2022年3月5日土曜日

ホテルお泊まり会

2022/03/05の朝焼け
雲ひとつない快晴♡\(*ˊᗜˋ*)/♡

ホテルに持って行くために
前日の夜にあわてて書いたホロスコープ。
これを読み解いてこの1年の振り返りをする予定



週末のホテルお泊まり会。

「〇〇合宿」と名前を付けようかと思ったけれど、あれよあれよという間に明日に迫ったから、とりあえず準備に力を入れていこうと思う。


父のいとこが2月の中頃に亡くなった。

(町内会の会長と副会長が雪下ろしを促すために訪ねたら返事がなく、それで中に入ったら死んでいたとのこと。最後に人と会った日と2人が見つけてくれた日との間がおよそ1ヶ月あって、具体的な日にちは割り出せず、警察や医師の手続きを経て2月の中頃となったらしい。)


先週、その方の姉たちが来たけれど、私はその日本気でずっと布団の中にいたくらいに具合が悪く一切顔を出さなかった。


そしてこの日曜日に小さなお葬式をあげるらしいけれど、それにも不参加の私は、いる方が世間体的にどうなのかということで、それで家をあえて空けることになった。


そのためのホテルお泊まり会。


本当は温泉旅館的なところに行こうかとも思ったけれど、軒並みどこも諭吉様1枚は確実に旅立つ上に、さらには泊まった後の日曜日こそ夜まで時間をつぶさないといけないから、確実に時間をつぶせる方法を考えて、それで反対にのんびり温泉はやめて、繁華街に繰り出すことにした。


それは日曜日にしたらいいから、土曜日はうちと新潟駅の間くらいに位置する町の高速インターチェンジの近くのビジネスホテルに泊まって、そこで思う存分自分がやりたいことをやって、翌朝はそこからのんびりと出て、新潟駅近くの適当なパーキングに車を止めて、あとはデパートやお店巡りをしようと思っている。


1人飲みも考えたけれど、日曜日の買い物にお金を使いたいから、それなら逆に新潟からもうちからも離れているビジネスホテルが一番お手頃価格で少しは非日常になるかと思って、それでそのようにした。


ちなみに、ひとり旅をこれまでにもしたことがあるけれど、こんな風に近隣のホテルに泊まってそしてオカルト合宿兼ホテル1人飲み兼デパート含む買い物を全て盛り込むのは人生初で、今から色々と楽しみで仕方ない。


オカルト合宿は、1年8ヶ月に及んだひきこもりの時に、常々いつかはやりたいとずっとずっと思っていたことだった。


今はサイトごと無くなってしまった、当時どハマりして見ていたカードリーディングをされていた方の動画があった。


ものすごく余談だけれど、私が今オラクルカードやルノルマンカードをガイドブックも見ずにカードだけを見て読み解きができるようになったのはその方の影響がとても大きい。


その方は主にルノルマンカードを使ってカードリーディングをしてメッセージを伝えていたけれど、とにかくここには書ききれないくらいに私が自分の方法にたどり着くためのヒントをたくさん見せてくれていた。


その時にまさか自分もいつかカードリーディングをその方がするように超自由スタイルでやるなんて想像さえしていなかったけれど、あれよあれよという間に今はタロットカードにどハマりしている。


話がずれ込んだけれど、その方も雪深い地域にお住まいで、時々近くのホテルにカードとかを持ち込んで、「リトリート」をすると動画の中で話していた。


スピリチュアル的な実践をする方たちが「リトリート」をすると時々耳にするけれど、私は勝手に1人でどこかに篭って瞑想やその手のワークをふんだんにするのかと思っていたけれど、今回「リトリート」の意味を調べたら、本来の自分を取り戻すためにどこか日常から離れて心身共々癒すというような意味らしい。


その当時の記憶も相まって、私も今回はオカルト的な要素もホテルお泊まり会に詰め込もうと思った。


(ここからは当日の朝夜明け前〜朝焼け後に書いている)


今回のホテルお泊まり会に関してひそかに感動していることのひとつに、それをするだけのお金的な余裕があること。


ひきこもりの時にカードリーディングの動画を見て、近隣のホテルに泊まって「リトリート」なるものをしていたことを耳にして、まずは何よりもそのお金さえ捻出できない自分というものを実感して、じゃあそれを踏まえて働こうとするのかと言えばそんな気持ちもなく、とにかくひたすらにどうしたらいいのかわからなかった。


はたから見たら「働きなさい」だと思うけれど、お金がないことよりも外に出ることの方に抵抗があって、ここには書かないけれど(書き始めたら絶対にこの記事が終わらないとわかるから)、そんな状況下にあった当時、近くのホテルに泊まる自分なんて一切想像できなかった。


だから、まさか自分がもう一度社会に出て、なんだかんだと仕事に行って、お金を得て、さらにはこうして近くのホテルにただ泊まりに行くなんて想像さえしていなかった。


父のいとこのことがなければこんな風にホテルに泊まりに行くなんてなかったから、生前何の関わりがなくてもこんな風にとても貴重な機会を与えてもらえることになって、ありがとうの気持ちが湧いてくる。


そんなこんなで当日を迎えた。




*




今回のホテルお泊まり会からの翌日の新潟駅近くまで繰り出すことへの計画を書きたい。


【ホテルに行く前】

・お風呂の入浴剤の購入(オシャレ雑貨屋さんにて)←人にプレゼントするような入浴剤を今回買う予定。ドラッグストアとかではないところがテンションが上がるポイント(笑)。


・大型書店で本と文房具巡り。お茶もできるカフェ併設型だから、気が向いたらカフェも。もしくは近隣のオシャレカフェへ。



【ホテル内でする予定のこと】

・オカルト合宿らしく、カードリーディング


・日記を書く


・もしかしたら、この1年を振り返る星読み(金曜の夜にあわててこの1年の星の様子をコンパスを使ってホロスコープをノートに描いた!)


・買った入浴剤とバスソルトをそれぞれ使っての入浴。バスソルトの方は、心身の垢落としに使えるもの


・高級パック&いつか買っておいた足のパック


・1人部屋飲み

何を隠そう、今回のホテルお泊まり会のために最初に用意したものが、スパークリングワイン٩(ˊᗜˋ*)و


・部屋飲み用に、多分徒歩ゼロ分みたいなところにあるスーパーに買い出し

(テイクアウトも考えたけれど、大概のところは要予約で、当日何が食べたいかを考えてそれに基づいてセッティングした方が良いと判断した)


・ダラダラと過ごす


・翌朝ゆっくりとコーヒーを飲みながらの朝食



【日曜日ー新潟駅近くへ】

・今回最大の目標は、デパートの化粧品売場でアイメイク用の化粧品を買うこと!

ただの一度もデパートで化粧品を買ったことがなく、今回が人生で初めて。

毎日使っても平気で年単位で使うから(前回のものは3年近く使った)、それなら一層良いものを長く使った方がいいんじゃないかと思った。正しくは、全くもって化粧品を買うことにテンションが上がらない上に面倒くさいと思っている自分に気付いたから、それならば非日常を盛り込んで、少しでもテンションが上がる方法で手にしてもいいんじゃないかと考えた。


・0.2ミリのシャーペンを探しに行く旅

→これは、英語のタロット本を買ったはいいけれど、わからない単語には辞書で意味を調べて行間にそれを書いていて、その時にシャーペンの芯の太さが気になって、それで細い芯のシャーペンを買うことに。

いつも行っている文房具店で0.3ミリのものを試したらそれでもまだ太くて、それでネットで見たら0.2ミリのシャーペンがあると知って、それで文房具店にあるものは気に入らなくて、他のものを探している。


・大型書店巡り(タロットや占星術のマニアック本を見てきたい)


・手芸屋さん巡り


・パッと見て気に入った店でのランチ(夜の1人飲みは立地の関係で難しそうであきらめたから(プラスして、外に出ると気持ちがのんびりできないから)、昼間は小さなコース料理があれば豪華にいきたいとさえ思っている。)


・言葉の通り、ウインドーショッピング



こんな予定でいる。


日曜日は雪予報でそこはテンション下がっているけれど、ここ最近の天気のおかげで道路に雪がないから、雪が降ってもなんとかなるかなと思っている。


この冬に備えて買った歩きやすいブーツもあるから、それでなんとかなるかなと思っている。(たくさん歩く予定だからスニーカーも持って行く予定)




*




珍しく前日から用意して(スパークリングワインに至っては、数日前から)、いつもとは違うウキウキ感に溢れている。


天気も今朝は恵まれた。


夜からは崩れるみたいだけれど。


今回の2日間の旅は42歳の自分に贈るプレゼントみたいで、すっごく楽しみ。


子どもが遠足や修学旅行の前にワクワクして眠れないとかいうような高揚感は、こういう感じなのかもしれないと思う。


子どもの頃の自分はそういう楽しみが一切なくて、いつの時も不安なことが多くて楽しみどころか行くことさえも嫌で嫌でたまらないみたいな時間は今でもしっかりと記憶に残っている。


中学3年の時にクラス全員から総スカンをくらっている時の2泊3日の修学旅行前夜と当日の朝なんかは本当に最低最悪な時間だった。


朝になって、行きたくないと布団から出ずにワアワアと泣き叫んだことも覚えている。


行ってみたら他のクラスの子たちに助けられてなんとかなったけれど、とにかく長い時間ずっと心配と不安ばかりで、どうしても行きたくなくて、そういう悲しい記憶がそれだけじゃなくて至るところに散らばっていて、本当にそういうことから解放された今はとても心穏やかでしあわせというか気持ち良い時間を迎えられている。


だから今回のこのワクワク感は、私の人生の中でもかなりレアな体験で、本当に嬉しい。


さらには1ヶ月以上に渡った仕事での怒り大爆発的なことや他の懸念事たちもみんなみんな収まって、今はとても心穏やかになっている。


職場での怒り事件簿は意外な形でものすごく一瞬で切り替わって、周りは何にも変わってはないけれど、私の中が変わった。


怒りが鎮静化して、それは怒りまくってずっとずっと嫌になるくらい付き合って、そうしたらある時にイレギュラーな対応が出てきて、そのイレギュラーなことで即刻気持ちが収まってくれた。


そうやって1ヶ月以上不快度MAXだったことは終わった。


ということで、これから自分のことをあれこれやった後、いってきます٩(。•̀ᴗ-✧)و 

2022年3月3日木曜日

平日の朝の屋外露天風呂


今回泊まった金沢のホテル
ものすごく良かった!
看板通り、こんな高層ビル街なのに
天然温泉がある!


部屋の窓から撮影した街並み

朝食は、過去最高に良かった! 
たとえば、天ぷらはその場で揚げてた。
海老天は普通かもだけど、
なんと牡蠣天まであった!
右の味噌汁の中には蟹も入ってる。
茶碗蒸しの隣りは「あかもく」と呼ばれる
めかぶともずくのあいのこみたいな海藻。
地産地消をすごく心掛けているようで、
他のものも1つ1つ丁寧に作られている。
もう少しおなかに余裕があれば、
目の前で作られたオムレツも食べたかった。

ヨーグルトも納豆も納豆についているタレも
石川県では有名どころの
きちんとした食材で知られるところのものらしい
スイーツも、わらび餅や生麩を使った饅頭とか
超こだわり食材が多かった。

左は加賀棒茶。
右のカフェラテは、2杯目じゃなくて
上の写真のカフェラテ。
食べ物の美味しい食べ方を知っている妹から
教えてもらって、
きちんと淹れられたコーヒーに
朝食バイキングの中の牛乳を足して
カフェラテにした。
(食べ物の解説になると長くなる傾向…( ̄∀ ̄;))




様々な流れに運ばれて、平日の朝、金沢の1番の繁華街の中にあるホテルの最上階にある露天風呂に浸かった。


私以外は誰もいなくて、露天風呂を独り占めできた。


朝早いからはっきりとした天気はまだわからなかったけれど、少なくとも晴れか曇りということはわかった。


本当に贅沢をしているなと感じた。


お金的な意味の贅沢というよりも、「人生の贅沢」だと思った。




*




いくつもメンタル的にしんどいことが立て続いている。


自分でもよくわかったけれど、ここ最近のしんどさは、人間関係云々というよりもそれに対する自分の反応や反応に伴って鮮明に浮かび上がる過去の傷や痛みがバンバン出てくる。


どれもこれも実に仕方ないことというか、相手を責めまくったり、恨んだり、はたまた自分にも何かあるのかも…と思ったところで、何の解決にもなってくれない。


深く眠っていた傷がムクリと起き上がったものもあれば、仕事の面は1ヶ月近くモヤモヤしていたけれど、ようやくそれも明けてくれたというか、自分の気持ちをとにかく自分1人の時に吐いて、ケアして、時々はごまかして、時々は限界値まで感じるように努めて、そんな風にして過ごした。


私の考えすぎかもしれないけれど、みんなそれぞれの個人が傷や痛み、苦しみ、むなしさなんかを感じる瞬間があって、それの上手いこと処理できない己の弱さみたいなものを、ある時に何かしらがトリガーになって、その弱さを隠すように怒りとか攻撃とかいう形で私のところに飛んでくる。


これって本当に私が悪いんだろうか?と思うことが色々ありすぎて、本当に今頃だけれど、その手の立ち位置みたいなものを子どもの頃から実にたくさんやってきていたんだなと知る。


私が嫌いだとか何かしら攻撃したことの仕返しだとかではなく、本当に「何で私??」となることが人も状況も変わりながら起こっていることを目の当たりにして、ようやくこの42歳も終わるという頃にわかってきた。


全てにおいて私じゃない。


体験していたりそこに巻き込まれたりしているのは私でも、私にそもそも非があるのかと言えばそうじゃない。


ものすごく納得のいかない言い方だけど、当たられやすい人というのがいるとするなら私はあるところにおいてそうなりやすいのだろうし、自分で意図してるわけでもないのにそんな感じになって今なんだと思う。


良くも悪くも私は仕返しもしないし、よほどでなければ言い返したりもしない(最近はあまりに理不尽で私側に言い返すエネルギーがある時は、言い返すというかこちらの弁・言い分を立てるけれど)。


色々すったもんだしながら、今の私が考える最大のベストな解決策としては、そうした心の傷がムクリと起き上がるタイプのことに直面したら、ひたすら自分で自分をケアすることと、そういう状況に陥ったとしても(基本不意打ちだから、いきなりその状況を体験する)自分の存在価値を自分だけは最後まで守りきる、自分の味方を通すこと。


例えば、現在進行形的な職場の人については、相手を変えるのは無理だから、自分側の精神状態を健やかにすることと、こちらは最大の嫌がらせとして、私がきちんとすればするほど相手側の立ち位置も気持ちも超やりづらくなるから、私は最後の最後まで筋を通し続けるのと、それに賛同・協力してくれる人たちとチームを組んで企業にとっての最善を尽くしてそれを突き付けるしかないなと思っている。


意味がわからないと思うけれど、周りがきちんと仕事をすることで困る人もいるということを初めて知った。


だから私は、訳のわからない、筋の全く通らない意味不明な屈辱的な言葉を聞くことになるのだけれど、そんな低レベルな人の相手をするのはこちらも自分が擦り減るだけだから、そんな愚の骨頂を目指した人は無視して(挨拶くらいはする)、私は自分が信じている最善を尽くして残りの時間を過ごそうと決めた。


仕事以外のことは、もう自分が上手く付き合うしかないと思うから、無理のない形で自分の気持ちの面をケアしていこうと思う。




*




朝早く目が覚めた私は、最上階にある露天風呂に行った。


金沢の高層ビルが立ち並ぶ中心地に天然温泉があることにも驚いたけれど、こんなところで平日の朝早くからのんびりと誰にも邪魔されずに高層ビルの最上階の露天風呂に入れることにとにかく感動した。


天井の屋根がない小さな四角い隙間から空が見えて、冬特有の冷たい空気と首から下は熱いくらいのお湯でホクホクしながら、本当に人生の贅沢だと大満足した。


姪っ子を含む妹たちとみんなでわちゃわちゃしながら、過去最高の朝食ブュッフェを楽しんで、朝から近くの市場に焼き海苔を買いに行って、その後はまたのんびりと過ごして金沢をあとにした。


帰りのバスの中でこの文章は書いたけれど、途中からはバスの中のWi-Fiを使って、タロットカードの動画を見た。


見ながらここ最近の色んなことを振り返りながら、自分の中から出てきた言葉をメモした。



*¨*•.¸¸☆*・*¨*•.¸¸☆*¨*•.¸¸☆*¨*•.¸¸☆*・゚


悲しみとの距離感

他の人の痛みを引き受けなくていい

相手の学びは奪わないけれど、私は私の必要なことだけに集中して、他人の悲しみや痛みとはきちんと距離を置くようにする


*¨*•.¸¸☆*・*¨*•.¸¸☆*¨*•.¸¸☆*¨*•.¸¸☆*・゚



私はこれまで気付きすぎてしまうことが多々あって、それは相手の痛みのようなものがわかったり、なんとなくそういうものが想像できたり、周りの誰も気付いていないようなこともスッと伝わったりすることがある。


だからと言って何をするわけでもないけれど、時には先に書いたような相手の傷が攻撃という形で私に向かってくることもある。


そうした時に、ふと気付いた。


私は自分がグサっと来たことは無視してはいけないけれども、相手由来の悲しみとは距離感を置いていいこと、もちろん相手の痛みを引き受ける必要もないこと、自分のためにきちんと線を引いて自分の護身用の壁を作って自分を守ることもとても大切であること、そんなことを思った。


それをするだけの強さと技術が私にはある。


と同時に、どうして私がその役割というか立ち位置なのかを考えてみた。


自分がやりたいのとは絶対に違う。


けれども、私が攻撃する側とか攻撃されずに済む取り巻き側とかにはならない、その理由はもっと別のところにあるように思った。


想像してみた。


同じ状況下で、私の立ち位置と他の人たちの立ち位置が入れ替わった場合を。


私だってもちろん攻撃される側など嫌だから、甘い蜜を吸っていたい。


痛みとは無縁のポジションにいたい。


けれど、ポジションの入替を想像するとわかる。


私側のポジションは誰でもいいわけじゃない。


他の人たちが私の立ち位置にきた時にどういう反応をするのかはわからない。


けれども1つだけ言えることは、縁切りをするとか相手をとことん憎むとか攻撃するとかやり返すとか、私はそういうことは余程のことがなければやらないけれど、大概の人はそれ耐えられないだろうなと思う。

(ちなみに私から切る時は、完全に私の中のタブーを越えて相手側がくるから、それで一気に気持ち的にダメになって受け入れられなくなって、フェイドアウトしたり突然連絡を絶ったりする。)


私だってもちろんメンタルにくるけれども、即座にバッサリ切るとかせずに、あれこれ色んなことを自分のためにする。


気持ちは超沈んだり怒ったりと忙しいけれど、変に耐性があって耐えられないわけでもない。


私が思うのは、相手も相手で自分のダークサイドを出す相手を選んでいると思う。


これは私の仮説でしかないけれど、相手側は私が嫌いでダークサイドを出してくるというよりも、そういう自分を出しても自分が受け止めてもらえるのかどうかを見極めている、それも本人もどこまで気付いているのかは知らないけれど、ギリギリのラインでそれを試しているような感じがする。


なぜなら、私はマンツーマンでやりとりする時は基本的に全く攻撃はされない。


むしろ相手もとても好意的だったりする。


これが3人以上になると、おかしなパワーバランスみたいなのが発生して、そういうよくわからない攻撃対象に仕立てられる。


複数名いる時に私のような担当部分が回ってきたら、普通の人ならその攻撃してきた人と距離を置いたり離れて終わる、はたまた陰で今度はやり返すみたいなこともしかねない。


私は善人とかではなくて、事態を飲み込むまでにも時間がかかるし、まずはとっさに自分が何かやってしまったのかと思ってしまうし、思い当たらなくても自分の発してる空気や存在そのものに何か決定的にダメなものがあるのかもと思ったり(←この辺は相当ケアして今はそのように思うパターンもだいぶ克服できてきたように思う)、とにかく相手に矢を突き返す前に自分側の反応に忙しくてそれどころじゃない。


自分の処理能力の遅さが単に功を奏しているところもある。


さらには、相手もそうなってしまう何か理由でもあるんじゃないかと、分析したり思慮を巡らせたりする癖があるから、即座に相手を責めるようなことも基本はしない。


プラスして、これは10年くらい前からだけど、自分の心のケアを専門的にする知識と実践を積み重ねてきたおかげでセルフケアもできる。


そんな特殊な背景をいくつも重ねた人なんて珍しいし、果たしてこんな風にできる人がそんなにもいるかと言えばいない気もする。


そういう特殊な背景と性質を帯びた私だからこそ、このような状況を良くも悪くも引き寄せやすく、さらには体験して自分の奥深くに潜ったり癒したりするのかもしれない。




*




4連休明けの日常は、いつも以上に頭がボーッとしたまま終わった。


金沢の朝の露天風呂の風景を思い出したり、私はここで今何してるんだろう?と3月になった曇り空を窓越しに眺めながら思ったりして1日が終わった。


仕事に最後行った日、最後の最後にバタついて、いつもしているやるべきことをメモするのを忘れて、まずは「うーん、何からやるんだっけ?」と記憶をたぐり寄せることから始めた。


少しずつしか戻ってこない記憶は30分おきくらいにしか更新されず、そうだった、そうだったの連続だった。


こうした本来業務用に必要な記憶は、メモを残さないと残らないし、さらにはメモを見てもさらに忘れるなんてことも日常茶飯事だったりする。←えっ?


でも、金沢からの帰りのバスで書いたことやここ最近経験した数々のことは、0コンマ1秒もかからずに即座に思い出す。


なんなら得意の感覚までセットで思い出す場合も多々ある。


そういうことは、やっぱり必要があって体験しているのだろうと思う。


傷の話や誰しもが持っているダークサイドの話はまた別の機会に書きたいなと思う。


余談だけど、ひょんなことから明後日土曜日から日曜日にかけてうちから1時間もかからない場所にあるビジネスホテルに泊まりに行くことになった。

(4連休明けの日常の話からは、早々と寝落ちした水曜日の夜を過ぎた木曜日になったばかりの真夜中に自分の布団の中でぬくぬくしながら書いている。)


その計画に忙しくしている。


またもや非日常を投入する。


ここに書いた心がザワザワした色んなことも、土曜日から日曜日にかけてヒーリング的なことを自分のためにできるかな…なんて考えている。


色々まとまりのない文章になってしまったけれど、大事な備忘録として残しておきたいからこのままアップする予定。


さらなる余談だけど、新月の今日(3/3)、3つ目のタロットカードを注文する予定でいる。


そのカードもまさにここに書いた心のケアや心の傷、心のダークサイドなんかと繋がっている。

2022年2月27日日曜日

自然と欲しているもの

2022/02/27の朝

2022/01/18の満月の夜
この夜に、ランドセルを背負った小学3年生
くらいの女の子とおばあちゃんが
月が見えるかな〜みたいな会話を交わしていた
それで私も家に帰ってから自分の部屋から
見てみて、珍しく上手く月の写真が撮れた。
これがまさかここに書いた話の1人のことに
繋がっていくなんて…。



2022/02/25


市内に住んでいる父の従兄弟が亡くなった。


一人暮らしで父が緊急連絡先の登録になっていて(いつからかそういうことになっていた、とこの1年くらいのいつかの入院の時に父も初めて知らされた)、警察から電話が来たようだった。


いつ亡くなったのかも、そして父は直接の血縁関係にないから本人と対面できてないらしい。


他県にいる姉たちが今日(2/26)こちらに来る予定で、そこから警察に行って色んな手続きを進める予定とのこと。


昨日(2/25)の急な残業のタイミングで知った。


26日の日曜日から火曜日にかけて、姪っ子が小学生になったら平日休むのは難しいから、金沢の妹家族のところにもう1人の妹と集まる予定になっている。


月火と休む関係で先送りできない仕事が浮上して、それで急遽残業することになった。


仲良しの子にどうも父方のおじさんが亡くなったようだと話したら(とっさのことすぎてそう説明したけれど、よく考えたらいとこだった)、仲良しの子も「実は誰にも言ってないんだけど…」と言って、今週家の方で不幸があってバタバタしていたことを教えてくれた。


そちらは本当のおじさんが亡くなったけれど、話は複雑だった。


おじさんは、内縁の妻が長いこといて、その連れ子と3人で暮らしていたらしい。


内縁の妻は先に亡くなって、今はみんなバラバラではあったけれども、その連れ子の女の子が時々おじさんの家に様子を見に来たりも含めて泊まりに来てくれてたとのこと。


今回も泊まりに行こうと思って連絡するものの全く連絡がつかなくて家の鍵も持っているから見に行ったら、すでに亡くなっていたらしい。


彼女が第一発言者になるわけだけど、何一つ法的な関係がないから何の権利もなく、警察とのやりとりやその他のことは仲良しの子の母や他のきょうだいですることになった。


若い彼女の方はせめてお花とお線香を自分のおばさんと一緒にあげに行きたいと申し出ていて、それで今小さな葬式をあげるかどうかでバタバタしているという話だった。


実はもう1軒、いつも通るうちからほど近い道の通りで誰かが亡くなったと知って、それが私の小学校のほんの少しの間だけ一緒だった同級生の親・おばさんだというのがわかった。


この話はまさかの私の子どもの頃のいじめの記憶にまで深く根付いたものがあるだなんて全く想定していなかったけれども、さらに複雑な話をうちの親から聞いた。


その亡くなった方というのは、その家に嫁いできた方で、物心ついた頃からこの土地に住んでいる父は一度も見たことがないらしい。


私はその家が商売をしていて、時々外にその方が出ていたり、小学生の孫と月を見ていたりしていた姿を何回か見ていたから、それでなんとなく姿や雰囲気を知っていた。


私はてっきりその家の跡取り娘かと思いきやそうではなく、嫁に来たけれども、跡取り息子だっただろう夫が浮気をして夜逃げをしたらしい。


細かい事情は知らないけれど、その方はそのまま残って家の商売を引き継いで、今は私とたしか同級生だったと思う息子が家業を継いでいる。


私のいじめの件は、その息子の方ではなくて、その息子からしたらいとこにあたる女の子から受けたものだった。


だからその女の子にしてみたら、今回亡くなった方はおばさんになる。


ちなみにその女の子のお母さんが父と同級生で、それでその家庭事情を私もこの年になって初めて知った。


いじめの記憶は強烈で凄まじいものがあるけれど、その家庭事情を知ったら彼女も彼女で当時かなりいっぱいいっぱいだったんだろうと想像できた。


ちょうどいじめを受けていた頃の自分の年齢に今度は姪っ子がなるわけで、姪っ子を見て姪っ子がもうそういう年齢になるんだな…なんてここ最近思っていた矢先のことで、そんなタイミングで当時のいじめと当時の色んな家庭環境が明るみとなったここ2日3日だった。




*




そんな風に知らない人たちの死にごととそれにまつわる色んな現実の話を一気に知ることになったわけだけど、私個人が思ったことを今回も赤裸々に書きたいと思う。


人の死が今回は3人もあったわけで、本当に不謹慎、非常識な視点かもしれないけれど、これから書くことは私が本当に思ったことだからそのまま感じたこと思ったことを書きたい。


そして、「死」という一般的にはタブーというか決して声を大にしてベラベラとおしゃべりできる内容とは違うけれど、それをオブラートに包んだり違う言い方を遠回しにする方が余計と混乱を生みそうだから、どストレートに出てきたままの自分の気持ちを綴りたい。




*




父の従兄弟の死と職場の仲良しの子のおじさんの死とを立て続けに聞いた後、真っ先に私の目が向いたことは、一人暮らしでの死となると変死扱いに一度はなって、亡くなった本人と血縁関係のある人が身元確認をしなくてはいけない法律なのか決まりなのかがあって、そうなると生前の関係の近さや親しさは全く何の意味も成さないことだった。


仲良しの子のおじさんのケースは本当にその最たる内容だった。


仲良しの子いわく、おじさんとの交流はおじさんの兄弟である彼女の母たちも含めてほぼほぼなくて、今回警察から連絡が来て初めて色々と知ったらしい。


片や内縁の妻の連れ子だった女の子は、母亡き後もおじさんと交流が続いていて、合鍵まで持つ関係で、さらには連絡がつかなくておかしいと思って見に行って、本当の意味で故人と密に繋がりがあったとわかる。


だけど法の下では、「血縁」が優先されて、内実の濃い関係は全く何の意味も力も持たない。


ものすごく短い時間の中で、そして残業中は日本語の原稿を見ながら自分の英訳が正しいかどうかのチェックをやりながら、そんな最中に色んなことが頭の中を駆け巡って、そして私が何よりも一番自然に想像したことは、イケメン上司が死んだとするなら…というものだった。


想像したというよりも、ものすごく自然にイケメン上司のことがスッと自分の中に浮上した。


そんな内容だから書こうか書かまいかものすごく迷ったけれど、そのことがずっと頭の中から離れないから、今回書こうと決めた。


第三者から「貴方が死んだら…」などと想像されることはどう本人に映るのかわからない。


不気味に思われたり不快になることも十二分に考えられる。


この時点で無理ならここで読みやめてくれるだろうと相手の自由意志を想像しつつ、多分読んでくれるという(多大な)希望を抱きつつ、書き進めたい。


私の遠慮のなさには辟易してるかもわからないけれど、これが私だからと開き直っている…。


その2人の男性の死にまつわることを聞いて、もしイケメン上司が私より先に亡くなったとしても私は一生知ることさえないんだな…と当たり前の事実を頭で確認しながら、寂しいんだか悲しいんだか落胆しているんだか、なんだかよくわからない感覚と共に冷静に淡々とそんなことを思った。


話が少し逸れるけれど、魂だの何だのと学ぶようになって、私の死のイメージというのがだいぶ変わった。


自分以外の第三者の死というのはそんな風に考えないけれど、自分の死というのは今とはまた別の体験をしにいく、今は地球で武士俣史子という名前と今の肉体とを持って生きているけれど、死んだらとりあえず武士俣史子の名前と人生と体とはお別れして、次なる魂の旅に旅立つ、最近ではそんな風に思っている。


そして魂だけが最後残る時、今度はこれまで会えた人たちと魂同士で再会したりするのではないかと想像している。


何でこんな話をしたのかというと、今現在のイケメン上司と私との関係はさておいて、2人ともそれぞれの今生の肉体で死を迎えた後は、必ず魂同士は再会すると思っている。


魂だけになれば、今みたいな余計な制約も苦手感も無くなって、もっと自由にお互いにやりとりや意思疎通ができるんじゃないかと想像している。


魂に性別もあるんだかないんだか、少なくとも社会的な立場や年齢や住む地域や関係性は全部死と同時にリセットされてなくなるだろうと思う。


それだけ自由度が高まると思えば、イケメン上司の魂と再会するのはとても簡単になるだろうし、変なわだかまりや抵抗も少なくコミュニケーションも取れるように思っている。


だから死後のことは私は何にも心配していない。


話を戻して、今現在から死のその時までのところに再び注目する。


本当に赤の他人の私は、絶対的な100%の確率でイケメン上司の死を知らされることはない。


それはどうやったって覆(くつがえ)らない。


その事実を頭ではものすごくよく理解しているし、仕方ないとさえ思わないくらいにそれが現実のことだというのもわかっている。


なんだけれども、気持ちというか心はもっと別の感じで、そういう未来を私は望んでいるのかというとそうじゃない。


知りたいのか知らされたいのかはたまた法的に認められた関係でありたいのか、そういうのは深く考えてはないけれど、「はい、わかりました」という気持ちにはなっていない。


そして死んだ後のことはさっき書いた風にやすやすと想像できるくせして、そのくらい気持ちが割り切れているのかと言えば、そこは全く違う。


そしてこれもおかしな想像ではあるけれど、仮に私が先に死ぬことになっても、それをイケメン上司が知ることのない現実については特別な感情は湧かない。


むしろ、生涯独り身の自分が死ぬ時は、絶対的に誰かしらに後始末的なことをしてもらわないといけないわけで、そういう準備もしておかないといけないんだなと思ったら、誰に知らせるだのというのは全く興味が湧かず、むしろどういう手段なら一番他人の手を煩わせずにいられるか、そういうことは調べないといけないなと思った。


余談だけれど、今回の父の従兄弟の件は、高齢の姉たちと父が諸々手続きやら何やらを担当しているけれど、私の中で自分が仮に姉妹の中で一番先に死んでもそして姪っ子がいても、気持ちとして頼めないし本当に余計な負担だけは避けたいと思っている。


そんな風だから、私がイケメン上司より先に死ぬことになっても、それこそ知らせる手段もないし誰かの手を煩わせることの方がうんと嫌だから、私の死に関してはもはや思考の土俵に一瞬だけ出てきてもどうしたいとか何にも思うことなく終わった。


イケメン上司の命について知りたいと思うその自分の気持ちの根底はなんだろう?って考えた。


山で行方不明になったおじいちゃんとの魂?とやりとりしたことで、どうも死んだ後は本当に自由に色んなところに行き来できると知って、それを体験しているからこそ死んだ後の方が実に自由にやりたい放題やれるようなイメージがある。


でも私は死後にイケメン上司とどうこうしたいというのはこのテーマとは違う立ち位置にある。


そうではなくて、イケメン上司が今のイケメン上司で、私が武士俣史子の名前と体と人生である状態で、その状態で知りたいことで、そこにこだわっていると言うのとも違うけれど、上手く言えないけれど知りたいは知りたい、そのように思っている。


イケメン上司側にそんな義務も義理もないのは百も承知だし、こんなこと書いててもだからと言って何とかしてくださいっていうのとも違う。


だけど、自分の中でこんなに気になってしまう人の最期を知ることも知らされることもないって、どうにもできないと知っていてもとても寂しいことだなというのは素直に感じている。


職場の仲良しの子のおじさんのケースを聞いて、本当に法の下では生前の親密度や関係性なんて全部ぶっ飛ぶんだなとわかる。


件の女の子は本人の意向でなんとかお花とお線香をあげるところまで行き着けるかと思うけれど、そこにいくまでも相当な難所がたくさんあるだろうことは想像にかたくない。


そこまでの関係があってもそんな風なのに、イケメン上司と私とじゃ、イケメン上司に何があっても絶対に私が知らされることなんかないわけで、引越しさえ知らされない関係の人がさらにその遙か上をいく死を知らせてもらえるわけがない。


だけど私の中に「わかったよ」とならないものが確実にある。


「イケメン上司の命について知りたいと思うその自分の気持ちの根底はなんだろう?」のところに戻って考えても、正直なところよくわからない。


非常に勝手な話だけれど、可能であるなら私はイケメン上司にもう一度会って本当に色んなことを話してみたいとそれだけは真剣に思っている。


イケメン上司側はそんなことしたくないだろうとか考え出すと話がややこしくなるから、自分の気持ちや希望にだけ焦点を当てて言うと、本当に色々話をしてみたい。


私のことはここにたくさん書いているからそんなに目新しい情報などないけれども、イケメン上司側のことは私は何にも知らないわけで、イケメン上司側には私とのそもそもの出会いがどんな風に映っていて、どんな感じだったのかを聞いてみたい。


私にとってペンジュラムだのタロットだの亡くなった方の霊とコミュニケーションを取るだの、色々とオカルト的な要素が人生の中にガンガンと入ってくるのは仕方ないにしてもそれでもやっぱり色々驚きもあるわけで、私でさえそんな風なのに、イケメン上司からして、私から見ると超きちんとお勤めされて理系の白黒はっきりした又は数字とか世界共通言語で判断するようなものを主たる取扱いの世界の中にいる人から見て、私が関わる色んなことはSF映画ですか?みたいな、わかんないけれども、これが私の普通の日常でも他の人からしたら絶対に「普通枠」には見えないだろうから、そんな私がなぜか人生のある時にイケメン上司の前に登場してくるわけで、何でもいいからどんな風に私がいたあの時間や空間を感じたり見えていたりしたのかをイケメン上司の口から直接聞いてみたい。


ガンガン近付かれて恐怖だったでも、色々ウザかったでも、もはや内容は何でもいい。


本当にどんな風に感じていたのかを知りたい。


色々たくさん望むのは違うだろう関係というか関係って言葉さえもさらに違うと思うけれど、とにかく死をきちんと知らせてもらえるようなものを望もうなんて思わないけれど、せめて生きているうちに、この武士俣史子人生を生きているうちに、イケメン上司から何でもいいから直接言葉を聞きたい。


だから「死」というものがどちらかの人生で起きた時、それは生涯叶えることのできないものになる。


2人ともが死んだ後の世界では、答え合わせ的なやりとりはおそらく可能だろうけれど、そんなのは私が欲しいものとは違う。


私がこだわっているのは、生きている今の人生の中で知る機会が欲しいということ。


色んなことを体験したおかげで色んな人生があるのもわかるし、色々ぶっ飛んだことがありすぎな人生で、多少のことでは動じないくらいの強さみたいなのもある。


そういう意味で、私というのはイケメン上司の周りにはあまりいないタイプの人間なんじゃないかと思う。


目の前にいた時は単なる派遣社員でしかなかったけれど、蓋を開けてみたらこんな風で、想像以上にやばい人だったと思われてるかもわからない。


イケメン上司と私とが恋仲的なものとか男女の関係とかそういう類いのわかりやすい関係になる相手では全くないと思う。


私側はいいけれど、イケメン上司側は何が間違ってボランティアみたいなまたは罰ゲームみたいな、そんなことに巻き込まれなきゃいけないのかとさえ感じるから、そういうものを求めようなどとは思っていない。


色々気まずすぎて私にはあんまり近寄りたくないかもしれない、とずっとずっと念仏のごとくいつの時も思っている。


そういう恋仲相手は私じゃなくて他に適任者がいるだろうから、そういうことを求めるつもりはない。


だけれど、せめてこの色々意味不明すぎたことたちを、私以外の唯一の当事者であるイケメン上司から直接どんな風に感じていたのかを聞けないかなと思っている。


それだけはイケメン上司本人からしか聞けない。


だから生きているうちに真面目にその機会を叶えてもらえないだろうか…、とこだわっているのはそこなのかなと思う。


死を知らされないことは仕方ないけれども、今書いたことは仕方ないって割り切れない。


死んだ後に聞いたらいいじゃん、という風になんて絶対に割り切れない。


だから、自分の死であれイケメン上司の死であれどちらが先かはわからないけれど、どちらが先であってもそうなった時にはもう二度と今の人生でイケメン上司と人生の答え合わせができなくなる。


私にとって一生に一度しか体験し得ないことをイケメン上司の存在のおかげで体験できたわけで、そして目の前で言葉を交わせた時は絶対的な拒否と言わんばかりの状態で、どうやっても色々聞くことはできなかった。


いつか本当に私の願いが叶えられるとするなら、それが生涯で最初で最後になるだろう覚悟が自分の中にあるから、その時は本当にありのままの言葉をイケメン上司から聞いてみたい。


そしてその知れたことを冥土のお土産じゃないけれど、そういうものを残りの人生と死後の世界とで目一杯愛でたいと思う。


だから私は死を知らされる云々よりも、その機会を一生の中で手にできるかどうか、そこにこそ本当にこだわっているんじゃないのかなと思う。




*




「死んだら…」仮定の話に、実名こそ出してないけれども固有名詞を出して、それがすなわち自分の死について触れられてるわけで、それが不快感や不愉快な感じを与えていないといいなと心から願っている。


もし願いとは反対の不快な方に行っていたとするなら、本当にごめんなさい。


2022/02/27

金沢行きのバスの中より




*




【追記】


今ブログをアップしようとして、タイトルをどうしていいのかわからなくなってしまった。


『死ぬまでに叶えたいこと』と最初入れてみた。


だけど、「死ぬまでに叶えたいこと」というのはたしかに合っているけれども、なんだかこの内容と若干ズレてる気もする。


ここに書いたことはとても無為自然な形で湧いて出てきて、私はそこに何とタイトルを付けるがいいのかわからない。


書いたらこんな風だったわけで、しかも金曜の残業の時間からその感覚はずっとずっとあったわけで、その感覚は今も強烈に自分の中にある。


『無為自然なる気持ち』にしようかな…。


一層のこと、『勢いに任せて書いたもの』とかの方が一番しっくりな感じもする。


今決まった。


それでいこう!と決まったのが実際のタイトル。(決めるまでにかかった時間は20分。けっこうガッツリと悩んだ)