2024年4月21日日曜日

車の買い替え計画と心模様

チューリップは新潟県の花
2024/04/20



とうとう次の車を探してください、と車検をお願いしている車屋さんにお願いしてきた。

今年の6月は点検、来年の6月が車検だけど、来年はもう車検は取らずに遅かれ早かれ車を買い替えないといけない頃合いに差し掛かった。


実は私は車を自分で探して買ったことが人生で一度もない。


20代の頃、免許を取ってさぁ車がいるとなった時も、父の幼馴染一族がしている車販売兼車検工場のところに父がお願いして適当な中古車を見繕ってもらって、手続きなども全てしてもらって、さらにはお金も両親が先に払って私が後から両親に返す方式にしたからとにかく何もしなかった。


いつかの冬に車をスリップで横転させてしまってダメにして買い替えになった時もそこに父がお願いして、また同じように手続きは代行、お金は両親先払いの私が両親に払うということで、その後しばらくしてドミニカに行って私のカーライフは一旦終了した。


名古屋にいた時も不要だったから車は持たず、無一文で両親を頼って帰ってきた2016年の今頃、私は新潟にい続けるかどうかもわからず引きこもっていて、だから車を買う気もさらさらなかった。


両親の方が業を煮やして、また件の車屋にお願いして今の車がやってきた。


その車が来た時、「本当にこのまま新潟に住み続けるのかな」と、その気持ちも固まらないし車は来ても仕事も探すフリだけしていた当時の私には車イコール余計な借金にしか見えず、それもとても暗澹たる気持ちになったものだった。


仕事に行き出して両親にもお金を返して、とりあえず先のことはわからないから本当に必要な時にまた考えようと先延ばしにすること数年。


最近の車は10万キロを超えても何ともないとわかったし、なんなら最近は14万キロを超えてきたけれど、とりあえず問題なく使えている。


オイル漏れとかあったけれど、とりあえず直して使っている。


そして私はもう1つキロ数が増えるごとに疑問も抱き続けた。


「私、このまま新潟に居続けるつもり?」と。


車を買い替えるとなればまた住み続けることになる。


うーん、どうだろう?と自分の中で色々しっくりいかないことが満載だった。


仕事とか生き方とかそういうことにこだわっての質問じゃない。


私の優先順位はそこではなく、もっと別のところにあった。


ここから先のもしは、本当にどこまでもありえないもしだし、そんなことが起こるのならば私の人生完成にさえ思うから、本当の本当にありえなさ過ぎることを私は何度も何度も逡巡した。


もし結婚とか一緒に住むとかそんな未来があるのなら車は要らないだろうから、私はそちらの「まさか」を最優先事項にしていた。


そんな要らぬところにお金をかける必要はないから、まさかの巡り合わせが自分のところにやってきたのなら、私は迷わずそちらに自分を動かす気満々でいた。


ツッコミどころ満載過ぎるしそんなこと誰も聞いてないって話だけれど、私の中ではそうだった。


何ヶ月か前に職場の女性2人が新車で車を買い替えた話をそれぞれの人から直接聞いた。


どちらの話を聞いても私が真っ先に思ったことは「今の場所に住む」ことがきちんと決まっているのだなということだった。


1人は結婚されていてもう1人は独身だけれど、とにかく2人ともが今の地に住み続けることを大前提にしている、多分本人たちはそんなこと考えもしないだろう決定事項として持っているんだなというものだった。


私は自分の中で「これだけはやり抜こう」みたいなのが30歳を最後にパタリと無くなったから、それ以降気付けばかれこれ15年、本当に何も決めずにここまで来た感じ。


もちろん何かしらの選択はしないといけなくてするのだけれど、「これやりたい!」みたいな気持ちで選んだことが1つもないまま15年も月日が過ぎたことにただただ驚く。


そんな中、たった1つ、「まさか」を真面目に夢見てというか「本気で叶ったら嬉しいな」などと思い続けて気付いたら数年単位で時間が過ぎて、今度はまさかの車の方が先に買い替えが必要になる時期に近付くだなんて、色々想定外だった。


何せそんな風だから、車屋さんから希望を聞かれた時も本当に希望などなく、予算内で軽、四駆(じゃないと冬場は本気で家に帰れない)、あとはキロ数が極力少なければ何でもいいです、色も車種も何でもいいと、走ればいいですと伝えてきた。


そしてこれまで自分で探して買ったり手続きしたこともないことも伝えて、それら諸々一式お願いしたい旨も伝えてきた。


今の車屋さんも中古販売もしているところだから、お願いしていたら間違いない。


私は今の車屋さんにお世話になる時、最初支店の方に行ってきて、その時にちょうど小さな子が2人3人いるファミリーの納車の日だったらしく、そのファミリーの横で私は出してもらったコーヒーを啜っていたことがあった。


今は家から近い本店の方に行っているけれど、最初はそちらで、そしてそのファミリーがてっきり近場の人かと思えばわざわざ長野から家族で公共交通機関を使ってやってきたと知って度肝を抜かれた。


支店というのが隣りの市の外れにあるところで、周りは民家、田んぼ、畑が同じ数ずつあるような場所で、そんなド級の田舎の中でも田舎な場所でそんなやりとりがあって、とにかくびっくらポンな展開過ぎた。


なんなら冬用タイヤは乗って帰る車に乗せられないから、郵送で後日送る相談までしていた。


何の車を買っているのかまではわからなかったけれども、相当マニアックな何かをわざわざ新潟のど田舎まで、しかも長野から新潟は公共交通の便が非常に悪いから、さらにはその支店の場所は新幹線の駅からさらに50分ほどローカルバスに揺られてこないとたどり着けない場所ゆえに本当に不便極まりなく、でもその手間暇をかけてでも来る価値がある車を取り扱っている車屋さんなんだなと思った。


その時は私ももし次必要になるならここにお願いしたらいいんだなと薄ぼんやりと思った。


ちなみに父の幼馴染一族が経営しているところは、この数年ですっかり様変わりして、とりあえずずっとお世話になっていた車検工場は畳むことになって、隣りの市まで車検の場合は車が運ばれないといけなくなって、そうなると私なんかは色々不便なことや何かあった時にさっと頼れないのもネックで、それで今のところに替えた。


今のところは、父の高校時代の後輩が代表を務めている車屋さんで、そしてその店と子ども時代に世話になった自転車屋さんが親戚同士というのも知っていて、それなら大丈夫だろうというのも色々見越せて、それで実際に行ってみたらとても良かったから今に至っている。


余計な話をしていて、何の話をしたかったのか忘れてしまったえっ?。


そうそう、車をずっと替えずにここまできた理由。


私の中の最優先事項は、自分が思っている以上にとてつもなくはっきりとしていて、その最優先事項がまさかのまさかで叶う展開が人生で始まってくれるのだとしたら、私は自分の身ひとつでさっと動くくらいの覚悟がある。


でもそちらは叶いそうにもなく、叶って欲しいが強すぎるのか、というよりも叶わないことこそが人生の正解と言わんばかりに叶う気配は全くない。


貴女、いい加減現実を見て生きていきなさいよ状態ではあるけれど、私はこういう時も本当に生き方が下手というか不器用というか頑固というか


今日明日の話ではないけれども、車を買い替えようという流れと自分の気持ちとが全くマッチしてないこの現実よとトホホな気持ちでどこか他人事のようにして見ている。







読み返してみた。


このままアップはするけれど、これ逆の立場で見たら私の発言、怖すぎるなと思う。


気持ちがあって呼び寄せたい意志もあるなら私の発言はウェルカムになるけれど、気持ちもなく来られたら困るなら、発言の現実化を加速させるようなことは絶対に避けたいだろうし、私の発言は害以外の何ものでもない。


(;;)(;;)(;;)(;;)


気分はこうなるの図


もはや凶器且つ狂気の領域だなと思う。


無視する権利があるのと同じ?で、私も発言する権利がある、言論の自由と思ってないと内容強すぎと思う。


色々言い訳しても結局はアップしてしまう自分…( ̄∀ ̄;)

2024年3月29日金曜日

おめでとう2024.3.29

お誕生日パーティーに駆けつけるために
サロンでおしゃれに着飾ってもらったフラッシュ
スタイリストは小学2年生

福井県の若狭湾沿いにある
晴れていたら5つの湖が綺麗に見えるスポット

もはや何がなんだかわからない景色
晴れていたら湖や海なんかが見えたはず

卵から生まれたぴよちゃん



「希望」があること。


希望があることでまだまだ人生捨てたもんじゃないなと思えるし、どこかいつか良いことがあるだろうと思える。


希望に遭遇すると自分が救われるし、そしてもうちょっとだけがんばったりがんばらなくてもとりあえずのらりくらりとやろうかなと思える。


昨日(3/28)、仕事でこれまでの中で5本の指に入る最悪な事態が起こされた。


業務量や内容にあまりにも偏りがありすぎて、少ない人たちの方に簡単にやれることをしてもらうという意図のものが、元々業務過多で首も回らないくらいの人の元へさらなる追加業務が渡されるという、それも誰でもできるものを押し付けるというとんでもない事態になった。


言葉にするとそういうことだけれど、そこには悲しみや失望なんかがセットで、本当にやるせなくなったし、それは後からボディーブローのように効いてきて気持ちは静かに沈んで気持ちの切り替えが私には上手くできない状況下にある。


今日だけのことじゃなくてこれから先何年にも渡っての最悪な流れの始まりで、本当にやるせなさとその業務過多の人への流れは食い止めて(実際に私がさっさと代わった)次なる救済策が必要だし、そんなこんなで頭というより心が痛い。


そんな折、4月から異動となる奥井さんの元へ個人的に挨拶に行った。


私のことを初期の頃から、仕事を組む時または彼の部下が担当でも問題勃発の時は毎回責任者的に対応を代わってくれて、そんな時はスーパーアシストどころではないくらいのサポートをしてもらって、とにかくお世話になりまくりだった。


異動先は同じ社内でも全く別の建物でよほどでもない限りバッタリと会うこともないし、会ってもせいぜい会釈くらいしかできないからそれで挨拶に行った。


奥井さんは今回昇格ではあるものの(超絶仕事ができる人)畑違いのような部署への異動で本人も大層度肝を抜かれたと昨日話した時に教えてくれた。


奥井さんと色々おしゃべりする中で、とても人に恵まれたこと、周りの人たちからたくさん助けられていること、今度のところは1からの勉強でこの先の自分の人生がどうなるのかさっぱりわからないけれどももうやるしかないのでやっていきます、みたいなことを言われていた。


5分くらいのおしゃべりだったけれども、すごく心が救われた。


奥井さんの話を聞きながら「希望」の光みたいなのを感じた。


その前にあったウルトラスーパースーパースーパーダメすぎることで本当にガッツリと落ちたけれど、そんな中数十メートル先にすたこらと足を運ぶとそこには志を持って仕事や人間模様に心を全力で注ぐ人がいる。


こういう人がいる限り、私のここでの仕事もまだまだ何とかなるのかもと思えて、それは言葉にすると「希望」なんだと思った。







中間管理職的な方々とやりとりして、どこにいるかもわからない彼の方(あのかた)もこういう色々やるせないとかやりきれないとかやってらんねーぜ的なことにまみれているんじゃないのかと想像した。


そんな時に、そのスパイスとなるものが何だっていい、小さな希望を感じるものが日々のどこかに存在してくれているといいなと大真面目に願った。


それは人かもしれないし、物かもしれないし、場所とか音楽とか本とか食べ物とかはたまたすれ違った時の見知らぬ誰かの言葉かもしれない。


まだまだ人生捨てたもんじゃないな、と思わせてくれるものが1つでも2つでもあったらいい。


数日前、3泊4日で妹宅に行ってきて姪っ子たちとも過ごしてきた。


その時、あまりの天候不良に全く何も見えない、景色が売りの場所へとみんなで行った。


大人たちは全員「頂上なんて行かなくていいよね」で一致していたけれど、小学校2年生の姪っ子だけは「行きたい!」と切望した。


行ってみたらそこは本当に何も見えなかったけれど、その見えなかったことが逆に思い出になるし面白かったねと言いながら戻った。


天気なんかはある意味関係ないんだなと思った。


さらに、そこで水に浸けておくと卵から何かが出てくるというものを姪っ子が欲しいと言ったから買って、それを家で姪っ子が絵の具のバケツに使っているポケモンの透明容器の中に水と一緒に入れた。


新潟に戻った翌日に姪っ子から携帯にメッセージが来て、生まれたよ!と写真付きでやってきた。


名前はぴよちゃんとのこと。


その後も2つ3つメッセージをやりとりして終わったけれど、こういう風にどこかから種が蒔かれてストーリーが展開するのっていいなと思った。


しょうもないこと満載でもこういうシーンにもほっこりとさせられる。


希望、大きなことじゃなくて小さなこと、そういうものが日常にあること、それを心から祈願。


誕生日おめでとう♪(*^^)o*o(^^*)

2024年3月4日月曜日

家具購入計画

クロスステッチ用に使っている糸切りバサミ
先端が上向きにカーブしているのが大事!

いつかの東京手芸屋巡りで買った道具
目を数える時の目印

木製のトレイにリバティの布を敷いてみた
あら可愛い(♡´艸`)と1人ご満悦


家具を買う計画進行中。

よーく考えたら、私は家具を買うことをほとんどしてこなかった人生だと気付いた。


一時的に住むところでも年単位で長期に住むところでも家具付きの場所か、あるいは自分で1から揃えるところでも「いつかは出る」というのが常にあったから、とにかくいつでも出れるように大型のものを持つことを絶対的に避けた。


名古屋に住んだ時が唯一1から揃えるタイプだったけれど、記憶にある限り買ったのは今も愛用中の木のテーブルと、そして引っ越す時に手放した木製のハンガーラック、あとはキッチンでまな板を置くスペースもなかったから材料を切るためのキャスター付きワゴンだけだった。


家電も冷蔵庫、洗濯機、そして電子レンジのみだった。


生きていくのに必要最低限のものだけを揃えて、あとはいつでも引っ越せるようにという感じだった。


そのまま結婚もせずに今に至り、今もその癖が抜けずに本当に家具を買わずにきている。


今後も家具を買う予定はなく、私はこの感じで死ぬまで生きていくスタイルに落ち着きそうな気がしている。


誰かと生活を共にすることが未来にあったとして、その時こそ本当に家具を買うかもわからない。


だけどやっぱり私個人は少なくて良いというところがあるから、そして何か大きなものを選ぶというのはそれだけでエネルギーをたくさん使うものだから、それをしたいという気力がそもそも自分の中にほとんどないんだなとわかった。


その代わりに細々としたもの、布やら糸やら趣味の本なんかはやたらと集める癖があるから、そこに私の場合はやりすぎなくらいにエネルギーを自然と注いでしまう癖がある。







そんな私の中でとても久しぶりに買いたい家具が突如浮上して、最近の昼休み中はそれの検索をかなりしている(楽しい♪)。


ちなみに「家具」と呼んだけれどサイズはとても小さくて、言うなればA4サイズの紙が入るくらいの大きさで高さは30センチくらいの木製の引き出し。


何に使うかというと、刺繍糸の収納ケース。


刺繍関係のブログを読み漁っているうちに、2つほど気付いたことがあった。


・色は指定のものを使うのがどうやら常識の模様

・糸の整理が大変


刺繍の本を見ると、たしかに色のNo.が指定されたりしている。


私はそんなの無視して自分の気に入った色を手持ちの糸から選んでいるけれど、たしかに東京駅から徒歩圏内にある刺繍糸専門店なんかでもずらりと色別に糸が陳列されていた。


本当に1つの色でも、例えば赤でもオレンジがかった赤からえんじ色的な濃い赤まで少しずつグラデーションしている糸たちが何十種類とあった。


それらが本の中では「メーカー〇〇、No.***」みたいな感じで指定されたりしている。


ちなみに、とある世界的に有名な刺繍糸メーカーだと500種類以上あるようで、そんなの集めたら大変だから集める予定はないけれど、そのうちの何十色かは今後新たに手に入れるだろうと思う。


今のところ糸の収納はそんなに困ってもいないけれど、何人かの刺繍ブロガーの人たちが「糸の収納方法」なるものを紹介したり自分の困った体験を読んで、「げっ(;;)、これ私のことじゃん」と思ったのが「糸の整理ができないこと」だった。


すでに刺繍にとどまらず裁縫道具全般の整理整頓ができずにカオス化が止まらないのに、刺繍糸もすでに怪しい領域に入りつつある。


4月のあたまに友人ノムの個展を東京まで見に行くのにくっつけて例の東京駅近くの刺繍糸屋に再訪して新たに糸を買おうとしているのに、ということは刺繍糸のカオス化ももう時間の問題なわけで、これは何かしら手を打たないとまずいと思った。


そして色んな方たちのブログを見たり画像を見たりして、自分が個人的に好きな収納方法は書類なんかを入れておくタイプの木の引き出しに糸を並べて入れる方法だとわかった。


そしてさらにここに来て、「!」とひらめいたことがある。


3年前くらいになるのかな、おいせさん手帳の時の原稿料がまだいくらか残っていて、それは自分のために長く使える何かに使いたいとずっと思っていて、最初の予定はコーヒーの豆挽き道具だったけれどそれはコーヒー専用のやかんを買ってなんだか満たされたのと挽いてまで飲みたいかというとその気持ちがあまりないと気付いてやめた。


次は、前回の東京行きの時に、刺繍専用のイタリア製高級糸切りバサミと消しゴムのかすを掃き出すためのドイツ製の小さなブラシを見つけてそれぞれを買った。


どちらも一生ものだと見てピンときたから我が家に迎えて、特に糸切りバサミは事前のリサーチも功を奏して、本当に使い勝手が良くてとても気に入っている。


先端が少し上向きにカーブしていて、糸は切れるけれど間違えて布を切らない、その感じが本当に私は気に入っている。


布を間違えて切ることはほとんどないけれども、基本的に不器用だから相当気をつけないといけなくて、そんな折にどういう糸切りバサミがオススメかみたいな記事を立て続けに見つけて読んで、それでユザワヤで見て回って選んだのがそのイタリア製のはさみだった。


余談だけれど、1年前の春に日暮里で手芸用品店巡りをした時に300円であちらこちらで出ていた糸切りバサミがあって、私もその切れ口に惚れ込んで買ってきて、そちらもとても気に入っている。


300円で買ったとは思えない軽さと切りやすさで、すごく良い買い物をしたなと思っている。


話が逸れたけれど、残りの原稿料の使い道の次の候補は拡大鏡だった。


刺繍の細かい縫い目とかを見るのに今後絶対に必要だろうと思って、そして刺繍家の先輩方々も皆様ご愛用なようで自分の裁縫道具の紹介みたいな形で何人かの方がご紹介もしていた。


いざAmazonやら楽天やらで拡大鏡を見てみたら、種類はたくさんあるし、そもそもそんなにも興味があるところではないからいまいちリサーチも進まない。


挙げ句の果てに、どなたかが要は電化製品だから壊れてこれは二代目みたいなことを言っていたくだりを読んで、「一生ものとして使うにはちょいと難しいかも」というのは思った。


拡大鏡自体は高いものでもないから別に買い替えでいいけれど、これが自分の思いやら思い出やらが色々詰まったおいせさん手帳の原稿料を使って買うとなると話が違う。


原稿料を使ってまで買いたいかというと、むしろそれは避けたい。


拡大鏡を買うこともそこに原稿料を充てるのもピンときてなくて宙ぶらりんになっていた。


そんな矢先の刺繍糸収納用の家具で、私はもう「それ、超いい٩(ˊˋ*)و」と1人でテンション上げ上げで、壊れないし死ぬまで使えるし仮に飽きたとしてもそれはそれでまた長く別の何かに使えそうだというところまで考えた。


とそんな風にして多分10数年ぶりに自分用に家具を買う計画を今している。