2017年11月12日日曜日

占い

私がその占い師さんの存在を最初に知ったのは、地球の裏側で生活していた時だった。

リーマンショックの翌年、30歳、日本国内で通用する資格ゼロ、帰国後の転職活動が難を極めるのは必須だった。

ましてや自分が何をどうしたいのかもさっぱりわからず、さらには結婚以外の選択肢を全く視野に入れていなかった私にとって今後の自分の人生計画なんて、もう逃げれるものなら逃げたいの一言に尽きた。

そんな折に、日本でバリバリのキャリアを積んでいただろう、でもなぜかとっても穏やかで聞き上手な日本人男性が、なぜか私にある占い師さんの紹介を突然してきた。

占いに行くような人にはとても見えなかったし、しかもその人に学があるのも知っていた。

日本全国老若男女誰が聞いても知ってる大学の出身者で、べらべらと自らたくさん語るタイプの人ではなかったけれど、話すだけで「この人とても頭のキレる人」というのがすごく伝わる才を持っている人でもあった。

まずそんな人が占いに行っているのも驚いたけれど、何を思ったのか静かな口調ながらも熱心にさらりと勧めてくるのが私には不思議で仕方なかった。

ちなみにその人とは日本でも何回か再会を果たしているけれど、私にその人の何かお気に入りとか大切なものを紹介してくれたのはそれ1回きりだった。

そんな人がわざわざ個人的に占い師さんを紹介してきたから、しかも紹介したところでその人に何のメリットもないのになぜか真剣に勧めてきたから、私は日本に帰る前からその会ったこともない占い師さんが気になって気になって仕方なかった。

そもそも女友達ではなく男の人が真剣に占い師さんを紹介するというのがとても稀有で、それだけでも私には「日本に帰ったらやりたいこと」のリストに頭の中で自動入力した。

 

最初はネット予約をした。

自分の名前と生年月日、何を相談したいかをひたすら書いた。

相談内容は、もう嫌でも向き合わなければいけない自分の人生に対して、自分がどういうことに向いていてどういうことを今後していくと良くて…とかそういう類いのことをあれこれ書いた。

そして最後の最後に、どうしても自分が次に進むために「もう終わりです」ということを告げて欲しくて、ある情報をたった1行だけ書いた。

 

その占い師のおばちゃんのところに私は最低3回、もしかしたら4回通ったけれど、最初の1回は本当に度肝を抜かれた。

私が本当に聞きたかったことではなく、そうではないことを延々と9割以上の時間説明された。

おばちゃんがあんなにも熱く語ったのは無理もなかったのかもしれない。

いつかの回の時に私はおばちゃんが当時説明してくれたことが他の人たちにも普通に起こることなのかを聞いたことがあった。

何千人という人たちを鑑定してきて、貴女のようなことが起こった人はもう1人しか知らない、と言われた。

 

おばちゃんはいつの時も未来に起こりうるいくつかのことを教えてくれる。

起こりうることは、あくまでも「起こりうる可能性」という感じで、基本的には絶対ではない。

だけど限りなく「起こる」よりの意味合いで起こりうるということを言ってくれる。

最初か2回目の時、1つのことをおばちゃんははっきりと「そうなる」と断定した。

いつとは言えないけれど、絶対に起こってくる、と断言した。

おばちゃんはそのこと以外で1つとして私に「絶対に起こってくる」と断言したことはない。

最初言われた私は、本気で嘘だと思った。

そんなことが起こるわけがない、と。

変な期待を持つのも嫌で、私はおばちゃんが絶対にそうだと言うにも関わらず、そのことは起こらないこととして自分の中にとどめておこうと決めた。

おばちゃんが起こると言ったことは、太陽が東ではなく西から昇るぐらいの天変地異でも起こらなければ起こらないようなことだった。

 

おばちゃんの予言めいた話なんかすっかり忘れて日常を送っていたある年の秋の日。

それから何年経過したかなんて覚えてない。

だけど、そのおばちゃんが「絶対に起こってくる」と断言したまさにそのことが本当に起こった。

冗談かと思った。

その時の驚きと言ったらなかった。

人生で一番驚いたかもしれない。

 

おばちゃんの他にもすごいところは、過去を言い当ててくるところ。

しかも、DSみたいな機械で何だか知らないものを入力すると、年と月まで割り出してくるらしく、おばちゃんは私の過去の大きな出来事をまさに年と月まで言い当ててきた。

私はおばちゃんにそのことなんて1つも喋ってないし、ヒントすらも言ってない。

なのにそのDSみたいな機械は色んなことをおばちゃんに伝えるらしく、おばちゃんはそこから導き出した何かを私に「あなたこれこれこういうことが、○○年○月になかった?」とあっさりと聞いてくる。

 

今も決めかねているけれど、私は来月東京に行く時、おばちゃんにまた予約を取って会ってこようかと思っている。

不思議な流れになっている今の状態を、もう少し冷静におばちゃんのような人に分析してもらってさらに先々のヒントがあれば聞きたいから。

 

よく会話の中で「占いを信じる信じない」みたいなのがある。

テレビなんかでも一つの特集として話題に上がることもある。

もちろんそんなの個人の好きに信じたらいいと思うし、否定派の人には否定派の人の考え方や感じ方があるからそれでいいと思う。

だけど、私がこのおばちゃんに言えることは、信じる信じないの前に未来も過去もあれこれ言い当てて本当にその通りに起こったりまたは過去に起こったり、それで信じないなんていう選択肢はもはやない。

疑いようのない事実を突き付けられている。

「参りました」の一言に尽きる。
 
 
~relative event~

東京メモリーズ

これまで東京で訪れた場所を頭の中で思い返していた。

来月に予定している東京滞在に向けて、これまでとは違った場所を訪れたくて、そのための過去からのダウンロードを頭の中で開始していた。

最初に引っ掛かったのは、8年前の夏のある日の場面だった。

 

最初に思い出したのは、自殺未遂をして助かった男性が自らの体験談をマンションの一室で語っていたシーンだった。

当時私は転職活動をしながら同時に心理学やカウンセリングを学べるスクールも探していた。

いくつか気になったスクールには体験入学的な形で実際に足を運び、その時もその1つだった。

まさか単なる体験入学の場で、しかも少しだけ遅れて行ったら、いきなり私とそんなにいくつも年の変わらなそうな男性が自分が自殺しようとして実際にそうしたけれど、気付いたら死んでなくてベッドの上で助かってしまったことを知った話を聞くとは、想像すらしていなかった。

そもそも何で遅れて行ったんだったかな…と記憶をたぐりよせたら、当時の1日の記憶がよみがえってきた。

 

前の日の夜、学生時代の男友達2人と新宿で飲んでいた。

1人とは数年ぶり、もう1人とは10年ぶりぐらいの再会だったかと思う。

そもそもの集合時間が遅いこともあったけれど、3人共それぞれの帰路に向かう終電を逃してしまった。

そこで3人でどうする?とかいう話になったんだと思うけれど、誰かが「普通のホテルはもうこの時間からは絶対に無理だから、逆にラブホに行ってみよう!男2人女1人の3人でラブホに行くなんてそんな機会ないから行ってみよう!」と言いだして、3人で歌舞伎町の中のラブホを当たり始めた。

自分の名誉最優先、男友達の名誉も守るために言うと、絶対に何かが起こったりしない関係だからそんなふざけたことができたことを付け加えたい。

10代の終わりに寝食を共にしていた友達だから、異性でも同性でもない第三の関係性が成り立つようなそんな人間関係を築いてきた仲だったから、そんなおかしな展開も3人で笑いながら楽しんでいた。

 

何軒か当たってようやくOKを出してくれたラブホに行き着いた。

ラブホ側も怪しいと思うのか、相当警戒されていたんだと思う。

さっき当時の写真が出てきたから見てみたら、1人はおしゃれサラリーマンと言わんばかりに小奇麗な夏のスーツスタイル(ジャケットなし)、1人はデザイン関係の仕事の人という感じのラフなカジュアルスタイル、そしてその時に限ってタンクトップと短パンで「俺ゲイに見えるかな?」とか言ってたような気がする。

私はごくごく普通の格好をしていた。

そんなおかしな組合せだったから、余計と怪しまれたのかもしれない。

ホテルはすごく広くて、3人で隅から隅までチェックして、何なら記念撮影をしようとなって数枚写真を撮った(のをさっき見た)。

私は自分がどこで寝たのか覚えてないけれど、写真の中には疲れ果てて1人はソファー、1人はベッドの中で寝ているものもあった。

翌朝、私が最初に起きて2人には「私はこれから心理学のスクールの見学に行くから行くね」と言い、出ようとしたら「ふみこ、これからそんな真面目なところに行くの?(笑)俺らとさんざんこんなふざけたことしといて、そんなとこ行くの?(笑)それギャグかよ!?」っていうようなことを言われ、「いや、行く行く!ここに泊まることがイレギュラーで、本来見学に行くことが今日の目的だったんだから!」とぎゃあぎゃあ騒ぎながら、私はラブホを出た。

出る時、受付のおばちゃんに引き止められて、連れの2人はどうしたのかと聞かれた。

殺人とか薬とか怪しいことを疑ってます、と言わんばかりの感じを瞬時に感じた。

当たり前だけど何もないから「私だけ用事があって先に出ますけど、あとから2人も出てきます」と伝えてその場を後にした。

 

歌舞伎町から西口に回ってさらに都庁を越えたところで、まだ実際の目的地の半分くらいだということを知った。

やたらと木が鬱蒼と茂っている場所を見て「うわぁー、まだまだこの先だ」と思いながら早足で目的地を目指した。

突然オフィスビルよりもマンションやアパートが目立つ場所にきて、新宿も少し離れると普通に民家があるんだと思った記憶がある。

ようやく昭和に建てられたようなマンションに辿り着き、目的の部屋へと急いだ。

そして入ったらすでに講座は開始されていて、平日の午前の早い時間にも関わらず、何人かの大人たちが年配の細身の男性の先生と共にいて、そして冒頭の自殺未遂に終わってしまった男性の体験談が目の前で繰り広げられていた。

 

男性いわく、途中の記憶はなくて、自殺しようと思って風呂場の浴槽で何かしらの手段を講じて(手首切るとかじゃなくてかなりヘビーなことしたと思うけど忘れた)、そして一緒に住んでいるらしい彼女がそれを見つけて救急車を呼んで、そして自分が気付いた時に「自分は死ねなかった」ということを真っ先に思ったらしい。

普通の民家のような雰囲気の作りのマンションの一室でその一連のことを淡々と語る男性という部分だけが今も記憶に色濃く残っている。

その男性の顔とか、他の参加者の人たちの顔とか、先生の顔とか、そんなの一切覚えていない。

 

だけどよく考えたらシュールな出来事だったと思う。

前日は男友達とふざけて3人でラブホに泊まり、翌朝は心理学のクラスの見学どころか自殺未遂に終わり生き残った人の話を聞く。

変な時間ではあったけれど、8年経過しても「東京」と紐解いて真っ先に思い出した光景なんだから、それだけすごくインパクトのある時間ではあった。

 
 

過去の日記をめくってようやく行き着いた一文。

 
「That was a miracle!」
 

2015年12月6日吉祥寺
井の頭公園ですれ違った外国人の背の高い初老の男性がそう言い放った。

 

人生で起きてくる出来事は、たとえば上のようなシュールな状況でも、やっぱりミラクルだと思う。

過去のある日のある状況を忠実に今再現することはできない。

井の頭公園に行ったのだって、その当時は実に何年ぶりで、しかも吉祥寺でしか会えない人がいたから行って、そのついでに井の頭公園にも寄って、その外国人の男性の会話とすれ違った。

人生で起きることのすべてがミラクルと言ってもいいと思う。

 

そんな気持ちを抱きつつ、今も東京メモリーズを紐解いている。


~relative story~
未来の点

未来の点

数日前、多分過去に2回しか会ったことのない、友達とも仲間とも違うけれど、とてつもなく何か強固に結びついた縁の人からラインがきた。

その人とやりとりするのはいつもfacebookのメッセンジャーで、わざわざLINEにその人から連絡がきたことにそもそも驚いた。

どうしたんだろう?と思ったら、12月に自分がとあるイベントを東京で企画していて、ぶっしーは新潟で遠いのはわかっているけれど良かったらぜひとも来て欲しいというものだった。

スケジュールの関係で少し悩んだ後、翌日には新幹線の早割切符が取れるか確認して予約取って、それで本人に行くよと返事した。

今年は九州で友達の結婚式が2本あったから経由も兼ねて2回東京には行ったけれど、「東京にだけ行く」というのは今年初めてで、そういう意味で言えば2年ぶりの東京訪問になる。

よく考えたら、前回もその人の個展を見に行くのが目的で名古屋から行ったんだった。

 

12月の第1週の週末で行ってくる。

土曜日は、イベント前は次の日記帳探しのための大型文房具屋巡りをして、その後は今回のイベントに参加、懇親会もあるからぶっしーも特別にどうぞと言われその後は懇親会…ということで1日目終了。

翌日日曜日は、今1つだけ訪れようと思っているところ以外は予定を空けている。

何が入り込んでもいいように隙間時間を用意しようと思っている。

そんなこんなの楽しい計画を頭の中で練りながら、今回は未知の土地へ足を運びたい願望が湧いて出てきた。

20代の頃それこそ年に数回の割合で東京にはしょっちゅう出掛けていた。

30代は数える位しか行ってないけれど、それでも何回かは行っている。

東京広しと言えども、行ったことのある場所はかなり限られている。

今回日曜日に予定を入れるところは、過去に訪れたことが何回かある。

だけどそれ以外に一度も行ったことのない場所を開拓したい。

そこからまた新しい未来の点を作りたい、そんな気持ちが今自分の中にある。

過去に足を踏み入れたことのない、初めて行くというところに今は理由もなく惹かれている。

そんな気持ちがふつふつと湧いて、そして今過去の東京メモリーズを紐解きながら、ある日とてつもなくそこに行きたい!という衝動が出てこないかと自分の中の沸点を待っている。

 

今回の東京行き、少しためらった時に、これまたふわっと過去のある瞬間がまざまざとよみがえってきた。

 

時間は夕方遅くか夜。

外は真っ暗。

場所は、人生で5本の指に入る大きな影響を私に与えた年上のとてもお世話になっている女性の運転する車の中。

車は愛知県一宮市の大きな倉庫や建物が両脇に並ぶ閑静な国道を走っていた。

 

Sさんは私にその時もとても大切なことを教えてくれていた。

Sさんは教えようと思って教えてるというより、自分の決意や決断を独り言のように言いながら、そこから私が色んなことを感じ取るというような流れが常だった。

その時のSさんはこんなようなことを言っていた。

 

「ぶっしーちゃん、私しばらくね、自分の意思で動くんじゃなくて、誰かからもたらされたものに対してだけ動いてみようと思ってるの。
誰かから行こうと誘われたり教えてもらうのって、自分じゃ絶対に見つけ出せないものでしょ?
そもそもそういうことに興味がなければ自分で探すこともしないしね。
でも、誰かが私にこういうのがあるよって情報持ってくる時って、それってすなわち私に必要があってくるものだと思っているの。
たとえ興味がなくても、そうやって人を介してやってくるものは、今の自分にとってヒントになったり、未来の自分にとって必要なことだったりすると思うの。
だから今は自分から外に出ることは極力控えて、来たものたちだけをキャッチする、そしてその通りに実際に動いてみる、そういうスタイルにしているの」

 

この話を私は思い出していた。

 

今回のイベントのお誘い自体は、何年か前に別の人からもらった誘いにとても似ていた。

その何年か前の誘いというのは、本当にとっても変わっていた。

誘いというよりこういう勉強会があるよ、と妹がそもそも紹介してくれた東京のマッサージ師さんが個人的に連絡をくれた。

「名古屋であるから武士俣さんどうですか?」みたいな、とてもざっくりとした紹介だった。

その方はまず個人的に何かをお客さんに紹介なんて絶対にしない人だから、なのにわざわざ連絡をしてきてまで私にその会を勧めてきた、というのが変な営業とかではないのはすぐにわかった。

私も何が何だかよくわからなかったけれど、それに興味のありそうな人を他に2人も誘って、それで一緒に行ってきた。

私はその会を一生忘れることはない。

そのマッサージ師さんが個人的に連絡してまで紹介したいものだということもよくわかった。

もう何年も前のことになるけれど、多分私がそこで見聞きして体験したことは、自分の今やこれからに対して大きく繋がっていく礎みたいなものだと思う。

少なくともあの勉強会から今日に至るまで、私の人生の中で大切にしたいことをとてもシンプルにわかりやすく教えて示してくれたものだったことには間違いない。

 

今回の誘いがどんな表情を見せてくれるのかは今はまだ当然知らない。

だけど、誘ってくれた人がわざわざ個人的なメッセージまでつけて教えてくれてるというのが、「いざない」に近い感じがする。

しかもそのイベントというのが、私がこの2ヶ月近く調べていることに直結してるテーマを扱っている。

人生の棚卸しを始めた私は、そもそもの生きていることやその中で誰かに出逢うこと、または人が死んでいくこと、そうしたものたちを色んな視点で見つめるようになった。

今回誘ってもらったイベントというのは、命の現場で実際に仕事をしている人たちが命について自分が見ているものをシェアするような感じらしい。

私がそこで何を感じるのかは実際に行ってみないとわからないけれど、多分今のこのタイミングでそこに足を運んで何かを感じてくることが大事なんじゃないかなと思っている。

予感

~ネイビーの車~

私はどうしてあの時そんな風に突然思ったのか、その理由も根拠も何も説明できない。

だけど、あの時たしかにそう思った自分の気持ちだけはよく覚えている。

 

私は何度も通ったある町の近くを運転していた。

昼下がりで、暑くもなく寒くもない季節、春か秋だったと思う。

本当に突然、
「50歳になる頃、私はこの人の隣りにはいないし、この人は私の隣りにいないだろう」
とふと思った。

決してその時すぐに別れようとかそういう風に考えていたわけじゃない。

むしろそんなこと1ミリも考えていなかった頃だったと思う。

そう自分で勝手に思ったくせに、それが悲しくて私は1人でぼろぼろと泣いた。

 

それからどれだけ経ったことだろう。

少なくとも1年以上、下手したら3年経過したかもしれない。

あの時の予感は予感じゃなく、現実になった。

そして今振り返ってみても、やっぱりあの予感は絶対的な答えを私に伝えていた、心の奥底の声だったんじゃないかと思う。

 

~ワインレッドの車~

田園風景を毎日のように滑走した。

夏の太陽に穂はまっすぐ上を向いて青々としていた。

浅いプールが合言葉で、その季節にぴったりのBGMだった。

 

当時の私は「一緒に生きていく」とか「一緒に年を重ねていく」というのが唯一無二の願いだった。

願いが叶わないと知りそしてそれを受け入れるまで私はいくつの夏を越えたか知らない。

 

2017年今年の夏。

初めて真夏のひまわりをとても静かな気持ちで眺めることができた。

ちょうど立ち寄った池袋駅の目の前で凛として咲いていたひまわりを、わざわざ近くにまで寄って写真撮影までしてきた。

その撮影会は、私の中での「終わりは次の始まり」というものを告げるようなタイミングだった。


 
 

  

~ピンクの車~

夕空を眺めることが日課のようになっていた夏だった。

夕焼けを見るためだけに、仕事終わりにあちこちの夕空スポットを探し回った。

 

車を運転しながら突然思った。

「その人が年を取っていく、その変化を隣りでずっと見ていたい」

年を取れば当然色んなものは衰えていくし、容姿について言えば見苦しさやみにくさも増す。

‘aging’というだけあって、年を取ることは日々進行形で誰にも止められない。

年を重ねれば重ねるほど生き様が表情や顔に出るし、それでも美しい人カッコイイ人はそのままかもっと良くなることも知っている。

だけどそんなきれいな部分じゃなくて、本当にしわが増えたとか白髪が目立ってきたとか、そういうものも全部ひっくるめての変化をただただ隣りで見ていたい、そんな気持ちを人生で初めて持った。

一緒に生きていたいとかいう気持ちとはまたひと味もふた味も違っていた。

それは自分が年齢を重ねたからそう思うのか、その人だからそう思うのか区別がつかなかった。

だけど、どちらにしてもそう思っている自分がいるというのは本当だった。

 

最初で最後の手紙であれば、それをもっとまっすぐに伝えても良かったのかもしれない。

十分に変すぎた手紙を前に、私はかなり言葉を選んだと思う。

私が知りたいものが、好きな食べ物や嫌いな食べ物、日常なにげなくやってしまう癖、こだわりやヘンテコな習慣、外向けの顔と身内に見せる顔、素になった時のしゃべり方とか、とにかくその人を形作っているすべてのもの、そういうことを知りたかった。

「価値観」というカッコイイ言葉の裏側には、そういうものが含まれていた。

だけど、そうとは言えない自分がいた。

 

3日で終わった体調不良

これ自己最高記録の回復っぷり。

前回のブログ『毒出し』で体調不良について書いた。

本当に体がしんどかった。

だけど、月曜日の朝に始まった体調不良は、水曜日1日中鼻水が止まらないという峠を越えて、なんと木曜日にはどこも悪くなかったかのように復活。

腰はまだうっすらと奥の方が姿勢によっては違和感があるけれど、痛くはない。

こんなにも早く体が回復できたのは初めてだった。

となると、余計と私の中でこれは「心の毒出し」だったんじゃないかと思ってしまう。

心が軽くなったかは正直あまりわからないけれど、自分の中で溜まりに溜まった気持ちたちは1回リセットされた。

気持ちがなくなったわけじゃない。

だけど変な執着というか、自分を苦しくさせてしまう考えが弱まった感じがする。

目の前の現実は何も変わっていない。

自分の望んでいることが起こっているかと言えば、それは体調不良の前と今とで起こってない現実はそのまま何も変わっていない。

だけど、それに対して自分が思っていることに変化が生まれた。

良い意味で少し距離を置けるようになって、代わりにこうして書くとか他の何かにエネルギーを向けるようになった。

現実的に、今日1日の中でこれが5つ目の文章だけれど、時々コーヒー飲んだりごはん作ったり食べたり、昼寝したりしながらも、書き続けている。

私にとって書くことは、今あるものと繋げる役割の意味も込めて書いている。

本当に繋がるかどうかなんてわからないけれど、実験的に楽しみながら結果を待てる。

それで繋がらなくてもそれはその時。

とにかく、書けるぐらいに回復はしたし、少しこれまでと違った視点で物事も眺めている。

ちなみに今回の体調不良で学んだことは、心の方からネガティブな感情があれこれ出てきたら、もうそれを抵抗せずに出しきること。

それが一番早く回復できるコツのような気がしてならない。

自分でも心底うんざりする位のネガティブループだった時、私はもう抵抗する元気もなくてひたすらそれが過ぎ去るのを待つしかなかったけれども、結局はそれが鼻水地獄をたった1日で終わらせるという快挙に繋がったと思うから。

2017年11月8日水曜日

毒出し

それは小さな違和感から始まった。

三連休明けの月曜日の朝、雲ひとつないような青空が窓の向こうには見えていて、身支度整えてさぁ仕事に行こうという時だった。
「ナンテコトナイ」動きだった。
体を少しだけ屈めたかな?という程度。
腰に鈍い痛みが走ったかな⁇という程度。
重たいものも持ってないし、無理な動きもしていない。
だけど、腰には鈍い痛みのようなものが生まれた。

それが時間を追うごとに痛みは増し、夕方仕事が終わる頃には頭のてっぺんから尾骶骨の辺りまで、腰痛だけじゃなく頭も肩も背中も、まるで発熱したかのような痛みに覆われていた。
体は完全に痛みに支配されていた。

体の不調と共に、心の方も弱ってきた。
この2ヶ月ぐらい走り抜けたことたちが一気に疲労の塊となり、どうにもならない現実を前に失望と絶望とあきらめと苛立ちと、そしてやり場のない自分以外の誰かに向けた感情が一気に爆発してしまった。

ごはんをさっさと食べてすぐに布団に入った。
7時半過ぎにはもう布団の中だった。

そのうち寒気も出てきて、本格的に具合が悪いことがわかった。
意識が遠のく中、「体じゃなくて、心が限界に達したんだな」と思った。
わかりやすく体に出てきたけど、風邪というよりも心が支えきれなくなって、体を使って色んなものを訴えているんだなと思った。

多少楽になったとは言え、今日も今日でまだ体調不良は引き続きとなった。
昼休み、近くの花がたくさんある公園に行って、太陽と自然で癒そうと思った。
ところがそこに行くとさらに気持ちが滅入り出して、余計と辛くなってきた。
もう本当に全てがどうでもよくなって、自分の中の嫌な気持ちをどうにもできず、自分で自分に疲れてしまった。
もうどこまでもネガティブモードで、これはあたふたしてもどうにもならないことは経験上知ってるから、気が済むまでこのままでいる他なかった。
 
オレンジ色の光が事務所の窓に入ってきた頃だから、4時を回り出したと思う。
それはまた突然だった。
本当に突然、腰の慢性的な痛みがなくなった。
まだ体勢によっては痛みを覚えるものの、本当にあの四六時中鈍い痛みが走ってた状態が、突然消えた。
16歳の頃椎間板ヘルニアになって以来、腰痛とは20年以上何回も付き合っているけれど、自分で感知するぐらいに痛みが突然消えたのは今回が初めてだった。
そして、そのタイミングで、前日から続いてた風邪のような症状は、「鼻水」に移行しだした。
私は滅多なことでは風邪を引かなくなった。
もう何年も引いてない。
そして引く時は9割のどにくる。
のどがイガイガして、咳に移るというのが鉄板だった。
最後に風邪を引いた時だったかは忘れたけど、のどには一切症状が出ず、代わりに鼻水だけが止まらなかったことがあった。
その時にたまたま知り得たことですごく納得したことがある。
本当は泣きたいのに泣けない時、体が代わりに鼻水をたくさん出して、たくさん泣いた時と同じ状態を生み出す、というような内容だった。
当時何がそんなにいっぱいいっぱいだったのか忘れたけど、たしかにそうかもしれないと強く思ったことは憶えてる。
本当にひどい鼻風邪で、大泣きした後みたいな感じが鼻を中心に再現されていた。
今回も鼻にきて、あぁ心が泣いてるんだなと真っ先に思った。
自分の心を支えてたものが目の前からなくなって、色々と必死にカバーしようと、空いてしまった穴を埋めようと孤軍奮闘して、もちろん泣いたこともあったけれど、それでも埋まらないものに対して何とかしようとしてた。
腰の痛みも鼻水も全部心からのSOSだったのかなと思ってる。
そしてもうどうにでもなれ!と半ば自暴自棄みたいな感じになってひたすらネガティブループにどっぷりと浸かったのち、突然腰の痛みが消えて、代わりに鼻水が出始めた。
心の毒出しだと思った。

帰り道、体が楽になったのも手伝って、隣りの町に足を伸ばしてノートを探しに行った。
過去の何てことないさりげない日常が未来のある出来事とリンクする、例えばたまたま人に誘われて出かけたら迷子になって、そしたら未来の(今の)仕事場の目の前にたどり着いた、そういう些細なこと、その不思議なからくりを知ってそういうことを残したいと思った。
そのためのノートを探してた。

その日のことは箇条書き程度で良かったから、普通の大学ノートタイプのノートで良かった。
大型の100均をすでに2軒回ってみて、どこかピンとこず、それゆえに文房具が充実してる蔦屋に行った。(田舎ゆえ、ロフトとか東急ハンズなんていう素敵な選択肢はない)
探してて気付いたことがある。
罫線は30行が主流だということ。

たしかに31行じゃ数として中途半端すぎる。
でも、できたら31行又はそれ以上のノートが良かった。
なぜなら1ヶ月31日ある月もあるから、1枚の中できれいに収まって欲しかったし、最初から補助線引かなくても31行ある方が楽だと思ったから。
少なくとも10冊以上のノートを見た。
だけど、規格なのかみんな揃いも揃って30行だった。
そこは蔦屋も100均も全く同じだった。
取り扱いのノート会社こそ違えどみんな30行だった。

店内をウロウロして、通常のノートコーナーではないコーナーに行ったら、また少しだけノートを置いてるところに着いた。
そのノートを置いてる蔦屋だというのは知ってた。
過去に別の使い方をしたことがある書きやすいノートで、またデザインもシンプルで私としてはすごく好きなノートブランドのもの。
それもどうせ30行だろうと思って行を数えた。
なんと31行。
数え間違いかと思って、私は結局3回数えた。
3回とも31行になった。
初めての31行ノートだった。
しかもMade in Japanじゃない。
Made in Tokyoになってる。
日本じゃなくて東京だったのがさらに良かった。
即決でそのままレジに向かった。

レジは混んでた。
3台のレジでは間に合わないぐらいの混み方をしてた。
私の番になり、ちょうど空いたレジに向かった。
店員さんの名札にはひらがなで大きく名前が書かれている。
私のレジを担当してくれた方の名字は、なんとこのノートのそもそもきっかけとなった出来事に関する人と同じ名字だった。
そんな偶然、嬉しくならないわけがなく、私は1人ですごくテンションが上がった。
腰痛も鼻水も快方に向かっていた矢先の、そしてやり場のないネガティブモードを通過した後のこの偶然に、私はただただ感動した。

今借りてる駐車場は、目の前に川があって空がひらけてる。
20時を回ってるにも関わらず、東の低い空の方にそれはそれは満月のような大きなオレンジがかった色の月が出ていた。
3日前が満月だったからまだまだ大きい時期なのはわかるけど、私はこの土地で見た月の中で一番大きな月を見てた。
通常の3倍はありそうな大きさだった。

満月の近くは浄化に良いとされてるけど、今がその時期なんだと思った。