



お盆前にも朝マックをした。

ちなみにその日私は少しだけ遅刻した。

まさか朝マックしてたらうっかり遅くなりました、なんて言えないから、しれっと少し遅れますとだけ言うために電話を入れた。

そのお盆の時の朝マックで、私は日記帳にその人のことを初めて書こうかと考えた。

だけど、どういうわけか書かなかった。

書いたら自分の思っていることを認めることになりそうで怖かったのかもしれない。

もしくはまだまだ認めたくなかったのかもしれない。

いずれにしても、明言は避けた。

明言どころかその人を表すような表現も一切書かなかった。

次のページはいきなり北九州になっている。

約3000万年前の歴史が残るスポットに私はいた(そこにそのような説明書きの看板があった)。

日付は8月25日。

「前回から書こうか書かまいかずっと迷ってた。書いてしまうと本当になりそうで、“本当になりそう”って言い方もおかしなものだけど、自分の中で“そうだ”と認識するのにずい分と勇気が必要だった。気の迷いやかん違いじゃないかと思ったこともたくさんある」

新潟から何百キロと離れた土地のところで
その人の名前を初めて日記帳に記した。

手紙を書く1ヶ月前は、まだ朝マックで自分の気持ちは何なのか疑っていて、そしてその人がいなくなる1ヶ月前にようやく日記帳にその人の名前が登場。

私の気持ちのペースはそれぐらいゆっくりだったのに、その人の異動はあまりにも急過ぎた。

その人の名前さえ書けなかったお盆前の朝マックの風景を多分思い返していたんじゃないかと思う。



朝マックの中で、私はその人のいない事務所を想像しては自分のメンタルを整えることに躍起になっていた。

職場の掃除についてもこの時初めて回想している。

かなり早い時期から私は事務所の掃除を避けていた。

週に1回の掃除は、みんなで分担して行う。

場所は決まっていなかったし、その時々でローテーションする仕組みだった。

でも私はかなり最初の頃に2回ないし3回事務所を掃除した後は、とことん避けて違うところ、絶対に誰も代わりたくないだろう階段、そして誰も男性がいない時はもれなくセットの男子トイレを担当した。

私の中で事務所掃除の記憶が本当にきちんと残っているのは1回しかない。

その1回もこんな風だった。

机のごちゃごちゃぶりよりも、角の黒のダウンの方が気になった。

今6月なのに…って。

私はわざわざそちらを向いてガン見した、ダウンの方を。

仕事初めの頃から気にはなっていたけれど、至近距離で見るとより一層気になって仕方なかった。

同時に、それを見てその人は独身かもしれないと思った。

私の脳内変換はこんな風だった。

指輪をしてないのは知ってた(男の人の指輪をチェックするのは、自分でもどうかと思うぐらいに瞬時にしてしまう)。

でも、指輪なし=独身とは限らない。

その人のことが気になっているなんて当時の私は自分のことを全く思っていなかった、そんな時に空想したこと。

奥さんがいたとするなら…

転勤族なら多分奥さん同伴なはず
(これまでの職場で転勤妻たちが多数いたから、転勤族の場合、子どもがある程度の年齢になるまでは夫婦一緒の場合が多いと知った。もちろん例外もあるけれど)

奥さんいたら「ねぇダウンどうしたの?」と聞くはず

ダウンがあるということは、
・本人が我関せず
・奥さんも我関せず
のいずれか

後者は考えにくいから、多分独身なのかな

というすごい数式を頭で立てて見ていた。

余談が過ぎたけれど、そんな余裕ぶっこいて分析できたのはそれ1回きりで、その後は本格的にその掃除の係を避けた。

見たいのは山々だったけれども(机を見たいというよりか、その人らしさが出ているものを目にしたかった)、いつかいなくなるのは知っていたから、見たくないと思った。

今振り返ったら、不思議な通達だったことに気付いた。

仕事初日の日、私の教育係の人は、なぜかその人とその後輩くんのことだけ言及して私に伝えてきた。

「○○さんはいつか異動になるし、●●くんはこの間来たばっかりなんだよ」

今の今まで全く気付かなかったけれど、私は2人とは全く仕事の絡みがない。

なんなら所属さえ違う。

そして本来の所属側の男性陣も異動がある。

なのに、私が説明されたのはその2人のことだけだった。

今考えたらとてもおかしな話で、その説明ははっきり言っていらない。

なのにその人は私にその2人についてだけ説明をした。

だから初日にして私はその人がいつか異動する人だというのは知っていた。

自分の気持ちも全くわかってなかった頃から、「いつかいなくなる人だから、その人がいなくなったとわかる風景だけは絶対に見たくない」という、順番がはちゃめちゃだけど、そういう気持ちがたしかにあった。

そして、異動すると知っていたから、近寄ったら危ない人として私は認識した。

だからわりかし早い時期から、その人と何かが起こるなんて全く考えられなかった。

でも掃除なんてそんなことまで本来想像して取り組む領域ではないはずなのに、今考えたらものすごく無意識にそんなことを思って避けていた。

その人がいる周りの風景だけは同じであって欲しかったんだと思う。

こうして振り返るとわかるけれど、その人に対して感じたことや思ったことは、そんな風にして実は早い時期から始まっていた。

だけど、私がそれを認識して、さらにそう思っている自分の気持ちを受け入れるのに、ものすごく時間がかかっていたから、私が本格的に認識できたのはその人がいなくなる1ヶ月前だった。



もう1つシミュレーションをした。

駐車場と机以外は、多分見てもいなくなったってわからないはず、それはすなわち心へのダメージも最小限にとどめることができるはず…と考えた。

日記には、その人の下駄箱を知らなくて良かったと書いている。

それはかなり良くて、結局最後までその人の下駄箱がどこかわからなかったから、視界に入る「不在」のしるしが少なくて済んだ。

これは私を大いに喜ばせた。

ちなみに、昨日は手元に割れた携帯がなくて確認できなかったけれど、今充電をして駐車場の写真をいつ撮ったのか見た。

その人の最終日の朝、撮影していた。

何日も前じゃなくて、いなくなるその日に朝慌てて撮ったんだと思う。

もう見れない景色だから、残しておきたい、咄嗟にそう思ったんだと思う。

撮影時間は始業4分前になっていた。



朝マックの時に書いた日記より。

「○○さんのあの拒絶してますよアピールには心へこみかなり参ったけど、それでも一度も○○さんのこと嫌にならなかった。嫌いになれなかった。」

「振り向いてもらえなくても、避けられても、私の気持ちは止まらなかった。近付きたい気持ちも、ドキドキしてしまうのも、自分で心臓の動きを止められないのと一緒で、もう1つ1つどうにもできなかった。」

そして日記の最後に、どうして喋らない仕事だったのか、その意味がわかったというようなことを書いていた。

要は喋らない、人と関わらない仕事だったからこそ、自分の心の動きに気付けた、と。

「それも見越して今の仕事が用意されてたとしたらすごい」とあり、「水たまりに石投げると、その波が遠くへ遠くへと広がるけど、その遠い場所のかすかに揺れるところ、そういう部分のキャッチの連続だった」と振り返っていた。

何せ自分の気持ちを否定したり全力でフタをしようとしてたから、本当にかすかな心の動きに気付かないことには全て否定して終わっていたかと思う。

そんな風に振り返ってから、いざ職場へと出発した模様。

その前の日も夜遅くまでコメダで長い日記を書いて、そして翌朝は翌朝で早く家を出て出勤前に朝マック。

あまりにも寂しくて発狂しそうになってたから、そうやって忙しなくすることで自分の寂しさやその人がいない現実を見ないようにしてたんだろうなぁって思う。

もっとサクッと振り返るつもりがやたらと長くなったから、出勤した後の振り返りはまた別の文章にして書こうと思う。

2018年10月17日水曜日

振り返りノート#つぶやき4

2018/10/17 (水)20:50
最終日の結末部分を今書いている。

ドラマの「つづく」みたいな終わり方になった。

当たり前だ。

だって現実に、その人がいなくなっても私の毎日は続いたわけだから。



最終日に関しては、分けて書いた。

・事実を書いた部分
(これは多分この記事より先にアップすると思う←アップ済)

・最後の部分だけ切り取って、それについて私なりに思ったこと
(これは書き途中)

・退社後の自分
(これから書く予定)



その日を再現すべくコメダに夕方からやってきた。

たしかその日着たと思しき服を着て、もしその人とデートできるなら♡とおめでたい想像力に力強く押されて買った靴履いて。

私は今日になった理由はそんなに深く考えなかった。

本当は9月の終わりを予定していたけれど、iPhone落下事件でまずは延び。

その後、振り返りの意欲が失せて、そんなことして意味あるんだろうか…?と疑念を持ってまたもや延び。

ある意味三度目の正直で今日になった。

今日で正解だった理由。

このコメダはいつも雑誌ananが置いてある。

私は後から余裕があれば見ようかな…と1冊だけ手に取った。

3冊あった中の1冊。

その中に私を号泣させるメッセージがあるなんて、当の私も知らずに手に取った。

日記書いてる途中にちょっと休憩と思ってパラパラとめくった。

めくった先に、この1年の私に向けてのメッセージがあった。

ふと気になって、例えば9月に来た場合のananにはあったのかを確認した。

指サックを持っていたから(筆入れにいつも入ってる)念入りに確認した。

ある本の宣伝で、なんと9月の終わりの号と今月に入ってから発売された号とでは、同じ本なのに広告の中身が違っていた。

振り返りにピッタリのメッセージがやってきた。

普段ananなんて読まないし立ち読みも絶対にしないから、このコメダに来ないことには読むことがない。

その話をすると長くなるからこれはまた別の時に書くけれど、そこにあったメッセージが私のことを全力で救ってくれた。

そして、私が当初目指した境地に相応しいメッセージを伝えてくれた。

自分でもあとどのくらい書くつもりなのかはちょっとわからないけれど、あと3つは確実に書くと思う、書き途中のものも含めて。

日記に集中したいから、先に最終日とこのつぶやきをアップしよう。

振り返りノート>最終日

>>>2017年9月XーDay水曜日
朝出勤する。

正面玄関の貼り紙を見て、その人の名前を確認する。

私がその職場で誰よりも先に見て覚えた名前だった。

勝手にイメージで私より10歳以上は年上の人を想像した。

その貼り紙がいつもと同じようにあって、「まだいる」と思った。

車もある。

今日は多分朝からいるはずと思った。

まさか最終日にどこかに出るとは考えにくい。

でも胸中は複雑だった。

どこでもいいから出かけてくれてる方が最後の日じゃないみたいで、まだいるみたいでいいのに…私は本気でそう思った。

事務所に行くといた。

もう挨拶が返ってこないとかもどうでも良くなった。

挨拶はいいから、その人がそのままそこに残ってくれるなら他は何でも良かった。

机周りは相当きれいになった。

その人の机は常にごちゃごちゃしていた。

下手するとなだれが起きそうだった。

どうやって机の上で仕事をしているのかよくわからなかったけれど、あんなにごちゃごちゃしているのに仕事ができるというのが不思議でならなかった。

私は自分が整理整頓ができない人だからそのごちゃごちゃ感に親近感を感じていたし、それがその人のトレードマークのようでもあったからそのままでも良かったのに、終わりは確実に近付いていた。

机周りのごちゃごちゃ感がどんどん消えていく感じが、もういなくなりますのアピールと一緒で、私はあまり見ないようにした。

見たくなかったから。



昼休みから戻ると、その人だけがいた。

もちろん話しかけたりしない。

いたのはわかっていてもチラチラ見ることもない。

いつだったかも、室内が暗くて誰もいないのかと思ったらその人がいて度肝を抜かれたことがあった。

声が出そうなぐらいに驚いた。

その人しかいないし、話しかけようと思えば話しかけられる身体的距離にあるのに話しかけられなくて、目に見えない距離を前にやり切れなさを感じていた。

そして普段そんな時間に席に座っていることなんかほとんどないその人がいる、そのことがもういつもとは違うんだよと示されてるみたいでそれも悲しかった。

1つまた1つと片付いていくその席。

そういうの見たくなくて、目に入れないようにした。

頭では今日が最終日とわかっていても、心では全く受け入れられなかった。

時計の針が進んでるのを見ては、止まらない時間が本当に恨めしかった。



その日はその人は事務所内を出たり入ったりしていた。

段ボールに荷物を入れて運んだり、よくわからないけれど何か別用で出たりを繰り返していた。

その人が立ち上がって動くタイミングと私がコピー機か何かに用事があって立ち上がるタイミングが多分同時だったんだと思う。

いつもならタイミング合いそうと思うとわざとずらしていたけれど、今回は不意にやってきたのと、もう明日からはいないからせっかくのチャンス!と思って、そのまま私も前に進んだ。

うちわが2本刺さった段ボールを両手で持つその人の少し後ろを歩いた。

歩いたのはほんの数歩。

もうこれが最後だから!と思って、それまでは気まずくて見るのを自粛していたけれど、その時は後ろからガン見した。

私はいつもその人と重なりそうになると、わざとタイミングをずらしてた。

だけどその時はそうしなかった。

もうこんな風に真後ろにいることはできない、そう思ったら少しでも長くそこにいたかった。

いつかこのブログにも書いた記憶があるけれど、とにかくその人とのタイミングはビックリするほどによく重なった。

元々人と重なって同じ場所にいるのがなんとなく苦手な私は、重なりそうになるとタイミングをずらす。

その人は違って、重なるのが苦手なんじゃなくて、むしろ重なりたいけれど恥ずかしすぎてわざと避けてた。

ただ、それはいつ気付いたか忘れたけれど、その人とのかち合うタイミングは異常なぐらいだった。

他の人たち全員とのかち合い数を全部足しても、圧倒的にその人とかち合う回数の方が多かった。

毎回ずらしていたからあまり気付いていなかったけれど、他の人とはその人みたいにかち合うことがほとんどなかった。

別にタイミングを合わせようとしているわけじゃない。

私だって同じ仕事をずっとするわけじゃないから、使う道具も変われば、必要な物がしまわれてる場所も異なる。

それでもよく重なってた。

だからその時タイミングが重なったのも、今思えばいつもも本当はそんな風だったんだと思う。

本当に久しぶりにその人をじっくりと見れた。

その人に遠慮することなく見た。

もうこんな風に近寄れないんだな…と思いながら。



16:05頃、時計を見た。

あと1時間と少しでお別れなんだとぼんやり思った。

外部の会社の人たちが次々にその人に挨拶して行った。

机の上は送る物以外はすっきりしていた。

後輩くんがプレゼントを渡してる風な会話が耳に入ってきた。

そんなことできる間柄なのがうらやましいと思いつつも、そのプレゼントを渡すなんていうイレギュラーなことが普段と違いすぎて、そして別れのカウントダウンの強調みたいで、悲しさはさらに増すばかりだった。



最後の挨拶のシーンは、今回書き飛ばそうと思っている。

今回けっこうリアルに時間を追って書いているけれど、やたらと細かな部分が当時を喚起させるし、そしてなぜか泣けてくる。

もうその時に自分はいないし、今は全く別の日常に身を置いているのに、心は覚えてる。

無視されてたのもたしかにきつかったけれども、それよりもその人がいなくなったことが何よりもきつかった。

自分でもこの1年本当にがんばったと思っている。

寂しいとか悲しいとか、そういうのはずっとあったと思う。

だけど、生きるのにそういう気持ちはあればあるほどしんどくなるだけだから、私はそれを消すようにして1年過ごした。

そして今回しっかりと振り返ったら、そこの部分のごまかしが効かなくなって、だからやたらと涙も出てくるし、色んな気持ちも飛び出してくる。



挨拶して、その人の後ろ姿を最後見納めて、職場を後にした。

その人が数分前に登ってきただろう階段を下りながら、そしてその人がその後どこかのタイミングで下りるだろうことを想像しながら、玄関に向かった。

私はまた明日もくぐる扉が、その人はもう明日はくぐらない。

明日だけじゃない、明後日も、来週も、来月も…ずっとずっとくぐることはない。

その人の車はまだ駐車場にあった。

その何日か前、私は遠くから駐車場を写真に収めた。

その人がいた風景を撮っておきたかった。

たくさん写っているけれど、どれがその人の車かわかる。

車は小さくしか写ってないけれど、たしかにその人もそこにいたんだとわかる。

職場には2箇所離れた場所に駐車場があった。

女性陣の車は同じ所に停めていたから知っていたけれど、男性側はその人の車以外は知らなかった。

うんと後になって何人かの車は何かの折にすれ違ったりして知ったけれど、よく考えたらその人の車だけは早い時期に知った。

停める場所も違っていたし、出勤も退勤も時間が全く違っていたから、普通には見れないはずだった。

なのに2回か3回本人が運転してるのを見ることがあって知った。

っていうか、よくそんなにタイミング良く見れたなと思う。

偶然とは言え、他の人たちとは起こらない偶然だった。

車を見て、心に重たい鉛をぶら下げたみたいな気持ちで自分の車に乗り込んだ。

サヨナラなんていう気持ちには全くなれなかった。

涙はものすごい勢いで出たけれども、どこかで「これが最後じゃない」って私は思った。

自分の願いみたいな発想だったけれど、でもどこかでこの瞬間が終わりだなんて信じられなかった。