2022年12月11日日曜日

師走の日曜日

大学時代恩師ジョンへのクリスマスカード

武士俣の本家から私の元へやってきた
クッキー缶

今日(2022/12/11)から新しい役割を担った
クッキー缶の今

ジョンの手書きの文字
自分が手紙の中のジョンと同じ80歳になった時に見たのなら、私は泣くような気がする

師走の日曜日の少しだけのぞいた青空

今日の晩酌(2022/12/11)
メインは右上の白いんげん豆のチリコンカン
初めてのレーズンバター
すごくおいしくて今後ハマる気がする!


2022/12/11


雨と曇りを繰り返す日曜日の昼下がり。


ようやく1年越しにクリスマスカードの返事を兼ねた今年のクリスマスカードを書き上げて、さらには「今これ書きたい!」となったエピソードを添えた年賀状第1号を大学時代からの友達に書いた。


今年はあと数枚年賀状を書く予定で、それは来週末に回すことにした。


クリスマスカードは、大学時代の恩師ジョン宛て。


自分の不精を自己嫌悪に陥りそうなくせして放ったらかして、今年こそは絶対にクリスマスカードを出そうと思った。


去年の12月に届いたジョンのクリスマスカードには、ジョンが癌になったこと、癌は消えて今は大丈夫なこと、去年の7月の誕生日に80歳になったことなんかが書かれていた。


馴染みのあるジョンの手書きの文字を見て、この文字は永遠じゃないんだなと思った。


いつかはこの文字にも触れられなくなる、と寂しい気持ちを日本の新潟の空から思ってる自分を色んな気持ちで眺めたことは今もずっと自分の中に残っている。


いつかは死ぬのはみんな一緒でも、そのいつかが少しずつみんな近付く年齢なんだと、自分が40歳を数年分超えた今だからこそ感じるようになった。


ジョンの手書きの文字は私が学生時代から見ていたものと何ら変わりなくて、なんならほぼ毎年カードをもらっているからそこでも変わらなくて、でもこれだって永遠じゃない。


温かい気持ちと消えてしまうことへの寂しい気持ちと色んなものがごちゃ混ぜになった。


今書いたカードがジョンに無事届くのかどうかはわからない。


けれど、ありったけの希望を託して明日郵便局で出してくる予定だし、手紙の最後に「ジョンからこの先もずっと何かしら知らせがあることを本気で楽しみにしてるからね」と書いて締めた。


自分のそれが本当の気持ちで、気持ちと文章とがズレていない、きちんと合っているってそれだけで気持ちの良いことだと清々しい感じで書き終えた。







年賀状の第1号はジョンのことも知っているKちゃん。


今どきとても珍しいと思うけれど、私は年賀状は全て手書きで送る。


片手もしくは両手で数えて指が余るくらいの枚数しか出さないから、近況なり思い出話なりをささっとそれぞれの人たちに書いて送る。


今年はKちゃんが第1号になったのにはきちんと背景がある。


少し話は変わるけれど、来週末晴れたのなら、コスメ的なお買物に新潟駅近くまで行くから、そのついでにクリスマスイルミネーションを見に行こうと思っている。


1人で行くからもちろんイルミネーションも1人。


私の記憶が間違えていなければ、田んぼのど真ん中みたいなところに突如現れるイルミネーションスポットがあって、そこならカップルがいても広いから1人でもそんなには気にならないだろうし、ましてや夜だからカップルなどは自分たちのイチャイチャに忙しくてぼっちの人など見る余裕はないだろうから、多少浮いていたとしても私は私で堪能できるかなと。


私個人的にクリスマスイルミネーションもクリスマスソングも大好きで、クリスマスで恋人同士甘い夜をみたいな思い出はほとんどないけれど、それ以外でクリスマスはたくさんの色んな思い出があるから、毎年クリスマス前はその思い出巡り(心の中)で心がホクホクしている。


クリスマスイルミネーションの話に戻る。


大学時代、キャンパスのすぐ近くはルームシェア含めてとにかく民家だけで構成されている地区で、基本は2階建てか平家、高くても3階建ての建物ばかりで、何軒かに1軒はクリスマスの凝ったイルミネーションをしている家があってクリスマス近くになるとそれはもうとっても素敵な彩りになっていた。


年数を数えるとそれは1998年の冬だと思う。


Kちゃんは私の1つ?2つ?学年上で、Kちゃんと過ごすことのできたクリスマスは1998年しかなかったはずだから、1998年で合っていると思う。(翌年は私が別の学校に行っていて、帰ってきた最後の年はKちゃんはもう卒業していなかった。)


Kちゃんが「クリスマスのイルミネーション巡りをしに行こうよ!」と言って、もう1人の女の子と3人で夜にキャンパス近くの通りを30分とか1時間くらいとか歩いて回った時があった。


氷点下10度20度なんてざらにある町で、野生の鹿たちも寒くて山から町に普通に下りてくるみたいなところだったけれど(実際に自分1人でいたある夜に野生の鹿の家族数頭に道で遭遇して、車2台分くらいの近距離で襲われたらどうしようかと思った。鹿も慣れてるのか、私がいるのは視界に入っていたけれど私が襲わないとわかるのかスタコラサッサと自分たちの目的地へと走って行った)、その日の外はどんなに寒かったかは覚えてないけれど、とにかく楽しくて、車もさして通らないから車道の真ん中を3人で歩いて左右に広がるクリスマスイルミネーションに彩られた家々を楽しく眺めながら過ごした。


そればかりじゃないけれど、クリスマスのイルミネーションを見るといつもそのシーンを思い出す。


早くも四半世紀くらいあの頃から経つわけで、でもその凄さは当時よりも今の方が強くなっている。


もうどんなに願ってもKちゃんともう1人の子と私の3人で大学のあった町に行って夜クリスマスのイルミネーションを見て回るなんてことは生涯で起こらない。


二度と戻らないからこそ、当時のことがとても強くそして年々やさしく自分の中に残っていく。


とかいう思い出話を突然書きたくなって、それでKちゃんが今年の年賀状第1号となった。







ジョンの去年のクリスマスカードもKちゃんの去年以前の年賀状も、大体この辺りにしまったはず、というのはあってもすぐのすぐには見つからなくて、数分は探した。


もう少し自分が探しやすいようにしたいなと思った時に、クッキー缶が目に留まった。


中身はタロット関係の紙資料を入れてるのは知っているけれど、「そうだ、これだ!」と思って急遽中身を別のクリアファイルに移して、代わりに空になった缶にはジョンからのクリスマスカードや年賀状、その他手紙的なものを入れた。


とてもしっくりとくるクッキー缶の使い方だった。


このクッキー缶は今年の2月に武士俣の本家の最後の当主、次郎さん(仮名)が亡くなった後に我が家にやってきたものだった。


父と母が数えきれないくらいの回数、本家の後片付けに行って、その何回目かの時に本当は誰かに渡そうと思って次郎さんが買っただろうクッキー缶を中身ごと父と母が持ち帰ってきて、それで缶を私がもらった。


メモしておいたら良かったけれど(ブログかブログの下書きに書いてないかと探したけれどなかった)、ふとこれは形見分けみたいな感じの缶になってくれる気がして、それで私はもらった。


遺産相続に関係する親族の人たちはどこにでもあるクッキー缶には見向きもしないだろうし、父と母にしても仕分けしてゴミに出すために持ち帰った未開封のクッキー缶だっただけで、誰も欲しがらない缶なのは明らかだった。


私がその缶を欲したのには他にも理由がある。


缶のところに

a symbol of happiness

(しあわせのシンボル)

We hope lovely happiness comes to you.

(あなたの元に素敵な幸せがやってきますように)

と書いてあるところがとても気に入ったから。


そして最期は1人でひっそりと死んでいった次郎さんの魂のメッセージのようにも感じたから。


次郎さんは最後の2年から3年くらいは認知症が進んで、記憶が相当おかしな状態で、尚且つ体も弱って色んなことが1人ではできないくらいに生活もおぼつかない感じだったと父と母は言っていた。


人付き合いもほとんど無くて、うちの父が父本人も知らないところで緊急連絡先になっていて、いつか病院からや次郎さんが亡くなって孤独死=不審死扱いで警察案件に一旦はなった時の警察からの連絡先も父だった。


そんな状態の死ぬ間際に近いある時、クッキー缶をどこかに持っていこうと買ってあって、もしかしたらお彼岸の時にいつもお互いの家を行き来していた我が家に来る予定だったかもわからないけれど、とにかく不鮮明な記憶の中で「誰かに渡したい」という思いで買われたクッキー缶には次郎さんの意志を感じる。


だから人生で次郎さんにきちんと会ったのは妹の結婚式の1回きりという私は、なんとなくそのクッキー缶を武士俣の本家から来た最後のものとして手元に自分が死ぬ時まで置きたいと思った。


これは書いた気がするけれど、次郎さんの持ち物で本人もほぼ使わなかっただろう広辞苑を私は父経由で親族の方にお願いしてもらって、形見分け的な意味で自分がもらって今手元にある。


今日のさっきまではそのクッキー缶をタロット関係の紙資料入れとして使っていたけれど、ちょうどジョンのクリスマスカードや去年までの年賀状を探した時に「ここに入れたらいいんだ!」と思いついて、実際に入れてみて大満足している。


次郎さんが生前誰かのために買ったクッキー缶が、次郎さん亡き後は私の縁ある人たちからやってきた手紙類をしまう場所というのは何とも素敵なバトンタッチでとても粋だなと思っている。







いつの間にか暗くなっていて、そのまま夜を迎えるのも時間の問題になってきた。


今年はあと3週間くらいあるけれど、私はもう年末に妹や父と母が帰ってくるまで誰にも会わずに今年が終わると思う。


仕事に行けば誰かしらに会うけれど、そういうのじゃなくて個人的に会う人がいないということ。


それが寂しいこととして映るよりも、それが今の自分には必要なことなんだと思う。


今日昼過ぎにスーパーやドラッグストアに買出しに出る前に白いんげん豆のチリコンカンという名のレシピを試しに仕込んだ。


白いんげん豆の入ったミートソース風な感じで、すでに1時間以上煮込んだ。


それに合わせるバゲットを徒歩圏内にできたパン屋さんに買いに行って、あとは昨日からのスライドで、サーモンのカルパッチョ風サラダやクリームチーズとゆで卵とアボカドのサラダなんかを並べて、この後スパークリングワインで乾杯する。


せっかくパン屋さんのバゲットを買ったから、1年近く気になっていたレーズン入りのバターもスーパーで買った。


生ハムとカマンベールチーズもあるから、それをバゲットにのせても美味しい。


録画したドラマやサスペンスや食べ物系の番組を流してゆっくり飲みながら観る日曜日の夕方っていいなと思う。


パン屋さんで買ってきたシュークリームも半分わざと残して、ワインと一緒に食そうと思っている。


あれこれしていたら今日はオシャレ晩酌がごはん第1号になって、そういう気ままさも気に入っている。


来週は

・コスメショップの買物

(この間の東京駅でのデパコスもといデパートコスメの時にもらった千円分のポイントがあるからそれを使う予定)

・メキシカンランチ

(この間から食べたい衝動発動中)

・クリスマスイルミネーション

というお出かけをするから、今日みたいにのんびり手紙を書いたり料理をしたりは難しいと思う。

(天気が悪ければ延期)


なんとなく書きたいことが今書いたことたちだから、書けて大満足。


そして、本当は年内に書いてアップしたかった諸々は来年にスライドしそう、となんとなく思い始めているナウ。

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