2018年9月26日水曜日

振り返りノート 9/23〜9/25

【はじめに】
本当は全ての振り返りがまとめ終わったらアップする予定でいたけれど、長すぎるとわかって、とりあえず最初の分をアップすることに変更した。

伝えたいこと、伝わって欲しいことがたくさんあるんだとわかった。

伝える場所があること
伝える言葉を持っていること
伝えたい人がいること
伝えたい気持ちが自分の中にあること
そのすべてが1つになって今ここに繋がっている。

今回はいくつかのキーワードを散りばめた。

どれも大切なキーワードだけど、その中の1つが本当の本当に伝えたいこと。

スペイン語で出産することを「dar la luz」(ダール・ラ・ルス)と言う。

dar…与える
la…英語で言うところのthe
luz…光

スペイン語では命が誕生することを、「光を与える」と表現する。

ある1人の人の命は、本当にその意味通りとなって私の前に現れた。

出逢えて良かった、今でも変わらずにそう思っている。

そして、私の人生に現れてくれてありがとう、それも変わらずに思っている。

ありがとうの意を込めて、まぁ実際は押し付けかな…の振り返りノートを贈ります☻☻



9月23日(日)

しばらく毎日振り返りをして書き溜めてからアップしようと決めた。

去年のこの辺りからサインが現れるようになった。

まだその人はこの地に住んではいたけれど、いずれいなくなるのは決まっていた。

かなり色々と記録に残した割には、今の私が知りたいことは抜け落ちてて、多分この辺りからとしか言えない。

多分この日の辺りは、「水曜日」という情報は手にしてた気がする。

いついなくなるのかなんて聞くこと自体おかしかったから、誰かがそれをポロリと言わないかと、常に耳はダンボにしてた(←ほんと、何しに仕事行ってたんだか…)。

その水曜日を迎える直前の日曜日に「あと3日」と書いているから、何らかの形で知り得たんだと思う。

今となっては全く思い出せないけれど、無視する男性心理みたいなことを検索ワードを変えながら調べまくってた。

ものすごい量の記事を読んだけれど、どれもありきたりな話でピンとこなくて、「何か違う」という気持ちだけがずっと続いていた。

この辺りだと思う。

初めてしっくりとくる情報に行き着いたのは。

これ自分のこと?と言わんばかりに、書いてあることがまんま自分の身に起こったことで、それでやっと魂の繋がり的なキーワードに行き着いた。

でもそんなことわかったところで、何ができるわけでも何が変わるわけでもなく、迫りくる最後の日を前に私は居ても立っても居られない状態になっていた。

身の回りは着々と片付いていった。

だけど、徐々にだったから、最初の日よりも衝撃は少なかった。

私の中で一番衝撃を受けた日は、ダウンがなくなった日だった。

その時はまだ机周りはごちゃごちゃしていて、いなくなるという雰囲気はなかった。

だけど、ダウンが視界から消えた日は、しかもこれからシーズンで使うべきものがなくなった日は、あまりの衝撃に呆然とした。

頭を後ろから殴られたみたいだった。

だから、ダウンがなくなった日の方が衝撃がデカすぎて、その後物がどんどん片付いていく様子の方が予想通りではあったから、少しずつこの風景に慣れていくんだな…と静かな気持ちで見ていた。

もう1つ、今年の9月の天気を見て気付いたことがある。

去年は、手紙を書こうと決めて下書きをした日からその人がいなくなる3週間ぐらいの間、墓参りに行く時間だけ一度も雨が降らなかった。

毎日晴れてるか曇りで、その時だけ本当に守られてるように雨が降らなかった。

そして、いなくなった翌日の朝、墓参りの時間に雨が降った。

私はその日のことをこう書いてる。

「私の代わりに泣いてくれてるみたいだった」

ずっとno rainで来ていて、その人がいなくなった途端に雨が前の日の夜から降り続いたから、空が泣いてると思った。
(「no rain」は当時のノートまま抜粋)

これその日にもらった付箋ではなかったと思うけれど、私はSさんから「この音楽いいですね!」とか言ったのかな?何か音楽を聞いて、その題名を書いてもらった付箋がその雨の日の朝のところに貼り付けてあった。

「STEP UP LOVE」

今見ると、ちょっとしたメッセージだなぁと思う。

いなくなれば色々終わるのかと思ってた。

でも終わらなかった。

ステップというか状況は段階が変わったと思う。

その人が人生に現れたことで私がしなくてはいけなかったことは、自分のことだった。

自分を、自分の生き方を、自分の人生を、徹底的に見つめ直させられる、そんな風だった。

雨の日の後の次の記録は、1ヶ月後ぐらいで、そこにこんな風に書いていた。

「○○さんに対しては、年をとるまでヨボヨボになるまでそのプロセスも全部含めて隣りで見ていたいと感じた」

それを仕事の昼休みに大きな川の前に来て書いていた。

名古屋から数えてそこは5ヶ所目の派遣先で、どの時も昼休みに外に出ていたけれど、よくよく考えたらその時だけだった、川のあるところで休んだのは。

私は当時2つの場所を昼休みのお休みスポットとして使っていたけれど、どちらも川のある風景だった。

他の時は公園や木のある場所、風の通り道とかだったけれど、その時だけは無意識に川のある風景を選んでいた。

〜今日のキーワード〜
・その人と同じ県外ナンバー
・大きな福
・愛してまーす!



9月24日(月)

この辺りからものすごく長い日記を書くようになった。

吐き出す場所がなくて、とにかくいくらでも書くことがあって、書いても書いてもまだ言葉が続いた。

「ただただ一緒にいたいです」とその日の最後に書いていた。

無視されたまま、もし今も近くにいたとしたら、どうだったんだろう。

ちなみにその数日前にも無視されて、席隣りの人が「大丈夫です」と言ってくれなければ私はシャチハタ持って下に行こうとしてた。

その人は黙ってさっさと階下に行ってしまったけれど、その隣りの人が真っ直ぐに私を見て、その時本当に優しそうな感じでその大丈夫ですを言ってくれた。

そこまでしないといけないぐらいにその人は私に冷たくしてた。

その隣りの人とは辞める直前に話ができるようにはなったけれど、それまでの間でその時ほど心の通ったやり取りは他になかった。

当時は気付かなかったけれど、その隣りの人もあの異常な感じを感じ取ってたんじゃないかと思う。

話をするようになったら、すっごい空気読める人だとわかったから、そんな人が真っ直ぐに私を見て声をかけてくるぐらいの状況だったんだと今になって思う。

私はもう相手がどう出てきても静観する覚悟でいた。

最初に無視された時は、その後、仕事に差し支えるから仕事中だけは普通にして欲しいと言おうと思った。

毎回心が折れそうになるのはしんどいし、仕事が手につかなくなるから、だから何かの折を見て言おうとしてた。

その折が来る前に異動を私の教育係の人から告げられた。

人間ショック過ぎると、本当に頭の中が停止して真っ白になるんだなと思ったぐらいの威力だった。

そもそも仕事上全く絡みのない者同士だったにも関わらず、色々小さなイレギュラーが起こって、その人とは関われるようになっていた。

だから、その人としたいくつかのやり取りは、その後人が替わった後、1つとして起こらなかった。

また別のイレギュラーなことが次の人との間にはあったけれど、大したやり取りはなかった。

大体は他の人たちとやり取りすれば済むようになっていたし、次の人とは仕事以外の部分での話をすることはあっても仕事上の絡みはゼロに近かった。

その人とだけ、ボタンの掛け違いのごとく、色んなイレギュラーなことが重なって、そのイレギュラーを体験するようになってた。

そして私は、そのイレギュラーな時に毎回無視では困ると思って、それで言おうと決めた翌々日だったかに異動の知らせが来た。

もう言うどころではなくなり、そして何せイレギュラーなことはイレギュラーベースでしか起こらないから、残りの時間を見てももうそんなにはそれが起こらないだろうと思って、静観を決めた。

どんなにイレギュラーなことが起きても、あといいところせいぜい2、3回。

それならその時を我慢しよう、これ以上事を荒げるよりも静かに黙ってやり過ごす方がいいと思った。

今振り返ると、その人にまつわる色んなことたちはおかしな流れの中にあった。

他の人たちとの間では起きなくて、その人との間にだけ起こるような感じだった。

その人の存在をきちんと私が認識できるように色んなことが起こったと言ってもいいぐらいだった。

実はその1ヶ月後に今度は別の人が異動になった。

その人の異動の方が私の仕事に大いに影響が出たし、それに伴い確認することはたくさんあったけれど、すごい適当にそれは知らされた気がする。

状況が流動的だったのと中の人間模様の具合ともあって、きちんとした知らせはなかったかなと記憶している。

書類上、色んな絡みがあったから都度都度隣りの席の人に細かな確認はしたけれど、すごい適当だったことしか覚えていない。

なんなら最後挨拶さえしなかったという体たらくだった。

当日になって送別会の話も言われたし(周りも適当だった)、もちろん欠席したけれど、いつの間にかいなくなってた。

だけど、その人の時は全く違ってた。

立場の違いももちろんあったとは思うけれど、とにかくものすごくキリッとした雰囲気の中で異動は告げられて(勤めてた中でなぜか一番神妙な雰囲気だった)、その後の送別会の出欠席も3回ぐらい確認された。

最初幹事の人に言われた時、社内事情がわからなくて、とりあえず保留にして周りに確認しようと思った。

私は行きたくなかった。

その人とは気まずいわ、行っても99%無視されるの確定してるわ、そもそも人数が多くて接触することさえなさそうだわ、そもそも何で来てるの?と心で舌打ちされても嫌だわ、そんなの心が折れるわ、そして他のメンバーの人たちは大多数知らない=どう考えてもスーパー気疲れだわで、行きたい理由はなかった。

私は、心の中で「何で来たんだよ?」的な舌打ちをされることさえ嫌だった。

その人の仕事以外の顔を見たい気持ちもないわけではなかったけれど、それ以外の理由の方がデカすぎて、行かないことにした。

周りの人たちに聞いて、行かなくても差し支えないとわかったから行かなかった。

幹事の人に欠席の旨言ったと思うけれど、直前にもう一度本当に欠席でいいですか?と確認された。

今考えたら、何であの時もう一度確認されたんだろう?って思う。

その時ももう一度きちんと断った。

せめて何か贈り物するならそこには私も混ぜて欲しいとお願いしたけれど、それは参加する人たちだけで何とかするから大丈夫ですと言われた。

後日、送別会に出席したSさんが、その人と送別会で交わした唯一の会話を教えてくれた。

あまりの人数の多さに、本当に全く話せなくて、唯一話したのは帰る時に「Tと帰るの?」と聞かれただけだと言っていた。

全然話せなかったから、なんか送別会というよりも本当に同じ場所に居合わせただけって感じだったとか言ってた。

それ聞いて、尚さら行かなくて良かったと思った。

書きながら思った。

その人にまつわることは何でもかんでもよく覚えてる。

ものすごくはっきりと。

出欠席の確認されたシーンでさえどこでどんな風に確認されたか覚えてる。

「大丈夫です」と隣りの人に言われた時も、はたと気付けばその人はすたこらとその場をさっさと離れて階下に行ったシーンも。

映画のワンシーンを見てるかのごとく、覚えてる。

全部、全部覚えておきたかった。

どんな些細なことも、その人とその人に関することは記憶に残したかった。


〜今日のキーワード〜
・本当は別の何かがあってもそれをうまく出せなくて、もしくは本人も混乱してて、そうなってたかもしれないね
・どう思ったか聞きたかったね、本人に聞きたかったね
・「優しくて温かくて、涙が出そうだった」時間と空気のプレゼント



9月25日(火)

上の24日のキーワードは25日の今日になってから書いた。

昨日Sさんとのエピソードの記録を探した時に見つけたキーワードだった。

キーワードではなく、キー文章と化したけれど、気付かされたことが1つあった。

改めて気付いたこと。

最後に書いた
・「優しくて温かくて、涙が出そうだった」時間と空気のプレゼント
それをプレゼントしてくれたのはSさんだったけれど、実はその人からもたらされたものでもある。

それは私が仕事を辞める直前のある休前日の夜のことだった。

2人で美味しいお酒を飲みに仕事が終わった後出かけた。

その人に出逢わなくてもSさんと愉快で楽しい時間を共有できたと思う。

私はSさんが本当に好きだし、そんな素敵な人に仕事で出逢えたのはすごく嬉しかった。

私は自分が社会人をする中で「わからなかったら何度でも聞いてくださいね!遠慮せずに本当に聞いてくださいね!」と言ってくれたのはSさんが初めてだった。

私は人並みにできるようになるためには、ものすごい頑張らないといけないことの方が多い。

仕事でもとにかく細かくメモに残してそれ見ながらやって、やっと人と並ぶぐらいの能力にしかならない。

そんな中Sさんは小難しい処理をあれこれ伴う仕事に対して、何度でも聞いていいこと、本当にそうしたらSさんは一度も嫌な顔せず本当にいつでも丁寧にきちんと教えてくれた人だった。

本当に素敵な方で、そんな方とお仕事できたのは私はめちゃくちゃラッキーだった。

だからその人に出逢わなくてもSさんとは元々素敵な時間を持てた!と自信を持って言える。

だけど、その人が存在してくれたことで、さらに一層優しい空気が流れた。

私たちの会話の中にしか出てこなくても、それは会話に出てくる人の質によって温かくも棘々(とげとげ)しくもなるから、そう思うとその人はそこにいなくても温かいものをもたらす人だった。

Sさんの感性とその人の個性が掛け合わさると、優しさと温かさが生まれる。

その人だったから、その空気感をそこにはいなくても流し込む要素があった。

私はSさんともう1人その人の後輩にあたる人としかその人について話したことはない。

後輩の人とは、その人の仕事ぶりや人間性しか話してない。

Sさんと話した時も後輩くんと話した時も、どちらも空気がめちゃくちゃ良かった。

2人ともその人のことがすごく好きなのは伝わってきた。

その人が仕事ができるから好きなんじゃなくて、人として好きなのが伝わってくる、そういう風に2人から強く感じた。

Sさんはまだしも後輩くんからしたら先輩なわけで、普通仕事の絡みならもっと苦手になってもおかしくない。

だけど、本当に人として好きなんだというのは本人が言ったからだけではなく、他の人たちとの絡みも見てたから余計とわかった。

当時を振り返ると、入れ替わり立ち替わり来ていた色んな人たちとのやり取りと、その人とやり取りする感じは全く違ってたことに気付く。

先輩的な立場の人はかなり来たけれど、その後輩くんがその人たちを人として好きかと言うとそういう感じではなかった。

嫌いでもなかったとは思うけれど、だからと言って人として好きという気持ちみたいなのは感じられなかった。

ちなみに、その人がいなくなった直後、仕事の用事で電話したついでに引越しが無事終わったかどうかを聞いたら、想定外の返事がきたようですごい凹んでた時があった。

後輩くんはその状況に対して、半泣きになりながらショックを受けてた。

その人を責めずに「僕そんなに悪いこと聞きました?」と周りに救いを求めるように訴えてた姿が忘れられない。

感情をそこそこ外に出す人ではあるけれど、あんなにも超個人的なやり取りで感情、しかもショックとか悲しいとかいうのを出してたのは、その時1回だけだった。

今日は電話出てくれるかな…とかよく言いながら電話してたけれど、まるで彼女が彼氏に電話するみたいな感じだった。

出てもらえなかったり(←多分用事で出れない)、冷たくされたのか思うような反応や答えがもらえなかったのかは知らないけれどいまいちの時は、それにいちいち反応してた。

当時は電話で何一喜一憂してんだろう?と思っていたけれど、多分それって裏を返すとその人のことがすごい好きだから反応も大きかったんじゃないかなと思う。

だって他の電話の時はそんな風になってなかったし、少なくともおかしい時は冷静に理詰めで相手を追い詰めて怒ったり、言葉でとことん相手を追い込むタイプだから、そうではない個人的な感情付きで電話してたのはその人相手の時だけだったんじゃないかなと思う。

仕事の電話なんだけれど、その人との電話だけが色々人間的な反応をしてたなと思う。

はたから見ていると、かわいらしい反応をしてた。

いずれにしても、その人は自分じゃ気付いてなさそうだけれど、周りの人たちから愛されてるタイプの人には違いなかった。

ごますり的なことはしなさそうだからそういう面では組織の中でいまいちのような感じはあったけれど、人として本当にその人の良いところを知っている人たちからは根強い人気を集めてる感じはものすごくあった。

ちなみに、そのごますりしなさそうなところが私個人的には超いい!と思ってたことの1つだった。

大きな組織で長いこと勤めてる人特有の雰囲気がある。

色んな人たちが来ていたから、来る人来る人その手のタイプの人ばかりだった。

組織の色が強く出ていて、肝心のその人らしさが見えない感じになる。

圧倒的に男の人が多い職場だったから、余計と組織人としての姿勢や雰囲気が強く出ている人が多かった。

だけどその人はそういうタイプとは全然違っていて、良い意味で自分のペースと自分のやり方を貫く感じだった。

リーダーシップを取るとかも多分超苦手な人だと思うけれど、その人はその人らしい在り方でリーダーシップを取る人だった。

静なる統制を図れる人だった。

たくさんは喋らないしごちゃごちゃ言うこともしない代わりに、静かに着々とその場の空気を落ち着かせる。

見えない部分の統制をきっちりしているから、安心感・安定感がある。

実際は色々あったと思うけれども、そういうのを外に出さずに解決を図る人という感じだった。

その凄さを本当に知ったのは、その人がいなくなってからだった。

静なる統制の軸がなくなってしまったことで、しばらく社内はかなり不安定になった。

その不安定感を日々肌で感じていた時に、その人のすごさを知った。

色んなリーダーとか上の人たちを見てきたけれど、その人みたいなスタイルのリーダーは初めてだった。

静かだし偉そうにしてる雰囲気は皆無なのに、見えないところで組織にきちんと安心と安定をもたらしていた。

すごい人だとは思ってはいたけれど、私が思っていた以上にもっと力のある人だったことを知った。

Sさんが時々その人の良さを口にしていたことがあった。

本人に言ったらどうですか?と半分冗談で言ったら、そんなの言わないしできませんと返ってきた。

その人の性格を加味してそっとしておくところも、大切にされてる感じがした。

そういう余計なことを言って関係が変になるのも困るみたいなことも言っていて、あぁその人との関係を大事にしたいんだなぁと感じた。

そして大事にしたいと感じる魅力の持ち主なんだなぁと思っていつも話を聞いていた。



去年の記録を見ていたら、年末に迫った頃のある日の会話が記録されていた。

【Sさんが異動が決まった○○さんに「この町離れるの淋しくなるでしょ?」って聞いたら「それが不思議なんだけど全く寂しくないんだよね」と言ったらしい。】

聞いたその瞬間、私の中で「なんか違う」って思った。

多分事務所を離れるのは本当に個人的な感情は湧かなかったと思う。

なんとなくそう言いそうな姿は想像できた。

だけど私が感じたのはそこじゃなかった。

本当に深いところでは、言葉に嘘があると言うか、何か隠されてるって咄嗟に感じた。

当時の瞬間に戻れないからかなり怪しいけれど、多分私があの会話の中で感じた違う部分は私自身の気持ちとは違うと思う。

今になって思うと、その人の気持ちをキャッチしてたのかもしれないなと思う。

私から見たら、そして全く相手にされなかった私を見たら、その言葉の通りだし、それに対して疑問を挟む方がどうかしている。

「全く寂しくない」その通りと思う。

私はすごい寂しいと感じたけれど、なんならこの世の終わりぐらいな凄まじい感情が体と心を突き抜けたけれど、その人は私とは違うんだろうなぁと思ってた。

だけどそれを言われた時、瞬時に「違う」と思った。

今年の春先から本格的に自分でも認識できるようになった、第三者の声を拾う感じにあの時も近かった。

信じがたい話ではあるけれど、私のこのちょっと変わった体質は、別に本人から話を聞かなくてもいい。

Aさんと私が話している時に、Aさんの友達のBさんのことについて話が出たとする。

必要であれば、Bさんに向けた情報が私のところに飛んでくる。

実際にそういうことがあってそしてそのままキャッチした情報をAさん経由でBさんに伝えてもらったら、Bさんの具合が著しく回復したこともあった。
(私はBさんと面識なし)

別の人から職場の困ったことを相談された時がある。

その人には無理に動かない方がいいこと、とりあえず静観して様子を見ること、困った状況はすぐには良くならないだろうからその時は自分の気持ちだけケアすること、多分周りが勝手に動く気がすることを伝えていた。

思ったまま感じたままに伝えただけだったけれど、なんとその後本当にそのような流れが突如出てきて、結局本人が一切動かなくても勝手に周りが動いて解決したと教えてもらった。

予知とかではなくて、本当に感じたことを伝えたに過ぎなかった。

感じたことは、私じゃなくて相手の人から情報をもたらされてると今のところ思っている。

Sさんが教えてくれた言葉を聞いて「違う」と感じたのも、そういうのに近かったと思う。

なぜなら私なら、そんな超スーパーポジティブ且つ勘違いみたいな考え方を絶対にしないから!

私の希望とか願望「その人も寂しかったらいいなぁ」というようなものではなく、「何かが違う」という私のものではない感覚を感じた。

っていうか、何でそんな話を私は聞くのかもわからなかった。

これはもっと後から友達に言われたことだけれど。

私はその人にまつわる色んな話を聞く。

こうして文章にしてブログで発信することも度々ある。

人と人との意識がどこでどう交差するかはわからない。

だけれど、無意識の力って私たちが頭で考えてるより遥かに大きい。

もしかしたら、

Sさんを通じてその人について何かを知る

私が反応して自分の反応を書く

その人のところに私の書いたものが届く

という流れがあるのかもしれないよとその友達には言われた。

無意識の共鳴というか、隠された暗号を外に向けて発信するみたいな。

それはそうと、私はとにかく寂しくて心細くて仕方なかった。

今日が残すところラスト3日のところで、朝仕事に行ったらその人はいなくてそれさえも寂しかった。

あと何日かしたらそれが日常に代わるんだと思ったら、本当にそんなの嫌だと感じた。

時が止まらないかと本気で祈ってた。

バカみたいだけど、本気で時が止まってずっと近くにいられないかと、そう思っていた。

その日の日記に「自分を相手の人生の1ページに残したかったから手紙を書いた」と書いていた。

エッセイにあった言葉を読んで、私もそうだと思ったものをそのまま書いたに過ぎないけれど、今1年経過して余計とそう思う。

その人の人生に自分の足跡を残したかった。

生存本能とは違うけれど、何かを残したかった。

幻みたいに消えてなくなりそうで、記憶も全て消されてしまいそうで、私は確かに出逢いました!ということを残したかった、そんな気がする。

ちなみにこの1年近く色々書いてはきたけれど…。

私、その人は手紙を今でも持ち続けてくれてる気がしている。

その人の意思で持ち続けることを選んでくれてるんじゃないかと、なんとなくそう思っている。

私は仕事で一度電話でその人宛てに伝言を預かって、それをメモしたことがある。

言われてることのほとんどがわからなくて、聞いたままをそのまま清書した。

私は直接渡せる♡と超絶楽しみにしていたのに、事務員さんの調整があるとかで事務員さん経由となって、ものすごく残念だった。

その時、その人が事務員さんからメモを手渡されてメモに目を通してる瞬間を私は私でじっと見ていた。

私が見た理由は、内容大丈夫だったかな?というのと、意味通じてるのかな?という心配事があったから。

当初、直接手渡す→「意味通じてますか?大丈夫ですか?」とか聞く→ちょっとだけ話すチャンス!、とかいう小学生みたいな構図を頭に描いていて、1人で盛り上がってた(笑)←どこまでもめでたかった人。

だけどそうではなくなり、さらに私自身が伝言の意味もわかってなかったから、本当にそれで大丈夫だったのか心配になった。

事務員さんはこれでいいよと言ってくれたけれど、それでも私は心配だった。

それもあって、私はその人がメモを読んでる姿をじっと見てた。

その時の姿がすごく印象的だった。

私は最初自分が何か間違えたのかと勘違いしたほど、その人はずい分と長い時間メモを見ていた。

事務員さんが隣りでそのメモにまつわる業務内容だと思うけれど、何かをその人に口頭で確認してた。

それでもその人はずっとメモを見ていた。

私は最初「えっ⁉︎なんか間違えた?大丈夫なの?」とすごい不安になったけれど、途中から冷静になって、その人が見てるのはメモじゃないと思った。

メモの内容以外を見ている気がした。

そのメモは、私がその人宛てに初めて手書きで書いたものだった。

それ以前に、折り返し先の電話番号とかけてきた人の名前を書いたメモも渡したことがあったけれど、それは急ぎで駄々書きしたものでメモと呼べるものではなかった。

その「○○様」ときちんとその人宛てとわかるメモは、それが最初で最後だった。

ちなみにそのメモは、そんなにじっと読み込まないといけないものじゃない。

その前に事務員さんも読んでるから、事務員さんはそんなにも長い時間見てなかったことは知ってる。

そこだけ時が止まったかのような時間が流れていた。

目の前のパソコンでもなく、もちろんキーボードでもなく、隣りの事務員さんの方でもなく、事務員さんが話しかけてる横で視線はじっとメモに落とされたままだった。

その時の姿と手紙がなんとなく私の中で重なる。

それ以外何の根拠もないけれど、手紙は案外大切に保管されてるような気がする。

少なくとも捨てたりとかシュレッダーにかけたりとかはしていないと思う。

ここまでくると盲信みたいだけれど、なんとなくそんな気がしている。

これは私の希望もかなり入り込んでいるけれど、なんとなく今もなんだかんだと手元にあるんじゃないかなと思う。

そうだったら嬉しい。

私が望んだ、その人の人生の1ページに足跡を残せたことになるから。



今日は朝からちょこちょこと書いていたから、ずい分と話があちこちに飛んだ。

1年前の今日の私は、挨拶の練習をしていた。

泣かないための策を本気で練って、何て言えば最後の挨拶は大丈夫か言葉を考えていた。

そんなことをしつつ、もしかして奇跡が起こるかもしれないと最後まで望みを捨てきれない私もいた。

挨拶の練習も望みを捨てきれないことも色々心の中は忙しかったけれど、本当は何よりも怖かった。

その人が私の人生からいなくなってしまう、永遠にいなくなってしまうそのことが本気で怖かった。

それなら地球が破滅する方が怖くなかった。


〜今日のキーワード〜
・NO MORE CRY

10年以上前の話。

超がつくぐらいの多動症の男の子が幼稚園の発表会で踊った曲が今日テレビで流れた。

幼稚園からの連絡ノートには毎回園からの苦情やお願いばかりが書かれてしまう男の子だった(私はめちゃくちゃ好きで、幼稚園の先生の見る目のなさにガックリきてた)。

幼稚園の最後の発表会、本人の話もあまり的を射なくて、とりあえず踊ることだけは知って見に行った。

運動神経は抜群に良い子だった。

だけどダンスの時も途中から1人だけ違う動きで、間違えたのかと思って見ているのが途中から辛くなった。

と思ったら違っていて、その子はそのダンスの大トリで、側転とバク転を組み合わせた技を披露した。

私もそれ見て号泣したし、会場全体でスタンディングオベーションになった。

数百人は入ったステージでのスタンディングオベーションで、凄かった。

スタンディングオベーションになったのはその時のその子の演技の時だけだった。

その子にしかないものがそのままその子の魅力になっていた。

命がキラキラしていた。

命が輝いていた。

その子の命に触れた時、腹の底から感動を覚えた。

その人に対しても私は同じタイプの感動を覚える。

その人だけが持っているもの、その人のちょっとしか知らなくても、そのちょっとだけで私は常に感動してた。

その人がそこにいる、目の前に存在している、そのことに私の心は全力で動いていた。

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