2021年4月27日火曜日

衝撃。心の徒然。

衝撃。


今の気持ちを言い表そうと言葉を探ると「衝撃」だった。


衝撃、が近いと思う。







日曜日の昼前、私は近くのスーパーに行った。


その後、ここ1年の中で一番と言ってもいい頭痛に見舞われるその直前、とりあえず必要なものだけを買いにスーパーに行った。


うちを出てすぐの小さな交差点で私は1台の車とすれ違った。


最初、近所の小川さんの車かと思った。


だけど普通に考えて、小川さんは大通りとは反対方向に向かってるわ、さらに小路に入る道へと右折しようとしてるわで、明らかに変だった。


で、とっさに私はなぜかナンバープレートを見た。


見慣れたゾロ目だった。


えっ、まさか!?と思った。


でも、私の知ってる人なら、大通りとは反対方向に走るのも、そこで右折してさらなるマニアックな方に行くのもわかる。


4年前の職場で一緒だった男性の車だと思う。


買物から戻って、うちから徒歩30秒みたいなカフェの駐車場を見たらその車が止まっているのが見えた。


間違いない。


それで私は月曜の朝に当時仲良くさせてもらっていた、そして今も時々不定期に連絡を取るSさんに連絡をした。


多分Wさんだと思うんだけどまだ新潟勤務なのか、そうじゃなくて私の見間違いなのかを知りたくて、そのあまりにもしょうもない内容で連絡をした。


Sさんとは超どうでもいいことから真面目な話までなんだかんだと話した仲ゆえに、そういうLINEも許されるだろうと思って連絡できる。


Sさんは変わらずにおだやかな返信をくれた。


その中でまず1つ目にハッとしたのは、私たちが行っていたその職場は今年の8月くらいまでだということだった。


建物はなくならないけれど、事務所は閉鎖になる。


色んな意味で寂しかったけれども、まぁそれはいつかそんな日が来るというのは多分1年くらい前から聞いていたから、あぁ本当にそうなるんだと静かに自分の中でそのことに対して色々思い巡らせた。


Sさんと来月会う約束をして、そのことをやりとりした次のLINEだった。


1年前コロナが始まった当初、Sさんと会う約束を一度したけれども、Sさんの職場の不要不急の外出の徹底ぶりが半端なくて、それでSさんの方から落ち着くまで会えそうにないと泣く泣く言われた。


それは仕方のないことだから、また会える時になったら会いましょうと話していた。


だけどコロナは落ち着かないし、職場の体制的に不要不急の外出自粛を徹底しているのなら私の方からは声をかけづらくて、それはSさんだけじゃないけれども、とにかく私も気付けば誰にも会ってない日々になっている。


そんなこんなで、今回Sさんから声をかけてもらえたのはとっても嬉しくて、しかも先週金沢の妹家族の元に行ってきたことを伝えた上でも会いましょ!と具体的に日にちをSさんから出してくれて、私は本当に会えるのが嬉しくてルンルンした。


そのテンションが上がった先に、衝撃な情報がまさかその後爆弾のようにやってくるなんて知らなくて、Sさんの返信を読んで私は固まった。


半分は自分が蒔いた種だから自爆テロみたいなものではあったけれども、遥かに想像を超えるというか、想定範囲外の答えが返ってきて私は言葉を失った。


幸い返信しなくても大丈夫な感じで最後終わっているから、次回連絡する時はお互いに会う前日くらいでいいわけで、そこだけが救いだった。


Sさんがその前の内容で、Sさんの今の職場の上司にあたる人の役職名が当時私たちが行っていた会社の上司の役職名と一緒だということを書いてきた。


私はそこで考えた。


この話をスルーするのはなんとなくおかしい。


他のやりとりをお互いに返し合っているのに、そこだけスルーはおかしい。


そう思ったのと、こんな機会でもなければ名指しで「◯◯さん元気ですか」なんてつっこめないから、その役職名+Sさんの職場の今の上司と当時の上司との空気感の違いをさらりと書いて、その最後に私は◯◯さんは元気ですかと思いきって書いてみた。


私の中のSさんの返しは、「元気そうです」か「元気だと思います」ぐらいの選択肢しかなかった。


それ以外何にも考えてもなければ、それ以上何かあったとしてもSさんは余計なことは言わない人だから相手のプライバシーをそっとしておくだろうと思った。


それがまさかの◯◯さんの転勤先情報がもれなく付いてきて返されてきた。


そこはさらりと書かれていて、最後にまた会ってたくさん話しましょうみたいな終わり方だったから、だから私も夜も遅いからそのままにして今に至ることができている。


関係ないけれど、今日の仕事のことで思い出したらどんどん腹が立つことが出てきて、今週はあと明日火曜と明後日水曜仕事に行けばその後は有休含めての8連休で、だから腹の立つことはもう水に流そうと思ったりしていたところだった。


Sさんからの情報によって、一瞬で仕事の怒りは水に流れた。


というか、そんなことはどうでも良くなって、それよりも転勤の話が、いや転勤の話というよりもそのことがトリガーとなっていっぱい色んなことがモクモクと出てきて、それでいてもたってもいられずに、こうしてブログを書き始めた。







頭が痛い件は、もしかしてこの予兆だったんだろうか?なんて考えた。


色々不調になる条件は揃っている。


だけれど、頭が割れるくらいに痛くなって(脳梗塞とかの心配するあたりが自分もそこそこの年齢になったんだなぁなんて思った)、明らかに何かがおかしくて、これはどうしたことだろうと思っていた。


寝ても痛いし、薬飲んでなんとか治まるみたいな感じで、そこまで頭が痛いなんてもしやコロナ?えっ?何?ってなってた。


体調不良の時にこんなこと考える人も他にいるのか知らないけれど、それと合わせてこの間から喉から鼻の奥のつながりラインが変な感じになっていて、私はその変な感じを感じる度に「もしかして私泣きたいのかも?泣くの我慢してる?」なんて考えていた。


喉が痛いのとも違って、鼻が出るのともこれまた違って、いっぱい泣いた後おでこのあたりから鼻、そして喉にかけてシューっとする感じ、あの感じがある。


これは私の風邪の引き方にはないタイプの感触で(コロナならまずい、けれどもコロナの症状とは明らかに異なる、なんなら熱もない、そして今ホルモンバランス調整期間だからそちらの不調は普通にある)、いつか珍しく鼻風邪のとても酷いバージョンになった時あれこれ調べ物をしていたら、鼻風邪というのは泣けない代わりに身体が泣いた時と同じ身体の状態を作ろうとするとどこかにあって、妙に納得したことがあった。


まさにその感じがその時の鼻風邪の私の身体の中で起こっていたことだった。


その時以降そんな風に自分の体を見るようになったけれども、今回のはまさにそんな風に近い。


鼻水もくしゃみも咳も出ないけれども、喉のあたりがツーとして、それが泣きまくった後みたく鼻の奥の方までその感覚が続いている。


だから何か泣きたいようなことは特段思い当たらないけれど、自分では感知できない何か泣きたい理由や衝動が心の奥底にあるのかもしれない、なんてのんきに考えたりもしていた。


泣きたいかはわからない。


だけど、涙がポロポロ出てきてもおかしくないくらいの衝撃はあった。


衝撃はあったけれども、衝撃が凄すぎたのか誤魔化してるだけなのか、涙は一滴も出ていない。


出てくる気配もない。


代わりに喉のスースー感がずっと「ここにあるよ」と言わんばかりにドンと存在している。







衝撃が凄すぎたけれども、思い出せる限りその時にパッと出てきたことを書き連ねてみよう。


・知らない。この先も何が人生で起こっていようと知らされることもなければ、今回はたまたま知り得たけれども今後はこういうことはない。


・どこかでバッタリは絶対にない。


・交わらない。人生がかつてのように交わったようにもう交わることはない。


・喪失感。自分の足元がグラグラする感じ。


・切れてしまう。繋がっていたと思っていたものが切れてしまう。


・明日仕事に行く。来月もその次も。またある時は仕事なり生きるシーンが変わる時がくる。あと生きているうちにいくつ変わるかわからない。わからないけれど、そのシーンがどんなに変わろうともその人はいない。


・遠い。本当に遠い。







不思議な繋がり方の人だった、と改めて感じた。


色んな人たちが自分の人生に登場してくる。


本当に私にはもったいないくらい素敵な人たちにたくさん出会わせてもらった。


分不相応と思うことはたくさんあっても、とにかく私と知り合って仲良くしてくれた数々の人たちはそんなこと全く意に介さず、仲良くしてくれてる。


その人はそういう繋がり方をしない人だった。


私は何かしら仲良くなれたらいいなぁとは思ったけれども、そういうことは私の人生には不要と判断されたのか、相手から不要とされたのか、その両方かは知らないけれども、とにかく仲良くなる間柄には残念過ぎながらなれなかった。


「残念ながら」だと弱すぎて、わざと「残念過ぎながら」と書いた。


相手が私に残した印象のインパクトはこの世のものとは思えない強烈なものだったけれども、字のごとく、強くて烈(はげ)しかったけれども、それは魂の成せる技だというのも自分なりに解釈してきたけれども、とにかく色んなことが異次元すぎた。


相変わらず、その人は私の中心にあって、私は信仰や宗教なんていうものの感覚は全くわからないけれども、言うなればそういう信仰に近い、何か自分の中で何の理由も理屈もなく信じられて自分の中で勝手に慕うもの、慕ってしまう相手という感じが続いている。


その部分に大きく斬り込みが入った感じがした。


単なる物理的な距離がさらに拡大しただけのことで、じゃあ物理的な距離が縮まれば関係性も近くなるのか?といえばそんなことは絶対にないわけで、だから物理的な距離が拡大したからと言って私の毎日も相手の毎日も何一つ変わらない。


そもそも繋がらない相手でしょ、と言われたら元も子もない。


私の勘違いかもしれない。


むしろ勘違いの方がいいかもしれない。


でも、私の勘違いでなければ、今ごろ私なんかは同じ地球上に存在さえしていないかのような立ち位置の超他人になる。


物理的な関係性は上に書いたことがまさにピッタリだからそれは否定しない。


むしろ、異論なし賛成に手を挙げてもいい。


でも、私が見ている世界では違う。


私はブログを書かない日でも1日に何回となくブログのチェックをする。


それはもうどんなに具合の悪い昨日みたいな日でもする。


私がブログをチェックするただ1つの理由は、その人の生存確認とその人が何を確認するかを見ている。


ブログの管理者である私でさえもたどり着けないようなマニアックな記事が読まれる。(冗談抜きで、Google側のブログの基本設定が変わってからは私も自分の過去のブログにはたどり着けない。) 


そうしたマニアックなものが読まれたと知る時に、嬉しい気持ちももちろんあるけれども、こんなこと言ったらはたかれそうだけれど、もしくは全否定されそうだけれど、なんとなくその人の中にあるさみしさや心の誰にも見せない何かみたいなものの存在をなんとなく感じる自分がいる。


実際にはどこまで何を読んだり見たりしているのかはわからない。


だけど、自分の心の中に何か響くものがなければ同じ文章を何回も何回もチェックするなんてしない。


だから物理的には一番遠くて関係ないみたいな位置に私はいるけれども、見えないところでは物理的なものとは別の何かがあるように私は感じている。


物理的な距離云々よりもそういうことさえも何も知らない知らされない自分というのが、なんだか立っていられなくなるようなそういう気持ちだった。


衝撃と共に呆然となった。


自分の中で何かギリギリで保っていたつもりのものが、一瞬で崩れたみたいな、上手く言えないけれども本当に変な不安定感が広がった。


そうだ。


これからどうやって自分と折り合いをつけようかというのも思った。


そういうのは時間がかかるから今すぐどうこうしようとは思わないけれども、なんかもう自分の中でちょうど加減の良い距離感やら自分との付き合い方を見つけないとなぁなんて思った。


相手からした自分の存在というか立ち位置に対して、普通にショックはショックだった。


年内どこかのタイミングで、私は東京に行く素晴らしい用事ができた。


そして上手くいけばその用事を理由に年に何回かは東京やその近郊に行くことになりそうと思ったりもしていた。


多分そっちは本当に具体的に動くタイミングが来ると思う。


ちなみに何をするかと言えば、人に会って話聞いて聞いた話を言葉に起こす。


それが何になるかなんてわからないけれども、何か面白い試みになるなぁなんて思っていた。


と同時にその人とほんの少しの時間とほんの少しの距離がその時だけ縮まるんだなぁなんて、ほんのりと思っていた。


だから?


と聞かれたら「いや、何にもないけれど」ってなってしまっても、それでもそんな風に感じる自分が確実にいた。


そういうことも含めて、なんだかすべてが遠いことですべてがいつか確実に消えて無くなるもの、その強い勢力がどんどん増してしまいそうで哀しい。







真夜中の力ってすごい。


そして書くことの力もすごい。


真夜中にこうして淡々と書き続けていると、いくらでも言葉がポロポロと出てくる。


木曜日からの連休でこんなことできるか知らないけれども、部屋を暗くして布団にくるまってこうして書いて、そうしたらそのうち泣けるようになるかもしれない。


書いていて、自分はなんとなく泣きたいんだろうというのはわかった。


だけどあと4時間もしたら起きて仕事行かないとだし、下手したら残業だし、そういうことをするには自分の中で緊張感と理性がいる。


それをあと2日したらしばらく緊張感と理性は要らないし、そしてその時に今くらいに気持ちが奥の方に潜れそうなら潜るだけ潜ってそこで泣きスイッチが入るのを待てばいい。


今おかしなことを思った。


コロナによって人と簡単に会えなくなって、ますます心の繋がりや目に見えない部分の繋がりが大事だと注目されるようになった。


これってある種モデルケースで時代の最先端を行ってるのかもしれない。


な〜んて、おかしなことを考えた。


私明日はどういうテンションで仕事してるんだろう


少しだけ救いなのが、明日はこんなの今の仕事をして初めての仕事だけれど、基本的に既存の英訳をひたすらエクセルに入力するというもので、入力しながらおかしな英訳があつたら直す、というのを延々とやる。


集中力もいるし、時間もかかるから、今ここに書いたことは忘れていられそう。


じっくりと味わいたいものとは違うから、でも放っておくと後が大変になるだろうから、それを避けるためにとりあえず無視せずに自分と向き合ってみようかというところ。


ごちゃごちゃ書かず、ここでやめてアップしよう。


読み返してないし誤字脱字もチェックしてないから、なかなかの文章仕上がりじゃないかと思う。

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