2021年1月10日日曜日

占星術紀行2021【前編】



今日(1/9)の昼間から、とある占星術講座をWEBで受ける。

西洋占星術界では多分一番本を出してるだろう大御所先生、松村潔氏の単発講座を年末に申し込んだ。


ある日、松村先生のサイトを見て(何か探し物をしたような気がする)、そこでたまたま先生が単発で3回ほど講座をすると知った。


しかも1回目の今日は「キロン」という傷と癒しをテーマとして持つ天体についての講座で、松村先生自体も超マニアックな上、キロンをメインテーマに据える占星術講座なんてまず見かけないから、全く様子は想像できないけれど、見るだけ見るのは楽しみだなぁと思って申し込んだ。


受講料も「元取れるの?」と思うくらいに安くて、これで内容がつまらなくてもその値段ならいいか!となって申し込んだ(ちなみに2時間で3000円台)。


何を目指す気なのか、とにかく占星術に対しての熱がジワジワと最近押し寄せている。





去年の秋くらいからメルカリで絶版本や手に入りにくい占星術の本が買えると知って、かれこれ4ヶ月ほど毎日メルカリチェックをしている。


メルカリでは12冊、その他にもヤフオクやネットのブックオフでも少し占星術の本を買った。


今は順番にその日の気が向いたものから読んでいる。


昨日(1/8)、ヤフオクで買った絶版本が1冊届いた。


北海道の人だというのは知っていたけれど、その人は個人ではなくおそらく個人経営しているだろう古書店の方だった。


30年以上も前に発売されたにも関わらず、とても綺麗な状態で届いた。


古書を注文するようになってから本のにおいを嗅ぐようになったけれど、甘いにおいがしていて、なんかいいなぁと感じた。


この本は一か八かの賭けの本でもあった。


去年買った絶版本の中に、今回買った門馬氏の名前が謝辞の中に出ていた。


どうもその著者の師匠だったようで、本を出す運びとなったことについてお礼を言われていた。


その本も少ししか読んでないけれど、そもそもの考え方がすごく好きだった。


自分の星を知って自分の人生に生かそう、そういうことを提唱している方だった。


その方の師匠が門馬氏ということで、私の中の期待値が高まった。


ただ、門馬氏の本は、正直当たり外れが相当あるのか、Amazonだと絶賛する人と酷評というか良くないという人と分かれるタイプなのはわかった。


だから賭けてみて、まぁダメなら仕方ないかとあきらめられる値段で出ていた本をヤフオクで落とした。





少し話は逸れるけれど、「値段」というのが私にとっては買う買わないを判断するのにとても大事な項目だと最近腑に落ちた。


基本「安い」と自分が感じることが大事で、それは数の大きさ小ささで安いと判断するのではなくて、その1つのものに対して「安い」と感じられるかどうかになる。


だから例えば、1000円でも高いと感じる本もあれば安いと感じる本もある。


私がずっと探し求めている絶版本については、個々に価格上限みたいなのがうっすらとあって、そこを越えない値段で出てきたら速攻買う予定でいる。


ちなみにその中の1冊は今Amazonで80万円を超える値段がついている。


そんなのは絶対に買わないから、私の中のその本の適正価格4000円前後になるものを見つけたのなら買おうと思っている。


値段云々よりも私が抵抗なく「買う」と決められることが大事なんだとわかった。


私が抵抗なく「買おう!」となる時は、それはすなわち私にとって必要なものがやってくることのサインだと、いつかのノム(占星術講座の時のクラスメイト)との電話の時にノムが言ってくれた。


それを言ってもらってから、私は自分が値段に一喜一憂することが大事なセンサーなんだと認識できるようになった。


そしてこれは自分でもわかるけれど、「買おう!」と決められた本に関しては、どれもこれも当たり本というだけじゃなく、私に大切な知恵を授けてくれるものばかりだった。


多分その知恵こそが必要なんだと思う。





冒頭の本は、開いた瞬間からノックアウトだった。


パラパラと開いたページにはおおよそこんな風に書いてあった。


自分の気になるところから読むと、そこに今の自分に必要なことが書いてある。


探したけれど、そのページは探し出せず(苦笑)、でもその言葉を見ただけで著者のことが大好きになった。


順番に読みなさいと言う本も基本的には見ないにしても、自分の気になるところから読んでそこには今必要なことが書いてあるなどと教えてくれる本も基本的にはない。


そんな風に言われたら俄然気になってパラパラとめくった。


牡牛座のテーマが最近気になってて牡牛座がパッと開かれたから少し読んだけれど、言うほどの感動はなくて(もちろんグッとくるものはあっても、自分の中で「これじゃない」と思った)、じゃあ次はやっぱり魚座でしょ!と思って魚座に飛んだ。


魚座の説明はすごかった。


女性器の具体的名称をいくつか出して、それと魚座の特徴を絡み合わせて説明していた。


こんな真面目な本に普通にベラベラと女性器と絡めて説明される魚座ってなんだろう…Σ( )))) と思って、これもまた飛ばした。


魚座だから本の最後の方なわけで、そのままあとがきとかないかと思ってさらに先を見たら、「政治経済占星表ー星からのメッセージで、世界と日本の重大事件を予言する」というページが目に止まった。


1989年出版物で、1990年から2020年まで一言ないし二言で各年が説明されてた。


2020年はこんな風だった。


「世界は騒乱ブームとなる。日本では、既存の病気に対する医療能力の賞賛と、新しい病気に対する医療力の立ち遅れの批判が交互することになる。」

[『西洋占星術』門馬寛明より引用]


Σ∑(((゚Д゚;;;)))))//Σ∑(((゚Д゚;;;)))))//


もう絶句だった。


何をピンポイントで読むと、新しい病気の出現を予言できるのか知らないけれど、とにかくすごい予言だった。


他にもわかりやすいのが


「2007年

世界的な金融恐慌時代はじまる。」


「2017年

二十世紀末から実用化されている外国語翻訳機はだれでも持てるようになる。」


リーマンショックのはじまりを予言して、そしてGoogle翻訳が劇的に機能が良くなってさらにはスマートフォンの普及で誰でも持てるようになるのもその通りだった。


Google翻訳ならもっと前から存在していたものの、Google翻訳自体の内実はかなり怪しいところをずっとウロウロしていた。


使ったことがある人ならわかってもらえると思うけれど、Google翻訳で翻訳しても意味の通じない日本語が表示されるなんて以前はしょっちゅう起こっていた。


それが友達の1人が大学院に行き出した年、多分2017年だったかと思うけれど、その辺りから躍進的にGoogle翻訳が良くなって、今に至っている。


2020年1年間、ほぼ毎日のように使った私としては、その感覚がよくわかる。


本当にかなり性能が良くなったし、英語というメジャーな言語ばかりじゃなくてマニアックな言語の翻訳も相当数使えるようになっている。


それを門馬先生は予言していた。


それも星を読み解いての予言だった。


この門馬先生、只者ではないと知った。






ここから先が本当に私にとって大事な内容だった。


門馬先生の予言力すなわち占星術力は、当たる当たらないを第一としていたような時代に活躍されていた時でさえも、群を抜いて凄かったんじゃないかと思う。


並外れた研究と分析とを重ねて、おそらくそこまでの力を発揮されてたのではないのかなと思った。


いずれにしても、正確に星から情報を読み取ってそれを人々に伝えていたのではないかと想像する。


前の私なら「自分にはそんなことできない」で終わっていたと思う。


だけど今の私は違った。


自分はこれからどんなに勉強したとしても門馬先生のような読み解き方は絶対にできない。


私が仮にあと50年生きて毎日占星術を勉強して90歳越えになっても無理だとわかる。


それは私はしなくていいことだし、私の興味とも違うし、さらには私のテーマでもない。


私の星読みはそれじゃない。


ふと、12月に占星術初級講座の時の桐吉先生から受けた個人鑑定のことと、2018年の春の日、まだホロスコープを独学で読む練習を始めて何日目という時のある日の夕刻の車の中のシーンを思い出した。


先生の鑑定の時に、けっこうな時間を傷と癒しがテーマのキロンについて情報をもらった。


私は先生の読み解きを聞いて、自分のテーマの核となるものがより一層確信を持ってわかった。


「心の傷と癒し」


これが私の人生の中からは切っても切り離せないテーマだし、そして癒すためにはまず傷となるものが必要になるけれど、傷という区分においては私は十分すぎるほどたくさんの傷の出来事を体験している。


傷がない人なんて誰もいないけれど、そして私よりヘビーな体験している人もたくさんいるけれども、私の体験もかなり特殊で、ヘビー度合いを見たら決して軽症側ではなく重症側に位置するように思う。


私が体験したことの数々は体験せずに済む人の方が世の中では圧倒的にマジョリティだから、そんなものをいくつも複合的に体験するなんて、レアなケースのように感じる。


だから癒しをたくさん求めたし、癒さなければいけないとこれまた強迫観念級に思っていた。


キズの種類も癒しのプロセスの詳細や種類も、本当にスラスラと空で言えるくらいたくさん情報を持っているし、それはどれもこれも全部自分で体験したり調べたり専門家から学んで蓄えたものだから、自信を持ってこれはこうとかあれはああとか説明できる。


数なんて数えられないくらいに色んな手法を試したから、そしてどんなのが簡単とか効果あるとか、そんなのも自分の中にしっかりとインプットしてあるから、いつでもその情報を自分から取り出せる。


とにかく自分が少しでも楽になりたくて、そして生きづらさが軽減することを目指して、がむしゃらにやってきたことが自分の財産になった。


先生からはその辺りの人生体験やそれを今後どう社会に還元していくかというような内容を私のホロスコープから読み取って説明してもらっていた。


先生には私個人の体験や考えは一切伝えずに私のホロスコープを読んでもらったけれど、先生は星から本当に私の人生の特徴とそれらから見えてくる私の強み、資質なんかをとても丁寧に読み解いて、それはまさに私の人生と私自身そのものだった。


先生の鑑定以後、星を今後自分が読むにしてもキロン、すなわち心の傷と癒しをメインテーマに据えて探究を深めたいと改めて思った。


そして、もうひとつは2018年の4月の何日か、私が自分のホロスコープを自力で読み出してまだ何日目という時、駅のロータリー部分をぐるっと回った辺りで突然、「ポン」と立ち現れた感覚とその瞬間のことを思い出した。


その時のことをブログに書いた気がすると思って見てきたらあたりだった。





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買った本の中に、獅子座に対してのアドバイスが載っていた。


今読むと何でそう思えたのか不思議でならないけれど、私はそこを読んでてパッと言葉が出てきた。


「心の傷を癒すエキスパート」


ふわっと自分の中から突然降って湧いた言葉だった。


本にも鑑定書にも書かれていない。


だけどその言葉には、私が長いこと求めていて、長いこと知りたくて、長いこと姿かたちはないけれどずっと自分の中にあり続けてきたもの、そんな感じだった。


それが自分がやりたいことで自分ができることでもある、とにかく「わかった」という感覚だった。


そしてその言葉が出てきた時、これまでの色んな体験たちがすべて意味があって起こっていたことにも気付いて、私は運転しながらボロボロと涙が出てきた。


私は自分の人生に起こった色んなことを見て、「どうしてこんなことが自分の身に起こるんだろう?」と思ったことがかなりたくさんある。


大人になってからのものより、子どもの頃の方が心の傷として残るには強烈さが上回っている。


そして子どもの頃のものは、いくつかセラピーで緩和したものの、どうしても自分の中で腑に落ちなかったのが「どうして起きたんだろう」ということだった。


起きたことは仕方ない。


相手も子どもだったり、未熟なものを抱えた大人だったりして、仕方ないと思う。


何かの誰かのせいにするつもりはないけれど、でも「どうしてそのことが私に起きたのか?」という答えはずっとやってこなかった。


そのことに意味があるなら私は意味を知りたかった。


意味を求めても仕方ないと言われても、私はなぜ自分が犠牲者的な立場を経験することになったのかその意味を知りたかった。


自分が納得できる答えなら何でも良かった。


そして昨日運転中に出てきた「心の傷を癒すエキスパート」、それでものすごく納得した。


自分自身が色んな種類の心の傷を体験して、そしてそれを1つ1つ丹念に癒していく、そのプロセスのためには絶対的に必要な体験だった。


傷を癒す時、まずは「傷がある状態」が必要になる。


癒す対象がなければ、癒す行為さえ発生しないから。


そして私は自分自身が専門的な手法を用いてその癒しのプロセスを経験することで、「癒せる」という可能性を知った。


そしてそれは何も私に限ったことじゃなくて、誰でも使えるし誰でも自分自身にしてあげられる。


その一連のプロセスと自分の人生の課題とそしてこれからやりたいと薄ぼんやり浮かんでいたこと、それらが初めて合体した。


色んな手法や知識を習得してもずっとわからなかったのは、私はその学んだことをどうしたいんだろう?ということだった。


使えるのもわかったし、自分のやりたいことともリンクしてるのはわかってた。


だけど何のためにするのかがずっとわからなかった。


「自分を楽にするため」というのはわかってても、どこか決定力に欠けていた。


中心の軸がグラグラしてるというか。


でも昨日「心の傷を癒す」を軸にすると、その先は自分本来の力が増すことになる。


傷の部分に意識的でも無意識的でもこだわっていたところが抜け落ちて、代わりにその部分に費やしてた力を別のところに使える。


自分の状態を整える、そこにたどり着く。


2018年4月6日

『人生を紐解く』より抜粋

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門馬先生の本を見て、私の目指したいもの、星読みの使いたいところは、「心の傷と癒し」に繋がるものだとはっきりと知った。


上に抜粋した3年前になる4月のとある日のことは、今思うと啓示みたいなものだったんだと思う。


よくよく考えたら、変だと思った。


独学でホロスコープの読み解きを始めた素人が、いきなり早い段階でキロンに着目するというのはとってもおかしい。


しかもあれから3年くらい経とうとしているのに、私は自分のキロンの読み解きがほとんどできてない。


人生における心の傷とホロスコープ上にあるキロンが示すものとがどう繋がるのか未だにピンときてない部分の方が多くて、だから何?くらいに思っているところもまだまだかなりある。


そんな人が独学第1週目でいきなりピンポイントでキロンを見るなんて相当おかしい。


これまで1回も料理なんてしたことない人がいきなり肉じゃがではなく余った肉じゃがを使って肉じゃがコロッケを作るとか、英語さえも不得手な人がスペイン語のマニアックな方言を習得しようとするとか、そういうことを私はホロスコープの読み解きの時にいきなりやり出しちゃったわけで、今となれば本当にまんまと魂街道にはめられたように思う。


もちろん自分が好きこのんで選んだことではあるけれど、多分水面下では相当な調整が仕組まれていたのではないかと思う。


だって、多くの人は多分だけど、基本の10天体(水金地火木土天海冥)とか12星座の方から入っていくと思う。


私はそんなのも飛ばして、いきなりキロンから入っていって、そしてキロンを触ったことで上に書いた「心の傷を癒すエキスパート」というメッセージに出会っている。


必然と言わんばかりにそうなっていた。


門馬先生の本で大事だったのは、まず私が自分の気持ちや人生の計画に気付くことだったように感じる。


まさに「今の私に必要なこと」だった。





この一連の流れを見て、「あっ!」となったことがある。


当初、今年最初の占星術講座は、初級講座の時の桐吉先生と桐吉先生の師匠にあたるリマーナすず先生の共同開催の講座の第2回目の予定だった。


ところが松村先生の単発講座の存在を知って、それを年末に申し込んで、そして今年1発目の講座が松村先生の講座に代わった。


さらには、その講座はキロンをテーマに扱っていて、そうした諸々が重なっての今になる。


そして天体上の色んなことが切り替わった後最初の講座が松村先生のキロンの講座だった。


仕組まれた感がかなりする()


ちなみにその講座も読み通り面白い展開と相なったけれども、何せそこを書き始めたら永遠に終わりの見えない話になるから、一旦ここで切って後半にバトンタッチしたいと思う。


まだ何にも書いていないけれど、続きは後半にて。(アップできる時期はもちろん未定)

2021年1月8日金曜日

謹賀新年ー雪かきと占いとオカルト

 「人の縁なんてなるようにしかなんないんだろうなぁ


本当に縁があるんだったらジタバタしなくたってまた繋がる

そんなもんだろう」


〜「出て行った人そのままにしていていいんですか?」に対しての答え


朝ドラ『エール』第96

20201026日放送分







今年の正月は朝から忙(せわ)しなかった。


朝の7時頃、外の活動的な音で目が覚めた。


カーテンを開けて下の様子を覗くと、見た瞬間無かったことにしたいくらいの雪が積もっていた。


車は雪に埋もれているし、我が家の父だけではなく、お隣りの父息子ペアも、斜め向かいの若手ご夫妻も、隣りの隣りの父息子ペアも、みんなせっせ、せっせと雪を運んでいる。


無視したかったけれども、さすがに無視して良い積雪量ではなかった。


私も起きたままの格好を少しだけ軽装にして、靴下履いて、薄めの防寒具を着て、雪かきに出た。


その後まさか2時間も雪かきをひたすらすることになるなんて、想像さえできなかった。


父が痛風と思しき膝痛を訴えていたこともあって、途中から帰省中の妹が交代した。


私は正月の食べ過ぎを見越しての「雪かきダイエット」ということにしよう!と気持ちを切り替えた。


正月早々に夜明け前の除雪はもちろんあったけれど、なんとその日は午後にも除雪車がやってきた。


1日2回も出動するなんて余程のことがなければありえなくて、1日から2日にかけては12時間おきに除雪車が入っていた。


全国の天気予報で、新潟県だけが単独で予想降雪量のトップに名をかざしていただけのことはあった。


次の日もその次の日も朝の雪かき(1時間弱)は、三が日ずっと続いた。


1日の午前か午後の雪かきのどちらかの時、私は母に車庫の片付けを提案した。


タイヤの移動と他のわかるものの移動を私がするから、母お手製のたくわんの桶やら何やらは片付けて欲しい、そして1台分だけ今年の冬は車庫に入れようと言った。


新年早々全くもっておかしな展開ではあったけれど、せめて青空駐車場の3台分の雪かきから2台分の雪かきに減らさないと、これから毎日超大変でしんどいと思ったから、それで急遽車庫の片付けを始めた。


我が家は3年前の建替え時に車庫2台分に荷物を詰め込んで、必要なものは出したけれど、そうではないものは「捨てられない」症候群の母によりそのままになっている。


私は最初こそ口を出したけれど、それが余計と面倒なことになったから、それ以来口を閉ざしている。


そして、中のものは父と母のものだから、私がとやかく言うことでもないから家庭平和のためにもそっとそのままにした。


妹は細かな事情を知らないから、さすがに何で雪がない時に片付けないのかと母にどストレートにツッコんでいた。


最初母もそこまで乗り気ではなかったけれど、私は最低限の荷物だけ動かすよ、と一言言ってから動かし始めた。


そして、1台だけ入れられるスペースがわりとすぐにできた後、母も納得した。


雪かきの方が本当に大変で、しかも週間予報も毎日雪だから雪かきは果てしないわけで、それなら雪かきの負担が少しでも減る方が良いと肌で感じたようだった。


そんな風にして幕を開けた今年の元旦だった。







「あなたの無限の深みにある宝は、あなたの眼に触れたがっているのです。」

(引用:『預言者』カリール・ジブラン)


「自分の生き方を本格的に引き受ける」


引用『3年の星占い 魚座 2021-2023』石井ゆかり


石井ゆかりさんの20212023年の星占いの本を読んだ。


元旦の日のお風呂の中の読書、新年一発目の1冊をそれにした。


12月の下旬に入る前に買ってあったけれど、バタバタしていてようやく読めたのがその時だった。


すごい余談だけれど、月星座を知っているなら月星座の方の3年占いもオススメ。


私の場合、獅子座で、本来なら太陽星座(みんなが「何座?」って聞かれた時に答える星座)に合わせて読まれている内容だけれども、獅子座も買って読んでみて、獅子座の内容がとってもしっくり来ている。


むしろ、獅子座の方が心の深い部分に響く感じ、私の場合。


ちなみに私は自分の月星座の獅子座の感覚がさっぱりわからなくて、巷に出ている月星座獅子座の情報を読んでも、毎回「???」とハテナがいくつも並ぶ感じでほぼほぼ共感できないけれど、石井ゆかりさんの今回の獅子座の3年占いはものすごくしっくりくる。


回し者じゃないけれど、月星座が何かを知っている人は月星座の分も見てみると面白い発言があるように思う。


魚座の話に戻る。


魚座に書いてあった

「あなたの無限の深みにある宝は、あなたの眼に触れたがっているのです。」

「自分の生き方を本格的に引き受ける」

この2つは、すぐにピンときた。


自分が持ち合わせた才能や資質と呼ばれるものは、持っている本人に気付いてもらえるのを心から待ち望んでいると思う。


私もようやく自分のことを受け取れるように少しずつなってきたけれども、自分の何かに気付くと自分の中に満たされた感情が湧く。


これまで無視してきた自分の一部分を、自分の中でも認めて居場所を作ってもらえたわけだから安心できたり、自分を誤魔化したりせずに済む。


満たされるのもその原理を思えば頷ける。


「自分の生き方を本格的に引き受ける」


これについても、言葉が伝えてくるものに「うん、そうだね」と頷けるほどになってきた。


40年近い時間をかけて今の自分があって、そして15年くらいかけてああでもないこうでもないと自分の生き方を推し測ってきた。


ここ何年かで自分の体質的なものや不可抗力的な人生の流れも徐々にわかるようになってきた。


アップするまでにまだ至ってないけれど、12月に人生3回目のホロスコープ鑑定を受けて、そこでも自分の生きる方向をこれからは定めていこうという気持ちになった。


だから、「自分の生き方を本格的に引き受ける」という言葉が自分の中にスッと響く。


もうそういう時期に入りつつあるんだと思う。


年齢がというよりも、自分の心の矢印が「探す」ところから「引き受ける」方にベクトルが変わった感じがする。


そういうことを元旦の夜、今年最初の読書で確認できたことはとっても良かった。







帰省していた妹に、元旦の日の夜、布団の向こうで突然「質問がある」と言われた。


何かと思えば、先月膝が痛くなった話に始まり、あまりにも長引くから近所のマッサージ師のおじさんのところに行ってという話に始まって、その後色んなことが出てきた。


妹はエンパス気質で、エンパスも色んな種類があるけれど、その中の相手の人の痛みを自分の痛みのように感じてしまうことがある。


(「エンパス」とは、しばしば「サイコパス」の反対の意味をもつ資質として取り上げられる事があり、共感力、感受性が非常に強い人の事をいいます。 エンパスの人は、並外れた共感力や、人の感情、エネルギー、その場の空気を読み取ることができます。

引用元:https://www.act-amuse-japan.co.jp/9676/


最初、同僚の人の痛みが自分にも来たのかと思ったけれど、痛む箇所は同じでも痛みの種類が違うから、それも訴えてのおじさんからの施術だったとのこと。


おじさんからは、その痛みが霊障に当たるものだと言われて、おじさんはすごくショックを受けていたとのことだった。


私もおじさんから施術を受けたことがあるし、本来なら見えないものがそのおじさんには視える、要は視える人だというのも知っている。


おじさんいわく、妹というのは世にも珍しい霊障を全く受けたことのない肉体らしく、そんな人は基本的にほぼほぼいないとのこと。


多くの人は多かれ少なかれ何かしらもらってしまっているし、不調がなければそのまま気付かれずに終わることもある模様。


その辺りは私は素人に気が生えたくらいの知識しかないからきちんとはわからないけれど、何かしらもらってしまっているというのは仕方のないことくらいに捉えている。


自分に実被害がなければいい、その程度の考えしか私は持ち合わせていない。


で、とにかくエンパス気質でありながらも他人からの霊障をもらわない妹というのは本当に珍しいらしく、そんな健やかさを持った人さえも霊障を受けてしまうことにおじさんはショックを受けたようだった。


その霊障に関しておじさんは感じたいくつかの特徴を妹に伝えて、妹はその話から霊障の根源となりうる職場の話をしてきた。


私は今回は話も聞いたけれど、それと同時に自分の感覚にも目を向けていた。


私は思ったことをポンポンと妹に返しながら、時々はヒントみたいなことも伝えながら、2人でしばらく会話をした。


いつか霊視ができるヒーラーさんに言われた通りで、私というのはAかBかと聞かれたとするなら、直観的にAとわかる人ででも何でAなのかはわからない。


ヒーラーさんはそれを天才型と呼んでいたけれど、一方のヒーラーさんが秀才型と呼んでいるタイプは、AはAでも何でAなのか理論的に理由や背景を組み立てて考えてそれで導き出すタイプと言った。


私のはまさにそうで、妹の話を聞きながら、一度も会ったことのない妹の職場の人たちの特徴を実に的確に捉えている。


性格や人格的な特徴を1つのエピソードを聞けばスルスルと勝手に言葉が出てくる。


そしてその出てきたものは、私個人の価値観や偏見なんかは基本的に取っ払われていて、ただただ純粋に出てきたものを話す。


妹の場合はそこに悩みというか問題も横たわっているわけで、その解決策に繋がるだろう本質的なことも私はズバリと言っていた。


妹は40歳を前にまた新しい職場を見つけて1からやり直すなんて面倒で嫌だと言った。


妹の気持ちはわからないでもない。


でも私はそれに対して、まず第一声で言ったのが

「ユーコと店の波長が合ってないよね。

それは時間をおけば合ってくるものではなくて、今後も合うことはないよね。」

だった。


妹はその一言で全部わかったみたいだった。


続けて言った。


「波長も合ってないし、ユーコの良さが全く生かされないよね、今のところだと。

ユーコが大事にしてるものを店は大事に思っていない。それってずっと平行線だし、今はなんとなくそれでやっていけても、それがあと10年20年先もそうだってなれば、絶対にそれを続けることの方が近い将来1からまた始めることよりもしんどいと思うけど」


妹はそれを聞いて、実際に起こっていることまんまで合点していた。


そして言った。


「春先に1人辞めたって言ったでしょ。

これまではその子がいたから店の問題がぼやけていて、問題の諸々がその子がいることでわからなくなっていたんだよね。

でもその子が抜けたら、それまで隠れていたことがもろに出てきてしまって、それってもろに店そのものの問題だし、それってでもどうするとかもできることとは違うから、この先も何か変わるとかいうことはないと思うんだよね」


細かいことは省略するけれど、これこそが自分の見ている世界なんだと感じた。


表面の出来事はさして重要じゃない。


表面ではなく、その内容に対してポンと本質的な視点がさっと思い浮かぶ。


考えることも分析することもしない。


ただ「これだな」と思うものが自分の中に浮上する。


そういう感覚は私の中であまりにも当たり前すぎて特別とか人と違うなんて思ったことなかったけれど、多分こういう感覚こそが特異なんだと思う。


誤解を恐れずに言うと、私はこれまでかなりな数で「何でこの人本質とズレたテーマを話したり指摘したり問題と思っているんだろう?」と思ったことがある。


私からすると、論点がズレていて、それって今問題じゃなくない?とか、そこに注目してその後どうするの?何になるの?と心で毒づいたり、みんながみんなそうではないけれども、とにかく論点ズレまくりな問題提起や問題解決を山ほど見てきた。


私みたいに私情も絡めず、同情や共感もほぼほぼせず、ただ真っ直ぐに今あるものを見つめるのは実はものすごく珍しいのかもしれない。


ある種冷たいところもあるかもしれないけれど、それが友達であっても動じない。


数人で集まって例えばその中の誰かの悩みや今ある困ったことを聞くことが時たまある(今はもうゼロに等しいくらいにないけれど)。


さすがに場の空気は読んで発言するならするけれど、何か偏った見方や味方になることが私は苦手で、例えば今回なら妹の状況に同情したり共感したりはしなくて、そうではない、本当に本質的なテーマをパッと受け取るみたいなところがあるから、それは相手と状況とを見て言葉を選んで伝える。


そういうのってこれまであまり意識してこなかったし、自分だけがそんなことしているなんて思ってもいなかったけれども、よくよく振り返ってみるとそういう傾向って珍しい部類な気がした。


自分の中にあるものを、選民感を持つために意識する必要はないけれど、代わりに他の人たちと同じと捉えたり大したことない普通のことと捉えることをこれから少しずつ見方を変えたいなと思っている。


今回妹とやりとりしてそんなことも思った。







3日の日中、両親が買い物に行っている時間、妹に頼まれてオラクルカードを引いた。


6個(つい最近もうひとつやってきたから今は7個)あるオラクルカードの中で、妹が聞いて欲しいと言った内容に合わせて2つのカードを選んだ。


なんとなく、具体的な内容を示してくれるカードと、もうひとつは妹が自分のためにできることのヒントをくれそうなカードを選んだ。


最初に妹が自分のためにできることのヒントをくれそうなカードの方から引いた。


実はまだ1回しか使っていなくて、さらには全てのカードもきちんと見てなければ、全て英語でメッセージが書かれていて日本語解説はない。


相手は妹だし、まぁ何とでもなる!と妙な自信があって1枚引いた。


そして束になっている一番下のカードも見た。


両方すぐにわかった。


自分を中心に据えること。


それが妹へのメッセージだった。


「相手から変なものもらっちゃうかも」と心配するんじゃなくて、心配になったら自分の身体や自分自身の気持ちに集中すること、自分の気持ちや心を相手ではなく自分に向けること、そんなことを妹に伝えた。


その後、具体的な内容を示してくれるだろうカードを引いた。


こちらは3枚引きにして、過去・現在・未来を見ようと思った。


こちらはある程度馴染んできたカードではあるけれど、まだまだ十分とは言えない。


だけど、何が出てきても何かしらはわかりそうと思った。


ちなみに妹のカードはわかりやすいくらいわかるカードが3枚出てきた。


過去はぬかるみにハマった象、現在は「変容」を表すカード、未来は自分一人のための舞台。


膠着していた状況を今は抜けて、本来あるべき姿に変わりつつある今、未来は自分の力や色を存分に発揮できるところに移行していく。


それがどういう形になるかはわからないけれど、少なくとも今いるところに居続けるという感じでは全くなかった。


それは日本語の解説もあるから解説書を妹に渡して直接自分の目で読んでもらった。


あとは私が思ったまま感じたままベラベラと喋った。


自分のカード選びのセンスも、カードを読むセンスも、英語を見てパッとメッセージが自分の中でも繋がる感覚も、これらは自分に与えられているものだと感じた。


カードを読める人は世の中に五万といても、私の感覚は私だけのものだし、上手下手ではなく私は私の感覚でいいんだと思った。


相手が気に入る気に入らないは相手の決めることであって、たとえ気に入らないとなってもそれはあくまでも結果論でしかない。


カードを引く、それも誰かのために引いてそこからメッセージをもらうなんて、いつが最後かなんて覚えてないくらいにやっていない。


だけど、そんなブランクを微塵も感じさせないくらいに私はスラスラとカードを読み解いて、読み解いたものをベラベラと喋っていた。


自画自賛の気も否定しないけれど、おそらく多くの人はカードを読むにしてもどこか教室や講座に通って習得していく。


どのくらいの人が我流で自分のところに来たようにそのままメッセージを読んでそれを言葉にするのかは知らないけれど、そういうのはある種特殊な感覚だと思う。


私の周りにはそういうことができる人が過去に3人いて、さらには一時カードリーディングができる人の動画にハマりまくって見ていた時があって、その人は本当に素晴らしい感性の持ち主だったけれど、そういう人たちを基準に自分を見ていたからだから自分ができるとか特殊な感覚だなんて思わなかった。


私も十分特殊な才に恵まれた1人だと思う。


誰にも習わずに、見たのはあくまでも実践で超絶できる人たちのものだけで、そんなのヒントにはもちろんなってくれてもあまりにもマニアックな感覚すぎて真似なんかできない。


そんな風なのに、私は私で何だか知らないけれど、カード見てメッセージと繋がる回路が自分の中に確実にあって、それはいつでもどこでもすぐに使える。


なんならほぼほぼ見たことのないカードでもそれをするわけだから、マニアックな感覚を私も持ってるんだなぁなんて今回は薄ぼんやりとそのように思うに至った。


最初の方に書いた石井ゆかりさんの3年占いの中にあった言葉

「あなたの無限の深みにある宝は、あなたの眼に触れたがっているのです。」

この言葉を自分の中で反芻していた。


私のカードたちとのやりとりは、私の無限の深みにある宝の1つだと思う。


ふと今、これを書きながら「カードとおしゃべりしてるみたい」と思った。


相手はものだけど、佐藤さん鈴木さんみたいに生身の人間とはまた違った方法でおしゃべりする、そんな相手のように感じた。


だから誰かのことを信用するようにカードのことも信用したらいい。


自分に読めるんだろうか?という心配じゃなくて、必要なら必要なことを教えてもらえると思っていたらいい。


そういう感覚を新年は抱きながら過ごした。







正月休みは、雪かき・家事・昼寝のエンドレスパターンでグッタリしていて、5日から仕事が始まったのなら今度は通勤と雪かきと仕事にグッタリとしている。


なんなら6日は凍結した関係だと思うけれど、大渋滞にハマって、普通なら30分もあればいいところを1時間半もかかって、そのうちの1時間はほぼ同じところにずっといた。


遅刻も大幅にしたし、その日はわりとゆっくりなペースで良かったけれど、それでもグッタリしたことには変わりない。


そんなこんなでブログが延び延びになってようやく今のタイミングでのアップになった。


新年一発目のブログだから、これをどうしてもアップしたかった。







冒頭の言葉は、正月中にようやく見ることができた窪田正孝主演の朝ドラ『エール』の中のある一話に出てきたもの。


そこだけ5回くらい繰り返して見て、聞いた言葉をまんまメモした。


その通りだと思った。


自分の心の指針にしたい言葉だった。


本当に縁があるならば、どんな風にだって繋がる。


それを信じたらいい、そう思った。







あけましておめでとうございます。

どうぞ今年もこのブログと私とご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

良き1年となりますように*¨*•.¸¸☆**¨*•.¸¸☆*・゚


武士俣史子 2021年迎春(とは程遠い雪国より)


12月中に撮った新年用の写真

私の車
雪に埋もれてる

元旦より出動してくれた除雪車

正月一人飲み満喫した日
母お手製妹に持たせた唐揚げのおこぼれ
好きでよく作る生春巻き
左下は母お手製ぜんまいの炒め煮
中央下が母お手製のにしん漬け

1時間立ち往生した地点
サイドミラーに映る車の数よ…

1時間立ち往生した地点より撮影

遅刻した日、
うっかり早く帰らないようにのメモ
適当に切ったセロハンテープが
ピッタリ付箋と同じ長さで感動


雪が積もりすぎて方向指示信号が見えづらい件