2022年5月1日日曜日

餃子・占星術・手紙

10連休初日に作った餃子
2022/04/30

昭和62年に届いた手紙

差出人は、母方祖母のばばちゃん

武士俣の本家からもらった広辞苑
2022年3月の終わり




連休初日の1番の功労は、おいしい餃子を作れたこと。

今回は少し趣向を変えてやってみた。


いつもは水を入れて蒸すところをお湯で蒸したこと。


もう1つ、蒸し上げた後、餃子と餃子の隙間に油を足してカリッとさせたこと。


盛り方のセンスはさておき、史上最高においしいと感じた餃子になった。


他に工夫した点は、アジア系の人に昔むかし作り方を教えてもらったという、皮から手作りする妹夫婦いわく、餃子に使うキャベツでも白菜でもみじん切りにした後塩もみをすると良いらしいとのことで、それは時間に余裕がある時はいつもしている。


今回もした。


タレは最近のマイブームとして、味噌+酢+ラー油にした。


神戸では味噌ダレで食べると知って、その時はそこまで感動したわけじゃなかったけれど、ここ1年くらいは思い立ってそのようにしていて、それがとってもおいしくて感動している。


皿はそれこそいつかのヤマザキパン祭りのもの。


これもまたとっても強度の高いお皿。


ちょっと今回は長めの写真解説というか、単なる食べ物の話。







ここからが本当に書きたいこと。


予定通り、占星術講座を受けた。


ドラゴンヘッドやドラゴンテイルと呼ばれる、「ノード」に関しての講座。


魂のテーマとも言われているもの。


講座は眠くなりながら聞いていたけれど、色々聞きながら自分の頭の中を整理して、そして普通にはありえないくらいのことがイケメン上司と私との間で起こっていたことがわかった。


イケメン上司とかぶっていた時間は、4ヶ月弱。


仮に人生80年生きたとして、その中のたった4ヶ月弱。


そんな時に空の星模様はこんな風になっていた。



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《イケメン上司側》

「ノードリターン」と呼ばれる、生まれた時のドラゴンヘッドの位置に、今現在のドラゴンヘッドが重なる。

それが起こるのは、18〜19年に1回。


《私側》

「中年の危機」の1つに数えられる天体回り。

生まれた時の冥王星の位置に対して、90度進んだ位置に今現在の冥王星がやってくる。

それが起こるのは生涯に1回。


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前回のブログにちょこっと書いて気付いたけれど、おそらく今は事務所そのものが閉鎖になっただろうこと。


当時同じ職場にいたSさんから聞いた話によると、私がいた時というのは、例えば新潟県の中にも同じ事業をする企業が複数社入っていたとのこと。


それを今後は、1つの企業が新潟県全域を担当して、また別の企業は他県全域を担当してみたいな編成に変わるらしいと聞いて、その関係でイケメン上司が所属する企業は新潟県の担当から外れたとのことで、事務所閉鎖の流れになったらしい。


空の星模様も、複数の大企業の編成も、どちらも私個人の力なんて何にも関係がなくて、願ったり操作したりしたらなんとかなるなんていうレベルのものじゃない。


しかもどちらも私の方が計画とか実行とかできるものでは一切ない。


そんな条件たちをクリアしていただなんて、本当に凄いことだったんだと改めて思った。


10連休初日の夜に受けた占星術講座は、私が欲しい情報はなくて、もうこれ以上占星術講座から何かヒントを得るのは難しいかなという感想だった。


これは私の予想だけれど、イケメン上司と私とがそれぞれの人生に登場するなんていうのは深い意図ゆえにもう外部からは情報は入ってこず、自分で見つけるなり決めるなり体験するなりして答えを出すようなものなのかもしれないと思ってもいる。


深い意図というのは、私が感知できるような内容ではなくて、魂なのか神々の審議会なのか他のそうした目に見えない世界の何かなのか、そういう領域でしか動かすことのできないもの、そんな風に感じた。







すごい強制力のある事柄が3つも当時重なっていて、そこにいられたのは奇跡としか呼べない。


新潟勤務だってイケメン上司の希望とはとても思えないし、私とて新潟に再び住むことは当初予定になかった。


仕事も求人を見たとかではなくて、そういう仕事がありますがどうですか?と電話が派遣会社から来て、あっという間に決まっていった。


有無を言わさないくらいの速さで、過去最速に近い決まり方だった。


昨日占星術の講座を受けて、受講者は全国各地、男性も複数名おられたようで(占星術講座で男性がいるのは珍しい)、とにかくバラエティに富んでいた。


私の初級講座の時の先生も受講者で受けていて、だからその先生と講座の先生の2人は知っているけれど、それ以外の方たちは誰も知らなくて、その時にも改めて誰が誰かを知り合うってすごい確率の中で起こっているんだなと改めて思った。


星回りに限らず、誰かと誰かが同じタイミングで同じ土地にいてそして「佐藤さん」「鈴木さん」並みに名前と顔を互いに知り合うってそれだけでも本当にすごくて、そこにプラスして何かがあるとするなら、私の場合、イケメン上司の登場によって癒しやら潜在能力開花やら本当にすごいことが盛りだくさんだったわけだけれど、こんなの普通じゃない中でも最上級の普通じゃない。


イケメン上司側のノードリターンの影響はどうだったのかわからないけれど、私側の中年の危機の冥王星の一生に一度しかない星回りは本当に「一生に一度」の名にふさわしくものすごい影響力だった。


そんなことになるとは想像もせずにトコトコとイケメン上司がいる職場に行ったわけだけど、それ以前とそれ以後の人生があまりにも違いすぎて、私の人生だけれど、生き直しというか丸っと別の人生の開始というか、それくらいの影響力があった。







この間、何かの探し物のついでに、今は亡き母方祖母のばばちゃんからもらった唯一の手紙も出して目につくところに置いておいた。


何となく目に触れるところに置いておきたくてそうしたに過ぎなかった。


その手紙は、小学校3年生の頃、国語の授業の一環で誰かに手紙を書いて出すというものだった。


私はばばちゃんに何かしらの手紙を書いて、その返事がその手紙としてやってきた。


今となっては唯一無二のばばちゃん直筆の手紙で尚且つ唯一無二のばばちゃんからもらった手紙になる。


ふといつだったかの朝に手紙の封筒が裏返しになっていてパッと見て驚いた。


ばばちゃんの内孫にあたるいとことも文通していた時期があるから、その数字を思い起こせば、そんな数字だったかもしれないと思いながらも、とにかくその数字に心底驚いた。


ばばちゃんの家の住所の番地は、イケメン上司の誕生日の数字と全く同じになる。


私なら3月11日で311になるみたいに、ばばちゃんの家の住所の番地はイケメン上司の誕生日になる。


すごい偶然過ぎて、言葉を失った。


消印は昭和62年になっている。


当時私が小学3年生ということは、イケメン上司は小学2年生になる。


私の姪っ子がこの4月から小学1年生になった。


そのくらいの年齢の時にお互いを知るわけもなく、当たり前だけれど、住所の番地なんていうのは行政とかが決めるだろうもので個人でなんか決められない、そんなものが未来に出逢う誰かの誕生日と重なるなんて、どれだけの確率なのかと思った。


偶然の一言で片付けられるものかもしれない。


でも私はその数字を見た時に、きちんと私が気付けるように、ありとあらゆるものたちが長い年月をかけてセットされていたんじゃないのかと思った。


それも、ばばちゃんというのは私の血を今に繋げてくれた人なわけで、そういう血を繋いで命を繋いでもらって初めて成り立つ色んなことの証みたいにも感じて、ご先祖様が全力で協力してくれて成り立つ出逢いだったんじゃないのかとさえ私は思った。


学校の授業なんかはほとんど記憶を失っているけれども、それも3年生の8歳の自分の記憶なら尚のこと無に等しいくらいに無いけれども、手紙のことは薄ぼんやりと憶えている。


遠方に出す手紙となるとばばちゃんしか私にはいなくて、選択肢もばばちゃん一択だったと思うけれど、まさかあの頃の出来事が35年の時を経て43歳の私の元に届けられるとは、とてもドラマチックな話だなと感じる。


しかも自分が出したからと言ってばばちゃんから返事が来るなんていうのは設定できない。


ばばちゃんの手紙は、封筒の表書きはばばちゃんにとって初孫にあたる私の2つ上のりょうちゃんに書いてもらっていて、そして中はばばちゃん本人が書いていた。


ばばちゃんは字は読めるけれども書くのはひらがなと最低限の漢字という程度で、それで目一杯の気持ちをそこに込めて書いてくれていたのがわかる。


今生きているなら100歳近い年齢の田舎の女性の立場を考えたら、文字を書くというのはすごく能力を要することだったと思う。


そういう色んなことを経て私の元に届けられた手紙だと今になって気付いて、さらに感動もひとしおだった。


話は変わるけれど、この間メルカリでアンティーク調の海外の星座のカードを買った。


友達の誕生日星座で、今年はそれにメッセージを書いて送ろうと思って買った。


その時に売り主の方にどうやって手に入れたのかを聞いたら(イギリスからやってきたとのこと)、売り主の方から「手書きでメッセージを送れるのが羨ましい」というようなことを言われた。


続けて「自分は字が汚いから、手書きのメッセージカードを贈る勇気がない」みたいなことも書かれてあった。


ばばちゃんが孫に手紙を書くのに、そういう勇気が必要だったのかどうかはわからない。


でも少なくとも封筒は5年生の孫にお願いするくらいだったから、自分の文字を多少なりとも気にはしていたと思う。


でもその気持ちよりも孫を想う気持ちの方が勝っていて、それで届けられた手紙だっただろうと予想する。


そんな手紙にまさかのイケメン上司に繋がる暗号みたいなものが含まれていたなんて、本当に運命ってあるんじゃないかと思った。


命が運ばれていく。


どこかに向かって、色んな人たちに助けてもらって運ばれていく、そんな風に思った。







そのイギリスのカードの話もしたかったことを思い出したから書きたい。


メルカリで出品者さんとやりとりした時に、「自分の字を気にせずに手紙を書けるって、それも1つの大切な条件だったんだな」と初めて気付かされた。


イケメン上司に手紙を書こうとなった時、「怒涛」という言葉がピッタリなくらいに突然思い立って、書く書かないなんてごちゃごちゃ考える時間もなく、とにもかくにも「書く」以外に選択肢なんかないみたいな感じで書き出して、2日間連続で各日8時間近く書いていたかと思うけれど(初日が下書き、2日目が本番)、その時に「自分の字をさらすなんて」とか「自分の字は汚いから手紙なんて書けない」とか、そんなことは1ミリも思わなかったなと気付いた。


自分の字はそこそこ好きだし、でもかと言って自慢できるような字とも違うけれど(きれいとは褒められるけれど、言うほどすごいとは思ってない)、字のことで書く書かないっていう悩み方をあの時一切しなかったことに初めて気付いて、それもある意味大切な条件だったんだと知った。


メルカリの出品者さんの字は私的になぜその方がそこまで自分の字を気にするのかわからなかったけれども(丁寧かつ読みやすい字だった)、もし私がその方みたいな考えを自分の字に抱いていたのなら、あの手紙は生まれることさえなかったんだなと思った。


はちゃめちゃ加減は半端なかったにしても、書いて良かったなと思ってる。


ばばちゃんの手紙を見て、それはさらに一層そう思った。


もうこの世にばばちゃんがいなくても手紙は私のところに残っている。


もしイケメン上司があの手紙を捨てたとしても、私はそれさえも良いと思っている。


誰かの元に何か「モノ」を届けるというのは、それは生きている時だけの特権だから。


だからそれが捨てられてもうどこにも存在していなくても私は構わない。


私ができるところ、書いて届ける、そこだけは勢いに任せてやりきれたから、それは後悔していない。


もうばばちゃんにはどんなに手紙を書いて届けたくてもそれが叶わないから、そしてもし今イケメン上司に新たな手紙を書いて渡すこともそれも別の意味で叶わないから、だから可能な時に可能性全てを現実にできて良かった。


だから捨てられようが燃やされようがそれはもうイケメン上司側の選択肢だから、私が決められることじゃない。


とにかく、あんな風に当時形にすることができて本当に良かった。







イケメン上司が忙しいのかもはやこのブログに興味が失せたのか、そのあたりは全くわからないけれど、最近見てる風な様子がかなり減ってきてそういう気配を感じるから、ちょっと無理やりな感じはあるけれど、他にも書きたいことを詰め詰めで書いてしまいたい。


武士俣の家の本家の最後の当主が2月に亡くなって、一度だけ父と母が片付けに行くのに一緒に行って、そこで広辞苑を見つけて形見分けじゃないけれど、その広辞苑が欲しいと言って、父が親族に連絡をしてくれて無事私の手元に届いたのが3月の終わりだったと思う。


しばらく茶の間で部屋干しをして(両親がしてくれた)、そしてある時に私の部屋に迎え入れた。


迎え入れてしばらくしたある日、「そうだ!」と思って私は広辞苑を引いた。


当時の時代的に、どんな風に表現されていたんだろう?と気になった言葉を引こうとして広辞苑を開いた。


私が探そうとしていた言葉より後にくる言葉のページに先に行き着いて、そしてパッとそのページにある言葉を見て驚いた。


私が広辞苑で最初に引いたというか目にした言葉は、なんとイケメン上司の名前だった。


もちろん、そんなのを狙ったんじゃない。


狙ってはないけれど、別の言葉を見るつもりが結果的にイケメン上司の名前に最初に当たるという、これもまたビックリ仰天な展開になった。


武士俣の本家は父方の血筋になるわけで、ばばちゃんとはまた別の先祖的な流れになる。


どこかに書いたかどうかも忘れたけれど、父の母、私からしたら父方の祖母の旧姓にイケメン上司の名前の漢字が一字入っている。(ばばちゃんでもなく、武士俣本家でもない、また別の血筋)


こういうことがいかにも魂の繋がりという気がする。


私の知らない血縁者たちが持っていた名前だの住所だのモノだの、そういうこととイケメン上司が毎回何かしらシンクロするなんて、本当にすごいドラマだなと思う。


それだけ強固というか強烈だと、そりゃもう逃げたくもなる変なオーラ・空気みたいなのを私が放っていてもおかしくない。


色々あきらめの境地みたいなところに少しずつ近付きつつある私は、私の方は色々良かったけれど、イケメン上司側は本当に色々微妙すぎて耐えられなかったのかもしれないのと、そんな微妙すぎるような人と会いたいかと言えばそんなわけないから、もう色々仕方ないと悟りみたいな気持ちになることもある。


魂の繋がりが強すぎて、「近寄るな危険」のオーラが私から出まくりだったかもしれない。


いずれにしても、広辞苑からもイケメン上司の名前よこんにちは!なことが起こっていた。







最後に、つい昨日か今日(5/1)ネットで読んで初めて考えた妄想の話。


何で読んだのかも忘れたけれど、過去の自分の気持ちを赤裸々に書いたものを今のパートナーが目にしてどうのこうのという話を読んだ。


それを読んで、もし私が今後誰かと出逢って一緒になろう!ってなったら、このブログをどうするんだろうって考えた。


本当にしょうもない話だけれど、そんなこと今まで考えたこともなかったけれど、本当にそんなことが未来に起こったとするなら私はどうするのかなとまるで娯楽のような気持ちでしばしば考えた。


最初に出た案は、全部第三者が一切読めない設定にすること。


仕分けてアップできるものはアップすることも考えたけれど、今でさえ区別や整理ができてないこのブログをそんな自分の都合の良いように設定を変えるとなると、現実的じゃないなと思った。


私の過去も全てを知りたいし受け入れたいなんていうスーパー奇特な人が現れるとするなら話は別だけど、あまりにも起こりそうにもない話すぎて、せいぜいがこのブログを見えない設定にするのが一番在り方としては良いかなと思った。


それはイケメン上司に出逢ったことをないことにしたいからじゃなくて、私と一緒にいたいなどというスーパー奇特な誰かを大切にしたいから、その人を傷付けるようなもしくはモヤモヤとさせるようなものは、私が何とかすることで何とかなるならそうしたいと思っている。


ブログを続けたいのなら、また新たにブログを開設してやればいいだけのことだから、これは私だけが読めるように設定を変える、そうしよう!、ともはや現実に起こりもしない心配というか計画なんかを勝手に立てた。


そしてその起こりそうにもない計画を立てた時に、イケメン上司がいつまでもブログを見てくれるなんていう保証もなければ、私がずっと続けて書ける保証もない。


どんなことにも終わりがあるように、このブログともいつかはお別れする時がくるんだなと思った。


イケメン上司の誕生日向けのカードリーディングの舞台裏の話とか、去年から書く書く詐欺になりつつある2つのイケメン上司にまつわる記事とか、本当に真面目に書こうと思った。


イケメン上司がいつまで見てくれるかもわからないし、私だっていつまでもこうして書けるとは限らない。


だからダラダラと先延ばしにせず、書けるものは早めと書けるように努めようと思った。

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