2020年1月14日火曜日

⑴【おいせさん手帳】不都合からの贈り物



ノムの手帳メモより(青字の部分)
「おだやかに心のおもむくままにコミュニケートすることで自分のもつよき質が生かされる。それは自分にとってもあたらしくイキイキしたコミュニケーションとなる。」



〜ノムより〜
「記念すべきぶっしーのファーストデイはこんなダイスがでたよー。活字になっているとぶっしーだけどぶっしーじゃない人のメッセージみたいだなあと思った。そして、ぶっしーが魂的なご縁などを日常的に感じているからこその言葉だなと思った🤗🌟」





占星術講座を縁として知り合った友人ノムから誘われて一緒に取り組んだ『おいせさん手帳』。

ノムや私が担当した日に関しては、そのメッセージを掲載して、何かしらウラ話なり今の話なりをしよう!という試みの第1回目。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

1月14日

必要なものたちをあなたの人生に残す。
蟹座月蝕後の今

11日に月蝕を迎えた頃より、人生において必要なものを残す流れに入ります。それはあなたが今生生きていく上での大切な何かで、魂的なご縁や出来事が運ばれてきやすいタイミングでもあります。一見、自分にとって不都合なことが起こったように感じても、それはこれから先の人生において絶対的に必要な礎の一部となるでしょう。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



原文のまま掲載しても良いものか、編集の担当者に確認していないから、今後その部分は差し替えて写真の文章にするかもだけど、本当に最終原稿として提出したのは上の文だった。

そもそもが、すでに出版された2019年版の手帳の中身を一部入れ替えることになって、入れ替え分をノムと私が担当することになった。

最終的に、その大元のメッセージの文体に合わせるために、ノムと私の書いた文章は文末が変更された。

編集担当者のAさんというのが本当に素敵な方で、そうした細かな変更もきちんと説明して2人の承諾を得てからする方だった。

そして、極力ノムや私が書いた文章が変わらないように、本当に丁寧な変更をしてくれて、本音を言えば自分たちの最終原稿の形の方が好きは好きだったけれども、色んな兼ね合いを見てその中の最上を選んで形にしてくれてるAさんの在り方を見て、そこにノムも私も異論はなかった。

2人で、いつかもし自分たちで書けるのなら、その時はこういう文末も含めて自分たちが100%納得できるものを書きたいね、と話した。




私とノムが書いていたのは、2019年のお盆が終わったくらいから秋の十五夜お月様ぐらいの9月の半ばだった。

Aさんから予めこの日の文章を書いて欲しいと日にちの一覧表がノムに手渡された。

それを見て、満月新月や太陽が牡羊座から牡牛座に移動みたいに星座移動する日なんかを中心に星関連と関わっている日をまずはチェックして、残りは日本の節気や「〇〇の日」みたいなのを書くことになった。

割り当ても適当で、ノムも私も特別こだわったとかいうのはほぼなくて、じゃあ1月14日はぶっしーね、みたいな感じで決めていった。

一応手元には、占星術講座の先生からもらった天体の運行表はあるけれども、そんなの見たところで未来予測ができるわけもなく、当時の私は「月蝕を伴った後の話」をそれとなくしてみよう、ぐらいな感じでしかなかった。




ノムと1/13話した時に、2人で本当に不思議だね〜と言い合った。

ノムがちょうど読んだ占星術系のブログで、1月12日(満月の翌日)は山羊座のある1点に5天体集まっていたんだよと教えてくれた。

内訳は太陽、水星、土星、冥王星、セレス。

公転周期はそれぞれ、
太陽…1年
水星…90日弱
土星…29年
冥王星…249年
セレス…4.6年

こんなにもバラバラの公転周期が、360度ある中で全く同じ度数の位置、それも山羊座という社会的にきっちりと整えます!みたいなテーマの星座のところに一同集結とかして、本当に空から注がれる星のエネルギーが強烈すぎる。

字のごとく、「強くて烈(はげ)しい」。

1月11日…蟹座で月蝕(蝕を伴った満月)
1月12日…5天体が重なる

どちらも、占星術的にはものすごく強いエネルギーが注がれていて、それがどういう出方をするかは個人個人違うけれども、やっぱり強烈は強烈になりやすい。

私のように浄化的な意味合いで具合が悪くなる人も多いし、ノムはメンタル的に不安定になったと言っていたけれども、メンタル方向に来た人もいて当然だと思う。

星の流れを見たらその通り!って流れだから、今身体なり心なりがイマイチな人というのは星の流れにピッタリと沿っている、と私は思う。

あと、蝕に関して言えば、「ご縁」的なものが運ばれやすい配置ではあるけれども、ご縁=良縁とは限らない。

悪縁とは言わないけれども、けっこうしんどいものが来る可能性もゼロじゃない。

そんなところまで細かく星読みをしたのとは違うけれども、たとえ一見悪そうなものや苦しくなるものがきても、それも大事なもので後々の大切なご縁に繋がるよ!という意味を私は込めて、今日のメッセージを書いた。

例えばこの体調不良なんかは決してありがたくないし、不調よりも元気な方が絶対にいい。

だけど、不調になったことで、そしてそれがどうやら毒素を抜いたり心にとって苦しくなるものを和らげるための浄化の意味合いでなってると知ってそれをノムに言ったら、このお茶がいいよって某メーカーのどくだみ茶を教えてもらった。

そのお茶はいくつかのことがシンクロしていた。

何がどうシンクロしていたのかノムに伝えたら、真夜中の3時に目が覚めるとノムからLINEが入っていた。

「◯◯さん。おまもりみたいだね💖」

真夜中の3時に目覚めることは全くテンションの上がることではないけれども、ノムからの短いメッセージは真夜中の贈り物みたいだった。

ノムのその言葉は本当に嬉しくて、その言葉だけで私は救われた。

たった一言でノムに言って良かった!と心から思った。

自分のニート状況や経済状況、その他諸々の過去の武勇伝並みの色んなすったもんだ話は色々ノムに言ったけれども、その人のことだけは起承転結がないどころか、あまりにもツッコミどころ満載な上に、伝えても何を伝えていいのかも何を自分が伝えたいのかもわからなくて、ほぼほぼずっと触れずにきた。

そのことが気付けば一番言いにくいものになっていた。

理由はたくさんあるようで、でもいざ言葉にしようとすると説明すらできないみたくなっていて、ずっと華麗にスルーしていた。

ところが体調不良からのどくだみ茶の、どくだみ茶からのシンクロの、シンクロからのノムへの◯◯さんの種明かしとなって、そしてそこから先はノムから上に書いた素敵な言葉をもらった。

ノムに言いにくかったとか、ノムが何か変な反応するかもという心配をしていたとかじゃなかった。

私が話さなかったのは、そのことだけは絶対に自分が守りたいもので、たとえ小さなことでも万が一自分が傷つくような何かがあっては嫌で、それを避けるためなら話さないのが一番って考えてたんだな…って、ノムの言葉を読んで思った。

ノムの言葉を読んで、ノムは絶対にそうやって相手を傷付けたり哀しみをもたらすようなことは言わない人だって知っているのに、それよりも自分の中の恐怖が先立っていたんだと気付いた。

自分の中でもギリギリのところで一生懸命守っているから、そこが崩れるのが嫌で、そこだけは絶対に守りたい、知らず知らずのうちに何よりも大切にしているんだと気付いた。

そんなギリギリの自分に、ノムはそっと言葉のお守りをくれた。

短い中にギュッとやさしさがいっぱい詰まった愛ある言葉がやってきた。




「一見、自分にとって不都合なことが起こったように感じても、それはこれから先の人生において絶対的に必要な礎の一部となる」

本当にその通りで、例えば体調不良なんてのは「不都合」に分類されるけれども、そのおかげでノムからの素敵な言葉の贈り物が届いた。

もっと大きな視点で言えば、ノムと私とが知り合うこととなった占星術講座というのは、2人それぞれの大元を辿れば「生きづらさ」が根底にある。

もし2人それぞれ生きづらさなどあまりなく、そこそこ社会に適応できて、仕事も自分の心の中も安心できる状態であるなら、ノムも私も星を学ぼうなんてそもそも思わなかったと思う。

生きづらさを緩和できる材料、自分自身をより良くもっと深く知る手段をあれこれ探しまくった先の1つに占星術があって、それがどういう因果か同じ時にちょうど入門編を取ろうと考えて、そして私たちの先生もちょうどのタイミングで初級講座を初めて(そしてもしかしたら人生でただ一度きりの)開催する運びとなって、そこでノムと私は出会った。

生きづらさだって好都合か不都合かの二択なら、間違いなく不都合になる。

だけど、その不都合が自分にとって必要なものや必要な出会いをもたらす。

不都合に耐え忍ぶ時期ははっきり言ってしんどいけれども、それは後に大きな恩恵やワンダフルな奇跡に導かれる予兆だったりする。

絶不調の時に明るい未来なんて描けないけれども、それでも時が来れば奇跡は起こる。

「時が来れば」の「時」は、自分では決められない。

私のお気に入りは「神々の審議会」だけれども、神でも仏でもご先祖様でもハイヤーセルフでもサムシンググレートでも天界でも何でもいい、人間の力が到底及ばないところからそういう瞬間はもたらされる、そんな風に私は感じている。




今回のおいせさん手帳はまだまだたくさん楽しみがある☆♪*:.。.٩((*⁰▿⁰*))۶.。.:*♪☆

とりあえず、ノムと毎回振り返り的なことや検証をしたいねーと話している。

「ほんと、こんな風に今年一年を手帳とともに過ごせるってすっごいありがたいことだよね。おまけギフト!  これもぼくたちが、自分の意にそう形の原稿にできたからだし、いっしょに取り組んだからこそだよね。ひとりで、仕事、とやってたらたぶん一度開いて終わりだったかも。17日(←次回おいせさん手帳メッセージの日)たのしみだなあーー。」

ノムからこんな風にLINEが来た。

そして、別件で男友達と電話したら、「ぶっしー、手帳探したけれど、どこにも売ってないんだよね〜。Amazonで買おうかと思ってたとこ」と教えてくれた。

別の男友達もそんな風にわざわざ連絡をくれて、女友達は「良かったね!」止まりだけれど、どういうわけか男友達は少なくとも2人はわざわざ何軒か書店巡りをして、本気で手帳探しをしてくれてる♪٩(๑ᴖ◡ᴖ๑)۶♪

福をもたらす手帳に早速なっている!

1冊の手帳が色んなストーリーを連れてくる。

ここから先、どんなストーリー展開になるのか楽しみ♪

2020年1月13日月曜日

喉の不調

マヌカハニースプレー
↑下の写真のマヌカハニースプレーのサイト
Amazonや楽天でも出ています。

 
友達イチオシの
マヌカハニースプレーとキャンディ

マヌカハニーのカタログ見本

マヌカハニーキャンディ

マヌカハニーキャンディは
KALDIに売ってるとのこと





またおかしな試みをしようと計画している。

昨日(1/12)友達と会っていた。

私のこの元日以降の体調不良について、色々と話して、そのヒントも一緒に考えてもらって、それでいくつかすぐにできることを試している。

いつも以上に頭のおかしな人みたいな話だけど、大事なことだと思うから書いていこうと思う。








想像以上に長引いている喉の不調に何日か前から違和感を覚えるようになった。

これ本当に私だけの体調不良なの?と思うようになった。

とにかく喉1点だけがひたすら不調、それも鼻にこなくて喉だけというのが、私に前例がない。

そして喉にずっと痰が絡む感じや内部が炎症起こしてる感じ、何か詰まってるような違和感が、私の身に起こってはいるけれどもとにかく前例のない症状で、「何かが変」といつからか思うようになった。

「何かが変」というのは、体調が変ということではなく、現象や「何かピンとこない…」となる時の「何かが変」という感じ。

体の不具合が咳を含む喉1点に絞られた時、もしかして…と思ったことがあって、ペンジュラムに聞いてはいた。

ペンジュラムはYESだった。

でも今回だけは、自分の私情が入りまくっている感も否めなくて、ペンジュラムの答えも半信半疑だった。

だけど多分遠からずな内容でもあるんだろうなぁ…と思った。

だから、昨日会った友達から見てもらおうと思った。

彼女には私情がないから、彼女のペンジュラムはきちんと判断してくれるだろうと思って、それでお願いした。

ちょっとだけ語弊がある。

判断をお願いするまで私の中に迷いがあった。

そもそもがおかしな発想で、それを口にすることさえ躊躇(ためら)われた。

でももし私の予想の通りで、私のペンジュラムの答えの通りなら、普通の喉の不調とは違うから、それ相応の対応を考えないといけないし、普通の治し方とは違う。

対処療法では絶対にダメで、根本からのケアが必要になる。

とにかく頭がこれまで以上にぶっ飛んだ質問を友達にして、友達のペンジュラムに聞いてもらうことにした。

基本的にこの友達に聞く時は、最初は質問は言わない。

ただYESかNOを見てもらう。

まず、浄化のための体調不良にはYESが出た。

友達に質問が何かを伝えて、今度は私が両手を友達の前にかざして、その上でペンジュラムがどう出るかを再度見てもらった。

そちらもYESと綺麗に出た。

友達はその時に、悪い感じは全くないけれども、自分の右手から腕・肩を通過して左手にかけてピリピリしたと言って、普段そんな風にはならないから、だからこれは間違いなく浄化ということだろうね〜と言った。

次に、これが私個人を原因とする体調不良なのかを聞いた。

NOだった。

やっぱりそうなんだとわかった。

細かなことは書いてたらキリがないから省略するけれども、私が自分のペンジュラムで聞いてたことと友達のペンジュラムで聞いてもらって全く同じ答えを得たところから話を続けたい。

私は今回の異常なほど長引いている喉の不調は、ある人が関係しているんじゃないのかと思っていた。

不調なのは確かに私だし、私が喉に痛みやら違和感やら咳やらを体験しているのには違いないけれども、これが私のことだけなら相当おかしいと思った。

というのも、私の場合、心と体が基本的に連動しているから、心の癖や子どもの頃からの思考パターンなんかに気付くと、基本的には体から余計な力や毒が抜けるようでその後はかなり早いスピードで回復に向かう。

今回もいくつか大きな癖や過去のしこりになって今に続いていたものに気付いたけれども、いくら気付いても快方に向かわず、それがとっても変だった。

しかもとにかく「良くなった」感じが全くしない。

微々たる回復は見られても、そんなにも体調不良が停滞するのは人生初に近いと思う。

そんなこんなの条件が重なりまくって、ある時に「もしかして、これ私の不具合じゃなくて、〇〇さんの不具合が関係しているんじゃ!?」と思った。

その〇〇さんの不具合をもらうと言うよりも、その人の不具合と同じことが私に起こっているか、もしくは本人には起こらず私が身代わりのようになって私の身体に起こるのを体験するか、その辺りはよくわからないけれども、とにかくそのような可能性があるように感じた。

どれだけでも頭の狂った話だし、本気で狂気の沙汰だと思うけれども、色んなことを総合的に判断すると、そちらなのかな…という感じだった。

ちなみに私にとっては初めてのことじゃない。

過去にも別の症状を最低でも2種類何回か体験していて、その時はどちらが先か忘れたけれども、調べて知ったのか、情報を先に知って体験が後かは忘れたけれども、このような情報を知った。

私が手にした情報によると、ある形の魂の関係ではそうした体調不良が片方に起こるともう片方にも起こったり、はたまた本来不具合が出る予定の者ではなくもう片方が肩代わりするように体調不良を体験することがあるこということ。

それの真偽や立証はできないし、私だってそんなおかしなことが普通に起こるとは思わない。

だけど、体の不具合が先に来て、それが感覚的に自分の体調不良バージョンとは違うと知って、とにかくそれを知れば知るほど、通常の体調不良ではないんだろうなぁというのはこれまでも思っていた。

だから、そうだとわかる時、私はいつも以上に自分の体を丁寧にケアする。

そんなことが届くのかは知らないけれども、相手が快方に向かうことをイメージして自分のこともケアする。

で、今回のこの喉に集中した体調不良は、友達のペンジュラムから、〇〇さんも関与していることにYESと出た。

友達も色々一緒に対策を考えてくれて、覚えている限りのことをここに記しておきたい。

実際に聞いた順番は違うけれども、何もメモも取らずに聞いていたから、思い出せた順に書いていこうと思う。


【医者にかかって治るものではないこと】

私の体感覚的なイメージとして、これまで出せなかったものが外に出ようとしている。

今、体は全力でずっとわだかまっていたり、しこりとなってつっかえていたものを取り除こうとしているのに、ここで医者にかかって抗生物質を処方されて、それで菌を殺したのなら意味がない。

菌と言うよりも、心の奥深いところにあったものが浮上しようとしているから、その動きを妨げるのではなく、それを後押しするくらいのことが必要になる。

だから身体はしんどいけれども、あと少しな感じもするから、このままずっと溜め込んでいたものを体に宿る自然の力で外に出すのが正解だと思うから、自分の治癒力に賭けてみたいと思う。

あと、これは友達に指摘されてなるほど納得!と思ったことが。

今回の体調不良というのが、どういうわけか仕事に行くだけの体力はあって、だから仕事は穴を開けずに行けるけれども、家に帰ってきてからまた翌朝仕事に行く前までの時間だけが一気に具合が悪くなるパターンをずっと繰り返している。

眠れないほどの咳は、夜にしかならない。

日中はゼロとは言わないけれども、本当に仕事中に咳していた日は1日くらいなもので(それも時々)、あとは家にいる時間に集中的に出ている。

友達がそれを聞いて「その仕事にギリギリ行けるというのが、〇〇さんの状況そのものも表している気がする」と言った。

たしかにそうで、一緒に働いていた時、その人は休まない人なのか休めない人なのかは知らないけれども、とにかく休まなかった。

責任感も強いし、立場も立場だからおいそれと休めない状況もあったにしても、とにかく休まない。

仕事に差し障りのないように、私の体調不良も発動するという、何とも不思議な体調不良が続いている。

でもそれもその人の普段の仕事に対する姿勢を思えば、まさに仕事には行けるぐらいのギリギリのところで体を張って、それで仕事から解放されると一気に気が緩んで体が悪くなる、そのパターンがその人みたいだな…と思っている。


【オルゴナイトによる治療】

オルゴナイトを使って何とかするのもありだとなって、それも友達がペンジュラムで確認してくれた。

友達は私の手元にある2つのオルゴナイトを前にどう使うかをペンジュラムで聞いてくれた。

友達にオルゴナイトを最初に紹介したのは私だけど、この友達こそオルゴナイトフリークで、オルゴナイトを使って色んな身体のケアや心のケアを実践している。

風呂の中に入れてみたり、身体に直に貼り付けたり、手のひらにおいてエネルギーの流れを感じたり、とにかく色々とやって良かった方法をあれこれ教えてくれる。

友達は2つのオルゴナイトを前に、それを私の喉の治療に使うかどうかを聞いてくれた。

そうしたら見たことのない斜めの動きが出て、友達も「なんか〇〇さんが絡むと毎回おかしな動きをペンジュラムがするから、1個ずつ聞いてみるね」と言った。

それぞれのオルゴナイトは、個別に治療に使う使わないを聞いたら、YESと出た。

私の方のは喉にYES。

だから喉に貼り付けることに。

もう1つは、喉だとNOだった。

そちらは喉によく効くとされる天然石が中に入っているけれども、なぜか喉の効能は特にない私のオルゴナイトが喉担当で、もう1つは別のところのようだった。

友達から喉には使わないようだと聞いて、パッと「胸」と出てきた。

その後、胸でなければ丹田(へその下)かなと思った。

友達にはどことは言わず、今思いついたところがあるからと言ってとりあえず聞いてもらった。

1つ目にYES、2つ目NOで、胸が確定した。

友達にそうだと伝えたら「それさ、胸とか心の傷みが上に上がってきて、それで喉に出てるんだね」と言った。

言われてみれば、私もそんな気がした。

症状はたしかに喉に出ているけれども、その大元を正すと胸というか心なんだろうなぁと思った。

そしてさらに胸は胸でもどこなのかを具体的に探った。

結果、みぞおちとなった。

私も物理的に「貼り付ける」と考えた時に、みぞおちが一番だなと思った。

直に貼り付けるようで、マイスター実践者の友達に、怪我の時なんかに使う白いテープで貼り付けたらいいと教えてもらった。

※オルゴナイト治療の経過は後半にて。


【命綱】

もはやその人と私は何の関係なのかさっぱりわからない。

それでも友達がとっても嬉しいことを言ってくれた。

「命綱」、友達はそのように言った。

今回の体調不良も、自分ではどうにもできなくて、本人が意識的か無意識的かはさておいても、助けを求めているんじゃないかと言った。

自分で溜め込んだ色んなことが外に出せなくて、SOSのように助けを求めるみたいにして、体調不良という形で出てきているのかもね…、と。

ブログは毎日読んでることがはっきりとわかったと言った。

そうしたら「それってさ、もちろんどんな気持ちで読んでいるかは知らないけれども、むしろどんな気持ちで読んでいるのか聞いてみたいけれども、そうまでして読むというのは、読むと落ち着くとか、自分の中が整うとか、何かしらがあって読むと思うんだよね。〇〇さんにとって、ぶっしーが命綱みたいな感じなんだと思うよ」と返ってきた。

もし本当にそうなら、ものすごく光栄だし誇らしい。

命綱…良い響きだなと思った。


【その他友達オススメ商品】

友達イチオシ商品は、マヌカハニーが入った喉用スプレーだった。

友達いわく、喉の不調にはもってこいのグッズらしい。

すごく効くよと絶賛していた。

健康グッズマニアな友達が言うものだから、絶対に良いだろうとはわかって私は食らいついたけれども、友達から写真が送られてきてさらに「良い」とわかった。

発売元が「生活の木」となっていて、それだけで私の中で「良い品質」なんだとわかった。←基本ミーハー。

この記事のトップのリンク先はマヌカハニースプレーのリンク先。

他にも、一時期大流行した「マヌカハニー」を友達は薦めてくれた。

私は過去に舐めたことがあって、そのクセがとても苦手でそれっきりになっているけれど、友達はそれも薦めてくれた。

マヌカハニーキャンディも。

友達いわく、マヌカハニーやそれ系の飴とかの商品の値段の違いは、基本的にはちみつの純度の違いで、基本は純度が高いものほど高額になるとのこと。


【予告】

当初、その人向けに『癒しのレシピ』を作ってブログにアップしようかと考えたけれども、珍しく何かパッと思いつかず。

それで『癒しのレシピ』だと個人向けになって書きにくいから(ブログでアップするのに抵抗あり)、反対に色々思ったことを普通にブログとして書いたらどうかなと思った。

そこで出てきたのが
・男性性
・中年の危機
の2つ。

男性性と出たけれども、実際に思い浮かんだのは、30代半ばから40代の男性たちから聞いた、外には出さないだろう心のボヤキ。

世の男性の悩みの聞き取り調査をしたのでは全くないけれども、たまたま色んな人たちから色んな話を聞けて、それのボヤキ一覧を箇条書きにしてアップしてもいいなぁと思った。

元々それはいつかのタイミングで記事にしたいとは思っていたから、ちょうど良いと思った。

ちなみに何でそんなことしようかと思ったかと言えば。

そもそもは、ある男性との会話から始まっていて、私からしたらその男性はものすごく内観のできる人だと思うけれども、そんな人でさえも「男」だということと社会の中で男として存在することに対してコンプレックスを抱いていた。

そしてそのタイミングで、別の男友達からも連絡が来て、似たような今度は相談として話を受けて、その時に「男の人たちのコンプレックス生の声」みたいなことをブログに書こうと思った(2019年初夏の話)。

ドタバタしているうちにすっかり今になって、それで今さらだけれど、決して古くはなってないだろう「男の人たちのコンプレックス生の声」を近いうちに書いてアップしようと思う。

今回の喉の主は、絶対に自分から自分の本音や気持ちを誰かに話すなんていうタイプの人ではないと思う。

聞き手募集なんてあったら、私は立候補してその志望動機さえも全力で言葉を尽くして超やりたいアピールをするけれども、今のところそのお役目が回ってくる気配は全くない。

誰でも悩むし誰でも行き詰まりや停滞を感じると思うけれども(武士俣統計)、その人が誰かにそんなことを話したり、冗談でもいいから本音を愚痴のように言ってみたりするなんて想像がつかない。

だから、せめて私は自分が持っている生の情報を公開して、それがどう役立つかなんて知らないけれども、それがもし100ある傷みなり悩みなりが1でも軽減されるようなことがあればいいなぁと思って書こうと思う。

中年の危機に関しては、それと絡めて書くかもだし、占星術と絡めて書くかもだし、ちょっと今のところ「中年の危機」という言葉以外はNOアイデアだから、何を書くことになるかは不明。(書かないかもしれないし…)


【オルゴナイト効果】

友達から教えてもらったオルゴナイト治療を早速試した。

改めてオルゴナイト凄っ!!!と思った。

友達から白いテープを用意したらいいよと言われていたのをすっかり忘れていて、昨日(1/12)はとりあえず喉の方だけ試した。

喉は凄かった。

ガーゼにオルゴナイトを包んで喉に当てたら、その当てている場所にちょうど痰なのか不純物なのかが寄って集まってきている感じがして、とりあえずそこに何かしらが集合してそれらがこれから先外に出ようと準備しているみたいになっている。

もう1つのオルゴナイトをみぞおちに貼りたかったけれども、正月まで姪っ子がよく使っていた白いテープが見当たらなくて、仕方なく朝になってから買いに行った。

貼ってみたら、瞬く間に貼ったところがポカポカとカイロを貼ったみたいに温かくなった。

そのうちに、オルゴナイトを貼ったみぞおちから尾てい骨側にかけてと、みぞおちから喉よりも上にかけてエネルギーがきれいに通るのを感じた。

本来そのようにエネルギーが流れるのが普通だとするなら、随分と詰まっていたんだなぁなんて思った。

私が詰まっているというのも十分考えられるけれども、それよりもその通りの良さを感じて真っ先に、その人が普段どれだけ溜め込んで生きているんだろう…と心配に近い気持ちになった。

そんなの私が心配することじゃないし、そんな立場にもないけれども、本当に表現下手というか自己開示的なことをほぼほぼしないんじゃないかと思われるその人の中で、どれだけのものが溜め込まれていて、自分でもどうにもできないくらいになっているのかな…なんて、余計なことを思った。

オルゴナイトパワーでエネルギーが通りまくった今、それがその人に少しでも多く届いたらいい、本気でそう思っている。

友達がペンジュラムを使ってあれこれ聞いてくれてた時に言われた。

とにかく私が良くなること。

私が良くなることで、連動して相手側にも良い影響が伝わる、そのように彼女のペンジュラムは私に伝えてきた。


【みぞおちからのメッセージ】

みぞおちについて調べていった時に、私の中で響いた言葉。

・自分自身との関係

・自分が選んでいるものが好きではない

そもそもみぞおちというのは、自分と自分の関係を表すものらしい。

だからそこに不調和があるということは、自分自身との関係が上手くいっていない、自分と不調和になっている、と私は解釈した。

そこから派生して、自分が選んでいるものが好きじゃないってしんどいなぁと思う。

その言葉を見た時に、真っ先に塾に勤めていた頃の自分を思い出した。

好きでもない仕事、納得のいかないサービスをあたかも良いものとして営業すること、生活そのもののリズム、働き方、そうした諸々が全く好きではなかった。

それは1日のほぼ全てが好きではないものに我が身を置いていて、その好きではないものたちに囲まれている自分や当時の生活は苦痛でしかなかった。

そして何よりも、それを選んでいるという自分が最高に嫌だった。

その後、私はその生活を180度変換させることに成功するわけだけど、それはいきなり変換できたわけじゃない。

最初は「5分」からのスタートだった。

朝7時に家を出て夜は24時前に帰ってこられたら良いみたいな生活の中で、少しでも自分の好きな何かを日々取り入れるのは至難の業だった。

その「5分」は、苦肉の策で作り出した、お楽しみの時間だった。

地下鉄とバスの乗り継ぎの時間の合間にさっと書店に立ち寄って、5分だけ立ち読みして、もしくは本を手に取って見て、それですぐにバス停に向かった。

当時はその時間だけが唯一日々の小さな小さな楽しみで、そして少しだけ力を抜いてひと息つける時間だった。

それが私の本当に自分の人生を真面目に好転させるためのスタートだった。

それは、好きな食器や箸でごはんを食べるでも、朝1杯のコーヒーをゆっくり飲むでも、お気に入りの寝具で眠るでも、好きな音楽を1曲だけ聴いてゆっくりするでも、なんでもいい。

お気に入りの漫画を読むでも、風呂にゆったりと浸かるでも、ただストレッチをして体を伸ばすでも、本当になんだっていい。

99個の嫌いなものに囲まれていても、たった1つの好きなものを日々の中に意図的に組み込むだけで、時間はかかるけれども確実に何かは変わる。

そして自分のために何かしたことは、自分への信頼や自信へと繋がっていく。

みぞおちのメッセージを読んでいて、そんなことが自分の中から湧いて出てきた。


【浄化オススメグッズ】

ノムにこの体調不良と浄化のための具体的な取り組みの話をしたら、どくだみ茶を紹介してもらった。

ノムいわく、紅茶のような味でミルクティーみたいらしい。

もっとクセがあるのかと思えば飲みやすい上に体にもすぐに効果が出たとのこと。

トイレが近くなっておしっこもたくさん出るし、快便になるよと教えてくれた。

まさに体から毒素が排出される感じだよ!と教えてもらって、写真まできた。

写真見てひっくり返るかと思った。

実は同じメーカーのルイボスティーを私は人からプレゼントされていて、それと同じメーカーのものを今度はノムから勧められるとはゆめゆめ思わなかった。

しかも、そのルイボスティーをプレゼントしてくれた人というのは、今回の喉の不調に関わる魂関係の人の趣味繋がりの仲良しさんからもらったものだった。

ここには書かないけれども、もう1つノムから来た写真とその魂関係の人とに共通していることがあった。

このシンクロに驚きつつも、それもまた今回の喉の不調を主とする浄化に良さそうだから、そちらも注文の予定。


【どうでもいい追記】

みぞおちにオルゴナイトを貼るはいいけれども、私はこれにはかなり抵抗があった。

自分のオルゴナイトなら別にそれでいいけれども、自分のものとして用意したオルゴナイトじゃない。

いつかは人に渡ることを想定して出迎えたものだった。

私に直に貼るとかないわ…と思った。

使用済みのものを人に渡すなんて、そもそもがおかしい。

ところがペンジュラムで聞くと、そのオルゴナイトは断固じて直貼り希望、そしてテープの直貼りは嫌でそこはティッシュでカバーしてその上からテープで貼るという希望だったから、実際にそのようにした。

そこじゃなくて、直貼りの方を何とかしてくれ…と思った( ̄∀ ̄;)。

ただ、今回はそもそも体調不良の緩和を目指していて、しかも背に腹は変えられぬ状態でしのごの言える状況にないからそうしたけれども…。

もうこのまま私のものにしたらいいんじゃないかとも思った。

そもそも、オルゴナイトがものすごいパワーを発揮したものだから、もしかしてオルゴナイトパワー稼働した!?と思った。

製作者の方いわく、持ち主のところに届いて初めてオルゴナイトがその持ち主のためにパワーを発揮するから、今の現状はおかしなことになる。

オルゴナイトいわく、決してパワー稼働してるのではなく(なぜなら私は持ち主ではないから)、オルゴナイトとしての機能を発揮してるだけとのこと。

お店に置かれていた時に、お店を浄化してたのと同じ原理なんだと思った。

具合が良くなって使い終えたら超超超丁寧に洗って磨くけれども、もしいつか手渡すなんていう機会が巡ってくるのなら、きちんと事の顛末を伝えよう。

そんな使用済みなのは要りませんと言われたのなら、私はニコニコしてそうだよねと言って、自分のもとに引き取ろうと思っている。


ノムが送ってくれたどくだみ茶の写真

私がもらった同じメーカーの
ルイボスティー

2020年1月10日金曜日

睦び月の候の徒然〜寒の入りの頃〜





最近の徒然。

とにかく体調不良続行中で、酷い咳が出まくっている。

鼻詰まりになって耳が聞こえないみたいな、プールに入って耳の中に水が入るみたいな感覚が数日続いている。

でも鼻は詰まってなくて、ひたすら喉の炎症と咳なのに、そのような現象で、常に頭がボーッとしたみたいになっている。

そうでなくても普段からボーッとしてるのに、そこにさらに拍車がかったボーッみたいな(←えっ!?)。

鼻も詰まってないのに、耳にモヤがかかったみたいな感覚は、生まれて初めて。

だから喉なのに、なぜか大泣きした時の鼻がツーンとする感じももれなくセットである。

この感覚になる時いつも私は、「本当は泣きたいんだろうなぁ」と思う。

今は泣く理由もないから泣かないけれども、いつだったかあまりにも酷い鼻風邪を引いた時に、「これってどういう意味だろう?」と思って調べたら、「泣きたいのに泣けないから、その代わりに体が泣いた状態に近い状態を作る」とあって、妙に納得した。

それ以来、鼻風邪による鼻ツーンな時は、「泣きたいんだなぁ」と思って見ている。

でも今回は喉なのにその鼻ツーン的な、泣き腫らしました的な感覚で、「なになに?私泣きたいの!?」と変な自問自答をしている。

それに加えて、個人的には「今は本気でやめてください」と思うことの1つに、「ナポレオン体質的睡眠」がある。

何かと言うと、いつからか1日3時間くらいしか寝ていない。

こんなに体が弱っていても眠れない。

どの程度続くかは知らないけれども、もしかして今は自己刷新の時期なのかもしれない。

頭のおかしな発言だけど、「霊的成長」と呼ばれるものを体験する時に、私は基本ある種の不眠症みたいな症状を引き起こす。

今は日々英訳に明け暮れているから、霊的成長的な変革感や刷新感、又は違和感みたいなのは感覚として全くないけれども、出ている症状はこれだから、しかも体調不良のくせしてそれだから、なんか色々普通の単なる体調不良ではないんだろうなぁと思っている。

っていうか、そんな妙な感覚の中でよくぞ宇宙語にしか見えない日本語を英訳できるなぁと自画自賛v( ̄∀ ̄)v。

そうだ、どちらかと言えば「体内の毒素を抜きまくる!!!」が一番近いかも。

長年溜め込んできた自分の思考パターンやクヨクヨパターン、はたまた自己犠牲や自己否定、そういう癖みたいなのに気付いていくようなことが続いている。




で、ゴチャゴチャと体の不具合を書いたけれども、それとこの1年の私のテーマを書いてみようと思う。

そもそも、発熱で元日スタートという、そんな年初め生まれて初めてかもみたいなスタートだった今年。

それ見て「自分のこと労ろう」と思ったけれども、多分自分を労わることが何よりも1年間を通じて大きなテーマになっていく気がする。

ただでさえ書き溜めた諸々の下書きがあるからそこまで書くかどうか知らないけれども、正月から週に2本ないし3本ほどのペースで子どもの頃の自分の感覚を思い出す何かが起こっている。

それがきた時は、ひたすら自分の感覚にだけ目を向けて何をどんな風に感じているかを見るしか基本はしていない。

で、やっとやっとここに来て、ここに来てというのは40歳という人生の時計的にはお昼なのか午後の早い時間なのかに到着して、「自分が本当に感じていること」を見ようとしている。

例えば、仕事の話で言うと。

今週は年末仕事納めの日の終わりぐらいにきた英訳依頼からスタートしていて、それがまた「神ってる」としか言いようのないすごい日本語で、どうしたら「走る」という日本語が「測定する」という意味になるのか、大真面目に聞いてみたい、英語力以前の日本語力以前のもっと別の何かが必要みたいな英訳をしている。

1日半費やしてまずは英訳して、その後設計者に大量の質問をしてもう半日費やしてとりあえず完成させて、今は英語ができる技術者に秘密裏に見てもらっている。

ちなみに英語ができる技術者はスーパー良い人で、この方やそれをアレンジしてくれた女上司にはものすごく感謝している。

とかいう一方で、大元の設計男子に質問に行った時のこと。

きちんと対応してくれたし、私を何よりも優先して対応してくれたけれども、その人の席を離れる際、要は質問が終わってその場を離れる際、私は本気のありがとうも言ったし、また何かわからないところがあればよろしくお願いしますとも言って後にした。

なんだけど、設計男子はお願いしますも、あの神ってる日本語についての「わかりにくかったですね、ごめんなさい」的な言葉も、その超わからない日本語を英訳したことに対してのお礼も、何一つ言わなかった。

私はありがとうと言われたいとか、感謝されたいとか思ってるのとは違う。

お金をもらって仕事してるから、当たり前のことをやってるに過ぎないのかもしれない。

なんだけど、何か一言もないその状況に驚いて、何だそれは!?と思った。

で、その状況を例にして、さっきの【「自分が本当に感じていること」を見ようとしている】の意味に照らし合わせて言うと。

とりあえず仕事だし、その仕事が今できるのはこの世で私しかいないから、仕事を投げ出すとかしないし、任された仕事はきちんとやりたいと思っている。

それは社会人的良識を持った私の側の考え。

でもそうした社会的良識とか仕事上の責任感とか大人な常識人とかいうようなことを全て脇に置いて、単なる1人の自分、1人の人間としてこの出来事を見たのなら…。

単純に「協力なんかしてやらない!」ってなる。

ものすごく面白くないし、私をなんだと思っているの?あなたは自分を何様だと思っているの?と思うし、ねぇこれってさ誰かきちんと専門で英語ができる人がいないと完成しない仕事だよね?自分がそこできないから頼むんだよね?だったらせめて一言何か言おうか?と思う。

男むさい職場だし、「ありがとう」なんて言わないザ・男の縦社会バリバリな、体育会系的な、そういうところにいる相手の環境も想像して理解できそうなこともあるけれども、だからと言って何も言わなくてもいいのはやっぱり違うと思う。

そして、そのやりとりを通じて、「私これに対して多少怒っているし、戸惑っている。何も言われなくて悲しいのと、そんなんでやりたくない気持ちもうっすらとある…」とかいう部分がチラホラ見えてきた。

そう、私がこの1年の自分のテーマだと思ったのは、まさにその小さくしか聞こえてこない自分の本音の部分をいかに掬(すく)い上げて救い上げるかだと思っている。

「本当は自分が感じることに正解も不正解も、善し悪しもない」ってことの意味が、最近ようやくわかるようになってきた。

例えばわかりやすいのが「怒り」。

怒りは超大事な感情の1つに挙げられる。

なぜなら、生存本能に直結するものだし、自分の命が危険に晒(さら)されているのに、怒りはダメだから押し殺しますみたいなことしたら、絶対に何かがおかしくなる。

喜怒哀楽と言うくらい、怒りそのものは4大感情に数え上げられるわけだから、本来は喜びや楽しみと同じくらい重要なもののはず。

ところが大人になる過程や大人になって社会という中に身を置く中で、例えばわかりやすいのが「人前で怒るのは良くない」とか、「怒りをあらわにするなんて感情のコントロールができてない証拠」とか、そんなの誰がいつどこで決めたの?と思うようなことが超当たり前に社会の中で、それは家庭という社会の一番小さな集団の単位でもバリバリ発揮されていて、そんなこんなしているうちに「怒りは悪いもの」になぜか格付けされてしまう。

感情の勉強や心理でもスピリチュアルでもガンガンと自分の気持ちを見ることをやりまくって、「怒り」の大切さを知った。

基本的に自分のために本気で怒れるのは自分しかいない。

時々ものすごくラッキーなことに他者が自分のために何かに対して一緒に怒ってくれたり、なんなら私以上に怒ってくれたりすることもあるけれども、あれはいわばオマケのようなもので、本来は自分しか自分のために全力で怒ってくれる要員というのはいない。

だから、怒ること、自分の中から怒りをきちんと引き出してあげるのが大事なんだけど、もう長いこと「他人の前では極力ニコニコ、怒りを他者に向けるなんてのはいけません」というのを頑なに信じてやってきたものだから、そんなにすぐのすぐには自分の癖は抜けない。

その癖になっていて、自分の気持ちが無視されていたり蔑ろ(ないがしろ)にされていたりする部分を本気で見ていこうと思っている。

他人に配慮することや社会の価値観を守ることも大切だけれど、それとは別に自分の気持ちをまずは素直に聞いてあげることの方が今の私には大事なんだと思っている。




少し話が飛ぶけれども。

最初に書いたナポレオン体質的睡眠の話。

スピリチュアルトーク大好きな人から指摘されたことがかつてあった。

その人いわく、霊的に覚醒する時というのは体力をものすごく使うから、異常に眠くなるもの、だからぶっしーのその睡眠時間少ないことはその条件からすると当てはまらないから違うんじゃないかな…、というようなことをやんわりと言われた。

覚醒だの霊的進化だのそんなのはどうでもいいけれども、ただ1つだけはっきりとわかるのは、そうした睡眠時間が1ヶ月以上に渡って1日3時間程度になる時は、私の場合、確実に人生の転換期だったり何か大きな変化を迎えている真っ只中だったりする。

定説から外れようが超例外だろうが関係ない。

私の場合はそうだとしか言いようがない。

もちろん反対に異常に眠くて眠くてたまらない時もある。

体というのは本当に緻密にできていて、私の場合は睡眠がてきめんにその時その時の状況を反映するから、眠れないのも眠り過ぎるのもどちらも多く体験する。

少し前の秋ぐらいだったか忘れたけれども、日長1日家にいるのに、やたらと眠くて、朝起きては寝て、昼も寝て、そして夜もまたグッスリと眠ってみたいな、1日の大半を寝て過ごすみたいな頃もあった。

毎日感心するぐらいに眠っていて、あれもまたあれで何か意味があったと思う。

ホロスコープの情報はかなりたくさん入れたこの2年くらいだけど、反対にスピリチュアル的な世にダダ漏れみたいな情報からは相当遠ざかったと思う。

スピリチュアル、いわゆる精神世界と呼ばれるところの書籍がこの数年で爆発的に増えたけれども、反対にまがいものや商用目的、儲け目的な情報も氾濫しまくっている。

本からは相当離れて、スピ系ブログからも離れて、代わりに「自分はどう感じるか」だけを頼りに見ている。

なぜなら、それが一番自分にとっての正解に近いから。

社会や他人が定めた価値観に乗っても、どうにも身動きが取れなくなる。

だけど、代わりに自分が良いと思ったもの、嫌だと感じたもの、そうした色んな感覚を知っていくのはものすごく面白いし、それは自分にしかわからない。

例えば、さっきの何も言わない設計男子に「なんなんだ!」と私は思ったけれども、相手はそれを何とも思っていないのはわかる。

だからその「なんなんだ!」は私の感覚で私の価値観だとわかる。

その自分の感覚をひたすら拾い上げること。

自分にしかわからない価値観を自分が自分のために大事にすること。

それが何よりも自分のためになるし、自分の感覚を大切に扱うことができる。

社会不適合者になろう!ではなく、とにかく自分の気持ちや感覚に自分を素直に開いていく。

そうする中で社会と不一致な自分も当然出てくると思う。

その時に私は、不一致であっても自分を選べる自分であり続けたい。




とか良い感じで締めようかと思ったけれども…。

嗚呼…、となったことがある。

今年はまたもや私にとっての「カルマの膿出し」超強調イヤーで、年間通じて本当に激しい配置下に自分がいる。

2年前よりもさらに一層濃ゆいカルマの膿出しになるのかな…なんて、天体の数字的位置からは思うけれども、もう出てくるものは仕方ないから、代わりにそれに呑み込まれないように自分をとにかく労りまくろう!と思う。

そろそろ3時。

今日は21時前から布団に入って寝ていて、零時前に目が覚めてこれを書き始めて(時々ネットサーフィンしながら)、そしてこれからまた6時くらいまで3時間ほど眠る予定。

今度から21〜24時、3時〜6時の3時間を2回ずつ睡眠に使って、間の0時〜3時をこうした自由時間に使ってもいいかも。

それなら6時間は眠れるし、さすがに英訳オンパレードな今、真面目に眠れる時に寝ておきたい。




冒頭の写真は、1/9仕事終わって駐車場に向かおうと外に出たら、同じ会社の男子だと思うけれども、空に向かって携帯向けて写真を撮っていて、何を撮ったのか気になって見たら月が出ていて、私も真似て撮ってきた。

月を撮っていたと知って、その男の人超素敵♡と思った(笑)。

しかもたまたま人通りのないところで私が出てきたから相手はバツが悪そうにしていたけれども、その姿も素敵だった(笑)。

実際に彼が立ち去った後見てみると、晴れた日が暮れる前の空には大きな月が出ていて、明後日土曜日がどうやら満月の模様。

しかも月蝕らしい。

その前の月だからなのか、やたらとキレイなお月様だった。

2020年1月7日火曜日

仕事始め2020










仕事始めだった今日の一番印象に残ったこと。

咳が止まらなくて3時間ほどの睡眠しか取れなかったまま、ほぼ1日英訳に明け暮れたことでもなく。

朝職場に行ったらほぼ誰もいないと思ったら、新年だから社員の方たちは全体朝礼みたいなことをしていて、そういうことをキッチリやる会社の風習に感心したことでもなく。

膝掛けとか気分転換用の甘いコーヒー飲料とか私の相棒・英和辞典とか、そんなのはキッチリと持参したくせして、肝心要の私のお手製マニュアルノートを家に忘れてきたという…ことでもなく。

ちなみにそれも朝イチで女上司と同級生の女の子に告白して、大笑いされて事無きを得たことでもなく。

他にも色々色々あったけれども、そうそう、とうとう私の使っているパソコンは「かなり怪しい動きをする」認定を受けて、ますます今後のパソコン活動が怪しくなってきたことでもなく。←一部、会社の大事なデータを壊した模様…(汗)。私じゃなくて、パソコンが!

そんな中。

昨日の夜から妙にルンルンウキウキしている。

もっとやることは他にあるのに、私は昨日の夜、ある動画を見た。

動画は良かったけれども、それよりもどういうわけか動画の最中に「ポン!」とやってきたものがあった。

動画は内容とは全く関係ないし、急に何でそんな風に気付いたのかわからないけれど、とにかく自分の中でカチッと繋がった。

「心においておくことが居心地がいい」

私は忘れないように、そのようにノートに書いた。

なんだかんだ言いながらも、自分でもツッコミどころ満載でも、その人のことを心の中においておく、おいておくって変な言い方だけど、とにかくずっとずっといるその状態もその人の存在そのものも私にとって居心地がいいんだと気付いた。

そして、そういう人に出逢えたって本当に凄いことなんだと改めて思った。

私の計画では、今頃とうに他に気持ちが移るなり、移らなくても気持ちが薄れるなりするのかと思っていた。

ところがそんなことは全くなく、もう会えないんだよー!と思っていても、それとこれとは別のようで、そんなにすぐには変化もなく、まさかのこんなに先の未来までズルズルと続くものだなんて思ってもいなかった。

これまではその異常さにばかり目を奪われて、念仏のように「これは魂のもたらすものだから仕方ない」と自分に言い聞かせ、それで納得なんてできなくてもそういうことにしようと躍起になっていた。

だけど、その動画を見ていた時に、急に「心にその人がいる状態というのが、私にとって居心地の良いことなんだ」と気付いたら、何か急に気持ちが良くなって、自分でもそのことに嬉しくなった。

そうやって幻想のような妄想のような、自分でもよくわからない状態にずっとずっと身を置いてみて、それは99.9%のおかしなものでも、別の見方をすれば、そうやっていても居心地が良い、なんならなんだかんだとずっと元気をもらえてるわけだから、本当に凄いって気付いた。

そのおかげで、なんだか知らないけれども、私は妙にルンルンしていて、気持ちが躍りそうになっていた。

相変わらずおめでたい。

でも、私は婚活ブログに登場するような、いかに相手がダメかを駄目出ししまくりで文句や不満をずっとずっと言い続けている人たちよりも、幻想や妄想でもこんな風に誰かを大切に感じられることの方がずっとずっといいなと思った。

誰に迷惑もかからないし、心の中はそんな風に自由にいられるわけだから、そしてマイナスではなくプラスのエネルギーをもらえるわけだから、それって全然悪くない、むしろそれだけの状況に居心地良くいられるって本当に凄いなと感じた。

ずっとずっと心にいても居心地が良いって、それだけで感動した。

その感覚に意識的に触れると、本当に元気が出るし、仕事も一番大事な虎の巻の忘れ物をしたりパソコンの不具合で会社のデータを破損することになっても、仕事に専念できるって凄いなと思った。

そういうプラスの作用があるわけだから、悪くない、そう思った。

昼休みにプラスアルファでさらにテンションが上がることがあった。

午前のどこかの時間、要は仕事始めの今日という日のどこかのタイミングで、その人しか読まないだろう記事が読まれていることがわかった。

9連休明けの仕事でやる気満々なんてことは、まず多くの人はないと思う。

その人の仕事がどういうものかわからないけれども、少なくとも責任ある立場だろうことは予測がつくから、仕事超楽しい!なんてことにはならないんじゃないかと思う。

そんな折に、仕事始めでテンションがさして上がらないだろう状況下で、選ばれて読まれただろうことを知ったら、超絶テンションが上がった。

そこに書かれていることの何が響くのかはわからないけれども、それを読んでもいいという気持ちにはなってるんだなと思ったら、嬉しくなった。

世の中には数え切れないくらいの読み物があって、ましてや宣伝もしていない私のブログは本当にそもそも行き着くことさえ奇跡みたいな感じなのに、そこからさらに特定の記事が読まれる。

直近のものではなく、過去に書いたもので、しかも私は分類とかもしていないから、探して読むには至難の業すぎる。

それをあえて仕事始まりの時に、年に1回しかない仕事始まりの日に選んでもらえたことが私は本気で嬉しかった。

その人はそんなつもりで選んでなくても、少なくとも仕事始めの時に読んでも良いと思ってはくれただろうから、それってすごくすごく光栄なことだった。

プライスレス、仮に1億円稼ぐことが私にできたとしても、私にはそれ以上に、というかそんなこととは比べ物にならないくらい名誉なことだった。

私の書くものに何かしらの価値を感じてもらえた、それがまた読むとその人も元気になるかどうかは知らないけれども、リポビタンDくらいの栄養補給にはなれたのかもしれない。

本当に光栄だし、すごく嬉しい。

それがわかって、午後もウンウン唸りながらも英訳の仕事を続けた。←1日ほぼ英訳していた。

私も私で元気が出た。

とかいうことが仕事始めの日にあった一番印象に残ったことだった。

冒頭の写真は、どうしても無印の週間スケジュール管理帳みたいなものが欲しくて駅に買いに仕事帰りに寄ったら見つけたもの。

スケジュール管理などするわけもなく、私はそこに占星術のサイコロはじめ、そうしたものや一言その日の出来事を書くのに買った。

参考までに写真を。

1冊税込100円!!!

ということで、これから昨日の夜に作った弁当の仕上げして仕事に行く。



2020年1月6日月曜日

体調不良で迎えた新年の今

下の写真のリンク先(略して「アストロコム」)
(文中にこの話が少しだけ出てくる)







想像以上に風邪?浄化的な体調不良?をこじらせている。

熱はあっさりと下がってくれたけれども、喉風邪が悪化。

喉は異常なほど痛いわ、咳は一度出ると止まらないわ、鼻詰まりでもないのに耳に水が入ったみたいで頭はボーッとするわ、が気付けば4日目。

久しぶりにやらかした感満載の体調不良に見舞われている。

たしかに、1年8ヶ月ぶりの超きちんとしたフルタイムの仕事に就いて社会復帰して。

何せ朝8時始業、正しくは7時55分にラジオ体操開始、そして社内広すぎて(東京ドーム1個分以上ある気がする)遅くとも7時50分には駐車場を出て社内移動を開始しないと間に合わない…なんていう、これまでとは比べものにならない早めの時間対応が求められて、そこに週5の弁当、家事(主に炊事+洗濯+風呂掃除)とやりこなし、普通の大人として至極真っ当な生活はいいけれども、なかなかなタイトスケジュールなのも本当で、その疲れなのかな…と呑気に思っていた。

でもある真夜中に、「もしかして…」と思い当たることがあって、まさか真夜中に起き上がって本命的なことをするのはあまりにしんどいからやらず、とりあえず携帯メモにto doリストとは違うけれども、それに似たようなものをゲホゲホ咳しながらも20分ほど書いてみた。

そもそも咳が止まらなくて目が覚めて、まさかまさかのそのゲホゲホ咳の原因になってそうなものに目星をつけてメモをしたら、咳が止まった。

((((;゚Д゚)))))))((((;゚Д゚)))))))((((;゚Д゚)))))))

自分で確信した。

これ風邪じゃなくて、もう要らなくなったものを外に出そうとしてるんだ、そして自分じゃ気付けないから体が代わりに全力でそれを外に出そうと体をこじらせてるんだと。

あまりに汚い内容ゆえ、一応
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
で区切ってみた。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
のところで区切ったところをスクロールして読んでください、汚いの苦手な人。








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汚い話で申し訳ないけれども、今回何が酷いって、痰の出る感じが異常で、それが自分の体内でそもそも生成されてること自体が、風邪菌ではなく長年の思考グセとか心のクセが関わってるとしか思えない感じだった。

体の中から外に出そうとする時の固形化した感触が未だかつて体験したことない感じで、そこに異常を感じた。

本来粘着質なはずなのに、粘着を通り越して、本当に固形物を出してる感が半端なくて、何だこれ?と思っていた。
↑ティッシュに出してすぐに専用のゴミ袋に入れてたから、ものは見ていない(꒪◊꒪; )))。

痰が出たと言うより、得体の知れない体にとって毒にしかならないものたちが塊となって固形物になりました、そしてもうこれ以上体にいても仕方ないので吐き出す力を使ってエイヤー!と外に出すことにしました、という感じ。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆









とまぁ、そんなことがあったから、「これ風邪なの?」というのは最初からあった。

症状は風邪だけど、風邪とは言い難い、別物の体調不良という感じだった。

もちろんペンジュラムにも確認。

ペンジュラムが風邪にYESとはならないのはずっとだったし、代わりに浄化にYESもそうだったけれども、まさかの浄化という名の課題付き浄化なんて思っていなかった。

現に、家族は具合が悪くならない。

私がすごい咳こむ横で寝ている妹や姪っ子は何ともない。

私の内側の溜め込んだ菌というか毒というか負のエネルギー体だから、決して他人に移るものではないんだとわかる。

っていうか2020年!

何このスーパー「新装開店に向け一新します」と言わんばかりの体も心も綺麗にしよう運動は。

そうだ、星の動きを見ようと思って手元の資料を出してきて見てみた。

冒頭に貼り付けた占星術の細かなデータは、何だあれ?ってなると思うけれども、あそこを細かく見ると実に色んなことがわかるようになっている。
(引用元はwww.astro.comの日本語版)

今ほど自分の手元にあるデータ(講座の先生がくれたもの)をいくつかピンポイントで見たら、ひっくり返りそうだった。

容赦なく天体エネルギーはやってくるし(やってくるも何も今もまさに刷新のためのエネルギーがガンガン注がれている)、その後もそれぞれ個人差はあるにしても何かしらの強いエネルギーがやっぱり注がれ続ける。

天体のエネルギーからくる個人への影響やその影響の感じ方は個人差があるにしても、この刷新のための天体エネルギーは地球全体に注がれているものだから、私が特別とかではなく、基本的には生きている人全員に惜しみなく注がれている。

ちなみに「刷新」を私は「さつしん」とiPhoneに打ち込んで変換しているけれど、私のiPhoneの「さつしん」の第一候補は「殺人」。

うん、間違いじゃない( ̄∀ ̄;)、殺人級の刷新力を誇っていると私は思う。

言葉が過激だけど、要はちょっと喉がイガイガするみたいな感じなら何となく交わすけれども(←私は)、夜も眠れないくらいに咳込む、呼吸困難起こしそう、ってなるといよいよ何かしら手立てを打たないとまずい!となって、身体的にはもはや黄信号ではなく赤信号でアウトだから、否が応でも何かしら自分のためにする。

この辺りがちょっとのケアではなく、大袈裟に言うと殺人級の身の危険的なものが現れやすいのが今年1年の流れなのかな…と私は星の勉強を始めた2018年の春くらいから密かにずっと恐れていた。

うやむやにしたり、本来為すべきことを先延ばしにすると、これこれこうなりますよ!!!と言わんばかりに、私の場合は体調不良とかで来るんだといざ知って、2020年はとりあえず気付いたものから取り組むなり整理するなりしようと決めた。

結果にこだわりは無くて、強いて言うなら、自分にとっての面倒や痛み少なめ希望ぐらいなもので、あとは淡々と自分のやれることをやるしかないと思う。

これは私の解釈だけど、自分に精を尽くせば、それがきちんと結果に繋がるように思う。

「自分に精を尽くす」というのは…。

ひとつ、自分の痛みや気持ちを無視するのではなく、それを感じること。

ひとつ、自分の気持ちに蓋をしたり嘘をついたりしないこと。

ひとつ、他者絡まりの場合、自分の痛みにだけ気持ちを向けること。
(相手をギャフンと言わせようとか、相手を苦しめようとか、そういうのは絶対に自分のところに返ってきそうだから、そういう怖いことは相手のためと言うよりも自分のためにしない)

ひとつ、解決を目指さずともせめて自分ケアは真面目に取り組むこと。

今パッと出てきた「自分に精を尽くす」はこんな感じ。

本当の意味で自分のためになるもの、自分含めた関係者のためになるものはいくらでも天体たちから応援が来るとも思っていて、もしくは神でも仏でも神々の審議会でも天界でも守護霊でもサムシンググレートでも、とにかく予想を遥かに超える形でヘルプも入りやすいとは思う。

審議されると言うと重苦しいけれども、本当の意味で理に適っているか、本質的に絶対に大事なのかが審議のポイントのような気がする。




明日1/6から年始めとなるけれど、仕事に行くのは全然嫌じゃない。

むしろ、バランスの取れた生活に戻れる方がしばらくは良いような気もしている。

「明日仕事に行きたい!」とは思わなくても、「明日行くよね」と普通に思える事、行きたくないとは思わない自分に感動している。

2020年1月3日金曜日

発熱と小さな自分

小さな自分が出てきた。

正月早々、風邪のような症状でダウンした。

最初は喉の痛みと少しばかりの咳。

そのうち頭痛と節々の痛み。

微熱から一気に38度台後半の発熱。

姪っ子と妹が風邪菌を持っていたけれども、私以外誰ももらっていないところを見て、もしかして浄化!?と思った。

ペンジュラムに確認すると、風邪ではなく浄化らしい。

年末は浄化のエネルギーが強くて体調不良になる人が多いといくつかのブログで目にしていたけれど、私には今回それが来なくて、とうとう大浄化も私は抜けて健康体を手に入れたんだ!と喜んでいたら、正月早々体を悪くした。

なんとなく想像していたけれど、熱は一晩で下がった。

私にとっての浄化のための体調不良、特に発熱は、基本的に長引かない。

だけど、喉の痛みと節々の痛みはパワーアップした。

不具合が起きているのは、何かしら気付いてねのサインだと思っている。

熱が出た1月1日の夜は、1時間おきにトイレに行った。

汗もかかず解熱したから、多分このトイレ作戦が功を奏したと思う。

真夜中に1時間ごとに起きてよく眠れなかったことと、熱で頭がボーッとしていたことで、出てきた出てきた。

なんとなく予想はしていたけれども、小さな頃からの自分が出てくるのが今回大事だったんだと思う。

「小さな頃の自分が出てくる」というのは、本当に立体的に小さな自分が現れるんじゃなくて、小さな自分が感じていた感覚がほぼそっくりそのまま出てくる。

小さな自分は心が剥き出しみたくなっていて、本当にそのまま色んなことをストレートに感じる。

その分ものすごく傷付きやすいけれども、代わりにその自分が出てくるとちょっとだけホッとする。

普段はその自分は出てこない。

理性や大人の自分が抑え込んで出てこない。

だけど、発熱とか普段とは違う体調になって色々体が緩んだ時や心が朦朧とした時に、そういう自分がひょっと出てくる。

今回も今回ですごく不思議な感じだった。

4歳の姪っ子とのやりとりで、子どもの頃の自分が出てきた。

姪っ子は1対1の時はいいけれども、大人の人数が増えれば増えるほど、変な優先順位が現れて、私なんかは露骨に意地悪を被る。

「ふみこはダメ!」などと言われたり、本気の嫌がらせにしかならないことをされたりして、決して気分の良いものではない。

ちなみに今はこうでも、時間の経過と共に変わってくると思っている。

児童養護施設で働いていた時もそうだったけれども、私は決して子どもウケするタイプの大人じゃない。

最初から子どもに好かれるタイプの人というのはいて、私はその空気はどうやっても出せないし、そんなことで勝負しようなんて思わない。

ただ、根性だけはあるから、子どもとどんなにぶつかって嫌な感じになっても、それはそれ、次は次と割り切って付き合えるのと、自分の感情で子どもを振り回したりはしない。

ダメなものはダメとどこまでもはっきりと言うけれども、自分の感情に任せて相手を怒ったりなじったりとかはしない。

そういうことが子どもたちも肌感覚でわかってくると、私に向けてくるものが変わってくる。

子どもが心を開いてくる。

時間も労力も半端なくかかるけれども、誠実に勝るものはないと私は思うほど、人間関係ではそういうことが大事だと思っている。

姪っ子はさておいても、そんな風に小さな自分が出てきて、自分が超がんばってがんばってがんばり抜いて今があるんだと知った。

大人の私でさえも戸惑う。

明らかな意地悪だったらまだ何だかんだと言葉で説明できるけれども、そうではない絶妙な態度で拒否や否定、無視をするのはどう伝えてみようもない。

ちなみに姪っ子は多分意図的にしている。

怒られたいとかいうのよりも、多分私の反応を見ている。

要は、自分の一番醜い姿を私には見せている。

明るくて朗らかなところではなく、意地汚くて意地悪い自分を見せる。

こんなに意地悪してもふみこは好きでいてくれる?という挑発的なものを感じる。

可愛くて愛くるしい自分が愛されるのは肌でわかると思う。

でもそうではない自分も愛されるかどうかはわからない。

でも小さな体の中にも腹黒さや意地悪さはきちんとあって、普段はそれを出せないんだと思う。

そこで自分の命が危なくならない相手で、尚且つこの人なら受けてくれそうというので私にそんな面白くない役割が回ってきてるんじゃないかと思う。

現に、姪っ子は意地悪をする時に私の顔をガン見して私の反応を確かめたり、不意打ちに私にすり寄ってきて可愛らしさをアピールしたり、かなり面白いことをしている。







姪っ子とそんなやりとりがいくつかあって熱でうなされていた時に、小学校1年生か2年生の頃のシーンが出てきた。

いじめられるシーンといじめっ子が自分にすり寄ってくるシーンとが続けて出てきた。

私は毎回どのように親に説明していたのか知らないけれども、帰り道の途中に神社があってお清めの水場のすぐ前を通る時、しょっちゅうその水をずぶ濡れになるまで掛けられていた。

服とかが濡れてるのは明らかにおかしいのに、私は素知らぬ顔をして家に帰っていた。

親が気付かなかったかどうかはわからない。

だけど私はしれっとした顔で何事もなかったかのようにしていた。

書いてて思い出した。

これは予想でしかないけれども…。

その後も大人になるくらいまでの年齢域で私は何回か自分の身に危険が及ぶような状況に遭遇したことがある。

子どもの頃もその後のもう少し年齢域が上がった頃も、本当に身の危険が迫ると私は声を出せなくなる。

「助けて」の一言が言えない。

今はそういうことに出くわしてないからどう反応するかは知らないけれども、少なくとも成人前の私はあまりの恐怖で完全に声を失い、ひたすら耐えることしかその時々はできなかった。

だから子どもの頃も、ものすごく嫌だったけれども、声を出さなかったのではなく、出せなかったのではないかと思う。

そこにプラスして、帰り道の2人のいじめっ子のうちの1人が休むと、今度は手のひらを返したようにもう1人は私にやさしくなって仲良く話をしてくる。

素直に私はそれを喜べなかった。

今日だけやさしくて、また明日になってもう1人が戻ってきたのならまたいじめられる、そう思うと何で今だけやさしいのか全く理解できなかった。

そんなことを姪っ子とのやりとりを通して思い出した時に、今大人になった私でさえもさぁどう姪っ子に振るまおうかと考えるのに、小さな自分はどうやってそれらを対処していたのか、想像を絶するものがあった。

しかも大人になった私は心理セラピーの方法なんかも身につけて多少の知恵があるけれども、子どもの私にはそんな頼れる手段なんかなかったから、その時その時で小さな体で目一杯戦っていたんだろうなぁと思う。

そういう自分のことが今回の発熱の時にひょいと出てきた。

その自分と今の40歳の発熱の自分とは関係ないけれども、「そうだ」と思いついて、真夜中に果物缶を開けた。

本当は白桃や黄桃の缶詰を想像していたけれども、あったのはなんと生まれて初めて見たアプリコットの缶詰だった。

子どもの時に発熱すると母がいつも果物缶を開けて食べさせてくれたことを思い出して、それを今度は大人の自分が自分にしてあげることで、なんとなく子どもの自分が癒される気がした。

今回の体調不良は、長いこと自分の体の中に溜め込んだ負のエネルギーを外に解き放つ、そのために起こっている気がした。









もう1つ気付いたことがある。

私が高校以降繋がった人間関係というのは、1つには相手の人が気分によってコロコロ変わらない人だということ。

相手の出方が読めないようなタイプの人は私が苦手とするから、仕事とかでどうでも関わらないといけない場合でもなければ、親しい人間関係の中ではそうした人とは絶対に仲良くならない。

人間誰しも感情の起伏はあるけれども、それを周りに巻き散らしてしまうような人は私は苦手だし、そんな人と付き合いたくない。

派遣に行くと大体その手の人が必ずと言っていいほどいたけれども(派遣・正社員問わず)、個人としては絶対に関わり合いになりたくないと思った。

もう1つは、私がどうであれ、相手から見た時の私の価値観が同じ人というのを大切にしている。

いじめっ子の片割れが休むと親しくされる件も、私には本当に不可解なことだった。

昨日の私と今日の私とで差がないのに、どうして状況が変わると関係性や私の人としての価値みたいなのが変化するのか、全く理解できなかった。

この手のタイプの人も苦手だから、私はそういう人のことはとにかく避ける。

そして、これはニートや引きこもりのような状態になってより一層はっきりとしたことだけれど、そういう時こそ相手と自分の関係の真価が問われる。

そうした状況下にある私自身を否定する人とは関係を続けていけない、そう感じた。

これは言葉とかではなくて、超わかりにくいどころか私にしかわからないような感覚かもしれないけれども、たとえ同じ言葉をかけてきても相手がそれを私をまるっと受け入れて言ってくれているのか、反対にある部分の私を否定して言ってきているのか、その差がわかる。

前者は言われても変な感じはしない。

でも後者は言われるとすごいグサッとくる。

しかも後者のタチの悪いところは、本人は良かれと思って言ったり態度で示したりするところで、だからまさかそれが私には凶器のようになっているなんて本人は全く思ってもいないだろうと思う。

30代の10年間を通り過ぎて学んだことの1つは、何をしていても何をしていなくても、私そのものは変わらないし、そして私の価値そのものも変わらないということ。

社会の役立ち度ゼロで周りに迷惑かけてる度マックスでも、それで私そのものの価値が左右されるなんてことはない。

周りの評価はたしかに変わる。

だけど、それはそれだし、それに合わせて私の価値を自分の中でも変える必要はないと知った。

そして、そうなった時に本当に周りの人たちの考え方や価値観も見えてくる。

良し悪しはないし人それぞれだけど、ドン底をいくような時にそれを良しと思わない人たちとは長く付き合えないと思った。

良しと思ってない人たちは、見えない部分で私を否定しているのがわかる。

それは居心地が悪いし、自分が何か大きく間違えてしまっていてダメな人みたいに映って仕方なかった。

ただでさえ罪悪感満載、後ろめたさや自己否定の連続しているところに、さらなる追い討ちが来る。

私ももしかしたら見知らぬところでやらかしているかもしれない。

でも、できる限り、窮地に追い込まれている人をさらに窮地に追い込むようなことだけはしないにしようと思った。









微熱に戻って元気が出てきてから、久しぶりにリマーナすず先生のブログを開いた。

すず先生は占星術家で私が2018年の夏に個人鑑定を受けてきた先生。

時々、1ヶ月から2ヶ月に1回の頻度で先生のブログをチェックする。

すず先生のブログをチェックするのは目的があって、先生のブログは超マニアックなホロスコープの解説について教えて欲しいとコメントする人が後を絶たなくて、それに対してすず先生も無視せずに丁寧に返信している。

それが読みたくてチェックしている。

個人的にはマニアックな人たちはきちんと個人鑑定受けてください、と思うけれども、それとは別にその人たちの質問のおかげで私も新しく知れたりすることもたくさんあるから、恩恵に預かっている。

今回このタイミングで見た新しいコメントの内容は、今の私にピッタリのメッセージだった。

コメントで見かけたのは、私と同じ相を持つ子どもについて相談している母親からの質問だった。
(https://hapihapiastrology2.blog.ss-blog.jp/list_comments/16459342/)
↑リンク飛ばないけれども、それが書いてある場所。

『学びに関して長い期間、努力を続けることになるでしょう。』

すず先生はそのように返していた。

それを見て、「あっ!」となった。

これが学びかどうかは知らないけれども、私のこの自分の振り返りはある種尋常ではないと思う。

前は誰しもがするとは思わなくても、逆にする人もいるでしょうと思って特別とは思わなかった。

ある時から、占星術講座のクラスメイトだったノムから、ぶっしーのそのひたすら自分を見る習慣というのは普通じゃないし、ぶっしーほど自分を振り返る人もいないと言われて、それで初めてそれが普通じゃないんだとようやく自覚できた。

だけど、ノムもノムで私みたいにしているし、他にも同じようにやる人に何人か出会ったことがあるから、やっぱりそんなに特別とは思わなかった。

だけど、今回この体調不良のタイミングですず先生のコメントを読んでハッとした。

この自分の内面をひたすら見ることや、熱まで出して体はマックス具合が悪いのに、そんな最中に子どもの頃の自分の感覚を思い出して癒す行為を行うなんて、どう考えても普通じゃないなぁと。

そして努力しているつもりはないけれども、自分の心のケアについては長いこと学びを続けているのは本当だなぁと。

最近じゃ、こうした不具合が出ると、過去の自分の感覚が出てきたら、その感覚の瞬間をわざと自分の中で追体験して、それをスローモーションのように再生して、どこで私がこの感覚に至ったのか、何をその感覚と感情を結びつけたのか、そんなことの分析までしている。

そんなことして何の得になるのかなんて考えず、むしろやっても得にならないとも思うけれども、ほぼ自動的にそれをしてしまう。

ちなみにこれをすると、心の傷が和らいだり、自分が楽になれたり、はたまた未来の危険に備えたりできるから、そういう意味でやっている場合が多い。

人間の心なんて本当に複雑怪奇にできているから、基本的に機械のようにAを押したらaになって、Bを押したらbになるみたいな単純構造とはいかない。

いかないけれども、それを細かく見てあげることで自分が救われたり楽になれたりすることはある。

そういう意味で私はずっとそんなことをまるで毎日ストレッチする人のように自然とやっているし、それをすず先生の言う『学びに関して長い期間、努力を続けることになるでしょう。』に当てはまるんじゃないかなと思った。

超ぶっちゃけたことを言えば、世の各種心理サービスを提供している多くの人よりも圧倒的に私は自分を使って自分を見ていると自負している。

ブログの記事を1つでも読めば、その人の思考の癖とか価値観とか軸となる考え方とかが1つは確実に見えてくる。

なぜなら、自分で自分を見まくって、そして心理系でもスピ系でもたくさんの書物を読んできたから、そうした諸々の積み重ねでわかってしまう。

すず先生は同じコメント内で続けてこんな風に言っている。

『彼にしかわからない敏感な感覚だったり
複雑な葛藤を抱え、回り道をしがち。』

私のそうしたマニアックな分析から得たものは、それこそ「私にしかわからない敏感な感覚」に当てはまる気がする。

「複雑な葛藤」もこれかな…と思い当たる節がある。

例えば姪っ子にしても子ども時代のいじめっ子にしても、他の人たちと私とに何の差があるのか私にはわからない。

なんだか意味のわからない嫌がらせを受ける、だけど状況が変わるととても親しみを示される、それが私には不可解すぎる。

もちろん人間だから一定ではいられない。

だけどもこうした類いの状況を幼い頃から山ほど体験してきた私にとって、相手の出方が読めないのは相変わらずだし、それによってこれまでは自分もグラグラしまくりだったから葛藤もその分多かった。

最近は開き直って、それがたとえ姪っ子であってもされて気分の良いものではないけれども、それは私の問題じゃなくて相手の問題なんだと思うようになった。

私が何か嫌がらせをしていてその仕返しとして嫌がらせを受けるならわかる。

でもそうじゃない。

何もしてなくても、突然攻撃されたりするわけで、私が当たりやすいのかもしれないけれど、だからと言って私が悪いのとは絶対に違う。

でも、こんなこと言いたくないけれども、こうした状況がたくさんあったことで私はここまで自分を見る習慣を身につけたと思っている。

そういう意味不明な状況は山ほどもたらされてきたから、ある意味慣れている。

自分で言うのもなんだけど、ここまで本当に色んなことを体験してきて、それでもひねくれず相手に仕返ししようともせず、精神的に投薬治療や入院を伴うほど病んだり、はたまた誰かに危害を加えるとかしない自分を見て、本気ですごいと思う時が時々ある。

メンタル強めだと思う。

そりゃ独特の感覚も育ちやすい環境にあったなぁと思う。

とにかく、今回のタイミングですず先生の言葉を見つけられたことはとってもラッキーだった。

自分で自分の人生を肯定できるヒントがそこにはあった。






 

体が不調でもブログを書く元気はあった。

そして、小さな自分に戻ったみたいになって、その時の自分を振り返る元気もあった。

相変わらず怪人級のメンタルだなぁ…と自分で思う。

体の具合が悪いのにできるわけだから、これはある種の才能だとさえ思う(笑)。

2020年1月1日水曜日

2020年マイテーマ:100年先に引き継がれるもの

迎春2020〜令和2年
お飾りは通り過ぎたホテルの前のもの



この1年、そしてここから先の長い人生の中で自分の軸にしたいものの記録。





「100年先の時代にも引き継がれるもの」





何年か前に名古屋の美術館で見たゴッホ展で一番印象に残ったのは、ゴッホの絵よりもゴッホのことをまとめたDVDのワンシーンだった。

ゴッホは「100年後の人たちが見た時に、絵の中の人がそこにいるような肖像画を描きたい」と、それを念頭において絵を描いていたとのこと。




今も使い続けている木のテーブルは、一枚板でオーダーメイドで作ってもらったものだった。

2010年に一人暮らしを始める時、テーブルだけはこだわった。

自分と共に年月を重ねるもの、そのテーブルの上で思い出を紡いでいきたい、それができる一生モノのテーブルを探した。

そしてオーダーメイドも予算内でいけると知って、唯一無二のもの、世界に1つしかないテーブルが欲しいと思った。




冬が始まる前から手伝い始めたヨシダさんの農業の手法の資料作り。

そこには、人間と自然が地球に在り続ける限り、絶対的に必要とされる自然の循環にまつわる知恵が記されている。

100年ではなく、何百年とこれから先も引き継がれるであろうことが描かれている。




東日本大震災の被災地を何年もずっと訪問している友達がいる。

友達が着眼して絶対の必要性を訴えているものは、これから先、災害対策で間違いなく絶対に取り入れられるものだとわかる。

まだまだその考えが全く受け入れられない異質なものだけれど、それは災害大国日本で、そして少子化が進む日本で、避けては通れない対策で、そして友達が目をつけたところは1人の命だけじゃなくて地域全体を救う事業に間違いなく発展していく。

友達は近い将来、その分野のパイオニアになるかと思う。



12月から行き始めた英訳の仕事。

来月からは本格的に、私が訳す文章が何十年先、100年先の時代にも引き継がれるものの1つや2つには少なくともなるだろうと思われる。







2019年最後の週に友人ノムと交わした会話の1つに、「手紙」があった。

英訳の仕事の教育係の人が月末で辞める関係で、私はお礼の手紙を書いた。

その話から私がこれまで仕事で関わってきた何百人という人たちの中の最低でも100人以上、もしかすると200人300人くらいになるかもだけど、それだけの人数の人たちに向けてお礼の手紙を自分が辞める時か相手が辞める時のタイミングで書いて渡している話をした。

そうした時の手紙は統一したテーマがあって、基本的にお礼とは別に相手の強みを言葉にして伝えている。

辞める時だから、そこから何かを得ようとか印象を良くしようとかいうタイプの魂胆は一切ない。

もうそれっきり会っていない人たちの方が圧倒的に多い。

なんだけど、なんとなくそうしたいからそうしている、ということをノムに会話の中で言った。

そうしたらノムはそれに感銘を受けて、早速ノムはそれを自分も実行に移した。

ちょうど12月で終わる個展の店のオーナーさんに、お礼の手紙と共にそのお店の強みを書いて渡したと教えてくれた。

1年前も同じ店で個展を開催していて、その時もお礼状は書いたけれども、お店の強みとかは書かなかったとのこと。

今回は、そのお店がどんな風に素敵でどんな風にそれが強みになっていて、その素敵なところや強みに触れたノムが何を感じたのかを綴ったとノムは言った。

ぶっしーの話があったからこそだとノムは言ってくれた。

これはとっても嬉しい話だった。

手紙の話を何でしたのかは今となっては全く覚えていないけれども、ノムがその話を聞いて良いと思ったことを取り入れてくれたことはめちゃくちゃ嬉しいことだった。

ノムに取り入れて欲しいとかこんな方法が良いと提案したいとかでは一切なく、本当に会話の一部だった。

そもそもそんな話を私は人にしたこと自体初めてだったけれども、その話がそんな風に誰かに届いてその誰かも同じことをするという流れにとっても感動した。

ノムの話を聞いて、それがいいなと思った。

誰かに何かを教えるのではなく、ただただ私が私の何かを言う中に相手の人がヒントを見つけてくれるってなんて素敵だろうと思った。







ずっと受け継がれていくもの、それも儲けとか肩書とかを狙ってするものではなく、本当に本質的にこれ絶対に大事!と感じるものを残していく、そのことをこの2ヶ月くらいで一気に見た私は、そうしたことに心から惹かれた。

今の世の中の流れは、変な順番で成り立っている。

正しくは、成り立っている真似をしているだけで、何かおかしいことをまるでそれが正しいかのように見立てて、その秩序のない中でそれが普通と言わんばかりに存在している。

そういえば、年末に面白いことを知ることになった。

年末に国会議員の人が収賄容疑か詐欺罪かで逮捕された。

カジノの誘致とかと関わってるとかなんとかのやつ。

私はそのことに全く興味もなく、ニュースで見ても気にも留めず流し見していた。

私がその件に関して興味を持ったことは、もっと別のことだった。

その逮捕された国会議員とつるんでいた一般人との関係を暴露された記事をたまたま見た。

記事のタイトルからはそんな内容だとは想像もつかずに読んでみたらそれだった。

その記事の中に、ある団体の名前が出てきた。

国会議員の逮捕と何らかの形で関与していた団体とのことだった。

それ見て本気で驚いた。

その団体について、私はある人から投資話を持ちかけられていてどうしようという相談を2年ぐらい前にされた。

そういうことに詳しい人を知っているから聞くね、と約束したものの、約束の前にその相談されたまさにその時その場で私はペンジュラムに聞いた。

ペンジュラムは有無も言わず、ものすごい勢いでスーパーNOを出してきた。

私は名前しか聞かされてなくて、名前聞いたところで知らないものは知らないから、ふと思い立ってペンジュラムに聞いてみただけだった。

相手は私のペンジュラムに若干半信半疑でいたけれども、私はペンジュラムの異常なほどの強さでスーパーNOを出す様子を普通ではないから気をつけてと伝えた。

その後詳しい人からも怪しい感じがするから気をつけてと言われて、相談者は投資をせずに今に至っている。

そう、あの時早々とどういうわけかペンジュラムは異常を尋常ではない形で察知していて、それがまさかまさかの犯罪絡みの内容だったとは、何年か置いた今頃になって知った。

大晦日の日にインテリ男子とやりとりした際、こんなことを言われてすごく嬉しかった。

「なんだかんだ武士俣さんのやってることは、百年前からやってるテクノロジーに左右されない営みなのかもしれないですね

ある意味デジタル社会の対極にあるアナログ、
それもアナログの最先端みたいな
印象」

『アナログの最先端』という言葉に超ウットリした(笑)。

でもそういうことなのかもしれない。

ペンジュラムの精度は私本人とは全く関係ないところで整えられているように思うけれども、とにかくアナログの最先端と言わんばかりに何年か前に犯罪の臭いを嗅ぎつけて、それで実際にそうだと判明したわけだから、本当に凄い。





私は何も目指してはいないけれども、どういうわけか色んな話を色んな人たちから聞く。

私は世の中の情報にはものすごく疎いし、デジタル全般は壊滅的な苦手度を誇っている。

だけど、話を聞く中で「これ何か変だ」というのはわかる。

反対にすごい突飛なことでも「これはこの後も絶対に残るだろう」ということもなんとなくわかる。

これまではそのセンサーが何基準なのかさっぱりわからなかったけれども、最近少しずつわかるようになってきた。

・純正のお役立ち度
・何十年、百年、何百年と継承される度
・最初の想いの純粋度

この辺りがセンサーの基準になっていると思う。

上の基準の純度が高ければ高いほど、物事はスムーズに運ぶし、聞いてても流れが良い。

反対にそこに訝(いぶか)しいものが混ざっていればいるほど、こちらにはその違和感が伝わってくる。

お役立ち度は、儲けや肩書は一切関与しない視点で測定されるから、一歩間違えると「それやって何になるの?」とかいうことを平気で口にする世の中の人たちがいる。

儲けや肩書は生まなくても、もっと色んな人たちの命や生活そのものを良いものにする要素がはっきりと含まれている。

先々に引き継がれることは、話を聞いてピンとくる。

なぜなら、人間や社会、自然にとって良いものだとわかるから。

いっときのブームや流行ではなく、それが今年でも10年後100年後でも絶対に大切にされるとわかる。

そして最後の「最初の想い」の部分は、いくらその後に似た活動をする人が現れても敵わないと思う。

最初の想いは、本人が1喋れば100のことが伝わる。

しかも、本気の人たちはカンペなしでベラベラと喋る。

あったことや思っていることを、まるで今この瞬間に目の前で見ながら話しているかのように、悠然とそして詳細に話をしている。

ちなみに、純度が高くても、何十年何百年というコースのものは、今日言って明日完成とはならない。

時間も実現したり継承されたりするまで莫大にかかる場合もあるから、そこは気長に目の前の一作業をやってコツコツ貯めていくしかない。

そうなんだけど、そういう芯の通ったものなら必要なものはきちんと集まるの法則になっている。

気が遠くなりそうなほど必要なものは数多とあっても、1つまた1つと必要なものたちは必要な人たちに届くようになっている。

そして、そういう人たちはその手間暇を惜しまない。

ものすごく面倒で煩雑でも、それら抜きに物事は進められないから、そうしたものを1つ1つ形にするために労力と時間をしっかりと正しく使っている。







こんなことを書いていたら、「正解!」と言わんばかりにヨシダさんから元日早々電話が来た。

ヨシダさんは新年の挨拶を口にした後、去年はものすごく楽しかった、本当に楽しかったと言った。

私と飲む時間が楽しいというのもあるかもしれないけれども、本当に楽しいのはヨシダさんが残りの人生で取り組むテーマが始動したことだと私は思っている。

ヨシダさんのプロジェクトは、これからもう一度日の目を浴びることになると思う。

そして死ぬその時まで全力で取り組むものになるかと思う。

ヨシダさんの資料作りは少し面白い展開を見せている。

1つには、全く関係のない私の友人のノムとミッチー(=ノムの恋人)から知恵をもらえたこと。

資料の印刷に関して、あれこれ色んな印刷をしている2人、特にミッチーから具体的にどういう手段や方法が良いかを教えてもらって、その教えてもらったことをノムが今度はものすごく丁寧にサイト付きで説明を私に送ってくれた。

ノムからはそれ以外にヨシダさんの宣伝方法を独自に伝えてもらっていて、必要ならいつでもノムの先にいる関係者に繋げるよと言ってもらっている。

もう1つは、今の英訳の仕事が関係している。

英訳の仕事は英訳もするけれども、それ以外にWordやPowerPointを使って公式文書の清書をする。

清書業務は私の苦手なパソコン操作満載で毎度発狂しそうになっているけれども、そのおかげで私はヒントを得て、すでに作ったヨシダさんの資料の見た目に美しくない、よろしくないところをきれいに見やすく整えられるようになる予定(←正月終わったら取り組む予定)。

複雑な操作もかなりできるようになりつつあって、まさか新しい仕事がこんな風にヨシダさんの資料に役立てられるとは思わなかった。

正直どうにもできなくて、パソコン得意なシステムとか組める友達に連絡して何とかしようかと思っていた。

それをまさかの場所から方法を取得できることとなって、自分の中では給料もらいながら無料のパソコンスクールに通っているようなものだと思っている。

私の知識や技術なんかはたかが知れてるから、そうやって思いもよらぬ形で解決方法がもたらされるところも、エネルギーの通りの良さや速さを立証している。









こうして私は、自分がどういうものに惹かれるのか、知りつつある。

すっごくたくさんの回り道と悩み時間と立ち止まり時間とを通過して、本当に自分がいつか動けるようになるのか不安でたまらなかった。

自信(自分を信じる気持ち)はいつも低空飛行で、あるのかないのかもわからなかったし、どこに向かうでもない自分のことが恐怖でしかない時期も幾つもあった。

今はそういう特殊なことに関わらせてもらえることが嬉しかったり、興味あるなぁとなっている。

またいつ変わるかもわからない。

だけど、自分の中にあるセンサーを信用して、それをするしないを決めていってももう大丈夫なところまで来れたのかもしれない。

自分のことは怪しいけれども、自分以外のことなら基本的に私情がほとんど挟まれないから冷静に見据えることができる。

そして、自分の中で「これは本物だ」とわかるものは、百発百中と言わんばかりに当たる。

100年先の未来に引き継ぐもの。

多分私はそういうものに恋をするように惚れ込んでいくと思う。

今の中で一番長い付き合いなのは自分の木のテーブルで、それは飽きたことがただの一度もない。

自分と巡り合うものが長く続かなくてもいい。

一度でも自分が本気で惚れ込んだものなら、その惚れ込んだものに出会えた奇跡を私は自分の中で大切にしていける。

今年から始まる時間の中で1つでも多くの縁あるものと出会っていけたらいいなぁと思う。

そして欲を言えば、その先に自分が本当に生涯を通じて取り組みたいものと引き合って、それを少しずつ形にできたらいい。