2015年1月9日金曜日

思い出が乗る

年末年始、実家に帰省した際、1冊の絵本を久しぶりに手に取って読んだ。

川端誠さんの『お化けの冬ごもり』という本。

川端誠さんの絵本原画展に行った際に出会った本で、

たまたま足を運んだ日に本人もおられて、絵本に直接サインをしてもらった。

ちなみに新聞でその原画展の開催記事を見るまで、川端誠さんのことは全く知らなかった。

どんな絵本を描く方なのか皆目見当もつかず、ただただ「絵本の原画」という言葉に魅せられて

足を運んだのだった。

2005年8月21日。

それが絵本原画展に行った日だ。

だだっ広い駐車場に、一足お先にと言わんばかりに咲いていたピンクのコスモス。

でかい美術館なのに、へんぴな場所にあるおかげで駐車場はガラガラだった。

川端誠さんの絵本の原画は、これまでに見た絵本の原画とは全く違っていた。

あらゆる手段を用いて絵は表現され、わたしはそのひとつひとつに魅了された。

原画と絵の物語とに引き込まれ、途中から自分が泣いていたことも憶えている。

田んぼの稲がすっかり大きくなり、そろそろ穂が垂れるという秋目前のその頃。

稲穂もコスモスもありながら、その日も暑い夏の1日だった。

わたしはなぜかその季節外れの『お化けの冬ごもり』という本が面白いと思い、

原画展に使われた絵の絵本と2冊購入して帰ってきた。

買った日から10回冬を迎えたことになる。

だけど、どういうわけかわたしはこの絵本を真冬の雪がもさもさと降る時節に読んだことがない。

今回10回目の冬に、そうだ、今読んだらさぞかし臨場感あふれる内容だろうと思い、

それで初めて冬のある日にこの絵本を読んだのだった。

まだあれから数日しか経っていないのに、大昔のことのように感じる。

物語は暗記している位何回も読んだから、今回もまた文字を目で追い、

文字の内容を今度は絵で確認し、1ページ1ページと進んだ。

何ページ目かに差し掛かった時。

あっ、と驚いた。

そこには、この冬のクリスマスの日、両親と見た景色とそっくり同じものが描かれていたから。

何が描かれていたかというと、小さなかまくら、大きさで言えばバケツ1杯分位の大きさ、

そのかまくらにろうそくを灯し、幾つも幾つも小さなかまくらをだだっ広い雪原に置き、

幻想的な雰囲気をかもし出している、

この目で確実に見た景色と同じ景色が絵本の中にも描かれていた。

何回も目を通した絵のはずなのに、クリスマスの日、小さなかまくらキャンドルを見ても、

全然絵本のことは思い返されなかった。


初めての体験だった。

逆のパターンの体験、要は絵本なり何か別のものを見て過去を思い出すことはあっても、

先に絵を見ていて、それと同じ体験を未来にするというのは、これまで一度もなかったと思う。

しかも、今回は母親が勤務先の人から雪上イルミネーションの催しがある、

それもちょうどその日が最終日ということを聞きつけ、

そして、たまたまわたしが帰省する時間帯と、降りる高速バスの停留所から近いという理由で、

じゃあ行ってみよう!となったのだった。

開催場所は、うちの家からは同じ市内とはいえとてつもなく遠い。

冬なら1時間弱はかかる。

だけど、数年前、たまたま父の小学校からの同級生がその地区に引っ越し、

その同級生夫婦は父何十年と行きつけの床屋さんでもあって、

父は今でも、看板を下ろした床屋さんへ通っている。

面倒くさいといつもなら言いそうな父も、その日は夕食の酒も断ち、

ハンドルを握って、何回も通ったその道を運転してくれた。

幾つもの小さな小さなことが重なると、大きな絵が浮かび上がる。


次、どのタイミングで『お化けの冬ごもり』を開くかはわからない。

だけど、次からはこの冬に見た景色や、父と母とのやりとり、

大粒の雪が降ったり止んだりしたあの夜の天気、

そういうものがあのページをめくる度に蘇ってくるだろう。

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