2015年3月22日日曜日

試着、試着、試着

わたしはほとんど服を買わない。

母親が勤めている会社が洋服の修整を専門的にしていて、百貨店に入っているブランドなどの

服をただ同然のような値段で譲ってもらえるため、そのおこぼれをもらっている。

なので自分で買うのは、ジーパンとヒートテックぐらいだ。

もう1つは、そもそも今のアパートの収納スペースが限られているため、服を多く持たないように

心掛けている。

わたしの中では、1枚当たり3シーズン(春夏秋、または秋冬春)使えるものが自分で買う場合は

必須条件だ←収納スペースの確保のため。

なので、もうここ2年ぐらい自分で服を買っていない気がする。

これからもそのスタイルを変更する予定はないけど、今回どうしても必要があって服を1枚買った。

たった1日の中で20枚近くの服を試着した。

少しでも気に入るものがあったら試着。

見た感じ=着た感じではないので、とにかく着てみないことにはわからない。

色々着てみて気付いたことがある。

デザイン、形、素材そのすべてにおいて合格点だったものがある。

もしその服しか着ていなければ気付けなかったような気がする。

着てみて、それは一気に不合格になり、泣く泣く断念した。

何が駄目だったかと言うと、服が重かった。

確実に重みを感じるもので、座っていても疲れるだろうなぁと思った。

本当に他は一つも申し分なかったし、実際に着ておでぶ体系をきれいなラインにしてくれる

優れもので、ことさら残念だった。

だけど、あの重さは絶対に普段使いするには気が引ける。

着ているだけで疲れる服なんて、どんなに他が良くてもやっぱり着れない。

今手持ちの服は1枚も重い服がない。

普段着るものとなると、絶対に着ていて楽チンなものに手を伸ばすだろう。

買ってもたんすの肥やしになることは目に見えていた。

今回重い服に当たって、初めて着心地の良さの基準に「軽さ」が入っていることに気付いた。

服だけに限らず、生活の至る所でいつの間にか自分の中に基準がある。

あまりにも当たり前すぎて普段意識にも上ってこないけど、実は無意識で確実に自分にとっての

良いを選んでいる。

その「良い」の基準は、やっぱり他の誰でもない、自分しか知り得ない機密情報だ。

自分の感覚も、想像以上にあてになることが今回の一番大きな収穫だった。

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