2025年7月20日日曜日

7月の週末

フランス語に興味を持つきっかけになったオラクルカードとそのガイドブック


奥側の方がそのフランス語のオラクルカード

手前の7つの箱は最近購入したけれど開けていないカードたち


珍しく雨が降った日の夕方に虹が出ていた
空の赤く染まっているところが虹のかけら
2025/07/15

今年も見に行ってきた紫陽花

同じく紫陽花公園
2025/6/21
日付見て1ヶ月前と知って驚いた!

紫陽花公園と同じ日に川に行ってきた

ペンジュラムがその時にだけ見せてくれた唯一無二の新しい動き、この川の前で雨の中見ていた

2017年の秋



2025/07/13


7月の日曜日の午前中。


外は快晴の中、私はクーラーがガンガンと入っている室内ですぐ横には布団もある自分の部屋でこれを書いている。


書こうと思えばいくらでもネタはあるけれども、3月くらいから書く気持ちが薄れて、なんなら5年日記もだいぶ放置(時々気が向いたら数日分まとめて書く)、ブログはさらに優先順位が低いからもっと放置。


気付いたら7月。


この調子だと気付いたら秋とか言ってそう(。-_-。)







3月くらいからだと思うけれど、仕事で理不尽極まりない言葉や対応の嵐で毎週末のようにグッタリして上手いこと気持ちの切り替えもできず、とんでも案件ばかり当たりまくり、当たって対応したらしたで重箱の隅をつつくようなことややらない人たちがあたかも正論振りかざしてきて私の仕事への落ち度を責め立てたり(じゃあおまえがやれよ!と何度思ったか知れない)、本当にグッタリグッタリな時間が続きまくっていたけれど、ようやく少しだけ息をつけるくらいにはなってきたかな…とうっすら期待できるところに今たどり着いて、ちょっとだけ週末も動けるようになった。


ちなみにちょっとだけ動けるのちょっとは、畳半畳分くらいのスペースを確保することとか、ずっとため続けてきた新しいオラクルカードたちを開封するとか。


この数ヶ月でどハマりしたのは、ネットゲームでこれはほぼ毎日している。


少しだけ言い訳すると、本当にメンタルかなりしんどかったから、カードとか書き物はもはや余力がなくてできず、でも何かしていないと嫌なことがグルグルと頭と体の中を駆け巡るからそれも困り、そんな中でゲームは少しの間現実逃避するにはこの上なく良いことがわかった。


適度に気持ちを嫌なところから目を逸らすのにゲームは頭を使わなくてでも手を使って目の前の攻略に頭を使うから良いんだなと思った。







さてはて、少し新しいことを始めそうな予感でこの週末はちょっとウキウキ、これの前段階でも胸が弾むというかこういうことをみんな世の人は楽しんでいたのかしら?ということが。


ちょっと独学でフランス語を学んでみようかなと。


フランスに旅行に行きたいのでもなく、フランス語でコミュニケーションを取りたいとかでもない。


私が興味を持ったのはオラクルカード。


絵柄がすごく気に入った絶版と思しきオラクルカードが先日ヤフーフリマで出ていた。


結果として買って今私の手元にあるのだけれど、買う時にフランス語だということでかなり躊躇した。


フランス語はボンジュールとメルシーとアンドゥトロワくらいしか知らず、全くの無知でしかも独学となれば英語やスペイン語の時と違って先生もテキストもないから文法も最低限やらないと無理だろうと思うとハードルが高すぎてやりたいと当初は思わなかった。


最初はそのカードの英語版を探したけれどそちらはもっと入手困難で、うろ覚えだけれど、たしか作者の方がカナダ在住のフランス語圏カナダの方のようで、彼女の第一言語がどうやらフランス語らしく、それでフランス語版はまだ何とか手にできても英語版は絶版中の絶版のようだった。


これは私の財布事情だけれど、クーポン込みで3,700円台で買えること自体破格値で、Amazonだと中古でも6,000円からで15,000円越えも当たり前で、そこまで出して買うことはまずないから、ペンジュラムやルノルマンカードやネットのタロットで聞くイエスノータロット総動員して買う買わないを聞きまくって、みんながみんなオールYESでこれは買う、お迎えするんだなと覚悟を決め←大袈裟、それで手に取ったもの。


で、やっぱりガイドブックは読めた方が情報が入ってくるし、そしてGoogle翻訳のカメラ機能でやれば翻訳も簡単に出せるのは百も承知だけれど自分で読めるようになりたい気持ちの方がはるかに強い。


これはオラクルカードもだし占星術やタロットカード関係の英語の書籍もだけれど、同じカードや同じ情報であっても言語によって全く受ける印象が変わるものが多々ある。


最初にそれに気付いたのが個人の中に抱える問題についてで、英語の言い回しを忘れたけれどもその時覚えているのは、日本語だと問題と自分とが一体化・同化しているのに対して、英語だと問題は問題として独立したもので個人とは切り離されていることだった。


日本語だとこんな問題があって私はこんな風に困っていると問題よりも個人の主観が強くなるのに対して、英語だと問題はこれこれこんな風でこんな風な困難が自分にもたらされるみたいな、問題と自分とはそれぞれ別々の個・存在として捉えられていて問題を客観的に見れるような文章表現でそこにすごく感動した。


あと他にも覚えているもので、「待つ」ことを日本語だと動いていないみたいですごく消極的な印象が出てきがちだけれど、英語だと待つのも動詞だから「待つ」という動きをしているという、一見動いていない風でもそれも行動の1つに認定しているところが素晴らしいと思った。


あともう1つは「孤独」。


英語には孤独に該当する言葉がいくつかあってその中の1つsolitudeは積極的に自発的に人から離れて1人の時間を自分のために作って生み出される1人の状態を指していて、それはもし日本語にするなら自分時間とかが1番近しいと思うけれど今のところ英和辞典では「孤独」となっているゆえ、そんな奥深い深遠なる意味があるだなんて日本語のガイドブックで「孤独」と出ていたのなら絶対に気付けない。


そんなこんなの言語体験を経てみて、やっぱり原文を知っている方がストレートに言葉が伝わると思っていて、それでフランス語も知れたのならそのような読みが可能だろうと思えた。


そしてこの間仕事中にAIにフランス語を1から独学でやるのに際してどんな風に進めたら良いかアドバイスをもらったら以下のような答えが出てきた。


・単語の意味を1つ1つ解説してもらう

・その文章がどのような文法構造でできているのか分析してもらう

・よく似た例文や使い方のヒントを教えてもらう


ちょっとだけ有利なのがスペイン語を知っていること。


日本語や英語には全くないものとして、主語によって動詞が6個も種類があることや名詞に男性名詞と女性名詞があることが挙げられる。


動詞についてはとても便利だなと思う。


動詞の語尾変化の分類は、私、仲の良いあなた、あなた/彼/彼女、私たち、仲の良いあなたたち、あなたたち/彼たち/彼女たちの6種類で、ちなみにドミニカは「仲の良いあなたたち」は使わない国だったからもっと楽だった。


男性名詞と女性名詞は一部の例外を除いて末尾がoなら男性名詞、末尾がaなら女性名詞で、ある程度覚えればなんとかいけたのと、その前に付ける英語でいうところのtheは男性名詞ならel/複数形ならlos、女性名詞ならla/複数形ならlasだけれど最悪付いてなくても意味は通じるから問題ないのも楽ちんだった。


その辺の基礎知識がスペイン語であるのと英語に関しては文法をかなり徹底してやったから、それらをもって何とかフランス語を独学でやってオラクルカードのフランス語が理解できるようになったらいいなと思う。


周りからは言語学習好きと思われることが過去にたくさんあったけれど、はっきり言って語学などやらなくて良いのならやりたくないし苦行だしできる人みたく思われても実際は地頭そのものに限界がかなりあるから要領も悪けりゃ覚えも悪い。


言語習得センスはかなり無い方に近いけれど、生まれ持っての「できない」「わからない」だけはやたらとズバ抜けているから(T_T)、そのおかげで何とか理解できる方法を編み出したりとか数をたくさん重ねることだけはやらざるを得なかったせいで体得したから、それで何とかできそうと思う。


余談だけれど、スペイン語のクラスの時は英語の成績順で振り分けられたから、私などは間違って、スペイン語を知ってる人たちクラス上位2クラスの次に位置する「スペイン語初心者だけど英語が最もできるクラス」に入り、本気で泣いた。


早稲田、お茶の水、ニューヨークの大学院、国立医療系大学、明治とかいう人たちと私という学力において雲泥の差の中に入れられて、そこで肌身で感じたことは地頭の良い人たちというのは別次元の脳みその使い方と記憶力なのか学習能力なのかを持ち合わせていて、全然ペースも記憶の仕方も違いすぎていた。


私が1つの単語を覚えるのに他の人たちは10個くらい覚えていて、そしてどうしてるのか知らないけれど←聞いておけば良かった、私よりも回数少なくても正確に速く覚えるという凄技を皆が持ち合わせていた。


そんなクラスにいた私は本気で落ちこぼれで、英語順じゃなくて単純なる学力順にしてもらえたのならもっと自分に合ったペースで学べたと思うし楽しくやれたと思う。


スペイン語は本気で苦行すぎてあまりのわからなさに泣けてきたくらい。


とかいう言語学習の歴史しかない私が、フランス語は楽しくやれそう!と思う。


目指す方向性はオラクルカードのガイドブック読解というのと、あと発音をある程度覚えないと読み書きが厳しい言語でもあるみたいだから今の世の中の便利アイテムを駆使してGoogle翻訳の音声機能やYouTube動画なんかを見て、いつかはNHKのフランス語初級講座くらいのものを聞き取れたら良いかなと思う。


スペイン語の初級講座を何回か見たことがあって、本当にその程度を目指すなら楽しく学べそうとも思う。


英語もスペイン語もガチ過ぎたせいで楽しいとは一度も思ったことがなかったし、達成感よりも苦行から解放されることが何よりも喜びだったし←この時点で色々ズレてる、だからそういうことから解放されて楽しくやれそうなフランス語は楽しみ。


しかもAI活用やYouTube見るとかそちらも面白そうだし。


言語の習得で私個人としては「楽しい」が強い方が長く続けられると思う。


仕事でフランス語の資料も目に触れることはあるけれど、一切興味がないせいで何1つ見ることもしてこなかったけれども、オラクルカードのガイドブックは興味津々でこれから楽しくやれそうだなと思うし、わかるようになればあの興味のない資料たちもそれこそフランスのフランス人たちが直に訳したものだから色々勉強になると思う。


早速だけれど、形から入る私は来週末新潟市にさくらももこ展を見に行くその足で大きな書店に立ち寄ってフランス語の学習ガイド的なものや辞書も見てきたいなと思う。


これまで英語の学習ガイドブックは人に渡すためとかに見に行ったことがあったけれど全く面白くなくなんならあまりの数の多さに見る前から戦意喪失したけれど、フランス語は良い本を1冊持てたらそれで十分だからそれをまずは自分の感覚で探してあとはペンジュラムに聞きながら選ぶのも楽しそう(◔‿◔)


今ふと思い出したけれど、手芸関係のフランス語の本も何冊かAmazonやネットで購入したけれど、こちらはデザインを見るのが主目的だったこともあってフランス語を学ぼうなんて1ミリたりとも思わなかった。


そういう点においてオラクルカードってすごい魅力というか魔力があるなと思う。


私のような楽したい面倒嫌いな人がやる気になるのだから、本当にすごい。







最後にプチ情報。


今時代の変わり目、個人的なターニングポイントで色々しんどい人が多いのかもしれない。


細かいことは私は説明できないけれど、色んな動画を朝や帰りの車の中で聞きながら得た情報で私が実践していることを紹介。


・呼吸


・自己対話、内観

(と呼ばれる行為だけれど、「無限ループの自問自答」というのが個人的には一番しっくりくる。)


知って少しずつ楽になれたこととして、こうした変わり目にいる時は、これまでのやり方が通用しなくなってこれまでと同じように同じクオリティでやっていたとしてもなぜかダメ出しくらうとかなぜか責められるとか、そうした諸々の不具合が起こりまくる(実体験済み)。


これは個人的に思うことだけれど、自分なりに「きちんとやっている」を普段からやっていると良いような気がする。


手抜きでやってなかったことは、責められても仕方ないと思えてしまうものだと判断が難しい。


逆にやれるだけのことはやったのに責められると、そしてそれが続くと、自分の方じゃなくてもはや物事が確実におかしいと気付くようになる。


これまでのやり方が通用しないのは、もうここではないところにこれから移行しますよのサインだというような説明が動画の中にあってなるほどなと思った。


通用している時は別に何か変えなくても日常をなんとなく過ごせるし、可も不可もなければ何か変えないといけないと思うとか何かがおかしいなどと分析をしなくても生きていける。


でも居心地が悪くて自分の日常を脅かすようになったらそんなことも言ってられない。


もう今の生活をそう長くは続けられないんだな…と最近はよく思う。


で、何が言いたかったかというと、とにかく今の時期はしばらくしんどいと感じる人がそこそこの人数でいるらしいこと、しんどくても自分を責めなくていいよということ、いつかはこのモヤモヤやしんどさからは抜けられること、渦中の今はとにかく自分ファーストで呼吸を意識してしてみたり止まらない自己対話というか自問自答をしたりしてそれも嫌なら全て投げ出して休息したり自分を楽にさせる何かを取り入れること、そんなあたり。


余談だけれど、私はここ2週間ほど、毎週何かしら体調不良に陥り、ペンジュラムに聞くとどうやら不要なエネルギーや思考を排出するためのデトックスとのこと。


数時間後寝て起きたら、フランス語学習関連の本やノートを見に行くのとさくらももこ展に行ってくる予定。2025/07/20


久しぶりの新しいものに触れられる感じがじわじわとワクワク感を自分の中に浸透させている。

2025年4月7日月曜日

2025メッセージの舞台裏側

2025/03/20

今カードリーディングしているけれど超絶やりにくい。


おまえさんはそんなメッセージを書けるほどきちんとできているのかい?と自分へのツッコミが止まらないまま書いている。


色々集中できないからスイッチが入ったらまた書こうかと。


毎回言い訳並べて本当にどうかしてると思っているけれど、今年もさぁどうする?と思った。


余談だけれど、ここ3ヶ月4ヶ月で数個のオラクルカードをお出迎えしていて、それらの初めてのカードとの対話的な儀式は毎回やっていて、それさえもやっとこすっとこやっているというのに、第三者向けにお願いもされていないメッセージをカードから読み解くなんて、あなたできるの?と超疑いの目を自分に向け。


アップする当日は私は金沢に移動しているし金沢着いたらドタバタしてメッセージを書くどころじゃないし、っていうかそもそもお願いされてもないからやんなくて良くね!?みたいな。


まずはやるやらないの葛藤しているところにとりあえずここは冷静に判断してくれるペンジュラムを登板。


ペンジュラムがNOと出せばもちろんやらない。


ペンジュラムを手に持って聞く。


「やる?」


クルクルクル、右回り、YES。


いやいやいや、間違えてるかもと今度は「やらない?」


クルクルクル、左回り、NO、すなわち「やる」。


しつこくは聞かず日を置いて多分3回くらい聞いてみたら、絶対にYES。


もうあきらめた。


もはや色々何なのかよくわからないし、最近は「これは幻の世界?」「現実逃避?」「何かの魂修行?」とか色々思いつつ、もう繋がるとか会えるとかそういう現実はやってこないだろうと受け入れる受け入れないも現実は「無い」ことが現実だから、そんなの私がまた空想のように色々繰り広げても自分も自虐的な感じになってちとばかり辛いというか針で自分をツンツン刺すみたいな感じで好ましいのじゃない。


「これまでも今もこれからも何も起こらない」と思って生きていく方が人生の中で健やかに生きていける気持ちがどんどん膨らんでいく。


とかいう心理状態で始めているカードリーディングだから、そりゃもう色んな意味で邪念だらけになっている。


そんなの差し出すのか?という話。


毎回裏切ることなくやばし。

(↑自分で書いといてなんだけど、今日4/6読み返すと「毎回裏切ることなくやばし。」って何が言いたかったのかさっぱりわからない。わからないけれど可笑しいからネタとしてそのまま載せようと思う。ちなみに最後の「やばし。」だけはこの言葉だけで色々やばいと思っていただろうことは簡単に想像がつく。)




2025/03/29


今金沢行きのバスの中。


カードリーディングは超途中までやって


↑ここでストップした(この1週間少しでネットゲームとネットコミックにどハマりして、そちらを少ししようとしたらそれだけして金沢に着いてしまった)←えっ(。-_-。)




2025/04/06


今日こそメッセージを書き終えてアップしたいと思っている(日曜日の日没前…)。


3月の下旬に入った頃、やろうと決めて先にカードリーディングをして、その時に感じたことをとりあえず8割近く書いといて良かった。


メッセージを書いている私側というか裏側について書き始めたこの文章たちだけれど、突如友人ノムから言われたことを今日4/6になって思い出した。


いつだったかノムはイケメン上司と私のことを見て「ぶっしーの◯◯さん(=イケメン上司)に対するものって無償の愛なんだと思うんだよね」と言った時があった。


時を空けて2回か3回はそんなようなことを言われた記憶がある。


直近でもこの数ヶ月以内に言われたなと思う。


そんな崇高なものじゃないし、愛という定義と自分とがミスマッチな感じも多々するし、言われる(読まされる)イケメン上司からするとやめてくれと言いたくなるかもわからない。


このカードリーディングから受け取ったメッセージを言語化してブログにアップするという行為そのものがもはや何なのかなんてわからないし、意味とか名前とかなんて無いと言えばそうだし。


でももはや見返りなど求めたところで何も返ってこないし、この先のいつかまたリアルに交わる機会が巡ってくるのかと言えばそんなこと普通に考えたら無いだろうし、そんな無い無いだらけの中でもメッセージを紡ぐ・伝える行為はある種の無償の愛と名付けてもらえるならどうぞよろしくお願いしますと頭をペコペコ下げたくなる。


どんな心情になるのかわからないけれど、本当にほんの少しでも元気やパワーをもたらすものになれたらこの上なく嬉しい。


個人的なことだけれど、この3週間くらい仕事の人間関係のやりとりで相当参っている。


この私が仕事中やりとりの後相手が立ち去って1人になった時自然と涙が出てきてしまうくらいにやられた。


自分は誰に何を言われても本当に必要なこと適切なことをできる限りやりきったと言えるくらいだけれど、1つ1つケチを付けられこちらの支障や問題を伝えてもそれは無視され、反対に少しでもやらかすと糾弾され、本気で意味がわからないことが立て続けに起こって、それが数回続いていつまでもグジグジとしたものが残っているみたくなっている。


こんな言い方はおかしいけれど、私と上層部の人の言い分を同じ場所と時間と人(会社トップ級の役職の人)の前でそれぞれが説明したとするなら、間違いなく怒られたり注意されるのは上層部の方。


自分の味方というより、その場に居合わせた人や一緒に対応した人皆が口を揃えて「あれは無茶ぶり過ぎる」と言い切ったくらいに、私含めて対応に当たった人たちは今回の惨状を上層部の一方的且つ自己保身の身勝手な決定で本当に酷かったことを身をもって体験している。


だからあまりにも理不尽でやるせなさすぎてメンタルが相当やられた。


ちなみにそれを機に本当に自分が楽に呼吸できるところ、やることを適切に評価されるところ、そういうところに自分の身を置けるように今のところは次の契約更新の9月末か年末で辞めれるようにしようと日に日に気持ちをそちらに向けてあとは粛々と自分の仕事をやりながら静かにしている。


こんなメンタル状態の自分に対してひたすら労い寄り添いがんばってると言い、あとはメンタルの回復をひたすら待っている。←だいぶ良くはなってきた。


そんなこんなを経て思うのは、もし誰かが絶対に自分の味方をしてくれるとわかったのならそれってすごく強いなと思った。


教科書的に言えば親が子どもをどんな風でも第一にそして大切に思うみたいな気持ちで誰かに自分が寄り添ってもらえたらとても心強い。


イケメン上司の今現在がどんなかなんて全くわからないし、絶好調かもだし可も不可もないのかもしれないし絶不調かもわからない。


いずれの状態でも無事や安寧を祈る人がこの世に1人はいるよというのを伝えるものにこのメッセージたちがなってくれたらそれで十分だと思う。(安寧って出てきたから調べたらこれは無事でやすらかなこと、特に社会とかに対して使う言葉らしく、でも個人レベルでも無事でやすらかであるのは大事だし必要だよねと思ってこのままにしようと思う)


無償の愛だなんてあまりにも大義すぎる上に何じゃらほいの感じが出てしまうけれど、無事であることや元気でいるといいなという気持ちを常に持っているのは本当だから、それをイケメン上司が受け取らなくてもせめて知ってもらえたら御の字だなと思う。


大人になればなるほど心の鎧みたいなのがますます分厚くなって不遇なことや理不尽なことも色々出てきてしまってますます心を閉ざしがちになるかもしれないけれど、本当に心の底からイケメン上司が今日もどこかで元気だといいなと思っている、そんな人がこの世に1人はいつもいるよ!が伝わるといい。


それが伝わるのなら、もはやカードリーディングのメッセージを伝える伝えないとかいうことをうだうだとああでもないこうでもないと言い訳する必要はない気がしてきた。


もはや私の自己満足のためにしてると思われてもいい。


何でもいいから伝わればそれでいい。


本当にそんな風に今は思っている。