2019年7月6日土曜日

eat LOVE ⑻ 星トリオと織りなす占星術

野村浩平 個展「 celebration!」@ plate tokyo 
(↑ノムの個展の案内文。リンク飛びます)

個展「celebration!」のお知らせ
(↑これも個展の別バージョン(?)の案内文)

(↑ノムとミッチーの日常)







eat LOVE話に入る前に、予習的なお話。
(「予習」とか言うと頭良い人みたい(o´艸`)
↑人生でほとんど「予習」したことがない人の憧れワード)

占星術関連のものに「サビアンシンボル」と呼ばれるものがある。

12星座は各星座30度ずつに分かれていて、例えば牡羊座なら牡羊座1度から牡羊座30度まである。

牡羊座というと、多少年によって変動はあるものの、3/21〜4/19生まれの人を指すわけで、その間30日間あると思うと各星座に30度ずつの割り当てがあるのもなんとなくイメージしやすいと思う(1日1度ずつ太陽が進む)。

全部で12星座×30度=360度あるわけだけど、その1度1度に「シンボル」というものが与えられていて、そのシンボルから読み解いたものからまた各個人の細かなテーマや課題、強みなんかを見ていくことができる。

ちなみにサビアンシンボルは色々とぶっ飛んでいるものが多くて…。

例えば。

牡羊座1度は
「女性が水から上がり、アザラシも上がり彼女を抱く」

牡牛座1度は
「清らかな山の小川」

獅子座1度は
「脳溢血の症例」

射手座1度は
「共和主義
キャンプファイヤーの威厳ある軍隊」

牡羊座1度なんて、どんな状況か想像さえつかない。

アザラシがどうやって人間を抱くのか?という話。

他にも逮捕された男だの、泥棒集団だの、ハゲ頭だの、本当に言いたい放題のシンボル満載。

それだけでは当然読めないから、サビアンシンボルの解読本が市販されてたりネットで解説が出ている。

アザラシも意味不明な話だけど、一見聞き心地の良い「清らかな山の小川」だってなんだそりゃ?状態だと私は思っている。

脳溢血は、「熱い創造衝動」を表すらしく、要はパッション?

とにかく、非日常ワード満載だし、色々解釈が難しいものがかなりの割合で出没する。

で、そうした「アザラシと人間」とか、色々有り得ないシチュエーション命!みたいなサビアンシンボルたちを、日常の生活や風景の中で見ることはまずない。

上の4例なら、「清らかな山の小川」が唯一日常とまでいかなくても現実的に目にすることができるかな…という感じ。

そんな中、まさかの2つものシンボルを私はレイさん所有の母屋で見てくるわけだから、本気で驚いた。

ものだけでカウントすると2つ、状況をカウントするならさらに3つ追加される。

その場で気付けたのが2つ。

新潟に戻ってから、「あ!」となったのが3つ。




レイさんの母屋は、縁側があって、縁側のカーテンの向こうに見える緑がとても気持ち良さそうだった。

風が入ってくる度に薄い半透明色のカーテンが揺れて、その感じにいつも心が和んだ。

私はカーテンの向こう側が気になって、ある時カーテンをめくってみた。

Σ(꒪◊꒪ )))) ?Σ(꒪◊꒪ )))) ?Σ(꒪◊꒪ )))) ?

世にも奇妙な組み合わせを初めて見た。

ソリ、それも季節外れのソリ。

えっと、えっと、ここは東京。

えっと、えっと、えっと、今は夏。

何でソリあんの??と思った。

時計の針をもう少し戻す。

母屋に入ってまず何よりも目を引いたのは「何もないこと」。

パッと見て目に入ったものは、和室用の木のテーブルと座布団、白い扇風機、ロッキングチェアー、大正ダンス、それぐらいであとはすごくスッキリとしていた。

それは私が憧れるライフスタイルでもあって、この最小限のものたちだけを置いてあとは空間をしっかり残す、そういうのが本当に好きで、だから私は入ってすぐに母屋の雰囲気が大好きになった。

恋に落ちたと言ってもいいぐらい、本当に最高に気持ち良い空間だった。

今は誰もそこには普段住んでいなくて、だから余計と余分な物が何も置かれてないのだと思う。

レイさんが自分がよく使う仏間や台所になるともう少し生活感が出てくるけれど、それでもやっぱり物は少ない。

どこもかしこも最小限にとどめていて、とにかく必要なものだけが置かれている空間だった。

それは家の周りもそうで、何も中だけに限ったことじゃなかった。

これもまたいつの話かは覚えていないけれど、レイさんはこの母屋の大がかりな断捨離をしたと言っていた。

とにかく要らないものは全部捨てて、ミッチーが一部引き取ったのかな?ぐらいで、あとは本当に要らないものを手放したと言っていた。

なのにソリ…。

雪国大国・新潟の中でさえもあまり見ることのない、というかこれまで一度も見たことのない光景だった。

ソリは別に珍しくはないけれど、写真みたいな超頑丈そうなソリは初めて見た。

eat LOVE邸付近だけ積雪1メートルとか行くんだろうか?そんなわけない。

あの辺りでソリを持っているお宅がどれだけあるのか知らないけれど、限りなくゼロじゃないのかな…と思った。

ちなみに東京で美容師をしている妹が、2年前の全国的に大雪に見舞われた時、なんと除雪用のシャベル(スコップ)を買って、それを持って新幹線に乗った。

東京にはほとんど売ってないのとあっても作りがちゃっちいということで、雪国仕様のものを買って、店に持って行くと言っていた。

東京はそういう土地柄だと思うけれど、妹の住むところとeat LOVE邸のところは町が違うけれども、決してソリが普通に売られてるところではないと思う。

そもそも何で年季物のソリが東京のとあるお宅に置かれているのか、しかも大がかりな断捨離後もそれが残ったのか謎は深まるばかりだった。

名探偵コナンとか金田一事件簿とかのヒントになるかもしれないような配置だったけれど、そんなことよりも私の頭の中に出てきたフレーズはこっちだった。

【雪と一緒にないソリ】

私の生まれた瞬間の星の配置のサビアンシンボルの1つが、【雪と一緒にないソリ】になる。

冗談かと思った。

うちの家の車庫にも、現在3歳の姪っ子が2歳になったばかりの頃から愛用しているソリがある。

だけど、季節物は大概車庫や倉庫にしまわれる。

私が新潟でこれまで見た一番季節外れのものは、真夏のダウンジャケットぐらいで、さすがに真夏のソリは見たことがなかった。

真夏のダウンジャケットもなかなかの存在感というか異彩を放っていたけれど、真夏のソリはさらにその上を行っていた。

【雪と一緒にないソリ】はアザラシのサビアンシンボルよりかは現実的な感じはしたけれど、これもまたおかしなシンボルだなぁと思っていた。

しかも私はその意味が好きではなくて、まるで私のダメなところがもろに指摘されてるみたいなシンボルで、何となく敬遠したくて、きちんとは調べたことのないものだった。

要約すると、「まだ起きもしない未来に向かって、先見の明を持って準備をする」。

1ヶ月あっても占星術の宿題を当日の朝にしかやらなかった私は子どもの頃、8月31日は毎年泣く日で(もちろん溜めに溜めた宿題に)、これが大人になったら改善されるのかと思っていたけれども(←どんな発想をしていたのか子どもの自分に聞いてみたい)、そんな奇跡は起こるわけもなく、三つ子の魂百までとは本当にその通りで…。

私にケンカを売ってるようなサビアンシンボルはちっとも好きになれなかった。

ちなみに今回私を招待してくれたノムも私寄りな人で

>>>講座数日前
「それにしても日々はあっという間!!
もう、数日後だものね、ぶっしーの上京。
占星術の宿題、まったくやっていない......。
ぶっしーはきっと、ちゃんと取り組んでいることでしょう。

そういうことしてまったく意味がないけど、
なんか、”宿題を写させてもらう”小学生の気分になってるよ。笑」

>>>講座2日前
「ねー、わかる。ぼくも講座がおまけみたいな気持ちにだいぶなっちゃってる。笑 きのうの先生からぶっしーの質問へのアンサーメール読んで、は! そうだった、講座だったんだ! って我に返ったり🙃

いろいろ楽しみだなー。今日は雨だけど明日にはあがるっぽい! お気をつけていらしてね〜〜〜。今日こそ講座の宿題やるぞ、、、!」

{占星術講座<eat LOVE邸合宿}
に完全にひっくり返ったのは、何も私だけじゃなかった。

ノムには早々と私は毎回宿題を当日の朝にしていたことを伝えて、ノムの思い込みを訂正しておいた。

ちなみに「ぶっしーの質問へのアンサーメール」というのは、宿題もしてないくせして、「そういえば先生はいつまで質問を受け付けてくれるんだろう…?」と思った時に、今回は6月で講座終了で宿題はもう出ないと思ったから、「あれ?今質問しとかないと受付してもらえないんじゃない?」と思って、慌てて先生に質問メールを送った。

もちろん、質問は宿題には全く関係ない、個人的な占星術の質問だった( ̄∀ ̄)。

話は戻して【雪と一緒にないソリ】。

それを見た時はあまりにビックリしたことしか覚えていないけれど、その時なのかその後なのか思った。

「あ〜、呼んでもらえたんだな」って。

【雪と一緒にないソリ】、私の場合、これは魂の傷に関するテーマになっている。
(そのおかげか、先延ばし術は筋金入りに仙人級までレベルアップ( ̄∀ ̄;)。魂の傷というのは、言い換えると、本人にとってとても苦手なテーマになる。)

色んな天体がある中で、知性とか美とか社会的到達点とか、各天体ごとにメインテーマがある。

その天体たちの中でも、「魂の傷と癒し」に関わる天体が、私の場合【雪と一緒にないソリ】になる。

占星術を勉強していなければ、間違いなくソリは無視した。

珍しいデザインでも、ソリ自体は雪に慣れてる新潟県民からすれば物珍しくはない。

そのソリが本当にとてつもなく存在感を示したのは、紛れもなく占星術を知ったからだった。

そして、今そこにある縁は占星術講座でノムと知り合ったからなわけで、さらにノムとレイさん(のご家族)が家を貸す借りるの契約をしたことがその根底にはあって、レイさんがどこかのタイミングで築100年の家を手離さず復元させると決断してそして大々的に手を加えて今も形としてしっかりと残して、さらにさらにノムとミッチーが付き合わなければノムたちがそこに移り住むことはなかったと思う。

ノムは自分たちの住処を「居場所、拠り所、安全安心なスペース」と呼んだ。

それを求め続けてその答えが今現在に至る、ってノムがいつか話してくれた。

だから、自分が今招いて立たせてもらっている場所は、単なる場所じゃなくて、本当に色んな人たちの想いや歴史なくしては絶対に立てない場所で、そしてそんな場所にどういうわけか私の魂の傷と癒しのテーマのシンボル【雪と一緒にないソリ】があって…。

どう言ったらいいんだろう…。

日本の家屋だし特別何かが変わってるとかいう場所ではないのに、母屋含めたeat LOVEの聖地は異次元空間に入ったみたいな感覚だった。

3人側の積み重ねももちろん必要なんだけど、私も私でそこに入るためにはそれ相応の準備が必要だったと感じている。

少なくとも、去年1年の春先から秋の終わりにかけて月1で東京に占星術講座に通っていた頃の自分では、絶対にその場にいることはできなかった。

これを書くにあたり、さっきネットで【雪と一緒にないソリ】を調べた時に、「自分は人と比べて何か劣っている、足りない、だからそれを何とかして埋めようとする」というような意味の解釈を読んだ。

1年前の私は、今よりももっともっと「自分は足りてない・劣っている」感がものすごく強かった。

そして、そこから離れるために私がしたのは、何かを足すことではなくて、現状の自分、それがいくらヘンテコで社会的価値観から大幅にズレていても、その自分だということを知っていく、その自分の居場所を作っていくことだった。

それまでは「足す」ことをひたすら人生でやり続けた。

それが無駄ではなかったけれど、足しても足してもキリがない上に余計と自己否定が強まることはわかっていた。

それはオール1の子ども時代から長い年月で積み重ねられた習性で、私は親や親族、友達から「努力する才能がある人」と言われるぐらい、がむしゃらに何かに向かってがんばるのが当たり前みたいな生き方をずっとしてきた。

それを立て直すために人生が崩壊していったんじゃないかと思うほど、30代はドタバタで、そして30代最後の去年もまだ私はその生き方を繰り返していた。

今の流れを私はあんまり自分でもよくわかっていないけれど、その辺りの感覚が徐々に変わり出して、もう今さら自分を良くするとか無理だわと良い意味でのあきらめもつき始めて、そうした諸々を経てようやくノムとミッチーとレイさんが私の人生に現れた。

ちなみにこれはキロンという名前の天体の話で、キロンは元々持って生まれた魂の傷で、同じテーマでしか癒せないとされている。

だから、私が「何か自分には足りない」ということを、例えば美貌を手に入れるとか社会的なステータスを手にするとかお金を手に入れるとか素敵な男性と結婚するとか、そういうことで癒されるものじゃない。

あくまでも「自分は何か足りない」というところを見ていって、そしてどういうやり方がいいのかはわからなくて今も試行錯誤ではあるけれども、そうではない在り方を自分なりに模索していくしかない。

私はそれを見に行くためにeat LOVE聖地へと乗り込んだわけではなかったけれども、3人と出逢えたおかげで「足りないだらけの自分でもいい」ということと、その「足りないだらけの自分で人と繋がっていくこと」の両方を体験させてもらえた。

まさに、【雪と一緒にないソリ】が象徴している深いテーマをあの場で私は体験することになった。

それもとーっても素直に、とことん楽しんで魂テーマとやらに遭遇させてもらった。

3人じゃなければ絶対に無理だとわかった。

あの星トリオの3人だったからこそ、私が安心安全に自分の魂の傷を癒すプロセスに入っていけた。




今回は写真を載せてはいないけれど、次に見つけたシンボルが
【夕食のために用意されたテーブル】。

(※写真は、夕ごはんの時間の記事の時にアップする予定)

食べる専門係だった私は、ノムとアトリエ見学を終えた後母屋に戻ると、テーブルの上には夕食が用意されてた。

これには超テンションが上がった♪٩((*⁰▿⁰*))۶♪

店で出されるのとは全く別物で、誰かの手作り料理が並んだテーブルを前にするって、人生の中でもそんなに数多くは体験できない。

しかも憧れのミッチーのごはんに、スーパーサプライズ・スーパーウェルカムなレイさんのごはんに、ものすごーくテンションが上がった。

よくよく考えたら、超破天荒な、でも超恵まれすぎな状態だったんだな…って思う。

だって、出逢って3時間ぐらいの時には、ミッチーとレイさんはごはんを作り始めてくれてたと思うけれど、いきなり初対面のどこの誰かもわからない人にごはんをふるまってくれるわけだから、超有り得ないと思う。

ノムの人徳のおかげだと思うけれど、それにしたって凄すぎる。

ノムもノムで私の説明を2人にはそんなにしていなかったと思う。

新潟の女の人で占星術のクラスメイトでペンジュラム使っていて、この間お茶したらすごく気が合ってね…ぐらいな情報がせいぜいだと思う。

そんな人といきなりごはんを一緒に食べるために、ごはんを心込めて作ってもらえるなんて、10年分のラッキーを使ったぐらいの奇跡だった。

夕ごはんのことはまた別の記事で詳細を書いていく予定だけど、その時の光景こそ私の人生のテーマの一つ、そのまんまだと思った。

1年前の夏、人生2回目のホロスコープ鑑定をホロスコープ界でも有名な先生から受けてきた。

どうしても自分のマニアック過ぎるホロスコープを読み解いて欲しくて、それで会いに行った。

その時に言われた言葉を思い出した。

「夕食のために用意されたテーブル」の部分でこんな風に説明された。
(今、当時の音声を出してきて聞き直しているけれど、90分の長さの中からなんと一発でその部分をすぐに探し出せた!!!という大快挙v( ̄∀ ̄)v)

「深い事情を聞かないから誰でも来ていいよというような、ちょっと居場所がないからちょっと寄ってお茶でも飲める同胞が集まるギャラリーとか、バーとか、畑とか、シェルターとか…、人間の枠を超えてというような場を作ろうみたいな…、あまりその資格とかは要らなくて、誰でも来ていいよみたいな場を作りたいっていう星を持ってる、武士俣さんは子どもになるのかな…、深い事情なんか聞かないからおいでっていう場を、割とウェルカムな、誰でも一服していきなさいよというような場を持ちたい人、そういう活動をする人。
それが人間交差点みたいな感じのことも、誰かの重要なタイミングに居合わせる、人と人との出会いのタイミングにも居合わせるような感じ。
だから、何で自分の人生、何でこんなに予期しない流れだったり特殊なのかなと言ったら、特殊なフォーメーションを持ってることもそうだけど皆既月食近い生まれだということも関係していると思いますね。
そう、人との接点になりやすい。
だからこのサビアン(=夕食のテーブル)は、みんなのために何らかの場を持つことに関係しやすい、今ピンとこなくてもいずれはあると思います。
(諸々の配置から)秘密めいたことを仲間とシェアする、パートナーとシェアすると読めるんですよね〜。同じ理念とか理想を共有する仲間たちと繋がってるって読めるんですよね」

その日のおもてなし夕ごはんがまさにその場だった。

本来の天体の意味は、私が出迎える側なんだけど、その時は私が出迎えてもらう恩恵に預かることができた。

しかも、本当に言葉のまんまで、何にも深い事情は聞かないからちょっとホッとしていきなさいよみたいな、実際はちょっとどころかすごくホッとする場を私は無償で、そしてただノムと繋がっているという理由だけでそうやって温かく迎えてもらった。

レイさんとミッチーとも色んな話をしたけれども、言われてみれば、2人から一度も私の何か個人的な事情とかは聞かれなかった。

それは興味がないから聞かないというのとは全然違っていて、とりあえず今この瞬間をみんなで楽しみましょう、堪能しましょう、ということを最優先してくれてた感じだった。

多分、レイさんもミッチーも、そしてノムも、そういうことをいきなり聞くのは、人によってはそれで壁を作る可能性があることを知っている人たちだと思う。

私もそれがわかるから、基本的に相手には質問しない。

ましてや、そんなこと聞かなくてもお互いに良い時間を持てるなんて、ものすごい奇跡なわけで、その奇跡をあえて質問をすることで自ら壊すようなことをしなくてもいい。

雪と一緒にないソリのすぐそばには、夕食のために用意されたテーブルがあった。

4人の魂もしくは魂を管轄する天界の審議会が事前に打ち合わせをして、そういう状況を生み出してくれたんだと私は思っている。




ここから先は、帰ってきてから気付いたサビアンシンボルたち。

【巨大なテント】

【お茶の葉を読む女】

【ハウスボートパーティー】




【巨大なテント】というのは、テントの中で楽しむことを指す。

もっと詳しく見ていくと、限定された安全な場所で、安心できる人たち(仲間)と魂レベルのやりとりを交わすとされている。

だから、あの日の夜、ペンジュラムの使い方をノムとミッチーとレイさんに紹介したりするのはまさにそれで、他にもホロスコープの話なんかもその域なわけで、単に楽しむんじゃなくて、深いところで交わされる大切な知恵や心の部分をお互いに共有して楽しむという感じだった。

次の日の朝、ミッチーとレイさんとで朝ごはんの用意をしてくれてる時間に、私はノムにお願いしてアトリエに連れて行ってもらって、『光の書』の本の写真を携帯で撮らせてもらった。

その時に、もう一つ聞きたいことがあると言って、本からヒントをもらった。

前の日と同じように、ノムは可愛い赤い缶から、茶碗やガラスのかけらでできたシンボルが描かれた手作りの占いグッズのようなものを出してきて、もう一度引かせてくれた。

ノムが番号を特定して、このページだよと見せてもらったら…。

「罪」

Σ(꒪◊꒪; )))) Σ(꒪◊꒪; )))) Σ(꒪◊꒪; )))) Σ(꒪◊꒪; ))))

読むとさらにパニックΣ(꒪◊꒪; )))) !!!

ノムに言った。

「私、“今後生きていくためのヒントをください”ってお願いしたら、これだったの!生きていくのに『罪』ってどういうことだと思う?(T_T)」

ノムはもう一度丁寧に、まずは自分の番号の読み方が間違ってないかを確認した。

やっぱり『罪』だとわかって、今度は2ページにも渡る解説を延々と目を通してくれた。

読み終わった後、私の方を向いてノムは言った。

「これって、【清く生きる】ってことじゃない!?【清く生きる】ってのは、この本に書かれているような悪いものを体内に入れない(食べない)とかそういうことじゃなくて、ぶっしーが自分の魂や自分の意志に対して【清く生きる】ってことじゃないかな…」

『光の書』は全く解せなかったけれど(若干、色々図星過ぎてどうしようかと思ったけれども( ̄∀ ̄;))、ノムが訳してくれた言葉は一発ですっと胸の奥に届いた。

ちなみにそこには一言も【清く生きる】なんて書いてない。

ノムでなかったら訳せない、思い付かないメッセージだった。

おかげで気持ちが「罪」と出てもやさぐれず、そしてノムが言ってくれた【清く生きる】のところだけが私の中に残った。

これもまさにグルが集って、もしくは師匠と弟子が集って教えを授けてもらう巨大なテントと同じだった。

冒頭に付けた写真は、罪ではないもう1つの質問の答えの方。

その手の内容が2ページに渡って書かれていたものを、ノムはものすごくわかりやすく、そして私が受け取りやすい形にして伝えてくれた。




【お茶の葉を読む女】

お茶の葉は読んでいないけれど、今回のこのeat LOVEシリーズでのちょっとした裏話。

(2)のタイトルを『もなかでお茶タイム』にした時のこと。

あの話のメインは「もなか」だったから、タイトルに「もなか」は絶対に外せなかった。

だけど「もなか」だけじゃ物足りなくて、もう少し言葉を足そうと思った。

いくつか候補があって、「リクエストされたもなか」とか「もなかの時間」とか、他にもあったと思う。

だけど、なぜかあの時、「もなかでお茶タイム」でまぁいっか…となった。

納得した感じはあんまりなくて、他の言葉がいいかも…なんて気持ちもまだ十分あったけれども、ズルズル延ばすのも嫌だったし、そして自分はしっくりきてなくてもペンジュラムはYESだった。

ちなみに私は、タイトルを迷っている時、よくペンジュラムを使う。

いくつかの候補それぞれにYES NOを聞いていく。

その時も「もなかでお茶タイム」にしかYESが出なくて、変なの…と思ってた。
(自分から聞いてるくせして、しっくり来てない時は毎回文句をぶうたれてる…( ̄∀ ̄;))

何でこのタイトルなんだろう…と思っていたら、このサビアンシンボルとの繋がりがもっと出てきて、そして「あ!」となった。

聖地巡礼の時間でお茶を飲んだのはあの時1回きりで、あの時のことしか「お茶」という言葉をタイトルに入れることができなかった。

そう、だからあの時に「お茶」ともし使わなければ、もう他の記事では絶対に使えない言葉だった。

「お茶の葉を読む女」は、基本的に誰かとティータイムを過ごして、その時に使った茶葉を使って占いをするのが伝統的な流れらしい。

もなか食べた後に占いなんてしてないけれど、少なくとも「ティータイム」はあった。

だから、あのタイトルに「何でお茶?」とは思ったけれども、ペンジュラムは今のこと(=近未来)も見越していたのか、しきりに私に「お茶タイム」という言葉を使うことを薦めてきた。

正しくは、他は全て却下で、それしかYESにならない、半ば強制的なタイトルに近かった( ̄∀ ̄;)。

私のサビアンシンボルと結びつけるなら、そりゃそうだよねと思う。




【ハウスボートパーティー】に関しては、私は以前書いた別の記事の中でこんな風に書いている。


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・水の上に浮かぶ舟が自分の日常で、そこでパーティーをする。

・舟を漕いで、行きたい場所に行って、会いたい人に会って、ちょっとおしゃべりして…みたいなのが私にとっては非日常=奇跡となっていた。

・「ハウスボート」という言葉を自分のテーマの1つと知ってからかれこれ1年半くらいになるけれど、リアルでハウスボートをテレビで見たのは今回が初めてだった。

水の上に暮らす人たちも、そこでは普通に生活を営んでいた。

そして、家ではなくリアルハウスボートを所有している人がボートで移動しながら人を訪ねるシーンが出てきた。

それ見て知ったけれども、ハウスボートの上の人も、誰でも彼でもの家には行かない。

おそらく自分の好きな人たち、会いたい人たちめがけて会いに行ってる。

自分のボートに乗せるのも同様で、きちんと相手を選んでいる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


今回私は舟には乗っていないけれども、すなわちそういうことをしたと思っている。

自分の体を移動させて、自分の好きな人たち、会いたい人たちめがけて会いに行ってる。

相手の家におじゃまして、そのおじゃま先で楽しいひと時を過ごす。

シンボル通りのことが展開していたとわかる。




eat LOVE聖地巡礼の日の空模様と自分の生まれた時の星模様を重ねると面白いことがわかる。

【雪と一緒にないソリ】が指す魂の傷と癒しを表す天体の上には、空の天王星がかかっていて、過去の痛みからの解放が促されていた。

天王星だから出方は読めないものだけど、ノムが言った「吉本ばななさんの小説に出てくるみたい」なシーンがあの時あの場所に現れて、そして私の長く積み重ねてきた心の傷を瞬速で癒してくれた。

天王星らしく奇想天外な流れを運んできたけれど、今回だけは天王星LOVE!と言い切れるぐらいに素晴らしい流れにあった。

生まれ持ったスピリチュアル的な資質に関しても、今度は空のキロンが助け舟を出してくれている。

ざっくり言えば、スピリチュアル資質の部分の魂の傷を癒しましょう!ってことだと思う。

さらに、心の基盤とか拠り所に対して、空の水星が知性を使って強化してくれる流れになっていた。

だから、まさに私はノムとミッチーとレイさんがいる場所に呼ばれて行ったと思う。

それは単にノムが2人にも話をして呼んでくれたということだけではなくて、私たちが考えることのできないもっと大きな力が働いて呼ばれたとしか思えない。

私が長く抱え込んでいた魂レベルの深い傷を癒すために、今生40年という月日の中で積み重なった心の傷を癒すために、ノムとミッチーとレイさんという素晴らしいキャスティングが揃う愛溢れる素晴らしい場所に呼ばれたんだろうと思う。




ノムが、自分たち3人を「星トリオ」と名乗った時、素敵な名前だなぁと思った。

私がそんなことを知らない時に、星トリオで私が住んでいる新潟に星を見に来て、3人はノムの生誕を祝った。

その後に、今度は私が東京にいる星トリオを訪ねに行くことが決まった。

3人に会う前に「星トリオ」の名前をノムの口から聞くことになったけれど、私は星トリオがいる場所で自分が生まれ持ったテーマのシンボルを見ることになるなんて想像すらしていなかった。

シンボルは星から割り出されたもの。

そして、それは魂も関係している深いテーマだった。

しかも、ノムたちが星を見に行ったのは、1年越しで叶えられた夢だった。

何で去年は天気が味方してくれなくて今年は味方してくれたのか、それさえも天の采配だったんじゃないかと思ってしまう。

星トリオと織りなす星たちからのメッセージは、去年ではなく今年だったからこそ、私も受け取ることができた。

そう思っている。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

[ノムのメールより]6/22

星の話は、もう少しドラマがあってね。
実は去年の誕生日に「星をみにきたい」「連れて行くよ!」ってなったのね。
だけど当日、東京は晴れていたんだけど、
日本一星空がきれいってされている長野県の村は、雨で。
けっきょく、長野にあるキースヘリングの美術館にいって、星は断念して帰ってきて。

今年はだから当日じゃなくて、新月の日にしよう、となり(空が暗いから)。
で、大家さんは「長野が当日ダメだったら、晴れている土地へいけばいい!」と思いつき、
そうして上越市に向かったというね。
だから、また「あ、新潟だ! またぶっしーとつながった」って思ったのだよ。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

2019年7月5日金曜日

eat LOVE ⑺ ミッチーのトースト

野村浩平 個展「 celebration!」@ plate tokyo 
(↑ノムの個展の案内文。リンク飛びます)

個展「celebration!」のお知らせ
(↑これも個展の別バージョン(?)の案内文)

(↑ノムとミッチーの日常)















[写真]
・4人でいただきます

・料理人ミッチーの各種ショット
おいしそうな食パンはなんとミッチーのお手製!(←ネタバレ)

・ズッキーニとパプリカとちりめんじゃこのチーズトースト

・焼く前の写真は甲乙付け難く、両方掲載することに

・ミッチーwithトースターの写真は音声付き
「あち、あちっ」

・スクリーンショットは、文字化けして出ないかもしれないことを想定して撮った。見せたかったのは「ŧ‹"ŧ‹"(๑°༥°๑)ŧ‹"ŧ‹"」(もぐもぐ絵文字)の部分。




〜ミッチーのトースト〜

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[ノムよりメール]6/22

25日ね、うちの隣の母屋に泊まってもらおうと思っているんだけど、
せっかくだから、大家さんもいっしょに夕飯したいな、と彼女を誘ってみてさ。
のむ、みっちー、れいさん(大家さん)という星トリオといっしょに、
その日は夕飯を食べるのでもよい??
あと、苦手な食べ物とか、好きな食べ物とか、なにかある?


[私の返信]

夕飯もめちゃくちゃ楽しみすぎるー!!!
これはeat LOVEを読んでいた時から、「泊まりに行ったらあの写真たちに出てくるごはんか、違っていても同じ空気をまとったごはんが食べられる!」とニマニマしそうなぐらいに楽しみだったーー!
私は基本好き嫌いもないし、当日の流れで何が出てくるのか楽しみだから、それを心待ちにしたいなーと♪

1つだけリクエスト。
講座の日の朝?昼?何時に出るのか、時間的余裕があるのかは知らないけれど、可能であれば、あのeat LOVEに出てくるチーズトーストとコーヒーをあの風景と同じ感じで味わってみたい!

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夜中の1時近くまで私たち4人はペンジュラム講習会やホロスコープの話や流れ星鑑賞会に精を出していた。

ミッチーだけが奇跡的に見れた流れ星を私たち3人は見れず、最後お開きになった。

ノムとミッチーは徒歩10歩のeat LOVE邸本宅に戻った。

レイさんは、その体の大きさからは想像できない大きな車に乗り込んで、車で30分ほど離れた自宅に戻った。

レイさんは運転が大好きで、3人で新潟に星を見に行った時も往復で700キロ近く1人で全部運転したらしい!

私はその日の最後はあまりに疲れて、レイさんが用意してくれた布団を敷いて、母屋の仏間で寝ることになった。

レイさんがその部屋は「死んだように眠れる」と言っていたように、私は本当に死んだように熟睡できた。

基本的に体は丈夫だけど、睡眠だけは心身の調子が少しでも狂うとすぐにそちらも狂う。

ここ何ヶ月は寝てはいるけれど「熟睡」からは程遠くて、そんな折、その夜は決して高速バス疲れだけではなく、本当に体中が多分リラックスできて、ものすごくよく眠れた。

ノム・ミッチー・レイさんの星トリオがエンドレス渡してくれた安らぎですっかり心の深いところが落ち着いたらしく、本当の本当によく眠れた。

起きたら朝の7時過ぎで、まだ明け方前の気でいたからビックリした。

しばらく布団の中でモゾモゾと寝返りを打ちながら、30分くらいかけて目と頭を覚まして、そこからようやく支度を始めた。

ノムからは朝起きたら連絡ちょうだいと言われていたから、適当なタイミングで連絡した。

ノムもそのうち起きて、落ち着いたらうち(=eat  LOVE邸)を案内するからおいでよと誘ってもらった。




前の晩、レイさんを3人で見送った後、少しだけノムと翌朝の打ち合わせをした。

ノムはミッチーから普段鍛えてもらってるおかげか、それとも元々から空気読みの達人なのか、「明日の朝、レイさんは来てくれると思う。もしこれがぶっしーとの最後ならこんな別れ方は絶対にレイさんはしないから、明日来てくれると思うんだよね」と説明してくれた。

だから、朝ごはんも夕ごはん同様母屋で食べることになると思うと言われた。

私は勝手があまりわからないから何でも良くて、とにかくリクエストしたあのミッチーのトーストにありつけるなら場所や時間はもう全部お任せする気満々だった。

この諸々の説明の意味を知るのはもっと後のことだった。
(今回は書ききれないから、いつかの3人の星トリオについて書く時にまた書こうと計画中)




本編に入る前に少し話を割り込ませたい。

本当は「ごはん」ジャンルとして、夕ごはんと朝ごはんの両方を1つの記事で書こうと当初思っていた。

だけど、書いててわかったのは、1話1話の容量がやたらとでかい。

だって2話の『もなかでお茶タイム』なんて、いいところ1時間ぐらいの話だと思う。

なのにあの長さΣ(꒪◊꒪; )))) 。

夕ごはんも朝ごはんもそれぞれ1時間程度だったと思うけれども、一緒くたにすると倍の長さになる。

だから分けることを考えた。

さらに、順番からいくと夕ごはんが先で朝ごはんが後だけど、夕ごはんはちょっと別のタイトルを考えてる都合で後にもっていくことにした。

私は特にこの『eat LOVE』シリーズに関しては、もはや誰かのためには一切書いてなくて、自分のために書いている。

当時のことを文字に起こす。

文字に起こすことで、それが半永久的に残ってくれる。

そして、これは今すぐじゃなくて良くて、いつかの未来に心が折れそうな時に、元気をもらいたい時に読む文章になることを狙っている。

私は人からもらったメールでも、自分の書いた文章でも、気に入ったものは何度も読み返すのが好きだったりする。

自分の書いたものはほとんど読み返さないけれど、今回みたいなものは特別で、その時の空気が文字の向こうに感じられるものは繰り返し読む。

当時を思い出してホッコリしたり、心がダークな時に当時を思い返して元気をもらったり、そういうことを想定して書いている。

だから、朝ごはんと夕ごはんを分けたのもそうした意図があって、1つ1つにすることで当時の記憶がかなり鮮明に戻ってくる。

そして、戻ってきたものに関しては極力言葉にして残したい。

大きいことは覚えていても小さいことはすぐに忘れ去られてしまう。

だけど、詳細に書くことでその部分が思い出される。

例えば、1つ前の『ペンジュラム講習会』の中で、どうしても思い出せないことがあった(←忘却パワー炸裂Σ(꒪◊꒪; )))) )。

ホロスコープのこともけっこう話したはずなのに、何を話したんだっけ?というのがきれいに抜け落ちてた。

で、ペンジュラムの話をひたすら書いていたらそんなことも忘れて、そのままアップした。

そして今、朝ごはんのことを書こうとした時に、その時の記憶がようやく戻ってきた(1週間ぶりに!)。

レイさんの出生時間をペンジュラムで出したんだった。

そして、そこからパッと見てわかることをほんの少しだけ話したんだった。

これ大事な流れに繋がるものなのに、どうしてこうも毎回あれこれ忘れるのか…( ̄∀ ̄;)。

大切なことだから、それも言葉に残したい。

そう思うと、朝ごはんは朝ごはんで記事にするのは大正解で、書くと思い出す。

多分書かなければまた忘却の彼方に飛んでいって、とても残念な流れを招いてしまっただろうと思う。

時々思う。

ペンジュラムで何か誰かの大切な情報を引き出す時というのは、それがその人にとってどうしても必要なこと、人生の中で避けては通れないような大事なことなんだろうと思っている。

そして、それは私にとっても必要なプロセスなんだということを時間の経過と共に知る。

その時にはわからなくても、後からわかるようになる。

レイさんは、当初聞いていた、ノムとミッチーの大家さんで2人の大事な家族以上の存在だけではなかった。

私にとっても、レイさんというのは人生の中で出逢うべくして出逢うとても大切な存在なんだとわかった。




私の支度のもたもた加減で、ノムの家に行くとLINEしてからまた5分10分と経過した。

そうこうしているうちに、レイさんが「おはよう〜」と爽やかに挨拶しながらやってきた。

レイさんは少なくとも夜中の1時過ぎに母屋を出た。

家に着いたのは2時になる少し前の1時台だったのかな…と想像する。

学生の子どもさんがいて、その子のお弁当を作るというのもちょこっと言っていた。

しかも子どもは学校に行くわけだから、ノムや私の講座みたいに午後開始じゃなくて、朝の7時とか8時に家を出る。

レイさんがその日朝何時に起きて弁当作って子どもを送り出して(旦那さんも送り出した可能性もある)、そして私たちのために準備をしてまた30分かけて母屋に来て…、細かな時間配分は知らない。

そこまでしてもらえるだけで本当に感動した。

私は爆睡して、可能ならもっと寝ていたかったぐらいによく眠れて疲れも取れたけれど、レイさんはどうだったんだろう…。

そんなこと微塵も感じさせないぐらいに、レイさんは爽やかに登場した。

朝食含めた時間を色々逆算するとどんなものなのかわからなくて、とりあえずノムにはレイさんが来てくれたことを連絡したら、それなら自分たちが母屋に行くと言って、来てくれることになった。

今、その日のLINEと朝の写真の時間とを見て確認した。

もっと長い時間があったと思ったらそんなになくて、ノムと連絡取り合ってからミッチーが母屋で朝ごはん作りしてるところの写真を撮った時間の間は15分しかなかった。

講座に行く前にももう少しだけレイさんと2人きりの時間があった気はしたけれど、それを足したところでレイさんとの2人の時間は30分も全部でなかったと思う。

そこであったことは、私は生涯忘れない。

今書いてて色々思い出してきたけれど、とりあえず今回は朝ごはんだけに特化して書いて、レイさんとの時間はまた別記事に書くことに決めた。

朝ごはんとレイさんの話とは私からしてそれぞれ独立したもので、一緒に並べて語れないと気付いた。

どちらも同じように大事な瞬間だったから、だから混ぜずに朝ごはんは朝ごはん、レイさんとの時間はレイさんとの時間でそれぞれ書く方がよりお互いの良さが引き立つ。

だから、ここから先は朝ごはんの話をしようと思う。




ノムとミッチーは手に色んな荷物を持って母屋にやってきた。

黒い金属製のカッコいいオーブントースターと、エコバッグ的な大きなトートバッグとを持ってやってきた。

想像以上に本格的な朝ごはんになると見ただけでわかって、それをしてもらえる嬉しさとどんな味のトーストが出てくるのか抑えきれない楽しみとで朝からいきなりテンションがMAXに上がった。

ミッチーとレイさんのコンビでまた協力するだろうことは想像がついたから、食べる専門のノムと私の特権を利用して、ノムにアトリエに連れて行って欲しいとお願いした。

昨日見せてもらった本『光の書』を写真に撮らせて欲しいとお願いしてあって、それを今のうちにしたいと言った。

ノムはいいよーと言って、私を徒歩10数歩のアトリエに連れて行ってくれた。

アトリエも滞在時間10分もなかったと思うけれど、中身は濃密だった。

ここでは一言の説明にして、また別記事でこのシーンを書こう。

ノムはその時、私に言葉のプレゼントをしてくれた。

「ぶっしー、それって『清く生きる』ってことだよね」

ノムが伝えてくれた『清く生きる』は今もしっかりと記憶に残っている。




また同じ空間を通って母屋に戻った。

戻ると、奥の台所でミッチーは包丁を握って何かを切っている様子で、レイさんはお皿の用意をはじめとする食べるために必要な部分を整えていた。

2人の様子は、普段もそうやっているのかな…と感じるあうんの呼吸で成り立っている風に見えた。

普段から3人で時々ごはんを一緒に食べるらしい。

どんな風にしているのかは知らないけれど、なんとなくその時の光景みたいなんだろうなぁなんて思った。

それぐらい2人の様子はとても自然だった。

なんだかんだと私は過去に20人ぐらいの人たちと一緒にごはんを作ったことがある。

同時ではなく色んな時に分かれて。

それで思ったのは、私は料理が一番よく人の性格が出ると思っていて、よく芸能人の離婚の時に「性格の不一致で…」なんて言うけれども、多分性格の不一致というのは料理を一緒にできなかったかできていてもどこかチグハグな感じだったかも…と思ってしまう。

見える部分ではできていても、見えない部分では合わない感覚はあったんじゃないかと、全く余計なお世話だけどそんな風に思った。

料理って不思議で、肌感覚でやりやすい人とやりにくい人とがいる。

これは料理の上手い下手は関係なくて、ちなみに男女も関係なくて、私はわりかしサポートに回る方が圧倒的に多かったからわかるけれど、とにかく肌に合う人は別に何も特別な合図がなくても合う。

ミッチーとレイさんもそのタイプのように見えた。

前の夜、レイさんがミッチーと一緒に作業をしていると、取って欲しいものを何もレイさんが言わなくても手渡してもらったり、何か同じ作業をする時もそれぞれが自分のペースでお互いに気持ちよく進められるみたいなことを言っていた、まさにその光景が広がっていた。

ノムと私が台所に入った時は、ミッチーとレイさんは互いに背中を向けてる状況だったけれども、それさえもあうんの呼吸のように見えた。

私は今回行く前からリクエストしていたミッチーのチーズトーストがどんな風に作られるのか興味津々で、ミッチーに近付いて写真も撮らせてもらった。

ミッチーは赤いパプリカを丁寧に切っていた。

リズミカルな感じで速さはあっても、とにかく丁寧なのが伝わってくる。

食べ物たちに切る前に敬礼しているみたいな丁寧さをミッチーからは感じる。

料理家高山なおみさんの本『料理=高山なおみ』の最初のページに書いてあった言葉をこの間見て、まさにミッチーだなぁというのがあった。


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「おいしいは目に見える。

料理が好きな人は、
からだも料理に近づいている。
じゃがいもにも、にんじんにも、
フライパンにも鍋にも心を寄せているから、
体が前に傾(かし)いで、そういう姿かたちになるんだと思う。」

(『料理=高山なおみ』より)

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冒頭の写真を見てもらったらわかると思う。

とにかく仕事が丁寧でおいしくなるように!と祈りが見えそうなぐらい気持ちのこもった料理をミッチーはする。

夕ごはんの話もこの後出てくるけれど、本当に私はその写真をアップするのが楽しみで仕方ない。

「ほら、いいでしょう〜」って自慢したくて仕方ない(笑)。

ミッチーに聞いたら、チーズトーストの具材はいつもその日の材料で適当に組み合わせるとのこと。

あるものがそのまま具材になるようで、その日の朝は、赤パプリカとズッキーニとちりめんじゃことチーズだった。
(後から食事シーンでこれについてはもっと詳しく触れる♪)

トースト第一弾が焼けて第二弾と入れ替える時。

写真だとミッチーが黙々としてる風だけど、実際は「あち、あちっ」とか言って手をすぐに離してはまた熱々のトーストを触るということを繰り返してた。

何回か書いたように、ミッチーは基本ベラベラと喋らない。

言葉は基本少なめの人。

そういう人がそういう反応をするのはとても可愛らしくて、私は本気で動画に撮りたかった。

動画に撮りたいともその場で口に出したぐらいに撮りたかった。←撮りたくてももうそのシーンは一瞬で終わって、撮れなかった(涙)。




用意が整っていただきますをした。

レイさんがそれぞれの好みに合わせてコーヒーを淹れてくれた。

なんとなく甘いコーヒーが良くて、私は砂糖とミルクを入れてもらえるようにお願いした。

いただきますをした。

みんなとりあえず無言でひと口目のトーストをかじった。

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ミッチー以外の3人は「おいしい!!!」と口々に言った。

(冒頭の写真で、この辺りの下書き部分のスクリーンショットを入れたのは文字化けしていると悪いから写真を撮った。「もぐもぐ」と書かれた絵文字風の顔をネットで見つけて、これをずっと使いたかった。みんなの表情まで見ていなかったけれど、多分みんなこれぐらい心はニコニコしながら食べていたと思う!)

ちりめんじゃこと言うと全くトーストに合わない感じなのに、これが絶妙なアクセントとなって、ちりめんじゃこの味が口に広がるとすごく口の中が楽しくなる。

食べながら「そういえば私、山椒の実は苦手だったんだ」と思い出したけれど、その苦手な山椒の実さえ美味しく感じて、まさにミッチーマジックだった。

山椒の実が入ることでより一層おいしくなっていて、私は苦手なんじゃなくて使い方を知らないだけなんだなとわかった。

今回本当においしい組み合わせだと知って、私もいつかはちりめんじゃこ入りのチーズトーストを作ろうと心に誓った。

話はこれだけにとどまらなかった。

私はそもそも家で『eat LOVE』のサイトを見ていた時から、毎回使われるパンがやたらとオシャレなのに気付いていた。

普通の食パンだけじゃなくて、こだわりの小麦粉とかを使ったような食パンやライ麦とかが入ってそうな食パンなんかもあって、とにかく一定じゃなかったから、てっきり毎回近所とかにお気に入りのパン屋さんがあってそこに買いに行くのかと思っていた。

そうやってミッチーに聞いたら
「自分でホームベーカリーで焼いてるよ」
と返ってきた。

えーーーーー!(◎_◎‼︎)!(◎_◎‼︎)!(◎_◎‼︎)

想定外の答え過ぎて、驚いた。

しかも、今日だけじゃなくて基本いつも焼いてるらしい。

ミッチーは簡単だよと言っていたけれど、そもそも自分で焼こうという発想がすごい。

しかもよーく聞くと、昨日夜の1時過ぎに解散して、その後から生地を用意してセットしてから寝たらしい。

私が死んだようにさっさと布団の中で眠りに就いていた頃、ミッチーはそんなことしてたなんて驚きと嬉しさとでいっぱいになった。

先ほどのアクセントになっていた美味しいちりめんじゃこも、なんとミッチーの手作り。

!(◎_◎‼︎)!(◎_◎‼︎)!(◎_◎‼︎)!(◎_◎‼︎)

ちりめんじゃこって手作りするもんなんだ!?えっ!?

ミッチーの手作りちりめんじゃこだったからこそ、あの絶妙な味になって、苦手な山椒の実さえも美味しくなったんだと思った。

野菜はさすがに作っていないと言っていたと思うけれども、食パンやちりめんじゃこを手作りする時点で私は驚き過ぎて、そしてこんなおいしいものを日々食べてたらノムが自分で料理しようと思わない気持ちもよくわかった。

ミッチーに今回のチーズトーストのレシピを聞いたら
・ズッキーニ
・赤パプリカ
・マヨネーズ
・ちりめんじゃこ
・チーズ
・オリーブオイル
・ブラックペッパー
もしかしたら塩もペッパーと一緒に振ったかもしれないけれど、とりあえず写真からは確認できない。

一応写真をよーくよーく見て、書いた順にのせていったはず。

すごい絶妙なバランスで、どの素材の味も際立っているし、マヨネーズさえも量は少ないのにきちんと焼いたマヨネーズ特有の風味がした。

トーストはカリッフワみたいな感じで、厚さもトースト加減も完璧だった!

私が人生の中で食べたトーストの中で一番おいしいトーストだった。

大げさでもお世辞でもなく、マジで一番おいしいトーストだった。




食べ終わる頃というか最初から私は超気になっていたけれども、レイさんが家から持ってきてくれた鶏ハムとブロッコリーの存在がなぜにお皿にのっていないのか、あのおいしそうなものたちはどこに行ったのか…とずっと思っていた。

色んな記憶はすぐに抜け落ちるけれど、食べ物の記憶だけは私はとても鮮明にしっかりと残る。

特に「おいしそう」と一度でも思ったものは、絶対に忘れない( ̄∀ ̄)。←活躍の場がない特技。

朝レイさんがやってきた時に、レイさんはけっこう大きなかばんを持って中に入ってきた。

レイさんはそこから2つのタッパを出して、「これ子どもに作ったお弁当の余りなんだけど持ってきた」と言って、私に鶏ハムとブロッコリーを見せてくれた。

レイさんの下の子どもは食べ物の好みが色々あって、今はレイさん手作りの鶏ハムにはまっているらしい。

ウインナーやベーコンというような加工食品が基本ダメで、それである日鶏ハムに興味を持った子どもを見て、レイさんも自分で手作りしてみたのだそう。

そうしたら子どもが気に入って、今は毎日弁当に持って行ってるとのことだった。

それが余ったからと言って持ってきてくれたものだった。

ちなみに「余り」とは言えないぐらいにたくさん持ってきてくれていた。

そのものたちがどこに行ったんだろう…と気になっていた。

しかも私は、「誰かが手作りしたもの」に目がない。

それって絶対にどこにも売っていないから、そんなチャンスに恵まれたなら私はいつでも食べたい人。

だからみんなも食べ終わっているようなその時にレイさんに聞いた。

レイさんは立って台所に取りに行って、そしてみんなに振る舞ってくれた。

予想した通りだった。

レイさんは多分遠慮して出さなかった。

そもそも私がミッチーのごはんを食べたいと行く前にリクエストしていたこともあって、レイさんは自分が出るのはどうなのかと考えているみたいだった。

これはみんなの遠慮が重なった結果だから、起こっても仕方のないことだった。

まさか私もいきなり会ったこともない人相手に「レイさんのごはんが食べたいです」なんて絶対に言えない(笑)。

しかも実際に行くまで3人が普段どんな風にやりとりしているのか皆目検討もつかなかったから、そして『eat LOVE』のサイトにはミッチーのごはんのみが登場するから、どうしてもリクエストはミッチーのごはんになる。

次からはミッチーのごはんとレイさんのごはんの両方をリクエストする気満々でいるけれど、最初はわからないから、そんな風にボタンの掛け違い的なことが起こるのはある意味仕方のないことだった。

そんな時に私のこの抜群の食べ物限定の記憶力と食べたい強い意志(=単なる食い意地)のおかげで、レイさんが作って持ってきてくれた鶏ハムも食べることができた。

胸肉で作ったとは思えないしっとり感で、味もそのままでも食べれるしアレンジもできるしという絶妙な味加減で、本当においしかった!

ミッチーのトーストの何ものっていない部分と組み合わせたらこれまたおいしかっただろうなぁ…とどこまでも想像は広がった。

もっと早くに言えば良かった。

そんな風にして、朝ごはんは幕を閉じた。




ちなみに3人の様子を聞いていると。

流れ星が見つからず深夜1時過ぎに解散となった後ーー

・ノム……
ペンジュラムで出生時間の出し方をマスターして、亡くなった母方のおじいちゃんの時間を出して、それでホロスコープ出して、それの分析に精を出した模様

・ミッチー……
朝ごはんのチーズトーストのためにパンの仕込み

・レイさん……
30分かけて自宅に戻り、自分の寝支度に朝の身支度、子どものお弁当作り、母屋に持ち込む鶏ハムとブロッコリーの用意、そしてまた自宅から母屋への30分ドライブ

それぞれが超大忙しだったと思う。

レイさんも寝不足になったんじゃ!?と思うし、ノムとミッチーも普段は9時台から起きて動き出すなんてしてないと思う。

ノムとミッチーも普段とは違う早めの起床で眠いんじゃないかなと思った。

私は母屋で死んだように爆睡。

一番楽をさせてもらった中で、3人は普段しないイレギュラーなことを何て事ないと言わんばかりに清々しく執り行っていて、とっても感動した。

本気のおもてなしだった。

ノムはこの部分だけ読んだら自分のことだけをしているみたいだけれど、ノムなくしてはこの瞬間はどれも現実には起こらなかったことばかりで、だからノムはみんなとそれぞれやり取りして一番いい形になるよう尽力してくれた総合プロデューサーみたいなもの。

みんなとみんなを繋ぐ、それがノムの役割だったと思う。




予告なんていらないとは思うけれど、一応次回&今後の予告。

頭の中の順番で、
・ホロスコープネタ
・レイさんと過ごした短い時間
・夕ごはん
・ノムとミッチー
・4人での時間全体におけること
を書く予定でいる。

ホロスコープネタというのは、それはeat LOVE聖地に着いた時から気付いたことで、当初からそれはブログに書きたいと考えていたことだった。

行ってみてそこが私にとって「呼ばれた場所」だということはわかった。

それというのは、私が「気のせいかも」と得意の自己否定形の思考にはまらないように「どや!」と突きつけられたかのごとく用意されていた。

しかも、1つじゃ「たまたまだよね」となりかねないから、3つも用意されてた。

絶対に私に「そんなのたまたまだよね」と言わせないように、そのものたちが用意されていた。

常々自分のホロスコープに描かれている自分の人生の方向性は、とてつもなく苦手で仕方ない。

一言で言えば「スピチュアルワールド全開世界で同志・魂家族と繋がろう」みたいなテーマ。

私からしたら
( ̄ཀ ̄;;)( ̄ཀ ̄;;)( ̄ཀ ̄;;)( ̄ཀ ̄;;)( ̄ཀ ̄;;)( ̄ཀ ̄;;)
みたいな感じで、できるなら、
ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘
こうしたい(全力で逃げたい)。

自分でも自分の間口の狭さに気付いているし、八方美人的な振る舞いもできるけれど内実は全然心開いてないなんて日常茶飯事だし、スピリチュアルワールドもちょっとたしなむ程度が希望。

ガッツリとか困る。

自分自身のことも苦手だけど、それとは別のレベルで人も苦手。

だからそういう自分が、そのホロスコープに出ている人生の方向に流れていくのは苦手以外の何物でもない。

だから、もしノムの誘いが
「ねぇぶっしー、僕の家の母屋でスピリチュアルなことに興味ある人たちだけを集めて、そこでペンジュラムの練習とかホロスコープの読み会とかそういうのをやって、そして魂家族と繋がるなんてイベントを企画したんだけど、どう来ない?しかもぶっしーが興味持った本、「光」って言葉が付くから、みんなそれにちなんで光のワーカー目指してるんだけどさ、どう?」
なんてものであれば、1000%断ってた。

私はノムとミッチーのeat LOVE邸を見てみたくて、星トリオのノムとミッチーとレイさんの3人に会ってみたくて(そしてミッチーのおいしそうなごはんを食べてみたくて)、だから二つ返事で行くと言った。

高揚感は行く前から半端なかったけれども、行ってみて実際にそこでの時間を3人と過ごしてみて、そして至るところに自分のホロスコープのテーマとなるシンボルを見つけて、ああこれは「呼ばれて行かせてもらえた場所」なんだと思った。

その辺りを書きたい。

(21時間滞在とは思えない超大作シリーズと化している…( ̄∀ ̄;))

2019年7月4日木曜日

eat LOVE ⑹ ペンジュラム講習会

野村浩平 個展「 celebration!」@ plate tokyo 
(↑ノムの個展の案内文。リンク飛びます)

個展「celebration!」のお知らせ
(↑これも個展の別バージョン(?)の案内文)

(↑ノムとミッチーの日常)









eat LOVE邸に行く前から決まっていたのは
・ごはんを食べる
・ペンジュラムの扉びらき
・アトリエ及びeat LOVE本宅の見学
・本『光の書』を見せてもらう
ぐらいで、他は何も決まっていなかった。

ごはんはこの後の記事に書く予定でいるけれど、ごはんも行く前はどんななのか想像がつかなかった。

結果的に一番良い形に収まったけれども、1つだけ「お酒って飲むのかな?」ということだけは思っていた。

ノムでさえもお酒を飲むらしいことは、ノムとミッチーの日常を描いたサイト『eat LOVE』を読んで知ったぐらいで、ミッチーとレイさんに関しては全くわからなかった。

これだけは唯一特技と言ってもいいと思うけれども、私は相手に合わせてどうとでも自分を調整できる体質で、いっぱい飲む相手には私も合わせていっぱい飲むし(いわゆる「ザル」と呼ばれる体質)、飲まない相手の時は私もアルコールフリーでいく。

そしてどちらの時も基本的にテンションは一緒だから、なんなら周りが飲んでて自分は運転があるから飲まない時も飲んでる人たちのテンションに合わせて振る舞えるから、本当にいくらでも自分を調整することができる。

どうやらミッチーは飲まないか飲めないかのどちらかで、レイさんは車があるから飲まなくて、それでノムと私も普通に飲まずにごはんをみんなでおいしくいただいた。

ごはんも内容盛りだくさんだったから1つの独立した記事になるけれど、今回ほどアルコール抜きなのが大正解!なんて思ったことはないかもしれない。

飲まないことがこんなにも後々のことを大きく左右するなんて、その時はまだ何も知らなかった。

飲みたかったとかいうのはなくて、飲まないことが本当にとても大切な要素だなんて、普段そんなことを振り返って思うことはまずない。

でも、あの時は絶対に飲まないことが大事で、お酒の力ゼロであそこまで大人4人が盛り上がれるんだからすごい。




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ノムとのやりとりより(7/2)

[ノム]

(ぶっしーは)何度も言っちゃうけど吉本ばななさんの小説の登場人物みたい。あ、でも、ぼくもまたばななワールドに出てきそうかもね。平屋で暮らすゲイのカップル。ばななさんの小説は女性が主人公だから、ぶっしー主人公のストーリーにぼくらが登場するって感じかな。いつかばななさんとご飯とかしてみたいねー。


[私]

1週間前の日こそ、本当にまさにばななワールドだったよ(!!!)(!!!)(!!!)
だってさ、ゲイカップルに大家さんである家族持ちの中年女性、そして生き方彷徨ってどうしようってなってるオカルト体質の中年独身女。
何このキャスティングってなりそう(笑)
キャスティングだけじゃなく、中身も非日常みたいなこと満載で、すっごい楽しかったけれど、多分はたから見たら変態たちの集まりみたく見えててもおかしくないと思う(変態呼ばわりしてごめんよー、悪気はないよ(!!!))

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アルコールフリーのおいしすぎた夕ごはんの後、ノムが「レイさんが今やってることを見せてもらおうよ」とかそんな感じのことを言って、奥の仏間に連れて行ってくれた。

ビニール製の紐でかごやバッグを編んでいて、その途中のものを見せてもらった。

2人にお願いされたもののようで、すごく大きなトートバッグをレイさんは編んでいるようだった。

レイさんは趣味という趣味がなかったようで、ようやく最近自分のためだけに時間を使ったり、気持ちが向いたものに取り掛かったりできるようになったと話していた。

編み物というのもよくわかる気がした。

編み物は「無」になれる、そして他の事に比べて考え事を止められる素晴らしい時間をプレゼントしてくれるものだと思う。

今はやらないけれど、私も時々ハマってやっていたから、その気持ちがわかるような気がした。

そのうちミッチーもやってきて、4人で色んな話をした。

「話をした」だと少し語弊がある。

そうやって見ていなかったからあんまり記憶がないけれど、ノムと私がかなり喋り(倒して)、レイさんもそこまでじゃないにしても話して、ミッチーは基本振らないと喋らない感じだった。

私だから気を使ってくれたのかもしれないけれど、ミッチーは聞かれたことに関しては全部答えてくれた。

ノムから聞いていたミッチーは、返事もあったりなかったりするみたいな感じだったけれど、少なくとも私がいた時はどんなことも答えてくれたし、私が独り言のごとく疑問に思ったことを口にすると、ミッチーは速攻で携帯で調べてそれがどうなのかを教えてくれた。

思い出してきた。

そこでノムとミッチーとレイさんの出逢い話を聞いたんだった。

細かくは書かないけれども、そこで聞いてきたそれぞれの話は、ノムが言うように吉本ばななさんをはじめとする小説に出てくるような話だったけれども、どれもこれもそれが作り話でも盛った話でもなく、本当にリアルなんだとわかった。

ゲイカップルと家族持ちの女性の大家さんってだけで、しかもそれが大家さんと借主だけの関係ではないのだから、普通には考えられない3人組だった。

多分この言葉を読んでる人からしたら「そんなことってある?」みたいに感じるかもしれないけれど(私は少なくとも具体的なエピソードを聞かなければ、「ありえない」と思ったと思う)、本当に3人を見ているとそうであることが自然だった。

しかも聞いていると、レイさんとミッチーの時間、レイさんとノムの時間、とそれぞれのペアとの時間もある風だった。

これはまた別記事で書こうと思うからここではサクッと書きたい。

3人といて超居心地良かったのは、3人共が多分普段の3人のままで、さらに1人1人も普段の各自のままでいたからだと思う。

当然よそ者の私がいれば、100%普段の3人のリズムとはいかないところもあったと思うし、加わったゆえのいつもとは違うところもあったかもしれない。

だけど、私から見た3人はどこまでも多分そのままなんだろうなぁと感じた。

レイさんは「レイさん」って名称が付いていそうな気使いと心くばりをとても自然にしていた。

2人のことが本当に大事なんだろうなぁというのも伝わってきたし、法的な役割がないわけではないから、その役割もありつつ、でも対個人での関係をとても大切にしつつ、ものすごいバランスの中で2人とやりとりしていた。

というより、役割はキッカケに過ぎなかったのかもしれないなぁと思った。

役割が回ってきたことでレイさんが2人に出逢うキッカケになったわけだから、それがなければ絶対に出逢わなかったと思うと、私さえもあそこで4人で過ごす時間がもらえなかったわけで、とっても大切な役割なんだと感じる。

ミッチーとノムのやりとりは見ていてとても面白かった。

ミッチーは多分普段もその時もほとんど変わらなかったと思う。

ノムは逆に「えっΣ(꒪◊꒪; )))) 」って慌てふためいたり、「で、合ってるよね?」といちいちミッチーに確認せずにはいられない心情になってるみたいで、何とも言えず微笑ましかった。

見たことのないノムの姿はとっても新鮮だった。

4人が各々適当な場所に座った。

ノムは扉びらきの終わったペンジュラムを出して、ミッチーとレイさんにそれはそれは楽しそうに「見てみて〜!ほらほら〜!」みたいな感じで披露していた。

ノムは見せるだけ見せて満足すると、私たち3人はいるのかいないのかわからないぐらいに自分の世界に入っていって、ひたすらペンジュラムとの対話を繰り返していた。

会話にも反応するけれども、もう目の前のペンジュラムの反応が気になって仕方ないみたいで、そこにほぼロックオンされていた。

その状態を誰一人咎めることもなければ、それを普通にそのままにしておけるメンバーが最強だった。

私ももちろん気にならなかったし、ミッチーとレイさんも何にも思ってる風ではなかった。

気になったと言えば、その状況を許し合える3人の関係性は気になってそれは楽しく見ていたけれども、悪い意味での「気になった」みたいなのは1つもなかった。

ミッチーもレイさんも多くは語らないにしても、その時間を大切にする気持ちはあの時あの場にいた4人はみんな同じ量だけそう思っているのがなんとなくわかった。

この時は二度とこないってみんなどこかで知っていて、スピリチュアル世界推奨の「今を生きる」なんていうすごく難しいことさえも、あの時はものすごく自然にやってのけていた。

「今を100%楽しむ」っていう時間だった。

ノムのペンジュラムプレゼンに始まり、ミッチーとレイさんもペンジュラムに興味を持った。

私は常に2つのペンジュラムと財布に1つ、五円玉に紐を通しただけのペンジュラムを持っている。

2つのうちの1つ青いラリマールのペンジュラムと、ごはんを食べた部屋に置きっぱなしにしていた財布から五円玉のペンジュラムを出してきて、ミッチーとレイさんに渡した。

2人にもノムに説明したようにYESとNOの確認方法を説明した。

この時いいなぁと思ったエピソードがある。

YES NOを確認した後、今度は自分の名前できちんとYESが出るか、そして自分以外の名前とかを言ってそれでNOが出るかどうかを確かめる。

ミッチーが首をかしげてた。

聞いたら、YES NOが出るところまでは良かったけれど、今度自分の名前を言ったらNOが出たとのこと。

「僕自分じゃないのかな?」と半分笑いながら言っていた。

ミッチーにはもう一度やり直したらいいと伝えた。

ミッチーは「うん、わかった」と言ったかどうか忘れたけれど、本当にやり直しを始めた。

書くとあまりにもあっさりでこの凄さがわかってもらえないだろうから、解説を加えたい。

ペンジュラムに興味を持つ人はけっこうな数でいる。

ミッチーとレイさんが初めてでは決してない。

なんだけど、ミッチーにしてもレイさんにしてもこれまでに会った人たちとは全く違っていた。

五円玉や青いラリマールのペンジュラムを手渡した人数もかなりいる。

(初期の頃は水晶のペンジュラムも普通に貸与していたけれども、それだと色んな人の気や念を吸いやすいと聞いたのと、それで実際に人の何かを確認するのに使うことも増えてきたから、それで水晶側は今よほどのことがなければ人に渡さなくなった。)

みんな興味を持って、実際に使ってみる。

すぐ動くタイプの人はちゃっちゃかと勝手にどんどん試すから、そういう人は放っておく。

動かないタイプの人、もしくはミッチーのようにYES NOが出たにも関わらずその次の確認でつまずく人もけっこういる。

そういう人はもうその時点でやめる。

興味が失せたりペンジュラムそのものを疑ったりする。

今思い出したけれど、初期の頃、その手の人がいて、「何でも聞けるんだよね?」と言って「旦那が浮気しているか聞いて欲しい」と頼まれたことがある。

今なら絶対に断るけれど、当時の私は安請け合いして、しかも夫婦仲良いと聞いていたから勝手に大丈夫だろうと思って聞いたら、きれいにYES=旦那浮気にYESで、場が凍りついた。

それで当然おかしな空気になって、ペンジュラムもやんわりと、でもはっきりと罵倒された。

こんな極端なのはそれだけだったけれど、それ以外にもペンジュラムの動きがいまいちの人たちは往々にしてそこでやめる。

やめるのは構わないし何もペンジュラムを信じて欲しいというのもない。

なんだけど、少なくとも目の前で私がやっていてそれに茶々を入れるのは無しだなと思う(←笑ってスルーするけれど、心の中では大きく舌打ちしたりガッカリしている)。

その後は毎回のように相手の人がちょっとクセのある出方がわりかし定番だから、ミッチーみたいにやり直すとかとにかくもう一度やって確かめるとかいう人は本当にいない。

しかもそうなっても私ではなく、ひたすら自分との向き合いだと知ってそのようにするなんて、そういう人にこれまで出会ってこなかったからものすごく新鮮且つ嬉しかった。

レイさんは反応良いタイプで、もうノム同様どっぷりと自分の世界に入っていった。

ミッチーも黙々と自分でトライ&エラーの真っ只中。

ふと見ると、3人が超真剣にペンジュラムと向き合っていて、笑ってしまうほどシュール過ぎる絵柄になっていたのに気付いて、私は慌てて写真を撮った。

すごい不思議な光景にいつのまにか仕上がっていたけれども、そこにいると何の違和感もなかった。

独特のペースで時間が流れていて、何にも邪魔されず、各々が各々の世界に入っていって、なのに4人でいる一体感もある。

本当に不思議なぐらい、1人1人なのにまとまっていて、その絶妙なバランスがものすごく心地良かった。




夕ごはん前にノムとアトリエにいた時、ノムには私の体質がもろに出た場面があったから、「これだよ」と教えることができた。

相手の人が自分の今の課題とか現状とか喋ると、私は普通に思い付いたというか出てきたことを言葉で返す。

一見アドバイスのようにも見える。

アドバイスのようには言わず、本当に会話のごとく普通に返しているつもり。

なんだけど、これこそ相手の潜在意識や魂からやってきている情報で、やたらと詳細な上、自分で喋っててもどこまでが自分の考えでどこからが相手のものなのかがわからない。

これが本当にわかりにくくて、例えば今回なら

「『eat LOVE』のサイトからミッチーが言葉や写真を抜き出して、それを冊子にしたんだよね〜」

そう言って、私が気になった小さな冊子を見せてくれた。
(後日このブログで公開予定)

私の口から出たのは、
・これは2人のお気に入りのカフェとか、誰でも気軽にふらっと入れるお店に置くこと
・冊子の裏に連絡先を入れること
・値段は作業工程や材料費に全く見合ってはいないけれどもそのままにすること
・この冊子で儲けようとは考えないこと
・冊子が誰かの手に渡ることで新しい展開が生まれるだろうこと
・だからこそお値段据え置きにしておいて、手に取りやすい値段設定にしておいて、誰の手にも渡りやすい状況をとりあえず作っておくこと
・本当にお金が入るとするならその先の全く違うルートだと思われること
・これが2人のeat LOVEの起爆剤的な役割となって、2人でする活動の何かに変わるだろうこと(2人のホロスコープの重なりの話も交えた)

こんな感じの、正直お節介もいいところのことをベラベラと喋った。

ノムは「あ、こういう感じなんだね〜」と言った。

私も途中から変だと思って(←最近はお節介的に喋りすぎな自分を見て気付けるようになってきた)、ペンジュラムで確認した。

やっぱり思った通り、情報源は私ではなかった。

eat LOVEは私も大ファンゆえにこのこれが今後大きく発展する予感がするのは、もちろんそのクオリティーを見て言うのもあるけれど、私情もゼロとはどうしても言い切れない。

だけど、やたらと詳細な情報をベラベラと喋っているから、途中で「なんかおかしい」と気付く。

私の場合、情報がそのまま頭にポンと浮かんでいるみたいな状態だから、それが本当に自分の考えなのか、相手からもらってる情報なのかの区別がさっぱりつかない。

しかも、本当に会話の一環として話しているから、声のトーンも体の感覚も、何一つ変わらないから余計と分かりづらい。

ノムは私のそんな細々とした事情は全く気にならないようで、それよりも出てきた情報に食いついて「そういう風にぶっしーはなるんだね〜、で、連絡先付けてカフェに置けばいいんだね」とサラリと流しつつ、でもきちんと受け取りつつしてもらえて、私は超絶感動した。

自分の体質に気付いてから、一番話がスムーズだった。

聞き流してしまう人には特に丁寧に説明しても、結構な確率でスカを食らう。

要はわかってもらえない。

わかる人でも、今度は変に勘繰られたり、一番凄かった時は私が出した情報の出所を確認されたりもした(←した人は悪気はないしそういう人だと知っていたから仕方ないと思おうとしていたけれど、本当は嫌は嫌だった)。

ノムはもう何をどうしてるのか知らないけれど、素直に「そういう感じ」として私のことをさらりと解釈して、そう、理屈とか説明なんて特に要らないみたいで「うん、わかった!」って子どもが納得するみたいなぐらいに軽快で、さらに私の口から出てきたものをきちんと受け取っていた。

それも理屈とか説明は要らないみたいで、言われたことをうんうん言いながら聞いてくれて、あとはごちゃごちゃと質問したり説明を求めたりとかは一切なくて、その姿勢は潔くて清々しくて、一緒にいてとても気持ち良かった。




で、上に書いたようなことが、ノムとミッチーとレイさんと過ごしていた時にも出てきた。

あのペンジュラム練習会のあの場所で。

今度はレイさんバージョンで出てきた。

何が驚いたって、私より先にノムが気付いたことだった。

「ぶっしー、もしかして今のもそう?レイさんから情報もらって喋ってるの?そうじゃない?」
とかそんなことを言われた。

言われてみたらそうで、ペンジュラムにも聞いたらYESが出た。

ノムがそれを取りこぼさずキャッチしてくれて、さらにレイさんとミッチーにもわかりやすく説明してくれてる姿には本当に感動した。

私のこのわかりにくい体質をそんな風に見てくれて、そしてそれをまた違う誰かにもわかるように説明を添えてくれる。

そのひとつひとつのことがとっても嬉しかった。

ノムにも本当に驚いたし嬉しかったけれども、さらに驚いたのはレイさんとミッチーにだった。

食べる専門の2人がアトリエでさんざん楽しく過ごしていた頃、ミッチーとレイさんは母屋で一生懸命料理をしていた。

だから、ノムが見ていたアトリエでの光景は知らない。

しかもミッチーもレイさんも、ノムや私ほどにスピリチュアルなことやオカルトなことに馴染みがないと思われる。

実際に、ノムが自分たちの家にiPadを取りに帰った時に、ミッチーに聞いた。

ホロスコープの話とか、ぶっちゃけミッチーは興味あるのかどうかを。

これはまた違う機会に書く予定でいるけれど、ミッチーの返事を聞いてすごいなぁと思ったのは、ミッチーは個人的な興味はないけれども、それはそれだしノムはノムだとそのまま受け入れてるところ。

レイさんもそうで、レイさんは知れば知るほど、本当にきちんとしたことをずっと積み重ねながら大人になった人だった。

私が最初に聞いた情報が、ノムが言った「星を見たい」を本気で叶えてくれる大家さんだったから、私は勝手にファンキーな方を想像した。

なんなら、幽体離脱しちゃうんだよね〜と言っていたノム以上にぶっ飛んだ大家さんなのかと思っていた。

ゲイカップルを住まわせるのも容認するぐらいだから、基本何でもありなのかと勝手に想像した(後から色々違うプロセスがあったと知った)。

だけど、レイさんはそういう世界ではなく、本当に堅実で伝統を重んじる中で人生を歩まれた人だった。

そういう2人を前に、ノムは私のことを紹介して、私もいつもと同じように思い付いたまま喋っていて。

大概の人は「ちょっと…」となってもおかしくない、若干心の中では引いたりする感じになる方が普通なのに、ミッチーとレイさんにはそれが一切なかった。

ノムが私を紹介するようにそのまま話を聞いて、2人ともそれをそのまま静かにうんうんと聞いていた。

2人の様子を見ているだけで自分が受け入れられてるのがわかった。

いつもなら、相手の反応を見て、私はあれこれ言葉の説明を加えて自分フォローや場の空気がおかしくならないフォローに尽力するけれど、そういうことを一切しなくて良かった。

ノムの紹介の仕方やそもそもノムと2人の関係がきちんと築かれているからこそというのも大きいと思う。

私が何であろうと、ミッチーもレイさんも「そういうものなんだね」とは言わないけれど、とにかくそのままにしておいてくれる。

そして、興味を持って話を聞いてもらえてることもしっかりと伝わってきた。

福祉でもコーチングでも「傾聴」というスキルを徹底的に学ばされた。

練習もかなりやった。

自分のことはさておき人様のことを言うと、そういうのは技術だけ学んでも絶対に身に付かない。

本人のクセみたいなもので、口ではいいこと言っていても話を聞けない人なんか五万といる(←おまえはどうなんだと聞かれたら答えられませぬ…( ̄∀ ̄;))。

レイさんといい、ミッチーといい、2人は傾聴マイスターの資格でも持っているのかと思うほど、聞き上手だった。
(傾聴マイスターは私の造語)

3人とも本当にこれまで会った人たちとはまた全然違った魅力を持っていた。

そして過去最高に安心感と安らぎを初対面でもらうという、すごい体験を3人を通じて私はした。




私は自分のオカルト系体質に関しては、もう一生付き合うものでその付き合い方とかそれを通しての人との距離感とかは試行錯誤で何とかするしかないと思っている。

文句ばかりブウ垂れてる人みたくなっているけれど、実際に世の中の多くの人が気をつける必要のないことに私は気をつける必要がどうしても出てくる。

そして世の中で1、2を争う怪しいジャンルゆえに、カミングアウトするようになった1年半ぐらい前からもやっぱりその時は気を使う。

はなから変な期待は抱かず、わかってもらえたら御の字ぐらいな気持ちで臨んでいる。

戦闘態勢とは違うけれど、どうしても私側は身構える。

なんだけど、あの3人の星トリオにかかると、身構えることすらバカらしくなってくる。

3人は一体どうしたらそんなにも受け入れ幅が広いのかわからないけれど、とにかくビックリするぐらいに受け入れて普通にしてくれてる。

私が新潟から来たということと同レベルみたいにして見ているように私には感じる。

ペンジュラムにしても相手の潜在意識や魂から情報をもらうことにしても、本当に普段通りな感じで、それを聞いた前と後とで何ら変わらなかったことがとても嬉しかった。

そしてその場を見て、「また人と新しく繋がれる」と本当に明るい希望を自然と持つことができた。

しかも、私は私のままで、3人も3人のままで。

等身大の自分で、等身大の相手で、それぞれが繋がれるなんて、本当に素晴らしすぎる。

番外編的に書くか、eat LOVEシリーズが終わったら書くかはわからないけれど、ホロスコープから読み解ける私の人生の方向の中に、まさに家族でもない職場の人でもない、本当に自分の意志とこの見えない世界のオカルト気質を軸にして人と繋がっていくというのがある。

自分のホロスコープの中は全体的にハードル高めだけど、その中でもそこは特にハードルが高いと常々感じていた。

自分の世間とはズレてる具合とか、ズレていてもそれを堂々と出す勇気のなさとか、さらにはオカルト体質とか、どれを取ってもそもそもが色んな悩みを引き連れてくるのに、さらにそれで人と集うとは何事かと思った。

それを目的として人と出逢うなんて味気ないし、そもそも私は自分のことは棚に上げてスピリチュアルに傾倒している人たちやその集まりがとっても苦手で、だからあまり自分からそうしたグループや団体に入ることもない。

出逢わなきゃ出逢わないで私は困らないから、普段そんなことを真剣に考えて何かを計画したり行動したりすることさえない。

なんだけど、あの日あの瞬間は、本当にホロスコープが指し示すことが飛び出してきたのかと思うほど、まさに!な展開だった。

そして、ものすごく自然にもたらされたその機会の中で、私は自分が欲しい人間関係や自分が安心できる空間がどういう特徴を持っているのか、3人と過ごしてみてわかった。

夢に見ることさえはばかられて、あえて深く考えないように避けていたことだった。

私は自分が求めているものがどれだけ難易度が高くて、どれだけ全人口に占める割合が低いのか、それはわかっていた。

だからそんなのは理想で、そういう人間関係や場が手に入るわけないと思っていた。

なのに、eat LOVE邸の母屋の奥の仏間では、それが普通に繰り広げられている。

しかも私は全くの初対面で海の者とも山の者ともわからない、唯一ノムが紹介してくれただろうエピソードの持ち主だということぐらいしか、ミッチーもレイさんも知らなかったと思う。

天界で「魂の閣僚会議」みたいなのがあるとするなら、本当にそこで審議されて忖度された会合だったんだと思う。

会合が実現するように、ノムの絵を家を新築したばかりの夫婦が買うように仕向けておこうとか、その日ミッチーもレイさんも時間が空くように急用が入らないようにしようとか、eat LOVEの冊子が私の目につくようにそれなりの場所に配置しようとか。

本気でそういうことがあったと思ってしまうぐらいに、色んなことが完璧すぎた。

当初こんなにも書く予定になかったけれども、何せeat LOVE邸での時間が濃密すぎて、書いてもまだ書きこぼしてる気がするぐらいに色んなことが盛りだくさんだった。

とりあえずこの回はここでおしまい。

最後言い忘れてた。

アルコールフリーで良かったのは、ここに書いたこと全部を全くの素の状態で体験できたから。

こんな大切な瞬間、人生でも何度もあるわけじゃないと思うから、その時にアルコール抜きで素面で参加できたのはとっても嬉しい。




[写真]
・ペンジュラム講習会の様子。
真ん中がノム。(と言えば、あとはわかるだろうと予想して…)

・私が普段持ち歩いているペンジュラムたち。
五円玉は昭和55年のもので、5が3つ並んでるみたいで縁起の良さを感じる(笑)。

・ノムの個展の場所の地図。講座のクラスメイト向けに送られてきたもの。わかりやすいし、オシャレだねと評判だった地図。

2019年7月3日水曜日

eat LOVE ⑸ 扉びらき

野村浩平 個展「 celebration!」@ plate tokyo 
(↑ノムの個展の案内文。リンク飛びます)

個展「celebration!」のお知らせ
(↑これも個展の別バージョン(?)の案内文)











ーー扉びらきの時間ーー

【ノムのメールより】
〜eat LOVE邸合宿3日前〜


ホロスコープとペンデュラムのやり方、ぜひ! ご教授お願いします!
手に入れたものの、ぜんぜんまださわっていなくって、
ぶっしーがやってきてくれることになったから、
そのときに、ぶっしーにその扉びらきに立ち会ってもらおう。
そんなことを思ってるのでした。勝手にすみませぬ。

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色んなことが濃密すぎて、ノムのペンジュラムの扉びらきに立ち会ったことが、すっかり記憶から抜け落ちてた。

今回のeat LOVE邸合宿のメインイベントの中の1つじゃなかったのか!?というくらいに重要ポジションにあったのに、こういう時の私の忘却力たるや計り知れない底力を発揮する。←こんな底力は要らない( ̄∀ ̄;)。

ノムに突っ込んで聞いてないからわからないけれど、こういうのってすごい不思議なもので、「手に入れたものの、ぜんぜんまださわっていなくって」ということが起こる。

ノムが触らなかった時、私がまさかeat LOVE邸に足を運ぶなんて思っていなかったと思う。

私だって、ノムが誕生日にプレゼントされたペンジュラムを使ってないとか、ノムが言うまで知る由もなかった。

だけど、天の采配的な必要性は、「なんとなく」の感覚を私たち人間にもたらして、ちなみになんとなくの後は「なんとなく今じゃない」とか「なんとなく気が乗らない」とか、まぁ私を例にすれば得意の「先延ばし」的なことになって、それで先延ばししたりやらなかったりする中で色んなタイミングが揃って、それで本当に必要なことがドンピシャのタイミングで起こる。




私は今回の扉びらきの立ち会いをとっても楽しみにしていた。
(なのに忘れるという暴挙…)

ノムに最初さらりと打診された時はとても簡単に返事をしたけれども、後になって「扉びらき」なんて一生に一度しか訪れない機会なんだと気付いて、そう思ったら俄然テンションが上がって、一度はメモなんかも取り始めた。

ペンジュラムを日常使いするのは珍しくなくても、そのペンジュラムを初めて使うのは一生に一度しかない。

なんとなく触れるとかじゃなくて、本当に「あなたを使います」宣言をして使い始めるのは一度きり。

そんな超貴重な時に立ち会えるなんて、私は選んでもらえた嬉しさでいっぱいだった。

1つ前のブログは、一部をカットしてノムのメールを載せたけれど、本当はこんな風に書かれてあった。


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それからなんと、ペンデュラムを手に入れたよ!

あれから、カレにぶしまたさんの話をけっこうしてて、もちろんペンデュラムのことも話していて、
なんというか、ぶしまたさんのペンデュラムをする姿が、とても格好良かった!のだよね。

自分ではわからないだろうけど、
すごーく、いい顔というかムードをしていたし、
ペンデュラムの扱い、向き合い方? 関係? が、とても神聖さをはなっていて、
so cool !! って感じた。

おかげで、ぼくもやってみたいってなって、
ある夜、延々とペンデュラムの画像をみまくって。
これいいかも!って真鍮のがあって、買っちゃおうか、と思いつつも、
なんだかGOが出せず、そのうちに、自分はもたなくていいのではないかと落ち着いて忘れていたら、

カレが大家さんに、ぼくのことを聞かれたらしく、
けっか、ちいさい水晶のペンデュラムが誕生日にぼくのもとへやってきて、
(正確にはペンデュラムみたいなペンダントらしいんだけど)
めちゃくちゃびっくりした。

そこでまた、ぶしまたさんのことを思い出し、
なんだろうなあ、このつながっていく感じ。すごいご縁だわ。
と、なっていたのでした。

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また別の時にも
「ぶっしーのペンデュラム姿はcoolだったよー。
真剣に対峙しているというのかな。
目をこらす、耳をすます、そういう姿勢。
でもね、そういうものだろうと思う。」
とノムは再度教えてくれた。

これは本当に嬉しい言葉だった。

何人かから指摘されたし自分でも自覚しているけれど、私のペンジュラムの扱い方は本当に普通過ぎて、一歩間違えると「テキトー」と言われかねない扱い方をしている。

使う前に深呼吸とか瞑想なんて一切しないし、使い終えてもまた普通だし、話途中にする時なんて話聞きながらもしくは喋りながらそれと同時進行で使うし。

さすがに、ミッチーの出生時間を出した時はもう少しきちんとしたけれども、そうでもない普段の時なんかは、私もテキトーだと思う。

だから、ノムが言ったようなことを言われたのは、本当に今回が初めてだった。

そして、そんな風に見てくれているノムから、ノムが初めてペンジュラムを使う扉びらきの時に立ち会って欲しいと言われるなんて、ものすごく光栄で誇らしいことだった。

だから二つ返事で了承したし、そうでなくてもホロスコープとペンジュラムを組み合わせる方法をノムも知りたいだろうと思ったから、良かったらそれは会った時にやり方をちゃちゃっと伝えるとその前に言っていた。

それこそ、ホロスコープとペンジュラムの組み合わせ技は、5月に銀座でお茶をした時に実演をして、ノムもそれを興味深く見ていたし聞いていたから、だからやり方は簡単だしすぐにできるから、そのやり方だけ伝えたらあとはいくらでもノムが応用させるだろうと思って、それで話を振ってみた。

今ノムのメールを読むと、「すごいご縁」とか「つながっていく感じ」とか、未来予測みたいな言葉が並んでいるのに気付いた。

本当にそうだと思う。

で、そんなにも重要な瞬間だったにも関わらず、記憶ごと抜け落ちるというすごい技を発揮して((((;゚Д゚)))))))、それでさっき1つ前の記事を書いていた時にようやく思い出した次第。




ミッチーとレイさんが夕ごはんを作ってくれることになって、料理しない食べる専門のノムと私は時間を得た。

「アトリエ見る?」ということで、ノムたちのアトリエに連れて行ってもらった。

距離は徒歩20歩いかないぐらい。

アトリエは本当に「芸術」に携わる系の人のアトリエだった。

着いたら、ミッチーがミシンで何かを縫っていたことにも驚いたけれども、ミシン云々より私はてっきりミッチーはもうごはんを作るとか買物に行くとかしてるのかと思ったから、ミッチーがいたことに驚いた。

ちなみにいつのまにかミッチーはいなくなっていた。

アトリエではノムの次の個展の絵たちを見せてもらった。

あと、ノムからもらった絵を新潟から持って行って、それをアトリエでノムともう一度見てみたかったからそれもした。

あとは、ノムにリクエストしていた本(『光の書』)を見せてもらって、猫ちゃんも途中でやってきて…、とそんな風に過ごしていた。




ペンジュラムの扉びらきの話に入る前に一言私のつぶやきなどを。

何せノムと出逢ったのは占星術の講座で、私はノムも含めてクラスメイトたちがどんな背景の人たちなのかは何も知らずにいた。

(かなりな余談だけど、クラスメイトたち本当にみんなすごい人たちが多くて、他にもガラス作家さんとか、億単位のお金を動かす金融の人とか、(推定)年令的には還暦近くの人で喫茶店オープンとか、バリバリのキャリアウーマンの人とか、ハワイに移住経験のある人とか、モデルさんとか、とにかく普通には出会えないご職業や体験をお持ちの方々が多かった!)

占星術に関してはみんな私含めて似たり寄ったりのスタートだったから(すごい人たちももちろん中にはいたけれども)、その感覚で付き合い、さらにノムの経歴なんてまず見ることもなかったから、今回個展の案内をしっかりと見て、ぶったまげた。
(冒頭のリンク先が個展の案内)

ノムの頭の良さとか人とは違う良きところとかは気付いていた。

本人にも直接言ったことがある。(ちなみにこれは後半の記事のどこかで書く予定だけど、ノムは自分の凄さや特異なところに対しての自覚が恐ろしいぐらいに薄い。)

だけど、ノムの経歴を見て、まさかそんな超すごい人だとは知らなくて、本当によくぞ私と知り合ってくれました!!!と大真面目に思った。

その紹介の中にある
【「ゼロは最強」(TAKAHIRO 著 光文社)】
をクリックして、腰を抜かした。

「この本、もしかしたら本屋で最新本とかで出てた本と違う!?」と思ってクリックしたら大当たり。

そういう話題本の構成を担当するって、絶対に当たり前じゃないし、実力なきゃ無理だよね?と思う。

話題本なのは結果そうなったというものでも、少なくともその可能性を秘めた本作りにノムも呼ばれたわけで、本当に凄い人なんだと改めて再認識した。

その他にもノムは色々とすごいわけで、多分普通には絶対に出逢えなかったと断言できる。

接点があまりにもなさすぎるし、私からすると、経歴だけを見た時のノムは雲の上の人みたいな世界の人で、手を伸ばしたら届くとかいうレベルに全くない。

占星術講座ももちろん大きかったけれども、私とノムを引き合わせてくれたのは、ミッチーとレイさんの存在も大きく関与している気がするし、そしてペンジュラムもそれと同じくらい大きく関与している気がする。

興味ある人は良かったらノムのブログの「comment」と書かれたコメント欄をクリックして見てもらうと、1年前よそ行きの顔をした私「武士俣」とノムがやりとりした記録が出てくる。

ノムのコメントを読んだはずなんだけど全然記憶がなくて、今回読んですごく素敵なことを当時から言ってもらえてたんだと改めて心がヌクヌクした。

「講座のお仲間の中で、
あんな風に一緒に帰った方はまだほかにいなくって、
その稀有なるお一人の武士俣さんと、
このような形でつながったことにとってもご縁を感じます。」

当時からきちんと縁をもらえていたことに気付いていたノムのコメントにも、今ごろ、それこそeat LOVE邸に行った後に初めて知った。

何をどうしたらそんなすごい人に私はペンジュラムの扉びらきに立ち会って欲しいなどと言われるんだろう…。

人生七不思議の一つに数えられる。




扉びらきの時のこと。

自然光がたくさんは入りにくいアトリエの中でも、さすがにそろそろ夕暮れ時だろうことはなんとなくわかった。

私は迷信とかはそこまで信じる方じゃないけれど、さすがに自然の石でさらには無意識の領域の情報をキャッチするペンジュラムは、太陽が空に出ているうちに扉びらきをしてあげた方がいいだろうと思った。

過去に会った霊能者の人2人が口を揃えて「明るい時間と暗くなってからの時間では、空気が変わる」と言っていたから、もちろん暗くなってからの時間は霊障じゃないけれど、霊のいたずらなんかも増えるから、そういう時間帯に何か危ないことをするのは勧められないとキリッと言われた。

それが頭にあったから、ノムに暗くなる前に始めようと声をかけた。

っていうか、「扉びらき」ってそもそも何だ?と思っていたことにその時ようやく気付いて(苦笑)、しかもきちんと正規にペンジュラムの使い方を学んではないから、私の場合は超がつく我流なわけで、何をしたらいいのかあまりよくわかってなくて。

だから、最初に私がペンジュラムを見つけたお店でやったように、YES・NOのサインの確認とか、本当にそんな感じの私が知ってることをノムに伝えた。

ノムは1つ1つを喜んで聞いてくれて、そして聞いたそばから早速実践に入っていった。

ホロスコープとペンジュラムの組み合わせ技も、出生時間の調べ方も伝えた。




ここからは私側の心にあったものを話したい。

私は今回何が自分のことで嬉しかったって、そうした専門的な情報を快くノムに伝えられたこと。

そして伝える時に全幅の信頼をおいてノムに伝えられたこと。

若干テングにならないように話したいけれども。

自分の資質もそうだし、占星術やペンジュラムの知識もだけど、色んな人たちと話をしてみて感じたのは、私はそれらを伝える時に相手から一定の返しが欲しいことに気付いた。

ものすごく悪い言い方をすれば、自分がぞんざいに扱われると私は異常に腹が立つことに気付いた。

これは私側のこだわりだけど、私はペンジュラムにしても占星術にしても、変に特別なものにしたくないと思っている。

それを崇められたりとかやたらと崇高なものにされたりとか、そういう感じが好きじゃないから、なるべくさらっと伝えたりとか、重くならないように実は相当気をつけてる。

それは私のコミュニケーションスタイルだから、それも多分一因なんだろうとは思うけれども、私が何せ普通の会話のように話したりするから、相手もまた実に軽く取ったり、全く敬意が払われてないことが伝わってきたりする。

そういうことがこの1年ぐらい続いていた。

私もまた望み過ぎなところがあるけれど、そういうことを軽く受け取ることを実はされたくない。

そういうことに知識とかない人なら私は全然許せる。(ちなみに、専門知識がない人たちの方がきちんと丁寧に受け取ったり扱ったりしてくれる率が高い。)

私がいつもガッカリしていたのは、知識ある人たちからそれをされていたから嫌だった。

何で人の資質をそんなに軽々しく扱う?、といつも怒りみたいなのを覚えていた。

適当にいつも流していたけれども、今も普通に思い出せるぐらいだから、本当に嫌だったことがわかる。

話していると必ずわかる。

「知識だけ欲しいんだなぁ」って。

多分本人も無意識だから本人さえ気付いていない可能性も高いけれども、そうした専門的な情報を渡した時の相手の反応を見ると、私側は少なくともわかってしまう。

私じゃなくて私の持っているものが欲しいんだって。

これは本気で萎える。

私はなりたくてもなれるだけの財力にもパートナーにも恵まれたことがないからわからないけれど、バリバリのビジネスマンたちが奥さんからお金だけを期待されてしまう、お金だけを必要とされてそれ以外は必要とされないみたいな時の気持ちに近い気がする。

自分っている意味があるのかな…?となるあの気持ち。

自分の存在意義がわからなくなって、例えばお金をもし持っていないとしたらそれでも自分は相手にとって必要とされたり愛されたりするんだろうか…?みたいな気持ち。

ペンジュラムにしても占星術にしても他の人の潜在意識や魂から情報をキャッチしてしまうことも、相手の人からそれだけを求められると本当に辛い。

決してそんなモロにわかる感じでは来ない。

本当にもしかすると、相手はそんな気さらさらなくて、私と個人的に付き合いたいと思ってくれてるだけかもしれない。

でもわかってしまう。

それは、さりげなく口から出た言葉の中に「私はあなたの持ってるものを軽々しいものと見ていますが、私が必要な時はその知恵をください」というニュアンスがある。

こんなどストレートにはもちろんやってこない。

だけど、相手が私の持ってるものを軽々しく捉えていたり、それを気安く自分の都合に合わせて利用しようというのが、どうしても私側には伝わってしまう。

そうした経験がいくつか続いたから、私はますますそうした専門的なものになると身構えてしまうようになった。

これは相手を信用してないとかいうことではなくて、信用したいのにそうではない結果が返ってきた時に自分がものすごい傷付くから、そうなりたくなくて伏線を張る。

私はこれだけは自分が譲れないポイントなんだとわかる。

すごい些細なことなのに、私の場合、全部を無くしてしまいたくなるぐらい、これまでのすべてが消えてしまうぐらい、小さなボタンの掛け違いがすごい破壊力でやってくる。

そういう背景が私側にあったから、今回ノムのペンジュラムの扉びらきに立ち会った自分を見て本当の本当に嬉しくなった。

これまでの傷が癒されたと言ってもいい。

私にははっきりとノムが、自分のためと自分と縁ある人たちのためにペンジュラムを使うことは、ノムとの普段の会話や行いでわかった。

変な動機とか、変な依存心とか、そういうのが本当にないのがよくわかった。

さらに、ペンジュラムとホロスコープの合わせ技は本当に使えるし、生きるヒントも引っ張ってこれるから、ノムがそれを必要とする人に渡すだろうことも想像できた。

方法はあくまでも方法でしかなくて、それを発展させられるかどうかは本人次第になる。

ノムはそれを自分で発展させることも、それを楽しみながら試行錯誤することも、本人が何も言わなくてもそうするだろうことはわかった。

こういうことは普段言わない。

自分が何様かと思うし、自分が偉いわけでもないし、何その上から目線!?みたいにも思う。

だけど、こういうことは言葉にしなくても感覚でどうしても伝わってしまうことがわかったし、その伝わってしまったことで私は自分が嫌な思いをするのもわかった。

そして、それゆえに変な壁を作ったり、防御するための処世術みたいなものも使いこなすこともわかった。

ところが今回はそんなこと一切しなかった。

そういうものを全部取っ払って、何も防御服を着なくても私は安全だとわかっていたから。

専門的な知識に関しても、渡さない方が罪になるかもと思ったぐらいに、自然とそのまま知ってることをノムに言った。

ノムがノムだからなのもそうだし、これまでのやりとりのおかげもあるけれど、とにかく全幅の信頼を置いてノムに自分が持っているものをさっと差し出せた。

計算とか信頼できるできないを吟味するとか一切なくて、野生の勘並みにノムにそのままペンジュラムのことは伝えられた。

この自然と湧き上がる信頼感に、私の心は満たされまくりだった。

ただただあるがままを差し出せばいい。

そして、その行為が安全だと肌レベルで知れるというのは、本当に凄い安心感と安らぎがあることがわかった。

その時の私は、私でいるだけで良かった。

取り繕うことも身構えることもなく、普段のまんまの自分だった。

その自分で自分以外の誰かとやりとりできることの素晴らしさと言ったら、人生の中でも相当上位のしあわせに数えられる。

その時点で知識はたしかに私の方が持ってはいても、それ以外の部分はノムの方が断然持っていて、本人は無意識のままそれを私に贈り続けてくれていた。

「僕、そんな大層なことはしていない」とか言い出しそうだけど、本当にあの時というのはそういう空気がずっと絶えず流れ続けていた。

この後、私は自分がノムに色々と共有した行動が大正解だと知る。

ノムはまずその後1時間くらいして、ミッチーとレイさんと4人で集った時に、早速知り得たことを披露、活用していた。

そのこなし方たるや、本当に驚くぐらいに完璧で、そして何より楽しそうだった。

なんならノムはそのうち、残りの3人はまるで空気状態で、自分とペンジュラムだけの世界にどっぷりとハマっていった。

一晩明けると、今度は自分の亡くなったおじいちゃんの出生時間を調べ上げていて、それと自分のホロスコープの重なりについて熱く語っていた。

いつそんな時間あったの?っていうぐらい、すごい使いこなしていた。

さらに私が新潟に帰ってくると、レイさんとペンジュラムの話になって、何が要点かもわからない私のまとまりのない話からしっかりとポイントを絞って、それをそのままレイそんに伝えたんだ〜と報告が来た。

よくあんな説明でそこまでわかったね!?、何か翻訳機能を体内に隠し持ってるの?ってなぐらいに完璧すぎる説明をレイさんにしていて超驚いた。




ノムのペンジュラムの扉びらきは、終わってみれば、ノムのためというよりも私のためにあったんじゃないかと思ったほど、私自身がものすごく癒された。

自分の持っているものをそのまま必要とされたり、ぶっしーのやり方を知りたいと直接言ってもらってはないけれどすなわちそういうことを求められたり、私が言ったことをすぐにその場で活用してくれたり、あれから1週間以上経ったけれどノムは相変わらず色々発展させてたり。

過去にしてきた嫌な思いも無駄ではなかったと思えるほど、私は今回めちゃくちゃ癒されてる。

思い起こせば、毎回私は、何か受け入れ難いことが起こると「自分に何かが足らなかったか至らなかった」とか「色んな考え方があるから(相手のことは否定できない)」とか、そんな風にして折り合いをつけようとしていた。

でも、ノムとやりとりして、気付かされた。

相手も悪くなかったかもしれないけれど、私も決して悪くはなかったということ。

それこそお互いに合う合わないの問題でしかなくて、合わないのに自分が間違ってるのかも…なんて自分を否定しなくても良かったんだと知った。

なぜならノムに伝えたことや教えたことは、これまでと何ら変わらない内容で、今回だけが特別ではなかったから。

中身は何も変わってないのに私の感じ方が全く違う。

私が私のままで、ノムももちろんノムのままで、互いがそのままなのにカチッとパズルがはまるみたいな一致感があった。

それは私が夢にまで見た光景であり在り方だった。

自分を曲げなくていいからエネルギーも真っ直ぐだし、今回はノムの方がエネルギーの受け取り手だったわけだけど、ノムも自然体で真っ直ぐに受け取っていて、どこにも歪みやいびつさがなくて、すべてがそのままでとてもきれいなエネルギーが流れていた。

こういうことが本当にあるということを目の当たりにして、私は癒しと希望を得た。

ノムを基準にしてしまうと私は怖くなってしまうけれども(苦笑)、だけどそういうやりとりも可能なんだよとノムが見せてくれた。

人に対してビビリな私は、そのカチッと合ったノムを基準にすることは怖くてまだできないけれども、少なくともその感覚は一生忘れないぐらい深く自分の中に刻まれた。

私からして、ノムとの間に起こったみたいなカチッと誰かとはまることは高望みなんじゃないかと思い込んでいたもので、望むことさえはばかられるものだった。

扉びらきの前までの私なら絶対に言ってたよね、と思う。

「だってそんなこと望んだって現実にはありえないよね」とかなんとか。

扉びらきはノムが提案したことだったけれど、結果的にそれを必要としてたのは本当は私の方だったのかもしれない。

自分がそのままでいることを許されるというのは、ものすごい安心感をもらえる。

それは想像すらできない領域だった。

しかもまだこれは序の口で、この後ミッチーとレイさんも加わって、大人の合宿のような、場所を変えて心身を癒すリトリートと呼ばれるような、そういう至福の時間を過ごした。

「至福」とか「多幸感」という感覚があの場所での空気とあの場にいた3人の大人の人たちが醸し出している空気に、ピッタリと合う言葉だと思う。




タイトルを「ペンジュラムの扉びらき」にしようと当初は考えていた。

でも、シンプルに「扉びらき」に変更した。

なぜなら、たしかに大元はペンジュラムの扉びらきだったかもしれないけれど、そこに立ち会った私にも私の感覚が開いていく扉びらきがあったから。

そして、それは私にとってとても大切な瞬間で絶対的に必要としていたことだった。

だから、色んな意味を掛け合わせて「扉びらき」に変更した。




[写真]
・アトリエの天井に吊るされていたハート。今回の話にとても合った飾り物、象徴みたいに感じる。

・あんくん(猫くん)の部屋。あんくん一匹だけがこの広いスペースを自分の縄張りにしている。(他の猫ちゃんたちの猫密度とは比べものにならないぐらい広い場所を占有)

・3枚の絵は、両脇2枚の絵を新潟から持ち込んで、同じシリーズで撮影したもの。

・本『光の書』よりも、そのためのノム手作りのキットよりも、まるでメインのようだったあんくん。

・よくよく見たら、自分も作品のごとくうっかり写り込んでしまっていたことに気付いた写真(風景に馴染んで違和感なし)。

2019年7月2日火曜日

eat LOVE ⑷ celebration〜アトリエより〜

野村浩平 個展「 celebration!」@ plate tokyo
(↑ノムの個展の案内文。リンク飛びます)

個展「celebration!」のお知らせ
(↑これも個展の別バージョン(?)の案内文)





上のサイトと写真は、個展の案内と実際の会場に設営された後の写真。
ここから下の写真は、アトリエ内の写真。


















ーーここからは武士俣流の好き勝手な文章ーー


本当は別のeat LOVEの文章と一緒に個展の案内文のリンクや写真を貼る予定でいたけれど、書いているうちにその話と個展とがあまりにかけ離れていくから、これだけ先にアップすることに。

ノムとミッチーのアトリエは、不思議な魅力と色彩を放っている空間だった。

色彩というのは、色ということじゃなくて「性質」的なもの。

何かが2人の手で新しく生まれ出ずる場所に入れてもらって、秘密基地に誘ってもらえたみたいで嬉しかった。

ノムが今回の個展の準備をしていた途中、日付を見たらノムの誕生日から10日後にもらったメールより。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

結果的に、みっちーと郊外の、人との接触がすくない今の家に引っ越してから、
ひきこもり的になり、その繭の中みたいな安全安心さを味わい、
あとから「ああ、ずっとこれが欲しかった!」って気がついたの。

(中略)

で、ふたりとも、リラックスできる場所、時間がたっぷりできて、
毎日のようにゴロゴロして、食っちゃ寝して、
そのダメ人間的日々を、誰からも咎められず満喫して、
それがベースになって、
初めて、自分からなにかを放ちたい、つくりたい、って意欲が、熱がわいてきた。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



この自発的な意欲が形になる場所が2人のアトリエだった。

アトリエはとても素敵で、いるだけで居心地が良かった。

そこで私はノム本人の解説付きで今回の個展の絵を色々見せてもらった。

見ているのは絵なんだけど、絵というより「時間」という名前の物語みたいな感じだった。

「時間」には過去も今も未来も全部含まれている。

絵の中にある想いとかそれが生まれるまでの誕生秘話とか、いつかの未来を予想した話とか、ノムの展望とか。

絵は絵でもそれだけにとどまらず、その先には無限大に広がるものがどの絵の中にもあった。




私目線で気になったアトリエ内のあれこれを写真で紹介。

もはや個展でも絵の紹介でもないと言う…。

どういう感じで写真がアップされるかわからないから、順番はめちゃくちゃかもしれないけれど、とりあえず解説を。

・風景的なものはどれもアトリエ内。

・写真の中に写っている絵は、ストーブと一緒に写っている絵以外は、以前描いたもの。今回の個展には出てない。

・ストーブはオークションで購入したらしく、冬になると本当に大活躍するとのこと。
その風景が好きで撮ったら、まさかその中に一緒に写り込んでる絵も今回の個展で出ることに!

ノムいわく
「家にいるときは、その絵は飾らないかもって思ってたんだよね。予備みたいな。けど、行ってみたら、いきなり入り口にこの絵!って思って。なんか、こういう流れも面白いねえ。」
と急遽飾ることに変更した模様。
(だから、トップの方にある個展会場内の写真3枚のうちの1枚に同じ絵がある)

・ミシンに向かっているのがミッチー。ジージャンの刺繍もミッチー。

・窓側に向かってしゃがみながら絵を触っているのがノム。

・アトリエのポスト。個性的でとてもかわいい。





eat LOVE ⑶ 星トリオ










【ノムのメールより】

まずね、新潟にいったのだよ。

ぼくはカレと広い敷地の中の貸家に住んでいるんだけど、
敷地に、大家さんがときどきやってきてね、
なんというか、彼と彼女(51歳女性の大家さん)とのトリオは、
ふしぎな、血のつながりはない家族?親戚?
そういう間柄となったのだけど、

先日ぼくの誕生日があり、
大家さんが、ぼくの「星をみたい!」って願いを叶えるべく
プランニングをしてくれ、すべての準備をしてくれ、車もだし運転もしてくれ、
当初、長野に行く予定だったのが、天候の関係で、新潟へ行く運びとなり、
上越のほうに、車で‪4時‬間くらいかけて、いってきました。

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ノムとミッチーとレイさんについて、3人の巡り合わせを書きたい。

そもそもは、ノムとミッチーはeat LOVE邸へ移り住んだ当初、レイさんと直接関係があったわけではないとのこと。

それが巡り巡って、誕生日を一緒にお祝いする仲にまでなるんだから、凄すぎる。

一応わかりやすい言葉で言えば。

ノムとミッチーはパートナー。

レイさんは2人が住む家の大家さん。

ただ、最初から3人として知り合ったわけではないことが今回話を聞いてわかった。

私はてっきり、最初から3人で知り合ったのかと思ってた。

私の怪しげな記憶と理解で違うところもあるかもしれないけれど、これから書くことはおおよそは合ってるはず。

そもそもノムは友達経由で、レイさん家族が所有する家を紹介されたとのこと。

そこにミッチーと一緒に移り住んだのがいつなんだろう。

けっこうな長さなのは間違いない。

しばらくすると、今度はミッチーが敷地内の別の空き家をアトリエとして借りたいと言って借りたのがそのまま今のアトリエになっている。

ちなみに、ノムたちの家とアトリエとレイさんの母屋とはどれも徒歩10〜20歩ぐらいの距離。

今回母屋で夜も朝もごちそうになったけれども、ミッチーは自宅からトースターはじめその他必要な道具を持ち込んでいた。

この近さが何とも羨ましく、仮に忘れ物してもすぐに取りに行けるのが利点だと思う。←忘れ物や置き忘れ多めの私には超魅力的なポイント。

で、そもそもはレイさんのお母さんが管理をしていたけれども、体調の関係でレイさんが引き継ぐことになって、それで本格的に2人とのやりとりが始まったと言っていた。

2人がゲイであることも最初は知らなくて、レイさんが気付いたのは、レイさんが母屋の荷物を処分するとなった時にその前に一度荷物を見たいとミッチーからリクエストがあって、それでミッチーとノム2人揃って来た時に、「もしかして…」と思ったらしい。

なんとなく想像できるけれど、ミッチーがこれいいなぁと皿か何かを手に取ると、ノムが横から“そんなにあれもこれもなんて…”みたいな感じで手を出して制止したらしい。

その時の仕草を見て、レイさんは2人が恋人なんじゃないかと思ったそう。

私はてっきりレイさんは近くに住んでるのかと思ったら、レイさんはノムたちの家から車で30分ぐらいかかるところに自宅があって、そこから通って来ているとのこと。

後からもっと詳しく書くけれど、レイさんは母屋という場所とそこでノムとミッチーと集う時間をまとめて「自分を取り戻す場所」と呼んでいた。

本当にドラマみたいな世界の話で、でもそれはそこにいると本当にそうなんだとわかる。

本当に、レイさんが全身全霊で自分を取り戻すために必要不可欠な場所で、そして2人が必要不可欠な存在なんだとわかる。

母屋は入った時から懐かしい風貌を携えて私の目の前に現れた。

ノムが事前に教えてくれていたように、
「母屋がまた田舎のおじいちゃん家みたいで、おちつくから、
きっと、ぶっしーも、くつろいでもらえるんじゃないかな、と思ってさ。」
とその言葉通りだった。

家具も最小限で、だけど必要なものは全部揃っていて、すごく落ち着いた雰囲気の家だった。

レイさんに聞いたら、なんと明治時代の建物で築100年越えの家とのこと。

本当にそういう雰囲気を感じる家の内装もあちこちにあって、たしかにそれぐらい昔から引き継がれたものかもしれないと、そうとは知らないで初めて見た時に思った。

押入れの戸や手を掛ける場所(冒頭の写真の中の1枚、花柄のアップのまん丸いもの)は、ものすごくオシャレだった。

本当は、レイさんは母屋を手放してしまう予定だったそう。

母屋を再建させる気はさらさらなかったところにノムとミッチーがいて、そして家を再建させるにあたり色々手入れや片付けがわんさかあったその時に、ミッチーがそれを本当に色々手伝ってくれてとても助かったと話していた。

レイさんが言っていたのが、「ミッチーは言わなくても伝わる」存在だということ。

2人で片付けか作業かをしていた時に、言わなくても必要なものを手渡してくれたり、本当に必要なタイミングで必要なものや動きをミッチーはささっと差し出してくれるらしい。

ノムが「ミッチーとレイさんのホロスコープ見るとわかるんだけど、もうまるで親子とかなんかめちゃくちゃ血縁関係が強い家族みたいな、それぐらい2人のホロスコープって重なってるんだよね」と言っていた。

私も3人宛に送るホロスコープの資料を今日用意して、それを見てわかった。

∑!(◎_◎)!!∑!(◎_◎)!!∑!(◎_◎)!!

本当にノムが言うように、この2人は過去世で親子か夫婦でもやってたんだろうか?と思うぐらい、っていうか家族にしか見えない重なりを星の上でもいくつも持っていて驚いた。

私は相性とかはあまり見ないけれど、これまで見た中で私と両親の強烈な重なりのホロスコープよりも、ミッチーとレイさんのホロスコープの重なりの方が強いかもしれないぐらい。

その築100年を越える家屋の中にいて思った。

もし、レイさんが家を手放すぐらいの決断に至ろうとしたそのタイミングで、ミッチーとノムに出逢わなかったとするなら、もしかして3人の関係はもちろんのこと、今この瞬間を私もその場所で共に過ごすなんてことは絶対になかっただろうなぁと思った。

何でミッチーがその手伝いをやろうと考えたのかは聞かなかったからわからない。

だけど、あの時にミッチーがその時とは違う決断をしたとするなら、今はまた全く違う現実なんだろうことは予想がついた。

その場をというよりも、そこにしか存在しないものを存続させるために、そして再生させるために、まるでミッチーとノムが現れたんじゃないかと思った。

私がいた時も、滅多に自分から何かを口走らないミッチーが、「さっきデジャヴがあったんだ」とポツリと呟いた。

レイさんとミッチーで夕飯の準備を一緒にしていた時に、何かのシーンがデジャヴだったらしい。

ミッチーがわざわざそういうことを口にすると、私みたいに魂だの何だのと普段から話すタイプと訳違って、その言葉にも現象にも重みを感じられる。

それを聞いた時、レイさんとミッチーでいると、そういうデジャヴも起こりやすくなるのかもしれないと思った。

冗談抜きで、今だけじゃなく、本当にいつかのどこかの時代共に在ったのかもしれない…、そんな風に思った。




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【ノムのメールより 続き】

それからなんと、ペンデュラムを手に入れたよ!

あれから、カレにぶしまたさんの話をけっこうしてて、もちろんペンデュラムのことも話していて、
(中略)
ぼくもやってみたいってなって、
ある夜、延々とペンデュラムの画像をみまくって。
これいいかも!って真鍮のがあって、買っちゃおうか、と思いつつも、
なんだかGOが出せず、そのうちに、自分はもたなくていいのではないかと落ち着いて忘れていたら、

カレが大家さんに、ぼくのことを聞かれたらしく、
けっか、ちいさい水晶のペンデュラムが誕生日にぼくのもとへやってきて、
(正確にはペンデュラムみたいなペンダントらしいんだけど)
めちゃくちゃびっくりした。

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ちなみにどうでもいいことだけど、私はペンジュラムとペンデュラム、どちらの表記が正しいのかを知らない。

単に私の携帯が「ペンジュラム」を多用してる関係ですぐそのように変換するから、そうやって書いているだけ。

そういえばノムにそれを聞かれた気がするけれど、私は基本意味さえ通じればどちらでもいいから、多分かなり適当な答え方をしたんだろうなぁ…苦笑。

今回、レイさんとミッチーとでペンジュラムをノムのために手に入れるために2人で協力した話を初めて聞かせてもらって、それがとっても感動的だった。

話があちこち飛ぶけれども、ノムは自分たちのアトリエを私に紹介してくれた時、「ねぇぶっしー見て!これだよ、僕のペンジュラム!」と言って、女の人が指輪とかプレゼントしてもらう時のような小箱を私の目の前に出してきて、そしてそっとフタを開けた。

本当にとても大切そうにやさしく箱を持って、開ける時もスローモーションのようにゆっくりと丁寧に開けていた。

中から細長い形の水晶が出てきた。

ミッチーが付けてくれたという蛍光のキミドリ色の紐も見せてくれた。

「これいいんだけどさぁ…、なんか適当だよね…?」

ノムはそう言いながら、ヒモの改良を始めた。

言い方からして、本当はミッチーにもう少しプラスアルファの仕事をして欲しかったのかもしれない 笑。

ミッチーに直接言えなかったのか言わなかったのか、そんなことを口にしながら見せてくれたノムのペンジュラムの続きの話を、レイさんが今度は夕ごはんの後の時間、4人でいた時に教えてくれた。

ミッチー経由でペンジュラムを欲しがってるノムの情報をキャッチしたレイさんは、まずは近郊のペンジュラム取扱ショップを調べてそれぞれ問い合わせをしたとのこと。

ところがどこも全部、営業やめたとか、取扱がないとか、とにかくすべて全滅だったとのこと。

ミッチーと相談しながら、そういえば某所にパワーストーン屋さんがあることを思い出したレイさんは、そこに行って見てくると言って実際に駆けつけた。

そこはビンゴで、実際にペンジュラムの取扱があった。

店員さんもそれを勧めてくれたらしい。

だけどレイさんの中でしっくりこなくて、ペンジュラムではない水晶のペンダントみたいなものの方がノムに似合ってると思って…と話しながら、レイさんは自分の携帯から当時の写真を2枚見せてくれた。

レイさんはその場で写真を撮って、それをミッチーに送って、ミッチーにはどっちがいいと思う?と聞いて、決して誘導尋問にならないよう2つを同じように並べて聞いたと話してた。

ミッチーもレイさんと同じ意見で、水晶の方がノムに似合っているとなった。

それで決まって、レイさんはペンジュラムではない水晶のペンダント調のものを購入した。

必死にペンジュラムを探すレイさんや、おそらくいつもと変わらない感じでしれっと家やアトリエに普通にいて影でこっそりとペンジュラム探しを手伝うミッチーの姿が目に浮かんだ。

自分たちの大切な人の命の誕生をお祝いするために、想いを形にする。

ひっそりと心に秘めるんじゃなくて、相手(ノム)にもそれが伝わるようにする。

何が素敵かって、そういう話は大人社会ではあえて口に出さないでそのまま黙っておくのがスマートみたいな風潮があるけれど、そうではなく本人にもそしてそこに居合わせた私にも普通にあった出来事として話してくれたところ。

ノムは知っていたとは思うけれど、そういう素敵な瞬間の話は何回聞いても素敵だし、そしてレイさんはそれを自慢とか見せつけるとかではなくて、出来事として話してるに過ぎないその在り方も素敵だった。

意見を求められたミッチーもそうで、日常とは違うシーンでもミッチーはそれを特別だとふりかざしたりはしない風に見えた。

どこかのタイミングでミッチーはレイさんから「今ノムは何が欲しいのかしら?」みたいなことを確実に聞かれたと思う。

実際のミッチーがどんな風に答えたのかは知らないけれど、ただ少なくともノムがペンジュラムに惹かれていることをそのまま見て取って、ノムのことだからペンジュラムに対しては熱弁をふるったのではないかと勝手に思っているけれど(実際に、私と会った後ミッチーに話したとメールに書かれていた)、それさえもそのまま真っ直ぐにうんうんと話を聞いていたんだろうなぁなんて思う。

そして、一番近くでノムの日々を見ているミッチーから見ての「ノムがペンジュラムを欲してる」情報をレイさんに伝えたんだろうなぁと思う。

その全てが何とも粋な流れだった。




今書いてて思った。

ノムと初めてお茶をしたのは5月の終わりだった。

その時に初めてノムの前でペンジュラムを使った。

ちなみに目的は、ペンジュラムを見せることじゃなかった。

出生時間のわからないミッチーのホロスコープの話が出て、ノムはミッチーの生まれた時間を知りたがっていた。

時間がわからないと、どうしてもホロスコープは正確なものが出せない。

ノムを見て、時間というよりも本当にミッチーのことを今よりももっともっと深く知りたいんだろうなぁというのは伝わってきた。

だから、私は合ってるかどうかはわからないけれどと前置きした上で、ペンジュラムでミッチーの時間を出せると思うと言って、それでノムの前で実演した。

実演というより、本当に普段通り単に使ったに過ぎなかった。

他にもペンジュラムをその日は使って、それをノムは目の前で見ていたけれども、私は決してペンジュラムをノムに持つことを促してはなかった。

だけど、その日バス乗り場に向かってノムと並んで歩いていた時、ノムが「僕もペンジュラム欲しいかもしれない」とは言っていた。

けっこうな本気度ではあったけれども、その時の話がまさかレイさんやミッチーも加わっての壮大なストーリーに発展するなんて、あの時は微塵も思わなかった。

あの時、私だけじゃなくノムだって絶対に、自分自ら購入するだろうことを思い描いていたと思う。

その後色んなことを経て、私がノムとミッチーとレイさんと4人で会ったのが6月の終わり。

そのちょうど間ぐらいにノムの43歳の誕生日があった。

5月に会ったのは決してノムにペンジュラムを紹介するためではなかったけれど、もしあの時にノムにペンジュラムを見せることがなければ、ノムはペンジュラムをこのタイミングで手に入れなかった気がするし、さらにはこのペンジュラムがその先の4人で過ごした夜の部の時間のメインになることなんか絶対になかったと思う。

本当に色んなことが寸分の狂いもなく、起こるべくして全て起こっていたんだなぁと思う。

(そして、このシーンを書かなければ、アトリエでのとても大切な時間の中身をド忘れしたままだった( ̄∀ ̄;)。私の中で、アトリエでの時間は、アトリエ見学と前々から見たいとノムにリクエストしていた本を見ることしか記憶になくて、ずい分と長い時間いたけれど何してたんだっけ?とはずっと思っていた。もっと大事なイベントがアトリエであったことを、今書いたことで思い出した( ̄∀ ̄;))




「のむ、みっちー、れいさん(大家さん)という星トリオ」

ノムの3人を表した言葉をそのまま今回のタイトルに充てさせてもらった。

写真はレイさんの母屋の中のものたち。

(順不同)
・ロッキングチェアー…ここに座ったら、もう二度とそこから離れたくなくなるぐらいに座り心地抜群で、次の日の朝、みんながやってくる前にそこに座って身支度をした。
座ってる写真の中のポーチは妹からの誕生日プレゼント、髪ゴムは職場で仲良くなったSさんからのプレゼント。
人様の善意により生活が潤ってる私。

・床の間に掛けられた絵…ノムが描いた絵。レイさんがレンタルさせてもらってるとのこと

・トースター…徒歩10歩くらいのeat LOVE邸から母屋へ運び込まれたもの

・マグネット…ミッチー作のオシャレマグネット



ーーノムとミッチーの日常を描いたサイトーー
eat LOVE

2019年7月1日月曜日

eat LOVE ⑵ もなかでお茶タイム







eat LOVE
(↑ノムとミッチーの日常が描かれているサイト)



エピローグを書いたばかりだけど、すぐに次のを書きたくて書き始めてる。

21時間の滞在とは思えないぐらいに色んなことが盛りだくさんすぎて、それらをどう言葉にしようか、どう構成しようか、それを考えるだけでも楽しい。

本当にあまりにも盛りだくさんだったから、いくつかジャンルに分けて書くことにした。

ジャンル分けも簡単なようで難しくて、断片的なエピソードやノムの書いたメールなんかはどこに入れようかとすぐに答えの出ないものもある。

微妙なラインのものは、ペンジュラムに「こっちかな?」とか聞いてる。

なんなら、久しぶりにノートを出してきて、頭に浮かんだフレーズをメモまでしている。

じゃないと、忘れる。

今回の内容こそ、多分1回じゃ書き終わらないから、多分2つに分けると思う。

どう分けるのかも知らないけれど、多分書き終われば一番良い形に収まってくれると信じてる。

ノムと銀座でお茶した時だったと思う。

「書くことが寄ってくる、ぶしまたさんはそういう感じでしょう?」

(※当時はまだお互いに苗字にさん付けで呼んでた)

本当にそうで、特に人が絡むと基本的に私は題材なんか探さなくてもそこに全部があるから、あとはひたすらあったこと・見たこと・聞いたことなんかを記録するにすぎない。

eat LOVE邸でのことはもろにそれで、創作ゼロでとにかくあったことの記録をひたすら綴る。

ごちゃごちゃとつぶやいてしまったけれど、ここから先が本編。




ノムたちの家の最寄り駅に降り立って驚いた。

「地上に出るにはね…」とかノムが言っていた言葉が「地上!?」と不思議な気持ちで聞いていたけれど、着いて納得した。

ずっと地上に線路があったのに、その駅だけなぜか地下に潜って、まるで地下鉄のような様相だった。

そして、改札から地上に上がるまでの通路や階段が、名古屋の市営地下鉄のどこかの駅と似通っている気がして、初めてなのに初めてな感じがそこまでしなかった。

エスカレーターに乗って、そしてようやく地上に出た時、拍子抜けした。

私の中で勝手に、駅前には大きなロータリーがあって、そしてNさんではなく「ノム」しかも「ノムー!」と叫ぶ感じで初めて呼ぶシチュエーションを思い浮かべていたから、目の前の道路があまりにも狭くて、しかもロータリーなんてなくて、一般道で長くは止めておけないみたいな場所で、まずはそのギャップに驚いた。

ノムの名前をどう呼ぶかが何日か前までの私の1番の考え事だったから、そして最後の最後まで「ノム」と「ノムー」で迷って、最終的に状況で呼び分けることに落ち着いた。

普段はノムだけど、駅前で待ち合わせてお互いに遠くから気付いたら手を振って…みたいな時は「ノムー!」と勢いよく呼ぶだろうシチュエーションまで思い浮かべていて、だからこそその想像した遠近感と実際の距離感があまりに違いすぎて、ノムー!なんて呼ぶ必要のない小さな道路を前に呆気にとられた。

2台だけ止まっていて、よくは見えなかったけれども、私の方を見て手を振ってくれた後ろの車がノムの車だとわかった。

窓を開け放っていて、気持ち良さそうだった。

ノムの町で会うノムは、よく知っているノムと何も変わったところはなくて、唯一の違いはノムが運転していることだった。

BGMが流れてる流れてないなんて気に留める余裕もなく、ノムとの会話が始まった。

何を話していたかなんて全然覚えていないけれど、とにかくあの憧れの聖地eat LOVE邸へ行けるということに胸が躍った。

全体的にのんびりした町で、高い建物もあるけれど、1つまた1つと道を曲がると、全体的に目に映る自然も増えてきて、車の中に流れている空気と外の空気とがマッチしてきた。

途中、無人の野菜売り的なテーブルみたいな台を見つけて、「こんなところで地産地消の野菜が買えるの?」と思わずビックリしてノムに聞いた。

「いや、僕も初めて見た!
あそこね、ご自由にどうぞみたいな感じで、読まなくなった本を置いていくのね。僕も今度置いてみようかと考えてたところなんだけど、野菜は見たことなかったよ。
だけど例えばこんなローカルな町のところに、スピリチュアルな本とか置いたら、誰か読む人なんかいるのかねぇ…なんて思ったりね」

そんな話をしているうちに、ノムはウインカーを出して、その大きな車入るの?というような小径に入って、そして「ここだよ、着いたよ」と教えられた場所は、想像とはずいぶんと違っていたけれども、一目で好きだなぁと思った。

関係ないけれど、今回つくづく自分の妄想力の激しさと、霊感が本当に1ミリもないことを実感した。

ノムたちの家も、この後登場するミッチー(ノムのカレ)やレイさん(ノムたちの大家さん)のイメージも、私の妄想たるや何一つ当たってないことがわかった。

ペンジュラム使ったり、相手の人から無意識の情報をキャッチしたりするから、周りの人たちから私は霊感のある人だと思われることがあるけれど、全く視えないし、妄想的なものはことごとくはずす。

ミッチーに至っては写真まで見ていたくせして、目の前に現れたミッチーと写真で見ていたミッチーとは別人だった。

ミッチーが別人だったのではなく、私の暴走気味の妄想で形作られたミッチーとは似ても似つかなかったということ。

家は、ノムはその通りの説明をしてくれていたけれど、母屋とかアトリエとか言葉だけでは想像が難しかった。

私は大きな屋敷が母屋としてあって、その中の一画がノムとミッチーの家的役割を果たすところで、その大きな屋敷とは別の離れがあって、それは小さな小屋みたいな平屋建てで、それがアトリエなのかな…と。

そして、私もその大きな屋敷のどこか別の場所に泊まるのかな…なんて思った。

実際に行ってみたら全く違っていて、そこだけ大きな土地になっていて、その中に数軒平屋建ての住宅があった。

ノムが「田舎のおじいちゃんの家」と言った意味がわかって、たしかに自然が新潟の田舎の私の家の周りよりも多かった。

その土地の中だけやたらと大きな木が生い茂っていて、東京とは思えない豊かな自然がそこだけ広がっていた。

私は要冷蔵の地元の特産を持ってきていて、それを早く冷蔵庫に入れるためにもノムに「冷蔵庫がいる」ということは伝えておいた。

ノムが「荷物も置かなきゃだし、冷蔵庫にも入れないとだから、まず母屋に行こうか」と言って、その中の一軒を目指して行った。

石畳みじゃないけれど、石のステップがある昔ながらの玄関には小さな黒のスニーカーが一足あった。

レイさんは小柄な人なんだな…とそれ見て思った。

そもそもスニーカーが意外だった。

私の中でこれまた勝手に「大家さん=きらびやかにしている女性」みたいなのを想像していた。

ヒール履いたりワンピース着てたりみたいなのを思い浮かべていた。

しかも、星を見るために新潟まで車を飛ばしちゃう女性だから、パンクな感じの性格まで勝手に想像していた。

ノムが玄関先で「レイさーん」と呼びかけると、奥からレイさんが出てきた。

想像とはおおよそ真逆の女性が立っていた。

小柄は小柄だったけれども、ジーパン履いてたか覚えてないけれど、楽チンに動き回れる格好で、そして気さくな感じの、普通に一緒にスーパーに行けちゃいそうな、本当に朗らかな雰囲気の方だった。

パンクな性格ではなく、細かなことに目が届いて、きっちりするべきことはきっちりしてるのが好きという感じの、私個人は打ち解けやすい感じの女性で安心した。

そもそもノムたちと仲良くする女性だから多分大丈夫だろうとは思っていたけれども、ごくたまにどこをどうやっても合いそうにもない同性の人っていて、そのタイプだったらどうしよう…と少しだけ心配はしていた。

そうではないことだけじゃなく、「あ、なんか打ち解けられそう!」と最初から思えたのはすごく良かった。

変な人見知りも発動せずに済むぐらい、とても気持ちを楽にできる、気持ち良い時間を共にできそう!ってすぐに思えたぐらい、レイさんには安心感と安定感があった。

しばらくして、ミッチーもやってきた。

ミッチーのことを私は「強面な超いかついダンマリ兄ちゃんみたいな人」を勝手に想像していた。

ノムが、1人でいる時はグイグイ来られても、ミッチーといると静かにしているミッチーの空気を相手が読むのかグイグイ来られなくなる、というようなことを言っていた時があって、それでノムみたいな柔らかい雰囲気の人には強面なカレが付いていて、そのカレを前にするとビビってみんなノムの領域に土足で踏み込まなくなるんだな…、と得意の脳内大変換をして勝手に解釈をした。

(グイグイ来られるというのは、ノムのホロスコープから読み解ける性質の1つで、いつかの講座の後のカフェタイムで、先生から「そういうことないですか?」とノムは聞かれていて、それで知った情報。)

そして、その思い込みでeat LOVEに出てくるミッチーを見ていたから、「うん、物静かで怖い感じの人かも…」という大変失礼な勘違い像を刷り込んでいた。

ノムの方が年上だけど、ミッチーの方が年上に見えてしまうぐらい貫禄があるんだろうなぁと思っていた。

私が例えばノムに失礼なこと言うとかしてやらかして、ミッチーから睨まれないように気をつけないといけないかも…、とそこまで私の妄想は暴走していた。

そんな先入観を持ったままミッチーに会ったから、私が思っていた人物像と真逆すぎて良い意味でものすごくびっくりした。

ミッチーは怖さなんか一切なくて、ノムもそもそもとても穏やかでやさしい感じの雰囲気を持っている人だけれど、ミッチーはそのノムの穏やかさややさしさをもっともっと柔らかくした感じの雰囲気で、私が知っている男性陣全員の中でもトップ3どころか1位を獲得しそうなぐらいに穏やかで心が本当にピュアなんだろうなぁとすぐに感じた。

そして成人男性に対して失礼な言い方かもしれないけれど、その出逢った後から色んなミッチーを見ては、そのミッチーが可愛くて可愛くて仕方なくて、私はミッチーに超メロメロになった。

レイさんにしてもミッチーにしてもそれぞれの個人を軸に文章を書こうかと思ったほど、私は2人のことが一瞬で好きになった。

レイさんとミッチーは、これまでに体験してきたどの人間関係とも違っていた。

まず、お互いに利害関係とか仕事みたいな枠組みの中で何かを積み重ねる必要が一切無いから、ひたすら自分の気持ちにだけ集中できる関係だった。

恋愛とか家族とも違う、本当に言葉では説明のしようのない不思議な繋がりのメンバーだったから、目指す方向とかないまま1から関係が作れる、本当に自由度の高い特別な存在だった。

2人が私をどう思うかなんて気にせず、私は私で2人をそのまま好きでいたらいい、しかもそれを恐れずに堂々と好きでいられるのがすごく楽チンだった。

普段ならそんな風に誰かを好きになるとかはない。

だけど、これは魂が成せる技だと思うけれど、本当に好きだけをひたすら追いかけていられて、そしてその好きを疑わずに自分の中で真っ直ぐ受け止めていられるって、私の場合ほとんどない。

ちなみにそれはめちゃくちゃ気持ちの良い感覚で、実は人間関係の基本はこれだけシンプルな気持ちで出来上がるものなんだと感動した。

しかも関係の発展とか構築とかも考えなくて良くて、本当に純粋に今この瞬間をどこまでも楽しんだらいい、愛おしんだらいいなんて、そんな最高なシチュエーション、なかなかない。

普段の防衛反応とか人間観察の癖がストンと抜け落ちていて、やや緊張しながらも、自分自身もあまり見たことのない自分で、それはそれで驚いていた。

今こうして書いているからいちいち言葉で説明しているけれど、その時はその時に集中するのが目一杯だった。

言葉で説明しようと当時を振り返ると、ノムのこともミッチーのこともレイさんのことも、本当に愛おしくて仕方ない気持ちで溢れ返っていた自分に気付く。

3人の存在も、3人との時間も、3人と共に作る空間も、あれは私の中でものすごく特別だった。




行く前にノムからひとつだけリクエストされた。

何個か前の記事に私は地元のおいしいもなかのことを書いた。

「あ、もってきてほしいものなんだけど、
もし、時間とかもろもろタイミングあったら、、、
ブログにでてきた、もなか食べてみたい!です ^:^
なんか、読んでいて、惹かれて......。
もしも、タイミングなどなどあったらば!!」

こんな風にもなかをリクエストされて、これは行く前から色々と思い出を生み出すものとなった。

そもそも何が新鮮だったかというと、そんな風に「何が欲しい」ときちんと口にしてもらえたこと。

私の中でそんな風に自分の望みを口にするってハードルが高い。

しかも、これまでも色んなお家にお邪魔してきたわけで、そんな中あらかじめ何が欲しいとリクエストされたのはノムが初めてかもしれない。

これは少し行間を読み解くと、「言っても大丈夫」と思ってもらえることがまず大前提として必要。

そしてもしかしたら、ノムは後天的に言えるようになった人という気がする。

この間最後の講座の後のカフェタイムの時のこと。

全員で8人か9人いた。

お店の人が、ケーキセットのアプリコットのタルトはラスト4つと言っていた。

注文の時ノムも「はい」とそぉっと手を挙げていたけれど、周りをキョロキョロ見渡しながら、もし他にも欲しい人がいたら僕はいいよみたいなことを言ったかそんな仕草をしたかどちらかだった。

ノムは決して「僕は絶対に食べたい!」と主張するタイプじゃない。

もなかのリクエストがノムにとってどれだけ普通な行動だったのかは知らないけれど、そういうのって大人になればなるほど難しくなる。

だけど、そんな回りくどい大人特有の気遣いよりも、ストレートに「食べたい!」と言ってもらえることのすごさを私は感じずにはいられなかった。

無事に手に入れた私は、eat LOVE邸への荷物準備で何に一番気を使ったかというとこのもなかだった。

何かの時にも私は持ち歩いたことがあって、それは妹の家とかだったかもしれない。

その時に到着したら、もなかの皮がかなりぼろぼろになってしまっていて、そのことが頭をよぎっていた。

元々動き方がガサツな私が、しかも電車移動が最低でも2回ある中で、もなかの形をそのまま維持して手渡せるとは到底思えなかった。

色々考えて、タッパに入れて持ち歩くことを思いついた。

4つちょうどきれいに入って、私はそれだけで満足した。

このタッパ作戦は、形だけじゃなく匂いも封印してくれて、eat LOVE邸に着いた時も香ばしいもなかの皮の匂いがそのままだった。

そしてその匂いをみんなで順番にかいだ。




そのもなかをノムが「母屋」と呼んだ家の中の客間的な二間続きの和室の部屋でいただいた。

レイさんが4人分の温かい日本茶を淹れてくれて、それぞれが四角いテーブルの一辺に着いて、若干はじめましての緊張感が空気に混じりながら4人でもなかを食べた。

色々緊張していたはずなんだけど、私は最初からあの空気にそっと包まれてリラックスしていたと思うエピソードがある。

基本的に人の呼び方には、特に初対面の時にはすごく気を使う。

仕事なら「武士俣さん」「佐藤さん」みたいなのでいいんだけれど、完全にプライベートな場だと呼び方ってけっこう難しいものがある。

「レイさん」はさんが付いているし同性だからそれで大丈夫な気がしたけれど、ミッチーは正直どう呼ぶのがいいのかわからなかった。

長年の付き合いの男友達、特に年下の男友達の呼び方を今振り返って思う。

下の名前を呼び捨てできる人はそうする。

だけど、なんとなくそうじゃない人は、苗字にくん付けが私の中のスタンダードになっている。(同い年や年上の男友達の呼び方はまた別)

っていうか基本その二択しかないから、たとえ周りがみんなニックネームで呼んでいても私は1人くん付けを続けるところがある。

話は戻ってミッチー。

たしかにノムとのやりとりで「ミッチー」って呼んでいたから馴染んではいたけれど、私は本物のミッチーを前にした時に、本人にも聞かず「ミッチー」と普通に最初から呼びかけている自分を見て、自分で自分にビックリした。

それが普通に許されていたんだろうなぁと思う。

普段絶対にそれをしないのに、あの時はとても自然に口から「ミッチー」と出てきた。

それが当たり前のように口から出ていて、そして回数を重ねれば重ねるほどしっくりと馴染んで、もうまるでそれが当たり前みたくなっていた。

3人と一緒にいると、何かがすべて許されてしまうみたいな、本当にいてくれるだけでいいよみたいな空気感がある。

もちろんそこに行くまで一朝一夕では絶対にないだろうし、それぞれの関係性を思えばそんな簡単には片付けられないことだって絶対にあると思うけれども、基本の空気感がそれだった。

自分を作ったり良く見せたりよそ行きの顔をしたり…、普段ならやりかねないことを1つもしなくて良かった。

打ち解けるのに時間がいるならその状態のままそこにいられた。

若干お互いに距離感を確かめるようなお茶タイムだったとは思うけれども、それさえもそのままで良かった。

3人が出している空気は「そのまま」にしておくことだった。

どの状態も良い悪いとかで区別せず、そのままであることをそのままにしておける、私は今まで一度も見たことのない状態だった。




夜は何が食べたいかを聞かれた。

「しまった!」と思ったのは、ミッチー料理の予習が足りないことだった。

私は穴が開くほどにミッチー料理を『eat LOVE』で見ていたのに、それぞれの料理が何かということまでは見ていなかった。

まさかそこでも何が食べたいかを聞かれるなんて考えてなくて、とっさの質問に半分パニックだった。

あまりに急な質問で、頭の中に唯一浮かんだ芽ひじきのサラダがあって、それをリクエストした。

他はお任せで、しかも好き嫌いもないから私は何でも食べれると伝えて、ミッチーとレイさんにお任せした。

今回唯一の反省点がそれで、私は昨日あたりまたeat LOVEを見て、今度は写真のみを見て、次いつになるかもわからないeat LOVE邸合宿に向けて、食べたいリストを早速作った。

しかも次もレイさんもいる前提だから、ミッチーにはミッチーへの、レイさんにはレイさんへのそれぞれのリクエストを私は早速考えついた 笑。

万が一ノムからも「僕にもリクエストしてよ」と言われたら、私はそれもリクエストできるようにしておこうと思う。




書きながら気付いたけれど、色々頭の中に残っているから、もうまとめようとかは考えず、出てきたものを書くことに方針変更した。

この後ノムたちのアトリエに連れて行ってもらったり、ごはん食べたり、夜の部の時間があったりと行動もてんこ盛りだった。

他にも、ノムとミッチーとレイさんの3人の話もある。

どれをどの場面で聞いたか覚えてないから、3人の話は3人の話だけで独立させて書こうと思う。

本当はもなかのお茶タイムの時も色々あったと思うけれど、記憶がかなり飛んでしまっている。

私なりに緊張していたんだと思う←かなりすぐに馴染んでたくせに。

私が余計な話ばかりしているけれど、本当の本当に書きたい!と最初に思ったことは3人のことと3人が作る世界のことだった。

それは絶対に書くけれど、それはいつになるかな…と思うくらい他の情報が多すぎる 笑。

家の特徴はこの後またおいおい書いていこうと思う。




写真の中の台所は、アトリエの中の台所。

実際に訪ねた時の色のままで、少し薄暗くて、その薄暗い中に黄緑の葉っぱが窓の向こうに見えてとてもきれいだった。

見えにくいけれど、湯沸かし器の左側に「愛」と書で書かれた色紙が置いてあった。

こんなにも「愛」という言葉が似合っている場所も他にないと思った。