さっき初めて知ったこと。
鈴虫の鳴き声を録音して、その再生速度をゆっくりにすると、鈴虫の鳴き声がまるで賛美歌のようなゴスペルのような音源に変わるというもの。
https://m.youtube.com/watch?v=of90IEoE-IM
(リンクには飛ばないので、コピペして視聴してみてください。1分強程度です)
どちらも同じ鈴虫の鳴き声だけれど、条件を変えると音質が変わる。
普通に耳に届く音とは違う音が、実は内在しているという。
私がこの音源を聴いて真っ先に思い浮かんだシーンは駐車場だった。
最近の18時少し前は確実に暗い。
車なら小さいランプは点けないといけないぐらい。
あの日は17:40を確実に回ってた。
その時間を見て、探しに行って最後挨拶しようと決めたから、時間は間違えてない。
天気は良かったと記憶している。
にしても、私は最後に見納めと思って見た車の色が何色かもきちんと見えていた。
その日が晴れていたからそこまで暗くなかったのかもしれない。
もしくは、記憶違いを起こしているか、もしくは記憶によって重ねられた像を見ている気になったのか、その辺りはわからない。
だけど、見納めだと思って、いつも通る道をゆっくり進みながら体の向きを変えて振り返って車を見た。
鈴虫の鳴き声のゆっくりバージョンを聴いて、その駐車場が出てきて、そして色んなことたちが繋がり出した。
駐車場はじめ色んなシーンたちは、鈴虫の鳴き声をゆっくりした時同様、そこだけ時の流れがゆっくりになる。
スローモーションみたいな感じ。
その時その時はすごい速さで過ぎ去っていくけれど、ひとつひとつがスローモーションのように記憶に残る。
スローモーションになるぐらい、ひとつひとつのシーンが印象的で何か私に訴えるものがあったんだと思う。
心の目で見ると見える風景みたいな感じ。
反応してるのは私自身だけれど、細胞とかミクロの単位にまで行き届く何かが常にあった。
表面上で交わしてることは小さい。
それでも記憶に鮮明に残る。
あの最後の駐車場で見た車があんなにも日中に見たかのような色彩を持つように。
賛美歌と化した鈴虫の鳴き声が聞こえるのは、通常の聴力では無理だから機械的な操作を加えて速さを変えてそれで人間の耳にも聴こえるようにしている。
これは心理の勉強をした時に習ったことだけれど、人間の体は普段持っている力のほとんどを使わずに生きている。
火事場の馬鹿力というのは、危機を感じたり何か猛烈に細胞が呼び起こされる場面を前にすると出てくる。
だからあの表現は本当にその通りだと感じる。
それを証明する簡単な実験もあって、私もやったし何十回と色んな人たちに紹介して直接してもらったけれど、みんな驚く。
驚くのは、自分の持ってる力の方に。
その本来持ち合わせている力の部分で私はその人がいた色んな風景を記憶した。
スローモーションのシーンたちは、私の中の細胞ひとつひとつに呼びかけるように起こっていて、私はそれらを強烈に記憶に刻んだ。
テスト前に社会でも理科でも用語をどんなに覚えようとしても次から次へと抜け落ちる感じとは全く違っていて、それらのスローモーションたちは力なんか全く要らず、絶対に忘れないようにしよう!なんて気負いもなく、気付けばガッツリと記憶に残った。
努力ゼロでそれだけの効果があった。
ということは、それだけのインパクトを私の体や心は感じていたんだと思う。
頭で計算や計画なんかできなかったぐらいに全ては起こるようにして起こって、そして私に奇跡を見せてくれた、そう思っている。
ちなみに鈴虫の鳴き声を紹介した方によると、通常の知覚だけでその壮大かつ深遠な情報にたどり着くのは難しいけれど、私たち人間がそれを知覚できるように、「なんとなく」感じた風に感動したり、朝日や夕日を見て心打たれたり、はたまたきれいな花や景色を見て心が奪われたり、そういうことが突破口となってそうしたものに行き着けるとあった。
十分な説明だった。
当時の私は、全てに感動を覚えていた。
普段心なんてどこにあるかもわからないし、感じられるものじゃない。
だけど、その人がいた空間やその人の何かがある空間にいると、私は確実に反応していた。
見えない心がものすごくはっきりと私の中で猛烈にアピールしていた。
普段そんな感覚にならないから、だから私は最初「変」だと思った。
他には絶対に経験し得ない感覚だったから「変」としか言いようがなかった。
20代の頃、韓流ドラマの流行が始まった時(『冬のソナタ』ブームの時)、職場のおばちゃん年齢域の人たち数人が、ものすごくキャーキャー言いながらその話をしていた。
ものすごく失礼な話だけれど、トキメキがなくなるとああいうのにハマるのかと思ってた。
結婚してても旦那の話はほとんど出てこないし、出てくるとガチな不平不満だし、熟年離婚とかいう言葉が流行ったその世代に近いこともあって、女の人はトキメキがないとヨン様とかアイドルにハマるのかもしれないと思った。
だから私は最初自分も、トキメキがない生活の中で変に盛り上がってるだけなのかと思っていた。
あのおばちゃん年齢域の女性たちが冬のソナタの話で胸を震わせてたあれと何ら変わらない気がした。
ちなみに私も当時話題についていくために、そして男性からあれはすごい純愛物語だからというご推薦もあって、見たことがあった(途中まで)。
見ていてドキドキする(笑)。
おばちゃん年齢域の女性たちがキャーキャー言うのもわかった。
それと同じかとすごいくくり方をしていた。
でも、そうじゃなかった。
何回もしたわけではないけれど、私はとりあえず同じシーンを人を入れ替えて自分がどういう気持ちになるのかの実験をしたことがある。
最初は、無視された時のシーンでやってみた。
とりあえず平等を期すために、職場内の人たちにして、同じことをされたとしたら…という設定を想像した。
その人の後輩だった場合、怒りが湧くと気付いた。
私が仕事上で一番やり取りした人なら、私は自分のタイミングの悪さをまずは詫びて出直しを図るとわかった。
その人なら、私は本気でごめんなさいと真っ先に謝ってるその感じまで容易に想像できた。
もしその人が私を無視するように対応したとしても、それならそうで自分の非を真っ先に疑うことと相手のタイミングが違ってたことを冷静に感じただろうなぁと思った。
多少は気になっても、心がズタズタになることはなかった、それは断言できる。
だから、現実に味わった感情を私から引き出せたのは、当の本人以外誰もいなかったとわかった。
あと、一人で胸キュンキュンさせた時のシーン。
あれは過去の歴史からキュンキュンしたストーリーと比べた。
ちなみに過去のキュンキュンストーリーはこうだった。
その日、仲間内で宅飲みをすることになった。
誰かの家じゃなくて共同スペースでの開催だったから、買い出しを一からしないとだった。
みんなで近くのスーパーに出かけて買物が終わる頃、Kくんが合流した。
バリバリ体育会系のKくん、女の子大好き!って公言するわ、下ネタバンバン言うわ、私に女の子超連れ込んでるでしょ?と聞かれて「バレた⁉︎」と笑いながら即答するわの、ある意味とても素直で真っ直ぐな人だった。
私よりも何歳か下で、弟みたいな感じだった。
体育会系で鍛えられたこともあって、女の人に荷物を持たせるのはご法度のようだった。
だけど、直で合流したKくんは自分の荷物をかなり持っていて、私は手ぶらで来ていた。
その状況でKくんが持つのはおかしいと私は思って、Kくんが持つよと言ってくれたけれど、大丈夫だよと言って私は適当な買物袋を持った。
そのまま並んで歩いた。
途中でKくんは何も言わず、歩きながら突然私の持ってる買物袋をさらりと自分の方に持って行った。
普通に喋っているのに何この神業みたいなスマートさ!と思った。
さすがにそこまでされて私が持つよとはならなかった。
ありがとうと言って、Kくんの行為に素直に甘えることにした。
前置きが長くなったけれど、Kくんにそんなことされても、たしかに行為そのものはトキメキみたいな感じはあっても、Kくんに気持ちがいくとかもっと仲を深めたいとか、そんな風には一切ならなかった。
その時と重ねて比較するのもおかしな話ではあるけれど、それでわかった。
その人だから私はものすごい反応したということ。
そしてもう一つ。
さっき同様、その人がしてくれたことと同じことを職場の他の人たちがしてくれたとしたなら…。
Kくんとのエピソードのように記憶に残ったとは思うけれど、感情までもが動くことは絶対になかった。
その人の場合、具体的な行動に意味があったのではなく、その人そのものに意味があったから、行動の方は私が気付くための伏線のようなものだった。
例えば、単に名前を呼ばれたとして、そんなことだけで相手の存在感に気付けるほど私の自分の心の感度は高くない。
その人を意識に上らせるぐらいのパフォーマンスがないと多分気付けない。
だからあの日の出来事があったんじゃないかと思っている。
それって元をただすと、自分自身が元々持って生まれたスイッチなんだと思う。
私自身は元々鈍いところがある。
そしてホロスコープにも出ていたけれど、異性同性問わずに友達になるタイプで、性を超えた友達というのも普通にあるという考えの持ち主なのまで出ていた。
実際に本当にそうで、私は何人かの男の人たちから誉められた?ことがある。
私は飲んだりとか一対一で会う時に変に絡むこともしなければ媚を売ることもない、差別的にものを見たりもしないから(「浮気なんて絶対に許せない!」「男の浮気は言語道断!」みたいな貞操観念とかがゼロではないけれど普通よりもかなり低い)、話しやすいし付き合いやすいと。
友達とそうではない人との線引きを私はものすごくはっきりと引くから、そして絶対に自分から男の人をタッチしたり女を出して何か甘えるとかもしないしできないから、そういう意味で付き合いやすいんだと思う。
だからそういう私が「この人だよ」とわかるには、その普段の感覚と違わなければ気付きようがないし、じゃあそれって何なの?ってなった時に風を感じて穏やかになったり、花を見てきれいと見惚れる感覚とか、そうした自然に沸いて出てくる気持ち×100倍のインパクトがないと気付けない。
自然に沸いて出るものは、「この花はきれいだと思うことにしよう!」と計画してそうなるわけじゃない。
何もしてないところに心が勝手に奪われる。
そしてその感覚は、どんなに技術が発展しても私に勝手に付け足すことはできない。
生まれた時にいつかそういう人が目の前に現れたらわかるように元々持っていたもの、そう思う方がしっくりとくる。
スイッチは持っていたんだと思う。
人生の計画そのものに含まれていたとするなら、そのスイッチを持って生まれたとさえ私は思っている。
そのスイッチは本当に有能で、その人以外には反応しないようになっていた。
だって間違って誤作動したなら、今頃私は全く違う人生を歩んでいたことになるから。
なんならその人と人生で交わることもなかったと思う。
そのスイッチはその時まできちんと水面下では準備されていて、そして全部の条件が整ったその時に発動した、そう考える方が何もかも自然な気がしている。
私は自分の過去の経験値と世の中に出回ってる情報とを重ねて、その感覚を「変」としたけれども、そうではなかった、とこの1年ぐらいをかけて知るようになった。
鈴虫の鳴き声と同じ原理が働いていて、それをスローモーション再生をするとその全容を知れるようになっていた。
今思えば、当時はスピリチュアルな情報の全てから遠ざかっていた。
唯一の見えない世界との繋がりはペンジュラムだけだった。
しかも今ほどの精密さになんて達してなかったから、例えば今の精度が100なら当時は40ぐらいでしかなかった。
ある意味余計な情報も知識もなく、日々の生活に目一杯だった。
だからこそ、スイッチが自然に入るための環境が整っていた。
不慣れな仕事のおかげで、意識という意識はそちらに向かっていたし、時々疲れて仕事終わりに1人でボーッとする時間を過ごすことはあってもその程度でしかなかった。
加えて、私の当時の鈍感さは普段以上に上がっていた。
ある意味余計な混ざり物がなく、私の中の純度はものすごく高かった。
純度というのは、私が私であることの純度や、私が感じる私自身の気持ちに対しての純度。
それがものすごく高かった。
だから、自分の気持ちに素直に反応できる状態は静かに調えられていた。
反応してもその後思考とかがガンガン働いてなかなか認められずにいたけれど、それでも反応は素直に起こっていた。
スイッチが入ったことで、ようやく私も存在に気付いた。
これを言うと周りの人からあまり理解されないけれど、私は自分のことに忙しいと大真面目に周りが見えなくなる。
人でさえも景色と化す。
下手すると、呼ばれても気付いてないらしい(私は「今呼ばれた」と思っているけれど、相手から何回も呼んでたのに聞こえなかったの?と言われたことが時々ある)。
だけど、スイッチが入ったことで、きちんと見えるようになった。
私の世界の中にその人が現れて、その人は私にとって特別な意味のある人ですよ、ということを意識の上で初めて知った瞬間でもあった。
記憶力の曖昧な私がこれほどまでに細かく覚えているのは、鈴虫の鳴き声の原理と一緒だと思っている。
鈴虫は普通にあの単調な鳴き声だけのようにしか聞こえないけれど、実は同じ時に賛美歌のような荘厳な声も響かせている。
そこに人間の意識が合っていないだけで、実在はしている。
ありの足音が人間の耳に届かないのと一緒だと思う。
でもありは歩いているし、人間同様足音を持っている。
その人との出逢いもそうで、最初は鈴虫の単調な鳴き声でしかなかった。
無意識のところではもっときちんとキャッチできていたけれど、意識に上がってきたのはもっと表面的なことだけ。
だけど、ある瞬間を境に私は単調な鳴き声だけではなく奥の深いところの響きに気付けるようになった。
だから、鈴虫の鳴き声の音源を聴いて、駐車場のシーンから他の様々なシーンまで一気に繋がったんだと思う。
そういうものを回帰させるものがその音源には含まれていたと思うから。
この続きとは違うけれど、振り返りノートはまたおいおい綴っていこうと心のスケジュール帳の中で計画している。
2018年9月29日土曜日
愛の元気玉
2018.8.29
8月の占星術講座の後、ユキコさん(仮名)と一緒に占星術用のサイコロを探しに行った。
宿題に使うもので、東急ハンズに売ってるとの噂で、有楽町のハンズに行った。
ちょうどセールをしていて、サイコロコーナーは一時的に撤去されてるとのことだった。
ないのは仕方ないからあきらめた。
ユキコさんがわざわざ連れ回した挙げ句なかったね、ごめんね、などと言ったから、私は謝らないで下さいとお願いした。
私もあれば欲しかったし、ここに来るまでに色々話ができたから楽しかったと伝えた。
もちろん楽しかったのは本心だった。
その時に私は言った。
何でなかったのかわからないですけれど、今日はなくて正解なんだと思います、あってはいけなかったし、何か別のことが水面下で動いていると思います。
そうユキコさんに言ったのは覚えてる。
これは私の経験則からわかったことで、探してるのにないとか、何かタイミングがズレたという時、それはそうなることが正解で、後になってその理由がわかったりする。
ユキコさんは私の発言を聞いて「その感覚全くわからないけれど、それはそれで面白いね」みたいなことを言っていたと思う。
だからそういうことになった時私はいつも「何か違うんだろうなぁ」と思って気にしない。
その時もそうで、まぁいいかと私はものすごくあっさりと終わった。
2018.9.26
占星術の講座の後はいつも近くのカフェに移動してカフェタイムという名の先生を囲んでの質問タイムがある。
約3時間の講座中は、先生は基本的にずっと説明してあとは少し演習して解説して終わりで、だから質問する時間がない。
余談だけれど、世の中の占星術講座の内容はとても薄いんじゃないかと思う。
今回何も知らずに申し込んだ講座ではあったけれど、先生自体が研究者的な探求をする方ということもあって、ものすごく学術的にきちんと基礎を教えてもらっている。
私なんかが真っ先に挫折した基礎の部分をものすごくわかりやすく教えてくれていて、それだけでも本当に出て良かったと思っている。
で、他の方たちが提供している講座をチェックしてみて、ずいぶんと内容が薄いことに気付いた。
他の講座は、時間は半分以下で同じ量かもしくはもっと多い量を詰め込んでするものが多く、さらには価格も倍どころではないもっと高額な相場になっている。
だから何も知らずにいきなり今の先生に行き着いたのは、ものすごくラッキーなことだった。
なのに私なんかはそれだけ丁寧に教えてもらってもまだ理解がおぼつかない。
だから他の先生の講座に行ってたとするなら、私は今よりももっと理解できなかっただろうなぁと予想している。
今回も講座の後、カフェに移動した。
ユキコさんが興奮気味に私に話しかけてきた。
「ぶっしー、わかってん!何で前回サイコロがなかったのか!」
ユキコさんの話はこうだった。
ユキコさんはあの日、あの後も他のハンズにいくつか行って、どこもセールでサイコロコーナーが撤去されてたとのこと。
私なんか、「サイコロコーナー」なるものが世の中に存在していることにびっくりしたぐらいだった。
ユキコさんはあきらめて、値段がすごく高いと言われていたアマゾンをのぞいたのだそう。
そうしたら、3つセットで174円で売られていて、さらには送料無料のものを見つけたとのこと。
(占星術用のサイコロは3つ必要)
その値段で1つだけ買って送料無料にしてもらうのが何となく忍びなく、そこで私の分も合わせて買おうと考え、それで色違いのものを全部で4セット購入したのだそう。
ぶっしー買った?と聞かれて、私はあの日次の約束が到着ギリギリ過ぎてハンズには行けなかったこと、新潟にそんな気の利いた店はないから見にさえ行ってなくてもう買うことさえ頭から抜け落ちてて何もしていなかったことを説明した。
ユキコさんは、ぶっしーあげるわ、東京まで来て占星術習って、その記念品だと思って、と言って渡された。
そして絶対にお返しとかしんといてな、これ174円でしかないから、と念押しで言われた。
だから、あの時何でないのかと思ったけれど、ぶっしーが言った通りやね、なかったことでもっと安く買えたんやわと言われた。
しかもユキコさんは、それをパワーストーンとかを入れる袋に入れて、自分のところの神棚にずっと置いといたと言って、私が自宅に持ち帰ったら今度は自分の神様でも何でもいいけれどそういうところに置いてから使い始めてな、と教えてくれた。
もう本当に嬉しかった。
ユキコさんは親子ほどではないにしても20弱年が離れてる。
普段ユキコさんは、億単位の資産運用のお客さん相手に仕事をしている。
億単位のお金も174円のお金も両方同じように大事にできる人なんだろうなぁと感じた。
ちょっとしたご縁で今回一緒することになって、そしてお互い連絡先も知らないのに、離れてる時に自分のことを思い浮かべてもらって、必要なものを一緒に用意してもらう…。
「愛」だなと思った。
カフェタイムでは、ゲイのGさんと私より少し年下のNさんと席が近くなった。
2ヶ月ぶりに会ったGさんには、この講座を受ける前にGさんのブログを私はブックマークしていたことを超興奮気味に会ってすぐに話した。
会う前に文章に先に出会うという前代未聞の快挙を成し遂げた、伝説の人みたく私の中ではなっている。
2人には、私は自分が人からぐいぐい来られる感じはわかるけれど、自分からぐいぐいいく感じはわからないと話した。
思い当たらないことがないわけでもないけれど、例えば1年前の時のことはぐいぐい行くと言うよりも伝えなきゃ!という命懸けての気持ちがあってのことだったから、私の中ではぐいぐいに入っていない。
ましてや普段は人が多くなればなるほど人見知りをするから隅っこの方で静かにしている。
普段の行動を説明しつつ自分ではおとなしいつもりでいると言ったら、2人から「ぐいぐいっていうか、すごい存在感放ってる」と言われた。
私は「えっ⁉︎」ってなった。
Nさんなんかは、距離があっても目の前にいる感じ!と言って、自分の手を自分の顔の前に持ってきて、私に対して感じる距離感を教えてくれた。
GさんもNさんに同調するわけでもなく、とにかく存在感がある、と穏やかな表情と穏やかな声で言ってた。
Gさんはナチュラルなアート系男児な感じの風貌で、話すとその外見以上にものすごく優しい。
2人から言葉で言われた私の自分ではわからないぐいぐい相手の中に入って行く感じは、全く嫌な感じはしなかった。
むしろそれをありのまま伝えてくれて、さらに人によってはそんなにぐいぐい来られちゃ嫌だと思うけれどもそんなこともないようで、そのまま接してくれるのがとても嬉しかった。
私は自分がぐいぐい来られて嫌なのがわかるから、少なからず私も無意識にそれをしてるということだと思うとぞっとするけれど、2人は全く気にせずにその時もその前からも私と一緒に時間を過ごしてくれてると思ったら感動した。
私はぐいぐい系は嫌だから逃げる。
でも2人はそんなことなく、ましてや嫌がってる風でもなく、私の話にも色々乗ってきてくれる。
ここでも「愛」を感じた。
ユキコさんのサイコロも、GさんとNさんとの会話も、iPhoneを滑り落として割ってしまった後の話だった。
講座には集中していたけれど、それでもiPhoneの大打撃はその時はまだ笑えなかった。
もう何とかするしかなくても、心は心でチーンとなっていた。
そんな時にふいに訪れた優しさだった。
占星術の講座の人たちは、先生と主催者の方以外の連絡先を知らない。
なんだけれど、連絡先を知っている人たちよりも妙に近くに感じることがある。
初回の講座の時は、このまま誰とも仲良くなれなさそう…と思っていたけれど、回数を重ねるごとに近い感じになってきた。
しかも個人の話はほとんどしない。
だから私はみんなの細かいことはほとんど知らないし、周りの人たちも私が新潟から来ていることぐらいしか知らない。
こんなにも知らないのに妙に近くに感じるとは、不思議な関係だなぁと思う。
そんなにも知らない同士なのに、ものすごく親切にしてもらったり優しさを分け与えてもらっている。
だから私はそういうのが「愛」だと感じた。
この文章を書く前から決めてた、「愛の元気玉」ってタイトル。
8月の占星術講座の後、ユキコさん(仮名)と一緒に占星術用のサイコロを探しに行った。
宿題に使うもので、東急ハンズに売ってるとの噂で、有楽町のハンズに行った。
ちょうどセールをしていて、サイコロコーナーは一時的に撤去されてるとのことだった。
ないのは仕方ないからあきらめた。
ユキコさんがわざわざ連れ回した挙げ句なかったね、ごめんね、などと言ったから、私は謝らないで下さいとお願いした。
私もあれば欲しかったし、ここに来るまでに色々話ができたから楽しかったと伝えた。
もちろん楽しかったのは本心だった。
その時に私は言った。
何でなかったのかわからないですけれど、今日はなくて正解なんだと思います、あってはいけなかったし、何か別のことが水面下で動いていると思います。
そうユキコさんに言ったのは覚えてる。
これは私の経験則からわかったことで、探してるのにないとか、何かタイミングがズレたという時、それはそうなることが正解で、後になってその理由がわかったりする。
ユキコさんは私の発言を聞いて「その感覚全くわからないけれど、それはそれで面白いね」みたいなことを言っていたと思う。
だからそういうことになった時私はいつも「何か違うんだろうなぁ」と思って気にしない。
その時もそうで、まぁいいかと私はものすごくあっさりと終わった。
2018.9.26
占星術の講座の後はいつも近くのカフェに移動してカフェタイムという名の先生を囲んでの質問タイムがある。
約3時間の講座中は、先生は基本的にずっと説明してあとは少し演習して解説して終わりで、だから質問する時間がない。
余談だけれど、世の中の占星術講座の内容はとても薄いんじゃないかと思う。
今回何も知らずに申し込んだ講座ではあったけれど、先生自体が研究者的な探求をする方ということもあって、ものすごく学術的にきちんと基礎を教えてもらっている。
私なんかが真っ先に挫折した基礎の部分をものすごくわかりやすく教えてくれていて、それだけでも本当に出て良かったと思っている。
で、他の方たちが提供している講座をチェックしてみて、ずいぶんと内容が薄いことに気付いた。
他の講座は、時間は半分以下で同じ量かもしくはもっと多い量を詰め込んでするものが多く、さらには価格も倍どころではないもっと高額な相場になっている。
だから何も知らずにいきなり今の先生に行き着いたのは、ものすごくラッキーなことだった。
なのに私なんかはそれだけ丁寧に教えてもらってもまだ理解がおぼつかない。
だから他の先生の講座に行ってたとするなら、私は今よりももっと理解できなかっただろうなぁと予想している。
今回も講座の後、カフェに移動した。
ユキコさんが興奮気味に私に話しかけてきた。
「ぶっしー、わかってん!何で前回サイコロがなかったのか!」
ユキコさんの話はこうだった。
ユキコさんはあの日、あの後も他のハンズにいくつか行って、どこもセールでサイコロコーナーが撤去されてたとのこと。
私なんか、「サイコロコーナー」なるものが世の中に存在していることにびっくりしたぐらいだった。
ユキコさんはあきらめて、値段がすごく高いと言われていたアマゾンをのぞいたのだそう。
そうしたら、3つセットで174円で売られていて、さらには送料無料のものを見つけたとのこと。
(占星術用のサイコロは3つ必要)
その値段で1つだけ買って送料無料にしてもらうのが何となく忍びなく、そこで私の分も合わせて買おうと考え、それで色違いのものを全部で4セット購入したのだそう。
ぶっしー買った?と聞かれて、私はあの日次の約束が到着ギリギリ過ぎてハンズには行けなかったこと、新潟にそんな気の利いた店はないから見にさえ行ってなくてもう買うことさえ頭から抜け落ちてて何もしていなかったことを説明した。
ユキコさんは、ぶっしーあげるわ、東京まで来て占星術習って、その記念品だと思って、と言って渡された。
そして絶対にお返しとかしんといてな、これ174円でしかないから、と念押しで言われた。
だから、あの時何でないのかと思ったけれど、ぶっしーが言った通りやね、なかったことでもっと安く買えたんやわと言われた。
しかもユキコさんは、それをパワーストーンとかを入れる袋に入れて、自分のところの神棚にずっと置いといたと言って、私が自宅に持ち帰ったら今度は自分の神様でも何でもいいけれどそういうところに置いてから使い始めてな、と教えてくれた。
もう本当に嬉しかった。
ユキコさんは親子ほどではないにしても20弱年が離れてる。
普段ユキコさんは、億単位の資産運用のお客さん相手に仕事をしている。
億単位のお金も174円のお金も両方同じように大事にできる人なんだろうなぁと感じた。
ちょっとしたご縁で今回一緒することになって、そしてお互い連絡先も知らないのに、離れてる時に自分のことを思い浮かべてもらって、必要なものを一緒に用意してもらう…。
「愛」だなと思った。
カフェタイムでは、ゲイのGさんと私より少し年下のNさんと席が近くなった。
2ヶ月ぶりに会ったGさんには、この講座を受ける前にGさんのブログを私はブックマークしていたことを超興奮気味に会ってすぐに話した。
会う前に文章に先に出会うという前代未聞の快挙を成し遂げた、伝説の人みたく私の中ではなっている。
2人には、私は自分が人からぐいぐい来られる感じはわかるけれど、自分からぐいぐいいく感じはわからないと話した。
思い当たらないことがないわけでもないけれど、例えば1年前の時のことはぐいぐい行くと言うよりも伝えなきゃ!という命懸けての気持ちがあってのことだったから、私の中ではぐいぐいに入っていない。
ましてや普段は人が多くなればなるほど人見知りをするから隅っこの方で静かにしている。
普段の行動を説明しつつ自分ではおとなしいつもりでいると言ったら、2人から「ぐいぐいっていうか、すごい存在感放ってる」と言われた。
私は「えっ⁉︎」ってなった。
Nさんなんかは、距離があっても目の前にいる感じ!と言って、自分の手を自分の顔の前に持ってきて、私に対して感じる距離感を教えてくれた。
GさんもNさんに同調するわけでもなく、とにかく存在感がある、と穏やかな表情と穏やかな声で言ってた。
Gさんはナチュラルなアート系男児な感じの風貌で、話すとその外見以上にものすごく優しい。
2人から言葉で言われた私の自分ではわからないぐいぐい相手の中に入って行く感じは、全く嫌な感じはしなかった。
むしろそれをありのまま伝えてくれて、さらに人によってはそんなにぐいぐい来られちゃ嫌だと思うけれどもそんなこともないようで、そのまま接してくれるのがとても嬉しかった。
私は自分がぐいぐい来られて嫌なのがわかるから、少なからず私も無意識にそれをしてるということだと思うとぞっとするけれど、2人は全く気にせずにその時もその前からも私と一緒に時間を過ごしてくれてると思ったら感動した。
私はぐいぐい系は嫌だから逃げる。
でも2人はそんなことなく、ましてや嫌がってる風でもなく、私の話にも色々乗ってきてくれる。
ここでも「愛」を感じた。
ユキコさんのサイコロも、GさんとNさんとの会話も、iPhoneを滑り落として割ってしまった後の話だった。
講座には集中していたけれど、それでもiPhoneの大打撃はその時はまだ笑えなかった。
もう何とかするしかなくても、心は心でチーンとなっていた。
そんな時にふいに訪れた優しさだった。
占星術の講座の人たちは、先生と主催者の方以外の連絡先を知らない。
なんだけれど、連絡先を知っている人たちよりも妙に近くに感じることがある。
初回の講座の時は、このまま誰とも仲良くなれなさそう…と思っていたけれど、回数を重ねるごとに近い感じになってきた。
しかも個人の話はほとんどしない。
だから私はみんなの細かいことはほとんど知らないし、周りの人たちも私が新潟から来ていることぐらいしか知らない。
こんなにも知らないのに妙に近くに感じるとは、不思議な関係だなぁと思う。
そんなにも知らない同士なのに、ものすごく親切にしてもらったり優しさを分け与えてもらっている。
だから私はそういうのが「愛」だと感じた。
この文章を書く前から決めてた、「愛の元気玉」ってタイトル。
祝☆機種変完了
本日9/28、めでたく機種変できました!
かなり長い文章をさっきこの携帯の初メモに書いていたけれど、話が飛びすぎて終わりそうにもなかったから、とりあえず最初にこの記事を書いてしまうことにした。
おいおい書いていくけれど、本当に良くしてもらってた。
担当の方もその後のドコモの方も、そして今回のことを知ってくれてた人も、みんな良くしてくれた。
感謝しかなかった。
今回の機種変は沢山の一期一会と人の温かみを見せてくれるものばかりだった。
自分が本当に守られていて、色んな人に力借りながら生きてることをたくさん感じまくった。
想定外すぎた機種変ではあったけれど、そのおかげで気付けたことがたくさんあったから、これはこれで本当に良かった。
とりあえず、メールも電話もラインも、そして何よりこのブログを通常運転できることが嬉しい。
私の中で、メールと電話以外で真っ先に困ると思ったのはこのブログだった。
ラインは最悪なくなってもいいと思った。
メールと電話も、周りは困るかもだけど、私は意外にもなければないでそれもいいのかもしれない…なんて考えていた。
でもこのブログを書けないのは困った。
それだけは手段を何かしら講じるつもりでいた。
私にとってブログはなくてはならない手段にいつの間にかなっていた。
これが日常的に書けなくなるなら「書くな」のサインと受け取ろう、そこまで実は覚悟を決めてた。
大げさに聞こえるかもしれないけれど、それぐらいのものだと今回わかった。
また少しずつアップしていく。
とにかく無事に機種変できて本当に良かった!
かなり長い文章をさっきこの携帯の初メモに書いていたけれど、話が飛びすぎて終わりそうにもなかったから、とりあえず最初にこの記事を書いてしまうことにした。
おいおい書いていくけれど、本当に良くしてもらってた。
担当の方もその後のドコモの方も、そして今回のことを知ってくれてた人も、みんな良くしてくれた。
感謝しかなかった。
今回の機種変は沢山の一期一会と人の温かみを見せてくれるものばかりだった。
自分が本当に守られていて、色んな人に力借りながら生きてることをたくさん感じまくった。
想定外すぎた機種変ではあったけれど、そのおかげで気付けたことがたくさんあったから、これはこれで本当に良かった。
とりあえず、メールも電話もラインも、そして何よりこのブログを通常運転できることが嬉しい。
私の中で、メールと電話以外で真っ先に困ると思ったのはこのブログだった。
ラインは最悪なくなってもいいと思った。
メールと電話も、周りは困るかもだけど、私は意外にもなければないでそれもいいのかもしれない…なんて考えていた。
でもこのブログを書けないのは困った。
それだけは手段を何かしら講じるつもりでいた。
私にとってブログはなくてはならない手段にいつの間にかなっていた。
これが日常的に書けなくなるなら「書くな」のサインと受け取ろう、そこまで実は覚悟を決めてた。
大げさに聞こえるかもしれないけれど、それぐらいのものだと今回わかった。
また少しずつアップしていく。
とにかく無事に機種変できて本当に良かった!
2018年9月27日木曜日
人生の一期一会
午後の睡眠から目が覚めたら17:49の表示。
自分は出た頃かな…と回想した。
最後に背中を横目で見納めして、外に出た時は車を見て、明日も当たり前にくると思っていた明日がもう来ないことを信じられない気持ちでいながらその場を去った。
あれから1年。
忘れた日どころか忘れた瞬間が存在しなかった。
外側の環境はずいぶんと変わったけれど、自分の心の中は同じだった。
本当は今日は1年前と同じように夕方からコメダに行って、1年前を振り返るつもりでいた。
振り返りノートも書く気でいた。
日記も書く予定だった。
ところが急なヒーリングを昨晩施してもらって、多分それで好転反応出て強烈な眠気で今日は日長1日寝ていた。
携帯の交換もままならず、画面ぐちゃぐちゃのまま書いてる。
さっき少しだけ数ヶ月前の過去の自分のブログを読んだ。
リアルな感覚をまた思い出した。
「今しかない」あの迫りくる感覚を思い出した。
忘れられそうにもない。
年がら年中発動はしなくても、時々やってくる「今しかない」感覚。
今日も今日で、このまま寝て明日に備えようかと思った。
だけど、やっぱり今日なんだと思った。
最後の挨拶の時の冷たく感じた声も凍りそうな空気も、そもそも鉢合わせした私のことも受け入れる心のスペースさえもうありませんと言わんばかりの感触も、そこにはまだその人がいた。
横目で見たとは思えないぐらいに最後の光景の記憶もしっかりとある。
すれ違う人生を受け入れる他なかった。
すれ違う人生のその後の計画なんて考える余裕もなかったし、激しい感情に呑まれまくってそれどころではなかった。
私の日常において、1年前のその日の記憶なんて普通はない。
よほど大きなインパクトでもない限り忘れる。
だけど1年前の今日はまるで昨日のことのように記憶に残っている。
その人の人生に足跡を残したかったのは本当の気持ちだけれど、その日のことを覚えているのは自分だけでもいいんじゃないかなと今は思っている。
なんなら、出逢いそのものも私の記憶にだけ鮮明に残ってしまってもいいと思う自分がいる。
私はこの1年毎日大事にするものを持っていた。
体は色んなことをする。
食べたり眠ったり働いたり話したり…常に何かをしている。
心も色んなことを考える。
こちらもほぼ不眠不休。
その中で、何でもすぐサボりがちな私が、とにかく自然にいつも大事にしていたものがあった。
その人が人生に現れてくれたことで大事にするものが生まれた。
自分の気持ちやその人を想う気持ちや人生に起きてくれた素晴らしいこと、そうしたものを本当に大事にした毎日だった。
それだけのすごいものをもたらした人だった。
だから、相手の気持ちや相手の記憶の度合いはどういうものであっても、私側は確実に大事にする何かをいつも持つ日々だったことには違いない。
大切な人と生きていけるのはすごいしあわせなことだと思う。
でも、大切に誰かを想えること、たとえ一緒に生きていなくても、それはそれでとてもしあわせなことだと感じる。
一方通行な感じとかは痛々しいと思わなくもないけれど、それでもそれでも誰かを大切に想えたりその人の無事を祈ったりできることはしあわせなことの1つに数えられる。
それは欲しいと願って手にできるものじゃないから。
頑張って手にできるものでもない。
ましてやお金とか知識とかを使ってできることとも違う。
息を吸ったり吐いたりするように、誰かを想う誰かの無事を祈るなんて、人生における最高の一期一会だと思う。
誰に習ったわけでもない、学校や仕事で教えてもらったわけでもない。
人を大切に想うとか、そういう気持ちは自然に湧くとか、本当にすごいと思う。
冷たさや背中を向ける気持ちとかも本当にあったことで、それは否定しない。
だけど、それはこの出逢いを否定する理由にはならなかった。
私には冷たく感じたその人も背中を向けたその人も、どちらもその人そのものだった。
最初の日に特大の安心感をくれたのも、その後一生忘れない優しさをくれたのもその人そのものだった。
全部ひっくるめて、その人を見て感じる時間が人生にプレゼントされた。
そしてその後のこの1年は、その人を大切に想う気持ちをプレゼントしてもらった。
さっき手紙の下書きを引っ張り出してきた。
本物の方はどうやって運ばれたんだろう…って思いを馳せた。
こういう妄想めいた想像の時間も楽しい。
うそじゃなくて本当に存在したわけだから、それでいいと思う。
じっくりもう一度読み返すのも楽しいかもしれない。
あの頃にはもう戻れない。
いつでも時間は前に進む。
それでも、進む時間の中でずっと引き継がれていくものがある。
その引き継がれたものによってこの1年は最高の一期一会を日々プレゼントしてもらってた。
この7個前の文章からちょっとした細工を施した。
それも気付いてもらえるかどうかは別にして楽しい時間だった。
思いつくままに書いたし、読み返してもないからどんな文章かわからないけれど、うそは1つも書かなかった。
このままアップする。
最高の一期一会と色々あっても尚人を大切に想う気持ちとをプレゼントしてもらえた1年だった。
ありがとう。
このブログの中でも何回も書いたけれどまた言う。
私の人生に現れてくれてありがとう。
喉調子悪くしてないかな…とこの1年何回か思った。
今も突然ふわっと出てきた。
結局渡さなかったけれど、いつかの夏の日、きんかんのど飴買いに行った。
今なら龍角散買う。
龍角散の方が確実にのどに効くとわかったから。
のど悪くしてませんように…。
ぶっちゃけ言えば、龍角散を「はい」って渡せる関係に憧れた。
自分は出た頃かな…と回想した。
最後に背中を横目で見納めして、外に出た時は車を見て、明日も当たり前にくると思っていた明日がもう来ないことを信じられない気持ちでいながらその場を去った。
あれから1年。
忘れた日どころか忘れた瞬間が存在しなかった。
外側の環境はずいぶんと変わったけれど、自分の心の中は同じだった。
本当は今日は1年前と同じように夕方からコメダに行って、1年前を振り返るつもりでいた。
振り返りノートも書く気でいた。
日記も書く予定だった。
ところが急なヒーリングを昨晩施してもらって、多分それで好転反応出て強烈な眠気で今日は日長1日寝ていた。
携帯の交換もままならず、画面ぐちゃぐちゃのまま書いてる。
さっき少しだけ数ヶ月前の過去の自分のブログを読んだ。
リアルな感覚をまた思い出した。
「今しかない」あの迫りくる感覚を思い出した。
忘れられそうにもない。
年がら年中発動はしなくても、時々やってくる「今しかない」感覚。
今日も今日で、このまま寝て明日に備えようかと思った。
だけど、やっぱり今日なんだと思った。
最後の挨拶の時の冷たく感じた声も凍りそうな空気も、そもそも鉢合わせした私のことも受け入れる心のスペースさえもうありませんと言わんばかりの感触も、そこにはまだその人がいた。
横目で見たとは思えないぐらいに最後の光景の記憶もしっかりとある。
すれ違う人生を受け入れる他なかった。
すれ違う人生のその後の計画なんて考える余裕もなかったし、激しい感情に呑まれまくってそれどころではなかった。
私の日常において、1年前のその日の記憶なんて普通はない。
よほど大きなインパクトでもない限り忘れる。
だけど1年前の今日はまるで昨日のことのように記憶に残っている。
その人の人生に足跡を残したかったのは本当の気持ちだけれど、その日のことを覚えているのは自分だけでもいいんじゃないかなと今は思っている。
なんなら、出逢いそのものも私の記憶にだけ鮮明に残ってしまってもいいと思う自分がいる。
私はこの1年毎日大事にするものを持っていた。
体は色んなことをする。
食べたり眠ったり働いたり話したり…常に何かをしている。
心も色んなことを考える。
こちらもほぼ不眠不休。
その中で、何でもすぐサボりがちな私が、とにかく自然にいつも大事にしていたものがあった。
その人が人生に現れてくれたことで大事にするものが生まれた。
自分の気持ちやその人を想う気持ちや人生に起きてくれた素晴らしいこと、そうしたものを本当に大事にした毎日だった。
それだけのすごいものをもたらした人だった。
だから、相手の気持ちや相手の記憶の度合いはどういうものであっても、私側は確実に大事にする何かをいつも持つ日々だったことには違いない。
大切な人と生きていけるのはすごいしあわせなことだと思う。
でも、大切に誰かを想えること、たとえ一緒に生きていなくても、それはそれでとてもしあわせなことだと感じる。
一方通行な感じとかは痛々しいと思わなくもないけれど、それでもそれでも誰かを大切に想えたりその人の無事を祈ったりできることはしあわせなことの1つに数えられる。
それは欲しいと願って手にできるものじゃないから。
頑張って手にできるものでもない。
ましてやお金とか知識とかを使ってできることとも違う。
息を吸ったり吐いたりするように、誰かを想う誰かの無事を祈るなんて、人生における最高の一期一会だと思う。
誰に習ったわけでもない、学校や仕事で教えてもらったわけでもない。
人を大切に想うとか、そういう気持ちは自然に湧くとか、本当にすごいと思う。
冷たさや背中を向ける気持ちとかも本当にあったことで、それは否定しない。
だけど、それはこの出逢いを否定する理由にはならなかった。
私には冷たく感じたその人も背中を向けたその人も、どちらもその人そのものだった。
最初の日に特大の安心感をくれたのも、その後一生忘れない優しさをくれたのもその人そのものだった。
全部ひっくるめて、その人を見て感じる時間が人生にプレゼントされた。
そしてその後のこの1年は、その人を大切に想う気持ちをプレゼントしてもらった。
さっき手紙の下書きを引っ張り出してきた。
本物の方はどうやって運ばれたんだろう…って思いを馳せた。
こういう妄想めいた想像の時間も楽しい。
うそじゃなくて本当に存在したわけだから、それでいいと思う。
じっくりもう一度読み返すのも楽しいかもしれない。
あの頃にはもう戻れない。
いつでも時間は前に進む。
それでも、進む時間の中でずっと引き継がれていくものがある。
その引き継がれたものによってこの1年は最高の一期一会を日々プレゼントしてもらってた。
この7個前の文章からちょっとした細工を施した。
それも気付いてもらえるかどうかは別にして楽しい時間だった。
思いつくままに書いたし、読み返してもないからどんな文章かわからないけれど、うそは1つも書かなかった。
このままアップする。
最高の一期一会と色々あっても尚人を大切に想う気持ちとをプレゼントしてもらえた1年だった。
ありがとう。
このブログの中でも何回も書いたけれどまた言う。
私の人生に現れてくれてありがとう。
喉調子悪くしてないかな…とこの1年何回か思った。
今も突然ふわっと出てきた。
結局渡さなかったけれど、いつかの夏の日、きんかんのど飴買いに行った。
今なら龍角散買う。
龍角散の方が確実にのどに効くとわかったから。
のど悪くしてませんように…。
ぶっちゃけ言えば、龍角散を「はい」って渡せる関係に憧れた。
ブログ小休止?のお知らせ
タイトル通りです。
iPhone、画面下半分パキパキに割れました((((T°T;)))))))
こうして更新してることさえ奇跡的!
機種変なりなんなり落ち着き次第、再開予定です。
東京駅前大丸デパートのトイレの床の方がアスファルトよりも強度強いようです。
目の前で私よりもっと高い場所からアスファルトにケースなしのスマホを画面を下にして落とした人をその後見たけれど、その人の携帯は無傷。
片や私のはもうちょっと柔らかめの床に滑るようにもうと低い位置からゆっくり落ちたのに、瀕死の重傷。
私の身代わりになってくれた、他のもっと大事なものたちは無事だったから良しです←ちとことんポジティブに捉えることに。
今打ってる文字ほとんど文字見えてません。
なんで、機械側の状況&私が使えるようになり次第復活します。
振り返りも延期です。
ちなみに何かを察したのか、エール送られてきました!←ということにした。
振り返りノートの主人公の名前がなんと縦に6個ボンボンボンボンボンボンと並んだものを今日偶然に発見!
道行く人たちの邪魔になりながら写真に収めました。
おかげで運気上がった気がします。
ということで、しばらくブログ小休止のお知らせでした。
ピンポンパンポン♪
iPhone、画面下半分パキパキに割れました((((T°T;)))))))
こうして更新してることさえ奇跡的!
機種変なりなんなり落ち着き次第、再開予定です。
東京駅前大丸デパートのトイレの床の方がアスファルトよりも強度強いようです。
目の前で私よりもっと高い場所からアスファルトにケースなしのスマホを画面を下にして落とした人をその後見たけれど、その人の携帯は無傷。
片や私のはもうちょっと柔らかめの床に滑るようにもうと低い位置からゆっくり落ちたのに、瀕死の重傷。
私の身代わりになってくれた、他のもっと大事なものたちは無事だったから良しです←ちとことんポジティブに捉えることに。
今打ってる文字ほとんど文字見えてません。
なんで、機械側の状況&私が使えるようになり次第復活します。
振り返りも延期です。
ちなみに何かを察したのか、エール送られてきました!←ということにした。
振り返りノートの主人公の名前がなんと縦に6個ボンボンボンボンボンボンと並んだものを今日偶然に発見!
道行く人たちの邪魔になりながら写真に収めました。
おかげで運気上がった気がします。
ということで、しばらくブログ小休止のお知らせでした。
ピンポンパンポン♪
2018年9月26日水曜日
振り返りノート 9/23〜9/25
【はじめに】
本当は全ての振り返りがまとめ終わったらアップする予定でいたけれど、長すぎるとわかって、とりあえず最初の分をアップすることに変更した。
伝えたいこと、伝わって欲しいことがたくさんあるんだとわかった。
伝える場所があること
伝える言葉を持っていること
伝えたい人がいること
伝えたい気持ちが自分の中にあること
そのすべてが1つになって今ここに繋がっている。
今回はいくつかのキーワードを散りばめた。
どれも大切なキーワードだけど、その中の1つが本当の本当に伝えたいこと。
スペイン語で出産することを「dar la luz」(ダール・ラ・ルス)と言う。
dar…与える
la…英語で言うところのthe
luz…光
スペイン語では命が誕生することを、「光を与える」と表現する。
ある1人の人の命は、本当にその意味通りとなって私の前に現れた。
出逢えて良かった、今でも変わらずにそう思っている。
そして、私の人生に現れてくれてありがとう、それも変わらずに思っている。
ありがとうの意を込めて、まぁ実際は押し付けかな…の振り返りノートを贈ります☻☻
9月23日(日)
しばらく毎日振り返りをして書き溜めてからアップしようと決めた。
去年のこの辺りからサインが現れるようになった。
まだその人はこの地に住んではいたけれど、いずれいなくなるのは決まっていた。
かなり色々と記録に残した割には、今の私が知りたいことは抜け落ちてて、多分この辺りからとしか言えない。
多分この日の辺りは、「水曜日」という情報は手にしてた気がする。
いついなくなるのかなんて聞くこと自体おかしかったから、誰かがそれをポロリと言わないかと、常に耳はダンボにしてた(←ほんと、何しに仕事行ってたんだか…)。
その水曜日を迎える直前の日曜日に「あと3日」と書いているから、何らかの形で知り得たんだと思う。
今となっては全く思い出せないけれど、無視する男性心理みたいなことを検索ワードを変えながら調べまくってた。
ものすごい量の記事を読んだけれど、どれもありきたりな話でピンとこなくて、「何か違う」という気持ちだけがずっと続いていた。
この辺りだと思う。
初めてしっくりとくる情報に行き着いたのは。
これ自分のこと?と言わんばかりに、書いてあることがまんま自分の身に起こったことで、それでやっと魂の繋がり的なキーワードに行き着いた。
でもそんなことわかったところで、何ができるわけでも何が変わるわけでもなく、迫りくる最後の日を前に私は居ても立っても居られない状態になっていた。
身の回りは着々と片付いていった。
だけど、徐々にだったから、最初の日よりも衝撃は少なかった。
私の中で一番衝撃を受けた日は、ダウンがなくなった日だった。
その時はまだ机周りはごちゃごちゃしていて、いなくなるという雰囲気はなかった。
だけど、ダウンが視界から消えた日は、しかもこれからシーズンで使うべきものがなくなった日は、あまりの衝撃に呆然とした。
頭を後ろから殴られたみたいだった。
だから、ダウンがなくなった日の方が衝撃がデカすぎて、その後物がどんどん片付いていく様子の方が予想通りではあったから、少しずつこの風景に慣れていくんだな…と静かな気持ちで見ていた。
もう1つ、今年の9月の天気を見て気付いたことがある。
去年は、手紙を書こうと決めて下書きをした日からその人がいなくなる3週間ぐらいの間、墓参りに行く時間だけ一度も雨が降らなかった。
毎日晴れてるか曇りで、その時だけ本当に守られてるように雨が降らなかった。
そして、いなくなった翌日の朝、墓参りの時間に雨が降った。
私はその日のことをこう書いてる。
「私の代わりに泣いてくれてるみたいだった」
ずっとno rainで来ていて、その人がいなくなった途端に雨が前の日の夜から降り続いたから、空が泣いてると思った。
(「no rain」は当時のノートまま抜粋)
これその日にもらった付箋ではなかったと思うけれど、私はSさんから「この音楽いいですね!」とか言ったのかな?何か音楽を聞いて、その題名を書いてもらった付箋がその雨の日の朝のところに貼り付けてあった。
「STEP UP LOVE」
今見ると、ちょっとしたメッセージだなぁと思う。
いなくなれば色々終わるのかと思ってた。
でも終わらなかった。
ステップというか状況は段階が変わったと思う。
その人が人生に現れたことで私がしなくてはいけなかったことは、自分のことだった。
自分を、自分の生き方を、自分の人生を、徹底的に見つめ直させられる、そんな風だった。
雨の日の後の次の記録は、1ヶ月後ぐらいで、そこにこんな風に書いていた。
「○○さんに対しては、年をとるまでヨボヨボになるまでそのプロセスも全部含めて隣りで見ていたいと感じた」
それを仕事の昼休みに大きな川の前に来て書いていた。
名古屋から数えてそこは5ヶ所目の派遣先で、どの時も昼休みに外に出ていたけれど、よくよく考えたらその時だけだった、川のあるところで休んだのは。
私は当時2つの場所を昼休みのお休みスポットとして使っていたけれど、どちらも川のある風景だった。
他の時は公園や木のある場所、風の通り道とかだったけれど、その時だけは無意識に川のある風景を選んでいた。
〜今日のキーワード〜
・その人と同じ県外ナンバー
・大きな福
・愛してまーす!
9月24日(月)
この辺りからものすごく長い日記を書くようになった。
吐き出す場所がなくて、とにかくいくらでも書くことがあって、書いても書いてもまだ言葉が続いた。
「ただただ一緒にいたいです」とその日の最後に書いていた。
無視されたまま、もし今も近くにいたとしたら、どうだったんだろう。
ちなみにその数日前にも無視されて、席隣りの人が「大丈夫です」と言ってくれなければ私はシャチハタ持って下に行こうとしてた。
その人は黙ってさっさと階下に行ってしまったけれど、その隣りの人が真っ直ぐに私を見て、その時本当に優しそうな感じでその大丈夫ですを言ってくれた。
そこまでしないといけないぐらいにその人は私に冷たくしてた。
その隣りの人とは辞める直前に話ができるようにはなったけれど、それまでの間でその時ほど心の通ったやり取りは他になかった。
当時は気付かなかったけれど、その隣りの人もあの異常な感じを感じ取ってたんじゃないかと思う。
話をするようになったら、すっごい空気読める人だとわかったから、そんな人が真っ直ぐに私を見て声をかけてくるぐらいの状況だったんだと今になって思う。
私はもう相手がどう出てきても静観する覚悟でいた。
最初に無視された時は、その後、仕事に差し支えるから仕事中だけは普通にして欲しいと言おうと思った。
毎回心が折れそうになるのはしんどいし、仕事が手につかなくなるから、だから何かの折を見て言おうとしてた。
その折が来る前に異動を私の教育係の人から告げられた。
人間ショック過ぎると、本当に頭の中が停止して真っ白になるんだなと思ったぐらいの威力だった。
そもそも仕事上全く絡みのない者同士だったにも関わらず、色々小さなイレギュラーが起こって、その人とは関われるようになっていた。
だから、その人としたいくつかのやり取りは、その後人が替わった後、1つとして起こらなかった。
また別のイレギュラーなことが次の人との間にはあったけれど、大したやり取りはなかった。
大体は他の人たちとやり取りすれば済むようになっていたし、次の人とは仕事以外の部分での話をすることはあっても仕事上の絡みはゼロに近かった。
その人とだけ、ボタンの掛け違いのごとく、色んなイレギュラーなことが重なって、そのイレギュラーを体験するようになってた。
そして私は、そのイレギュラーな時に毎回無視では困ると思って、それで言おうと決めた翌々日だったかに異動の知らせが来た。
もう言うどころではなくなり、そして何せイレギュラーなことはイレギュラーベースでしか起こらないから、残りの時間を見てももうそんなにはそれが起こらないだろうと思って、静観を決めた。
どんなにイレギュラーなことが起きても、あといいところせいぜい2、3回。
それならその時を我慢しよう、これ以上事を荒げるよりも静かに黙ってやり過ごす方がいいと思った。
今振り返ると、その人にまつわる色んなことたちはおかしな流れの中にあった。
他の人たちとの間では起きなくて、その人との間にだけ起こるような感じだった。
その人の存在をきちんと私が認識できるように色んなことが起こったと言ってもいいぐらいだった。
実はその1ヶ月後に今度は別の人が異動になった。
その人の異動の方が私の仕事に大いに影響が出たし、それに伴い確認することはたくさんあったけれど、すごい適当にそれは知らされた気がする。
状況が流動的だったのと中の人間模様の具合ともあって、きちんとした知らせはなかったかなと記憶している。
書類上、色んな絡みがあったから都度都度隣りの席の人に細かな確認はしたけれど、すごい適当だったことしか覚えていない。
なんなら最後挨拶さえしなかったという体たらくだった。
当日になって送別会の話も言われたし(周りも適当だった)、もちろん欠席したけれど、いつの間にかいなくなってた。
だけど、その人の時は全く違ってた。
立場の違いももちろんあったとは思うけれど、とにかくものすごくキリッとした雰囲気の中で異動は告げられて(勤めてた中でなぜか一番神妙な雰囲気だった)、その後の送別会の出欠席も3回ぐらい確認された。
最初幹事の人に言われた時、社内事情がわからなくて、とりあえず保留にして周りに確認しようと思った。
私は行きたくなかった。
その人とは気まずいわ、行っても99%無視されるの確定してるわ、そもそも人数が多くて接触することさえなさそうだわ、そもそも何で来てるの?と心で舌打ちされても嫌だわ、そんなの心が折れるわ、そして他のメンバーの人たちは大多数知らない=どう考えてもスーパー気疲れだわで、行きたい理由はなかった。
私は、心の中で「何で来たんだよ?」的な舌打ちをされることさえ嫌だった。
その人の仕事以外の顔を見たい気持ちもないわけではなかったけれど、それ以外の理由の方がデカすぎて、行かないことにした。
周りの人たちに聞いて、行かなくても差し支えないとわかったから行かなかった。
幹事の人に欠席の旨言ったと思うけれど、直前にもう一度本当に欠席でいいですか?と確認された。
今考えたら、何であの時もう一度確認されたんだろう?って思う。
その時ももう一度きちんと断った。
せめて何か贈り物するならそこには私も混ぜて欲しいとお願いしたけれど、それは参加する人たちだけで何とかするから大丈夫ですと言われた。
後日、送別会に出席したSさんが、その人と送別会で交わした唯一の会話を教えてくれた。
あまりの人数の多さに、本当に全く話せなくて、唯一話したのは帰る時に「Tと帰るの?」と聞かれただけだと言っていた。
全然話せなかったから、なんか送別会というよりも本当に同じ場所に居合わせただけって感じだったとか言ってた。
それ聞いて、尚さら行かなくて良かったと思った。
書きながら思った。
その人にまつわることは何でもかんでもよく覚えてる。
ものすごくはっきりと。
出欠席の確認されたシーンでさえどこでどんな風に確認されたか覚えてる。
「大丈夫です」と隣りの人に言われた時も、はたと気付けばその人はすたこらとその場をさっさと離れて階下に行ったシーンも。
映画のワンシーンを見てるかのごとく、覚えてる。
全部、全部覚えておきたかった。
どんな些細なことも、その人とその人に関することは記憶に残したかった。
〜今日のキーワード〜
・本当は別の何かがあってもそれをうまく出せなくて、もしくは本人も混乱してて、そうなってたかもしれないね
・どう思ったか聞きたかったね、本人に聞きたかったね
・「優しくて温かくて、涙が出そうだった」時間と空気のプレゼント
9月25日(火)
上の24日のキーワードは25日の今日になってから書いた。
昨日Sさんとのエピソードの記録を探した時に見つけたキーワードだった。
キーワードではなく、キー文章と化したけれど、気付かされたことが1つあった。
改めて気付いたこと。
最後に書いた
・「優しくて温かくて、涙が出そうだった」時間と空気のプレゼント
それをプレゼントしてくれたのはSさんだったけれど、実はその人からもたらされたものでもある。
それは私が仕事を辞める直前のある休前日の夜のことだった。
2人で美味しいお酒を飲みに仕事が終わった後出かけた。
その人に出逢わなくてもSさんと愉快で楽しい時間を共有できたと思う。
私はSさんが本当に好きだし、そんな素敵な人に仕事で出逢えたのはすごく嬉しかった。
私は自分が社会人をする中で「わからなかったら何度でも聞いてくださいね!遠慮せずに本当に聞いてくださいね!」と言ってくれたのはSさんが初めてだった。
私は人並みにできるようになるためには、ものすごい頑張らないといけないことの方が多い。
仕事でもとにかく細かくメモに残してそれ見ながらやって、やっと人と並ぶぐらいの能力にしかならない。
そんな中Sさんは小難しい処理をあれこれ伴う仕事に対して、何度でも聞いていいこと、本当にそうしたらSさんは一度も嫌な顔せず本当にいつでも丁寧にきちんと教えてくれた人だった。
本当に素敵な方で、そんな方とお仕事できたのは私はめちゃくちゃラッキーだった。
だからその人に出逢わなくてもSさんとは元々素敵な時間を持てた!と自信を持って言える。
だけど、その人が存在してくれたことで、さらに一層優しい空気が流れた。
私たちの会話の中にしか出てこなくても、それは会話に出てくる人の質によって温かくも棘々(とげとげ)しくもなるから、そう思うとその人はそこにいなくても温かいものをもたらす人だった。
Sさんの感性とその人の個性が掛け合わさると、優しさと温かさが生まれる。
その人だったから、その空気感をそこにはいなくても流し込む要素があった。
私はSさんともう1人その人の後輩にあたる人としかその人について話したことはない。
後輩の人とは、その人の仕事ぶりや人間性しか話してない。
Sさんと話した時も後輩くんと話した時も、どちらも空気がめちゃくちゃ良かった。
2人ともその人のことがすごく好きなのは伝わってきた。
その人が仕事ができるから好きなんじゃなくて、人として好きなのが伝わってくる、そういう風に2人から強く感じた。
Sさんはまだしも後輩くんからしたら先輩なわけで、普通仕事の絡みならもっと苦手になってもおかしくない。
だけど、本当に人として好きなんだというのは本人が言ったからだけではなく、他の人たちとの絡みも見てたから余計とわかった。
当時を振り返ると、入れ替わり立ち替わり来ていた色んな人たちとのやり取りと、その人とやり取りする感じは全く違ってたことに気付く。
先輩的な立場の人はかなり来たけれど、その後輩くんがその人たちを人として好きかと言うとそういう感じではなかった。
嫌いでもなかったとは思うけれど、だからと言って人として好きという気持ちみたいなのは感じられなかった。
ちなみに、その人がいなくなった直後、仕事の用事で電話したついでに引越しが無事終わったかどうかを聞いたら、想定外の返事がきたようですごい凹んでた時があった。
後輩くんはその状況に対して、半泣きになりながらショックを受けてた。
その人を責めずに「僕そんなに悪いこと聞きました?」と周りに救いを求めるように訴えてた姿が忘れられない。
感情をそこそこ外に出す人ではあるけれど、あんなにも超個人的なやり取りで感情、しかもショックとか悲しいとかいうのを出してたのは、その時1回だけだった。
今日は電話出てくれるかな…とかよく言いながら電話してたけれど、まるで彼女が彼氏に電話するみたいな感じだった。
出てもらえなかったり(←多分用事で出れない)、冷たくされたのか思うような反応や答えがもらえなかったのかは知らないけれどいまいちの時は、それにいちいち反応してた。
当時は電話で何一喜一憂してんだろう?と思っていたけれど、多分それって裏を返すとその人のことがすごい好きだから反応も大きかったんじゃないかなと思う。
だって他の電話の時はそんな風になってなかったし、少なくともおかしい時は冷静に理詰めで相手を追い詰めて怒ったり、言葉でとことん相手を追い込むタイプだから、そうではない個人的な感情付きで電話してたのはその人相手の時だけだったんじゃないかなと思う。
仕事の電話なんだけれど、その人との電話だけが色々人間的な反応をしてたなと思う。
はたから見ていると、かわいらしい反応をしてた。
いずれにしても、その人は自分じゃ気付いてなさそうだけれど、周りの人たちから愛されてるタイプの人には違いなかった。
ごますり的なことはしなさそうだからそういう面では組織の中でいまいちのような感じはあったけれど、人として本当にその人の良いところを知っている人たちからは根強い人気を集めてる感じはものすごくあった。
ちなみに、そのごますりしなさそうなところが私個人的には超いい!と思ってたことの1つだった。
大きな組織で長いこと勤めてる人特有の雰囲気がある。
色んな人たちが来ていたから、来る人来る人その手のタイプの人ばかりだった。
組織の色が強く出ていて、肝心のその人らしさが見えない感じになる。
圧倒的に男の人が多い職場だったから、余計と組織人としての姿勢や雰囲気が強く出ている人が多かった。
だけどその人はそういうタイプとは全然違っていて、良い意味で自分のペースと自分のやり方を貫く感じだった。
リーダーシップを取るとかも多分超苦手な人だと思うけれど、その人はその人らしい在り方でリーダーシップを取る人だった。
静なる統制を図れる人だった。
たくさんは喋らないしごちゃごちゃ言うこともしない代わりに、静かに着々とその場の空気を落ち着かせる。
見えない部分の統制をきっちりしているから、安心感・安定感がある。
実際は色々あったと思うけれども、そういうのを外に出さずに解決を図る人という感じだった。
その凄さを本当に知ったのは、その人がいなくなってからだった。
静なる統制の軸がなくなってしまったことで、しばらく社内はかなり不安定になった。
その不安定感を日々肌で感じていた時に、その人のすごさを知った。
色んなリーダーとか上の人たちを見てきたけれど、その人みたいなスタイルのリーダーは初めてだった。
静かだし偉そうにしてる雰囲気は皆無なのに、見えないところで組織にきちんと安心と安定をもたらしていた。
すごい人だとは思ってはいたけれど、私が思っていた以上にもっと力のある人だったことを知った。
Sさんが時々その人の良さを口にしていたことがあった。
本人に言ったらどうですか?と半分冗談で言ったら、そんなの言わないしできませんと返ってきた。
その人の性格を加味してそっとしておくところも、大切にされてる感じがした。
そういう余計なことを言って関係が変になるのも困るみたいなことも言っていて、あぁその人との関係を大事にしたいんだなぁと感じた。
そして大事にしたいと感じる魅力の持ち主なんだなぁと思っていつも話を聞いていた。
去年の記録を見ていたら、年末に迫った頃のある日の会話が記録されていた。
【Sさんが異動が決まった○○さんに「この町離れるの淋しくなるでしょ?」って聞いたら「それが不思議なんだけど全く寂しくないんだよね」と言ったらしい。】
聞いたその瞬間、私の中で「なんか違う」って思った。
多分事務所を離れるのは本当に個人的な感情は湧かなかったと思う。
なんとなくそう言いそうな姿は想像できた。
だけど私が感じたのはそこじゃなかった。
本当に深いところでは、言葉に嘘があると言うか、何か隠されてるって咄嗟に感じた。
当時の瞬間に戻れないからかなり怪しいけれど、多分私があの会話の中で感じた違う部分は私自身の気持ちとは違うと思う。
今になって思うと、その人の気持ちをキャッチしてたのかもしれないなと思う。
私から見たら、そして全く相手にされなかった私を見たら、その言葉の通りだし、それに対して疑問を挟む方がどうかしている。
「全く寂しくない」その通りと思う。
私はすごい寂しいと感じたけれど、なんならこの世の終わりぐらいな凄まじい感情が体と心を突き抜けたけれど、その人は私とは違うんだろうなぁと思ってた。
だけどそれを言われた時、瞬時に「違う」と思った。
今年の春先から本格的に自分でも認識できるようになった、第三者の声を拾う感じにあの時も近かった。
信じがたい話ではあるけれど、私のこのちょっと変わった体質は、別に本人から話を聞かなくてもいい。
Aさんと私が話している時に、Aさんの友達のBさんのことについて話が出たとする。
必要であれば、Bさんに向けた情報が私のところに飛んでくる。
実際にそういうことがあってそしてそのままキャッチした情報をAさん経由でBさんに伝えてもらったら、Bさんの具合が著しく回復したこともあった。
(私はBさんと面識なし)
別の人から職場の困ったことを相談された時がある。
その人には無理に動かない方がいいこと、とりあえず静観して様子を見ること、困った状況はすぐには良くならないだろうからその時は自分の気持ちだけケアすること、多分周りが勝手に動く気がすることを伝えていた。
思ったまま感じたままに伝えただけだったけれど、なんとその後本当にそのような流れが突如出てきて、結局本人が一切動かなくても勝手に周りが動いて解決したと教えてもらった。
予知とかではなくて、本当に感じたことを伝えたに過ぎなかった。
感じたことは、私じゃなくて相手の人から情報をもたらされてると今のところ思っている。
Sさんが教えてくれた言葉を聞いて「違う」と感じたのも、そういうのに近かったと思う。
なぜなら私なら、そんな超スーパーポジティブ且つ勘違いみたいな考え方を絶対にしないから!
私の希望とか願望「その人も寂しかったらいいなぁ」というようなものではなく、「何かが違う」という私のものではない感覚を感じた。
っていうか、何でそんな話を私は聞くのかもわからなかった。
これはもっと後から友達に言われたことだけれど。
私はその人にまつわる色んな話を聞く。
こうして文章にしてブログで発信することも度々ある。
人と人との意識がどこでどう交差するかはわからない。
だけれど、無意識の力って私たちが頭で考えてるより遥かに大きい。
もしかしたら、
Sさんを通じてその人について何かを知る
↓
私が反応して自分の反応を書く
↓
その人のところに私の書いたものが届く
という流れがあるのかもしれないよとその友達には言われた。
無意識の共鳴というか、隠された暗号を外に向けて発信するみたいな。
それはそうと、私はとにかく寂しくて心細くて仕方なかった。
今日が残すところラスト3日のところで、朝仕事に行ったらその人はいなくてそれさえも寂しかった。
あと何日かしたらそれが日常に代わるんだと思ったら、本当にそんなの嫌だと感じた。
時が止まらないかと本気で祈ってた。
バカみたいだけど、本気で時が止まってずっと近くにいられないかと、そう思っていた。
その日の日記に「自分を相手の人生の1ページに残したかったから手紙を書いた」と書いていた。
エッセイにあった言葉を読んで、私もそうだと思ったものをそのまま書いたに過ぎないけれど、今1年経過して余計とそう思う。
その人の人生に自分の足跡を残したかった。
生存本能とは違うけれど、何かを残したかった。
幻みたいに消えてなくなりそうで、記憶も全て消されてしまいそうで、私は確かに出逢いました!ということを残したかった、そんな気がする。
ちなみにこの1年近く色々書いてはきたけれど…。
私、その人は手紙を今でも持ち続けてくれてる気がしている。
その人の意思で持ち続けることを選んでくれてるんじゃないかと、なんとなくそう思っている。
私は仕事で一度電話でその人宛てに伝言を預かって、それをメモしたことがある。
言われてることのほとんどがわからなくて、聞いたままをそのまま清書した。
私は直接渡せる♡と超絶楽しみにしていたのに、事務員さんの調整があるとかで事務員さん経由となって、ものすごく残念だった。
その時、その人が事務員さんからメモを手渡されてメモに目を通してる瞬間を私は私でじっと見ていた。
私が見た理由は、内容大丈夫だったかな?というのと、意味通じてるのかな?という心配事があったから。
当初、直接手渡す→「意味通じてますか?大丈夫ですか?」とか聞く→ちょっとだけ話すチャンス!、とかいう小学生みたいな構図を頭に描いていて、1人で盛り上がってた(笑)←どこまでもめでたかった人。
だけどそうではなくなり、さらに私自身が伝言の意味もわかってなかったから、本当にそれで大丈夫だったのか心配になった。
事務員さんはこれでいいよと言ってくれたけれど、それでも私は心配だった。
それもあって、私はその人がメモを読んでる姿をじっと見てた。
その時の姿がすごく印象的だった。
私は最初自分が何か間違えたのかと勘違いしたほど、その人はずい分と長い時間メモを見ていた。
事務員さんが隣りでそのメモにまつわる業務内容だと思うけれど、何かをその人に口頭で確認してた。
それでもその人はずっとメモを見ていた。
私は最初「えっ⁉︎なんか間違えた?大丈夫なの?」とすごい不安になったけれど、途中から冷静になって、その人が見てるのはメモじゃないと思った。
メモの内容以外を見ている気がした。
そのメモは、私がその人宛てに初めて手書きで書いたものだった。
それ以前に、折り返し先の電話番号とかけてきた人の名前を書いたメモも渡したことがあったけれど、それは急ぎで駄々書きしたものでメモと呼べるものではなかった。
その「○○様」ときちんとその人宛てとわかるメモは、それが最初で最後だった。
ちなみにそのメモは、そんなにじっと読み込まないといけないものじゃない。
その前に事務員さんも読んでるから、事務員さんはそんなにも長い時間見てなかったことは知ってる。
そこだけ時が止まったかのような時間が流れていた。
目の前のパソコンでもなく、もちろんキーボードでもなく、隣りの事務員さんの方でもなく、事務員さんが話しかけてる横で視線はじっとメモに落とされたままだった。
その時の姿と手紙がなんとなく私の中で重なる。
それ以外何の根拠もないけれど、手紙は案外大切に保管されてるような気がする。
少なくとも捨てたりとかシュレッダーにかけたりとかはしていないと思う。
ここまでくると盲信みたいだけれど、なんとなくそんな気がしている。
これは私の希望もかなり入り込んでいるけれど、なんとなく今もなんだかんだと手元にあるんじゃないかなと思う。
そうだったら嬉しい。
私が望んだ、その人の人生の1ページに足跡を残せたことになるから。
今日は朝からちょこちょこと書いていたから、ずい分と話があちこちに飛んだ。
1年前の今日の私は、挨拶の練習をしていた。
泣かないための策を本気で練って、何て言えば最後の挨拶は大丈夫か言葉を考えていた。
そんなことをしつつ、もしかして奇跡が起こるかもしれないと最後まで望みを捨てきれない私もいた。
挨拶の練習も望みを捨てきれないことも色々心の中は忙しかったけれど、本当は何よりも怖かった。
その人が私の人生からいなくなってしまう、永遠にいなくなってしまうそのことが本気で怖かった。
それなら地球が破滅する方が怖くなかった。
〜今日のキーワード〜
・NO MORE CRY
10年以上前の話。
超がつくぐらいの多動症の男の子が幼稚園の発表会で踊った曲が今日テレビで流れた。
幼稚園からの連絡ノートには毎回園からの苦情やお願いばかりが書かれてしまう男の子だった(私はめちゃくちゃ好きで、幼稚園の先生の見る目のなさにガックリきてた)。
幼稚園の最後の発表会、本人の話もあまり的を射なくて、とりあえず踊ることだけは知って見に行った。
運動神経は抜群に良い子だった。
だけどダンスの時も途中から1人だけ違う動きで、間違えたのかと思って見ているのが途中から辛くなった。
と思ったら違っていて、その子はそのダンスの大トリで、側転とバク転を組み合わせた技を披露した。
私もそれ見て号泣したし、会場全体でスタンディングオベーションになった。
数百人は入ったステージでのスタンディングオベーションで、凄かった。
スタンディングオベーションになったのはその時のその子の演技の時だけだった。
その子にしかないものがそのままその子の魅力になっていた。
命がキラキラしていた。
命が輝いていた。
その子の命に触れた時、腹の底から感動を覚えた。
その人に対しても私は同じタイプの感動を覚える。
その人だけが持っているもの、その人のちょっとしか知らなくても、そのちょっとだけで私は常に感動してた。
その人がそこにいる、目の前に存在している、そのことに私の心は全力で動いていた。
本当は全ての振り返りがまとめ終わったらアップする予定でいたけれど、長すぎるとわかって、とりあえず最初の分をアップすることに変更した。
伝えたいこと、伝わって欲しいことがたくさんあるんだとわかった。
伝える場所があること
伝える言葉を持っていること
伝えたい人がいること
伝えたい気持ちが自分の中にあること
そのすべてが1つになって今ここに繋がっている。
今回はいくつかのキーワードを散りばめた。
どれも大切なキーワードだけど、その中の1つが本当の本当に伝えたいこと。
スペイン語で出産することを「dar la luz」(ダール・ラ・ルス)と言う。
dar…与える
la…英語で言うところのthe
luz…光
スペイン語では命が誕生することを、「光を与える」と表現する。
ある1人の人の命は、本当にその意味通りとなって私の前に現れた。
出逢えて良かった、今でも変わらずにそう思っている。
そして、私の人生に現れてくれてありがとう、それも変わらずに思っている。
ありがとうの意を込めて、まぁ実際は押し付けかな…の振り返りノートを贈ります☻☻
9月23日(日)
しばらく毎日振り返りをして書き溜めてからアップしようと決めた。
去年のこの辺りからサインが現れるようになった。
まだその人はこの地に住んではいたけれど、いずれいなくなるのは決まっていた。
かなり色々と記録に残した割には、今の私が知りたいことは抜け落ちてて、多分この辺りからとしか言えない。
多分この日の辺りは、「水曜日」という情報は手にしてた気がする。
いついなくなるのかなんて聞くこと自体おかしかったから、誰かがそれをポロリと言わないかと、常に耳はダンボにしてた(←ほんと、何しに仕事行ってたんだか…)。
その水曜日を迎える直前の日曜日に「あと3日」と書いているから、何らかの形で知り得たんだと思う。
今となっては全く思い出せないけれど、無視する男性心理みたいなことを検索ワードを変えながら調べまくってた。
ものすごい量の記事を読んだけれど、どれもありきたりな話でピンとこなくて、「何か違う」という気持ちだけがずっと続いていた。
この辺りだと思う。
初めてしっくりとくる情報に行き着いたのは。
これ自分のこと?と言わんばかりに、書いてあることがまんま自分の身に起こったことで、それでやっと魂の繋がり的なキーワードに行き着いた。
でもそんなことわかったところで、何ができるわけでも何が変わるわけでもなく、迫りくる最後の日を前に私は居ても立っても居られない状態になっていた。
身の回りは着々と片付いていった。
だけど、徐々にだったから、最初の日よりも衝撃は少なかった。
私の中で一番衝撃を受けた日は、ダウンがなくなった日だった。
その時はまだ机周りはごちゃごちゃしていて、いなくなるという雰囲気はなかった。
だけど、ダウンが視界から消えた日は、しかもこれからシーズンで使うべきものがなくなった日は、あまりの衝撃に呆然とした。
頭を後ろから殴られたみたいだった。
だから、ダウンがなくなった日の方が衝撃がデカすぎて、その後物がどんどん片付いていく様子の方が予想通りではあったから、少しずつこの風景に慣れていくんだな…と静かな気持ちで見ていた。
もう1つ、今年の9月の天気を見て気付いたことがある。
去年は、手紙を書こうと決めて下書きをした日からその人がいなくなる3週間ぐらいの間、墓参りに行く時間だけ一度も雨が降らなかった。
毎日晴れてるか曇りで、その時だけ本当に守られてるように雨が降らなかった。
そして、いなくなった翌日の朝、墓参りの時間に雨が降った。
私はその日のことをこう書いてる。
「私の代わりに泣いてくれてるみたいだった」
ずっとno rainで来ていて、その人がいなくなった途端に雨が前の日の夜から降り続いたから、空が泣いてると思った。
(「no rain」は当時のノートまま抜粋)
これその日にもらった付箋ではなかったと思うけれど、私はSさんから「この音楽いいですね!」とか言ったのかな?何か音楽を聞いて、その題名を書いてもらった付箋がその雨の日の朝のところに貼り付けてあった。
「STEP UP LOVE」
今見ると、ちょっとしたメッセージだなぁと思う。
いなくなれば色々終わるのかと思ってた。
でも終わらなかった。
ステップというか状況は段階が変わったと思う。
その人が人生に現れたことで私がしなくてはいけなかったことは、自分のことだった。
自分を、自分の生き方を、自分の人生を、徹底的に見つめ直させられる、そんな風だった。
雨の日の後の次の記録は、1ヶ月後ぐらいで、そこにこんな風に書いていた。
「○○さんに対しては、年をとるまでヨボヨボになるまでそのプロセスも全部含めて隣りで見ていたいと感じた」
それを仕事の昼休みに大きな川の前に来て書いていた。
名古屋から数えてそこは5ヶ所目の派遣先で、どの時も昼休みに外に出ていたけれど、よくよく考えたらその時だけだった、川のあるところで休んだのは。
私は当時2つの場所を昼休みのお休みスポットとして使っていたけれど、どちらも川のある風景だった。
他の時は公園や木のある場所、風の通り道とかだったけれど、その時だけは無意識に川のある風景を選んでいた。
〜今日のキーワード〜
・その人と同じ県外ナンバー
・大きな福
・愛してまーす!
9月24日(月)
この辺りからものすごく長い日記を書くようになった。
吐き出す場所がなくて、とにかくいくらでも書くことがあって、書いても書いてもまだ言葉が続いた。
「ただただ一緒にいたいです」とその日の最後に書いていた。
無視されたまま、もし今も近くにいたとしたら、どうだったんだろう。
ちなみにその数日前にも無視されて、席隣りの人が「大丈夫です」と言ってくれなければ私はシャチハタ持って下に行こうとしてた。
その人は黙ってさっさと階下に行ってしまったけれど、その隣りの人が真っ直ぐに私を見て、その時本当に優しそうな感じでその大丈夫ですを言ってくれた。
そこまでしないといけないぐらいにその人は私に冷たくしてた。
その隣りの人とは辞める直前に話ができるようにはなったけれど、それまでの間でその時ほど心の通ったやり取りは他になかった。
当時は気付かなかったけれど、その隣りの人もあの異常な感じを感じ取ってたんじゃないかと思う。
話をするようになったら、すっごい空気読める人だとわかったから、そんな人が真っ直ぐに私を見て声をかけてくるぐらいの状況だったんだと今になって思う。
私はもう相手がどう出てきても静観する覚悟でいた。
最初に無視された時は、その後、仕事に差し支えるから仕事中だけは普通にして欲しいと言おうと思った。
毎回心が折れそうになるのはしんどいし、仕事が手につかなくなるから、だから何かの折を見て言おうとしてた。
その折が来る前に異動を私の教育係の人から告げられた。
人間ショック過ぎると、本当に頭の中が停止して真っ白になるんだなと思ったぐらいの威力だった。
そもそも仕事上全く絡みのない者同士だったにも関わらず、色々小さなイレギュラーが起こって、その人とは関われるようになっていた。
だから、その人としたいくつかのやり取りは、その後人が替わった後、1つとして起こらなかった。
また別のイレギュラーなことが次の人との間にはあったけれど、大したやり取りはなかった。
大体は他の人たちとやり取りすれば済むようになっていたし、次の人とは仕事以外の部分での話をすることはあっても仕事上の絡みはゼロに近かった。
その人とだけ、ボタンの掛け違いのごとく、色んなイレギュラーなことが重なって、そのイレギュラーを体験するようになってた。
そして私は、そのイレギュラーな時に毎回無視では困ると思って、それで言おうと決めた翌々日だったかに異動の知らせが来た。
もう言うどころではなくなり、そして何せイレギュラーなことはイレギュラーベースでしか起こらないから、残りの時間を見てももうそんなにはそれが起こらないだろうと思って、静観を決めた。
どんなにイレギュラーなことが起きても、あといいところせいぜい2、3回。
それならその時を我慢しよう、これ以上事を荒げるよりも静かに黙ってやり過ごす方がいいと思った。
今振り返ると、その人にまつわる色んなことたちはおかしな流れの中にあった。
他の人たちとの間では起きなくて、その人との間にだけ起こるような感じだった。
その人の存在をきちんと私が認識できるように色んなことが起こったと言ってもいいぐらいだった。
実はその1ヶ月後に今度は別の人が異動になった。
その人の異動の方が私の仕事に大いに影響が出たし、それに伴い確認することはたくさんあったけれど、すごい適当にそれは知らされた気がする。
状況が流動的だったのと中の人間模様の具合ともあって、きちんとした知らせはなかったかなと記憶している。
書類上、色んな絡みがあったから都度都度隣りの席の人に細かな確認はしたけれど、すごい適当だったことしか覚えていない。
なんなら最後挨拶さえしなかったという体たらくだった。
当日になって送別会の話も言われたし(周りも適当だった)、もちろん欠席したけれど、いつの間にかいなくなってた。
だけど、その人の時は全く違ってた。
立場の違いももちろんあったとは思うけれど、とにかくものすごくキリッとした雰囲気の中で異動は告げられて(勤めてた中でなぜか一番神妙な雰囲気だった)、その後の送別会の出欠席も3回ぐらい確認された。
最初幹事の人に言われた時、社内事情がわからなくて、とりあえず保留にして周りに確認しようと思った。
私は行きたくなかった。
その人とは気まずいわ、行っても99%無視されるの確定してるわ、そもそも人数が多くて接触することさえなさそうだわ、そもそも何で来てるの?と心で舌打ちされても嫌だわ、そんなの心が折れるわ、そして他のメンバーの人たちは大多数知らない=どう考えてもスーパー気疲れだわで、行きたい理由はなかった。
私は、心の中で「何で来たんだよ?」的な舌打ちをされることさえ嫌だった。
その人の仕事以外の顔を見たい気持ちもないわけではなかったけれど、それ以外の理由の方がデカすぎて、行かないことにした。
周りの人たちに聞いて、行かなくても差し支えないとわかったから行かなかった。
幹事の人に欠席の旨言ったと思うけれど、直前にもう一度本当に欠席でいいですか?と確認された。
今考えたら、何であの時もう一度確認されたんだろう?って思う。
その時ももう一度きちんと断った。
せめて何か贈り物するならそこには私も混ぜて欲しいとお願いしたけれど、それは参加する人たちだけで何とかするから大丈夫ですと言われた。
後日、送別会に出席したSさんが、その人と送別会で交わした唯一の会話を教えてくれた。
あまりの人数の多さに、本当に全く話せなくて、唯一話したのは帰る時に「Tと帰るの?」と聞かれただけだと言っていた。
全然話せなかったから、なんか送別会というよりも本当に同じ場所に居合わせただけって感じだったとか言ってた。
それ聞いて、尚さら行かなくて良かったと思った。
書きながら思った。
その人にまつわることは何でもかんでもよく覚えてる。
ものすごくはっきりと。
出欠席の確認されたシーンでさえどこでどんな風に確認されたか覚えてる。
「大丈夫です」と隣りの人に言われた時も、はたと気付けばその人はすたこらとその場をさっさと離れて階下に行ったシーンも。
映画のワンシーンを見てるかのごとく、覚えてる。
全部、全部覚えておきたかった。
どんな些細なことも、その人とその人に関することは記憶に残したかった。
〜今日のキーワード〜
・本当は別の何かがあってもそれをうまく出せなくて、もしくは本人も混乱してて、そうなってたかもしれないね
・どう思ったか聞きたかったね、本人に聞きたかったね
・「優しくて温かくて、涙が出そうだった」時間と空気のプレゼント
9月25日(火)
上の24日のキーワードは25日の今日になってから書いた。
昨日Sさんとのエピソードの記録を探した時に見つけたキーワードだった。
キーワードではなく、キー文章と化したけれど、気付かされたことが1つあった。
改めて気付いたこと。
最後に書いた
・「優しくて温かくて、涙が出そうだった」時間と空気のプレゼント
それをプレゼントしてくれたのはSさんだったけれど、実はその人からもたらされたものでもある。
それは私が仕事を辞める直前のある休前日の夜のことだった。
2人で美味しいお酒を飲みに仕事が終わった後出かけた。
その人に出逢わなくてもSさんと愉快で楽しい時間を共有できたと思う。
私はSさんが本当に好きだし、そんな素敵な人に仕事で出逢えたのはすごく嬉しかった。
私は自分が社会人をする中で「わからなかったら何度でも聞いてくださいね!遠慮せずに本当に聞いてくださいね!」と言ってくれたのはSさんが初めてだった。
私は人並みにできるようになるためには、ものすごい頑張らないといけないことの方が多い。
仕事でもとにかく細かくメモに残してそれ見ながらやって、やっと人と並ぶぐらいの能力にしかならない。
そんな中Sさんは小難しい処理をあれこれ伴う仕事に対して、何度でも聞いていいこと、本当にそうしたらSさんは一度も嫌な顔せず本当にいつでも丁寧にきちんと教えてくれた人だった。
本当に素敵な方で、そんな方とお仕事できたのは私はめちゃくちゃラッキーだった。
だからその人に出逢わなくてもSさんとは元々素敵な時間を持てた!と自信を持って言える。
だけど、その人が存在してくれたことで、さらに一層優しい空気が流れた。
私たちの会話の中にしか出てこなくても、それは会話に出てくる人の質によって温かくも棘々(とげとげ)しくもなるから、そう思うとその人はそこにいなくても温かいものをもたらす人だった。
Sさんの感性とその人の個性が掛け合わさると、優しさと温かさが生まれる。
その人だったから、その空気感をそこにはいなくても流し込む要素があった。
私はSさんともう1人その人の後輩にあたる人としかその人について話したことはない。
後輩の人とは、その人の仕事ぶりや人間性しか話してない。
Sさんと話した時も後輩くんと話した時も、どちらも空気がめちゃくちゃ良かった。
2人ともその人のことがすごく好きなのは伝わってきた。
その人が仕事ができるから好きなんじゃなくて、人として好きなのが伝わってくる、そういう風に2人から強く感じた。
Sさんはまだしも後輩くんからしたら先輩なわけで、普通仕事の絡みならもっと苦手になってもおかしくない。
だけど、本当に人として好きなんだというのは本人が言ったからだけではなく、他の人たちとの絡みも見てたから余計とわかった。
当時を振り返ると、入れ替わり立ち替わり来ていた色んな人たちとのやり取りと、その人とやり取りする感じは全く違ってたことに気付く。
先輩的な立場の人はかなり来たけれど、その後輩くんがその人たちを人として好きかと言うとそういう感じではなかった。
嫌いでもなかったとは思うけれど、だからと言って人として好きという気持ちみたいなのは感じられなかった。
ちなみに、その人がいなくなった直後、仕事の用事で電話したついでに引越しが無事終わったかどうかを聞いたら、想定外の返事がきたようですごい凹んでた時があった。
後輩くんはその状況に対して、半泣きになりながらショックを受けてた。
その人を責めずに「僕そんなに悪いこと聞きました?」と周りに救いを求めるように訴えてた姿が忘れられない。
感情をそこそこ外に出す人ではあるけれど、あんなにも超個人的なやり取りで感情、しかもショックとか悲しいとかいうのを出してたのは、その時1回だけだった。
今日は電話出てくれるかな…とかよく言いながら電話してたけれど、まるで彼女が彼氏に電話するみたいな感じだった。
出てもらえなかったり(←多分用事で出れない)、冷たくされたのか思うような反応や答えがもらえなかったのかは知らないけれどいまいちの時は、それにいちいち反応してた。
当時は電話で何一喜一憂してんだろう?と思っていたけれど、多分それって裏を返すとその人のことがすごい好きだから反応も大きかったんじゃないかなと思う。
だって他の電話の時はそんな風になってなかったし、少なくともおかしい時は冷静に理詰めで相手を追い詰めて怒ったり、言葉でとことん相手を追い込むタイプだから、そうではない個人的な感情付きで電話してたのはその人相手の時だけだったんじゃないかなと思う。
仕事の電話なんだけれど、その人との電話だけが色々人間的な反応をしてたなと思う。
はたから見ていると、かわいらしい反応をしてた。
いずれにしても、その人は自分じゃ気付いてなさそうだけれど、周りの人たちから愛されてるタイプの人には違いなかった。
ごますり的なことはしなさそうだからそういう面では組織の中でいまいちのような感じはあったけれど、人として本当にその人の良いところを知っている人たちからは根強い人気を集めてる感じはものすごくあった。
ちなみに、そのごますりしなさそうなところが私個人的には超いい!と思ってたことの1つだった。
大きな組織で長いこと勤めてる人特有の雰囲気がある。
色んな人たちが来ていたから、来る人来る人その手のタイプの人ばかりだった。
組織の色が強く出ていて、肝心のその人らしさが見えない感じになる。
圧倒的に男の人が多い職場だったから、余計と組織人としての姿勢や雰囲気が強く出ている人が多かった。
だけどその人はそういうタイプとは全然違っていて、良い意味で自分のペースと自分のやり方を貫く感じだった。
リーダーシップを取るとかも多分超苦手な人だと思うけれど、その人はその人らしい在り方でリーダーシップを取る人だった。
静なる統制を図れる人だった。
たくさんは喋らないしごちゃごちゃ言うこともしない代わりに、静かに着々とその場の空気を落ち着かせる。
見えない部分の統制をきっちりしているから、安心感・安定感がある。
実際は色々あったと思うけれども、そういうのを外に出さずに解決を図る人という感じだった。
その凄さを本当に知ったのは、その人がいなくなってからだった。
静なる統制の軸がなくなってしまったことで、しばらく社内はかなり不安定になった。
その不安定感を日々肌で感じていた時に、その人のすごさを知った。
色んなリーダーとか上の人たちを見てきたけれど、その人みたいなスタイルのリーダーは初めてだった。
静かだし偉そうにしてる雰囲気は皆無なのに、見えないところで組織にきちんと安心と安定をもたらしていた。
すごい人だとは思ってはいたけれど、私が思っていた以上にもっと力のある人だったことを知った。
Sさんが時々その人の良さを口にしていたことがあった。
本人に言ったらどうですか?と半分冗談で言ったら、そんなの言わないしできませんと返ってきた。
その人の性格を加味してそっとしておくところも、大切にされてる感じがした。
そういう余計なことを言って関係が変になるのも困るみたいなことも言っていて、あぁその人との関係を大事にしたいんだなぁと感じた。
そして大事にしたいと感じる魅力の持ち主なんだなぁと思っていつも話を聞いていた。
去年の記録を見ていたら、年末に迫った頃のある日の会話が記録されていた。
【Sさんが異動が決まった○○さんに「この町離れるの淋しくなるでしょ?」って聞いたら「それが不思議なんだけど全く寂しくないんだよね」と言ったらしい。】
聞いたその瞬間、私の中で「なんか違う」って思った。
多分事務所を離れるのは本当に個人的な感情は湧かなかったと思う。
なんとなくそう言いそうな姿は想像できた。
だけど私が感じたのはそこじゃなかった。
本当に深いところでは、言葉に嘘があると言うか、何か隠されてるって咄嗟に感じた。
当時の瞬間に戻れないからかなり怪しいけれど、多分私があの会話の中で感じた違う部分は私自身の気持ちとは違うと思う。
今になって思うと、その人の気持ちをキャッチしてたのかもしれないなと思う。
私から見たら、そして全く相手にされなかった私を見たら、その言葉の通りだし、それに対して疑問を挟む方がどうかしている。
「全く寂しくない」その通りと思う。
私はすごい寂しいと感じたけれど、なんならこの世の終わりぐらいな凄まじい感情が体と心を突き抜けたけれど、その人は私とは違うんだろうなぁと思ってた。
だけどそれを言われた時、瞬時に「違う」と思った。
今年の春先から本格的に自分でも認識できるようになった、第三者の声を拾う感じにあの時も近かった。
信じがたい話ではあるけれど、私のこのちょっと変わった体質は、別に本人から話を聞かなくてもいい。
Aさんと私が話している時に、Aさんの友達のBさんのことについて話が出たとする。
必要であれば、Bさんに向けた情報が私のところに飛んでくる。
実際にそういうことがあってそしてそのままキャッチした情報をAさん経由でBさんに伝えてもらったら、Bさんの具合が著しく回復したこともあった。
(私はBさんと面識なし)
別の人から職場の困ったことを相談された時がある。
その人には無理に動かない方がいいこと、とりあえず静観して様子を見ること、困った状況はすぐには良くならないだろうからその時は自分の気持ちだけケアすること、多分周りが勝手に動く気がすることを伝えていた。
思ったまま感じたままに伝えただけだったけれど、なんとその後本当にそのような流れが突如出てきて、結局本人が一切動かなくても勝手に周りが動いて解決したと教えてもらった。
予知とかではなくて、本当に感じたことを伝えたに過ぎなかった。
感じたことは、私じゃなくて相手の人から情報をもたらされてると今のところ思っている。
Sさんが教えてくれた言葉を聞いて「違う」と感じたのも、そういうのに近かったと思う。
なぜなら私なら、そんな超スーパーポジティブ且つ勘違いみたいな考え方を絶対にしないから!
私の希望とか願望「その人も寂しかったらいいなぁ」というようなものではなく、「何かが違う」という私のものではない感覚を感じた。
っていうか、何でそんな話を私は聞くのかもわからなかった。
これはもっと後から友達に言われたことだけれど。
私はその人にまつわる色んな話を聞く。
こうして文章にしてブログで発信することも度々ある。
人と人との意識がどこでどう交差するかはわからない。
だけれど、無意識の力って私たちが頭で考えてるより遥かに大きい。
もしかしたら、
Sさんを通じてその人について何かを知る
↓
私が反応して自分の反応を書く
↓
その人のところに私の書いたものが届く
という流れがあるのかもしれないよとその友達には言われた。
無意識の共鳴というか、隠された暗号を外に向けて発信するみたいな。
それはそうと、私はとにかく寂しくて心細くて仕方なかった。
今日が残すところラスト3日のところで、朝仕事に行ったらその人はいなくてそれさえも寂しかった。
あと何日かしたらそれが日常に代わるんだと思ったら、本当にそんなの嫌だと感じた。
時が止まらないかと本気で祈ってた。
バカみたいだけど、本気で時が止まってずっと近くにいられないかと、そう思っていた。
その日の日記に「自分を相手の人生の1ページに残したかったから手紙を書いた」と書いていた。
エッセイにあった言葉を読んで、私もそうだと思ったものをそのまま書いたに過ぎないけれど、今1年経過して余計とそう思う。
その人の人生に自分の足跡を残したかった。
生存本能とは違うけれど、何かを残したかった。
幻みたいに消えてなくなりそうで、記憶も全て消されてしまいそうで、私は確かに出逢いました!ということを残したかった、そんな気がする。
ちなみにこの1年近く色々書いてはきたけれど…。
私、その人は手紙を今でも持ち続けてくれてる気がしている。
その人の意思で持ち続けることを選んでくれてるんじゃないかと、なんとなくそう思っている。
私は仕事で一度電話でその人宛てに伝言を預かって、それをメモしたことがある。
言われてることのほとんどがわからなくて、聞いたままをそのまま清書した。
私は直接渡せる♡と超絶楽しみにしていたのに、事務員さんの調整があるとかで事務員さん経由となって、ものすごく残念だった。
その時、その人が事務員さんからメモを手渡されてメモに目を通してる瞬間を私は私でじっと見ていた。
私が見た理由は、内容大丈夫だったかな?というのと、意味通じてるのかな?という心配事があったから。
当初、直接手渡す→「意味通じてますか?大丈夫ですか?」とか聞く→ちょっとだけ話すチャンス!、とかいう小学生みたいな構図を頭に描いていて、1人で盛り上がってた(笑)←どこまでもめでたかった人。
だけどそうではなくなり、さらに私自身が伝言の意味もわかってなかったから、本当にそれで大丈夫だったのか心配になった。
事務員さんはこれでいいよと言ってくれたけれど、それでも私は心配だった。
それもあって、私はその人がメモを読んでる姿をじっと見てた。
その時の姿がすごく印象的だった。
私は最初自分が何か間違えたのかと勘違いしたほど、その人はずい分と長い時間メモを見ていた。
事務員さんが隣りでそのメモにまつわる業務内容だと思うけれど、何かをその人に口頭で確認してた。
それでもその人はずっとメモを見ていた。
私は最初「えっ⁉︎なんか間違えた?大丈夫なの?」とすごい不安になったけれど、途中から冷静になって、その人が見てるのはメモじゃないと思った。
メモの内容以外を見ている気がした。
そのメモは、私がその人宛てに初めて手書きで書いたものだった。
それ以前に、折り返し先の電話番号とかけてきた人の名前を書いたメモも渡したことがあったけれど、それは急ぎで駄々書きしたものでメモと呼べるものではなかった。
その「○○様」ときちんとその人宛てとわかるメモは、それが最初で最後だった。
ちなみにそのメモは、そんなにじっと読み込まないといけないものじゃない。
その前に事務員さんも読んでるから、事務員さんはそんなにも長い時間見てなかったことは知ってる。
そこだけ時が止まったかのような時間が流れていた。
目の前のパソコンでもなく、もちろんキーボードでもなく、隣りの事務員さんの方でもなく、事務員さんが話しかけてる横で視線はじっとメモに落とされたままだった。
その時の姿と手紙がなんとなく私の中で重なる。
それ以外何の根拠もないけれど、手紙は案外大切に保管されてるような気がする。
少なくとも捨てたりとかシュレッダーにかけたりとかはしていないと思う。
ここまでくると盲信みたいだけれど、なんとなくそんな気がしている。
これは私の希望もかなり入り込んでいるけれど、なんとなく今もなんだかんだと手元にあるんじゃないかなと思う。
そうだったら嬉しい。
私が望んだ、その人の人生の1ページに足跡を残せたことになるから。
今日は朝からちょこちょこと書いていたから、ずい分と話があちこちに飛んだ。
1年前の今日の私は、挨拶の練習をしていた。
泣かないための策を本気で練って、何て言えば最後の挨拶は大丈夫か言葉を考えていた。
そんなことをしつつ、もしかして奇跡が起こるかもしれないと最後まで望みを捨てきれない私もいた。
挨拶の練習も望みを捨てきれないことも色々心の中は忙しかったけれど、本当は何よりも怖かった。
その人が私の人生からいなくなってしまう、永遠にいなくなってしまうそのことが本気で怖かった。
それなら地球が破滅する方が怖くなかった。
〜今日のキーワード〜
・NO MORE CRY
10年以上前の話。
超がつくぐらいの多動症の男の子が幼稚園の発表会で踊った曲が今日テレビで流れた。
幼稚園からの連絡ノートには毎回園からの苦情やお願いばかりが書かれてしまう男の子だった(私はめちゃくちゃ好きで、幼稚園の先生の見る目のなさにガックリきてた)。
幼稚園の最後の発表会、本人の話もあまり的を射なくて、とりあえず踊ることだけは知って見に行った。
運動神経は抜群に良い子だった。
だけどダンスの時も途中から1人だけ違う動きで、間違えたのかと思って見ているのが途中から辛くなった。
と思ったら違っていて、その子はそのダンスの大トリで、側転とバク転を組み合わせた技を披露した。
私もそれ見て号泣したし、会場全体でスタンディングオベーションになった。
数百人は入ったステージでのスタンディングオベーションで、凄かった。
スタンディングオベーションになったのはその時のその子の演技の時だけだった。
その子にしかないものがそのままその子の魅力になっていた。
命がキラキラしていた。
命が輝いていた。
その子の命に触れた時、腹の底から感動を覚えた。
その人に対しても私は同じタイプの感動を覚える。
その人だけが持っているもの、その人のちょっとしか知らなくても、そのちょっとだけで私は常に感動してた。
その人がそこにいる、目の前に存在している、そのことに私の心は全力で動いていた。
2018年9月25日火曜日
振り返りを綴る理由
昨日から書き始めた振り返りの文章。
常に2つの気持ちの中でせめぎ合いが起こっている。
「せめぎ」を漢字にすると「鬩ぎ」になるらしい。
字の様子が、まさにどちらも相容れないまま、中で葛藤している様子がよく現れている。
私は時々自分がストーカーとは違うけれど、すごく重たくて相手に迷惑となっている気がしてならない時がある。
(距離とか状況とか関係なく)
会えない人を想い続けて、先が見えないのにあきらめようともせず、ものすごく痛い人だと思われても仕方ない。
自分でも突っ込みどころ満載すぎる。
もう1つは、「死んだら全部チャラになるから、生きているうちに伝えよう」という気持ち。
今指を動かして自分の中のことをこうして文章に起こしている。
これ死んだ後はさすがにできない。
そしていつも過去の文章を見て思う、あぁその時にしか書けなかったなぁと。
例えば今書いてる文章は今だから書ける。
これ時間が変わると、書けなくなる。
言葉がすっと出てくる時というのがいつもある。
でもその時はいつもということではなくて、その時その時で、そして時間が過ぎた時にはもう書けなくなる。
このブログを最初に再開しようと決めた時、「えっ?ブログを書くの?ブログで発信するの?」と思った。
正直、戸惑った。
だってそんなの相手の目に触れる確率なんてゼロに等しいじゃん!って。
でも当時再開して良かった。
今はあの時のことはあの時と同じ気持ちではもう書けないから。
そして当たり前だけれど、今(未来)のことはあの時には書けないから。
私は目立つことも好きではないし、なるべくこじんまりと気の合う人たちとだけつるんでいたいと思う。
そして、人からどう思われるのか気にしいだから、気にしいと言うより、変だとかズレてるとか思われるのも、理解されないのも嫌だから、極力自分のことは少ししか話さない。
いっぱい話してる風でも自分のことは相当ふるいにかけて話してる。
相手も選べば話す内容も精査している。
ところが、このブログを通じて書いてることだけは違う。
近くにいた時、直接コミュニケーションを取ろうと思えば取れなくもなかった時、あまりにも伝える手段も量も内容も限られていた。
当初私は相手のことを知りたいだけだったけれど、なぜだろう、それとは違う気持ちも出てきた。
私のことを知って欲しい、私が何を思って何を感じているのか、それを知って欲しいと思うようになった。
それは近くにいた時には一度も思わなかったことだった。
自分を出すことは本気で怖いことだった。
嫌われたくなかったし、ドン引きされるのも嫌だったから。
今は違っていて、嫌われてもドン引きされてもいいから(良くはないけれど)、知ってて欲しい、そういう気持ちに変わった。
だから、こんな重たいことを書くのはどうかと思う気持ちと、知ってて欲しいと思う気持ちと、半々でいる。
もちろん読まれてるという確証は本当のところはない。
それでも、多分目に入っていると思っている。
さすがにここでは理由を明かさないけれど、妄想とかではなく、そう思うに至る理由がある。
先の心配なんかしても仕方ないけれど、私は今回1年後の自分を想像して書こうと決めたのもある。
仮にこれからの1年も今と同じような気持ちで過ごしたとして、次の1年後にこうして自分が書けるか?と言ったら書けない気がした。
2年もしてまだそこに気持ちがあるの?というようなものを外に出したくない。
かっこ悪いとか恥ずかしいとかいう理由もあるし、それこそ自分でも受け入れ難い気がしたから。
今もそうだけれど、2年もしたら色んな状況が変わってもおかしくない。
結婚してパパになってるかもしれないし、他の土地に引っ越してるかもしれない。
それはわからないけれど、そんな風なことを少しでも想像したら何も書けないなと思った。
今だってその可能性がゼロではないと思う。
それでも、今ならまだ私がそうしたことを気にせずに書ける。
でも1年後、要は2年後は無理だなと思った。
気持ちが変わらなくても、もう言葉にすることはしない可能性がある。
だから2017年から見て1年後にあたる今しか書けないんだと思った。
言いたいことも伝えたいこともたくさんあった。
知りたいことも重ねたいこともたくさんあった。
だけど、それらは出すところを見出せないままその人はいなくなってしまった。
このブログはそのためにそもそも開設したわけじゃないけれど、今は今の使い方で活用している。
私は小さく、でも心は大きく賭けてみた。
もし本当に魂の繋がりがある人なら届くはず、って。
魂の繋がりにこだわっているのではない。
そんなのは証明のしようもなければ、ものすごく主観的な感覚でしか説明できないから、とりあえず言葉として使っている感覚に過ぎない。
便宜上そう言ってるだけで、それが「特別な縁」でも「変わった縁」でも「イレギュラーな関係」でも「一方的な思い込み」でも何でもいい。
何なら、その人からは「非常に迷惑なものを押し付けてきた人」として認識されてたって構わない。
縁とか関係などという括りにして欲しくないかもしれないから、その辺りの言葉は何だっていい。
だけど、その人だけは本当に感覚全てがこれまでにないもので、ものすごく普通ではないことだけはわかった。
真面目にその人に感じたような気持ちは、もう一生のうちで最初で最後かもしれないとさえ思っている。
そして、お互いに生きているからこそ出逢えて、生きているからこそ伝えられるということも。
私は自分の人生を振り返った時に、人との出会い方が若干不思議な感じになっていることは自覚している。
出会い方だけなら、私はいくらでもドラマや映画のネタとして提供できるぐらいに色々ある。
それは異性に限ったことではなく、友達も仕事も趣味も学びも、とにかくありとあらゆる場面で、本当に縁のある人たちとはあり得ない確率をくぐり抜けて出逢う。
1つだけ言えること。
そうやって本当の縁で出逢った人たちは、1人の例外もなく、出逢おうとして出逢わなかったということ。
すごい網の中をくぐって最後は出逢うようになっていた。
反対に「出会う」ことを目的とした場で出会った人たちとは誰1人関係が繋がっていくことはなかった。
そういうことをたくさん積み重ねていたから、だから私は小さくでも心は大きく賭けた。
その人は明らかに出逢おうと思って出逢った人ではなかったから。
そしてどれだけ否定して打ち消そうとしてもその倍の力でその人の存在そのものを見せられていたから。
そしてもう1つ。
2ヶ月ぐらい前に、占星術講座で知り合ったゲイの方の話をこのブログで書いた。
その時にその方の個展の案内をもらって、そこからその方のブログも知った。
これ本気でビックリしたことだけれど、なんとその方のブログを私はその人と実際に講座で出会う前に知っていて、ブックマークしていた!
そして、その案内をもらわなければ、その繋がりにも気付かずにいた。
1億人以上いる日本の中で、出会う前にその人の書く文章に先に出会うってどれだけの確率だろうと思う。
ちなみに私は、私に出逢う前に私のブログやあるサイトに寄稿した文章を読んだという人に2人会ったことがある。
そういうことも体験しているから、だからどこで何が繋がってもおかしくないと思ってる。
話が飛ぶけれど、このブログを再開しようと決めた日、あの時はいっぱいいっぱいだったから細かく客観的に分析もしなかったけれど、よく考えたらあの日の自分の感覚も起こったことも異質だった。
私の中でそれは「磁場が動く」感じと勝手に命名している。
言葉だけでは到底説明できないようなことが重なる。
私にしてみたら全ては「たまたま」に過ぎなかった。
たまたまその道を通った。
たまたま降り続いていた雨が止んでいた。
たまたま曇り空から月が顔をのぞかせていた。
たまたま目の前にその人の名前入りの洋菓子屋さんの車が止まっていた。
たまたまあるお店の前を通った。
たまたまその人と同じ車が目の前にいた。
でも、例えば今日、全く同じことを再現しようとしても再現できない。
そのうちの1つか2つを重ね合わせたものを見ることはできても、全く同じことを全て引き起こすことはできない。
そしてそれら全てを目にすることで、私はブログを再開しようと決めた。
再開する理由は1つだけだった。
伝えられなかったことを伝えたかった。
ただそれだけだった。
今の振り返りは、1年前に書けなかったこと、又は書いたけれどまたもう一度書きたいことを中心に書いている。
今当時の記録を読むと、「えっ?」ってなることがいくつもある。
例えば、Sさんという人がいる。
そのSさんが本当に色々と私にその人の個人的な顔の一部をあれこれ教えてくれてた。
私は自分の思ってることがバレたくなくて、自分からその人の話を振ることはほとんどなかった。
だけれど、お願いしなくても、Sさんはちょいちょい事あるごとに教えてくれた。
そしてそれというのが、ちょうどその人がいなくなった辺りから始まった。
私は仕事を辞める直前にSさんには本当のことを話した。
Sさんには「全く気付かなかった」と言われた。
それぐらい私はいつもすっとぼけて話を聞いていた。
SさんもSさんで、何で私に色々話してくれたのかはわからない。
わからないけれど、私は何回か「あっ、これ誰にも言わないでくださいね〜」と口止めされた。
誰かに話せるほど仲の良い人は他に誰もいなかったから口止めの必要は全くなかったけれど、それでもSさんにしてみてもとても個人的な話だったんだと思う。
そんな超個人的な話を何でSさんが私に普通にベラベラしてたのか、その理由はよくわからなかった。
たしかに私たちは何でもかんでも色んなことを話したけれど、その人の話だけは私からは振らなかった。
Sさんに告白した日、Sさんは言った。
「私仲介役の役目があったんですかね?」
仲介役は仲を取り持つという意味ではなくて、見えないものを見えるように取り繋ぐ、水面下のものたちを引き上げる、そういう意味での仲介役だったのかもしれないと思う。
Sさんとその人は共通の趣味で繋がっていた。
だけど、Sさんはその人が異動してきた当初、同じ趣味は持っていなかったとのこと。
ある時熱が再燃して、それでまた趣味が復活して、それをきっかけにその人と個人的に仲良くなったとのこと。
Sさんは言った。
もし共通の趣味がなければ今みたいにそうやって繋がらなかった気がします、と。
当たり前だけれど、2人の趣味もSさんの趣味の再燃のスイッチも私が介入できることは1つもない。
だけどそこはそこで繋がって、そして後に私もそのおかげで色々知ることができた。
そういうことも含めて、磁場が動くような何かがあった。
もちろん見過ごそうと思えば見過ごせる。
だけど、あの時確実に何かが動いていたし、そしていよいよ本格的に不思議現象たちがどんどん現れた。
その人にはその人の人生がある。
それを邪魔したいとは思っていない。
関わり合いになりたいけれど、なれなければそれは仕方ないとも思っている。
だけど、伝えたいことだけは伝えきってしまいたい。
私のこんな一方的なやり方であったとしても伝えたい。
私は普段自分が普通にできてることに対して特段思うことはない。
だけど、その人に向けてこうして書く時だけは、私はまるでどこかの仙人のようなものすごい崇高な境地になる。
目が見えて、指が自由に動いて、心で感じて、頭で過去を振り返って、浮かんだことを言葉に変えて、携帯を持って、ブログというツールを使えて、自由に発信する場が持てて、それら全てが同時進行できることの凄さを感じる。
そしてその人も私も同じ時代の同じ国に生きている。
同じ言語を使う。
年齢も近くて、そしてたまたま同じところで働いていた。
この間、職場の別の人にバッタリとドラックストアで会った。
1ヶ月以内のことだったと思う。
その時に、1人の人はすでに異動したし、もう1人もその週末ぐらいに異動するって教えてもらった。
だから私が働いていた時にいた人で今もいるのは、今の長しかいないと知った。
内情はよく知らないけれど、とにかく結構な速さで異動があることはわかった。
ということは、本当にその人がそこにいたタイミングの時に私もそこに行けたというのは、限りなくゼロに近いぐらいのものすごく低い確率で起こったことなんだと改めて思った。
まさかそんな人にそこで出逢うなんて全く想像さえしていなかった。
でも、出逢う予定の人だったんだと思う。
私にとっては、人生で必ず逢う予定になっていた人だった。
だからせめて私側のストーリーや私側から見えてるものだけは伝えたい、そう思った。
いつか死ぬんだから、自己満足でも勘違いでも何でもいい。
生きている時に、「出逢えた」ということを伝える、「出逢えて良かった」ということを伝える、それが今の私にできる全てだと思っている。
正直なところ、何がそんなにその人をいいと思うのか、その理由は知らない。
私がその人のことで知ってることはものすごく少ない。
もはやSさんからもたらされた情報の方が多いんじゃないかというぐらいに少ない。
それでも、もう何が何だかわからないぐらいに気になって仕方ない人だった。
そして、大真面目に生きてる奇跡に毎日毎瞬心から感謝した。
その人に引き合わせてもらえた全てに感謝した。
だから知らないのに何でそんなにいちいち全てが大袈裟なのか自分でもわからなかった。
ちなみにSさんは、Sさんが知ってることはものすごく限られたことだけで、個人的なことはほとんど何も知らないと言っていた。
Sさんが知らないなら、私はもっともっと何も知らない。
それでも強力な引力が働いて、その人から目が離せなかった。
その人の顔とか体とか雰囲気とかそういうのを見てたのとも違ってた。
そもそも顔は真正面からガン見なんてできなかった。
自分でも何を見てたのかきちんと説明できないけれど、その人の何かに強烈に惹かれてたのは間違いない。
きっかけはちょっとしたことだった。
でもきっかけも今となれば、「俺ここにいるよ」と気付かない私に気付かせるために起こったことじゃないかと思っている。
その人がアピールしたというよりも、人生で私が大切な人に出逢っているのにも関わらずスルーしそうになっていたから、ここにいるよ、と私が気付くためにもたらされた出来事だったのかなと思う。
そんなあれこれを含めて、今伝えたいこと、今だから書けることを書こうと思って書き始めた。
節目の日にアップする予定でいる。
余談だけれど、書きながら思い出したことがあった。
私はSさんとその人の関係にめちゃくちゃ嫉妬した時があった。
まだその人がいた頃、Sさんの席の近くで2人で立って何かしらの作業をしてた。
今考えたら、私明らかに何でそんなのを見ていたんだろう?と思う。
それを見るには私は体の向きか、体は変えなくても顔の位置は変えないと見えない。
だけど、どちらかを調整してまで私は無意識に見てた。
SさんはSさんのままだから何も思わなかったけれど、普段ポーカーフェイスのその人がめちゃくちゃ笑顔で居心地良さそうにSさんと喋っていたのがめちゃくちゃ羨ましかった。
しかも私そんなに遠くを見渡せるほど視力が良くない。
でも、はっきりとその人の穏やかな顔と表情はよく見えてた(横顔)。
しかもその人はきちんとSさんの方を見ながら話してた。
それもものすごーく羨ましかった。
だからSさんから話を聞く前から2人が仲良しなのは気付いてた。
まさかそれらが後に色んなことに繋がっていくだなんて、そのシーンを見た時には想像もしていなかった。
もっとも私自身もその時はまだ自分の気持ちもわかってなかったから、全力で否定と打ち消しをしていた。
今思い出して書いてたら、そもそもの体勢に無理があるのにそれを突破して普通に見てた自分の方に驚いた。
今さらだけれど、すごく恥ずかしくなった。
これも後日談だけれど、私は本当に一体何を見てたんだろう?と思うけれど、Sさんとその人の話になった時、いくつか私個人の勝手な見解を言ったことがあった。
Sさんは気付かなくて私だけ気付いたことや、私が気付いたことを言ったことでSさんも「言われてみればそれ当たってる!」と言ってもらったこともいくつかあった。
多分私が気付いたことは、合っていると思う。
さんざん現場で鍛え上げられた、その人その人の良さやユニークなところ(ユニーク=唯一無二)を発見する力で見てる部分だから、おそらく合っている。
私だけが気付いたと思うとちょっとだけ優越感に浸れた。
Sさんに対して優越感ではなく、その人のその良さを自分だけが気付けた!という優越感だった。
書いてて思った。
私もう一度その人に会いたいんだなぁって。
その人の良いところもそうじゃないところも目の前で全部見たいんだなぁって。
常に2つの気持ちの中でせめぎ合いが起こっている。
「せめぎ」を漢字にすると「鬩ぎ」になるらしい。
字の様子が、まさにどちらも相容れないまま、中で葛藤している様子がよく現れている。
私は時々自分がストーカーとは違うけれど、すごく重たくて相手に迷惑となっている気がしてならない時がある。
(距離とか状況とか関係なく)
会えない人を想い続けて、先が見えないのにあきらめようともせず、ものすごく痛い人だと思われても仕方ない。
自分でも突っ込みどころ満載すぎる。
もう1つは、「死んだら全部チャラになるから、生きているうちに伝えよう」という気持ち。
今指を動かして自分の中のことをこうして文章に起こしている。
これ死んだ後はさすがにできない。
そしていつも過去の文章を見て思う、あぁその時にしか書けなかったなぁと。
例えば今書いてる文章は今だから書ける。
これ時間が変わると、書けなくなる。
言葉がすっと出てくる時というのがいつもある。
でもその時はいつもということではなくて、その時その時で、そして時間が過ぎた時にはもう書けなくなる。
このブログを最初に再開しようと決めた時、「えっ?ブログを書くの?ブログで発信するの?」と思った。
正直、戸惑った。
だってそんなの相手の目に触れる確率なんてゼロに等しいじゃん!って。
でも当時再開して良かった。
今はあの時のことはあの時と同じ気持ちではもう書けないから。
そして当たり前だけれど、今(未来)のことはあの時には書けないから。
私は目立つことも好きではないし、なるべくこじんまりと気の合う人たちとだけつるんでいたいと思う。
そして、人からどう思われるのか気にしいだから、気にしいと言うより、変だとかズレてるとか思われるのも、理解されないのも嫌だから、極力自分のことは少ししか話さない。
いっぱい話してる風でも自分のことは相当ふるいにかけて話してる。
相手も選べば話す内容も精査している。
ところが、このブログを通じて書いてることだけは違う。
近くにいた時、直接コミュニケーションを取ろうと思えば取れなくもなかった時、あまりにも伝える手段も量も内容も限られていた。
当初私は相手のことを知りたいだけだったけれど、なぜだろう、それとは違う気持ちも出てきた。
私のことを知って欲しい、私が何を思って何を感じているのか、それを知って欲しいと思うようになった。
それは近くにいた時には一度も思わなかったことだった。
自分を出すことは本気で怖いことだった。
嫌われたくなかったし、ドン引きされるのも嫌だったから。
今は違っていて、嫌われてもドン引きされてもいいから(良くはないけれど)、知ってて欲しい、そういう気持ちに変わった。
だから、こんな重たいことを書くのはどうかと思う気持ちと、知ってて欲しいと思う気持ちと、半々でいる。
もちろん読まれてるという確証は本当のところはない。
それでも、多分目に入っていると思っている。
さすがにここでは理由を明かさないけれど、妄想とかではなく、そう思うに至る理由がある。
先の心配なんかしても仕方ないけれど、私は今回1年後の自分を想像して書こうと決めたのもある。
仮にこれからの1年も今と同じような気持ちで過ごしたとして、次の1年後にこうして自分が書けるか?と言ったら書けない気がした。
2年もしてまだそこに気持ちがあるの?というようなものを外に出したくない。
かっこ悪いとか恥ずかしいとかいう理由もあるし、それこそ自分でも受け入れ難い気がしたから。
今もそうだけれど、2年もしたら色んな状況が変わってもおかしくない。
結婚してパパになってるかもしれないし、他の土地に引っ越してるかもしれない。
それはわからないけれど、そんな風なことを少しでも想像したら何も書けないなと思った。
今だってその可能性がゼロではないと思う。
それでも、今ならまだ私がそうしたことを気にせずに書ける。
でも1年後、要は2年後は無理だなと思った。
気持ちが変わらなくても、もう言葉にすることはしない可能性がある。
だから2017年から見て1年後にあたる今しか書けないんだと思った。
言いたいことも伝えたいこともたくさんあった。
知りたいことも重ねたいこともたくさんあった。
だけど、それらは出すところを見出せないままその人はいなくなってしまった。
このブログはそのためにそもそも開設したわけじゃないけれど、今は今の使い方で活用している。
私は小さく、でも心は大きく賭けてみた。
もし本当に魂の繋がりがある人なら届くはず、って。
魂の繋がりにこだわっているのではない。
そんなのは証明のしようもなければ、ものすごく主観的な感覚でしか説明できないから、とりあえず言葉として使っている感覚に過ぎない。
便宜上そう言ってるだけで、それが「特別な縁」でも「変わった縁」でも「イレギュラーな関係」でも「一方的な思い込み」でも何でもいい。
何なら、その人からは「非常に迷惑なものを押し付けてきた人」として認識されてたって構わない。
縁とか関係などという括りにして欲しくないかもしれないから、その辺りの言葉は何だっていい。
だけど、その人だけは本当に感覚全てがこれまでにないもので、ものすごく普通ではないことだけはわかった。
真面目にその人に感じたような気持ちは、もう一生のうちで最初で最後かもしれないとさえ思っている。
そして、お互いに生きているからこそ出逢えて、生きているからこそ伝えられるということも。
私は自分の人生を振り返った時に、人との出会い方が若干不思議な感じになっていることは自覚している。
出会い方だけなら、私はいくらでもドラマや映画のネタとして提供できるぐらいに色々ある。
それは異性に限ったことではなく、友達も仕事も趣味も学びも、とにかくありとあらゆる場面で、本当に縁のある人たちとはあり得ない確率をくぐり抜けて出逢う。
1つだけ言えること。
そうやって本当の縁で出逢った人たちは、1人の例外もなく、出逢おうとして出逢わなかったということ。
すごい網の中をくぐって最後は出逢うようになっていた。
反対に「出会う」ことを目的とした場で出会った人たちとは誰1人関係が繋がっていくことはなかった。
そういうことをたくさん積み重ねていたから、だから私は小さくでも心は大きく賭けた。
その人は明らかに出逢おうと思って出逢った人ではなかったから。
そしてどれだけ否定して打ち消そうとしてもその倍の力でその人の存在そのものを見せられていたから。
そしてもう1つ。
2ヶ月ぐらい前に、占星術講座で知り合ったゲイの方の話をこのブログで書いた。
その時にその方の個展の案内をもらって、そこからその方のブログも知った。
これ本気でビックリしたことだけれど、なんとその方のブログを私はその人と実際に講座で出会う前に知っていて、ブックマークしていた!
そして、その案内をもらわなければ、その繋がりにも気付かずにいた。
1億人以上いる日本の中で、出会う前にその人の書く文章に先に出会うってどれだけの確率だろうと思う。
ちなみに私は、私に出逢う前に私のブログやあるサイトに寄稿した文章を読んだという人に2人会ったことがある。
そういうことも体験しているから、だからどこで何が繋がってもおかしくないと思ってる。
話が飛ぶけれど、このブログを再開しようと決めた日、あの時はいっぱいいっぱいだったから細かく客観的に分析もしなかったけれど、よく考えたらあの日の自分の感覚も起こったことも異質だった。
私の中でそれは「磁場が動く」感じと勝手に命名している。
言葉だけでは到底説明できないようなことが重なる。
私にしてみたら全ては「たまたま」に過ぎなかった。
たまたまその道を通った。
たまたま降り続いていた雨が止んでいた。
たまたま曇り空から月が顔をのぞかせていた。
たまたま目の前にその人の名前入りの洋菓子屋さんの車が止まっていた。
たまたまあるお店の前を通った。
たまたまその人と同じ車が目の前にいた。
でも、例えば今日、全く同じことを再現しようとしても再現できない。
そのうちの1つか2つを重ね合わせたものを見ることはできても、全く同じことを全て引き起こすことはできない。
そしてそれら全てを目にすることで、私はブログを再開しようと決めた。
再開する理由は1つだけだった。
伝えられなかったことを伝えたかった。
ただそれだけだった。
今の振り返りは、1年前に書けなかったこと、又は書いたけれどまたもう一度書きたいことを中心に書いている。
今当時の記録を読むと、「えっ?」ってなることがいくつもある。
例えば、Sさんという人がいる。
そのSさんが本当に色々と私にその人の個人的な顔の一部をあれこれ教えてくれてた。
私は自分の思ってることがバレたくなくて、自分からその人の話を振ることはほとんどなかった。
だけれど、お願いしなくても、Sさんはちょいちょい事あるごとに教えてくれた。
そしてそれというのが、ちょうどその人がいなくなった辺りから始まった。
私は仕事を辞める直前にSさんには本当のことを話した。
Sさんには「全く気付かなかった」と言われた。
それぐらい私はいつもすっとぼけて話を聞いていた。
SさんもSさんで、何で私に色々話してくれたのかはわからない。
わからないけれど、私は何回か「あっ、これ誰にも言わないでくださいね〜」と口止めされた。
誰かに話せるほど仲の良い人は他に誰もいなかったから口止めの必要は全くなかったけれど、それでもSさんにしてみてもとても個人的な話だったんだと思う。
そんな超個人的な話を何でSさんが私に普通にベラベラしてたのか、その理由はよくわからなかった。
たしかに私たちは何でもかんでも色んなことを話したけれど、その人の話だけは私からは振らなかった。
Sさんに告白した日、Sさんは言った。
「私仲介役の役目があったんですかね?」
仲介役は仲を取り持つという意味ではなくて、見えないものを見えるように取り繋ぐ、水面下のものたちを引き上げる、そういう意味での仲介役だったのかもしれないと思う。
Sさんとその人は共通の趣味で繋がっていた。
だけど、Sさんはその人が異動してきた当初、同じ趣味は持っていなかったとのこと。
ある時熱が再燃して、それでまた趣味が復活して、それをきっかけにその人と個人的に仲良くなったとのこと。
Sさんは言った。
もし共通の趣味がなければ今みたいにそうやって繋がらなかった気がします、と。
当たり前だけれど、2人の趣味もSさんの趣味の再燃のスイッチも私が介入できることは1つもない。
だけどそこはそこで繋がって、そして後に私もそのおかげで色々知ることができた。
そういうことも含めて、磁場が動くような何かがあった。
もちろん見過ごそうと思えば見過ごせる。
だけど、あの時確実に何かが動いていたし、そしていよいよ本格的に不思議現象たちがどんどん現れた。
その人にはその人の人生がある。
それを邪魔したいとは思っていない。
関わり合いになりたいけれど、なれなければそれは仕方ないとも思っている。
だけど、伝えたいことだけは伝えきってしまいたい。
私のこんな一方的なやり方であったとしても伝えたい。
私は普段自分が普通にできてることに対して特段思うことはない。
だけど、その人に向けてこうして書く時だけは、私はまるでどこかの仙人のようなものすごい崇高な境地になる。
目が見えて、指が自由に動いて、心で感じて、頭で過去を振り返って、浮かんだことを言葉に変えて、携帯を持って、ブログというツールを使えて、自由に発信する場が持てて、それら全てが同時進行できることの凄さを感じる。
そしてその人も私も同じ時代の同じ国に生きている。
同じ言語を使う。
年齢も近くて、そしてたまたま同じところで働いていた。
この間、職場の別の人にバッタリとドラックストアで会った。
1ヶ月以内のことだったと思う。
その時に、1人の人はすでに異動したし、もう1人もその週末ぐらいに異動するって教えてもらった。
だから私が働いていた時にいた人で今もいるのは、今の長しかいないと知った。
内情はよく知らないけれど、とにかく結構な速さで異動があることはわかった。
ということは、本当にその人がそこにいたタイミングの時に私もそこに行けたというのは、限りなくゼロに近いぐらいのものすごく低い確率で起こったことなんだと改めて思った。
まさかそんな人にそこで出逢うなんて全く想像さえしていなかった。
でも、出逢う予定の人だったんだと思う。
私にとっては、人生で必ず逢う予定になっていた人だった。
だからせめて私側のストーリーや私側から見えてるものだけは伝えたい、そう思った。
いつか死ぬんだから、自己満足でも勘違いでも何でもいい。
生きている時に、「出逢えた」ということを伝える、「出逢えて良かった」ということを伝える、それが今の私にできる全てだと思っている。
正直なところ、何がそんなにその人をいいと思うのか、その理由は知らない。
私がその人のことで知ってることはものすごく少ない。
もはやSさんからもたらされた情報の方が多いんじゃないかというぐらいに少ない。
それでも、もう何が何だかわからないぐらいに気になって仕方ない人だった。
そして、大真面目に生きてる奇跡に毎日毎瞬心から感謝した。
その人に引き合わせてもらえた全てに感謝した。
だから知らないのに何でそんなにいちいち全てが大袈裟なのか自分でもわからなかった。
ちなみにSさんは、Sさんが知ってることはものすごく限られたことだけで、個人的なことはほとんど何も知らないと言っていた。
Sさんが知らないなら、私はもっともっと何も知らない。
それでも強力な引力が働いて、その人から目が離せなかった。
その人の顔とか体とか雰囲気とかそういうのを見てたのとも違ってた。
そもそも顔は真正面からガン見なんてできなかった。
自分でも何を見てたのかきちんと説明できないけれど、その人の何かに強烈に惹かれてたのは間違いない。
きっかけはちょっとしたことだった。
でもきっかけも今となれば、「俺ここにいるよ」と気付かない私に気付かせるために起こったことじゃないかと思っている。
その人がアピールしたというよりも、人生で私が大切な人に出逢っているのにも関わらずスルーしそうになっていたから、ここにいるよ、と私が気付くためにもたらされた出来事だったのかなと思う。
そんなあれこれを含めて、今伝えたいこと、今だから書けることを書こうと思って書き始めた。
節目の日にアップする予定でいる。
余談だけれど、書きながら思い出したことがあった。
私はSさんとその人の関係にめちゃくちゃ嫉妬した時があった。
まだその人がいた頃、Sさんの席の近くで2人で立って何かしらの作業をしてた。
今考えたら、私明らかに何でそんなのを見ていたんだろう?と思う。
それを見るには私は体の向きか、体は変えなくても顔の位置は変えないと見えない。
だけど、どちらかを調整してまで私は無意識に見てた。
SさんはSさんのままだから何も思わなかったけれど、普段ポーカーフェイスのその人がめちゃくちゃ笑顔で居心地良さそうにSさんと喋っていたのがめちゃくちゃ羨ましかった。
しかも私そんなに遠くを見渡せるほど視力が良くない。
でも、はっきりとその人の穏やかな顔と表情はよく見えてた(横顔)。
しかもその人はきちんとSさんの方を見ながら話してた。
それもものすごーく羨ましかった。
だからSさんから話を聞く前から2人が仲良しなのは気付いてた。
まさかそれらが後に色んなことに繋がっていくだなんて、そのシーンを見た時には想像もしていなかった。
もっとも私自身もその時はまだ自分の気持ちもわかってなかったから、全力で否定と打ち消しをしていた。
今思い出して書いてたら、そもそもの体勢に無理があるのにそれを突破して普通に見てた自分の方に驚いた。
今さらだけれど、すごく恥ずかしくなった。
これも後日談だけれど、私は本当に一体何を見てたんだろう?と思うけれど、Sさんとその人の話になった時、いくつか私個人の勝手な見解を言ったことがあった。
Sさんは気付かなくて私だけ気付いたことや、私が気付いたことを言ったことでSさんも「言われてみればそれ当たってる!」と言ってもらったこともいくつかあった。
多分私が気付いたことは、合っていると思う。
さんざん現場で鍛え上げられた、その人その人の良さやユニークなところ(ユニーク=唯一無二)を発見する力で見てる部分だから、おそらく合っている。
私だけが気付いたと思うとちょっとだけ優越感に浸れた。
Sさんに対して優越感ではなく、その人のその良さを自分だけが気付けた!という優越感だった。
書いてて思った。
私もう一度その人に会いたいんだなぁって。
その人の良いところもそうじゃないところも目の前で全部見たいんだなぁって。
2018年9月24日月曜日
月8000円の美容代男子
「月8000円の美容代…」
携帯ニュースで面白そうな記事を見つけて読んでいた。
40歳独身男性の家計の見直し的なもので、色々内容がぶっ飛んでいたけれど、一番驚いたのが月8000円の美容代だった。
美容院代や日用品代は含まれていないようで、単純に日常で使う化粧水だとか加齢臭ケアだとかそういうものに8000円かかるらしい。
男の人なのにそんなにかかるの⁉︎と思いつつ、すごい昔の記憶が蘇ってきた。
今の若い男子たちは知らないけれど、私と同世代のアラフォー男性たちはそういうことにすごく気を使う人と使わない人と両極端だと思う。
何を思い出したって、私は過去に一度男のルームメートを持ったことがあってその時の洗面台を思い出した。
ドラマみたいな話だったけれど、私はある日突然、同世代の男のルームメートを持つことになった。
大学3年の時に1年だけ違う州の大学に行った。
国内交換制度プログラムみたいなのを利用して、元の大学に籍を置いたまま別の大学に行って、そこで取得した単位はまた在籍校でそのまま卒業単位に認定されるというものだった。
それが終わったらまた元の町へ戻ってきたのはいいけれど、とりあえず住むところがなかった。
そこにいた友達カップルが、夏休み2人とも一緒に住んでるアパートを空けるから、私が自分の住む場所を見つけるまで家賃払ってそこに住んで欲しいと、願ったり叶ったりのオファーをくれた。
二つ返事で飛びついて、それで私はその日スーツケースをガラガラと引いて友達カップルのアパートに向かった。
彼氏の方は旅立つ前日で、私にアパートの鍵とか必要なものを渡してくれる予定だった。
そこに行くと、3人の日本人の交換留学で来ていた男の子たちを紹介された。
私と入れ違いだったんだなと思いながら、はじめましてなんてのんきに挨拶したら、その彼氏が言った。
「あのねフミコ、この中のTだけど、これから1ヶ月、日本に帰国するまでフミコと一緒にこのアパートに住むから!」
えっ⁉︎そんなの聞いてない!と思ったけれど(ちなみに驚かそうと思って言わなかったらしい)、Tとて住む部屋がない、私もない、ないもの同士文句など言える立場になく、本当にどこの誰かも知らない全くの初対面男子と突然ルームシェアを始めるという奇妙なことがスタートした。
あんなのドラマだけの世界かと思ったけれどリアルにあるんだ、とその時初めて知った。
Tはとても気さくで気を使わなくてよくて、本当に楽チンだった。
お互いに距離感の取り方も今思えば似ていたと思う、会えば話を色々するし、そうでないそれぞれの個人の時間は個人で動く、本物の同居人だった。
しかも私は夕方から夜中にかけて学校の掃除のバイトに行っていたから、日長1日顔を合わせっぱなしということもそうそうなかった。
一度バイトの日、私は忘れ物か何かで休憩中にアパートに戻った時、男に媚びてばっかりいる女の子がTを訪ねてきていて、膝枕とかしてたからどうしようかと思った。
中に入ったと思うけれど(そこを通らないと部屋に行けない)、私の方が気まずいわと思いながら軽く挨拶してすたこらさっさと自分の忘れ物を取りに行った気がする。
アパートの中に入る前に通路に面した窓から丸見えだったから、入ることさえ躊躇された。
連れ込んでもいいけれど、やることは自分の部屋でやってくれ!と思った(←さすがにそんなこと言えなかったけれど)。
関係ないけれど、その女の子は最後の最後まですっごい苦手だった。
苦手と言うより嫌いだった。
確かに男ウケする顔にスタイルではあったけれど、とにかく性格が男の前と女の前で違いすぎてめちゃくちゃだった。
本気でゲスな性格なのに、男の前で猫かぶって可愛らしく振る舞ってバカじゃないの?といつも思ってた。
Tも日本に彼女いるんじゃなかったの?と思いながら、それだけは私は2人とも何なの?と思って見ていた。
(その後も女狐のTをはじめ男性たちへの媚びっぷりは凄かった)
私は全くタイプではなかったからTを見てもそして同じ屋根の下で暮らしていても何にも思わなかったけれど、Tは多分モテる。
私の女友達に写真を見せた時、Tの写真が出てくると、何人かは「この人かっこいいね!」と言っていたし、日本でTに会うといつも彼女や彼女候補が絶えなかった。
確かに話も面白いし気も利くスマート男子ではあったけれど、異性だという風に見たことはない。
向こうもそうだと思うけれど、お互いに一線を絶対に越えない自信がある。
その時以降これまでに何人の男性を家に泊めたかは覚えてないけれど(普通に二桁いく人数)、色んな人たちが泊まってくれたから私にはわかる。
絶対にそういうことにはならない異性というのがいる。
っていうかそういう人じゃないと泊められないけれど、Tも完全にそのタイプだった。
誤解を招きそうだから付け足すと、みんなで集まろう!となった時にうちが雑魚寝でも泊まりやすい環境だったり、移動するのにちょうど便利な場所に家があったりして、それでよく色んな人が男女問わず泊まりに来てた。
日本だとちょっと事情が違うのかもしれないけれど、アメリカやドミニカにいた時は性差を超えた友達は当たり前だったから、泊まる=関係を持つなんていうことにはならない。
だから日本に戻ってきてからもそれは変わらなくて、向こうで知り合った男友達とはみんな互いに行き来しても何ともない。
しかも、これは私個人の持論だけれど、特に異性の友達なんていうのは貴重だから、一線を越えて相手との関係を失うよりも相手との関係そのものを大切にすることの方が何十倍も大事だから、そういうことをしようという発想にならない。
相手が大切であればあるほど、そんなことはできない。
そもそもそういう気持ちさえ起きない。
私がそういう対象にならないとかはさておいても、男友達もみんなそこは大切にしてくれてる。
だから今も変わらずに会える。
話が逸れすぎた。
初対面の日にルームメートにいきなりなったTと、その月8000円を美容代に使うアラフォー男性の姿とが重なった。
その話を読んで、真っ先にTが思い浮かんだ。
Tと言うよりも、Tと共有スペースだった洗面台を。
それぞれの荷物を洗面台に置いた。
忘れもしない初日のこと。
そもそも私が少ないのかもしれないけれど、Tは女の私よりも3倍近い化粧品関連のグッズをそこに置いていた。
パッと見ただけじゃ何が何なのかわからなかったけれど、とにかくものすごくたくさんのグッズが置かれていて、度肝を抜かれた。
私が、歯磨き粉・洗顔・化粧水・クリームだとしたら、Tは明らかにその3倍は何かを持っていた。
洗面台の占有面積が明らかに男女で逆転していた。
Tは美意識高い男子だった。
そう言えば、格好とかも相まって、ゲイに間違われるとか言ってた気がする。
眉毛ももちろん整えてた。
っていうか、何だったんだろう、あのたくさんのグッズたちは。
スキンヘッドに近かったから、頭関係のものはなかったはず。
となると、何だったんだろう、あの大量の何かたち。
Tのその洗面コーナーを思い出すと、どこの誰かは知らないけれど、アラフォー男性の月8000円の美容代はわかる気がする。
もっともそんな男の人、私絶対に苦手だと思う。
化粧水を使う男の人たちはけっこう見たけれど(泊まりにくると、貸して!という人たちもいた)、そんなポーチにあれこれ入れないといけないほどに何かを持っていたのはTしか見たことがない。
それ何に使うの?みたいなものがたくさんあったことしか覚えていない。
Tみたいな人と付き合うことなんかないと思うけれど、できれば私よりもズボラな人がいいなぁと思う。
私のスキンケアもそもそもかなりいい加減だから、それよりも上手(うわて)な人は私が引け目を感じる(苦笑)。
化粧水とクリームを見て、どっちが先に使うものかわからないとか、それ何が違うの?ってなるぐらいの男の人がいい。
そしてできれば私のズボラ加減が気にならない人。
Tみたいに美意識高い人だと、何か言われまくるなぁと感じる。
(そういう人と付き合ったことがないからわからないけれど)
ちなみに男性で一番素敵な考え方をしていたのは、上司だった。
私より多分一回り前後上の人だと思う。
非常に物腰柔らかな話し方で、多分若い頃はモテ男だっただろう外見の人だった。
いつかみんなで女の人の化粧の話になった時、その上司はきっぱりと言った。
自分の奥さんは普段すっぴんで、そして自分も奥さんのすっぴんが一番きれいだと思ってる。
そう言った。
こういう人超素敵!と思った。
月8000円の美容代男子の口からは間違っても出てこないセリフだなと思う。
ちなみに記事によると、月8000円は、新しいものがあると飛びつくクセがあるとはあったけれど、何を買うと月8000円もかかるのかもっと内訳を知りたかった。
今男性化粧品もすごい充実してるのはドラッグストアを見てたらわかるけれど、何に8000円もかかるの?と思う。
だって、どんなに丁寧にスキンケアをしっかりしても、化粧水を月に1本使い切るとかできないんだけど!と思う。
だからその記事の中のアラフォー男性は相当何かをしてるとしか思えない。
熱く色々書いたけれど、明後日に控えたホロスコープ講座の宿題をこれからやらないとだから、おしまい。
ホロスコープの宿題、終わる気がしない…(汗)。
そして、出たよ出た!、まずは部屋の掃除から!なんて思ってる自分…(汗)。
肌は着実に年齢を重ねても、性格や行動パターンは学生時代と何ら変わってない…(汗)。
((((;゚Д゚)))))))
携帯ニュースで面白そうな記事を見つけて読んでいた。
40歳独身男性の家計の見直し的なもので、色々内容がぶっ飛んでいたけれど、一番驚いたのが月8000円の美容代だった。
美容院代や日用品代は含まれていないようで、単純に日常で使う化粧水だとか加齢臭ケアだとかそういうものに8000円かかるらしい。
男の人なのにそんなにかかるの⁉︎と思いつつ、すごい昔の記憶が蘇ってきた。
今の若い男子たちは知らないけれど、私と同世代のアラフォー男性たちはそういうことにすごく気を使う人と使わない人と両極端だと思う。
何を思い出したって、私は過去に一度男のルームメートを持ったことがあってその時の洗面台を思い出した。
ドラマみたいな話だったけれど、私はある日突然、同世代の男のルームメートを持つことになった。
大学3年の時に1年だけ違う州の大学に行った。
国内交換制度プログラムみたいなのを利用して、元の大学に籍を置いたまま別の大学に行って、そこで取得した単位はまた在籍校でそのまま卒業単位に認定されるというものだった。
それが終わったらまた元の町へ戻ってきたのはいいけれど、とりあえず住むところがなかった。
そこにいた友達カップルが、夏休み2人とも一緒に住んでるアパートを空けるから、私が自分の住む場所を見つけるまで家賃払ってそこに住んで欲しいと、願ったり叶ったりのオファーをくれた。
二つ返事で飛びついて、それで私はその日スーツケースをガラガラと引いて友達カップルのアパートに向かった。
彼氏の方は旅立つ前日で、私にアパートの鍵とか必要なものを渡してくれる予定だった。
そこに行くと、3人の日本人の交換留学で来ていた男の子たちを紹介された。
私と入れ違いだったんだなと思いながら、はじめましてなんてのんきに挨拶したら、その彼氏が言った。
「あのねフミコ、この中のTだけど、これから1ヶ月、日本に帰国するまでフミコと一緒にこのアパートに住むから!」
えっ⁉︎そんなの聞いてない!と思ったけれど(ちなみに驚かそうと思って言わなかったらしい)、Tとて住む部屋がない、私もない、ないもの同士文句など言える立場になく、本当にどこの誰かも知らない全くの初対面男子と突然ルームシェアを始めるという奇妙なことがスタートした。
あんなのドラマだけの世界かと思ったけれどリアルにあるんだ、とその時初めて知った。
Tはとても気さくで気を使わなくてよくて、本当に楽チンだった。
お互いに距離感の取り方も今思えば似ていたと思う、会えば話を色々するし、そうでないそれぞれの個人の時間は個人で動く、本物の同居人だった。
しかも私は夕方から夜中にかけて学校の掃除のバイトに行っていたから、日長1日顔を合わせっぱなしということもそうそうなかった。
一度バイトの日、私は忘れ物か何かで休憩中にアパートに戻った時、男に媚びてばっかりいる女の子がTを訪ねてきていて、膝枕とかしてたからどうしようかと思った。
中に入ったと思うけれど(そこを通らないと部屋に行けない)、私の方が気まずいわと思いながら軽く挨拶してすたこらさっさと自分の忘れ物を取りに行った気がする。
アパートの中に入る前に通路に面した窓から丸見えだったから、入ることさえ躊躇された。
連れ込んでもいいけれど、やることは自分の部屋でやってくれ!と思った(←さすがにそんなこと言えなかったけれど)。
関係ないけれど、その女の子は最後の最後まですっごい苦手だった。
苦手と言うより嫌いだった。
確かに男ウケする顔にスタイルではあったけれど、とにかく性格が男の前と女の前で違いすぎてめちゃくちゃだった。
本気でゲスな性格なのに、男の前で猫かぶって可愛らしく振る舞ってバカじゃないの?といつも思ってた。
Tも日本に彼女いるんじゃなかったの?と思いながら、それだけは私は2人とも何なの?と思って見ていた。
(その後も女狐のTをはじめ男性たちへの媚びっぷりは凄かった)
私は全くタイプではなかったからTを見てもそして同じ屋根の下で暮らしていても何にも思わなかったけれど、Tは多分モテる。
私の女友達に写真を見せた時、Tの写真が出てくると、何人かは「この人かっこいいね!」と言っていたし、日本でTに会うといつも彼女や彼女候補が絶えなかった。
確かに話も面白いし気も利くスマート男子ではあったけれど、異性だという風に見たことはない。
向こうもそうだと思うけれど、お互いに一線を絶対に越えない自信がある。
その時以降これまでに何人の男性を家に泊めたかは覚えてないけれど(普通に二桁いく人数)、色んな人たちが泊まってくれたから私にはわかる。
絶対にそういうことにはならない異性というのがいる。
っていうかそういう人じゃないと泊められないけれど、Tも完全にそのタイプだった。
誤解を招きそうだから付け足すと、みんなで集まろう!となった時にうちが雑魚寝でも泊まりやすい環境だったり、移動するのにちょうど便利な場所に家があったりして、それでよく色んな人が男女問わず泊まりに来てた。
日本だとちょっと事情が違うのかもしれないけれど、アメリカやドミニカにいた時は性差を超えた友達は当たり前だったから、泊まる=関係を持つなんていうことにはならない。
だから日本に戻ってきてからもそれは変わらなくて、向こうで知り合った男友達とはみんな互いに行き来しても何ともない。
しかも、これは私個人の持論だけれど、特に異性の友達なんていうのは貴重だから、一線を越えて相手との関係を失うよりも相手との関係そのものを大切にすることの方が何十倍も大事だから、そういうことをしようという発想にならない。
相手が大切であればあるほど、そんなことはできない。
そもそもそういう気持ちさえ起きない。
私がそういう対象にならないとかはさておいても、男友達もみんなそこは大切にしてくれてる。
だから今も変わらずに会える。
話が逸れすぎた。
初対面の日にルームメートにいきなりなったTと、その月8000円を美容代に使うアラフォー男性の姿とが重なった。
その話を読んで、真っ先にTが思い浮かんだ。
Tと言うよりも、Tと共有スペースだった洗面台を。
それぞれの荷物を洗面台に置いた。
忘れもしない初日のこと。
そもそも私が少ないのかもしれないけれど、Tは女の私よりも3倍近い化粧品関連のグッズをそこに置いていた。
パッと見ただけじゃ何が何なのかわからなかったけれど、とにかくものすごくたくさんのグッズが置かれていて、度肝を抜かれた。
私が、歯磨き粉・洗顔・化粧水・クリームだとしたら、Tは明らかにその3倍は何かを持っていた。
洗面台の占有面積が明らかに男女で逆転していた。
Tは美意識高い男子だった。
そう言えば、格好とかも相まって、ゲイに間違われるとか言ってた気がする。
眉毛ももちろん整えてた。
っていうか、何だったんだろう、あのたくさんのグッズたちは。
スキンヘッドに近かったから、頭関係のものはなかったはず。
となると、何だったんだろう、あの大量の何かたち。
Tのその洗面コーナーを思い出すと、どこの誰かは知らないけれど、アラフォー男性の月8000円の美容代はわかる気がする。
もっともそんな男の人、私絶対に苦手だと思う。
化粧水を使う男の人たちはけっこう見たけれど(泊まりにくると、貸して!という人たちもいた)、そんなポーチにあれこれ入れないといけないほどに何かを持っていたのはTしか見たことがない。
それ何に使うの?みたいなものがたくさんあったことしか覚えていない。
Tみたいな人と付き合うことなんかないと思うけれど、できれば私よりもズボラな人がいいなぁと思う。
私のスキンケアもそもそもかなりいい加減だから、それよりも上手(うわて)な人は私が引け目を感じる(苦笑)。
化粧水とクリームを見て、どっちが先に使うものかわからないとか、それ何が違うの?ってなるぐらいの男の人がいい。
そしてできれば私のズボラ加減が気にならない人。
Tみたいに美意識高い人だと、何か言われまくるなぁと感じる。
(そういう人と付き合ったことがないからわからないけれど)
ちなみに男性で一番素敵な考え方をしていたのは、上司だった。
私より多分一回り前後上の人だと思う。
非常に物腰柔らかな話し方で、多分若い頃はモテ男だっただろう外見の人だった。
いつかみんなで女の人の化粧の話になった時、その上司はきっぱりと言った。
自分の奥さんは普段すっぴんで、そして自分も奥さんのすっぴんが一番きれいだと思ってる。
そう言った。
こういう人超素敵!と思った。
月8000円の美容代男子の口からは間違っても出てこないセリフだなと思う。
ちなみに記事によると、月8000円は、新しいものがあると飛びつくクセがあるとはあったけれど、何を買うと月8000円もかかるのかもっと内訳を知りたかった。
今男性化粧品もすごい充実してるのはドラッグストアを見てたらわかるけれど、何に8000円もかかるの?と思う。
だって、どんなに丁寧にスキンケアをしっかりしても、化粧水を月に1本使い切るとかできないんだけど!と思う。
だからその記事の中のアラフォー男性は相当何かをしてるとしか思えない。
熱く色々書いたけれど、明後日に控えたホロスコープ講座の宿題をこれからやらないとだから、おしまい。
ホロスコープの宿題、終わる気がしない…(汗)。
そして、出たよ出た!、まずは部屋の掃除から!なんて思ってる自分…(汗)。
肌は着実に年齢を重ねても、性格や行動パターンは学生時代と何ら変わってない…(汗)。
((((;゚Д゚)))))))
2018年9月23日日曜日
Shall we FURIKAERI?
これから数日、毎日振り返って見つけた記録や記憶を綴っていく。
すでに今日の分の振り返りは書いた。
タイムトリップして、当時を振り返りながら、そして今現在の着地点を見据えながら、出てきたものを真っ直ぐに綴る。
今日コンビニの駐車場にいた時、ふと横を見れば小学校1年生ぐらいの女の子とベビーカーを押したお母さんとがいた。
女の子はオロナミンCを持っていて、それをその場で開けたらしい。
お母さんに何で今開けちゃうの?と怒られていた。
想像するに、家で開けようとか言われてたんだと思う。
お母さんに自分で持って行きなさいと言われているようだった。
女の子はとりあえずオロナミンCに無理やり蓋をして、それを自転車のかごの中に入れたけれど、不安定でオロナミンCが横に倒れて中身がチョロチョロと出てきた。
女の子は「ママ、待ってぇー!、ママァ、ママァー!」と半泣きになりながら叫んでた。
お母さんは女の子に自業自得でしょと言わんばかりに待たずに先に行って、女の子の場所からはお母さんは見えなくなっていた。
女の子は自転車が倒れたのも気に留めず、無我夢中でオロナミンCを手にしてそしてお母さんの元へ走って行った。
しばらくして、女の子は手ぶらで駆け足で戻ってきて、急いで自転車にまたいでお母さんの方へ行った。
どうやらオロナミンCは持ってもらえたみたいだった。
この1分ぐらいでしかない寸劇のようなシーンを見て、私は胸がぎゅっとなった。
置いて行かれることの不安、お母さんが見えなくなる・手が届かない場所に行ってしまう不安、そんな不安がものすごく伝わってきたし、女の子のママコールは胸が張り裂けんばかりの叫び声だった。
この女の子が最初にオロナミンCを開けたのが多分お母さんの怒りを誘発したとは思うけれど、お母さん待ってあげてよ、と思った。
あれは不安だよ、と私は女の子の一挙手一投足見てたからわかる。
オロナミンCは思うように置けないし、自分で持っていけと言われたし、だけど上手くいかないうちにママは行ってしまうし、ママ!と呼んでも待ってもらえないどころかどんどん進んでしまうし…。
子どもが本気でパニクっていたから、見ていていたたまれなかった。
ちなみに今日一番心打たれた風景は、お墓に供えられたコスモスや庭に生えてただろう花を無造作にまとめた花束だった。
秋分の日にも世間の律儀な人たちは墓参りに行くようで、今日墓参りに行ったら何箇所かの墓には花が手向けてあった。
私の墓参りはそんな律儀な理由ではなく、単に「今日行こう!」と気が向いたから行ったに過ぎなかった。
去年も行ったと思うけれど、何も記憶がない。
多分そんなところに目を向ける余裕がなかったから気付かなかったんだと思う。
で、その今日の墓参りの時に、買った花ではなく、庭先にあっただろう季節の花を集めた花束が一番目を引いた。
お盆の時と違って、そういう庭先の花を供えるお家も何軒かあって、その方が本当の心からのお墓参りみたいに感じた。
ちなみに思いつきで行く私は毎回手ぶらで行く。
私のズボラな墓参りスタイルはいいとして、1年前には見えていなかった風景を見ることができるようになったことに気付いた。
今日から始めた振り返りの中で、去年は見えなかったけれども今は見えるよ、というものが1つでも2つでもあったら嬉しい。
私がこれから数日かけてする振り返りの中に不安は今のところない。
1年前は今日の女の子みたいに、先が見えないことに発狂しそうだったけれど、今はその発狂しそうなプロセスはとりあえず通り過ぎたから落ち着いている。
不安…、不安と言うよりも、天と地がひっくり返って世界が変わってしまう、知らない世界に行く怖さみたいなものだった。
それを1年ほど毎日コツコツと過ごすと、とりあえず「いない世界」の体験が積み重なって、自分なりの大丈夫を見つけた。
今は振り返っても、とりあえず大丈夫なところに我が身はあるから、自分のペースで振り返られる。
今日用事を足して足して…の中で見つけたメッセージ。
結局なかった探し物のホームセンターの駐車場で、振り返りのキーワード的な県外ナンバーに出くわした。
探し物はないのにペンジュラムはそこ行くよと言っていた。
なかったじゃん!と思いながら店を出てすぐにその県外ナンバーだった。
多分用事の方じゃなくて、その県外ナンバーを見ることが用事だったんだと思う…。
コンビニで用事を足した後、入口近くに止まっていた車の中には、金色の袋で「大福」の文字が見えた。
大きい福が来るみたいでめでたいなと得した気分だった。
そしてさっきラインを見た時に入っていたスタンプ。
プロレスラーの人が「愛してまーす!」とガッツポーズで言ってるスタンプだった(音声つき←多分プロレスラー本人の声)。
内容と「愛してまーす!」は無関係だけれど、どういうわけか相手の人は「愛してまーす!」のスタンプを返してきた。
・特定の県外ナンバー
・大きな福
・愛してまーす!
振り返り初日に相応しいキーワードたちだった。
題名、色々迷ったけれど、タイトル通りになった。
「Shall we 〜?」だから、誘ってる。
一緒に振り返ろうよ!と誘ってる。
すでに今日の分の振り返りは書いた。
タイムトリップして、当時を振り返りながら、そして今現在の着地点を見据えながら、出てきたものを真っ直ぐに綴る。
今日コンビニの駐車場にいた時、ふと横を見れば小学校1年生ぐらいの女の子とベビーカーを押したお母さんとがいた。
女の子はオロナミンCを持っていて、それをその場で開けたらしい。
お母さんに何で今開けちゃうの?と怒られていた。
想像するに、家で開けようとか言われてたんだと思う。
お母さんに自分で持って行きなさいと言われているようだった。
女の子はとりあえずオロナミンCに無理やり蓋をして、それを自転車のかごの中に入れたけれど、不安定でオロナミンCが横に倒れて中身がチョロチョロと出てきた。
女の子は「ママ、待ってぇー!、ママァ、ママァー!」と半泣きになりながら叫んでた。
お母さんは女の子に自業自得でしょと言わんばかりに待たずに先に行って、女の子の場所からはお母さんは見えなくなっていた。
女の子は自転車が倒れたのも気に留めず、無我夢中でオロナミンCを手にしてそしてお母さんの元へ走って行った。
しばらくして、女の子は手ぶらで駆け足で戻ってきて、急いで自転車にまたいでお母さんの方へ行った。
どうやらオロナミンCは持ってもらえたみたいだった。
この1分ぐらいでしかない寸劇のようなシーンを見て、私は胸がぎゅっとなった。
置いて行かれることの不安、お母さんが見えなくなる・手が届かない場所に行ってしまう不安、そんな不安がものすごく伝わってきたし、女の子のママコールは胸が張り裂けんばかりの叫び声だった。
この女の子が最初にオロナミンCを開けたのが多分お母さんの怒りを誘発したとは思うけれど、お母さん待ってあげてよ、と思った。
あれは不安だよ、と私は女の子の一挙手一投足見てたからわかる。
オロナミンCは思うように置けないし、自分で持っていけと言われたし、だけど上手くいかないうちにママは行ってしまうし、ママ!と呼んでも待ってもらえないどころかどんどん進んでしまうし…。
子どもが本気でパニクっていたから、見ていていたたまれなかった。
ちなみに今日一番心打たれた風景は、お墓に供えられたコスモスや庭に生えてただろう花を無造作にまとめた花束だった。
秋分の日にも世間の律儀な人たちは墓参りに行くようで、今日墓参りに行ったら何箇所かの墓には花が手向けてあった。
私の墓参りはそんな律儀な理由ではなく、単に「今日行こう!」と気が向いたから行ったに過ぎなかった。
去年も行ったと思うけれど、何も記憶がない。
多分そんなところに目を向ける余裕がなかったから気付かなかったんだと思う。
で、その今日の墓参りの時に、買った花ではなく、庭先にあっただろう季節の花を集めた花束が一番目を引いた。
お盆の時と違って、そういう庭先の花を供えるお家も何軒かあって、その方が本当の心からのお墓参りみたいに感じた。
ちなみに思いつきで行く私は毎回手ぶらで行く。
私のズボラな墓参りスタイルはいいとして、1年前には見えていなかった風景を見ることができるようになったことに気付いた。
今日から始めた振り返りの中で、去年は見えなかったけれども今は見えるよ、というものが1つでも2つでもあったら嬉しい。
私がこれから数日かけてする振り返りの中に不安は今のところない。
1年前は今日の女の子みたいに、先が見えないことに発狂しそうだったけれど、今はその発狂しそうなプロセスはとりあえず通り過ぎたから落ち着いている。
不安…、不安と言うよりも、天と地がひっくり返って世界が変わってしまう、知らない世界に行く怖さみたいなものだった。
それを1年ほど毎日コツコツと過ごすと、とりあえず「いない世界」の体験が積み重なって、自分なりの大丈夫を見つけた。
今は振り返っても、とりあえず大丈夫なところに我が身はあるから、自分のペースで振り返られる。
今日用事を足して足して…の中で見つけたメッセージ。
結局なかった探し物のホームセンターの駐車場で、振り返りのキーワード的な県外ナンバーに出くわした。
探し物はないのにペンジュラムはそこ行くよと言っていた。
なかったじゃん!と思いながら店を出てすぐにその県外ナンバーだった。
多分用事の方じゃなくて、その県外ナンバーを見ることが用事だったんだと思う…。
コンビニで用事を足した後、入口近くに止まっていた車の中には、金色の袋で「大福」の文字が見えた。
大きい福が来るみたいでめでたいなと得した気分だった。
そしてさっきラインを見た時に入っていたスタンプ。
プロレスラーの人が「愛してまーす!」とガッツポーズで言ってるスタンプだった(音声つき←多分プロレスラー本人の声)。
内容と「愛してまーす!」は無関係だけれど、どういうわけか相手の人は「愛してまーす!」のスタンプを返してきた。
・特定の県外ナンバー
・大きな福
・愛してまーす!
振り返り初日に相応しいキーワードたちだった。
題名、色々迷ったけれど、タイトル通りになった。
「Shall we 〜?」だから、誘ってる。
一緒に振り返ろうよ!と誘ってる。
2018年9月22日土曜日
がんばれから1年〜Love Unlimited〜
1年前、書家の方から書いてもらったメッセージのあれから。
【絶対的な
意志の
強さは、
使命と共に、
生き続けます。
納得を
追求して、
自分の心の人生を】
書いてもらったその日はものすごく気分が上がったし盛り上がったけれど、その後「で、『使命』って何?」となったのは言うまでもない(苦笑)。
忘れもしない。
その週末は通算3回目の週末だった。
毎日がやってくるのが楽しみだった日々は幕を閉じ、会いたくても会えない時間が始まった。
当時の私は、一番願っているものが手に入らないということを前に、もう何も考えられなかったし、代替品のように何か別のことに打ち込んでも虚しいだけだと思っていたから、生きる理由さえ見当たらなかった。
私はせめてその人の近くにいたかった。
嫌われてるのも嫌だったけれど、それでもいいから日々その人がいる空間の中に自分もいたかった。
それさえも叶わなくなった時、本当の本当に何も願うものも欲しいものもなく、完全に何かが失われて何にも考えられなくなった。
色彩を失った日々の中で、私は毎日のルーティンをこなし、暇さえあれば泣いて、その人を想い、生きてるのに生きてる感覚がないみたいな時間を過ごしてた。
そんな折に出逢った書家の方で、贈ってもらったメッセージだった。
あれからそろそろ1年になるけれど、そのメッセージはずっとずっと心に残り続けた。
そしてそこを皮切りに、どんどん自分を知るためのツールやヒントがもたらされた。
「自分が納得するためにがんばれ」と言われたことが、やっと少しずつわかってきた。
この1年の中で、さらに自分の嫌だと思う面は次から次へとベールを剥がされて、自分の腹黒さやゲスさに絶叫しそうだった。
弱さとか至らなさの方がよほど受け取りやすかった。
腹黒いのは知っていたけれど、想像以上過ぎたみたいな((((;゚Д゚)))))))。
色んなことがあり過ぎたけれど、その中で多分私がしていたことは、
・自分自身を明らかにすること
・その明らかになった自分で生きていくと決めること
・自分の価値観や信念を軸に生きる覚悟を決めて生きていくこと
をするための準備だったのかな…と思っている。
私は長いこと、自分ではない何かになろうとしていたし、周りから受け入れてもらいたい願望も強かった。
周りから受け入れてもらうと言うより、自分の居場所がないとか窮屈なのが嫌で、それを確保するために最低限受け入れて欲しいみたいな気持ち。
だけど、色んな自分を見てみて、最終的にこの自分で生きていくしかない、という良い意味でのあきらめは出てきた。
話のこじつけがすごいけれども、今日この記事をアップしよう!と思ったきっかけは、ヒーラーのOさんから指摘された「今の自分は何か足りない」感の話があったから。
1年前の書家の人が言った「自分が納得する自分」ってどんなだろう?と思った。
どうだと自分は納得できるんだろう?ってずっと疑問に思ってた。
1年経って確実に出てきたことは「もう自分を隠したくない」だった。
周りから受け入れてもらうために良い人ぶることはすぐには止めないと思うけれど、とりあえず人に合わせながら生きるの無理だなと思った。
ある程度はできる。
でも、それをずっとすると息が切れる。
私は嫌われるのは多分怖くない。
だけど、余計なこじらせのせいで、人間関係がスムーズにいかないのは、疲れるから嫌。
それはストレスになる。
だからそのためなら多少猫もかぶるし、営業用の自分も作る。
私は顔は作らないけれども、営業用の顔はものすごく上手く作れる。
世渡り術というか、自分がやりやすい方法を採択するために、あえて違うものを選んでいた。
だけど、その辺りもかなりどうでも良くなった。
素の自分でいいんじゃないかなと思った。
足りない自分じゃなくて、その足りないでこぼこした自分で生きていくことに納得したいんだと思う。
例えば、こうしてごちゃごちゃ小難しく考えて、いちいち納得できないといつまでもグルグルしてしまう自分も嫌だったりする。
でもそれも自分だし、本当に飽きたら変わるかもしれないけれど、もうこのままでもいいかと最近は思い始めてる。
文句も言い訳も多いけれど、そして悩むと動かなくなるけれど、それも自分だなと思う。
「自分が納得いく人生」って何??だった1年前に比べて、今はそれに対しての答えがちょっとずつ出てきている。
自己啓発系なんかでよく言われる
・having (持ち物・財産)
・doing(行動)
・being(あり方)
の中で大切なのは、being(あり方)というところ。
そこに私はもう1つ付け足したい。
・feeling (感情・気持ち)
究極、feel goodが一番良い。
どういう時にfeel goodなのかは自分にしかわからない。
私みたいに運動しなくても全く気にならない人もいれば、毎日スクワットする人はやらない日があると気持ち悪いらしい。
私はこうして書いている時feel goodだけれど、書くのが苦手な人にしたらこんなの拷問に近いと思う。
例えばどんな社会の顔だとfeel goodかは、これも色んな正解がある。
その自分にとってどうだと自分が少しでも息がしやすくて、どうだと息が詰まるのか、それは1つ1つ自分に聞いていくしかない。
で、自分への聞き方は行き詰まることがあるから外に聞くのはありでも、答えは自分しか持っていない。
それは自分に聞くことなんだと、この1年をかけてようやく腑に落ち始めてるところ。
通算3回目の週末だったあの土曜日から今日に至るまで、唯一胸を張って言えること。
それはその時の気持ちにも今の気持ちにも正直であり続けたこと。
それは気持ちが止まらなかったから正直になる他なかったというのが本当のところでも、そこに蓋をせずそのままにできたことは本当に良かった。
そしてそこだけは唯一ブレずに1年が過ぎたから、そのブレないところも1年もするとある種の安心材料に変わるとわかった。
自分のことになると常にブレっぱなしだし、気持ちや興味関心があちこちにすぐ移って1つのところにとどまらないことが多いけれど、その気持ちに関してだけはずっと一貫性がある。
疑ったり否定したりしても、基本形は常に同じで変わらない。
そしてそれが基礎の土台のように今はなっている。
自分がフラフラしても戻ってこれる場所みたいな感じ。
心の中にそういう絶対の場所があるというのは心強い。
自分の心が納得する人生の答えはすぐには出なくても、その想いをいくつも重ねた場所に関してはいつもある。
灯台みたいな感じ。
そんなものまでもたらしてくれるとは、3回目の週末には想像さえしていなかった。
Love unlimitedの世界だなと感じる。
【補足】
・文中に「代替品」などと表現した箇所があるけれど、どうしても他の適切な言葉が思い浮かばず、代替品と書いた。
まさか代替人とも書けないし(それはもっとおかしい)。
人の存在を「モノ」扱いしてるつもりは全くなく、単に語彙の問題でそういう表現になっただけ。
・「嫌われてた」と書いたけれど、本当のところは知らない。
嫌いかどうかは判断つかなかったけれど、ものすごく意識が向けられてたのは本当だった。
意識し過ぎて無視するみたいな…。
嫌すぎてものすごくわかりやすい形で無視したのかもしれないし、理由はそうではないかもしれない。
答えはその人しか持ってないから、本当のところは何もわからない。
ちなみに蛇足だけれど、魂の繋がりが強い人に出逢うと強烈らしい、特に男の人。
男性の体験者の話をたまたま読む機会が最近あって、2人(当人)+2人(こちらは女性側が当人から聞いて文章にしてた)の4人分読んだけれど、とにかくみんな強烈だと言っていた。
強烈すぎて訳わかんなくなるから、それで極端に避けたりとか、極端過ぎる態度を取ってしまうとか。
嫌いよりも強烈だという理由だといいなぁと勝手に願いながら読んだ。
【絶対的な
意志の
強さは、
使命と共に、
生き続けます。
納得を
追求して、
自分の心の人生を】
書いてもらったその日はものすごく気分が上がったし盛り上がったけれど、その後「で、『使命』って何?」となったのは言うまでもない(苦笑)。
忘れもしない。
その週末は通算3回目の週末だった。
毎日がやってくるのが楽しみだった日々は幕を閉じ、会いたくても会えない時間が始まった。
当時の私は、一番願っているものが手に入らないということを前に、もう何も考えられなかったし、代替品のように何か別のことに打ち込んでも虚しいだけだと思っていたから、生きる理由さえ見当たらなかった。
私はせめてその人の近くにいたかった。
嫌われてるのも嫌だったけれど、それでもいいから日々その人がいる空間の中に自分もいたかった。
それさえも叶わなくなった時、本当の本当に何も願うものも欲しいものもなく、完全に何かが失われて何にも考えられなくなった。
色彩を失った日々の中で、私は毎日のルーティンをこなし、暇さえあれば泣いて、その人を想い、生きてるのに生きてる感覚がないみたいな時間を過ごしてた。
そんな折に出逢った書家の方で、贈ってもらったメッセージだった。
あれからそろそろ1年になるけれど、そのメッセージはずっとずっと心に残り続けた。
そしてそこを皮切りに、どんどん自分を知るためのツールやヒントがもたらされた。
「自分が納得するためにがんばれ」と言われたことが、やっと少しずつわかってきた。
この1年の中で、さらに自分の嫌だと思う面は次から次へとベールを剥がされて、自分の腹黒さやゲスさに絶叫しそうだった。
弱さとか至らなさの方がよほど受け取りやすかった。
腹黒いのは知っていたけれど、想像以上過ぎたみたいな((((;゚Д゚)))))))。
色んなことがあり過ぎたけれど、その中で多分私がしていたことは、
・自分自身を明らかにすること
・その明らかになった自分で生きていくと決めること
・自分の価値観や信念を軸に生きる覚悟を決めて生きていくこと
をするための準備だったのかな…と思っている。
私は長いこと、自分ではない何かになろうとしていたし、周りから受け入れてもらいたい願望も強かった。
周りから受け入れてもらうと言うより、自分の居場所がないとか窮屈なのが嫌で、それを確保するために最低限受け入れて欲しいみたいな気持ち。
だけど、色んな自分を見てみて、最終的にこの自分で生きていくしかない、という良い意味でのあきらめは出てきた。
話のこじつけがすごいけれども、今日この記事をアップしよう!と思ったきっかけは、ヒーラーのOさんから指摘された「今の自分は何か足りない」感の話があったから。
1年前の書家の人が言った「自分が納得する自分」ってどんなだろう?と思った。
どうだと自分は納得できるんだろう?ってずっと疑問に思ってた。
1年経って確実に出てきたことは「もう自分を隠したくない」だった。
周りから受け入れてもらうために良い人ぶることはすぐには止めないと思うけれど、とりあえず人に合わせながら生きるの無理だなと思った。
ある程度はできる。
でも、それをずっとすると息が切れる。
私は嫌われるのは多分怖くない。
だけど、余計なこじらせのせいで、人間関係がスムーズにいかないのは、疲れるから嫌。
それはストレスになる。
だからそのためなら多少猫もかぶるし、営業用の自分も作る。
私は顔は作らないけれども、営業用の顔はものすごく上手く作れる。
世渡り術というか、自分がやりやすい方法を採択するために、あえて違うものを選んでいた。
だけど、その辺りもかなりどうでも良くなった。
素の自分でいいんじゃないかなと思った。
足りない自分じゃなくて、その足りないでこぼこした自分で生きていくことに納得したいんだと思う。
例えば、こうしてごちゃごちゃ小難しく考えて、いちいち納得できないといつまでもグルグルしてしまう自分も嫌だったりする。
でもそれも自分だし、本当に飽きたら変わるかもしれないけれど、もうこのままでもいいかと最近は思い始めてる。
文句も言い訳も多いけれど、そして悩むと動かなくなるけれど、それも自分だなと思う。
「自分が納得いく人生」って何??だった1年前に比べて、今はそれに対しての答えがちょっとずつ出てきている。
自己啓発系なんかでよく言われる
・having (持ち物・財産)
・doing(行動)
・being(あり方)
の中で大切なのは、being(あり方)というところ。
そこに私はもう1つ付け足したい。
・feeling (感情・気持ち)
究極、feel goodが一番良い。
どういう時にfeel goodなのかは自分にしかわからない。
私みたいに運動しなくても全く気にならない人もいれば、毎日スクワットする人はやらない日があると気持ち悪いらしい。
私はこうして書いている時feel goodだけれど、書くのが苦手な人にしたらこんなの拷問に近いと思う。
例えばどんな社会の顔だとfeel goodかは、これも色んな正解がある。
その自分にとってどうだと自分が少しでも息がしやすくて、どうだと息が詰まるのか、それは1つ1つ自分に聞いていくしかない。
で、自分への聞き方は行き詰まることがあるから外に聞くのはありでも、答えは自分しか持っていない。
それは自分に聞くことなんだと、この1年をかけてようやく腑に落ち始めてるところ。
通算3回目の週末だったあの土曜日から今日に至るまで、唯一胸を張って言えること。
それはその時の気持ちにも今の気持ちにも正直であり続けたこと。
それは気持ちが止まらなかったから正直になる他なかったというのが本当のところでも、そこに蓋をせずそのままにできたことは本当に良かった。
そしてそこだけは唯一ブレずに1年が過ぎたから、そのブレないところも1年もするとある種の安心材料に変わるとわかった。
自分のことになると常にブレっぱなしだし、気持ちや興味関心があちこちにすぐ移って1つのところにとどまらないことが多いけれど、その気持ちに関してだけはずっと一貫性がある。
疑ったり否定したりしても、基本形は常に同じで変わらない。
そしてそれが基礎の土台のように今はなっている。
自分がフラフラしても戻ってこれる場所みたいな感じ。
心の中にそういう絶対の場所があるというのは心強い。
自分の心が納得する人生の答えはすぐには出なくても、その想いをいくつも重ねた場所に関してはいつもある。
灯台みたいな感じ。
そんなものまでもたらしてくれるとは、3回目の週末には想像さえしていなかった。
Love unlimitedの世界だなと感じる。
【補足】
・文中に「代替品」などと表現した箇所があるけれど、どうしても他の適切な言葉が思い浮かばず、代替品と書いた。
まさか代替人とも書けないし(それはもっとおかしい)。
人の存在を「モノ」扱いしてるつもりは全くなく、単に語彙の問題でそういう表現になっただけ。
・「嫌われてた」と書いたけれど、本当のところは知らない。
嫌いかどうかは判断つかなかったけれど、ものすごく意識が向けられてたのは本当だった。
意識し過ぎて無視するみたいな…。
嫌すぎてものすごくわかりやすい形で無視したのかもしれないし、理由はそうではないかもしれない。
答えはその人しか持ってないから、本当のところは何もわからない。
ちなみに蛇足だけれど、魂の繋がりが強い人に出逢うと強烈らしい、特に男の人。
男性の体験者の話をたまたま読む機会が最近あって、2人(当人)+2人(こちらは女性側が当人から聞いて文章にしてた)の4人分読んだけれど、とにかくみんな強烈だと言っていた。
強烈すぎて訳わかんなくなるから、それで極端に避けたりとか、極端過ぎる態度を取ってしまうとか。
嫌いよりも強烈だという理由だといいなぁと勝手に願いながら読んだ。
がんばれ
人生で初めて、ちっとも嫌じゃない「がんばれ」に出逢った。
子どもの頃オール1でスタートした私の人生は、「がんばれ」の言葉が常に日常にあった。
母親をはじめ色んな人から「がんばれ」とよく言われた。
周りは励まそうと思って言っているのは何となくわかっていたけれど、それを言われるたびに私は「こんなにがんばっているのにまだがんばらなきゃいけないの?」とよく思っていた。
大人になってうつ病という病気が社会の中で広く認識されるようになった頃、「“がんばれ”という言葉はうつ病の人に言うとさらに本人を追い詰めるから良くない」と言われるようになった。
当時の私は自分がうつでもないのに、いたく共感していた。
大人になってから周りに言われる「がんばれ」という言葉には、もう一つ苦手な要素が加わった。
これは最近ようやく気付いたのだけれど(最近=2017年の秋)。
自分でも自覚があるけれど、私はこれはやりたい!とかやらなきゃ!という気持ちで動くと並々ならぬ集中力を発揮することがある。
それを周りの人から見ると、私は「とてもがんばった人」として映るらしい。
私的にがんばってるつもりはなくて、単に興味があるとかそうしたいからするという気持ちでやってるだけ。
なのにがんばった人になる。
そしてそれをわざわざ私に「がんばってるね!」と言ってくる人もいるわけで、言われると私はなぜかカチンとくる。
「がんばったってどういうこと?私は自分の気持ちに従っただけなのに…」と心の中で毒づく。
自分でも面倒くさい人だと思うけれど、そう自動的に感じてしまうのだから仕方ない。
そんな私が人生で初めてちっとも嫌じゃない「がんばれ」に出逢った。
そしてとっても前向きに「がんばろう」と思えたし、おそらくそれは少しずつ行動化されてきていると思う。
秋晴れとはいかなくてもそこそこ晴れたある土曜日。
秋から冬にかけて着る服を見に60キロ以上離れた大きなショッピングセンターに行った。
大きな国道をはさんで2つあるから、1つ目を見て2つ目を見ようと思った。
1つ目でまずショックな事実が判明した。
そこでお気に入りだったお店がなんと閉店していた。
ただでさえお気に入りの店が少ないのに(片手で数えても指が余る)、そのうちの1つが閉店。
気を取り直して、2つ目の大きなショッピングセンターへ移動した。
お目当ての店めがけて行こうとしたら、その途中であるイベントをしているのが目に入った。
目の前の人を見て感じたままを言葉に書き下ろすというもの。
書いた言葉の例がいくつも額に入って展示されていた。
私は足を止めていくつもの言葉を読んだ。
それらの言葉はいまいち心に入ってはこなかったけれど、妙に気になったのも本当だった。
ちょうど1人和服を着た女性がお客さんで書いてもらっていて、当然書き手の人も見えたけれど、その時もまだいまいち心が決まらずにいた。
高額すぎても困るから、とりあえず価格を確認しようと思った。
確認すると、安いことはなくても高いこともない。
そしてちょうど前日の友達の娘の家庭教師の金額で出せる風になっていた。
友達の娘の家庭教師代は特別なお金だから、私はそれを自分のための何か大切なものに代えている。
そういう意味でこの言葉を書いてもらうのはうってつけだった。
それでも私はまだ迷っていた。
そこで私はぐるっと店の中を回ってそれで決めようと決めた。
回る時、書き手の人と目がかち合ったけれど、にこっとしたのかどうしたか忘れたけれど、そそくさとその場を立ち去った。
10分もしないうちに、「書いてもらおう!」と決めた。
このまま立ち去っても気になるだけだし、それなら期待外れで損してもいいから書いてもらった方がすっきりすると思ったから。
何せ展示の言葉にいまいち引き込まれなかった私は、大きな期待もせずにそれに申し込んだ。
書く内容も私の希望に合わせてもらえるということで、私は「私を見て感じたまま書いて欲しい」とお願いした。
何がくるかわからなかったから。
その人は最初私に、どうしたいとか何か願望ありますか?と聞いた。
私は自分がどうしたいとかもよくわからないから、そのまま感じたままに言葉を書いて欲しいとだけお願いした。
その人は私の目をじっと見て(これが不思議とまったく嫌な感じがなかった)、その2~3分後、筆をとり書き始めた。
書き手の人は私より1〜2歳ほど年下の男性だったけれど、普通そんな同世代の男性にじっと目を見られたら恥ずかしいとか照れるとか出てくるのに、その時は本当に全く恥ずかしくなかった。
むしろ目の奥に何かメッセージがあるのなら、もっと見てください!ぐらいな勢いだった。
最初の一文を書いて、その後もう一度私の目をじっと覗き込んで、何かを手繰り寄せるように見ていた。
そこで出てきた言葉をまた続けて書いてくれて、書き終わると私にそこに込められている言葉を教えてくれた。
色紙に書いてくれた言葉。
【絶対的な
意志の
強さは、
使命と共に、
生き続けます。
納得を
追求して、
自分の心の人生を】
その後、口頭で説明してくれた言葉。
「目を見ていると、絶対的な意思の強さがある。
それは絶対的だから、曲げたりできない。
先祖からなのか世代からくるものなのか、とにかく脈々と流れてるものから来ている絶対的な強さの意思。
そこにはものすごい強いものを感じる。
世代を超えての因縁みたいなものかもしれないし、何代にも渡って成し遂げたいと思っていることなのかもしれない。
とにかくすごい強い意思を目の中に宿している。
そのために、それを成し遂げるために生まれてきたと言ってもいい。
そこに使命と繋がってるものがある。
自分の中の絶対を追求する、
自分の中の納得を大切にする、
もうそれ以外の生き方はできないし、逃げられない。
自分が納得できるものを追い求めるというのは、当然逆風も吹くし、敵対する人も出てくるだろうけど、とにかくがんばれ!
自分が納得するためにがんばれ!」
私は話を聞きながら、ボロボロ涙をこぼしてた。
感動したとかわかってもらえたとかそういうのとは違ってた。
魂が揺さぶられるような、そうした心の奥深いところで何かを感じ取ってボロボロ泣いていたと思う。
普段なら人前で泣くのも恥ずかしいし、ましてや男の人の前で泣くのはもっと抵抗がある。
私は涙を武器のようにして男の人に媚びるのが大嫌いだから、どんなに泣きたくてもぐっと歯を食いしばって泣かない。
だけど、その時はそのどれでもなく、涙がボロボロ出てくるのが当たり前みたいな感じだった。
「自分が納得するためにがんばる」
これはそれまで生きてきた中で、誰にも言われたことのない言葉だった。
そして、その時の私はそのがんばれをとても素直に受け取っていた。
これまでのがんばれは、自分が人並みではなくて、人並みに何かできるように「がんばれ」と言われたり、又は自分はがんばってるつもりがなくてもそれを「がんばってる」と第三者の目に映って言われてしまったりと、どちらもすごく嫌だった。
前者は、そのままの自分が否定されてるみたいで嫌だった。
後者は、そのままの自分が違う風に理解されてるのが悲しかった。
他人の理解の仕方なんて変えられないけれど、何か違う風に捉えられると本当の自分とは違っているみたいで、そしてその自分が理解されないみたいで、そうした「がんばれ」はいつも受け取れなかった。
だけど、その書家の方は全然違っていた。
私が自分に納得するためにがんばれと言った。
逆風が吹いたり、周りから理解されなかったりするだろうけれど、それでも自分の信念を貫くように伝えてくれた。
その励まし方は「大丈夫」とは一切言わなかったと思うけれど、全身全霊で「絶対に大丈夫だから!」と言ってもらえてるみたいだった。
書を手にして、家路に着こうとした。
ショッピングモールを出て10キロ走ったか走らないかの地点で、季節外れの打ち上げ花火を見た。
これでいいよ、これでいいんだよ、と言ってもらえてるみたいで、車を路肩に止めてしばらく花火を見ていた。
秋の夜空に舞う花火は、その時不安と悲しみばかりだった私の心にそっと寄り添った。
2017年10月14日
「自分は欠けてる」思考
<ヒーリングの勉強会8月>
そろそろ1ヶ月経とうとしているけれど、すごく印象的な出来事だったから覚えてる。
占星術の講座の後(8月29日)、ヒーラーのOさんと待ち合わせて、ヒーリングの勉強会をした。
Oさんからのリクエストで、私のノートを持っていった。
Oさんには、7月に会った時にある心理のワークを紹介した。
書いてやってもらうタイプのもので、Oさんはそれをした後、自分の書いたものにあることをしたらしい。
実験として試したから、武士俣さんのノートにも試したいと言われて、それでOさんが何するのかは皆目見当もつかなかったけれど、とりあえずノートを数冊持ち運んだ。
Oさんの意図がわからなかったから、私は用途の違うノートをいくつか持ち込んだ。
最終的に4冊をOさんの前に出して(もう数冊リュックに入ってた)、それでOさんが何をするのかを見た。
私が紹介した心理ワークは、心の中を吐き出してそれを自分の受け取りやすい形に変えていくものだった。
そもそも心の中を吐き出すわけだから、ネガティブ満載なのは間違いなかった。
Oさんは私に説明した。
自分でワークをした後、それらの心のネガティブな部分が癒されるようにヒーリングを施したとのこと。
そして、施した後、どんな変化が生まれるかを今経過観察中とのこと。
実験的にやっているから、それを私のノートにも試したいと言われた。
ただその後すぐにこうも言われた。
僕はヒーリングをすることがいいことだと勝手に思ったけれど、それは武士俣さんのやり方に対して物申すみたいな感じだったり、そもそも「良くしよう」と考えること自体、相手(=私)はダメだと捉えてるとも武士俣さんから見て捉えかねないわけで、そんなの自分の単なるお節介のような気がして…、ヒーリングをするのが本当にいいのかどうかわからないと言われた。
私は全く気にならないし、ヒーリングをしてもらえるならじゃんじゃんしてもらいたいから、Oさんの思った通りにやって欲しいとお願いした。
そんな気遣いまでしてくれてありがたいばかりだった。
4冊目の前にあったノートに次々ヒーリングをしてくれて、そしてその後私は度肝を抜かれた光景を目の当たりにした。
そのうちの1冊を指して、Oさんはそのノートが一番重たくて状態が悪いみたいな言い方をした。
『羊のショーン』という人形劇風のアニメのキャラクターのノートだった。
ヒーリングの直後、
「武士俣さん、このノートの色が変わったのわかります?」
と聞かれた。
これ洗脳でもマジックでもなく、本当の本当に色が変わった。
全体的にピンクの色が大部分を占めているけれど、とにかく4年以上経過しているからノートの色は経年劣化でくすんでいた。
元の色は日焼けしたみたいな色の朽ち方をしていた。
そのノートの色が鮮やかなピンクに変わっていた。
「何これ??」と思った。
Oさんがしたのは手かざしと音払い的なことぐらいで、他は何もしていない。
今も手元にあるけれど、あの時に色が変わったままになっている。
新品とは言わないけれど、最初に買った時のような色合いに変わった。
使用前使用後の写真を撮っておけば良かったぐらい。
何かの魔法みたいだった。
占星術の講座で、スピリチュアルな能力の継承云々と説明されたことを思い出した。
Oさんのやっていることを私が継承することはないけれど、そうした世界との交流が私の場合はこれから先も切っても切れないところにあるような気がしている。
関わり合いになりたいとかいうことではなく、私の意思とは関係なくそういう世界との接点はあり続ける、そんな風に感じた。
ノートの話に戻る。
このノート、実はすっごい大事な話に繋がっていくノートだった。
新潟で東京行きの準備をした時、私にはOさんの意図も何をするのかも全くわからなかったから、どのノートを持参するか少しだけ悩んだ。
どれが来てもいいように、何冊かタイプの違うものを持って行くことにした。
4冊出したのはこんな内訳だった。
①自分の超ネガティブや心の毒、他人の批判・批難だけをひたすら書くノート
②自分の中のモヤモヤを吐き出したり解消するためのワークノート
③コーチングの授業のまとめノート
④アイデア帖
上が一番ネガティブで悪い気が入っていて、下に行けば行くほど純粋な良いエネルギーが流れていると私はずっとずっとずーっと思っていた。
特にアイデア帖なんて、最高に良いものだけを書き貯めていた!と自分では何も疑うことなくそう信じていた。
Oさんはこの時点では、どのノートがどんな用途なのかは知らなかった。
その何も知らないOさんが、
「このノートが特に重たいですね、断トツです」
と指差したのが羊のショーンのノート、アイデア帖だった。
私はOさんが間違えたのかと思って(←おい!)、Oさんにこれじゃないですか?と①のキャンパスのノートを差した。
「それそこまで悪くないですね〜。断トツでこれですよ!」
と尚も言う。
私の頭の中は「?????」だらけだった。
続いてダメなのは、とOさんが指差したのは、コーチングの授業のまとめのノートだった。
それこそ、理論や手法と自分の個人的な解釈とが書かれているだけで、その中では一番私の感情が入り込んでいないものだった。
だからOさんによれば、
①自分の超ネガティブや心の毒、他人の批判・批難だけをひたすら書くノート
②自分の中のモヤモヤを吐き出したり解消するためのワークノート
③コーチングの授業のまとめノート
④アイデア帖
の順で「良い→悪い」となっていた。
私の中では「悪い→良い」だったものが、Oさんによれば真逆の判定になっていて、全然理解できなかった。
私にはさっぱりその理由がわからず、Oさんにそれぞれのノートの用途をここで初めて説明した。
説明し終わるとOさんに笑顔で返された。
「武士俣さん、『足りない』って思っているでしょう?」
私の中はまたもや「?????」となった。
「足りない」って何?と思った。
Oさんはわかるように説明してくれた。
「そのアイデア帖、武士俣さん自分では良いと思ってるかもしれないけれど、それって別の言い方をすると、『そのままの自分では価値がない・足りないので、その部分を補います』っていうことで自分以外の人の考えをそこにくっつけている。
本当は武士俣さんのままでいいのに、その自分ではダメだと思って、そしてダメだという自分を良くするために別のところからアイデアを引っ張ってきて足している。
それが重たくなる原理だと思います」
言われて、ものすごーく納得した。
なぜならアイデア帖には、世の成功者たちが実践して上手くいった考え方や行動の仕方を元にしたワークもあれば、自分で思いついたアイデアを書き留めることもあった。
それって大元を見ると、今の自分じゃダメだと思っている。
その足りないと感じる部分を補おうと、無意識にその気持ちを詰め込んでる。
だから、私がものすごい暴言に文句に批難にとありったけの負の感情をぶちまけているそのノートこそが一番私そのもので、自分を飾っていない。
コーチングの授業のまとめノートについても、それは私自身をどこか否定する要素が含まれている。
どこかで自分のことをダメだと思っている。
ダメと言うか、私は知識が足りないから、そこを補ってくれるものとして忘れないにしよう!という私の認識が入っている。
知らぬ間に「自己否定」地獄に陥ってる。
それをOさんの指摘により気付かされた。
ちなみにOさんにそのアイデア帖をどうしたらいいかを聞いた。
私としてはそれも自分の一部だから捨てる気はないこと、でもそんな自己否定の悪い気がくっついているなら奥にしまっておくのもどうなんだろう?と思った。
Oさんに「それ風通しの良いところに置いてあげて下さい。植物のそばとかでもいいです。風当たりを良くしたらいいですよ」と言われた。
さらに聞いた。
「これ、今後どんな風になるんですか?ダメってことですか?」
それにもOさんは丁寧に説明してくれた。
「ダメだということではないです。ただ、意味合いが変わってくると思います」
「どういうことですか?」
(Oさんの答えは忘れたから、大体こういうことという話)
「例えば、掃除をするとします。
これまで義務的にやっていたり、汚いのはダメだと自分に言い聞かせてやっていたとするじゃないですか。
それが今後は、『きれいにすると気持ち良い』とか『きれいなところに自分の身を置くと落ち着く』から掃除をする、という風になってくると思いますよ」
例は掃除ではなかったけれど、内容的にはそんな風だった。
【エピローグ】←最近のお気に入りワード
ホロスコープの講座もOさんとの勉強会もまた来週の水曜に迫った。
また新しい情報が入ると、このことたちの詳細を忘れそうと思って慌てて仕上げた。
今回はパソコン開いて打たないといけないぐらいの量のホロスコープの宿題が出ているけれど、まぁ案の定まだやってない。
手書きの部分はやり切った!←珍しくすでに完了!
しかも5日間に分けてしっかりと!←普段の無計画の先延ばしを今回はやらなかったという大快挙!
ホロスコープの講座に出ると自分のことをまた1つ客観的に知って、そしてOさんとの勉強会に出ると心の中のことをまた1つ新たに知っていく。
次の水曜は何を知るのかまだベールに包まれているけれど、今回も今回で楽しみ。
ちなみに「自分は欠けてる」思考、この1ヶ月近くの大きなテーマになった。
「欠けてる」と思ってる自分を見つける度に「今また思ってた!」と発見して満足してた。
自分へのダメ出しを始めてる時が「欠けてる」思考を発動してるサイン。
発見するのはゲームみたいで楽しいし、これが何に繋がるかはまだわからないけれど、いつかの何かに繋がっていく気がしている。
そしてようやく1年越しに書けることになった文章(今書いてて近いうちにアップ)が今ここで繋がって、自分の中では大満足♡←ハート付けるぐらいに満足している。
そろそろ1ヶ月経とうとしているけれど、すごく印象的な出来事だったから覚えてる。
占星術の講座の後(8月29日)、ヒーラーのOさんと待ち合わせて、ヒーリングの勉強会をした。
Oさんからのリクエストで、私のノートを持っていった。
Oさんには、7月に会った時にある心理のワークを紹介した。
書いてやってもらうタイプのもので、Oさんはそれをした後、自分の書いたものにあることをしたらしい。
実験として試したから、武士俣さんのノートにも試したいと言われて、それでOさんが何するのかは皆目見当もつかなかったけれど、とりあえずノートを数冊持ち運んだ。
Oさんの意図がわからなかったから、私は用途の違うノートをいくつか持ち込んだ。
最終的に4冊をOさんの前に出して(もう数冊リュックに入ってた)、それでOさんが何をするのかを見た。
私が紹介した心理ワークは、心の中を吐き出してそれを自分の受け取りやすい形に変えていくものだった。
そもそも心の中を吐き出すわけだから、ネガティブ満載なのは間違いなかった。
Oさんは私に説明した。
自分でワークをした後、それらの心のネガティブな部分が癒されるようにヒーリングを施したとのこと。
そして、施した後、どんな変化が生まれるかを今経過観察中とのこと。
実験的にやっているから、それを私のノートにも試したいと言われた。
ただその後すぐにこうも言われた。
僕はヒーリングをすることがいいことだと勝手に思ったけれど、それは武士俣さんのやり方に対して物申すみたいな感じだったり、そもそも「良くしよう」と考えること自体、相手(=私)はダメだと捉えてるとも武士俣さんから見て捉えかねないわけで、そんなの自分の単なるお節介のような気がして…、ヒーリングをするのが本当にいいのかどうかわからないと言われた。
私は全く気にならないし、ヒーリングをしてもらえるならじゃんじゃんしてもらいたいから、Oさんの思った通りにやって欲しいとお願いした。
そんな気遣いまでしてくれてありがたいばかりだった。
4冊目の前にあったノートに次々ヒーリングをしてくれて、そしてその後私は度肝を抜かれた光景を目の当たりにした。
そのうちの1冊を指して、Oさんはそのノートが一番重たくて状態が悪いみたいな言い方をした。
『羊のショーン』という人形劇風のアニメのキャラクターのノートだった。
ヒーリングの直後、
「武士俣さん、このノートの色が変わったのわかります?」
と聞かれた。
これ洗脳でもマジックでもなく、本当の本当に色が変わった。
全体的にピンクの色が大部分を占めているけれど、とにかく4年以上経過しているからノートの色は経年劣化でくすんでいた。
元の色は日焼けしたみたいな色の朽ち方をしていた。
そのノートの色が鮮やかなピンクに変わっていた。
「何これ??」と思った。
Oさんがしたのは手かざしと音払い的なことぐらいで、他は何もしていない。
今も手元にあるけれど、あの時に色が変わったままになっている。
新品とは言わないけれど、最初に買った時のような色合いに変わった。
使用前使用後の写真を撮っておけば良かったぐらい。
何かの魔法みたいだった。
占星術の講座で、スピリチュアルな能力の継承云々と説明されたことを思い出した。
Oさんのやっていることを私が継承することはないけれど、そうした世界との交流が私の場合はこれから先も切っても切れないところにあるような気がしている。
関わり合いになりたいとかいうことではなく、私の意思とは関係なくそういう世界との接点はあり続ける、そんな風に感じた。
ノートの話に戻る。
このノート、実はすっごい大事な話に繋がっていくノートだった。
新潟で東京行きの準備をした時、私にはOさんの意図も何をするのかも全くわからなかったから、どのノートを持参するか少しだけ悩んだ。
どれが来てもいいように、何冊かタイプの違うものを持って行くことにした。
4冊出したのはこんな内訳だった。
①自分の超ネガティブや心の毒、他人の批判・批難だけをひたすら書くノート
②自分の中のモヤモヤを吐き出したり解消するためのワークノート
③コーチングの授業のまとめノート
④アイデア帖
上が一番ネガティブで悪い気が入っていて、下に行けば行くほど純粋な良いエネルギーが流れていると私はずっとずっとずーっと思っていた。
特にアイデア帖なんて、最高に良いものだけを書き貯めていた!と自分では何も疑うことなくそう信じていた。
Oさんはこの時点では、どのノートがどんな用途なのかは知らなかった。
その何も知らないOさんが、
「このノートが特に重たいですね、断トツです」
と指差したのが羊のショーンのノート、アイデア帖だった。
私はOさんが間違えたのかと思って(←おい!)、Oさんにこれじゃないですか?と①のキャンパスのノートを差した。
「それそこまで悪くないですね〜。断トツでこれですよ!」
と尚も言う。
私の頭の中は「?????」だらけだった。
続いてダメなのは、とOさんが指差したのは、コーチングの授業のまとめのノートだった。
それこそ、理論や手法と自分の個人的な解釈とが書かれているだけで、その中では一番私の感情が入り込んでいないものだった。
だからOさんによれば、
①自分の超ネガティブや心の毒、他人の批判・批難だけをひたすら書くノート
②自分の中のモヤモヤを吐き出したり解消するためのワークノート
③コーチングの授業のまとめノート
④アイデア帖
の順で「良い→悪い」となっていた。
私の中では「悪い→良い」だったものが、Oさんによれば真逆の判定になっていて、全然理解できなかった。
私にはさっぱりその理由がわからず、Oさんにそれぞれのノートの用途をここで初めて説明した。
説明し終わるとOさんに笑顔で返された。
「武士俣さん、『足りない』って思っているでしょう?」
私の中はまたもや「?????」となった。
「足りない」って何?と思った。
Oさんはわかるように説明してくれた。
「そのアイデア帖、武士俣さん自分では良いと思ってるかもしれないけれど、それって別の言い方をすると、『そのままの自分では価値がない・足りないので、その部分を補います』っていうことで自分以外の人の考えをそこにくっつけている。
本当は武士俣さんのままでいいのに、その自分ではダメだと思って、そしてダメだという自分を良くするために別のところからアイデアを引っ張ってきて足している。
それが重たくなる原理だと思います」
言われて、ものすごーく納得した。
なぜならアイデア帖には、世の成功者たちが実践して上手くいった考え方や行動の仕方を元にしたワークもあれば、自分で思いついたアイデアを書き留めることもあった。
それって大元を見ると、今の自分じゃダメだと思っている。
その足りないと感じる部分を補おうと、無意識にその気持ちを詰め込んでる。
だから、私がものすごい暴言に文句に批難にとありったけの負の感情をぶちまけているそのノートこそが一番私そのもので、自分を飾っていない。
コーチングの授業のまとめノートについても、それは私自身をどこか否定する要素が含まれている。
どこかで自分のことをダメだと思っている。
ダメと言うか、私は知識が足りないから、そこを補ってくれるものとして忘れないにしよう!という私の認識が入っている。
知らぬ間に「自己否定」地獄に陥ってる。
それをOさんの指摘により気付かされた。
ちなみにOさんにそのアイデア帖をどうしたらいいかを聞いた。
私としてはそれも自分の一部だから捨てる気はないこと、でもそんな自己否定の悪い気がくっついているなら奥にしまっておくのもどうなんだろう?と思った。
Oさんに「それ風通しの良いところに置いてあげて下さい。植物のそばとかでもいいです。風当たりを良くしたらいいですよ」と言われた。
さらに聞いた。
「これ、今後どんな風になるんですか?ダメってことですか?」
それにもOさんは丁寧に説明してくれた。
「ダメだということではないです。ただ、意味合いが変わってくると思います」
「どういうことですか?」
(Oさんの答えは忘れたから、大体こういうことという話)
「例えば、掃除をするとします。
これまで義務的にやっていたり、汚いのはダメだと自分に言い聞かせてやっていたとするじゃないですか。
それが今後は、『きれいにすると気持ち良い』とか『きれいなところに自分の身を置くと落ち着く』から掃除をする、という風になってくると思いますよ」
例は掃除ではなかったけれど、内容的にはそんな風だった。
【エピローグ】←最近のお気に入りワード
ホロスコープの講座もOさんとの勉強会もまた来週の水曜に迫った。
また新しい情報が入ると、このことたちの詳細を忘れそうと思って慌てて仕上げた。
今回はパソコン開いて打たないといけないぐらいの量のホロスコープの宿題が出ているけれど、まぁ案の定まだやってない。
手書きの部分はやり切った!←珍しくすでに完了!
しかも5日間に分けてしっかりと!←普段の無計画の先延ばしを今回はやらなかったという大快挙!
ホロスコープの講座に出ると自分のことをまた1つ客観的に知って、そしてOさんとの勉強会に出ると心の中のことをまた1つ新たに知っていく。
次の水曜は何を知るのかまだベールに包まれているけれど、今回も今回で楽しみ。
ちなみに「自分は欠けてる」思考、この1ヶ月近くの大きなテーマになった。
「欠けてる」と思ってる自分を見つける度に「今また思ってた!」と発見して満足してた。
自分へのダメ出しを始めてる時が「欠けてる」思考を発動してるサイン。
発見するのはゲームみたいで楽しいし、これが何に繋がるかはまだわからないけれど、いつかの何かに繋がっていく気がしている。
そしてようやく1年越しに書けることになった文章(今書いてて近いうちにアップ)が今ここで繋がって、自分の中では大満足♡←ハート付けるぐらいに満足している。
占星術講座8月の学び〜自分解体ショー〜
<ホロスコープ講座4回目>
5月から始まったホロスコープ講座も今回が4回目。
毎回ホロスコープの超基礎を徹底的に勉強する会で、初回はあまりの難しさと理論的な内容に「選択間違えたかも」と思ったけれど、回を重ねるごとにこれを受けて本当に良かったと思っている。
何事も感覚的に捉えがちな私には、理論をまずはきっちりする方が実は勉強法としては合ってると思う。
理論を知りつつ、そこから自分の感覚を広げる方が占星術の場合は良い。
(あくまでも私の個人的な見解)
4回目の今回は「ハウス」と呼ばれるものが学習のテーマだった。
ハウスというのは、個人が自分の性格や特性を具体的に発揮したり、そうした自分自身を表に出して活動していく場所・舞台という風に捉えられている。
例えば私なら、12星座占いでお馴染みの太陽星座は魚座になるけれど、その魚座の性質を、横つながりの人間関係の中で発揮したり、自分と志や価値観を共有できる人たちと公的にも私的にも関わることで独自の関係性を築いていく、そうした活動を行いやすい傾向がある、と読み解くことができる。
ハウスは全部で12個あって、それを色んな要素と組み合わせながら読んでいく。
今回はハウスの概要はざっくりと一言で終わって、その後先生の方からそれぞれのハウスの読み解き方として、具体的にどう解釈するのかの例を教えてもらった。
仕事の仕方、人間関係、家族・家庭、夫婦関係、表現方法、コミュニケーションの取り方、自分の打ち出し方等々、人生や生活における多岐に渡った活動例が紹介されてた。
私の番はなかなか回ってこず、先生はどのハウスの時にどんな解釈を私の例として取り上げるんだろう?と思ってた。
結果的に私は1人だけ他の方たちの例の時には一切出てこなかった内容が説明された。
説明されたのは以下の2点。
・スピリチュアル的な能力を継承する
・霊感や言葉が降ってきやすく、それをどんどん外に向けて発言していく
説明はもっと長かったけれど、概要はそうだった。
明らかに他の人たちの時には出てこなかった例だったから、わかりやすいと言えばわかりやすかった。
他の人たちの例は、誰しもがありうる可能性の範疇で、想像しやすいものだった。
例えば、仕事の例だったり、家庭生活や家系における特徴だったり、はたまた人間関係においての何かだったり。
私だけ、何だか掴みどころのない、人によっては一生縁のないような分野が例として出された。
今の自分だからその先生の説明も「そうか」とある程度すんなり受け入れられたけれど、これがあと1年以上前なら受け取れなかったと思う。
受け取る素地と言えばいいんだろうか、そういうのが出てき始めたから変に疑ったり否定したりはしなくて済んだ。
私の場合、体験がまずやってきて、その後調べてそういう意味だったのか…とわかることが多い。
元々少し変わった体験は多かったかもしれない。
でもまだそれは「そういうこともあるかもね〜」ぐらいな緩い感じで、適当に流していた。
適当に流せなくなってきたのは、この1年ほどで、色んなことがあまりにもたくさん起こりすぎた。
起こっていく中で、普通の理論では到底説明できないようなことが増えたから、私はまたスピリチュアルの分野の調べ物をして自分に起こっていることを確認した。
そんなこんなのうちに、ホロスコープが私の人生の中に登場してきた。
そして、ホロスコープによって、元々そうした見えない世界との繋がりやすさや、そうした世界とのコミュニケーションを得やすいことがわかった。
今回の人生ではこういうことが必要です、というものたちもホロスコープに刻まれる。
それは本来生まれてきた目的に沿うように、それぞれの個人に設定されているものだと思う。
ちなみに先生に「霊感や言葉が降ってきやすい」云々の説明と絡めて言われたことの1つに、独自の勉強法を持ちやすいとも言われた。
どの部分を指すのかはわからないけれど、多分…というのはこんな風だと思う。
例えば、ホロスコープの星の配置からその時の新月や満月のテーマ、課題、成就しやすい分野を読み解くことができる。
ちなみにそれに関して、私はさっぱりセンスがなく、星の配置なんか見たところで「で、何?」となって読めない。
そういう時に私はどうするかと言うと、私が信頼できる占星術家の人たちのブログを読み漁る。
5人は最低でも読んでると思う(←そんなの数えたことない)。
色んな解釈を読み解く中で、私はそれらの読み解きの最大公約数を自分の中から出す。
内容によっては、それらと自分がさんざんやってきた心理のことやスピリチュアルなことと組み合わせて読み込むこともできる。
ちなみに心理の理論を理解するのに、私が最後一番使ったのは、作家さんたちの日記風のエッセイだった。
数十冊は読んだと思う。
そして読んで気に入った言葉は、ルーズリーフに書き写して、それは800枚近くに上った。
心理の理論は理解して実践するのが、私にとって難しい。
「自分を許す」なんて言われたところで、「で、何すんの?」と思う。
やり方も書いてあるものもあるけれど、手順とかも私からすると難解で、それを実践する前に何していいのかわからなくて挫折しそうになる。
最初私はそういうつもりでエッセイを読んだんじゃなく、単に面白くて読んでいた。
だけど、読んでいくうちに、そうした心理の難しい理論のヒントが日常の生活と絡ませて至る所に書いてあることに気付いた。
例えば「自分を許す」の例として。
ある作家さんは社会的に活躍するよりも自分と自分の家族のプライバシーを守るために依頼を断った経緯を書いていた。
そうしたら先方に本ではあんなに色々書いているのにテレビの仕事としてそれを発信できないのかと嫌味みたいなことを言われる。
そこでも作家さんは姿勢を変えない。
自分にとってどこの誰かも知らない大多数に向けて何か言葉を発信するよりも、家族との生活を守る方が大切だと、本当にそのままの言葉を返したらしい。
(ペンネームを使っているから、ご近所さんたちはその方が作家だということを知らないとのこと。だからテレビで顔出しすると、自分たちの生活が守れなくなる可能性も出てくるから、それはしたくないとあった)
この場合の「自分を許す」は、自分の思っていることを正直に話すことや、相手の意と異なっている自分の考えを大切にすることなんかが含まれている、と私は解釈した。
何ならこの作家さんはその一件を文中でものすごく怒ってた。
怒ることも自分に許していて、読んでいて痛快だった。
話が長くなったけれど、そういう勉強法を私は採用している。
勉強法とも呼べないけれど、自分が理解するためなら、実践するためなら、手段は選ばないし、そして自分がやりやすいようにありとあらゆるものを組み合わせる。
多分そういうのを独自の勉強法と呼ぶのかな…と思う。
あと気に入った言葉を写経のごとく写しまくって自分の中に響かせるみたいなのも、あまり人はしないかもしれない。
好きでやっていたけれど、確かにそれも独特の勉強法に位置すると言えばそうかなと思う。
話が逸れまくったけれど、この占星術の講座の後、私はまさに先生が説明してくれたことを体験することになる。
8月31日 13:59
【追記】
・先生に、ブログで講座の内容に少し触れてもいいかどうかを確認した時。
スピリチュアルな能力の継承もあるけれど、まず大切なのは、
「他人からも自分の中に侵入されやすいし、私自身も他人の中に侵入しやすい」
ということをご指摘いただきました(汗)。
あれ?えっ?うそ?そこ?
先生に確認して良かった。
後半の言葉が降ってくる云々のところは、指摘なしでそのまま。
・色んな読み解きを読んでの最大公約数の例。
明日9月23日(日)の秋分のテーマはこんな風。
ありのままの自分をさらけ出すために余計な鎧を脱いで、これまでの古い自分は破壊して、何も身につけていないままの素の自分を再生するというイメージ。
誰かの価値観で生きていく時代はこれから確実に終焉を迎え、ここから先は個人がどう考え何を大切にするかがすごく問われる時代に入っていくと思う。
5月から始まったホロスコープ講座も今回が4回目。
毎回ホロスコープの超基礎を徹底的に勉強する会で、初回はあまりの難しさと理論的な内容に「選択間違えたかも」と思ったけれど、回を重ねるごとにこれを受けて本当に良かったと思っている。
何事も感覚的に捉えがちな私には、理論をまずはきっちりする方が実は勉強法としては合ってると思う。
理論を知りつつ、そこから自分の感覚を広げる方が占星術の場合は良い。
(あくまでも私の個人的な見解)
4回目の今回は「ハウス」と呼ばれるものが学習のテーマだった。
ハウスというのは、個人が自分の性格や特性を具体的に発揮したり、そうした自分自身を表に出して活動していく場所・舞台という風に捉えられている。
例えば私なら、12星座占いでお馴染みの太陽星座は魚座になるけれど、その魚座の性質を、横つながりの人間関係の中で発揮したり、自分と志や価値観を共有できる人たちと公的にも私的にも関わることで独自の関係性を築いていく、そうした活動を行いやすい傾向がある、と読み解くことができる。
ハウスは全部で12個あって、それを色んな要素と組み合わせながら読んでいく。
今回はハウスの概要はざっくりと一言で終わって、その後先生の方からそれぞれのハウスの読み解き方として、具体的にどう解釈するのかの例を教えてもらった。
仕事の仕方、人間関係、家族・家庭、夫婦関係、表現方法、コミュニケーションの取り方、自分の打ち出し方等々、人生や生活における多岐に渡った活動例が紹介されてた。
私の番はなかなか回ってこず、先生はどのハウスの時にどんな解釈を私の例として取り上げるんだろう?と思ってた。
結果的に私は1人だけ他の方たちの例の時には一切出てこなかった内容が説明された。
説明されたのは以下の2点。
・スピリチュアル的な能力を継承する
・霊感や言葉が降ってきやすく、それをどんどん外に向けて発言していく
説明はもっと長かったけれど、概要はそうだった。
明らかに他の人たちの時には出てこなかった例だったから、わかりやすいと言えばわかりやすかった。
他の人たちの例は、誰しもがありうる可能性の範疇で、想像しやすいものだった。
例えば、仕事の例だったり、家庭生活や家系における特徴だったり、はたまた人間関係においての何かだったり。
私だけ、何だか掴みどころのない、人によっては一生縁のないような分野が例として出された。
今の自分だからその先生の説明も「そうか」とある程度すんなり受け入れられたけれど、これがあと1年以上前なら受け取れなかったと思う。
受け取る素地と言えばいいんだろうか、そういうのが出てき始めたから変に疑ったり否定したりはしなくて済んだ。
私の場合、体験がまずやってきて、その後調べてそういう意味だったのか…とわかることが多い。
元々少し変わった体験は多かったかもしれない。
でもまだそれは「そういうこともあるかもね〜」ぐらいな緩い感じで、適当に流していた。
適当に流せなくなってきたのは、この1年ほどで、色んなことがあまりにもたくさん起こりすぎた。
起こっていく中で、普通の理論では到底説明できないようなことが増えたから、私はまたスピリチュアルの分野の調べ物をして自分に起こっていることを確認した。
そんなこんなのうちに、ホロスコープが私の人生の中に登場してきた。
そして、ホロスコープによって、元々そうした見えない世界との繋がりやすさや、そうした世界とのコミュニケーションを得やすいことがわかった。
今回の人生ではこういうことが必要です、というものたちもホロスコープに刻まれる。
それは本来生まれてきた目的に沿うように、それぞれの個人に設定されているものだと思う。
ちなみに先生に「霊感や言葉が降ってきやすい」云々の説明と絡めて言われたことの1つに、独自の勉強法を持ちやすいとも言われた。
どの部分を指すのかはわからないけれど、多分…というのはこんな風だと思う。
例えば、ホロスコープの星の配置からその時の新月や満月のテーマ、課題、成就しやすい分野を読み解くことができる。
ちなみにそれに関して、私はさっぱりセンスがなく、星の配置なんか見たところで「で、何?」となって読めない。
そういう時に私はどうするかと言うと、私が信頼できる占星術家の人たちのブログを読み漁る。
5人は最低でも読んでると思う(←そんなの数えたことない)。
色んな解釈を読み解く中で、私はそれらの読み解きの最大公約数を自分の中から出す。
内容によっては、それらと自分がさんざんやってきた心理のことやスピリチュアルなことと組み合わせて読み込むこともできる。
ちなみに心理の理論を理解するのに、私が最後一番使ったのは、作家さんたちの日記風のエッセイだった。
数十冊は読んだと思う。
そして読んで気に入った言葉は、ルーズリーフに書き写して、それは800枚近くに上った。
心理の理論は理解して実践するのが、私にとって難しい。
「自分を許す」なんて言われたところで、「で、何すんの?」と思う。
やり方も書いてあるものもあるけれど、手順とかも私からすると難解で、それを実践する前に何していいのかわからなくて挫折しそうになる。
最初私はそういうつもりでエッセイを読んだんじゃなく、単に面白くて読んでいた。
だけど、読んでいくうちに、そうした心理の難しい理論のヒントが日常の生活と絡ませて至る所に書いてあることに気付いた。
例えば「自分を許す」の例として。
ある作家さんは社会的に活躍するよりも自分と自分の家族のプライバシーを守るために依頼を断った経緯を書いていた。
そうしたら先方に本ではあんなに色々書いているのにテレビの仕事としてそれを発信できないのかと嫌味みたいなことを言われる。
そこでも作家さんは姿勢を変えない。
自分にとってどこの誰かも知らない大多数に向けて何か言葉を発信するよりも、家族との生活を守る方が大切だと、本当にそのままの言葉を返したらしい。
(ペンネームを使っているから、ご近所さんたちはその方が作家だということを知らないとのこと。だからテレビで顔出しすると、自分たちの生活が守れなくなる可能性も出てくるから、それはしたくないとあった)
この場合の「自分を許す」は、自分の思っていることを正直に話すことや、相手の意と異なっている自分の考えを大切にすることなんかが含まれている、と私は解釈した。
何ならこの作家さんはその一件を文中でものすごく怒ってた。
怒ることも自分に許していて、読んでいて痛快だった。
話が長くなったけれど、そういう勉強法を私は採用している。
勉強法とも呼べないけれど、自分が理解するためなら、実践するためなら、手段は選ばないし、そして自分がやりやすいようにありとあらゆるものを組み合わせる。
多分そういうのを独自の勉強法と呼ぶのかな…と思う。
あと気に入った言葉を写経のごとく写しまくって自分の中に響かせるみたいなのも、あまり人はしないかもしれない。
好きでやっていたけれど、確かにそれも独特の勉強法に位置すると言えばそうかなと思う。
話が逸れまくったけれど、この占星術の講座の後、私はまさに先生が説明してくれたことを体験することになる。
8月31日 13:59
【追記】
・先生に、ブログで講座の内容に少し触れてもいいかどうかを確認した時。
スピリチュアルな能力の継承もあるけれど、まず大切なのは、
「他人からも自分の中に侵入されやすいし、私自身も他人の中に侵入しやすい」
ということをご指摘いただきました(汗)。
あれ?えっ?うそ?そこ?
先生に確認して良かった。
後半の言葉が降ってくる云々のところは、指摘なしでそのまま。
・色んな読み解きを読んでの最大公約数の例。
明日9月23日(日)の秋分のテーマはこんな風。
ありのままの自分をさらけ出すために余計な鎧を脱いで、これまでの古い自分は破壊して、何も身につけていないままの素の自分を再生するというイメージ。
誰かの価値観で生きていく時代はこれから確実に終焉を迎え、ここから先は個人がどう考え何を大切にするかがすごく問われる時代に入っていくと思う。
2018年9月21日金曜日
日帰り旅行のような仕事【最終章】
5日間限定のアルバイトは終わった。
初日に旅するように動いて、そして最終日にはおばさん夫妻との楽しい時間があった。
途中、自分の中の感情を癒す体験もすれば、数々の面白い場面にも遭遇した。
ペンジュラムが伝え続けていた「お金以外の理由」もわかった。
小さな実験をするためのヒントは、3日目の休憩中にツタヤに行って、そこで読んだ本の中に書いてあった。
ヒントを元に、その日の夜、自分なりにアレンジして実験をやった。
その日のツタヤも急遽決まった。
本当はその日は別の場所を回る予定でいて、休憩場所も違うところを予定していた。
ところが雨が午前中降った関係で、予定を大幅に変更させた。
(任されたものは、期限内に配ればどういう順で回るかは私が勝手に決めて良かった)
そのおかげで行けることになったツタヤで、そしてそのツタヤには本来読もうと思っていた本がなくて、同じ著者の方の別の本を読むことで最終的にヒントを手にした。
そういう不思議な流れに運ばれて起こったことだった。
10台近い同じ車種の車を立て続けに見たのは4日目だった。
ゼンリンの地図1枚分、しかもその日配ったのは半径1キロ圏内のようなところで、その中で立て続けに10台近く見かけた。
普通に運転してても1台見かける方が珍しいのに、どうしたら10台も全く違うところで見かけるのか、不思議でならなかった。
どんなに見かけても見飽きることもなかったから、ラッキーがまた重なった!、とおめでたいぐらいに1人で喜んでた。
バイト初日の2日前に事務所に地図やチラシを取りに行った。
地図は全部で20枚近くはあったと思う。
仕事のやり方を説明してもらった時に、その中の1枚の地図を例にとって見せられた。
そこに小さな実験に繋がる人のフルネームから一を引くと全く同じ漢字の並びになる名前を見つけた。
それを見て、多分この仕事大丈夫だなぁと感じた。
今振り返ってみれば、それが「絶対に大丈夫!」のサインだったと思う。
だって、説明の時にたまたまその地図で説明されて、そして当然多くの世帯主の名前が地図には刻まれているけれど、その中でピンポイントでその名前を見つけるなんて、どれだけの確率だろうと思う。
しかもたまたま目安になるような道の角の家だったから、全体を見回さなくても瞬時に名前が目に入ってくる位置にあった。
チラシ配りの仕事も怪しくないかかなり心配していたけれど、事務所の雰囲気がすごく良かった。
そこで働いている人たち1人1人を大切にしていることがすぐにわかった。
建物は古い倉庫を改装して使っていたけれど、私の中で見た事務所や会社の中で1位か2位に入るぐらいにきれいに整えられていた。
掃除も整理整頓もバッチリで、それを保てるだけの余裕がきちんとある会社だとわかった。
そして何よりも今回のチラシは、国の管轄下にある某機関の配り物だったことも大きかった。
ポスティング業界では全国一の実績を誇るとか言っていて、私はその説明を最初聞いた時に「本当に⁉︎」と失礼ながらも思ったけれども、納得した。
その国の管轄下にある機関が依頼するぐらいだから、きちんとしているというのは事務所に実際に行ってみてわかった。
名古屋での派遣会社登録の際、かなりな数のオフィスに行ったことで、会社のカラーや雰囲気を見る目が少しは育った。
それもあって、今回の仕事の会社がきちんとしているのは中に入って納得した。
・社会見学
・小旅行
・ウォーキングダイエット
・心の癒しワーク
そんなことたちを兼ね備えた仕事だった。
あと、仕事中、100羽以上の蝶々たちを見かけた。
色んな蝶々たちを見てそれも癒された。
天気も実は5日間中3日は絶対に雨の予報で他の2日もくもり時々雨になったりならなかったりで、何なら当日でさえも雨予報だったにも関わらず、本当に雨が降ったのは3日目の午前の1時間半ほどだけだった。
そこは移動の時間と、そしてオートロックマンションの分に当てて、おかげでほとんど濡れなかった。
他はくもりか晴れだった。
天気にも恵まれた。
最後の最後まで無事故で無事に終われたことは本当に嬉しかった。
実は私は1つすごく心配してたことがあった。
元々気の進まないことをしようとしてたのは百も承知で引き受けてた。
ペンジュラムはYESを出してくれていたけれど、これが実際の体験として吉と出るか凶と出るかはやってみないとわからなかった。
そして私が何よりも心配していたのは事故やケガだった。
ホロスコープを中途半端にかじったばかりに、私の中である1つの定説が出てきた。
「強制終了」
自分の本来の道と外れると強制終了がかかる。
それはホロスコープを勉強する前から自分でも何となく気付いていて、ホロスコープを勉強してからは、それが私の人生でそもそも起こりやすいことだと知った。
自分の意思とかは関係なくて、あり得ない形で終わりを迎えたりする。
だから、進んではいけないのに進もうとした場合、予測もつかない形で強制終了がかかる。
今回のチラシ配りは、気が進まないまま選んでいたから、これで事故とかケガとか起きたらシャレにならないと思っていた。
それに付け加えて、今天体の流れ全体が合わないものに関しては強制終了を促すような配置になっていて、方向が違うと強制力が働く、と色んな占星術家が言っている。
元々の性質に現在の天体の配置もそうとなれば、本当に私は無事でいられるんだろうかとアホみたいに心配していた。
今回は、何かしら理由があってやる、というのが始める前には当然何も見えていなかったから、本当に大丈夫かな?とかなり心配した。
だから今回の件は一か八かみたいなところがあった。
そして実際に、最終日家に帰ってくるまで全てが滞りなく進んだ時、心底ホッとした。
いよいよ何かしらを選んでいく時期に差し掛かっているにも関わらず、私の方はぐずぐずしている。
(正直、これもぐずぐずして正解なのか、はたまたさっさと動くが正解なのかもわからない)
動いてはいけない時、私の場合、体の具合が悪くなるとか、どうしてもやりたくない気持ちが強く出てくるとか、はたまた動いても最終的にやらない方向に物事が流れたりする。
そしてこれから先についても、とりあえず何をするとかいうことよりも、私の場合はそのすることが人生で必要かそうでないかで判断されて動く動かないが決定されてくような気がしてならない。
そして、必要なことは今回みたいにスムーズに進むだろうと思えるようになった。
無駄にビビらなくて大丈夫、自分の人生の流れを信じて大丈夫だというのは、体験を通じて感じられた。
(ちなみにそれでもまだ超絶ビビりまくっているけれども…)
ちなみにそれは自分の意思がないということではなく、自分の意思だけではどうにもならないことがあるということと、そしてそのどうにもならないとかどうにかなるということに関しては、私の個人の力ははっきり言って及ばない。
あともう1つ、ヒントがきた。
これは4日目の休憩でのこと。
自転車乗りの練習をしている女の子とお父さんに会った。
本当は3日目同様ツタヤに行こうかと思っていたけれど、さすがに体が疲れて本当にゆっくりしたくなって、車を止めた駐車場でそのまま過ごした。
そこは大学の敷地内で、だだっ広い駐車場とちょっとしたたくさん木のある公園のような感じになっている。
私が止めたところは、敷地内でもかなり隅っこの方で、祝日だったその日はほとんど車が止まっていなかった。
そこに、三姉妹とお父さんがやってきた。
双子のように見える上2人は、ローラースケートの練習をしていた。
下の年長ぐらいの子だけ、補助輪なしの自転車に乗る練習をお父さんとマンツーマンでしていた。
最初はお父さんが後ろについて自転車をしっかり抑えていた。
そしていつの間にか女の子は1人で自転車に乗れるようになっていた。
それを見て、今の私がまずすることが何かわかった。
「決める」ということ。
自転車乗りの練習をした女の子もまるで練習開始から始まってる風だけど、実際は、
自転車に乗れるようになりたい
(気持ち・願望 )
↓
自転車の練習をしよう
(決断)
↓
自転車の練習をする
(選択・行動)
↓
自転車に乗れるようになった
(結果)
となっている。
今の私は、最初の気持ちの部分がブレすぎていて、当然そうなるとその後もドミノ倒しのごとく倒れていくわけで、だからその子を見ていて自分のすることがわかった。
いきなりデカイ選択をするにはまだ気持ちが全くついていってないから、とりあえず確実に選択できて行動に移せるものから1つずつやっていってる。
例えば、「今後私側のストーリーを書く」というのは、気持ちと行動が一致しているから、今後スムーズに動いていくだろうと思っている。
今の私にとって、この自分の気持ちと行動を一致させるのってめちゃくちゃ大事で、それが1つでもあると心強い。
自分が動く時の自信になるし、不安が減ってくれる。
そういうヒントをくれた自転車乗りの女の子だった。
そしてもう1つ。
私の中で、あんなに強制終了にビビってるくせして、これだけは大丈夫と言えるものがある。
自分の気持ちと行動が一致していてその気持ちのまま動いて、それで結果が自分の望んだものとは真逆のものが来たとする。
その時は、もうたとえ納得いかなくても仕方ないとあきらめがつく。
例えばこれから先、自分側のストーリーを書くことをして、それが何にもならなかったとしても、それはそれで仕方ないと思える。
気持ちと行動が一致している時の私は、そうした覚悟をきちんと持てる。
だからある意味結果が気にならないし、気にせずに動ける。
この気持ち、大事にしたいなと思っている。
【エピローグ】
何日か前のブログで、河川敷の公園で「空」と書いてくうちゃんというワンコとおじいちゃんに公園で会ったことを書いた。
その日は、このバイトの道具を取りに事務所に初めて行った日の帰りの話だった。
くうちゃんを触れたのは、さくらがいたからだった。
さくらに初めて会ったのは2012年の春先だった。
とてもお世話になっているSさんが飼っていて、Sさんの家に遊びに行く前からさくらの存在は知っていた。
Sさんは、「さくらほどビビリの犬は他にいないから、絶対に大丈夫!」と私に教えてくれてた。
もし私が会って私の方がダメなら、さくらはケージに入れるから安心してと言われていた。
極度の犬恐怖症の私は半信半疑でSさんの家に初めて遊びに行った。
言われた通り、さくらは極度の怖がりで、私が部屋に入った瞬間後ずさりしていた。
その後すぐに懐いて、それ以降いつも私の周りをしっぽ振って大喜びで駆け回って、ベタベタしたり抱っこしたり何回か一緒に寝たりもした。
さくらと出逢わなければ、私は多分今も犬が苦手なままだったと思う。
だから大型犬手前の大きさのくうちゃんに触るなんていうのは、さくらに出逢っておとなしい犬もいると知っていたから、そしてくうちゃんにも同じにおいを感じたから、だから恐る恐るくうちゃんに近寄って触れた。
そしてこれを書く途中、Sさんと電話で話した。
なんとさくらは膀胱付近に11個もの石があって、緊急手術で一命を取り留めたとのこと。
これがあと少し遅かったら、命がなかったと思うとのことだった。
Sさんはしみじみと言った。
今まで何度も何度もその言葉を聞いてわかっていたつもりでいたけれど、本当はわかっていなかった。
今回さくらのことがあって、本当にわかるようになった。
人が近くの人たちに冷たくできるのは、明日もあると信じて疑わないからだってある音声で聞いたとのこと。
でも本当はそうじゃない。
「今日と同じ明日が来るとは限らない」
その意味がやっとやっとわかった、と教えてくれた。
まるで明日も今日と同じ日がくるみたいに感じても実はそうじゃない、だから今しかないんだということ、明日ももしかしたら来るかもしれないけれど、その明日はないかもしれない、やっとその本当の意味が今回初めてわかった。
Sさんはそう言った。
バイトは終わったけれど、最後の締めはさくらとSさんの話だった。
くうちゃんに出逢ったのもまるで偶然のようだったけれど、そもそもくうちゃんにはこのバイトのことがないと絶対に出逢えなかったワンコだった。
そして、くうちゃんに触るにはさくらなしでは不可能な話だった。
そして、実は私が働いていた頃、さくらは生死をかけた大手術を受けていた。
そして、最後の最後にSさんから「今日と同じ明日が来るとは限らない」と実体験と共に教えてもらった。
見えないところでも全部繋がっていた。
バイトの方がむしろついでで、それ以外の部分の方が何十倍もの意味があって、たくさんのメッセージを私に届けてくれた。
ペンジュラムのYESは本当だった。
お金ではない理由で行くという意味が、今すべて終わって初めて俯瞰できた。
【9月21日…最終日から3日経過して】
初日に旅するように動いて、そして最終日にはおばさん夫妻との楽しい時間があった。
途中、自分の中の感情を癒す体験もすれば、数々の面白い場面にも遭遇した。
ペンジュラムが伝え続けていた「お金以外の理由」もわかった。
小さな実験をするためのヒントは、3日目の休憩中にツタヤに行って、そこで読んだ本の中に書いてあった。
ヒントを元に、その日の夜、自分なりにアレンジして実験をやった。
その日のツタヤも急遽決まった。
本当はその日は別の場所を回る予定でいて、休憩場所も違うところを予定していた。
ところが雨が午前中降った関係で、予定を大幅に変更させた。
(任されたものは、期限内に配ればどういう順で回るかは私が勝手に決めて良かった)
そのおかげで行けることになったツタヤで、そしてそのツタヤには本来読もうと思っていた本がなくて、同じ著者の方の別の本を読むことで最終的にヒントを手にした。
そういう不思議な流れに運ばれて起こったことだった。
10台近い同じ車種の車を立て続けに見たのは4日目だった。
ゼンリンの地図1枚分、しかもその日配ったのは半径1キロ圏内のようなところで、その中で立て続けに10台近く見かけた。
普通に運転してても1台見かける方が珍しいのに、どうしたら10台も全く違うところで見かけるのか、不思議でならなかった。
どんなに見かけても見飽きることもなかったから、ラッキーがまた重なった!、とおめでたいぐらいに1人で喜んでた。
バイト初日の2日前に事務所に地図やチラシを取りに行った。
地図は全部で20枚近くはあったと思う。
仕事のやり方を説明してもらった時に、その中の1枚の地図を例にとって見せられた。
そこに小さな実験に繋がる人のフルネームから一を引くと全く同じ漢字の並びになる名前を見つけた。
それを見て、多分この仕事大丈夫だなぁと感じた。
今振り返ってみれば、それが「絶対に大丈夫!」のサインだったと思う。
だって、説明の時にたまたまその地図で説明されて、そして当然多くの世帯主の名前が地図には刻まれているけれど、その中でピンポイントでその名前を見つけるなんて、どれだけの確率だろうと思う。
しかもたまたま目安になるような道の角の家だったから、全体を見回さなくても瞬時に名前が目に入ってくる位置にあった。
チラシ配りの仕事も怪しくないかかなり心配していたけれど、事務所の雰囲気がすごく良かった。
そこで働いている人たち1人1人を大切にしていることがすぐにわかった。
建物は古い倉庫を改装して使っていたけれど、私の中で見た事務所や会社の中で1位か2位に入るぐらいにきれいに整えられていた。
掃除も整理整頓もバッチリで、それを保てるだけの余裕がきちんとある会社だとわかった。
そして何よりも今回のチラシは、国の管轄下にある某機関の配り物だったことも大きかった。
ポスティング業界では全国一の実績を誇るとか言っていて、私はその説明を最初聞いた時に「本当に⁉︎」と失礼ながらも思ったけれども、納得した。
その国の管轄下にある機関が依頼するぐらいだから、きちんとしているというのは事務所に実際に行ってみてわかった。
名古屋での派遣会社登録の際、かなりな数のオフィスに行ったことで、会社のカラーや雰囲気を見る目が少しは育った。
それもあって、今回の仕事の会社がきちんとしているのは中に入って納得した。
・社会見学
・小旅行
・ウォーキングダイエット
・心の癒しワーク
そんなことたちを兼ね備えた仕事だった。
あと、仕事中、100羽以上の蝶々たちを見かけた。
色んな蝶々たちを見てそれも癒された。
天気も実は5日間中3日は絶対に雨の予報で他の2日もくもり時々雨になったりならなかったりで、何なら当日でさえも雨予報だったにも関わらず、本当に雨が降ったのは3日目の午前の1時間半ほどだけだった。
そこは移動の時間と、そしてオートロックマンションの分に当てて、おかげでほとんど濡れなかった。
他はくもりか晴れだった。
天気にも恵まれた。
最後の最後まで無事故で無事に終われたことは本当に嬉しかった。
実は私は1つすごく心配してたことがあった。
元々気の進まないことをしようとしてたのは百も承知で引き受けてた。
ペンジュラムはYESを出してくれていたけれど、これが実際の体験として吉と出るか凶と出るかはやってみないとわからなかった。
そして私が何よりも心配していたのは事故やケガだった。
ホロスコープを中途半端にかじったばかりに、私の中である1つの定説が出てきた。
「強制終了」
自分の本来の道と外れると強制終了がかかる。
それはホロスコープを勉強する前から自分でも何となく気付いていて、ホロスコープを勉強してからは、それが私の人生でそもそも起こりやすいことだと知った。
自分の意思とかは関係なくて、あり得ない形で終わりを迎えたりする。
だから、進んではいけないのに進もうとした場合、予測もつかない形で強制終了がかかる。
今回のチラシ配りは、気が進まないまま選んでいたから、これで事故とかケガとか起きたらシャレにならないと思っていた。
それに付け加えて、今天体の流れ全体が合わないものに関しては強制終了を促すような配置になっていて、方向が違うと強制力が働く、と色んな占星術家が言っている。
元々の性質に現在の天体の配置もそうとなれば、本当に私は無事でいられるんだろうかとアホみたいに心配していた。
今回は、何かしら理由があってやる、というのが始める前には当然何も見えていなかったから、本当に大丈夫かな?とかなり心配した。
だから今回の件は一か八かみたいなところがあった。
そして実際に、最終日家に帰ってくるまで全てが滞りなく進んだ時、心底ホッとした。
いよいよ何かしらを選んでいく時期に差し掛かっているにも関わらず、私の方はぐずぐずしている。
(正直、これもぐずぐずして正解なのか、はたまたさっさと動くが正解なのかもわからない)
動いてはいけない時、私の場合、体の具合が悪くなるとか、どうしてもやりたくない気持ちが強く出てくるとか、はたまた動いても最終的にやらない方向に物事が流れたりする。
そしてこれから先についても、とりあえず何をするとかいうことよりも、私の場合はそのすることが人生で必要かそうでないかで判断されて動く動かないが決定されてくような気がしてならない。
そして、必要なことは今回みたいにスムーズに進むだろうと思えるようになった。
無駄にビビらなくて大丈夫、自分の人生の流れを信じて大丈夫だというのは、体験を通じて感じられた。
(ちなみにそれでもまだ超絶ビビりまくっているけれども…)
ちなみにそれは自分の意思がないということではなく、自分の意思だけではどうにもならないことがあるということと、そしてそのどうにもならないとかどうにかなるということに関しては、私の個人の力ははっきり言って及ばない。
あともう1つ、ヒントがきた。
これは4日目の休憩でのこと。
自転車乗りの練習をしている女の子とお父さんに会った。
本当は3日目同様ツタヤに行こうかと思っていたけれど、さすがに体が疲れて本当にゆっくりしたくなって、車を止めた駐車場でそのまま過ごした。
そこは大学の敷地内で、だだっ広い駐車場とちょっとしたたくさん木のある公園のような感じになっている。
私が止めたところは、敷地内でもかなり隅っこの方で、祝日だったその日はほとんど車が止まっていなかった。
そこに、三姉妹とお父さんがやってきた。
双子のように見える上2人は、ローラースケートの練習をしていた。
下の年長ぐらいの子だけ、補助輪なしの自転車に乗る練習をお父さんとマンツーマンでしていた。
最初はお父さんが後ろについて自転車をしっかり抑えていた。
そしていつの間にか女の子は1人で自転車に乗れるようになっていた。
それを見て、今の私がまずすることが何かわかった。
「決める」ということ。
自転車乗りの練習をした女の子もまるで練習開始から始まってる風だけど、実際は、
自転車に乗れるようになりたい
(気持ち・願望 )
↓
自転車の練習をしよう
(決断)
↓
自転車の練習をする
(選択・行動)
↓
自転車に乗れるようになった
(結果)
となっている。
今の私は、最初の気持ちの部分がブレすぎていて、当然そうなるとその後もドミノ倒しのごとく倒れていくわけで、だからその子を見ていて自分のすることがわかった。
いきなりデカイ選択をするにはまだ気持ちが全くついていってないから、とりあえず確実に選択できて行動に移せるものから1つずつやっていってる。
例えば、「今後私側のストーリーを書く」というのは、気持ちと行動が一致しているから、今後スムーズに動いていくだろうと思っている。
今の私にとって、この自分の気持ちと行動を一致させるのってめちゃくちゃ大事で、それが1つでもあると心強い。
自分が動く時の自信になるし、不安が減ってくれる。
そういうヒントをくれた自転車乗りの女の子だった。
そしてもう1つ。
私の中で、あんなに強制終了にビビってるくせして、これだけは大丈夫と言えるものがある。
自分の気持ちと行動が一致していてその気持ちのまま動いて、それで結果が自分の望んだものとは真逆のものが来たとする。
その時は、もうたとえ納得いかなくても仕方ないとあきらめがつく。
例えばこれから先、自分側のストーリーを書くことをして、それが何にもならなかったとしても、それはそれで仕方ないと思える。
気持ちと行動が一致している時の私は、そうした覚悟をきちんと持てる。
だからある意味結果が気にならないし、気にせずに動ける。
この気持ち、大事にしたいなと思っている。
【エピローグ】
何日か前のブログで、河川敷の公園で「空」と書いてくうちゃんというワンコとおじいちゃんに公園で会ったことを書いた。
その日は、このバイトの道具を取りに事務所に初めて行った日の帰りの話だった。
くうちゃんを触れたのは、さくらがいたからだった。
さくらに初めて会ったのは2012年の春先だった。
とてもお世話になっているSさんが飼っていて、Sさんの家に遊びに行く前からさくらの存在は知っていた。
Sさんは、「さくらほどビビリの犬は他にいないから、絶対に大丈夫!」と私に教えてくれてた。
もし私が会って私の方がダメなら、さくらはケージに入れるから安心してと言われていた。
極度の犬恐怖症の私は半信半疑でSさんの家に初めて遊びに行った。
言われた通り、さくらは極度の怖がりで、私が部屋に入った瞬間後ずさりしていた。
その後すぐに懐いて、それ以降いつも私の周りをしっぽ振って大喜びで駆け回って、ベタベタしたり抱っこしたり何回か一緒に寝たりもした。
さくらと出逢わなければ、私は多分今も犬が苦手なままだったと思う。
だから大型犬手前の大きさのくうちゃんに触るなんていうのは、さくらに出逢っておとなしい犬もいると知っていたから、そしてくうちゃんにも同じにおいを感じたから、だから恐る恐るくうちゃんに近寄って触れた。
そしてこれを書く途中、Sさんと電話で話した。
なんとさくらは膀胱付近に11個もの石があって、緊急手術で一命を取り留めたとのこと。
これがあと少し遅かったら、命がなかったと思うとのことだった。
Sさんはしみじみと言った。
今まで何度も何度もその言葉を聞いてわかっていたつもりでいたけれど、本当はわかっていなかった。
今回さくらのことがあって、本当にわかるようになった。
人が近くの人たちに冷たくできるのは、明日もあると信じて疑わないからだってある音声で聞いたとのこと。
でも本当はそうじゃない。
「今日と同じ明日が来るとは限らない」
その意味がやっとやっとわかった、と教えてくれた。
まるで明日も今日と同じ日がくるみたいに感じても実はそうじゃない、だから今しかないんだということ、明日ももしかしたら来るかもしれないけれど、その明日はないかもしれない、やっとその本当の意味が今回初めてわかった。
Sさんはそう言った。
バイトは終わったけれど、最後の締めはさくらとSさんの話だった。
くうちゃんに出逢ったのもまるで偶然のようだったけれど、そもそもくうちゃんにはこのバイトのことがないと絶対に出逢えなかったワンコだった。
そして、くうちゃんに触るにはさくらなしでは不可能な話だった。
そして、実は私が働いていた頃、さくらは生死をかけた大手術を受けていた。
そして、最後の最後にSさんから「今日と同じ明日が来るとは限らない」と実体験と共に教えてもらった。
見えないところでも全部繋がっていた。
バイトの方がむしろついでで、それ以外の部分の方が何十倍もの意味があって、たくさんのメッセージを私に届けてくれた。
ペンジュラムのYESは本当だった。
お金ではない理由で行くという意味が、今すべて終わって初めて俯瞰できた。
【9月21日…最終日から3日経過して】
日帰り旅行のような仕事【最終日】
「町が死んでる」
それが最初に感じたことだった。
チラシ配りの仕事の最終日、自分の町を歩いて回ることにした。
大まかな地区に分けると、今回は全部で7箇所の地区を回った。
その中で唯一自分の生まれ育った町だけが昔から知っている場所だった。
よくよく考えたら、高校に入って以降、私はほとんど地元にいたことがない。
住んでいても別のところに通学なり通勤していて、買物なんかも市外ですることが多かった。
市内で用事を済ませる時も行く場所は限られていたから、この町の廃れ具合には気付かずにいた。
平日の9時過ぎ、車は通るし、道路なんかの工事は至る所で行われていた。
配った町は、かつて準商店街みたいな場所だった。
公共の建物も近くにあるから、昔ながらの食堂や市場はやっていた。
だけど、少し住宅街に入ると、完全に町が死んでいる。
曇ってはいても、空は明るい。
ところどころ個人の木工や水道ポンプなんかの業者さんが働いているのもわかる。
それでも、もうどうしようもないぐらいに町が死んでた。
多分人は生きてる。
だけど、そこに精力や生命力を感じない。
死んだように生きてる、そんな風だった。
そこを歩いているだけで、気分がものすごく重たくなった。
家々の様子がおかしかった。
空き家という風でもないのに、家が大事にされてないのがわかる。
空き家と間違えそうになるぐらいの家が幾つも並んでいて、本当に息苦しくなりそうな場所だった。
今これを子どもの頃住んでた家の近くの公園で書いてる。
極めつけは、樹齢数十年は超えてる大きくて太い柳の木が途中から折れていたことだった。
最近の台風でそうなったのかもしれない。
終わりなんだなと思った。
古くから続いている自分の何かを終わらせていいんだなと思った。
9/18 9:58
3時間ほど歩いて、今小休憩。
小学校1年生か2年生の時の遠足できた公園にいる。
歩いている時に、そもそも何でこの仕事を今回することになったんだろう?って考えてた。
ペンジュラムを持つようになった2年前の5月から、私は何か選択に迫られるとペンジュラムに聞くようになった。
ペンジュラムにいきなり聞くと言うよりも、自分の中でYESNOを決めた上で確認する、そんな風にして使うことが多い。
私の個人的な都合で言えば、今回の仕事は単純にお金を稼ぐということでしかなかった。
だけど、ペンジュラムはお金のために行くんじゃないとずっと言ってた。
もっと別の理由で行くし、そして働き方として都合の良いものが他にもあったけれども、それにはそもそもNOが出ていた。
なぜかこの仕事はYESで、さらに「行かないって選択肢はある?」と聞くとそれはスーパーNOが何回も出た。
それ見て行くは行くんだなと思った。
上の死んでる町の後、その時の嫌な感触はとりあえず無くなった。
「あっ!」となった。
そもそも今回、地元でのチラシ配りの募集ではなくて、合併して大きくなった市全体の中でのチラシ配りの募集として出ていた。
一応希望は言えたから、もし地元の分があればそこをしたいとは言った。
だけど、そもそもどこがあってどこがないのかなんて私の知ったことではないから、来たもの勝負みたいな感じだった。
合計5日間やって、そしてまた諸々の道具たちを遠く離れた事務所に戻す関係で、最終日を地元にした。
地元で配り終わったら、その足で今度は運転してその遠い事務所に行けばいい、そう予定した。
自分の家から徒歩2、3分のわりかし新しめのアパートを今日の出発にして、同じ町内の同級生の家とかそこからさらに広がった同年代の友達だった人たちの家の前を通ったりした。
道がわかるっていいなぁと思った。
進みやすい。
知らない道の上を歩くより、ある程度見知ったところの方が安心して歩ける…人生にも同じことが言えるかもしれない、と思ってた。
その辺りまでは良かった。
ところが、上に書いた町に着いた時、ガラッと何かが変わった。
居心地が悪いだけじゃなく、息が詰まりそうなぐらいに嫌な感覚が体の中に広がってた。
そこを抜けた後、また良くはなるんだけど、そこで気付いた。
あの嫌な感覚、体中で覚えたあの感覚を癒して解き放つために通ったのかな…と思った。
その場所に嫌な思い出があるわけじゃない。
でも、その町の空気に触れると、確実に自分の中の何かの記憶とリンクして、自分の体の感覚が気持ち悪くなる。
何とリンクしてるのかは知らなくても、それは常に私の中にあるものだったことには変わりない。
その気持ち悪い感覚は普段は意識にのぼらない。
だけど、意識にのぼらないだけであって「無い」のとは違う。
この気持ち悪い感覚を常に持っていれば、自分の中のエネルギーもどこか重たいものになる。
その重たいものを自分の中から取り出して解放してしまう絶好の機会が与えられたんだと思った。
嫌な感じはしばらく続いたけれど、また風景の変化と共に変わった。
それはもう要らないものだと気付いた。
そしてそれを手放すにあたって、今回こうして地元でグルグルと回る仕事をしたんだと思った。
普段は気付かない。
自分のその感覚もそれにまつわる忌まわしいものたちも。
でも今回出てきて、そして多分このことだろうなぁという記憶もいくつか出てきた。
その嫌な感覚の時、本当は私は怖かった。
おそらくだけれど、その感覚の原体験の時は、「“怖い”って思っちゃいけない」と思ったんだと思う。
ただでさえ怖い状況になっているのに、それをそのまま感じちゃうともっと怖くなってしまう、そう思って感情を殺したんじゃないかと思う。
それを今回思い出すことになって、そして否が応でも体に感覚が広がるからそれを体感することになった。
その後私は面白い体験をした。
当初予定していた場所は、遠いのと登りがきついのとで、後で車で行くことに変更した。
だから、残るは平地の隣りの町内だけになって、それならまた元来た道を戻れば良かったから、またあの「町が死んでる」と感じた町内をわざわざ引き返した。
本当に感情が癒されたら見える景色が変わると思った。
それを確かめるためにもう一度同じ道同じ場所を通った。
予想は的中した。
相変わらず町は死んでる風ではあったけれども、体から変な感覚が抜けてくれたおかげで楽に息をすることができた。
嫌な感じが抜けただけではなく、さっきは見えなかった、人がきちんと生きて生活している風景も見えた。
同じ道の同じ家たちでも、見え方が変わった。
癒されたな…と思った。
さらに歩いていると、昼休みに家に戻る母親の車が赤信号で止まっているところを見た。
声をかけて、家の近くまで乗せてもらい、そこからまた隣りの町内まで歩いた。
母親の通る道も知らないし、その通る時間だって読めない。
だけど、ピッタリとタイミングが重なった。
それを見て「癒されました!」のサインだと悟った。
そう、この癒しの体験をするためには、今回のこの仕事が必要だったんだと理解した。
ペンジュラムの言った通りだった。
お金も大事なんだけれど、お金よりもこの仕事をすることで得る体験の方が大事だったとわかった。
だからペンジュラムは「行かない選択肢はない」と言い続けたんだと合点した。
9/18 12:59
帰りの車の中で、色んなことを思い出しながら帰ってきた。
うちから数十キロ離れた事務所から数キロのところに母の妹であるおばさんの家がある。
最終日、地元での配り物を終えた後、事務所に諸々の道具を返しに行って、その帰りにおばさんのところに寄った。
正直、行く前はあまり気乗りしなかった。
私の今の状況をあれこれ聞かれても、そのままを説明する言葉はあっても、これからどうするとか何をするとか、そういうことを説明する言葉はない。
だからそういう好ましくない会話を予想した時に、はっきり言って行く方が面倒くさかった。
私は適当な言い訳をして行かないにしようかと思っていたら、母が前日に早々と電話して、史子がもしかしたら寄るかもしれないとちゃっちゃと言ってた。
実際に行く前に渡して欲しいと言われた荷物たちを見て母側の用事の多さを知り、そのために私を行かせたかったんだとわかった。
私は行く前に電話を入れるつもりだったけれど、てっきり携帯の電話帳に入ってるかと思いきや番号が入っていなかった。
母から代わりに電話を入れてもらおうとしたら、母の携帯は繋がらなかった。
だから私はこれから行くと言わずに直接おばさんの家に行った。
3時半には仕事が終わって帰ってくるみたいなことを言っていたから、5時過ぎのその時はもう確実にいるだろうと踏んだ。
ここでは「おばさん」などと言っているけれど、母のきょうだいたちのことは、2歳の姪っ子が私のことを「ふみこ」と呼び捨てするように、下の名前で呼んでいる。
おばさんの家の電話番号を登録していなかったことも、母の携帯が繋がらなかったことも、それで正解と知ったのは着いてからだった。
おばさんの家の前の駐車場に車を止めると、ガラガラっと玄関の戸を開けておばさんが「史子来たね〜」と言いながら、出迎えてくれた。
初めてのことだった。
20代の頃、自分の用事がその近くである度に年に1〜2回はおばさんの家に泊まらせてもらってた。
その時はいつも事前に電話を入れてから行ってたから、出迎えてもらうことはなかった。
それが今回出迎えてもらえることになった。
それだけでも嬉しかった。
おばさんはお湯をわざわざやかんで沸かしてくれて、コーヒーをいただいた。
かもめの玉子(どこかの地方のお菓子)をコーヒーと共にいただきながら、「今日ね、お父さんとご飯何にする?って言ってたんよ。史子が野菜を持ってきてくれたから、ピーマンとさつまいもと、そして今年やっと採れたなすがあるから天ぷらにしようか!」と話してくれた。
おじさんとおばさんの中で、今日私が来るかもしれないということで、ご飯何にする?と相談したところに愛を感じた。
めちゃくちゃ愛を感じた。
夜は大量の天ぷらとひじきの煮物、みょうがをのせた冷奴、たらこ、そして白いごはんだった。
1年前の秋に亡くなったおじさん(母の兄)が作ったお米だとおばさんは説明してくれた。
もう今は亡き故人の最後の遺作なんだとわかった。
おばさんの旦那さんも帰って来た。
私たちみんなそのおじさんのことを「とよちゃん」と呼ぶ。
愛称でずっとずっと呼んできた。
とよちゃんに「今ならまだ正社員、史子いけるぞ!」と言われた。
私は長い時間かけて自分を見たことで、その言葉を本当にありがたく受け取れるようになった。
その言葉に想いを感じられるようになったのは、この夏からだと思う。
正社員じゃないことが不幸になるなんて思ってはいないと思う。
だけど、とよちゃんの考える幸せの中に「正社員で安定すること」が多分入ってる。
押しつけとかではなく、純粋に私のことを想っての言葉だとわかるから、とよちゃんの言葉は嬉しかった。
しかもそのことは一瞬で話は終わって、つい数日前仕事中に左手の人差し指を10センチ弱切って、その縫ったところの消毒とリハビリの話で盛り上がり、ケガして絶叫して泣くぐらい痛いのに、それをゲラゲラ笑いながら話すとよちゃんが良かった。
帰る頃には、変に抵抗して行かないんじゃなくて、行って良かったなぁと思った。
帰る時、とよちゃんもおばさんも言った。
「史子、またいつでも遊びにおいで!」
社交辞令じゃなくて、本気でそう言ってくれてる。
40歳を前にしたいい年した大人だけれど、とよちゃんとおばさんの前ではいつまでも子どもの自分でいられる。
それがすごくすごく嬉しい。
車に乗り込むと、おばさんもとよちゃんも運転席のすぐ横に並んで立って見送ってくれた。
本当に素敵な人たちだなぁと感じる。
これまで気付かなかったけれど、よくよく考えたら毎回いつも車の真横に来て見送ってくれる。
この一族のならわしのようで、気付けばみんなそうしてる。
10年以上前に亡くなったばばちゃん(母方祖母)も、腰が90度以上曲がっていて普段動くのも面倒くさそうに動いていたけれど、私が帰る時はいつも外まで出て私を見送ってくれてた。
母方の実家は今もそこは同じで、このお盆の時もその場にいた全員が外まで見送ってくれた。
温かい伝統だなぁとしみじみと感じた。
とよちゃんとおばさんに見送られながら、交通量の少なくなった国道を通って家に戻った。
【9月18日 バイト最終日】
それが最初に感じたことだった。
チラシ配りの仕事の最終日、自分の町を歩いて回ることにした。
大まかな地区に分けると、今回は全部で7箇所の地区を回った。
その中で唯一自分の生まれ育った町だけが昔から知っている場所だった。
よくよく考えたら、高校に入って以降、私はほとんど地元にいたことがない。
住んでいても別のところに通学なり通勤していて、買物なんかも市外ですることが多かった。
市内で用事を済ませる時も行く場所は限られていたから、この町の廃れ具合には気付かずにいた。
平日の9時過ぎ、車は通るし、道路なんかの工事は至る所で行われていた。
配った町は、かつて準商店街みたいな場所だった。
公共の建物も近くにあるから、昔ながらの食堂や市場はやっていた。
だけど、少し住宅街に入ると、完全に町が死んでいる。
曇ってはいても、空は明るい。
ところどころ個人の木工や水道ポンプなんかの業者さんが働いているのもわかる。
それでも、もうどうしようもないぐらいに町が死んでた。
多分人は生きてる。
だけど、そこに精力や生命力を感じない。
死んだように生きてる、そんな風だった。
そこを歩いているだけで、気分がものすごく重たくなった。
家々の様子がおかしかった。
空き家という風でもないのに、家が大事にされてないのがわかる。
空き家と間違えそうになるぐらいの家が幾つも並んでいて、本当に息苦しくなりそうな場所だった。
今これを子どもの頃住んでた家の近くの公園で書いてる。
極めつけは、樹齢数十年は超えてる大きくて太い柳の木が途中から折れていたことだった。
最近の台風でそうなったのかもしれない。
終わりなんだなと思った。
古くから続いている自分の何かを終わらせていいんだなと思った。
9/18 9:58
3時間ほど歩いて、今小休憩。
小学校1年生か2年生の時の遠足できた公園にいる。
歩いている時に、そもそも何でこの仕事を今回することになったんだろう?って考えてた。
ペンジュラムを持つようになった2年前の5月から、私は何か選択に迫られるとペンジュラムに聞くようになった。
ペンジュラムにいきなり聞くと言うよりも、自分の中でYESNOを決めた上で確認する、そんな風にして使うことが多い。
私の個人的な都合で言えば、今回の仕事は単純にお金を稼ぐということでしかなかった。
だけど、ペンジュラムはお金のために行くんじゃないとずっと言ってた。
もっと別の理由で行くし、そして働き方として都合の良いものが他にもあったけれども、それにはそもそもNOが出ていた。
なぜかこの仕事はYESで、さらに「行かないって選択肢はある?」と聞くとそれはスーパーNOが何回も出た。
それ見て行くは行くんだなと思った。
上の死んでる町の後、その時の嫌な感触はとりあえず無くなった。
「あっ!」となった。
そもそも今回、地元でのチラシ配りの募集ではなくて、合併して大きくなった市全体の中でのチラシ配りの募集として出ていた。
一応希望は言えたから、もし地元の分があればそこをしたいとは言った。
だけど、そもそもどこがあってどこがないのかなんて私の知ったことではないから、来たもの勝負みたいな感じだった。
合計5日間やって、そしてまた諸々の道具たちを遠く離れた事務所に戻す関係で、最終日を地元にした。
地元で配り終わったら、その足で今度は運転してその遠い事務所に行けばいい、そう予定した。
自分の家から徒歩2、3分のわりかし新しめのアパートを今日の出発にして、同じ町内の同級生の家とかそこからさらに広がった同年代の友達だった人たちの家の前を通ったりした。
道がわかるっていいなぁと思った。
進みやすい。
知らない道の上を歩くより、ある程度見知ったところの方が安心して歩ける…人生にも同じことが言えるかもしれない、と思ってた。
その辺りまでは良かった。
ところが、上に書いた町に着いた時、ガラッと何かが変わった。
居心地が悪いだけじゃなく、息が詰まりそうなぐらいに嫌な感覚が体の中に広がってた。
そこを抜けた後、また良くはなるんだけど、そこで気付いた。
あの嫌な感覚、体中で覚えたあの感覚を癒して解き放つために通ったのかな…と思った。
その場所に嫌な思い出があるわけじゃない。
でも、その町の空気に触れると、確実に自分の中の何かの記憶とリンクして、自分の体の感覚が気持ち悪くなる。
何とリンクしてるのかは知らなくても、それは常に私の中にあるものだったことには変わりない。
その気持ち悪い感覚は普段は意識にのぼらない。
だけど、意識にのぼらないだけであって「無い」のとは違う。
この気持ち悪い感覚を常に持っていれば、自分の中のエネルギーもどこか重たいものになる。
その重たいものを自分の中から取り出して解放してしまう絶好の機会が与えられたんだと思った。
嫌な感じはしばらく続いたけれど、また風景の変化と共に変わった。
それはもう要らないものだと気付いた。
そしてそれを手放すにあたって、今回こうして地元でグルグルと回る仕事をしたんだと思った。
普段は気付かない。
自分のその感覚もそれにまつわる忌まわしいものたちも。
でも今回出てきて、そして多分このことだろうなぁという記憶もいくつか出てきた。
その嫌な感覚の時、本当は私は怖かった。
おそらくだけれど、その感覚の原体験の時は、「“怖い”って思っちゃいけない」と思ったんだと思う。
ただでさえ怖い状況になっているのに、それをそのまま感じちゃうともっと怖くなってしまう、そう思って感情を殺したんじゃないかと思う。
それを今回思い出すことになって、そして否が応でも体に感覚が広がるからそれを体感することになった。
その後私は面白い体験をした。
当初予定していた場所は、遠いのと登りがきついのとで、後で車で行くことに変更した。
だから、残るは平地の隣りの町内だけになって、それならまた元来た道を戻れば良かったから、またあの「町が死んでる」と感じた町内をわざわざ引き返した。
本当に感情が癒されたら見える景色が変わると思った。
それを確かめるためにもう一度同じ道同じ場所を通った。
予想は的中した。
相変わらず町は死んでる風ではあったけれども、体から変な感覚が抜けてくれたおかげで楽に息をすることができた。
嫌な感じが抜けただけではなく、さっきは見えなかった、人がきちんと生きて生活している風景も見えた。
同じ道の同じ家たちでも、見え方が変わった。
癒されたな…と思った。
さらに歩いていると、昼休みに家に戻る母親の車が赤信号で止まっているところを見た。
声をかけて、家の近くまで乗せてもらい、そこからまた隣りの町内まで歩いた。
母親の通る道も知らないし、その通る時間だって読めない。
だけど、ピッタリとタイミングが重なった。
それを見て「癒されました!」のサインだと悟った。
そう、この癒しの体験をするためには、今回のこの仕事が必要だったんだと理解した。
ペンジュラムの言った通りだった。
お金も大事なんだけれど、お金よりもこの仕事をすることで得る体験の方が大事だったとわかった。
だからペンジュラムは「行かない選択肢はない」と言い続けたんだと合点した。
9/18 12:59
帰りの車の中で、色んなことを思い出しながら帰ってきた。
うちから数十キロ離れた事務所から数キロのところに母の妹であるおばさんの家がある。
最終日、地元での配り物を終えた後、事務所に諸々の道具を返しに行って、その帰りにおばさんのところに寄った。
正直、行く前はあまり気乗りしなかった。
私の今の状況をあれこれ聞かれても、そのままを説明する言葉はあっても、これからどうするとか何をするとか、そういうことを説明する言葉はない。
だからそういう好ましくない会話を予想した時に、はっきり言って行く方が面倒くさかった。
私は適当な言い訳をして行かないにしようかと思っていたら、母が前日に早々と電話して、史子がもしかしたら寄るかもしれないとちゃっちゃと言ってた。
実際に行く前に渡して欲しいと言われた荷物たちを見て母側の用事の多さを知り、そのために私を行かせたかったんだとわかった。
私は行く前に電話を入れるつもりだったけれど、てっきり携帯の電話帳に入ってるかと思いきや番号が入っていなかった。
母から代わりに電話を入れてもらおうとしたら、母の携帯は繋がらなかった。
だから私はこれから行くと言わずに直接おばさんの家に行った。
3時半には仕事が終わって帰ってくるみたいなことを言っていたから、5時過ぎのその時はもう確実にいるだろうと踏んだ。
ここでは「おばさん」などと言っているけれど、母のきょうだいたちのことは、2歳の姪っ子が私のことを「ふみこ」と呼び捨てするように、下の名前で呼んでいる。
おばさんの家の電話番号を登録していなかったことも、母の携帯が繋がらなかったことも、それで正解と知ったのは着いてからだった。
おばさんの家の前の駐車場に車を止めると、ガラガラっと玄関の戸を開けておばさんが「史子来たね〜」と言いながら、出迎えてくれた。
初めてのことだった。
20代の頃、自分の用事がその近くである度に年に1〜2回はおばさんの家に泊まらせてもらってた。
その時はいつも事前に電話を入れてから行ってたから、出迎えてもらうことはなかった。
それが今回出迎えてもらえることになった。
それだけでも嬉しかった。
おばさんはお湯をわざわざやかんで沸かしてくれて、コーヒーをいただいた。
かもめの玉子(どこかの地方のお菓子)をコーヒーと共にいただきながら、「今日ね、お父さんとご飯何にする?って言ってたんよ。史子が野菜を持ってきてくれたから、ピーマンとさつまいもと、そして今年やっと採れたなすがあるから天ぷらにしようか!」と話してくれた。
おじさんとおばさんの中で、今日私が来るかもしれないということで、ご飯何にする?と相談したところに愛を感じた。
めちゃくちゃ愛を感じた。
夜は大量の天ぷらとひじきの煮物、みょうがをのせた冷奴、たらこ、そして白いごはんだった。
1年前の秋に亡くなったおじさん(母の兄)が作ったお米だとおばさんは説明してくれた。
もう今は亡き故人の最後の遺作なんだとわかった。
おばさんの旦那さんも帰って来た。
私たちみんなそのおじさんのことを「とよちゃん」と呼ぶ。
愛称でずっとずっと呼んできた。
とよちゃんに「今ならまだ正社員、史子いけるぞ!」と言われた。
私は長い時間かけて自分を見たことで、その言葉を本当にありがたく受け取れるようになった。
その言葉に想いを感じられるようになったのは、この夏からだと思う。
正社員じゃないことが不幸になるなんて思ってはいないと思う。
だけど、とよちゃんの考える幸せの中に「正社員で安定すること」が多分入ってる。
押しつけとかではなく、純粋に私のことを想っての言葉だとわかるから、とよちゃんの言葉は嬉しかった。
しかもそのことは一瞬で話は終わって、つい数日前仕事中に左手の人差し指を10センチ弱切って、その縫ったところの消毒とリハビリの話で盛り上がり、ケガして絶叫して泣くぐらい痛いのに、それをゲラゲラ笑いながら話すとよちゃんが良かった。
帰る頃には、変に抵抗して行かないんじゃなくて、行って良かったなぁと思った。
帰る時、とよちゃんもおばさんも言った。
「史子、またいつでも遊びにおいで!」
社交辞令じゃなくて、本気でそう言ってくれてる。
40歳を前にしたいい年した大人だけれど、とよちゃんとおばさんの前ではいつまでも子どもの自分でいられる。
それがすごくすごく嬉しい。
車に乗り込むと、おばさんもとよちゃんも運転席のすぐ横に並んで立って見送ってくれた。
本当に素敵な人たちだなぁと感じる。
これまで気付かなかったけれど、よくよく考えたら毎回いつも車の真横に来て見送ってくれる。
この一族のならわしのようで、気付けばみんなそうしてる。
10年以上前に亡くなったばばちゃん(母方祖母)も、腰が90度以上曲がっていて普段動くのも面倒くさそうに動いていたけれど、私が帰る時はいつも外まで出て私を見送ってくれてた。
母方の実家は今もそこは同じで、このお盆の時もその場にいた全員が外まで見送ってくれた。
温かい伝統だなぁとしみじみと感じた。
とよちゃんとおばさんに見送られながら、交通量の少なくなった国道を通って家に戻った。
【9月18日 バイト最終日】
日帰り旅行のような仕事【中編】
初日の仕事で、時間の使い方も行く場所の風景もついでの体験たちも色々楽しんだけれども、実は一番の感動ポイントはそれらよりも「遊び感覚で働いてる」そちらの方だった。
本来の目的は「労働」であって、せんべい屋のアウトレットに寄るとか、栗拾いをするとかじゃない。
配っている間も、素敵なお庭や家、花や木々、初めて触れる風景、見かけた人たちの人間観察…と楽しいこと満載だった。
配り物の方がついでで、それ以外のことに私は全力で楽しんでいた。
だから「働いてる」という感覚が全くなかった。
自分で色々体験してわかったことがある。
塾の仕事の時にもチラシ配りの仕事があった。
私はその時も、新しい町並みを見たり素敵なお宅やお庭を見るのはすごく好きだった。
だけど当時は今回と違って、自分のペースではないペースで配らないと終わらなくて、それが苦痛で仕方なかった。
言うなれば、今回と同じ量のものを今回の半分以下の時間で配り、さらにはアパート・マンション・団地については中に入れるタイプの時は集合ポストではなく必ずドアに付いてる郵便受けに入れてこないといけなかった。
団地に当たった日なんかは最悪で、階段で5階6階まで上がっていた。
体育会系且つ男性9割の職場は、女の人にも容赦なく、週に最低2回はあるチラシ配りが本当に大嫌いだった。
反対の体験もしているから、今回の配り物の仕事が、まるで違う仕事のように感じる。
2日目が終わった今日、昨日とは違う感想を持った。
歩くのも配るのも動作として嫌いではない。
歩くのはむしろ好きに入る。
だけれど、私は今日の当たった地域は、全く面白みのない風景であることに気付いた。
基本的に家と2階建てのアパートしかない。
午前中はそこから4、5キロ離れたところを回った。
その午前中の地域は、昨日住宅街の中で森のような庭を見つけたところで、今日も今日でまた別の風景やオシャレな賃貸物件を見つけて、見飽きることがなかった。
午後から担当したところが全く面白みがなくて、町の空気が流れていない感じだった。
いくら回っても面白みがないから、最後の方はぐったりとしてしまった。
風景とか空気感が大事なのは身にしみて感じた。
余談だけれど、そのつまらない町の中で配り物をしてたら、小学生の女の子2人組にガン見されヒソヒソ話もされ、どうやら不審者と思われたようだった。
確かに帽子を目深にかぶって、紙(地図)見てキョロキョロしてたらおかしく思われても仕方ない。
通報でも何でもしてくれ!と思ったけれども、挨拶する前に人を疑えと普段から教え込まないといけないような地域なんだろうなぁと感じた。
それはいいとして、私の中で遊び感覚で何かをする時に、ポイントがあることがわかった。
その場の景色や雰囲気が好きだと、それだけで楽しくなれる。
その景色や雰囲気がとても大事なポイントなんだとわかった。
その好きになれない風景の中を歩いていた時に、ふと今の朝ドラの中のワンシーンを思い出した。
佐藤健が「律(りつ)」という名前で主人公の女の子と同じ日に生まれた幼なじみとして登場する。
律は子供の頃から発明することが大好きで、最終的にロボットを開発する国内最大手の会社に就職した。
途中まではそれで順風満帆だったけれど、ロボット開発は打ち切られ、律は管理職になった。
本社で人件費の削減とかそんなことばっかりの決済の書類に目を通す日々で、さらに律は大きな窓がたくさんあるビルなのに、開けられない窓だから風を感じることができないことに違和感を覚えていた。
律は安定を捨てて、「そよ風の扇風機」を自分で作ることにした。
自分の新しいオフィスは、廃校になった小学校を色んなベンチャー企業や起業家たちが使えるところで、律はその学校の教室とかによくある大きな窓とそこから入ってくる風に惚れている。
周りの登場人物たちにも「風を感じられるのがいい」とよく言っていた。
そんなシーンを思い出していた。
私はそのシーンを初めて見た時、「これだ!」となった。
名古屋で派遣をしてた時のこと。
1つはすごく設備の整ったオフィスビル、もう1つは名古屋駅にあるツインタワーと呼ばれる高層ビルの40何階とかで、上から数えて数階目のところだった。
どちらも最新だったり、整った空間ではあった。
だけど私はどちらも全く好きになれなくて、しょっちゅう大きな窓の外を見ては「今外に出るとどんな風だろう?暖かいかな?それとも寒いかな?風は冷たいかな?風は吹いてるかな?」と想いを巡らせていた。
西陽が当たるとパソコンの画面が見づらいという理由で、いつもブラインドは閉められていた。
外の景色も見ないで、何が楽しいんだろう?としょっちゅう思っていた。
きれいで整ったオフィスは、人生の楽しみの半分以上が失われてる、と思った。
その時のことを思い出した。
午後に回った地域は、高層ビルとは全く趣きが違うけれど、風が通らないのは一緒だった。
外にいるのに風を感じられない、そんな場所があることに驚いた。
当たり前だけれど、風が通るには通り道が必要になる。
その地域は、やたらとかくかくとしていて、そして隣りの建物とも近い。
日が当たるようにするためだと思うけれど、それぞれの家の位置が微妙にズレていて、そのズレがさらに風が通らないような設計になってるように見えた。
風が通っても、隣りの家の壁が当たる、だから風が運ばれない、そんな風だった。
そして、全体的に地域がギスギスしている。
自然の風通りも悪かったけれど、そこに住む人たちの風通しも悪そうだと、勝手な思い込みだけれどそう感じた。
午前中の地域は、開放感があって、風もよく吹いていた。
配り物に該当しないお宅の前を通ったら、犬にめちゃくちゃ吠えられた時があった。
外で飼われている犬も久しぶりに見たなぁと思いつつ、上の方から飼い主さんに「こらこら静かにしろ!」みたいなことを犬は話しかけられてた。
網戸越しで飼い主さんの顔はよく見えなかったけれど、目がお互いに合ったから、どちらからともなく会釈をした。
会釈を自然にできる、そういう風通しのある地域なんだと思う。
だから歩いていても気持ちが良い。
時々家から出てくる人たちと遭遇しても、緊張せずにすれ違える。
午後は反対で、悪いことなんか何1つしていないけれども、人とすれ違うごとにジロジロ見られる風で、すごい居心地が悪かった。
みんなとは言わないけれども、そういう人たちが多くて、早くそこを退散してしまいたかった。
初日はもっともっとローカルな地域で実にのんびりとしていたから、風景も風通しも抜群に良かった。
2日目も働いてる感覚はなかったけれど、さらに空気感や雰囲気が大切なんだというのがよくわかった。
いずれにしても「働いてる」感覚がない働き方に私はすごく感動した。
完全に1人仕事だというのも大いに関係していると思うけれど、働いてると言うより町探訪をしている気分だった。
【9月15日 バイト2日目】
本来の目的は「労働」であって、せんべい屋のアウトレットに寄るとか、栗拾いをするとかじゃない。
配っている間も、素敵なお庭や家、花や木々、初めて触れる風景、見かけた人たちの人間観察…と楽しいこと満載だった。
配り物の方がついでで、それ以外のことに私は全力で楽しんでいた。
だから「働いてる」という感覚が全くなかった。
自分で色々体験してわかったことがある。
塾の仕事の時にもチラシ配りの仕事があった。
私はその時も、新しい町並みを見たり素敵なお宅やお庭を見るのはすごく好きだった。
だけど当時は今回と違って、自分のペースではないペースで配らないと終わらなくて、それが苦痛で仕方なかった。
言うなれば、今回と同じ量のものを今回の半分以下の時間で配り、さらにはアパート・マンション・団地については中に入れるタイプの時は集合ポストではなく必ずドアに付いてる郵便受けに入れてこないといけなかった。
団地に当たった日なんかは最悪で、階段で5階6階まで上がっていた。
体育会系且つ男性9割の職場は、女の人にも容赦なく、週に最低2回はあるチラシ配りが本当に大嫌いだった。
反対の体験もしているから、今回の配り物の仕事が、まるで違う仕事のように感じる。
2日目が終わった今日、昨日とは違う感想を持った。
歩くのも配るのも動作として嫌いではない。
歩くのはむしろ好きに入る。
だけれど、私は今日の当たった地域は、全く面白みのない風景であることに気付いた。
基本的に家と2階建てのアパートしかない。
午前中はそこから4、5キロ離れたところを回った。
その午前中の地域は、昨日住宅街の中で森のような庭を見つけたところで、今日も今日でまた別の風景やオシャレな賃貸物件を見つけて、見飽きることがなかった。
午後から担当したところが全く面白みがなくて、町の空気が流れていない感じだった。
いくら回っても面白みがないから、最後の方はぐったりとしてしまった。
風景とか空気感が大事なのは身にしみて感じた。
余談だけれど、そのつまらない町の中で配り物をしてたら、小学生の女の子2人組にガン見されヒソヒソ話もされ、どうやら不審者と思われたようだった。
確かに帽子を目深にかぶって、紙(地図)見てキョロキョロしてたらおかしく思われても仕方ない。
通報でも何でもしてくれ!と思ったけれども、挨拶する前に人を疑えと普段から教え込まないといけないような地域なんだろうなぁと感じた。
それはいいとして、私の中で遊び感覚で何かをする時に、ポイントがあることがわかった。
その場の景色や雰囲気が好きだと、それだけで楽しくなれる。
その景色や雰囲気がとても大事なポイントなんだとわかった。
その好きになれない風景の中を歩いていた時に、ふと今の朝ドラの中のワンシーンを思い出した。
佐藤健が「律(りつ)」という名前で主人公の女の子と同じ日に生まれた幼なじみとして登場する。
律は子供の頃から発明することが大好きで、最終的にロボットを開発する国内最大手の会社に就職した。
途中まではそれで順風満帆だったけれど、ロボット開発は打ち切られ、律は管理職になった。
本社で人件費の削減とかそんなことばっかりの決済の書類に目を通す日々で、さらに律は大きな窓がたくさんあるビルなのに、開けられない窓だから風を感じることができないことに違和感を覚えていた。
律は安定を捨てて、「そよ風の扇風機」を自分で作ることにした。
自分の新しいオフィスは、廃校になった小学校を色んなベンチャー企業や起業家たちが使えるところで、律はその学校の教室とかによくある大きな窓とそこから入ってくる風に惚れている。
周りの登場人物たちにも「風を感じられるのがいい」とよく言っていた。
そんなシーンを思い出していた。
私はそのシーンを初めて見た時、「これだ!」となった。
名古屋で派遣をしてた時のこと。
1つはすごく設備の整ったオフィスビル、もう1つは名古屋駅にあるツインタワーと呼ばれる高層ビルの40何階とかで、上から数えて数階目のところだった。
どちらも最新だったり、整った空間ではあった。
だけど私はどちらも全く好きになれなくて、しょっちゅう大きな窓の外を見ては「今外に出るとどんな風だろう?暖かいかな?それとも寒いかな?風は冷たいかな?風は吹いてるかな?」と想いを巡らせていた。
西陽が当たるとパソコンの画面が見づらいという理由で、いつもブラインドは閉められていた。
外の景色も見ないで、何が楽しいんだろう?としょっちゅう思っていた。
きれいで整ったオフィスは、人生の楽しみの半分以上が失われてる、と思った。
その時のことを思い出した。
午後に回った地域は、高層ビルとは全く趣きが違うけれど、風が通らないのは一緒だった。
外にいるのに風を感じられない、そんな場所があることに驚いた。
当たり前だけれど、風が通るには通り道が必要になる。
その地域は、やたらとかくかくとしていて、そして隣りの建物とも近い。
日が当たるようにするためだと思うけれど、それぞれの家の位置が微妙にズレていて、そのズレがさらに風が通らないような設計になってるように見えた。
風が通っても、隣りの家の壁が当たる、だから風が運ばれない、そんな風だった。
そして、全体的に地域がギスギスしている。
自然の風通りも悪かったけれど、そこに住む人たちの風通しも悪そうだと、勝手な思い込みだけれどそう感じた。
午前中の地域は、開放感があって、風もよく吹いていた。
配り物に該当しないお宅の前を通ったら、犬にめちゃくちゃ吠えられた時があった。
外で飼われている犬も久しぶりに見たなぁと思いつつ、上の方から飼い主さんに「こらこら静かにしろ!」みたいなことを犬は話しかけられてた。
網戸越しで飼い主さんの顔はよく見えなかったけれど、目がお互いに合ったから、どちらからともなく会釈をした。
会釈を自然にできる、そういう風通しのある地域なんだと思う。
だから歩いていても気持ちが良い。
時々家から出てくる人たちと遭遇しても、緊張せずにすれ違える。
午後は反対で、悪いことなんか何1つしていないけれども、人とすれ違うごとにジロジロ見られる風で、すごい居心地が悪かった。
みんなとは言わないけれども、そういう人たちが多くて、早くそこを退散してしまいたかった。
初日はもっともっとローカルな地域で実にのんびりとしていたから、風景も風通しも抜群に良かった。
2日目も働いてる感覚はなかったけれど、さらに空気感や雰囲気が大切なんだというのがよくわかった。
いずれにしても「働いてる」感覚がない働き方に私はすごく感動した。
完全に1人仕事だというのも大いに関係していると思うけれど、働いてると言うより町探訪をしている気分だった。
【9月15日 バイト2日目】
日帰り旅行のような仕事
住宅街の中に、大きな林のような庭を持っている平屋の家を見つけた。
家よりも遥かに大きいその庭は、大きな木が何本もあって、一部は竹林になっていて、そして畑や花がある風だった。
手入れとかはさておいて、そのきれいな庭持ちの平屋建ての家がすごく良く見えた。
ぼーっと歩いている時、開店準備をしている男性の美容師さんがいた。
間違っていなければ、その美容院が開店した当初一度だけ行ったことがある。
ものすごく前(10数年以上前)でそこに行ったことさえ忘れていたけれど、窓の外から見て「行った気がする」と思い出した。
30代の人だったと記憶しているけれど、思い切って自分で店を構えた、と言っていた。
内装も色々こだわっていた。
だけど、私はそこは一度しか通わなかった。
何かが合わなくて、ピンときていなかった。
技術もだけど、何となくまた行きたいとはならなかった。
若干店は年数的な古さがプラスになっていたけれど、多分中はきれいなままだった。
店名を読むと「あじさい」。
当て字で書かれたあじさいはどうやら潰れたらしかった。
20代の頃、夜勤明けで一緒になった方とお昼を食べに行った記憶がある。
いつの間にかそこは看板を残したまま、潰れたらしかった。
ヤクルトレディのおばさん(私よりうんと年上だと思う)が、陽気な音楽をわりかし大きな音で聴いていたのが聞こえた。
おばさんは届け物で車中不在の中、音楽プレーヤーから流れるその音だけが近くを通ったら耳に入ってきた。
色んな人の日常を眺めながらの作業は想像以上に楽しかった。
私は次なる目的地へと向かった。
一度も行ったことのない町で、全く土地勘も行き方も知らなかった。
途中、私が新潟県内の大手メーカーのせんべいの中では一番美味しいと思っているせんべいのアウトレット店に寄った。
銀座に店構えするだけあって(その店には別の高級な名前が付いてる)、本当に美味しい。
割れたり形がいびつだと検品ではねられる。
そのはねられたおせんべいをアウトレット価格で販売している。
そこを通らないと行けないことは前の日に調べて知っていたから、絶対に寄ろうと決めてた。
店の前に地産地消の野菜もあって、男しゃくとキタアカリという名のじゃがいもとなすの袋を持って店内に入った。
アウトレットと言ってもコンビニの半分以下しかない大きさで、しかもものすごくへんぴな所にある。
知る人ぞ知る、というような場所だけれど、店の中は混雑していた。
主に団塊世代あたりの夫婦が数組、中には大量購入して宅急便利用する人までいた。
私も3つほど美味しいせんべいを選んで、レジに並んだ。
並んでいる時、某飲料メーカーの制服を着た男性が客として入ってきた。
外に出るとあの自動販売機を補充するトラックが停まっていた。
仕事の合間に寄るぐらいに好きなんだなと知った。
私は本来の目的地へと向かった。
その町は山もあるけれど、ちょっとした平野のようになっていて、稲刈りが終わった田んぼとこれから稲刈りをする田んぼとで混ざり合っていた。
道の両側にどこまでも広がる田んぼの風景に何だか和んだ。
風も気持ち良くて、暑くもなく、適度に涼しい風が吹いていた。
空き家になっていた市営住宅とは思えない、どちらかと言えばマンション的な造りのところがあって、1階の空き家をのぞいた。
家の前には木があって、中もきれいで、こんなところなら日々景色に癒されるなぁと思いつつも、こういうところに1人で住み始めたら確実にもっと誰とも合わなくなって引きこもりをさらに加速させそう…と思った。
来る時に「ここで休憩するのいいかも!」と目をつけていた、誰もいない公園?広場?みたいなところがあった。
でもペンジュラムに聞くとそこじゃないと言う。
次の目的地へと向かう中にあると出たから、とりあえず次なる町へと向かった。
土地勘はなくて、曲がる場所はペンジュラム頼りだった。
一回だけ曲がった道は、最終的にもみじ園へと繋がっていた。
そのすぐ近くに全国的に有名な新潟の地酒の製造会社がある。
そこはまず水にこだわっていて、野生の蛍も出るし、市か県から水がきれいですよ、という体の野生保護地区みたいな許可も取っているとそこに勤め始めた友達が言っていた。
そのすぐ近くにもみじ園があるのは知っていたけれど、一度も行ったことはなかった。
ペンジュラムもそこだと言うから、そこでお昼休憩にした。
本やノート、おにぎり、飲み物を持って、もみじ園へと続く細い道を登ろうとした。
なんとその入口付近に栗が落ちてた。
まさかの栗で、子どもの時以来の栗拾いをした。
汚くなってもいいスニーカーできたから、栗のいがを広げるのもへっちゃらだった。
実際に登ると、もっとたくさんの栗が落ちていて、私は見つける度に栗拾いにいそしんだ。
ものすごい楽しかった。
まだシーズンではないもみじ園には、誰もいなかった。
適当な木陰と丸太でできたベンチを見つけて、そこで栗ごはんのおにぎりを食べた。
目の前には遠くに田園と山々が連なっているのが見えて、そして近くに目を移すとまだ青いもみじが見えた。
蚊にかなり刺されたけれども、すごくきれいな風景で、贅沢なランチタイムだなと思った。
あまりにも蚊に刺されるから車に戻った。
細い道は、よくよく見るとトトロに出てくる木のトンネルみたいで、そこを歩いているだけで心がどんどん軽くなっていった。
はとバスの旅に一度だけ参加したことがあるけれど、それに似た日帰り旅行みたいだなと感じていた。
私は何をしていたかと言うと「働いていた」。
5日間だけのチラシ配布の仕事で、チラシと言ってもたくさんの人に配るものではなく、決められたお宅にだけ配るもので、それをゼンリンの地図を見ながらマークされた所にだけ配っていく。
最初気が進まなかったけれど、いざやってみたら全く働いている感覚はなくて、本当に旅してる気分だった。
道中は好きな音楽をかけて時々歌いながら行ける。
景色を楽しみながら行けた。
せんべいのアウトレットは、トイレ休憩で寄った。
今回している仕事の依頼主からの指示でGPSを装着している。
装着していても、別に「トイレ」に寄るのが本当の目的だから、やましいことはない。
コンビニさえないような山の中の町だから、行ける時に行かないと!と思った。
休憩も自由で、自分のタイミングで1時間どこかで休んでくださいと言われていた。
だから、どこか適当な場所で…と考えていたら、もみじ園がヒットした。
ペンジュラムは相変わらず素敵な場所を案内してくれる。
午後に回った場所は、山の中にある大学の近くだった。
その辺りは土地持ちの農家の方がたくさんいるようで、学生向けのアパートとお屋敷のような家主の家とが同じ敷地内にあるパターンだった。
一箇所だけ、地図を見ただけでは建物の判別がつかないところがあった。
現実には3つのアパートがあったけれど、地図には4つあって、どれがどれを指すのか定かではなかった。
私とそんなに年の変わらないお母さんが小さな子どもと外に出ていた。
その方に聞けばわかるかなと思って尋ねてみた。
丁寧に教えてもらい、お礼を言って私はまた元来たアパートの横の道に戻った。
戻りながら、その人の人生と私の人生との差を思った。
その方はその家の娘なのか嫁なのかは知らないけれど、説明してくれた時に「前の3つはうちが経営してますが、向こうのオレンジ色の建物はうちじゃないです」と言われた。
差を思ったのはこうだった。
その女性は、その土地に住んでその土地を守っていくことが役目なんだろうなぁと。
私には不動産のような財産は確かにないけれども(←欲しいとも思ってない)、代わりに自由に動ける選択肢が与えられてるんだなと。
どっちが良い悪いとかではなくて、それぞれの生き方の差、定められたものがあるとするなら、私はどこか1つの土地に住んでそこで代々伝わる土地や血を守ることではないんだなと思った。
それをしなくていいということは、別の何かをする身軽さが与えられているんだと気付いた。
当たり前のことみたいだけれど、そんなこと普段忘れてる。
そこのアパートも配り終わって、私は「トイレ休憩」のために近くの雑貨屋に車を走らせた。
あくまで用事はトイレに行くこと。
GPSは車の中に置いたまま、雑貨屋に行って、残りの中途半端な時間はウインドーショッピングに費やした。
初日はそんな風にして仕事を終えた。
1日を通して、ただの一度も働いてると感じることなく時間が過ぎたことにものすごく感動した。
【9月14日 バイト初日】
家よりも遥かに大きいその庭は、大きな木が何本もあって、一部は竹林になっていて、そして畑や花がある風だった。
手入れとかはさておいて、そのきれいな庭持ちの平屋建ての家がすごく良く見えた。
ぼーっと歩いている時、開店準備をしている男性の美容師さんがいた。
間違っていなければ、その美容院が開店した当初一度だけ行ったことがある。
ものすごく前(10数年以上前)でそこに行ったことさえ忘れていたけれど、窓の外から見て「行った気がする」と思い出した。
30代の人だったと記憶しているけれど、思い切って自分で店を構えた、と言っていた。
内装も色々こだわっていた。
だけど、私はそこは一度しか通わなかった。
何かが合わなくて、ピンときていなかった。
技術もだけど、何となくまた行きたいとはならなかった。
若干店は年数的な古さがプラスになっていたけれど、多分中はきれいなままだった。
店名を読むと「あじさい」。
当て字で書かれたあじさいはどうやら潰れたらしかった。
20代の頃、夜勤明けで一緒になった方とお昼を食べに行った記憶がある。
いつの間にかそこは看板を残したまま、潰れたらしかった。
ヤクルトレディのおばさん(私よりうんと年上だと思う)が、陽気な音楽をわりかし大きな音で聴いていたのが聞こえた。
おばさんは届け物で車中不在の中、音楽プレーヤーから流れるその音だけが近くを通ったら耳に入ってきた。
色んな人の日常を眺めながらの作業は想像以上に楽しかった。
私は次なる目的地へと向かった。
一度も行ったことのない町で、全く土地勘も行き方も知らなかった。
途中、私が新潟県内の大手メーカーのせんべいの中では一番美味しいと思っているせんべいのアウトレット店に寄った。
銀座に店構えするだけあって(その店には別の高級な名前が付いてる)、本当に美味しい。
割れたり形がいびつだと検品ではねられる。
そのはねられたおせんべいをアウトレット価格で販売している。
そこを通らないと行けないことは前の日に調べて知っていたから、絶対に寄ろうと決めてた。
店の前に地産地消の野菜もあって、男しゃくとキタアカリという名のじゃがいもとなすの袋を持って店内に入った。
アウトレットと言ってもコンビニの半分以下しかない大きさで、しかもものすごくへんぴな所にある。
知る人ぞ知る、というような場所だけれど、店の中は混雑していた。
主に団塊世代あたりの夫婦が数組、中には大量購入して宅急便利用する人までいた。
私も3つほど美味しいせんべいを選んで、レジに並んだ。
並んでいる時、某飲料メーカーの制服を着た男性が客として入ってきた。
外に出るとあの自動販売機を補充するトラックが停まっていた。
仕事の合間に寄るぐらいに好きなんだなと知った。
私は本来の目的地へと向かった。
その町は山もあるけれど、ちょっとした平野のようになっていて、稲刈りが終わった田んぼとこれから稲刈りをする田んぼとで混ざり合っていた。
道の両側にどこまでも広がる田んぼの風景に何だか和んだ。
風も気持ち良くて、暑くもなく、適度に涼しい風が吹いていた。
空き家になっていた市営住宅とは思えない、どちらかと言えばマンション的な造りのところがあって、1階の空き家をのぞいた。
家の前には木があって、中もきれいで、こんなところなら日々景色に癒されるなぁと思いつつも、こういうところに1人で住み始めたら確実にもっと誰とも合わなくなって引きこもりをさらに加速させそう…と思った。
来る時に「ここで休憩するのいいかも!」と目をつけていた、誰もいない公園?広場?みたいなところがあった。
でもペンジュラムに聞くとそこじゃないと言う。
次の目的地へと向かう中にあると出たから、とりあえず次なる町へと向かった。
土地勘はなくて、曲がる場所はペンジュラム頼りだった。
一回だけ曲がった道は、最終的にもみじ園へと繋がっていた。
そのすぐ近くに全国的に有名な新潟の地酒の製造会社がある。
そこはまず水にこだわっていて、野生の蛍も出るし、市か県から水がきれいですよ、という体の野生保護地区みたいな許可も取っているとそこに勤め始めた友達が言っていた。
そのすぐ近くにもみじ園があるのは知っていたけれど、一度も行ったことはなかった。
ペンジュラムもそこだと言うから、そこでお昼休憩にした。
本やノート、おにぎり、飲み物を持って、もみじ園へと続く細い道を登ろうとした。
なんとその入口付近に栗が落ちてた。
まさかの栗で、子どもの時以来の栗拾いをした。
汚くなってもいいスニーカーできたから、栗のいがを広げるのもへっちゃらだった。
実際に登ると、もっとたくさんの栗が落ちていて、私は見つける度に栗拾いにいそしんだ。
ものすごい楽しかった。
まだシーズンではないもみじ園には、誰もいなかった。
適当な木陰と丸太でできたベンチを見つけて、そこで栗ごはんのおにぎりを食べた。
目の前には遠くに田園と山々が連なっているのが見えて、そして近くに目を移すとまだ青いもみじが見えた。
蚊にかなり刺されたけれども、すごくきれいな風景で、贅沢なランチタイムだなと思った。
あまりにも蚊に刺されるから車に戻った。
細い道は、よくよく見るとトトロに出てくる木のトンネルみたいで、そこを歩いているだけで心がどんどん軽くなっていった。
はとバスの旅に一度だけ参加したことがあるけれど、それに似た日帰り旅行みたいだなと感じていた。
私は何をしていたかと言うと「働いていた」。
5日間だけのチラシ配布の仕事で、チラシと言ってもたくさんの人に配るものではなく、決められたお宅にだけ配るもので、それをゼンリンの地図を見ながらマークされた所にだけ配っていく。
最初気が進まなかったけれど、いざやってみたら全く働いている感覚はなくて、本当に旅してる気分だった。
道中は好きな音楽をかけて時々歌いながら行ける。
景色を楽しみながら行けた。
せんべいのアウトレットは、トイレ休憩で寄った。
今回している仕事の依頼主からの指示でGPSを装着している。
装着していても、別に「トイレ」に寄るのが本当の目的だから、やましいことはない。
コンビニさえないような山の中の町だから、行ける時に行かないと!と思った。
休憩も自由で、自分のタイミングで1時間どこかで休んでくださいと言われていた。
だから、どこか適当な場所で…と考えていたら、もみじ園がヒットした。
ペンジュラムは相変わらず素敵な場所を案内してくれる。
午後に回った場所は、山の中にある大学の近くだった。
その辺りは土地持ちの農家の方がたくさんいるようで、学生向けのアパートとお屋敷のような家主の家とが同じ敷地内にあるパターンだった。
一箇所だけ、地図を見ただけでは建物の判別がつかないところがあった。
現実には3つのアパートがあったけれど、地図には4つあって、どれがどれを指すのか定かではなかった。
私とそんなに年の変わらないお母さんが小さな子どもと外に出ていた。
その方に聞けばわかるかなと思って尋ねてみた。
丁寧に教えてもらい、お礼を言って私はまた元来たアパートの横の道に戻った。
戻りながら、その人の人生と私の人生との差を思った。
その方はその家の娘なのか嫁なのかは知らないけれど、説明してくれた時に「前の3つはうちが経営してますが、向こうのオレンジ色の建物はうちじゃないです」と言われた。
差を思ったのはこうだった。
その女性は、その土地に住んでその土地を守っていくことが役目なんだろうなぁと。
私には不動産のような財産は確かにないけれども(←欲しいとも思ってない)、代わりに自由に動ける選択肢が与えられてるんだなと。
どっちが良い悪いとかではなくて、それぞれの生き方の差、定められたものがあるとするなら、私はどこか1つの土地に住んでそこで代々伝わる土地や血を守ることではないんだなと思った。
それをしなくていいということは、別の何かをする身軽さが与えられているんだと気付いた。
当たり前のことみたいだけれど、そんなこと普段忘れてる。
そこのアパートも配り終わって、私は「トイレ休憩」のために近くの雑貨屋に車を走らせた。
あくまで用事はトイレに行くこと。
GPSは車の中に置いたまま、雑貨屋に行って、残りの中途半端な時間はウインドーショッピングに費やした。
初日はそんな風にして仕事を終えた。
1日を通して、ただの一度も働いてると感じることなく時間が過ぎたことにものすごく感動した。
【9月14日 バイト初日】
2018年9月20日木曜日
1年分のサイン
昨日の夜に書いた文章を今朝とその後午後ぐらいにもう1回読み返した。
まずは、書いといて良かったなと思った。
今日の私だったら、絶対に書かないことがわかった。
気が乗らないから。
しかも、あれは思考的になると書けない。
思考はいちいち「そんなの勘違いじゃない?」「それおかしくない?」とか、鋭くて正しいツッコミばっかりするから、そうなると書けなくなる。
だから、半分目が閉じそうになりながらも書いて正解だった。
多少言葉が足りないとは感じたけれど、私は直そうとは思わなかった。
あれはあれで完成形だし、頭を正しい状態に設定したまま書いても、逆に伝わらない気がしたから。
1つだけ付け足すとするなら、ようやく私も「それ普通じゃない」と疑わなくなってきたこと。
1年前、やたらと名前を見たり聞いたりすることが始まった時、それは偶然だと最初は思った。
偶然度合いが重なりすぎな気はしていたけれど、それさえも「たまたま」と片付けていた。
っていうか、そんなことをいちいち分析できる心の余裕もなかった。
その人の異動により完全に接点がなくなって、さらに私自身も仕事を辞めたことで接点がもっともっとなくなった今年の春。
今度はもっと意外な形でサインがやってくるようになってきた。
その会社の制服を着たおじさんが我が家に通行止のお知らせをしに来た時は、本気で度肝を抜かれた。
つい数日前、うちから30〜40キロ離れた町に用事があって行って来た。
同じタイプの工事が為されていた。
でも、担当会社も看板も聞いたことのない会社で、あの春先の出来事はたまたまかもしれなかったけれど、あれを私は見ることになってたんだなと知った。
つい最近は、全く関係のないところで、その名前から一を引いた、最後の文字以外は同じ漢字の同じ名前を見かけた。
思わず写真まで撮ってしまった。
こんなことが延々と1年も続いたわけで、さすがにそれはたまたまとは言えなくなった。
じゃあそれらが何を意味してるかなんてわからないけれど、あまりにも出没するから、私は自分の解釈したいように解釈している。
もう1つ思い出した。
その一だけ引いた名前を見た日かその次の日、車のナンバーでその人の出身と言われるナンバーを見た。
それもこの辺ではあまり見ないから珍しくはあるけれど、なんとその車のナンバーは、私の暗証番号と同じ数字だった。
何この意味不明なコラボレーション⁉︎と思った。
そして、その翌日だったか翌々日、今度は数百メートルおきに、その人が乗っている車と同じ車種の車と何だかんだ10台近くすれ違った(私は歩いていたから、わざわざ車の後ろに回って車名を確認した)。
その車、そんなに人気?えっ⁉︎、となりながらその変な偶然に1人で狐につままれた気分になっていた。
百歩譲って私が注目してるからだとしよう。
いくら注意を向けてたって、そんなにも名前やら車やら他の何かやらを用意して、そんなにたくさん目にすることはさすがにできないと思う。
これは実験してわかったことだけれど、例えば名前を探そう!と思って新聞とか広げてもその名前はまず出てこない(←これは何回か試したし、つい最近も試した)。
そういう時は、うぶこえおくやみコーナーもくまなく見るけれど、無い。
とにかく無い。
そんなことはせずに、自然に任せるというか意識にさえ上っていないところに、いつも不意打ちでやってくる。
仮に1日1つ何かその人に関係するものを見るとしても、そんなに365個も上手い具合に用意なんてできない。
しかも実際は1日1つどころかいくつもやってくる日もあって、しかもそれが友達の結婚式みたいに一生に1回しか訪ねることのない場所とかでもそういうことが起こる。
ちなみにその時は、その県のニュースが電車か電光掲示板のテロップで流れていて、そこにいきなり名前が出てきた。
その県では知らない人がいないだろう有名人の名前だった。
でもニュースなんてたくさんあるわけで、その時そのタイミングでそのニュースが流れていて私もそれをたまたま目にするなんて、どんだけあり得ない確率なの⁉︎と思った。
一事が万事そんな風で、それを毎日のようにそして1年以上も続くとなると、さすがに「あれ?」となった。
好ましい繋がり方とは違うけれど、相当縁の強い人なんだろうなぁと思う。
1年前、まさかこんな時間を自分がその後1年も続けて体験するだなんて全く思ってもいないことだった。
これだけ体験すると、さすがに疑うことは減った。
変な形ではあるけれど、何かしら繋がっているんだろうし、その繋がりは自分が望んでるような形ではなくても、繋がりそのものはあるはあると思っている。
1つだけ確実に言えることは、そのサインたちと遭遇するのは毎回毎回楽しみや安心感、不安な時は包容力、落ちている時は希望、そういうものを与えてくれるから、私はサインが来るたびに良い気分にさせてもらっている。
例えば今思い出したこと。
今年の冬の大寒波のある日のこと。
車が一ミリも動かないぐらいの大渋滞にモーグルのコースですか?と言わんばかりのボコボコ道でのこと。
ペンジュラムに任せて道を選んだ。
どこをどう行っても、当時は2キロの道に1時間半かかっていたから、10数通りはあるだろうどの道から行っても大きく差はないと思っていた。
そんな時に、ペンジュラムが指し示す方向に行ったら、私の中でのラッキーアイテムと言わんばかりの洋菓子屋さんの車とすれ違った。
店名にその人と同じ名字が入っている車。
世界に1台しかないその車。
渋滞も寒波もボコボコ道も全てテンションダダ下がりだったけれども、その時にその車とすれ違って、「よし!大丈夫!」と思った。
その日はどうだったか忘れたけれど、その人の携帯の着信音をその人と仲良くしてる人から教えてもらったことがあって、それかけながらボコボコの雪道をギャーギャー騒ぎながら運転してた。
音楽も士気を高めるタイプのものだったから、非常に心強いアイテムをありがとう、と思いながら乗り切っていた。
音楽も私が教えて!とお願いしたんじゃない。
その教えてくれた人からある日突然、ちょっと来て来て!と呼ばれて行った時に教えてもらって、それで知ることになった。
その人を連想させるサインやアイテムたちは、どんなに自分の気持ちが落ちてても、または状況的にどんなにきつくても、それがひょっと現れるだけで気持ちを落ち着かせてもらったり、オールネガティブみたいなところに一抹の光が差し込むみたいなすごい効果がある。
それをこの1年以上、日常的に得ていたわけだから、私は相当な幸運体質だと思う。
今もこれを書きながら、色んなサインたちを思い出して、テンションが上がってきた(笑)。
完全なる自家発電。
今まで色んな心の癒しや自分の状態を良くするワークみたいなのを試したけれど、このサインたちほど強力で絶大なパワーを常にもたらしてくれるものは他になかった。
しかもサインたちは心の資産のようなもので、増えれば増えるほどバリエーションが豊かになって、それに伴い心の中も豊かになっていく。
最初は本当に半信半疑だったし、とうとう頭の中がいかれポンチになったかとも思ったけれど、1年も続くとこのサインたちの方が普通になった。
あって当たり前とは一度も思ったことはないけれど、偶然とか勘違いではなくて、本当に私を元気づけるかのごとく存在してくれてることはわかるようになった。
もしこのことが私の勘違いだったとしても、今の私なら「勘違い万歳\(^o^)/」と喜べる。
勘違いでもいい。
だって、勘違いでも私の気持ちを元気にさせてくれてたこの1年のことは事実だったから。
むしろ勘違いで元気になってたとするなら、それほどおめでたいことはない。
だって、人生の中で、そのことに触れるだけで毎回気分が上がる、それも百発百中、絶対に100%の確率で上がる、そんなものに出逢えるなんて本当にすごいこと。
生きていたら、嫌なことも逃げたいことも当然あるわけで、その中で毎回出くわすたびに元気をもらうなんて、ものすごいラッキー。
虹を見たらテンションが上がる、その感じに似ている。
しかも虹が出るタイミングは自分たちでは読めない。
そうした読めないタイミングの見るだけで耳にするだけで気持ちを引き上げてもらうものに私はほぼほぼ毎日この1年出くわし続けてたわけで、もうそれだけでどんだけすごいのー!って話。
だから勘違いでも構わない。
だって、そのサインに行き着く度に、私は必ず気持ちが上向きになる。
そういうものってなかなかない。
悲しいことも受け入れ難いことももちろんあった。
本気でその場で泣き出すかと思うぐらいにショックを受けてみたり、しばらくいなくなったことが受け入れられなくてその人がいた場所を視覚に入れないようにしたり、全て勘違いで私が勝手に1人で気持ちを上げてたんだと言い聞かせたり…。
本当に色々だった。
でもいつのどんな時も、私はそれらのサインに触れると、その人が私の人生の中に在ることの奇跡を思った。
その人なくしては、そのサインたちは当然何の意味もないわけで、そうしたらこの1年の日々の幸運の積み重ねもなかったことになる。
全てその人がいたからこそ、そのサインたちに意味があって、そして私はサインたちにいつもいつも気持ちを救ってもらってた。
今少しずつ自分の中で決めていることがある。
私の側から見ているストーリーがある。
それを隠さずに思いついたところから話していこうと思っている。
信じられない気持ちや疑う気持ち、おかしいと思う気持ちや否定する気持ち、そうしたものがずっとあったのも本当だった。
でもいくらそういう気持ちたちが湧いて出ていても、それでもこうしてやってくるサインだとか、ファンタジーのような不思議なことが色々あった。
今1年ぐらい経ってみて、自分が見てきたもの、感じてきたもの、そしてその中で自分が選びたいことが何なのかがわかり始めてきた。
そして、それをそのまま言葉にしていく準備が整った。
ずっとずっと書き続けたからこそ、誤魔化して書くよりもありのまま書く方が自分が書きやすいこともわかった。
受け取る受け取らないはまた別の話になるけれど、少なくとも届いてるようには感じている。
だから今度は、私側から見ていたストーリーを不定期に書いていこうと決めた。
反応は欲しい。
これは本当に正直な気持ちで、それは否定しない。
だけど、反応が何1つ返ってこなくても私は書く。
書きたいから、伝えたいから、書く。
そしてもう1つスーパーお節介魂を出すと。
その人に知って欲しい。
その人がどんな風でも、そのままで、ただただいてくれるだけで、ものすっごい価値があるということ。
それは良いところだけを見て言ってるんじゃない。
私にとって非常に受け入れ難いところも含めてその人だから、その全部ひっくるめて、その人がその人だからいいんだよということを伝えたい。
相手が受け取る受け取らないに関係なく書く。
これが全て私の勘違いでもいいから書く。
とにかく書く、伝える。
そうしたいから。
そうしたい!って、やっと心の底からそう思えるようになったから。
まずは、書いといて良かったなと思った。
今日の私だったら、絶対に書かないことがわかった。
気が乗らないから。
しかも、あれは思考的になると書けない。
思考はいちいち「そんなの勘違いじゃない?」「それおかしくない?」とか、鋭くて正しいツッコミばっかりするから、そうなると書けなくなる。
だから、半分目が閉じそうになりながらも書いて正解だった。
多少言葉が足りないとは感じたけれど、私は直そうとは思わなかった。
あれはあれで完成形だし、頭を正しい状態に設定したまま書いても、逆に伝わらない気がしたから。
1つだけ付け足すとするなら、ようやく私も「それ普通じゃない」と疑わなくなってきたこと。
1年前、やたらと名前を見たり聞いたりすることが始まった時、それは偶然だと最初は思った。
偶然度合いが重なりすぎな気はしていたけれど、それさえも「たまたま」と片付けていた。
っていうか、そんなことをいちいち分析できる心の余裕もなかった。
その人の異動により完全に接点がなくなって、さらに私自身も仕事を辞めたことで接点がもっともっとなくなった今年の春。
今度はもっと意外な形でサインがやってくるようになってきた。
その会社の制服を着たおじさんが我が家に通行止のお知らせをしに来た時は、本気で度肝を抜かれた。
つい数日前、うちから30〜40キロ離れた町に用事があって行って来た。
同じタイプの工事が為されていた。
でも、担当会社も看板も聞いたことのない会社で、あの春先の出来事はたまたまかもしれなかったけれど、あれを私は見ることになってたんだなと知った。
つい最近は、全く関係のないところで、その名前から一を引いた、最後の文字以外は同じ漢字の同じ名前を見かけた。
思わず写真まで撮ってしまった。
こんなことが延々と1年も続いたわけで、さすがにそれはたまたまとは言えなくなった。
じゃあそれらが何を意味してるかなんてわからないけれど、あまりにも出没するから、私は自分の解釈したいように解釈している。
もう1つ思い出した。
その一だけ引いた名前を見た日かその次の日、車のナンバーでその人の出身と言われるナンバーを見た。
それもこの辺ではあまり見ないから珍しくはあるけれど、なんとその車のナンバーは、私の暗証番号と同じ数字だった。
何この意味不明なコラボレーション⁉︎と思った。
そして、その翌日だったか翌々日、今度は数百メートルおきに、その人が乗っている車と同じ車種の車と何だかんだ10台近くすれ違った(私は歩いていたから、わざわざ車の後ろに回って車名を確認した)。
その車、そんなに人気?えっ⁉︎、となりながらその変な偶然に1人で狐につままれた気分になっていた。
百歩譲って私が注目してるからだとしよう。
いくら注意を向けてたって、そんなにも名前やら車やら他の何かやらを用意して、そんなにたくさん目にすることはさすがにできないと思う。
これは実験してわかったことだけれど、例えば名前を探そう!と思って新聞とか広げてもその名前はまず出てこない(←これは何回か試したし、つい最近も試した)。
そういう時は、うぶこえおくやみコーナーもくまなく見るけれど、無い。
とにかく無い。
そんなことはせずに、自然に任せるというか意識にさえ上っていないところに、いつも不意打ちでやってくる。
仮に1日1つ何かその人に関係するものを見るとしても、そんなに365個も上手い具合に用意なんてできない。
しかも実際は1日1つどころかいくつもやってくる日もあって、しかもそれが友達の結婚式みたいに一生に1回しか訪ねることのない場所とかでもそういうことが起こる。
ちなみにその時は、その県のニュースが電車か電光掲示板のテロップで流れていて、そこにいきなり名前が出てきた。
その県では知らない人がいないだろう有名人の名前だった。
でもニュースなんてたくさんあるわけで、その時そのタイミングでそのニュースが流れていて私もそれをたまたま目にするなんて、どんだけあり得ない確率なの⁉︎と思った。
一事が万事そんな風で、それを毎日のようにそして1年以上も続くとなると、さすがに「あれ?」となった。
好ましい繋がり方とは違うけれど、相当縁の強い人なんだろうなぁと思う。
1年前、まさかこんな時間を自分がその後1年も続けて体験するだなんて全く思ってもいないことだった。
これだけ体験すると、さすがに疑うことは減った。
変な形ではあるけれど、何かしら繋がっているんだろうし、その繋がりは自分が望んでるような形ではなくても、繋がりそのものはあるはあると思っている。
1つだけ確実に言えることは、そのサインたちと遭遇するのは毎回毎回楽しみや安心感、不安な時は包容力、落ちている時は希望、そういうものを与えてくれるから、私はサインが来るたびに良い気分にさせてもらっている。
例えば今思い出したこと。
今年の冬の大寒波のある日のこと。
車が一ミリも動かないぐらいの大渋滞にモーグルのコースですか?と言わんばかりのボコボコ道でのこと。
ペンジュラムに任せて道を選んだ。
どこをどう行っても、当時は2キロの道に1時間半かかっていたから、10数通りはあるだろうどの道から行っても大きく差はないと思っていた。
そんな時に、ペンジュラムが指し示す方向に行ったら、私の中でのラッキーアイテムと言わんばかりの洋菓子屋さんの車とすれ違った。
店名にその人と同じ名字が入っている車。
世界に1台しかないその車。
渋滞も寒波もボコボコ道も全てテンションダダ下がりだったけれども、その時にその車とすれ違って、「よし!大丈夫!」と思った。
その日はどうだったか忘れたけれど、その人の携帯の着信音をその人と仲良くしてる人から教えてもらったことがあって、それかけながらボコボコの雪道をギャーギャー騒ぎながら運転してた。
音楽も士気を高めるタイプのものだったから、非常に心強いアイテムをありがとう、と思いながら乗り切っていた。
音楽も私が教えて!とお願いしたんじゃない。
その教えてくれた人からある日突然、ちょっと来て来て!と呼ばれて行った時に教えてもらって、それで知ることになった。
その人を連想させるサインやアイテムたちは、どんなに自分の気持ちが落ちてても、または状況的にどんなにきつくても、それがひょっと現れるだけで気持ちを落ち着かせてもらったり、オールネガティブみたいなところに一抹の光が差し込むみたいなすごい効果がある。
それをこの1年以上、日常的に得ていたわけだから、私は相当な幸運体質だと思う。
今もこれを書きながら、色んなサインたちを思い出して、テンションが上がってきた(笑)。
完全なる自家発電。
今まで色んな心の癒しや自分の状態を良くするワークみたいなのを試したけれど、このサインたちほど強力で絶大なパワーを常にもたらしてくれるものは他になかった。
しかもサインたちは心の資産のようなもので、増えれば増えるほどバリエーションが豊かになって、それに伴い心の中も豊かになっていく。
最初は本当に半信半疑だったし、とうとう頭の中がいかれポンチになったかとも思ったけれど、1年も続くとこのサインたちの方が普通になった。
あって当たり前とは一度も思ったことはないけれど、偶然とか勘違いではなくて、本当に私を元気づけるかのごとく存在してくれてることはわかるようになった。
もしこのことが私の勘違いだったとしても、今の私なら「勘違い万歳\(^o^)/」と喜べる。
勘違いでもいい。
だって、勘違いでも私の気持ちを元気にさせてくれてたこの1年のことは事実だったから。
むしろ勘違いで元気になってたとするなら、それほどおめでたいことはない。
だって、人生の中で、そのことに触れるだけで毎回気分が上がる、それも百発百中、絶対に100%の確率で上がる、そんなものに出逢えるなんて本当にすごいこと。
生きていたら、嫌なことも逃げたいことも当然あるわけで、その中で毎回出くわすたびに元気をもらうなんて、ものすごいラッキー。
虹を見たらテンションが上がる、その感じに似ている。
しかも虹が出るタイミングは自分たちでは読めない。
そうした読めないタイミングの見るだけで耳にするだけで気持ちを引き上げてもらうものに私はほぼほぼ毎日この1年出くわし続けてたわけで、もうそれだけでどんだけすごいのー!って話。
だから勘違いでも構わない。
だって、そのサインに行き着く度に、私は必ず気持ちが上向きになる。
そういうものってなかなかない。
悲しいことも受け入れ難いことももちろんあった。
本気でその場で泣き出すかと思うぐらいにショックを受けてみたり、しばらくいなくなったことが受け入れられなくてその人がいた場所を視覚に入れないようにしたり、全て勘違いで私が勝手に1人で気持ちを上げてたんだと言い聞かせたり…。
本当に色々だった。
でもいつのどんな時も、私はそれらのサインに触れると、その人が私の人生の中に在ることの奇跡を思った。
その人なくしては、そのサインたちは当然何の意味もないわけで、そうしたらこの1年の日々の幸運の積み重ねもなかったことになる。
全てその人がいたからこそ、そのサインたちに意味があって、そして私はサインたちにいつもいつも気持ちを救ってもらってた。
今少しずつ自分の中で決めていることがある。
私の側から見ているストーリーがある。
それを隠さずに思いついたところから話していこうと思っている。
信じられない気持ちや疑う気持ち、おかしいと思う気持ちや否定する気持ち、そうしたものがずっとあったのも本当だった。
でもいくらそういう気持ちたちが湧いて出ていても、それでもこうしてやってくるサインだとか、ファンタジーのような不思議なことが色々あった。
今1年ぐらい経ってみて、自分が見てきたもの、感じてきたもの、そしてその中で自分が選びたいことが何なのかがわかり始めてきた。
そして、それをそのまま言葉にしていく準備が整った。
ずっとずっと書き続けたからこそ、誤魔化して書くよりもありのまま書く方が自分が書きやすいこともわかった。
受け取る受け取らないはまた別の話になるけれど、少なくとも届いてるようには感じている。
だから今度は、私側から見ていたストーリーを不定期に書いていこうと決めた。
反応は欲しい。
これは本当に正直な気持ちで、それは否定しない。
だけど、反応が何1つ返ってこなくても私は書く。
書きたいから、伝えたいから、書く。
そしてもう1つスーパーお節介魂を出すと。
その人に知って欲しい。
その人がどんな風でも、そのままで、ただただいてくれるだけで、ものすっごい価値があるということ。
それは良いところだけを見て言ってるんじゃない。
私にとって非常に受け入れ難いところも含めてその人だから、その全部ひっくるめて、その人がその人だからいいんだよということを伝えたい。
相手が受け取る受け取らないに関係なく書く。
これが全て私の勘違いでもいいから書く。
とにかく書く、伝える。
そうしたいから。
そうしたい!って、やっと心の底からそう思えるようになったから。