2015年2月28日土曜日

替え時期ですサイン

今日は台所の電球が切れた。

それは突然だった。

朝の白湯を沸かした時は普通に点いていた。

午前中、掃除をした時も普通に点いていた。

さて昨日の余りご飯でお昼ご飯でも作ろうかと電気を点けたつもりが点かない。

二度三度パチパチとスイッチを入れてみるも点かない。

このアパートで、初めて台所の電気が切れた。

先週は2年ほど履きつぶしたGパンに穴が開いた。

いつの間にか使い捨てコンタクトが残り1日分となっていた。

先週両親にプレゼントを送ろうとパッキングしたら、ガムテープが丁度切れた。

それは郵便局で借りられたから事無きを得たけれど、とにかく物の方が持ち主より先に

春に向けてなのか、何に向けてなのか、終わりを告げて次へと向かっている。

いつまでもしがみついていても、過去のものたちとはもうサヨナラですよ、と言われてるみたいだ。

台所の電球が切れた時は、本当にそう思った。

物の寿命に対し、「何で今何だろう?」なんて思っても仕方ないけど、

とにかく重なる重なる。

今の人生の流れと、物たちが告げる終わりの時期とが妙にマッチしていて、

あぁもう本当に変わるところなんだろうなぁ・・・と、

心の中でものすごいジタバタして色々先延ばしにしたり結論出すのを渋ったりしていても、

もうすぐそこまで色んなものたちが、要は次のものたちがやってきてるんだろうなぁと思う。

明日から3月。

暦上は春だ。

数日前、今年初の梅を近所のスキーショップで見かけ(雪降らないのに本格的なスキーショップが

近所にひっそりとある)、今日は菜の花を近くの人工的な花壇で見かけた。

もう春が来ている。

春という季節は、「替え時期」としてもしっくりくる。

わたしの心の中でのしっくり感は別にしても、季節とはしっくりかみ合っている。

替え時期ですサイン、どこまで受け入れられるだろう・・・。

素敵マダムのお店

ひょんなことから知ったお店だった。

1ヶ月位前にお酒を飲まない友達と夜ごはんを食べようと約束した。

お酒は飲まずにおいしいごはんを食べれるお店をネットで検索した。

検索している時に、たまたま見つけたカフェだった。

実際に行った人がブログにアップしていたのだけど、とにかく坂道の途中にあって、

住宅街の中に「え!?これがカフェ!?」という感じで入るのもためらわれる、

でも入ってみるとオーナーさんが素敵で飲み物スイーツ両方おいしいとあった。

メニューは、飲み物単品(3種)か、もしくは手作りのケーキセット(3種)のみだけど、

これがすっごくおいしいと書いてあった。

しかも週に3日、13~17時しかオープンしないお店らしい。

場所も、同じ地下鉄沿線上のうちから数駅先のところだった。

友達との夜ごはんには使えないにしても、いつかは行こうと思っていて、

それがようやく昨日実現となった。

駅の名前は知っていたけれど、一度も降りたことのない駅だった。

地上に出て、すぐに坂のアップダウンが激しい町だというのはわかった。

なぜなら、駅そのものも坂の途中にあって、下るか上るかの選択肢しかない。

とにかく平らな道がない。

しばらく歩いていくうちに、既知感を覚えた、この場所知ってるって。

なぜだろう、初めて歩く道のはずなのに、知っている感覚。

途中、何百はあろうかという大型霊園の脇を通り過ぎ、小さなお寺兼住宅を見た時に

ようやくそこがどこなのかわかった。

駅から歩いてきた道はたしかに初めての道ではあったけど、途中でここ知ってるかも、

と思ったところは、過去に仕事で来たことのある場所だった。

当時は別の方向から来たから全然一致しなかったけど、確実に来た場所だった。

場所は雰囲気のある街並みで好きだけど、当時仕事で来た時は心身共に余裕がなく、

何もかも楽しめずにいた。

ましてや、平日の午後にのんびり電車に乗ってお茶に出掛ける、なんて夢に抱くことすら

できない位の状況下にあった。

いつからオープンしていたお店なのかはわからないけど、わたしはそこも確実に歩いた道で、

あぁ今このタイミングだから出逢えるお店なんだとしみじみ思った。

そして、過去の色んな苦い思い出が、今新しい思い出に変わろうとしている、

そのことにもやたらとときめいた。

入口のドアを開けると、さらに2つドアがあって、どこを開けていいのかわからなかった。

とりあえずopenって手書きの木の札が出ていたから、声のするドアの方を開けた。

先客2人かと思いきや、1人はマダムのお友達で、もう1人はオーナーのマダムその人だった。

「めったにお客さん来ないから、ふふふ」と笑いながらわたしを出迎えてくれた。

後からふたりの話を盗み聞きして、マダムが60代後半とわかった。

最初に印象に残ったのは、マダムが着ていた白い麻のワンピースだった。

冬に白い麻のワンピースというのが、全然寒そうではなく、むしろ温かみを感じた。

白髪交じりの髪の毛はおだんごにして頭のてっぺんにのせられていた。

背は低めでぽっちゃりしているけど、上品だ。

ここ最近のトレンドのナチュラルな服を上手に着こなしながらも、気品がある。

気品がありながらもマダムの友達と話す時は、ばりばりの名古屋弁丸出しだ。

その色んなギャップがとにかく可愛らしくて、マダムを見るためだけに来ても損はない位の

素敵なマダムだった。

フルーツタルトと紅茶をいただいたのだけど、タルトは素朴なタルト生地にフレッシュな果物が

わんさか載っている。

紅茶はスープボウルかと思うようなでかい器に入ってやってきた。

こちらもとても丁寧に淹れられた紅茶だというのは飲んですぐにわかった。

両方たっぷりの量があるのにそれで500円という、もっと取ってもいいんじゃないかと心配に

なるようなお値段だった。

部屋の明かりとこだわりの窓の作りのおかげで、木漏れ日が入るごとに部屋の雰囲気が

がらりと変わる様も見ていて飽きなかった。

同じ場所にいて、異空間に旅したみたいだった。

お金を払ってさぁ帰ろうと思ったら、マダムが奥にアトリエのような小さな小屋があるから

良かったら見て行ってね、と言ってくれ奥の方にも行ってみた。

そこは「アトリエ」に相応しい、マダムこだわりの場所になっていた。

裁縫をする人で、その裁縫もものすごくセンスが良い。

麻のワンピースを着こなすだけあって、裁縫の作品もシンプルな色と布の素材を上手に

組み合わせていた。

細かい小物も至る所にセンス良く飾られ、これまたセンスの良い暮らしの雑誌や小冊子が

数か所に分散されて置かれていた。

あぁこれわたしも雑誌で見て真似したい!と思った日用品の置き方も目に入った。

どこからどこまでも素敵な場所で、それを生み出しているマダムそのものもとっても素敵で、

こういう年の重ね方をしたいと心底思った。

先日も、もっと年上のおばあさんマダムがやっている小さな珈琲屋に行ったのだけど、

このおばあさんマダムもとても素敵だった。

マダムもおばあさんマダムも、白髪が増えしわが増えても、それを大きくカバーする素敵な笑顔、

それも作られた笑顔ではなくて何十年の積み重ねで出来上がったきれいな笑顔の持ち主だ。

どんな風に年を重ねたらあんな風になれるのか、聞いてみたい衝動に駆られる、

そんなお二方だ。

素敵マダムたちとの出逢いのおかげで、過去の思い出は新しい思い出に書き換えられ、

そして目標にしたい大人の女性像も一緒に手に入れた。

2015年2月27日金曜日

【継続は力なり】を実感!(ニヤリ)

気付いたら明日で2月も終わり。

今日のこの記事と明日の何かまだわからないけど何かの記事を書いたら、

とりあえず「1ヶ月ブログを毎日継続する」は達成できたことになる。

最初の1週間が過ぎた頃、「こんなことして何になるんだろう?」と正直思った。

絶対に誰かが読んでくれるとも限らないし、書いたからと言って何かが生まれるわけでもないと

本気で思っていたし。

今1ヶ月完了のところまできて、今月だけで約60記事アップしたことになる。

厳密に言うと58記事で、60にするにはもう2記事必要で、それは下書きで書こうかなと思ってる。

もう1つのブログの方もせっせせっせと書いた。

このブログもそうだったし、もう1つはもっとそうだったけど、

まず自分がどこを目指して書いているのかさっぱりわからなかった。

いくつか前の記事(書きたい文章)で、どんな文章を書きたいのかより明確になったことを

書いたけど、書きたいものが定まっても自分がそれを表現するスタイルの確立は、

また別物だということを思い知った。

色んな表現方法があるし、その方法は自分で選べる。

どういう方法・スタイルがわたしは好きなのか、目指したいのか、

考えてもわからなくて、とりあえず書いて書いて書きまくったのがこの1ヶ月。

書いていくうちに、自分の表現したいスタイルというのが、少なくとも1ヶ月前よりも明確になった。

今も手探り状態で書いてはいるけれど、とにかくありのまま等身大の自分で情報を発信しよう、

ということだけは定まった。

自分を大きく見せても仕方ないし、知ったかぶりになっているのはもっと格好悪い。

色々足りない部分はあってもそれが今の自分だから、その今の自分からあるがままを

発信したらいいと開き直ったのもあって、今は思い付くままに書いている。

話は変わるけど、この2年ほど色んな本やブログを読みまくったことはとても参考になっている。

目指したいスタイル然り、反対に絶対に真似したくないスタイル然り、

そういうものを読書から自然と感知していたんだなと思う。

感知することを目指して読んだわけではないけれど、結果としてそういうものが付いてきた感じだ。

真っ只中にいる時は、一体自分が何をしていて何のためにこんなにも夢中になるのか

さっぱりわからなことだらけだけど、例えばあの異常なほどの読書熱がこんな風に未来のブログに

貢献してくれるとはゆめゆめ思わなかった。

また話は変わるけど、「継続」の力を今回ほど実感できたことはない。

そもそももって、何かひとつのことをお金や何か特別なものをもらうわけではないのに

続けるというのは、わたしにとって、これまでにない体験だ。

仕事だからやる、という継続はあっても、仕事でもないし他の何でもない、

やってもお金も派生しない、だけどやり続ける、それも毎日毎日とりあえずその時間を作る、

これは夏休みの宿題をまともに終わらせたことのないわたしにとっては、

すんごい優越感と自信?自己肯定?みたいなのに繋がってる(笑)。

しかも、飽きずにやっている。

しかもしかも、気分がいまいち乗らない日でも、必ず書く時間は作る。

自分で自分がすごいと思ってる(笑)。

3月はどうするのか決めてないけど、とりあえず飽きるまで書いてみようとは思ってる。

強迫観念にならない程度にやり続けたいという気持ちが今はある。

こんな気持ちになるだなんて、1ヶ月前には想像もつかないことだった。

やってみないとわからないことだらけだなぁというのが、今の感想。

そして、やってみて良かった、というのも今の感想。

2015年2月26日木曜日

日常に転がっているヒント

昨日は色んなもやもや解消と頭の中の整理とそして肉の特売を期待して、

少し遠いスーパーまで行ってきた。

歩いて30分弱。往復すると買い物も含めて1時間オーバーぐらいで、丁度いい気分転換になる。

肉の特売は思ったよりも安くなかったけど、レジで当たったおばちゃんがとっても親切で、

それだけでもラッキーだなぁと思っていた。

スーパーのレジの人というのはお店によっても大きく異なるし、また同じお店の人でも

細かい対応は人によって違う。

いくつかのお店でわたしには好きなレジの人がいて、その人に当たるとそれだけでもお得だなぁ

なんて思ってしまう。

そしてレジの良いお店は、足繁く通いたくなる。

昨日行ったところは、遠いこともあってこれまで数えるほどしか行ったことがない。

レジの人の印象も可も不可もなく、という感じでしか残っていなかったから、

はなから期待は持たずにレジにかごを運んだ。

レジの一連の作業は他の店と変わらない。

さてお金を払おうという時。

千円札と小銭数枚を払うところだった。

元来の鈍くささは、こういう場面でここぞと言わんばかりに発揮される。

お札はいいとして、細かい小銭を値段を言われた瞬間にさっと取り出す、

しかも財布の小銭入れを見て、小銭を出せるのか出せないのか瞬時に判断しながら、

というのをわたしはスムーズにできない。

周りをイライラさせるほどの遅さではないにしても、決して早くはない。

そこでレジのおばちゃんは、わたしに一言、笑いながら、

「ゆっくりでいいよ」

と言ってくれる。

これまでどのお店でも、一度も言われたことのない「ゆっくりでいいよ」には心底感動した。

言葉に甘えて、小銭をじっくり見ながら1枚1枚取り出した。

お金を払っておつりももらって、そしておばちゃんが今度は

「ゆっくり詰めてってね」

と声をかけて、その後はマニュアルで決まってるであろう「ありがとうございました」をこれまた

心を込めて言ってくれて、レジでのやりとりは終わった。

「ゆっくり」を肯定してくれる言葉にわたしはしびれた。

鈍くさい人にとって、この「ゆっくりでいいよ」なんてことをさらりと言ってくれる人は、

天使か神みたいなもんだ。

世の中のスピード社会と自分のスピードがあれこれずれていて、特に世の中のスピードが

早すぎて普段ついていけないようなことが日常にあれこれ転がっているわたしにとって、

「ゆっくり」肯定派に出会えるなんて、しかもスーパーで出会うなんて、めちゃくちゃ嬉しい。

この話はまだ先があって、その10時間後位だろうか。

時々スケジュール帳に今日の印象に残った出来事を一言日記のようにして書くことがある。

レジでのやりとりが本当にうれしくて、それをさらさらっと文字にしていった。

眠たさも手伝って、「ゆっくりつめてってね」とすべて平仮名で書いた。

平仮名で書いたものを見て驚いた。

元々昨日は、色んなことが頭の中をぐるぐるしていて、

やらなければいけないことは山積みなのにどれもやる気になれない。

先延ばしにばかりもしていられない。

あぁもう嫌だ!と半ばすべてを投げ出したい気分で出かけた買い物でもあった。

そこでそのレジのおばちゃんとのやりとりがあるんだけど、

「ゆっくりつめてってね」は「今ある色んなことを自分のペースでゆっくり詰めていったらいいよ」

と言われてるみたいで、それに夜寝る前に気付いた。

色んなヒントが生活のあちこちに転がっているんだなぁ・・・なんて感心しながら、

気付いたら雨が降っている朝を迎えていた。

2015年2月25日水曜日

望んだ解決にはならなかったけれども・・・

2月の初めに撃沈した出来事の直後に書いた不安リストを今日見返した。

不安があまりにでかい時は、わたしはありとあらゆる不安をとりあえず箇条書きにする。

目的は、自分の中だけに留めておくと余計と不安が増幅されるから、

それを避けるために、まずは不安の材料となっているものを思い付く限り書き出す。

2週間以上前に書いたリストは、ただ書きっぱなしになっていて、

久しぶりにそのリストを開いて見た。

大学ノート1ページの3分の2ぐらいの量に匹敵するリストのうち、5個すでに終わっていた。

その後でぽんと解決したものもあるし、何かしらのとっかかりを得て次に進めたものもある。

5個のうち、1つだけ行動に移したものの、結果が非常におもわしくないものがある。

リストに書いた当時は具体的行動の手段すら思い付かずにいて、

でもいつまでもずるずるしていいことでもなく、さぁどうしようかというところだった。

ところがある日。

本当にあれは突然スイッチが入ったとしか言いようがない。

これをやってしまおう、やらなければ何も変わらない、ということでわたしは動いた。

動いて、結果としては、一番受け取りたくないタイプの結果がきてしまった。

異性への告白とは違うけど、告白をして相手は無反応だった、という状況にとても近い。

相手は無反応、という選択肢を頭に入れていなかったわたしは、

まず結果を受け入れる受け入れないという前に状況を理解できずにいた。

ようやく状況をのみこめ、そして「相手は無反応」ということにひどくショックを受けた。

ただ、2月の最初の撃沈を経験したおかげで、ショックの程度としては前回よりうんとましだった。

そしてそこからさらに3日経過した今。

そもそも、2週間以上前は、解決策すら思い付かず不安でいっぱいだった。

そしてその途中、スイッチが入って自分ができることをした。

結果、相手は無反応だったにしても、今はもうそれを受け入れようと思っている。

というのも、自分は変えられても他人は変えられない。

相手を変えるような魔法の杖をわたしが持っているわけではないのだから、

変わるか変わらないかもわからない相手に対して色々思っていても仕方ない。

この場合の仕方ないは、良い意味合いで諦めてる。

何でもそうだけど、自分以外の人の選択をわたしが決めることはできない。

今回のことも然りで、わたしが相手の選択や反応の在り方を決定するなんてことは不可能だ。

であれば、もう自分がやった、というそのことだけで十分だ。

そう思えるようになって、まぁいっか、という具合に達してる。

とりあえず「無反応」という形になってるけど、多分相手は無反応じゃない。

ものすごく反応しているはずだけど、それに対してどのように表現していいのかわからないか、

もしくはどうしていいかもわからないから、とりあえず放置なのかなと思う。

細かいところは想像でしかないけれど、いつまでも気に病んでいても仕方ないから、

それは新たな進展があるまではわたしも放っておこうと決めた。

気にする時間がもったいなくも思い、代わりにわたしは今できることをしようと、

気持ちが切り替わった。

望んだ解決や結果にはならなかったけれども、そのことにはショックを受けていない自分。

むしろ、もうやれることはやったから一旦は解決、とまで思えた自分、あっぱれと思う。

2015年2月24日火曜日

【ドミニカ式】掃除のお供

週末に家の掃除をした時のこと。

何か音楽をかけようと思ってかけたのが、ドミニカ共和国から持ち帰ったラテン系の音楽。

これまでも時々掃除の時にかけていたけれど、何でそのチョイスなのか考えたこともなかった。

少し考えてから、はたと気付いた。

わたしが1年半近く住んだドミニカの家というのが、掃除の時は必ず大音量で音楽を流す

というのがお決まりだった。

掃除をするのは、家主が雇ったラケールという名の多分わたしと同じぐらいの年の女の人で、

暗黙の了解で、家人がいようがいまいがラケール自らラジオのスイッチをオンにしていた。

毎回歌う度にものすごい音程が外れていても本人は気持ち良さそうに歌っていたし、

音楽に合わせてモップを持ちながら踊ったりしている時もあった。

その名残なのか・・・と妙に納得した。


そもそも実に不思議な家族構成だった。

家主の大家さんは近くの高級別宅に住んでいて、

①家主の独身のお兄さんティート、

②バツ一の職業医師ってほんと!?と疑いたくなる妹グリス、

③家主家族と昔から親交のあった30代と思しき女性パトリーン、この方は本物の女医、

④そして彼女のいとこ?甥?に当たる大学生の男の子ピコリート。

ちなみに、血縁関係にあるといえども、パトリーンとピコリートはベッドをいつもシェアしていて、

当然着替えもそのまま自分たちの部屋で済ませるわけで、摩訶不思議な光景だった。

という、わたしの他に4人の大人が住んでいる家だった。

何せ大人しか住んでいない家、色んな意味で遠慮のない家だった。

わたしが移り住んでからまず最初にぶちぎれたのは、

グリスが朝の6時から音量MAXでラジオを流すことだった。

心臓発作でも起こしかねない位の大音量で、自分の部屋のドアを閉めていても

一言一句聞き取れる位のとてつもない音量だった。

さすがにこれは嫌だったから、グリスにお願いだから音量小さくしてくれと頼んだ。

何時位からならいい?みたいに聞かれたんだと思うけど、

6時台は聞こえない位小さな音量で、そして時間の守れないドミ人グリスは

なぜか毎朝7時になると律儀に音量をMAXに上げていた。

自分のためなら、どこまでも律儀に時間を守れるんだ、と感心した位。

掃除に来ていたラケールも、音楽は大きな音でガンガン流していた。

そういえば、たまにラケール一人しか家にいない時にわたしもたまたま居合わせて、

その時は音楽がない時もけっこうあったなぁということも思い出した。

家人に遠慮するようなラケールじゃない。

回想していて思い出したけど、そう、毎日不定期に停電があったから、

音楽がない=停電中だったことも思い出した。


話は変わるけど、女医パトリーンは背が低い方に分類される。

150cm台前半ではないのかなと思う。

皆パトリーンを「ちび!」と呼んでいた。ラケールも「ちび!」と普通に呼んでいた。

医師とお手伝いさんが同じ口調で話すなど普通には考えられなかったけど、

あの家ではそれはそれで問題のないうちだった。

むしろ、「ちび!」はパトリーンの愛称だったんだと、今さらながらに気付く。

そうだそうだ、あの国では「でぶ」も「ちび」も「黒んぼ」も諸々の身体的特徴がそのまま

あだ名になる国だった。

日本でそんな呼び方したら、大問題になりかねないけど、あの国ではOK。

わたしの同僚の男性も、わたしより年上だったけど、「少年」というあだ名だった。

今となっては本名を思い出せず、とにかくみんなに「少年」と呼ばれていた。

カルチャーショックというようなレベルを通り越して、何もかもが変にしか見えない生活だったけど、

今となっては、とっても貴重な体験だったと心から思う。

当時、一人暮らしをしている日本人の人たちがとっても羨ましかった。

一人なら、グリスの朝一番の大音量のラジオも、

はちゃめちゃな家族構成の中で遠慮しながら洗濯や炊事をしなくてもいい、

ガスがなくなると誰かがガスボンベを持って買いに行かないといけなかったけど、

車のないわたしは、ひたすら暇人グリスがすぐにでも買いに行ってくれることを祈るしか術が

なかったけど、

もうある意味毎日がサバイバルのような感じで気も休まらない日々ではあったけど、

あんな経験、もうあの時しかできなかったんだと思うと、今となってはあの変てこな家で

変てこなカルチャーの上で日々生活したのは貴重だと思う。

もしあの家に行かなければ、わたしは今掃除をする時、何の音楽を流していたんだろう。

他の音楽ももちろん流したことはあるけれど、ドミニカの音楽ほど掃除にしっくりくる音楽はない。

2015年2月23日月曜日

書きたい文章

次の記事でこのブログも100記事到達となる。

下書きも含めたらとうに100は超えていたけど、きちんと公開したものは次で100。

なので今回は99記事目のアップとなる。

この1ヶ月毎日ブログを書こうと決めるよりもうんと前に、自分の中で4種類の書きたい文章がある

ことにある日気付いた。

①日々の自分の記録
②これまでに習った使える知識や技術
③感動ストーリー
④コラム的な自分の興味関心が向いたもの

①はこのブログになる。

②はまだ公表はしてないものの、こつこつと別のブログでアップしている。

③は『光の図書館』の方でアップしている。

④だけど、意外にこれは自分の中で書きたいものなんだと認識したのは、

多分ここ半年1年の話だと思う。

色んな人のエッセイを好んでよく読む。

そういうものを読んでいると、自分の中にも特段役立つわけではないけれど、

何だか表現したい、言葉にして形にしたい、そういうものがあることに気付いた。

ただ、色々思うことはあるけれど、どんな形でアップするのがいいのかわからなかった。

投稿数にかなりばらつきはあるものの、すでに3つのブログを動かしている今、

新たにブログを立ち上げることは気が進まず、ずっと宙ぶらりんのままだった。

そんな流れの中で、今月毎日このブログをアップするにあたって、

そんなに毎日毎日自分のことばかりも書いていられないので、

それでふと雑感的なものをここで書き始めた。

書いてみたら、自分の中でそんなに違和感がなかったから、もうこのままこのスタイルで、

要はこのブログでは、自分のことと雑感と両方を綴っていこうと決めた。


これはすごくうれしい発見だったひとつだけど、

このブログを始めてから、わたしは自分が何を書きたいのかがものすごく明確になった。

これを始動する前は、要は上の4つが頭の中にすべてあって、

どれも書きたいのだけど、いかんせん内容もそうだし雰囲気も全く違う4つだ。

その4つを1つのブログの中で全て詰めこんで公表というのは、気が進まなかった。

そして、今ほどにその4つがどんな風に違うのか、自分の中で説明できずにいた。

だから、とりあえずこの『vivir空間』を始動させて、その上でまた考えようと思った。

多分やっていくうちに色々わかってくるだろう、と勝手に予想して。

予想した通りで、書いていくうちに『光の図書館』が発動し、さらにもう1つ別のものも加わった。

②に該当する、これまでに習った使える知識や技術に関しては、

始める当初、かなり勇気が要るものだった。

なぜ勇気が必要だったのかというと、悪用される心配のあるものだったから。

過去にそういう類いのことを書いた時、2人の人から変な風に真似をされて、

それがたまらなく嫌な経験だった。

2人ともわたしと同じところで同じ学びをした人たちだった。

同じ学びをしても、気付くものは人それぞれ違う。

わたしは自分自身を通して発見したことをありのまま書いたのだけど、

それを真似された時は、本当に腹が立った。

自分の力で勝負せず、他人の力を無断で利用するその根性がとっても気にくわなかった。

それが怖くもあったけど、今その人たちとは縁が切れて、

さらにいくら真似されても大元のわたしの中から出てくるものは、それはわたし自身しか

表現できる者がいないということに気付いてから、その部分は気にならなくなった。

代わりに、自分が知り得たことを色んな人に公開して、もしそれでヒントを得る人がいたら

それは本当にうれしいことだと、自分の中だけに留めておくのではなく、自分以外の人にも

伝わったらいいなぁ、という気持ちが湧いてきた。

その気持ちが十分になった時に、別のブログが動きだした。

まだ動きだして1ヶ月位だけど・・・。


ひとつひとつを形にしていくのに、どれもこれも時間がかかっているし、

この進み方がのんびりなところは、自分の責任なのにちょっと不満だったりもする。

でもこうして振り返ってみると、動き出したことで色んなことが形になってきたし、

そして思わぬ協力を得たりもした。

『光の図書館』に関しては2人の人が多大な協力をしてくれたし、

このブログに関しても、操作方法全般を友達が無料でちゃちゃっと講義してくれた。

つたないブログを読んでくれる人たちもいるし、本当に色んなものを得られた貴重な体験を

今している。

これからどんな風に発展していくのか未知ではあるけど、これからも綴り続けたいと思ってる。

思いがある限り、続けていきたいと思ってる。