2023年2月19日日曜日

糸と布と戯れる

一目惚れして買うキッカケになった
キティと女の子の絵柄のリバティ布シール

いつどこで手に入れたか記憶のない毛糸で
とあるものを作った↓

水晶とペンジュラムの夜寝る時用のお布団(笑)
水晶が希望した糸だった

子どもの頃に買ってもらったいちごの家の形の
人形ハウスみたいなおもちゃを思い出す
その絵柄のキティ布
現在は廃番でメルカリで見つけ出した

冒頭のキティ布シールにどハマりして、
つい最近手にした第二弾のリバティ布シールたち

今回は主に「thank you」シールが欲しくて買った

リバティの布シールの一部を厚紙に貼って
母から譲ってもらった糸たちを巻きつけた
母が勤めていた服の修整会社には
ゴミになる糸くずがたくさんあって
時々それらを持ち帰ってきてもらって
色んな糸をゲットしてきた(。•̀ᴗ-)✧

とりあえず透明ケースに入れて保管中
ケースはイタリア産白ワインが入っていた
ワンカップ( ̄∀ ̄;)
下のコースターは新入りのコースター

布シールを木製クリップ?洗濯バサミ?に
貼ってアレンジ٩(ˊᗜˋ*)و
眺めるためにそのうちの半分は明日職場の机に
飾る予定

この4枚が最初から超気に入って
買うことを決めたシールたち

「タッセル」と呼ばれるものを
先日の楽天マラソンで買った
使い道は思案中

ドミニカで作ったレジ袋ストッカー
布は大学時代から愛用したズボンのパジャマ

同じくドミニカで作った小物入れ
りんごと花と青いトマトに刺繍的なステッチを
施してモコモコさせたところが気に入ってる

最近取り寄せたリバティ本
左下以外は全て絶版本



週末、糸と戯れた。

↑これ先週末に書いた。(2/12)


今週末も糸と小さな布シールと戯れてる。(2/18〜19)




*




20代の頃、職場の大先生的な方の家におじゃまさせてもらったら、その方が以前はプロとして東京の百貨店に作品を卸していたという手作りのパッチワークをされる方で、退職後いつかの時に故・蜷川幸雄さんの妻、写真家の蜷川実花さんの母である蜷川宏子さん主宰のパッチワーク教室?的なところの展示会で東京で作品を出品します、なんていうハガキももらった時があった。


大先生のお家は本当に素敵で、手作りのものたちがどれもこれも素敵すぎて、それでふと自分にもできるんじゃないかと思って、お宅に伺った後すぐくらいに家にある適当なハンカチや布を四角に切って縫い合わせてみたら普通にパッチワーク風なものができて、そこで「何かしら作れるかも!」となったのが布と戯れる最初だった。


本当にどハマりして、色々道具や布を買い込んだ。


途中で頓挫することが多くて片手で数えても最後までできたものは指が余るくらいにしかできなかったけれど、とっても楽しかった。


ドミニカにいた頃、現地で暮らす日本人ママと仲良くなって、その方が無類の裁縫好きで尚且つ私も暇があると布を見たりボタンを見たりしに行って楽しんで、2回目のデング熱になって退院した後しばらく自宅療養をしていて(真面目に少し動くだけでも肩で息をするレベルだからなんだかんだ1ヶ月くらい療養したと思う)、その時にとうとう限界に達した大学時代に友達とお揃いで買ったパジャマ用のズボンを捨てるに捨てられなくてそれでゴミ袋ストッカーみたいなのを作った。


それが超楽しくてドミニカでも針と糸を持って、なんならこれを職業にしたらどうかと真剣に考えてドミニカから日本にいる手芸作家さんのアシスタント募集をされてる方やらそれで独立されてる別の方に連絡を取ったりしたくらいに大ハマりした。


ドミニカ時代に作ったものは今も手元に置いている。


で、その後からはずっと手芸熱は冷めて、引きこもりして時間があっても手芸には目もくれず、そのうちに占星術やオラクルカード、タロットカードにハマってもう手芸は一生しないものだと思っていた。


ところがここに来てまた突然に手芸熱が上がって、そうだ、思い出した、タロットカードをするのにカードを敷くための布製のマットが欲しくて、普通に市販もされているけれど、占い雑誌に自分でタロットカードのマットを作るとさらにカードの力というか自分のカードを読み解く力とかいうのがアップするとかなんとか読んですぐにその気になって(笑)、それでまた布とかとご縁を再会する運びになったんだった。


その関係で今度は布とかを見るようになって、ただ20代の頃に好きだった柄にはもうそんなに惹かれなくて、今の趣味で好きなのを選んだりする関係で時々手芸屋をのぞいたりするけれどいまいち好みのものを見つけられず、そのうちにネットで買う、それもかの有名な楽天マラソンと呼ばれる楽天のポイントアップのセールの時に買うことが増えて、貯まったポイントはまた何かまとめての買物に繋がって、そんなこんなをしているうちに今度はメルカリに目をつけてそこで「リバティ」と呼ばれるイギリス発祥の布に突然魅せられて、今どハマりして本やら小さな布やらを買い始めてる。


リバティは20代の頃から知ってはいたけれど、いかんせんお値段が高額で(10センチあたり360円台が今の相場で、今回初めて知ったけれど、リバティはそもそも値段を勝手に下げたりとかできない仕組みになっていて、正規取扱店はどこも同じ統一価格で出している)そこで興味すら湧かなかったけれど、最近は小さな買物ならいけるとなったのと、そしてメルカリで個人で出品されてる方のものだとお得になっていたりして、そこからまたじわじわと布への熱が上がってきている。


21歳の時だったと思う。


私は1年だけ、全米対象の登録校同士なら基本的な条件をクリアしてさらには学校での面接にパスできたら違う大学に通えるとかいう交換留学的なプログラムに応募して、それで南部アラバマ州に行っていた。


単位はまた出身校側にそのまま持ち帰ることができて、さらにはアラバマの時は部内の奨学生制度みたいなのがあって、教授のリサーチアシスタントをして小銭を稼ぐこともできた。


それもかなり面白い体験をさせてもらえていたなと思う。


それはそうと、アラバマで唯一自分の興味関心(+楽ができると思って)で中国語を取ったけれど、これが想像と恐ろしく違って難しすぎて、前期はなんとか取ったけれど後期は取らずにいた。


で、そこで教科書が不要になって、先生に許可を得て後期のクラスの最初の時におじゃまして、教科書を売りたいと宣伝した。


普通に教科書類は高くて、中古で十分なのは私もアメリカ人や他の留学生も皆同じで、だからもし誰か買い取ってくれたらラッキーだなと思ってそれでクラスに行った。


そこで出会ったのがたしか2つ年下のリカだった。


リカとはそれを機にとても仲良くなって、日本に帰ってからも何回か再会したし、さらには私に視える友達を紹介してくれたのもリカで、まさかその時に会ったIくんが後に自分もそういう世界に入っていくようになる世界を見せてくれた人だなんて当時の自分は想像さえしていなかった。


で、リカがその当時教えてくれたことが私には今でもはっきりと残っている。


リカは年上の40過ぎている日本人女性の方、旦那さんに付き添ってきたのか学生だったのかはたまた現地で働く人だったのかはわからないけれど、その女性から「20代の若い時に趣味を1つでも2つでも何でもいいから持っておくといいわよ!それが年をとって何かを始めるのが億劫になる年齢の時でもまた若い頃の趣味が再燃してまたハマったりできるから」と言われたと教えてくれた。


だからうちも何か趣味を持とうと思ったしフミコも持つとええでとおしゃべりしたことは覚えている。


20歳そこそこの私からしたら40代とかそれ以降なんて全く想像もつかない年齢域だったけれど、いざその年齢域に達した今、たしかにまた手芸熱が再燃して「あ、なんかわかる気がする」と思っている。


基本的に興味を持ち出したらしばらくはフィーバーになりがちだから色々と興味関心があるのは私の場合年齢関係なく火がつくけれど、20代の頃の趣味が今また再燃するのはちょっと粋というか感慨深いものがある。


そして20代の頃に始めたことは新しく何かを習得するのを1から始めるよりもある程度ベースがあるから取っ掛かりやすいというのも何だかわかる。


始めるハードルが低いというか。


ちなみに個人的には何かを始めるのに年齢は基本的に関係ないと思っていて、80歳を超えてからYouTubeデビューしたおばあちゃんとか、そういう年齢になってから英会話で何かする必要があってとても綺麗な英語を話すマダムとかをテレビで見たことがあるから、やろうと思えば本人さえその気があればいけると基本的には考えている。


そんなことも思い出しながらの今の手芸熱、それがまさか新しいタイプの癒しを生み出すだなんて想像さえしていなかった。




*




きっかけはメルカリで見つけたリバティの布シールだった。


リバティとハローキティがコラボして、キティ柄のリバティ布があるのはそれとなく知っていた。


だけど全く興味もわかずしばらくはスルーしていた。


そんな折にリバティの色んな布を使ってシールを手作りしている人たちがいると知って、そしてメルカリというのが「それ元とれてる⁇」と聞きたくなるくらいに安く出してくれている出品者さんが多くて、そこで私はとある方の作品を見つけることになった。


シールになっているリバティ布は、本当に1つ1つ表情が違っていて、私は見ているだけでとても楽しかった。


その中の1つにキティ柄のシールがあって、さらには小さな女の子のデザインみたいなのがあって、そこで初めてキティ柄に目を向けた。


すごく可愛いものだと知って、連日キティ柄のリバティ布をメルカリを中心に見ていた。


そうしたらその1つに自分の子どもの頃の感覚を思い出す布を写真越しにだけれど見つけた。


それは買ってないのだけれど、その布はいつか買ってカード類のマットなり何かそうしたものに使うのもいいなと思い始めた。


ただ、リバティ布はとにかく高いから、メルカリと言えどもすぐに手を出せるものでもなく、少し様子を見ること1週間ほど。


そうだと思って、今度はキティ柄の布、それはリバティに限らず単純にキティ柄の布をネットで探した。


そうこうしているうちに、自分が子どもの頃の感覚を思い出せる、そういう布のデザインに行き着いて、そちらのキティ柄はメルカリで個人の人から譲り受けた。


廃番のデザインらしく、普通にはもう出回っていなくて、それでメルカリで見つけた時にはものすごく嬉しかった。


今回、最近覚えた画像検索を超駆使して色々な布に行き着いているけれど、このキティ柄の布だけはちょっと別格の立ち位置にいる。




*




心理関係のセラピーやワークショップなんかに出ると、よく「子どもの頃の楽しかった記憶を思い出してみましょう」なんてのがある。


大人の今忘れている子どもの感覚を思い起こして、今にそれを復活させて生きやすさや自分の中の純粋さを取り戻すみたいなことを意図してそういう風な手法を使っているのはよーく原理としてはわかっている。


でも私はその手の質問もセラピーもとても苦手で、基本的に何かを思い出すこともできなければ、子どもの頃にさかのぼればさかのぼるほど生きづらさの方が勝って楽しいこととかほぼほぼ思い出せなくて毎回息苦しさみたいなのや虚無感的なものを覚えて終わりだった。


だからあのセラピーに超懐疑的なのと、その頃の感覚を思い出してプラスに作用する人というのは基本的に子ども時代が充実していたり楽しいことがあれこれあった人たちなんだろうと思う。


私みたいにオール1みたいな色々できなさすぎて環境も人間関係も順応性がとてつもなく乏しく、さらには集団からある意味いつもはみ出してしまうから(周りのペースについていけなくて。わざとじゃなくて能力が無いとそういう悲しいことや困ることが盛りだくさんになる)、そこに輪をかけて場面緘黙みたいで人ともほとんどしゃべらず、なんなら保育園で母親と担任の先生とが躍起になって私に「はい」と返事をする練習なるものまでさせられたことも覚えているし、とにかく本当に子どもの時は人よりも色々できなくて大変だったことや努力や練習的なものをすごい量でやらされたこととか(それでも人並み以下にしかできない)、周りの人たちに馴染めず1人ぽつねんなんて年がら年中だったしで、とにかく「これ楽しかったー!」なんてのがほとんど記憶としてない。


そんな風なのに、「子どもの頃の楽しい記憶を思い出しましょう」的なセラピーは誰もそれに異を唱える人など見たことがなく、まぁ効く人たちにはものすごく効果があるのだろうと冷めた目で思っていた。


その辺りは今もそんなには変わらないけれど、キティ柄の布を手にしたことで私の中でずっと閉じていた色んなことが思い出され始めた。


まずは子どもの頃に買ってもらった人形の家みたいなもの。


今でもどんな風だったかはっきりと思い出せるくらいに覚えている。


それがいちごの形をした家で、今回買ったキティ柄の布はそれを思い出させてくれるものでもあって、それが気に入って買ったのもある。


さらに思い出したのが、保育園時代のお遊戯会でやったおむすびころりんの劇。


その時、私は最後何の役をしたのかはもう記憶がない。


けれども、当時配役を決めるにあたって、最後まで残った意地悪ばあさんの役に当たって大泣きして、それはなんとなく免れて、やさしいばあさん役か他のエキストラ的な役かどちらかになったと思う。


ちなみにその当時の感覚は、いつからかそれこそ10年20年単位で時々ふわっとよみがえる記憶で、何も今回思い出したのが初めてではないものだった。


どうしてそんなにも強く記憶に残っているのかよくわからないけれど、とにかくかなり鮮明に残っていてこれはなんだろう?と最近になって思うようにはなった。


そうしたら布や糸と戯れてるいるうちに色々と思い出してきた。


配役云々の前に、私はそもそも何をしたかったのだろう?と思った。


それはもう子どもの頃からのやり方というか自分なりに何かを守るためにやった方法には違いないと思うけれど、こんな風な思考回路なんだとはたと気付かされた。


そもそも私はまずは周りを見て、そして自分というのをそこに置いて見て、自分がやってもおかしくなさそうなことをまずは選んでいる。


やりたいとか興味があるとかじゃない。


周りを見ること、それは人の目を気にしているというのとも自分の中では違っていて、周りからからかわれたり揶揄されたりしないように、または場の空気を乱さないように、そういうことを一番にして、その後に自分にとって極力安全となる選択をする、そんな風になっている。

(これ書いてて思ったけれど、色々できないことがあって余裕なんかなかったはずなのに、こういう状況観察や人間観察なんかは子どもの頃からかなり自然にしていたんだなと思った(笑))


お姫様役なんてなかったけれども、仮にお姫様役があったとしても自分には合わないと決めて、そこはそもそも選択肢にさえ入らない、そういうことを瞬時にする。(わかりやすく「お姫様役」としたけれど、それはやりたいものじゃない。)


そして残った中でまだやれそうで周りからもやっかまれたりせずに行けそうなものを探す。


純粋にこれがしたいとかそういうのではなく、色んな計算が働いた後に何かを選ぶのが自分のこれまでのやり方だったんだと知って愕然とした。


だから好きとか気になるとか惹かれるという感覚がいまいちわからなくて、感じる前に自ら遮断するクセがあるから、だから自分の感情がなかなかわからずにいた。


キティの布を前にした時、そういうことは何にもしなくて良くて、純粋に好きだとかかわいいという感覚だけが出てきて、その素直に真っ直ぐ何かを出せることにとにかく感動した。


話がすごく飛ぶけれど、今の私の星回りは史上最強の星回りで嫌でも自分が変わらないといけない、そんな感じになっている。


アセンダント (ASC)に天王星が、MCに冥王星が乗っている。


アセンダントというのは、その人の自然体の状態や性質を表すとされていて、そこに改革の星の天王星が乗っている。


MCというのは、その人の社会的な頂点、社会的に目指すもので、そこに破壊と再生の星の冥王星が乗っている。


私のMCは「お茶の葉を読む女」というサビアンシンボルと呼ばれるものがついていて、名前の通り、お茶の葉占いをすることがそのテーマの象徴になっている(詳細は割愛)。


とにかく私的な自分も公の自分もガンガンと星からの影響が強く出て、殻を破って自分の自然体に還る他ないと言わんばかりの状態になっている。


占星術を知っている人なら絶句するような強烈な星回りを今の私は数年かけて体験している。


そしてここから先は何かを始めたのならそれが生涯育んでいくような何かになるとされている。


先が迷子みたいになって焦りもあるし怖さはいつの時もある。


何がどうなっているのか仕事は展示会とかの外向けのイベントもないのに多忙を極めている。


残業の時間が半端ないし色々考えたり振り返ったりする時間も元気もない、そんな日々が数週間単位で続いている。


そんな中で謎の手芸熱が再燃して、暇さえあればネット検索をしたり今後何を作るかの計画をしたり、楽しいからいいけれどこれ何のためにするんだろう?とかなり不思議というか何でするのかがよくわからずにずっといた。


そんな折に迎えたキティ布で、小さなハギレが私の小さな頃からの習慣、それは続けることでこれまでは自分を守れてきたものの実際には苦しいやり方、自分に無理を強いるやり方でもあったんだと今になって気付かせてもらって、もうそのやり方を自分にさせなくてもいいんだなともっと生きやすいやり方を自分が選んでもいいんだなと今ようやく思えるようになってきた。


心理的な癒しを求めて手芸熱が入って布と糸と戯れたり探したりしてるわけじゃなかったけれど、結果的にそのようになった。


手芸も生き方も何もかもどこに着地点があるのか全く手探り状態でかなり落ち着かないけれど、引き続き布や糸たちから癒しをもらおうと思っている٩(ˊᗜˋ*)و

2023年2月11日土曜日

2月のシュークリーム

毎年2月に行われるサンキュー祭

1箱10個入りシュークリームを
390円(420円税込)で販売してくれる

去年もこの写真撮ったかもしれない…と思いつつ、
ようやく中に入れた時に今年も1枚パシャリ

朝7時50分前にすでにこの行列
私の後も同じくらい行列が続いていた

梅のつぼみ
今年も春が近づいている



2023/02/11

建国記念日という祝日にシュークリームを買いに朝から行列に並んでいる。


時間は朝の7時47分。


到着したのは40分くらいだったけれど、駐車場探しに迷走して、少し離れたパチンコ屋さんの駐車場をお借りしてスタコラさっさと小走りで行列の輪に加わった。


今年初どころか数ヶ月ぶりに走ったかもΣ(꒪◊꒪ )))) 


どうも今年はやり方を変えたらしく、本来8時オープンからの開始なのにすでに販売を始めていて、とりあえず行列は少しずつ前に進んでいるから救われる。


限定300箱の中に入れるかしら。


これはこの辺りじゃ有名な『ガトー専科』という洋菓子店が毎年2回「サンキュー祭」なるものを開催していて、なんとシュークリーム10個入って1箱390円(税込420円)で売り出すというすごい超庶民の味方のイベント。


高校生以前からあったと思うから、もう何十年級の地元でもかなり浸透しているサンキュー祭。


高校生の頃に買った時は、まぁ値段ゆえに…という感じがあったけれど、近年のシュークリームは劇的に美味しくなって、本当にお得だなと思う。


言わなきゃいくらかわからないくらい美味しい。


しかも今朝は雨がほぼ降ってなくて(このままもってくださいとひた祈る)寒くもない。


2月とは思えない、東京はじめ太平洋側は大雪警報が出たとは思えないくらいにシュークリーム行列日和。


ブログを書けるように、バッテリーがもたなさすぎる私の携帯のために、携帯用バッテリーも持ってきたすごい用意周到さ!




*




スイーツ繋がりで書こうと思っていたことを思い出した。


昨日金曜日の仕事の後、今年のバレンタインのチョコを買いに行った。


今年あげるのは2人。


Mr.ダンディとイケメンエンジニアの硬派さん。


来年はMr.ダンディは間違いなくいないし(退職になるらしい)、私ももういつ辞めるかもわからないから来年は仮に渡したいと思ってももう渡せない可能性が高い。


だから今年最後かもと思って買いに行った。


駅のショッピング街みたいなところで毎年バレンタインフェアしてるのはいつかの年に知って、それを目指して行ったらなんとビル全体で改装中で売場が超縮小されてて、とりあえず見つけられたのはGODIVAの期間限定店だけだった。


ショーケースの中に入っている中で選ぶしかなく、それが一番安くても千円札+小銭というGODIVAらしい価格で、その次の価格帯のものをMr.ダンディ用に選んだ。


他にもコースターを買ってあって、でもそれお気に召さないといけないと思って、そこで自分じゃ絶対に買わないだろうごはんのお供的なものも1つ買った。(味は美味しいけれど、自分のためにそこまでお金を出して食べるかと言うと手が伸びないタイプのもの)


ちなみにGODIVAのショーケースの中には五千円札出してもまだ足りないくらいの高級チョコもあったけれど、どうしてそんなにも高価なのか、お値段以上のお味やら手間暇なのか、一般庶民には生涯縁が無さそうなお高級なチョコたちがあった。


自分のためにそんな高価なものを買わないから、というか同じお金を出すならもっと他に欲しいものを買うなり体験したいから、これらは誰かからプレゼントしてもらう以外は手にする機会さえ無さそうと思った。


硬派さんの分はどうしようかと思った。


GODIVAだとさすがに行き過ぎで(おまえの普段の頼り方は行き過ぎじゃないのか!?というツッコミは脇へ)、もう少し普段使いではない・でもそんないかにも的なのじゃないのはないかな…と思ってカルディみたいな輸入食材店の店頭でベルギー産のコーヒー味のチョコを見つけた!


去年はスーパーに売っているコーヒー豆のチョコを渡していて、硬派さんそれがドンピシャで大好きだと言っていたから、チョコが硬派さんを呼んだのかと思うくらいにピッタリの品だった。


ラッピングをしてもらえるかを聞いたらOKで、お店の人に「バレンタインのシールを付けますか?」と聞かれて「お願いします」と答えたら、ハート型のシールが貼られてきた(笑)。


硬派さん相手ならふざけて「バレンタインのシール貼りますか?と聞かれて『はい』と返事したらハート型のシールが貼られた!セクハラみたいでごめんね」と言えるから、本当に自己弁明をしながら渡そうと決めた。




*




Mr.ダンディや硬派さんのチョコを用意しながら、今年もまた「イケメン上司の周りの女性社員たちはどうしてるんだろう…」とあらぬ方向に思考が飛んだ。


私がシュークリーム目がけて洋菓子店に行くように、または職場でお世話になりまくりな人たちにチョコを渡すためにチョコ探しに行くように、イケメン上司の周りにいる事務員さんとか女性社員なり派遣なりがチョコを用意しているのかな…と思い、私もせめてそのポジションにいたかったなと思った。


ってことは、女性社員へのお返しもイケメン上司は用意するんだろうか?とこれまた先々の心配的な見通しまで瞬時に思考は働いて、なんだか羨ましいやら寂しいやらテンションは違う方に引っ張られていった。


職場ならバレンタインとかも社会的に通用する理由が立った上でプレゼントできるなんて、なんて素晴らしいシステムだろうと思う。


先々の心配的な予想とかする立場にないのは十二分に承知しているけれど、思考は自由すぎるくらいに色んな想像が働いてしまってその辺りは制御不能だった。


今時はチョコを贈るような社風もない企業が多そうだけど、イケメン上司の今はどうなんだろう?と朝から考えなくてもいい考えがムクムクと湧き上がった。


ちなみに私が今いるところはチョコはおろか「バレンタイン、何それ?」みたいな職場だから、あげるとしても超個人的にあげて終わり。


仮に男女比9:1みたいな今のところでチョコの用意なんかしたら、女性陣皆チョコ破産確定だから、そんなこと誰もしませんな空気が私が入った最初の年から漂いまくってた。


イケメン上司の今の状況がとてつもなく気になりつつも、系統が似ていそうだからそこもバレンタインはスルーかもしれないと密かに期待してみたり。


とかいう前に、そんなこと気にしている自分がなんだかとってもおかしい人、イケメン上司がいなくなってから今年が6回目のバレンタインで6年経った今もこんなことを毎年気にかけてどうすると言うのだろう…とか、自分へのツッコミもムクムクと出てきて不穏な余韻だけ残された。


でもさでもさ、完全無視6年間の記録とかいうすごい偉業をもし仮に職場でやられていたのなら、もちろんそれはイケメン上司に転勤もなく私ももれなく仕事を辞めずにいて居続けたというありえもしない設定はさておいての話で、それの方がメンタルダメージがデカすぎただろうから、バレンタインのことを想像して憂いている方が健全かもしれないとも思った。


チョコを贈ったりお返しを贈られたりする関係に憧れつつ、今年もまた本命も何もないバレンタインを目前に控えてとりあえず目下のバレンタイン用の準備が整ってホッとしている。

2023年2月9日木曜日

物欲ラッシュ

立春の前にお出迎えしたオラクルカード

同じく立春の前にお出迎えした水晶
なんとお顔を持ってる風でそこが何とも言えず
かわいい(o´艸`)

オラクルカードの開封式
2023/02/04 立春

話の中に出てくる、
ガイドブックのないカードたち

次の日も気に入ってカードを使った

ストーンサークルのようにしているのは
一点ものの手作りビーズ
単にビーズを眺めたくて置いただけで
スピリチュアルやオカルト的な意味はない

ちょうど出たカードのデザインと水晶の顔とが
そっくり、瓜二つ(笑)

どハマり中のリバティの本の1冊
表紙の一部が破けていた

それをリバティの布シールで補強
中身よりシールを貼った表紙を眺めてうっとり
(♡´艸`)♡




物欲が止まらない。

だけど、いただきものは大切に使いたい。


ということで、新たにオラクルカードを迎えることになった。


数日前、町内会経由で町内会業務の御礼ということで市の商品券1000円分をいただいて、それは父と母から私にどうぞということで私がもらえることになった。


よその市は知らないけれど、ここでは特定の店舗でしか使えないようになっていて、使える店一覧を隅々まで確認したところ、大型の書店でも使えるとわかった。


それを見て「オラクルカードを買おう」と決めた。


その商品券とは別に、母が去年せっせと応募したプレゼント企画の1つが当たって、そちらは1000円分のギフトカードだった。


それはどこでも使える金券なのに母は私に譲ってくれた。


その大型書店だとギフトカードも使えることは知っている。


そこで「オラクルカードを買おう!」となった。


どちらもスーパーイレギュラー、なんなら生涯を通じて最初で最後の2枚の異なった商品券がほぼ同時期にやってくるというレアな感じだから一生使える何かにしたいと思った。


私の中の変なこだわりで、お祝いのお返しとか何か特別にイレギュラーで入ってきた商品券は基本的に長く使えるものや生涯使えるものに替えている。


今思い出せるだけでも、占星術の5000円くらいした本、ドライヤー、高級な靴的なスリッポン(名古屋にいた間履き倒した)、別のオラクルカードとそんな風にそれぞれ思い出やストーリーがその後も続くものに替えてきた。


本だと読まない可能性があるけれど、オラクルカードなら必ず使うだろうと思ってそのように決まった。




*




2月1日、2月最初の水曜日は残業せずに済んでさっさと帰ろうと思った。


ふと、2日に来るという次なる寒波のことを思い浮かべた時に「今日これからオラクルカードを買いに行こう!」と決めて、家に帰るための方向に向かっていたけれど、大きな交差点で道を変えて家とは反対方向にある大型書店に向かった。


大型書店側はとにかく雪が降ると道がものすごく悪くなるのと、それこそ12月の記録的な大雪の時に国道の立ち往生が発生したところでもあるから、雪がこの後多く見込まれるならまたしばらく買い物にもわざわざ行く必要がないから、それなら道の状態が良い今日の方が良いと思って、それで急遽買物に出ることにした。


ここ数ヶ月の間でその書店は店舗を近くの空き店舗に移転していて、移転後に今回初めて立ち寄った。


オラクルカード置き場がわからなくてウロウロしたけれど、今度の店舗ではオラクルカード専用のラックが置かれていてそこに見本のカードだけが置かれていて見れるようになっていた。


数えたら全部で30種類あった。


すごい余談だけれど、そこの書店はそもそも「書店」だからメジャーなオラクルカードを取り扱っているのと、メジャーなだけに私が心惹かれるカードがあるかないかは微妙なところだというのは行く前からわかっていた。


オラクルカード専門店ではないし、片田舎の品揃えとしては素晴らしいと思うけれども、好みのカードがあるかないかはかなりな賭けだなと思って足を運んだ。


実際にカードたちを見て、中には私が持っているものもあったし、おおよそ知らないカードはないくらいにメジャーなところが揃えられていた。


中身を見てみたかったものもあって実際に手に取って見たけれど、ピンとくるものがなかったのと「ピンとこない」とわかって良かったなと感想としては少しピントが違う気もするけれどもそんなことを思いつつ1つ、また1つと手に取って箱を開けて見てみた。


最後2つ気になるものがあって、どちらも「とっても惹かれてる」かと言えばそんなことはなく、でもその中でどれかと言われたらその2つのどちらかだなと思った。


東京に行った時にノムやノムが最近親しくしている人が使っていた魅力的なカードもあったけれども、どちらも「買おう!」とはならなくてラックに戻した。


木のベンチが本を読む用に置かれていて、そこに腰をかけて箱を開けてみた。


1つはけっこう気になったけれども、絵もそしてガイドブックもどう見ても自分が使いこなすことは無理だと思ってやめた。


絵はわかりやすいものもあったけれども、絵と言葉の繋がりがさっぱりわからなかったのと(絵と言葉がちぐはぐなカードは珍しい)、じゃあガイドブックを見たらわかるのかと言えばこれがまた過去最高に超短文での説明しかなくて、私はそのカードを使って何かを読み解くのは多分無理だと思った。


ヒントが無さすぎるというか。


おかしな話だけれど、絵だとか言葉だとかから不思議なほどあれこれヒントやメッセージが来るしその感覚がわかるだけに、絵も言葉もピンと来てないということは私に合わないということだろうと思った。


となると、残るは1つ。


たしかに第一印象でラック全体を見た時に「これだな!」という直感みたいなのはあった。


たくさん人がいる中で「あの人カッコいい、かわいい」とか、たくさんあるメニューの中で「今日はこの気分かも」となるメニューだとか、そのくらいの感覚で「これだな!」で、決して「絶対にこれがいい!」という強い感触ではなかった。


ガイドブックはそこそこ良い感じがした。


絵はカードがセロファンで留められていて見れなくて、代わりにネットで探してみるもののたくさんはなくて、絵は好きになれるかどうかかなり不安があった。


しかも今回は動物がメインでモチーフになっていて、動物の知識もない私でいけるのかそれも大きな懸念事項だった。


でもこれしか買おうという気持ちになるものはないし、じゃあピンと来るものが発売されるのを待つとか他の何かを買うとかも考えられなくて、なんとなくこれなのかな…と思ってガイドブックを読み進めた。


読んでいくうちに作者の意図や考え方がけっこう好きだなと感じられて「これでいいのかな…」と思い始めて、もう一度ラックに戻って1つ1つ見渡した後ペンジュラムを出してそのカードかどうかを聞いてYESを取って、もう一度ベンチに戻ってガイドブックを読み始めた。


突然暗くなった。


うんっ!?


最初すぐに「停電」だとは思わなくて、いや、でもこれって停電だよね?と思い始めるのが先か店員さんがザワザワするのが先かで本当に停電だとわかった。


私は携帯を開いていたから携帯の画面の明かりがあって、そして入口側を見て外を見るとどうやらこの店舗のみが停電している風だとわかった。


店員さんが1人1人のお客さんにもう少しで電気が復旧しますからそのままで少しお待ちくださいと謝りながら説明に回っていて、私のところにも女性の落ち着いたトーンの声の店員さんが同じ説明をしてくれた。


停電の店内にいて、ドミニカでスーパーにいた時に停電になった時のことを思い出した。


毎日数時間単位で停電していたから電気がないのもずいぶんと慣れたけれど、最初にスーパーにいた時にそれを経験した時はさすがに驚いて、さらにはその暗い中でドミニカ人たちは実に慣れた手つきで買物を続けていてそちらの方がさらに驚いた。


ちなみにスーパーは少しでも万引きできそうな大きさの荷物を持って中に入ることは許されなかったから(入る前に荷物預かり所みたいな日本で言う守衛室的な大きさのところがあってそこに預ける)、停電中に万引きを働く人は基本皆無だった。


そんなことを思い出しつつ、停電を体験したカードだなんて思い出に強く残りそうだから、これは買いなさいのサインだろうか?と考えたりしているうちに電気は復活した。


少しだけガイドブックの続きを読んだ後もう一度ラックのところに戻って、他にもっと惹かれるカードがないかの確認とペンジュラムを使っての本当に買うかの確認をして、やっぱりそれだとわかってレジに持って行った。


そんな風にして突如やってきたカードだった。




*




カードを開封する前に思ったことを書き残しておきたい。


正直な気持ち、私はカードが好きになれるかどうかを心配して少し不安にもなっていた。


動物のカードというのも、自分には馴染みがなく、そもそも動物全般が苦手だからより一層大丈夫かな?と思った。


唯一動物のデザインで欲しいカードというのが何年も前からあって、もしそのカードが大型書店に置かれていたのなら私はそれを買っただろうなと思った。

(ちなみにそのカードは、今実際に今回のものを開けた後の気持ちとしてお出迎えしないと思う。)


ガイドブックを見た時も、メッセージはいいけれど何にとかどんな風に使うとかいうのがいまいち思い付かなくて、私のことだから色々アレンジを加えるだろうとしてもそれもやっぱり不安要素としてあった。


その時に思ったのは、その時その時のテーマとなる自分の内面的な性質に対するメッセージをもらうのかな…という風に思った。(心を開くとか自分を最優先にするとか、そういう類いのこと)


ペンジュラムに「私ってこのカードのこととても好きになる?」と聞いたら、ものすごく勢いよくぐるんぐるんと回ってYESが出ていたけれど、私はそれを見ても半信半疑で「本当に!?」と相変わらずペンジュラムに対して若干失礼なことを心の中で返していたくらいだった。


ただそういう自分の不安な気持ちとは別に、異なる商品券2枚が同時に使えることを前提として生涯使えるものを買いたい!という条件がなければ絶対に買うことのなかった、なんなら手にすることさえもなかったカードだったわけで、そのある種の強制力や条件付きの状況下でしか手にすることのないもの、すなわち私の思考や個人的な感情なんかをすっ飛ばしても私の元へ来る必要があったカードなのではないかというのも思った。


自分じゃ絶対に選ばないタイプのカードだから、これはここまでの強制力を持ってまで手にする必要があったのかな…なんて思った。(オカルトグッズたちは、自分が欲しいものを基本は購入しているけれど、時々自分の選択肢から逸れたものが来る、ある種独特の強制力が働く時もあって、今回のカードは強制力の働き方が強かったなと個人的感想。

関係ないけれど、私のファーストオラクルカードは名古屋でお世話になった方から譲り受けたもので、その時までオラクルカードを自分が持つことになるなんて思っていなかったし、その少し前まで、少なくとも30歳くらいまでオラクルカードなるものがこの世にあることさえ知らなかった。そしてそれから数年後、10数年後に自分でオラクルカード買うなんてもっと考えてもいない人生の選択肢だった。)


「オラクルカードがそのような流れでやってくるって面白いね〜。

とても有意義な金券?の使い方だと思った!

本は手放すかもしれないけど、オラクルカードって間違っても燃えるゴミとか資源ごみに出さないもんね。笑

手放すとしたら、次の人に贈るという感じかな、と思うとき、それはもうやっぱり一生物なのかもと思った。」


友人ノムにオラクルカードを商品券使って出迎えたということを連絡したら(←本当の用事は別件でちょうど買ったタイミングだから言った)、上の言葉が返ってきた。


ノムの言葉に感動しながら、本当そうだね、オラクルカードは絶対に手放さないしゴミに出したりとかしないから、一生モノだなと思った。




*




週末を迎えてようやく開封式を行った。


初めてカードたちとご対面して、カードの絵柄を見ただけですぐ好きになった。


そしてカードを出迎える時いつも最初にやるカードインタビューをしてますます好きになった。


心配が一瞬で吹き飛んだだけじゃなくて、カードそのものに込められているエネルギーやメッセージがすごく良くて、色々使えるのは間違いないけれどそれ以上にすごく良いメッセージやヒントが来るとわかって、このカードが私のところに来てくれて本当に良かったなと思った。


私との相性が良いとか私が使いこなせるとかいうんじゃなくて、カードそのものが本当に良いから私が合わせる必要もないし使いこなせるかどうか心配する必要がないくらいにとても良く作られているカードだった。


自分が思考したり頭で考えて選んだりしなくて本当に良かったなと思った。


頭で考えたら絶対に選ばないカードで、大型書店で見た時はカードのデザインもパッキングされて見れなくて、さらには唯一見れる最初のカードがバッファローでそれもなんだかイマイチだったから買いたい衝動にはならなかった。


リアルバッファローを国立公園で群れで何回か見たことがあって(大学時代)、あまりにもたくさんの群れとすれ違ってバッファローのありがたみもあまりなく、だから余計とそんな風だったから5000円近くお金を出してまで買いたいとは絶対にならなかったと断言できる。


でも1枚1枚見ていくと、全部デザインが違っていて、バッファローも含めてそれぞれが素敵な絵柄で、しかも自分的にツボなデザインだとわかった。


とにかく来るべくして来てくれたカードなんだとわかった。




*




今回のカードを出迎えてみて1つ気付いたことがある。


今回のものを含め10月の東京で買ってきたOsho禅タロット、最近一目惚れして買ったSacred Destinyオラクルカード、そして今回のアニマル・キン・オラクルカードと3つ立て続けに日本語のガイドブックが充実しているものたちがやってきた。


カードの変遷で言うと、最初にオラクルカードを手にしたのは2012年だったと思う。


名古屋でとてもお世話になったSさんから「カードも断捨離しようと思って、好きなのを1つ良かったらもらって」と言われてもらったものが私の初代オラクルカードだった。


次にやってきたのがこれまたSさんからプレゼントされたルノルマンカードと呼ばれるカードだったか山で行方不明になったおじいちゃんをペンジュラムで探したお礼金で買ったオラクルカードだったのか記憶は曖昧だけど、そうなると2019年ということになる。


ルノルマン カードによって絵柄でメッセージを受け取ることを覚えた。


その後今度は占星術関係のカード2つはガイドブック無しのものを、それこそ本当にガチで占星術の知識と一言英語のメッセージから読み解くことを開拓しだした。


その後今度は1年位前の2022年前後でタロットカードに目が向いて、タロットこそ完全に絵柄やある程度決められた世界的な意味付けに基づいた読み解きをして、その辺りからますます自分の感覚でカードを読むことが鍛えられた。


そしてカードを読むだけじゃなくペンジュラムやペンジュラム用のボードを使ってメッセージをキャッチする、多分世の中で他には誰もしていなさそうなやり方でカードを選んでカードたちを組み合わせてさらにはカードからメッセージをキャッチする私独自のやり方がある程度確立されてから、立て続けに3つ日本語のガイドブックが充実したカードを出迎えることになった。


話が飛躍すると悪いからあまり深くは言及しないけれど、最近仕事でやっていることもこれまで誰もしていなかったけれど確実にやる必要があることが私のところに回ってきて、私も試行錯誤でやらざるを得なくて周りの超できる人たちから助けてもらいながら1つ新しいやり方を確立させて、なんならマニュアルまですでに作成して、今後それが新しい試みではなくて絶対的にやらないといけない業務として徹底されるだろうところにきた。


0から何か新しいやり方を自分で試行錯誤しながら生み出すというのは、私の生きる中でのテーマの1つなんだと思う。


カードはまだ私的な個人の趣味みたいなものでも、仕事は完全に社会的な公のもので、普通に考えて一派遣でしかない私が上場企業のとある業務の円滑化のために新しいやり方を確立させてマニュアル作ってこの後他の人たちが続いてやるなんて普通に考えておかしい。


ちなみに最初私のしていることは、はたから見ると掴みどころがなく余計な仕事を増やしているくらいの感覚で見られている風でもあったけれど(ちなみに勝手にやったのではなく周りからどのレベルのことをして欲しいか予め説明されてはいて、それに向かってやったこと)、現物を私が足した資料と一緒に部長に見せたら(見せて欲しいと言われた)、それはやらないとまずいことだと部長も速攻でわかって、部長の方からマニュアルを作って欲しいと私の方ですでに作った後につい最近言われた。


これだけ読むとすごいできる人みたいな話に盛りすぎてる感が半端ない( ̄∀ ̄;)。


マニュアルを作ったのは周りの人たちのためでは一切なく、本来なら私がするような業務ではないのに社員の人たちがやろうともしなくて丸投げ状態であまりにも頭にきたから、それで誰でもできるようにするために、なんなら私が業務からフェイドアウトしても大丈夫なようにそれを見越して作っただけで、崇高な使命感に燃えてとかでは一切ない。


それはそうと、何かしら新しいやり方を作って自分がやりやすいようにすることは、私の場合自分の中にあるものや回路を引き出すには欠かせない1つのプロセスなんだろうと思っている。


そして新しいやり方を自分の中で確立させた後はもう何を使っても良いから、例えば日本語のガイドブックが充実したカードたちを持つこともOKになるんだと思う。


ガイドブックのない又はあっても英語のガイドブックしかないカードを手にしたことで、自分なりのやり方やカードの読み解き方を得ていった。


そしてタロットカードを手にしたことで英語圏でのタロットカードの使い方を知って、自分への癒しやメッセージの引き出し方を学んだ。


これは英語に苦手意識がない今だからこそできたことで、これがisとdoesの区別もつかない頃なら到底無理な話だった。


しかも心理的な癒しの起こし方に元々興味が相当あって(自分癒しをしなきゃ人生が立ち行かないところまで来ていたから)、それに興味がありすぎるくらいにあったおかげで英語圏でのタロットカードの使い方は目から鱗で、日本のような占い的に使うよりも癒しや人生の指針、自分との付き合い方に重きを置いたタロットカードの使い方は私には魅力的に見えて仕方なかった。


そうした諸々を経てからやってきたのがここ3〜4ヶ月で手にしたカードたちで、日本語の説明が充実しているだけあってガイドブック見てメッセージを得るという、普通に当たり前のやり方に久しぶりに戻ってきて、でもそのやり方も他の色んなことと掛け合わせてするからさらに深いものに繋がっていてとても面白いなと思っている。




*




物欲ラッシュは今違うところに飛び火している。


今度は20年以上ぶりの布や手芸用品に目がいき、これらが良くも悪くもカードやそれに付随する本なんかに比べると格安で子どものワンコインお小遣いみたいな値段で買えたりするから、暴走しないように気をつけている(けれども物欲は止まらない)。


もうたくさんは要らないからこれにておしまいだと思う(思いたい)けれど、イギリス発祥の「リバティ」と呼ばれるデザインの布があってそれに今どハマりして、とうとうこの2日ほどで絶版のリバティの本を3冊メルカリで買ってしまった( ̄∀ ̄;)。


3冊で送料込みで900円なら(正しくは400円と2冊で500円のものをそれぞれ別の出品者の人から買った)手出しちゃうよねー、などと謎の言い訳を自分にしながら本の到着を待っている。


ちなみにリバティの(物欲にブレーキをかけてくれる)良いところは、値段がとにかく高くてたくさんは買えないし、買う時ももう色々見て回って、まずは「欲しい」かどうかの確認、財布とのご相談、そうした諸々を経ないと買おうとはならないところ。


とにかくむやみやたらと何でもかんでも買わないように、本当に使い道とかを考えて最近はひたすらリバティ検索に励んでいる。


写真にあるように、とにかく自分の手で縫ったカード用のマットがえらく気に入って、そこから布を見たり小物を見たりしているうちに高級リバティ布から作られたシールをメルカリで見つけて買って、それ見てさらに物欲スイッチがオンになって今に至る。


ちなみに物が欲しいというよりも、リバティにせよ布にせよ私が見ているのは、それらを手にした時や目にした時の自分の中に湧き起こる高揚感とか平和で落ち着いた雰囲気の愉しみな気持ちとか、そういうものをかなり見ている。


世界的に片付けで有名なコンマリさんじゃないけれど、「ときめき」なるものを自分の中に持つことのすごさを物たちから得ている。


物たちから教えてもらっていると言ってもいい。


そんな風だから、しばらくはこの謎の物欲に付き合える範囲で付き合って、お財布が緩みすぎないように気をつけて、そして手にした物たちからまた色々なパワーをもらおうと思っている。