2018年2月3日土曜日

1つめのプレゼントの前に…


水曜日の帰り道、「明日2月1日から誕生日の前日まで1日1つのプレゼントを自分にあげよう!そうすると丁度38個のプレゼントが用意できる!」と思ったところまでは良かった(38個のプレゼント) 。


いつぶりに拝んだのかわからないほどの太陽が今日お出ましとなり、昼休みはすぐ近くの道の駅に出かけた。


その時車の中でひなたぼっこしながら少し書き物もして、なんとも粋な昼休みを過ごしていた。


それを今日のプレゼントにしても良かったけれど、それではいまいち初回のプレゼントにしては物足りなく、とりあえずこれはプレプレゼントということにして、メインはまた新たに何か別のものにしようと心に決めた。


午後の仕事中も、何をプレゼントにしようか…と何回考えたかわからない(←今日はいつも以上に頭を使わなくていい仕事だった)。


色々考えた結果、家でひとりカフェをすることにした。


クローゼットにしまわれているカップを出して、この間おばから届いたドリップコーヒーで珈琲を淹れて、そしてちょっとしたお菓子を用意して…。


お菓子のことは忘れていたけれど、帰りにコンビニに寄った時にたまたま値引きされた大きなクッキーを見つけて、それをおやつにすることにした。



コンビニ自体10日~2週間に1回ぐらいしか行かないから、今日たまたま行って値引きクッキーを見つけたのはとてもラッキーだった。


そもそもコンビニで値引きされることはそんなにないし、今日寄ったコンビニは初めて立ち寄ったところでもあるから、そんなに値引きをするところだとは知らなかった。


スーパーの値引きと違ってコンビニの値引きは、個人的にとても得した気分になる。


コンビニを出る時も、赤信号で止まっていたおじさんが私が出れるようにと、わざわざ車をバックしてまで通してくれた。


なんてラッキーだろう!とおじさんに何度も頭を下げて家に戻った。


ボケっとして運転してたら曲がる道で曲がることを忘れてまっすぐ突き進んでしまった。


そこは雪が降ると道の状態がすごく悪くなるからいつも避けていた道だった。


でも今さら引き返すのも面倒だし、それで帰れないわけじゃないからそのままその道で帰ることにした。


こういう時って本当に不思議で、いつもはしないことをしたら思わぬ幸運に恵まれたりする。


今日もそうで、いつもとは違う道を通ったら、なんと昨日の皆既月食では見られなかった満月を、今日は満月ではないけれどそれに近い形の大きな月を見ることができた。


1ヶ月の晴れの日を片手で数えてもまだ指が余るぐらいに晴れない新潟県。


それがこうして晴れて大きな月が見える、しかも道を間違えたことで周りに何もない場所を通ったから、より一層月がはっきりと大きく見えるようになっていた。


1個目のプレゼントの日は何て素敵なことが起こるんだろう♪と1人で感激しながら帰った。

 

そこまではものすごく良かった。


そこから先、私はどっと疲れが出た。


おうちカフェに伴い、食器を出すのと同様、それらを置く漆塗りのお盆も出す予定でいた。




↑こんな風にして好きな言葉を紙に書き写してた。
『世界から猫が消えたなら』はとても良い本でおススメです☆

これは百貨店で何度も行きつ戻りつしながらもやっぱり気になる!と思って持ち帰ってきたお盆だった。


百貨店と言えども、私が見つけたのは割引ワゴンの中。


割引と言っても相手は百貨店だから、ホームセンター的なお値段ではない。


でも一生モノだと思えば、安い買い物だと思った。


そこで思いきって買った。


実際に使い始めたら、もうそれがあるだけでどれだけ素敵なおうちカフェとなるんだろう…というぐらいに素敵なもので、もう元は取れるぐらいに使った。


そして仮住まいのアパートにも持って行ったものだから、それがあることはわかっていた。


だけど、ちょっとだけ嫌な予感がした。


実は引っ越して部屋を片付けた後、ものすごーく大切にしているものを2つ失くしていて、それを探すために部屋の中にある全ての段ボールをもう何回も見た。


その時にお盆を見ていないことがうっすらと脳裏に浮かんだ。


気のせいでありますように…と祈りながら、お盆探しを始めた。


2回ほど部屋の段ボールを全て開けて見たけれど、お盆はなかった(汗)。


どうしてこうも大切にしているものを次から次へと紛失するのか不思議でならない。


というより、この自分の管理能力のなさにどっと疲れが出る。


あまりにも気になって、家に運び込まれてる他の段ボールもあさったけれど、とりあえずはなかった。


今日はあきらめて、また時間のある時に探すことにした。


出てこないのは仕方ないからあきらめて、それでようやくおうちカフェはこんな風になった。




これはこれでとても素敵なカフェに仕上がっている。


カップは、いつかの誕生日の時に友達が贈ってくれたもの。

 

~これを選んだ理由~

美術の場合、作品の制作にのめり込んで何時間も経っているときがある。

そんなとき、未完成の作品を少し離れて眺めながら一息入れる。

僕の場合、必ずコーヒーを飲みながら(笑)

そうすると、なんとなく「こうなったらいいなぁ」「こうしたいなぁ」っていうビジョンが見えてくる。

休息=作戦タイムみたいに。

そんな時間を大切にしてほしくて選びました!!

 

という手書きのメッセージももらった。


そのカップを久しぶりに取り出して、今日の1個目のプレゼントの舞台でも活躍してもらった。


カップの下のソーサー的なものは、妹夫婦からの何かのお返し。


姪っ子の誕生祝いのお返しだったような気がする。


妹のだんなのお兄さん夫婦はアートをしている。


物を作ったり絵を描いたり色んなことをしていて、そしてもらったソーサー的なものは2人のデザインの代表的な作品の1つ。


元は、ゴミと化したものからお兄さん夫婦はデザインを起こしている。


最初そのデザインのでどころを聞いた時ものすごく驚いた。


いつだったかは名古屋で個展開催をされたことがあって、私はそこに足を運んできた。


お2人ともとても素敵な方たちで(その時が初対面に近かった)、その時にこのソーサーのデザイン画も見てきた。


2次元の紙の上にしかなかったデザインが今度はソーサーのような形に生まれ変わって、妹夫婦経由で送られてきた。


色んな思いや情熱を注ぎ込んだものたちが今目の前にある。


ソーサーとして使ったのは初めてだけれど、とても良い。


すごく素敵なデザインだなと改めて思う。


クッキーのお皿は、私が気に入って買ったもの。


2枚あったけれど、1枚しかないところを見ると1枚は割ったと思う。


結婚や同棲することをひたすら念頭に置いて集めたお皿たち。


2枚あるものは私は必ず2枚購入していた。


結局どちらも実現することなく今に至るけれど、それでもやっぱりお皿は何回使ってもいい。


お盆は絶対に捨てていないし、両親たちは捨てれない人たちだから万が一2人の荷物に紛れ込んでても間違って捨ててることもないだろう。


またゆっくりと探して、いつかそのお盆も復活させたい。

 

思い付きでやってみたひとりカフェのプレゼント。


自分が思い入れのあるものたちを使うことで、また思い出が1つ増える。


まさかカップやソーサーをもらった時に、こんな風に使うことなんて想像すらしていなかった。


物って一度自分の手元にくるととても不思議なもので、そこからまた新たにストーリーが生まれる。


友達は休息と作戦タイムを兼ねた時間もプレゼントしてくれたけど、実際はそれ以上にもっと心が潤う素敵な時間をたくさんプレゼントしてくれている。


車の中で思い付いた時は1日1個のプレゼントと思ったけれど、実際に今日そのようにしてみて、手にするプレゼントは1つでもその実もっともっと色んなプレゼントが奥に隠されていることに気付いた。


また明日からのプレゼントが楽しみで仕方ない。

追記:明日と書いた2月2日はバタバタしてるうちにすっかりプレゼントを忘れた(汗)。
この文章を保存した時、文字数が3111になって、自分の誕生日と同じ数字でうれしかった。

名古屋メモリーズ ②名古屋出発前の3つの出逢い


40社ほど受けて唯一内定がきた仕事の勤務地が名古屋だった。

正直名古屋というのが縁もゆかりもない土地すぎて、すごく迷った。

外国には住めるくせして国内のある都市となると途端に不安だらけになって、もう少し転職活動を延長してもいいんじゃないかと思った。

さらには仕事の福利厚生の面でも不安なところが出てきて、本当にそこに飛び込んでいいものかと思った。

でも私は名古屋に行くことを最終的に決断した。

どうして名古屋にしたのか、今でもその理由をとてもよく覚えている。

私の名古屋行きは2人の人と名古屋のある場所との出合いで決まった。

今振り返ると、その3つの出来事は本当に寸分の狂いもなく起こってくれていて、そのうちの1つでも欠けてたら、もしくは起きたこととは別のことが起こっていたとしたら、私は名古屋に行かなかったと思う。

実際に名古屋行きやその勤めた会社に関して警告を出してくれてた人たちもいた。

だけど私はそれでも名古屋を選んだ。

今日はその3つのことについて書きたい。

 

1:トモさん(仮名)との出逢い

ドミニカから日本に帰国してすぐ、私は東京に住んでいる妹の紹介でマッサージに行った。

それは池袋の駅から徒歩3分くらいのところのタワーマンションの一角にあった。

看板も宣伝も一切出ていない。

紹介されなければそんなマンションの一室にマッサージ屋さんがあるだなんて誰も知らないだろう。

妹も仕事の人から紹介されたとのことだった。

それがトモさんだった。

本当のプライベートサロン風で、大きな水晶やら名前の知らない石やらが置かれていて、初めて目にするタイプの空間だったけれど、とても居心地が良かったのは覚えている。

私は帰国して3日目前後でどうやら行ったらしく、後から妹からこんなことを言われた。

「史子が最初にトモさんのところに行った時は、史子時差ボケでほとんど寝ていて覚えていないって言ってたんだよ。

そして名古屋の話が出た時に、トモさんにそれとなく聞いたら『名古屋武士俣さんに合ってると思いますよ』って言われて。たった2回しか会ってないトモさんに合ってると言われてそれで決めた史子見て、本当に驚いた」

トモさんにそう言われたことはよく覚えている。

だけど、それで決めたと妹の前で言ったことは一切覚えていなかった。

しかもそれを妹が私に言ってきたのは、名古屋に行ってから最低でも2年か3年経ってからだった。

トモさんにどんな風に切り出したのかも、相談する風な感じで言ったのかも、そういうことは覚えていない。

だけど「名古屋武士俣さんに合ってると思いますよ」と静かにほほ笑みながら言ってくれたことは覚えている。

そして私はトモさんが霊視的なことができる人なのかどうかはわからないけれど、もしかしたらそういうことが多少はわかってた人なんじゃないかなと今になって思う。

少なくともトモさんは、百発百中体の悪いところを毎回言い当てる人だった。

ある時私は本人に直接何でわかるのかを聞いたことがあった。

「お客さんに会うと、その人の痛いところが私も痛くなるんでそれでわかるんですよ」と言っていた。

世の中そんな人がいるんだとびっくりしたと同時に、だからいつも確実にその時に悪いところとか弱ってるところをケアしてもらえてるんだなと思った。

すごい余談だけど、それを最初聞いた時「それすごい!」と思ったしトモさんにもそう言ったけど、まさか自分も名古屋にいる間にそれとは別の体感覚が出てくるようになるなんて当時はゆめゆめ思わなかった。

それもいつかの名古屋シリーズで書いていく予定。

最初に言うと、私が名古屋に行った理由は、そういうあまり聞いたことのないような自分の力に気付いたり、それが当たり前だよということをさらりと言ってくれる人たちに出逢ったり、そういう私をそのまま受け止めて付き合ってくれたり、そうした知恵がわんさかと与えられたり、そういうことのために行ったようなものだと思う。

全く想像もしていなかったことが次々起きて、だからこそ名古屋に行ったんだろうなぁと思う。

 

2:神社との出合い

2次面接で人生で初めて名古屋に行った時のこと。

その日は朝新潟を出てそれで名古屋に直で行った。

これも全部全部予定調和だったと今だからわかる。

 

当時私は、就職活動をしつつも、全国あちらこちらと言っても基本的には本州の部分のどこかにいる友達にたくさん会っていた。

本気で自分の生き方に迷っていた当時の私は、色んな人に会ったらいいと思って、暇とちょっとした小金を持っていたから、それらを利用して本当にあちらこちらに出向いて友達に会ってきた。

その時のこともいつかは書くかもしれないけれど、今は割愛。

そんなことを同時進行でしていた私は、一度面接のために新潟から遠くへ行く時は、一気に色んな予定を詰め込んだ。

だから面接も自宅から行く時もあれば、どこか友達の家から行く時もあった。

名古屋の時は自宅から直で行って、おそらくその後色々と予定を詰め込んだと思う。

その日は自宅から行ったものだから、母親が朝弁当をこしらえてくれて、それを持たせてくれた。

母はスーパーやコンビニの弁当の容器を取っておいて、そこに詰めてくれる。

だから弁当は食べたら適当なゴミ箱に捨てればいい。

その日もからあげや卵焼き、おにぎりの入った弁当を持ちながら、そしてスーツケースを持ちながら、会社の本社に行った。

面接の前なのか後なのかは忘れたけれど、その弁当を食べるにあたり私は場所を探さないといけなかった。

本社のある駅に着くと、ビルビルビル+アスファルトだけという場所に圧倒された。

弁当を食べる場所なんてとても見つけられそうにもなかった。

自力で見つけるのは無理だから、人生で最後になるだろうガラケーの地図を開いて、近くに公園とかがないかを探してみた。

GPS機能を最初に開発した人には心底お礼を言いたい。

1つ神社がヒットした。

本社から徒歩2分もあれば行ける。

弁当を広げられるかどうかはわからないけれど、とりあえず行ってみようと思って地図を頼りに行った。

その神社に行って驚いた。

私が子どもの頃よく遊んでいた近所の社ととても雰囲気が似ていた。

のちのちよく見ると、その神社のような厳かな雰囲気は私が遊んでいた神社とは似ても似つかない気がしたけれど、それでも足を一歩踏み入れた瞬間、「本町に住んでた時のあそこと一緒だ」と真っ先に思った。

それは懐かしさだけじゃなく、安心感のような安堵する気持ちも同時にもたらした。

そして私はそれを見て「名古屋でやっていけそうな気がする」と直観で思った。

何の根拠もないけれど、その場所に立ってそこの空気を吸った時に、「大丈夫」と思えた。

ちなみにこれは後から会社の人たちに聞いて知ったことで。

本社から徒歩2分の場所にも関わらず、その神社は駅を背中にしたら本社とは真逆の方向にあって、本社が左側にあるなら2つの大きな幹線道路をはさんで右側にその神社はあった。

しかも神社は幹線道路から脇に1本入った道に入らないと見えないようになっていて、その脇道も用事がなければ絶対に通らない道だった。

だから会社の誰に聞いても「そんな近くに神社があるなんて知らなかった」と皆が言っていたのも無理はない。

そこは私だけの秘密基地みたいで、私は実際に仕事に行ってからもよく1人で通ったし、そして仕事を辞めてからもそして最後名古屋を出る時も本当に何度も何度もその神社には通った。

なんなら、去年のお盆休み、当時三重に住んでいた妹夫婦+姪っ子を訪ねに行った時、名古屋にも立ち寄ってその神社に行ってきた。

とにかく、母親が持たせてくれた弁当のおかげで私はその神社に行くことができた。

もしあの日友達の家から名古屋に向かっていたら…

もしあの日母親に荷物になるから弁当とか絶対にいらないと言っていたら…

もしあの日母親が弁当を作ろうと思い付かなければ…

たられば話になってしまうけど、本当の本当に全てのことがぴったりと重なり合わないと絶対に出合えない場所であったことは確かだった。







 

3:ハローワークのおじさん

仕事が内定してからも私は名古屋に本当に行くかどうかをずっと迷っていた。

それはトモさんの言葉の力も、偶然出合えた神社の存在さえも帳消しになるぐらい、不安の方が大きかった。

というより不安しかなかった。

そこに追い打ちをかけるように、年上の友達の友達からアドバイスをもらって、それをその通り会社に聞いたら、曖昧にしか答えない会社に余計と不信感を募らせた。

友達の友達は企業にお勤めの方で、福利厚生に関してとても詳しかった。

20代の私は採用のされ方も特殊であれば、日本の学生がする就職活動をしてないから福利厚生の言葉すら知らずにいた。

ましてや企業の福利厚生なんてもっと知らなくて、それで友達の友達が入れ知恵をしてくれた。

私は会社に電話をかけて、有給・退職金・年金あたりについて問い合わせたと思う。

これは無知だったから本当に良かったことで、これが普通に福利厚生についてきちんと知識があったのなら私は100%その仕事を断っていた。

とにかく歯切れが悪く、的を射ない答えが返ってきた。

ここでどうこう聞いてもらちが明かないと判断した私は、数日後今度はハローワークに行って相談した。

内定をもらったけれど、その会社の福利厚生について不安があるから相談したいと受付で言って、それで自分の番号が呼ばれるまで待った。

 

細かい質問は忘れたけれど、まず最初に聞いたのは「週休制ってなんですか?」だったことは覚えてる。

週休2日制という言葉しか見たことなかったから、「週休制」という意味がわからなかった。

おじさんがそれは週に1日の休みという意味で、労働基準法的には違法にはならないと説明してくれた。

まずはそれだけで心が折れた。

「えっ!?週に1日しか休みないの?」とそれはそれは驚いた。

これも余談だけど、ドミニカで私がいたところというのは、「南の島の大王はその名も偉大なハメハメハ」のハメハメハ大王の歌にあるように「雨が降ったらお休みで」という職場だった。

嘘じゃなくて本当で、朝雨が降ってそのうち小雨になってから仕事に行った最初の日のこと。

行ったら同僚から「フミコ、何で来ちゃった!?今日は雨だから誰も来ないよ。休みなんだよ、こういう日は」と説明を受けた。

それにも驚いたけれど、私は続けて聞いた。

「今日みたいに朝雨降ってても途中で止んだりした日はどうしたらいいの?」と聞いた。

すると同僚は「そういう日は僕に電話して!フミコ僕の番号持ってるでしょ?聞いてくれたらいいよ。じゃないと、来るのだって交通費がかかるんだからお金がもったいない」とまで言われた。

「とにかく雨が朝降ったら来なくて大丈夫だから!」と念を押された。

だから私はその日以降、朝雨が降ったら本当に仕事は連絡もせず休んだ。

最初は違和感があったけれど、そのうち味をしめて「明日雨が降りますように」という実にアホな願い事をするようにまでなった。

(ドミニカ人の名誉のために言うと、こんな職場ドミニカでも珍しいです)

いつだったかは、日本人の友達と飲みがメインなのか麻雀がメインなのかわからない休日を過ごした日、帰る頃大雨となって帰れなくなり、私は翌日晴れ渡っているにも関わらず職場に電話して「昨日○○という町に来て雨で帰れなくなったから(←これは本当)、だから今日は移動するだけで終わっちゃうから仕事休むね」と電話をした。

「OH、NO!それは大変だね。フミコ気を付けて帰ってくるんだよ」と言ってもらい、しれっと休んだ日もあった。

そんな生活をして日本でも転職活動という名のニート生活を半年ほどして、その後いきなりの週1の休み…。

もうやっていける気が0%どころかマイナス100%だった。

その後も福利厚生のことについてハローワークのおじさんからあれこれレクチャーを受けた。

ぱっと見、定年間近のおじさんだったと思う。

それもこの道最低30年は国家公務員というおじさんだったと思われる。

そのおじさんが、色々私が聞いてそして説明してくれた最後、私にこう言った。

「武士俣さんが大丈夫と思ったら大丈夫ですよ」

もう1回言う。

国家公務員のおじさんが、安定第一のようなおじさんが、

「武士俣さんが大丈夫と思ったら大丈夫ですよ」と言ったのだった。

しかもおじさんは安易に言ってるのではなかった。

それは福利厚生とかそういうことじゃなくて、私の人生そのものに対してのアドバイスみたいだった。

それを聞いて、私はとりあえず大丈夫だと思った。

そしてダメならすぐに戻ってきたら良いんだ、と気を楽にして名古屋に向かった。

 

私は今でも思う。

トモさんが「名古屋武士俣さんに合ってると思いますよ」と言ってくれたこと。

面接の日、母親が弁当を持たせてくれたおかげで自分が子どもの頃よく遊んでいた社と雰囲気が似ている神社に巡り合うこと。

ハローワークのおじさんが「武士俣さんが大丈夫と思うなら大丈夫ですよ」と言ってくれたこと。

そういうことって後にも先にもそれ1回きりで、そしてそれらの出来事がなければ私は名古屋に行く決心が絶対につかなかった。

人生の巡り合わせには不思議なものがある。

ハローワークのおじさんにはそれ1回きりしか会っていない。

担当者は毎回違っていたし、そんな相談はそれ一度きりしかしなかった。

トモさんは今もトモさんにしかできない癒しをどこかでしてると思うけれど、その数年後日本を離れて海外で施術を始めた。

だからもうあのサロンに行ってもトモさんはいない。

神社はあの通り、会社の人で知ってる人は他に誰もいなかった。

すべては巡り合わせで、それは今思うと、私が名古屋で必要な出逢いと必要な体験をするためには私が選択を誤らないように私の人生に現れてくれたんだと思う。

~名古屋メモリーズ~

名古屋メモリーズ ①転職活動


30歳になった私が本格的に転職活動を始めたのは、2009年の夏だった。

日本帰国=無職確定だった当時の私。

結婚という選択肢が完全になくなった私には、働く以外の選択肢がなかった。

結婚して専業主婦とか、誰かとどこかで暮らし始めるという選択肢がない以上は、もう自分で自分の人生を進んでいくしかなかった。

20代の私は2つの異なる福祉関係の仕事をしていて、そして2つの仕事ともすごく特殊な感じで決まったから、企業に対しての就職活動というのはその30歳の時が初めてだった。

タワーマンションに旦那様と引っ越した絶賛つわり中だった大学時代の友達を訪ねて、人事や面接もしていたその子にまずはどんなスーツを着て行くのかや、面接の受け方、職務経歴書の書き方、その他諸々指導受けながら、まるっきりの手探りで始まった就職活動だった。

40社は受けた。

ガチの就職活動だったから、履歴書はさておいても職務経歴書や志望動機はその都度書き変えて、作業そのものが本当にしんどかった。

しかも「絶対にこういう仕事に就きたい!」なんていう強い思いなど1ミリもなく、まずはどの仕事なら少しは興味を持てるかから検討して探していかなければならないところからのスタートだった。

就職活動はしんどいだけの何ものでもなかったけれど、一つだけ決めていることがあった。

ずっと長いこと心理やカウンセリングをもっと専門的に極めていきたいという気持ちを持っていて、仕事しながら学ぼうと決めていた。

だから私は東京都内の仕事ばかりをひたすら探していた。

東京ならそういうことを専門に学べるスクールがいくらでもあるだろうと踏み、実際に行きたいスクールも見つかった。

記憶にある限り、採用された1社を含め5社の面接に行った。

もしかしたらもう1、2社面接に行ったかもだけど、40社も受けながら面接に行けたのはごく一部だった。

その採用されたところが名古屋だった。

私はその1社からのみ内定をもらった。

1次面接は東京で、なんと妹が当時住んでいたところから歩いて行ける場所にあった。

1次が通り2次面接の連絡を受けた時、次は本社の名古屋ですと言われた。

もちろん名古屋になんかさらさら行く気のなかった私は、1次面接でも東京採用希望ということを熱くアピールしてきたし、それ以外の選択肢なんてまるっと考えていなかった。

名古屋も単に面接のためだけの名古屋と思って行った。

そして面接の後、名古屋採用での連絡を受けた。

全く望まない名古屋採用。

誰も知っている人がいない名古屋。

かろうじて行きたいと思っていた学校が名古屋にも名古屋校として存在していることがわかったけれど、やっぱり不安しかなかった。

それでも行こうと決めた理由は、1つにはもう就職活動が本気で嫌になっていたから。

山ほど不採用通知を受け取り、とにかくどこでもいいから就職したいという気持ちでいっぱいだった。

安易にとりあえず働きながらまた考えればいいとも思った。

でもその先が名古屋というのはどうにも解せなかった。

本当に嫌なら、すぐに辞めて帰ってきたらいい、親もそれに対しては全く反対しなかったから、それで名古屋行きますと返事した。

でも本当に名古屋行きを決めた理由はもっと別の理由だった。

当時面白いことが3つほどあって、その3つが一番の決め手であったことはまた別の回で書きたいと思う。

当時の私は、いつでも辞める覚悟で、1週間程度の旅行に出るようなスーツケース1つに最低限の着替えと茶碗と箸だけを持って名古屋に向かったのだった。

住民票も新潟に置いたまま、当時は国民保険だったからそれも新潟の市町村のまま、それで名古屋に行った。

それが2009年の11月のことだった。

 

今日(2017年12月6日)、仕事帰りの車の中で1つ思い出したことがあった。

その就職活動の真っ最中、仲良くしている友達からお見合いの話を持ってきてもらったことがあった。

友達は仲良くしている年配のご夫婦から、そのご夫婦のエリートサラリーマンの若いお友達の嫁候補がいたら紹介して欲しいとお願いされていた。

条件は、①外国で暮らしたことのある人、そして②結婚したらとりあえず今は中東勤務だから中東のどこぞの国に住むのがOKな人、の2つだった。

その条件ならぶっしーいけるでしょ!と思って、そしてその友達は私が常々「夢は専業主婦♪」などと言っているのを耳にタコができるぐらい聞いていたから、だからその話を持ってきてくれたのだった。

当時、いつまでも決まらない仕事にやりたいこともわからない自分に、現実逃避したいことは山ほどあった。

とりあえずの嫁ぎ先が中東というのももちろん引っ掛かったけれど、私は即決でその話を断った。

仮にとんとん拍子に話が進んで本気で中東に行くことになったとしたら、私はそこで何をするんだろう?って思った。

もちろん憧れの専業主婦だったとしても、「それは私の道じゃない」ってはっきりと感じた。

色々整理できない気持ちも常に自分の中にあったし、今は結婚とかそういうことではないと思った。

結婚はしたくても、なんか今じゃないし、きちんと理由は言葉で説明できなくても何かが確実に違うのはわかっていた。

名古屋行き自体も相当な迷いの中で選んだことだったけれど、名古屋行きは選べてもその縁談話は選べなかった。

今思うと、名古屋に呼ばれていたと思う。

どの会社を受けるかも選べないような感じだった私が、その縁談話だけはものすごくはっきりと「NO」の答えが出せていた。

そして私が名古屋に行くと決めた3つの理由は、実に不思議な流れで運ばれてきたものばかりだった。

2018年2月2日金曜日

生まれ変わる手

少し前、今は遠方に住んでる友達に私について「なんか、ぶっしーは感性が違うからね」とラインのやりとりの中で言われて、それでその違う感じがどんな風なのか教えて欲しいと無茶ぶりなお願いをした。

友達は律儀にきちんと私のどこがどう違うのかとてもわかりやすく書いてくれた。

理系の人の書く文章って本当にわかりやすくて感動した。

その友達が書いてくれたことは想像もしていなかったことだった。

元々、数年前近くに住んでいた時、友達にとってはすごく苦しい時期だった頃で、その時に特に強く感じたこととして友達は前置きしてた。

色々書いてくれてた中で、友達はいの一番に「手の感覚」を挙げていた。

確かに友達の手を握った。

その時だけは手をぎゅっと握ることが正解みたいな感じがあって、だから本当にそのようにした場面があった。

言うなれば何かあった時に「大丈夫だからね!」と言いながら両手で相手の手をぎゅっと包むみたいな感じ。

確かにそういう場面があったにはあったけれど、まさか友達がその場面を感覚の違いの1つとして挙げてくるとは思わなかった。

正月の帰省の時、2歳の姪っ子が私がするオイルマッサージと言うより本当にオイルをただすりすり塗るということをした時、高いびきをかいて寝て、そしてすぐ近くにいた姪の母である妹が私の手を触って「史子の手、気持ちいい」と教えてくれたことがあった。

そこから過去にも手の感覚を褒められたことを思い出し、自分でも手についてもっと色々知りたいと思っていた。

私にとっての手は、長いことコンプレックスの塊でしかなかった。

とにかく肉厚で無駄に大きく男の人の手みたいで嫌だった。

ちなみに足はもっと不恰好で、手の数倍コンプレックスを感じている。

手も足も健康であることだけは間違いないから、それを感謝しなきゃ自分の手足に対して罰当たりだなと思う。

だけど欲を言えば、もっと見た目に綺麗な手足に憧れるのは人間のサガみたいなものだろうか。

これは2週間前、マッサージを副業だけど本業でしようとしてるMちゃんに会った時のこと。

姪っ子や妹とのやりとりの話をした時に
「ぶっしー興味ないのかと思って言わなかったけど、ぶっしーの手ってマッサージ向きなんだよ。手が厚い人は触った時に皮膚を覆う面積が広くて、そして皮膚と密着するから触られて気持ちいいんだよね!」

いまいち言ってることがわからず、私の腕を使ってMちゃんと私の手の違いを検証した。

私はこれまで自分の手で自分を触ってもそれが当たり前な感覚だったから何とも思わなかったけれど、Mちゃんと私とでは全く感じが違っていた。

手首から肘の間の内側の部分をMちゃんに触ってもらい、そしてその後自分でも同じように自分の腕を触ってみた。

変な言い方だけど、マッサージをするMちゃんの手よりも私の手の方が触っていて断然気持ち良かった。

ただ触っただけなのに、技術のない私の手の触り心地の方が明らかに上だった。

そして言われた通り、肌との密着度合いが肉のおかげでかなり高かった。

私の手は肌にぴったりと隙間なくくっつくのに対し、きれいな形をしてるMちゃんの手はところどころ隙間があるのを感じた。

Mちゃんだけに触られてれば気付かないけど、交互に触って比べるとそれは一目瞭然だった。

Mちゃんは続けて言った。

「確かに私の手は形は綺麗かもしれないけど、マッサージにはそういう意味で向いてないのが自分でもわかってるから、だからそれをあまり感じなくても済むマッサージの手法に特化させてるんだよね」

Mちゃんの手は、細くて白くて真っ直ぐ長く伸びていてとてもきれいな手をしている。

ああいう手っていいなと思うぐらいにきれいな手だ。

私の手のコンプレックスは長いこと自分と共にあったから、いつも人の手を見る癖がある。

女の子らしい可愛くて小さな手にも憧れるし、この手好きだなという手もある。

Mちゃんの手は、モデルさんみたいで男の人じゃなくても見惚れる。

私は自分の手を見ても全くいいとも思わなければ、もし生まれ変わるとしたら今度はきれいな手に生まれ変わりたいとか、そんなアホなことを考える始末だった。

だけど、姪っ子が私のマッサージで寝て、妹が私の手の触り心地を褒めてくれ、別の友達が私の感性の違いについて1番に「手の感覚」を挙げてくれ、そしてMちゃんが私の手の質感についてわかりやすく説明してくれ、初めて自分の手が特別なんじゃないかと思った。

さらにその後、20年以上マッサージをする女性の方に偶然お会いして、初対面にも関わらず、やたらと別の話が盛り上がったのをいいことに、私は自分の手について今色々調べてると前置きした上で、手を触ってもらった。

外はすんごい雪だったにも関わらず、私の手はその時すごく温かくて、なんならずっと室内にいたその方の手より外から入ってきて10分15分の私の手の方が温かった。

もっちりした大きな手は人に安心感を与える、そしてこの手の温かさが触ってもらうと気持ちいいとも教えてもらった。

例えば外見のきれいな人がモデルをするなら、私の手は人を触るためにあるんじゃないかと思った。

今書いていて、変なことに気付いた。

私はそれは今もだけど、人を触るのに実はとても抵抗がある。

たとえ同性同士でも相手を勝手に触るのはいけないと無意識に思ってしまう。

だからよほどのことがなければ人のことを触らない。

私は人にカウンセリングのようなセラピーのようなことをする時でさえも、一応相手に聞いてから相手の手を包んだりしてたぐらいで、ある種異常なほどの緊張感がその前にはいつもあった。

たとえは違うけれど、やたらとボディータッチをする女の人が世の中にはいる。

それも同性じゃなくて異性の男性たちに。

お酒の席でよく見られる。

私はどんなに仲の良い男友達でも絶対に自分からは触らない。

触りたいと思わないのがそもそもあるけれど、酔っ払って若干記憶が飛ぶ時でさえも触ることだけはしない。

いつだったか武道を本業でしてる男性の方から「ぶっしーは人を絶対に寄せ付けない空気が半端なく出ている」と言われたことがある。

それは悪い意味で言ってきたんじゃなく、その人が見ていて感じるものをそのまま伝えるという感じだった。

特に男性に対してはそれが半端ないと言われた。

でもその人はその距離感が変に絡まれないとわかって安心するから一緒に飲んでて楽だし本当にその場を楽しめるとも言ってくれた。

で、ごちゃごちゃと色々書いたけれど、私が触らない理由、それは怖いからだと今書いていてわかった。

何が怖いのかも。

私は人から気持ち悪いと言われるのがすごく怖い。

中学生の時にいじめられた頃、私は何もしてなくても気持ち悪いと言われていた。

外見のことも相当言われたし、私がそこにいることさえ気持ち悪がられて、バイキン扱いされたことも日常茶飯事だった。

特に男の子たちからのそれが強かった。

今思えば、本当にそうだったのかなんていうのはわからない。

もしかしたら周りの空気でそう言わざるを得なかった、自分に攻撃の矛先が向くよりも私を一緒に攻撃する方が自分を守るためにはやむを得なかったのかもしれない。

私が何も考えず姪っ子をベタベタ触れるのは、姪っ子が私を好きでいることも私じゃなくても自分の見知った人たちから触られることも大好きだと知ってるから。

だから私は対子どもになると、触っても差し支えない年齢の子たちなら何の遠慮もなく触る。

いくら大人になって、もうそういう訳のわからない根拠のない言われようをすることがなくなっても、私は無意識にいつも身構えている。

人を触るのが怖いと言うより、気持ち悪いと言われるのがずっと怖かったんだと今さらながらに気付いた。

20代の頃、長く付き合った人からも一度気持ち悪いと言われたことがあった。

あれから15年ほど経つんじゃないかと思うけど、私は今でもその時のことをよく覚えている。

そういう色んなことが積み重なって、私は人を触るのをすごく躊躇してしまうし、よほどのことがなければ触ることを避けてきた。

だから友達の手を握った時というのも、実は私にとっては非常にまれな行動に出ていて、その時は本当にそれが1番だととっさに思ったから、気持ち悪がられるかもとかそんなこと考えてる余裕さえなかった。

自分の手は確かに自分の手ではあるけれど、この質感は与えられたものだと最近思うようになった。

そして与えられているものというのは、例えば声のきれいな人が声で誰かを癒すように、私の手も他の誰かに何かを手渡すみたいな感じであるのかもしれないなと思うようになった。

それが癒しになるかはわからないけど、せめて人が元気が欲しい時にただ手をぎゅっと握ったり触ったりするだけでいいのであれば、それは私にもできそうって思う。

40年近くかかって、私は自分の手の価値を知るようになった。

そして何がそこまで怖くて人を触らなかったのかの理由も今わかった。

わかったからと言ってベタベタ触るなんていうことはしないけれど、少なくともこれから先は私や他の誰かが必要と感じる時はさっと手を差し出せるようにはなりたい。

言葉通りの「手」を差し出す。

まだまだ手については情報を集めるけれど、今自分の手を見て前とは違う感じで眺めている自分がいる。

そう、手が生まれ変わろうとしている。