2022年10月28日金曜日

御徒町南口パンダ前ー東京DAY 1

池袋で食べたスープカレー
東京での初めての食事
そして唯一のひとりごはん

北海道ではなぜか唐揚げのことを
「ザンギ」と呼ぶ
ザンギのスープカレー

この近く30メートルくらいの道を
ウロウロしてようやく見つけた
タロット美術館

サイゼリヤ@東京某所
デカンタ(1500ml)1本目
奥の山吹色かばんから顔を出してる白いものは、
私の東京初の買物、
携帯型の携帯の充電器。
みんなと連絡を取るのに携帯の充電がすぐに
無くなる自分のiPhoneではとても困ると
東京着いてすぐに気付いて、
それでスープカレーを食べた後近くの家電量販店に行って携帯型の携帯充電器を買った( ̄∀ ̄;)



東京DAY 12022.10.14()

タロット美術館


中途半端に浮く時間ができたことで、何かしら東京にいるからこそできることをやりたいと思った。


瞬時に浮かんだのがタロット美術館に行くことで、その後すぐにネットで予約して行ってきた。


地図を見て行ったけれど、確実に目の前を通っているはずなのに見つけられなくて、同じ場所を30メートルくらい行ったり来たりして、それでも見つけられなくて、今度は建物の入口にあるテナント名一覧とかを見てようやく見つけた。


中の話はまた別口でブログにできたらいいなと思っているけれど、結論として(えっ?もう?)、このタロット美術館はこの後の日程全てにおいて超重要な立ち寄りスポットだった。


ここで私は1つ新しいタロットカードを手にして、そのタロットがこの後色んな物語を編み出すなんてその時は想像もしていなかった。


タロット美術館にちなんだオマケ話(マヌケ話が正しい( ̄∀ ̄;))。


タロット美術館の最寄りの浅草橋の駅で大型の荷物たちをロッカーに預けるところまでは良かったものの、なんと100円玉が1枚足りなくて超焦った。


中途半端にロッカーにお金を入れたまま、たまたますぐ隣りに自販機があってそこで両替がてら水を買って、何とか残り1枚必要だった100円玉をゲットした。


そして荷物を無事ロッカーに入れた後、タロット美術館は飲食の持ち込み禁止だから300ミリくらいと思しき水を即座に喉も乾いてないのにがぶがぶ飲むことになるなんて、相変わらずすごい抜けっぷりだった( ̄∀ ̄;)


財布を見てから預けたつもりが、その最後の1枚の100円玉だと思っていたのは50円玉だった…Σ( )))) 


(後日談:上の話は新潟に帰ってわりかし早い段階で書き始めたから、超詳細にどうでもいいロッカー話を書いているけれど、今読み返すと本当にしょうもないこと書いてるなと思う( ̄∀ ̄;)。そしてもっと重要なネタは何にも書いていなくて、本当ならそういう大切なことたちをこのくらい詳細に書きたかったなと遠い目になりつつ思っている…10/27




御徒町南口パンダのいる広場


シオくんとぐちおとの待ち合わせ場所は、御徒町駅南口、パンダのいる広場という実に不思議な待ち合わせの場所だった。


本物のパンダではないだろうことは想像がついたけれど、これ渋谷駅のハチ公前とかそんな風な小さなパンダでもいるんだろうか?と想像は膨らむばかりだった。


私が一番ノリで、そこに行くとようやく公園とかによくありそうなパンダの子供用の置き物みたいなものがあってわかった。


今回は仕事の関係で来れなくなったリーダーの結婚式が最後にみんなで会った時で、2017年の夏以来5年ぶりの再会になる。


しばらくするとぐちおとシオくんがそれぞれやってきた。


シオくんは仕事帰りのスーツのジャケットないバージョンで、ぐちおは1人浮きまくりの半袖+サングラスで登場した。


ドミニカ共和国の大衆文化で口をプスプスーと鳴らして相手を呼ぶという、日本人からして馴染みのない、でも3人には即座にわかる音ジェスチャーから始まった。


「東京酒場」に案内すると言ってシオくんが連れて行ってくれたのは「大統領」という名前の店だった。


飲みブログで見たことのある場所で、少しだけ待った後うちら3人が入口に面した、ギリギリ店内みたいな、半分路面みたいなところのザ・東京酒場的な席に案内された。


もしかすると、ぐちお・シオくん・私という3人で飲むのは初めてかもしれない。


『飲みキャラ』と名前を付けた呑兵衛のためのひたすら飲みまくる会のメンバーだった3人は、他の人たちも交えてよく一緒に飲んでいたけれど、3人で待ち合わせて、それも日本の超都心で会って飲むのはお初。


初めてだし5年ぶりなんだけど、なんか先月もうちら飲んだよねーな雰囲気で全く懐かしさも感慨深さもなく、久しぶり感ゼロのスタートだった。


協力隊の友達はみんなそうだけど、もう日本全国散り散りに散ったメンバーたちがどこかで集うなんて残りの人生から逆算してもあと数えるくらいしかないと思う。


なんだけど、いつ会っても「久しぶりー!元気だった?」な挨拶は似合わなくて、なんだか時が同じ時のまま会ったねという感じ。


時は確実に動いているけれど、そういうことが飛んでしまう、そういう間柄のとても希少な人たち。


しかも5年とか会ってないなら、さらに普段も1年に1回くらいしか連絡を取り合わないわけで、お互いの状況やら会っていない間の細かいことは何も知らないのに、それらが全く問題なくスムーズにコミュニケーションが始まってそれは終わりまでずっとそうで、これはこの人たちの持っている徳によって成り立っていると大真面目に思う。


余談だけれど、協力隊に行く前に訓練があって長野の訓練所に2ヶ月強ほど滞在したけれど、その時はもうめちゃくちゃその団体が醸し出す空気も集団生活も苦手過ぎてどうしようかと思っていた。


200人くらいいるうちの3分の2から4分の3くらいは、言うなれば学校で学級委員長になるみたいな、又は生徒会長になるみたいな人たちの感じで、私はそういう感じもとても苦手だったし基本陰キャラな自分がそういう陽キャラな人たちたくさんみたいなところにいるのは相当しんどかった。


中にはそういうのが苦手な人たちもいて、そういう数少ない人たちと仲良くしていた。


なんだけれど、ドミニカに行ったら変わった。


最初は人見知り発動で誰とも仲良くなれる気もしなかったし、そもそもの生活が落ち着かなくてそちらが忙しかったから人と交流している場合でもなかったけれど、自分が任期2年の半分を過ぎて残り1年の頃、シオくんとぐちおたちのグループが到着して、その辺りから感じがかなり変わった。


素のままで良くて、一緒にいても個がそれぞれのペースでいて集っている感じで、何人かで一緒の空間にいても全然苦にならない人たちだった。


みんなが超マイペースで思い思いの感じでいて、まとまりなど皆無だったけれどきちんとなんとなく共有できてるみたいな、実に不思議な感じの空気をまとってその空気を吸える、そういう関係性を持てるスーパー希少な人たちだった。


当時からそんな風だったから共通点も共有するべき点もなくて、だから日本でみんなてんでばらばらで普段連絡も取らないし会えないし全く違う分野にいるけれど、それでもみんな会えば何かしらの話で盛り上がれてその時間を存分に楽しめるってすごいことだと私は思っている。


そんなシオくんとぐちおとの飲みが始まった。


大統領という店はザ・酒場的な雰囲気でそれはそれで味わいがあったけれど、カードリーディングをしよう!とどの時点か忘れたけれど決めていて、オラクルカードなんてとても広げられた雰囲気じゃなかったから、とりあえず1軒目を飲み食いした後、サイゼリヤに行くことになった。


どこをどう歩いているのか全くわからなかったけれども、シオくんの素晴らしい地図読みセンスか普段の脳内マップのおかげで迷うことなくスムーズにサイゼリヤに着いた。


何組か待ちが出ていたけれど、回転も速いだろうからとシオくんの読みでそのまま待つことにした。


待ったのは10分程度だった気がする。


2回目の乾杯をデカンタ白ワイン1500ミリでする。


1杯目はシオくんがサーブしてくれて(シオくんの分は2人のどちらかで)、その後はオール手酌で各自好きずきに飲んだ。


いくつか注文もしてある程度食べた後、シオくんのカードリーディングを始めた。


ぐちおは2日目も3日目も会えるから後にしようと言って、リーディングの間は使わないカードを見てもらってた。


時間にしてどれくらいしていたのかわからない。


必要なことをそのまま伝えて、シオくんの質問に答えて、そしてもうラストオーダーの時間ですと店員さんから声をかけられてデザートを頼んだ。


カードリーディングの話はまた別記事でまとめて書けたらいいなと思っているからここでは割愛。


代わりに最後にみんなで話したテーマを書こうと思う。


そもそも今回、ぐちおは九州から私は新潟から東京にお上りした1番の目的は、1年前の夏に亡くなったMちゃんに手を合わせることだった。


私は2人と同期のリーダーを通じて、リーダーを名古屋に訪ねてきたMちゃんと日本ではしめましてだったけれども、シオくんとぐちおはドミニカで1年Mちゃんと任期がかぶっていて、その時からの縁になる。


シオくんが言った。


「まだ信じられないんだよね。

◯◯がもういないことに。

死ぬ2ヶ月か3ヶ月前だと思うけれど電話が来て、普通に電話で話して、何話したとかは全然覚えていないけれど、また次もあるって普通に思って。

まさかそれが最後になるなんて

◯◯が死んだってまだ今も全然実感がない」


◯◯とシオくんがあだ名呼びしていたことを今書きながら思い出した。


シオくんは私が年上だというのもあって、私のことは「武士俣さん」と呼ぶし、奥さんのことはわかんないけれども、当時付き合っていた女の子のことも「花子さん」と呼んでいた。


いつだったかシオくんと話した時に、シオくんは人の呼び方にポリシーを持っていて、基本的に誰に対しても「さん付け」で呼ぶと言っていた。


それは相手を敬う気持ちでそうしていると言っていて、だから同期のことは年齢関係なく年上でもあだ名呼びをしているけれど、それ以外の人たちのことはみんなさん付けで呼んでいた。


だからドミニカにいた当時、私のことを「武士俣さん」と呼んだのはシオくんともう1人私より年上のインテリ男子だけで、あとはみんな年齢関係なくぶっしーだとかぶっしーさんだとかそんな風に日本人の人たちからは呼ばれていた。(超どうでもいいけれど、私は今のところの職場とイケメン上司と同じだった職場以外は基本的にどこでも「武士俣」にまつわる何かしらのあだ名で職場では呼ばれるようになっていたから、当時からしても「武士俣さん」とポリシーを持ってさん呼びされるなんてすごく珍しいことだった。)


そんなシオくんがMちゃんのことを「◯◯」とあだ名で呼んでいたことは斬新で(話を頭の中で整理すると2人は同い年な気がする)、そこに深い絆と呼んでもいいものがあっただろうと感じた。


感情をほぼほぼ外に出さないシオくんが◯◯ちゃんとの最後やそれから1年何度もそして今も信じられない気持ちでいることを熱を帯びた話し方をしているところが、Mちゃんが残した偉大なものという感じやMちゃんの存在の大きさそのものがうかがえた。


次の日の土曜日にMちゃんの家に行けないのは、その日は奥さんの誕生日で、そこよりもMちゃんに手を合わせることを優先させたのなら色々支障がありまくりということで、それでやむを得ず今回は行くのを断念していたと言っていた。


Mちゃんなら絶対にそうしろと言うだろうことが目に浮かんだ。


そして半分どころか自分が何を具体的に話したかは忘れたけれども、感極まってウッとなって半泣きになりながらMちゃんから呼ばれて今ここに私もいられると思った話をシオくんとぐちおにした。


私はドミニカで全くMちゃんと任期が重なっていないから、本来なら知り合うことのなかった誰かだった。


けれどもリーダーが繋げてくれて(ちなみにリーダーとぐちおとシオくんは九州男児で、時々九州で集っている)、さらにはリーダーとぐちおのそれぞれの結婚式があった5年前の夏にもMちゃんと会っている。


すごく不思議な縁で繋がったわけだけど、正直な気持ち、1年前にみんなでお花や電報を出すとなった時も、今回の一周忌を見越した集いも、私は自分が参加していいのかどうかわからなかった。


そんな時、毎回欠かさず私に個人的に連絡をくれたのがぐちおで、ぐちおがいなかったら今目の前でぐちおとシオくんに会うとかその後Mちゃんの仏壇の前に手を合わせるとかみんなに会うとかできなかった。


『ぶっしーはフィーリングが合えば会った回数、時間に関係なく親近感を覚える人だと思って連絡した。』


1年前の夏、ぐちおとのLINEのやりとりの中で上のようにぐちおは返してくれた。


今回も今回で、周りはみんなMちゃんと親交が深い中、私は行って大丈夫なものか長く迷っていた。


今回行けたのは、ぐちおとすーさんがいてくれたから。


2人を頼れたらなんとなく行けると思えたのと、最後はカードに聞いてみよう!とこんな時までカードを引く自分もどうかと思うけれども、その何百枚と家の中にあるカードからペンジュラムがこれだと指す1枚を選んで見たら『Hello from heaven』と出てきて本当に腰を抜かすくらいにビックリして、あぁMちゃんが呼んでくれてるんだなと思ってそれでやっと行こうと決められた。


そんなこんなのこともシオくんとぐちおを前に話したと思う。


話してる途中、声が上ずるぐらいに涙も目に溜まるぐらいに感極まるつもりなどなかったけれども、私の咄嗟の反応はそれで、そうなってるとどこかで冷静に見ている自分は「うわー、やらかした。ゲッ( ̄∀ ̄;)」と思っていたけれど、私がそんな風でもシオくんもぐちおも私がなっているままにしてくれてた。


ドミニカにいた頃は今以上にとてつもなく恥ずかしい失態を犯しまくり、やらかしまくりだったから2人も慣れてるというかなんというかではあったけれども、そういう感じも恥ずかしいんだけど包まれてるやさしい空気がある。


上手く言えないけれど、その時が本当にMちゃんを偲んでいる感じが一番した。


誰も茶化さず真面目に本音を、お互いに思っていることの本音をポツポツと話せる、そういう場だった。


これ書きながら、もうあの日は今から10日も前になってしまって、徐々に「昔」という時系列側にどんどん向かってしまっているけれども、あの時のやさしい感じは今も体で覚えている感じ。


デカンタ1500ミリの白ワイン2本目とデザートの皿をしっかり空にして、サイゼリヤを後にした。


気付いたらうちら3人が最後の客だった。


サイゼリヤを出た後はシオくん誘導の下、駅まで連れて行ってもらった。


もはやどんな道を歩いてどの駅に着いたかも全くわからないまま、私はここですと連れて行かれた駅から地下鉄に乗って次なる目的地、横浜のすーさん宅を目指した。

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