数日前、ある人に贈り物をした。
この贈り物を買ったお店の人というのが、実に丁寧に包装をしてくれた。
これまで数々のものを色んな店で包装してもらったけど、
プレゼント用としてはこれまでの中で過去最高の包装だった。
華美な包装という意味ではなく、店にあるもので最大限の工夫を凝らしたもの、
そしてその工夫がこれまでに見たことなかったから、わたしはとても感動した。
しかも、わたしが買ったものは数百円のもので、その丁寧な包装が申し訳ない位だった。
それでもお店の人は、もっと値の張るものもその数百円のものも、
同じように包装してるんだろうなと思わせる仕事ぶりだった。
最後に心からのお礼を伝えた時も、お店の人は「そんな大層なことはしていない」と
さらりと笑顔で言っていた姿も印象的だった。
プレゼントを渡した当日。
プレゼントにもらい慣れてる方なんだと思う。
渡した時に小さな違和感があった。
当然その細かいプロセスなんか知らないのは承知の上だし、
いっぱいいっぱい感謝してくれ!なんて言うつもりはもちろんない。
だけど、渡された後のプレゼントの置かれ方がとても適当で、
わたしは何だか引っ掛かってしまった。
過去にもう1人だけそういう置き方をした人を見たことがあったけど、
やっぱりその時もすごく気になってしまった。
はっきり言ってしまえば、見ていて不快になる置き方だった。
その違和感については、忘れてしまおうと思った。
気にしていても仕方ないし、気にしたところでどうにもならないと思ったから。
ところが、今の便利な時代、寝た子を起こすように、
今度はネット上でプレゼントの行方を知ることとなってしまった。
小さな違和感は、すでに大きな違和感になった。
プレゼントを用意したことをひどく後悔すらした。
今日会った友達に、事の顛末を伝えずに、とりあえずネットで見たものを見せた。
何も言っていないのに、
「何なのこの人!」
と友達がわたしが思っていたことを代弁してくれた。
さらに、わたしは実際のプレゼントの写真も見せた。
何せ感動的な包装だったから、家に帰って写真撮影を決行したのだった。
それを見た友達も
「この包装、これすごいね~。
でも、多分この人には伝わらないと思うよ、こういう良さ」
と捨て台詞のように言っていた。
自分の小さな違和感は、自分独りだけで抱えている時は、自分の中で悶々と押し問答が続く。
意地悪な姑みたいだな・・・、自分の感覚って・・・、とも思った。
でも、その小さな違和感を1人でもわかってくれる人がいると心強い。
そして、多分わたしの違和感は、もしかしたらわたしや友達だけではなく、
実は多くの人にとっても不愉快なことなのかもしれない。
「人を裏切るのも人間であれば、人を救うのもこれまた人間だよね~」
と別の友達が教えてくれたことがあった。
別にプレゼントのことは裏切られたわけじゃないけれど、
このプレゼントによって、最初に覚えた感動は違和感や痛みに取って替わり、
そして最後またそれらは昇華されて最初の感動に戻った。
今回の一連の流れを通して、やっぱり自分はこういう小さな違和感を大切にしたいと思った。
2015年3月31日火曜日
2015年3月30日月曜日
5年越しの春
春がやってきた。
これはうちから数十歩のところにあるご近所さんの桜。
このおうちは毎年桜の時期だけ、夜になるとライトを付けて夜桜を道行く人たちに提供してくれる。
これはうちから数十歩のところにあるご近所さんの桜。
このおうちは毎年桜の時期だけ、夜になるとライトを付けて夜桜を道行く人たちに提供してくれる。
これはある邸宅の塀の外側に舞い落ちた桜の花びら。
この家の素敵なところは、古い家で敷地も狭いし家もこじんまりしているけど、
桜の木を庭に植えてあるというのがとても粋だ。
この桜、実は今年初めて見た桜だ。
2010年の4月のいつだったかに今の場所に引っ越してきて、
今年が通算5回目の桜の季節になるけれど、
実はこの桜並木の道に気付いたのは今年が初めて。
だからこの場所を歩いたのも初めて。
うちからほんの数百Mの距離なのに、ずっと知らずにいた5年越しの桜の存在。
これが上の桜並木の道の川を挟んだ向かい側。
ちなみにこの川、ものすごく汚いけど、桜があるだけであら不思議、とても映える。
ここも5年越しのお初の場所。
たんぽぽの綿毛とたんぽぽと桜の花びらのコラボレーション。
たんぽぽが綿毛になるにはまだ早い時期だけに、この3つの一期一会の確率を考えたら
ものすごく感動した。
ちなみに、「たんぽぽの綿毛」の花言葉は「神のお告げ」。
3年前の春、結婚25周年を迎えようというある女性に出会った。
旦那様との関係に悩みに悩み、離婚寸前の状態にあった。
その方と、目の前は片側2車線の大きな道路が走っているマンション2階の1室にいた時のこと。
なぜか、たんぽぽの綿毛がマンションの部屋の中に風に運ばれてやってきて、
住人の方いわく、そんなことはこれまでに一度もなかったとのこと。
その女性は、それを見て涙目になっていたことを今でもはっきりと憶えている。
そしてその後。
その方と旦那様の関係が劇的に変化し、すっかり夫婦仲を修復された。
たんぽぽの綿毛を見る度に、あの奇跡の綿毛を思い出す。
この花、例の桜並木の道を歩いている時に見つけた。
360度アスファルトに囲まれている所に根を下ろし、
これからきれいな花を咲かせようというところ。
この強い生命力に、ただただ感動する。
そして人間である自分が元気をもらう。
桜の季節の名古屋城。
歩いて行ける距離なのに、桜の季節に名古屋城近くまで行った記憶がほとんどない。
冬のある日、名古屋城そばにある名城公園のランニングコースを歩いていた時。
普段は木に覆われて何も見えない場所なのに、冬で全部葉っぱが落ちて、
名古屋城が丸見えになるスポットにたまたま行き当たった。
その丸裸の木々が桜だと知ったのは今日。
満開の桜で、今日同じ場所を歩いても、もう名古屋城はそこからは見えなかった。
毎年毎年、桜の季節になると自然の生命力にただただ驚く。
2015年3月29日日曜日
書くことの今
手相家の人に「武士俣さん、書くことをしたらいいですよ」と言われたのが多分3年前。
その時は、たしかに書くことは好きには好きだけど、
それと現実の中での方向性がさっぱり結びつかなかった。
3年程経った今、あぁこんな風に「書くこと」が変化するんだということを少しずつ実感している。
今3つのブログを持って、書くことに関しては知らないうちにそれが自然なものになった。
『光の図書館』はずいぶんゆっくりペースではあるけれど(汗)。
最初の違和感を思い出すと、今は書く時に違和感は一切ない。
パソコンを前に、下書きもせずただただ思うままに綴る。
回数重ねると習慣になるとは、本当にこういうことを言うんだと思う。
1回1回書く時間は少ないけど、これまで書いてきたすべての量を見ると、
こんなのを例えば1日とか1週間で書けと言われたら無理だなと思う。
それが小さなことでも積み重ねると、塵も積もれば山となる状態に発展してくれる。
で、今、「書くこと」に違う意味合いが加わってきた。
これまでの「書くこと」は、自分の中のものを伝えたり吐き出す手段というのが主だった。
もしくは、備忘録的な感じでしかなかった。
ところがここにきて、「書くこと」で人と繋がり出している。
書くことが人と繋がるだなんて思ってもみなかったから、とても驚いている。
まさか手相家の人も、そんな風になってるだなんて思ってなかっただろう。
本当にこの1ヶ月位の話だ。
2月に書いた『世界は繋がっている~シュウマイの包み方より』に出てくる方に、
わたしはあの後正式な読者登録の申請とメッセージを送った。
期待もしていなかった返事がもらえて、それだけで当時のわたしは舞い上がりそうだった。
その方から今日ブログの方にコメントが来ていて、
ブログを引っ越しました、ということで引っ越し先のアドレスがあった。
ものすごい読者数の方だと思う。
先日、たしかに今のブログを辞めるというようなことは書かれていた。
それっきりアップもされず、残念に思っていた。
元々のブログには、引っ越し先のアドレスなんかは一切書かれていなかったから、
もう読めないなんて残念・・・と思っていただけに喜びもひとしおだった。
どこの誰とも知らないようなわたしに、わざわざ引っ越しのブログを教えてくれたというのが
本当の本当にうれしかった。
こんな風に繋がるなんて、シュウマイの時には想像もつかない話だ。
さらにもう2人ほど、「書くこと」で想像もしていなかったことが起こった方がいる。
1人は『自分のできないことが財産になる』に登場するパソコンに詳しい方。
わたしはこの方のメルマガも登録して、今もあれこれと色んな情報を得ている。
いつだったか、その方のメルマガの感想をブログのコメントに書いてくださいというメールが来て、
それは本当に世話になったから書いたのと、1つ質問があってそれも含めてコメントを書いた。
質問にもご丁寧に迅速に対応してくれた。
ただコメント欄は、感想&質疑応答でいっぱいになっていたから(300近い数になってる)、
個人的にお礼のメッセージを書いた。
そうしたら即返信が来て、メルマガにわたしの感想を紹介したいとあった。
二つ返事で返した。
もう1人の方もそうで、今色んなことを形にしていくために必要な情報をメルマガで取っている。
その方にもお礼を書いて出したら、同じようにメルマガかブログで紹介したいと返事が来た。
こちらもこれから返事をする。
そもそも返事が来ること自体全く期待していなかったし、というか来るとすら思ってもなくて。
なんだったらこれから返す方なんかは、
「感想をいつもうれしく拝読していますが、返事が出せずごめんなさい」
ぐらいのことが書いてあったから、本当にお礼だけのつもりで書いて出しただけ。
だから、メルマガかブログで紹介したいと言われて、心底驚いた。
自分の思いを一方的に発信するだけじゃなくて、こんな風に人と繋がることがある。
わけもわからず始めたブログ。
わけもわからずに困ったから登録したメルマガ。
うまくできなかったシュウマイの包み方。
どんと落ち込んだ日に読んだブログの記事。
1つ1つは全く異なるものなのに、それらがいつしか絡まって別の世界をわたしに見せてくれる。
「書くこと」はこれからもまた、どんどん別の何かをわたしに見せてくれるような気がする。
その時は、たしかに書くことは好きには好きだけど、
それと現実の中での方向性がさっぱり結びつかなかった。
3年程経った今、あぁこんな風に「書くこと」が変化するんだということを少しずつ実感している。
今3つのブログを持って、書くことに関しては知らないうちにそれが自然なものになった。
『光の図書館』はずいぶんゆっくりペースではあるけれど(汗)。
最初の違和感を思い出すと、今は書く時に違和感は一切ない。
パソコンを前に、下書きもせずただただ思うままに綴る。
回数重ねると習慣になるとは、本当にこういうことを言うんだと思う。
1回1回書く時間は少ないけど、これまで書いてきたすべての量を見ると、
こんなのを例えば1日とか1週間で書けと言われたら無理だなと思う。
それが小さなことでも積み重ねると、塵も積もれば山となる状態に発展してくれる。
で、今、「書くこと」に違う意味合いが加わってきた。
これまでの「書くこと」は、自分の中のものを伝えたり吐き出す手段というのが主だった。
もしくは、備忘録的な感じでしかなかった。
ところがここにきて、「書くこと」で人と繋がり出している。
書くことが人と繋がるだなんて思ってもみなかったから、とても驚いている。
まさか手相家の人も、そんな風になってるだなんて思ってなかっただろう。
本当にこの1ヶ月位の話だ。
2月に書いた『世界は繋がっている~シュウマイの包み方より』に出てくる方に、
わたしはあの後正式な読者登録の申請とメッセージを送った。
期待もしていなかった返事がもらえて、それだけで当時のわたしは舞い上がりそうだった。
その方から今日ブログの方にコメントが来ていて、
ブログを引っ越しました、ということで引っ越し先のアドレスがあった。
ものすごい読者数の方だと思う。
先日、たしかに今のブログを辞めるというようなことは書かれていた。
それっきりアップもされず、残念に思っていた。
元々のブログには、引っ越し先のアドレスなんかは一切書かれていなかったから、
もう読めないなんて残念・・・と思っていただけに喜びもひとしおだった。
どこの誰とも知らないようなわたしに、わざわざ引っ越しのブログを教えてくれたというのが
本当の本当にうれしかった。
こんな風に繋がるなんて、シュウマイの時には想像もつかない話だ。
さらにもう2人ほど、「書くこと」で想像もしていなかったことが起こった方がいる。
1人は『自分のできないことが財産になる』に登場するパソコンに詳しい方。
わたしはこの方のメルマガも登録して、今もあれこれと色んな情報を得ている。
いつだったか、その方のメルマガの感想をブログのコメントに書いてくださいというメールが来て、
それは本当に世話になったから書いたのと、1つ質問があってそれも含めてコメントを書いた。
質問にもご丁寧に迅速に対応してくれた。
ただコメント欄は、感想&質疑応答でいっぱいになっていたから(300近い数になってる)、
個人的にお礼のメッセージを書いた。
そうしたら即返信が来て、メルマガにわたしの感想を紹介したいとあった。
二つ返事で返した。
もう1人の方もそうで、今色んなことを形にしていくために必要な情報をメルマガで取っている。
その方にもお礼を書いて出したら、同じようにメルマガかブログで紹介したいと返事が来た。
こちらもこれから返事をする。
そもそも返事が来ること自体全く期待していなかったし、というか来るとすら思ってもなくて。
なんだったらこれから返す方なんかは、
「感想をいつもうれしく拝読していますが、返事が出せずごめんなさい」
ぐらいのことが書いてあったから、本当にお礼だけのつもりで書いて出しただけ。
だから、メルマガかブログで紹介したいと言われて、心底驚いた。
自分の思いを一方的に発信するだけじゃなくて、こんな風に人と繋がることがある。
わけもわからず始めたブログ。
わけもわからずに困ったから登録したメルマガ。
うまくできなかったシュウマイの包み方。
どんと落ち込んだ日に読んだブログの記事。
1つ1つは全く異なるものなのに、それらがいつしか絡まって別の世界をわたしに見せてくれる。
「書くこと」はこれからもまた、どんどん別の何かをわたしに見せてくれるような気がする。
2015年3月28日土曜日
相談からの学び
今日起業のための相談に行ってきた。
得るものも勿論あったけれど、その中で得たものよりももっと全体の流れで見た時の得るものの方
が大きかった。
結果から言うと、勉強には本当になったけれども、自分の中では物足りなさや、
そもそも相談する相手はもっと別の視点で選ぶ必要があったのかなと思った。
これは終わった今だからわかることであって、選んだ時はわからなかったから、
その時はその時で最善の選択だったとは思う。
一度メールでやりとりしただけの方で、今日がお互いに初対面だった。
人柄も最高な方だったし、これまでの同じサービスを受けた人の声が良かったから、
ある一定のレベルでは良かった。
時間が限られている中で、自分の色んな情報を発信するというのは、思いの外難しかった。
自分の準備不足もある。
ただ、もし、これが私をよく知る人物でビジネスの分野に特化した人からの話であれば、
恐らくもう少しわたしに合ったアドバイスをもらえたんじゃないかとよこしまな気持ちが湧いた。
本当に基本のことを教えてもらったし、今の自分の段階や何をこれからしないといけないのか、
それらはものすごく明確になったから、もちろん行く意義はあった。
だけど、終わった後にもやっとしたのも本当だ。
そして、もっと近くに相談できる人がいたということもはっきりとわかった。
その他にも2つほど気付いたことがあった。
色んなセミナーや講座や個人セッションやら、自分の中では過去にかなりな数で受講したけど、
幸いにして本当に「払ったお金よりも得した!」と思える、それ位本物の人たちにたくさん
会っていたということにも気付かせてもらえた。
今日の方だってもちろんきちんとしていたし、何よりも色んな事前の調査で信頼できる方というのは
自分の中にしっかりとあった。
ただ、それ以上にこれまで出逢った方たちがすごかったんだということがわかった。
もう1つは、自分の価値は自分で決めていいということ。
これまた失礼な話だけど、頭の中ではそろばんをぱちぱちとはらって、
同じ値段を払ったら別のこのサービスやあのサービスが受けれたんだ・・・なんて思ったら、
ある意味何でもありだなと思った。
自分で自分の価値をはっきりと決めているから、だからわたし(客)の評価がどうであれ
それでOKなんだ、ということを学んだ。
実際の価値云々よりも、「自分で決めることの大切さ」を学べたと思っている。
そういう色んなことに気付けたということで、トータル的には良かった。
得るものも勿論あったけれど、その中で得たものよりももっと全体の流れで見た時の得るものの方
が大きかった。
結果から言うと、勉強には本当になったけれども、自分の中では物足りなさや、
そもそも相談する相手はもっと別の視点で選ぶ必要があったのかなと思った。
これは終わった今だからわかることであって、選んだ時はわからなかったから、
その時はその時で最善の選択だったとは思う。
一度メールでやりとりしただけの方で、今日がお互いに初対面だった。
人柄も最高な方だったし、これまでの同じサービスを受けた人の声が良かったから、
ある一定のレベルでは良かった。
時間が限られている中で、自分の色んな情報を発信するというのは、思いの外難しかった。
自分の準備不足もある。
ただ、もし、これが私をよく知る人物でビジネスの分野に特化した人からの話であれば、
恐らくもう少しわたしに合ったアドバイスをもらえたんじゃないかとよこしまな気持ちが湧いた。
本当に基本のことを教えてもらったし、今の自分の段階や何をこれからしないといけないのか、
それらはものすごく明確になったから、もちろん行く意義はあった。
だけど、終わった後にもやっとしたのも本当だ。
そして、もっと近くに相談できる人がいたということもはっきりとわかった。
その他にも2つほど気付いたことがあった。
色んなセミナーや講座や個人セッションやら、自分の中では過去にかなりな数で受講したけど、
幸いにして本当に「払ったお金よりも得した!」と思える、それ位本物の人たちにたくさん
会っていたということにも気付かせてもらえた。
今日の方だってもちろんきちんとしていたし、何よりも色んな事前の調査で信頼できる方というのは
自分の中にしっかりとあった。
ただ、それ以上にこれまで出逢った方たちがすごかったんだということがわかった。
もう1つは、自分の価値は自分で決めていいということ。
これまた失礼な話だけど、頭の中ではそろばんをぱちぱちとはらって、
同じ値段を払ったら別のこのサービスやあのサービスが受けれたんだ・・・なんて思ったら、
ある意味何でもありだなと思った。
自分で自分の価値をはっきりと決めているから、だからわたし(客)の評価がどうであれ
それでOKなんだ、ということを学んだ。
実際の価値云々よりも、「自分で決めることの大切さ」を学べたと思っている。
そういう色んなことに気付けたということで、トータル的には良かった。
2015年3月27日金曜日
散歩の極意
昨日のプリンターのインク事件。
プリンターのインクは残念なお知らせだったけど、それ以上にすごく良いニュースもあった。
電気店含めその近隣に行くのに30分ほど歩いた。
名古屋に住むようになってから、基本の移動手段は「徒歩」になった。
気付いたら5年以上住んでるけど、当初はいつ名古屋を脱出するかを考えていたわたしは、
余計な荷物は増やすまいと自転車も買わなかった。
公共交通機関を使わない移動は、基本すべて徒歩になる。
天気も比較的晴れの日が多いから、歩くことは苦にならない。
ダイエット効果はこちらの期待をはるかに下回る位に無いけれど、健康的だとは思う。
歩きながら見える風景も好きだし、歩く速さだから気付けることも多い。
昨日も小春日和な1日で、春を感じながら歩いていた。
頭の中では、期日の迫ったアイディア出しに必死だった。
期日は明日土曜日。
このアイディア出し、ゆうに3年以上かかっている。
これからやっていく仕事の「核」となる部分でもあるから、時間がかかるのは仕方ない。
期日が明日なのは、明日そのことで専門家に相談に行くから。
わからないから相談しに行くのだけど、それにしても核がはっきりしないから、
ドミノ倒しのごとく、その後のやることたちも滞っている。
せめて、その1つでも形にして相談に臨みたい。
そんなことも思いながらの散歩だった。
家の中、自分ひとりで云々唸りながら考えても煮詰まるだけだから、
インクを買ったり他の用事も済ませたりするために散歩に出たようなものだった。
結果、散歩は大正解で、散歩の最中に2つほど言葉が出てきた。
その言葉たちをどんな風に使うのかはその時はわからなかったけど、
とにかく色んな自分の思いをまとめた言葉には間違いなかった。
その後、昨日の夜遅くから今朝にかけて起こったことは、驚くことばかりだった。
散歩の最中に出てきた言葉は、使い方まではわたしに教えてくれなかった。
言うなら「りんご」と「バナナ」ぐらいに、単品でぽんと出てきた言葉だ。
だから、りんごとバナナをどうするの!?という感じだった。
ところが夜になって、ひょんなことからその言葉を生かせるマニュアルが降ってきた。
「降ってきた」なんて言うと神業じみているけど、本当の本当に降ってきたのだからびっくりした。
某メルマガを登録したばかりなのだけど、正直若干胡散臭いと思いながら登録した。
そこでさらに、ダウンロードできるはずのページが「Not Found」と出てくる。
さらに怪しい。
普段のわたしだったら、もうその場で読者登録解除だ。
ところが自分でも不思議で仕方なかったけど、なんとわたしは「ダウンロードできない」旨、
メルマガ発行者に訴えるメールを出した。
返事も期待せず、出すだけ出したら自分の作業に戻った。
期待に反して、返事が来て、今度はきちんとダウンロードできるようになった。
それが「マニュアル」の正体だった。
さかのぼること3年前。
わたしに書くことを勧めてくれた手相家の方がいらっしゃって、
その時に手法の名前だけは聞いていた。
それを勉強するのに最適なテキストだという書籍も教えてもらった。
その日のうちにたしか本を買ったけど、これがわたしにはさっぱりわからず長いことクローゼットの
奥にしまわれたままだった。
この半年ぐらいの大掛かりな断捨離で、とうとうその本は手放した。
もう必要ないと判断したから。
ところが、その手法をもっとわかりやすく、そしてど素人のわたしでも理解できる内容の
マニュアルが、例の昨日のダウンロードしたマニュアルだった。
ダウンロードするまで何が入っているのかは知らずにいた。
ダウンロードしたのは良かったけど、ものすごい長い内容だった。
他にもやることはあるわけで、後に回そうかとも思ったけど、なぜか読もうと思って読み始めた。
あっという間にすべてを読み切った。
そして、ようやく散歩の時に出てきた言葉の使い方がわかった。
夜も遅く、昨日はそこまでして寝た。
今朝になって、りんごとバナナは、ブログのタイトルに生まれ変わった。
りんごとバナナを繋ぐ文章が、びっくりする位にすらすらと出てきた。
ブログはせっせと書いていたけれど、どこかインパクトに欠けていた。
直すところは山ほどあったけど、約2ヶ月放置していた。
ところがここに来て、タイトルがはっきりとし、そして自分が目指す方向性もさらにはっきりした。
おかげさまで、あの色々とドミノ倒しで滞っていた作業も解決の糸口を見つけ、
今まさに動き出している。
明日の相談も、明日のタイミングで間違いない、と確信している。
最近は、1ヶ月以上前に申し込んだは良かったけど、滞りまくりでどうしようかと思っていた。
なんだったら、自分ストライキあたりの数日間は、
「一体わたしは何を相談しに行くんだ?時期早々?」とすら思っていた。
課題山積みにしても、今はどこだったら今の段階で手をつけられるかがわかる。
自分ストライキの日は、それすらわからなかったから、余計に不安と焦りが量産された。
脈絡のない内容になったけど、今でないと書けない内容のような気がしたから書いてみた。
昨日のインク買いも含めた散歩。
出掛けて本当に良かった。
プリンターのことは残念ではあったけど、それ以上の収穫が昨日はあったから、
もう今となってはプリンターのことはすっかりどうでも良くなっている。
2015年3月26日木曜日
何でもありの時代
プリンターのインクを買いに出掛けた今日。
通常の値段の半額で売り出されている。
ラッキーと言えばラッキーだったけど、まず賞味期限もないプリンターのインクが半額なんて、
どういうことなんだんろう?と疑問がちらっと頭をかすめた。
下の方に陳列されていたから、腰をかがめてひとつ手に取る。
そこには半額よりも驚いたことが箱に書かれていた。
「本製品はまもなく販売終了とさせていただきます。」
「えっ!?」となる。
裏面を見ると、「本製品は2014年秋ごろをもちまして販売終了させていただきますのでご注意ください。」とある。
さらに「えっ!?」となる。
何をわたしは注意したらいいんだろう??
代替のインクの案内がないとなると、イコール、インクが手に入らなくなったら、
もうプリンターを買い替えろということだろうか・・・。
レジに商品を持って行って、会計時に店員さんに聞く。
店員さんもさらなる上の人を呼んで、店員さんより若いけどエライ人が来た。
やっぱりインクが販売中止になることから、今後はプリンターを買い替えるしかないとのこと。
「プリンターは全く問題ないんですけど、インクがないからいつかは買い替えないといけないんですよね?」
と聞くと、そういうことになります、との答え。
さらに突っ込んで、こういう風にインクのみ生産終了して、そのついでにプリンターも使えない、
なんてことは通常あるのかどうかを聞いたら、
「滅多にありません。というより、今回初めてに等しいです。」
とのことだった。
いつ買ったプリンターか忘れたけど、多分10年選手。
普通に動いてくれるし、自分の何かを印刷する分には何一つ問題ない。
壊れてもいないのに、メーカー側がインクの生産中止という事態でいつかは使えなくなる。
説明してくれた店員さんにお礼を言って、インクを買って帰ってきたけど、
どうしても腑に落ちなかった。
壊れたのならわかる。
13種類のプリンターが該当機種になってるけど、他の人たちもみんなまだ使えるのに、
インクが手に入らなくなったらプリンターを買い替えなければならないのだろうか。
今プリンターもびっくりする位に安くはなっているけれど、使えるのに使えないというのが
全くしっくりといかない。
事情はわからないけど、環境への配慮を謳う前に、この使えるのに使えない状況を何とかする
方が先決ではないのだろうかと思ってしまう。
壊れて買い替えるのはわかるけど、壊れてないのに買い替えることはわたしは好きじゃない。
日本って、今って、何でもありの時代なんだ・・・と批判いっぱいの気持ちになった。
最先端とかどうでもいいから、まずあるものを大事にしようよ、と思ってしまう。
通常の値段の半額で売り出されている。
ラッキーと言えばラッキーだったけど、まず賞味期限もないプリンターのインクが半額なんて、
どういうことなんだんろう?と疑問がちらっと頭をかすめた。
下の方に陳列されていたから、腰をかがめてひとつ手に取る。
そこには半額よりも驚いたことが箱に書かれていた。
「えっ!?」となる。
裏面を見ると、「本製品は2014年秋ごろをもちまして販売終了させていただきますのでご注意ください。」とある。
さらに「えっ!?」となる。
何をわたしは注意したらいいんだろう??
代替のインクの案内がないとなると、イコール、インクが手に入らなくなったら、
もうプリンターを買い替えろということだろうか・・・。
レジに商品を持って行って、会計時に店員さんに聞く。
店員さんもさらなる上の人を呼んで、店員さんより若いけどエライ人が来た。
やっぱりインクが販売中止になることから、今後はプリンターを買い替えるしかないとのこと。
「プリンターは全く問題ないんですけど、インクがないからいつかは買い替えないといけないんですよね?」
と聞くと、そういうことになります、との答え。
さらに突っ込んで、こういう風にインクのみ生産終了して、そのついでにプリンターも使えない、
なんてことは通常あるのかどうかを聞いたら、
「滅多にありません。というより、今回初めてに等しいです。」
とのことだった。
いつ買ったプリンターか忘れたけど、多分10年選手。
普通に動いてくれるし、自分の何かを印刷する分には何一つ問題ない。
壊れてもいないのに、メーカー側がインクの生産中止という事態でいつかは使えなくなる。
説明してくれた店員さんにお礼を言って、インクを買って帰ってきたけど、
どうしても腑に落ちなかった。
壊れたのならわかる。
13種類のプリンターが該当機種になってるけど、他の人たちもみんなまだ使えるのに、
インクが手に入らなくなったらプリンターを買い替えなければならないのだろうか。
今プリンターもびっくりする位に安くはなっているけれど、使えるのに使えないというのが
全くしっくりといかない。
事情はわからないけど、環境への配慮を謳う前に、この使えるのに使えない状況を何とかする
方が先決ではないのだろうかと思ってしまう。
壊れて買い替えるのはわかるけど、壊れてないのに買い替えることはわたしは好きじゃない。
日本って、今って、何でもありの時代なんだ・・・と批判いっぱいの気持ちになった。
最先端とかどうでもいいから、まずあるものを大事にしようよ、と思ってしまう。
2015年3月25日水曜日
自分ストライキ
「自分ストライキ」
何かと言うと、やることは盛り沢山なのに「やりたくない」の気持ちが勝って、
気付けば本当にやらない、ふて寝したり他の事をして気を紛らわしたりすること。
今日やってきた、自分ストライキ。
24時間みっちり自分の自由に使える日なのに、朝から絶不調。
やることをリストにしたらいくらでも出てくる出てくる。
5分でも10分でもいい、少しでもやれば未来の自分を助けられると言うのに、
気持ちが追い付かない。
朝は2時間かけてノートにぐだぐだ愚痴を綴る。
お昼食べたらとりあえず1時間昼寝。
眠たいと言うより、今の自分から逃げたい、ただそれだけだった。
とりあえず気分転換を兼ねて、スーパー目指して家を出発する。
外は時々ものすごい強い風が吹くけれど、青い空が広がっている。
いつもの通り道だけど、景色がいつもと違う。
「とまれ」の標識が真っ赤ではなくて、近くで見ると細かな線がたくさん入っていることに気付く。
ある家の屋根を見たら、高さ30~50cmくらいの仏像?はにわ?が飾ってあった。
今まで全然目にも入れない風景だったから、この街に住んで5年、初めて気付いた。
ピンクのこぶし?の花の色に目が奪われる。
スーパーの近くの公園で、今日は業者が入っての木の切断が行われていた。
木の切り口の匂いが時々風に運ばれてきた。
見慣れた風景なのに別の風景に見える。
同じもの、同じ日なんて1日もないことを改めて思い知らされる。
そして、多分自分の中でも何か変化が起こっているのだろう。
頭で考えると視界がうんと狭くなって焦りと心配だけがもれなくプレゼントされるけど、
どうも体や心は知らぬ間に変化しているようで、外で目にしたような違いを次々発掘する。
頭の中でぐるぐるしている思考を止められたら・・・と思う。
さて自分ストライキ、どこまでストライキを続行するか見守った。
もう今日1日を棒に振ることも覚悟した。
散歩のようにスーパーに行って、今日の夜ごはんの段取りを頭に思い描いて帰路に着き、
ホームに戻った。
最初に、インスタントコーヒーを淹れて日記を書いた。
今のありのままの気持ち、今日のこれまでの流れを書いた。
ストライキ終了の合図がきた。
なんだか知らないけどスイッチが入って、パソコン開いて作業を始めた。
最低限のことはとりあえず終わった。
プラスアルファは終わってない。
だけど、今日はもうこれでいいかなと思う。
妹夫婦が誕生日プレゼントに贈ってくれた茨城の笠間焼という器が今朝届いた。
第1号のおかずは、煮物にした。
人参と車麩とがんもと糸こんと椎茸。
ごはんがそろそろ炊きあがる。
ストライキの時の気分を今も少し引きずっている。
やることをやりきれてない自分への責めるような気持ちがある。
だけど、ここで何かをしても多分おさまらない。
休もうと思う。
今日はこれにてどろんで、明日仕切り直そう。
何かと言うと、やることは盛り沢山なのに「やりたくない」の気持ちが勝って、
気付けば本当にやらない、ふて寝したり他の事をして気を紛らわしたりすること。
今日やってきた、自分ストライキ。
24時間みっちり自分の自由に使える日なのに、朝から絶不調。
やることをリストにしたらいくらでも出てくる出てくる。
5分でも10分でもいい、少しでもやれば未来の自分を助けられると言うのに、
気持ちが追い付かない。
朝は2時間かけてノートにぐだぐだ愚痴を綴る。
お昼食べたらとりあえず1時間昼寝。
眠たいと言うより、今の自分から逃げたい、ただそれだけだった。
とりあえず気分転換を兼ねて、スーパー目指して家を出発する。
外は時々ものすごい強い風が吹くけれど、青い空が広がっている。
いつもの通り道だけど、景色がいつもと違う。
「とまれ」の標識が真っ赤ではなくて、近くで見ると細かな線がたくさん入っていることに気付く。
ある家の屋根を見たら、高さ30~50cmくらいの仏像?はにわ?が飾ってあった。
今まで全然目にも入れない風景だったから、この街に住んで5年、初めて気付いた。
ピンクのこぶし?の花の色に目が奪われる。
スーパーの近くの公園で、今日は業者が入っての木の切断が行われていた。
木の切り口の匂いが時々風に運ばれてきた。
見慣れた風景なのに別の風景に見える。
同じもの、同じ日なんて1日もないことを改めて思い知らされる。
そして、多分自分の中でも何か変化が起こっているのだろう。
頭で考えると視界がうんと狭くなって焦りと心配だけがもれなくプレゼントされるけど、
どうも体や心は知らぬ間に変化しているようで、外で目にしたような違いを次々発掘する。
頭の中でぐるぐるしている思考を止められたら・・・と思う。
さて自分ストライキ、どこまでストライキを続行するか見守った。
もう今日1日を棒に振ることも覚悟した。
散歩のようにスーパーに行って、今日の夜ごはんの段取りを頭に思い描いて帰路に着き、
ホームに戻った。
最初に、インスタントコーヒーを淹れて日記を書いた。
今のありのままの気持ち、今日のこれまでの流れを書いた。
ストライキ終了の合図がきた。
なんだか知らないけどスイッチが入って、パソコン開いて作業を始めた。
最低限のことはとりあえず終わった。
プラスアルファは終わってない。
だけど、今日はもうこれでいいかなと思う。
妹夫婦が誕生日プレゼントに贈ってくれた茨城の笠間焼という器が今朝届いた。
第1号のおかずは、煮物にした。
人参と車麩とがんもと糸こんと椎茸。
ごはんがそろそろ炊きあがる。
ストライキの時の気分を今も少し引きずっている。
やることをやりきれてない自分への責めるような気持ちがある。
だけど、ここで何かをしても多分おさまらない。
休もうと思う。
今日はこれにてどろんで、明日仕切り直そう。
2015年3月24日火曜日
ほっとする味~鍋焼きうどん編~
年に何回か、食べ物の神様が君臨する。
食べ物の神様とは今勝手に自分で命名した言葉で、
ふと思い付いた言葉にしてはとても的を射た表現だと感じている。
先日、鍋焼きうどんを作って食べた。
なんてことはない。
1袋わたしは28円で購入してきたけど、あのどこのスーパーでもうどんやそばなんかが単体で
安く売られている、あの類いのうどんだ。
半額になっていたかきあげも購入。
後は、家にあったネギや卵、わかめなんかを入れて、鍋焼きうどんの名前の通り、
土鍋でそれらをしょうゆと砂糖、みりん、だしなんかで適当に甘辛く煮て終わり。
だしもきちんと昆布や煮干しから採っただしじゃなくて、顆粒だし。
ぐつぐつと音を立てた鍋焼きうどん。
鍋と蓋の間からもうもうと湯気が出ている。
一口口に運ぶ。
ほっとする。
知ってる、この味。
ごちそうとは決して呼べないようなものでも、一口食べただけでほっとする。
甘辛い汁のところにかきあげの油の味が混ざる。
かきあげのふにゃっとなったところは特に好きだ。
パリパリの部分も好きだけど、ふにゃも独特のうまさを秘めている。
このほっとする味、これって子どもの頃から慣れ親しんだものだ。
味とほっとする感覚がセットになっている。
ほっとする味ってそんなにたくさんはない。
おいしいと感じる味は無数にある。
でも、おいしいよりも先にほっとするがくる味って無数ではないし、そしてこれこそ人と違うはず。
多分同じ鍋焼きうどんを誰かと一緒に食べても、その人はおいしいと思ってくれても、
ほっとはしないような気がする。
子どもの頃の舌の記憶と今の舌の感覚が瞬時に繋がる。
そして舌からあの独特の「ほっとする」感じを脳に送りこむ。
脳は子どもの頃の食卓を写し出す、長期記憶の引きだしの1つから。
こういう瞬間、「食べ物の神様」が君臨した、と思ってしまう。
食べ物の神様とは今勝手に自分で命名した言葉で、
ふと思い付いた言葉にしてはとても的を射た表現だと感じている。
先日、鍋焼きうどんを作って食べた。
なんてことはない。
1袋わたしは28円で購入してきたけど、あのどこのスーパーでもうどんやそばなんかが単体で
安く売られている、あの類いのうどんだ。
半額になっていたかきあげも購入。
後は、家にあったネギや卵、わかめなんかを入れて、鍋焼きうどんの名前の通り、
土鍋でそれらをしょうゆと砂糖、みりん、だしなんかで適当に甘辛く煮て終わり。
だしもきちんと昆布や煮干しから採っただしじゃなくて、顆粒だし。
ぐつぐつと音を立てた鍋焼きうどん。
鍋と蓋の間からもうもうと湯気が出ている。
一口口に運ぶ。
ほっとする。
知ってる、この味。
ごちそうとは決して呼べないようなものでも、一口食べただけでほっとする。
甘辛い汁のところにかきあげの油の味が混ざる。
かきあげのふにゃっとなったところは特に好きだ。
パリパリの部分も好きだけど、ふにゃも独特のうまさを秘めている。
このほっとする味、これって子どもの頃から慣れ親しんだものだ。
味とほっとする感覚がセットになっている。
ほっとする味ってそんなにたくさんはない。
おいしいと感じる味は無数にある。
でも、おいしいよりも先にほっとするがくる味って無数ではないし、そしてこれこそ人と違うはず。
多分同じ鍋焼きうどんを誰かと一緒に食べても、その人はおいしいと思ってくれても、
ほっとはしないような気がする。
子どもの頃の舌の記憶と今の舌の感覚が瞬時に繋がる。
そして舌からあの独特の「ほっとする」感じを脳に送りこむ。
脳は子どもの頃の食卓を写し出す、長期記憶の引きだしの1つから。
こういう瞬間、「食べ物の神様」が君臨した、と思ってしまう。
2015年3月23日月曜日
勉強ができなかった子ども時代の感性
子どもの頃のわたしは、本当に勉強が全くできない子どもだった。
オール1の通知表がそれを物語っている。
昨日どうしてもその時のことが気になって、わたしはちょっとしたことをやってみた。
「7-4 5-3 8-2」
3つの引き算の問題を紙に書いた。
これを小学校1年生の自分になったつもりでやってみた。
色んなことを鮮明に思い出した。
まず当時のわたしというのは、数字を見てもその概念がさっぱりわからなかった。
7が何を意味していて、例えば上のように「7-4」なんて書かれてあっても何を聞かれているのか
すらわからなかった。
これは大真面目な話で、数字のそれぞれの持つ意味がわからなかった。
わたしが数字の数量を本当に理解できるようになったのは、
3年生でそろばんを習ってからだと思う。
そして今でも例えば上のような簡単な計算でも、わたしは頭の中でそろばんをはじく。
そうしないと安心できない。
今なら7-4が3だって見てすぐにわかっても、それでもそろばんをはじく。
改めてすごい習慣だと思う。
そうまでしないと安心できない自分って何だろうとすら思った。
もう一度「7-4 5-3 8-2」の問題に戻った。
「テスト」されているというのは子どものわたしも理解していた。
周りの子どもたちを見て、何かしら答えを書かないといけないというのもわかった。
何せ数の概念すらわかってないわたしは、指を使って計算することすら思い付けなかった。
よくわからない数字たちと、多分どこかには「けいさんしましょう」と書かれた文もあったと思うけど、
それでもわたしには何一つ意味を成さない言葉や数字にうろたえるばかりだった。
馴染みのない言語の文字を見る感じと同じだ。
わかる人が見たらわかるものでも、知識のない人が見ると何も意味を成さない。
わたしはできないことが怖いとかそんな風に思う余裕はなかったと思う。
できないことで母親なり先生に怒られるそのことだけが怖かった気がする。
わからないものはわからない、でもなぜそれがいけないことなのか全然理解できなかった。
子どものわたしに戻ってみると、わからないから最後はどうしたかというと、
目に入った数字をそのまま書くことだった。
だからすべて的外れの答えを書くことになる。
テストで○がついていた記憶がほとんどない。
子どもの頃の感情がリアルだった。
36歳の大人なのに、30年前に戻って小学1年になったみたいだった。
話は飛ぶが、学習塾で働いていた時、わたしの中で勝手に作ったルールがあった。
「わからない」や「できない」に関しては子どもを叱らなかった(と思う)。
でも、わからないのにわかるフリをすること、わからないできないのに「わからない」と言えないこと
言わないこと、そういうことは容赦なく叱った。
わからないから、できないから、来ているのであって、そんなのは恥ずかしいことでも何でもない、
でもわからないままにしておくこと、人に聞かないこと、それは後々にもっと恥ずかしい事態に
自分を追いやってしまうから、だからここで聞こうよと口を酸っぱくして言っていた。
平気で中学生の子に小学校低学年の勉強をしようと提案した。
(もちろん保護者から了解を得てから)
子どもの頃の感情がリアルだった。
36歳の大人なのに、30年前に戻って小学1年になったみたいだった。
話は飛ぶが、学習塾で働いていた時、わたしの中で勝手に作ったルールがあった。
「わからない」や「できない」に関しては子どもを叱らなかった(と思う)。
でも、わからないのにわかるフリをすること、わからないできないのに「わからない」と言えないこと
言わないこと、そういうことは容赦なく叱った。
わからないから、できないから、来ているのであって、そんなのは恥ずかしいことでも何でもない、
でもわからないままにしておくこと、人に聞かないこと、それは後々にもっと恥ずかしい事態に
自分を追いやってしまうから、だからここで聞こうよと口を酸っぱくして言っていた。
平気で中学生の子に小学校低学年の勉強をしようと提案した。
(もちろん保護者から了解を得てから)
実際に何人もの子どもたちをそうやってつまずいたところまで戻した。
できないにできないを重ねてもますます自信は失われるし、わからないが増えるだけ。
それであれば、できることをまずはする、そして次はちょっと背伸びが必要なことをする、
その繰り返しだった、特に学力的に大きく落ち込んだ子どもたちは。
当時は特に深く考えてそうしたというよりも、そちらの方が良いと判断し動いていた。
昨日小学1年のわたしの気持ちをリアルに感じた時、なぜあんなに塾の中で戻すことにこだわった
のか、ようやく1本の線で繋がった。
自分がしてもらいたかったことをやっただけ。
相手の気持ちよりも、自分の欲求に基づいた仮説を勝手に立ててやっていたと思う。
そうやって考えてみると、オール1とか2のような子どもが半数近くを占める不思議な教室だった。
たった1つ成功したと思うのは、多分どの子も「わからない」ことに対しての罪悪感や羞恥心は
持たずに済んだような気がする。
教室内はいつでも「わからない」「できない」という言葉がたくさん飛び交っていたし、
それを隠してるとわたしがどついて雷を落としていたし、
とにかくできなくても大丈夫、ということを伝えたかったのかなと今になって思う。
この自分の体験は今となってはすごく貴重だし、「わからない」感性を知っていて良かったとすら
思っている。
世界は混沌としていて、自分の周りの世界にうまくなじめない自分がいて、子どもの頃は今よりも
もっともっと生きづらさを実感していたように思う。
まだ答えは出ないけど、この子どもの時の体験は必要があっての体験だったと思ってる。
どう必要だったのかはわからないけど、この世界を知っていることで今生きてる世界に奥行きが
あるように思う。
「わからない」「わからないことで自分があれこれ困る」こんな体験がプラスに転じる。
できないにできないを重ねてもますます自信は失われるし、わからないが増えるだけ。
それであれば、できることをまずはする、そして次はちょっと背伸びが必要なことをする、
その繰り返しだった、特に学力的に大きく落ち込んだ子どもたちは。
当時は特に深く考えてそうしたというよりも、そちらの方が良いと判断し動いていた。
昨日小学1年のわたしの気持ちをリアルに感じた時、なぜあんなに塾の中で戻すことにこだわった
のか、ようやく1本の線で繋がった。
自分がしてもらいたかったことをやっただけ。
相手の気持ちよりも、自分の欲求に基づいた仮説を勝手に立ててやっていたと思う。
そうやって考えてみると、オール1とか2のような子どもが半数近くを占める不思議な教室だった。
たった1つ成功したと思うのは、多分どの子も「わからない」ことに対しての罪悪感や羞恥心は
持たずに済んだような気がする。
教室内はいつでも「わからない」「できない」という言葉がたくさん飛び交っていたし、
それを隠してるとわたしがどついて雷を落としていたし、
とにかくできなくても大丈夫、ということを伝えたかったのかなと今になって思う。
この自分の体験は今となってはすごく貴重だし、「わからない」感性を知っていて良かったとすら
思っている。
世界は混沌としていて、自分の周りの世界にうまくなじめない自分がいて、子どもの頃は今よりも
もっともっと生きづらさを実感していたように思う。
まだ答えは出ないけど、この子どもの時の体験は必要があっての体験だったと思ってる。
どう必要だったのかはわからないけど、この世界を知っていることで今生きてる世界に奥行きが
あるように思う。
「わからない」「わからないことで自分があれこれ困る」こんな体験がプラスに転じる。
2015年3月22日日曜日
試着、試着、試着
わたしはほとんど服を買わない。
母親が勤めている会社が洋服の修整を専門的にしていて、百貨店に入っているブランドなどの
服をただ同然のような値段で譲ってもらえるため、そのおこぼれをもらっている。
なので自分で買うのは、ジーパンとヒートテックぐらいだ。
もう1つは、そもそも今のアパートの収納スペースが限られているため、服を多く持たないように
心掛けている。
わたしの中では、1枚当たり3シーズン(春夏秋、または秋冬春)使えるものが自分で買う場合は
必須条件だ←収納スペースの確保のため。
なので、もうここ2年ぐらい自分で服を買っていない気がする。
これからもそのスタイルを変更する予定はないけど、今回どうしても必要があって服を1枚買った。
たった1日の中で20枚近くの服を試着した。
少しでも気に入るものがあったら試着。
見た感じ=着た感じではないので、とにかく着てみないことにはわからない。
色々着てみて気付いたことがある。
デザイン、形、素材そのすべてにおいて合格点だったものがある。
もしその服しか着ていなければ気付けなかったような気がする。
着てみて、それは一気に不合格になり、泣く泣く断念した。
何が駄目だったかと言うと、服が重かった。
確実に重みを感じるもので、座っていても疲れるだろうなぁと思った。
本当に他は一つも申し分なかったし、実際に着ておでぶ体系をきれいなラインにしてくれる
優れもので、ことさら残念だった。
だけど、あの重さは絶対に普段使いするには気が引ける。
着ているだけで疲れる服なんて、どんなに他が良くてもやっぱり着れない。
今手持ちの服は1枚も重い服がない。
普段着るものとなると、絶対に着ていて楽チンなものに手を伸ばすだろう。
買ってもたんすの肥やしになることは目に見えていた。
今回重い服に当たって、初めて着心地の良さの基準に「軽さ」が入っていることに気付いた。
服だけに限らず、生活の至る所でいつの間にか自分の中に基準がある。
あまりにも当たり前すぎて普段意識にも上ってこないけど、実は無意識で確実に自分にとっての
良いを選んでいる。
その「良い」の基準は、やっぱり他の誰でもない、自分しか知り得ない機密情報だ。
自分の感覚も、想像以上にあてになることが今回の一番大きな収穫だった。
母親が勤めている会社が洋服の修整を専門的にしていて、百貨店に入っているブランドなどの
服をただ同然のような値段で譲ってもらえるため、そのおこぼれをもらっている。
なので自分で買うのは、ジーパンとヒートテックぐらいだ。
もう1つは、そもそも今のアパートの収納スペースが限られているため、服を多く持たないように
心掛けている。
わたしの中では、1枚当たり3シーズン(春夏秋、または秋冬春)使えるものが自分で買う場合は
必須条件だ←収納スペースの確保のため。
なので、もうここ2年ぐらい自分で服を買っていない気がする。
これからもそのスタイルを変更する予定はないけど、今回どうしても必要があって服を1枚買った。
たった1日の中で20枚近くの服を試着した。
少しでも気に入るものがあったら試着。
見た感じ=着た感じではないので、とにかく着てみないことにはわからない。
色々着てみて気付いたことがある。
デザイン、形、素材そのすべてにおいて合格点だったものがある。
もしその服しか着ていなければ気付けなかったような気がする。
着てみて、それは一気に不合格になり、泣く泣く断念した。
何が駄目だったかと言うと、服が重かった。
確実に重みを感じるもので、座っていても疲れるだろうなぁと思った。
本当に他は一つも申し分なかったし、実際に着ておでぶ体系をきれいなラインにしてくれる
優れもので、ことさら残念だった。
だけど、あの重さは絶対に普段使いするには気が引ける。
着ているだけで疲れる服なんて、どんなに他が良くてもやっぱり着れない。
今手持ちの服は1枚も重い服がない。
普段着るものとなると、絶対に着ていて楽チンなものに手を伸ばすだろう。
買ってもたんすの肥やしになることは目に見えていた。
今回重い服に当たって、初めて着心地の良さの基準に「軽さ」が入っていることに気付いた。
服だけに限らず、生活の至る所でいつの間にか自分の中に基準がある。
あまりにも当たり前すぎて普段意識にも上ってこないけど、実は無意識で確実に自分にとっての
良いを選んでいる。
その「良い」の基準は、やっぱり他の誰でもない、自分しか知り得ない機密情報だ。
自分の感覚も、想像以上にあてになることが今回の一番大きな収穫だった。
2015年3月20日金曜日
家族のふしぎ
先日家族5人で数日間共に過ごした。
いつぶりか憶えていない位、久しぶりに家族5人、父・母・わたし・妹2人の計5人が揃った。
改めて5人を見ていると、実にありえない集団なんだと思い知らされる。
これまで考えたこともなかったけど、もしこの5人が同い年で同じクラスになったとしよう。
100%と言い切れるぐらい、この5人が集団になることは想像できない。
同じ軒の下で同じ釜の飯を食べた5人ではあるけれど、それぞれ性格がまったく違う。
多少似ているところはある。
DNAの成せる技だと思う。
でも、先ほどのクラスの中にもし5人同時に存在していたのなら・・・
なんて考えると、お互いに別々のグループに属し、
まぁ挨拶を交わす程度の仲にしかならなかったと思う。
そんな5人が家族として1つの集団を構成するのだから、
これこそ世の中の摩訶不思議な体験のひとつに数えてもいいだろう。
『現在この地球には64億人もの人がいるのです。
さらに数万年の人類史の中で
同じ時代の、ある特定の場所で
その日、そのとき、あなたの隣にいるって
すごい確率ですよね。
一説によると
宇宙から隕石が落ちてきて自分の家のトイレのなかに
スポッと入るくらいの確率だそうです。』
上の言葉は、昔むかしというほど昔ではない数年前、大阪在住の友達の家に泊まった時、
友達のアパート前にある小さなスーパーで買った夏用の短パンの値札になぜか付いていたもの。
短パンは千円出しておつりがくる位の安物だったのに、その言葉はどんな計らいなのか、
えらいインパクトの強い言葉だった。
計算不可能な確率で一緒に家族として生きているのかと思ったら、すごいことだ。
上の言葉が本当だとすれば、今回の家族5人だってすごい確率の縁の元で家族になってる筈だ。
どこでどんな風になって今の家族が誕生したのかなんて分析を始めたら、
一生かかっても終わらないだろう。
それ位、色んな偶然という偶然が重なり合ってくれないと、父も母も出逢うことはなかっただろうし、
さらに上のご先祖様たちが夫婦になることもなかっただろう。
そんな確率で家族になった5人が一堂に会している。
これまで親子であることとか姉妹であることとか、たしかにふしぎに感じたことはあったけれど、
今回ほど、何がどうなってこんなにも違う人同士が家族になったりするのか、
ふしぎな感覚とそして奇跡のような現実にただただ驚くばかりだった。
いつぶりか憶えていない位、久しぶりに家族5人、父・母・わたし・妹2人の計5人が揃った。
改めて5人を見ていると、実にありえない集団なんだと思い知らされる。
これまで考えたこともなかったけど、もしこの5人が同い年で同じクラスになったとしよう。
100%と言い切れるぐらい、この5人が集団になることは想像できない。
同じ軒の下で同じ釜の飯を食べた5人ではあるけれど、それぞれ性格がまったく違う。
多少似ているところはある。
DNAの成せる技だと思う。
でも、先ほどのクラスの中にもし5人同時に存在していたのなら・・・
なんて考えると、お互いに別々のグループに属し、
まぁ挨拶を交わす程度の仲にしかならなかったと思う。
そんな5人が家族として1つの集団を構成するのだから、
これこそ世の中の摩訶不思議な体験のひとつに数えてもいいだろう。
『現在この地球には64億人もの人がいるのです。
さらに数万年の人類史の中で
同じ時代の、ある特定の場所で
その日、そのとき、あなたの隣にいるって
すごい確率ですよね。
一説によると
宇宙から隕石が落ちてきて自分の家のトイレのなかに
スポッと入るくらいの確率だそうです。』
上の言葉は、昔むかしというほど昔ではない数年前、大阪在住の友達の家に泊まった時、
友達のアパート前にある小さなスーパーで買った夏用の短パンの値札になぜか付いていたもの。
短パンは千円出しておつりがくる位の安物だったのに、その言葉はどんな計らいなのか、
えらいインパクトの強い言葉だった。
計算不可能な確率で一緒に家族として生きているのかと思ったら、すごいことだ。
上の言葉が本当だとすれば、今回の家族5人だってすごい確率の縁の元で家族になってる筈だ。
どこでどんな風になって今の家族が誕生したのかなんて分析を始めたら、
一生かかっても終わらないだろう。
それ位、色んな偶然という偶然が重なり合ってくれないと、父も母も出逢うことはなかっただろうし、
さらに上のご先祖様たちが夫婦になることもなかっただろう。
そんな確率で家族になった5人が一堂に会している。
これまで親子であることとか姉妹であることとか、たしかにふしぎに感じたことはあったけれど、
今回ほど、何がどうなってこんなにも違う人同士が家族になったりするのか、
ふしぎな感覚とそして奇跡のような現実にただただ驚くばかりだった。
2015年3月14日土曜日
アイディア帳本領発揮
今日はもうこのブログは書かないつもりでいたけど、あまりにも調子良くもう1つのブログが
書けたから、その調子でこちらも書いてみようと思う。
いずれ公開予定のもう一つのブログの方は、とにかく今全力で書いている。
しばらく家を離れるから、その間の分も全部書いて、あとは毎日更新されるように設定した。
設定の仕方もきちんと調べて予行まで行うほどの徹底ぶりだ。
はっきり言って、普段適当な自分からは考えられない位まじめに取り組んだ。
今回4日分の記事を一気に書き貯めた。
昨日おとといの2日間でなんとか4日分は書けたけど、今日の分は書けていなかった。
今日はその場の気分で書く内容を決めようと思っていた。
時間に制約もあるし、4つもの全く違う記事を書いただけあって、今すぐのアイディアは枯渇中。
できるだけささっと書けて、内容も充実したもの、などととんでもない高い理想を自分に求めた。
されど、とにかくパッと思い浮かばない。
そうだ、と思って過去にメモだけ残したアイディア帳を引っ張り出してきた。
この中にすぐに書けるものがあって欲しい、という過大な期待を込めて。
そうしたら一発で出てきた。
一言、「大凶と出てほっとする自分」とだけある。
このメモだけで十分なアイディアをもらったから、後はそのことについて文章を並べるだけで
良かった。
気付いたら20分もかからずにさらさらと書けた。
メモは一言でも、そのメモを見るだけで当時の状況や思ったことはありありと思い出せる。
そこから自分がどんなことを学んだかも覚えてる。
覚えてると言うよりも、その教えが今も自分の中に生きてる。
アイディア帳に書いたことは、多分1年半以上前のものかと思われる。
日付が10月になっていて、でもそれは2014年の10月でないことは確かだから、
ということはどんなに短く見積もっても1年半以上前ということになる。
書いた当時だってこんなに役立つ予定で書いたわけではなかったのに、
今こんなに時間が経ってもとても役立ってくれる。
しかも内容は古くさくないどころか、今も十分に使えるものだ。
それによって気付かされたことは、この数年で自分が学んだことは時代の流れがどうであっても
ある意味不変的な知恵や教えなのではないかということ。
書けたから、その調子でこちらも書いてみようと思う。
いずれ公開予定のもう一つのブログの方は、とにかく今全力で書いている。
しばらく家を離れるから、その間の分も全部書いて、あとは毎日更新されるように設定した。
設定の仕方もきちんと調べて予行まで行うほどの徹底ぶりだ。
はっきり言って、普段適当な自分からは考えられない位まじめに取り組んだ。
今回4日分の記事を一気に書き貯めた。
昨日おとといの2日間でなんとか4日分は書けたけど、今日の分は書けていなかった。
今日はその場の気分で書く内容を決めようと思っていた。
時間に制約もあるし、4つもの全く違う記事を書いただけあって、今すぐのアイディアは枯渇中。
できるだけささっと書けて、内容も充実したもの、などととんでもない高い理想を自分に求めた。
されど、とにかくパッと思い浮かばない。
そうだ、と思って過去にメモだけ残したアイディア帳を引っ張り出してきた。
この中にすぐに書けるものがあって欲しい、という過大な期待を込めて。
そうしたら一発で出てきた。
一言、「大凶と出てほっとする自分」とだけある。
このメモだけで十分なアイディアをもらったから、後はそのことについて文章を並べるだけで
良かった。
気付いたら20分もかからずにさらさらと書けた。
メモは一言でも、そのメモを見るだけで当時の状況や思ったことはありありと思い出せる。
そこから自分がどんなことを学んだかも覚えてる。
覚えてると言うよりも、その教えが今も自分の中に生きてる。
アイディア帳に書いたことは、多分1年半以上前のものかと思われる。
日付が10月になっていて、でもそれは2014年の10月でないことは確かだから、
ということはどんなに短く見積もっても1年半以上前ということになる。
書いた当時だってこんなに役立つ予定で書いたわけではなかったのに、
今こんなに時間が経ってもとても役立ってくれる。
しかも内容は古くさくないどころか、今も十分に使えるものだ。
それによって気付かされたことは、この数年で自分が学んだことは時代の流れがどうであっても
ある意味不変的な知恵や教えなのではないかということ。
2015年3月13日金曜日
手が進まない日
明日から数日家を離れるから、このブログもその間ストップすることにした。
予め書いたものを日時を予約しておいてアップできるようだけど、
そこまでして書かなくてもいいなぁと思って、とにかく不在の時は書かないと決めた。
せめて今日は何かを書こうと決めてはいたけど、さっきからひとつも進まない。
これまでの下書きを開いたら、どれもこれもテーマが重すぎて、
今の気分や気力で最後まで書ききれるようなものではなかった。
それで、そうだ今のあるがままを綴ってみてはどうかと思って今書き出した。
書き出すと不思議なもので、手が勝手にキーを叩いて言葉を紡いでくれる。
頭もほとんど使わず、中から出てきたものをぽんぽんと打ち込んでいくだけだ。
個人的に、こういう作業の取り組み方にとても憧れている。
リラックスに近い状態で、頭はぽけっとした感じで、ただただ内側から出てくるものに任せて
手なり体なりを動かす。
こういう状態はとてもいい。
自然だし無理がないし、流れもスムーズだ。
自分で何とかこの状態を体に記憶させようと毎回思うのだけど、
本当に何とかしないといけないような作業の時は、その甲斐空しく全く効果を発揮してくれない。
何とかしなきゃ、と思っている時点で体は緊張状態になるし、
頭はフル回転始めるし、いい意味での回転ではなく、ぐるぐる混乱するような回転の方、
どうして一体いつもずれずれなのかと思ってしまう。
このスムーズな感じを自分の好きなタイミングで使いこなせる技をぜひとも発見・マスターしたい。
もちろん、そんなノーベル賞ものの技を知り得たら、もちろん公表だ。
そんな夢ばかり見てないで、少し現実に戻って現実の作業続けよう・・・(消極的)。
予め書いたものを日時を予約しておいてアップできるようだけど、
そこまでして書かなくてもいいなぁと思って、とにかく不在の時は書かないと決めた。
せめて今日は何かを書こうと決めてはいたけど、さっきからひとつも進まない。
これまでの下書きを開いたら、どれもこれもテーマが重すぎて、
今の気分や気力で最後まで書ききれるようなものではなかった。
それで、そうだ今のあるがままを綴ってみてはどうかと思って今書き出した。
書き出すと不思議なもので、手が勝手にキーを叩いて言葉を紡いでくれる。
頭もほとんど使わず、中から出てきたものをぽんぽんと打ち込んでいくだけだ。
個人的に、こういう作業の取り組み方にとても憧れている。
リラックスに近い状態で、頭はぽけっとした感じで、ただただ内側から出てくるものに任せて
手なり体なりを動かす。
こういう状態はとてもいい。
自然だし無理がないし、流れもスムーズだ。
自分で何とかこの状態を体に記憶させようと毎回思うのだけど、
本当に何とかしないといけないような作業の時は、その甲斐空しく全く効果を発揮してくれない。
何とかしなきゃ、と思っている時点で体は緊張状態になるし、
頭はフル回転始めるし、いい意味での回転ではなく、ぐるぐる混乱するような回転の方、
どうして一体いつもずれずれなのかと思ってしまう。
このスムーズな感じを自分の好きなタイミングで使いこなせる技をぜひとも発見・マスターしたい。
もちろん、そんなノーベル賞ものの技を知り得たら、もちろん公表だ。
そんな夢ばかり見てないで、少し現実に戻って現実の作業続けよう・・・(消極的)。
2015年3月12日木曜日
続々閉店
ここ1年くらいかと思う。
気に入っていたお店や美味しかった飲食店が続々と閉店している。
ついこの間も、実際に我が家にやってきた物を購入した雑貨店が1つは最終日、
もう1つはもうすぐ閉店と大きなお知らせが店内中に貼ってあった。
店員さんがその物がとっても好きと見ているだけで伝わってくるお店や、
手抜きをせず1つ1つ丁寧に食べ物を扱い作っているお店とか、
そういうお店こそ閉店するから悲しい。
美味しくない店やいい加減なサービスを提供する店が残っているのも残念だ。
内情は知らないけど、決して閑古鳥が鳴いていたわけではない。
いつ行ってもお客さんが入っていたのに、なぜか閉店。
たった1つのコンビニだけは、あぁあそこは閉店しても仕方ないなぁと思った。
すぐ近くにわたしの中で断トツに接客の良いコンビニがある。
そこはいつ行っても、誰がレジの担当でも、とにかく気持ち良い買い物ができる、
コンビニにしてはすごくめずらしい。
そこがオープンしてから、例の閉店した方のコンビニ、大丈夫かな・・・と思った。
名前は出さないけど、日本一のシェアを誇るコンビニだ。
だけど、そこはとにかく店員さんの私語が絶え間なく続き、
どの時間帯に行っても、なんとなく居心地悪く感じていた。
店の中の空気全体が澱んでいるというか、何かすっきりしていないというか。
どう考えても、もう一つのコンビニに負けちゃうだろうなぁと思っていたら閉店した。
それ位わかりやすいお店が閉店するならわかるけど、
冒頭の部分に該当するお店たちは、そういうタイプじゃない。
特に飲食店は、それぞれ美味しいものがあって、それらを二度と味わえないかと思うと
とても残念だ。
閉店とは関係ないけど、化粧品の移り変わりの速さにもびっくりする。
今使っている眉描きと同じものを母親が欲しいと言ったので、店に見に行った。
それは別物に代わっていて、通販の方でも調べたけど店舗と同じ結果だった。
すごく使いやすくて良かったのに、これまた残念。
こうして良いものがひとつ、またひとつと消えていく度に、日本の流行や最新型を追い求める
姿勢にものすごく落胆を覚える。
これ1ヶ月前に書いて保管していた記事だったけど、さらに昨日久しぶりに市内遠方に
出掛けたら、お気に入りの店が2つも閉店していた。
1つの店は、妹のいつかの誕生日プレゼントを買った店でもあった。
もう二度とあの店にも入れなければ、同じものを求めることもできない。
ものも人と一緒で、出逢うタイミングがあって、それこそ一期一会なんだと気付かされた。
何でもいつでも存在し続ける、なんて勝手に思い込まずに、
いつの時もすべては一瞬一瞬の出逢いでタイミングなんだということを心に刻んで身を正した。
気に入っていたお店や美味しかった飲食店が続々と閉店している。
ついこの間も、実際に我が家にやってきた物を購入した雑貨店が1つは最終日、
もう1つはもうすぐ閉店と大きなお知らせが店内中に貼ってあった。
店員さんがその物がとっても好きと見ているだけで伝わってくるお店や、
手抜きをせず1つ1つ丁寧に食べ物を扱い作っているお店とか、
そういうお店こそ閉店するから悲しい。
美味しくない店やいい加減なサービスを提供する店が残っているのも残念だ。
内情は知らないけど、決して閑古鳥が鳴いていたわけではない。
いつ行ってもお客さんが入っていたのに、なぜか閉店。
たった1つのコンビニだけは、あぁあそこは閉店しても仕方ないなぁと思った。
すぐ近くにわたしの中で断トツに接客の良いコンビニがある。
そこはいつ行っても、誰がレジの担当でも、とにかく気持ち良い買い物ができる、
コンビニにしてはすごくめずらしい。
そこがオープンしてから、例の閉店した方のコンビニ、大丈夫かな・・・と思った。
名前は出さないけど、日本一のシェアを誇るコンビニだ。
だけど、そこはとにかく店員さんの私語が絶え間なく続き、
どの時間帯に行っても、なんとなく居心地悪く感じていた。
店の中の空気全体が澱んでいるというか、何かすっきりしていないというか。
どう考えても、もう一つのコンビニに負けちゃうだろうなぁと思っていたら閉店した。
それ位わかりやすいお店が閉店するならわかるけど、
冒頭の部分に該当するお店たちは、そういうタイプじゃない。
特に飲食店は、それぞれ美味しいものがあって、それらを二度と味わえないかと思うと
とても残念だ。
閉店とは関係ないけど、化粧品の移り変わりの速さにもびっくりする。
今使っている眉描きと同じものを母親が欲しいと言ったので、店に見に行った。
それは別物に代わっていて、通販の方でも調べたけど店舗と同じ結果だった。
すごく使いやすくて良かったのに、これまた残念。
こうして良いものがひとつ、またひとつと消えていく度に、日本の流行や最新型を追い求める
姿勢にものすごく落胆を覚える。
これ1ヶ月前に書いて保管していた記事だったけど、さらに昨日久しぶりに市内遠方に
出掛けたら、お気に入りの店が2つも閉店していた。
1つの店は、妹のいつかの誕生日プレゼントを買った店でもあった。
もう二度とあの店にも入れなければ、同じものを求めることもできない。
ものも人と一緒で、出逢うタイミングがあって、それこそ一期一会なんだと気付かされた。
何でもいつでも存在し続ける、なんて勝手に思い込まずに、
いつの時もすべては一瞬一瞬の出逢いでタイミングなんだということを心に刻んで身を正した。
2015年3月11日水曜日
過去の人たちが伝えるメッセージ
この1~2週間位、繰り返し頭の中に浮かぶ2人の子どもがいる。
もう今は2人と会うことも一切ないけれど、数年前仕事で関わった子どもたちだ。
彼らが中2~中3にかけての時間を共に過ごした子たちだ。
オール1のあきら(仮名)と、通知表でいう4と5が混ざった優等生ヒロシ(仮名)の2人だ。
塾の中だったから同じ時間帯に2人がいる時もないわけではなかったけど、2人に接点はなくて、
とにかく2人は学校も違うし、かもし出す雰囲気も180度違っていた。
唯一の共通点と言えば、私と人間関係があったということだけ。
社会的な価値観で言えば、あきらは超問題児だったし(学校からの呼び出しも半端なかった)、
オール1の子ども、それも読み書き計算ことごとく全滅に近い状態のあきらが、
高校に進学するなんて誰もが疑う、そんな状態だった。
一方のヒロシは、向上心の高い子どもで、礼儀も正しく、優しくて思いやり溢れる子だった。
学校での評判も抜群だったと思う。
もちろん2人のそれぞれの良さは社会の物差し抜きで知っていたつもりだし、
そして2人とも本当にとても好きな子どもたちだった。
ただ、わたしの目から見て、オール1のあきらは本当に幸せそうで、あきら信者みたいな後輩も
たくさんいたし(塾の中にもいた)、とにかくいつも楽しそうだった。
わたしにぶつかってくる時も、当然全力でくる。
何度わたしもぶちぎれたかわからない(←大人げないことこの上なかった)。
一方のヒロシは、いいもの本当に沢山持っているのに、それこそ「今の子どもも駄目じゃないです、
こんな素晴らしい子がいます」というような人間的な良さを持っているのに、
なんだったら間違いなくわたしよりも頭脳の能力がはるかに上だったけれど、
それでもヒロシはいつも自信がなさそうだったし、自分のことをどこか責めたてる風だった。
できたことよりもできなかったことに着眼してしまう癖もわたしはよく知っていたし、
とにかくどんな誉め言葉や評価も受け取れない風だった。
実際に両方のお母さんとも何回も懇談していたし、子ども含めての三者面談もしたし、
どうしてそれぞれがそんな風になるのかは親子関係を見てたら一目瞭然だった。
あきらのお母さんは、息子のできないことも受け入れていた。
そして度重なる学校からの呼び出しについて、いつかこんな風に話してくれたことがあった。
「学校の先生が言うんです。
『可能性のある子どもは、こちらも、子どもがどんな風でも
あきらめずに接します。何度でも呼び出します。
でも、もうダメだと思ったら呼び出しはしません。』
そう言われたので、あきらにはまだ可能性があると思ってもらえてる、と私信じてるんです。」
このお母さんには敵わんと思った。
一方のヒロシはどうだったのかと言うと、三者面談する前から薄々は気付いていたし、
ヒロシの口から語られることもあったから、あぁどうなるかな・・・と思っていたけれど、
本当に想像した通りの3人での話し合い(?)になった。
「(?)」を付けたのは、話し合いと呼んでいいのかすらわからない状態だったから。
「親の前で何も言えなくなる、親が先に何でも言って何でも決めてしまう」
ということをヒロシは時々こぼしていた。
だから、3人での話し合いの場も、まさにそんな風だった。
話し合いではなく、お母さんが一方的に話し倒す風だった。
ヒロシは委縮していたし、時にはもう何でもいいよと反抗的な態度に出ることもあったし、
とにかくそこに「調和」などというものは存在が許されないかのごとくだった。
反抗期特有の子ども、では片付けられない位に、ヒロシの痛みが伝わってくるようだった。
進路は、あきらはあきらにぴったりなところに行ったし、
ヒロシは第一志望が通らなかったけど、わたしは逆にそれで良かったと本気で思った。
なぜそう思ったのかと言うと、第一志望は、その辺りでは「超」がつく進学校だった。
こんな言い方は悪いけど、間違って合格したらさらにヒロシの潰さなくていい大切なものが
潰れると思った。
だから落ちてくれて本当に良かった、と心の中では思った。
(ちなみに、愛知県は公立2校受験方式)
振り返りはこれ位にして、とにかくこの2人がよく意識の上にのぼってきたのがここ最近。
わたしはどちらの子も、人間味溢れる、それぞれ独自の魅力に充ちていたと今でも思っている。
この対照的な2人がずっと出てくる日が続いて、一体何をわたしはこの子たちを通して
何を見ているのだろうと来る日も来る日も考えていた。
今日ようやくその答えがぱっと出てきた。
わたしがあきらから学んだことは、どこか著しく欠けるものがあっても本人次第でしあわせになれる
ということ。
そして、ヒロシからは、本当にありのままで十分に価値があるということ、本人がどんなに否定
しようとも、本人の持っている独自の人間力は他には代えられない素晴らしいものだということ。
2人からのメッセージが、今のわたしにはとても大切な学びになっている。
もう今は2人と会うことも一切ないけれど、数年前仕事で関わった子どもたちだ。
彼らが中2~中3にかけての時間を共に過ごした子たちだ。
オール1のあきら(仮名)と、通知表でいう4と5が混ざった優等生ヒロシ(仮名)の2人だ。
塾の中だったから同じ時間帯に2人がいる時もないわけではなかったけど、2人に接点はなくて、
とにかく2人は学校も違うし、かもし出す雰囲気も180度違っていた。
唯一の共通点と言えば、私と人間関係があったということだけ。
社会的な価値観で言えば、あきらは超問題児だったし(学校からの呼び出しも半端なかった)、
オール1の子ども、それも読み書き計算ことごとく全滅に近い状態のあきらが、
高校に進学するなんて誰もが疑う、そんな状態だった。
一方のヒロシは、向上心の高い子どもで、礼儀も正しく、優しくて思いやり溢れる子だった。
学校での評判も抜群だったと思う。
もちろん2人のそれぞれの良さは社会の物差し抜きで知っていたつもりだし、
そして2人とも本当にとても好きな子どもたちだった。
ただ、わたしの目から見て、オール1のあきらは本当に幸せそうで、あきら信者みたいな後輩も
たくさんいたし(塾の中にもいた)、とにかくいつも楽しそうだった。
わたしにぶつかってくる時も、当然全力でくる。
何度わたしもぶちぎれたかわからない(←大人げないことこの上なかった)。
一方のヒロシは、いいもの本当に沢山持っているのに、それこそ「今の子どもも駄目じゃないです、
こんな素晴らしい子がいます」というような人間的な良さを持っているのに、
なんだったら間違いなくわたしよりも頭脳の能力がはるかに上だったけれど、
それでもヒロシはいつも自信がなさそうだったし、自分のことをどこか責めたてる風だった。
できたことよりもできなかったことに着眼してしまう癖もわたしはよく知っていたし、
とにかくどんな誉め言葉や評価も受け取れない風だった。
実際に両方のお母さんとも何回も懇談していたし、子ども含めての三者面談もしたし、
どうしてそれぞれがそんな風になるのかは親子関係を見てたら一目瞭然だった。
あきらのお母さんは、息子のできないことも受け入れていた。
そして度重なる学校からの呼び出しについて、いつかこんな風に話してくれたことがあった。
「学校の先生が言うんです。
『可能性のある子どもは、こちらも、子どもがどんな風でも
あきらめずに接します。何度でも呼び出します。
でも、もうダメだと思ったら呼び出しはしません。』
そう言われたので、あきらにはまだ可能性があると思ってもらえてる、と私信じてるんです。」
このお母さんには敵わんと思った。
一方のヒロシはどうだったのかと言うと、三者面談する前から薄々は気付いていたし、
ヒロシの口から語られることもあったから、あぁどうなるかな・・・と思っていたけれど、
本当に想像した通りの3人での話し合い(?)になった。
「(?)」を付けたのは、話し合いと呼んでいいのかすらわからない状態だったから。
「親の前で何も言えなくなる、親が先に何でも言って何でも決めてしまう」
ということをヒロシは時々こぼしていた。
だから、3人での話し合いの場も、まさにそんな風だった。
話し合いではなく、お母さんが一方的に話し倒す風だった。
ヒロシは委縮していたし、時にはもう何でもいいよと反抗的な態度に出ることもあったし、
とにかくそこに「調和」などというものは存在が許されないかのごとくだった。
反抗期特有の子ども、では片付けられない位に、ヒロシの痛みが伝わってくるようだった。
進路は、あきらはあきらにぴったりなところに行ったし、
ヒロシは第一志望が通らなかったけど、わたしは逆にそれで良かったと本気で思った。
なぜそう思ったのかと言うと、第一志望は、その辺りでは「超」がつく進学校だった。
こんな言い方は悪いけど、間違って合格したらさらにヒロシの潰さなくていい大切なものが
潰れると思った。
だから落ちてくれて本当に良かった、と心の中では思った。
(ちなみに、愛知県は公立2校受験方式)
振り返りはこれ位にして、とにかくこの2人がよく意識の上にのぼってきたのがここ最近。
わたしはどちらの子も、人間味溢れる、それぞれ独自の魅力に充ちていたと今でも思っている。
この対照的な2人がずっと出てくる日が続いて、一体何をわたしはこの子たちを通して
何を見ているのだろうと来る日も来る日も考えていた。
今日ようやくその答えがぱっと出てきた。
わたしがあきらから学んだことは、どこか著しく欠けるものがあっても本人次第でしあわせになれる
ということ。
そして、ヒロシからは、本当にありのままで十分に価値があるということ、本人がどんなに否定
しようとも、本人の持っている独自の人間力は他には代えられない素晴らしいものだということ。
2人からのメッセージが、今のわたしにはとても大切な学びになっている。
2015年3月10日火曜日
35歳から36歳へ
今日が35歳最後の日だ。
明日の36歳の誕生日を心穏やかに迎えられるだけでも、本当に気持ちが良い。
そういう気分で迎えられるとわかるだけで、明日が楽しみなぐらいだ。
1年前の35歳の誕生日とは雲泥の差だ。
これまでの誕生日の中で35歳の誕生日が一番怖かった。
20代と34歳までのわたしは、あまり年齢を気にしない人だった。
周りが年を取るって嫌だ、と言っていた時も、わたしにはぴんと来てないことが多かった。
たしかに、体の方はあちこちこれまでとは違う症状や様相を呈する。
でも、それは元々予想の範疇にあることだったから、あまり気にならなかった。
痩せにくいとかは困ることでもあったけど、かと言って悩むほどのものでもなかった。
ところが、34歳から35歳になります、という頃になってわたしは急に35歳になるのが怖くなった。
35歳というと、いい大人だ。
もちろん34歳だっていい大人だけど、重みが全く違っていた。
35歳は明らかに重すぎた。
重すぎた理由のひとつに、結婚も仕事も何一つ「これだけは!」と言えるものを持っていなかった
ことも関係している。
あまりにも自分が過去に描いていた35歳とは大きくかけ離れ過ぎだった。
しかも、まさかの何も決まっていない生き方フラフラの自分、もう怖くならないわけがなかった。
だから35歳を迎える直前のわたしは、見事に恐怖におののいていた。
本当に、たったひとつの年を重ねることがこんなにも怖いと思ったことはなかった。
さてその35歳も今日で終わり、明日からは36歳になる。
社会の中での36歳は、ますます大人度が増す、当たり前だけど。
でも、もう1年前のように、戦々恐々とはしていない。
どんなにあがいても自分は自分、
そしてどんな自分でも自分の価値は変わらない、
そこが妙に腑に落ちて、36歳になることは怖くない。
逆に開き直って、ここまできたら自分のペースで進もうとすら思っている。
当然、こんな心境に至るまで相当もがいたし、必死だったし、無駄に色々傷ついたり、
発狂するほど怒ったり、相変わらず感情のアップダウンは激しかったけど、
激しかった故の今はとても穏やかだ。
結婚も仕事も決まったわけじゃない。
そういう意味では去年より危険度アップだ。
でも、自分への安心感?信頼感?これは何と表現するのがいいのかわからないけど、
そんなものがこの1年、もしくはこの35年すべてをかけて少しずつ手に入ってきた感じだ。
自分がこれから毎年どんな風に年を重ねていくのかわからないけど、
少なくとも今みたいに穏やかな気持ちで誕生日と新しい1年を迎えたいと心底思う。
明日の36歳の誕生日を心穏やかに迎えられるだけでも、本当に気持ちが良い。
そういう気分で迎えられるとわかるだけで、明日が楽しみなぐらいだ。
1年前の35歳の誕生日とは雲泥の差だ。
これまでの誕生日の中で35歳の誕生日が一番怖かった。
20代と34歳までのわたしは、あまり年齢を気にしない人だった。
周りが年を取るって嫌だ、と言っていた時も、わたしにはぴんと来てないことが多かった。
たしかに、体の方はあちこちこれまでとは違う症状や様相を呈する。
でも、それは元々予想の範疇にあることだったから、あまり気にならなかった。
痩せにくいとかは困ることでもあったけど、かと言って悩むほどのものでもなかった。
ところが、34歳から35歳になります、という頃になってわたしは急に35歳になるのが怖くなった。
35歳というと、いい大人だ。
もちろん34歳だっていい大人だけど、重みが全く違っていた。
35歳は明らかに重すぎた。
重すぎた理由のひとつに、結婚も仕事も何一つ「これだけは!」と言えるものを持っていなかった
ことも関係している。
あまりにも自分が過去に描いていた35歳とは大きくかけ離れ過ぎだった。
しかも、まさかの何も決まっていない生き方フラフラの自分、もう怖くならないわけがなかった。
だから35歳を迎える直前のわたしは、見事に恐怖におののいていた。
本当に、たったひとつの年を重ねることがこんなにも怖いと思ったことはなかった。
さてその35歳も今日で終わり、明日からは36歳になる。
社会の中での36歳は、ますます大人度が増す、当たり前だけど。
でも、もう1年前のように、戦々恐々とはしていない。
どんなにあがいても自分は自分、
そしてどんな自分でも自分の価値は変わらない、
そこが妙に腑に落ちて、36歳になることは怖くない。
逆に開き直って、ここまできたら自分のペースで進もうとすら思っている。
当然、こんな心境に至るまで相当もがいたし、必死だったし、無駄に色々傷ついたり、
発狂するほど怒ったり、相変わらず感情のアップダウンは激しかったけど、
激しかった故の今はとても穏やかだ。
結婚も仕事も決まったわけじゃない。
そういう意味では去年より危険度アップだ。
でも、自分への安心感?信頼感?これは何と表現するのがいいのかわからないけど、
そんなものがこの1年、もしくはこの35年すべてをかけて少しずつ手に入ってきた感じだ。
自分がこれから毎年どんな風に年を重ねていくのかわからないけど、
少なくとも今みたいに穏やかな気持ちで誕生日と新しい1年を迎えたいと心底思う。
ありのままの自分の価値
今日が35歳最後の日だ。
35歳の後半部分の半年は何もせずにいた。
いわゆるニートというやつだ。
だけど、この日々が今となってはとても大切な教えに変わり、
そして自分自身で長いこと悩んでいた「ありのままの自分の価値」の答えに辿りつく結果となった。
独身で彼氏もいない、仕事もしていない、要は社会的な役割がゼロになった。
妻でも彼女でもなく、成人しているけど社会人でもなく、とにかく名のつく役割がない時間だった。
もしかしたら羨ましいと思う人がいるかもしれない。
でも、私はもう一度この半年を繰り返したいなんて思わない。
役割がないというのは、今色んなことを感じられるようになったから良かったけど、
最初は色々戸惑ったし、精神的にしんどくなることも多かった。
特に、そういう状態を理解できない人と会うなり電話なりで話すと、
わたしの許容量では許容できない言葉の暴力と呼んでもいいだろう、そんなものも浴びた。
気にしなきゃいい、と今は素直に思えるけど、当時はそんな風には思えなかった。
本当にここ最近、ようやく「ありのまま」とは何かについて自分なりの明確な答えが出てきた。
「何かをしているから価値があって、何かをしていないから価値がない」
このような呪縛に長いこと縛られていた。
わたしは自分以外の誰かが何かをしていなくても何とも思わないのに、
いざ自分が何もしていないとなると、強烈に自分を責めた。
五体満足で、精神も病んでいない、介護とか育児とかまっとうな事情を抱えているわけでもない、
そんな35歳の人が働かないなんてどういうことだろう、と思った。
何の役割も持たない自分に罪悪感も感じていた。
自由からは程遠い精神状態がしばらく続いていた。
でも、今ははっきりと自分の中で言い切れる。
何かをしているから価値があるわけでもないし、
何かをしていないから価値がなくなるわけでもない。
そしてもっと言うと、どういう状態の自分であっても、自分自身の価値は何一つ変わらないと。
もしかしたら、周りの評価は変わるかもしれない。
でも、それはわたしの評価じゃない。
周りの評価や自分の思い込みであれこれ自分の価値が変わる、というのは絶対に違う。
自分であるということが、他の何にも代えられない価値なんだということが、
ようやくこの年齢になってわかった。
ありのままの自分でいい、と思えるようになると、これまでぐらぐらしていた軸の部分が、
一本の筋が通った感じになってきた。
今までいつも不安だった、このままでいいの?何をこれからもっとがんばったらいいの?
どこに向かったらいいの?
本や人から教えてもらった通りだった。
このままでいいし、何かをがんばる必要はない。
向かう先は、強いて言うなら、楽しいと思えること。
35歳の後半部分の半年は何もせずにいた。
いわゆるニートというやつだ。
だけど、この日々が今となってはとても大切な教えに変わり、
そして自分自身で長いこと悩んでいた「ありのままの自分の価値」の答えに辿りつく結果となった。
独身で彼氏もいない、仕事もしていない、要は社会的な役割がゼロになった。
妻でも彼女でもなく、成人しているけど社会人でもなく、とにかく名のつく役割がない時間だった。
もしかしたら羨ましいと思う人がいるかもしれない。
でも、私はもう一度この半年を繰り返したいなんて思わない。
役割がないというのは、今色んなことを感じられるようになったから良かったけど、
最初は色々戸惑ったし、精神的にしんどくなることも多かった。
特に、そういう状態を理解できない人と会うなり電話なりで話すと、
わたしの許容量では許容できない言葉の暴力と呼んでもいいだろう、そんなものも浴びた。
気にしなきゃいい、と今は素直に思えるけど、当時はそんな風には思えなかった。
本当にここ最近、ようやく「ありのまま」とは何かについて自分なりの明確な答えが出てきた。
「何かをしているから価値があって、何かをしていないから価値がない」
このような呪縛に長いこと縛られていた。
わたしは自分以外の誰かが何かをしていなくても何とも思わないのに、
いざ自分が何もしていないとなると、強烈に自分を責めた。
五体満足で、精神も病んでいない、介護とか育児とかまっとうな事情を抱えているわけでもない、
そんな35歳の人が働かないなんてどういうことだろう、と思った。
何の役割も持たない自分に罪悪感も感じていた。
自由からは程遠い精神状態がしばらく続いていた。
でも、今ははっきりと自分の中で言い切れる。
何かをしているから価値があるわけでもないし、
何かをしていないから価値がなくなるわけでもない。
そしてもっと言うと、どういう状態の自分であっても、自分自身の価値は何一つ変わらないと。
もしかしたら、周りの評価は変わるかもしれない。
でも、それはわたしの評価じゃない。
周りの評価や自分の思い込みであれこれ自分の価値が変わる、というのは絶対に違う。
自分であるということが、他の何にも代えられない価値なんだということが、
ようやくこの年齢になってわかった。
ありのままの自分でいい、と思えるようになると、これまでぐらぐらしていた軸の部分が、
一本の筋が通った感じになってきた。
今までいつも不安だった、このままでいいの?何をこれからもっとがんばったらいいの?
どこに向かったらいいの?
本や人から教えてもらった通りだった。
このままでいいし、何かをがんばる必要はない。
向かう先は、強いて言うなら、楽しいと思えること。
2015年3月9日月曜日
「分かち合い」の人
「分かち合い」何度となく耳にする言葉だ。
子どもの時なんかは、親も先生もこぞって使うような言葉。
これをどんな風に捉えるのか人それぞれだと思うけど、最近色々な大人の人たちのやり方を
目にして、これは自分もまねしたいと思ったことがある。
この1年位かと思う。
「自分の持っている情報をとことん外に発信する」
そういう粋なことをしてくれる大人たちの姿を見るようになった。
自分も立派な大人ではあるけれど、「この人を手本にしたい!」というタイプの人に
ここ数年出会っていなかった。
そもそもどんな人を手本にしたいのかも不明瞭だったから、素敵な人たちに出会っても
なかなか自分の中でイコールで結ばれる線が割り出せずにいた。
さらに付け足すと、その前というのは立て続けと言ってもいい位、
「情報に値段をつけて売りつけてくる人」というのに会っていた。
2年3年前だろうか、そういう人たちがどばっと周囲に増えた。
友達にはいなくても、「知人」とか「友達未満」の間柄の人たちから、
なぜか情報を売るために宣伝されるとは知らずに、誘われてお茶なりご飯なりに行くと、
そんな話ばかりでうんざりし、心底軽蔑しながら距離を置くように努めた。
当時は不愉快極まりなかったけど、今となってはその次に大切なものを受け取るための
準備段階だったと思う。
そういう人たちから離れ、しばらくは旧知の仲の人たちとだけ会う期間が続いた。
そうこうしているうちに、今度は自分の持っているものをどんどん発信していくタイプの人を
最初は本から、次はネットから、そして今は目の前の旧来の仲の人たちから、そういう姿勢を
見せてもらい感化されている最中だ。
惜しみなく情報を出している、そこには変な計算や意図もない。
良いものはどんどん人に広めよう、伝えていこう、その姿勢だけがある。
こういうことを「分かち合い」というのではないかと、今この年齢になって気付きだしている。
結局自分のところだけに何かの情報を確保していても仕方ない。
あるものを発信する、もしかしたらそれが誰かの役に立つこともある。
役立たなくても、それはそれでいい。
とにかく発信し続けることが大切なような気がする。
そして、目の前の人がとっておきの情報をわたしに伝えてくれる時、相手はとても嬉しそうだ。
楽しそうでもあり、嬉しそうでもあり、何とも言えない喜びの表情を浮かべている。
その人間性に一目惚れするくらいに素敵だ。
「分かち合い」を少しずつ実践していく段階に来ているのかな・・・と思っている。
子どもの時なんかは、親も先生もこぞって使うような言葉。
これをどんな風に捉えるのか人それぞれだと思うけど、最近色々な大人の人たちのやり方を
目にして、これは自分もまねしたいと思ったことがある。
この1年位かと思う。
「自分の持っている情報をとことん外に発信する」
そういう粋なことをしてくれる大人たちの姿を見るようになった。
自分も立派な大人ではあるけれど、「この人を手本にしたい!」というタイプの人に
ここ数年出会っていなかった。
そもそもどんな人を手本にしたいのかも不明瞭だったから、素敵な人たちに出会っても
なかなか自分の中でイコールで結ばれる線が割り出せずにいた。
さらに付け足すと、その前というのは立て続けと言ってもいい位、
「情報に値段をつけて売りつけてくる人」というのに会っていた。
2年3年前だろうか、そういう人たちがどばっと周囲に増えた。
友達にはいなくても、「知人」とか「友達未満」の間柄の人たちから、
なぜか情報を売るために宣伝されるとは知らずに、誘われてお茶なりご飯なりに行くと、
そんな話ばかりでうんざりし、心底軽蔑しながら距離を置くように努めた。
当時は不愉快極まりなかったけど、今となってはその次に大切なものを受け取るための
準備段階だったと思う。
そういう人たちから離れ、しばらくは旧知の仲の人たちとだけ会う期間が続いた。
そうこうしているうちに、今度は自分の持っているものをどんどん発信していくタイプの人を
最初は本から、次はネットから、そして今は目の前の旧来の仲の人たちから、そういう姿勢を
見せてもらい感化されている最中だ。
惜しみなく情報を出している、そこには変な計算や意図もない。
良いものはどんどん人に広めよう、伝えていこう、その姿勢だけがある。
こういうことを「分かち合い」というのではないかと、今この年齢になって気付きだしている。
結局自分のところだけに何かの情報を確保していても仕方ない。
あるものを発信する、もしかしたらそれが誰かの役に立つこともある。
役立たなくても、それはそれでいい。
とにかく発信し続けることが大切なような気がする。
そして、目の前の人がとっておきの情報をわたしに伝えてくれる時、相手はとても嬉しそうだ。
楽しそうでもあり、嬉しそうでもあり、何とも言えない喜びの表情を浮かべている。
その人間性に一目惚れするくらいに素敵だ。
「分かち合い」を少しずつ実践していく段階に来ているのかな・・・と思っている。
2015年3月8日日曜日
そっとしておくこと
コーチングの個人セッションを受けていた時のコーチに数ヶ月ぶりに会った。
内容が盛り沢山ですごく楽しかったのはもちろんのこと、
コーチの当時の気遣いに改めて感謝した。
本当の本当に感謝した。
2010年~2012年にかけて2年弱個人セッションを毎月受けていた。
自分の気持ちを整えたり、吐きだしたり、または全然関係ない話をしていたのに、
いつも気付くと目の前にあった問題がいつの間にか解決していた。
どんなマジックかと毎回不思議でならなかった。
コーチのことは当時からものすごく信頼していた。
それでも、2年弱受けた中で、わたしが唯一避けて取り扱わないテーマがあった。
ものすごく意図的に避けてはいたけれど、とにかく一言も触れられなかった。
今だからわかるけど、強烈過ぎて触れられなかった。
過去の痛みをもう一度えぐり返すなんてできなかった。
それがその当時の色んな問題とも繋がっているとは薄々勘付いてはいたけれど、
もうそれでもいいから触れたくないぐらいのものだった。
それをほじくり返して話そうとは一度も思わなかったし、結局最後まで触れずに終わった。
今日会った時に、コーチから当時「あ、ぶっしーの中の大切な軸はこの中にある」
とわかった瞬間の話を聞かせてくれた。
それはわたしが一度も触れなかったテーマ、ずばりそのものだった。
あぁ気付いていたんだとわかったのと同時に、そこに一度も土足で踏み込むことなく、
いつもそっとしておいてくれたことに心から感謝した。
あれから2年3年と経過して、わたしの中で触れてこなかったものが少しずつ出せるようになった。
今は個人セッションは受けてないけれど、自分の中でそれを出してそこに自分で寄り添えるように
なってきた。
なんだろう、何でも話して何でも解決すればいいというものじゃない。
心の準備がある。
その心の準備期間を黙って見守る、それも気付いていても黙り通す、
そんな風にしてくれてたとは、今日の今日まで知らずにいた。
このコーチからは本当に色んなことを学んだ。
個人の人が抱えているものは、本人が口にしない限りわかり得ない。
仮に口にしたとしても、それがどの程度のものなのか、それは計り知れない。
その線引きのラインをコーチの方から超えてくることは一度もなかった。
そっとしておく、というのは存外難しい。
特に、気付いていてそれでも相手をそっとしておくというのは、ついつい余計なお節介を焼きたく
なる間柄であればあるほど、難しい。
そっとしておく、というのはある意味最大の心配りかもしれないと思う。
内容が盛り沢山ですごく楽しかったのはもちろんのこと、
コーチの当時の気遣いに改めて感謝した。
本当の本当に感謝した。
2010年~2012年にかけて2年弱個人セッションを毎月受けていた。
自分の気持ちを整えたり、吐きだしたり、または全然関係ない話をしていたのに、
いつも気付くと目の前にあった問題がいつの間にか解決していた。
どんなマジックかと毎回不思議でならなかった。
コーチのことは当時からものすごく信頼していた。
それでも、2年弱受けた中で、わたしが唯一避けて取り扱わないテーマがあった。
ものすごく意図的に避けてはいたけれど、とにかく一言も触れられなかった。
今だからわかるけど、強烈過ぎて触れられなかった。
過去の痛みをもう一度えぐり返すなんてできなかった。
それがその当時の色んな問題とも繋がっているとは薄々勘付いてはいたけれど、
もうそれでもいいから触れたくないぐらいのものだった。
それをほじくり返して話そうとは一度も思わなかったし、結局最後まで触れずに終わった。
今日会った時に、コーチから当時「あ、ぶっしーの中の大切な軸はこの中にある」
とわかった瞬間の話を聞かせてくれた。
それはわたしが一度も触れなかったテーマ、ずばりそのものだった。
あぁ気付いていたんだとわかったのと同時に、そこに一度も土足で踏み込むことなく、
いつもそっとしておいてくれたことに心から感謝した。
あれから2年3年と経過して、わたしの中で触れてこなかったものが少しずつ出せるようになった。
今は個人セッションは受けてないけれど、自分の中でそれを出してそこに自分で寄り添えるように
なってきた。
なんだろう、何でも話して何でも解決すればいいというものじゃない。
心の準備がある。
その心の準備期間を黙って見守る、それも気付いていても黙り通す、
そんな風にしてくれてたとは、今日の今日まで知らずにいた。
このコーチからは本当に色んなことを学んだ。
個人の人が抱えているものは、本人が口にしない限りわかり得ない。
仮に口にしたとしても、それがどの程度のものなのか、それは計り知れない。
その線引きのラインをコーチの方から超えてくることは一度もなかった。
そっとしておく、というのは存外難しい。
特に、気付いていてそれでも相手をそっとしておくというのは、ついつい余計なお節介を焼きたく
なる間柄であればあるほど、難しい。
そっとしておく、というのはある意味最大の心配りかもしれないと思う。
2015年3月7日土曜日
人にお願いする
「人にお願いする」
この行為がわたしはとてつもなく苦手だ。
すごく困っていても、がんばらなくていいのに、変に頑張ってしまう。
この場合の頑張るは、本当に「頑なに(意地を)張る」という意味での頑張るだ。
物事をさらりと他の人に頼める人というのがとても羨ましかった。
ところが、今回はちょっと違う。
今水面下でちょいちょいと動き出してる。
腹を据えて覚悟して、それで決断したことに向かって動いている。
当然1人の力ではできないことがたくさん出てくる。
多分これまでだったら「人に頼まない」方法を何とか編み出して、それで何とかしていた。
でも今回はそんな悠長なことを言っている場合でもない。
それでわたしは今回何人かの人に事情を伝えて、それで頼みごとをした。
相手が引き受けてくれるかどうかはわたしの采配では決められない。
でも少なくとも、「相手にお願いする」の部分はわたしにもできること。
もちろん人選はしたけれど、とにかく何人かの人にお願いすることを実際に行動に移した。
すでに2人は、二つ返事でそれぞれの頼まれごとを快く引き受けてくれた。
ほっとすると同時に、「人にお願いする」のハードルが少し低くなってきた。
今していることがどんな風に形になっていくかは未知数だ。
当然失敗する可能性もある。
でも、たとえ失敗したとしても、わたしはこの一連の色んなプロセスの中で
自分自身がこれまでにしてこなかった、もしくは避けてきたことを色々と体験することになるだろう。
それだけでも十分な気さえする。
失敗しても大丈夫と思うと、すべてのハードルが下げられる。
そして、少しずつ小さな行動をたくさんできるようになってきてる気がする。
この行為がわたしはとてつもなく苦手だ。
すごく困っていても、がんばらなくていいのに、変に頑張ってしまう。
この場合の頑張るは、本当に「頑なに(意地を)張る」という意味での頑張るだ。
物事をさらりと他の人に頼める人というのがとても羨ましかった。
ところが、今回はちょっと違う。
今水面下でちょいちょいと動き出してる。
腹を据えて覚悟して、それで決断したことに向かって動いている。
当然1人の力ではできないことがたくさん出てくる。
多分これまでだったら「人に頼まない」方法を何とか編み出して、それで何とかしていた。
でも今回はそんな悠長なことを言っている場合でもない。
それでわたしは今回何人かの人に事情を伝えて、それで頼みごとをした。
相手が引き受けてくれるかどうかはわたしの采配では決められない。
でも少なくとも、「相手にお願いする」の部分はわたしにもできること。
もちろん人選はしたけれど、とにかく何人かの人にお願いすることを実際に行動に移した。
すでに2人は、二つ返事でそれぞれの頼まれごとを快く引き受けてくれた。
ほっとすると同時に、「人にお願いする」のハードルが少し低くなってきた。
今していることがどんな風に形になっていくかは未知数だ。
当然失敗する可能性もある。
でも、たとえ失敗したとしても、わたしはこの一連の色んなプロセスの中で
自分自身がこれまでにしてこなかった、もしくは避けてきたことを色々と体験することになるだろう。
それだけでも十分な気さえする。
失敗しても大丈夫と思うと、すべてのハードルが下げられる。
そして、少しずつ小さな行動をたくさんできるようになってきてる気がする。
2015年3月6日金曜日
繋がるもの②
『繋がるもの』を書いて半日経過。
今日またさらなる繋がるものが発生してびっくりしている。
さかのぼること1週間前。
数年来の友達から電話が来た。
電話が来たけど、その時ちょうど出れず、翌日メールだけ出した。
何の用事でかけてきたのかわからないし、気まぐれ?でかけてきただけかもだし。
ということでそのままメールだけ出して終わっていた。
返事もないから、あまり大切な用事ではなかったのかなと片付けていた。
それでさっきもう一度電話が来た。
わたしが出したメールは知らなかったらしい。
巨乳お姉さんの広告メールがばんばんくるから、メールを開けてないと言われた。
報告の方はとてもおめでたいもので、赤ちゃんが生まれたとのこと。
だけど本当の用事はそれじゃなくて別の用事と言われた。
ホームページやブログなんかでよく出てくる「→次へ」なんかのアイコンの作り方だった。
そんなのわたしが知るわけないじゃんと返した。
それで話をしていくうちに、これまたすごいタイムリーで昨日の夕方わたしが手にしたばかりの
無料版のホームページを作る情報が大いに役立った。
実はそれも試したけど、そもそもエラーが出て使えたなかったと言う。
どう考えてもわたしの方がパソコンの知識がないのにそれでも開けたということは、
開けないわけがない、とにかく開いて!の一点張りで詰め寄ったら開いた!と電話の向こうから
声がする。
お互いにゼロから作る。
何百キロと離れている土地で、それぞれがそれぞれのものを形にしていく。
すごい心強い。
昨日その作業を3時間ほどしたのだけど、パソコンをうまく操作できない人には非常に難しく、
本当にくじけそうだった。
自分のためとは言え、道のりがとてつもなく長く見える。
でも、全然別の場所で友達も同じように1からすべて作っていく、わからなければお互いに
フォローし合おうと約束して、本当にそれだけでどれだけの力をもらえたか。
心細さ満載の作業だけど、心もとないとも言える作業だけど、
それでも一緒に進もうとしている人がいるのって、本当に本当にすごいことだ。
前回タイミング悪くて電話に出れなかったことも今となっては良かった。
あの時では、今わたしが持ってる情報はなかったし、何の役にも立てなかったし、
ましてや友達がホームページ作りをしてることも知らなかった。
友達もまだ作業に取り掛かってほんの数日とのことだった。
先週ではわたしの方がまだそんな段階にはまったくなかったわけで、今のようなお互いに
フォローしようなんていう風にはならなかっただろう。
馬鹿みたいに、わたしは今もう一心にこういうタイミングを信じてる。
自分ではどうにもならないことが、何だか知らないけどタイミングを合わせてくれてる。
すっごい自信なくてすっごい不安ですっごい心配で、
何度も何度も挫折しかかってるけど、それでも進めるような後押しがくる。
数年前、出会った時にこんな風に未来が繋がっていくなんて想像すらできなかった。
今は離れてるからもう何年も会ってない。
連絡だって1年に一度あるかないかだ。
だけど、どんぴしゃのタイミングで繋がっていく。
これを信じて進むしかないんだと(小さく)思いながらまた今日も作業をする。
今日またさらなる繋がるものが発生してびっくりしている。
さかのぼること1週間前。
数年来の友達から電話が来た。
電話が来たけど、その時ちょうど出れず、翌日メールだけ出した。
何の用事でかけてきたのかわからないし、気まぐれ?でかけてきただけかもだし。
ということでそのままメールだけ出して終わっていた。
返事もないから、あまり大切な用事ではなかったのかなと片付けていた。
それでさっきもう一度電話が来た。
わたしが出したメールは知らなかったらしい。
巨乳お姉さんの広告メールがばんばんくるから、メールを開けてないと言われた。
報告の方はとてもおめでたいもので、赤ちゃんが生まれたとのこと。
だけど本当の用事はそれじゃなくて別の用事と言われた。
ホームページやブログなんかでよく出てくる「→次へ」なんかのアイコンの作り方だった。
そんなのわたしが知るわけないじゃんと返した。
それで話をしていくうちに、これまたすごいタイムリーで昨日の夕方わたしが手にしたばかりの
無料版のホームページを作る情報が大いに役立った。
実はそれも試したけど、そもそもエラーが出て使えたなかったと言う。
どう考えてもわたしの方がパソコンの知識がないのにそれでも開けたということは、
開けないわけがない、とにかく開いて!の一点張りで詰め寄ったら開いた!と電話の向こうから
声がする。
お互いにゼロから作る。
何百キロと離れている土地で、それぞれがそれぞれのものを形にしていく。
すごい心強い。
昨日その作業を3時間ほどしたのだけど、パソコンをうまく操作できない人には非常に難しく、
本当にくじけそうだった。
自分のためとは言え、道のりがとてつもなく長く見える。
でも、全然別の場所で友達も同じように1からすべて作っていく、わからなければお互いに
フォローし合おうと約束して、本当にそれだけでどれだけの力をもらえたか。
心細さ満載の作業だけど、心もとないとも言える作業だけど、
それでも一緒に進もうとしている人がいるのって、本当に本当にすごいことだ。
前回タイミング悪くて電話に出れなかったことも今となっては良かった。
あの時では、今わたしが持ってる情報はなかったし、何の役にも立てなかったし、
ましてや友達がホームページ作りをしてることも知らなかった。
友達もまだ作業に取り掛かってほんの数日とのことだった。
先週ではわたしの方がまだそんな段階にはまったくなかったわけで、今のようなお互いに
フォローしようなんていう風にはならなかっただろう。
馬鹿みたいに、わたしは今もう一心にこういうタイミングを信じてる。
自分ではどうにもならないことが、何だか知らないけどタイミングを合わせてくれてる。
すっごい自信なくてすっごい不安ですっごい心配で、
何度も何度も挫折しかかってるけど、それでも進めるような後押しがくる。
数年前、出会った時にこんな風に未来が繋がっていくなんて想像すらできなかった。
今は離れてるからもう何年も会ってない。
連絡だって1年に一度あるかないかだ。
だけど、どんぴしゃのタイミングで繋がっていく。
これを信じて進むしかないんだと(小さく)思いながらまた今日も作業をする。
2015年3月5日木曜日
繋がるもの
点と点だったものが少しずつ繋がっている。
点は一瞬。
また関係ない点も一瞬。
昨日まで点は、まったくばらばらの物たちだった。
Aという点も、Bという点も、CもDも・・・、とにかく全部ばらばら。
ばらばらでも全然困らなかったし、気にもならなかった。
ただ、水面下で、わたしに気付かれないように点と点は繋がろうとしていた。
2月に毎日綴ったブログ。
ブログの機能が使いこなせず途方に暮れながら孤軍奮闘していた時間。
そんな矢先に出会ったブログ。
新しい情報。
1年以上前の飲み会。
3年前になるかと思われる人との出会い。
その間の日々の悩みに大きな迷い。
とにかく全部がばらばらのパズルのピースのようだった。
確実にばらばらのピースでしかなかった。
今だってばらばらだ。
だけど、ピースが少しずつ繋がりだした。
えぇ、これがここと繋がるの!?という感じに繋がり始めた。
それに伴い、体が痛くなり出した。
これまで体験したことのない背中の痛みだ。
最初痛くなりだした時はぎょっとしたけど、多分これはもう古いものを手放しなさい、
古いものにしがみついていても仕方ないでしょ?というサインのような気がしている。
全身全霊で、変化に向けての準備が始まっているようだ。
わからないし不安なことは山ほどある。
このままでいいのか?と思うことも当然ある。
でも、今自分の元に集まっているパズルのピースだけでもう十分動けるというところまで来ている
ようにも感じている。
怖いものも不安なものもあるけれど、GOなんだと思う。
「オーリング」と呼ばれる嘘発見器のようなテストがある。
その使い方はいまいちわからないけど、手順はこんな感じ。
親指と薬指でわっかを作って、今知りたいことの質問文を自分で読み上げて、
自分以外の第三者にそのわっかを外させる。
わっかが外れなければ答えはYES。
わっかが外れたら答えはNO。
私は絶対に外れると思いながら質問を読み上げた。
なんと外れなかった。
うそでしょ!?と思った。
自分で外れると思ってたのに、外れない。
指はくっついたままだ。
質問だってわたしが考えたわけじゃない。
話を聞いてくれた人が作ってくれた質問だ。
しかもその人からオーリングやってみようと提案された。
まじで!?冗談でしょ!?と思ったけど、もう自分の気持ちはそちらに向かっているらしい。
他人事みたいだけど、ほんとそんな気持ちでいっぱいだった。
ということで、これからは毎日目の前のことをひとつずつ形にする作業をする。
今日もあっという間に3時間ほど過ぎ去った。
これまでとは全然違う時間の流れ方にびっくりした。
とにかく1つ1つ繋げていこう。
点は一瞬。
また関係ない点も一瞬。
昨日まで点は、まったくばらばらの物たちだった。
Aという点も、Bという点も、CもDも・・・、とにかく全部ばらばら。
ばらばらでも全然困らなかったし、気にもならなかった。
ただ、水面下で、わたしに気付かれないように点と点は繋がろうとしていた。
2月に毎日綴ったブログ。
ブログの機能が使いこなせず途方に暮れながら孤軍奮闘していた時間。
そんな矢先に出会ったブログ。
新しい情報。
1年以上前の飲み会。
3年前になるかと思われる人との出会い。
その間の日々の悩みに大きな迷い。
とにかく全部がばらばらのパズルのピースのようだった。
確実にばらばらのピースでしかなかった。
今だってばらばらだ。
だけど、ピースが少しずつ繋がりだした。
えぇ、これがここと繋がるの!?という感じに繋がり始めた。
それに伴い、体が痛くなり出した。
これまで体験したことのない背中の痛みだ。
最初痛くなりだした時はぎょっとしたけど、多分これはもう古いものを手放しなさい、
古いものにしがみついていても仕方ないでしょ?というサインのような気がしている。
全身全霊で、変化に向けての準備が始まっているようだ。
わからないし不安なことは山ほどある。
このままでいいのか?と思うことも当然ある。
でも、今自分の元に集まっているパズルのピースだけでもう十分動けるというところまで来ている
ようにも感じている。
怖いものも不安なものもあるけれど、GOなんだと思う。
「オーリング」と呼ばれる嘘発見器のようなテストがある。
その使い方はいまいちわからないけど、手順はこんな感じ。
親指と薬指でわっかを作って、今知りたいことの質問文を自分で読み上げて、
自分以外の第三者にそのわっかを外させる。
わっかが外れなければ答えはYES。
わっかが外れたら答えはNO。
私は絶対に外れると思いながら質問を読み上げた。
なんと外れなかった。
うそでしょ!?と思った。
自分で外れると思ってたのに、外れない。
指はくっついたままだ。
質問だってわたしが考えたわけじゃない。
話を聞いてくれた人が作ってくれた質問だ。
しかもその人からオーリングやってみようと提案された。
まじで!?冗談でしょ!?と思ったけど、もう自分の気持ちはそちらに向かっているらしい。
他人事みたいだけど、ほんとそんな気持ちでいっぱいだった。
ということで、これからは毎日目の前のことをひとつずつ形にする作業をする。
今日もあっという間に3時間ほど過ぎ去った。
これまでとは全然違う時間の流れ方にびっくりした。
とにかく1つ1つ繋げていこう。
2015年3月4日水曜日
買えない風景
朝、わたしは友達の家から仕事に向かった。
3人で寝泊まりした朝。
ひとりは、これから1時間後に控えている人生の修羅場を前に眠い頭の中を総動員させている。
この家の主だけど、わたしともう一人の友達をかまっている余裕はなさそうだった。
遠方から来た友達の方は、
朝早く起きる理由なんてひとつもないからまだまだ眠っていられたのに、
わたしのがさごそする音や「行きたくない」という愚痴に付き合わされて起きた形だ。
もう行かないとやばい。という時間になってようやくその場をあとにしようとしたところ。
家主でもない友達が、玄関までわたしを見送ってくれた。
その時は、布団からぬくっと起き出して、
わたしがドアを開けて廊下を歩くうしろから一緒に歩いてくれて
眠そうな顔をしながらも見送ってくれた。
ぼさぼさの頭と、
運転と飲みと長距離移動で疲れた顔と、
でもそんなことおかまいなしに、
とても自然に見送る姿。
わたしは、その後10時間仕事に拘束されるのだけど、
その10時間のあいだ、何度朝の見送りの風景を思い出したかわからない。
上の文章は、2013年の12月24日の日付でずっと一時保存してあった記事だ。
保存箱を整理したら出てきた。
読んでびっくりした。
1年以上前のことなのに、読んでいて昨日のことのように思い出した。
そこに出てくる友達が誰と誰で、場所はどこで、そしてあの朝の見送りの風景、
全部全部覚えてる。
時間にして1分にも満たない朝の見送り風景が、さぁーっとよみがえる。
クレジットカードのCMで「プライスレス」という言葉が出てきたものがあったけど、
こういう瞬間こそプライスレスだ。
もうその時にしか存在しなくて、しかも何か脚本があるわけでもなく、その時その場に居合わせた
人たちが思い思いに動いた結果織りなされたドラマだ。
「買えない風景」というタイトルも、当時付けたもの。
1億円積んでも買えない風景がそこにはあった。
買えない風景、元気がない時のエネルギーチャージにぴったりな薬だ。
前々日の夜、共通の友達が、時速100キロ出したら怖い!!という車を300キロほど走らせて名古屋に遊びにきてくれ、
その翌日、仮病を理由に仕事を欠勤し遊びに飲みにいそしみ、
さすがに2日も休めず次の日は仕事に出た朝だ。
3人で寝泊まりした朝。
ひとりは、これから1時間後に控えている人生の修羅場を前に眠い頭の中を総動員させている。
この家の主だけど、わたしともう一人の友達をかまっている余裕はなさそうだった。
遠方から来た友達の方は、
朝早く起きる理由なんてひとつもないからまだまだ眠っていられたのに、
わたしのがさごそする音や「行きたくない」という愚痴に付き合わされて起きた形だ。
もう行かないとやばい。という時間になってようやくその場をあとにしようとしたところ。
家主でもない友達が、玄関までわたしを見送ってくれた。
その時は、布団からぬくっと起き出して、
わたしがドアを開けて廊下を歩くうしろから一緒に歩いてくれて
眠そうな顔をしながらも見送ってくれた。
ぼさぼさの頭と、
運転と飲みと長距離移動で疲れた顔と、
でもそんなことおかまいなしに、
とても自然に見送る姿。
わたしは、その後10時間仕事に拘束されるのだけど、
その10時間のあいだ、何度朝の見送りの風景を思い出したかわからない。
上の文章は、2013年の12月24日の日付でずっと一時保存してあった記事だ。
保存箱を整理したら出てきた。
読んでびっくりした。
1年以上前のことなのに、読んでいて昨日のことのように思い出した。
そこに出てくる友達が誰と誰で、場所はどこで、そしてあの朝の見送りの風景、
全部全部覚えてる。
時間にして1分にも満たない朝の見送り風景が、さぁーっとよみがえる。
クレジットカードのCMで「プライスレス」という言葉が出てきたものがあったけど、
こういう瞬間こそプライスレスだ。
もうその時にしか存在しなくて、しかも何か脚本があるわけでもなく、その時その場に居合わせた
人たちが思い思いに動いた結果織りなされたドラマだ。
「買えない風景」というタイトルも、当時付けたもの。
1億円積んでも買えない風景がそこにはあった。
買えない風景、元気がない時のエネルギーチャージにぴったりな薬だ。
2015年3月3日火曜日
さじ加減
最近、過去にやってきたことを振り返っている。
実際の職業とか業績とかではなく、やっていたことのその根底にあるものが何だったのか、
それを探っている。
その中で、今日注目したのは学習塾で働いていた時のこと。
たかが2年半という中で、数百人の小中学生を見たかと思う。
最初から最後までの付き合いの子もいれば、1回きりという子もゼロではなかったし、
ざっと見積もっても200人近い子どもを長期的に見たと思う。
中には同じクラスの子なんていうのも何人かいたし、双子ちゃんや兄弟もいた。
成績もオール1~オール5まで様々な子どもたちだった。
発達障害の子もいたし、不登校の子もいた。
昔で言うヤンキーみたいな子も、寡黙でほとんどしゃべらない子もいた。
学校の縮小版と言わんばかりに色んな子どもたちが来る場所だった。
一斉指導ではなく、1人1人の子どもの現状に合わせて、やることをその日その日で決める
やり方だった。
表面上は塾だったけど、実際にやっていたことは塾とはちょっと違っていたかなと思う。
例えば一卵性の双子でも、たしかに似ているけれど違う。
その違いはきちんと見ていないとあまりにも小さすぎるけど、
でも違う人間なんだということが見ているとわかる。
誉める時も叱る時もそれぞれに合わせていた。
双子だからおんなじね、ということではなかった。
ヤンキーな子と静かな子、わたしは1人だけどそれぞれ違う対応だった。
挨拶はみんな同じようにしたけれど、それ以外の部分は十人十色だった。
すべて微妙な「さじ加減」で回していた。
そう、あの時にわたしがひたすら観察して見ていたものは、そのさじ加減を決めるための
自分なりの理解の仕方だったのではないかと思う。
ぴしゃりと言い放った方が動く子もいれば、反対に誉めまくっておだてて木に登らせるタイプもあり、
でもそれはよく見ていないとわからない。
しかも、毎回同じじゃない。
同じ子でもその日その時の気分というものがあるから、それも見ながらさて今日のさじ加減は・・・
なんてやっていたように思う。
勉強自体が全然好きではない、そして会社からの命令でやる営業活動は大嫌いだったけど、
1人1人の違いや、その時々で変わるさじ加減の仕方なんかは面白くて好きだったなぁと思う。
そしてこのさじ加減は何も仕事だけじゃなくて、色んな場面で役立つものだったと思う。
あの時は無我夢中でそんなこと考えたりもしなかったけど、今となっては非常に貴重な体験を
させてもらえてたんだと気付く。
実際の職業とか業績とかではなく、やっていたことのその根底にあるものが何だったのか、
それを探っている。
その中で、今日注目したのは学習塾で働いていた時のこと。
たかが2年半という中で、数百人の小中学生を見たかと思う。
最初から最後までの付き合いの子もいれば、1回きりという子もゼロではなかったし、
ざっと見積もっても200人近い子どもを長期的に見たと思う。
中には同じクラスの子なんていうのも何人かいたし、双子ちゃんや兄弟もいた。
成績もオール1~オール5まで様々な子どもたちだった。
発達障害の子もいたし、不登校の子もいた。
昔で言うヤンキーみたいな子も、寡黙でほとんどしゃべらない子もいた。
学校の縮小版と言わんばかりに色んな子どもたちが来る場所だった。
一斉指導ではなく、1人1人の子どもの現状に合わせて、やることをその日その日で決める
やり方だった。
表面上は塾だったけど、実際にやっていたことは塾とはちょっと違っていたかなと思う。
例えば一卵性の双子でも、たしかに似ているけれど違う。
その違いはきちんと見ていないとあまりにも小さすぎるけど、
でも違う人間なんだということが見ているとわかる。
誉める時も叱る時もそれぞれに合わせていた。
双子だからおんなじね、ということではなかった。
ヤンキーな子と静かな子、わたしは1人だけどそれぞれ違う対応だった。
挨拶はみんな同じようにしたけれど、それ以外の部分は十人十色だった。
すべて微妙な「さじ加減」で回していた。
そう、あの時にわたしがひたすら観察して見ていたものは、そのさじ加減を決めるための
自分なりの理解の仕方だったのではないかと思う。
ぴしゃりと言い放った方が動く子もいれば、反対に誉めまくっておだてて木に登らせるタイプもあり、
でもそれはよく見ていないとわからない。
しかも、毎回同じじゃない。
同じ子でもその日その時の気分というものがあるから、それも見ながらさて今日のさじ加減は・・・
なんてやっていたように思う。
勉強自体が全然好きではない、そして会社からの命令でやる営業活動は大嫌いだったけど、
1人1人の違いや、その時々で変わるさじ加減の仕方なんかは面白くて好きだったなぁと思う。
そしてこのさじ加減は何も仕事だけじゃなくて、色んな場面で役立つものだったと思う。
あの時は無我夢中でそんなこと考えたりもしなかったけど、今となっては非常に貴重な体験を
させてもらえてたんだと気付く。
2015年3月2日月曜日
習慣のすごさ
もう2月は終わったからブログについては毎日アップしなくてもいい、ということには一応なってる。
別に誰との約束でもないから、自分の中ではそういう取り決めにしてある。
だけど、4週間も毎日せっせと書いていると、それが習慣となり、気付くと何書こうかなと考え、
気付くともうそれが文章として頭の中にさっと出てくる。
いつの間にか習慣として定着し、とりあえず今日もこうして書いてみる。
改めて書くことの偉大さを知る。
どんなタイプの書くもそうだけど、書くと頭の中の色んなことが整理される。
そして書くこと以上に、習慣の偉大さも知る。
毎日ちょっとした繰り返しでも、それを毎日続けるといつの間にか体はその習慣を覚える。
頭はその習慣を実行する時間を生み出そうとする。
不思議な回路だと思う。
本当に、せっかく生み出されたわたしの数少ない好ましい習慣なので、
これを本当に使いたいところに応用させたいと思う。
今新しいことに手を出そうとしているけれど、それをある程度定着させるのにどの位自分の気力が
必要なのか推し測っている。
いや、実際はなかなか定着せず・・・どころかまず一歩すらがでかすぎて、
その一歩をさらに10歩ぐらいに分けないと手をつけそうにもないから、
もうそんな低レベルなところから着手しないと・・・という感じだ。
これだけ毎日やれたんだから、新しいことだっていけるでしょ!と思ってはみたものの、
そんなに甘くはなかった。
もう筋金入りのぎりぎりまでやらない症候群だ。
子どもの頃の夏休みの宿題だけではない。
大人になってからも、何かとぎりぎりセーフで物事を片付けるのは相変わらずだ。
そんな人が、ひとつ好ましい習慣を習得できたからと言って、それをまた別のものにも応用!
なんていうのはそう簡単ではない、ということがよくわかった。
ここでぶつくさ文句を垂れていてもこれまたどうしようもないので、
その細かく分けた10歩のうちの1歩をこれからやってみようかな・・・???というところ。
新しい習慣は、本当に習慣として定着したら、どんな風にやったのか堂々と胸を張って
発表したいと思う。
思う前にまずは行動、行動・・・(汗)。
別に誰との約束でもないから、自分の中ではそういう取り決めにしてある。
だけど、4週間も毎日せっせと書いていると、それが習慣となり、気付くと何書こうかなと考え、
気付くともうそれが文章として頭の中にさっと出てくる。
いつの間にか習慣として定着し、とりあえず今日もこうして書いてみる。
改めて書くことの偉大さを知る。
どんなタイプの書くもそうだけど、書くと頭の中の色んなことが整理される。
そして書くこと以上に、習慣の偉大さも知る。
毎日ちょっとした繰り返しでも、それを毎日続けるといつの間にか体はその習慣を覚える。
頭はその習慣を実行する時間を生み出そうとする。
不思議な回路だと思う。
本当に、せっかく生み出されたわたしの数少ない好ましい習慣なので、
これを本当に使いたいところに応用させたいと思う。
今新しいことに手を出そうとしているけれど、それをある程度定着させるのにどの位自分の気力が
必要なのか推し測っている。
いや、実際はなかなか定着せず・・・どころかまず一歩すらがでかすぎて、
その一歩をさらに10歩ぐらいに分けないと手をつけそうにもないから、
もうそんな低レベルなところから着手しないと・・・という感じだ。
これだけ毎日やれたんだから、新しいことだっていけるでしょ!と思ってはみたものの、
そんなに甘くはなかった。
もう筋金入りのぎりぎりまでやらない症候群だ。
子どもの頃の夏休みの宿題だけではない。
大人になってからも、何かとぎりぎりセーフで物事を片付けるのは相変わらずだ。
そんな人が、ひとつ好ましい習慣を習得できたからと言って、それをまた別のものにも応用!
なんていうのはそう簡単ではない、ということがよくわかった。
ここでぶつくさ文句を垂れていてもこれまたどうしようもないので、
その細かく分けた10歩のうちの1歩をこれからやってみようかな・・・???というところ。
新しい習慣は、本当に習慣として定着したら、どんな風にやったのか堂々と胸を張って
発表したいと思う。
思う前にまずは行動、行動・・・(汗)。
2015年3月1日日曜日
小さなサイン
某バンドの生ライブを見てきた。
どういうわけか無料で一般開放のライブで、お金を出してまで聞きたいものではなく、
無料でついでにその場所で他の用事も足せるなんてラッキー位に思って見てきた。
そのバンドは、最初本の中で知ったバンドだ。
バンドの人と本の著者とが仲良しのようで、時々行き来があるとのことだった。
わたしは著者の人がとても好きで、それで興味を持ったバンドだった。
いつだったかCDを借りてそのバンドの音楽を聞いた。
二度三度聞きたい音楽ではなかったけど、優しい感じは良かった。
そして今日初めて生演奏を聞いたけど、CDで聞いた時の方が良かったという、
ちょっと残念な感じで終わってしまった。
比べるものではないけれど、もう何年にも渡って足を運んでいる森山直太朗のコンサートとは
まったく異質のものだった。
直太朗は逆で、生の歌声の後ではCDはとにかく物足りない。
そして、観客の雰囲気も、みんな「直太朗の声」を聴きに行くだけあって、
静かな歌とアップテンポで明るい歌とでは聴き方を変える。
会場内の雰囲気ががらりと変わる。
静かな歌の時は、みんな固唾をのんで見守っている、そんな風だ。
今日はとにかくわたしみたいに興味本位で行く人も、通りすがりの人も、もちろん熱血なファンも
入り混じっていたから余計と調和のない感じで、あぁまぁひとつの経験と思えばいいかな・・・
と無料で聞かせてもらったくせに態度でかい感想を持ってその場を去った。
驚いたのはその後だ。
その後たまたま読んだ本に、ズバリ言い当てられてびっくりしたものがあった。
「何か違うなぁ・・・というサインを受け取っていたにも関わらず、そのまま突き進んで結局は
やっぱり違っていたという経験が過去にあったなら、どんなものか?」
要約するとそんな感じの質問が本には書かれていた。
今日のそれこそがまさにそうだった。
普段乗らないバスに乗って会場まで向かったのだけど、そのバスが大幅に遅れたのだ。
それはいつもなら降りるバス停で、反対にそこからバスに乗り込むことは過去に一度あるか
ないかだったと思う。
なんとそのバス、14分遅れでやってきた。
どんなに道が混んでいても5分遅れたら相当遅れてる。
これまでに10分以上も遅れてきた路線バスは、一度も当たったことがない。
最初は、バスが来る時間の1分前位に着くように行ったから、乗り過ごしたかもしれないと思った。
ただ、乗り過ごしたなら、正面にバスが通る道をずっと見ながら歩くから、見えるはずだ。
来週は名古屋マラソンでそのバスは運休だという知らせがあったけど、
今日はマラソンの日じゃない。
10分経過した頃、バスは止めて電車で行こうかと思った。
ただ電車に乗り換えるにしても、雨は降り続けているし、そこまでして行きたいかと言うと
そうでもないし、ついでの用事も今日でなくていいし・・・行くのやめようかな、
とそこまで考えていた。
ごちゃごちゃ考えているうちにバスがやっと到着して、それでようやく出発できた、
そんな過程を経ての今日の生ライブだった。
自分の好みではなかったことがわかったり、ついでの用事もきちんと足せたり、
もちろん得るものはあったけど、あのバスの遅れの時に「行くのやめようか」と思ったのは
あながち間違いではなかったんだなぁと思う。
大したことではないけど、あぁこんな風に小さなサインがぽんとやってくる、そのお手本のようだと、
そしてそのお手本通りのことを一通り体験した1日となった。